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トンガ王国
Kingdom of Tonga

大洋州

<歴史>
■考古学的な証拠から
トンガへの最初の植民者は、サンタ・クルーズ諸島から船で来たことが分かっている。現在より6000年前頃から、元々東南アジアにいたオーストロネシア語を話す人々の祖先(ラピタ人)がポリネシアへ移住してきたが、トンガへの植民はこの動きの一部である。

■12世紀までに
トンガ人とトンガの大酋長、すなわちTu'i Tongaはニウエ島からチコピア島まで、太平洋中に知れ渡っていた。他のヨーロッパ人の来航としては、もっとも重要なジェームズ・クックの1773年、1774年、1777年の到着、また最初のロンドンの使節の1797年の到着、メソジスト派のWalter Lawreyの1822年の到着が挙げられる。ジェームズ・クックの来航は、トンガが大英帝国の一地域として組み入れられる過程への決定的な第一歩となった。

■ポリネシア人の王国として1845年に統一
彼は、首長の称号のTu'i Kanokupoluを持つが、ジョージ王(King George)の名前でプロテスタントの洗礼を受けた。1875年に、使節のシャーリー・ベーカー(Shirley Baker)の助けで、彼はトンガを立憲君主国として宣言した。

■1900年
トンガは、友好条約の下でイギリスの保護領となった。その時、ヨーロッパ人の植民者とライバルのトンガの首長は2代目の王を追放しようとしていた。友好条約と保護領の地位は、3代目の君主のサローテ・ツポウ3世(サローテ女王)が亡くなる前に結ばれた条約の下で、1970年に終わりを迎えた。

■1970年
イギリス連邦に参加し、1999年には国際連合に参加した。植民地化の力にさらされたにも関わらず、トンガは決して現地人による統治を失うことが無かった。このことは、太平洋の国では珍しいことであり、彼らに多くのプライドを与えている。

■1987年
ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子(タウファアハウ・ツポウ4世の弟)が首相に就任。

■1991年
日本の無償資金協力によって建設中だったファアモツ国際空港のターミナルビルが完成した。同年、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子が首相辞任。

■2005年8月
王政への批判が高まり、以後集会やデモ、ストライキが頻発する(トンガ動乱)。2006年2月 首相のウルカララ王子(タウファアハウ・ツポウ4世の三男)が辞任。

■2006年7月5日夜
アメリカ合衆国・カリフォルニア州の高速道路で、18歳の少女が運転する車が暴走し、トンガの王室関係者が乗る車に激突。暴走車を運転していた少女は無事だったが、同乗の2名とツイ・ペル・ハカ王子、カイマナ妃、運転手が死亡する事故が起きた。

■2006年9月
タウファアハウ・ツポウ4世が89歳で死去。第1王子のツポウトア皇太子が王位を継承(ジョージ・ツポウ5世)。2006年11月 国内で暴動が発生、死者7名が出る。2006年11月17日 ジョージ・ツポウ5世が戒厳令を発令。鎮圧の為にオーストラリアとニュージーランドに軍の派遣を要請する。

■2007年4月
戒厳令一部解除、首都では継続される。2012年現在でも首都では戒厳令が継続されている。2008年8月 動乱により延期されていたジョージ・ツポウ5世の戴冠式を挙行。

■2012年3月
ジョージ・ツポウ5世死去。トゥポウトア・ラバカ王太子(前述の元首相ウルカララ王子)がアホエイツ・ツポウ6世として即位。


■地理
トンガは4つの群島、172の島からなり、うち45島が有人である。島々は南北600km、東西200kmの幅に広がる。東西の幅が狭いのは、すぐ東にトンガ海溝が南北に伸びているためである。トンガ海溝はインドプレートに南太平洋プレートが東側から潜り込むために形成されている。このため、トンガは基本的には火山群島である。西側の島の方が新しく、東側の島は火山島が沈下したことによるサンゴ礁から形成されている。


太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。


トンガ海溝
Tonga Trenchは、南太平洋・トンガ諸島の東にある海溝。サモア諸島の南西からトンガ諸島の東を経て、その南側に至る海溝であり、長さは約1,200km。主に北北東から南南西に伸びているが、北端部では北西-南東方向に湾曲している。最大水深は10,882 mと中央部で1万mを超え、南はケルマデック海溝に連なっている。

トンガ語
オーストロネシア語族に属し、トンガで話される言語である。約10万人の話者がおり、トンガ王国の公用語となっている。構文はVSO(動詞-主語-目的語)。なお、日本語で禁忌を意味する「タブー」はトンガ語からの借用語であると書かれている文献もあるが、学術的には根拠がない。

オセアニア
(Oceania)は、六大州の一つ。大洋州とも。狭義には、ニュージーランドを含むポリネシア、ニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。広義にはオーストラリアとオーストラリア領のインド洋上の島も含む。また稀に、 米 英 仏領以外のオセアニアをアジアに含める場合もある。

ポリネシア
(Polynesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。ポリネシアはギリシャ語で「多くの島々」の意味である。太平洋で、概ねミッドウェー諸島(ハワイ諸島内)、アオテアロア(ニュージーランド)、ラパ・ヌイ(イースター島)を結んだ三角形(ポリネシアン・トライアングル)の中にある諸島の総称。

サンタクルーズ諸島
(Santa Cruz Islands) とは南太平洋、南西部ソロモン諸島に属する火山島の諸島。1595年にスペイン人アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラにより発見された。メンダーニャは入植を試みるが先住民との戦いやマラリアなどにより死亡。1788年にはヴァニコロ島付近でフランスのラ・ペルーズ探検隊が遭難した事が1826年の調査で判明した。

ニウアス諸島
(Niuas)は、トンガの諸島。ニウアフォオウ島、ニウアトプタプ島、タファフィ島の3島からなる。総人口2018人(1996年)、面積72.69km2。トンガ最北の諸島で、トンガタプ島からは600km、ヴァヴァウ諸島からは300km離れている。諸島といってもニウアトプタプ島およびタファフィ島とニウアフォオウ島は東西に100km以上離れている。行政上の1地区をなしており、州都はニウアトプタプ島のヒヒフォに置かれている。

ヴァヴァウ諸島
トンガの主島トンガタプ島の北275kmに位置し、ヴァヴァウ本島とそれをとりまく40ほどの島々からなる。ヴァヴァウは火山島のため起伏が激しく、入り組んだ海岸線を持ち良港を形成する。ヴァヴァウの最高地点は海抜204mである。中心都市はヴァヴァウ本島南部にあるネイアフで、世界有数の良港を持ち、首都ヌクアロファに次ぐトンガ第2の都市となっている。また、美しい風景と良港に惹かれた観光客も訪れ、特にヨットなどマリンスポーツが盛んである。

ハアパイ諸島
トンガ中部に位置し、トンガの主島トンガタプ島から北に160km、ヴァヴァウ諸島から南に112kmの地点に位置する。ハアパイ諸島に有人島は17あり、東部にあるリフカ島がハアパイの主島となっている。主都のパンガイもリフカ島に位置する。 北のハアアノ島は4つの村があり人口は951人、南のウイハ島は人口638人で二つの村があり、古代の遺跡や墓地が残っている。

エウア島
トンガの主島であるトンガタプ島から南東に10kmの地点にある。かつてはトンガタプ島とおなじトンガタプ地方に属していたが、エウア地方が分割され独自の地方となった。エウアは丘陵性の島であり、島内には低い丘陵が連なる。最高峰はテエモア山(312m)で、305mのバイアンギナ山が次ぐ。エウアは火山性の島ではないが、太平洋プレートの端に位置しており、わずか7km東には深いトンガ海溝がある。

ニウアトプタプ島
(Niuatoputapu)は、トンガの島。人口934人(2006年)。ニウアフォオウ島及びタファフィ島とニウアス諸島を形成する。トンガ主島トンガタプ島からは北に600km、ヴァヴァウ諸島からは北に300km離れ、サモアのほうが近い。トンガ最北の島のひとつである。9km北にタファフィ島が浮かぶが、ニウアス諸島のもうひとつの島であるニウアフォオウ島からはずっと離れている。マタアホ空港があり、国際空港の指定を受けている。

ヒヒフォ
(Hihifo)は、トンガのニウアトプタプ島にある村で、同島の中心集落である。トンガ語で「西」を意味するヒヒフォはニウアトプタプ島の西部に位置し、郵便局や警察署を含む公共施設や政府機関が立地する。島内にはほかに、ファレハウとバイポアの2村がある。

ニウアフォオウ島
(Niuafo'ou)は、トンガの島。ニウアトプタプ島、タファフィ島とともにニウアス諸島を形成する。首都ヌクアロファのあるトンガタプ島より北に574km、ヴァヴァウ諸島より北に337km離れており、トンガ最北の島のひとつである。面積15km2、人口650人(2006年)。火山島であり、過去に何度も大噴火を起こしていて、現在でも活発に活動している。ニウアフォオウ島は海底火山の頂が水上に顔をのぞかせたものであり、最も近いトンガの火山島から190km西に離れている。島の形状はドーナツ状となっており、中央部はカルデラとなっていて、二つの湖がある。大きなほうはバイラヒ湖といい、海抜23mの地点にあって、広さは4km2、84mの深さがあり、3つの島が浮かんでいる。もうひとつ、カルデラ内には小さなバイシイ湖という湖もあり、バイラヒ湖とは荒涼とした砂丘によって隔てられている。


サンゴ礁
造礁サンゴの群落によって作られた地形の一つ。熱帯の外洋に面した海岸によく発達する。造礁サンゴの繁殖に適している海は、25-30℃ほどの高水温、3-4%ほどの高い塩分濃度、深くても水深30mほどの浅くてきれいな海域である。地球は西から東へ自転するため、赤道付近では海水が自転に置き去りにされる形で西向きの暖流が発生し、高緯度地方からの寒流がその後に入りこんでいる。太平洋、インド洋、大西洋どれも西側にサンゴ礁が集中し、東側にあまり見られないのはこの理由による。


トンガ大首長国
Tu'i Tonga Empireは、オセアニアにおいて大きな勢力を誇った大首長国(領域交易圏帝国)である。トンガタプ島のトンガを中心とし、首都をムアに置いていた。海洋国家としての側面も強く、その最盛期には、交易帝国はニウエからティコピアに広がり、その影響圏は更に広大な領域に及んでいた。


エウア島
エウア島(‘Eua)は、トンガの島。面積87.44 km2、人口5165人(2006年)。トンガの主島であるトンガタプ島から南東に10kmの地点にある。エウア島内には巨大な穴や洞窟が多いが、その多くはいまだ探査されていない。エウア島にはトンガ国内唯一の川があり、同じく唯一の橋もある。


サモア沖地震
2009年9月29日にサモア諸島で発生した地震である。発生時刻はサモア時間午前6時48分(日本時間午前2時48分)、震源地はサモアの首都アピアの南沖190km、震源の深さ18km、モーメントマグニチュード(Mw)8.1。


ANZACの日
ANZACの日(アンザックのひ)もしくはアンザック・デー(英: ANZAC Day)は、オーストラリア・ニュージーランド・クック諸島・ニウエ・サモア・トンガ の休日。毎年4月25日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に尽力した人々のために追悼を行う。


ボクシング・デー
Boxing Day) は、イギリス・アイスランド・ノルウェー・スウェーデン・ラトビア・チェコ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・ケニア・香港・ナミビア・ベリーズなどのキリスト教に由来した休日。クリスマスの翌日で、元々は、教会が貧しい人たちのために寄付を募ったクリスマスプレゼントの箱(box)を開ける日であったことから"Boxing Day"と呼ばれる。


海洋国家
Maritime nation)とは、大陸国家に対置される地政学的概念である。国土全体あるいは大部分が海に囲まれている国家、あるいは海との関わり合いの大きい国家のことをいう。古くはフェニキアが海洋国家として成立して交易などで栄えた。古代ローマ帝国もまた共和制ローマ時代のポエニ戦争によるカルタゴ征服以降は海洋国家的な側面を持ち、今日に伝える栄華を築いている。


ミネルバ共和国
アメリカ合衆国のマイケル・オリバーが、太平洋に浮かぶミネルバリーフ(南緯23度 西経178度)で作ろうとしたマイクロネーション。1971年にオーストラリアからの砂を積載した船がやってきて埋め立てをおこない、1972年1月19日に独立を宣言した。2月にはモリス・C・デイヴィス(Morris C. Davis)が大統領として選出されたとされる。だが、周辺のトンガ、フィジー、ナウル、西サモア、クック諸島とオーストラリア、ニュージーランドはこれについて協議をおこない、その結果トンガ人が過去からこの環礁を漁業従事中に立ち寄っていたとして、トンガが領有権を主張することとなった。その後トンガによって島のミネルバ共和国の旗が降ろされ島は正式にトンガ領となった。


フェレティ・セベレ
Feleti Vaka'uta Sevele、1944年7月7日 - は、トンガの政治家。第14代トンガ王国首相。ヌクアロファ出身。トンガ、フィジー、ニュージーランドの学校を経て、クライストチャーチのカンタベリー大学で数学を専攻し理学士を取得。同大学で文学士、文学修士号を取得後、経済地理学を専攻しPh.D.を取得した。

アベル・タスマン
(Abel Janszoon Tasman、1603年 - 1659年10月10日)はオランダの探検家。特にオランダ東インド会社の元で行った1642年と1644年の航海が有名。 1643年には現在のタスマニア島とニュージーランド、フィジー等を発見した。1643年1月21日にトンガ諸島を越えて航海を終了した。またニュージーランド航海の目印として名づけた名前は現在も残っており、「Cape Maria van Diemen」やスリーキングズ諸島等がある。

タウファアハウ・ツポウ4世
1918年7月4日 - 2006年9月10日は、トンガ国王(在位:1965年 - 2006年)。シドニー大学で法学を学んだ後に、1943年に母のサローテ・ツポウ3世国王より教育大臣に指名、1944年には保健大臣になった。1949年からは首相となったが、1965年に母の死を受けて国王に即位した(母の喪が明けた1967年に正式に即位)。1976年には体重209.5kgを記録し、「世界一重い君主」としてギネスブックに登録された。後年は体重が半分になるまで減量したが、2006年にニュージーランド・オークランドの病院で崩御した。

トゥポウ6世
(Tupou VI、1959年7月12日 - )は、トンガ国王である。元国王タウファアハウ・ツポウ4世とハラエバル・マタアホ王太后の三男。前国王ジョージ・トゥポウ5世の弟で、皇太子時代はトゥポウトア・ラバカと名乗っていた。トゥポウ5世の崩御に伴い2012年に王位を継承した。

トンガ Tonga
南太平洋に浮かぶ約170の島群からなる国家で、イギリス連邦加盟国である。オセアニアのうちポリネシアに属し、サモアの南、フィジーの東に位置する。首都は、ヌクアロファで、最大の島トンガタプ島にある。トンガは4つの群島、172の島からなり、うち45島が有人である。島々は南北600km、東西200kmの幅に広がる。東西の幅が狭いのは、すぐ東にトンガ海溝が南北に伸びているためである。トンガ海溝はインドプレートに南太平洋プレートが東側から潜り込むために形成されている。

ヌクアロファ
ヌクアロファ(Nuku'alofa)は、人口約21,000人のトンガタプ島に位置するトンガ王国の首都である。コプラ、バナナ、バニラ、民芸品などを輸出する。ヌクアロファでは、英語が通じる。また、ヌクアロファには、トンガの国民の約30%が住んでおり、王宮や教会が集中している。なお、標準時はUTC+13:00である。近郊にファアモツ国際空港があり、トンガの玄関口となっている。


ラピタ人
ラピタ人(英: Lapita)は、人類史上初めて遠洋航海を実践し、太平洋の島々に住み着いたと思われる民族。1952年、ニューカレドニアで発見された土器が「ラピタ土器」と命名されたことから、この文化がラピタ文化と呼ばれるようになった。ラピタ土器の破片。ソロモン諸島のネヌンボ遺跡 (Nenumbo site) でオークランド大学のロジャー・グリーン (Roger C. Green) らによって1970年代に発掘されたもの。破片幅は約8cmで、紀元前1000年ごろのものと見られている[4]。 ラピタ文化は今からおよそ3600年前にメラネシアで発生、高度な土器文化を持ちラピタ土器を残した。

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外務省:トンガ王国
在トンガ日本国大使館


■トンガの交通
トンガの交通網は道路・海路・空路の3つから成る。幹線道路の総延長は680kmで舗装路は184kmである。ほかにも多くの空港や港湾が整備されている。主要な港湾は3つで、ネイアフ(Neiafu)、ヌクアロファ、パンガイ(Pangai)が挙げられる。1,000英トンを超す商船は7隻登録されている。1999年の推計によれば、トンガ国内には6つの空港がある。そのうち、舗装された滑走路を持つ空港はトンガタプ島のファアモツ国際空港とヴァヴァウ島(Vava‘u)のヴァヴァウ国際空港の2港である。


ファアモツ国際空港
Fua Motu International Airportとは、トンガ王国にある国際空港。トンガ王国最大の島、トンガタプ島の南部にあり、首都ヌクアロファから35kmの位置にある。ファアモツ空港はもともと1940年頃に作られた軍事用飛行場で、1970年代にジェット機の離着陸を可能にするため滑走路の拡張が行われた。

ヴァヴァウ国際空港
Vava'u International Airportは、トンガ王国ヴァヴァウ諸島にある国際空港。

エウア空港
‘Eua Airport、(IATA: EUA, ICAO: NFTE)[3])は、トンガのエウア島にある空港。トンガではカウファナ空港(Kaufana Airport)と呼ばれている。エウア島の主都・オホヌア村('Ohonua)の南東約3kmに位置する。

ニウアトプタプ空港
Niuatoputapu Airport(IATA: NTT, ICAO: NFTP))は、トンガのニウアトプタプ島にある空港。別名、クイニ・ラビニア空港(Kuini Lavinia Airport)。

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■政治
元首は国王。立憲君主制で一院制の立法議会(国王が任命する職権議員14名、貴族議員9名、平民議員9名により構成)があるが、国王に多くの権限がある。国民は王族、貴族、平民の3つの身分に分けられている。身分の変更は基本的に認められない。1980年にオナライバハママオ王子が平民の娘と結婚したために王族の称号を剥奪され、平民になった事例以外、公式な記録がない。身分制度が存在するが、全ての法律は全ての身分に平等に適用されることが憲法に明記されている。憲法が制定されたのは1875年で、日本の大日本帝国憲法(1889年)よりも早い。現在の憲法もこの当時の改訂憲法である。


■経済
トンガの産業は農業、漁業と観光、出稼ぎ送金に頼っている。主要作物はコプラとバナナ。国内市場が狭く、貿易に適さない位置にあるため、経済が発達せず、慢性的な失業に悩む。輸出額700万ドルに対し、輸入額は7300万ドルにも達し、貿易赤字も大きい(以下、2001年時点)。主な輸出品目はカボチャ、魚介類、根菜植物。主な輸入品目は食料品、石油製品、金属製品である。日本に対しては大幅な貿易黒字 (2003年時点で年間900万ドル)となっている。輸出品はカボチャ(93%)、香辛料、マグロ、輸入品は、トラック、乗用車、内燃機関である。


■国名
正式名称は、Pule'anga Fakatu'i 'o Tonga(トンガ語)。公式の英語表記は、Kingdom of Tonga。通称、Tonga。国名は、トンガ語で南の意味。

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1.面積:720平方キロメートル(対馬とほぼ同じ)
2.人口:103,967人(2009年、世界銀行)
3.首都:ヌクアロファ
4.民族:ポリネシア系(若干ミクロネシア系が混合)
5.言語:英語(公用語)の他、トンガ語を使用
6.宗教:キリスト教

1616年 オランダ人、北方の二島発見
1845年 キリスト教徒のトゥポウ一世がトンガを統一
1900年 英国の保護領となる
1970年6月4日 英国より独立

■主要産業:農業(コプラ、やし油、かぼちゃ)、漁業

■主要貿易品目(1)輸出 かぼちゃ、魚類、バニラ、カヴァ(2)輸入 食料、飲料、家畜、機械・機器、燃料、石油製品


パ・アンガ
(pa‘anga)は、トンガの通貨。 補助通貨単位はセニティで、1パアンガ=100セニティである。トンガではトンガ・ドルとも呼ばれる。首都・ヌクアロファにあるトンガ国立準備銀行によって発行され、オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドル、アメリカ・ドル、日本円の通貨バスケットにペッグされている。


■経済
トンガの産業は農業、漁業と観光、出稼ぎ送金に頼っている。主要作物はコプラとバナナ。国内市場が狭く、貿易に適さない位置にあるため、経済が発達せず、慢性的な失業に悩む。主な輸出品目はカボチャ、魚介類、根菜植物。主な輸入品目は食料品、石油製品、金属製品である。

コプラ
copra)は、ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの。灰白色で約40~65パーセントの良質脂肪分を含む。主に東南アジア諸国や太平洋諸島で生産され、住民の貴重な現金収入源となっている。圧搾したコプラ油(椰子油)は、生のココナッツミルクなどに比べて酸敗の恐れが少ないことから、マーガリンなどの加工食品の原料油脂になるほか、生体への攻撃性の少なさから石鹸、蝋燭など日用的な工業製品の原料となる。

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バナナ
Musa spp. )はバショウ科バショウ属のうち、果実を食用とする品種群の総称。また、その果実のこと。いくつかの原種から育種された多年草。種によっては熟すまで毒を持つものもある。果皮の色は品種によって異なり、一般的に知られるものは緑色から黄色であるが、桃色から紫まで多様である。収穫後時間が経過するにつれて皮の表面に浮かぶ黒い斑点状のものを「スウィートスポット (Sweet spot)」または「シュガースポット (Sugar spot)」と呼び、簡単な熟成のバロメータとなる。

カボチャ
カボチャ(南瓜)は、ウリ科カボチャ属(学名 Cucurbita)の総称である。特にその果実をいう。原産は南北アメリカ大陸。主要生産地は中国、インド、ウクライナ、アフリカ。果実を食用とし、カロテン、ビタミン類を多く含む緑黄色野菜。


モノカルチャー
Mono culture)とは、直訳するとmono(単一)のculture(栽培/文化)であり、多くの場合、単一の農作物を生産する農業形態を指す。植民地化された土地で、支配国で需要の高い農作物を集中的に生産させた事が始まりである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)における商品作物の強制栽培制度があげられる。これにより、支配国は効率よく農作物を得ることができた。


トンガ国立準備銀行
National Reserve Bank of Tonga、NRBTはトンガの中央銀行。国内外の通貨の供給量を調整することにより、同国の金融安定と経済発展を促進することに責任を持つ。トンガ財務省に対して銀行および金融問題の助言を行い、トンガ政府の主要な銀行および財務代理人として活動し、金融機関の認可・監督責任をも負う。

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■住民
長身でがっしりした体格のポリネシア人が98%であり、また少数のミクロネシア人もいる。

ポリネシア人
ポリネシア人(Polynesian)は、太平洋のポリネシアに住む人々の総称。オーストロネシア語族に属しており、メラネシア人やミクロネシア人と密接な親縁関係を持つ。身体的特徴、文化的特徴、言語的特徴に関してメラネシア人のような多様な地域差は無く、同質的である。ポリネシア人の話すハワイ語、タヒチ語、ラパヌイ語、マオリ語、サモア語、トンガ語などはたがいによく似ており、オーストロネシア語族の中の枝先にあたる一分派を構成している。トール・ヘイエルダールが唱えた南米からの植民説、ベン・フィニーらが唱えたアジアからの植民説があるが、1975年にハワイで建造された双胴の航海カヌー、ホクレアによる数々の実験航海や、言語学的・人類学的な各種の検証により、現在では東南アジア説が定説となっている。

ニュージーランドの先住民マオリもポリネシア人の一派であり、ラグビー・フットボールのアオテアロア(ニュージーランド)代表チーム「オールブラックス」が試合前に披露するハカは、ポリネシア系言語のマオリ語である。ガリヴァー旅行記の大人国の人々のモデルと言われる(特にトンガの人についてそのように言われる)。ポリネシア人は体重に対する筋量と骨量の比率が他のあらゆる人種を大きく上回る。こうしたことから、『地球最強の民』(最も強い身体を持つ人々)などと称されることがある。

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■言語
トンガ語と英語が公用語である。日常生活ではトンガ語が使われるが、英語も広く通用する。

オーストロネシア語族
オーストロネシア語族は台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。日本語では南島語族とも訳される。かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。



■宗教
キリスト教がほとんどである。

キリスト教
Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。


■文化
トンガは、ラグビーが盛んなことで有名。また、日本の角界にも、トンガ出身の力士(南乃島など)がいる。トンガの人々は全体的に大柄で、ツポウ4世は、1976年のギネスブックで、「世界で最も大きな国王(209.5kg)」として登録されていた。トンガの女性の平均身長は170cmで、婦人靴の最小サイズは26cm。男性の平均身長は177cmで、足のサイズが30cm以上ある人も少なくない。


ブロブディンナグ/南太平洋のトンガをモデルとする説がある
ブロブディンナグ(Brobdingnag)は、イギリスの風刺作家ジョナサン・スウィフトの小説「ガリヴァー旅行記」に登場する架空の国家。ブロブディンナグは、あらゆる物が12倍の大きさではあるがそれ以外は普通の人間の世界と変わらない王国である。位置的には、北アメリカ西部に突き出ている半島(アイスランド位の大きさ)にある。半島の周りは先の尖った岩ばかりの荒れた海で、船での出入りもできず魚も外の世界と変わらない大きさであることから関心を示さない。大陸との境には多くの火山を持った5000m近い山脈があり、ここも越える事は不可能である。このためブロブディンナグの人々はここが全世界だと思っている。

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ジョージ・ツポウ5世
George Tupou V、1948年5月4日-は、本名をSiaosi Taufa‘ahau Manumataongo Tuku‘aho Tupou Vという、現在のトンガ国王である。スイスの小学校、オークランドの中学校に通い、イングランドのオックスフォード大学、サンドハースト王立陸軍士官学校で学んだ。皇太子時代から、彼はトンガの政治に大きな影響を持ち、1979年から1998年には外務大臣を務め、トンガや国外でかなりの財をなした。王位に就いて彼の最初の宣言は、法律に従い、事業を全て止めるというものだった。

ジェームズ・クック
(James Cook, 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、英国の海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック(Captain Cook)。一介の水兵から、英国海軍の勅任艦長(Post Captain)に昇りつめた。太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)。16歳になったクックは、漁村ステイテスの雑貨店で徒弟奉公をするために家を出た。奉公中に店の窓の外を眺めているうち海に魅せられたという。1年半の後、店のオーナーはクックに商才がないことを悟り、近隣の港町ウィトビーのウォーカー兄弟にクックを紹介する。ウォーカー家は当地の有力な船主で商家であった。1746年に、クックは英国沿岸の石炭運搬船団の見習い船員として雇われた。この間、操船に必要不可欠な代数学、三角測量法、航海術、天文学の勉学に励んだ。

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サローテ・ツポウ3世
(英: SāЁъ阡e Mafile‘o Pilolevu Tupou III、1900年3月13日 - 1965年12月16日)は、トンガ女王(在位:1918年 - 1965年)。トゥイ・カノクポル朝の第21代当主サローテは、トゥイ・トンガ朝の家臣から不承不承ながら女王に迎えられた。そのため、治世の初期は自身に対する不信の払拭に腐心した。トゥイ・ハアタカラウア朝の直系の子孫ヴィリアミ・トゥンギ・マイレフィヒとの婚約は、父の卓越した手腕によるものである。夫妻の子女にはトンガの3大王家の血が混淆している。

 

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