



2012メモランダム
ダートムーア動物学公園に感じる、生きる形
2012/05/17 2006年、南仏で不自由のない作家暮らしをしていたペンジャミン・ミーさんは全財産をつぎ込んで英国の片田舎にある廃園寸前の動物園を買い取り、再生させました。買い手が現れなければ飼育されている動物220匹の半数が殺処分になると知り、心が動いたそうです。借金で改修費をまかなう挑戦を認めてくれた闘病中の奥さんが園の再開前に亡くなり、ショックで何日も動けなかったペンジャミンさんを立ち直らせたのは助けたはずの動物達。「人間も哺乳類の一種、死も生も自然の摂理だと感じる事ができた」とペンジャミンさんは語ります。2006年からの動物園再生の軌跡は「幸せへのキセキ」と言う映画になり日本でも6月から公開されるそうです。古いものや採算の取れないものが次々と切り捨てられる今の日本に、ほんとうに必要なものは何かを教えてくれる1つのエピソードだと思います。2007年に生まれ変わった「ダートムーア動物学公園」。利益優先しか考えられないような貧弱な頭と心を持っている人が、1人でも減る事が日本の明るい未来には不可欠な要素ではないかと思うのです。
エゴイズムは迷路のようなもの
2012/05/16 スペインの哲学者オルテガは書いています。「生は自己とだけ対座するようになればもう終わりである。エゴイズムはいわば迷路なのだ。自己を閉じ込めてしまう迷路なのである。生きるとは何かに向かって放たれていること、1つの目標に向かって歩くことだ。そしてその目標は、わたしの道程でもなければわたしの生でもない。それはわたしがわたしの生を賭けるもの、したがってわたしの生の外に、彼方にある何物かである」。彼方にある何物か、僕にはそれがヒューマニズムの到達点だと感じます。人生の目標は1人1人が決めるものですが、それこそが何かに向かって放たれている心境が必要で、自然との対話、他者との交流、圧力への抵抗そして真実への模索と葛藤がなければ生まれ出ないものかも知れません。どんな仕事でも、どんな研究でも、どんな立場でも自己の底流に小さなヒューマニズムを持ちつづけ、生の彼方により高度で純粋なヒューマニズムがある世界をイメージできなければ、人はエゴイズムと言う迷宮に取り込まれてしまいます。それは同じ世界を堂々巡りするとても虚しい生のような気がするのです。深く考えもせず人に圧力をかける政治家。専門分化してしまった一面的な知識で人間性の原点を見失ったかのような科学者。そしてお金儲け以外の思考回路を無くしてしまったかのような企業人。今回の原発事故後の人間模様はまさにヒューマニズム、人間としてのやさしさを無くしてしまった人たちが社会の上層部に多くいることを分からせてくれました。これからはいろいろな問題に関して国民1人1人が出来るだけ情報を得て、自分の頭で考え、判断して行かないと知らない間に日本そのものがまさに迷路に入ってしまうような恐ろしい予感がします。
自然エネルギーの未来、原発の過去
2012/05/15 太陽パネルの低コスト化や効率化はまだまだ進むでしょうし、今オーストラリアで開発中のソーラーチムニー(太陽熱の上昇気流を利用したタワー型発電)のような新しいアイデアはいくつも生まれるでしょう。それは風力にしても、地熱にしてもその他潮力にしても同じで、原発に投じた巨額の資金の一部でも開発にまわせば、近い将来もっと実用的な自然利用システムが出来るのは明らかです。日本が20年、せめて10年前にでも賢い決断をしていれば、取りかえしのつかない原発事故を起こさないですんだことはもちろん、自然エネルギーの分野でも世界をリードしていたはずです。世界でも屈指の自然環境に包まれた日本です。そして経済と技術。原発と言うコストがかかり、環境を汚し、生命まで危険にさらす、最悪のエネルギーを増設してきた政府や電力会社の判断はあまりの浅慮、あまりの強欲としか言いようがありません。過ちの責任は当然究明されなければいけませんが、とにかくもう同じ過ちは繰り返さないと言う決意がまず先決です。事が起これば取りかえしがつかない。事が起これば人間の力の及ばない災厄が延々と続くと言う実態を福島原発事故がはっきりと示したのですから。
閉店セールと記憶と未知との遭遇
2012/05/14 とあるレンタルビデオやさんに閉店セールの貼り紙。どんなビデオがあるのだろうと入ると、観たいと思っていた映画や、もう一度ゆっくり観たいと思っていた映画がいくつもあります。聞けば1本100円との事。ジャック・ドワイヨン監督の「小さな赤いビー玉」1975年、ルイ・マル監督の「地下鉄のザジ」1960年、ホセ・ルイス・クエルダ監督の「蝶の舌」2001年、ヤン・スヴィエラーク監督の「コーリャ、愛のプラハ」1997年、そして「スティング」1973年と「007ドクターノオ」1963年。ラーメン1杯分でこれだけの名作が買えるなんてなんか不思議な気がしました。古い名作が揃った小さなビデオ屋さん。飲食店を始め大手大資本に押されて次々と閉店する個人店。店主の人となりが生きる個人店は大型チェーン店にはない良さがいくつもあって、普段から買い物も飲食も出来る限り個人店を選んでいるのですが、ちょっと馴染みになったと思ったら閉店してしまって、寂しい思いをする事がここ数年特に多い気がします。今日から1日1本、素敵な映画を観てその時代と今の時代のどこがどう変わってしまったのか、再考してみようと思います。
未来のために今があります。
2012/05/13 原発事故から5ヶ月も経ってから文部科学省が原発周辺の積算放射線量を発表した時には驚きました。その数値は最高で508.1ミリシーベルトで法律で定められた一般人の年間許容量は1ミリシーベルトですから、508年分?いくらパニックを起こしたくないとは言え、事は将来の健康に関わる事ですからあんまりです。事故後の政府の対応を見ていると「即座に結果が現れない」低線量被曝特有の性質を悪用して事を運んでいるのではないかと思わざる得ない部分があって、恐ろしくなります。科学が進んで将来放射線と後遺症の因果関係はもっとはっきりするでしょうが、その時にはもう手遅れで、一体誰が責任をとるのでしょうか。とにかく国民を出来る限り被曝から守らなくてはならないのは当たり前で、少しでも危ない地域の人々は国や東電がせめて経済的に全面補償して避難させるべきです。精神的なものはお金ではどうしようもないですが、子供たちの未来を考えたら答えは明らかだと思います。福島原発からは今も2号機を主に毎時750万ベクレルの放射性物質が大気中に放出されていると昨日の新聞にありましたが、大気中にも海にも放射性物質が放出されているのは周知の事です。事故の収束どころか大量の汚染水の処理法やメルトダウンした核燃料の状態さえ把握できていないのですから、他の原発を動かすどころではないはずなのですが、国民1人1人がもっと声を上げなければ何をやらかすかわからないのが今の日本です。1人1人がヒューマニズムと想像力を持って粘り強く原発稼働を阻止しなければ、後悔ではすまない未来があります。
函館高専に放射性物質の測定器設置。
212/05/12 国や東電が責任として全国に設置しなければいけない事だと思うのだけれど函館高専の岩熊校長が測定器を導入、利用を始めた事はうれしいニュースです。北海道新聞によると岩熊校長は「東京電力福島第1原発事故で放射能汚染が広がり、食品産業が盛んな函館に必要と判断した」とありますが、学生の放射線教育と企業や市民にも開放し、食品などの測定に役立ててもらうとの事です。スウェーデン製の測定器は500万円で、1キロあたり2ベクレルの少量まで検出できるこのクラスでは世界最高水準。広範囲の食品汚染と、流通がなされていると考えるしかない状況で、汚染食品を食べる事は仕方のない現実ですが、不必要な、特に子供たちへの内部被曝を最小限にとどめるためにもキメの細かな放射能測定は絶対必要だと思うのです。後手後手に回るこの国の施策は「能力がないのか」それとも「わざと」なのかどちらにしてもあまりに非人道的で情けないことだと思います。
人が人を支えてこそ人
2012/05/10 風に当たるとまだ肌寒い鴨川の土手。それでも京都三条、四条辺りでは多くの若者が土手に腰掛けて何やら語り合っているはずです。下ってここは七条当辺り。時おり川べりの散歩者はいるけど、土手で談笑する人は誰もいません。黙々と流れる鴨川があるだけです。鴨川には数えきれないほど来ているけれど、この場所には来た事がないかもしれないなと思いながら、鴨川の上流下流を見渡していると一組の老夫婦が目に入りました。リハビリでしょうか、体の不自由な奥さんにつかず離れず寄り添っている夫。数メートル歩くだけでも数分かかるような歩みに根気づよく寄り添っている姿を見ていると、ご夫婦の長い歴史が垣間見えるようです。人と人。夫と妻、友と友、親と子・・・人間には色々な関係があって色々な歴史があるけれど、根本的には愛情や、尊敬や、感謝などが双方に行き交って、お互いが支え合ってこそ人は一個の人間たる存在になるような気がしました。川面を眺めている間に老夫婦の姿は消えてしまい、「あんなにゆっくりとしか動けないのにどこへ行ったのだろう」と当たりを見回しましたが、2人の姿はどこにも無く、つい先ほどの記憶だけが刻まれてしまいました。
1人1人の民主主義、1人1人の政治意識
2012/05/08 6日の決選投票で社会党のフランソワ・オランド氏が現職のニコラ・サルコジ大統領を破り当選。パリのシャンゼリゼ通りでは行き交う車がクラクションを鳴らして祝う風景。オランド氏がどうとかサルコジ氏がどうとかフランスの国情はよく分からないけれど政治に対しての国民の意識は伝わってきます。政治家に対してこれだけの目配りが国民にあれば、口先三寸で国民を騙すような事は出来ないだろうとは思います。政治家の暴走を止めるだけの抑止力が働く気がします。フランスにしてもドイツにして政治に対する関心の年齢層の幅の広さ、特に学生を含めた若者の意思表示が強く感じられるのは頼もしい限りです。フランスは市民の力で民主主義を勝ち取ってきた歴史があり、ドイツはナチスと敗戦に対する猛反省から民主主義を構築してきた経緯があります。それに比べて日本の民主主義はどうなんだろうと考えた時一抹の不安を感じます。世界に誇れるすぐれた平和憲法のおかげで、平和国家としての意識を維持できてきました。日本国憲法の前文にある「・・・われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する・・・」第9条の「戦争の放棄」や第25条の「生存権・国の社会的使命」などヒューマニズムに満ちた素晴らしい条文です。改憲どころかこの憲法にうたわれている文言をもっと忠実に誠意を持って国は実行しなければならないと思うのです。「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」第25条の中にあるこの一文すら福島原発事故の対処を見ていてとても守られているとは思えません。国民1人1人が政治家や施政に対して関心を持ち、1人1人の考えで判断する風土を原発事故を機につくって行かなくてはならないと思うのです。
防ぎようのない自然の力と防げる人災
2012/05/07 4月4日のCNNニュースで米テキサス州で多数の竜巻が発生し4万7000軒を超える世帯が停電に陥ってると言う映像を見ました。トレーラーがマッチ棒のように空中に舞い上がる様子がビデオに撮影されていましたが、目を疑うような自然の力です。東北大震災の津波で船が家屋の上に打ち上げられた映像を思い出しました。アメリカでの竜巻は映画やニュースで幾度か見ていますが、近年、日本でも竜巻の被害が出るようになりました。6日に起こった茨城・栃木の竜巻で粉々になった家屋や散乱した瓦礫の写真を見ただけでその恐ろしい破壊力がわかります。現地の人はどれだけ恐ろしかったでしょう。地震、津波、台風、洪水、竜巻、噴火、、昔から繰り返し被害をもたらしてきた自然現象ですが、科学技術が格段に進んだ現代でも予測さえ出来ず、完璧な防災も不可能です。それでも想像力を働かせて出来る限りの備えをする事は出来ます。被害を受けた後の迅速な対応を整えておく事は出来ます。それを考えれば原発の放射能汚染は放射能を消し去ったり無害化する事ができない以上「人間が対処できない問題」ですから早急に全基廃炉にして事故の可能性を無くすしかありません。世界中で大きな自然災害が多発する現代ですが、原発による「人災」は自然災害の比ではない事が、今は実感として分かっています。そして「人災」だけは人間の意志で防げるものです。
「あの日から変わったね」と思い出せる未来のために
2012/05/06 6日午前2時頃に北海道の泊原発の原子炉が停止し、全原発が止まりました。原発の再稼働を急ぐ政府ですが、大飯原発のみならず全ての原発の再稼働に対して国民がここまえで真剣に目を注ぐとは思っていなかったのではないかと思います。原発事故が一過性でない事を明らかな事実として多くの国民が認識してしまった以上、当然の事です。夏場の電力不足やストレステストによる安全性を言われてもどこか空々しく感じます。福島原発事故の検証は厳しく追求されなければいけませんし、そもそも1970年時点で2基しか存在しなかった原発がどうして54基も次々とこの地震多発につくられてきたのか、その動機と正体も検証されなければいけません。欧米が15年も前に行った発送電分離にもとづく電力の自由化もなされていない日本。国内に石油やガスなどの化石資源を有しないのが原発依存の1つの理由なら何故、原発と平行して自然エネルギーの開発を進めて来なかったのか。海に囲まれ、陽がふりそそぎ、山があり川があり風があり地熱があり、経済力があり科学力もあり人材もあるこの日本で、国外のエネルギー資源に依存する怖さ不安定さを危惧するなら、どうしてやってこなかったのか。むしろコストなどあれこれ難癖をつけて自然エネルギー開発の足を引っ張ってきた感さえある過去です。電力の自由化にしても、再生可能エネルギー利用にしても大きく遅れを取ってしまった日本ですが、原発の放射能汚染と言う怖さ。100%安全でない限り動かせないのが原発だと言う事実。100%安全など現実にあり得ませんから、100%動かしては行けないと言うのが結論だと思うのです。
全ての原発が止まった日。明日への起点となる日。
2012/05/05 1970年、当時あった東海原発と敦賀原発1号機の2基の原発が点検で同時に停止して以来42年ぶりの全原発停止です。それにしても42年間で52基もの原発をつくり続けてきた国と電力会社。時代背景が変わり科学技術が進歩する中で未来を考える事もなく盲目的に危険な原発をつくり続けてきた浅慮に情けなくなります。原発の危険性と不合理性を隠蔽し、メディアを始めあらゆる手を使って国民を騙してきた歴史。安くてクリーンでで安全だと言う大嘘のプロパガンダに騙されつづけた国民にも責任はありますが、気がついた以上もう2度と騙されてはいけないと思います。停止したと言っても燃料プールで冷やし続けなければならない大量の使用済み核燃料は地震や津波に対して原子炉と同じ危険をはらみます。つくり出してしまった放射性廃棄物は向こう何万年にも渡って安全に保管しなくてはなりません。作家の池澤夏樹さんが廃棄物を「長期絶対隔離保管猛毒危険物」と言い換えていますがまさにその通りの恐ろしい物質です。そして原発が稼働する限りこの「長期絶対隔離保管猛毒危険物」は増え続け、しかもまだ最終的な保管方法さえ見いだせてないのは周知の事です。福島原発事故で全国にばらまかれてしまった放射能汚染とどう向き合うのか、長期にわたる内部被曝の問題、特に子供達に対する徹底した防護対策はどうするのか、福島の多くの人の暮らしを窮地に追い込み、人間が住めない土地を作ってしまった責任はあまりにも大きく深いものです。全ての原発が止まった今日。明日に向けて国民1人1人が心すべき日でもあります。
1人の人間として思うこと
2012/05/04 俳優の山本太郎さんが「必要なのは世の中や人を変えるのではなく、自分自身が変わる勇気です」「ものを言う人が増えればいいやすくなる」そして「みんなが言うまで待つのではなく、まず自分が言う1人になれよ」とも。原発反対を訴えるだけでテレビなどのメディアの仕事に支障が出るのもおかしい話ですが、それが今までの、そして日本の現状でもあります。原発の問題はイデオロギーでも宗教でもなくてヒューマニズムの問題ですから心ある人間ならば誰でも反対せずにはいられないのですが、人間の命の問題、日本の未来の問題をまともに考える人がテレビに出られないと言うこと自体が言論の自由と民主主義に反していると思います。福島原発の事故後のテレビにはお金で雇われたような御用学者ばかりが無責任な意見を喋っていました。芸能人も「その事」にふれないようにしているのも見え見えで、番組のかなりの部分が言論統制と言っていい状態。電力不足のプロパガンダもいまだに流れています。もしテレビしか見ない人がいるなら原発の真実はずいぶんぼやけるだろうと思います。歌手の沢田研二さんが「ひそかにやるのが今の自分にあっている。たとえ届かなくても祈りはそれだけで悪いことじゃない」と語り被災地への思いを歌った新譜の中で「死の街がいとしい」「何を護るのだ国は」「BYE BYE 原発」とメッセージを送っています。1人の人間として思うこと。1人の人間として語ること。立場はそれぞれ違えども1人の人間としての表現の仕方は1つぐらいあると思うのです。
すべての人が念じ続けなければならない「イマジン」
2012/05/03 朝日新聞神戸支局の記者が理不尽極まる凶弾に倒れて25年。事件は未解決で同僚のジャーナリストのみならず多くの国民が暴力に対する怒りと悲しみに胸を痛めました。撃たれて亡くなった小尻知博記者は当時29才。言葉も出ない凶行です。事件は無念にも10年前に時効となりましたが、絶対に風化させてはいけない記憶です。残虐で無慈悲な犯行が後を絶たない世の中ですが、事実を追求するためにも悲しい事件を少しでもなくす抑止力のためにもジャーナリズムはいつでも強く正しくあって欲しいと願います。25年の空白。もし存命ならば小尻さんの取材や記事で勇気づけられたり、癒されたりした人が多くいただろうにと思うと怒りが新たになります。ジョンレノンが撃たれた時にも「なんてことするんだ」と絶句したけど、人の命を勝手に奪う人間として最悪の行為を一体どうしたら永遠に無くす事が出来るのだろうと、考えてしまいます。
語れない動物達の悲しみ
2012/05/02 昨年の原発事故後、立ち入り禁止区域内に打ち捨てられた動物達の映像が数回ニュースで流れました。あの牛や馬は一体どうなったのだろうと思っていたら先日朝日新聞の記者による短時間の取材記事と写真が出ていました。写真には数頭の牛が餌を求めてでしょうか、人のいない町を徘徊している様子が写されていました。取材に同行した農家の人が「汚染された草などを食べる牛たちの糞は高濃度の放射能を帯びていて、禁止区域内に入る車のタイヤについて区域外へ持ち出される危険性があるので、牛を殺さなければいけない・・・けれど・・」と声を詰まらせていましたが、何の責任もない牛や猫や犬、そして無数の生き物がもし話す事が出来たなら、きっとこう言うに違いありません。「人間はなんてことをしでかしたんだ。あなたたちは知恵もあるし、言葉も喋れるし、想像力もあるはずじゃないか?」「原発が危険で事故が起こったら取りかえしがつかないことは、分かっていたはずじゃないか」「情報を知らされない多くの人が被曝し、自殺者も出て、人間も大きな傷を負ったけど、無数の生き物たちは悔しさの声さえ上げれない事を分かっているのか、こんなこと悲し過ぎるじゃないか」・・・事故にかかる費用は2兆や3兆どころではなく天文学的数字になるだろうことは誰でも察しがつきます。放射能汚染が日本全土に行き渡る事も察しがつきます。空間に壁や膜はないのですから近辺で汚染が止まる道理がありません。もっと徹底的に食品検査を行い、せめて子供たちには出来る限り安全に近いものを食べさせないとあまりにも非人道的です。正確な情報が得れないと子供を思う親も、食品産業に関わる心ある人たちも手の打ちようがありません。とにかく原発再稼働どころではない現状が今ある事だけは確かです。
人間がまず学ばなければならないもの
2012/05/01 多様な視点、豊かで柔らかい感性がなければ音楽も絵画も科学も哲学もその表現や発想は薄っぺらで固いものになります。知識や思考の偏りは人間性を硬化させてしまうからです。1つの視点、1つの概念にとらわれれば表情も表現も貧しくなるのはあたりまえです。ましてその1つが損得勘定や競争原理のような次元なら危険性もあり最悪です。何故ならそのような人間は心そのものが育っていない、もしくは汚染されているからです。ヒューマニズムに根ざさない学識や権威がいかに愚かで醜いものかは、福島の原発事故で如実に示されました。人の命、動物の命、大地の汚染、海の汚染・・・犯罪的な行為の結果に反省すらしない人間がいるのはあまりにも悲しい事です。受験戦争を勝ち抜き、エリートと称される人間が強欲と偏った思考にまみれて引き起こした取りかえしのつかない原発事故。彼らは一体幼稚園から大学までの長い時間、何を学んできたのだろうかとショックを受けます。教育のありかた、ものの考え方で大きく変わってしまう社会。自由で多様で面白くてやさしい心を備えた若者が1人でも多く育つような環境をつくらないと、日本の未来は暗雲に押しつぶされそうな気がします。
規制緩和の悲惨な弊害
2012/04/30 ツアー客ら39人が重軽傷。群馬・関越道のバス事故のニュースを聞いて7年前の衝撃的なJRの脱線事故の紙面を思い出しました。激突してビルに巻き付いた列車の映像は脳裏から消えず、未だ電車に乗る時に頭をよぎります。過当な競争に晒される交通各企業。航空業界や鉄道、バスなどの人命を預かる産業が自由競争の原理に組み込まれていいのだろうか?と思います。学校などの教育の問題も同じですが、世の中には市場原理に任せていいものと行政の正しい指導、保護がいる分野があるはずです。高速ツアーバスなどを運行する貸し切りバス業者1つを見ても、国土交通省によると2000年の規制緩和後、99年度の2336業者から2010年度に4492業者に増えています。当然のことながら激化する料金競争から運転手には過酷な労働条件が生まれ、保守整備などの部門にも影響がでます。何とも恐ろしい事です。まるで資本主義の呪文のように自由化を叫び、規制緩和、市場原理しか能のない政治家や経済学者がやってきた事は間接的な殺人行為につながっていると言う事を国民が再認識してこの風潮を変えなければ、今回のバス事故のようにかけがえのない命があまりにも無惨に奪われてしまいます。スピードが速いとか、料金が安いとかより格段に大切なものが安全である事に異論がある人などいないはずです。
想像力と認識力
2012/04/28 世の中には原発のように明らかにこれは間違っていると判断できる事があります。科学的に考えても、経済的に考えても、道徳的に考えても多くの事実が認識できるからです。長きに渡って事実隠蔽し、あらゆる手を使って原発に有利なプロパガンダを行ってきた政府や電力会社によって多くの国民は騙されて来ましたが福島の原発事故があって、事実は露呈しました。今、原発の危険性と不合理性が分からない人はまだプロパガンダに翻弄されているか、思考停止しているか、それとも未だ推進を進めようとする人たちのように人間性を失ってしまったかのどれかだと思います。原発の脆弱さと危険性は今や明らかですが、事実認識に加えて想像力を働かせば原発を全否定するに十分足りるものです。ひとたび事故を起こせば地域はもちろん人体や環境に対する汚染は地域的にも、時間的にも計り知れないリスクを伴うことはもう明らかですし、もう一度事故が起これば手の打ちようがない事態も考えられます。ストレステストや安全対策うんぬんの次元でない事は誰にでも分かると思うのです。4人の若者が科学者の小出裕章さんの協力をあおいで作った原発に関する寸劇「推進レンジャー」はとてもよく出来ているし、視聴率も上がるだろうしテレビで放映してくれないかなと思うのですが、この国の現実を見ればそれは無理だと言う事も理解できます。
善良な人が沈黙すると「悪」がはびこる
2012/04/24 日本の自然に惹かれ日本国籍を取得して森の再生などに取組んでいる作家のC・W・ニコルさんが西洋のことわざを引用して「善良な人が沈黙すると悪がはびこる」と言っていました。ほんとうにその通りだと思います。身近にある小さな出来事から原発事故のような重大な問題まで、思いある人が沈黙してしまえば厚顔な人間や短絡的な人間がはびこってしまいます。大小はあるけどそれらはみんな「悪」で無関心や無意識が成長させる怪物のような存在です。そして最後には必ず善良な人や弱者に災厄をもたらします。生命の破壊、環境の破壊、伝統の破壊、自由や信頼の破壊・・・短絡的な思考やエゴイズムがもたらす災厄はどれも恐ろしいものです。僕は思います。悪に対して沈黙している人を善良だと言えるのだろうか?沈黙や無関心は悪の片棒をかついでいることですし、ならば善良な人の沈黙はあり得ないとも思うのです。嘘に嘘を重ね、隠蔽とプロパガンダで国民を騙し続けてきた国や東電の悪事は取りかえしのつかない大惨事が起こるまで発覚しませんでした。それでも先見性のある学者やジャーナリストは何十年にも渡って警鐘を鳴らし続け、それに耳を傾け原発建設に反対してきた人も大勢いらっしゃいます。反対してこなかった人も危険性を知らなかったからではすまないけれど「知った以上」はもう誰も沈黙や無関心ではいられないはずなのです。
異なものであるとしか言いようがない
2012/04/22 国歌斉唱に関して、朝日新聞に作家の大西巨人さん(92才)の話が載っていました。大西さんの大長編「神聖喜劇は」兵の一挙手一投足を規則でがんじがらめにして、自ら窒息していく日本陸軍を描いた傑作。・・・大西さんは「兵が声をそろえて歌っていたのは、23連隊の営門で/ハンカチくわえて目に涙、といった厭戦的でもあるような歌だった。君が代の時は斉唱のマネさえしていれば息を抜けると、私などは思っていた。斉唱についての細かな軍規定もなかったように記憶する」と話し「斉唱チェックの記事を読み「昔の軍隊でも、軍隊の論理と地方(軍隊外の社会)論理とは別であり得たのだが」と半ばあきれた。「私の生きているうちにこういうことがあるとは・・・。異なものとしかいいようがない」悲しく恐ろしい戦争を経験し体得した平和と自由に対する感性は尊重しなくてはいけないなとあらためて思います。
ゆたかな自然を汚す権利は誰にも絶対になくて
2012/04/20 北海道から沖縄までどこの県を訪ねても、美しい緑があります。山があり谷があり平野が広がるゆたかな大地。幾筋もの川が流れ、湖があり、多くの県は日本海、瀬戸内海、太平洋に面して青い海と潤沢な海の幸にも恵まれています。ほんとうに自然豊かな国です。反面、地震や津波、台風による災害で大きな打撃にも幾度となく見舞われてきました。北海道十勝沖地震、阪神淡路大震災、そして東北大震災。立ち直れそうもない過酷な被害。それでも自然と人は繰り返し再生し、調和は保たれてきました。そして思います。自然災害ではない今回の福島原発事故の根深さ。人間の傲慢と無責任、想像力の欠如が起こしてしまった悔やんでも悔やみきれない原発事故。人の暮らしを根こそぎ奪い、自然界のバランスを狂わせてしまった事故に対して原発建設を止めれなかった心ある多くの人が慚愧の思いになりました。「もうこんな事はこりごりだ」と多くの人が強く思い反対を表明していますが、そうでない人もいます。無関心な人もいます。今なら明らかに嘘と分かるプロパガンダにまだ騙されている人もいます。人間として考えられないけれどまた原発を動かそうとする人がいます。原発の拭いきれない危険性と原発にまつわる過去の理不尽がこれだけ明るみに出て「どうしてだ」と怒りと悲しみの入り混じった気持ちになります。ストレステストが信ずるに足りない事を福島の原発事故が恐ろしい代償をもって証明したと言うのに、何と言う想像力の無さ、理性のなさでしょう。山も森も川も湖も海もそして人間も放射能で汚染してしまう可能性があるのですから、全ての原発は一刻も早く廃炉して、すでにつくり出してしまった核廃棄物をどうするかを考える事が先決です。せっかくもうすぐ全原発が停止するのですから、「もう2度と動かさない」ことへのターニングポイントにしなければならないと思うのです。
メディアの使命と影響
2012/04/19 今年50周年を迎えるドイツ国営ラジオ局DWFはドイツ社会を支える識者層から高い支持を受けている局だそうですが、福島原発事故についての報道姿勢も翻訳報道されたいくつかを見ましたが日本のメディアよりその真摯さが伝わってきます。国内の情報を知るのに海外のDLFホームページを見なければならないなんておかしいことですが、ドイツに限らず欧米のメディアの方が福島原発事故について詳しく報道しているのが現実です。日本のメディアでは今年に入って福島関連のニュースがめっきり少なくなりましたが、ドイツではフクシマ報道を続ける10局以上の公共テレビ局、さらにテレビ局よりはるかに多い公共ラジオ局があると言う事です。この差は一体なんなんだ?と考えてしまいますが、メディアが権力者のプロパガンダに利用された歴史(これは日本も同じですが)の恐ろしさをドイツメディアと国民が真剣に反省しているからでしょう。
まず福島の被災者と避難で苦しむ人の救済を全力で!
2012/04/18 放射能汚染で土地を奪われ、遠隔地で慣れない生活を強いられている人。放射能と向き合いながら帰宅するかどうかに心揺れる人。国や東電の賠償や被災者へのサポートはマスコミを通して知る限り、歯がゆい限りです。絶大な力のある東京都の最高責任者で、発言力の強い石原都知事も福島原発事故の責任と補償に対して国や東電の背中を押してもらいたいものです。尖閣諸島の買い取り交渉は政府すら知らなかったようですが、朝日新聞のコラム「素粒子」に書かれていた一文を読んで、「ほんとうにな」と思いました。こんな文章です。「そろそろ黄門様の役回りのお年だろうに。自ら物議を醸す石原氏。『政府に吠え面かかす』と。一体誰と争ってる?そんなことしてる間に、人口は減るわ外国人は逃げ出すわ。世銀総裁も韓国系。ますます存在感薄くなるこの国。・・・
しっかりと見つめ想像力を働かせなければ
2012/04/17 長きに渡る独占政権で癒着と腐敗が表面化して、様々な矛盾が繕えなくなって、これから自民党政治も少しは浄化されるだろうと思っていた矢先に扇情的な小泉政権が発足し「自民党をぶっこわす」と言うフレーズに踊らされた日本。結局想像通り自民党は壊れもせず、日本そのものが大きくダメージを受けました。郵政民営化の意義も分からず、聖域なき改革はまじめな会社や労働者を追いつめ益したのは大企業とアメリカで弱者と地方の衰退は一気に加速しました。民衆にある程度不満を感じさせ、かつ反発力のない組織、個人をやり玉にあげ一見弱者側に立つように見せかけて実は権力には水面下で迎合するやり方は見え見えでしたが、小泉政権当時は反論すら出来ないような異様な雰囲気が社会に蔓延していたのを思い出します。そして小泉政権がもたらした負の遺産は後継首相では受け止めきれず政権交代をもたらしましたが、民主党政権もまた蓄積した負荷に右往左往し政治家への信はあきらめにも似た感があります。そして新たな登場人物、橋下徹。まさに小泉劇場が始まった時と様子がよく似ていて気味が悪いほどです。そしてよく似た手法。もともと市民がある程度不満を持つ役所や教育の現場をやり玉にあげ、民意を煽る手法。二分する民意を総意のごとくすり替えて権力を行使するのはあまりにも強引で危険な方法です。確かに今の日本の現状は変えなければ行けませんが、日本の未来を思い、よりよい社会を目指すなら過去の失敗、教育における競争原理や経済絶対の政治方針をあらため、弱肉強食の世界を変えなければなりません。国民の人生に対する意識と価値観を変えるぐらいの大きな発想が必要です。何故なら行き過ぎた競争原理と利益優先社会への偏重がこのような現状をつくったのですから。たとえ時間がかかっても未来に向けて1人1人が生き生きと個性を発揮できる土壌をいかにつくるかが施政者の想像力と腕の見せ所だと思います。間違った方向へ進めば小泉政治のダメージにとどめを刺してしまうほど今の日本は危機的状況です。ですから国民1人1人もまた施政者の言動とその向こうにあるものをしっかりと想像力を働かせて見つめなければならないと思うのです。
平和とはほど遠い世界情勢
2012/04/15 闘争や紛争のニュースは連日後を絶ちません。「アフガニスタンの首都カブール中心部で15日、国会議事堂や外国大使館を狙ったとみられる爆発が相次いだ。」「パキスタン北西部バンヌー市の警察当局者は15日、イスラム反政府勢力タリバーンの武装集団300人が同日未明、刑務所を襲い、受刑者384人が逃亡」「中東バーレーンの人権擁護団体などによると、同国サルマバードの街頭で13日、数千人規模の住民と機動隊が衝突、複数が負傷」「3月にクーデターが起きた西アフリカのマリで12日、ディオンクンダ・トラオレ前国会議長(70)が暫定大統領に就任」・・・毎日どれだけの人が殺され、血を流し、不安におびえているのかと思うと、やりきれません。政治、民族、宗教など複雑過ぎる背景があって、理解すらできませんが、どの国の誰であっても「平和に普通に暮らしたい」と言う人間として当たり前の思いは共通なはずです。政治的に安定した先進国が智慧を結集し協力すればできる事はまだまだあると思いますが、もともとさまざまな争いの要因の1つが先進国のエゴイズムにあるのを考えると2重にやりきれない思いがします。
人間としての責務
2012/04/14 農薬や食品添加物の問題だけでも将来の人体への影響は危惧されるのに放射能が加わり、食の問題は暗澹たるものがあります。先日宮城県のヤーコン茶を販売する会社が自社製品を自主検査し、食品に含まれる放射性物質の新基準値100ベクレル/kgに対して1万ベクレルを超える放射性セシウムを検出し業者が自主回収しているとの記事が朝日新聞に出ていましたが、これはまさに氷山の一角だと思われます。国と生産者と消費者の意識が徹底されなければとても防ぎようのない問題ですが、まず国が総力を挙げて緻密な検査体制を敷かなければ話になりません。この期におよんで原発の再稼働などに時間と労力を払う国や電力会社の無責任には呆れ果てますが、国民は怒りを持って政府や電力会社に責任を問わなければおかしいと思うのです。原発事故は決して地域の問題ではありませんし、福島であれ福井であれ事故が起これば放射能汚染に境界はありません。日本全体はおろか、世界にとっても大きな迷惑です。今さら取りかえしのつかない福島原発事故の放射能汚染ですが、せめて食品を通して起こる内部被曝だけでも最小限に抑えるための必死の努力は政府と東電の絶対的責務です。そして多かれ少なかれ放射能の影響を受けざるえない子供たちへの大人全ての責務でもあると思うのです。
「こんな村の光景を奪ったのは誰なのか」
2012/04/13 原発事故の放射能で大きな被害を受けた飯館村で撮りためた41枚の写真。写真家の菅野千代子さんは震災前の「人情厚く、美しかったころの飯館」の姿を通して「こんな村の光景を奪ったのは誰か」と言う怒りを伝えたかったそうです。震災後はとてもカメラを手にできない心境で、それでも「被災者だからこそ伝えられるものがある」とふたたび荒廃した故郷にレンズを向けている菅野さん。政府や東電、そして推進してきた関係者たちの目先の欲とエゴイズムから生まれた福島原発と言う施設が奪ったもの。多くの人の過去を塗りつぶし現在を奪い未来をも暗雲に包んでしまう大罪です。どう反省しても謝っても取りかえせない過ちですが、その責任感さえないとしたら、彼らはもう人間としての最後の良心さえ放棄したと見なさなければならないのでしょう。だとしたらそんな彼らがまたしても原発を再稼働させようとしている現実に対して、国民1人1人が厳しく立ちはだからなければ、同じ過ちが必ず起こります。そしてその結果の恐ろしさはもう誰にでも想像がつくと思うのです。
地震大国は仕方ないけれど無神経や無関心大国は願い下げ
2012/04/12 インドネシアのスマトラ島沖で11日午後に起きたマグニチュード8.6と8.2の巨大地震。12日にはメキシコ・カリフォルニア湾付近でマグニチュード6.9と6.2の強い地震。日本でも頻繁に地震が起こっていて気象庁のサイトを見れば今年だけでもマグニチュード5以上の地震が9回起こっています。マグニチュード5以下の地震は頻繁で、まさに地震大国です。そんな中、あの大事故で破壊され補強もままならない福島第一原発は大丈夫なのだろうかと不安がよぎります。収束どころか連日のように不具合を起こしている福島第一原発。管理や補強も十分にできない現状でどこの原発にしろ再稼働など問題外だと思うのですが、政府や東電の神経は一体どうなっているのでしょう。ヒューマニズムと想像力があまりにも無さ過ぎます。汚染水の海への流出、瓦礫の処理、食品による内部被曝の問題。的確な判断と処置のために全力で取組まなければいけない事が、山積しているのに危機感が伝わってきません。生活基盤を奪われ人生設計を根こそぎ狂わされてしまった被災者の人たちへの責任感も稀薄で、政府や電力会社のモラルの低さに情けなくなります。原発事故にまつわる不安な情報や理不尽な話は連日のように起こっていますが、テレビはほとんど現実を伝えず、新聞はごく控えめで、ネットでも意識を持って検索しなければ記事が出て来ない有様。日本のメディア、ジャーナリズムのあり方は国民にとって大きなネックです。福島の真実を知るためにドイツなど他国のメディア番組を見なければならないなんて民主国家として恥ずかしい事です。とにかくお金や出世欲にまみれてモラルを無くした人を変えるのは不可能かも知れませんが、彼らのエゴイズムにつき合って避けようのない致命的な被害を受けるかも知れないのが原発です。
映画「フクシマ2011〜被爆に晒された人々の記録」
2012/04/11 事故から1年。映画監督の稲塚秀孝さんは広島と長崎で2度の被曝を受けた人に迫った映画「二重被爆〜語り部・山口彊(つとむ)の遺言」を昨年4月ロサンゼルスで上映したところ「フクシマでなにが起き、住んでいる人がどういう状況か真実を伝えているのか」と問われ同じ核の被害を受けている福島に足を運ぶようになったそうです。60回以上ものロケを重ね南相馬市や飯舘村の住民らに取材して作り上げた作品には放射能が原因で「回復しない日常。離婚や倒産、転職をした人、迷う人・・・」が描かれていて、日本中の人が見て考えなくてはいけない映画だと思います。映画の中で元高校教師が福島事故前に訪れたチェルノブイリ近くの町を見て作った詩「神隠しされた街」は「デパートもホテルも/文化会館も学校も/集合住宅も/崩れはじめている/すべてはほろびへと向かう/人びとのいのちと/人びとがつくった都市と/ほろびをきそいあう」とつづられていて、なんとも言えない気持ちになります。映画の公式サイトはhttp://fukushima2011-hibaku.com/
飛鳥の里
2012/04/10 のどかな空気が漂う飛鳥の里。1400年前に文化の中心であった帝都の面影はないけれど、点在するユニークな巨石が過去を語りかける場所です。文化施設と駐車場が完備し今やすっかり観光地にはなっているけど少し脇道に入ればいにしえの香りがそこここに感じ取れます。浅い水路のような彫り込みのある酒船石。巨石を積み上げた有名な石舞台。正確な起源は分からないけど、長い時を超えたこの石の回りにどのような光景があったのだろうと思いはめぐります。飛鳥の過去に思いをめぐらせ田舎道を歩いていると要所要所でみかんやイチゴなどが置かれた木の台座に遭遇します。缶に100円玉を入れて勝手に持っていくのですが、電気も要らず故障もない究極の自動販売機です。果物網に3つ入ったはっさくはとても美味しく、飛鳥ではのどが乾いて困ることはないなと思いました。巨石の造形感覚、巨石の加工技術、1400年前の人たちの知識や精神性が相当高かったことは間違いありません。時とともに進化するもの、退化するもの・・・智慧と想像力が人間の取り柄だとしたら、退化などしてはいけないと思うのですが、加速度的に進むテクノロジーに対して、人間の精神性が歩調を合わせて高まるどころか、うかうかしていたら退化して、せっかくの科学技術さえ暴走させて取りかえしのつかない暴挙をやってしまいそうで、恐ろしくなります。咲き誇る桜。のどをいやすはっさく。素敵なものがいつまでも変わらずあり続けられるために人は智慧と心を使わなくてはならないと思うのです。
狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、ではないですが
2012/04/08 リニアモーターカーのニュースを見て思ってしまいました。縦横無尽に整備された道路が走り、鉄道は在来線に新幹線。長距離バスも頻繁に運行され、空路も充実しています。リニアの技術を海外の国、国土も広く交通網の不備な国に輸出するならともかく、この日本にはもう要らないのではないかと思う人も多いのではないでしょうか。1960年頃に世界に先駆けて研究に入ったと言う日本のリニアモーターカーですが、当時と今では国情が大いに違います。新幹線はどんどん時間を短縮し、空路も随分と便利になりました。しかも人口は減り、経済成長も見込めないこれからの日本で10兆円とも言われている巨額を投じるのはあまりに馬鹿げています。しかもドイツのように最初から鉄道網の全体システムを考えての計画ではありませんから、もしリニアが開通したとしても、負の要素がいくつも出て来ることが想像できます。福島第一原発の事故で援助を必要としている人たちを中途半端な状態にしておいてリニア計画に巨費を投じるのは無神経過ぎると言うものです。ダム、道路、原発。計画が浮上すると利権や癒着でがんじがらめになって、闇雲に進めてしまう日本の政治体質。ただ進むのではなく、止まるのもまた人間の叡智であり、勇気であると思います。
ふりかえることの大切さ、先を見つめることの大切さ
2012/04/06 原発事故から1年あまりが過ぎました。阪神大震災の時の「その後」を思えば大震災の打撃から立ち直るだけでも時間的、精神的な大変さが分かります。そして重なった原発事故。「原発さえなければ」の思いは原発周辺に暮らす人々のみならず日本中、世界中の人々の原発に対する意識を変えました。1年以上経った今も、福島第一原発から放射能は出続け、「海に汚染水が漏れ出た」と言うようなニュースがたびたび報道されます。収束どころではなく、この先どうなるのだろう?と思うのが当然の現状です。にもかかわらず放射能科汚染からの避難を強いられ根こそぎ生活を奪われた人たちへの補償はあまりにも微少で、国や東電は自分たちのおかした大きな罪に対して責任を感じるどころか、まだ原発を動かそうとしています。過去を反省し、未来に責任を持つ多くの人が脱原発を訴え、行動していますが、この問題だけは全員は無理としても圧倒的多数がヒューマニズムを守ると言う一点で一致しなければならない問題だと思います。経済力と科学力に加えて恵まれた自然環境を持つ日本が世界に対してこれからのエネルギービジョンを示し、全力をあげて脱原発の姿勢を知らしめることが、世界に対する日本のあるべき姿だと思うのです。
春の嵐
2012/04/04 風の力は恐ろしいものです。学生の時、襟裳岬で体験した事のない風を受けて体ごと飛ばされそうな怖い思いをした事があります。その体験から想像するだけでも巨大な台風や竜巻に遭遇すればどれだけの恐怖だろうと思います。今、全国で台風並みの被害が出ている春の嵐。宮城県大崎市では5日正午までに住宅24棟や学校など公共施設13棟で屋根が吹き飛ばされるなどの被害が出ました。秋田との県境に住む70才の男性は「風が色んな方向から吹いてきて、竜巻のようだった。ずっと住んでいるが、こんなことは初めて」と話していますが、風の力は恐ろしいものです。東北大震災で津波と言う水の力もまざまざと見せつけられました。噴火と言う火の力も想像を絶します。人間がどうおごっても自然界のあらゆる力の前では人間の科学力は小さく見えます。巨大で計り知れない自然のエネルギー。時に人間にとって不安と災厄をもたらす力ですが、反面、謙虚さを持って自然の力を利用すればこれほど頼もしい味方もありません。人間の叡智、科学力を自然に添う形で用いれば自然界の摂理やバランスを壊す事無く人類は必要なエネルギーを享受することができます。1つ間違えば制御不能、再生不可能な汚染状況をつくり出す原発のような野蛮な火から人類は一丸となって卒業しなければならない時期が来ているのだと痛感します。風と水と火の力。そして光と言う最大のエネルギーもあります。もし現代科学を高度と言うのなら、一刻も早く再生可能エネルギーで全てがまかなえるような未来に向かうのが当然のことだと思うのです。そしてもし現代科学が自然エネルギーを利用するには未熟過ぎると言うのなら、それこそ危険な原子力を扱ってはいけないのではないでしょうか。
Earth Hour
2012/04/03 2007年3月にWWFの温暖化防止キャンペーンの一環で始まった「アースアワー」はオーストラリアのシドニーで始まったイベントです。3月31日の午後8時30分から9時30分まで、同時に電気を消すアクションを通じて「地球温暖化を止めたい」と言う思いを示すための試みです。今日の朝日新聞のコペンハーゲンでの特派員の体験記事です。「コペンハーゲンのホテルのレストランでデンマーク名産のポークを注文したところ照明が突然消え、小さなランプがテーブルに追加され(アースアワーの時間です。1時間ご辛抱ください。ご用があれば大きな声で呼んで下さいね)夫婦連れの客はほほえんだ」・・・今や世界中の多くの国でこのイベントが行われていると言うことですが、時差の関係で東から順に消灯が地球をめぐっていきます。高空からの地球を想像すればとてもロマンチックな映像が浮かんできます。たった1時間の意志行動だけれど、世界中の人が同じ意識を共有すると言うのはとても大きな事だと思います。1人1人の小さな行為、小さな意識。それが地球規模で起こればまさに大きな力です。温暖化のみならず戦争にしても核や原発にしても、1人1人が心の波長を合わせる事ができれば世界は少しずついい方向へ進んでいくのではないでしょうか。
エイプリルフール
2012/04/01 小学生の頃仲のよかった友人の中に4月1日生まれが1人いて、誕生日が近づくと、回りの友人達はみんな作戦を練ったものです。中身のない空っぽの箱。ガラクタを包んだ風呂敷。偽の切符に招待券など、毎年手を変え品を変え、友人を騙すのです。「去年はふざけたから、今年こそは最高のプレゼントをみんな用意したよ」なんて言って当日はまた例年通り。「ああ、また騙された!」と呑気な友人は再度騙されるのだけれど、誕生会は妙に盛り上がってケーキをぱくぱく。毎年この日に思い出す懐かしいエピソードです。その友人は案外いまだに騙され続けているかも知れません。嘘にも許されるものもあります。罪のない嘘、可愛らしい嘘、気遣いからの嘘もサービス精神いっぱいの嘘もあります。でも「原発の嘘」はいけません。それは犯罪です。多くの人を苦しめ、子供たちの未来に暗雲を投げかけるような嘘をこともあろうに政府や大学や企業の人間がつくなんて、一体どうしたことだろうと思います。「原発は安全」「原発はクリーン」「原発は低コスト」「電力が足りない」「地域再生」・・・原子炉の5重構造より嘘の壁の方が厚いのではないかと思うぐらい嘘を重ねてきた原発推進関係者。福島の悲しい事故が収束するのはまだまだ遠い先です。生活を無茶苦茶にされた人の暮らしと心が癒えるのは遠い道のりです。重大な事故の責任も取らず、まだ再稼働させようと蠢くのはとても人間の心を持っているとは思えません。原発稼働はエイプリルフールの嘘だとしても笑えません。とにかく1人1人が意志を持って、国が全原発を廃炉決定するまで粘り強く戦わなければなりません。これは明らかにヒューマニズムの問題ですから。
心にしみる映画、「運動靴と赤い金魚」
2012/03/30 1997年のイラン映画です。モントリオール映画祭でグランプリを受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた作品ですから、見た人も多いと思いますが、ほんとうに見てよかったと思える作品です。映画はくたびれた小さなピンク色の靴を修繕するシーンから始まります。テヘランの下町に暮らすアリは貧しいけれど心やさしく暮らしています。ある日アリは修繕に預けてあった妹の靴を受け取った帰り、やむえない事情から靴を無くしてしまいます。新しい靴を買えない貧しい両親に言えば無理をさせてしまうし、靴が無ければ妹は学校へ行けないし。アリと妹のザーラは考えたあげくアリの運動靴を共有して、午前中はザーラが学校へ、午後は兄が履き替えて学校へと2人の奮闘が始まります。学校が終わるとザーラは兄に運動靴を返すために懸命に走り、アリは学校へ遅れまいと懸命に走ります。テヘランの迷路のような細い路地を駆け巡る2人の姿に心打たれます。貧しいけれど他者にやさしく、ものはないけど心ゆたかで、輝く目を持った子供達を見ていると社会とか文化のあり方はこうでなくてはいけないとあらためて思います。映画は演出も映像も演技も素晴らしく、イラン映画の芸術性に感動します。映画はヨーロッパのみならず中米や中近東、アジアの各国で芸術性の高い映画が数多く製作されています。ただ日本での配給は限られていて、とても残念な気がします。娯楽映画もいいけれど、精神性を培いヒューマニズムを育むためには芸術的な映画ほど有効な媒体はないと「運動靴と赤い金魚」が教えてくれます。
球春、空も海も見た目には変わらないけれど
2012/03/28 高校球児が無心にグランドを駆け巡り、プロ野球も開幕間近で心躍る季節ですが、原発事故のせいで福島から東京へ避難している女性の言葉を新聞で読んで考え込みます。「放射線にせめて色がついていたなら」原発事故後、色々な場所で聞こえてくる言葉です。色もなく匂いもなくただ放射能測定器の数値を頼るしかない不安。測定器も測定方法もどこか心もたなくて「いったい何をどう指針にして身を守ったらいいのか分からない」そんな気にもなります。汚染地域の人たちも「除染」と言う作業だけで安心感を持てるわけもなく複雑で不安な心境は察してあまりあります。原発と言う非人間的なシステムが起こした事故。1年経ってまだ大きな不安を抱える福島第一原発の現状を見れば再稼働などと言う発想そのものがあまりの認識不足、あまりの想像力のなさ、あまりの無責任です。ストレステストで稼働の是非を決めるような次元のものではないことがどうして分からないのかと心寂しくなります。青い空、青い海。事故が起こったら「想定外」では済まない原発事故。これ以上の汚染が起こったら空も海の見た目の変化はなくとも、命あるものは今から未来に向けてどれだけのダメージを受けるか、想像するだけで恐ろしくなります。
日本と世界
2012/03/26 日本をあちこち旅していて地方の風景や地元の人の言葉に惹かれて方言とか郷土料理とか地方特有のニュアンスを持ったリンク集を作ろうと思い始めた「県別リンク集」ですが(しばらく更新を怠っています)北海道から沖縄まで随分旅行したつもりだけれど知らないことばかりで勉強になりました。それなら少し外国も知ろうと思い、おまけに外国はほとんど行ってないので、せめてネット上で世界の国を見て考えようと作り始めた「知らない国を知るために」は国内とはまた違った発見と奥行きがあり各国の歴史文化をかいま見ただけで圧倒されました。ずっと住んでる国のことも見たこともない国のことも、知らないことだらけと言う意味では同じで、好奇心はつきませんが、いろいろな国の過去や事情や現状を知れば、日本のことがより見えてくることを実感します。世界は身近になったと言われますが、アフリカや南米はもとよりそれこそ身近なアジアや先進国の集まるヨーロッパの現状さえテレビを始め日本のマスメディアはあまり報じません。たとえば映画の現状を考えても世界各国素晴らしい映画はいっぱい製作されているのにアメリカのハリウッド製映画以外はかなりアンテナをはっていてかつ小さな映画館で見れるぐらいの、偏った国情があります。素敵なもの、素敵な考え方、素敵な感性は世界中にあふれるぐらいあって、異質であってもそれらのエッセンスがもっと日本に入るような環境ならば、この国はもっとやわらかくいい方向に変われるのではないかと思うのです。
人間として当然の思い
2012/03/25 これだけの被害と欠点が露出し、今なお福島第一原発の安定処理もままならない中、他国に原発を輸出するのはどう考えても無責任だと考えるのは当然のことです。国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長が朝日新聞のインタビューに訪問先のエジプトで応じ、個人的な見解として「日本ほど技術が進んだ国で、しかも広島、長崎に原爆を投下された経験があり、原子力に慎重なはずのにこんなことになった。うまく行かなかったといわざるを得ない」と原発の安全を疑問視し、「太陽光、風、地熱など発電方法が進歩するなかで、いろんな形を考えるべきだ」と脱原発の取り組みを求めました。世界の安定と平和に尽力し各国の情勢を長年見つづけてきた緒方さんの言葉には重みがあります。世界に対して脱原発を強く意思表示し、総力をあげて自然エネルギーの開発に取組み、その成果をベトナムを始めこれからエネルギーを必要とする国に対して提供すること。そして各国に対し原発に頼る未来社会の暗雲を示し、自然エネルギーの実用モデルを伝播していくことこそ日本の役割りだと思うのです。
全く同感
2012/03/24 何かと話題の多い橋下市長の言動には僕の身の回りにも不安を感じる人が多く、僕自身もそれは同じで彼の攻撃的な言動の裏に潜む「打算」とか「作戦」のようなものを感じていやなのですが、朝日新聞の「声欄」に共通する思いの投稿があったので抜粋して紹介させていただきます。大阪市に住む藤田駒代さんの「橋下氏、自己実現は別の場で」と題された意見です。『私は橋下徹大阪市長の政治手法に大きな疑問を持つ者です。橋下氏は、行政と言わず、「統治」と言う言葉を好んで使いますが、その言葉に政治姿勢が如実に現れていると私は思います。「統治」とは「統べ治めること」つまり権力者が民衆を支配することであり、これは「国民主権」という日本国憲法の最も重要な精神に反しています。氏は選挙で民意を得たといい、市政について白紙委任状を得た、と主張しています。しかしこれはとんでもない思い違いです。市長選挙の投票率は約6割で、橋下氏は約6割の得票率で当選しましたが、それは有権者の36%の支持を得たに過ぎません。<中略>政治は個人の自己実現の場ではありません。厳しい状況に置かれ、自力では生きかねている弱い立場の人々に光を当てて、援助の手をさしのべることが政治の役割りです。我が身を捨てて、その役割りを担おうという高い志を持った人に、私は政治を委ねたい。それでこそ「国民主権」の精神が生かされるものと考えます』この藤田さんの文を読んで、全くその通りだと思いました。
人間としていちばん大切な事
2012/03/17 欧州で開かれている「パリ書籍見本市」に参加した作家の大江健三郎さんが原発再稼働へと動く日本政府の姿勢を厳しく批判しました。これだけの事故が起こって、原発にまつわる悪事が次々と露見し、科学的にも経済的にもそして何よりも人道的に許されない原発の廃止を今だ決定できない日本政府の姿勢は脱原発に舵を切る国が多い欧州の人たちから見れば奇異に映るだろうと思います。チェルノブイリやスリーマイル島の事故後の深刻な経緯を知り、福島の現実にさらされているこの日本、しかも地震の頻度はヨーロッパの比ではない日本で「何故ドイツのようにまず原発を廃止する決議」を採択しないのだろうと思う人は多いはずです。段階的廃止にしてもまずそれを決定しなければおかしいと思うのです。大江氏が「人間が行動するうえで最も大切な倫理は次の世代が生きるための条件を壊さないことだ」と訴えていますが、ほんとうにその通りだと思います。人間としての心があり想像力がある人間なら思いは1つのはずではないでしょうか。
開いたスペースが閉じないように
2012/03/15 コラムニストの天野祐吉さんが歴史家のジョン・ダウアーさんの言葉を紹介していました。「大きな災害や事故が起きると、すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペースが生まれる。いま日本はまさにその時だが、もたもたしていると、そのスペースはまた閉じてしまう」東日本大震災のあと語られたこの言葉は1年たった今、痛切に感じます。被災地の復旧に全力を注ぎ、なしとげ、原発の罪と危険を完全に払拭させるまでは「スペース」を閉じさせてはいけません。1人1人が開いたスペースに目を向け、スペースを広げ中身をオープンにさせてその病巣を取り除くことができなければ、近い将来致命的な人災が起こることは予想がつきます。原発の問題は無関心とか、のど元過ぎればでやり過ごすことができない問題です。汚染された大量のがれき、大気に海に、放出され続ける放射能。福島原発事故後の実態を見ても、「原発さえなければ」と思うことはあまりにも多すぎます。考えたくはないですが、もし他の原発で次に事故が起こったらと想像すれば人間であるならば誰だって恐怖するはずです。事故から1年が過ぎた今、1人1人がもう一度、原発の嘘と理不尽を今一度きちんと見極め、多くのかけがえのない命と辛苦を伴って開いた「スペース」を広げる必要があると思うのです。テレビや新聞などのメディアも原発村の圧力をはねのけ日本の未来のために勇気を持って真実を報道しつづけて欲しいものです。
「風を操った少年」のすがすがしさ
2012/03/14 アフリカマラウイのウィリアム・カムクワンバは14才の時にユーカリの木と自転車の部品、身近な廃品を利用して風車をつくり風力発電によって自宅の電気製品を使えるようにした事で世界的に有名になりました。1987年生まれのカムクワンバはプライマリーからセカンダリースクールに進学するも2002年にマラウイで数千人規模の餓死者を出した大干ばつにより農業を営む両親が学費を払えなくなり学校を中退。その後村の図書館に通い独学に励んだそうです。そしてある時エネルギー利用と言う本を見つけ風車による発電に興味を持ちました。2002年当時のマラウイで電気の供給を受けていたのは僅か2%に過ぎず「このような状態を変えたい」と独力で風車を作り始めました。家業のトウモロコシ畑を手伝いながらゴミ捨て場を漁る姿を見て村人のみならず家族までもが「カムクワンバは頭がおかしくなった」と思ったそうです。そして3ヶ月後ゴミ捨て場から拾ったパイプやトラクターのプロペラ、タービンなどで作り上げた高さ5メートルの風車が完成しました。接続していた自動車用のライトが点滅すると村人は驚愕し、熱狂したそうです。そして2009年までに5基の風車をつくりました。2006年にマラウイの新聞がこの話を掲載したのがきっかけで世界中に広まり感心した支援者からの奨学金で現在は南アフリカの大学に通っているとの事です。2010年にジャーナリストのブライアン・ミーラーによってこの話が「風を操った少年」と言う題で出版されました。学校へ行けず図書館で見た風力発電の説明と写真を見て「誰かがこれをつくったのなら自分にもできる」と思ったカムクワンバ少年の純粋な思いが形となって村を超え国を超え世界に伝わったのですが、恵まれ過ぎた日本人が忘れている、考え方やものづくりの原点のような話です。
スターナビゲーション
2012/03/13 「スター・ナビゲーション」なんとも響きのいい言葉です。海図や羅針盤などの機器を用いないで大海原を行き来する(Traditional Navigation)「伝統的航海術」の俗称ですが、人間の夢と叡智を感じます。ミクロネシアにある美しい珊瑚礁の島、サタワル島に生まれた「スターナビゲーションの達人」マウ・ピアイルックさんが1976年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一環として行われた、航海カヌーによるハワイ・タヒチ間往復航海に参加し、近代的航法器具を一切使用せずに、船をタヒチまで導くことに成功。古来カロリン諸島に代々伝わる航法術の素晴らしさを世界にあらためて知らしめました。星を観察し風を読み、波や生物相を読み取って遠洋航海を行う古代からの叡智。人工的に作られ目印だらけの町中でさえ迷ってしまう僕にとっては魔法のような術です。「ウィンド・コンパス」「スター・コンパス」、航路上で必要となる知識の概要を歌のように記憶する「スター・ソング」。ミクロネシアやポリネシアの年老いた「航法師」が船にゆられ、不安そうな若者に星を指差しながら「まずあの星と友達になるんだよ」などと教える光景が目に浮かびます。GPS、無線、クロノメータ、海図、羅針盤、などがなくとも大海原を正確に行き来できるなんて「航法師」こそまさに「スター」だと思うのです。
スモールリセット
2012/03/11 恐ろしい津波の映像が今なお記憶に鮮明です。あの大震災と原発事故から1年。1万5854人もの人が亡くなり、3155人もの人の行方がいまだ知れない悲劇。政府の復興への対策は明らかに遅く不十分です。原発事故がもたらした未曾有の被害と損失に対しての東電の責任感のなさには不気味ささえ感じます。納屋の壁に「原発さえなければ」と書き残して自殺した農家の人の絶望。被曝に対する確たる指導や知識も与えられず働かされてきた原発作業員の人たちへの冷酷。多くの事実が隠蔽され知らされてなかったとは言え、次々と明るみに出る事実に「これはいけない」と自らの無関心を反省し自分をリセットしなおした人もたくさんいらっしゃいます。僕もその1人ですが、まわりの人たちも原発事故が引き金となって今まで見過ごしてきた色々な社会問題に対して意識する人が増え、1人の人間として何ができるかを話し合う機会が持てるようになりました。以前なら「僕は政治的な問題には関心がない、関わりたくない」と言っていた友人が「これは政治ではなくヒューマニズムの問題だ」と僕がまさに思っている事を口に出した時にはうれしくなりましたが、社会の歪みや悪の問題は全てヒューマニズムへの意識があれば無関心ではいられないはずです。何故あらゆる面から考えて理不尽で非人間的な原発を54基も作ってきた、作らせてきたのか。戦後なされてきた効率主義と物質主義への偏重。その結果必然的に生まれる競争主義。そして連鎖的に起こる他者への無関心、薄情。原発事故から学ぶ事、反省しなければならない事。未来に向けて大切なのは1人1人がいかにヒューマニズムを強くするかです。そのためには競争ではなく個人の多様性をお互いに敬い活かせる社会を目指す事です。そしてそのためには教育が重要なのは言うまでもありません。画一的でない人間をいかに育てるか、競争ではなく個人がそれぞれより高い目標に向かって歩める環境。強制や規則や監視などと言う雰囲気が一切なく、お互いの個性を認め合い調和するために必要な心のやわらかさと偏らない知識を与える場とならなければヒューマニズムは育ちません。震災で多くの命が奪われ、原発事故で放射能の危険性を認識した今、防災への対策と全原発の廃炉に向けて1人1人が生き方考え方を「スモールリセット」そして未来に向けていちばん大切な教育のあり方もリセットしなくてはなりません。
それぞれの愛国心
2012/03/08 愛国心と言う言葉は好きではないけれど、生まれ育った土地や家に愛着があるように祖国に対する愛情は特別な事情がない限り誰にでもあるものだと思います。その思いは自分のルーツを理解するためにも心の原点を認識するためにもとても大切なものだと思います。国を愛する心、それは統一や強制されたものではく1人1人の多様な思いから湧いてくるもの。日本固有の四季、風習、言葉、たべもの、建築、造形、伝統、情愛などありとあらゆる要素に対して「私は日本のこれが好き、ここが好き」逆に「私は日本のこんなところが嫌い」など様々な思いはあっても総体として「やっぱり日本が好き」と言うような感じが健全なる愛国心だと思うのです。グローバル社会の混沌から国によってはナショナリズムが台頭し、内紛や戦争の激化をもたらしている現状もあります。民族主義や国家主義の怖さは世界の歴史が数限りなく物語っていますが、油断すると日本だってそうなってしまいます。歴史学者のアーネスト・ゲルナーはナショナリズムを「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と言っていますがそれは「政治的意図のために国民の価値観を強制、一致させる手法」にも通じてとても怖い事です。1人1人の価値観と感性の中で「私はこの国のここが好きだ」「ここが嫌いだ」と自由に思える国であってこそ国への愛は生まれ、そして好きな部分がより広がり深まるような国づくりこそ大切だと1人1人が思う心が健全な愛国心だと思うのです。
包装紙と夢
2012/03/06 不二家のハートチョコが贅沢だった子供の頃。森永や明治の板チョコもちょっと高価で「準チョコ」なるものがベーシック。当時お菓子屋の店先には「かち割りチョコ」と言って大きくて分厚いチョコの塊がランダムに割られ、それぞれセロファンで包まれた大小のかけらが並んでいました。1つ1つ重さによって値段のシールが貼ってあるのだけど、子供の目にはどう見ても同じ重さに見えない形のものがあって選ぶのに悩んだものです。そんな時代ですから時おりもらう外国のチョコレートはまるで宝物のようで、眺めたり触ったりの夢の時間が延々と続きます。「明日になったら食べよう」と引出しにしまって、布団の中で包装紙のデザインを思い浮かべます。フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア、デンマーク・・・読めない文字を勝手に解釈して映画や絵本などで知ってる限りのヨーロッパの風景を思い浮かべます。実際どのチョコの包装紙も垢抜けしていて、視覚的な楽しみだけでも値打ちがありました。もちろん中身も美味しくて日本との差を子供心に感じたものです。あれから半世紀の時が流れ、輸入食品の専門店も珍しくなくなりました。欧米のみならず世界各国の食品がところ狭しと並ぶ光景は楽しいものです。そして思うのです。包装紙も瓶もラベルもデザインがきれいです。各国の歴史に根ざしたものなのでしょうか、チョコもワインも缶詰も「さりげなくにじみ出たデザイン」と言ったらいいのでしょうか、センスがあります。全体的に日本に比べれば簡易包装なのですが、なんか気が利いて味があります。日本と外国とのデザインの差は果たして縮まったのだろうか? 想像力、創造性、ユーモア、伝統、哲学、夢・・・ヨーロッパのチョコレートが並ぶ棚を見ながらふと子供の頃のチョコレート事情を思い出しました。
自然エネルギーへの小さな光
2012/03/05 世界に遅れをとっている日本の自然エネルギー政策。ソフトバンク傘下のSBエナジーがメガソーラーを4カ所につくり7月にも稼働させるとのニュースに小さな光を感じました。群馬県榛東村、京都市伏見区、徳島県小松島市と松茂町の4カ所に大規模太陽光発電の施設を作るとの発表です。ソフトバンクは全国に合計200メガワット規模の太陽光や風力など自然エネルギー発電施設を設置する計画を明らかにしていますが、今回の4カ所はその第一歩との事です。京都市の場合では発電出力4.2メガワットで年間発電量は一般家庭約1千世帯分の420万キロワット時となるそうですが、全国に数多くの設備を分散して安全なエネルギーをどんどんつくり出して欲しいものです。ソーラーシステムを始めとする自然エネルギーのシステムはまだまだ進化、合理化できる可能性が大いにあるので、効率化が加速的に進むのは見えています。10年前、20年前に国策としてやっていれば今頃は原発どころか火力さえ随分と減らせたのではないかと悔しい思いがしますが、とにかく日本の国情はいい方に随分と変わっていたに違いありません。そんな遅ればせの日本にあってソフトバンクの動きは光明です。どこを歩いても休閑地が目立つ日本。あふれるほどの地熱、海流もあれば、風もあります。まだまだ未知の再生可能エネルギーも見つかるはずです。まずメガソーラーが先陣を切って小さな光を放つ事がとても大きな第一歩になるだろうと期待が膨らみます。
韓国にも「緑の党」誕生
2012/03/04 福島第一原発事故以来、世界の多くの人々が原発に疑問を持ち、各国それぞれの状況の中で「脱原発」の動きが広がっています。1970年代に欧米諸国で始まった環境と平和への問題意識。社会運動として掲げるのはヒューマニズムの原点とも言えるテーマばかりです。反核、反原発、反戦、脱物質主義、エコロジー、社会的弱者の人権、フェミニズム・・・「グリーン」に象徴される自然保護と環境破壊への警鐘は1972年にオーストラリアから始まりフィンランド、ベルギー、オランダ、フランス、スウェーデン、イタリア、オーストリア、ドイツなど世界各国に「緑の党」が存在し隣国韓国にも4日誕生しました。2001年にオーストラリアのキャンベラで設立されたグローバルグリーンズ (Global Greens)は国際的な「緑の連帯」でその憲章には、「エコロジカルな知恵」「社会正義」「参加型デモクラシー」「非暴力」「持続可能性」「多様性に対する敬意」とあります。人類の未来にとって極めて重要なテーマのほとんどがこの中にあるのではないでしょうか。脱原発以外にもあらためていかなければならない大切な問題。「緑の風」が世界中をかけめぐり、「緑の人々」が1人でも増えれば世界は少しずつ正しい方向へと向かうに違いありません。
感謝と価値観
2012/03/03 深遠の森。孤高の山。見ているだけで、癒される風景があります。森の中に佇むと心も体も癒されます。目にやさしい緑と、草木の匂い。そして土の感触。自然はとても厳しいけれど無数の生き物が共存し、恵みを享受し、まさに「自然体」で生きている世界。いかなる科学でも再現できない想像を絶する無限の輪廻で構築された命の神秘。山があり川があり森があり平野があり日本国中どこを旅していてもこの国の自然のゆたかさには目をみはります。「もっと大切にしなければいけないな」と思うのは当然の心理です。もし砂漠だったら、もし川がなかったら、もし平野がなかったら、もし極寒だったら、もし灼熱だったら。世界には作物もできず漁も困難な国があります。侵略に苦しみ内戦が今なお続いている国もあります。厳しい自然環境に暮らす人々と比べれば感謝してもしきれない幸運が日本にはあります。たまたまそんな場所に生まれただけだけれど、そんな環境だからこそ持たなければ行けない感謝、持たなければ行けない価値観があると思うのです。1人1人がもっと人間的に、他者を思い他国をも考える、日本はそれだけのゆとりが生まれる条件が揃っている国だと思うのです。過剰なエゴイズムや短絡的な精神とはほど遠い恵まれた環境があると思うのです。
思う心は同じはず
2012/03/02 沖縄の限りなく透明な海に身を委ねていると「美しい自然」がいかに生物にとって大切で人間の命と精神にとって不可欠なものであるかがわかります。沖縄ほどではないけれどぐるりと日本列島、美しい海と砂浜があちこちにあって何と恵まれた島だろうと思います。いかに科学が発達しても作れないもの、無尽蔵な命を育む透明の海。汚したり埋め立てたり罰当たりな事を人間はずいぶんやってきたけど、自然の再生力はそれを超え、ずっと耐えてきました。今までは。愛媛の海、佐賀の海、島根の海、福井の海、石川の海、新潟の海、静岡の海、福島の海、青森の海、北海道の海。みんなきれいな海です。泳いだり海岸でぼーっとしたり魚を取ったりキャンプをしたり、たくさんの思い出があります。そんな素敵な海辺に危険な原発を54基もつくるなんて、自然環境に恵まれない国の人々が見れば「なんておろかな」と思うに違いありません。福島の事故で2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は東京電力発表の水量と濃度に基づけば330京ベクレルであるとウィキペディアに記されていますが、そのうちの数京ベクレルは海に放出されました。フランス放射線防護原子力安全研究所の報告書によれば東京電力福島第1原発事故で海洋に流出した放射性物質セシウム137の総量を約2・7京ベクレル(2万7千テラベクレル。京は兆の1万倍)報告書によると、これほどの量の放射性物質が海洋に流れ出たのは、過去に例がないと言っています。将来にわたって人間を含め自然界がどれだけの影響を受けるのかもわからない恐ろしさ。海や山や生き物が好きな人間なら思う心は同じだと思います。
あまりの対応、あまりの落差
2012/03/01 あの震災からもうすぐ1年。福島県内で避難生活を余儀なくされている人は約9万7千人。県外への避難を含めるとその実数は16万人を超えるそうですが、辛苦を極める被災者の人たちへの援助や補償は歯がゆく遅く不足しているのは日々のニュースを見ていてもわかります。これだけの事故に対しての補償額は数兆、数十兆単位になるだろうとはちょっと考えてもわかりますが、事故後10ヶ月で東電が支払ったのはたった3300億円だと言う報道もあって、その対応の遅さ、責任感のなさに怒りが湧きます。実生活と精神的負担の補償。除染だけでもどれだけの費用がかかるのだろうか、それより本当に広大な土地を除染しきれるのだろうか、きちっとした効果と除染土の処理はできるのだろうか、など疑問はいくつも浮かびます。そしてこの1年間に明らかになった原発産業の実態。とても民主国家だとは思えないお金の流れと独断そして閉鎖性。操業の見通しもたたない青森県六ヶ所村の「再処理工場」は2兆2000億の建設費、福井県の「高速増殖炉もんじゅ」は1兆810億円も投入したにもかかわらず稼働の見通しもたっていません。あきらかに無駄で危険な原発施設に費やされる巨額のお金が税金と電気料金に付加された国民の負担だと思うと、誰でもこれはおかしいと思うはずです。過去の政府と電力会社が国民を騙して暴走してきた原発にまつわる負の遺産を減らすためには直ちに全原発を廃炉にしても長い年月がかかります。それでも少なくとも同じ過ちを繰り返さない事だけは未来に向けてできることです。原発にまつわる理不尽で巨額のお金。そして当然補償されなければならない被災者のためのお金。実現性の少ない核燃料サイクルで使用するための核燃料の再処理にかかるコストは43兆円(04年10月、原子力委員会発表)だと言います。そしてまさにその原発所以の避難生活で困り果てている人がいるのに10ヶ月も経ってたった3300億円の補償しかしていないとしたら、それはあまりの落差、あまりの理不尽です。




5月の言葉
![]()
啓蒙と蒙昧
偏らない知識と感性を育てるのが教育の基本です
人々を啓蒙し真実を伝えるのがジャーナリズムの使命です
それは個人が尊重される民主主義であるならば当然のことです
民主主義の基盤はヒューマニズムです
他者を愛し環境や動物を愛する人間を育むことが教育の原点です
そのためには偏らない知識と感性が必要です
もし教育が偏ったり命令的になって
感性や個性を萎縮させるような気配が生まれたらそれは間違いです
もしジャーナリズムが真実を伝えず蒙昧になってしまったらそれはとても恐ろしい事です
個人の理性は暗闇の中に縮み、感性はひからび、思考は止まってしまいます
画一的なロボットのような人間ではなく
多様でヒューマニズムに根ざした人間を1人でも多くつくり出すために
教育もメディアもやさしくて楽しい啓蒙でなくてはなりません
そしてジャーナリズムは常に曇りなき事実を伝えなければなりません
![]()





