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2016

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アレクシス・アルゲリョカルロス・モンソンサウル・アルバレスサルバドル・サンチェスセルヒオ・マルチネス
フリオ・セサール・チャベスマニー・パッキャオモハメド・アリリカルド・ロペスロベルト・デュラン
シュガー・レイ・レナードマービン・ハグラーピストン堀口ファイティング原田具志堅用高大場 政夫


ボクシング
ボクシング(英語:boxing、pugilism、prize fighting、the sweet science)は、拳にグローブを着用しパンチのみを使い、相手の上半身前面と側面のみを攻撃対象とする格闘スポーツ。拳闘(けんとう)ともいう。

紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字から軍隊で使われていたのが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からも、ボクシングの図が書かれた壺が発見されている。
古代ギリシア語では握りしめた拳をPUGMEといい、それからPUXOS(箱)となった。古代オリンピックでは第23回大会から正式種目となり、オノマストスが月桂冠をうけた。この時代は全裸でオリーブ・オイルを塗り、拳には鋲を皮のバンテージのような物で包んだグローブのような物を着用、腕や肘でも攻撃できたようだ。

剣の携帯が一般的でなくなりだした、16世紀前半ごろから、賞金をかけたベアナックル・ボクシングの形で徐々にイギリスで浮上の兆しを見せ始める。
現在のボクシングの始祖といわれるのは、1695年にイギリスのオックスフォードシア州テーム村に生まれたジェームス・フィグ (James Figg) である。彼は、レスリング、フェンシングや棍棒術を得意としており、1718年にロンドンで「ボクシング・アカデミー」を設立してボクシングを教え始めた。彼が行った当時の「ボクシング」とはベアナックル(素手)で行い、蹴りや投げ、締め、噛み付き、目つぶしだけでなく、フェンシングや棍棒術も含まれたものだった。フィグ自身も教える傍ら自ら「プライズ・ファイター」(つかまれないように頭髪を剃っていた)として腕自慢達を倒して賞金を稼ぎ、護身術としても優れていると認められたボクシングとともに名声を得てイギリス初のチャンピオンとなった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ボクシング


サルバドル・サンチェス
サルバドル・サンチェス(Salvador Sanchez、1959年1月26日 - 1982年8月12日)は、メキシコのプロボクサー。サンティアゴ・ティアンゲステンコ出身。1970年代中盤から1980年代初頭にかけて活躍した選手。元WBC世界フェザー級王者。世界王者のまま交通事故死した。

階級 フェザー級
国籍 メキシコ
誕生日 1959年1月26日
出身地 メキシコ
死没日 1982年8月12日(満23歳没)
死没地 メキシコ

総試合数 46
勝ち 44
KO勝ち 32
敗け 1
引き分け 1
https://ja.wikipedia.org/wiki/サルバドル・サンチェス


サウル・アルバレス
サウル・アルバレス(Saul Alvarez、男性、1990年7月18日 - )は、メキシコのプロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級スーパー王者。第35代WBC世界ミドル級王者。第12代WBO世界スーパーウェルター級王者。

階級 ミドル級
身長 175cm
リーチ 180cm
国籍 メキシコ
誕生日 1990年7月18日(26歳)

総試合数 50
勝ち 48
KO勝ち 34
敗け 1
引き分け 1
https://ja.wikipedia.org/wiki/サウル・アルバレス


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セルヒオ・マルチネス
セルヒオ・マルチネス(Sergio Martinez、男性、1975年2月21日 - )は、アルゼンチンのプロボクサー。ブエノスアイレス州アベジャネーダ出身。現在はスペインへ移住、マドリードに住居を構えている。元WBC世界スーパーウェルター級王者。元WBC・WBO世界ミドル級統一王者。Maravilla(マラビージャ、驚異の男)」の異名を持つ。豊かなスピードに乗せて、サウスポーでは珍しくスピーディなジャブを主武器に、顔面へのパンチが多くボディへの攻撃はほとんどしないが、逆ワンツーなどの高度なテクニックを織り交ぜてダウンを奪う天才肌のボクサーである。

階級 ミドル級
身長 178cm
リーチ 191cm
国籍 アルゼンチン
誕生日 1975年2月21日(41歳)

総試合数 56
勝ち 51
KO勝ち 28
敗け 3
引き分け 2
https://ja.wikipedia.org/wiki/セルヒオ・マルチネス


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ロベルト・デュラン
ロベルト・デュラン(Roberto Duran Samaniego、男性、1951年6月16日 - )は、パナマのプロボクサー。ニックネームは「石の拳(コブシ) Manos De Piedra, Hands of Stone 」。キャリア初期の野性味溢れるボクシングと後期の技巧派スタイルで50歳になるまで戦い続けた一方、二階級飛び越えればパンチの威力が完全に違い、三階級では挑戦自体が無謀であった世界観を平然と破った怪物ボクサー。その対戦相手は中量級の歴史における最強の王者揃いであり、観戦を渇望した観客たちにより興行やテレビの世界も変革されていった。

階級 ライト級
ウェルター級
スーパーウェルター級
ミドル級
身長 170cm
リーチ 168cm
国籍 パナマ
誕生日 1951年6月16日(65歳)

総試合数 119
勝ち 103
KO勝ち 70
敗け 16
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロベルト・デュラン

 

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モハメド・アリ
モハメド・アリ(Muhammad Ali 、1942年1月17日 - 2016年6月3日)は、アメリカ合衆国の元プロボクサー。ケンタッキー州ルイビル出身。アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの血も引く。元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン。

階級 ヘビー級
身長 190cm
リーチ 203cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1942年1月17日
出身地 ケンタッキー州ルイビル
死没日 2016年6月3日(満74歳没)

総試合数 61
勝ち 56
KO勝ち 37
敗け 5

https://ja.wikipedia.org/wiki/モハメド・アリ

 

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フリオ・セサール・チャベス
フリオ・セサール・チャベス(Julio Cesar Chavez、男性、1962年7月12日 - )は、メキシコのプロボクサー。ソノラ州シウダ・オブレゴン出身。1984年から1989年にかけて世界タイトル3階級を制覇。最多世界戦出場数37、1試合に於ける観客動員数13万人、歴代3位となる88連勝、デビュー戦以来90戦無敗(1引き分けを含む)などボクシング史における数々の記録を打ちたて、更に全盛期には、類い希なるタフネスとスタミナを武器に完璧な強さを誇り絶大なる人気を得た。


階級 スーパーライト級
身長 171cm
リーチ 169cm
国籍 メキシコ
誕生日 1962年7月12日(54歳)

総試合数 116
勝ち 108
KO勝ち 87
敗け 6
引き分け 2
https://ja.wikipedia.org/wiki/フリオ・セサール・チャベス

 

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マニー・パッキャオ
マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、男性、1978年12月17日 - )は、フィリピンのプロボクサー、政治家、フィリピンプロバスケットボールリーグのバスケットボール選手兼ヘッドコーチ。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。ブキドノン州キバウェ出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。史上2人目の6階級制覇王者[1](海外では8階級制覇と紹介されることが多い)。第31代WBC世界フライ級王者。第11代IBF世界スーパーバンタム級王者。第28代WBC世界スーパーフェザー級王者。第33代WBC世界ライト級王者。第14代・第16代WBO世界ウェルター級王者。元WBC世界ウェルター級ダイヤモンド王者。第42代WBC世界スーパーウェルター級王者。
階級 ライトフライ級 - スーパーウェルター級
身長 166cm
リーチ 170cm
国籍 フィリピン
誕生日 1978年12月17日(37歳)

総試合数 66
勝ち 58
KO勝ち 38
敗け 6
引き分け 2

https://ja.wikipedia.org/wiki/マニー・パッキャオ

 

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アレクシス・アルゲリョ
アレクシス・アルグエーリョ(Andres Alexis Arguello Bohorquez、男性、1952年4月19日 - 2009年7月1日)は、ニカラグアのプロボクサー。マナグア出身。身長178cm。ニカラグア初の世界王者となった。

階級 スーパーライト級
国籍 ニカラグア
誕生日 1952年4月19日
出身地 マナグア
死没日 2009年7月1日(満57歳没)

総試合数 90
勝ち 82
KO勝ち 65
敗け 8

https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクシス・アルゲリョ

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カルロス・モンソン
カルロス・モンソン(Carlos Monzon、男性、1942年8月7日 - 1995年1月8日)は、アルゼンチン出身の元プロボクサー。第8代WBA・WBC世界ミドル級統一王者。第10代WBC世界ミドル級王者。
1970年の王座獲得以来、無類のスタミナ、タフネスを武器に連続14度のミドル級王座防衛を達成した。1977年7月30日、ロドリゴ・バルデス(コロンビア)に15R判定勝ちして14度目の防衛に成功すると、「もうリングの中で証明するものは何も無い」と言い残し、統一王者のまま引退した。

階級 ミドル級
身長 181cm
リーチ 190cm
国籍 アルゼンチン
誕生日 1942年8月7日
出身地 サンタフェ州
死没日 1995年1月8日(満52歳没)

総試合数 102
勝ち 89
KO勝ち 61
敗け 3
引き分け 9
無効試合 1

https://ja.wikipedia.org/wiki/カルロス・モンソン

 

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リカルド・ロペス
リカルド・ロペス・ナバ(Ricardo Lopez Nava、男性、1967年7月25日 - )は、メキシコの元プロボクサー。元WBC・WBA・WBO世界ミニマム級王者。元IBF世界ライトフライ級王者。「小さな巨人」「エル・フィニート(素晴らしい)」などの異名を持った。精密機械と形容されるほど正確無比なパンチを持ち、なおかつ基本に忠実なボクシングスタイル。遠・中距離から伸びるワンツー・アッパーでKOの山を築いた。さらに、慎重な性格で素質に溺れることもなく、普段の練習態度も非常に真面目で常日頃から努力を怠らなかった。8年以上も同階級にとどまり続けられたのも普段からの節制の賜物である。


階級 ライトフライ級
身長 165cm
リーチ 165cm
国籍 メキシコ
誕生日 1967年7月25日(49歳)
総試合数 52
勝ち 51
KO勝ち 37
敗け 0
引き分け 1
https://ja.wikipedia.org/wiki/リカルド・ロペス

 

 

 

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シュガー・レイ・レナード
シュガー・レイ・レナード(Sugar Ray Leonard、男性、1956年5月17日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。サウスカロライナ州ウイミルトン生まれ。本名はレイ・チャールズ・レナード。母親がレイ・チャールズのファンだったため命名したもの。のちにボクサーとして活動する際、尊敬するシュガー・レイ・ロビンソンにあやかって、シュガー・レイを名乗った。
モハメド・アリが去った米国ボクシング界に颯爽と登場し、デビュー直後からアリの後継者として絶大な人気を獲得。爆発的なスピードと芸術的なテクニック、優れたインテリジェンス、ロビンソンやアリの系譜に連なるスター性を併せ持ち、1970年代後半から1980年代にかけてのボクシング界を代表するスーパースターの座に君臨。

階級 ウェルター級 - スーパーミドル級
身長 178cm
リーチ 188cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1956年5月17日(60歳)
総試合数 40
勝ち 36
KO勝ち 26
敗け 3
引き分け 1
https://ja.wikipedia.org/wiki/シュガー・レイ・レナード

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マービン・ハグラー
マーベラス・マービン・ハグラー(Marvelous Marvin Hagler、男性、1954年5月23日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。1980年から1987年までの間に、統一世界ミドル級王者として12度の連続防衛を果たした名王者。サウスポーのオールラウンド・ファイター(サウスポースタイルだが元々右利きで右強打が武器だったので右構えにスイッチすることも多かった)で、あらゆるテクニックと強打、試合運びの巧さ、強靭なメンタルを備え、「ミスター・パーフェクト」と呼ばれた。

階級 ミドル級
身長 177cm
リーチ 191cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1954年5月23日(62歳)
総試合数 67
勝ち 62
KO勝ち 52
敗け 3
引き分け 2
https://ja.wikipedia.org/wiki/マービン・ハグラー

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ピストン堀口
ピストン堀口(ピストンほりぐち、1914年(大正3年)10月7日 - 1950年(昭和25年)10月24日)は、日本のプロボクサー。本名:堀口 恒男(ほりぐち つねお)。栃木県真岡市出身。昭和初期における日本ボクシング界の象徴的存在で「拳聖」と呼ばれた。元日本フェザー級・東洋フェザー級および日本ミドル級チャンピオン。

階級 フェザー級
ミドル級
国籍 日本
誕生日 1914年10月7日
総試合数 176
勝ち 138
KO勝ち 82
敗け 24
引き分け 14

自己流でトレーニングをして、上京からわずか半月後に初試合を行いKO勝ちを収める。翌1933年にプロデビュー。その後、かつての名選手岡本不二の指導を受け、デビューから5引き分けを挟んで47連勝という驚異的な記録を残す。その間、元世界王者のエミール・プラドネル(フランス)と8回戦で引き分けたり、B・D・グスマンを破り東洋フェザー級チャンピオンまで上りつめるなど、世界クラスの実力を持っていたが、太平洋戦争の影響もあり世界王座に挑戦する機会には恵まれなかった。特に、1941年5月28日に両国国技館で行われた笹崎たけし戦は日本ボクシング史上「世紀の一戦」と呼ばれるほど有名で、この試合に勝利して以降は「剣聖」宮本武蔵になぞらえて「拳聖」と称されるようになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ピストン堀口

 

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ファイティング原田
ファイティング原田(ファイティングはらだ、男性、1943年4月5日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は原田 政彦(はらだ まさひこ)。ファイティング原田ジム会長。第10代日本プロボクシング協会の会長で現在は同顧問。プロボクシング・世界チャンピオン会最高顧問。なお、現在は「ファイティング」はJBCで欠名扱いで現役選手が名乗る事は不可能である。

階級 バンタム級
国籍 日本
誕生日 1943年4月5日(73歳)
総試合数 63
勝ち 56
KO勝ち 23
敗け 7

1962年10月10日、19歳で世界フライ級王座に初挑戦。当時の世界フライ級王者の「シャムの貴公子」ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦が内定していた、同級1位の矢尾板貞雄が突然引退し、10位にランクされたばかりの原田に挑戦のチャンスが回ってきた。蔵前国技館で行われた試合は、原田が左ジャブとフットワークでポーンをコントロールした。11R、相手コーナーに追い詰め、80数発もの左右連打を浴びせ、ポーンはコーナーロープに腰を落としてカウントアウトされた。

世界バンタム級王者・エデル・ジョフレ(ブラジル)は、「ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)」の異名通り、世界王座を獲得した試合、8度の防衛戦にいずれもKO勝ちし、その中には、青木勝利、原田にKO勝ちしたジョー・メデルも含まれていた。強打者であり、パンチを的確にヒットさせ、ディフェンスも堅い実力王者だった。原田の猛練習は、取材していた新聞記者が、疲労で床にへたり込む程の激しさだったと言う。ジョフレは妻と息子を連れて来日した。試合前の予想は、ジョフレの一方的有利、原田が何ラウンドまで持つか、という悲観的な見方がほとんどだった。

1965年5月18日愛知県体育館、開始のゴングを聞いた原田は、当初今までのボクシングスタイルを捨て、アウトボクシングに出た。かなりの大博打を打ったと言えるが、果たして原田はこの博打に勝った。原田のラッシュを予想した作戦を組み立てていたであろうジョフレに、明らかに戸惑いが見られ、その端正なボクシングに狂いが出始めたのである。そして、4R、ジョフレはリング中央で原田との打ち合いに応じたが、パンチにいつもの的確性がなく、原田のパンチが勝っていた。

そして遂に、ジョフレ唯一の弱点である細いアゴを、原田の右アッパーが打ち抜いたのである。これでロープまで吹っ飛ばされたジョフレに、原田はラッシュを仕掛ける。だが、ジョフレもよく追撃打をブロックでしのぎ、次の5Rには、強烈な右をヒットし、原田はコーナーを間違えるほどのダメージを負った。だが、練習量豊富な原田は、次の回から立ち直り、終盤は一進一退の展開を迎える。そして遂に15Rの終了ゴングを聞いた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイティング原田

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具志堅用高
具志堅 用高(ぐしけん ようこう、男性、1955年6月26日 - )は、日本の元プロボクサー、タレント。沖縄県石垣市出身。元WBA世界ライトフライ級王者。上京後は、後援者から沖縄県との習慣の違いなどの生活面を気遣われ、紹介された剣道家卯木照邦の元で下宿していた。生活は楽ではなく、5回目の世界王座防衛戦までとんかつ屋でバイトしていたという。アマチュア時代の戦績は62勝(50KO、RSC)3敗。

階級 ライトフライ級
身長 162cm
国籍 日本
誕生日 1955年6月26日(61歳)
総試合数 24
勝ち 23
KO勝ち 15
敗け 1

1976年10月10日、山梨県甲府市の山梨学院大学体育館にて"リトル・フォアマン"の異名を持つWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に9戦目で挑戦。戦績21勝(15KO)1敗、うち初回KO勝ちが11度という強打の王者に対して、挑戦者・具志堅は開始当初から軽快に動き回り、一発を狙う王者を回転の速い連打で圧倒し、2回、4回にダウンを奪った。また、3回には手負いのグスマンの左フックを浴び、ロープに後退したが、グスマンの後続パンチを全てウィービングで外してピンチを切り抜けるなど、防御面でも天才的な動きを見せた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/具志堅用高

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大場政夫
大場 政夫(おおば まさお、男性、1949年10月21日 - 1973年1月25日)は、日本のプロボクサー。東京都墨田区出身[1]。スタイルはオーソドックス。第10代WBA世界フライ級王者。
WBA世界フライ級王座を5度防衛した。現役世界王者のまま事故死したため「永遠のチャンプ」と称される。

階級 フライ級
身長 168cm
リーチ 170cm
国籍 日本
誕生日 1949年10月21日
出身地 東京都墨田区[1]
死没日 1973年1月25日(満23歳没)
総試合数 38
勝ち 35
KO勝ち 16
敗け 2
引き分け 1

ギャンブル好きの実父の影響で家計は苦しく極貧の環境で育つ。しかしプロボクシングファンだった実父の影響で、小学生の頃から「プロボクシングで世界王者になり、両親のために家を建てよう」と人生の目標を設定していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/大場政夫

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