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セントクリストファー・ネイビス
Saint Christopher and Nevis
<中南米>

北中アメリカ

■地理
北リーワード諸島に位置している。面積168km2のセントクリストファー島と面積94km2のネイビス島からなり、幅3kmのナローズ海峡が両島を分断している。両島の間にはブービー島と言う直径100mたらずの小さな岩の島がある。セントクリストファー島は火山島で、標高1156mの休火山リアムイガ山(ミゼリー山)がある。島の最南端にグレート・ソルト湖と言う湖がある。山がちな島だが、島の南部はとりわけ平地が多く、人口も集中している。半島には白浜の海岸も多い。


西インド諸島
West Indies、は、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である。アメリカ合衆国のフロリダ半島南端、および、メキシコのユカタン半島東端から、ベネズエラの北西部沿岸にかけて、少なくとも7000の島、小島、岩礁、珊瑚礁がカーブを描くようにして連なる。これらの島々が、大西洋と、メキシコ湾、カリブ海の境界線を形成している。


小アンティル諸島
Lesser Antillesは、カリブ海の東端から東南端にかけて分布する諸島。西インド諸島・アンティル諸島の一部である。カリブ海と大西洋の境界となっている。

リーワード諸島 (西インド諸島)
Leeward Islandsは、カリブ海の小アンティル諸島北部、プエルトリコの東側からドミニカ島にかけて、西北−東南方向に連なる小規模な島々を指す。西インド諸島の一部にあたり、南はウィンドワード諸島につながる。

ブービー島
Booby Islandとはカリブ海の島国セントクリストファー・ネイビスにある無人の岩礁の小島。セントキッツ島とネイビス島との間に位置し、ネイビス島から北の海岸沖に位置する。地形は古い珊瑚の頭部の部分が突き出た岩山の島で、海岸は断崖絶壁が多く、島に上陸出来る平地はあるが岩がごろごろした非常に狭い陸地である。島にはカッショクペリカンやカモメなど鳥類が巣を作り生息し、また島周辺の海には豊かな熱帯魚などの魚や海洋生物が生息している。


アンギラ
カリブ海は西インド諸島の小アンティル諸島はリーワード諸島にあるイギリス領の島。島のすぐ南方にはセント・マーチン島がある。面積は91km2で、人口は約12,738人(2003年)、首府はバレー (The Valley) である。アンギラとはスペイン語(anguila)やフランス語(anguille)でウナギの意味で、島の形がウナギに似ていたことから命名されたと推測される。

モントセラト
(Montserrat)はカリブ海の小アンティル諸島に位置する火山島で、イギリスの海外領土である。 モンセラットとも呼ばれる。公用語は英語、通貨は小アンティル諸島の地域に共通の東カリブ・ドルである。 面積102平方キロメートル、人口8995人(2003年)。


 

<歴史>
■1493年11月12日
クリストファー・コロンブスらによってセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島が「発見」された。

■1626年
イギリスとフランスの入植者との関係が悪化。先住民のカリブ族(カリナゴ族)は、セントクリストファー島のブラディー・ポイントでイギリスとフランスの入植者によって大虐殺され、生き残った者は島から追われる。

■1664年
この年からイギリスとフランスとの間で島の争奪戦争が起こる。

■1671年
セントキッツ島とネイビス島はイギリスの知事下でリーワード諸島連邦の一部になり、アンティグア島とモントセラトも加わる。

■1882年
セントキッツ・ネイビス・アンギラはリーワード諸島連邦内で「大統領」として確立される。1932年 セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP。現在のセントキッツ・ネイビス労働党)、独立のためのキャンペーンを行う。

■1967年
セントキッツ・ネイビス・アンギラとしてイギリス自治領となり、労働党政府のロバート・ブラットショーが初代首相に就任。5月30日、アンギラ政府がこの決め付けに不満を抱きアンギラにいる17人のセントキッツ警察を島から放り出し、7月12日にアンギラが単独で独立を宣言。

■1983年
セントクリストファー・ネイビスとしてイギリスから独立。人民行動運動(PAM)のケネディ・シモンズが独立最初の首相に就任。

■1995年
SKNLPのデンジル・ダグラスがシモンズを破り首相に就任。

■1998年
ネイビス島の分離独立を伺う住民投票で、賛成票が61.83%と、分離に必要な2/3にわずかにとどかずネイビス島の分離独立は出来ず。

■2000年3月
与党のSKNLPが1議席伸し、ダグラス首相が再任


ユトレヒト条約
1713年スペイン王位継承戦争及び並行して北アメリカ大陸で行われていたアン女王戦争の講和条約。ただし、神聖ローマ皇帝カール6世とフランス王ルイ14世との間の講和条約はラシュタット条約として別途締結された。内容はイギリスの一人勝ちであった。

ヴェルサイユ条約
1783年にイギリスとスペイン・フランスとの間で結ばれた、アメリカ独立戦争の講和条約。この条約によってイギリスは、フロリダをスペイン、セネガルをフランスに返還した。フランスにとっては莫大な負債を作ってまで参戦したこの戦争で獲得したものがセネガルぐらいだったため、政府に対して反発の嵐が巻き起こり、のちのフランス革命の一因になった。


西インド連邦
West Indies Federation)は、1958年から1962年までの間に存在したイギリス連邦内の自治国である。カリブ海地域のイギリス植民地で構成され、連邦制を採用していた。カリブ海のイギリス領島嶼を統合し、将来的な独立を視野に入れた、外交と防衛を除く自治権を有する半独立国としてスタートした。しかし、広大なカリブ海に点在する島々を無理矢理繋ぎ合わせたため、島によって人種、産業、政治制度、歴史の相違は著しく、国の中心的役割を担うトリニダード島とジャマイカ島は1500キロメートルもの隔たりがあるなど、当初から問題は山積していた。


アラワク族
Arawakとは、南米ボリビアの北西部やペルーのモンクーナヤ地方、スリナムとガイアナおよびアマゾン下流域などに定住するインディアンで、アラワク語を話す。かつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んでいた。スペイン人が新大陸侵攻を始める前は、カシーケと言われる首長を頂点に、近隣の部族との戦争でとらえられた捕虜を奴隷として使う成層社会を形成していた。スペイン人による新大陸侵入以来、アラワク族は急激にその数を減じて行った。特に、西インド諸島に定住していたアラワク族は、敵対していたカリブ族やヨーロッパ人の侵攻などにより、民族としての滅亡への道を辿る。

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カリブ族
Caribs、カリナゴ族、Kalinagoとも言う)とは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブの3つに区分される。バーベキューやハリケーン、カニバルなどの単語をもたらした。

タイノ族
アラワク族語系に属するキューバ、イスパニョーラ島(ハイチとドミニカ共和国)、プエルトリコ、そしてジャマイカを含む大アンティル諸島とバハマ諸島の、クリストファー・コロンブス到着以前から先住するインディアン部族である。南アメリカのアラワク族が航海してきたものと見られる。


■国民
住民は、アラワク族、カリブ族(カリナゴ族)らが入植していたが、ついで白人が入植し、現在は奴隷の末裔であるアフリカ系黒人がほとんどで白人は少数である。しかし、奴隷として連れて来られた当初と比べると、かなり混血が進んでいる。


ネグロイド
ネグロイド(Negroid)は、人種のひとつ。黒人、黒色人種、ブラック(Black)などとも言われる。ラテン語のniger(ニゲル、黒)に由来するが、英語風にニグロイドとも言う。現生人類は、生物学上ホモ・サピエンスというただ一種に属している。

混血
Mixed breed)人間の場合は人種または民族の異なる父母の間に生まれた子を指してこのように呼ぶ。人種や民族といった形質や文化を、血液(遺伝子)に象徴させた語で、「血と血が混ざり合う」というイメージで捉えられることが多い。違う人種や民族の父母の間から生まれた子供を混血児という。動物の場合も同様である。

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<世界遺産>

ブリムストーン・ヒル要塞国立公園
17世紀から18世紀にかけてイギリスが建てた、約38エーカー以上もの広さを持つ、西インド諸島最大の要塞の史跡である。 この要塞は、セントクリストファー島の首都バセテールから北の海岸線に沿ったブリムストーン・ヒル(硫黄の丘)の海抜約250mの高さのところにある。イギリス人の設計により、ほぼ90年間の歳月を費やして、1782年に完成させた要塞である。実際の建設作業には、アフリカから連れて来られた奴隷の労働力が充てられた。

約38エーカー以上もの広さを持つ、西インド諸島最大の要塞の史跡である。1690年、フランスを駆逐した後、イギリスはブリムストーンに要塞を立てた。そして、1736年までに要塞には49丁の銃を保持していた。そして、イギリス軍による西インド諸島攻略の拠点地として、「西インド諸島のジブラルタル」と呼ばれていた。1782年2月に、フランス艦隊がブリムストーン・ヒル要塞を攻撃した。1,000人のイギリス軍は頑強に抵抗したが降伏した。そしてフランス軍は、最後まで戦ったイギリス駐屯軍の英雄的な防御に敬意を表した。


ブリムストーン・ヒル要塞国立公園公式HP(英語)
Welcome to Brimstone Hill Fortress
Brimstone Hill Fortress National Park is a UNESCO World Heritage Site of historical, cultural and architectural significance: a monument to the ingenuity of the British military engineers who designed it and to the skill, strength and endurance of the African slaves who built and maintained it. One of the best preserved historical fortifications in the Americas, it is located on the island of St. Kitts in the Federation of St. Christopher (St. Kitts) and Nevis in the Eastern Caribbean.


■言語
英語が公用語であり、かつ最も使われている。


英語
English language)は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。実に、約80の国・地域で話されており、世界で最も多くの国・地域で使用されている言語でもある。


■宗教
聖公会、ローマ・カトリック、救世軍など。


聖公会
Anglicanism, Anglican Church)は、イングランド国教会 (Church of England) の系統に属するキリスト教の教派。「聖公会」とは聖なる公同の教会(holy catholic church)という意味であり、1887年から日本で、その後中国でも用いられるようになった名称である。聖公会は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道(Via Media)」の教会であると自認している。

カトリック教会
Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。カトリック教会自身による定義は、教会憲章(Lumen Gentium) にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。


キム・コリンズ
Kim Collins、1976年4月5日 - は、セントクリストファー・ネイビスの陸上競技選手である。2003年世界選手権男子100mの金メダリストである。コリンズは、1997年の世界選手権でメジャーな大会にデビューしている。このときは1次予選で予選落ちした。その後、力をつけてゆき、2000年のシドニーオリンピックでは、決勝進出を果たし、7位入賞を果たした。2011年の世界選手権では、ジャマイカのウサイン・ボルトがフライングで失格になる波乱の展開の中、3位に入り銅メダルを獲得。また、400mリレーでも3位に入り、この大会で2つの銅メダルを手にした。

クリストファー・コロンブス
Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説の上ではイタリアのジェノヴァ出身とされる。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。1492年8月3日、大西洋をインド(インディア)を目指してパロス港を出航した。この時の編成はキャラベル船のニーニャ号とピンタ号、ナオ船のサンタ・マリア号の3隻で総乗組員数は約90人(120人という説も)。一旦、カナリア諸島へ寄り、大航海の準備を整えた後、一気に西進した。大西洋は極端に島の少ない大洋であり、船員の間には次第に不安が募っていった。当時の最新科学では地球が球体であるということはほぼ常識となっていたが、船員の間では地球を平面とする旧来の考えも根強く残っていた。

トーマス・ワーナー
(Sir Thomas Warner、1580年? - 1649年)は、アイルランド人でイギリスによる西インド諸島の最初の入植者であり、セントキッツ島及びイギリス領西インド諸島最初の知事。ワーナーは1623年に西インド諸島のセントキッツ島に到着した。一時、イギリスへ帰ったが、1624年に彼の家族と14人のイギリス入植者の一団を引き連れてセントキッツに初入植し最初はタバコ農園を拓いた。1626年にはワーナーはセントキッツ最初の知事となる。ワーナーと共に来たイギリス人入植者一団はセントキッツを拠点に1627年にバルバドスに入植、1628年にネイビス、1632年にモントセラトとアンティグアと入植地を拡大していった。

セントクリストファーネービス Saint Christopher and Nevis
西インド諸島の小アンティル諸島内のリーワード諸島に位置するセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2つの島からなる英連邦王国の一国たる立憲君主制国家。島国であり、海を隔てて北西にイギリス領アンギラ、東にアンティグア・バーブーダ、南西にイギリス領モントセラトが存在する。首都はバセテール。

バセテール
Basseterreは西インド諸島のセントクリストファー・ネイビスの首都である。人口15,500人(2005年)。セントクリストファー島の南西部沿岸に位置する。主な産業は砂糖、漁業である。町の名であるバセテールとはフランス語の「低地 (Basse terre)」に由来する。1624年にセントクリストファー島にイギリスに続いて、フランスが入植した。その後、1627年に島の中央部分がイギリス領、北部と南部がフランス領となった時に、フランスの入植者達は良質な港に適した低地だったこの地にフランス語で「低地」を意味するバス・テールと名付け町を建設した。


■交通
道路は約300kmで、セントクリストファー島の道路はほとんどが海岸線に沿って走っている。鉄道も走っており、58kmの線路が島にある。サトウキビを運ぶ為に建設されたが、現在は観光用の列車が利用している。フェリーの定期便がセントクリストファー島とネイビス島、2島を結んでいる。空港はセントクリストファー島に国際線とネイビス島に国内線がある。


ロバート・L・ブラッドショー国際空港
Robert L. Bradshaw International Airportは、セントクリストファー・ネイビスの首都バセテールにある国際空港。この空港名は、イギリス自治領セントキッツ・ネイビス・アンギラ(現セントクリストファー・ネイビス)の商業と生産の担当大臣をしていたロバート・ブラッドショーからきている。

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セントクリストファー島
Saint Christopher、別名セントキッツ島−Saint Kitts、はカリブ海は小アンティル諸島のリーワード諸島にある島で、火山島で、深さ227mのクレーターがあるミゼリー山(1,156m)がこの島の最も高い場所である。セントクリストファー・ネイビスの中心地の島。


ネイビス島
Nevisはカリブ海の小アンティル諸島のリーワード諸島、セントクリストファー島のすぐ隣にある島で、セントクリストファー島と共に島国、セントクリストファー・ネイビスを結成している。火山島で最高地点はネイビス山(985m)。海岸は珊瑚礁に囲まれている。 ネイビス島は18世紀に有名な温泉と鉱泉が発見され、カリブの温泉地として有名になった。


■ネイビス島の概要
アメリカ合衆国憲法の草案者アレキサンダー・ハミルトンの出身地でもある。島にあるバースという小さな村はネイビス島の有名な温泉地で、1778年に温泉源近くに建てられたバース・ホテル&スプリング・ハウスがある。18世紀以来、治療・温泉浴目当てに、西インド諸島やヨーロッパから船でやって来る観光客向けに建てられた、カリブで最も歴史あるスパリゾートホテルである。島の名である「ネイビス」とは、スペイン語の雪を意味する「ニエベ」が由来。コロンブスが発見した時、島の山(後のネイビス山)の頂上が真っ白な雲に覆われている様子を見て、山の頂上が雪に積もっていると勘違いした事から雪を意味するネイビスと名付けた。


チャールズタウン (ネイビス島)
Charlestownとは、カリブ海に浮かぶ国、セントクリストファー・ネイビスのネイビス島にある町のこと。ネイビス島の中心地である。1660年に町の建設がはじまり、ジンジャー・ブレッド建築様式の家屋など、町並みはイギリス植民地時代の面影を残す。小さな町だが観光客も訪れる。アメリカ合衆国憲法の草案者アレキサンダー・ハミルトンの出生地でもある。彼が12歳まで暮らしていた家は、ジョージ王朝様式で1680年に造られた。1840年の地震で崩壊、その後再建されて、博物館として現在でも残っている。この他には、若き日のネルソン提督の軌跡を伝えるホレーショ・ネルソン博物館や、1778年からあった温泉の上のホテルの廃墟バス・ハウス、ネイビス博物館、フォート・チャールズ砦などがある。

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外務省:セントクリストファー・ネーヴィス
在トリニダード・トバゴ日本国大使館兼轄


■温泉
ネイビス島は豊富な温泉源と鉱泉源があり、18世紀以来、カリブの温泉地として有名で、1778年に建てられたバース・ホテル&スプリング・ハウスと言うカリブで最も古い温泉のリゾートホテルがある。

鉱泉
鉱泉(こうせん)とは、地下からの湧水(わきみず)で、医学的見地から治癒成分を含んだ水のこと。一般には、地表の気温より著しく温度の高い(日本の温泉法では25度以上)湧水を温泉、それ未満の温度の湧水を鉱泉(冷鉱泉)とよんで、常用水と区別される。しかし、環境庁が定める「鉱泉分析法指針」では以下のように定義されている。


セントクリストファー・ネイビス国防軍
Saint Kitts and Nevis Defence Force:SKNDF)は、セントクリストファー・ネイビスの軍事組織。2009年時点の総員300人。国防軍は、国防軍本部(FHQ, SKNDF)の下でセントクリストファー・ネイビス連隊(St. Kitts Nevis Regimnt)とセントクリストファー・ネイビス沿岸警備隊(St. Kitts Nevis Coast Guard)および両組織の予備役で構成される。総司令官は国家安全保障担当大臣の命を受けて軍を指揮する。

地域安全保障システム
Regional Security System、RSS)は、東カリブ海地域の安全保障協定である。1970年代後半から1980年代前半にかけて、地域の安定に影響を与えていた軍事的脅威への集団的対応の必要性から1982年に設立された。

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■政治
セントクリストファー・ネイビスは立憲君主制(英連邦王国)、議院内閣制をとる立憲国家である。現行憲法は1983年9月19日の独立に伴い施行されたもの。国家元首は国王だが、英連邦王国のため、イギリスの国王がセントクリストファー・ネイビスの国王を兼ねる。国王の職務を代行する総督は、国王により任命される。政治の実権は行政府たる内閣にあり、その長である首相は国民議会より選出され、総督により任命される。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命する。総督による任命は形式的なものである。立法府は一院制で、正式名称は国民議会。定数は14議席で、総督の任命枠3議席、直接選挙枠11議席により構成される。直接選挙枠の選挙制度は小選挙区制である。任期は5年。


議院内閣制
立法権を有する議会と行政権を有する政府(内閣)が一応分立しているものの、政府は議会(特に下院)の信任によって存立することとする制度。議院内閣制は大統領制、超然内閣制、議会統治制などと並ぶ、議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つで、議会と政府(内閣)とが分立した上で、政府は議会(特に下院)の信任によって存立する政治制度である。

英連邦王国
Commonwealth realm)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(英国)の王座にある者を自国の国王として戴く国家形態、また該当する国を指す。現在、計16ケ国ある。この語の複数形は、これらの人的同君連合を指す。英連邦王国はいずれも英連邦に属する。英国以外の英連邦王国は、かつて英国の植民地支配下に置かれた地域だったが、今日では英国に従属しない独立国である。19世紀までは自治領(dominion)と呼ばれていたが、1926年の帝国会議において主権的地位が英国から承認され、1931年のウェストミンスター憲章採択と英連邦成立によって実質的に独立した。


連邦
2つ以上の国(州)が1つの主権の下に結合して形成する国家である。比較的弱小な国家や都市、自治共同体(植民地の個々を含む)が自治権もしくは独立を保つために連盟または同盟して、周辺の比較的強大な国家(宗主国は強大である)には単一の主権国家として、内部的には盟約(憲法を含む)を結んだ構成体どうしの独立関係を維持し統治する体制である。


■二大政党制
中道左派のセントキッツ・ネイビス労働党(SKNLP。セントキッツはセントクリストファーの別名。セントキッツを用いるのが正式な党名)と中道の人民行動運動(PAM)の力が強い。ネイビス島でも別の政党による二大政党制が確立しており、市民有志運動(CCM)とネイビス改革党(NRP)が力を持っている。CCMとNRPはネイビス島の地域政党ながら、中央の議会選挙にも参加している。


■経済
伝統的に砂糖を中心とした農業島国だったが、2005年7月をもって生産を停止。現在は観光が主要産業となっている。これは砂糖産業が奴隷制度の象徴であることに加え、1980年代からすでに利益が出なくなっていたためである。サトウキビの生産量は2002年時点で19万トン、砂糖の生産量は同1.9万トン。いずれも農業、工業生産物として最も生産量が多かった。電気機械の組み立てが産業として確立しているため、輸出に占める電気機械の比率は2001年時点では62.9%に達した。対して砂糖は21.0%だった。主な輸出相手国はアメリカ合衆国で、71.5%を占める。


砂糖
砂糖の生産は、まずサトウキビを利用して始まった。サトウキビの原産地は、南太平洋の島々で、そこから東南アジアを経て、インドに伝わったとされる。紀元前2000年ごろにインドで砂糖が使われており、サトウキビから砂糖を作ったのは、インドが最古である。インドの砂糖やサトウキビは、アラビア人によってペルシャ・エジプト・中国などへと伝えられた。

政府開発援助
Official Development Assistance, 略称:ODA)とは、発展途上国の経済発展や福祉の向上のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。


セントクリストファー・ネイビスの国旗
1983年9月19日に制定された。二つの星は希望と自由を象徴しているとされるが、元々セントクリストファー島とネイビス島の二つの島を示しているとも言われている[誰によって?]。緑は国土の肥沃さ、赤は植民地時代の奴隷制から独立・解放への苦闘、黒はアフリカからの伝統、黄色は日光をそれぞれ象徴している。


■国名
正式名称は Federation of Saint Christopher and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・クリストファー・アンド・ニィヴィス)。しかし現在では Federation of Saint Kitts and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・キッツ・アンド・ニィヴィス)と呼ぶことの方が多くなっている。

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1.面積:262平方キロメートル(西表島とほぼ同じ)
2.人口:5.2万人(2009年 ECLAC)
3.首都:バセテール
4.民族:アフリカ系、イギリス系、ポルトガル系、レバノン系等。
5.言語:英語
6.宗教:キリスト教(英国国教会、プロテスタント、カトリック等)等

1493年 コロンブスにより「発見」
1623年 英国植民地
1958年 英領西インド諸島連邦に加盟(1962年迄)
1967年 英国自治領
1983年 独立

■主要産業:農業(特に砂糖産業)、観光業
■主要貿易品目(1)輸出 機械、食品、電気製品、飲料(2)輸入 機械類、工業製品、食料品、燃料


東カリブ・ドル
カリブ海の8つの国家と地域で使われて、東カリブ諸国機構の東カリブ通貨同盟で発行される通貨。英語名が「East Caribbean dollar」なのでしばしばECドルともいう。そのうちアンティグア・バーブーダ、ドミニカ国、グレナダ、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島の6つは独立国である。残りの2つ、アンギラとモントセラトはイギリスの海外領土である。


デンジル・ダグラス
Denzil Llewellyn Douglas、1953年1月14日 - は、セントクリストファー・ネイビスの首相(現職)。セントクリストファー・ネイビス労働党所属。ダグラスは1953年1月14日にセントクリストファー島北部のセントポール村に生まれ、学生時代は医学を学んだ。1977年に理学士号を、1984年には医学士号を西インド諸島大学で取得した[2]。1986年には診療所を設立して開業医となり、1980年代終わりにセントクリストファー・ネイビス医師会の代表に就任した。

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アレクサンダー・ハミルトン
Alexander Hamilton, 1755年1月11日 - 1804年7月12日は、アメリカ合衆国建国の父の1人。日本語ではアレキサンダー・ハミルトン、アレグザンダー・ハミルトンとも表記される。政治家、憲法思想家、哲学者であり、アメリカ合衆国初期外交のリーダーであった。ハミルトンは英領西インド諸島のネイビス島に生まれる。父親はスコットランド貴族の四男だが、ハミルトンが生まれたときはカリブ海の小さな島の一商人にすぎず、しかものち破産し零落していく。母はフランスのユグノーの子孫という。アメリカ合衆国の「建国の父」たちは皆、成功した入植者からの名門富裕層の出であったが、誇るべき家柄も無く内縁関係の両親の間に生まれたハミルトンは例外とも言える存在であった。1768年に兄とともに孤児となり、ニューヨーク商人のクルーガーとビークマン所有のセント・クロイ島にある店で働きはじめ、4年後には店主に代わって店を任されることもあり、その経営能力は高く評価されていた。1771年にセント・クロイ島で発行されている新聞に自作の詩を掲載され、文才の片鱗を示す。その翌年に、ハリケーン来襲を報じた手紙が新聞記者に優れた文章として認められ、『ザ・ロイヤル・ダニッシュ・アメリカン・ガゼット』誌に掲載された。

クリストフォロス
Christophoros, 原意はギリシア語の「キリストを背負うもの」は、3世紀のローマ皇帝デキウスの時代に殉教したとされるキリスト教の伝説的な聖人。伝承ではクリストフォロスはもともとレプロブスという名前のローマ人であったという。彼はキリスト教に改宗し、イエス・キリストに仕えることを決意したとされる。(別の伝承ではカナン出身のオフェロスという名前であったとも伝えられる。)彼は隠者のもとを訪れ、イエス・キリストにより親しく仕える方法を問うた。隠者は人々に奉仕することがその道であるといい、流れの急な川を示して、そこで川を渡る人々を助けることを提案した。レプロブスはこれを聞き入れ、川を渡ろうとする人々に無償で尽くし始めた。

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