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2001
   
  ■2001年の最後に思う ■テロとテロ ■守る人壊す人 ■色々な手 ■草の根運動 ■教育水準とは ■アフリカの子供達 ■エコシステムとウィルス ■自然のサービス ■桜の咲く頃 ■悲しすぎる石仏の破壊 ■摩耶山のケーブルが復旧 ■襟裳岬の春 ■真っ青な海が訴えるもの ■情報技術とは ■自然エネルギーの時代 ■友人っていいな ■有明の海に想うこと ■人が何かを愛する時 ■動物と会話する能力 ■好きな言葉-1 ■民族紛争の悲しさ ■DNAと人間 ■青い海に漂って ■友人が一人いれば ■これで大丈夫?2001年 ■ガラパゴス島でのタンカー座礁 ■心の衰え ■先住民族に思うこと ■あざらしを守る素晴らしい家族のこと ■寒い深夜におもうこと ■えびすさん ■猫とばあちゃん
 

2001年の最後に思うこと

 
2001/0/12/23/バース/多くの悲しみが未来につながることを期待して
この稿を書き始めるとき、この美しい地球にちらばるヒューマンで心やさしい出来事や、動物や自然風景の一部を僕なりに切り取って、少しでも読んでほっとするようなページにしようともくろみました。しかしその思いは瞬間に吹っ飛んでしまいました。年の初頭から憂鬱になる事件が連続的に起こり、やるせない気持ちの中で何も書けなくなってしまいました。

理不尽な水門による有明海の汚染や、ガラパゴスのタンカー座礁による環境破壊の問題が起こり、愛媛丸の悲しい衝突事故、あちこちで起こる残虐な民族紛争、バーミアンの石仏の破壊など思い出すのも辛い事件が次々と起こりました。

どの事件も理不尽な思いがつきまといました。そして、9月にはあのショッキングなテロが起こりました。とても現実のものとは思われないシーンがテレビに映し出されました。そして、頭がぼーっとしてる間に、今度はアメリカによる報復戦争がはじまりました。

毎日のように報道されるアフガンの難民や罪のない村人の恐怖におびえた表情をテレビでみていると、なんで?と思わず疑問符が湧いてしまうまいにちでした。僕には武力で問題が解決するとはとても思えません。それは新たな憎しみの火種と遺恨を大きくするだけのように思われます。

 

それにしても、物質的に豊かになりすぎた先進国と今なお飢えや病気に苦しむ発展途上国とのコントラストは、この地球のハーモニーを完全に狂わせています。先進国のエゴ、貧しさ故の途上国の無知。このことはアメリカを筆頭にヨーロッパ諸国や日本を始めとするアジアの先進国にも多大なる責任があるように思われます。

今や時代はインターネットで世界が一つにつながろうとしています。そんな中で、一つの国がよりエゴイストな政策をとったり、民族が孤立し、いがみ合ったり、宗教が対立を深めるなんて、あまりにばかげた事ではないでしょうか。それは皮肉と言うにはあまりにもむなしすぎます。一体、科学とはなんでしょうか?教育とは何のためでしょうか?

それは豊かな社会と人間としての尊厳を高める為に追求してきたものだったはずです。万物の霊長として、人間はその責任と自負と豊かな未来への夢を込めて努力してきたはずなのです。そして知識や科学こそ、平和や平等、共存を現実のものへと推し進める原動力になるべきものだったはずです。

悲惨な戦争や殺戮を何回も繰り返してきた人類にとって、そのあまりにも尊い犠牲による経験と、日進月歩で進化する科学は、同じ過ちを繰り返さないための抑止力にならなくてはおかしいのです。アフガンでアメリカが使用したバンカーバスターやデイジーカッター等という名前のついた恐るべき爆弾を、実際に人間に向けて投下している現状は、まるで悪夢です。そんなことに科学を使うなんて。

この2001年に起こった悲しすぎる事件の数々をもう一度全ての人々が噛みしめて、少しでも誤らない歩みをこの先期待したいと思います。

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テロとテロ

2001/11/01
連日のように残虐でむなしい空爆が行われています。正義って一体何でしょう?テロ根絶と言う、正義の旗のもとで行われ、結果としての無差別な殺戮を繰り返している現状を見ていると、正義というあまりにも抽象的な言葉がいかにむなしくて恐いものかを実感します。

どんな大義があっても暴力は肯定出来るものではありません。それはベトナム戦争や中東戦争を繰り返してきたアメリカとアメリカの人達が一番分かってる事実だと思います。にも関わらず今回のアフガニスタンへの報復は、アメリカと言う国が持つ病的な闇の部分を感じてなりません。

今回の軍事報復の前に、アメリカが世界中の国に対して、テロ根絶のための方法や意見を聞き、何としてでも平和的解決の糸口を見つけようと努力したでしょうか?していません。出来ないのです。テロの問題は突き詰めて考えていけばアメリカやロシア等の大国がとってきたエゴイストな政策がその原因となっているからです。

世界で一番貧しい国に雨のように爆弾を落とし、罪もない子供達まで巻き添えにしながらテロリストを抹殺するためにはやむ得ない犠牲などとは、人間として口に出せる言葉ではないと思うのです。アメリカやイギリスが行っている軍事報復は、まさにテロそのものではないのでしょうか。

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守る人壊す人

2001/07/12

自然を守るためにプライベートを犠牲にしてまで頑張る人、見捨てられた動物を我が子のように愛する人、見知らぬ国の貧しい人々を助けるために地球の裏側にまで行って、尽くす人・・・・。そのやさしさは人間がこの地球上で一番優れた生き物であることを実感させてくれます。

ところが片方で同じ人間と言う名の付いた生き物が、お金儲けのために自然を破壊し、何の罪もない動物を虐待し、愛くるしい子供にまで暴力を振るうのは一体どうしたことなのでしょうか。景気が良くなると血迷い、悪くなると右往左往して、我を忘れる人間の醜態を見ると、この地球上には2種類の人類が混在しているのではないかと、疑いたくなります。

見かけは同じように見えても、実体はとてつもなくかけ離れた生き物が同じ人間という名を被せられているのではないか。そう考えなくてはどうしてもつじつまが合わないほど、その行為と存在感はかけ離れています。そこには善とか悪とかの2極化で捉えることの出来ない、もっと根元的にかけ離れた何かを感じるのです。

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色々な手

 

2001/07/09

人は一人では生きていけないとよく言われます。人間の力が、自然に対して圧倒的に弱い時代には人はグループや集団を作って、その協力の下に自然や外敵と戦った歴史がありました。時代が進み科学は人間に様々な力を与え、自己防衛のためのグループ化は昔ほど必要ではなくなりました。

それでも人は一人では生きていけないと言う言葉は同じように現代に響きます。それは自然や外敵に対する恐怖だけでなく、人には生きると言う神秘的な現象にたいする不安と、人を愛すると言う根元的な欲求があるからです。そして多くの人はその存在の不安と人を愛すると言う行為をとおして、自然や動物を慈しむ心を育てていくのです。何故なら人は人にとって一番身近な自然だからです。

人が人と手を繋ぐのは人が自然とコミュニケーションをとる第一歩なのです。手から手への連鎖を通して、大地や自然の息吹をより深く感じとる事が出来るのです。大きい手、小さな手、弱い手、逞しい手、全ての手がかけがえのない温もりを持っています。小さな手が大きな手を包み込むこともあります。そして弱い手が逞しい手を励ますこともあるのです。

 

 

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草の根運動

2001/05/13

世界中の至る所でコツコツと草の根運動をしている人達がいます。それは環境、福祉、平和、教育などあらゆるジャンルで行われています。音楽や絵画、科学の分野など一体どれぐらいの数の人々がそういう運動に参加しているのかは分かりませんが、数億人と言う数になると思います。

そしてどんなジャンルの草の根運動でも、つまるところ地球の平和や人類の幸せにその焦点が合わせられていることには共通しています。そう考えると疑問が湧いてくるのです。数億と言う人の意識が同じ焦点に向かっているのに、何故地球上の争いや飢餓がなくならないのでしょう。

飛躍的に科学が進歩し、技術的に飢餓をなくせる力はあると思いますし、論理的に戦争をなくすことも可能だと思われます。でも現実には世界各地で民族紛争や地域紛争が多発しています。悲惨なテロや人権蹂躙の嵐が世界中で吹き荒れています。はたして、何故でしょうか。やはり地球上の全ての人の意識が変わるぐらいの状況が起こらなければ、ヒューマニズムにあふれた社会にはならないのでしょうか。

僕自身はこう思っています。人間一人一人の<個>としての意識の連結が進めば、過去の歴史にない全く新しい展開が生まれてくると思うのです。どんな草の根運動も、数人が集まりそれが大きくなればなるほど、その集団自体が<一つの個>となってしまって、偏ってしまうのです。

一つの組織の目的や意識がはっきりすればするほど、それは独善的な様相を呈したたりします。もともと個人の生き方の中で必然的に芽生えた、<人類愛>とでも言うべき意識が、集団や組織の中で何か違うモノに転化するのではないかと思います。とにかく小さなエゴを消しながら、大きな融和に向かってこつこつ個人的な連鎖を模索することが、長期的に見て一番はやい道ではないでしょうか。

 

 

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日本の教育水準の低下について

 

2001/04/25/

最近よく耳にする話で日本の教育水準の事があります。世界の水準に対して、最近の日本の子供達の学習時間が少ないとか、学力が低いとか言う話のようです。日本は不思議な国です。昔と違ってこれからの社会は学歴や、知識の詰め込みが必ずしも社会で役立つとは限らないことを、多くの人が認識しているはずなのに、相変わらず進学のための私塾が繁盛しています。

バースの住まいの近くででも、夜の11時頃に小学生が塾から帰る姿を見かけます。その姿は完全に異常で、見ていて可哀想に思います。

こんな状況で学習時間が短い等と言うことはあり得ないと思うのですが、進学のために盲目的に学習する子供達と全く学習に興味を失った子供達との2極化が進んでいるのかも知れません。どちらにしてもこれは現代教育の歪みです。

教育とは一体何のためのモノかを、親や関係者が問い直さなくてはいけません。教育とは人間性の向上が目的だったはずです。社会のモラルや人間としての優しさを教えることを第一義としないかぎり、学習時間が長くても短くても偏った人間に育ってしまうのではないでしょうか。

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アフリカの子供達の悲惨

2001/04/15

先日、テレビでアフリカの子供達が人身売買されている事実を知りました。それも実数は分かりませんが年間20万人にも及ぶ恐ろしい数と言うことで、自分の目と耳を疑いました。世界が狭くなって情報が行き交う現在の地球上で、子供の奴隷売買が行われているなんて、どう考えたらいいのでしょう。

そして先進諸国がまるで別世界の出来事のように看過出来るのはなぜでしょう。一方で遺伝子の解読とか宇宙への進出とかが取りざたされている同じ時代の同じ人間が物のように売買されている現実があるのです。

UNHCR/国連難民高等弁務官事務所*難民救済の国連機関
http://www.unhcr.or.jp/

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エコシステムとウィルス

2001/04/10

最近マスコミで騒がれているC型肝炎ウィルスを始め、科学が急速に進んだこの20年の間に30数種の未知のウィルスが現れています。ザイールを始めアフリカで多くの死者を出したエボラウィルス、マチュポウィルス、ニューハンタウィルスや現在世界で3000万人以上の感染者がいると言われるエイズウィルスなどが、世界中で不気味な拡がりを見せています。中でも発病までの潜伏期間の長いエイズウィルスは、実際の感染者がどのぐらいいるのか分からないのが現状のようです。

アメリカやヨーロッパではエイズ撲滅と予防のための積極的な対策がとられていますが日本では、薬害事件の流れでマスコミに流れているぐらいで、感染者やその周りの人以外はあまり関心を持っていないようです。

コレラやペスト等の伝染病を次々と克服してきた近代医学も、この未知のウィルスを克服するのにはまだ時間がかかるようです。そして結核菌のような既知の病原菌が抗生物質に対する抵抗力をつけて、復活している現状もあります。

近年におけるこの異常な現象は、一説によると私達人間がこの地球のエコシステムを壊し続けているからだと言われています。ウィルス感染の原因説の一つにアマゾン等の世界各地の原生林で行われている過激な森林伐採があります。かって文明人が踏み込む事の無かった環境での未知のウィルスとの遭遇です。そして伐採された材木に付着して都市に持ち込まれることも考えられます。
どちらにしても空気伝染しないこれらの新しいウィルスは閉じられた世界では拡がるはずがないのです。人間のあまりにも無分別な経済活動の結果がもたらしたことです。
この地球は完全に閉じられた世界です。その中で循環される自然の摂理は絶対的な意味を持っていると思います。無謀な森林伐採や海の干拓など、やってはいけないことがあるはずです。長く地球上の生命を培ってきたエコシステムが変調をきたすとき、病気や自然災害などが人間に降り懸かってくることを一人一人が自覚せねばなりません。

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自然のサービス

2001/04/05

経済が社会の最重要問題となった近代社会では利潤を得るための様々な努力や試みがおこなわれてきました。企業は利益の追求のために大量消費を画策し、政治家は企業とつるんで経済の拡大こそが国民の幸せだと思いこませることに奔走してきた感があります。

その結果大規模な自然破壊が世界中の森林や海で起こり、大気は急速な勢いで汚染されつづけています。この人間の浅知恵による自然破壊は本来自然が人間に与えてくれている無償のサービスをも減少させています。ある試算によると自然界が人間に与えてくれているサービスを経済として換算すると3600兆円にもなるとのことです。魚や海草等の海の資源が21兆ドル、

森から得られる資源が4.7兆ドル、川や湖の資源が6.5兆ドル等途方もない金額です。目先の利益でこのかけがえのない自然に手を加えると、自然から受けるサービスは減少します。美しい自然を破壊して地球環境のバランスを崩し、結局人類にとって最悪の結果を招くような方法は、まさに悪い意味の一石二鳥ではないでしょうか。進歩した科学力は絶対に自然を保護する方向に使わなくてはなりません。

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桜の咲く頃

 

2001/04/03

この季節、緑の少ない大阪の街にも淡い桜の花があちこちに咲いています。暖かい春の日差しに照らされてとても心なごむ風景です。桜の花を見ていると、あらためて四季の移り変わりと、樹木のありがたさがよく分かります。

21世紀になってもあまりいい話題のすくない日本ですが、春という季節が人の気持ちを高揚させてくれます。そして、その象徴が桜の木ではないでしょうか。満開の桜の花につられて、これから日本の社会はもっと良くなるのではないか、景気も回復するのではないかとの錯覚すら覚えます。

でも人間の社会は四季のように自動的ににめぐってくるモノではありません。一人一人が未来を見据えて近視眼的なエゴイズムによる行為をなくさなくてはなりません。桜の花のようにやさしい人間社会が花開いて本当の春がめぐってくるように....................。

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バーミアンの大仏の破壊

2001/03/20

海や森林や川等の自然環境を守っていくのは当然の義務ですが、同時に人間が作った文化遺産も守って行かなくてはなりません。アンコールワットを始めとする文化遺産を自然的な破壊から守るために尽力する人達がいる世界で、宗教や政治などの独善的な意図で、貴重な世界遺産を破壊したイスラム教徒の暴挙はとても21世紀に起こった現実と認識することが出来ません。あの大石仏の破壊シーンを見て同じ人間として、怒りと悲しみを覚えた人が沢山いたことと思います。

数十年数百年かけて彫り抜かれ存在してきた石仏が、爆薬によって数秒のうちに崩れるのを見て、人間の愚かさに暗澹たる気分にさせられました。過去に置いて仏像の顔の一部が削られるなどの破壊でも、心痛めていた人にとって、今回の爆破のショックは大きすぎます。現在の科学技術を持ってしても再現できないものだから、世界遺産に指定されているのです。ユネスコや国連がこの分野の破壊活動には確固たる阻止力を発揮して欲しいモノだと思います。

●世界遺産のサイトhttp://www.tbs.co.jp/heritage/index-j.html

 

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/今日、摩耶山のケーブルが復旧とのこと

2001/03/18

去年の夏に摩耶山に登ったときはケーブルの復旧のめどはたたないと立て看板に書かれていました。摩耶山は僕の大好きな山の一つです。その時の摩耶山はケーブルやロープウェイの止まった状態で、登る人も少なく頂上まで2人の登山者とすれ違っただけでした。

登る道すがらに見る倒木や落石の痕はまだ生々しく阪神大震災の恐ろしさを彷彿とさせるものがありました。大きな石がぱっくり割れていたり路肩がばさっと落ちていたりするのを見ると自然の力のすさまじさがあらためて分かります。神戸の市街地は復興がすすみ、表面上は震災の痕が殆ど分からなくなっていますが、山の中の傷はまだ痛々しいままでした。

家屋やビルの倒壊を見るのは悲惨きわまりないことですが、自然の風景が壊されているのがこんなに痛々しいものだとは思いませんでした。人気のないせいもあって細い崖っぷちの道を歩くときは恐怖を感じて冷や汗がでました。又揺れるんではないかと思ったのです。幸い無事に頂上までたどり着きましたが、眼下の神戸の風景を眺めながら、街も山も遠目にはその傷が見えないものだとあらためて思いました。

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襟裳岬の春

2001/03/16

知らないと言うことは罪なことです。僕が血気盛んな17才の夏でした。北海道の東端に位置する襟裳岬に近い冬島村と言うところで昆布取りのアルバイトをしていたときのことです。夏休みを利用しての40日間のバイトでした。決まった休みはありませんでしたが、週に一度くらいの割で天候が悪く昆布取りが中止になる日がありました。

そんな日を利用して大阪から一緒の友人と二人で何度か襟裳岬に出かけたことがありました。そこはいつ行っても信じられないほどの強風が吹いている岬で、油断しているとふわっと飛ばされそうになります。僕たちは風避けの岩のそばに座ってどんよりと拡がる灰色の太平洋を見ながらとりとめもなく話をしていました。ある時、その頃丁度はやっていた歌で「襟裳の春は何もない春です」と言う歌詞のことが話題になって二人してここはその歌の通りだと笑ったものです。その時の注意力のない僕たちの目には襟裳が何もない場所に写ったのです。

僕たちの働いていた日高地方の海岸部は昆布取りを主業にしている村が多く、僕たちの雇って貰った冬島村はその辺でも上質な昆布が取れる海岸でした。そのせいで生活水準も良く豊かに暮らしていました。そして冬島の漁師さんに襟裳の海岸は昆布の質が悪く量も少なくて生活が貧しい村が多いと聞かされました。

その事を僕たちは深く考えもせずに運が悪い村ぐらいに聞いていました。襟裳の村には嫁をやるななどという荒っぽい話も聞いたことがあります。そんな先入観も手伝って先ほどの「襟裳の春は何もない春です」と言う歌詞をそのままだと笑ったのでした。
この事はその後ずっと忘れていました。襟裳岬も名勝地としての記憶だけが残っていました。ところが先日NHKのプロジェクトXと言う番組で砂漠を緑に変えた村人達と言う題のドキュメンタリーを見て愕然としました。僕が北海道の襟裳で何も知らずに海を眺めていた丁度その時に、すぐ近くで砂漠を緑化するための壮絶な戦いが行われていたのです。襟裳の昆布が取れなかったのは海岸線に拡がった砂漠化現象が原因だったのです。樹木がないために大量の土砂が海に流れ込み海草の生育を阻んでいたのです。
馬鹿でした。何も知らず友人と二人何もない春を笑っていた僕たちのすぐ背後で血のにじむような努力が行われていたのです。ショックは続きます。そしてその時のリーダーの人が、僕たちが笑っていた同じその歌を当時聞いて、唇をかみしめるほど悔しい思いをしたと言うのです。私達がこの素晴らしい襟裳を愛して、襟裳の海を守るために命がけの努力をしているのに歌謡曲で「襟裳の春は何もない春です」と言われて引き裂かれるような思いだったそうです。

何か自分がこの作詞をした人と共犯者になったような気がししました。
海岸線沿いに広がった砂漠化した地域を数人の村人達がこつこつと苗木を植え、不可能と言われたプロジェクトが完成したのは20数年の後でした。砂漠は美しい緑を取り戻し襟裳の海は最高の昆布が取れる海となったのです。偉大な仕事をなし得た年老いたリーダーは村人と共に誇らしげにあの曲を歌っていました。ただし歌詞をこう変えて。「襟裳の春は世界一の春です」
涙が出ました。あの時にもう少し注意を払って背後の村を訪ねていたら僕たち二人も何か少しでも手伝うことが出来たかも知れません。現在の美しく豊かになった襟裳には風力発電の風車が誇らしげに回っていました。

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真っ青な海が心に訴えるもの

 

2001/03/13

テレビに写る沖縄の海の色を見ていて、その何とも言えない青の美しさにあらためて心打たれました。サンゴや多様な海洋生物を包み込む水の色は、イメージの中の地球の色そのものです。どんな宝石の青さも汚されていない海の青さにはかないません。

クストーをはじめ多くの海洋学者がその生涯を海の環境を守るために捧げたのはこの神秘的な青さに絶対の価値を見出したからなのでしょう。地形と光によって幾重にも変化する青の世界は、テレビの画面を通して見ても目と心が洗われるようです。今度沖縄のようなきれいな海を訪れた時はその尊い青さを思いっきり吸収しようと思いました。

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情報技術とは

 

2001/03/12

情報技術が進めば確かに便利で役に立ちます。でも無ければ住まいや交通機関のように決定的に困るものではありません。それがITです。そもそも身近な生活のなかでは、ラジオやテレビがITの最初のツールでした。情報と言えば新聞や手紙しかなかった時代に較べれば、ラジオはリアルタイムで情報が得られる驚異的な機械でした。そしてテレビは音と共に映像を見ることが出来る夢のような機械でした。これらの情報技術の激変はほんの数十年の間に起こったことです。

今のパソコンやインターネットの世界はテレビが登場したときのような劇的なものではありませんでしたが、それはテレビと言う情報メディアがすでにインターネットやパソコンの可能性を予測していたからです。後何年したら世の中はこんな風になりますよ、と毎年繰り返して予測を知らされ続けてきたからです。

でもあらかじめ知っていたにもかかわらずにパソコンの世界の進化の速さに驚かされるのは、やはりすごい変化なのかも知れません。
この2年ぐらいのパソコン世界の変化を見ると、目立つのが半導体技術の進化によるパソコンの処理能力の速さです。今まで一時間かかった処理が数秒で出来るまでになりました。ただよく考えるとそこまで早くする必要があるのかどうかには疑問があります。膨大な情報処理が必要で速さが求められる世界もあると思います。でも殆どの人にとって今のパソコンの能力は個人のニーズを超えていると思われます。
制限速度が40kmに決められている国で、スピードが300kmもでる車に乗っているようなものです。たぶん今のところ、パソコンの付加価値としはスピードや馬力以外に差別化が出来ないからだろうと思います。もし今のパソコンが汎用機から専用機(インターネット専用機やグラフィック専用機)の時代になれば用途によっては速さや容量とは関係のない性能が要求されることもでてくると思います。

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自然エネルギーの時代

2001/03/10

環境保護に意識の高いヨーロッパでは、公害や危険の伴う化石燃料や原子力に代わる自然エネルギーへの移行が着々と進んでいるようです。ドイツやデンマークでは地方の自治体や個人が積極的に風力発電や太陽光発電に取り組んで近い将来のエネルギー改革の実現を目指しています。

日本でも最近風力発電用の風車やソーラーシステムを利用した住宅等を地方の風景の中や町中でも見かけるようになってきましたが、欧米に較べてまだまだ積極的ではないようです。火力発電や原子力を現在にいたってまだ計画し進めている企業もあると聞きます。

風力発電なんかは風の強い地域が多い島国の日本にとっては最適の発電方法だとおもうのですが、国も自治体も目先のコストの問題で二の足を踏んでいるようです。どちらにしても、風を利用した風力発電と、太陽の光を利用したソーラー発電、そして地熱を利用した発電など再生可能で安全なエネルギーに移行するのは必然的な流れだと思います。

日本の技術力と立地を考えればこの分野は世界の最先端を走れるはずです。国土が狭く自然資源の乏しい日本ですが、火山の地熱や風には恵まれています。そして太陽も十分に国土を照らしてくれています。僕には低迷する経済を打開するための方法としてはこの分野の産業促進が日本の切り札になるように思われます。

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友人っていいな

2001/03/08

今日5年ぶりに再会した友人と、沢山お酒を飲みました。5年の間にお互い色々な出来事があって、とても5.6時間では語り尽くせない話でしたが5感を全部使って、伝えたり感じたりしました。今更ながら友達っていいなと思いました。

年齢も環境も違う人間が、人生観というか価値観が共通するだけで、考え方を伝えたり、教わったり出来るのは素晴らしいことだと思います。これからも今までに培ってきた友人を大切にして、又新たな友人をつくれるよう頑張ろうと心新たにした一日でした。

 

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有明の海に思うこと

 

2001/03/06

水門が出来てからあれだけ干潟の生き物が死んで、有明海の生態系に異変が起こっているのに未だ水門は開かれません。水質調査委員会のテレビニュースを見て、愕然としました。政治家の行動や発言は自分の利害しか考えない人間性ゆえ予想どうりでしたが、驚いたのは調査委員会のメンバーの学者の言葉でした。

学者なら政治家に反対して水門を即時に開くことを提唱すると思っていたのですが、漁民に対して政治家側に立った意見を言っているのを聞いてすごく腹が立ちました。漁民の生活はもちろんですが、そうしてぐたぐた言ってる間にもどんどん海の生物が死んでいることがどうして分からないのでしょうか。因果関係がはっきりしないとはどう言うことなのでしょうか。

水門が出来てそうなったのですから、これほど明確な因果関係はないと思います。どちらにしても卑怯というか非人間的と言うか、ひどいモノです。学者にしても政治家にしても水門が開けないのは、自分の保身のためとか、賄賂を貰っているからとかはっきり言うべきです。その方が悪が見えてすっきりします。とにかく政治家はともかく、学者のモラルの低さには怒りを覚えます。調査委員会の役人や学者は、とにかくまず水門を開いて、それからゆっくりじかんをかけて自分自身の心を調査して欲しいと思います。

 

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人が何かを愛するとき

2001/03/02

きっと愛が強すぎる人が、いるかを愛したり、海を愛したり、星を愛したり、兎を愛したり、虫を愛したり、文学を愛したり、科学を愛したり、数学を愛したり、歌を愛したり、宇宙を愛したり、人を愛したり、土を愛したり、夢を愛したり、君を愛したり、勇気を愛したり、悲しみを愛したり、過去を愛したり、湖を愛したり、するのかも知れません。

きっと心が弱すぎる人が、思い出を又悲しんだり、出会いを喜びすぎたり、悲しみを持ちすぎたり、感情を移入しすぎたりするのかも知れません。

でも遠い記憶の中で、人と言う種族はそれが持ち味の種族だと聞いた事があります。他に存在するたくさんの生物の中でもいたわりの感情と独特の知性が、この小さな銀河系の中でも際立った生き物だと聞いた覚えがあります

 

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