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世界の作曲家123
<作曲家1>

ソラージュ
(Solage 14世紀末に活躍、おそらく1403年以降没)は、南フランスの作曲家。アルス・スブティリオルの一次資料とされる『シャンティー写本』に作品が収録されている。アルス・スブティリオルという呼称は、20世紀になって付けられたもので、14世紀末にアヴィニョン教皇庁を中心に花開いた、退廃的な気味のある楽派を指す。

マッテオ・ダ・ペルージャ
(Matteo da Perugia, 活躍:1400年 - 1416年)は、中世イタリアのアルス・スブティリオルの作曲家。おそらくペルージャの出身。1402年から1407年までミラノ大聖堂の楽長に就任。任務のかたわら、大聖堂の聖歌隊から選抜された3人の少年に音楽を教えていた。生涯についてこれ以上のことは知られていない。

アルノルド・ド・ランタン
(Arnold de Lantins, 1432年7月2日以前に没)は、1420年代に活躍したブルゴーニュ楽派の作曲家。中世からルネサンスへの過渡期に活動したため、作風はその両方の音楽の特徴を兼ね備えている。ギヨーム・デュファイの同時代人である。


ハインリヒ・イザーク
(Heinrich Isaac 1450年頃 - 1517年3月26日)は盛期ルネサンス音楽のフランドル楽派の作曲家。ジョスカンと同世代の作曲家の中では最も重要と看做されている。イザークは幅広い変化にとんだ楽曲をのこしており、ミサ曲、モテット、ドイツ語歌曲、イタリア語歌曲、器楽曲などがある。


シモン・ロエ
(Simon Lohet(またはLoxhay), 1550年以前 - 1611年7月5日)は、フランドル、後にドイツで活動した音楽家。ロエは、鍵盤フーガ作曲に於ける、初期の代表的な音楽家の一人である。ロエは、ヴュルテンベルク宮廷のオルガン奏者ウツ・シュタイグレーダーとH.F.フリースの補佐を務め、1571年、その後任オルガン奏者に就任した。

ピエール・サンドラン
(Pierre (Regnault) Sandrin, 1490年頃 − 1561年以降)は、フランス・ルネサンス音楽の作曲家。16世紀中ごろのシャンソンの多作家である。きわめて人気が高く、作品が広く流布した作曲家であった。セルミジと並んで、フランスにおいて最も名だたるシャンソン作家の一人として名声を博した。

アントワーヌ・ド・ベルトラン
(Anthoine de Bertrand, 1540年? − 1581年?)は、フランス後期ルネサンス音楽の作曲家。前半生においては多産なシャンソン作家として過ごしたが、後半生においてイエズス会の感化を受けて敬虔になり、宗教曲の創作に転向した。宗教戦争の犠牲となり、プロテスタント陣営によって殺害されている。

ウィリアム・コーニッシュ
(William CornyshまたはCornish, 1465年頃 イースト・グリニッジ − 1523年10月 ケント州)は16世紀イングランドのルネサンス音楽の作曲家・劇作家・舞台俳優・詩人。ヘンリー7世と、ことにヘンリー8世の治世のもとで、イングランド宮廷における音楽活動を体験し、宗教曲だけでなく、宮廷社会の娯楽となっていた世俗的な意味合いの音楽の創作も手懸けた。

ウィリアム・バード
(William Byrd, 1543年? − 1623年7月4日)は、イングランドで活躍したルネサンス音楽の作曲家である。「ブリタニア音楽の父」 (Brittanicae Musicas Parens) として現代イギリスにおいて敬愛されている。

ルイス・デ・ミラン
(Luis de Milan, 1500年頃 - 1561年以降?)はスペインルネサンス期の作曲家、ビウエラ奏者である。ミランは、15世紀から16世紀にかけてイベリア半島およびイタリアの一部で用いられていた楽器であるビウエラ・ダ・マーノのための音楽を出版した歴史上最初の人物である。また、ミランは自作の音楽について、言葉によってテンポを指定した最初の作曲家のうちの一人でもある。

ミヒャエル・プレトリウス
(Michael Praetorius、おそらく1571年2月15日 - 1621年2月15日)はドイツの作曲家・オルガニスト・音楽理論家。当時の最も多作で最も多彩な作曲家のひとり。プロテスタントの賛美歌の発展においてとりわけ重要。プレトリウス一族の最も有名な音楽家である。

ジローラモ・フレスコバルディ
(Girolamo Frescobaldi, 1583年9月 - 1643年3月1日)は、初期バロック音楽の作曲家。声楽曲も遺しているが、とりわけ鍵盤楽曲の作曲家として重要。フェラーラに生まれる。地元フェラーラで、有名な作曲家でオルガニストのルッツァスコ・ルッツァスキに学ぶ。当時フェラーラに滞在中のジェズアルドにも影響されたかもしれない。1628年から1634年までフィレンツェのメディチ家宮廷オルガニストも務める。

マラン・メルセンヌ
(Marin Mersenne, 1588年9月8日 - 1648年9月1日)は、フランスの神学者。数学、物理に加え哲学、音楽理論の研究もしていた。メーヌ州(現在はサルト県)オアゼ出身。メルセンヌ数(メルセンヌ素数)の名の由来ともなる。また音響学の父とも呼ばれる。ヨーロッパの学者の間の交流の中心となって学問の発展に貢献したことで知られる。

メルキオル・フランク
(Melchior Franck, 1579年 頃〜1639年6月1日)は後期ルネサンスから初期バロックへの過渡期に活躍したドイツの作曲家。きわめて多作なプロテスタント教会音楽の作曲家。とりわけモテットが多い。ヴェネツィア楽派の作曲様式の革新を、アルプスを越えてドイツへと北上させた。

ビアージョ・マリーニ
(Biagio Marini, 1594年2月5日 - 1663年3月20日)は、イタリアの作曲家、ヴァイオリニスト。ブレシア出身。1615年からヴェネツィアでクラウディオ・モンテヴェルディが楽長を務めていたサン・マルコ寺院楽団のヴァイオリニストとなった。1620年にブレシアに戻り、1621年にはパルマ公国でファルネーゼ家の宮廷音楽家となった。

オラツィオ・ベネヴォリ
(Orazio Benevoli, 1605年4月19日 − 1672年6月17日)はイタリア初期バロック音楽の重要な作曲家。ローマでフランス人の家庭に生まれる。地元ローマで訓練を積んでから、1624年から1543年まで市内のさまざまな教会で楽長として活躍した。

フランソワ・クープラン
Francois Couperin , 1668年11月10日 パリ - 1733年9月11日 同地)は、バロック時代のフランスの作曲家。多くの音楽家を輩出したクープラン家の中でも特に有名な人物であり、「大クープラン Couperin le Grand 」として知られる。


ヘンリー・パーセル
(Henry Purcell、1659年9月10日?-1695年11月21日)は17世紀イギリスの作曲家である。イタリアやフランスの影響を受けつつ独自の音楽を生み出した、最も優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られている。この短い生涯の間に彼が残した曲はおよそ400曲以上あるがどれもエリザベス朝時代のイギリス音楽が持つ諸要素と彼が取り入れたイタリア・フランスの風が巧く融合し、自由奔放な彼独特の世界観を醸し出している。


ゴットフリート・フィンガー
(Gottfried Finger, 1660年頃 - 1730年8月31日)は、モラヴィア出身のドイツの作曲家。オロモウツ出身。オロモウツの領主司教の宮廷楽団で音楽を学んだ。1682年にミュンヘンに短期間滞在した後、イギリスにわたり、1685年に王室礼拝堂楽団のメンバーとなった。

ジャン=フェリ・ルベル
(Jean-Fery Rebel, 1666年 - 1747年)は、フランス盛期バロック音楽の作曲家・ヴァイオリニスト。不協和音に始まるバレエ音楽《四大元素 Les Elements》によって有名(同名のバレエ音楽は、他にアンドレ・デトゥーシュによるものも存在する)。

ニコラ・ベルニエ
Nicolas Bernier, 1664年6月28日 - 1734年9月5日)はフランスのパリを中心として活躍したオルガニストで作曲家。当時の宗教音楽、カンタータの代表的な作曲家の一人であった。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
(Johann Sebastian Bach, 1685年3月31日(ユリウス暦1685年3月21日) - 1750年7月28日)は、18世紀に活動したドイツの作曲家・器楽演奏家である。特に鍵盤楽器の演奏においては高名で、当時から即興演奏の大家として知られていた。

ジャコモ・ファッコ
(Giacomo Facco, 1676年2月4日 - 1753年2月16日)は、イタリアの作曲家・ヴァイオリニスト。1705年よりスペインのシチリア副王であったロス=バルバセス侯カルロ・アントニオ・スピノラのパレルモでの宮廷の合唱指揮者・ヴァイオリン奏者となった。

ゲオルク・フィリップ・テレマン
(Georg Philipp Telemann, 1681年3月14日 - 1767年6月25日) は、ドイツの作曲家。テレマンは後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家で、40歳以降は北ドイツのハンブルクで活躍した。18世紀前半のヨーロッパにおいては随一と言われる人気と名声を誇った作曲家で、自身も多くの楽器を演奏することができ、木管楽器、特にリコーダーについては高い技術を有する名人であったという。

ジャック・ルイエ
Jacques Loeillet, 1685年 - 1748年)はバロック音楽の作曲家・オーボエ奏者。当時はスペイン領ネーデルラントであったベルギーのヘント出身。ジャン=バティスト・ルイエ(ロンドンのルイエ)の弟。オーボエとヴァイオリン、弦楽器のための合奏曲を遺した。バイエルン選帝侯に宮廷オーボエ奏者として仕えた後、ヴェルサイユでルイ15世に仕えた。1746年にヘントに戻り、余生を過ごした。

ジャック=クリストフ・ノード
(Jacques-Christophe Naudot, 1690年頃 - 1762年11月25日)は、フランスの作曲家、フルート奏者。幼少期についてはほとんど不明で、1719年に結婚していたことが分かっている。作品のほとんどは1726年から1740年の間にパリで発表されている。1737年の時点でフリーメイソンに加入しており、後にグランドマスターとなるクレルモン伯のために多くの作品を献呈している。

レオナルド・レーオ
Lionardo Oronzo Salvatore de Leo, 1694年8月5日 - 1744年10月31日)はイタリア・バロックの作曲家。1714年、宮廷劇場でレーオのオペラ『Pisistrato』が上演された。レーオは王立礼拝堂のさまざまなポストに就き、舞台作品を書き、また音楽学校で音楽を教えた。


チャールズ・エイヴィソン
Charles Avison, 1709年2月 ニューカッスル・アポン・タイン - 1770年5月9日 or 10日 ニューカッスル・アポン・タイン)は、バロックから古典派にかけてのイギリスの作曲家で、ニューキャッスルのセント・ジョン教会およびセント・ニコラス大聖堂(ニューキャッスル大聖堂)のオルガニストも勤めた。


ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ
(Giovanni Battista Sammartini, 1698年ごろ - 1775年1月15日 ミラノ)はイタリアの前古典派音楽の作曲家で、オルガニスト・楽長・教師。現代では器楽曲が重視されているが、最初期においては宗教音楽の作曲家であった。グルックの恩師と言われ、ヨハン・クリスティアン・バッハに影響を与えたことでも知られる。


マティアス・ゲオルク・モン
Matthias Georg Monn, 1717年4月9日 ウィーン - 1750年10月3日 ウィーン)は、オーストリアの作曲家、オルガニスト、音楽教師。音楽史におけるバロックから古典派への移行に適応した作風を特徴とした。

トンマーゾ・ジョルダーニ
(Tommaso Giordani, 1730年 - 1806年2月23日)は、イタリア、ナポリ出身の作曲家。イタリア、ナポリで生まれる。生涯の殆んどをロンドンで暮らし、多くの声楽曲や器楽曲を発表する。バッハと同じくギャラント・スタイルを代表する多作家であった。


フランティシェク・クサヴェル・ブリクシ
Frantisek Xaver Brixi, 1732年1月2日 − 1771年10月14日)は18世紀ボヘミアの作曲家。コスモノスイのギムナジウムに学び、すぐれた作曲家ヴァーツラフ・カロウシュに師事。1749年にプラハに戻る。いくつかの教会でオルガニストを務め、1759年に、当時のプラハの音楽界では最高の地位である聖ヴィトゥス大聖堂の教会楽長に、わずか27歳にして就任する。

ドメニコ・チマローザ
Domenico Cimarosa, 1749年12月17日 - 1801年1月11日)は、イタリアの作曲家。ナポリの近郊アヴェルサに生れて、ヴェネツィアで没した。彼が作曲したオペラは約70曲を数え、その他レクイエム、オラトリオ、チェンバロ・ソナタ、オーボエ協奏曲など美しい旋律が印象的で、チマローザと同年生れのゲーテは彼の音楽を賞賛している。

ヤン・クシチテル・クルンプホルツ
(Jan K?titel Krumpholz, 1742年5月8日または1747年 - 1790年2月19日)はボヘミア出身のフランスの作曲家・ハープ奏者。パリとメスにおいて楽器職人とともにハープの改造にとりくむ。ハープのためのソナタや協奏曲のほか、ハープを含むアンサンブルのための室内楽曲を遺した。

ムツィオ・クレメンティ
(Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi, 1752年1月23日 - 1832年3月10日)は、イタリアのローマに生れ、イギリスのイヴシャム (w:Evesham) で没した作曲家・ピアニスト・教師・編集者・出版業者・楽器製造業者。

ガス・ブリュレ
(Gace Brule, 1220年ごろ没)はシャンパーニュ出身のトルヴェール。トルバドゥールの遺産を引き継ぎ、トルヴェールを確立した。初期のトルヴェールの代表的人物で、トルヴェールのうちでは現存する作品数が最も多い。同時代の文学作品『薔薇物語』にも引用されるほど有名であった。

ジャンノ・ド・レスキュレル
Jehan de Lescurel)は中世フランスの詩人・作曲家。最後のトルヴェールの一人。生涯については、パリで商人の息子として生まれ、1304年5月23日に、(ウディネ・ピスドエを含む)他の3人の青年聖職者とともに、誘惑と強姦によって絞首刑にされたということ以外は分かっていない。

ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ
(Wolfram von Eschenbach, 1160年/1180年頃 - 1220年頃またはそれ以降)は、中世ドイツの詩人。中世ドイツ文学の多くの叙事的作品が彼によるものである。また、ミンネザングの歌人として多くの抒情詩も残している。

ハンス・ザックス
(Hans Sachs, 1494年11月5日 - 1576年1月19日)は、ドイツのマイスタージンガー、詩人、劇作家。職業は靴屋の親方であった。ハンスは7歳で教会付属のラテン語学校に入り、15歳で靴屋に奉公する。そのかたわら、リンネル織りの親方リーンハルト・ヌネンベックから歌の手ほどきを受けた。

ギヨーム・ド・マショー
(Guillaume de Machaut, 1300年頃 - 1377年4月13日)は、フランス、ランス生まれの作曲家、詩人。 アルス・ノーヴァを代表する作曲家である。アルス・ノーヴァの代表的作曲家であり、複雑化したリズムの音楽を作った。マショーは聖職者であったにも関わらず、80年近い生涯に残した音楽作品は典礼のための宗教曲よりも、宮廷風の愛や、世相を歌った世俗曲に比重が占められている。 しかしその中でマショーの最も有名な作品は『ノートルダム・ミサ曲』(聖母のミサ曲)である。

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マギステル・ピエーロ
(Magister Piero(ピエーロ師)、活動時期:1330年頃 - 1350年頃)は、14世紀イタリア、トレチェント音楽の初期の音楽家。イタリアに初めて多声音楽をもたらした作曲家の一人。経歴の記録はほとんど存在しないが、ミラノの僭主ルキーノ・ヴィスコンティの宮廷でヤコポ・ダ・ボローニャやジョヴァンニ・ダ・カッシャとともに活動したらしい。

ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ
(Gherardello da Firenze, 1320年〜1325年生 − 1362年没または1363年没)はイタリアのトレチェント音楽における第一世代の作曲家。ゲラルデッロのグローリア唱とアニュス・デイは、1400年以前にイタリア人作曲家によって作曲された数少ないミサ曲の一つである。

コンラート・パウマン
(Conrad Paumann, 1404年10月23日 - 1473年1月24日)は、中世後期(ルネサンス初期)に活動したドイツのオルガニスト。盲人。彼の作品は、ドイツ最古のオルガン音楽の写本であり、15世紀に編纂された"ブクスハイムオルガン曲集"に記載されている。

フランチェスコ・ランディーニ
(Francesco Landini, またはランディーノ、Landino)は、イタリアの作曲家、オルガニスト、歌手、詩人、楽器製作者。14世紀後半で最も有名かつ尊敬された作曲家の1人で、イタリアではことに有名だった。

ディエゴ・オルティス
(Diego Ortiz, 1510年頃 トレド - 1570年頃 ナポリ)は、スペイン・ルネサンス音楽の作曲家・音楽理論家。当時スペイン領だったイタリア南部で活躍した。生涯についてはごくわずかな情報しか残されていない。1553年にはナポリ副王領に住み、その後1558年にアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドによってナポリ宮廷の聖歌隊長に任命されている。

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アントニオ・デ・カベソン
(Antonio de Cabezon, 1510年3月30日 ブルゴス - 1566年3月26日)は、スペインのルネサンス音楽の作曲家・オルガニスト。幼児期に失明した。オルガンのためのティエントで有名。多くの作品が出版譜のかたちで現存する。カベソンの作品は、現存する初期のオルガン作品の一つである。ティエントはイベリア半島で誕生したポリフォニー様式の器楽であり、tastar de corde(即興的な前奏)とリチェルカーレ(即興的前奏、後に発達して厳格な模倣対位法による作曲法)に関連づけられて来た。


ドゥアルテ・ローボ
Duarte Lobo, 1565年頃 - 1646年9月24日)はポルトガルのルネサンス音楽の作曲家。生前は著名であった。フェリペ・デ・マルガリャーンエス, マヌエル・カルドーゾ、ポルトガル王ジョアン4世と並んで、ポルトガル黄金時代の主要なポリフォニー音楽の作曲家。


クラウディオ・メールロ
(Claudio da Correggio)とも、1533年4月8日 − 1604年5月4日)はルネサンス時代に活躍したイタリアの作曲家、出版者、オルガン奏者。独創的な鍵盤曲やヴェネツィア式のコーリ・スペッツァーティ様式の合唱曲で知られる。

ジョヴァンニ・バッサーノ
(Giovanni Bassano, 1560年頃 - 1617年8月16日)は、ヴェネツィア楽派の木管楽器奏者、作曲家。とくにコルネットの名手として知られた。サン・マルコ寺院の器楽アンサンブルで活躍した。また、特に声楽ポリフォニーを器楽で演奏する際のディミニューションに関する本を残したことで知られる。

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アレッサンドロ・ピッチニーニ
(Alessandro Piccinini, 1566年12月30日 - 1638年頃)は、末期ルネサンスから初期バロックにかけてのイタリアのリュート奏者、作曲家。同時代のジョヴァンニ・ジローラモ・カプスペルガーとともに、リュート、テオルボの名手として知られた。2巻のリュートおよびキタローネのためのタブラチュア集を残した。

トマス・キャンピオン
(Thomas Campion, 1567年2月12日 ロンドン − 1620年3月1日)はイングランド・ルネサンス音楽の作曲家・詩人・内科医・殺人者。ジョン・ダウランドと並び称されたリュート歌曲の作詞家・作曲家であった。キャンピオンは、1613年9月のトマス・オーヴァーベリー卿の暗殺に連坐したが、嫌々ながら判事を買収したことが明らかにされているように、結局は無罪放免を勝ちとった。

ヘンリー・ローズ
(Henry Lawes, 1595年12月5日 - 1662年10月21日)は、イングランドの音楽家、作曲家。ローズはウィルトシャーのディントン(en:Dinton, Wiltshire)で生まれ、当時の有名な作曲家、ジョン・コプラリオことジョン・クーパーの下で音楽の勉強をした。

ミケランジェロ・ロッシ
(Michelangelo Rossi, 1601年または1602年 - 1656年)は、イタリアの作曲家、ヴァイオリニスト、オルガニスト。ジェノヴァ出身。聖ロレンツォ教会で叔父のレリオ・ロッシで音楽の手ほどきを受けた。1624年にマウリツィオ・サヴォイア枢機卿に仕えた。この頃にマドリガーレ作曲家のシジズモンド・ディンディアと鍵盤楽曲作曲家のジローラモ・フレスコバルディと出会っており、師事した可能性がある。

ヨハン・フィッシャー
Johann Fischer, 1646年 - 1716年)は、ドイツの作曲家、ヴァイオリニスト、鍵盤奏者。1673年にシュトゥットガルトの宮廷楽団に戻ったが、1年後にアウクスブルクのバルフューサー教会の音楽家となり、1677年に退職するまで60近い教会音楽を作曲した。

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ヨハン・パッヘルベル
(Johann Pachelbel, 1653年9月1日(受洗) - 1706年3月9日(埋葬))は、バロック期のドイツの作曲家であり、南ドイツ・オルガン楽派の最盛期を支えたオルガン奏者で、教師でもある。宗教曲・非宗教曲を問わず多くの楽曲を制作、コラール前奏曲やフーガの発展に大きく貢献したところから、バロック中期における最も重要な作曲家の一人に数えられる。

ゲオルク・ベーム
(Georg Bohm、1661年9月2日 - 1733年5月18日)は、ドイツはテューリンゲン地方の有名な教会オルガニスト。1698年に聖ヨハネ教会のオルガニストに就任、終生その地位にあった。専ら鍵盤楽器の作曲家として名を残しており、オルガンのための前奏曲とフーガや、チェンバロのためのパルティータは、バッハに影響を与えた。

アンリ・デマレ
(Henri Desmarets1661年2月 パリ - 1741年9月7日 リュネヴィル)はフランス盛期バロック音楽の作曲家。1696年に最初の夫人が他界した後、修道女マリー=マルグリットを愛人に迎え、彼女の修道院からの脱走を手助けした咎に問われて、死刑を宣告される。1699年8月5日にフランスを脱出し、マリーともにネーデルラントに避難した。

ジャン・ジル
(Jean Gilles, 1668年1月8日 タラスコン - 1705年2月5日 トゥールーズ)はフランス盛期バロック音楽の作曲家。南仏に留まって専ら宗教音楽家として活動した。数々の宗教曲の中でも、とりわけ《レクィエム》はアンドレ・カンプラのものと並んで、フランス宮廷でも賞せられた。

ドメニコ・スカルラッティ
(Domenico Scarlatti, 1685年10月26日 - 1757年7月23日)は、イタリアのナポリ出身で、スペインのマドリードで没した作曲家。同年にJ.S.バッハ、ヘンデルのバロック時代の代表的作曲家が生まれているが、スカルラッティもその時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家である。マリア・マグダレーナ・バルバラ王女のために書かれた個性溢れるチェンバリズムが繰り広げられる555曲の練習曲が、そのテーマ性と展開によって後に「ソナタ」と呼ばれて親しまれている。

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アントニオ・カルダーラ
(Antonio Caldara, 1670年 ヴェネツィア - 1736年12月28日 ウィーン)はイタリア・バロック音楽の作曲家。歌劇と宗教曲の両面において重要。ヴェネツィアのヴァイオリニストの家庭に生まれる(正確な日付は不詳)。聖マルコ大寺院の聖歌隊員となる傍ら、おそらくジョヴァンニ・レグレンツィのもとでいくつかの楽器を習得する。


ジャン=バティスト・ルイエ
(Jean-Baptiste Loeillet, 1680年11月18日 - 1730年7月19日)は、ベルギー出身のイギリス・バロック音楽の作曲家。ロンドンで管楽器奏者および鍵盤楽器奏者としても活躍した。弟ジャック・ルイエならびに同名の従弟と同じく、スペイン領ネーデルラントのヘント出身。

ジャン=フィリップ・ラモー
(Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 - 1764年9月12日)は、フランス・バロック音楽の作曲家・音楽理論家。フランス語オペラの作曲家としてジャン=バティスト・リュリに取って代わったが、ジャン=ジャック・ルソーによって攻撃されることとなった。

ボフスラフ・チェルノホルスキー
(Bohuslav Matej ?ernohorsky´, 1684年2月16日 - 1742年7月1日)はバロック時代のチェコの作曲家でオルガン教師。チェルノフルスキーは、プラハの東45kmほどの街、ニムブルクで生まれ、プラハで論理学を学んだ。1703年にフランシスコ会に入信し、1715年からパドヴァの聖アンナ教会の聖歌隊指揮者となった。


ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(Georg Friedrich Handel, 1685年2月23日 - 1759年4月14日)は、ドイツ生まれでイギリスに帰化した作曲家。バロック期を代表する重要な作曲家の一人。ちなみにバッハは、1719年と1729年の2度にわたりヘンデルに面会を求めたが、最初はすれ違いになり、2度目はヘンデルが何らかの事情で面会を断ったために、同時代に活躍しながらも生涯出会うことはなかった。

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モーリス・グリーン
(Maurice Greene, 1696年8月12日 − 1755年12月1日)は、イギリスの作曲家・オルガン奏者。聖職者の子としてロンドンに生まれる。 ジェレマイア・クラークとチャールズ・キングのもと、セント・ポール大聖堂の少年聖歌隊員となる。リチャード・ブラインドの元でオルガンを学び、ブラインドの死後は大聖堂のオルガン奏者となった。

バルダッサーレ・ガルッピ
(Baldassare Galuppi, 1706年10月18日 - 1785年1月3日)はヴェネツィアの作曲家。とりわけオペラ・ブッファの作曲家として著名である。ヴェネツィアのラグーンにあるブラーノ島に生まれたため、「イル・ブラネッロ」というあだ名がついた。

ウィリアム・ボイス
(William Boyce, 1711年9月11日 − 1779年2月7日)はイギリスの作曲家、オルガン奏者。ロンドン生まれ。セント・ポール大聖堂の聖歌隊にいたが、その後、声変わりをしてモーリス・グリーンの下で音楽を学んだ。

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フランツ・クサヴァー・リヒター
(Franz Xaver Richter, 1709年12月1日 モラヴィア ホレシャウ(ホレショフ) - †1789年9月12日 ストラスブール)は、18世紀の作曲家。マンハイム楽派の最も重要な代表者の一人。リヒターの作品は、バロック音楽の様式的特徴とギャラント様式の要素が結合されている。

ニコロ・ピッチンニ
(Niccolo` Vito Piccinni, 1728年1月16日 - 1800年5月7日)は、イタリアのクラシック作曲家。ピッチンニは1755年に最初のオペラ「Le Donne dispettose」を製作し、1760年にはローマで、自らの幼年期に関する「傑作 chef d'oeuvre」と、ヨーロッパでの成功を達成することとなったオペラ・ブッファ「チェッキーナ、または良い娘 La Cecchina ossia la buona Figliuola」を作曲した。

アントニオ・ソレール
(Antonio Francisco Javier Jose Soler Ramos, 1729年12月3日受洗 - 1783年12月20日) はスペインの作曲家・聖職者。カタルーニャのウロト出身。6歳でオルガンと作曲の勉強を始め、モンセラート修道院の聖歌隊員に加わる。1744年にセオ・デ・ウルゲル大聖堂でオルガニストと副助祭に任命される。

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世界の作曲家123
<作曲家1>


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