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文学 哲学 科学 先住民

 

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文学0102
<哲学1>

エピカルモス
Epicharmus of Kos,は古代ギリシアの劇作家、哲学者。エピカルオスが生きていたのは、おおよそ紀元前540年から紀元前450年までの100年間と信じられている。プラトンは『ゴルギアス』と『テアイテトス』の中でエピカルモスに言及し、『テアイテトス』の中ではソクラテスに、エピカルモスは喜劇の、そしてホメロスは悲劇の、それぞれの詩の第一人者と言わせている。「心は見、心は聞く。残りは目が見えず、耳が聞こえない。」「死すべき者(人間)は死なない(永遠の)思考ではなく、死すべき思考をするべきである。」

ソクラテス
紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスは、話し言葉、つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた。

デモクリトス
Demokritos(紀元前460年頃−紀元前370年頃)古代ギリシアの哲学者。トラキア地方のアブデラ(Abdera)の人。レウキッポスを師として原子論を確立した。〈原子〉は不生・不滅・無性質・分割不可能な無数の物質単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として〈空虚〉が前提とされる。無限の〈空虚〉の中では上も下もない。原子は無数あるが、あらゆるものに浸透して他を動かす「球形のものが火であり、魂である」とした。デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べた。


ディオゲネス
Diogenes、紀元前412年? - 紀元前323年)は古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。シノペ生れ。犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、「犬のディオゲネス」と言われた。また、大樽を住処にしていたので「樽のディオゲネス」とも言われた。ディオゲネスは「徳」が人生の目的であり、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考えた。そのため肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。


アンティステネス
(Antisthenes、紀元前444年 - 紀元前365年)は、アテネに生まれ、トラキア人の母を持つ、哲学におけるキュニコス派の祖として知られる哲学者である。弟子にディオゲネスがいる。マルクス・アウレリウスは『自省録』(2世紀後半)の中でアンティステネスを引用し、「善をなしながら粗末に生きることは素晴らしい」としている。

メリッソス
紀元前470年-?)は紀元前5世紀に活躍した古代ギリシアの哲学者であり、しばしばサモスのメリッソスと呼ばれる。メリッソスはイタイゲネスの子でサモス島出身と伝わる。彼はエレア派に属してパルメニデスに師事し、ただ「有るもの」のみ有り、有らぬものは有らぬのであって、そこを認識することのなかに真理があるという師の思想を継承した。


アリストテレス
Aristoteles、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人と見なされる。アリステレスは、「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)であることを前提とした上で、学問体系を「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」、「形而上学」、実践学を「政治学」、「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。


ヘラクレイデス
Heraclides Ponticus 、紀元前387年 - 紀元前312年)は古代ギリシャの哲学者である。地動説に近い概念の宇宙体系を考えた1人であるとされる。対話の形で残した哲学や数学などに関する考察を残し、それらはディオゲネス・ラエルティオスの著書に残されている。

エピクロス
Epikouros紀元前341年 − 紀元前270年)は、快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。 エピクロス派の始祖である。エピクロスの自然思想は、原子論者であったデモクリトスに負っている。つまりそれ以上分割できない粒子である原子と空虚から、世界が成り立つとする。

ヒッパルキア
Hipparchia)は、キュニコス派の哲学者で、紀元前325年頃に生きたテーバイのクラテスの妻。アテナイの通りで夫と同じ条件でキュニコス派的な貧困の暮らしをしたことで有名である。ヒッパルキアの名声は疑いなく、哲学を実践し、夫と同じ条件で人生を送った女性という事実によるものであろう。どちらも古代のギリシア・ローマでは珍しいことだった。

アルケシラオス
Arcesilaus, 紀元前316年/紀元前315年頃 - 紀元前241年/紀元前240年頃)は、ギリシャの哲学者で、中期アカデメイア派の創始者。最初に教えを受けたのは、数学者のピタネのアウトリュコスで、共にサルディス(Sardis)に移住した。それから修辞学を学ぶためにアテナイに行ったが、哲学に転じ、最初テオフラストゥスの、続いてクラントルの弟子となった。キケロは、アルケシラオスの教えは「彼は何も知らない、彼自身の無知さえも」という文句の中に要約されていると言っている。

アルケラオス
Archelaos)は、紀元前5世紀頃の古代ギリシアの哲学者である。アテナイまたはミレトスの人で、アナクサゴラスの弟子である。自然学をイオニアからアテナイにもたらした一人であるが、倫理学にも着手していたらしい。法律や美・正義などソクラテスと共通するテーマを論じたため、ソクラテスの師とも言われる。正しいことや醜いことは自然本来にはなく、法律や習慣によって生じる。

ガレノス
129年頃 - 200年頃)は、ローマ帝国時代のギリシアの医学者。臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした。彼の学説はその後ルネサンスまでの1500年以上にわたり、ヨーロッパの医学およびイスラームの医学において支配的なものとなった。

マルクス・トゥッリウス・キケロ
Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日 - 紀元前43年12月7日)は、共和政ローマ期の政治家、文筆家、哲学者である。キケロには多くの弁論、演説が現存する。なかでも反乱謀議のかどでカティリナを弾劾した元老院演説『カティリナ弾劾演説』は有名である。その他『国家論』『法律』『友情について』『老年について』『神々の本性について』『予言について』などがある。

ルキウス・アンナエウス・セネカ
Lucius Annaeus Seneca、紀元前1年頃 - 紀元後65年4月)は、ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年 - 紀元後68年)のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人である。幼少期はコルドバで過ごしたが、少なくともセネカが12〜13歳の頃までに父母と共にローマへ移住した。ローマで雄弁術や修辞学など基本的な教養を学んだ後、哲学を専攻。アレクサンドリア出身でプラトン哲学の流れを汲むソティオンや柱廊学派(ストア派)のアッタロスらに師事し、後のストア派哲学者としての素地を形成することとなった。

アレクサンドリアのテオン
Theon of Alexandria 、335年頃 - 405年頃)はギリシャの天文学者・数学者・哲学者で、アレクサンドリア図書館の最後の所長である。テオンの業績は364年にユークリッドの『原論』を編纂したことなどがある。ヘレニズムの学者の著作に注釈を加え、ユークリッドの著作やプトレマイオスのアルマゲストの『簡易表』やアラトスの詩に関するものがあった。

マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス
Marcus Porcius Cato Uticensis、 紀元前95年 - 紀元前46年4月)は共和政ローマ期の紀元前1世紀の政治家、哲学者である。高潔で実直、清廉潔白な人物として知られる。ガイウス・サッルスティウス・クリスプスは「生活の高潔さと厳格さが威厳を与えていた。資産家と財産を、権謀家と権力を争わずに、貞潔と禁欲を誰よりも重んじた。栄誉を求めなかったことで、より大きな栄誉がカトに付随してきた」とカトを評している。

ウッダカ・ラーマ・プッタ
古代インドの思想家で、釈迦が出家後に師事した人物の1人。彼は、非想非非想処の境地までを証得し、釈迦にこの境地を示すも、釈迦は即座にこの境地に至った。しかるに彼もアーラーラと同じく、彼の僧団を共に率いていこうと釈迦に要請するも、釈迦自身はこの境地もいまだ真の悟りを得る道ではないと感じ、去って自ら道を求めたという。

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス
(Gaius Plinius Secundus、22 / 23年 − 79年8月24日)は古代ローマの博物学者、政治家、軍人。ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら『博物誌』を著した。プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著「博物誌」である。この百科全書がとりあげている分野は、天文学、地理学、民族学、人類学、人体生理学、動物学、植物学、園芸、医学と医薬、鉱物学と冶金、美術にまでおよび、余談にも美術史上、貴重な話がふくまれている。


スミュルナのテオン
(Theon of Smyrna、70年頃 - 135年頃)はギリシャの哲学者、数学者、天文学者。数学に関する最初の部分は今日でいう数論の分野で奇数、偶数、素数、完全数、過剰数などについて述べている。音楽や和音の理論はピタゴラス学派の影響を強く受けている。


テュロスのポルピュリオス
234年 - 305年)はネオプラトニズムの哲学者。テュロス出身。彼は師プロティノスの唯一の著作『エンネアデス』を編纂・発表した。ポルピュリオスはピタゴラスと同様に、霊的・倫理的な根拠からベジタリアニズムの支持者であった。この二人はおそらく古典古代のもっとも有名なベジタリアンである。ポルピュリオスはまた、占星術、宗教、哲学、音楽理論といった広範な分野に関して著述している。

アウグスティヌス
Aurelius Augustinus、354年11月13日 - 430年8月28日)は、古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者、ラテン教父とよばれる一群の神学者たちの一人。アウグスティヌスはカトリック教会において「最大の教師」とも呼ばれ重要視される。ただし原罪と人間性の脆さ・弱さに関する教理、および恩寵の必須であることを巡っては、しばしば極端に走ったとも指摘される。

ヨハネス・ピロポノス
490年 - 570年)はキリスト教徒でアリストテレス哲学の注釈者。文法家ヨハネスあるいはアレクサンドリアのヨハネスとしても知られる。膨大な量の哲学的論文や神学的作品を書いた。精確で、時に論争好きな著述家にして生前論争を引き起こした独創的な思想家として、ヨハネス・ピロポノスはアリストテレス―ネオプラトニズム的伝統を破って出て、方法論を問い、自然科学における経験主義を導いた。アリストテレスの『自然学 (アリストテレス)』に対する彼の批判はピコ・デラ・ミランドラやガリレオ・ガリレイに大きな影響を与えた。

イシドールス
Saint Isidore of Seville、560年頃 − 636年4月4日)は、中世初期の神学者で、後期ラテン教父の中でも最も重要な神学者の一人であり、カトリックでは「インターネット利用者及びプログラマー」の守護聖人。 アラビア人が古代ギリシャ哲学の叡智に触れるはるか以前に、イシドールスはアリストテレスを同国人に紹介している。イシドールスはカトリックの同胞のために、一般的な知識を体系的に編纂した最初のキリスト教著述家であり、主著『語源』はまさに百科辞典的な、総合的な内容を持っている。

ペトルス・ダミアニ
Pietro Damiani、1007年 - 1072年2月21日)はイタリアの神学者。ベネディクト派修道会士で、11世紀にグレゴリウス7世と共に教会改革を推進した。枢機卿。カトリック教会の聖人であり、1823年には教会博士に宣言された。ペトルス・ダミアニは貧しい貴族の家の末子としてラヴェンナで生まれ、幼くして孤児になり、そのため貧困と窮乏のうちに青春期を過ごした。

ピエール・アベラール
Pierre Abelard 、1079年 - 1142年4月21日)は中世フランスの論理学者・キリスト教神学者。「唯名論」学派の創始者として知られ、後にトマス・アクィナスらによって集成されるスコラ学の基礎を築いたとされる。

ロバート・グロステスト
(Robert Grosseteste, 1175年? - 1253年10月9日)は、イングランド出身の神学者、科学者であり司教でもあった。オックスフォード大学における科学的思考スタイルの基礎を築き、ロジャー・ベーコンらに大きな影響を与えた。グロステストはサフォーク近郊で生まれ、オックスフォードで法学、医学、自然科学を学んだ。やがて、ヘレフォードの司教ウィリアム・デ・ヴェレの知己を得、司教職を得たいと考えたが、彼の死によって現世的な栄達を捨て学問の世界に身を投じた。


ガンのヘンリクス
Henricus Gandavensis or Henricus de Gandavo 1217年頃 − 1293年)は、「謹厳博士」として知られるスコラ哲学者。ガン(ガンダヴォ、ヘント)周辺のmudeという地域の出身。トゥルネー(もしくはパリ)にて没。1274年にトマス・アクィナスが没してから14世紀初めにドゥンス・スコトゥスが登場するまで彼が主導的なアウグスティヌス主義者であった。ヘンリクスの真偽判断基準は今日科学において一般的に受け入れられているものを凌いでいる。アリストテレスの『分析論後書』に強く依拠して、「第一に確かでなければならない、つまり、疑義の余地がないものでなければならない。第二に、必要なものでなければならない。第三に、知性にとって明らかである原因によって生まれるものでなければならない。第四に、三段論法のような推論過程によって物体に適用できなければいけない」という条件を彼は要求した。


ウィテロ
Erazmus Ciolek Witeloは、13世紀ポーランドの修道士、神学者、物理学者、自然哲学者、数学者である。Perspectivaには、プラトンの形而上学についての議論も含まれている。ウィテロは、知性と肉体は因果律で繋がれており、神の放つ光の形で神から生じると主張した。ウィテロにとっては、光そのものが全ての実在の始まりであった。

オッカムのウィリアム
William of Ockham、1285年 - 1347年 )は、フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者、哲学者。通例オッカムとのみ言及されるが、これは下記のように姓ではなく出身地で呼んだものである。哲学や科学における節約の原理「オッカムの剃刀」の提唱者として知られている。オッカムの神論は個人的啓示と信仰のみに基づいていた(彼は信仰と理性が矛盾しないという考えを支持していた)。科学のみが発見の方法であり、科学のみが神を唯一の存在論的必然物とみなすことができると彼は信じていた。

ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス
(Johannes Duns Scotus 1266年? - 1308年11月8日)中世ヨーロッパの神学者・哲学者。トマス・アクィナス後のスコラ学の正統な継承者。アリストテレスに通じ、その思想の徹底的な緻密さから「精妙博士」(Doctor Subtilis)といわれたフランシスコ会士。

アナクサゴラス
Anaxagoras、紀元前500年頃 - 紀元前428年頃)は、古代ギリシアの自然哲学者。彼は、物体は限りなく分割されうるとし、この無限に小さく、無限に多く、最も微小な構成要素を、「スペルマタ」(spermata、種子の意味)と呼んだ。

エンペドクレス
(Empedocles、紀元前490年頃 − 紀元前430年頃)は、古代ギリシアの自然哲学者、医者、詩人、政治家。「ひとりの知者も見いだせない」と語る人に対してこう答えた。「もっともだ、知者を見いだすには、まずその人自身が知者でなければならないからね」

プロディコス
Prodicus of Ceos紀元前465年頃 - 紀元前415年)は、古代ギリシアの哲学者。ソフィストの第一世代にあたる。プロディコスの見解は、仲間のソフィスト同様にヒューマニズムであり、自然主義の枠組みを通して宗教を解釈した。「原始人は自分を育む自然の恵みに感動して、神々または神格を擬人化したものが見つかることを信じている、というのが彼の理論である。

プラトン
Platon、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。初期のプラトンは、「敬虔」や「勇気」といった古代ギリシアの伝統的な徳とは何か、それは教えられるものかどうか、といったことを探求したが、著書の中では直接答えは与えられず、最後には行き詰まり(アポリア)に至る。技術的に教え得ない知識を自分も深め、人に勧告するには「魂の気づかい」(エピメレイア・テース・プシュケース)が必要であるが、この意味は理念的な徳の内的理解に向けての精神の教育ということであり、その目的は、眼に見えぬ理念の理解を通じて善のイデアという最高存在にまで精神の射程が及ぶことである。

メガラのエウクレイデス
紀元前400年頃のギリシャのソクラテス学派の哲学者で、メガラ学派の創設者。エウクレイデスの哲学はエレア派とソクラテスの概念を統合したものだった。エウクレイデスはエレア派の「万物の本源」をソクラテスの「善の実相」を同一視し、それを「道理」「神」「心」「知恵」と呼んだ。エウクレイデスは非=存在は存在の種になることなく存在しえず(すなわち、もはや非=存在ではない)、存在の本質は善ゆえに、善の反対のものは存在できない、と主張した。

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ゼノン (エレア派)
Zenon、 紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)は、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人。ゼノンのパラドックスを唱えたことで有名。〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。これこそゼノンがパルメニデスから継承した命題であり、レウキッポスに影響を与えた。

エウブリデス
紀元前4世紀ごろ)はミレトス出身のメガラ学派の哲学者で、メガラのエウクレイデスの弟子である。様々なパラドックスを考案したことで知られている。エウブリデスは、メガラ学派の創始者メガラのエウクレイデスの弟子である。アリストテレスと同時代に生き、アリストテレスについてはかなり辛辣なことを書いている「一粒の砂は砂山ではない。もう一粒の砂を加えても砂山と呼ぶには十分ではない。果たして砂を何粒集めたら砂山といえるだろうか。」

テオプラストス
Theophrastus、紀元前371年 − 紀元前287年)は古代ギリシアのレスボス島生まれの哲学者、博物学者、植物学者である。彼は植物学の祖とも呼ばれており、アリストテレスの同僚で、友人で、逍遙学派の主要人物の一人であった。テオプラストスは兄弟弟子のロドスのエウデモスと共にアリストテレスの学説を敷衍・校正し、アリストテレスの論理学を改良した。彼らは様相概念を研究し、可能を偶然と区別するなど可能の概念を明確化した。

ピュロン
(Pyrrho、紀元前360年頃 - 紀元前270年頃)は古代ギリシャ、エリス出身の哲学者であり、古代の最初の懐疑論者として知られており、アイネシデモスによって紀元前1世紀に創始されたピュロン主義の起源として知られている。知者は次のように自問しなければならないと言う。第一は、どのような事物が、どのように構成されているのか。次に、どのように我々は事物と関係しているのか。最後に、どのように我々は事物と関係するべきか。

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テーバイのクラテス
Crates of Thebes, 生没年未詳)は、紀元前325年頃が全盛のキュニコス派の哲学者。クラテスはアテナイの通りで貧困の生活を送るべく、自分の財産を投げ捨てた。同じ生き方をしたヒッパルキアと結婚した。クラテスの哲学は穏便で、豊かなユーモアが詰まっていた。クラテスは人々に食事ではレンズマメ以外は好まないようにと訴えた。贅沢と浪費は都市の扇動や暴動の主要な原因だったからである[3]。「私が哲学者になったら、私に何がありますか?」と尋ねた男にクラテスは答えた。「ちょうど今、君が麻痺した手でするように、もじもじしたり、躊躇したり、震えたりする代わりに、その手で簡単に財布を開き、その中身を気前よく分け与えることができるようになる」


ボリュステネスのビオン
紀元前325年頃 - 紀元前250年頃)は、ギリシャの哲学者。奴隷として売られた後、解放され、アテナイに移り、そこで学べるだけの哲学の学派を学んだ。キュニコス派的なスタイルの著書『非難』では、人間の愚かさを風刺したばかりか、神をも攻撃した。貧困と哲学を賞賛する一方で、神々・音楽家・幾何学者・占星術師・金持ちを攻撃し、祈りの有効性を否定した。ビオンは犯罪を慎むために欲望を抑えたソクラテスを軽蔑し、神の存在を信じなかった。「ケチは富を所有しているのではなく、富に所有されている。」「良き奴隷は実は自由、悪い自由人は実は奴隷。」


クリュシッポス
Chrysippus of Soli, 紀元前280年頃 - 紀元前207年頃)は古代ギリシアの哲学者。クレアンテースの弟子で、その跡を継いでストア派の学頭となった。クリュシッポスは、徳が魂の本質で、徳・魂・肉体は密接に関連していると考えて、健全な状態では、その3つすべてが共存するために、調和が必要だと教えた。さらに、高貴さは獲得されるべきものだと主張し、生まれからもたらされる個々の地位・遺産を否定した。「ロゴス(世界の道理)は、自然と社会によって形作られる。」

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メニッポス
Menippus)は、紀元前3世紀のギリシャのキュニコス派、風刺家。メニッポスは散文と韻文を混ぜて書いたというが、その作品はすべて失われている。深刻なテーマを嘲笑の精神で論じ、とくにエピクロス主義とストア派を攻撃して楽しみ、ストラボンとビュザンティオンのステパノスはメニッポスのことをSpoudaiogeloion(まじめな道化師)」と呼んだ。

アレクサンドリアのフィロン
Philon Alexandrinus、紀元前20/30年? - 紀元後40/45年?)は、ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝時期にアレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者。豊かなギリシア哲学の知識をユダヤ教思想の解釈に初めて適用した。フィロンは旧約聖書を注解するのに比喩的解釈を多用した。また、ギリシア思想に由来するロゴスやイデア論の概念をユダヤ教思想の理解に初めて取り込んだ。

ニギディウス・フィグルス
(Publius Nigidius Figulus 、紀元前98年頃−紀元前45年)は、共和制ローマ後期の学者で、紀元前58年にはプラエトルであった。彼はキケローの友人で、カティリナの陰謀の折にはキケローに助力している。キケローによれば、ニギディウスは数学、天文学、占星術を含むピタゴラス主義の教義やギリシア・ローマ世界の魔法の秘密奥義を復活させようとし、ある程度成功した。彼はオクタウィアヌス、後のアウグストゥスの偉大さをその誕生日に予言したと言われている。

ポセイドニオス
Poseidonios of Rhodes、紀元前135年頃 - 紀元前51年)はギリシャのストア派の哲学者、政治家、天文学者、地理学者、歴史家、教師である。その時代の最高の万能の知識人であった。膨大な著作をおこなったが現在はその断片しか伝わっていない。キケロによれば、ポセイドニオスは太陽や月や惑星の位置をしめす器具(現在アンティキティラ島の機械と呼ばれる装置か、その原型になったものと想像される)を組み立てたとされる。

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アーラーラ・カーラーマ
古代インドの思想家で、釈迦が出家後に師事した人物の1人。南伝仏教の文献によると、釈迦は出家直後に道を求めんとして、彼のもとを訪れ「空無辺処」の教えを聞いて、間もなくその境地を証得した。彼は釈迦が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子の300人を共に率いていくことを要請した。しかし釈迦はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、彼のもとを去って次にウッダカ・ラーマ・プッタのもとへ行ったという。


カナーダ
(Kanada)は、ヒンドゥー教の聖人で、ヴァイシェーシカ学派を創始した哲学者である。2原子分子Dvyanukaと3原子分子Tryanukaについて言及した。多くの人は、カナーダは原子論の概念の考案者であると信じている。彼が手に食物を持って歩いていた時にこの説を閃いたという話も伝えられている。彼は手の中の食物を齧って小片を遠くに投げた時に、彼はこれ以上細かく食物を分けることはできず、それ以上分割不可能な物体が存在するというアイデアに至ったとされる。彼はこの分割不可能な物体を'Anu'即ち原子と呼んだ。


クレオメデス
Cleomedes、1世紀頃、生没年不明)はギリシャの天文学者、ストア派の哲学者である。『天体の回転運動について』という天文学書の著者である。2巻の著書は、天文学の基礎を著したものである。著述の目的は科学的な目的というより、哲学上のものであるようで、エピクロス派の宇宙論にたいする批判に多くがさかれている。月食が地球の影によるものであり、地球が球体であることを示すとしている。恒星の大きさは太陽より大きく、太陽からみると地球が非常に小さい星であるとした。この著書はまた紀元前3世紀にエラトステネスが地球の周長を計ったという有名な話が初めてかかれている本である。

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マルクス・アウレリウス・アントニヌ
Marcus Aurelius Antoninus 121年4月26日 - 180年3月17日)は、第16代ローマ皇帝。ネルウァ=アントニヌス朝では第五代皇帝。ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ・トラヤヌス・ハドリアヌス・アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である「自省録」への評価を通じて今日も維持されている。これはプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。


ヒュパティア
Hypatia、370年?- 415年3月)は、古代エジプトの著名な女性の数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者である。「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」とか「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」という彼女のものであると考えられている言動は、当時のキリスト教徒を激怒させた。四旬節のある日、総司教キュリロスの部下である修道士たちは、馬車で学園に向かっていたヒュパティアを馬車から引きずりおろし、教会に連れ込んだあと、彼女を裸にして、カキの貝殻で、生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ落として殺害した。


ティルヴァッルヴァル
南インドの詩人、思想家。タミル文学において最も著名な詩人で、5世紀か6世紀の人物とされる。名前は「聖なるヴァッルヴァル」を意味し、ヴァッルヴァルはカーストの一つであるパライヤ( paraiya )のサブグループ名を指す。そのため単にヴァッルヴァルとも呼ばれる。『ティルックラル』はタミル地方の人々に愛好され、インド国内をはじめ30以上の言語に訳され、ティルヴァッルヴァルを讃える歌集『ティルヴァッルヴァマーライ』も作られた。

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ファザーリ
(Abu abdallah Muhammad ibn Ibrahim al-Fazari、没年は796年か806年)は8世紀のペルシャ(現イラン)の哲学者、数学者、天文学者。7世紀のインドのブラーマグプタの数学書、天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』をクブ・イブン・タリク(Ya?q?b ibn ??riq)とともにアラビア語に翻訳し、この文献は『シンドヒンド』(Sindhind)と呼ばれた。インドの数学、天文学の成果がイスラーム世界にもたらされるきっかけとなり、この成果は天文表として普及することになる。

アンセルムス
(Anselmus Cantuariensis, 1033年 -1109年4月21日)は中世ヨーロッパの神学者、かつ哲学者であり、1093年から亡くなるまで カンタベリー大司教の座にあった。カトリック教会で聖人。アンセルムスは初めて理性的、学術的に神を把握しようと努めた人であり、それゆえ一般的に、彼を始めとして興隆する中世の学術形態「スコラ学の父」と呼ばれる。

バースのアデラード
Adelard of Bath、1080年頃 − 1152年頃)は12世紀イングランドの自然哲学者で、自身の著作の他に、占星術、天文学、哲学、数学などの古代ギリシア語で書かれアラビア語に訳された作品やもともとアラビア語で書かれた作品をラテン語へ翻訳したことで知られる。彼自身の著作は彼が自由七科(文法学、修辞学、論理学、数学、幾何学、音楽学、天文学)に対して真摯な情熱を抱いていたことを示すが、『自然学に関する問い』にみられる彼の記述は彼が物理学、自然学、そしてあるいは形而上学に対してより包括的な献身を行っていたことを示す。

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ロジャー・ベーコン
(Roger Bacon、1214年 - 1294年)は、「驚嘆的博士」(Doctor Mirabilis)とよばれた13世紀イギリスの哲学者。カトリック司祭で、当時としては珍しく理論だけでなく経験知や実験観察を重視したので近代科学の先駆者といわれる。ベーコンが師と仰いだのはマハルクリア・ピカルドゥスのペトルスなる人物であった。おそらくこれは『磁気書簡(デー・マグネーテー)』という著作で知られる数学者ペトルス・ペレグリヌスのことであると考えられている。彼の『大著作』では数学、光学、化学に関する記述が含まれ、宇宙の規模についてまで言及されている。さらに驚くべきことにベーコンは後世において顕微鏡、望遠鏡、飛行機や蒸気船が発明されることまで予想している。


トマス・アクィナス
Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年3月7日)は、中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者。永久法とは、この宇宙を支配する神の理念であり、そのうち、理性的被造物たる人間が分有しているものが、自然法である。そして、自然法のうち、人間が何らかの効用のために特殊的に規定するものが人定法であり、人間がより強く永久法に与れるように、神から補助的に与えられたものが神定法である。

ラモン・リュイ
Raimundus Lullus、ラテン語名のライムンドゥス・ルルスでも知られる。1232年 − 1315年6月29日)は、マジョルカ人の著述家、哲学者。1200年代末から1300年代初頭にかけて、文字列を生成する機械仕掛け(日本では、「ルルスの円盤」等と呼ばれる)によって世界の真理を得る術(ルルスの術、アルス・マグナ)を考案する。ガリヴァー旅行記のラピュータで出てくる「言葉が現れる機械」はこれに着想を得たものとする説がある。

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