bars60 劇場の照明が消えればそこは小宇宙です。スクリーンの主人公を助けようと手をさしのべたり、
恐ろしさに隣の父の手をぎゅっと握ったり、へとへとになる事もありました。

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映画館はエネルギーを充電したり、アイデアを練ったり出来る知的な空間です

マンオンワイアー

映画のすすめ

 

 

映画は感性の結晶です。

よく感性を培うための決まった方法はないと言われますが、一番簡単で、一番楽しくて、おまけに一番ためになるのが映画を見ることです。その理由はたくさんあります。

ストーリーの面白さや善し悪しは別として

映像と音響の相乗効果があること。
スクリーンの大きさと館内の暗さ。
多くのスタッフによって作られている。
構想と制作にかかっている時間が長い。
海外の文化や景色や生活様式がよく分かる。
読みづらい文学や歴史書も映画なら見れる。
セットや衣装デザインなどの完成度が高い。



 

映像と音楽の相乗効果

 

印象に残る映画はストーリーやシーンと共に主題曲や挿入曲も耳に残っていると思います。人間の五感の中で、飛車角ともいえる視覚と聴覚が合体した効果は絶大で、映像では表現できない感覚を音楽が補い、音楽では表せない情景を映像が補足するという、形で進行する映画の作り方は何を表現したり伝えたりするには最強の芸術だと思います。

特に映画の最初のシーンには、アイデアがいっぱい込められていて、その音と映像にいつもわくわくします。そしてディズニーアニメに代表されるあの透き通った色彩の美しさ。昔、007を見たときに、ジェームズボンドのシルエットと原色の赤や青で構成された最初のシーンに、感動しました。コントラストの強いつややかな色、絵の具や印刷の色と違う鮮やかな色彩に目をみはったものです


 

スクリーンの大きさと暗い館内

 

あの大きなスクリーン(今は音響も凄いですが)と暗い館内は意識を集中させるには最適の空間だと思います。同じ映画でもテレビやビデオで見るのとは感じ方も心に残る印象度も随分違うように思います。そう言う意味ではお金を払っても映画館で見る値打ちは十分にあります。
僕の場合観客が数人しかいないような空いている映画館が好きで、町外れや地方の映画館までよく遠征しました。学生の頃授業をさぼって少し後ろめたい気持ちで映画を見ていて、暗い館内で同じ学校の生徒と出くわしてお互い顔を見合わせてから、友達になった思い出もあります。とにかく日常的な雑音や雑多なものが視野に入らない映画館の空間は、リラックスするにも、学ぶにも最適の空間で思わぬ出会いのおまけもあります


 

制作スタッフの多さ

 

様々なジャンルの技術者や芸術家、デザイナーが集結する映画づくりは他の芸術には見られない多くの個性が束ねられた感性と意識の集合体です。ですから見る側の立場や個性によって映画から感じとれるもの、見て取れるもの、聞き取れるものがすごく多彩だと思います。
僕の場合ストーリーはつまらなく思えても、情景や音楽が凄く良かったりする事が多々あります。友人にあまり見る気がしない映画に誘われて、見ている中に夢中になったこともあります。映画にたいしては先入観を持たないでなんでも見るぐらいの気持ちが必要かと思います。 思わぬ発見、思わぬ興味が湧いて来ることもあります。

心をニュートラルにして、映画を楽しむのが一番ですが、運悪くつまらないと思う映画に出会ったとき、席を立ってもいいですが、ちょっと視点を変えて、分析的な見方をしてもいいのではないでしょうか。映画の背景や脇役だけに注意をむけるとか、主人公は何回服を替えたかとか、町や室内の小道具に目をつけるとか何か理屈をつけて最後まで見ましょう。それでも観なければ良かったと思うつまらない映画も時にはありましたが、後日映画好きの友人とそのつまらない映画の事で逆に話が盛り上がった事もあります。どんな映画にも何かがあります。


あるとき、日本映画の時代劇を見たときのことです。途中で興味がなくなって、ぼんやり見ていたんです。そしたら籠と馬車しかないはずの時代に、道にタイヤの後が残っていたのです。こりゃあ、ひょっとしたら空き缶や、電信柱もどこかに写ってるんじゃないか、そんな事を思いながら最後まで見たことがあります。


 

制作に費やす時間の長さ

 

 

 

ただ見ているだけで

 

映画は監督なり作家なり役者なりの個人が、原作に感動したりあるいは自身の体験や思いをどうしても表現してみたいと言う意識からスタートしていろんな人がその熱意に巻き込まれながら完成していくものです。ですから構想からシナリオが出来てクランクインするまでかなりの時間が費やされて出来る作品が多いと思います。このクランクインまでの長いプロセスが以後の映像や音にかなりの影響というか奥行きを与えているような気がします。

映画を作る動機や情熱や目的がスタッフ全員に乗り移ってこそいい絵がとれるのだと僕は思います。一つ一つのシーンの隅々にまで神経の行き届いた演出がなされた映画は、演技やストーリーはもちろん、背景や点景の色、形、音の全てに学ぶべきものを感じさせてくれますし、ただ懸命にスクリーンを見つめているだけで感性を高めてくれます


 

海外の風景や生活様式

 

知らない国の様々な風景を見れるだけでも映画は値打ちがあります。美しい地中海に面した小粋なカフェやアマゾンのジャングル、自分ではまずいくことの出来ないエベレストの頂上からの風景などあらゆる角度から世界を知らしめてくれます。全く知らず興味もなかった国も好きな俳優が演じる1つのシーンから興味を持ったり、好きになったりします。

フランス人はこんな時にこんなジョークを言うのかとか、イタリア人のピザやスパゲッティーの食べ方は僕と一緒だなとか、インドのカレーは見た目は薄そうだけど味は濃いのかなとか...特に自分自身が未体験の事柄には興味が引きつけられます。この興味の潜在意識は結構根強く、ある時街角でインド料理の店を見かけたときにふっとそのお店に引き込まれたりします。そう言う意味では映画とは潜在意識に対する好奇心の種蒔きみたいなものです



 

文学・歴史の一つの理解法

 

文学の長編小説、例えばトルストイの戦争と平和とか、抽象的な表現の多いカミュの異邦人などは映画で見るとよく理解できます。特に外国文学の場合描かれている時代背景や名前(特にロシア文学)何とかビッチ何とか何とかニコフとかが、何人もページをまたいで出てくるとお手上げで、小説の世界に入り込むためにまず登場人物の名前に馴染まなくてはなりません。その点、映画は人物の名前、性格や時代感を視覚で見ることが出来ます。登場人物のややこしい名前も顔や体格、声で覚えることが出来ます。
そしてストーリーがどんなに長くても3.4時間に編集されています。万が一面白くなさすぎて目をつむっても音が聞こえてきます。僕の場合睡眠不足が続いて寝る目的で眠たくなりそうな映画を選んで入っても逆に目が醒めて、だめです。興味がなければあえて文学など読む必要はないかも知れませんが、ちょっと興味はあるけれども本に向かう気まではしない場合などは、映画を見るほど便利な方法はありません。 そして映画を観て感じたら当然原作を読みたくなるものです。
それとは逆に興味深くて面白くて止められなくて最後までぶっ通しに読めるような本や面白くて何度も繰り返し読んで自分なりの世界が出来上がっているような場合は映画の世界がイメージとは合わずがっかりすることもあります。映画と言えども原作から得た自分の想像力が作り上げた世界を超えることはめったにありません。シャーロックホームズの冒険のような有名な本は英国で何回もリメークして作られていますが、どの映画を見ても僕自身の中にあるホームズやワトソンとは一致しません。でも、大好きな本に関しては、やっぱり映画も見たくなるのは人情です。


 

デザインの完成度の高さ

感性の万華鏡

 

このことを言うために色々書いているのかも知れませんが、映画の場合一つの風景、例えば海や空のような自然の風景でもレストランでの食事の風景でも監督やカメラマンの感性によって自然が切り取られているということです。レストランのシーンなどはセットの場合はもちろんですが、ロケの場合でも、監督、カメラマン、多くのデザイナーによって様式が再構築されています。登場するウエイターも、テーブルクロスも隣で食事するカップルも、何気なく置かれたお皿やスプーンも、お客さんの人数も全て演出の神経のなかに入っています。

ですから見る側は知らぬ間に完全にコーディネイトされたデザイン世界を見ていることになります。主人公と点景や背景の配色、配置、奥行きなどが映画の主題にそってきめ細かく演出されています。この神経やセンスはとても勉強になります。また殆ど青一面の空だけが映っているシーンでも、カメラマンの感性が雲と光を個性的にとらえます。


空のどの部分を切り取ってどんな角度でどんな奥行きで写すのかはカメラマンの感性です。これもとても勉強になります。青と言う一つの色が無限にバリエーションを持つことがカメラを通してよく分かります。映画はデザインと言う視点から見れば知識と感性の万華鏡みたいなもので、あらゆる美的な側面をを見せてくれます。

最近は、ハリウッド映画に押されて、ヨーロッパの映画が少なくなりました。僕は映画なら何でも見ますが、特にフランスやイタリアの映画が好きです。ユーモアのセンス、生活や言葉のリズムが好きなんです。それから最近ではインドやイラン、韓国や中国などアジアの映画も元気なようです。日本映画の衰退は深刻です。いい俳優が仕事がなくてテレビのバラエティー番組に出てるのを見るとさびしくなります。映画そして俳優はその国の文化のバロメーターとも言えます。

 

Copyright (C) 2010 Masaki Matsuura. All rights reserved.


スタンリーのお弁当箱から漂ってくるおいしそうな香り
2013/07/10  アモール・グプテ監督のインド映画「スタンリーのお弁当箱」はお弁当を持参できない子も携帯電話を持つ子もいるインドの小学校の現状を描いた映画です。学校の教室を使った体験型講座(ワークショップ)でのやりとりからつくられた映画で、急発展するインド社会の今を捉えています。映画のチラシを見た時に必ず見に行こうと思ったほど子供たちの表情と弁当箱が魅力的です。社会的に大きな影響を与える力を持つ映画。チャップリンをはじめ多くの監督が社会性、人間性を啓蒙してきました。おもしろくて、悲しくて、どきどきして、そして見終わったあとの心に残る大切な何か・・・

子供の頃に観た映画が生涯自分の考え、感性の基本になることだってあります。児童映画を中心に監督、脚本を手がけるアモール・グプテ監督は「恵まれない子に映画の魅力を伝える団体」の会長もしていてその精神をうかがい知る事ができます。ヨーロッパを中心に芸術的、社会的な映画が世界中の国でつくられています。ハリウッド映画にまけないぐらい興行成績が好調な日本映画ですが、一部の作品をのぞけば、あまりにも魂のない映画が多すぎるような気がします。商業主義が全てでは困ります。娯楽映画と言えども伝えるもの、心に残るものがなければならない、それが映画だと思うのです。いい映画には間違いなく想像力を高め、感性を培う力があります。

 

 

 

次は形についてです


 

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