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街を歩く
street
信号に遮られ、車に遮られ、人ごみに遮られる街。
空間を斜め垂直に上下し、平面さえ動く奇妙な空間。
よくもわるくも刺激のるつぼです。


<街は光に集まる昆虫のように
若者を惹きつけます>

 

街には色々な顔があります。繁華街のような装飾に覆われた街、オフィス街のように冷たく合理的な街、今は少なくなりましたが風情のある下町など多様な顔が あります。大阪の下町でもまだ昔の風情が少し残っています。かすかですが・・ ・

細い路地でお年寄りがのんびりと将棋を指している風景。いたずら小僧達が大勢 集まってかくれんぼや、ビー玉に夢中になって日が暮れるまで遊んでいた風景。 そんな風景はなくなってしまいました。

残っているのは過去を記憶している木造 の長屋だけです。そしてそのかすかな記憶を残した家並さえ、どんどん味気ないマ ンションや商業ビルに取って代わられています。街や環境の保全と言う意味では日本は後進国です。

下町とは逆に繁華街は巨大になりました。モノと情報がこれでもかと言うぐらい集まった街。そこは歩いていて見かける動物は、鳩とカラスぐらいしか目に入らない特殊な場所です。僕が子供の頃は、繁華街でも蝶やトンボが飛んでいました 。

 

心斎橋を歩いていて黄金虫がおでこに衝突する事もありました。もちろん下町にはたくさんの生き物がいました。

家の脇を流れる溝にはザリガニもいました。近所の原っぱにはバッタやおけらなど大抵の昆虫がいました。今では田舎でしか見ることの出来ない生き物が町の中にもいたのです。

道路には自動車があふれ、騒音と排気ガスが充満しています。そこは体には最も悪い場所です。それでも人が都心部に集まるのは仕事や買い物と言う必要性だけの目的でははないように思われます。

現代人の、特に若者の好奇心を刺激する情報に満ちているからです


<繁華街を歩いていて感じること>

 

街はありとあらゆるデザインの集積所です。そこにはあらゆるジャンルのショップがところせましと並んでいます。地上はもちろん地下の隅々まで様々なお店がひしめき合っています。

それぞれの店は一人でも多くのお客さんの注意を引こうと個性的なデザインを競っています。そして一つ一つのお店の中にはたくさんの商品がぎっしりと詰め込まれています。

そのひとつ一つの商品が又、購買欲を掻き立てるためにデザインされています。小さなお店に並ぶ商品を見ながら、一体このお店だけで何人のデザイナーが関わってるのだろうかと考えてしまいます。

店舗そのものをデザインしたインテリアの人、商品のパッケージをデザインした人、商品そのものをデザインした人、あと関連するコピーライターやカメラマンやイラストレーターなどの人達を考えるとかなりの人数です。

 

街全体はもちろんですが、例えば、一軒の雑貨店を別の目で見ると、それは各種デザイナーの仕事の展示場のようにも思えます。街を歩いていると知らぬ間に、デザインの仕事を山ほど見ることになります。形、色使い、言葉、素材、等全てが参考になります。


小さなジャムのビンの形、ラベルの形や配色。僕はジャムの味より見た目で買ってしまうこともしばしばあります。でもジャム自体の色もデザインに入ってますので、そんなにはずれることはありません。

最近では食料品でも服飾製品でも世界各国の商品が当たり前のように並んでいるので、とても勉強になります。

 

商品自体はともかく、ラベルやパッケージのデザインなど海外のものにははっとするぐらいデザインの洗練されたものがあります。西洋風のデザインという点ではやはり伝統の差かもしれません。

もちろん日本も日本の伝統ということなら決して西洋に負けませんし、勝ってるところがいく点もあると思うのですが、デザインの主流は西洋風なので、仕方ありません

 

 

<街は五感を刺激する>

 

街を歩いているとお腹が空きます。ピリッとしたカレーのいい匂いや、醤油の焦げた香ばしい焼き鳥の匂いなどが鼻先をかすめると、とたんに食欲が出てきます。

陳列ケースに並べられた趣を凝らしたディスプレイも食欲をそそりますが、あのおいしそうな匂いにはかないません。

野や山を歩いているときよりも運動量は少ないのにお腹が空くのはその視覚・臭覚からの誘惑の力だと思います。そして、いろいろなお店から流れてくる音楽が空間を錯綜し、街角やビルの壁面にはめ込まれたモニターには常に刺激的な映像が映し出されてます。

街では実際には大した距離を歩いていないのに空腹になったり疲れたりするのは、このあふれる情報からの刺激の強さです。とにかくそこは人間の五感を休ますことが無い場所です。

そこは五感のトレーニングセンターみたいなモノです。歩いて商品やお店を見ているだけで、色彩感覚や音感そして臭覚や聴覚が鍛えられます。良いかどうかは分かりませんが、間違いなく静かな山や田舎の道を歩いて得られる反対の効果はあります

 


 

<街は混沌の海です>

 

見ているだけで疲れる人の波、車の波。津波のように立ち並ぶ大きなビルと砂の数ほどもある店。美しい音楽と騒音が混ざり合う空間。シャネルの5番と豚まんの匂いが違和感もなく漂う空間。

ぴかぴかのベンツと段ボールを運ぶ手押し車が接触事故を起こす空間。人混みに向かう人と人混みを避ける人。街は現代社会が投げかける様々な問題を一番身近に感じられる場所です。そこはあらゆる疑問、そして問題が集積する場所です

 


 

<川の流れのように>

 

一つの街から次の街へのんびりと歩いていると道路が川の流れのように感じることがあります。足の運びがスムーズな時と逆流を行くような感覚の時があります。何故か分かりませんが、

都市の道路はその昔川だった所を埋め立てた場合が多いので、目に見えない川の流れみたいなモノが残っているのかも知れません。

特に大阪の道路は殆どが川が流れていたところです。タイムマシンがあれば水の都といわれていた当時の大阪を歩いてみたいです。何とか橋という名前の地名がたくさんあります。

今はその橋も無く、ただ名前が残っているだけの場所です。行き交う車の流れを見ながら、道路を川に、車を船に見立てて昔を想像するのも楽しいものです。

よく知ってると思っている街でも、少し道をかえて歩いてみると、思わぬ発見をする事がありあます。こんな場所にこんなお店があったのか・・・・

知らなかった〜、見たいな事がよくあると思うんです。よく知らない街はどこもかしこも未 知で新鮮ですが、自分が育った街でも、意外と知らないことが多い、そんな気がします。

 

未知なる事は全てデザインのアイデアソースになりますから、どんな小さな未知でも、発見することは大切な事です

 


 

<街には逆説的な癒しの効果があります>

 

心や体が傷ついたり疲れたりしたときは、静かな場所に退避したくなります。でも静けさと平穏さが逆に不安や焦燥感を掻き立てる場合もあります。こんな時、街は、その雑踏のなかに悲しみを沈めてくれます。

川のような人の流れにもまれていると自分より悲しそうな人が何人もいることに気がつきます。(本当の所は分かりませんが)人間は自分だけと思うときが一番危険なときです。街を疲れ切るほど歩くと、ウィンドウに飾られた一枚の絵に心が救われることもあります。

忘れていた曲が偶然流れてきて勇気を取り戻すこともあります。思わぬ人と出会って、自分を取り繕って話しているとその人の方がずっと落ち込んでいる事に気がつくこともあります。

とにかく街はありとあらゆる出来事に満ちています。そしてデザイナーにとって街は、疲れるけど刺激いっぱいの場所です

次は山歩きのすすめです>>>

 


夢と調和
Copyright (C) 2010 Masaki Matsuura. All rights reserved.
 

1.デザインとは 
2.色彩について
 
3.映画鑑賞のすすめ 
4.形について

5.街歩きのすすめ 
6.山歩きのすすめ 
7.空間について
 
8.ストーリー性について 
9.読書のすすめ
 
10.五感とデザイン
 
11.旅行のすすめ
 
12.イメージについて

 

 

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