霜月/十一月/NOVEMBER/無関係なものなどどこにもなくて
善きことは、カタツムリの速度で動く-マハトマ・ガンジー しかしその場所は福島第一原発から32キロ。震災翌日から16万人の原発難民の一人となった。秋山さんは語ります。「生活基盤を失って始めて紛争地帯やチェルノブイリ原発などで接した難民たちへの想像力が足りなかった」「私自身が他人の不安や悲しみに共感せずにいた。特に若い世代に、きちんと向き合ってこなかった自分に気づいた」・・・ 「私は今、東京電力と、それにつながる者への怒りと恨みをエネルギーに生きている。たとえ怒りが原動力でも次世代に伝えるべきことを伝える仕事をしたい。おかしいと感じた時に声を上げる想像力が少しでも教え子らの身につけば、と思う」昨年11月から京都造形大学で教える秋山さんは言います。科学や政治の専門家と名乗るものたちの口先三寸にあまりにも無批判であった結果が福島第一原発の事故です。愛情の反対語は憎悪ではなく「無関心」だと秋山さんが言う通り、無関心は憎悪にも増して始末の悪いものです。 もし政治家と言われる職業に就いているなら、放射能汚染で故郷を追われた被災者、今なお汚染地域で暮らす子供たちの事が心配で脳裏から離れないはずです。浅薄な権力闘争としか見えない選挙運動などやる気も起こらないはずです。ガンジーの言葉に「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」とありますが、環境省ウェブサイトによれば2008年の犬猫の殺処分数は27万6,212頭。ドイツが殺処分ゼロと言うのはよく知られていますが、差がありすぎます。脱原発に対する意識の差も同じですが、結局は人間とは何であるのかと言う「哲学の差」ではないのかと思うのです。そして善き方向に進むための速度はカタツムリで十分だとも思います。
「オリーブの木」構想 原発はあらゆる意味で日本の今も、将来に大しても悪影響しかない事が分かっているのに「脱原発」を信念を持って明確に意思表示しないような党や人間に賛同する事はあまりにも愚かです。今現在も原発事故にともなう責任は果たされていず、それでも補償や除染に投じられている費用は巨大なものです。原発は人の生活や心のみでなく、国家財政をも危うくする「最悪最大の不良債権」です。 多くの人が原発の真実に気づき、反対の風潮は育ちつつありますが、どうしても原発を維持したい強大な権力はあらゆる手を使って延命を計っています。お金にものを言わせ新聞、テレビを使ったプロパガンダ、反省のない御用学者も思慮の足りない知識人の言動も後を絶たず、一人一人がしっかりと事実を見極める作業はまだまだ必要です。今回の選挙の重要な3つのテーマ。 1.真摯に原発を廃止するという意思。2.格差社会の是正。3.TPPへの反対。これだけはチェックしたいものです。経済大国日本がなぜ今のような殺伐とした社会、ゆとりのない社会になったのかの原因は、国民一人一人のある種の無関心、自分の身の回りのことしか考えない、考えれない人間が増えた事にあると思います。「オリーブの木」は平和の象徴で英知を意味する木です。政党だけでなく国民一人一人がオリーブの木のもとにゆるやかに集結するような時が来るよう一人一人が思いと行動を続けて行きたいものです。
電力社員と兼業99議員 二重報酬の議員の所得は2千万円前後だそうですが、呆れます。「この99人の社員議員のうち90人の資金管理団体や後援会が、労組のつくる政治団体から10年までの3年間で総額6億円の献金を受けていた」原発が生み出すエネルギーの源はウランとお金です。ウランが燃えて放射能を出し、お金が燃えて人の心を汚染する最悪の装置だとあらためて思います。原発を止めればこの日本の悪の大元はダメージを受けます。原発に真摯に反対する党と候補者に一票、脱原発のパフォーマンスに騙されない一票が大切だと心から思います。
原発も政治家選びも同じ過ちを繰り返さないために 自民党は延命し、聖域なき構造改革は大企業を潤わせ、社会的弱者はますます追いやられる結果となったのはその後で明らかです。小泉劇場の後始末に安倍、福田、麻生の三氏は対応できず民主党への政権交代となったのですが、長年の自民党支配と小泉政権のもたらした社会的歪みは大きく深く、民主党がどれだけ踏ん張ろうが2年や3年では回復する事はとても無理です。 日本の命取りになるような原発を54基もつくって来たのも自民党なら大企業ありきの規制緩和で膨大な数の小規模企業や店舗を倒産、閉店に追い込んだのも自民党です。地方を無力化したのも、非正規雇用を蔓延させ都市に働く若者を追い込んだのも自民党です。 日本社会の根底を危うくしている教育や福祉の問題を先見の明なく進めて来たのも自民党です。そんな自民党に追随して来た公明党。自民党ではないけれど同じ穴のムジナの石原氏や橋下氏の言動には胸が悪くなりますが、彼らは大企業、あるいはアメリカの権力象徴である巨大な多国籍企業の戦略に対して国民を守る意識があるとはとても思えません。 多くの国民が危惧し懸命に訴え続けている脱原発すら彼らは上の空で、状況を見て口先だけで合わせている姿勢は本当に下劣です。民主党がいいとは言えませんが、少なくとも今回の選挙は、1.真剣に原発を止める意思のある人間、2.真剣に格差社会を無くそうとする人間、3.TPPの危険性を熟知している人間の3つの条件を持たない人間には絶対投票しない決意が必要です。国政と言う舞台を我欲や個人的願望で使われては迷惑すぎますし、短絡的な思考は必ず巨大権力に悪用されます。同じ過ちを繰り返さないために、一人一人がこの国の過去をおさらいする必要があると思うのです。
懐かしい名前もあるけれど・・・1950年あたりからの各国の大統領や首相 ドイツは1.コンラート・アデナウアー、2.ルートヴィヒ・エアハルト、3.クルト・ゲオルク・キージンガー、4.ヴィリー・ブラント、5.ヘルムート・シュミット、6.ヘルムート・コール、7.ゲアハルト・シュレーダー、8.アンゲラ・メルケルと「8人」
日本の政治と国の行方 政治に対する閉塞感が国民の方向性を誤らせるということですか? 日本は国策として原発に集中し、ほかの選択肢を排除した。CはCare(介護)。市場に任せるのではなく、社会による介護自給圏を形成すれば北欧諸国のように強力な産業になる」 神隠しされた街、政治家なら想像力と心を持て 多くの人は三日たてば帰れると思って ストロンチウム90 半減期 29年 私たちの神隠しはきょうかもしれない 長い詩からの抜粋ですが、原発の持つ怖さを強烈に言い表しています。福島の原発事故はまだ何も終わっていません、心ない政治家が夏場だけだと黙認し、再稼働させた大飯原発もまだ止まっていません。もし人間としての想像力があるなら、とても出来る事ではないでしょう。口先だけの脱原発を選挙目当てに掲げる党もありますが、恥ずべき事です。せめて18年前に若松さんの詩の意味を理解し感じ取れていたなら、「福島原発事故」は起こらなかった!のです。
やさしさと強さとユーモア、日本の精神 人間は永遠に生きられるのではないかと錯覚させるほど変わらず生き抜いた森光子さん。2012年11月10日永眠。「日曜洋画劇場」でいい映画を多数紹介して日本人を啓蒙しつづけた淀川長治さんが1998年、14年前に亡くなった時に感じた寂しさを思い出します。視聴率を安易に取れるアクションなどの映画中心のプログラムに対して、淀川さんが「よい映画」を紹介する機会がめっきり減ったと嘆いた気持ち。1989年に松田優作さんが急死した時の何とも言えないショック。 2008年に筑紫哲也さんが死の直前に「NEWS23」スタッフへ病床から送った手紙には『近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。ひとつの「論」の専制が起きる時、失なわれるのは自由の気風。そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。』と書かれていたそうです。 インテリジェントな笑いと味のある演技が素敵だったハナ 肇さんは1993年、いかりや長介さんは2004年に、谷 啓さんも2010年に、若い頃から好きだった小林桂樹さんも同年亡くなり、日本の精神とも言える火が次々と消えて寂しいかぎりです。2011年に原田芳雄さんが去り、大滝秀治さんも亡くなって、日本の精神は希薄になりそうだけれど彼らの作品と生き様は彼らと直に関わった人たちと作品を通して若い世代の、一部かも知れないけど浸透しているのだと思います。そしてそれは間違いなく日本の良さ、日本人の良さであると思うのです。
原発事故。残された動物たちの無念 ブログを見て協力を申し出てくれた人たちと一ヶ月あまり牛の救助に奮闘した結果助ける事が出来なかった牛たち。絶望する太田さんにしばらくして3頭の牛が近所の牧場に紛れ込んで生き延びていたとの知らせがありました。その牧場は警戒区域の全家畜を殺処分すると言う国の指示に逆らって飼育を続けている牧場だと言う事です。 記事の最後に太田さんは「個人の力はちいさいけれど、何もできないわけではない。命をいただきながら生きている私たちだからこそ、餓死という最もつらい死に方をさせてはいけないと思うのです」と語っています。 原発事故は多くの人の暮らしを奪い絶望から自殺した人まで出してしまったけれど、この牛舎の牛たちや他の多くの家畜をも無惨な死へと追いやりました。全ての国民が「チクショー」と思わなければならない事故ですし、危険な原発を嘘と権力でまかり通して来た国や電力会社に「チクショー」と怒りをぶつけなければいけないと思います。
小さな命と大きな自然、愛らしい哲学者たち カイ・ファガーストロムさんはそんな廃屋にすみ着く動物たちを10年がかりで観察し、。キツネ、リス、アナグマ、ネズミ、フクロウなどを根気よくカメラに収めました。何とも愛らしい動物たちの表情です。そして思います。大自然と対峙する時、小さなリスもキツネもネズミも全て哲学者であること。自然を顧みない時、人間は動物以下の生き物になってしまうこと。人が住まなくなった家には「小さな哲学者たち」がのんびりと暮らしています。 自然エネルギーの圧倒的な可能性 日本が位置する地理的環境から得られる恵まれた自然エネルギー資源はまさにエネルギーの宝庫と言ってもいいほどのものです。光、風、水、地熱のエネルギーに加えて、潮流が走る海があります。原発建設に投じた資金を自然エネルギー開発にまわしていれば今頃は国内の豊かさだけではなく、世界の貧しい国に多大な援助と先進国のあり方を明示することが出来たはずです。 黒潮を利用した発電実用化に邁進する沖縄科学技術大学教授の新竹さんは「直径80メートルのプロペラ300台で原発1基分」の発電を試算していますが、自然エネルギーの多岐に渡る分野で研究開発費さえ国が援助すればすでに実用化されていたものは少なくないと感じます。国はむしろ原発を推進するためにそれらを無視したり、あるいは妨害さえしてきた感があります。本当に馬鹿げた事です。 恵まれた自然と日本の経済力、科学力を合致させれば世界随一の自然エネルギー大国になる事は確実です。40年前に、せめて10年前にでも原発の本質に気づき方向転換していたならと忸怩たる思いはあります。それでも未来のために過去の反省、清算をし国策を転換しなければ未来は暗澹たるものになります。 身につまされる詩 その思いに共鳴して、言葉にできるのが詩人なのです」・・・本当に共感できる言葉です。京都大学の小出さんのように科学者ではあるけれど、その生き方、心根は詩人であり、音楽家であり、画家そのものだと思う人もいます。存在することの意義。現代日本の「畏れを知らぬ退廃」に対してどれだけの人が目覚めるか。一人一人の自覚と連鎖以外にこの退廃は止めれないと思うのです。
暴力と非暴力、政治家や企業を見抜く目 江戸時代の悪代官ではありませんが、その構図はずっと続いています。原発のような最新科学技術の結晶(実際は不完全な湯沸かし装置ですが)のような世界でも原発立地の人々の分断や買収のために暴力は使われていて、原発に反対する人間は当然ですが非暴力です。正しい事をすれば暴力やいやがらせにさらされ、悪い連中は変な言い方ですが、暴力に守られている。・・・ 暴力とはお金でやり取りされる次元の低いものです。それを無関係を装いながら下請けや孫請けを通して使う資本家や政治家がいるとしたら当然彼らは低次元の人間よりさらに野蛮な人間です。そしてそのような構図がなければ成立しないものは明らかにその本質において間違ったものなのだと思います。 真実を知れば誰も望まないもの、誰もが危惧するもの、逆にそれが分かっていて一部の人間、一部の権力者があらゆる矛盾を踏み倒してでも利用したいもの。原発とはそういうものだと思います。民主的な人々、人間的な人々は暴力を否定します。当然、独断や強権も否定します。 愚かで凡庸な人間が権力を握った結果起こった過去の惨憺たる歴史を分かっているからです。もともとそのような人間が権力を握れるのはその社会を動かす巨大なバックボーンである資本家の手先になっているからに他なりません。それをあたかも権力と戦っているように見せる小手先はすぐに看破できるはずです。 社会の多数を占めるはずの民主的な人々の側に立つなら、大企業を優先したり、原発再稼働を容認したり、弱者に対して圧力をかける事など到底出来ないはずです。権力者側に組する限り、暴言、失言もまかり通ると言うスタンス、民主的な勢力からは決して暴力は受けないと言う計算。逆を考えればすぐに分かりますが、正しい声を民主的にあげている人がいやがらせや暴力にさらされた例はいくつもあります。政治家を選ぶための指針。 その政治家に独断性はないか?権力側か民衆側か?文化的なものを経済の犠牲にしないか?グローバルな世界を浸食する多国籍企業に動かされていないか?常に平和と社会的弱者への救済を心に持っているか?現実的な計算力や駆け引きの能力を是正する精神性、科学性や芸術性を兼ね備えているか?などなど政治家を判断する材料は無数にあります。そしてそれは企業の姿勢に対しても当てはまる事です。誰でも戦争は否定します。どんな小さな暴力も否定したいはずです。平和とすべての人が共存できる世界のための、民主主義の小さな第一歩が政治家を選ぶ民衆一人一人の眼力です。
全てはつながっていて・・・動物をいたわる心と人間をいたわる心 動物の殺処分「ゼロ」と言うドイツらしい政策です。日本での動物の殺処分はNPO法人 地球生物会議 ALIVE「全国動物行政アンケート結果報告書」(平成22年度版)によると21万3,607匹に上ると言います。恐ろしい数です。行政の意識、市民の意識の両方が悪い方に相まってこのような残酷な数字になっているのでしょうが、同じ先進国を自認するならとても恥ずかしい話です。 人口350万人、153の博物館、50を超える劇場、1,000を超える映画やテレビ番組製作関連の企業と270を超える映画館、135,327人の学生が31の大学やカレッジで学ぶ街。市域の3分の1は森林、公園、庭園、河川や湖で構成されている大都市ベルリン。文化的なエッセンスをことごとく無くしつつある大阪や東京とはあまりの違いです。ドイツには殺処分場は1つもありません。 その代わりに里親探しのための「動物の家」というシェルターが、500を超えて作られていると言います。犬猫に限らず、馬や鳥、豚、ウサギ、蛇など沢山の種類がいて動物の家に保護され暮らしている動物たちに「滞在の期限」もないとのこと。700もの動物保護団体、活動する会員は80万人。世界で最も多い残飯、世界一ではないかもしれないけど、20万匹以上の動物を殺処分する日本。いじめ、自殺、原発、無関心、虐待などの無慈悲な事件・・・全てはつながっているような気がします。
太陽にあふれているのだから、それを使うのは当然です 欧州では10年前に導入された再生エネルギーの固定価格買い取り制度は日本では今年始まったばかりです。自然エネルギーの利用環境においてはイタリアにひけを取らない日本が、原発ありきの政策の中で、自然エネルギーの普及を妨害して来た事実には情けない思いが募ります。 世界の有識者へのアンケートにより1992年から毎年発表されている「環境危機時計」の針は昨年から22分進んで9時23分で、人類が危ないとされる12時まで刻々と近づいています。 同時に行われたアンケートで原子力政策に対しては「見直すべき」32%「依存度を減らすべき」32%「廃絶すべき」23%で原発に距離を置く意見が80%に達し、地球環境問題の取り組みの障害になっているものは?の質問には82%が人間の欲望による「経済利益の追求」との回答です。これは88カ国、1096人の有識者の意見ですが、環境や原発問題に関しては事実を知った多くの人が危機意識を持っているのですが、正確な情報がテレビ、新聞など、影響力の強いメディアではかなり消極的にしか流されないのが残念です。 ニュースに限りませんが、世界の情報をゴールデンタイムにもし流せたら、国民意識は相当変わると思うのですが、日本のテレビ番組の実態はほど遠いものです。日本の先を見るためにも世界の国の現状を知る事はとても大切な事だと思うのですが。
食の安全、命の危険、モラルの崩壊 広大な農場に大量に散布される農薬、遺伝子組み換え作物の不気味さ。大企業が無機質に展開する養鶏工場、養豚工場の実態。工場式農業や畜産など営利のためなら何でもやる、と言う非人間的な現場の映像には屠殺される生き物のみならずそこで働く労働者すらも虐待とも言える扱いを受けていて、映画を見れば「これは明らかに間違っているし、未来がますます危ない」と誰もが思うはずです。 利潤のみを追求する巨大企業の権力は役人はおろか大統領をも牛耳って貧しい人をますます圧迫、圧殺する事で巨大な利益を膨らまし続けるあり様は、日本の原発企業にも通ずるものがありますが、彼らの最終目的はいったいなんなのだろう?とあれこれ考えてしまいます。 単なる利潤目的にしてはやる事があまりにも残酷と言うか悪魔的だからです。TPPをはじめ食による世界戦略としかいいようのない現状は人類にどんな結果をもたらすのだろうと恐ろしくなりますが、まず現実を知るためにこのようなドキュメンタリー映画は本当に貴重だと思います。 他にマリー=モニク・ロバンが監督した2008年のドキュメンタリー映画『モンサントの不自然な食べもの』とかオーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べ方』と言う映画もあります。日本は食料自給率が低いわりには、世界で最も残飯を出している国です。金額に換算すると、11兆1000億円にもなるそうです。この現実がエネルギー消費とも関係しているのは当然です。 いのちの食べかた「公式ウェブサイト」 フランスのジャーナリスト、マリー=モニク・ロバンは、取材で世界各国を飛び回る日々を送っていた。行く先々で耳にする巨大多国籍企業「モンサント社」の黒い噂。その真偽を確かめるために、インターネットを使って情報を集め、アメリカ、インド、パラグアイ、イギリスなど現地に赴き、3年間にわたり証言を集めていった。本作は、「モンサント社」の1世紀にわたる歴史を語ると共に、現在のモンサントとその主張を、多くの証言と機密文書によって検証していく。 「1ドルたりとも、儲けを失ってはならない」、その企業体質は、はたしてどんな犠牲を私たちに強いるのだろうか。そして、不利と分かりながら、巨大企業と対峙する学者や農家、多くの証言者たちの生きるための闘いは、わたしたちの闘いでもある。 監督:マリー=モニク・ロバン
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施政者には品性、品格、正義がなければならない 上記は明治学院大教授の高橋源一郎さんが、朝日新聞の論壇時評に「方舟の針路人任せにしない」と題したコラムの中の文章です。原発事故後のこの国のあり方、故郷を失った悲しみと怒りから井戸川町長の中に目覚めたヒューマニズムが言わしめた言葉で、まさに民主主義とはなんであるかの答えだと思います。 野田氏、阿部氏、石原氏、橋下氏・・・マスコミへの露出度が高い政治家ですが、品性、品格、正義などとはほど遠い感じがします。この小さな日本に、この不安定な地震多発国に、54基もの原発を造ってしまった現実が隠蔽や偽りの中で行われて来たことに対する怒りと隠蔽を可能にさせてきた反省を国民一人一人が行い、もう政治家や企業家の勝手にはさせないと言う強い意思をそれぞれが自覚して発揮して行かなければ、更なる過ちや危険にこの国が陥るのは目に見えています。 原発問題はまさに民主主義復活の第一歩だと思います。他に矛盾や理不尽に満ちた社会問題が山とあります。誰の身の回りにも小さな理不尽はあると思います。会社、家庭、地域、公共の場などあらゆるところに矛盾や不公平はあって、そのほとんどが無関心や見て見ぬふりでやり過ごすことが習い性のようになっている人も多いのではないでしょうか。たまに立ち止まり、たまには考え、たまには手を差し伸べる努力。世の中の大きな問題を解決するためには一人一人が出来ることを自覚し自分自身に「正しい負荷」をかける事が不可欠ではないかと井戸川町長の言葉に接してあらためて思うのです。
好きなもの、嫌いなものいろいろあるけど どんなに好奇心が旺盛でもどんなに優秀な頭脳であったとしても一人の人間が知り得る事、ましてや出来る事は全体のごくごく一部でである事は間違いの無い事実です。それでも思うのです。人間の命に関わる事、自然界の存続に関する事、例えば戦争とか環境破壊とか飢餓とかを好しとする人間はいないだろうと思います。だろうと言ったのは実際はそのような人間が何故か存在するからです。でもほとんどの人間はそうではないはずです。戦争が起これば好きな事どころではありませんし、核爆発が起こってもそれは同じです。地球温暖化で極地の氷が溶けても好きな事どころではありません。 でも自然災害と違ってそれらは人間の行為によるものですから、当然人間が防ぐ事もできます。一部の狂気とも思える人間が悪魔的な思考にかられたとしても、圧倒的に多い普通の人間が一人一人命や環境に関わる事には関心を持って、出来れば少し情熱を持って対処して行けば、その力は抗えない自然の力のごとく大きくなるのではないかと思うのです。他者に対する小さな関心と小さなやさしさを持つ事。自分のことしか考えられない小さなエゴイズムを少しでも消して行く事が出来たなら、消した部分には他者や自然界の無数の要素が入り込むはずです。世の中には好きな事、嫌いな事がいろいろあるけれど、直接自分の命や未来の命に関わることだけは、全ての人がそれぞれ関心を持って関わって行かなくてはならないのではないでしょうか。
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今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。