シューベルト
human nature

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科学010203
<先住民1>

<北極圏>

アレウト族
Aleut)は、アラスカとカムチャツカの間にあるアリューシャン列島の先住民族である。自身の名称はウナンガンUnanga)。狩猟、武器の作成、ボートの組み立て、織物はアレウトの伝統的工芸の一つである。アレウトの祖先は氷河期に北東アジアから渡ってきたとされる。17世紀までに主にアザラシやラッコ漁で約25,000人が暮らし、大いに栄えた。

エスキモー
Eskimo)は、北極圏のシベリア極東部・アラスカ・カナダ北部・グリーンランドに至るまでのツンドラ地帯に住む先住民族グループである。雪や氷で造ったイグルー等に居住し、魚や海獣を捕って生計をたて、カヤックやイヌぞりによる移動生活を送る、というのが一般的なエスキモーの生活とされており、現在でも定住せずに移動生活をする者もいる。

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イヌピアト
(Inupiat) は、アラスカ州北部北極海沿岸地域に住む先住民族である。イヌピアト(イヌピアク)は彼らの自称で、「真の人間」という意味である。彼らの多くは、狩猟・漁業・捕鯨で生計を立てている。しかし近年では、原油などの鉱業の比率も増えている。

イヌイット
(Inuit) は、カナダ北部などの氷雪地帯に住む先住民族のエスキモー系諸民族の1つで、人種的には日本人と同じモンゴロイドである。エスキモー最大の民族である。カナダ北海岸の諸州であるユーコン準州、北西準州、ヌナヴト準州、ケベック州、ニューファンドランド州、アメリカ合衆国のアラスカ州、デンマーク領のグリーンランドに住む。

ユピク
Yup'ik) は、アラスカ州西南部のベーリング海沿岸地域や、ベーリング海を挟んだロシア極東最東部のチュクチ自治管区にかけて住む先住民族である。エスキモーを大きく分けた2つの民族のうち片方で、もう片方はイヌイットである。


<亜北極圏>

アトナ
(Ahtena=ice people)はアメリカ州の先住民族でアサバスカ語族に属する。 アラスカ州コッパー川の流域に住んでいる。

アティカメク
アメリカ州の先住民族でケベック州のセントモーリス谷に住む。アティカメクという名前は直訳すると「白い魚」で、AtikamekwあるいはAttikamekw、と綴る。現在の彼らの人口は約4500人を数える。農耕、漁業、採集の文化を持つ。

キャリアー
Carrier)はカナダ・インディアン部族のディネ族の一つで、ブリティッシュコロンビア州の中央内部に住んでいる。キャリアーというのは、彼らのセカニ名であるDakelh(ボートであちこちへ行く人々の意)を翻訳したもので、彼らは自身を「ダケル」(Dakelh、もしくは複数形でDakelhne)と名乗る。

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チペワイアン
Chipewyan)はカナダに住むインディアン部族、ディネ族のひとつである。マニトバ州やノースウェスト準州を含むハドソン湾周辺の北極圏地域に住んでいる。アルバータ州やサスカチュワン州に居住するグループもいる。

チルコーティン
Tsilkotin)は、カナダ・ブリティッシュコロンビア州内陸部に住む民族。 複数箇所の居留地に居住しており、人口は約3000人。

クリー
(Cree)は、北アメリカにおける先住民族、ファースト・ネーションの最大部族の一つ。カナダには主にオンタリオ州のスペリオル湖の北部・西部を中心に、マニトバ州、サスカチュワン州、アルバータ州、ノースウェスト準州、ケベック州に20万人が居住している。

グウィッチン
グウィッチン(Gwich'in)は、クッチン(Kutchin)とも言われるインディアン部族。アラスカからカナダにかけて先住するアサバスカ系語族で、彼らは現在カナダのユーコン准州および、アラスカ州北部の15の小さな村に、およそ7,000人程住んでいる。カナダでは彼らの共同体はファーストネーションと呼ばれている。

ハイダ族
(Haida)は主にカナダ・ブリティッシュコロンビア州に居住する先住民族(ファーストネーション)。一部はアメリカ合衆国アラスカ州にも居住区がある。ハイダ族の芸術と村落が残るスカン・グアイはユネスコ世界遺産に登録されている。その北にはグアイ・ハアナス国立公園もカナダ国定史跡として設けられている。

ディネ
Dene)とは、ナ・ディネ語族の南北アサバスカ語族を話す人達の自称である。「ヘアー・インディアン」(Dene)は、カナダの北西部の極北地帯から南西部にかけて先住するアサバスカ諸語を話す狩猟民である。

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ニスガ族
Nisga'a)は、カナダ太平洋岸、ブリティッシュコロンビア州北部のナス川流域に暮らす先住民。民族や一族の歴史、伝説、昔話、チーフなどの人物伝を伝えるためのトーテムポールを彫るカナダ太平洋岸先住民のひとつ。

オジブワ
(Ojibwa)は、アメリカ合衆国及びカナダの先住民族(インディアン)の部族である。アメリカ合衆国ではチェロキー族、ナヴァホ族に次いで3番目、北米全体でもクリー族に次いで4番目に大きい人口を持つ。チペワ族(Chippewa)としても知られる。

タギシュ
(Tagish)はアメリカ州の先住民族の一つで、アサバスカ語系ファースト・ネーション。 カナダ・ユーコン準州のタギシュ湖やマーシュ湖近辺に居住している。 太平洋岸地区からのトリンギット族との結婚も進み、タギシュ語はほぼ絶滅に近い。

トリンギット
Tlingitはインディアン部族の一つで、アラスカ、カナダの先住民族。アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビア、ユーコン川流域の太平洋沿岸の海と山に挟まれた環境に住み、発達した母系の狩猟採集社会を構築していた。


<北米>

アシニボイン
(Assiniboine)とはアメリカ北部からカナダ南部にかけて先住するインディアン部族である。「アシニボイン」は、チッペワ族の言葉で「熱した石で調理をする者たち」という意味。元々はダコタ・スー族に属していたが17世紀に関係が悪くなり、ダコタ族から分裂して逃げるようにモンタナ州北東部やカナダに移動して行った。

スー族
Sioux)はアメリカ合衆国北部中西部に先住するインディアン部族である、ダコタ族、ラコタ族、およびナコタ族の総称。「スー族」はアメリカ大平原に住む3氏族からなる部族連合であり、この部族連合ではそれぞれ「ラコタ語」、「ダコタ語」、「ナコタ語」という3つの方言が話される。アルゴンキン語族に属し、紀元前4000年頃にオハイオ州のオハイオ川流域でスー族が結成されたとされる。

カド
(Caddo)、またはカドーは、16世紀に現在の東テキサス、ルイジアナ州西部、アーカンソー州とオクラホマ州の南部に居住した、アメリカ南部インディアン(w:Southeastern tribes)のネーション、または部族の集団である。今日カドは、彼らの首都、オクラホマ州ビンジャーに集中して住んでおり、カド諸語の方言は単一の言語に収束している。

チカソー
Chickkasaw) は、アメリカ合衆国のインディアンの人々である。彼らの口伝の歴史によれば、部族はもともとミシシッピ川の西側に住んでいたが、ヨーロッパ人との最初の接触より前には東へ移動し、ミシシッピ川の東側に居住した。

クロウ族
Crow)とは北米大陸に住むインディアン部族。正式名は「アプサロケ族」(Absaroka、またはApsa´alooke)で、これは彼らの言葉で「カラスの人々」を意味する。かつてのクロウ族は、基本的に男は平原に出てバッファロー狩りをし、女は草の根や木の実などの採集をして暮らした。

クリー
(Cree)は、北アメリカにおける先住民族、ファースト・ネーションの最大部族の一つ。カナダには主にオンタリオ州のスペリオル湖の北部・西部を中心に、マニトバ州、サスカチュワン州、アルバータ州、ノースウェスト準州、ケベック州に20万人が居住している。

カイオワ
(Kiowa)とはアメリカ合衆国に先住するインディアン部族のひとつ。 「カイオワ」は、彼らの言葉で「優れし者たち」という意味。ブラックヒルズ近辺を領土としていた平原インディアンで、18世紀に西進してきたスー族によって、南部大平原へ追いやられた。現在も、ブラックヒルズのベアビュートは、カイオワ族にとって聖山である。

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MHA
MHA (Mandan, Hidatsa, and Arikara Nation) はインディアン部族の「マンダン族」、「ヒダーツァ族」、「アリカラ族」の近親三部族からなる自治体で、ノースダコタ州の「フォートベルトホールド保留地」にあり、「ミズーリ三大提携部族」と呼ばれる。

ヒダーツァ
(Hidatsa)とは、アメリカ合衆国ノースダコタ州の北部平原地帯に定住するインディアン部族である。「ヒダーツァ」は「ヤナギ」の意味。ヒダーツァ族の住居はアース・ロッジと呼ばれる土屋根の巨大なドーム型住居だった。 結合していたクロウ族から分離し、ミズーリ川の上の方に移動し、複数の農村を結成していた。

オマハ族
(Omaha) とはアメリカ中西部ネブラスカ州に先住するアメリカ・インディアン部族である。ネブラスカ州最大の町オマハはオマハ族から因んでいる。「オマハ」は、「風(または流れ)に立ち向かう者たち」という意味。「マハ族」ともいう。かつてのオマハ族は馬を駆り、狩猟と略奪をおこなう典型的な平原部族で、冬場は土屋根のアース・ロッジ(小屋)に、そして夏にはティピーで暮らしていた。

ウィチタ族
Wichita)はアメリカインディアン部族。カドー語族のウィチタ語を話した。19世紀にはアメリカ南部でもっとも人口の多い部族であった。「ウィチタ」は彼らの言葉で「人間」という意味。ウィチタは、顔と体に入れられた線と円の入れ墨で知られている。彼らは、目の回りに入れた入れ墨から、自らを「アライグマの目をした人」と呼んだ。

アパラチー
Apalachee)は、現在のアメリカ合衆国フロリダ州アパラチー郡に住んでいたインディアン部族。西暦1100年頃、アパラチー族はミシシッピ文化の影響を受けたフロリダの文化であるフォート・ウォルトン文化の一部であった現在のアパラチー郡で、農耕文化を築いていた。

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チェロキー
Cherokee))はインディアン部族。
「チェロキー」の語源はチョクトー族が交易に用いた単語で、「山(または洞窟)に住むもの」を意味する「Cha-La-Kee」、またはクリーク族の言葉で「判り難い言葉を話す人たち」の意とされる。16世紀、ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の東部から南東部にかけ、ミシシッピ川流域に住んでいた。

チョクトー
(Choctaw) 族は、もともとマスコギ語族の、米国南東部(ミシシッピ州、アラバマ州、ルイジアナ州)のインディアン部族である。チョクトー族は、ジャガイモ飢饉の間、飢饉の救援を提供したことによる寛大さでも有名である。

コウシャッタ
(Koasati)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州に先住するアメリカインディアン部族である。コウシャッタ族は伝統的に農耕民族であり、トウモロコシなどの栽培と併せ、狩猟採集を行っていた。カゴ製品の技術にも長けている。

ナチェズ
(Natchez)とはかつてアメリカ南部ミシシッピ州、ルイジアナ州のミシシッピ川下流域のナチェズ・ブラフ(Natchez Bluff)地方を中心に定住していたインディアン部族のひとつ。ナチェズ族は、ミシシッピ下流域の丘陵に祭祀センターを中心に村落を結成して定住していた。広義のミシシッピ文化のプラケメン文化に属し、エメラルド・マウンド(Emerald Mound)などの祭祀センターを築いていた。

モソペレア
Mosopelea、はかつてアメリカに定住していたアメリカ先住民族である。オフォ族とも呼ばれるモソペレア族は、アルゴンキン語族のスー族系に属していたとされる。アーカンソー州やミシシッピ州に定住していたが、オハイオ州南東部から1673年頃に移動したとされる。20世紀初頭に両方とも絶滅してしまったとされる。

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セミノール
(Seminole)は、もともとはフロリダ州のインディアンで、現在はその州とオクラホマ州に住んでいる。合衆国の2000年の国勢調査で, 12,431名の人々が人種的には単にインディアンで唯一セミノール部族に属していると報告されている。

パパゴ
Papagoとはアメリカインディアン部族のひとつ。アメリカ合衆国南西からメキシコ北西にかけて広がるソノラ砂漠が、元来の生活地。「パパゴ」の由来は、「パパ(豆)」+「オオタム(人々)」で、「豆の人々」という意味をコンキスタドールが採用したもの。そのためパパゴの多くはこれを拒絶し、代わりに「トホノ・オ=オダム」(Tohono O'odham、砂漠の民)という自称が用いられることが次第に増えてきている。

プエブロ
(Pueblo)は、メキシコ北部とアメリカ合衆国南西部、特にニューメキシコ州やアリゾナ州に残るインディアンの伝統的な共同体、集落を指し、またそこに住むインディアン(Pueblo People, またはpueblos)を集合的に呼んだ言葉。現在およそ35,000人のプエブロ・インディアンがいる。

パムンキー
(Pamunkey)とはアメリカ合衆国バージニア州に定住するアメリカインディアンの部族である。アルゴンキン語族を話しているためアルゴンキン諸族に属する。森で狩りをしたり、トウモロコシなどの農作物を栽培したりして暮らしていた。また陶器なども造る。パムンキー族はバージニア州のタイドウォーター(Tidewate)沿岸の平野に定住していた。

<北米>

ヤヒ
Yahi)とはアメリカのカリフォルニア州にかつて定住していたインディアン部族である。「ヤヒ」は、彼らの言葉で「人々」の意。1849年頃カリフォルニアの鉱山地区はゴールドラッシュの最中にあり、インディアンの土地が白人たちによって強奪されていった。

パサマクォディ
Passamaquoddy、とは北米大陸に定住するインディアン部族。「パサマクォディ」は「カキを採る人々」という意味。アメリカ東部メイン州を中心にカナダのニューブランズウィック州の森林及び山林地帯に定住する。

ピクォート
Pequot、とはアメリカ合衆国のコネチカット州のインディアン部族の一つ。イギリスから来た清教徒の入植者はピクォート族が住む近くに入植してきた。最初は平和な条約を結び、品物交換などしたりして平和に共存していたが、入植者はピクォート族が住むテリトリーにさらに入植していった。

プースタパック
Poospatuckとは北米のインディアン部族である。アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドの南海岸に定住し、現在、ニューヨーク州サフォーク郡のロングアイランドにプースパチュック保留地(Reservation)がある。2000年の調査で保留地の人口は271人だった。

ポウハタン
Powhatan、は、アメリカインディアンの部族名である。またポウハタン族と連携した強力な合議制部族連邦の名前でもある。ポウハタン族はバージニア海岸地域の瀑布線から東に住んでいる。丈夫な木の枝を柱に、イグサおよび樹皮で覆った(ウィグワム)を家屋にして小さな集落に分かれていた。

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ソーク族
Sauk)は、インディアン部族(アメリカの先住民族)のひとつである。正式には「アサキワキ族(黄色い大地の人々)」といい、これがなまって「サキ族(saki)」、「サック族(sac)」、「ソーク族」などと呼ばれている。
*ソーク族の格言
私の前を歩くな、私が従うとは限らない。
私の後を歩くな、私が導くとは限らない。
私と共に歩け、私たちはひとつなのだから。

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レナペ
Lenni-Lenape )あるいはデラウェア族(Delaware)とは、アメリカ・インディアン部族である。「レナペ」は彼らの言葉で「真の人間」という意味。生き残った者はイギリス及びイギリスから独立したアメリカ政府のさらなる領地拡大により、西部に移動させられた。部族の多くの者はチェロキー族の連合に入り、独立した部族をなんとか保っていた。

ショーニー族
(Shawano)とは、北米のインディアン部族である。彼らはもともととオハイオ州、ウエストバージニア州、ケンタッキー州、ペンシルベニア州およびメリーランド州西部の地域に居住していた。今日、ショーニーネーションの大部分はまだオクラホマに居住している。

サスケハノック
Susquehannock、とはアメリカインディアンである。部族名のサスケハノックはアルゴンキン語の「サスケハナ」(Susquehanna="濁った川")に由来している。またコネストーガ族などとも呼ばれる。1608年イギリスの探検家ジョン・スミスがアメリカメリーランド州チェサピーク湾を訪れた時に、そこで2,000人ほどが暮らすサスケハノック族の村を発見及び遭遇した。スミスは彼らの体格を見た時、「巨人のようだった」と語っている。

イロコイ連邦*
Iroquois Confederacyは、北アメリカ・ニューヨーク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダにまたがって保留地を領有する、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である。

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モホーク族
Mohawkとはインディアン(北アメリカの先住民族)の部族である。狩猟をし、トウモロコシやカボチャや豆を耕す農耕民族で 樹皮張りの長屋に住居していたため、「ロングハウスの人々」を意味したホーデノショーニー(Haudenosaunee)とも言われた。

プースタパック
Poospatuck、とは北米のインディアン部族である。アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドの南海岸に定住し、現在、ニューヨーク州サフォーク郡のロングアイランドにプースパチュック保留地(Reservation)がある。2000年の調査で保留地の人口は271人だった。

ワンパノアグ
Wampanoag、とはアメリカのニューイングランドのマサチューセッツ州南東部に住むインディアン部族である。2000年現在のの人口統計では2336人となっている。他部族のインディアンや白人、黒人との混血者も多い。ワンパノアグ族の名は、「白人によるワンパノアグ族虐殺の歴史を忘れるな」との標語の下、白人にとって輝かしい記念の日である「ピルグリムファーザーズの上陸記念感謝祭」に対して同日にぶつけて行われる抗議運動、「全米哀悼の日」でも有名である。

ワッピンガー
Wappinger、とはアメリカ合衆国ニューヨーク周辺を領土としていたインディアン部族である。同州にワッピンガー族から名付いたワッピンガー町がある。1730年には数百人程度となった。19世紀に、残ったそれらの少数は条約でウィスコンシン州の土地に住み着いた。現在、ウィスコンシン州やニューヨーク州、ロードアイランド州に少数がコミュニティーを維持している。

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キカプー
(Kickapoo)は、アルゴンキン語族系のアメリカインディアン部族のひとつで、壮大な移住の歴史を持つ。キカプーはもともと五大湖周辺のミシガン州のエリアにいた。ソーク族(Sauk)やフォックス族(Fox)と共通の起源を持つ。現在アメリカ合衆国には、カンザス州キカプー(the Kickapoo of Kansas)、オクラホマ州キカプー(the Kickapoo of Oklahoma)、テキサス州キカプー伝統部族(the Kickapoo Traditional Tribe of Texas)の、3つの認定部族が残っている。メキシコのコアウイラ州にもうひとつの一団がいて、アリゾナ州にも、現在連邦政府認定を求めている大きな集団がいる。

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ネズ・パース
アメリカのアイダホ州を中心に、ワシントン州、オレゴン州北東部、モンタナ州などのロッキー山脈付近のコロンビア高原の高原地帯に定住し、ネ・ペルセ国立歴史公園(Nez Perce National Historical Park) 内に住み、幾つか保留地(Reservation)がある。

スコーコミッシュ
Skokomish、とはアメリカ・インディアン部族である。アメリカ合衆国ワシントン州西部のメイソン郡オリンピック半島の木が生い茂るスコーコミッシュ川沿いにあるフットカナルの保留地(Reservation)に定住している。農業や漁業(鮭は部族の主な主産物である)などをしなが暮らし、セイリッシュ語系のトァナ話を話す部族である。

マカ族
Makahアメリカインディアンの部族である。彼ら自身は「クェネトチェチャト(岬の人)」と自称する。アメリカの太平洋の北西海岸、ワシントン州のオリンピック半島に定住し、アルゴンキン語族のワカシ語族に属するマカ語を話す。現在、マカ語は長老など高齢の人しか話せないが、最近ではマカ族の若者が祖先代々の言語を維持するよう努力している。

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アラパホ
Arapahoe)は、北アメリカに先住するインディアン部族である。元々はミシシッピ川より東部、ミネソタ州北部のレッドリバーバレー流域の森林地帯でトウモロコシやカボチャ、豆などを栽培しながら暮らしていたが、白人入植の影響で、18世紀にそこから南西に移動し、ノースダコタ州及びサウスダコタ州の平原地帯を領域とした。

シャイアン族
Cheyenne)とは、アメリカ合衆国のインディアン部族の一つ。ワイオミング州の州都シャイアンはシャイアン族に因んでいる。もともと、今で言うワイオミング州からコロラド州までの平原地帯を領域とし、ティピーを使ってバッファローなど野生動物を追う、移動型の狩猟生活を営んでいた典型的な平原の騎馬民族である。

コマンチェ
Comanche)は、歴史的にコマンチェリアと呼ばれる範囲に住んでいたインディアン部族である。その範囲は、現在のニューメキシコ州東部、コロラド州南部、カンザス州南部、オクラホマ州全域、テキサス州の北部と南部の大部分にわたる。コマンチで最も偉大な指導者は、コマンチと白人女との混血のクアナ酋長である。母の姓をつけ「クアナ・パーカー」と呼ばれるが、クアナはこの白人の呼び名を非常に嫌い、「クアナ(薫り高いという意味)」とのみ自称した。

カランカワ
(Karankawa)は、現在絶滅したアメリカ合衆国のインディアン部族で、初期のテキサス州の歴史において登場する。カランカワという言葉は、一般的に共通の方言と文化を持つ、このテキサスのインディアン部族の集団を指す。

アパッチ族
(Apache)は、6つの文化的に関連のあるアメリカ・インディアン部族の総称。もともとアパッチは、南部大平原でバッファローなどを狩る平原部族だったが、コマンチ族の南下によって徐々に南西部へ追いやられ、リパン・アパッチと、カイオワ族と同盟を組んだカイオワ・アパッチのみが平原部に残り、あとの支族は乾燥したアリゾナ州の南東域とメキシコ南西域を移動する略奪部族となった。

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マンダン
(Mandan) とは北米大陸のインディアン部族である。1837年の天然痘による壊滅前までは、「人間」という意味の「ヌマカキ」、または「メチュタハンケ」と自称した。「マンダン」と併せ、ダコタ・スー族の言葉で「マワタニ」とも呼ばれる。かつてのマンダン族の生活は、厳しい冬場に備えてトウモロコシを中心とした農作物を栽培し、男は平原でバッファロー狩りをするというものだった。

オジブワ
(Ojibwa)は、アメリカ合衆国及びカナダの先住民族(インディアン)の部族である。アメリカ合衆国ではチェロキー族、ナヴァホ族に次いで3番目、北米全体でもクリー族に次いで4番目に大きい人口を持つ。チペワ族(Chippewa)としても知られる。10万人ほどがアメリカ合衆国のミシガン州からウィスコンシン州、ミネソタ州、モンタナ州にかけての北部に居住し、約76,000人ほどがカナダのオンタリオ州からブリティッシュコロンビア州に居住する。

ポンカ
(Ponca)、またはポンカラ族とは北米大陸の北部平原地方に先住するインディアン部族である。現在2500人ほどがアメリカ合衆国のネブラスカ州とオクラホマ州に定住している。オクラホマ州には同族名から因んだポンカ市がある。

アラバマ族
Albaamaha)は、アメリカ南東部のインディアン部族。アラバマ語は、アラバマ族と文化を共有していたクリーク族(ムスコギー族)とチョクトー族の言語でもあるマスコギ語族のひとつ。彼らはクリーク連合のメンバーである。アラバマ族の本土はアラバマ川上流にある。

アタカパ
(Attacapan)は、アメリカ南東部文化の複数のインディアン部族の連合体で、メキシコ湾沿岸に住む部族の共通言語を持つ。「イシャク(Ishak)」とも名乗り、これは「人間」という意味である。彼らが支配した領域はテキサス州のトリニティ川とガルヴェストン湾から、ルイジアナ州のバイユー・テシュとヴァーミリオン湾まで広がる。彼らは小さな獲物を狩り、魚類、根、液果類、貝類を食し、作物も植えた。

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チカホミニ
(Chickahominy Tribe)、またはチッカホミニー族とはアメリカ合衆国東部バージニア州に定住するインディアンの部族で、チカホミニとは部族言葉で「COARSE POUND CORN PEOPLE」(粗い地上のトウモロコシの人々)を意味する。略称は、CIED。

クリーク族
Creek)とは、アメリカ南東部に先住するインディアン部族。本来はマスコギー(マスコギ、またはムスコギー)(Muscogee/Muskogee)と自称する。彼らの伝統的なスペルでは"Mvskoke"である。初期の歴史上のクリーク族は、おそらくテネシー川流域のミシシッピ文化(Mississippian culture)の末裔で、ジョージア南部のウティナヒカ(Utinahica)に関連していた。

ラムビー
Lumbee)とはアメリカ合衆国ノースカロライナ州に定住し、バージニア州にも定住するアメリカインディアンの部族で、アメリカ東部では9番目に多い最大の部族の一つでもある。ノースカロライナ州の森林地帯に定住し、森で狩猟や農業などして暮らしていた。ロブソン郡沿いを流れるカンバー川とも呼ばれるラムビー川は部族名に由来している。

チェロエンホカ
(Cheroenhaka)、またはノットウェイ族(Nottoway)、ノッタウェイ族(Nottaway)とはアメリカ合衆国のバージニア州などに先住するインディアン部族である。「ノットウェイ」は、アルゴンキン語で「まむし」という意味。彼ら自身の自称は「チェロエンホカ」で、これは「流れの分岐点」という意味。

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ホピ族
(Hopi)は、アメリカ・インディアンの部族のひとつ。「ホピ」とは彼らの言葉で「平和の民」という意味である。主にアリゾナ州北部の6,000km2の保留地(Reservation)に住んでいる。彼らの保留地はナバホ族の保留地に周囲を囲まれている。西方のサンフランシスコピークの近くの聖なる山に住んでいる、「カチナ」という数百に上る精霊群を守護とする。

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