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2001
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動物と会話する能力

 
2001/02/27
アメリカの先住民族の伝説を書いた本で、人間にはもともと動物と会話する能力があったと言う話を読んだことがあります。今でもイルカと一緒に泳いだりコミュニケーションしてる人を見ているとイルカと話が出来るとしか思えません。テレパシーよりももっと具体的で、人間の言葉と違う何かがつうじているようです。

言葉は人間の五感の一部である聴覚だけを使ったモノなので他の感覚を使った方法で、色々な動物達と分かり合える方法があるのだと思います。考えてみれば同じ言葉を使う日本人同士でも、コミュニケーションを取れずに喧嘩やお互い無視の状態になる場合もありますし、心を伝えるためには言葉自体が思っているほど有効な手段ではないのかも知れません。

目と目で理解し合えるとか阿吽の呼吸とか、今では生涯に数回しか体感し得ないような感覚を、古代の人が日常的にコミュニケーションの方法として用いていたとしたら、きっと動物とも話をすることが出来たに違いありません。

 

 

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/好きな言葉-1

 

2001/02/19
僕の好きな言葉の一つに「人は一つのことを一生懸命にしているとき、その他全てのことをなまけている事を自覚しなくてはならない」と言うスティーブンソンの言葉があります。学生の時にこの言葉を読んでピンとは来ませんでしたが、あるデザイン会社で仕事に没頭していた時に偶然この言葉を読み返す機会があって、愕然とした覚えがあります。

その時はいい仕事をしようと思う一心で徹夜、徹夜の連続でした。抱えていたテーマに関連する本を片っ端から読み漁り、色々な場所にもアイデアを求めて走り回っていた時でした。当然自分の意識としては多方面に意識を配り、かなり頑張っていると思いこんでいました。そしてアイデアのために以前読んだ本をぱらぱらとめくっていたときに、先の言葉に出会ったのです。

そしてよく考えなおしてみると、自分では一生懸命頑張っているつもりだったのですが、確かに仕事に関すること以外、その他全てのことをさぼっていたのでした。普段のんびりしている時は心から離れたことのない友人のこと、家族のこと、可哀想な野良猫のことや音楽のこと、他の国の人達のこと、地球の環境のこと、とにかく思い浮かぶ全てのことをさぼっている自分に気がついたのです。
これは普通に仕事をしたりぼーっとしているときにはあり得ない状態で、自分が仕事と言うもの一つのことしか考えていなかった結果の状態だということがよく理解することが出来ました。

もともと人間には全てのことに意識を開いておく事なんかは出来ない相談ですが、せめて偏りを少しでも減らす努力と気構えは出来ると思います。とにかく僕自身はその時以来何かに集中しているときは特に、この言葉を思い出すようにしています。

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民族紛争の悲しみ

 

2001/02/15

21世紀に入っても、世界各地で民族紛争が起こっています。宗教や政治的理由など根っこがどれだけ深いのかは分かりませんが、国連や世界中の博愛主義者が努力しても解決の糸口が見つからないのはよほど困難な問題なんだと思います。

イスラム教徒とセルビア人の紛争やアフリカのルワンダの部族間の闘争など日本人から見ると殆ど区別のつかない同胞同士が信じられないほどの憎しみをぶつけ合っています。そして、その中で行なわれる残虐行為を見て、21世紀とか、人間とか言う意味は一体何なんだろうと言う疑問が湧いてきます。

とくにアフリカなどの部族闘争を見ていると本当に民族や部族の間から湧出した問題なのだろうか、なにか、もしかして無知な人々に対して強国の政治的な意志や先導が働いているのではないかと疑いたくなります。
食べ物も行き渡らない貧しい国の兵士達がおびただしい数の新しい武器を手にしているのをみるとこの疑いは拭い切れません。彼らが弓矢や槍で武装してやり合ってるのなら話は少し分かりますが、手にしているのは自衛隊が使っているような近代的な武器です。
およそアフリカのジャングルや砂漠地帯には似つかわしくないものです。国連を始めヨーロッパの先進国やアメリカ等がアフリカの紛争には何故か消極的なのもおかしいです。たしかにヨーロッパの紛争に介入する姿勢とは違うと思います。

僕自身も民族紛争のあまりの残虐さと根深さにショックを受けました。それが今、これだけ情報が発達した近代社会で現実に行われているのですから。もっと民族に関して勉強しなくてはと思いました。

 

ピース ウィンズは1996年2月に設立されたNGO(民間の支援団体)です。
海外の難民、被災民、国内避難民の支援、自立、自治を支援しています。

 

 

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DNAと人間

 

2001/02/13

先日ひとのDNAの数が蝿やみみずの2倍しかないというニュースが流れていました。学者の間では予測がはずれて随分驚きの感情があったようです。学者の人達は人間と蝿の間には遺伝子の上でももっと明確な差があると予想さてれいたんだと思います。

人間が唯一の高等生物であるかのような独断的な考え方は、あらためなければいけない時代がすぐそこまで来ているのだと思います。もし高等生物というのが知性や理性の高さをさすのなら、もともと人間はアンバランスな生き物だと思います。

知性のある生物がお互い何千年ものあいだ繰り返して戦争で人を殺したりするはずもなく、むやみに環境を破壊したりするはずがないからです。人間だけが生きている星なら環境破壊で自滅するのは自業自得でしょうが、他の自然に生きている生物にとっては、それはあまりの仕打ちでしょう。

ヒトゲノム計画等やその他の科学がどれだけすすんでも、地球自体はもちろんのこと小さな生命一つ人間には創造することが出来ないのですから。

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フリッパーの想い/青い海にただよって

2001/02/02/


ここは僕たちがやすらぐ静かな海です。
海底からの地球の鼓動がお腹に心地よく響いています。
まるでお母さんの心音のようなリズムです。

ふわっとした意識のなかで上空を見上げると
星たちがクリスマスツリーのように点滅しています。

天空の一角をじっと見つめていると、その美しい光の強弱が
遥か遠い星たちからの光のモールス信号だということが分かります。
・・・意識・・外へ・中へ・・・内へ・・・
彼らは何を伝えようとしているのでしょう。

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親友が一人いれば

2001/02/01/バース/


親友が一人いれば多くの犯罪や惨劇が防げるのではないでしょうか

国内での親子をめぐる惨劇が増えているように想います。連日報道されるニュースを見ていて凶行にまで追いつめられる人の共通点は孤独ではないかとおもいます。何でも話が出来て心の負担を軽くできる友人が一人いれば、人間はそこまで凶暴にも無知にもなりません。

もし、どちらかが落ち込んでももう一人は少し元気でフォローする事が出来ます。友人同士はお互いに異なった個性ですから、二人同時に同じ心境になることはあまりないと思います。親友なら、友達のあやまった判断や行動は確実に止めることが出来ます。何故ならそれが親友の条件だからです。お互いにここ一番の干渉が出来なければ親友とは呼べません。
孤独は無知と背中合わせに引っ付いています。何故なら人が色々学ぶのはテレビや本からではなく人からのことが多いからです。それも心の通った友人の口からでる言葉は心にしみこみます。お互いに相手のことを思い影響しあう関係が延々と持続することが、友情の最大の特徴です。あるときは自分を映し出す鏡にもなってくれたり、別の時には自分以外の世界を覗く窓にもなってくれるのが友人です。
昔のように一つの家に何家族も住んでいたり、おじいちゃんやおばあちゃんが常にそこにいて、なおかつ近隣の人とのコミュニケーションも保たれているような環境なら別ですが、核家族でマイホーム主義の形態をとっている人が多い現在はとても危険です。親にしても子にしても、一人の親友と何人かの友人を持つことが大切です。他の人との対比の中でこそ家族や自分のことがみえるのですから。

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これで大丈夫か2001年

2001/01/31/

やりきれない事件の連続で最初の月が終わりました。インドの大地震で大勢の人が亡くなり救助活動もあまりはかどってはいないようです。阪神大震災の時もそうでした。震災の翌日友人と二人で神戸の知人に飲み水を運んだときもまだ救助活動は一部でしか行われていない状態でした。

自衛隊なんかはどうして有事のときに間髪いれずに活動できないモノかと歯がゆくおもいました。災害救助を主体とした訓練がなされていないので、震災の現場でも、どうしていいか分からずうろうろしている隊員が多く見受けられました。彼らにとっては災害救助は2次的なものなので仕方がないと思います。
何とか戦争の防衛訓練を2次的なものにして、災害救助を第1次の目的に変えれないものでしょうか。震災当日にヘリコプターでもパラシュート降下でもあらゆる方法で、装備を持った人達が現地に集結すべきです。現地の人はパニックと放心状態で何もできないのですから。
通信網がこれだけ発達しあらゆるテクノロジーがこれだけ進化したのですから、それを扱う人間も進化しないと宝の持ち腐れになってしまいます。

 

 

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ガラパゴス島付近でのタンカー座礁

 

2001/1/26/

今日ニュースでガラパゴス島のすぐそばでタンカーが座礁してオイルが流出し、深刻な事態が報道されていました。あざらしや海鳥の体にオイルがへばりつき何とも悲しい光景でした。事故だから仕方がないのかも知れませんが、この様な事故を見るたびに一刻も早く石油に変わる無害で危険性のないエネルギーの開発が望まれます。

それにしても事故に対する各国の対応も遅く、数十キロにわたってひろがる油の海に対して、地元の漁師が小舟に乗ってバケツですくっている様子はあんまりだと思いました。昔イギリスのテレビ番組の人形劇にあったような国際救助隊のような組織が実在して世界中の地震や事故などに素早く対応できたらどんなに素晴らしいか。
世界の軍隊が全部救助隊になっても十分忙しいだけの災害が今の地球上には存在します。日本の自衛隊も国際救助隊と言う名前に変更してもっと人間的な貢献目的を設定すれば、今の隊員の人達もやりがいがあるでしょうし、優秀な人材ももっとたくさん参加するでしょうに。
とにかく無意味な水門を巨額のお金を使ってまでつくって、漁民の暮らしや有明海の生態系を破滅させるようなことばかりしていてはいけません。生物学者や海洋学者の人達には結果が分かっていたはずです。全国漁師さんと大学の学者が地元の漁師さんと一緒になって馬鹿な政治家や役人と戦うぐらいの国になってほしいものです。

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心の衰え

 

2001/1/24/

人には3つの衰えがあります。一つは<心の衰え>です。好奇心や感情や愛情が薄れることです。次が<頭の衰え>で、記憶力や回転、思考力の衰えです。最後が<体の衰え>で、持久力や瞬発力が衰えることです。この3つの衰えの中で体の衰えと頭の衰えは共通点があります。

それは二つとも自覚症状があることです。最近物覚えが悪くなったとか体のいうことがきかないとかいうやつです。ですから運動不足であろうが、勉強不足であろうが、その事を自意識出来ると言う点では救いがあります。ところが<心の衰え>は自覚する事が難しいモノです。
何故なら、好奇心や情愛が薄れることは、前の二つの衰えのように自分自身の問題ではなく、自分と自分以外の関係に根ざすモノだからです。そして<心の衰え>が恐いのは年齢と共に進むのではなく20の若者にも小学生にも起こり得ることです。

逆を言えば80歳の老人でも好奇心や人や自然に対する愛情を持ち続けている人がたくさんいます。バースの身近にも<心の衰え>を感じさせない老人が数人います。頭がぼけて、体も不自由でいながら、終始穏やかなその振る舞いをみてると、人間にとって一番大切で、維持し続けなければならないのは<心>だということが、よく分かります。もちろん頭や体も維持できれば申し分ないでしょうが。

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先住民族に思うこと

2001/1/20/

日本のアイヌの人やアメリカ大陸のケチュア族など世界中の先住民族が一同に集う大会では、ロシアやアフリカの全く文化の違う人と人とが初対面でも、お互いの意志を通わすことが出来ると言います。国連やG7等で先進国の首脳が翻訳機を駆使してもなかなか意志が伝わらないのは何故でしょうか?

あるロシアの先住民族の人が語っていましたが、「私達遠く離れた先住民族同士が、互いの心が理解できるのは<同じ哲学>を持っているからだと」 そういえば何千年いや、何万年も前から五大陸で暮らしてきた彼らにとっては、キリスト教や仏教などはつい最近のもので、彼らにとっての共通の神は自然界に存在する全てのものだからでしょうか。アイヌの人、アフリカの人、アメリカの人、ロシアの人・・・彼らの交流風景を眺めているとまさに<人類>とはかくあるべきものと言う感じがします。

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あざらしを守るイギリスの素晴らしい家族のこと

2001/1/15/

少し前に見たBBCのドキュメンタリー番組ですが、イギリスのある家族がバケーションで近海の島で暮らしていた時の事です。ある夕暮れ時に家族が海岸に集まって奥さんのバイオリンを聞いていたとき、ふと気がつくと海辺に数頭のあざらしが同じように奥さんのバイオリンの音色に聞き入っていたそうです。

家族は感動してこのあざらしの住む島の環境とあざらしを守るために色々と行政に働きかけたそうです。(環境の悪化やあざらしを密猟で殺す人もいるんだそうです)でもあまり効果がないので、イギリスにある家や資材を全てなげうってそのあざらしの住む小さな島を買い取って自分たちもそこで暮らしながらあざらしの保護にあたることに決めたのです。

僕が感動したのはその夫婦と二人の娘さんの表情が、まさに人間とはかくあるべきと言うぐらい美しい表情をしていたことです。
青い海とあざらしのつぶらな瞳と家族の優しさが融合した素晴らしい光景でした。

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寒い深夜に。

2001/1/12/ 

とても寒い夜です。強い北風と一緒に野良猫の鳴き声が聞こえます。気になって眠れずこれを書いています。今年になって大阪の街では路上で暮らす人が日に日に増えているような気がします。今日のように寒い夜は想像するだけでもやりきれません。

部屋の中でもこれだけ冷えるのですから、外で夜を明かす人の事を思うとストーブを点けるのも気が引けてねんねこを着てパソコンに向かっています。DNAやロボット工学など科学は進んでいるのかも知れませんが、遺伝子操作や踊るロボットを何億円もかけて開発するまえに、そこにいる生きてる人間を救わなくてはなりません。

この間TVで表情のあるロボットを作っているシーンが写っていましたが、表情のあるロボットとそれを作る人間の表情の乏しさが何とも皮肉で印象的でした。

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えびすさんに思うこと。 

2001/1/10/       

大阪以外の人でもご存じかとは思いますが、浪速区の方に今宮戎という神社があります。普段はあまり人の立ち寄らない小さな神社なんですが、今日10日前後はものすごい人出で、まさに盛況を極め、酔人の喧嘩やひったくり等、全国で嫌われる大阪人の面目躍如たる一大イベントとなります(最近はそれほどでもないですが)。参道を埋め尽くす露店はここぞとばかりに上手に儲け、普段けちな人達も「えいっ」とばかりに大盤振舞して商売繁盛を願います。

本殿の前に特別にしつらえられた賽銭箱は水をはればシャチでも泳げそうなほど巨大なもので、投げ込まれるお金や小切手や宝くじや株券をことごとく飲み込んでいきます。中には去年沢山の賽銭を投入して、挙げ句の果てに倒産した人の不渡り手形も入っているとかなんとか・・・何ともやるせない風景です。この大阪人のエネルギーがお金ではなく、他のことに向いたら世界でも最高の市民になるのではないか? そんな思いが頭をかすめた今日でした。

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ネコとばあちゃんと学生と。

2001/1/06/

今日、新世界の猫の店(ここのお店では猫がお客さんと一緒に客席に座っています)で、長く悲しいでも人間的なはなしを聞きました。おばあちゃんと僕と猫と、僕は分かったような気がします。グランブルーな心なら同じ思いだと思います。

あとで共に呑んだ鹿児島の友達と、若い芸大の美しい二人の学生に乾杯。彼らはきっとグランブルーの世界を守るスタッフになるとおもいました。

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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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