bars60 ふわっと浮かんでそのまま自在に移動出来れば最高だろうなと思います。見えるのにその星は何億光年彼方。空間とは何なのでしょう。

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古来から おそらく未来においても 人間にとって「空間」は謎めいた概念です


 空間について

 

「空」とは地表に相対する空(宇宙)のことです。それは何もないからっぽのものと考えることもできますが、人間の知らない物質に満ちた未知の領域と考えることもできます。哲学や仏学の中に頻繁にこの文字が現れるのは「空」という概念が人間には捉えきれない領域を含むからです。
そしてもう一つ「無」という文字との相関性にあるのだと思います。「虚空」や「虚無」という言葉は一体何を表しているのでしょうか。おそらく虚空は宇宙の循環やうつろいを、虚無は人間の輪廻の世界と肉体や心のうつろいを表していると僕は考えます。これからの科学が空の概念をもう少し捉えたとき次元という世界も明確に見えてくるのではないでしょうか


<二次元空間での奥行き>

 

形や色彩と同様、デザインにとって空間の概念はとても重要です。空間の奥行きや重なりを利用することで、グラフィックの世界も大きく広がります。建築やプロダクツのような立体デザインは必然的に空間への意識が最重要となりますが、グラフィックでは空間はあくまで平面の中の擬似空間です。

そして平面の中の空間も遠近法や色や形の重ね、あるいは透過によって、奥行きや動きを作り出す事ができます。単純な平面パターンも、遠近を与える事で、退屈しないパターンへと変化します。色々な形と形の間に距離を意識させる事で平面もまた視覚的には三次元の空間となります。

 

<形と2次元空間>

 

モノの形を認識できるのは空間があるからです。映画のスクリーンに映し出された映像の中のモノの形もキャンバスに描かれたモノの形も2次元空間の中において色彩や輪郭の断絶と連続の中で見分けています。

そこでは人間の動きも山の大きさも、周りを取りまく空間との対比の中で初めて存在を認識する事が出来るのです。ですから逆に、この空間を操作すればエッシャーの不思議な絵のように人間の視覚を誤信させることも可能です。いくら登っても上にあがらない階段が出来るのです。

カメレオンやある種の昆虫が自分の体を周りの環境に同化させて自分を認識出来なくするのも同じ方法です。彼らは身を守るために周囲と同化して認識できる境界を消してしまいます。

言い換えれば空間を消してしまうのです。木の幹と同じ模様に擬態した蛾は、実際には幹の上に乗っかってるのですが、視覚的には幹と同化して、その間の空間はありません。

山や公園で、何気なく木に手を触れた時に、木目だと思ってたものが動き出してびっくりした事ありませんか?昆虫の擬態は巧妙で、どんなに目を凝らしてみても分からないほどです。もちろん人間に見つかるようでは、天敵に見つかってすぐに食べられてしまうでしょうが、とにかくその技には感心します。

これらの擬態もグラフィック表現には多いに参考になると思います。一見しては気がつかないけれど何回か見てるとある形が見えてくる。そんな効果は、繰り返し見られるような媒体ならばより大きな印象を与える事が出来ます


<視覚の曖昧さ>

 

人間の視覚は極めて曖昧で、視覚だけでは人工的に創り出された疑似模様と自然の文様やテクスチュアーを見分けることもなかなか難しいモノです。僕なんかはプリントされた木目や大理石にすぐだまされます。

お店の店頭に飾られたおいしそうな料理のレプリカにもつい騙されてしまいます。最近の見本は実によく出来ていて、うどんでもエビフライでも本物と見分けがつきません。もし手で触ったり匂いを嗅ぐことが出来れば正体はわかるのですが、視覚だけでは意外と真偽の見分けがつかないものです。

グラフィックの平面世界で、様々な手法を使って無限の表現が出来るのはこの人間の空間認識力の弱さにあります。写真や映画に奥行きを感じ、遠近法を使った絵画に自然そのものの拡がりを感じるのも、人間の視覚認識の曖昧さが幸いしているのかも知れません。だからSF映画が楽しいんです。

小さな宇宙船の模型が、映像トリックによって本物の巨大な宇宙船に見えます。視覚が鋭敏過ぎてどうトリックを駆使しても模型は模型にしか見えないのなら、映画は楽しくありません。現在の科学ではスタートレックやスターウォーズの宇宙のシーンを実写で作るのは不可能ですから

 


<形と3次元空間>

 

3次元の世界では話が異なってきます。それは視覚が形を認識するための多元的な要素が増えるからです。個体に反射する光や影がそのものの形やテクスチュアーを現してくれます。そしてこの情報の多さを逆に利用して、マジシャンはある物を見えなくしたり無い物を見えるようにしたりというトリックを演出します。実際にはない影をつくったり、存在しない奥行きをつくったりして錯覚を起こさせるのです。

実際の物体にはそれぞれ固有の質感があります。同じ形、同じ大きさに成形された(例えば立方体)でもステンレスと豆腐では形から受ける印象が違います。立方体のエッジの鋭さや光沢の感じが異なって見えます。

これは密度が高く固いステンレスと水や空気の粒子が混ざった柔らかな豆腐との質感の違いです。ですから厳密にはこの二つの立方体は同じ形とは言えないのです。同じ形につくられたものが同じ形ではないとは矛盾した言い方ですが、これが真実です。

日本刀のあの鋭い形は竹や木では作れないのです。簡単に言えばエッジの形が違うのです。それでも竹に銀紙を貼った日本刀を本物だと信じて芝居を見ていました。金属の効果音を入れられるとすっかり騙されてしまいます。あくまでも視覚は曖昧です


 

<光と影>

 

<物理的な奥行き>

 

2次元の世界と違い3次元の空間ではモノとモノの間に物理的な距離が存在します。しかしこの物理的な距離は人間の視覚世界では異なって捉えられる事がよくあります。例えば、同じ大きさの2つの物体が視点から前後の距離を持って並べられたとき、当然視点から遠い方が小さく見えます。

視覚はこの形の大小で、距離を推測します。もしこの2つの物体の大きさが異なっていたら、それだけで人間には2体間の距離や空間を推測することが出来なくなります。もし遠い物体の方が大きければ、そちらの方が近いと判断するかもしれません。僅かな距離でも片方がうんと小さい場合は2体はずいぶん離れていると勘違いするかも知れません。

両者の大きさを予め知っておかなければ分からないのです。事前に大きさの把握が出来ていれば、2つの物体間の距離を推測することが出来ます。ですからこれは視覚による判断ではなく、経験による頭の中での計算です

 


<視覚と経験>

 

人間が視覚によって奥行きを認識するためには、知識や経験が必要とされます。経験上知っている物が連続して存在する空間に置いてだけ視覚は奥行きを感知する事が出来ます。町中や自分の部屋で実際の距離と視覚的な奥行きの距離がずれないのは、経験において全ての物の形や大きさを知っているからです。物体の影もその知識の一つです。長く延びた人間の影だけを見ても、その人間の身長が5メートルもあるとは思わないでしょう。

予備知識のない山で人が遭難するのも、視覚の曖昧さが原因の事があります。近くに見えている山が実際にはとても離れていたりするのです。僕自身も山道の距離を見誤って大変な目にあったことがあります。すぐそばに見えた山が、歩いても歩いても近づいてこないのです。まさに「人間の目」は「大変な目」なのです。

人間の五感の中でも外部の情報に対して圧倒的な比重を占めている視覚が、もしかすると一番誤謬に満ちた感覚器官で場合によっては目をつぶった方が真実が見える事があるのかも知れません。 グラフィックの世界では、経験的に自在に空間を操って様々なデザインがなされていますが、今一度空間というものを考えてみるのも新しい発想を呼びこむ一つの方法ではないでしょうか

 

Copyright (C) 2010 Masaki Matsuura. All rights reserved. 

 

 

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