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日馬富士 公平(本名・ダワーニャミーン・ビャンバドルジ)さんの思い
2012/09/24  軽量の身体で小気味いい相撲を取り続けて来た日馬富士が2場所連続全勝優勝で第70代の横綱昇進を確実なものにし、会見で亡き父への思いを語りました「優勝するより、出世するより、正しい生き方をしていることを父は喜ぶと思う」相撲の取り組みにも柔和な顔立ちにもその心根がにじみ出ています。かっての日本人の多くは日馬富士のように「何よりもまず、いい生き方、正しい生き方をしたい」と思い、親もまた「何よりもまず健康でいい人間になって欲しい」と望み育てたはずです。経済がゆたかになり、経済的理由で学業を断念せざる得ないようなことも減り、知識を得ることも何かを目指すことも自由度は大きく上がっているはずなのに何故に精神的貧困とでもいいたいような風潮になっているのかと考えるとやはりまず根源的な人間哲学「正しい生き方をしたい」と言うようなものが希薄になってしまったからではないかと思えるのです。

原発事故でより鮮明になった政治家や学者のモラルの低さ。現実の法に抵触さえしなければ何をやってもいいんだと言わんばかりの野蛮性。法は自らの中にあるのだと言うインテリジェンスの基本さえ出来ていない人間が多すぎます。ましてやそれが人を導き人を助けなければならない教育者や弁護士の中にも少なからず存在し、そんな人間が政治世界にまで侵蝕する現状には危険を感じます。政治は決して早急であってはいけない、何故なら人間も社会もそんな簡単なものではないからです。粘り強く一進一退を繰り返しながら向上させなければならないもの、それが政治です。でなければ争いや迫害や圧迫が顕著になり絶対悪である戦争にすらつながる恐れさえあります。日馬富士の言葉「優勝するより、出世するより、正しい生き方をしていることを父は喜ぶと思う」の中には驕りとか自己撞着とか独断とか偏狭とかを一掃するだけの真理があります。そしてその精神こそが低迷する日本を再生させるための最大の要素だと思うのです。


ネット上にちょっと目を走らせれば
2012/09/23  ネット上に目を走らせれば幾つかの気になる記事が毎日でています「年間被ばく20ミリシーベルト以上、60万人にも(中日新聞)」「福島のクリから基準値超セシウム 県が収穫自粛要請(福島民友)」「福島原発3号機プールに鉄骨落下 冷却システムに影響なし(共同通信)」「アイナメから1350ベクレル 福島原発20キロの海域(共同通信)」柏崎刈羽原発:「原発再稼働やめて」 東電説明会で反発続出 /新潟(毎日新聞)」「自治体が主催し脱原発講演会 30日に美里(朝日新聞)」「除染後も暫定値越え 一関市・奥州市(朝日新聞)」・・・原発事故から一年半が経って放射能問題がますます深刻になるだろうことは誰にでも想像がつきます。ウクライナやベラルーシで20数年間住民を診察しデータを取り続けて来た医者たちが危惧する低線量被曝の影響も徐々に明らかにされつつあります。

世界中の全ての医者や科学者が口を揃えて言うことは「どんなに低レベルであろうと放射線は浴びない方がいい」「被曝の影響に関してはまだ未知な部分が多いから決して油断してはいけない」などの警告です。それにひきかえ日本政府の対応は、まるで対岸の火事のごとく悠長なもので、本当に国民を守る気持ちがあるのだろうか?未来をしょって立つ子供たちを大切に思う気持ちがあるのだろうか?と首を傾げざる得ません。御用学者がどれだけいい加減なことを言おうが、真実は必ず現れます。ただその時に手遅れになった対応を悔やもうが猛省しようが取りかえしのつかないことです。想像力もなく、命への尊厳もなく、我欲だけで短絡的な自己目的にのみ終始する政治家や学者。科学や医学は一体何のために培われて来たのかさえ見失ってしまった人たちに未来をまかせてしまえば、同じ過ちを繰り返すことは目に見えています。未来がそうならないよう、1人1人ができることをやらなければそれは彼ら心を無くした人間と共犯になってしまいます。


風評被害をなくすためにも放射性物質の測定データ表示「納得して買って」
2012/09/22  仙台市で野菜や蜂蜜、焼き菓子などを放射性物質を測定した上で販売するお店が消費者に好評だそうです。お店の代表は「数値を知って自分がどのレベルのものを食べるか決めてほしい」と話します。福島原発の事故で膨大な放射性物質が全国にまき散らされたことは周知の事実で、国民の多くは原発を止めれなかった責任からある程度の汚染食品は食べる覚悟を決めていると思います。ただし影響の大きい子供たちには可能な限り食べさしたくないという思いも共通なはずです。しかし現実の食品流通の実態はどう見てもきめ細かく検査されているとは言えません。影響が大きいはずの海産物ですら検査はほとんどされていず消費者の不安は増大し防御することへの無力感も漂います。そんな中の仙台での小さな話題ですが、キログラム当たり10ベクレルとか5ベクレルの表示がきちんとされていれば安心感と言うか納得感があります。不検出とか基準値以下の表示で出回る商品を見ても、安心感がないのは原発問題での国と電力会社の隠蔽体質をいやと言うほど見せつけられて来たからです。

きちんと解明しなければならないことをうやむやにして被害を拡大する。因果関係を曖昧にするために時間を間延びさせてまたしても被害を拡大する。5年、10年、20年後と時間が経てば病気や後遺症に対する被曝被害の因果関係の証明ができにくくなるだろうとでも思っているかのような応対は先進国とか法治国家を自認するならあまりにも破廉恥です。仙台のお店がやっていることを国がきめ細かく指導、実施するべきです。風評被害とは正確な情報を提供されないことによって起こる被害です。全てを明るみに示せば原発を推進して来た政府や組織への風当たりが強くなるからできる限り隠せることは隠そうという下心なのでしょうが、ことは未来に続いていく命の問題ですから姑息な保身主義が許されていいわけがありません。「納得して買って」「納得して食べる」のは当たり前のことです。「疑心暗鬼で買って」あるいは「無関心、無感覚で買って」何も考えずに子供たちに食べさせるようなことになれば子供たちの未来に対してあまりにも無責任ではないでしょうか。


核は人類が破滅するための科学技術
2012/09/21  田中俊一さん。数々のいい加減発言でうんざりしていますが、そんな人間が原子力規制委員会の委員長をしていると言う理不尽。朝日新聞のインタビューに相変わらず馬鹿げた発言をしています。「(原発の)リスクはゼロではない。科学技術がリスクゼロ、という世界はどの社会にもない」・・・これで原発を正当化するのですから、確信犯と言うか狂ってると言うかもうどうしようもない人間です。科学技術がリスクゼロなんてあり得ないのは分かっています。車だって新幹線だって火力発電所だって事故が起こるリスクはあります。人間のやることですから当然です。だからこそ、原発のような危険な科学施設は造ってはいけないわけです。仮に原発がいかに有益なものであっても、そのリスクは他の科学技術とは比較にならないものであることは原発事故とその後の被害を見れば誰にでも分かることです。それが分からないほど頭の悪い人間などいないはずですから、ならば当然分かっていてそのような馬鹿げた発言をしているわけです。

とすれば、やはり確信犯で悪魔的と言うか形容する言葉を失うぐらい恐ろしい人間です。そんな人間が原子力規制委員会の委員長であること自体が科学以前の巨大なリスクです。とにかくすみやかに原発は止めなければなりません。そのために次回の選挙では真に原発を止めるための意志ある人に国民は投票しなくてはなりません。推進派、容認派は問題外ですが口先で日和見的に脱原発をうたう候補者にも騙されてはいけません。それは政治家としての資質、人間性を正しく測るための唯一の目安とも言えます。更なる原発事故が起これば、また多くの人が犠牲を強いられ、福祉や教育問題、エネルギーや環境、そして経済問題も吹っ飛んでしまうのですから。それにしても政治家といい、学者といい、専門分化の小さな世界の中で人間として学ばなければならない多くのことを学び損なった人間が社会の上に立つ今の日本を変えるためには国民1人1人の意識改革しかないのではないかとあらためて思います。


数少ない本当のジャーナリズム「たね蒔きジャーナル」
2012/09/20 「小さな出来事 ニュースの“たね”を 見逃しません 伝えます」をキャッチフレーズにMBSラジオで2009年10月5日から放送されている報道・情報番組「たね蒔きジャーナル」。福島原発事故の後、テレビ、新聞の大手メディアが原発の根本的危険性や放射能の影響など国民の命や生活に関わる情報を積極的に伝達せず、御用学者や原発推進者の無責任な意見を流布して来たことに対しては歯がゆい思いがあります。それにひきかえ影響力の小さなラジオ番組ですが「たね蒔きジャーナル」はまさにこれこそジャーナリズムだと多くのリスナーが感じたはずです。テレビに比べマイナーなラジオ番組ではありますがインターネットとのリンクで今の時代だからこその大きな広がりを生みました。2012年3月には、一連の報道活動に対して、財団法人坂田記念ジャーナリズム振興財団から第19回坂田記念ジャーナリズム賞の特別賞が贈られましたが、まさにそれだけの価値のある番組です。「関西だけでなく日本中のあちこちから、そして世界中からこれほど広く愛された番組というのは本当に例が無いのではないか」との小出裕章さんの番組に対するコメントは全てのリスナーの代弁です。原発の難しい様々な問題を丁寧に根気よく語って下さった京都大学原子炉実験所助教の小出さんへの感謝とともに番組スタッフのジャーナリストとしての姿勢には頭が下がります。・・・そんな番組の突然の打ち切り。その真の理由は分かりませんが、もし政府や関西電力などの経済的、政治的圧力が少しでもあるのならば本当に悲しい国です。打ち切りの9月28日迄あと僅かですが、最後迄聞き続けたいと思います。


映画「赤い風船」
2012/09/18  懐かしい映画です。6才の時に父に連れられてみたフランス映画「赤い風船」。知人が贈ってくれたDVDでの再会です。40数年経っても少年と赤い風船の魂は鮮明に焼き付いているのだけれど、ストーリーはおぼろげでした。色あせた油絵のようなモンマルトルの街を漂う鮮やかな赤い風船。少年パスカルにつかず離れず寄り添う風船の様子はまさに心の糸で結ばれているようです。6才の時に受けた感動は全く変わりなく、美しい映像に再度見とれました。生きているように動く風船。人間は動物や植物のように命あるものだけでなく、人形や風船、たとえ路傍の石であってもそれを見て感じる人間によっては、心が通うこともあります。風船と少年のお互いへの夢といたわり。今の日本の社会が失ったものの多くがこの映画の中にあるのだと思います。そして、さて本国フランスの今はどうなんだろうと、モンマルトルの景色を想像すれば、少年パスカルの笑顔がふっと浮かびました。


路傍の石・人間の存在理由
2012/09/16  山本有三の小説「路傍の石」の中の言葉です。・・・家庭の事情で中学校へ進めないことを悩む主人公の愛川吾一少年に担任の次野先生は語りかけます。「吾一というのはね、われはひとりなり、われはこの世に一人しかないという意味だ。世界に、何億の人間がいるかも知れないが、おまえというものは、いいかい、愛川。愛川吾一というものは、世界中にたったひとりしかいないんだ。どれだけ人間が集まっても、同じ顔の人は、ひとりもいないと同じように、愛川吾一というものは、この広い世界に、たったひとりしかいないのだ」・・・「死ぬことはなあ、愛川。おじいさんかおばあさんにまかせておけばいいのだ。人生は死ぬことじゃない。生きることだ。これからのものは何よりも生きなくってはいけない。自分自身を生かさなくってはいけない。たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうにかがやかしださなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」・・・

無目的になったり、自暴自棄になったり、厭世的になったり、短絡的になったり、いつの時代にも、どんな年代にあっても人間ならそう言う気持ちに陥る時はあると思います。少なくとも僕にはそんな時が何度かありました。そしてそんな時がこれからもまだ有るかもしれません。それでも、乗り切れて来たのは次野先生が吾一少年に語った言葉が全てだと思います。世界中の優れた小説には異口同音に繰り返し書かれている言葉です。親からも、小学校の先生からも「お前と言う存在は世界に一人しかいないんだから・・・よく考えろ」と何度か言われた記憶が要所で浮かび上がって来ます。いじめや、自殺が後を絶たない今の時代。その大きな理由の1つが社会や学校の中での個人の存在理由が稀薄になっていること、そして1人1人の意識の中で「じぶんはこの広い世界にたった一人しかいないのだ」と言う自覚が消えつつあるからではないでしょうか。


30年代に原発ゼロ?
2012/09/15  原発を動かし続けるためにはあらゆる手を使う、その一環のような新戦略です。とにかく国民をごまかして原発を動かしさえすればいい、と言う下心が見え透いて情けなくなります。とは言え脱原発の民意の大きさを感じたからこその応急声明なのでしょうが国民の真意は理解できていないようです。デモやインターネットや各地の講演会などで国民が真剣に懸念、決断を求めているのは「2030年代に原発稼働ゼロ」などと言う悠長なものではなく「即時原発の廃止決定と廃炉への道筋」です。更なる事故への切実な危機感なのです。しかもまず原発の廃止を決めなければ自然エネルギーへの移行どころか、過去やってきたように自然エネルギー普及の妨害すらやりかねません。国は福島原発の事故を誘発させたと言われても仕方のない原発推進者たちの重大な責任も追及せず彼らは事故後ものうのうと事故前と同じように暮らしをまっとうしています。

彼らがやった事はどう考えても犯罪行為で、理不尽に耐えかねた人たちが原発推進の首謀者を刑事告訴をしていますが、法治国家ならどうして国がやらないのでしょうか。それにひきかえ土地を奪われ故郷を奪われ、絶望で自殺者迄出している状況への支援、保護はどう見ても不十分です。政府がやるべき事は被害者への手厚い援助と原発を即時廃止の決定をし、つくり出してしまった核廃棄物の安全な保管のために核物理学者の育成を始めまだ未知の部分が多い放射能研究に全力で取組むことです。原発が無くなる事を恐れる権力者たち。原発と言うがんじがらめの権力構造にほころびが出れば、この日本の社会構造にも大きな変化が出る事は当然です。そしてその変化こそ健全で活力ある日本のために必要な変化です。30年代迄原発を動かし続けるリスクはあまりにも大きすぎます。事故がない保証なんてもう絶対にない事だけが今は分かっているからです。それだけのリスク、この日本と国民の命を天秤にかけて迄原発を動かしたいと言う人たちの背景には何があるのでしょう。


いったん放射能に襲われたら反対も賛成もない
2012/09/13  朝日新聞に載っていた福島県大熊町の大賀あや子さんの言葉です。大賀さんは原発再稼働で揺れたおおい町を5月に訪れ副町長にこう語りかけたそうです「いまの福島の状況を視察されてはいかがでしょうか。町の将来のため、子供たちの未来のために後悔のない選択をしてください」・・・かけがえのない命と多くの人の夢と暮らしをずたずたにした原発事故。新聞に掲載された大賀さんの笑顔の写真の裡には反原発への静かな決意のようなものを感じました。その同じ朝日新聞に中川恵一と言う放射線医学が専門と言う医師が飯館村の中学生を相手に恥ずかしくなるような話をしています。・・・「広島の原爆はよく知ってますね。数多くの人が大量の放射線を浴びた。今、広島市は政令指定市の中でトップクラスの長生きの都市です」お金で雇われているのか精神がおかしいのか専門馬鹿の極みなのか判断できませんが、あまりに人間性のない言葉です。原爆の被曝でどれだけの人が苦しみ続けているか、福島の原発事故で中学生たちの家族や回りの人がどれだけ傷つき苦しんでいるのかを考えればあまりにも空虚な言葉です。想像力も倫理観もない人間がのうのうと人前で話し、それを批判のためならいざ知らず通常の記事として新聞に載せるなどメディアもあまりにも無責任です。


相手の言葉で話さなくてはいけないのだけれど
2012/09/12  20代の頃コミュニケーションについて少し学んでそれからずっと実践している事があります。相手に何か伝えようと思ったらまず相手の言葉を知る事、それは相手の知識や生きて来た環境を知ることに他ならないのですが、まずそれを感じとった上で相手の世界を想像しながら話す事、自分が伝えたい事を相手の世界にある言葉に置き換えて話すと言うものです。アルバイトや旅行で秘境のような村や外国のような漁師町で初対面の人たちと話す時にその心がけはとても役に立って、些細な都会の話をネタに幾度も大笑いしたものです。和気あいあい、笑いはコミュニケーションには不可欠な要素ですから。日本語と言う共通言語があっても、相手によって知ってる言葉の数も理解している言葉の意味も違いますから1つ間違えばコミュニケーションどころか争いの種にすらなりかねないのが会話の怖さです。高校生の夏休みに40日ほど北海道の日高地方の海岸でアルバイトをしたのですが、働く前には都会と違って田舎の人は素朴だからいいなと勝手に決め込んでいました。ところが実際は確かに素朴ではあるのですが情報や知識の少なさから勝手な決め込みや偏狭な意見が多く思った事を伝える難しさを体感しました。結局コミュニケーションが取れたのは僕を雇ってくれた家の人たちで後で分かったのですがそのお父さんは村一番の物知りだったのです。

僕が快適に思えたのはお父さんや家族の方が僕の言葉で話してくれていたのです。当然の事ですが知識は人の考え方に大きく影響します。そして考え方は行為や行動に影響します。行為行動から生まれる経験は回って知識の裏付けや捕捉となります。映像メディアとインターネットの普及で知識から行動への衝動、それは知識を確かめるための好奇心と言えるかも知れませんが、それが稀薄になっています。あらゆる情報が簡単に疑似体験できる環境は「グローバルな偏狭」と言う矛盾する状況を生み出しているような気がします。それはある種クールな意識で他者や本当に命あるものに対しての冷めた感覚です。でもそれは進化したメディアからの影響ではなくそれを受け止めるための教育土台の問題であり今の日本の社会環境に根ざすものである事も間違いのない事だと思います。相手の言葉で話すと言う方法は今の時代ではとても骨の折れる事ですし虚しささえ覚える事もあります。何故なら相手は情報の海の中で育って来た新種の知識人です。あふれる情報から自らを守るためのフィルターのようなものを無意識に備えているからです。何か心に届かない、言葉には反応しているのだけれど生きた会話ではない、そんな思いをする事があります。フィルターに遮断されない伝達法とはなんだろう?そんな事を考えるこのごろです。


9.11
2012/09/11  あの信じられないような事件から何年経ったのだろうと思って調べて見たらちょうど11年。貿易センタービルに旅客機が突っ込む映像を見てとても現実とは思えませんでした。そしてその後に起こったビルの崩壊。高層ビルがまるで砂上の楼閣のように垂直に崩れ落ちる映像もまた現実のものとは思えませんでした。死者2993人、負傷者6200人以上。そしてアメリカはテロとの戦いを大々的に提唱し2003年のイラク戦争へ突入しました。2011年12月に米軍が完全撤収してオバマ大統領がイラク戦争終結の宣言をしましたが、一体どれだけの命が奪われ、それは一体何のためだったかを考えると何ともやるせない気持ちになります。9.11もイラク戦争も風化させてはいけないと思います。風化させればそれはまた繰り返されるかも知れないからです。

3.11の真っ黒な津波の映像も一生忘れられないものです。家も車も畑も何もかも黒い水に飲み込まれて行く映像もまた現実とは思えないぐらい恐ろしいものでした。そして地震によって起こった原発事故は目に見えない放射能と言う恐怖をもたらしました。何の罪もない農家や酪農家の人が悲しみと絶望から自殺し、多くの人の人生を根こそぎ変えてしまった原発事故。数年後、数十年後に発覚するであろう放射能障害もチェルノブイリなどの事故後の実態から予測するしかありませんが、「未来に向かう風化しない災害」である原発事故は本当に罪深いものです。この先もう一度事故を繰り返せばどうなるかはまともな人間なら誰でも想像つくと思うのですが、まともでない人間が政府や経済界の中枢にいると言う事がもっとも恐ろしい事かも知れません。大きな非人間的な出来事はどれもみな決して風化させてはいけないと思うのです。


日本のメディアの怠慢と罪
2012/09/09  国の根幹が揺らいだ原発事故があって、多くの人が原発に関する知識を深め、様々な観点から原発は無くさなくてはいけない、原発が無くてもエネルギー問題は解決できるし、未来に向けて今エネルギーの方向転換をやらなければ日本は経済構造を含めて硬化、萎縮してしまうと言うのが原発に反対する人たちの意識ではないかと思います。原発があまりにも大きな危険を持つこと、原発を動かすこと自体が非人道的なことは言う迄もありません。それにしても3.11以降の日本のマスメディアの報道姿勢はひどいもので、原発事故に関する情報を海外のメディアから得たり、ネットで検索して個人努力で得なければ一体何がどうなっているのかさえ分からない有様です。自分の国の事です。多くの人が被曝し、土地を奪われ、環境が汚染され、内部被曝に関しては子供を持つ親なら全国どこにいても気になる問題です。毎週金曜日に行われている東京や大阪の反原発デモに関してもきちんと報道しているのは一部のメディアだけで、メディアによっては完全に無視を決めこんでいます。政府、東電を始め関連企業の巨大な圧力がかかっているのは分かりますが、もともとその圧力に抵抗し真実を国民に伝えるのがジャーナリズムではありませんか。1つの新聞社やテレビ局が丸ごと屈することは大きな罪です。この地震多発国にどう考えてもおかしいと言うほどの数の原発をつくってきた責任の一端、いや半分ぐらいはメディアにあります。何も知らされなければ、あるいは嘘を信じ込まされれば国民は正しい反応ができるはずもありません。騙される方が悪いと言うけどそれは無茶です。ただ原発事故で大きな犠牲を出し、多くの人が目覚めている今、まだマスコミに騙されているなら、それは騙される方が悪いと思います。


 

パラリンピックとオリンピック
2012/09/08  身体の一部や感覚の一部を失った人たちの運動能力の高さにはただただ驚異と尊敬しかありません。精神的な葛藤を乗り越え想像を絶する努力のたまものだとは思いますが、人間の能力の奥深さを見るようです。もともと戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして始まった競技大会で起源は1948年に行われたイギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会だそうです。パラリンピックでの超人的とも思える能力を見るにつけ、あらためて戦争の残虐性にやるせない思いがします。パラリンピックのシンボルカラーの赤は心を、緑は身体を、青は精神を表しているのだそうですが戦争は命のみならずまさにその3つの要素を破壊します。

ロンドンパラリンピックのスローガンはLive as one(1つになろう)ですが、競技大会もオリンピックと1つにして中継や報道が同じようになされればもっと意義があるだろうにと思います。そして戦争につながる国家のエゴイズムや破壊につながる核を始めとする兵器がこの世界から1つでも減ることをスポーツ精神を通じて広がることを願わずにはいられません。でも現実はオリンピックのさなかにも内紛や闘争が行われ多くの命が奪われています。日本でも未曾有の原発事故があり、即時廃止への英断をしなければならない原発があろうことか再稼働しています。あれだけの被害と犠牲を強いた責任の所在と事故原因すら明らかにしないままでのことですから恐ろしくなります。反戦、反核、そして反原発。Live as one、は人間的な社会を目指す全ての人のスローガンとして続けたいものです。


バティニョールおじさん(Monsieur Batignole)2002年公開のフランス映画。
2012/09/06  ドイツ占領下のフランスで小さな総菜店を営むバティニョール。ある日その小市民的な生き方が災いして階上に住むユダヤ人の一家がナチに連行されます。彼が意図した事ではないけれど心の中に残った罪の意識。そして数日後、連行された家族の少年が1人逃げて舞い戻って来ます。かくまえば恐ろしい事になるのは分かっていてもとても追い出す事もできず数日間だけだと覚悟を決めて少年と関わって行くのですが・・・ジェラール・ジュニョの演出、監督、主演演技も素晴らしく「どんな時代にあっても人間はどう考えいかに生きるべきか」と言う重大なテーマをバティニョールの心の変化と行動を通して見事に語りかけてきます。どんなにお人好しであっても、日常的になんら問題なく生きていても、社会や他者に対する意識や考えが常日頃からなければ結果的に許しがたい悲劇にも加担してしまうかもしれないと言う現実。

小市民的とか自己保身と言う言葉の中に潜む無関心と残酷さに対しての告発。そして自己の生死を顧みないほどの勇気ある行為が何故に生まれるかと言う問いかけ。戦時下のフランスを舞台にした映画ではありますが、人間の心に内在するテーマは不変のものだと思います。一見平穏に見える現在の日本社会でもあらゆる非人間的行為は横行していますし、原発事故のような人間の存続を脅かすような大事件も起こっています。日常のどこにでもある出来事への小さな無関心や小さな事なかれ主義の集積が取りかえしのつかない、後戻りのできないような現実をつくり出してしまう事は過去を振り返れば明らかな事です。先日原発に関して何かの記事にありましたがデモなどして何か変わるのですか?と言う問いに対して「少なくともデモが起こる社会になったことが変化です」と言うような内容でした。そしてデモに参加する人が増えれば、それが人を思いやる心、命や環境に敏感な意識を持つ人を育てる事にもつながるだろうと思うのです。


十人十色と万人一致
2012/09/02  人の考えは1人1人違う。それはすごく健全な事だと思います。教育にしても経済や福祉、環境問題にしても考え方が人それぞれ違うのは、当然です。視点の置き方、目標の捉え方、優先順位の取り方が違えば多種多様な考え、意見の差は出て来ます。そしてそれゆえに偏らない施策や方針をまとめる作業に価値が出ます。少数の偏った人間が物事を決めてしまえばいびつで偏った結果がでるのは必然的な事です。一方、十人十色であってはいけない物事もあります。戦争とか核爆弾とかを肯定する人はいないはずです。それは万人一致でなければならないものです。全ての人間があらゆる違いや障壁を乗り越えて一致しなければならない問題です。今多くの人が戦っている原発の問題もその1つです。それは是非を問うような問題ではなく「いかに早急に全廃するか」だけを全ての人間が協力して考える問題です。

核兵器を無くす事にはまだ時間がかかるだろうとは察しがつきます。逆に原発を無くす事はドイツの例を見ても国民の意識さえつながれば可能な事も分かります。日本での衝撃的な事故を目の当たりにして「人ごとではない」と各地でデモが起こったドイツ。大手電力会社や族議員、関係省庁の抵抗を押し切って2022年までの「脱原発」が宣言されました。原発をどうするかも決められない日本の政府は情けないの一言ですが、それを動かす草の根の運動もまだまだ足りないのも事実です。この問題が万人一致で解決されなければ、日本社会は大きな不安の中でますます歪んでいくに違いありません。原発は危険なだけでなくその体質上、社会を歪めてしまう側面があることも明らかです。再稼働は命の問題だけでなく日本経済と社会構造の健全化のためにも許してはいけないものだと思うのです。


和菓子と風力発電
2012/09/01  考えてみれば当然ですが日本は自然エネルギーの宝庫です。海に囲まれ、変化に富む山があり、多くの河川があり、利用できる地熱もいたるところにあります。太陽の恵みも風の力も利用できます。政治的な影響を受けやすくしかも限定的でしかない化石燃料やウランに頼って来た国策があまりにも無責任で先見性のないものであった事かを政府ではなく国民が先に気づいているのが現状です。原発にかかる途方もない経費をもし、自然エネルギーの研究開発に切り替え、小規模発電を多産していたら日本の社会構造は随分健全で明るいものになっていたに違いありません。今もっとも実用的とされる太陽光発電や風力発電にしてもその能力の向上に疑う余地はありませんし、他の分野においても発明や発見がなされる事は十分に想像できます。

奈良県の天理市で和菓子店を営む佐藤さんは工作機械メーカーで設計の仕事をしていた11年前にクリーンエネルギーに惹かれ風力発電の研究を始め、日本工業大学の協力を得ながら10年かけて「鳥翼風車」なるものを完成させそれは現在東日本大震災の被災地で活躍しているとの事です。佐藤さんは無風の空を飛び、暴風をも耐えて飛ぶ鳥の羽の構造に着目してアイデアを得たそうです。佐藤さんは「原発事故は人類の破滅の1歩手前で警鐘を鳴らした。真剣に再生可能エンルギーの普及をすすめなければ」と話しています。素材、形、色など和菓子には自然界の知恵が伝統的に取り入れられています。エネルギーに関しても自然界はまさに知恵の宝庫である事を佐藤さんの発明があらためて教えてくれます。

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