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原発で働く人々

原子力発電所の見学会に行ったことのある人は多いでしょう。ほとんどの原子力発電所は風光明媚な海岸線に建てられています。見学会はお弁当付きのバス旅行といった感じでしょうか。見学コースは発電所の表の部分に限られていて、清潔で複雑なコンピューターの並ぶ中央コントロールルームを見たり、原子炉の炉心の上に案内されて「ここが炉心の上です」等という説明を聞くと、放射能の危険などとても感じられません。

見学後、原子力発電所は安全ですばらしい施設なのだと納得して帰ってくる人が大部分でした。しかし、2001年9月11日のニューヨーク貿易センタービルへ旅客機が激突するというテロ事件以来、原子力発電所の見学もテロを警戒して制限され、バスに乗ったままの見学に変わったそうです。原子力発電所の持つ潜在的危険性の現れでしょう。


 

■近代的コントロールルームの裏で
■放射能汚染区域と非汚染区域の作業
■下請け労働者
■スリーマイル事故・・・原発2号炉メルトダウン事故
■TMI 事故の背景
■チェルノブイリ事故・・・原子炉暴走事故
■チェルノブイリ事故による放射能汚染
■放射能による食品汚染
■放射性ヨウ素による甲状腺癌の発生
■劣化ウラン及び劣化ウラン兵器
■劣化ウランは放射性廃棄物
■劣化ウランは何に使われている?
■劣化ウランによる健康被害
■無関係ではない日本の原発


■近代的コントロールルームの裏で

原発の見学会、学校に配布される教材、パンフレット、電力館等で見る原発は、近代的な中央制御室をはじめとして現代科学技術の最先端を行く表の部分だけです。これだけを見ていると原発はコンピューターだけで動いているスマートな施設のように見えます。しかし、そうではない部分が原発を支えていることは一般に知られていません。原発の裏では、たくさんの人が放射線を浴びながら危険な仕事に携わっています。どんなに機械が近代化されても、この裏方の仕事なしには原子力発電所は動きません。しかし、その仕事はそう簡単には外部の人間には見せてもらえませんし、ましてや教材には全く触れられていません。

定期点検という言葉は新聞などでも馴染みになりました。原発は一年に一度発電を止め、発電機を含めた周辺の機器の総点検を行わなければならないと決められています。このときその作業に従事する労働者はどのような環境下でどのような仕事をしているのでしょうか。

この章は、その実態を知るために自ら原発労働者となり、3つの原発で働いた経験をまとめた「原発ジプシー」(堀江邦夫著)、原発被ばくにより癌におかされたり、いろいろな病気に苦しんでいる人々に丹念なインタビューを続け、被ばく労働者の実態をよく描き出している「闇に消される原発被曝者」(樋口健二著)を主に参考にしてます。これらの本からは、原発で働く人々の労働環境、放射線管理のずさんさ、被ばくの実態、不安や本音が聞こえてきます。

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■放射能汚染区域と非汚染区域の作業

原子力発電所は放射能汚染区域(管理区域)と非汚染区域(非管理区域)に分かれています。非汚染区域での仕事は被ばくの危険性はほとんどないのですが、狭いところでの熱と金属のホコリとに苦しめられながらの作業、取水口での吐き気を催すような悪臭の中でのヘドロのかきだし作業、タービンのさび取り等々劣悪な作業環境下でおこなわれます。

放射能汚染区域は汚染の程度により低汚染区域、高汚染区域等に分けられています。高汚染区域では、放射能を吸い込まないように全面マスクをつけ(図1)体に放射能がつかないように手袋や靴下は3枚も重ね、全身を覆う防護服を着、長靴を履きます。

マスクを付けると大変息苦しく、その上作業場は暑くて汗が滝のように流れ、マスクはすぐに曇ってしまいます。「暑くて苦しくてよー、マスクなんかしてられないよ」と息苦しさと作業能率のために危険を知りながらもマスクをとってしまう人もいます。

首には一定量の放射線を浴びると警報ブザーが鳴るアラームメーターをかけ、被ばく線量を測るポケット線量計を身につけます。汚染区域に入るためにはこのように厳重な装備を付けます。高汚染区域ではすぐにアラームメーターがなるために長い時間作業することはできません。被曝線量が多いため数分刻みで交代し、1日に1000人以上の下請け労働者による人海戦術で作業を行います。これが意味することは、被ばくをおおくの労働者に分散させるということです。

作業現場によってはアラームが鳴ってすぐに交代したのでは効率が悪いため、これを無視して作業を続ける場合もあります。或いはポケット線量計をどこか他の所において仕事をする人も出てきます。ですから、報告された被ばく線量と実際に受けた線量は違う場合もしばしばです。

完全防護服を着ていても汚染することはあります。放射線管理区域を出るときには服をすべて脱いだ後、モニターで汚染検査をします。汚染が発見されると、シャワーで落ちるまで洗い流します。トイレに行きたくてもこの検査が通るまでは管理区域の外に出ることが されません。洗ってもこすっても汚染が落ちない場合には不安にさいなまれ、苦しい思いをします。

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■下請け労働者

原発で働く労働者は下請け、孫請け・・・と8代も下の会社に雇われている場合も少なくありません。そのため劣悪な労働条件下、安い賃金で働かされます。例えば電力会社から労働者一人当たり1日15,000 円支払われたとしても、中間にいる親方がピンハネするために、実際に労働者が受け取る賃金はそれよりずっと少なくなってしまいます。さらに、被ばくしたり、ケガをした場合は下請け業者が、上の業者や電力会社に気兼ねして握りつぶしてしまい、表に出さないことが通常です。被ばく労働の実態が社会に知られていない原因がここにあります。

1971年5月福井県敦賀市にある日本原子力発電敦賀発電所内で被ばくした岩佐嘉寿幸氏は被ばく後、体調を崩しチョットした仕事にも疲れやすく、仕事を継続できなくなりました。外見は健康そうに見えるため、人からは「原発ぶらぶら病」などと陰口をきかれました。それでも、病体にむち打ち、日本ではじめての「原発被曝裁判」をおこし、17年間にわたって裁判を闘いました。しかし裁判所、行政の壁は厚く、ついに被ばくによる労働災害は認められないままなくなりました。

このような下請け労働者の数は電力会社の正社員の数よりもずっと多いのです。原発は事故がなくても、仕事の中で被ばくをしいられている労働者がいなければ絶対に動かないことをよく理解しておく必要があります。

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原子力発電所は 環境に優しく、最も安全に留意して作られ、万一事故があっても緊急冷却装置が働き、大事故にはつながらないといわれていました。しかし、アメリカでスリーマイル島(TMI)原発事故、ウクライナ(旧ソ連)のチェルノブイリ原発事故が起こりその神話は崩れました。

■スリーマイル事故・・・原発2号炉メルトダウン事故

最も技術の進んだ、情報公開先進国ともいわれるアメリカで発生し、大量の放射能を撒き散らすことになった重大な原子力事故です。今から約20 年前の1979 年3 月28 日、東部ペンシルバニア州にあるスリーマイル島(TMI)の原子力発所で事故がおきました。原子炉の核心部ともいえる炉心部分が冷却水不足のために溶けてしまうという大変な事故でした。

始めは原子炉の本体からは遠く離れた小さなトラブルをきっかけとして蒸気発生器の給水が止まってしまい、本来原子炉に冷却水を入れなければならないのに、ランプの表示が不適切であったことと炉心の水位を外から見られない構造のため、運転員はそれと気付かず、かえって緊急冷却装置を絞ってしまいました。そのため、原子炉容器の圧力が上昇、圧力をにがすために開いた加圧器逃がし弁が開きっ放しになり、原子炉の冷却水が漏れて、原子炉の空焚き、燃料の溶融・崩壊に至りました。

被害は時々刻々と、「原子炉が爆発するのか。大都会の集中したアメリカ東部が崩壊するのか」というニュースが続き、母親が赤ちゃんを抱いて続々と避難を始めました。事故3日後には「8キロ以内の学校閉鎖、妊婦・学齢前の幼児の避難勧告、16キロ以内の住民の屋内待機勧告」などが出され、周辺の自動車道路では避難する車による大パニックが発生しました。格納容器に充満した水素ガスが爆発をおこす可能性が高まっていたからです。そこには、安全性より経済性を優先したという背景があります。チェルノブイリ事故より7 年も前のこの事故によって世界中の人々が原発事故の恐さを実感しました。しかし、この事故は現在の日本では報道・研究機関で全く忘れ去られたかのようで、私達市民がその後の状況を知ることは難しくなっています。

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■TMI 事故の背景

スリーマイル島2号炉原発の営業運転開始前のセレモニーで、時のカーター政権のエネルギー問題担当官オレアリー博士は、「この新鋭プラントは、資本と忍耐と熟練と技術の集積であり、多くの点で奇跡のようなものであり、きらめくばかりの成功である。この偉業によって、原子力が、わが国にとって明るく輝かしい選択であると、はっきりと断定できる」と祝辞を述べています。しかし、この新鋭プラントで、事故の1年前から始められていた試運転中から故障や事故が相次いでいました。その中にこの事故の直接のきっかけとなったバルブの不調も含まれていました。

蒸気発生器の蒸気は、タービンを廻した後、冷却されて水に戻り、水精製装置を通って蒸気発生器に送り返されていました。ところがその水精製装置には、建設コスト引き下げのために、原発以外でも使われていた既製品が据えられ、前後の配管との連結が上手くいっていなかったために、しばしばトラブルを生じていました。事故の日も、運転員がバルブを操作して、目詰まりと苦闘している時、突如バルブが閉じ、蒸気発生器への給水が断たれ、事故が始まりました。

2号炉の建設時、スリーマイル島原発の所有者であるGPU 社の経営状態は悪化しており、建設費も急上昇中で、建設原価は計画時の約5.5 倍にも達しました。その資金難のため、建設費を22%も切り詰めることで、1日も早く完成させ、営業運転に入ることになりました。そうしたことが「安上がり策」「手抜き」を生み出し、「二重三重の安全装置があるから大事故はおこらない」との思い込みと相まって、ついに事故を招いたものです。かつては安定経営で、競争力の強かった電力業界も自由化の中で厳しい経営状況を余儀なくされ、安全重視が損なわれた結果が大事故につながったのです。

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■チェルノブイリ事故・・・原子炉暴走事故

1986年4月26日、旧ソ連のウクライナ共和国の最新型原子炉が事故をおこしました。核暴走事故です。運転開始後初めての定期検査時に、原子炉を停止する際にちょっとした実験をしようとしていたところ、計画変更やミスのため仕方なく不安定な低出力での実験をせざるを得ませんでした。設計上の問題も重なり、原子炉の反応が進んで暴走・爆発、砕け散った燃料と水の反応で水蒸気爆発が続きました。この暴走事故では、おかしいと気づいてから放射能が環境に噴出するまでの時間は、せいぜい数十秒程度と短く、かつ当局が事故について的確に公表しなかったので、周辺住民の避難は大幅に遅れました。

事故の爆発規模は、TNT 火薬換算で500キロ程度の爆発なみと推算されています。この爆発は、原子炉の出力が1秒たらずの間に通常運転時の約500倍にも急増したために、原子炉内で急激に水蒸気が発生しておこったと推定されています。通常、原子炉内は制御棒によって出力急増を抑える仕組みが出来ていること、万一の緊急時には緊急原子炉冷却装置が働き、絶対に安全といわれてきたものです。しかし、この事故の場合は、反応をとめるために差し込んだ制御棒は、設計ミスのためにかえって反応を増加させてしまったのです。そのうえ緊急原子炉冷却装置はなぜか切られていました。

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■チェルノブイリ事故による放射能汚染

この事故による放射能汚染被害は、広島原爆の約600倍ともいわれています。放射能は北半球全体にばらまかれ、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三国だけでも900万人以上が被災し、40万人が移住させられました。短期間に大量被ばくした、80万人にも上る若い事故処理作業従業者の多くは放射線障害のために苦しんでおり、この人たちの中からいずれは何万人という死者が出ると予想されています。

被災三国では、日本の面積の4割に相当する14万5000平方メートルが、セシウム137で1平方キロメートル当たり1キューリー以上汚染されました。そこに住む人口は約590万人とわれており、これから恐らく10万人にのぼる癌が出ると考えられます。もし、東海原発でこの規模の事故がおきたら、東京は全滅ゾーンに入ってしまうのです。

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■放射能による食品汚染

地表や水が放射能で汚染されると植物・農作物が汚染されます。汚染された土地に棲み、よごれた水を飲み、汚染された植物を食べる動物はさらに体内に放射能を蓄積することになります。汚染地では、自家栽培の作物や家畜に頼らざるをえない人も多く、人々の体内放射能量は増加傾向が見られ、人々はいつも健康に対する不安を抱きながらの生活を強いられています。放射能による食品汚染は汚染された地域だけに限られた問題ではありません。

チェルノブイリから1500キロ以上も離れたスカンジナビア半島にすむトナカイをはじめとして、イタリア、ギリシャ、フランス、を含むヨーロッパ諸国の野菜、家畜、ハーブ 、キノコ類など多種類の食品が汚染され、それが海外に輸出されます。日本では食品汚染の上限を370べクレル/kg と決められていますので、これをこえて汚染された輸入品は送り返されました。半減期の長い放射能(例えばセシウム137の半減期は30年)により高度に汚染された地域では、未だに農作物を食べることは危険です。

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■放射性ヨウ素による甲状腺癌の発生

事故直後、放出された大量の放射性ヨウ素は、甲状腺を集中的に被ばくさせました。ベラルーシの小児甲状腺癌の発生は、事故前は年間約1人だったのが、事故8年目には82人にも達しています。

このように原子力事故による放射能汚染は、事故がおきてから何年にも渡って続きます。広島・長崎では被ばく後50年を経たいまでも、癌や心疾患によりなくなる人がいます。TMIおよびチェルノブイリ原発事故の影響の全貌があらわれるのにはまだ、まだ時間がかかるでしょう。

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■劣化ウラン及び劣化ウラン兵器

劣化ウランは放射性廃棄物
劣化ウランは何に使われている?
劣化ウランによる健康被害
無関係ではない日本の原発

劣化ウランという名称ですが 英語では「depleted uranium」といいます。「depleted」というのは「空っぽにされた」とか「枯渇された」「激減された」という意味になります。このようにいわれるウランとは、ウラン濃縮によって「核分裂に有用なウラン235」が取り出されてしまったという意味であり、「劣化」とは、ウラン235の濃度が低いという程の意味です。核分裂性のウラン235の濃度が低くなったとはいえまだ含まれていますし、残りのウラン238も放射性核物質です。

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■劣化ウランは放射性廃棄物

100万kWの原発を1年間稼働させるのに必要な濃縮ウランは30トンです。このウラン燃料を作るために必要なウラン鉱石は13万トン、これから精錬された天然ウランはウラン235の濃度が0.7%です。燃料にするためにウラン235は濃縮工場で濃縮され3~5%にまで高められます。その過程で大量の低濃度ウランが発生します。その量は160トンにも上ります。これが劣化ウランです。

日本の原発は52基、電気出力の合計は4590.7万kW(2003年1月末現在)、世界で運転中の原発は436基、合計出力(設備容量)は3億7372万7000kW(2002年末現在)になります。従って、1年間に発生する劣化ウランの量は、日本の原発分だけで7300トン余り、世界全体では約6万トンにも達することになります。 ここでもう一つ忘れてはならない事があります。それは核兵器製造のためにも濃縮ウランが必要なのです。

この場合の濃縮ウランは ウラン235の含有率を96%以上にするために、その分大量の劣化ウランが発生します。こうした核兵器用の濃縮ウランを高濃縮ウランといい、核燃料用のものは低濃縮ウランと います。

このように核燃料製造過程や核兵器製造過程で生み出される大量の劣化ウランは 核のゴミ、放射性廃棄物に他ならないのです。こうしてたまり続けることになった劣化ウランの総量は、アメリカに約73万トン、フランスに約30万トン日本に約1万トン、世界全体で約150万トンにもなります。核燃料サイクル開発機構の河田東海夫氏によれば、「日本で2020年までに使用する軽水炉燃料の濃縮に伴い発生する劣化ウランの総量は約32万トンと見積もられており、その大部分は海外に残されています。

劣化ウランは核のゴミであることから、当然のこととしてその保管・管理が重要になります。アメリカの場合、全米に3カ所濃縮施設(オハイオ州ポーツマス、テネシー州オークリッジ、ケンタッキー州パドウーカ)があり、専用の貯蔵容器48G(48シリンダー直径約1.2m、高さ約3.9m、6フッ化ウラン重量で12.174トンスチル缶[スチール製])に保管されています。その管理費は年間5億ドルもかかるうえ、容器から漏れた場合、放射能災害として扱われます。

日本においては、人形峠にある核燃料サイクル開発機構ウラン濃縮パイロットプラント及び日本原子力燃料の青森県六ヶ所村にあるウラン濃縮工場に、劣化ウランがたまり続けています。

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劣化ウランは何に使われている?

■民生利用例

先ず始めに、劣化ウランの特性を見てみましょう。鉄の約2.5倍、鉛の約1.7倍の比重があります。例えば、コップ1杯の水(200g)と同じ容量の劣化ウランは約4kgにもなります。こうした特徴を利用した民生利用として大きいものに、民間航空機の主翼や水平尾翼、垂直尾翼のカウンターウエイト(重り部品)として使われてきました。1機に取り付ける重りの総重量は、機体により異なりますが、民間旅客機のボーイング747機の場合は最大400kgを搭載しています。 1985年8月12日に単独機で史上最悪の事故(乗員乗客合わせて520名の犠牲者)である日航ボーイング747Rジャンボ機が群馬県上野村御巣鷹山に墜落しました。この機体には約240kgの劣化ウランが尾翼に使われていました。この劣化ウランが火災にまきこまれなかったのが唯一の救いでした。

事故後、日航、全日空、日本エアシステム社は劣化ウランをタングステンに交換しています。ボーイング社は 1981年以降、マクダネル ダグラス社も 1988年から製造している機体にはタングステンを使用しています。このように劣化ウラン使用が徐々に減ってきているとはいえ 世界の747ジャンボ機中 450機がタングステン使用、 551機が劣化ウラン使用のままです(1997年2月4日共同通信)。

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■軍事利用

劣化ウラン弾と劣化ウラン兵器の実戦使用

1991年の湾岸戦争以降耳にするようになった「劣化ウラン弾」、アフガン戦争以降知られるようになったバンカーバスター等の「劣化ウラン兵器」、それと劣化ウラン弾にも耐えられるように開発された戦車等の装甲板等があります。

劣化ウラン弾には戦車砲弾や機関銃弾などがあります。 いずれも先端がヤリのように尖った形をしています。比重が重い為に貫通力が強く、射程距離も長くなり 、また、風の影響も受けにくいために、命中精度も極めて高くなります。通常戦車砲弾などの材料に多く使われているタングステンの融点は約3300度、これに対して劣化ウランのそれは約1132度です。

劣化ウランは対象物に撃ち込まれると、摩擦熱などによって最高3000度に達します。熱で流体化して貫通力が高まった上に、自燃性もあるために、戦車に撃ち込めば、戦車内 の酸素と激しく反応して爆発的に燃えるのです。内部には燃えた劣化ウランの粉塵が大量に溜まり、乗員は即死状態になります。また、熱により搭載している弾薬等に引火すれば、それらの爆発によって戦車は大破してしまいます。

劣化ウラン兵器は、これまでに朝鮮半島などの軍事演習やイスラエルの対パレスチナ攻撃に使われましたが、戦場で大規模に使用されたのは、1991年の湾岸戦争でした。 当時、イラク南部のバスラ周辺地域を中心に、戦車砲弾や機関砲弾合わせて100万発以上もの劣化ウラン弾が使われたといわれています。その結果米軍発表では320トン、UMRC(ウラニウム メデイカル・リサーチ・センター)のアサフ・ドラコヴィッチ博士によれば、最も控えめに見積もっても350トンの劣化ウランを環境中に残し、3~6トンの劣化ウランエアロゾルを大気中に放出したと われています。

1996年のボスニア ヘルツエゴビア紛争においては サラエボ 20km範囲内のセルビア人勢力地域で、1万発以上の30ミリ機関砲弾が使用されました。1999 年3月から78日間のコソボ紛争においては北大西洋条約機構(NATO)軍の主力である米英軍が、コソボに約3万1千発の劣化ウラン弾である30ミリ機関砲弾を撃ち込んだことを認めています。特にイタリア軍が駐留していたコソボ南西部を中心に112地点でユーゴスラビア軍戦車や装甲車などを標的にして集中的に使用されました。また国連管理下にあるコソボ以外でもセルビア南部やモンテネグロで約3千から5千発の劣化ウラン弾が使用されました。

2001年のアフガン戦争(現在も米軍による攻撃は続いている)では それまで使われていた劣化ウラン兵器だけではなく新たに開発された劣化ウラン兵器が大量に使用されているという疑惑が、英国の劣化ウラン研究者であるダイ・ウイリアムス氏によって提示されました。氏は、米軍の特殊文書や公開資料から、従来の劣化ウラン兵器だけではなく、分厚いコンクリートでできた建物や地下施設を攻撃するバンカーバスターなどの貫通型誘導爆弾の改良型にウランが使用されていると指摘しています。爆弾は、砲弾や機関砲弾よりも、一発あたりはるかに大量のウランを含んでいます。例えば、1トン爆弾は戦車砲弾100発分以上のウランを含んでいます。従って貫通型の爆弾が大量に使われると、それだけで桁違いの汚染を引きおこすことになります。

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■劣化ウランによる健康被害

劣化ウランによる健康被害については、放射能毒性と重金属による化学毒性の二つの原因が指摘されています。こうした状況において、化学毒性について無視することは当然出来ませんが、以下のことから放射能の影響が強いことを示していると考えられます。 イラクのバスラでは、1991年の湾岸戦争で少なくとも300トンの劣化ウランが使用されたと推定されています。

バスラ大学の医師アル・アリ博士は悪性腫瘍の疫学的調査を実施し、次の様な結果を紹介しています。湾岸戦争前の1988年と比較して、5年後くらいから癌死亡者が急増し始め、2000年以降には20倍の域に達していること。家族内の複数癌患者発生や、同一人の異なる種類の癌発生、奇妙な癌、出生児の奇形、障害の発生と多数報告しています。また、小児の悪性腫瘍の発生、特に、リンパ腫、白血病、脳腫瘍の発生率の高さが目立っています。

なお、この調査対象には、死産であった子どもは含まれていないのです。こうした状況は、イラクの人のみならず、湾岸戦争に従軍した兵士の間でも、癌、白血病、免疫不全をはじめ、慢性的な症状として脱毛や頭痛、関節痛、胃痛、下痢、記憶障害、 睡眠障害など様々な疾患が多発し、「湾岸戦争症候群」とも言われています。 全米湾岸戦争リソース・センター(NGWRC) の1999年末の調査では、戦争後退役し復員軍人局の給付の有資格者となっている50万4047人のうち、52%に当たる26万3000人以上もの帰還兵が、体調の異変を訴え、政府・復員軍人局に医療を要求しています。

また、37%に当たる18万5780人が、病気や障害による就労等の不能に対す補償を要求しています。帰還兵のおおよそ半数近くが何らかの健康被害を訴えており、既に9600人以上 の帰還兵が死亡しています。  では何故この様なことになってしまうのでしょうか。劣化ウラン弾が標的に衝突すると燃え上がり、微粉末の煙(エアロゾル)になります。

この微粉末は風にのって拡散し、呼吸により、或いは飲み水や食べ物に混じって体内に入ります。呼吸によって空気とともに吸い込まれた劣化ウランの微粒子は、細気管支や肺胞に沈着し、長期間(20年以上)留まり、細胞を障害します。また、食細胞に貪食された劣化ウランの微粒子は、全身に運ばれ、骨髄造血細胞や卵巣、睾丸など生殖腺細胞にも沈着し、白血病や先天異常をもたらす事になります。劣化ウランは主にウラン238であり、その放射線もアルファ線が主体です。

アルファ線は紙も透過しないので害がないと言われますが、それは外部被曝の場合にしか当てはまりません。飛程の短いアルファ線(空気中で45mm、水中または身体組織中で40マイクロメートル)は、放射線物質がすぐ近くにある場合を除いて、余り体に届きません。届いても皮膚近くで止まってしまいます。しかし、内部被曝の場合は状況が一変してしまいます。飛程の短いアルファ線は体内で止まってしまうので、周辺の細胞に深刻な影響を及ぼす結果になります。ウラン238の半減期(放射線量が半分になるのにかかる時間)は45億年であり、17時間に1回(年に約500回)の割合でアルファ線を出し続けるのです。

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■無関係ではない日本の原発

日本の原発に必要な濃縮ウランは、資源エネルギー庁核燃料サイクル産業によると、国産150トンに加え、700トン輸入されており、そのうちの580トンは、米国・ウラン濃縮会社(USEC)製です。この会社は、米エネルギー省のウラン濃縮の民営化によって作られた企業であり、アメリカが製造・配備している劣化ウラン弾の原料は同社が供給しています。そのことは、2001 年1月20日に、USEC社のパデユーカ濃縮工場及びポーツマス濃縮工場の劣化ウランから劣化ウラン弾が製造されていると、ロイターが報じるなどして周知の事実になっています。

2001年に行われた市民団体「美浜・大飯・美浜原発に反対する大阪の会」との交渉の過程で、濃縮工程の大部分を同社に委託している関西電力は、濃縮過程で出てきた劣化ウランについて、その全量を無償で同社に譲渡していることを認めています。但し、それが劣化ウラン弾に使われているとの確証は取れていませんが、疑惑は完全には払拭されていません。

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よくわかる原子力-電力政策の問題点(原子力教育を考える会)ホームページより
http://www.nuketext.org/mondaiten.html


ここでは書ききれなかった事故の実体や現在も続く被害状況などは以下の資料を参考にして下さい。

参考資料
『これが原発だ---カメラがとらえた被曝者』 樋口健二著・岩波ジュニア新書 1991年
『原発』1975~1995年樋口健二写真集 三一書房
『 闇に消される原発被曝者』樋口健二著 御茶ノ水書房 2003年
『原発ジプシー』堀江 邦夫著 講談社文庫 
『知られざる原発被曝労働』 藤田祐幸著・岩波ブックレット
『原子力市民年鑑』 原子力資料情報室 七つ森書館 2002 年


参考資料
1)「原子力発電で本当に私達が知りたい120の基礎知識」広瀬隆、藤田祐幸著 東京書籍 2000年
2)「知ればなっとく脱原発」反原発運動全国連絡会編 七つ森書館 2002年
  (久米三四郎、経済的苦況がまねいたスリーマイル島原発事故)
3)「脱原発へ歩みだす」高木仁三郎 著作集 第一巻 七つ森書館 2002年
4)「原子力市民年鑑」原子力資料情報室編 七つ森書館 2002年
5)「内部告発」グレゴリー・メドベージェフ著 松岡信夫訳 技術と人間 1990年
6)「原発事故ーその時、あなたは 」 瀬尾健著 風媒社 1995年
7)「原発事故を問うーチェルノブイリからもんじゅへー」 七沢潔著  岩波新書 1996年
8)「食卓にあがった死の灰」高木仁三郎 、渡辺美紀子著 講談社現代新書 1990年
9)「チェルノブイリと地球」写真集 広河隆一 講談社 1996年
10)「チェルノブイリ事故による放射能災害」国際共同研究報告書 今中哲治編 技術と人間 1998年
11)「原子力読本 PartII チェルノブイリは警告する」神奈川県高教粗「原子力読本」編集委員会 東研出版
   1989年

映画
「ナージャの村」(チェルノブイリ・ベラルーシいのちの大地) 企画・監督 本橋成一
「アレクセイと泉」(チェルノブイリ・ベラルーシいのちの物語) 企画・監督 本橋成一

ホームページ
チェルノブイリ救援・中部 http://www.debug.co.jp/ukraine/
チェルノブイリ子供基金 http://www.smn.co.jp/cherno/


参考資料
『放射能兵器・劣化ウラン』伊藤政子、新倉修、野村修身、藤田裕幸、森住卓、谷ヶ崎克馬、山崎久隆著 
 技術と人間
『劣化ウラン弾』湾岸戦争で何が行われたか 国際行動センター・劣化ウラン教育プロジェクト、新倉修監修 
 日本評論社 1998年
『知られざるヒバクシャ』劣化ウラン弾の実態 田代明著 大学教育出版 2003年
『劣化ウランの危険性とアメリカでの反対運動、 ローレン・モレさん講演会の記録』グリーン・アクション発行
 2002年
『アフガニスタン戦争での劣化ウラン・ウランによる汚染、被害の実態』
 UMRC イラク・ウラン被害調査カンパキャンペーン事務局 2003年
『アフガニスタンにおける劣化ウラン戦争ー重大疑惑と検証』
       アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 
『イラク反戦と劣化ウラン』山崎久隆、伊藤政子著、たんぽぽ舎
『原発震災と原子力の黄昏』小出裕章著 理論戦線 実践社 2002年秋号 

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なぜ原発が非人道的なのか?