bars60 切符を落としたり、乗り遅れたり不運な旅もありますが、素敵な出会いが重なる幸運な旅もあります。
出かけてみなければ分からない、それが旅のよさです。

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■旅行のすすめ■

 

 

 

 

 新しい出会い 思わぬ発見のある旅 

 

<非日常との出会い>

 

お気に入りの鞄に期待をいっぱいつめて出かける旅行は、人生で一番贅沢で勉強になる学校です。見知らぬ土地で出会う様々な人々や、美しい風景、そして地元に伝わる興味深い言い伝えや伝統の技等、好奇心は尽きることがありません。そして、もちろん何も考えないのんびりした時間を持つことができるのも旅の良さです。でも、もしひとたびノートを持って、その気になれば、あらゆるデザインのアイデアを書きとめることも出来ます。非日常の空間には、思いもよらぬ感覚がひそんでいます。

小さな国、日本の中でも場所によって言葉や風習が違います。東北地方のお年寄りどうしが話している会話などは関西人の僕には殆ど聞き取れず、まるで外国語です。地域によって山の形も緑の色も町並みもどこか違う感じがします。同じ様に雄大な北海道と九州の風景でも、どこか違った印象を受けます。

多分地形や植物などが気候の違いで異なっているからだと思います。日本の狭い領域でこれだけの差があるのですから、海外での印象の違いに強烈なものがあるのは当然かも知れません。最初の海外旅行で始めて台湾の空港に降り立ったとき、日本とは違う空気の匂いを感じました。空気の匂いが違うというのは変な感覚でした。一つ一つの国の固有の文化がそれぞれ独自の匂いを作り出しているのです。旅は日常出会うことの少ない体験に満ちています。それは旅人の五感を通して、しみわたります。

空気の匂い、風の音、水の音、澄み切った空の青さ、見知らぬ人々の聞き慣れない言葉や振る舞いなど旅は多岐にわたって感性を刺激してくれます。特に日頃都会で生活している人にとっての田舎はまさに命の洗濯と言えます。日本海の海と太平洋の海、北国の海と南国の海、同じ海でもその表情は違います。光、風、海流、プランクトン等の微生物やいろいろな魚がそれぞれの海の表情を作っています


<スタジオ(日常)とロケ(旅)>
日常的に個人が、例えば学校や仕事の関係で動いている世界は撮影で言えばスタジオ撮影のような状態です。それらは予めセッティングされた世界で、その世界の多くは知っているモノや人であったり、予測出来るモノです。でも、旅はその名の通りロケーションです。それは知らないことや予測できないことの方が多い世界です。

そこでは人為的なモノより、自然が主導権を握る世界です。周到に準備された撮影が天候一つでダメになるようなモノです。どんな旅のプランも土砂降りの雨の中ではお手上げです。都会では日常そんなに天候のことを考えない人でも、旅に出ると「明日はいい天気になってくれ」と願います。アーケードや地下街もなく、道も舗装されていないような場所では、雨と晴れでは、それこそ天と地ほどの差があります。これも日頃都会暮らしの中で忘れられている感覚の一つです。

 どんなデザインも その底流に やさしさが流れていることが 一番大切だと思います


<古きものへの慈しみの心>地方に行くと都会では殆ど失われてしまった過去からの伝承や叡知が沢山残っています。それは建物であったり、道具であったり、言葉や作法など様々ですが、どれも皆日本の良さを今に伝えるかけがえのないものです。僕の好きな京都や金沢の町も過度の観光化や違法建築の乱立で、町そのものの良さが失われつつあります。

地元の人や全国の感性のある人達が景観の保護のために懸命に努力されています。現在の建築は作り替えもききますが、歴史のしみこんだ建築や町並みは決して作り替えの出来ないものです。お金のために古いものを壊す無神経さには悲しくなります。ヨーロッパの国々にならって古い文化を誇りに思い、一人一人が自分たちの歴史を守り続けなくてはいけません。

現代の建築技術にない、魔法のような木組、軸組。コンピューターでも描けないのではと思う見事な文様。古いものには、案外最新の情報が含まれているようです


<自然へのいたわりの心>

空気のきれいな場所で、満天の星が輝く夜空を見ていると、人間がこの小さいけれど青く美しい地球を構成している一つの要素であることが、実感できます。人間は水や空気や樹木と同じ自然の一部なのです。旅は人間と自然の関係ではなくて、人間を含めた自然が、宇宙の摂理に対して謙虚に、そしてやさしく存在していかなければならないことを、教えてくれます<見知らぬ人への親愛の心>旅先では日常のように顔見知りの人と出会うことはめったにありません。出会う人、出会う人が殆ど初対面の人達です。電車の中や、田舎道で交わすちょっとした会話の中にも心遣いや礼儀が行き交います。日頃忙しさとなれ合いの中で忘れてしまっている、人間としての基本的な心持ちを旅はいつも再認識させてくれます。そしてデザインも、見知らぬ人へのメッセージを作る仕事という意味では同じなのです<方言の響きの素晴らしさ>旅先で毎回感じることの一つに、方言の素晴らしさがあります。地元の学生が少し標準語の混じった方言で話しているのを聞くと何故かうれしくなります。言葉の響きがとても心地よいのです。これは全国どこに行ってもいつも体験することです。

都会では言葉づかいそのものに、魅力を感じることはあまりないのですが、みな標準語というか都会語に同化されているからでしょうか。本当に田舎のおばあちゃんやおじいちゃん、そして子供達が話す方言は、生き生きとして、心がそのまま伝わってくるようです。そんなことに感心していると、デザインにも、もっと地方色があってもいいのではないかと思ってしまいます


<伝統との出会い>

都会ではもう日本がどんな国か分からなくなっていますが、地方を歩いていると「ああ、日本だと」実感できる建物や、工芸品に出会います。ふと覗いた民家の土間になつかしい形のお釜や火鉢を見つけることもあります。数少なくなった藁葺きの家は周囲の自然と完全にとけ込んでいます。じっと見つめていると藁葺きの家そのものが、一本の樹木のように思えてきます。

形、素材、機能...本当に良くできています。その他古いお寺や神社の建築には目を見張るモノが沢山あります。どの建物も一体どうやって設計し、どうやって造ったのだろうと首を傾げるぐらい見事な建築です。木の軸組や屋根の何とも言えない曲線など、現代建築の比ではありません。日本には昔すごい建築家が数多くいた事だけは確かなようです。

それにしても日本はお寺や神社の多い国だと思います。海側を歩いても山中を歩いても、たいてい由緒あるお寺か神社に出会います。そして建物の中には、仏像や曼陀羅図などデザインの勉強になるものが置かれています

 


<かけがえのない笑顔>

人なつっこい農家のおばあさんの顔を見ているだけで幸せになります。優しさや可愛らしさが凝縮されたような笑顔は、本当に尊敬に値する人間の表情です。昔は大阪の下町にもこんなおばあさんがいました。見も知らぬ人にも親切で、子供を見かけるとだれかれなしに、ミカンや飴ををくれたおばあさんです。そんなおばあちゃんも、都会では殆ど見かけなくなりました。旅先で出会う昔ながらのお年寄りに感動するのは、昔はどこにでもいた、心やさしいおばあちゃんへのノスタルジーかもしれません

Copyright (C) 2010 Masaki Matsuura. All rights reserved.

 

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