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パラオ共和国
Republic of Palau

大洋州

<歴史>
■有史以前
有史以前のパラオについては未解明の状態だが、国内に多く残る遺跡などを研究した結果、約4000年前から人が住んでいたと推定されている。

■スペインの植民地
16世紀頃より、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきた。パラオも1885年にスペインの植民地下に入った。これらのヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%程度減少したとされる。

■ドイツの植民地
1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地となった。ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った[1]。しかし、他のドイツの植民地と同様に、道路や水道などのインフラストラクチャーの整備や現地人への教育はほとんど行われなかった。

■日本の委任統治
第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領になった[2]。コロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島における植民地統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住しパラオ支庁管内の住民の4人に3人は日本人となった。

■アメリカの信託統治
戦争終結後の1947年に、国際連合の委託を受けアメリカ合衆国はパラオを信託統治下に置いた(太平洋諸島信託統治領)。アメリカはミクロネシア地域には動物園政策を取り教育や福祉健康には援助を行ったが産業開発にはほとんど投資を行わなかった。アメリカ統治の開始にともない、今度は英語による民主主義教育が住民に対しても行われるようになった。パラオ住民は高等教育も受けることが出来るようになった反面、経済はアメリカの援助に依存し、パラオ人は農業などの肉体労働に就くのを嫌がるようになり、フィリピンからの出稼ぎ労働者が担うようになった。

■独立
1990年代初頭の冷戦終結を受けて、アメリカにとってパラオの利用価値がなくなった後の1992年に行われた住民投票で、憲法内の非核条項をアメリカとの自由連合協定においてのみ凍結することが決まり、コンパクト承認のための住民投票の可決条件を緩和(75%から50%へ)する憲法改正のための住民投票が行われ、これを可決。同時に行われた大統領選挙でクニオ・ナカムラが当選した。


ミクロネシア
(Micronesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。日本ではイギリス英語風の発音でミクロネシアと呼ばれる事が多いが、アメリカ英語風の「マイクロネシア」とも言われる。 現地では、アメリカ英語式での発音が普通である。


太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の一つに含まれる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。

南西諸島
Southwest Islands of Palau)とは、パラオ共和国に属する島々のうち、北緯5度から北緯2度の間に位置するアンガウル島以南の島々のことである。

バベルダオブ島
Babeldaob/Babelthuapは、パラオに所属する最大の島。ミクロネシア全体からみても、グアム島に次いで2番目に大きな島である。パラオの首都マルキョク州はバベルダオブ島に属している。同島の面積は331km2で、同国国土の70%以上を占めている。国内にいくつか点在する他の島と違い、バベルダオブ島には山が多い。同国最高峰のゲルチェレチュース山(Ngerchelchuus、標高242メートル)が存在する。

アラカベサン島
Ngerekebesang Islandは、パラオ共和国コロール州に属する島の一つ。マルキョク州に遷都するまでは、この島に大統領府があった。コロール中心部から離れており、パラオ・パシフィック・リゾートなどリゾート志向のホテルが多く点在する。日本大使館もこの島にある。

マラカル島
Malakal Island、パラオ語:Ngemelachelは、パラオ共和国コロール州に属する島の一つ。マラカル島付近はサンゴ礁があまりないため、パラオ随一の港湾施設が存在する。また港としての立地条件のよさから、ダイビング業者や旅行業者の拠点が集まっている。エコパラダイスFMの送信所もこの島にある。

コロール島
(Koror)は西部太平洋に存在する島。パラオ、コロール州に属しており、同州の本島となっている。面積は8km2程で、人口は約10000人を超えておりパラオでもっとも人口の多い島である。2006年まではコロールが首都になっていた。島は「つ」の字型をしており、町は北西部に存在する。

カヤンゲル島
NgcheangelやNgajangelとも呼ばれる。 パラオのカヤンゲル州に属しており、マルキョク州の70km北部に位置する。パラオで最北の島である。島の電力は太陽光パネルや民間の発電機によって生産されている。学校や図書館もあり、島内唯一の商店はDoko村に存在する。Dokoには130mの長い桟橋が存在する。


トビ島
(Tobi)は西太平洋に浮かぶパラオの島。ハトホベイ州に属しており、人口は30人で州内人口のほぼ全員が同島に居住している。島内住民のほとんどが島の西部に住んでおり、トビ語を話す。

ヘレン環礁
ヘレン環礁は太平洋西部の環礁。トビ語(英語版)ではホトサリヒエ環礁(Hotsarihie)とよばれる。パラオのハトホベイ州に属しており、トビ島の東75kmの位置に存在する。環礁西南部に礁湖に入る水路が存在し、引き潮時にはここから水が流出する。

ロックアイランド
(Rock Islands、Chelbacheb)は、パラオ共和国のコロール島とペリリュー島の間にある200〜300の島々の総称。 古代の珊瑚礁が隆起して出来た石灰岩の島で、多くは無人島である。傘のような形をした島々に青いラグーンが広がり、有名なダイビングスポットが点在している。

ジェリーフィッシュレイク
Jellyfish Lake、パラオ共和国のマカラカル島(Eil Malk島)に存在する塩湖。マカラカル島はコロール島とペリリュー島の間に位置し、200-300の無人島からなるロックアイランドを構成する島の一つである。ロックアイランドには約70の塩湖があるが、ジェリーフィッシュレイクはその中で最も有名な観光地の一つで、数百万匹ものクラゲが湖を周期的に回遊することで知られている。

イリエワニ
(入江鰐、Crocodylus porosus)は、動物界脊索動物門爬虫綱ワニ目クロコダイル科クロコダイル属に分類されるワニ。現生の爬虫類の中では最大級の一種であり、全長5-7メートル(最大の個体は10メートルに達するとする文献もあるが確実な記録がない)。主に汽水域に生息し、入江や三角州のマングローブ林を好む。イリエワニという和名もこれに由来する。

ゲルチェレチュース山
Mount Ngerchelchuusは、パラオにある山である。標高は242メートルで、バベルダオブ島の最高峰であると同時に、パラオ共和国の最高峰でもある。ガラスマオ州とアルモノグイ州の州境に位置する。コンパクト・ロードからゲルチェレチュース山を眺めることができる。

KBブリッジ
Koror-Babeldaob Bridgeは、パラオの旧首都コロール島とバベルダオブ島を結ぶ橋。コロール島とバベルダオブ島の間は、幅約250m・水深約30mの海峡で隔てられており、橋が完成する前は渡し船で行き来していた。「ワタシブネ」「トセン」の語はパラオ語にもなっている。パラオの国土開発を推進するためには、両島を結ぶ橋が必要不可欠であり、パラオ政府成立以前の太平洋諸島信託統治領政府の時代に計画が進められてきた。


日系パラオ人
Japanese Palauansとは日本人の血を引いたパラオの市民である。2005年現在、全人口の25%にあたる約5,000人のパラオ人は日本人の血を引いているとされる。

バドルルアウ遺跡
Badrulchau Stone Monolithsは、パラオの遺跡。アルコロン州バドルルアウにある遺跡で、高台の東側斜面を下るところに位置する。同じ向きに頂上部が凹んだ石柱が二列に並んでおり、それらが南北・東西一組ずつある。そして、それらの列柱を見守るかのようにストーン・フェイス(人面石)が数体置かれている。

パラオ語
パラオ共和国の現地人の母語で同国の公用語である。オーストロネシア語族のマレー・ポリネシア語派の西語群に属し、チャモロ語と並びミクロネシアの2言語のうちの1つと考えられている。話者は、パラオ国内を中心に約1万5,000人いると推定されている。

ケズ
(Ked)は、パラオに点在する遺跡群。パラオには棚田状の禿山がよく見られる。ガラスマオ州にある棚田状禿山は、日本統治時代に採掘されたボーキサイト鉱山の跡地であるが、その他の棚田状禿山は、先史時代に築造されたもので、ここで説明する「ケズ」である。アイメリーク州にあるものが特に有名で、前方後円墳型やピラミッド型など様々な形のケズがある。本格的な発掘はまだ行われていないため、正確な築造年代は今なお不明である。土方久功の聞き取り調査でも、ケズに纏わる伝承は残されていない。ケズ周辺には土器片などが数多く発見されている。

ベラウ国立博物館
Belau National Museumは、パラオの国立博物館。「ベラウ」とはパラオ語で「パラオ」を指す。ミクロネシア最古の博物館で、1955年に開設された。コロール州コロールに位置する。博物館の旧館は、かつての南洋庁気象台庁舎である。現在では隣に新館が建てられ、旧館は博物館附属の図書館となっている。

コンレイの石棺
Tet el Bad Stone Coffinは、パラオの遺跡。アルコロン州オレイ集落(旧名:コンレイ)にある遺跡で、当集落の酋長集会場に石棺がぽつんと置かれている[1]。パラオ語では「Tet el Bad」という。全長77寸(約233センチ)、幅22寸(約66センチ)の長方形の棺で、4箇所に突起物がある屋根型の蓋が付いている。1939年(昭和14年)に土方久功が石棺の調査したところ、中には人骨と思われる骨片が散乱していた。鑑定の結果、この墓の主は一人の老女と見られている。


マングローブ
Mangroveは、熱帯 - 亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地に成立する森林のことである。紅樹林または海漂林とも言う。熱帯から亜熱帯の海水に浸る土地に成立する。波当たりの強い場所では見られず、主としてある程度以上の大きさの川の河口域に成立する。しかし、波当たりがなければ、たとえば内湾などでは普通の海岸でも生育する場所がある。マングローブは干潟の性質を持ちつつ、そこに樹木が密生する場所である。干潟は、河川上流からや海から供給される有機物が集まって分解される場所であるため、非常に生産力の大きい環境であり、多くの生物の活動が見られる場所である。しかし、表面構造の単純さが大きな難関になっている。それに対してマングローブでは同様な環境でありながら、樹木が密生し、特徴的な呼吸根が発達することでその表面の構造が複雑になり、様々な動物の隠れ家を与え、その幹の表面はコケ類や地衣類の繁殖を許す。


南洋拓殖
南洋拓殖株式会社(なんようたくしょくかぶしきがいしゃ)は、南洋拓殖株式会社令(昭和11年勅令第228号)によって設立された大日本帝国の特殊会社。本社は南洋群島パラオ諸島コロール島、東京事務所が東京都麹町区丸ノ内1-8-1日本興業銀行ビル6階に所在した。

アンガウルの戦い
Battle of Angaur)は、第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役における最後の戦い。当時パラオ防衛は第14師団(宇都宮)が担当していたが、アンガウル島防衛に当たっていたのは第14師団配下の宇都宮歩兵第59連隊であった。第14師団はペリリュー島守備のため1個連隊(水戸歩兵第2連隊と高崎歩兵第15連隊第3大隊)を割いており、パラオ本島の防衛も行わなければならなかった。


■人種構成
人口の70%程度はパラオ人で、他にフィリピン人が多い。人口の半分以上は旧首都コロールに住む。日系パラオ人は全人口の25%を占めるともいわれている。

■言語
パラオでもっとも使われている言語は公用語の一つパラオ語 (64.7%、以下 United Nations Statistical Yearbook 2002より)である。次いでフィリピノ語 (13.5%)、公用語の一つ英語 (9.4%)、中国語 (5.7%)、カロリン語 (1.5%)、日本語 (1.5%)。
日本統治時代に教育を受けたパラオ人は、日本語で不自由無く意思疎通ができるレベルに達している者が多い。


ペオリア・コシバ
Peoria Koshiba、1979年6月27日 - は、パラオの日系の女子陸上競技選手。2000年のシドニーオリンピックと2008年の北京オリンピックの2度のオリンピックに出場した経験を持つ。シドニーオリンピックにはパラオからの初のオリンピック選手団のうちの一人として女子100mに出場、12秒66のタイムで予選8人中7位、北京オリンピックでは同じく女子100mで13秒18で予選8人中7位に終わっている。

アルフォンソ・オイッテロン
(Alfonso Rebochong Oiterong、1924年10月9日 - )はパラオ共和国の政治家。1985年7月2日から1985年10月25日までパラオ共和国第2代大統領を務めた。日本統治時代では、公学校を卒業後、選抜されて内地留学を果たした。帰島後はパラオ人唯一の木工徒弟養成所教官となった。終戦後は、ハワイ大学及びグアム大学で教育学を専攻した。

ラザルス・サリー
(Lazarus Eitaro Salii、1936年11月17日 - 1988年8月20日)はパラオ共和国の政治家。1985年10月25日から1988年8月20日までパラオ共和国第3代大統領を務めた。ハルオ・レメリク政権下でアメリカ合衆国との政治地位交渉団の代表を務めており、パラオ国民は自由連合盟約の早期締結を期待して彼を大統領に選出した。1988年8月20日、自宅において頭に銃創を受け死亡しているサリーが発見された。足元に拳銃があったので自殺と断定された。

トミー・レメンゲサウ
(Thomas Esang Remengesau, Jr., 1956年2月28日 - )はパラオの第6代大統領。コロール出身。1992年にクニオ・ナカムラ第5代大統領の副大統領になり、2000年に大統領に選ばれ、2001年1月1日に登庁した。彼はパラオのアメリカの援助への依存度を縮小させる事とわずかな観光事業を促進させる事を望んでいる。父は過去2度大統領代理を務めたトーマス・レメンゲサウ・シニア。アメリカ合衆国ミシガン州のグランドバレー州立大学卒業。学位は犯罪学。

パラオ Palau
太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国。首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。有史以前のパラオについては未解明の状態だが、国内に多く残る遺跡などを研究した結果、約4000年前から人が住んでいたと推定されている。

マルキョク州
Melekeokは、パラオ共和国の州の一つ。首都マルキョクを含み、パラオ最大の島バベルダオブ島の東海岸に位置する。メレケオク州とも読む。面積は28平方キロメートル、人口は391人(2000年)。旧首都であるコロール(コロール島)とは海を挟み KBブリッジで結ばれ、約25キロメートルの距離にある。ミクロネシア最大の淡水湖であるガルドック湖(英語版)(493 ヘクタール)があり、そこにはイリエワニが生息している。

コンパクト・ロード
Compact Roadとは、パラオの幹線道路。バベルダオブ島を一周する道路である。従来、バベルダオブ島内の舗装道路は、KBブリッジからパラオ国際空港までの道しかなく、それより北の道路は未舗装で、大雨が降ったりすると四輪駆動車といえども走行が困難な悪路であった。そのため、空港以北の地域に行くためには専ら船が使われていた。


パラオ国際空港
Palau International Airportはパラオ共和国バベルダオブ島アイライ州にある国際空港である。正式名称はバベルダオブ空港(英: Babelthap Airport)である。パラオ唯一の国際空港で、旧首都のコロール郊外のバベルダオブ島アイライ州にある。1984年に完成した旧ターミナルビルが手狭になった為、日本政府の無償援助により2003年3月に新しいターミナルが完成した。


外務省パラオ共和国
在パラオ日本国大使館

パラオ観光局

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日本パラオ国際交友協会
このホームページは日本のみなさまに、南国の島パラオを心から楽しんでいただきながら、健康も維持され、培った技術や知識、経験を、パラオの経済自立のために提供していただくことにより、国を越えた人間の笑顔の輪を広げてゆくことを目的としています。第二の人生を迎え、生きがいを探す方に。国際ボランティアに貢献したい方に。美しい自然と素朴な世界に癒しを求める方に。パラオスマイル倶楽部を紹介いたします。


アイメリーク州
State of Aimeliikは、パラオ共和国の州の一つ。アイメリーク州はパラオ国際空港からごく近いところにあり、パラオ最大の島バベルダオブ島南西部の密林山岳地帯に位置する。日本統治時代は、南洋庁熱帯産業研究所や南洋拓殖の農場など、各種農場がある所として知られていた。

アイライ州
Airaiはパラオ共和国の州の一つであり、バベルダオブ島の南岸に位置する。パラオの州の中で2番目に人口が多い。パラオ国際空港があり、南のコロール島と橋で繋がっている。アイライは現存する最古のバイ(集会所)があることで有名なところ。しかしながらたった200年しか遡る事ができない。パラオの激しい雨により、古代のパラオ人の建築物は長期的な保存が難しいためである。

アルモノグイ州
state of Ngeremlenguiは、パラオ共和国の州の一つ。バベルダオブ島西側に位置し、パラオの首都であるマルキョク州の西に隣接する。他にもガラスマオ州、ガスパン州、オギワル州、エサール州にも隣接する。州内をガルミスカン川が流れているため土地が肥沃で、日本統治時代には南洋拓殖の拓殖移民事業の一環として「朝日村」「大和村」という日本人村が存在していた。

アンガウル州
パラオ共和国の州の一つ。アンガウル島はパラオ諸島の南、ペリリュー島の南西10Kmに位置し、パラオを取り囲むバリアリーフのさらに南にある。第二次世界大戦中にアンガウル島で全滅した旧日本軍第14師団歩兵第59連隊第1大隊(宇都宮)やその艦船及び航空機、現地民間人等の戦没者墓苑、小さな仏教寺院、顕彰碑がある。サーフィンの名所としても知られている。ダイバー向けのコテージホテルが1軒営業している。

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オギワル州
State of Ngiwalは、パラオ共和国の州の一つ。バベルダオブ島東側に位置し、パラオの首都であるマルキョク州の北に、またガラスマオ州の東に、ガラルド州の南に隣接する。州民の大半が漁業に従事し、小学校や公立図書館が存在している。 島を一周するコンパクト・ロードが開通して交通の便がかなり良くなった。日本統治時代、この地の酋長が「南洋群島島民観光団」の一員として内地に渡航し、帰島後に銀座を模倣して、整然とした町並みの集落を作ったという。

ペリリュー州
パラオ諸島の中でコロール島の南西、アンガウル島の北東に位置する。ペリリュー島の総面積は13km2である。 2004年時の人口は700人で、これはパラオの州人口としては三番目に大きい数字である。 島住人の殆どは北部沿岸にあるペリリュー州都のKloulklubedon村に住んでいる。この島は、太平洋戦争中にペリリューの戦いの舞台ともなった。日米の部隊が砂浜で戦闘を行い日本軍は玉砕し、アメリカ軍も多くの死傷者を出した。

コロール州
State of Ngarchelongは、パラオ共和国の州の一つ。バベルダオブ島最北端に位置し、ガラルド州に隣接する。ここにはバドルルアウ遺跡という古代遺跡があり、巨石柱(ストーン・モノリス)が辺り一帯に点在している。この巨石柱の中で人の顔のように彫られているものは「ストーン・フェイス」と呼ばれている。他にもコンレイの石棺など多くの遺跡が残されている。

アルコロン州
State of Ngarchelongは、パラオ共和国の州の一つ。バベルダオブ島最北端に位置し、ガラルド州に隣接する。ここにはバドルルアウ遺跡という古代遺跡があり、巨石柱(ストーン・モノリス)が辺り一帯に点在している。この巨石柱の中で人の顔のように彫られているものは「ストーン・フェイス」と呼ばれている。他にもコンレイの石棺など多くの遺跡が残されている。

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ペリリューの戦い
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から1944年11月25日にかけペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた日本軍守備隊(守備隊長・中川州男 大佐)とアメリカ軍(師団長・ウィリアム・リュパータス少将)の陸上戦闘をいう。実質的に日本軍の兵力はアメリカ軍の6分の1以下だったと言える。また戦力差については航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃等を考慮するとアメリカ側が数百倍の火力で日本軍を圧倒している。


■国名
正式名称はパラオ語で、Beluu er a Belau。公式の英語表記は、Republic of Palau。通称、Palau。日本語の表記は、パラオ共和国で通称パラオ。漢字では、帛琉と書き、帛と略す。また、現地ではベラウと呼ぶこともある。

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1.面積:488平方キロメートル(屋久島とほぼ同じ)
2.人口:20,397人(2009年、世界銀行)
3.首都:マルキョク(2006年10月、コロールより遷都)
4.民族:ミクロネシア系
5.言語:パラオ語、英語
6.宗教:キリスト教
7.略史:
1500年代 スペイン人がミクロネシアの島々を発見。
1899年 スペインがミクロネシアの島々を独に売却。
1914年 第一次世界大戦始まる。日本はパラオを含む独領ミクロネシア(南洋群島)を占領。
1920年 国際連盟から日本の(パラオを含む)ミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
1922年 南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁がコロールに設置される。
1945年 第二次世界大戦終了後、米軍占領始まる。
1947年 国連の太平洋信託統治領として米国の統治始まる。
1965年 ミクロネシア議会発足。パラオも代表を派遣。
1969年 太平洋諸島信託統治地域に関する日米協定(ミクロネシア協定)締結。
1978年 住民投票の結果、パラオはミクロネシア地域の統一国家からの離脱を決定。
1981年 憲法発布。自治政府発足。
1982年 米国との間で自由連合盟約(コンパクト)案合意。以後、1983年2月、1984年9月、1986年2月、1986年12月、1987年6月及び8月(無効)、1990年2月の7回住民投票が実施されたが、75%以上の賛成を得ることが出来ず不承認。
1992年 住民投票にて憲法修正案(憲法の非核条項を自由連合盟約に適用しないことによりコンパクト案承認を容易にするもの)が承認された。
1993年 第8回目の住民投票によりコンパクト案承認(11月9日)。
1994年10月1日 コンパクト(注)発効(2044年まで有効)、独立。
1994年12月 国連加盟

■主要貿易品目(1)輸出 魚介類(2)輸入 機械・機器、燃料、メタル、食料品


アメリカ合衆国ドル
United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式の通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されているほか、その信頼性から、国際決済通貨や基軸通貨として世界で最も多く利用されている通貨である。

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ボーキサイト
(bauxite、鉄礬土(てつばんど))はアルミニウムの原料であり、酸化アルミニウム(Al2O3、アルミナ)を 52% - 57% 含む鉱石である。実際にはギブス石 (gibbsite、Al(OH)3)、ベーム石 (boehmite、AlO(OH))、ベーム石と組成は同じながら層状結晶の構造が異なるダイアスポア (diaspore、AlOOH) などの水酸化アルミニウム鉱物の混合物であり、鉱物ではない。


■政治
パラオは任期4年の大統領制をとり、議会は二院制(下院16名、上院9名。任期4年)である。自国軍隊は保持していない。独立時にアメリカ合衆国と締結した自由連合盟約 (Compact of Free Association) に基づき、期限付きであるが軍事権の全てと、外交権のうち軍事権に関連する部分はアメリカ合衆国が掌握している。またこの盟約に基づき一部のパラオ国民はアメリカ軍人として採用されている。

■経済
漁業とココナッツなどの農業、観光が主産業で、歳入のほとんどがアメリカ合衆国からの無償援助である。公務員の削減による緊縮財政政策や、観光や軽工業の振興を奨励している。パラオの貿易収支は大幅な貿易赤字である。2000年時点で輸出1,800万ドルに対して、輸入は9,600万ドルに達する。主な輸出品は、全輸出金額の7割を占めるマグロ、次いで農業生産物のコプラ、わずかな手工芸品などである。

■情報・通信
パラオの放送局はICTなどがあり、ほかに専門チャンネルなどでNHKやCNNの番組が配信されている。 インターネットにおいてはパラオの番組がsurvivorpw.pwというサイトを開設している。 新聞は「パラオ・ホライズン」と「ティア・ベラウ」、「アイランド・タイム」などがある。

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エコパラダイスFM
パラオ共和国アラカベサン島にあるFMの国営放送である(正式局名はパラオ共和国国営放送)。エフエム東京(当時のTOKYO-FM)と日本航空の支援により開局し2003年、JFNに特別加盟局として加盟した。その為、エフエム東京の番組も一部放送している。


クニオ・ナカムラ
Kuniwo Nakamura、中村 國雄、1943年11月24日 - は、パラオの政治家、元パラオ大統領。日系人。南洋群島(当時は南洋庁管轄下の日本委任統治領)の中心都市・コロール(パラオ共和国の旧首都)で、ペリリュー首長部族の娘アリール・ベトックと三重県伊勢市大湊町出身の船大工・中村善七との間に8人兄弟姉妹の7番目として生まれた(二番目の兄のダイジロウは元パラオ議会議員で現在は駐日大使。三番目の兄のトシオはパラオ立法議会の長となり憲法の非核条項はトシオの主導で作成されることとなる。4番目の兄のマモルはパラオ最高裁判所初代判事長)。 戦時中はペリリューからパラオ本島アイメリークのエウレイ村に強制移住、2歳の夏、日本の敗戦によってパラオは米国の信託統治領「太平洋諸島信託統治領」となる。

ハルオ・レメリク
Haruo Ignacio Remeliik、1933年6月1日 - 1985年6月30日はパラオ共和国の政治家。1981年3月2日から1985年6月30日までパラオ共和国初代大統領を務めた。日系人である。パラオ人男性と日本人女性との間に生まれた。若い時はペリリュー島に住んでいた。ハワイ大学を卒業後、太平洋諸島信託統治領政府の公務員となり、裁判所書記官やパラオ地区副行政官を務めた。行政官としての経歴が長く、あまり目立たない存在であったが、パラオ憲法制定委員会の委員長就任がきっかけで広く知られるようになり、第1回大統領選挙で当選した。

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ジョンソン・トリビオン
(Johnson Toribiong、1946年7月22日 - )は、パラオ共和国の政治家。現在、同国大統領(第7代)。パラオのアイライ州に生まれた。2008年11月4日に行われたパラオ大統領選挙で、決選投票の末エリアス・シンを破り当選し、2009年1月15日に大統領に就任した。大統領就任前は駐中華民国パラオ大使を務めた。ワシントン大学法科大学校にて法学学士、法学修士の学位を取得している。

土方久功
(ひじかた ひさかつ、1900年7月13日 - 1977年1月11日)は、日本の彫刻家である。パラオ等広く南洋に取材し、民族学的資料を多く残すとともに、芸術作品のテーマとして作品を残した。1900年(明治33年)7月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は陸軍砲兵大佐の土方久路、母方の祖父は海軍大将・男爵・柴山矢八、築地小劇場の土方与志は甥に当たる。1929年(昭和4年)、パラオに渡り、公学校(現地住民の初等教育学校)の図工教員として彫刻を教える傍ら、パラオ諸島の各島、ヤップ島を詳細に調査する。1931年(昭和6年)、ヤップ諸島の最東端・サテワヌ島(現在のサタワル島)に渡り、7年間を同島で過ごす。1939年(昭和14年)、パラオに戻り、コロールにおかれた南洋庁に勤務する。

トーマス・レメンゲサウ・Sr
(Thomas Remengesau Sr、1931年 -)はパラオ共和国の政治家。同国の大統領代行、副大統領を2期ずつ務めている。日本統治時代は公学校に通い、アメリカ統治時代になってからは、グアム島マンギラオのジョージ・ワシントン高等学校に通った。高校卒業後は太平洋諸島信託統治領政府の公務員となり、パラオ地区の官庁に勤めた。その後、ハワイ大学に留学して行政学を専攻した。大学卒業後、キャリア官僚となったレメンゲサウは、パラオ地区行政官などの要職を歴任した。

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ギラケル・エピソン
(Ngiratkel Etpison、1925年? - 1997年)は、パラオ共和国の政治家。1989年1月1日から1993年1月1日まで同国の大統領を務めた。日本統治時代に公学校及び木工徒弟養成所を卒業し、現在のインドネシアのマカッサルに渡航した。帰島の途上、アメリカ軍の攻撃にあい、乗っていた船が沈没、九死に一生を得た。その後エピソンは、アメリカ軍に占拠されたペリリュー島奪還のための義勇兵となった。1945年、日本製の捨てられた発電機を使ってアイスキャンディーを作る事業を始めた。これが後の企業集団「NECOグループ」であり、エピソンはパラオ有数の事業家となった。

 

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