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ニュージーランド
New Zealand

大洋州

ニュージーランド政府観光局


■地理
ニュージーランドは、北島と南島の2つの主要な島と多くの小さな島々で構成される。北島と南島の間には、クック海峡がある。北島(ノースアイランド)には、首都ウェリントンがあり、政府機関が集中している。また、同国最大の都市であるオークランドは、商業および経済の中心地となっている。南島(サウスアイランド)は、最も陸地面積の大きな島で、中心都市はクライストチャーチ。島の中央には「南半球のアルプス山脈」と呼ばれる南アルプス山脈がそびえる。


ヨーロッパ人として初めてこれらの島を発見したのは、オランダ人のエイベル・タスマンで、1642年12月に Heemskerck 号と Zeehaen 号で、南島と北島の西海岸に投錨。マオリとの争いがあったために西岸をトンガへ北上し北南島西岸のスケッチをした。


オセアニア
(Oceania)は、六大州の一つ。大洋州とも。狭義には、ニュージーランドを含むポリネシア、ニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。広義にはオーストラリアとオーストラリア領のインド洋上の島も含む。また稀に、 米 英 仏領以外のオセアニアをアジアに含める場合もある。六大州中最小の州であり、その小さな陸地面積のうちオーストラリア大陸が86%を占め、さらに島々の中で最も大きなニューギニア島とニュージーランドを含めると98%にもなる。


ポリネシア
(Polynesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。ポリネシアはギリシャ語で「多くの島々」の意味である。太平洋で、概ねミッドウェー諸島(ハワイ諸島内)、アオテアロア(ニュージーランド)、ラパ・ヌイ(イースター島)を結んだ三角形(ポリネシアン・トライアングル)の中にある諸島の総称。


タスマン海
Tasman Seaは、オーストラリア南東部やタスマニア島とニュージーランドに挟まれた太平洋南部の海域。約2,000km四方の大きさであり、面積は約230万km2。水深は最高で5,257mである。

バンクス半島
Banks Peninsulaは、ニュージーランドの南島、クライストチャーチから南東に広がる半島である。半島の面積は約1,000平方キロメートル。元は火山が隆起して出来た半島である。ニュージーランドの南島でも有名な観光地、保養地であり、おしゃれな町が点在している。

チャタム諸島
(Chatham Islands)とは、南太平洋上にある諸島でニュージーランドの特別領。チャタム島のワイタンギが最も大きな集落である。総面積963km2。人口761人(1991年)。ニュージーランド南島の東方1000kmに位置する。チャタム諸島は主島で千葉県のような形のチャタム島とピット島などを始めとする火山性の島々からなる。チャタム島は火山の噴火により隆起した島で島内には小さな湖が点在し、ラグーンが島内の1/3を占める。

チャタム島
Chatham Island、Rekohu、Wharekauriとは、ニュージーランド南島の東海岸沖約1,000kmにある南太平洋上の島である。チャタム諸島に属し、諸島内で最も大きい島である。なお、マオリ族による「Wharekauri」、モリオリ人による「Rekohu」という2つの別の名前がある(意味は「misty sunlight=霧がかった日光」)。観光の宣伝目的で表現される「赤道と南極のちょうど真ん中、かつ日付変更線の右」という表現は正確ではないが、感覚的には十分それに近い。


クック海峡
Cook Straitはニュージーランドの国土を形成する北島と南島の二つの島の間に位置する海峡である。 タスマン海と南太平洋をつないでおり、北島側は首都ウェリントンが面している。最も狭い部分での幅は23kmで、天気が良い日は対岸を見通せる。この海峡はかつては開拓者時代から続いた捕鯨の一大拠点であり、1970年代まで捕鯨は続けられた。その結果、この海峡を回遊するクジラの数は大幅に激減した。マオリの伝説によると、海峡を泳いで渡った最初の女性は Hine Poupou であり、イルカの助けを受け泳いだという。

タウポ湖
Lake Taupoは、ニュージーランド北島のタウポに位置する、ニュージーランド最大の表面積(616km2)を持つ湖。西暦181年の巨大噴火(VEI7、噴煙高度50km)によってできたカルデラ湖。付近では現在も火山活動が活発で、温泉や地熱発電所がある。

テカポ湖
Lake Tekapo)は、ニュージーランドの南島にある湖。マッケンジー盆地の北端に位置しプカキ湖とオハウ湖と平行する湖。町の北側ジョン山にマウントジョン天文台が設置されている。

ワナカ湖
Lake Wanakaは、ニュージーランドのオタゴ地方、標高300メートルに位置する。面積は192km2で、ニュージーランドで 4番目に大きい湖であり、深さは300m以上と推定される。

ハウェア湖
ニュージーランドのセントラル・オタゴ地区に位置しており、348メートルの標高にある。この湖は、約141平方キロメートルの面積があり、最大水深は392メートルである。

スチュアート島
(Stewart Island)とはニュージーランド南部の島である。南島との間はフォーボー海峡で23km隔てられている。かつて先住民のマオリ族が島に居たと言う痕跡がある。島は現地のマオリ語で「空が赤く燃える場所」を意味するラキウラ(Rakiura)と呼ばれていた(現在でも島の事はラキウラとも呼ばれている)。1770年にジェームズ・クックにより発見され、海図に組み込まれるが、それは不定確なもので、南島の一部の半島であるかの様に描かれていた。

ワイカト川
(Waikato River)は、ニュージーランド最長の425 km(264 mi)の河川である。ワイカト(Waikato)はマオリ語で「流れる水」という意味を持つ。ルアペフ山東丘からタウポ湖を経由し、フカ・フォールズ、ワイカト平原を北西に流れ、オークランドの北、ワイカト港でタスマン海へと注ぐ。

タスマン氷河
Tasman Glacierは、ニュージーランドの南島にあるサザン・アルプス山脈からマッケンジー盆地に向かって南や東に流れる氷河の中で最大のもので、ニュージーランド最長の氷河である。この氷河は、長さ27キロメートル、幅は4キロメートルもあり、全体がアオラキ/マウント・クック国立公園内にある。最大の深度は600メートルである。

ミルフォード・サウンド
(Milford Sound)はニュージーランドの南島の南西部のフィヨルドランド国立公園に位置するフィヨルド。テ・ワヒポウナムの一部としてユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。別名として、ピオピオタヒ(Piopiotahi、マオリ語で「一羽のツグミ」)と呼ばれる。

クック山
Aoraki/Mount Cookは、標高3,754mの山でニュージーランドの最高峰である。正式名称は、アオラキ/マウントクック(Aoraki/Mount Cook)。通称「マウント・クック」。かつては標高が3,764mあったが、1991年11月14日に山頂が崩落し10mほど低くなった。

ルアペフ山
Ruapehu山は、ニュージーランドの北島、トンガリロ国立公園内にある火山。タウポ湖南岸から約40km南西にある。3つの峰があり、その一つのタフランギ峰(2,797m)が北島の最高峰である。

南アルプス山脈
Southern Alps)は、ニュージーランド南島を形作る「背骨」にあたる山脈で、ヨーロッパのアルプス山脈にその姿が似ていることから、名付けられた。最高峰はクック山(Mt. Cook)で、標高3,754mはニュージーランド1位である。


マウントジョン天文台
(Mount John University Observatory, 略称:MJUO) は、ニュージーランドの天文台である。南島マッケンジー盆地ジョン山海抜1,031mの位置に所在する。天文台には5台の望遠鏡が設置されており、口径0.61m望遠鏡が2台、口径1.0m望遠鏡が1台、口径1.8m 'MOA 望遠鏡' 1台、口径0.4m望遠鏡(観光客用)が設置されている。


■言語
英語(ニュージーランド英語) 95.9%、マオリ語 4.1%、その他、ニュージーランド手話、サモア語、フランス語、ヒンディー語、中国語、ドイツ語、トンガ語、オランダ語、朝鮮語、スペイン語、アフリカーンス語、日本語など


マオリ語
Te Reo Maori ; テ・レオ・マーオリ)は、ニュージーランドに住んでいるマオリ族の言語で、ポリネシア諸語のひとつ。ニュージーランドの公用語の一つであり、小学校では必修とされる。


マオリ
アオテアロア(ニュージーランド)にイギリス人が入植する前から先住していた人々である。形質的・文化的にはポリネシア人の一派をなす。マオリとは、マオリ族の用いる言語マオリ語では本来普通という意味で、マオリ自身が西洋人と区別するために”普通の人間”という意味でTangata Maoriを使い出したにもかかわらず、イギリス人が発音しにくいという理由で、Tangata(=人間)ではなくて、Maoriを採用したのが由来とされる。神話では、伝説的な航海者クペが「ハワイキ」から来航し、再びハワイキに戻って人々にアオテアロアの存在を教えたとされている。考古学的には、ポリネシア地域のクック諸島またはタヒチが起源とされ、9世紀から10世紀頃までにアオテアロアに移住し、狩猟採集生活を送る。


モリオリ人
モリオリ人はニュージーランドの東に位置する列島、チャタム諸島(モリオリ語ではRekohu)の先住民である。モリオリ人は太平洋のポリネシア人とは異なる文化を有している。だが、かつては赤道付近のポリネシアの島々から直接チャタム諸島に移住してきたと考えられていた。現在ではニュージーランドの南島南部から1500年ごろに移住してきたマオリ人が起源であるという考えが主流となっている。

 


■宗教
英国国教会 14%、カトリック教会 13%、長老派教会 10%、メソジスト 3%、バプティスト 1%、無回答または無宗教 38%(2006年調査)だった。


イングランド国教会
Church of England)は、16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。

カトリック教会
ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。

長老派教会
Presbyterianism, Presbyterian Church)は、キリスト教のプロテスタント、カルヴァン派の教派。歴史の長いプロテスタントの一派。16世紀のスイスの宗教改革において、チューリヒのツヴィングリ派はブリンガーに引き継がれ、ジュネーヴのカルヴァン派との、チューリッヒ協定による改革派教会の合同が成立した際、教会制度はカルヴァンの長老制が採用された。


■善き羊飼いの教会
テカポ湖畔には、善き羊飼いの教会が所在しており、この教会は、1935年にマッケンジー地方で2番目に建てられた教会である。なお、この地方の最初の教会は、バークス・パスの峠に1872年に建てられたセント・パトリック教会であり、それは、聖公会、長老派そしてカトリックの開拓者による協力で建てられた教会だった。善き羊飼いの教会は、地元の芸術家エスター・ホープによる下絵に基づき、クライストチャーチの建築家R.S.D.ハーマンによって設計された。


■生態系
ニュージーランドの北島、南島およびスチュアート島は太古から大陸から切り離され孤立したため独特の生態系が形成された。 とりわけ、コウモリ類、クジラ類以外の哺乳類を全く欠いていたことは特筆すべきであり、そのため、通常なら陸生哺乳類が担うべきニッチを鳥類が埋める形で適応放散し、すでに絶滅した巨鳥モアをはじめ、キーウィやフクロウオウム、タカヘなど飛べない鳥による生態系が発達した。


キーウィ
(Kiwi)は、ニュージーランドに生息する飛べない鳥類である。キーウィー、キウィ、キウイとも表記する。分類学上はキーウィ属で、1属でキーウィ科を作る単型。キーウィ科は伝統的に1科でキーウィ目を作ってきたが、ダチョウ目やモア目に含める説もある。ちなみに、キウイフルーツは、果実の外観がキーウィを思わせることから命名された。ニワトリくらいの大きさ。翼は退化して飛べない。同程度の体格を持つ他の鳥類に比べてたくましい脚を持ち、速く走る。


モア
Moaは、ニュージーランドにかつて生息していた、ダチョウ目モア科に属する構成種の総称。現在ではすべてが絶滅した。恐鳥とも言う。従来、最後の種は18世紀半ばまで生き残っていたと言われてきたが、最近では16世紀以前にすべてが絶滅したとする見方が有力である。最大の種では 3メートル近い体高に成長する最大の鳥類であった。ダチョウやヒクイドリの様に脚力が発達し、飛ぶことはできない。


フクロウオウム
学名: Strigops habroptilusは、ニュージーランド固有の夜行性オウムの一種である。世界で唯一飛べないオウムであること、最も体重が重たいオウムであること、レックという繁殖法をもつ点が注目に値する。また、世界で最も長生きのオウムかも知れないとも考えられており、フクロウオウム亜科(Strigopinae)フクロウオウム属(Strigops)に属し、近縁はミヤマオウム属と考えられている。


<歴史>
■ポリネシア人開拓者
9世紀頃、ポリネシア人開拓者が島々にやってきていて、彼らの子孫は マオリ人と呼ばれる。また、ニュージーランドの東に位置するチャタム諸島に行った子孫はモリオリ人と呼ばれている。モリオリ人がチャタム諸島に、ニュージーランドを経由して来たのか、他のポリネシア地域から直接渡ったのかは今でも議論がある一方、言語学的には証明がなされている。

■ヨーロッパの探検家
ヨーロッパ人として初めてこれらの島を発見したのは、オランダ人のアベル・タスマンで、1642年12月に Heemskerck 号と Zeehaen 号で、南島と北島の西海岸に投錨。マオリとの争いがあったために西岸をトンガへ北上し北南島西岸のスケッチをした。

■1643年
ヘンドリック・ブラウエルによって改めて調査され、チリの南ではないと分かると、オランダの知識人はオランダのゼーラント州 (Zeeland) にちなみ、ラテン語で "Nova Zeelandia"(「新しい海の土地」という意味。英語の "New Sealand" にあたる。)と名付け、後にはオランダ語で "Nieuw Zeeland" と呼ばれた。

■1769年
イギリス人ジェームズ・クックが、島全体および周辺の調査を行った。この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まった。その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まった。

■1840年2月6日
イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地とした。1860年代には、入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり、1843年と1872年の二度に渡って戦争が勃発したが鎮圧された。

■1907年9月26日
イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立した。第一次世界大戦では志願兵によるオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) を結成してガリポリの戦いに参加し、激戦を経験した。戦後のニュージーランドは、イギリスを主な貿易相手国とする農産物輸出国として発展し、世界に先駆け高福祉国家となる。しかし、1970年代にイギリスがECの一員としてヨーロッパ市場と結びつきが強まり、ニュージーランドは伝統的農産物市場を失い経済状況は悪化した。

■1984年
労働党のデビッド・ロンギが政権を勝ち取ると、「国民の支持が得られなくともやるべきことは断行する」との固い決意のもと、政権主導の改革を押し進めた。

■1990年代後半
とりわけ環境問題、自然保護政策に重点を置き、外資に売却した鉄道会社を再購入するなど地球温暖化対策に積極的な姿勢を示している。国内各地でエコツーリズムを開催するなど観光政策と自然保護政策の両立を目指している。また、映画産業の成長により広大な自然地形はロケーション撮影地として映画産業、海外メディアにも広く利用されニュージーランドの広報活動にも貢献している。


ニュージーランドの歴史
8世紀ごろ、ニュージーランドに最初に渡来した東ポリネシア系の先住民(マオリ人)は、モアの狩猟によって生活を営んでいたが、狩猟対象の激減により14世紀ごろにはライフスタイルの大きな変化が見て取れるようになる。その後、オランダのアベル・タスマンによって1642年に「発見」がなされ、1769年、イギリス人探検家ジェームズ・クックがヨーロッパ人として初めてニュージーランドに上陸を果たした。


<世界遺産>
テ・ワヒポウナム-南西ニュージーランド
テ・ワヒポウナムは、マオリ語で「グリーンストーン(翡翠)の産地」を意味する名称である。公園内にはクック山など大きな山が広がり、いわゆるサザン・アルプス山脈を形成。壮大な光景が広がる。

トンガリロ国立公園
最高峰ルアペフ山(2,797 m)や、富士山に似た稜線を持つナウルホエ山(2,291 m)などの活火山や死火山が広がる795km2の広さを持つ。トンガリロ山(1,967 m)には,エメラルド色に輝く火山湖がある。

ニュージーランドの亜南極諸島
この世界遺産は南極に近いニュージーランド領の島嶼部からなる。この地域に置いては生物の種類が豊富で非常に密であると言われる。特に野鳥類は海鳥40種をふくむ126種が観測されている。

フィヨルドランド国立公園
ニュージーランドの南島の南西部角を占めている国立公園である。ニュージーランドで最大の国立公園(12,500 km2)であり、ワヒポウナム世界遺産の大部分を占めている。

アオラキ/マウント・クック国立公園
アオラキ/マウント・クック国立公園は約700km2の広さをもち、総面積の40%が氷河に覆われている。中でもクック山の東側に位置するタスマン氷河は温帯地方で最大の氷河として有名。

ウエストランド・タイ・ポウティニ国立公園
面積は1,175km2で、南アルプス山脈の氷河が公園に含められている。多くの湖、さらに沿岸に沿って古い金採掘現場もある。

マウント・アスパイアリング国立公園
Mount Aspiring National Parkは ニュージーランドの南島にある国立公園の一つ。1990年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に周辺の国立公園と共に登録されている。

アンティポデス諸島
Antipodes Islandsは、ニュージーランドに属する火山島群で、全て無人島である。スチュアート島の南東860kmにあり、水半球の中心付近に位置する。1886年、約75cmの陶器の破片がアンティポデス島で発掘された。これは最初に発見したヨーロッパ人よりも前に人類が渡来してきたことを意味している。この陶器の欠片はウェリントン市内にあるニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワに所蔵されている。

オークランド諸島
英: Auckland Islands、マオリ語: Motu Mahaは、ニュージーランド南島の南方約450kmに位置する、ニュージーランド領の諸島。面積は合計625km2。かつてはアザラシ猟や捕鯨の拠点となり、定住も試みられたが、現在は無人である。

キャンベル島
Campbell Islandとは、ニュージーランド領の島。ニュージーランドの中でも最南部に位置している。この島は1810年にフレデリック・ハッセルボロウによって発見され、アザラシ狩猟の拠点となった。そのため、島のアザラシはほぼ絶滅してしまった。

スネアズ諸島
Snares Islandsは、南極海にあるニュージーランドの諸島。船の航行が危険な場所と見做されスネアーズ(snares = 罠)と名づけられた。捕鯨やアザラシ狩りの影響を受けた他の南極圏の島と異なり、スネアーズ諸島には手付かずの自然が残っており、無脊椎動物の他にハシブトペンギンやSnares Island snipe (Coenocorypha aucklandica heugli)といった鳥類の固有種もいる。

バウンティ諸島
Bounty Islandsとはニュージーランド領の無人島。ペンギンやアホウドリが多く生息している。19世紀にはアザラシ狩りの拠点となった。19世紀なかごろまでアザラシの繁殖群が見られたが、19世紀末までに絶滅状態になってしまう。しかしながら、ニュージーランド政府の保護政策により、1980年時点で1万6000頭まで個体数が回復した。


西岸海洋性気候
夏はさほど暑くならず比較的涼しい、冬も暖流や偏西風の影響で緯度の割に寒くなく非常に暮らしやすい。雨量は温帯の中ではやや少なめであるが、年較差が少なく安定している。大陸東岸においても、オーストラリア大陸の南東部や北米大陸のアパラチア山脈地域に見られる。ただし、これは周囲の平地が温暖湿潤気候で、高山気候の要件を満たすほどではないが高地にあって夏の気温が低いためにこのような気候になるものである(日本でも那須など、関東地方・中部地方の高原地帯にそのようなケースがみられる)。また、ニュージーランドもこの気候である。


国際日付変更線
International Date Line、略してIDL)は、日付の更新の矛盾を防ぐために地球の海上に設けられた、ほぼ経度180度の地点を結ぶ理論上の線。単に日付変更線ともいう。


■農業
豊かな国土と地形から農業が盛ん。とくに酪農、畜産が盛んに行われ、およそ3割の輸出品目は農産品で占められる(乳製品19.5%、食肉13.8%(数字は2007年6月)。近年では、国際市場での価格上昇を受け乳製品の輸出が好調 。畜産を廃業し酪農へ進出する農家が増加傾向にある。


酪農
牛や山羊などを飼育し、乳や乳製品を生産する畜産をいう。その歴史は古く、人類が狩猟生活から農耕生活に入ったのと同時期に、こうした酪農、畜産も始まったといわれる。移動しながらの遊牧も行われるようになった。 「酪」は、古代メソポタミア語で濁り酒の意。冷涼な高地が乳牛飼育に向いた土地。一軒につき数頭から数百頭の乳牛を、牧場等で放牧したり畜舎で飼育する。

畜産
動物のうち家畜・家禽を飼育し乳製品や皮や肉などを得て生活に役立てる産業である。飼育する動物が水棲生物である場合は養殖と呼ぶことが一般的である。 畜産を営む農家は特に、畜産農家、または畜産家と呼ばれる。 放牧により畜産をする場合、牧畜とも言う。


■林業
林業、森林業が大変盛ん。対外輸出も好調。2006年度は、およそ31億5000万NZDを輸出し、全輸出額の10%を占める。主な輸出先はオーストラリア、日本、アメリカ、中国など。ラジアータパイン(ニュージーランド松)が主力林。木板、繊維板(MDF)の需要が高く、カーター・ホルト・ハーベイなどの林業多国籍企業が主要企業。


ラジアータパイン
(Pinus radiata) はマツ科マツ属の樹木である。樹高は10 - 40 m程度であり産地や条件で変動するが、基変種 radiata の場合は大抵は20 - 30 m程度、小さいと10 m、大きいと40 m近くになる。辺材は淡い色をしており、心材はそれよりもやや濃く淡い褐色を示す。生長の良い若い木では辺材が大部分を占める。年輪はあまり明確ではなく、肌目は均一である。乾燥は早くて狂いも少ない。加工性も良好で、比重の割には強いが耐久性は低いとされる。


■鉱業
ニュージーランドの鉱業は小規模である。有機鉱物資源では、亜炭(20万トン、2002年)、石炭(371万トン)、原油(150万トン)、天然ガス(244千兆ジュール)が採掘されているが、国内需要と比較すると取るに足りない。幸い高低差の大きな地形を生かした水力発電が国内の総発電量の54%を占めているため、有機鉱物資源の輸入量を抑えることに成功している。例えば原油が総輸入額に占める割合は6.0%に過ぎない。


■観光
年間240万人以上の旅行者が訪れる観光立国である。国別では、オーストラリアからの観光客が全体の4割を占め年間90万人以上が訪れている。その他、主な観光客の出身国はイギリス(29.5万人)、アメリカ合衆国(22.6万人)、日本(13.6万人)、大韓民国(11.1万人)となっている。


ニュージーランド交響楽団
New Zealand Symphony Orchestra,略称:NZSOは、ニュージーランドの首都ウェリントンを本拠地とするオーケストラ。ウェリントン・タウンホール、マイケル・ファウラーセンターを本拠地に国内外で演奏活動を行い、年間公演数は100を超える。ニュージーランドの原住民族マオリ族出身のアーティストと連携し、パフォーマンスアート等の総合演出を担当することもある。

クライストチャーチ交響楽団
Christchurch Symphony Orchestra、略称:CSOは、ニュージーランドクライストチャーチを拠点に活動するオーケストラ。本拠地はクライストチャーチ・タウンホール。1958年にウェリントン出身の作曲家ジョン・リッチー(現・カンタベリー大学名誉教授)が設立した“ジョン・リッチー・ストリングス”が前身母体。当初は11名の演奏家が参加し1959年3月に初演を迎える。


スカイタワー
スカイタワーはニュージーランドのオークランドにある高さ328メートルの南半球で最も高いタワーである。 また、オークランドの観光名所のひとつである。スカイタワーには毎年75万人以上の訪問者がある。スカイタワーの建設には15,000m3の高強度および高性能コンクリートが使用された。直径12mの強化コンクリート軸が主要構造である。2,000tの鉄筋が使用されている。メイン展望台までの階段の段数は1,029段ある。普通のペースで上ると24分かかる。最高記録は2002年スカイタワー・バーティカル・チャレンジの時に記録された5分7秒。


地熱発電
地熱(主に火山活動による)を用いて行う発電のことである。再生可能エネルギーの一種であり、ウランや石油等の枯渇性エネルギーの価格高騰や地球温暖化への対策手法となることから、エネルギー安全保障の観点からも各国で利用拡大が図られつつある。


■ラグビー
ラグビーユニオンニュージーランド代表オールブラックスは世界屈指の強豪チームであり、試合前にハカを踊る事でも知られる。国内ラグビーも世界屈指のクラブチームが揃いスーパーラグビーに参加している。2009年10月31日にはオールブラックス(NZ代表)対ワラビーズ(豪州代表)の公式戦が史上初めて東京で開催された。



ジェリー・マテパラエ
(Sir Jeremiah Mateparae,GNZM, QSO, 1954年11月14日 - )は、ニュージーランドの軍人(階級は中将、学位は文学修士(第1等,ワイカト大学))、第20代ニュージーランド総督(2011年8月31日 - )。ファンガヌイ生まれ。マオリ族の家系を持つ。生後母方の叔父に育てられる。マオリ族には伝統的な習慣として「ファンガイ」と呼ばれる養子縁組制度が存在し、生みの親以外の人物(通常、親族)が子を育てる伝統的な慣わしがある。マテパラエもファンガイに従い叔父に育てられる。生みの父と育ての父は共にマオリ族の教会ラタナ教の司祭。マオリ族の部族ンナティ ツワレトアの出身である。

ジョン・キー
(John Philip Key, 1961年8月9日 - )は、ニュージーランドの政治家。ニュージーランド国民党党首。第38代ニュージーランド首相。元投資銀行行員。元為替取引人。オークランドに生まれ、その後クライストチャーチで育つ。父は英国からの移民でスペイン内戦、第二次世界大戦に従軍した人物である。6歳のときに父が心臓病で死去。オーストリア系ユダヤ人の家系をもつ母親に育てられる。クライストチャーチの公営住宅で母と2人の姉妹と暮らす。バーンサイド高校を卒業後、カンタベリー大学商学・経済学部で会計学を専攻する。

ジーン・バテン
Jean Gardner Batten,CBE,1909年9月15日 - 1982年11月22日)は、ニュージーランドの女性パイロットである。いろいろな記録飛行を達成した。その容姿から「空のガルボ」(グレタ・ガルボは女優)と呼ばれた。

デビッド・ロンギ
(David Russell Lange、ONZ、CH、1942年8月4日 - 2005年8月13日)は、ニュージーランドの政治家。第32代ニュージーランド首相(1984年 - 1989年)。オークランド・オタフフ出身。オークランド大学法学部卒業。大学卒業後は、ニュージーランド最高裁判所で法廷弁護士を務める。

ロッド・ドナルド
Rodney David (Rod) Donald, 1957年10月10日 - 2005年11月6日は、ニュージーランドの政治家。クライストチャーチ生まれ。ニュージーランドの政治政党である緑の党 (ニュージーランド)の副代表であり、環境問題や国民生活に関する諸問題、特に遺伝子組み換え食品(GE foods)の研究および販売の反対を強く主張し、かつて所属していたニュージーランド労働党とコネクションを持つ反共左翼政治家であった。2005年11月6日、クライストチャーチの自宅にて急死する。葬儀はクライストチャーチ大聖堂で行われ、1000人以上の人が出席した。後日、スリー・ニュースの人気番組「キャンベル・ライブ」で、ジョン・キャンベル(John Campbell)が、「ドナルド氏急死の直前に選挙があり、同氏が遺伝子組み換え食品(GE foods)の研究および販売の反対を強く主張していたため、ニュージーランド労働党と連立政権を樹立できなかった」ことなど、その死因に関する疑問を呈したが、ニュージーランド当局や緑の党などは、暗殺説や陰謀説を否定している。

ニキ・カーロ
(Niki Caro、1967年 - )は、ニュージーランド・ウェリントン出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。オーストラリアで映画製作を学んだ後に、ニュージーランドのテレビ界で活躍。1997年に映画監督としてデビューした。マオリ族の世界を描いた『クジラの島の少女』でサンダンス映画祭の観客賞などを受賞。ハリウッド・デビュー作となった『スタンドアップ』ではセクハラ問題を扱い、主演のシャーリーズ・セロン、助演のフランシス・マクドーマンド共にアカデミー賞にノミネートされた。

キャサリン・マンスフィールド
Katherine Mansfield, 本名:Kathleen Mansfield Beauchamp, 1888年10月14日 - 1923年1月9日)はニュージーランド出身の作家である。「意識の流れ」を重視した作家のひとりとされる。ニュージーランド生まれとしては最も有名な作家で、主にイギリスで作品を発表した。病のため短い作家生命に終わったが、中流階級の家庭に起きるささいな事件とそれにまつわる人間心理の機微を描いて高く評価されている。キャサリン・マンスフィールドはニュージーランド、ウェリントンの中流家庭に生まれた。父親は銀行家、母親も良い家柄の出だった。幼年期を送った現ウェリントン郊外のカロリ(Karori) は田舎で、後にその頃のことを「いつも何かを書いていたと思います。戯言めいたことですよ。でも、戯言でもなんでも書いている方が、ずっと、ずっとよかった。そうしなければ何もなかったから」と語っている。

ウインストン・ピータース
Winston Raymond Peters, 1945年4月11日 - は、ニュージーランドの政治家。ニュージーランド・ファースト党党首。ファンガレイ生まれ。マオリとスコットランドの家系を持つ。オークランド大学で法学を専攻し、大学卒業後は弁護士として活動した。兄のジム、イアン・ピータース共に政治家。

アンナ・パキン
(Anna Helene Paquin、1982年7月24日 - )は、カナダ生まれのニュージーランドの女優。マニトバ州ウィニペグにて、体育教師の父親ブライアン・パキンと英語教師の母親メアリー・パキン(旧姓ブロフィ)のもとに生まれる。姉の友人から映画のオーディションを勧められ、5000人の中から選ばれ[2]11歳で映画初出演したジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1993年公開)でアカデミー助演女優賞を受賞する。

カール・アーバン
(Karl Urban, 1972年6月7日 - )は、ニュージーランド・ウェリントン出身の俳優である。俳優になるために大学を中退し、ニュージーランドの舞台やテレビで活躍。『ロード・オブ・ザ・リング』のエオメル役に抜擢されて広く知られるようになった。釣り、サーフィン、ロック・クライミング等が好きなスポーツマンである。

シルヴィア・カートライト
(Dame Silvia Cartwright、PCNZM, DBE, QSO, 1943年11月7日 - )は、ニュージーランドの法律家、元判事。第18代ニュージーランド総督。1989年にニュージーランドで女性として初となる地方裁判所判事に就任。1993年に女性として初となる最高裁判所判事に就任。最高裁判所の首席裁判長をつとめアジア太平洋国内人権機関フォーラムなどにも参加。主に女性の人権向上・保護のために活動。2001年に総督に就任。

ビル・イングリッシュ
(Simon William English, 1961年 - )は、ニュージーランドの政治家。元ニュージーランド国民党党首(2001年 - 2003年)。2008年からは副首相兼財務大臣兼社会基盤施設大臣を兼務している。サウスランドディプトン生まれ。ウェリントンのセント・パトリック・カレッジ卒業。オタゴ大学で商学、ヴィクトリア大学ウェリントンで英文学を専攻し卒業。大学卒業後は地元へ戻り農夫となる。その後ウェリントンへ戻り、政策分析官として国庫庁へ勤務する。国庫庁に2年間勤め、ふたたび地元へ戻る。

ウィリアム・サウスゲート
(Sir William David Southgate)は、ニュージーランド出身の作曲家、指揮者。オタゴ地方で生まれ育ち、5歳のときピアノラに影響を受けピアノを習い始める。9歳のときに自らの人生を音楽のために捧げることを決意する。1967年に奨学金を得て渡英し英国ギルドホール音楽演劇学校へ進学。同校でリコルディ指揮者賞を受賞。ロンドンに活動の場を移しロイヤル・シェイクスピア・カンパニーへ楽曲を提供する。

アラン・ウィルソン
(Dr Allan Charles Wilson, 1934年10月18日 - 1991年7月21日)は、ニュージーランド出身の生物学者、分子生物学者。ニュージーランド・ナルアワヒア(Ngaruawahia)生まれ。オークランドのキングス・カレッジでは数学と化学で優秀な成績を修める。オタゴ大学へ進学し、分子生物学専攻を勧められる。奨学金を得て、アメリカ合衆国カリフォルニア大学バークレー校博士課程へ進学し1961年にPh.D.を取得。

グラハム・ヘンリー
(Sir Graham William Henry, KNZM, 1946年6月8日 - )は、ニュージーランド出身のラグビー指導者。ニュージーランドラグビー協会(NZRU)所属。2004年から2011年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)ヘッドコーチ。クライストチャーチ生まれ。クライストチャーチの名門クライストチャーチ・ボーイズハイスクール(CBHS)卒業。

アントン・オリバー
(Anton David Oliver, 1975年9月9日 - )は、ニュージーランド出身の元ラグビー選手。元ラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)。現役時代のポジションはフッカー。インバーカーギル出身。マルボロ・ボーイズカレッジ卒業。オタゴ大学卒業。学生時代は同じ大学で学んでいたトニー・ブラウン(元オールブラックス)、サイモン・メイリング(元オールブラックス)らと共同生活を送る。ラグビーニュージーランド高等学校代表、ラグビーU-19、U-21代表を歴任。

アンドリュー・マーティンズ
(Andrew Mehrtens, MNZM, 1973年4月28日 - )は、ニュージーランドのラグビー選手。ポジションはファースト・ファイブ・エイス。1993年から2004年までNPCカンタベリーに所属。1996年から2005年までスーパー14クルセイダーズに所属。1995年から2004年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出され70キャップ、967得点。クルセイダーズで5度の優勝、カンタベリーで3度の優勝を経験する。

ジャスティン・マーシャル
(Justin Warren Marshall, MNZM, 1973年8月5日 - )は、ニュージーランド出身のラグビー選手。ポジションはスクラムハーフ。1992年から1994年までNPCサウスランドに所属し、1995年から2004年までカンタベリーに所属。1996年から2005年までスーパー14クルセイダーズに選出され、1995年から2005年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出される。オールブラックス81キャップ、テストマッチ28トライ、120得点。世界最高峰のスクラムハーフと高く評価される。

アリソン・シャンクス
(Alison Shanks、1982年12月13日 - )は、ニュージーランド、ダニーデン出身の女子自転車競技(トラックレース&ロードレース)選手。オタゴ大学卒業(商学士(マーケティング専攻)、理学士(栄養学専攻))。2009年 世界選手権・個人追抜 優勝。世界選手権・団体追抜 2位。UCIトラックワールドカップ2008-2009北京大会 個人追抜 & 団体追抜 優勝

キャサリン・ティザード
(Dame Catherine Anne Tizard, (旧姓:Maclean), ONZ, GCMG, GCVO, DBE, QSO, 1931年4月4日 - )は、ニュージーランドの元政治家、元オークランド市長、元オークランド市議会議員、第16代ニュージーランド総督。ティザードは女性総督として国民の間で人気を博し、通例任期5年の総督職を延長され1996年3月21日まで務める。

アナンド・サティアナンド
(Anand Satyanand,DCNZM,QSO,1944年7月22日 - )は、第19代ニュージーランド総督。元弁護士、元判事。オンブズマン。オークランド生まれ。インドとフィジーの家系を持つ。祖父はインド人で1911年にフィジーへ移住。父はインド系フィジー人で14歳のときに中等教育を受けるためニュージーランドへ移住。その後、医師になる。

ヴォーン・ジョーンズ
(Sir Vaughan Frederick Randal Jones、KNZM、1952年12月31日 - )は、ニュージーランド出身の数学者。ヴァンダービルト大学特別教授。1990年フィールズ賞受賞。専門は、フォン・ノイマン環、数理物理学、低次元位相幾何学、代数解析学の研究。

ジョン・フッド
(John Hood, 1952年1月2日 - )は、ニュージーランドネーピア出身の工学者(工学博士)。2004年10月5日から2009年9月30日まで英国オックスフォード大学第295代学長(Vice-Chancellor)。オックスフォード大学900年の歴史で初となる学術組織外委員として学長に就任した。

アラン・マクダイアミッド
(Alan Graham MacDiarmid、ONZ,1927年4月14日 - 2007年2月7日)は、ニュージーランド出身の化学者。導電性高分子に関する研究で2000年にノーベル化学賞を受賞した。マスタートンに生まれる。貧しい家庭環境に育ち、家族でウェリントン近郊のロワー・ハットへ引越す。化学に興味をもち、図書館の書物や父親の蔵書などを読み、独学で化学の勉強をする。ハットバレー高校で大学入試資格を得て、ウェリントンのヴィクトリア大学ウェリントンへ入学。在学中は化学教室で掃除などの雑用をして学費を稼ぎながら修士課程まで進学する。

フラン・ウォルシュ
(Fran Walsh, MNZM, 1959年1月10日 - )はニュージーランド出身の脚本家、映画プロデューサー、作曲家。ニュージーランドのウェリントン生まれ。ヴィクトリア大学ウェリントンにて英文学を学びながら音楽にも興味を持ち、パンクバンドに参加していた。1981年に同大学を卒業し、テレビの脚本などを書いていた。2003年、映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』の主題歌「イントゥー・ザ・ウエスト」でアカデミー歌曲賞を受賞した。

ヘイリー・ウェステンラ
(Hayley Westenra 、1987年4月10日 - )は、ニュージーランドクライストチャーチ出身の歌手である。アイルランド系ニュージーランド人。祖母は歌手、母方の祖父はピアニストという音楽好きの一家に育った。6歳の時に学校のクリスマス会で歌を歌ったことから始まった[2]。彼女が絶対音感の持ち主であることに気づいた教師に薦められヴァイオリンやピアノ、リコーダーを習い始めた。

アリソン・ロー
(Allison Roe、1957年5月30日 −)は、ニュージーランドの元陸上競技選手(長距離)。主に1980年代前半にマラソン選手として活躍した。173cmの長身を生かしたストライド走法が特徴であった。ローがもっとも好成績を残したのは1981年である。4月のボストンマラソンに、大会新記録となる2:26.46で優勝。10月のニューヨークシティマラソンでは、4連覇を目指していたノルウェーのグレテ・ワイツが故障で途中棄権したあとは独走し、2:25.29でゴール。

コリン・フォークランド・グレイ
(Colin Falkland Gray , 1914年11月9日 - 1995年8月1日)はイギリス空軍で活躍したニュージーランド人で、第二次世界大戦中のエース・パイロット。第二次大戦中のニュージーランド人パイロットとしてはトップ。双子のケネス(Kenneth)と共にニュージーランドのクライストチャーチで生まれる。1938年、共にイギリス空軍に入隊したが、ケネスは爆撃機パイロットとして1940年5月1日、飛行中の事故で死亡している。

エルシー・ジェーン・ウィルソン
(Elsie Jane Wilson, 1890年11月7日 - 1965年1月16日)は、ニュージーランド出身のアメリカ合衆国の女優、映画監督、脚本家である。1916年(大正5年)、ユニヴァーサル傘下に設立された製作会社・ブルーバード映画の製作する映画をルパートが監督し始め、それに出演するとともに、同年の The Human Cactus では脚本も執筆している。

フレッド・アトキンス
(Fred Atkins、1910年 - 1988年5月14日)は、ニュージーランド・ウエストポート出身のプロレスラー。1940年代はオーストラリアで活躍し、オーストラリア・ヘビー級王座を通算3回獲得。1947年より北米地域に移動し、フランク・タニーが仕切っていたカナダ・トロント地区を主戦場に活動、ホイッパー・ビリー・ワトソンやジョニー・バレンタインとタイトルを争った。日本ではプロレスラーとしての経歴より、ジャイアント馬場のアメリカ修行時代のコーチとして知られており、馬場以外にもタイガー・ジェット・シン、アドリアン・アドニスなどのレスラーを育てている。

チャールズ・コンプトン・リード
(Charles Compton Reade、1880年5月4日 - 1933年10月28日)は、ニュージーランド人都市計画家。公園研究家としても知られる人物。都市計画分野において精力的に活動し、都市計画の伝道師、とまで自らを呼んだ。ニュージーランド・インバカーギル生まれであるが、家系はイギリスでは地主階級に名をつらねているオックスフォードシャー出身の名家で、社会性をテーマとする小説家・戯曲家のチャールズ・リードは大叔父にあたる。

カーク・ペニー
(Kirk Samuel Penney, 1980年11月23日 - )は、ニュージーランドのプロバスケットボール選手。オークランドノースショア市出身。オーストラリア男子プロバスケットボールリーグNBLのニュージーランド・ブレイカーズ所属。身長196cm、体重100kg。ポジションはポイントガード、シューティングガード。ニュージーランド人史上2人目のNBAプレイヤー。

ウィザード・オブ・ニュージーランド
Wizard of New Zealand, QSM, 本名:イアン・ブラッケンバリー・シャネル, 1932年12月4日 - )は英国ロンドン出身、現在はニュージーランドで活動する演説家、奇術師、社会運動家。1951年から1953年までイギリス空軍に操縦士として従軍。1963年にリーズ大学で第一等(Honours)心理学専攻、第一等(Honours)社会学専攻の学位を取得。中東を放浪しテヘランで教師になる。

 

ニュージーランド New Zealand
南西太平洋のポリネシアに位置する立憲君主制国家。島国であり、2つの主要な島と、多くの小さな島々からなる。北西に2,000km離れてオーストラリア大陸と対する。南方の南極大陸とは2,600km離れている。北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがある。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国である。

ニュージーランドの面積は、268,680 km2である。ニュージーランドは、北島と南島の2つの主要な島と多くの小さな島々で構成される。北島と南島の間には、クック海峡がある。

ウェリントン
Wellingtonはニュージーランドの首都。同国2番目の都市圏で、オセアニアの首都の中では最も人口が多い。オセアニア有数の世界都市でもある。ウェリントンは北島の南西端に位置し、北島と南島を分ける水路であるクック海峡に面している。晴れた日には、雪を被ったカイコウラ山脈 (Kaikoura Ranges) を海峡の向こうの南側に見ることができる。ウェリントンのエネルギー需要は増加している。有力視されている供給源の一つが風であり、需要の増加に応えるために大規模な風力発電基地の建設が進められている。このプロジェクトでは70基のタービンが設置され、発電能力は最大で210メガワットとなる予定である。


マッセー大学
Massey Universityは、ニュージーランド北島パーマストンノースに拠点を置くニュージーランド最大の学生数を有する大学。ニュージーランド北島最大の農業学校である。パーマストンノースのほか、ウェリントン、オークランドに校舎が所在する。学生数はおよそ41000人。海外120を超える国と地域から5000人以上の留学生が在籍している。ニュージーランド最大の大学であり、ニュージーランド国内外に在籍するおよそ20000人の学生は、同大学の遠隔教育を受ける学生である。

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カンタベリー大学
University of Canterbury、略称:UCは、ニュージーランド南島クライストチャーチ市に所在する大学。オタゴ大学に続く2校目の高等教育機関として1873年に創立。1961年に連邦ニュージーランド大学が解体されるまでニュージーランド大学の1校として運営される。連邦大学制の廃止に伴ないニュージーランド大学解体後は独立した大学機関になる。

オタゴ大学
University of Otago 、は、ニュージーランド南島ダニーデンに所在する大学。1860年代にスコットランドからの初期開拓移民で宗教指導者のトーマス・バーンズ、政治家のジェームズ・マックアンドリューらがオタゴ州議会に高等教育機関の設立を呼びかけ1869年設立された大学(1871年に開校)。ニュージーランドで最も古い大学である。


オークランド大学
University of Auckland 、は、ニュージーランド北島オークランド市に所在するニュージーランドを代表する国立大学。ニュージーランド大学の1校として1883年5月23日に設立され、4名の教員と95人の学生にて開校した。当初は教員と法務官養成を目的とした大学であったが、その後、商学を専攻する学生が増加し、1900年代初頭には化学の領域で名声を得る。

オークランド工科大学
Auckland University of Technologyは 、ニュージーランド北島オークランドに所在する大学。同市内にあるオークランド大学とは別大学である。1995年に創立100周年記念式典が挙行され学生数は25,000人を超える。2000年1月1日にニュージーランド教育省より大学自治権を与えられオークランド工科大学(AUT)となる。博士課程を設置。


ヴィクトリア大学ウェリントン
ictoria University of Wellingtonは、ニュージーランド首都ウェリントンにある大学である。ニュージーランド国内では、ヴィクトリア大学、または、ヴィクトリアの名で呼ばれる。1897年にニュージーランド大学の1校として開校。正式名称は、ヴィクトリア大学・オブ・ウェリントン。イギリス女王ヴィクトリアの名前に由来する。

リンカーン大学
Lincoln University 、は、ニュージーランド南島クライストチャーチ市郊外セルウィン地区リンカーンに所在する大学。南半球にある最も古い農業学校であり、農学、畜産学、園芸学の世界的な研究機関。1878年にカンタベリーカレッジ(現・カンタベリー大学)に関連する農業校として開校。ニュージーランドで3番目に古い大学であり1880年より学生の受け入れを開始。

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ワイカト大学
The University of Waikato、マオリ語: Te Whare Wananga o Waikatoは、ニュージーランド北島ハミルトン、タウランガ、オークランドに校舎をもつ大学。1964年に設立。マオリ族と太平洋諸島出身者の学生比率が高い大学であり、6割の学生は女性。マオリ族の文化と、太平洋諸島、オセアニアの地域文化、歴史を研究する太平洋学の研究機関。

インターナショナル・パシフィック大学
International Pacific Collegeは、日本に本部を置くニュージーランドの私立大学である。1990年に設置された。


オークランド国際空港
Auckland International Airportは、ニュージーランド・オークランド市中心部から南へ約20kmの郊外マンゲレ地区に位置する国際空港。1928年に設立された航空学校「オークランド・エアロクラブ」の敷地を譲り受け、1966年1月29日に開港(オークランド・エアロクラブはアドモア空港へ移転)。

パーマストンノース空港
Palmerston North Airportとは、ニュージーランド、パーマストンノースにある空港である。

インバーカーギル空港
Invercargill Airportは、ニュージーランドの南島、インバーカーギルにある空港である。

ウェリントン国際空港
Wellingoton International Airportは、ニュージーランドの首都、ウェリントンにある国際空港。

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クライストチャーチ国際空港
Christchurch International Airport)は、ニュージーランド南島を担当する国際空港。年間利用者数は約600万人。オークランド国際空港に続き2番目の乗客数を持つ国際空港である。

ウッドボーン空港
Woodbourne Aerodrome) (IATA: BHE, ICAO: NZWB)はニュージーランドマールボロ地方ブレナム郊外にある空港。ブレナム空港とも称され、ブレナムの市街地からは約8km離れている。


ニュージーランド・ステートハイウェイ
New Zealand State Highway networkは、ニュージーランドの自動車専用高速道路ネットワークのことである。およそ100の路線を所有しており、大部分の路線は一部を除き100km/hの制限速度となっている。


外務省:ニュージーランド
在ニュージーランド日本国大使館


ニュージーランドの鉄道
ニュージーランドの北島と南島の両方で、軌間1,067mm(3フィート6インチ)、全長3,898kmの鉄道網を形成している。鉄道の営業はもっぱら貨物に集中しており、特にばら積み貨物を中心としている。旅客の営業は一部の路線で限られたものとなっている。オークランドとウェリントンの2都市のみ通勤鉄道が存在しており、どちらも近年改善と拡張が進められている。


ロトルア
ロトルア(英語: Rotorua、マオリ語: Rotorua-nui-a-Kahu)は、ニュージーランド北島のベイ・オブ・プレンティ地区にある、ロトルア湖の南岸に位置する都市である。ロトルア・ディストリクト地方政府の一部に含まれる。地熱活動はロトルアにおける観光の目玉である。間欠泉や泡を吹き出している熱泥池、温泉、そして1886年のタラウェラ山(Mt. Tarawera)の噴火で埋まったテ・ワイロア村(Te Wairoa)が市内から近い。ロトルアは植物園や興味深い歴史的建造物でも知られる。19世紀から温泉の町、観光の町として知られてきたため、ロトルアの多くの建物がその歴史をしのばせるものになっている。市街東外れの湖岸近くにあるガバメント・ガーデンズは特筆すべきものである。

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クイーンズタウン
(Queenstown) は、ニュージーランド南島のオタゴ地方の内陸、ワカティプ湖畔に面した町である。周囲の山々に囲まれたその美しさが「ヴィクトリア女王にふさわしい」と名づけられたことに由来する。世界的に有名な観光・保養地である。

ファンガレイ
Whangarei、は、ニュージーランド北島の北部にある都市である。人口51,900人(2010年)で、ノースランド地方の中心都市である。 商業港であるが、温暖な気候と美しい自然からリゾート地・保養地としても知られ、ゴルフやフィールドホッケーの拠点として有名である。

カイタイア
(Kaitaia)は、ニュージーランド北島ノースランド地方に位置する町であり、国内最北端に位置する町である。1100年代にマオリ族の部族が現在のノースランド地方に入植し海産物、鳥類などを狩猟し生活を始める。部族は石などを材料に工芸品を制作し、部族の工芸品はニュージーランド全土へ行き渡る。1700年代後半にヨーロッパからの調査船が来航し、1800年代初頭に亜麻を収穫するためヨーロッパ人が入植する。

ケリケリ
(Kerikeri)は、ニュージーランド北島の北部にある町。温暖な気候と美しい自然からリゾート地・保養地としても知られ、セーリングやフィッシングの拠点として有名である。

タウランガ
(Tauranga)は、ニュージーランド北島の北東部にある都市。商業港であるが、温暖な気候と美しい自然からリゾート地・保養地としても知られ、マリンスポーツやフライ・フィッシングの拠点として有名である。

ギズボーン
Gisborne、は、ニュージーランド北島の北東部にある都市。人口34,000人(2010年)。商業港であるが、温暖な気候と美しい自然からリゾート地・保養地としても知られ、サッカーやクリケットの拠点として有名である。

ネーピア
Napier、は、ニュージーランドの主な都市である。マオリ名はAhuriri。北島の東岸にあるホークスベイ地方に位置し、港町である。首都ウェリントンから北へ車で4時間くらい。人口は約57,000人。

ヘイスティングズ
Hastings、は、ニュージーランドの主な都市である。北島の東岸にあるホークスベイ地方に位置し。首都ウェリントンから北へ車で4時間くらい。人口は約65,700人。ヘイスティングズはニュージーランド有数のリンゴ、西洋梨、ワイン用ブドウの産地でもある。

ニュープリマス
New Plymouth、首都ウェリントンから約145キロ北に位置する学生の街でもある。タラナキ地方の中心の都市である。ニュージーランドでニュージーランドで12番目の人口をもつ市である。 市街にニュープリマス空港がある。

ネルソン
Nelson、は、ニュージーランド南島北東部にある都市。人口は、59,800人(2010年度ニュージーランド統計局人口統計より)。1100年代にマオリ族の部族が現在のネルソン地方に入植し海産物、鳥類などを狩猟し生活を始める。部族は石などを材料に工芸品を制作し、部族の工芸品はニュージーランド全土へ行き渡る。

グレイマウス
Greymouth、はニュージーランド、南島のウェストコースト地方にある町である。南島の北海岸、グレイ川の河口に位置する。リーフトン(Reefton)が近くにある。2010年の統計では人口10,000人。

ハンマースプリングス
(Hanmer Springs)は、ニュージーランド南島にある、カンタベリー地区の都市である。ハンマースプリングという都市名は、19世紀にイギリスからの移民が土地を開発する際に温泉(hot spring)を発見し、まるで「ハンマーで(土地を)叩けば温泉(hot spring)が湧き出る」ように、この土地が多量の温泉を持っていることから由来する。

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カイコウラ
Kaikoura)は、ニュージーランド南島・カンタベリー地区北東部、東海岸に面したカイコウラ半島に位置する港町、漁村。ニュージーランド国内ではホエールウオッチングを体感できる観光地として有名な町である。

アカロア
Akaroaは、ニュージーランド南島バンクス半島に位置する町。マオリ語で“長い港”と意味する。1840年代にフランスから捕鯨を目的とする移民が移住し、ニュージーランドで2番目に大きな捕鯨拠点となる。現在でもフランス色を色濃く残す町として存在する。

ダニーデン
Dunedin,は、ニュージーランド南島オタゴ地方に所在する街。人口は118,683人(2006年)。人口ではニュージーランドで5番目、南島で2番目の大きさ。オタゴ大学のある街として学園都市の機能を持つ。

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ワナカ
(Wanaka)は、ニュージーランドの南島、オタゴ地方にある町。ワナカ湖の南端、クルーサ川の流れ出し近くに位置する。マウント・アスパイアリング国立公園へ向かう拠点ともなる町である。

トケラウ
(Tokelau; トケラウ語で「北風」の意) は南太平洋にあるニュージーランド領の島嶼群。旧称はユニオン諸島(英: Union Islands)。アタフ島、ヌクノノ島、ファカオフォ島の三つの環礁からなる。トケラウには空港がなく三つの環礁への交通手段はカタマラン(双胴船)連絡便で行くしかない。そのほかには月に1度の貨物船がトケラウに寄るぐらいである。


■国名
正式名称は英語で New Zealand(ニュージーランド)、及びマオリ語で Aotearoa(アオテアロア)。略称は、NZ。ew Zealand という国名の由来は、歴史の項を参照。マオリ語のアオテアロアは、「白く長い雲(のたなびく地)」という意味(“ao”=「雲」、“tea”=「白」、“roa”=「長い」)。


1.面積:27万534平方キロメートル(日本の約4分の3)
2.人口:約437万人(2010年7月末、NZ統計局推計)
3.首都:ウェリントン(20万人、2009年6月末、NZ統計局推計)
4.民族:欧州系(67.6%)、マオリ系(14.6%)、太平洋島嶼国系(6.9%)、アジア系(9.2%)、その他(12%)(2006年国勢調査)
5.言語:英語、マオリ語、手話(2006年より)
6.宗教:55.6%がキリスト教で、宗派別では英国国教会が約14%を占め、以下カトリック、長老会、メソディストの順となっている(2006年 国勢調査)

1642年 タスマン(オランダ人探険家)により発見される。
1769年 クック(英国人探険家)南北両島を探検。
1840年 英国代表と先住民マオリの伝統的首長との間でワイタンギ条約署名(これにより英国はNZを自国の植民地とした)。
1907年 英国自治領となる。
1947年 英国のウェストミンスター法受諾(英国議会から独立した立法機能取得)

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■主要産業:1次産品輸出に依存する経済であり、貿易依存度が高い。生産性と国際競争力を有する1次産品は輸出の6〜7割程度を占めており、酪農製品、肉類、林産品、水産物が主力となっている。最近ではバイオテクノロジーや映画製作等にも力を入れている。

■主要貿易品目(1)NZからの輸出 酪農製品(23.9%)、食肉(11.7%)、木材(6.8%)(2)NZへの輸入 石油・鉱物燃料(15.3%)、機械類(12.3%)、車両(10.1%)

ニュージーランド・ドル
(New Zealand dollar)は、ニュージーランドの他、クック諸島、トケラウ、ニウエ、ピトケアン諸島で用いられる通貨である。1967年7月に旧ニュージーランド・ポンドに代わり登場した。NZD、NZ$などとも略される。愛称はキーウィドル。紙幣・硬貨はニュージーランド準備銀行が発行する。


ニュージーランド国王
ニュージーランドの君主の称号(君主号)である。ニュージーランドの儀礼的な国家元首であり、2009年現在、イギリス女王でもあるエリザベス2世がその地位にある。通常はニュージーランド総督がその業務を代行し、エリザベス2世はニュージーランド訪問時にのみニュージーランド女王として振舞う。


ニュージーランドの総督
The Governor-General of New Zealand、は、ニュージーランドの総督。ニュージーランドにて国家元首であるニュージーランド国王(イギリス国王)の代理を務める人物。1841年にウィリアム・ホブソンが副王として任命されたことが始まりであり、1917年以降は現在の職名を採用している。

イギリス連邦
Commonwealth of Nations、は、かつてのイギリス帝国(大英帝国)がその前身となって発足し、イギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る、緩やかな国家連合(集合体)である。英連邦(えいれんぽう)、コモンウェルス(the Commonwealth)ともいう。


ワイタンギ条約
Treaty of Waitangi, マオリ語: Te Tiriti o Waitangiとは1840年2月6日、ニュージーランド北島ワイタンギにおいて、当時武力衝突が絶えなかった先住民族マオリ族とイギリス王権との間で締結された条約のこと。


オークランド
Auckland、マオリ語:Tamaki-makau-rauは、ニュージーランド北島北部に位置するニュージーランド最大の都市。オセアニア有数の世界都市でありポリネシア地域最大の都市でもある(第二位はホノルル)。都会でありながら周辺に変化に富む自然環境を持っているのが特徴的な街である。市内の人口は41万7000人、都市的地域人口は124万7000人(以上2005年)。かつてニュージーランドの首都であった歴史を持つ。

ワイタケレ
(Waitakere)は、ニュージーランド北島にある都市。人口は、208,100人(2010年6月)。ニュージーランドで5番目の人口を有する都市である。ニュージーランド最大の都市オークランドの西に位置する。サッカークラブ「ワイタケレ・ユナイテッド」の本拠地。

クライストチャーチ
Christchurch、は、ニュージーランド南島中部、カンタベリー平野東海岸側に位置する都市である。人口は、376,700人(2010年)。ニュージーランド内で2番目、南島では最大の人口を有する。カンタベリー平野の東端に位置し、北には北カンタベリー最大の川であるワイマカリリ川が流れる。東側は太平洋に接するペガサス湾が位置する。

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インバーカーギル
Invercargill、は、ニュージーランド南島サウスランド平野に位置する町であり、国内最南端に位置する町である。1100年代にマオリ族の部族が現在のサウスランド地方に入植し海産物、鳥類などを狩猟し生活を始める。部族は石などを材料に工芸品を制作し、部族の工芸品はニュージーランド全土へ行き渡る。


ハミルトン
Hamilton、は、ニュージーランド北島北中央部ワイカト地方の中心となる市。2005年現在の都市圏人口は約18万5千人である。ニュージーランドの都市の中で第4位である。現在のハミルトンがあった場所は、元はマオリ(ニュージーランドの先住民)の村々があった場所であった。イギリス人がその地に到着してから、1864年のニュージーランド土地戦争で死亡したチャールズ・フェイン・ハミルトン大尉の名前を取ってハミルトンと名づけた。

パーマストンノース
Palmerston North、は、ニュージーランド北島にある都市。日本ではパーマストン・ノースとも表記される。首都ウェリントンから約200キロ北に位置する学生の街でもある。マナワツ・ワンガヌイ地方の中心の都市である。ニュージーランドで11番目に大きい面積で、7番目の人口をもつ市である。人口の多くは、マッセー大学、UCOLもしくは、インターナショナル・パシフィック大学の学生が大きな割合を占めている。

タウポ
Taupo-nui-a-Tiaは、ニュージーランド北島中部にある都市。オークランドから約278キロ南に位置し、ワイカト地方の都市である。タウポは、ニュージーランド最大の湖であるタウポ湖北東岸に位置する。タウポ湖からは、ニュージーランド最大の川であるワイカト川が北へ向かって流れ出し、タウポ北郊には、ニュージーランドで最も観光客が集まるといわれるフカ・フォールがある。

ブレナム
(英: Blenheim、マオリ語: Waiharakeke)は、ニュージーランド南島北東部にある都市。人口は、30,200人(2010年度ニュージーランド統計局人口統計より)。首都ウェリントンから約120キロ北に位置し、マールボロ地方の中心の都市である。

ティマルー
(英: Timaru、マオリ語: Te Maru)は、ニュージーランド南島カンタベリー平野に位置する町である。人口は、27,200人(2006年度ニュージーランド統計局人口統計より)。「ティマルー」とはマオリ語で「避難所の場所」(Place of Shelter)を意味し、1100年代にマオリ族の部族が現在のカンタベリー地方に入植し海産物、鳥類などを狩猟し生活を始める。部族は石などを材料に工芸品を制作し、部族の工芸品はニュージーランド全土へ行き渡る。


ノースランド地方
Northland Region、マオリ語: Te Tai-tokerau、Te Hiku-o-te-Ika、「魚の物語」の意)は、ニュージーランドの北島最北端の地方で、その地方内の地区の名称でもある。地方の中心都市はファンガレイである。

オークランド地方
Auckland Regionニュージーランドの北島の北西部にある。2010年11月1日に成立され、オークランドを中心し、周辺のマヌカウ、ノースショア、ワイタケレ、パパクラ地区、ロドニー地区、フランクリン地区を統合したスーパーシティーである。
人口は約140万で、ニュージーランドの3割以上人口を占める、オセアニア最大の都市となった。

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ギズボーン地方
1769年10月8日に、ジェームズ・クックとエンデバーがニュージーランド初上陸した地として伝えられ、渚(なぎさ)にはクック上陸の記念碑が建てられている。国際日付変更線に最も近い町であることから、ニュージーランドで最も早く目覚める町でもある。

タラナキ地方
(英: Taranaki Region、マオリ語: Taranaki)は、ニュージーランドの北島西海岸に位置する地方。中心都市はニュープリマス。タラナキ山は活火山であり、過去に8度の噴火を経験しているが、1755年の噴火を最後に現在は休火山である。現在もタラナキ山はマオリ族の聖地として崇められる。

マナワツ・ワンガヌイ地方
Manawatu-Wanganui Region)は、ニュージーランドの北島にある地方。マナワトゥ・ワンガヌイとも表記される。周辺面積は22,206km2で、周辺人口は229,200人(2008年)。中心都市はパーマストンノース、ワンガヌイ。古くからマオリ族の歴史において重要地として存在し、現在も多くのマオリ族出身者が暮らす土地である。


オーストラリア・ニュージーランド軍団
(Australian and New Zealand Army Corps) は第一次世界大戦において、オーストラリアおよびニュージーランド出身の志願兵により組織された軍団。一般的にはアンザック (ANZAC) とのアクロニムで言及される。ANZACは、後にオーストラリアおよびニュージーランド合同の軍事組織を意味する語にも発展した。ガリポリの戦い、中東戦線、西部戦線において英軍の指揮下に入り戦った。


ロジャーノミクス
Rogernomicsは、1980年代にニュージーランドで推し進められた経済政策およびその名称。1984年に発足したデビッド・ロンギ政権で財務大臣を務めたロジャー・ダグラスを中心に指揮した経済政策。ダグラスの名をとり“ロジャーノミクス”と命名された。アメリカ合衆国のレーガノミクス、イギリスのサッチャリズムと並ぶ20世紀の代表的な経済政策である。

福祉国家論
Welfare State)は、国家の機能を安全保障や治安維持などに限定(夜警国家)するのではなく、社会保障制度の整備を通じて国民の生活の安定を図ること。広義には財政政策や雇用政策を含める場合もある。福祉国家思想そのものは18世紀のイギリスや、ドイツ絶対主義国家のなかで形成されたものであり、自由主義に立脚する論としてはジョン・スチュアート・ミルやトーマス・ヒル・グリーンらによって、絶対主義に立脚する論としてはクリスティアン・ヴォルフにより論じられた。


ニュージーランド労働党
New Zealand Labour Partyは、ニュージーランドの中道左派、社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟。ニュージーランド国民党とともにニュージーランドの2大政党の一翼を担っている。2008年11月以来の党首はフィル・ゴフ。

ニュージーランド国民党
New Zealand National Partyは、ニュージーランドの中道右派の保守主義政党。ニュージーランド労働党と並んでニュージーランドの二大政党の一つ。国際民主同盟に加盟している。

ニュージーランド・ファースト党
New Zealand First、は、保守主義、ポピュリズム、ナショナリズムを政治理念とするニュージーランドの政党。元ニュージーランド国民党所属のウインストン・ピータースが離党し1993年に結成。現在も党首はウインストン・ピータースが務める。ニュージーランド第一党とも。

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緑の党
緑の党 (Green Party of Aotearoa New Zealand)はニュージーランドの政治政党である。同党は、環境問題や国民生活に関する諸問題のほか、反米、反共産主義、国連指導主義を主張し、ニュージーランド労働党とコネクションを持つ左翼的政治政党である。


ニュージーランド映画
ニュージーランドで初めて映画が上映されたのは、1896年10月13日、オークランドのオペラハウスでのことである。初めてカラー作品は1911年のクリスマス・イブで上映された。『ロード・オブ・ザ・リング』の成功により、多くのハリウッド映画がニュージーランドで製作されるようになった。


ラッセル・クロウ
Russell Ira Crowe, 1964年4月7日 - は、ニュージーランド出身の俳優。ニュージーランド・ウェリントン出身。ノルウェー、アイルランド、スコットランド、ウェールズの血を引く。両親が映画の撮影現場のケータリング業を営んでおり、4歳の時にオーストラリアに移住。6歳の時にドラマに出演するチャンスを掴み、何本かのオーストラリアのテレビに出演。

ジェーン・カンピオン
Jane Campion、1954年4月30日 - は、ニュージーランド出身の映画監督、脚本家。世界的に数少ない映画界で成功した女性映画監督。ニュージーランドの首都ウェリントンに生まれオーストラリアシドニー育ち。父は舞台監督、母は舞台俳優という演劇一家に育つ。

ピーター・ジャクソン
Sir Peter Jackson, KNZM、1961年10月31日 - は、ニュージーランド出身の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。ウェリントン郊外、プケルア・ベイ生まれ。両親はイングランドからの移民[1][2]。レイ・ハリーハウゼンの作品とテレビシリーズ『サンダーバード』の大ファン。9歳のときにテレビで見た『キング・コング』に感動し、友人から貰った8mmカメラを使い短編映画を撮り始める。映画制作の専門教育は1度も受けておらず、新聞社に勤務しながら友人たちと短編映画の制作を始める。

キリ・テ・カナワ
Dame Kiri Janette Te Kanawa, ONZ, AC, DBE, 1944年3月6日 - は、ニュージーランド出身のオペラ歌手、声楽家。ギズボーン生まれ。誕生名はクレア・メアリー・テリサ・ローストロン(Claire Mary Teresa Rawstron)で、ヨーロッパ人とマオリ族の血を引いているが、生みの親は不明である。1968年の『魔笛』(サドラーズウェルズ劇場)でデビュー。1969年のカムデン音楽祭でロッシーニの『湖上の美人』を歌い劇場デビューする。1971年の『フィガロの結婚』の伯爵夫人役にて成功をおさめ、以後、サンフランシスコ歌劇場、メトロポリタン歌劇場、スカラ座に出演。

ローズマリー・バンクス
Rosemary Banks, 1951年 - は、ニュージーランドの外交官。クライストチャーチ出身。カンタベリー大学で文学修士号(ロシア語専攻)を取得後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで理学修士号を取得。同校卒業後、外務省に入省。駐オーストラリア大使、駐ソロモン諸島大使などを歴任。2005年6月8日より国際連合ニュージーランド代表部特命全権大使(国連大使)。2009年に退任。

アーネスト・ラザフォード
Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson (初代ネルソンのラザフォード男爵)、1871年8月30日 − 1937年10月19日)はニュージーランド出身のイギリスで活躍した物理学者、化学者。マイケル・ファラデーと並び称される実験物理学の大家である。α線とβ線の発見、ラザフォード散乱による原子核の発見、原子核の人工変換などの業績により「原子物理学(核物理学)の父」と呼ばれる。

ベアトリス・ティンズリー
Beatrice Muriel Hill Tinsley, 1941年1月27日 - 1981年3月23日)は、アメリカ合衆国で活躍した女性天文学者、宇宙物理学者。40歳で夭折し、父親によってその生涯は『ある女性天文学者の生涯―私の娘ベアトリス・ティンズリーの手紙』(原題"My Daughter Beatrice : A Personal Memoir of Dr.Beatrice Tinsley, Astronomer")にまとめられた。

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マーガレット・マーヒー
Margaret Mahy,ONZ,1936年3月21日 - は、ニュージーランドのファンタジー作家、児童文学作家。ニュージーランド北島のワカタネ生まれ。メイヒー、マヘイの表記もあり。

ナイオ・マーシュ
Dame Edith Ngaio Marsh、DBE、1895年4月23日 - 1982年2月18日は、ニュージーランドクライストチャーチ出身の女性劇作家、推理作家、演出家。ナイオという名はマオリ語で“水の反射”を意味する。父・エドワードはパン職人。母方の祖父はヨーロッパからニュージーランドへの初期開拓民の一人であった。父と母は演劇を通して結婚した演劇一家である。作家業以上に演劇に力を注ぎ、ラジオ・テレビ向け脚本の執筆、ミュージカルの脚本・演出を手がけ、戯曲を7本執筆した。1942年には『ハムレット』の現代劇をカンタベリー大学ドラマ協会で演出。マーシュが演出を手がけた1942年から1969年の間はカンタベリー大学ドラマ協会の黄金期と称され28作品で演出を手がけた。

ダグラス・リルバーン
Douglas Gordon Lilburn, ONZ, 1915年11月2日 - 2001年6月6日は、ニュージーランド出身の作曲家。ニュージーランド北島ドライスデールの農場に生まれる。クライストチャーチのカンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)にて音楽の勉強をし、1936年にはパーシー・グレインジャーが創設した作曲賞を受賞した。その後ロンドンの王立音楽大学に留学し、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズに師事した。1940年に帰国し、ヴィクトリア大学ウェリントンの教授として、ニュージーランド音楽の発展に貢献した。

クリフ・カーティス
(Cliff Curtis, 1968年7月27日 - )は、ニュージーランドの俳優。ロトルア出身。マオリ族出身である。ニュージーランドのドラマスクールで学んだ後、スイスでも学ぶ。ニュージーランドに戻り、1993年から映画・テレビに出始め、ジェーン・カンピオンやリー・タマホリ監督作品にも出演。1998年からはハリウッド映画にも多く出演している。また、2004年にはプロダクション・カンパニーを興し、プロデュースにも乗り出している。

アベル・タスマン
(Abel Janszoon Tasman、1603年 - 1659年10月10日)はオランダの探検家。特にオランダ東インド会社の元で行った1642年と1644年の航海が有名。 1643年には現在のタスマニア島とニュージーランド、フィジー等を発見した。11月24日にタスマニアを発見する。 最初それをオランダ東インド会社総督の名前Antonie van Diemenにちなんで「Van Diemen's Land(ファンディーメンズランド)」と命名したが、後にイギリスの移住民によってタスマニア島と改名された。その後、さらに東に航行してニュージーランドを発見。彼は最初それが南米大陸の陸続きの先端だと考え、それを「Staten Landt」と命名した。

ヘレン・クラーク
(Helen Elizabeth Clark、ONZ、1950年2月26日 - は、ニュージーランドの政治家。第37代ニュージーランド首相。国際連合開発計画(UNDP)総裁。1950年オークランド郊外のワイカト郡ハミルトン生まれ。父は農夫、母は学校教師。オークランド大学で政治学を学び修士号を取得。1973年から1981年までオークランド大学助手、講師を務めた。この間、1971年にニュージーランド労働党に入党している。

ヘイリー・ウェステンラ
(Hayley Westenra 、1987年4月10日 - は、ニュージーランドクライストチャーチ出身の歌手である。アイルランド系ニュージーランド人。日本ではヘイリーの名義で活動している。なお、ヘイリーは米語読みであり、ニュージーランドでは、ハイリーに近い発音である[1]。祖母は歌手、母方の祖父はピアニストという音楽好きの一家に育った。6歳の時に学校のクリスマス会で歌を歌ったことから始まった[2]。彼女が絶対音感の持ち主であることに気づいた教師に薦められヴァイオリンやピアノ、リコーダーを習い始めた。

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ウイリアム・ヘイワード・ピカリング
(Dr William Hayward Pickering,ONZ,KBE,1910年12月24日 - 2004年3月15日)は、ニュージーランド出身のロケット科学者。宇宙開発研究の第一人者。ニュージーランドのウェリントン生まれ。6歳で母親の死去に伴ない祖父とマールボロのハブロックで暮らす。ウェリントン・カレッジの寄宿寮で暮らし、クライストチャーチのカンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)へ進学する。カリフォルニア工科大学で電気工学を教え、第二次世界大戦中にジェット推進研究所(JPL)に加わり、1954年からJPLディレクターを務める。エクスプローラー1号の衛星本体製作に参加し、組み立てグループの総指揮をとる。

マイケル・ジョーンズ
Michael Niko Jones, 1965年4月8日 - は、ニュージーランド・オークランド出身の元ラグビー選手。ラグビー指導者。ポジションは、フランカー、ナンバー8。愛称は「アイスマン」。卓越したラグビー技術と恵まれた身体能力からオープンサイドフランカーとして活躍した選手。スーパー12(現在のスーパー14)オークランド・ブルース(現在のブルース)、オークランド州代表で選手生活を過ごす。冷静な戦況判断、集中力、卓越した技術、攻守に渡るチームへの貢献、メディアに対する紳士的な姿は、元オールブラックス・ヘッドコーチジョン・ハートに“ラグビー選手として完璧”と言わしめた。

サム・ニール
(Sam Neill、1947年9月14日 - )は、北アイルランド生まれのニュージーランドの映画俳優。北アイルランドのオマー生まれ。幼少期にニュージーランドへ移住する。クライストチャーチの名門校クライスト・カレッジを卒業後、カンタベリー大学にて英文学を専攻する。同時期に演劇と出会い、カンタベリー大学を中途退学、ウェリントンへ移りヴィクトリア大学ウェリントンを卒業する。代表作は『ピアノ・レッスン』、『ジュラシック・パーク』など。

マーク・イングリス
Mark Joseph Inglis、ONZM、1959年9月27日 - は、ニュージーランド出身の登山家、研究者、ワイン醸造家、演説家。ハンマースプリングス生まれ。リンカーン大学にて生化学を専攻。同大学にて学士号を取得後、白血病の研究を行う。1982年11月、アオラキ/マウント・クック国立公園のクック山で、猛吹雪の為に Philip Doole と共に氷窟に14日間立ち往生、両者の両足は凍傷、救助後にイングリスの両足は膝から下を切断。2000年、シドニーパラリンピック銀メダリスト2002年1月7日、クック山に両足義足で再挑戦、登頂 ; No Mean Feat: The Mark Inglis Story (映像ドキュメンタリー)

ショーン・マークス
(Sean Andrew Marks, 1975年8月23日 - )は、ニュージーランドオークランド出身のプロバスケットボール選手。NBAのニューオーリンズ・ホーネッツに所属している。ポジションはパワーフォワード、センター。身長208cm、体重114kg。ニュージーランド人史上初のNBAプレイヤー。高校時代までオークランドで暮らした後、1995年にアメリカ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校に入学し、政治学を専攻した。大学には4年間在籍し、1998年のNBAドラフトではニューヨーク・ニックスより全体44位指名を受けた。その後、トロント・ラプターズへトレードされてプロキャリアがスタートした。

ピーター・ジャクソン
(Sir Peter Jackson, KNZM、1961年10月31日 - )は、ニュージーランド出身の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作で数々の記録を打ち立て歴史的大成功を収め世界的な映画作家となった。レイ・ハリーハウゼン作品とテレビシリーズ『サンダーバード』、エルジェのバンデシネ作品「タンタンの冒険」の大ファンとして少年時代を過ごす。学生映画やアマチュア映像展にいくつかの短編を出品するも、一度も評価を得られなかった。
映画制作の専門教育は1度も受けておらず、新聞社に勤務しながら、同じように郵便局や役所で働く友人たちとスプラッター映画の自主制作を始める。ジャクソン自身が監督・脚本・主演・特撮まで手掛け、4年の歳月をかけて完成した『バッド・テイスト』が1987年にカンヌ国際映画祭で評価され、一躍カルト映画の監督として世界的に名が知れるようになる。

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ジョン・カーワン
(Sir John James Patric Kirwan,KNZM,MBE,1964年12月16日 - )は、ニュージーランドの元ラグビー選手、ラグビー指導者。オークランド出身。現役時代のポジションはWTB。愛称は「JK」。1984年から1994年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出される。1984年6月のフランス戦、当時19歳6ヶ月でオールブラックスデビュー。オールブラックスとして通算96試合に出場(そのうちテストマッチ63キャップ)、67トライ(そのうちテストマッチ35トライ)を積み重ねる。

ジョン・ハート
(John Hart,ONZM,1946年? - )は、ニュージーランド出身のラグビー指導者。元ラグビーニュージーランド代表オールブラックスヘッドコーチ。オークランド地区にてラグビー指導者として活躍する。オークランド州代表監督として、1982年、1984年、1985年にはニュージーランド州代表選手権(NPC)優勝を果たす。オークランド州代表チームを「オールブラックスの次に強いチーム」に育て上げる。1987年のラグビー・ワールドカップにて、オールブラックスのアシスタントコーチに選ばれ、オールブラックス優勝に貢献する。

ジョナ・ロムー
(Jonah Tali Lomu,MNZM,1975年5月12日 - ) は、ニュージーランド出身の元ラグビー選手である。ポジションはウィング(WTB)。トンガの家系をもちオークランドに生まれる。オークランドのウェズリーカレッジ卒業。身長196cm、体重119kg(公式発表)の身体から生み出される圧倒的なパワーと爆発的なスピードを兼ね備え「暴走機関車」「空飛ぶ巨象」と呼ばれる。

ジーン・バテン
(Jean Gardner Batten,CBE,1909年9月15日 - 1982年11月22日)は、ニュージーランドの女性パイロット。後述のようにいろいろな記録飛行を達成した。その端麗な容姿から「空のガルボ」と呼ばれた。1982年11月22日、スペインのマヨルカ島で犬に咬まれた傷がもとで死去。73歳。孤独な死であったため、その死が明らかとなったのは5年後の事だった。

ジェイミー・マクデール
(Jamie McDell)はニュージーランドのシンガーソングライター。16歳でアコースティックのデモテープをきっかけにEMI Music NZに採用され、2012年2月に1stシングル『You'll Never Take That Away』をリリース。彼女は非常にビーチを愛していることでも知られており、「結婚してボートを買ってそこに住みながら歌を書くのが夢」と語っている。

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モーリス・ウィルキンス
(Maurice Hugh Frederick Wilkins, 1916年12月15日 - 2004年10月5日) はイギリスの生物物理学者。X線構造回折の分野で多くの業績を残した。ウィルキンスはニュージーランドのパンガロアで生まれ、6歳のときに家族とともにイギリスに引っ越す。ケンブリッジのセントジョンズ大学で物理学を専攻し、1940年にバーミンガム大学で博士号を得る。戦後、核物理学から離れ、ロンドンのキングス・カレッジ・ロンドンで同僚のロザリンド・フランクリンらとともにX線回折によるDNAの構造研究を始めた。

ピーター・ベスーン
Peter James "Pete" Bethune、1965年4月4日 - )は、ニュージーランドの環境保護活動家。モーターボートによる世界一周の最速記録を保持している。反捕鯨団体シーシェパードの元メンバー。2009年、2007年にアースレースで航海中に死亡海難事故を起こし、多額の損害補償をしなければならない為、家を担保に資金を作ったり、アースレースを売りに出していた。それを同団体が入手し、同団体に100万ドルを出資したアメリカ人のアディ・ギルにちなんでアースレースを改名し、シーシェパードに加入した。

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