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ニカラグア共和国
Republic of Nicaragua
<中南米>

北中アメリカ

■地理
地勢面ではモモトンボ火山が属する山岳地帯でも標高は3,000m台に留まり、東西の海岸地帯は熱帯平野となっている。東海岸の中央部に湿地帯が広がり、一方、西海岸の中部はニカラグア湖が近い。カリブ海にはコーン諸島とミスキート諸島がある。


中央アメリカ
Central America)は、中米ともいい、アメリカ州を、北・中・南に分類した場合の北アメリカと南アメリカをつなぐ地峡部でグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7ヶ国からなる地域である。


ニカラグア湖は中米最大の湖であり、独立当初からニカラグア湖と東西海岸部を結んで パナマ運河のようなニカラグア運河を建設する構想があったが、実現する見込みは薄い。面積は8029km2、最大深度70m(湖面標高32m)である。


カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ。カリブ海全域を「カリブ地方」と呼ぶ。カリブ海は多島海で、この海域に浮かぶ数多くの島々を総称して「カリブ諸島」あるいは「カリブ海諸島」と呼ぶ。

コーン諸島
(Corn Islands、はビッグ・コーン島(Big Corn Island)とリトル・コーン島(Little Corn Island)からなる珊瑚礁で、カリブ海にあるニカラグアの島である。面積はビッグ・コーン島が10km2、リトル・コーン島が2.9km2である。人口のほとんどは主島のビッグ・コーン島に集中しており、人口が約8,000人ほどで、リトル・コーン島の人口は約250人ほどである。

モモトンボ
(Momotombo)は、ニカラグアにある火山で、レオン市から程遠からぬマナグア湖畔に聳え立っている。1610年の噴火で、近郊にあったスペイン人入植地の住人は避難を余儀なくされた。この入植地の遺構はレオン・ビエホ(旧レオン)として保存され、世界遺産に登録されている。

イサベリア山脈
Cordillera Isabelia)は、中央アメリカのニカラグア北部にある山脈である。北側にヒノテガ県、南側に北アトランティコ自治地域とマタガルパ県との県境となっている。

ニカラグア湖
ニカラグア湖(スペイン語: Lago de Nicaragua)又はCocibolca湖は、ニカラグアにある淡水湖である。面積8029km2、最長径164kmで、ラテンアメリカではチチカカ湖に次いで2番目に広い湖であり、世界で10番目に大きい淡水湖である。現地の人はこの湖をCocibolca湖又はDulce湖(「甘い海」の意味)と呼ぶ。実際、この湖は水が塩分を含んでいないことを除けば海とほとんど変わりがない。西にある太平洋からの東風によって海のように波が立つ。

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マナグア湖
Lago de Managua、はニカラグア西部にある湖。ニカラグアの首都であるマナグアが湖の南岸にある。南北65km、東西25kmであり、湖水面積は1,035平方キロメートル。湖面標高は39m。チピタパ川(Rio Tipitapa)を通じて、ニカラグア湖に繋がっている。

オメテペ島
(Ometepe)はニカラグアのニカラグア湖のに浮かぶ2つの火山からなる島である。島の長さは31kmで幅5〜10km、面積は約276 km2。島の名前はナワトル語で「2つの山」を意味するome(2)とtepetl(山)から来ている。島では約3万5,000人の住人が農耕・牧畜や観光業などで生計を立てている。調理用のバナナの一種であるプランテーンが主な作物である。

ニカラグア運河
(Canal de Nicaragua) は、カリブ海と太平洋と大西洋を結ぶ運河の計画。サン・フアン川を利用した運河の建設は、アメリカの植民地時代初期に提案され、19世紀始めにはナポレオン三世も計画の実現可能性が高いことを著した。


■気候
ニカラグアは全土が熱帯性の気候に属するが、標高や地域によって差がある。ケッペンの気候区分によれば、西海岸はサバナ気候、東海岸は乾季の無い熱帯雨林気候に属する。また、国土中央の山岳部は温暖湿潤気候に属する。


サバナ気候
夏は赤道低圧帯(熱帯収束帯)に入り多雨、冬は中緯度高圧帯に入り、乾燥するため一年の間で雨季と乾季がはっきりと分かれている。乾燥に強い樹木がまばらに生える草原、サバナ(Savanna、サバンナとも言う)が広く分布し気候区の名前の由来にもなっている。

熱帯雨林気候
赤道直下の島々、大陸の中西部に分布。年中多雨で気温の年較差は少ない。人の背丈から数十メートルの高さまでになる多種類の熱帯性植物がうっそうと茂っており、午後からはスコールと呼ばれる激しい雨が降る。


トルテカ文明
現在のところ、テオティワカン崩壊後、チチメカ侵入前までの時期に、メキシコ中央高原に盛んに建設された都市「トゥーラ」群がもっていた文明と考えられる。大井邦明は、この考え方をヒメネス・モレーノが資料操作をおこなったために混乱しているとし、トルテカ人は、もともとテオティワカンにすんでいたケツァルコアトル神をあがめる集団であり、具体的にはオトミ族やマトラツィンカ族であって、コヨトラテルコ式土器を伴い、トゥーラ=シココティトラン、ショチカルコなどの「トゥーラ」(城塞都市)群を中央高原に築いた人々であるとした。

アステカ
伝説によればアステカ人はアストランの地を出発し、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよっていた。やがてテツココ、アスカポツァルコ、クルワカン、シャルトカン、オトンパンなどの都市国家が存在するメキシコ盆地に辿りつき、テスココ湖湖畔に定住した。1325(または1345)年、石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たメシーカ人は、これを町を建設するべき場所を示すものとしてテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いた。その後、一部が分裂して近くの島に姉妹都市・トラテロルコを建設したとされる。


アカウアリンカ足跡
Footprints of Acahualinca)は、ニカラグアの首都マナグアにある人類の足跡の生痕化石である。アカウアリンカ地区はマナグア湖南岸のほど近くの荒れ地に位置し、この地域はかつて"El Cauce"(河床)と呼ばれていた。この遺跡はパレオ・インディアンが火山灰と泥の上に残した足跡の化石で、約6000年前、最大で15人ほどの集団が通過してまもなく固化した。


パレオ・インディアン
(Paleo-Indians)とはかつて旧石器時代の北米大陸に定住していた原始的な古代インディアンで、現インディアンの祖先である。名前のパレオの名はギリシャ語で古代を意味する「palaios」から名付けられている。


<歴史>
■先コロンブス期
ヨーロッパ人の到達以前のこの地にはチブチャ系の諸族が居住していた。現在のニカラグアは北方からトルテカ族、アステカ族がやってくる中間点で、相互の影響により豊かな文化が形成され、美しい陶器や石像を今に残している。また、それゆえにアステカ帝国最南端の交易所があり、中米地峡の北と南を繋いでいた。

スペイン植民地時代
■1502年
コロンに発見されたニカラグアでは、インディヘナが集団改宗する事件などもあった。中央部のニカラオカリ(現在のリバス付近)を本拠とするインディヘナのニキラノ族の首長ニカラオが侵略に立ち向かった。それゆえ、この地域一帯を総称しニカラグア(ニカラオの地)と呼ぶようになった。

■植民地から独立国へ
19世紀前半にはインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まった。1811年から独立闘争が本格化し、1821年9月15日にグアテマラ総督領が独立すると、ニカラグアもスペイン支配から解放された。

■1893年
自由党のホセ・サントス・セラヤが政権を握り進出を始めたアメリカ合衆国資本の援助を受けて鉄道建設などを実行した。1894年、セラヤはイギリス領だった大西洋側のミスキート王国を合衆国の支持の下に併合し、ニカラグアは太平洋と大西洋の両方に面した国家となった。

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■アメリカ合衆国の進出
サンディーノ戦争はラテンアメリカ諸国の支援を受けての、世界初の近代的なゲリラ戦争となった。アメリカ海兵隊は被害を恐れ、ニカラグア国家警備隊を養成し、海兵隊と共に国家警備隊がサンディーノ軍とジャングルの中でゲリラ戦を行うことになった。世界恐慌の影響でニカラグアに駐留する費用も惜しくなったことなどを原因に1933年、アメリカ海兵隊が撤退してサンディーノ戦争は終結した。

■1934年
サンディーノはアメリカ合衆国子飼いの国家警備隊長アナスタシオ・ソモサ・ガルシアに暗殺され、1936年にソモサはクーデターを起こして自ら政権についた。

■ニカラグア革命とコントラ戦争
1936年から続いていたソモサ家独裁への反対は1972年のマナグア大地震へのソモサ政府の暴力的な対応により拡大を続けていったが、1978年1月に反体制派新聞「ラ・プレンサ」社長のペドロ・ホアキン・チャモロが政府によって暗殺されたことにより、国民の独裁政権への不満は頂点に達した。武装蜂起したサンディニスタ民族解放戦線 (FSLN) は中道・左派の幅広い結集を受け、ラテンアメリカ諸国と国際社会を味方につけ、1979年7月19日アナスタシオ・ソモサ・デバイレ大統領は合衆国のマイアミに亡命した(第一次ニカラグア内戦)。こうして43年間におよぶソモサ王朝は終焉し、ニカラグア革命=「歌う革命」が実現した。

■1987年
中米和平合意に沿って、1988年3月、政府と反政府勢力問の暫定停戦合意が成立した。1990年2月、国連による国際監視のもとで大統領選挙を実施した。

■1996年10月20日
大統領等選挙が行われ、自由同盟(AL、中道右派連合)から元ソモサの部下だったアルノルド・アレマン候補が当選した。1997年1月10日、アレマン新政権が発足する。

■2001年11月4日
総選挙で、エンリケ・ボラーニョス前副大統領が選出、2002年1月10日にボラーニョス政権発足。

■2011年11月6日
大統領選挙でオルテガ現大統領が再選された。


ヌエバ・エスパーニャ
1535年から1821年までの、北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領地を指す名称。ヌエバ・エスパーニャの領域は、当初はパナマ地峡以北の新大陸のスペイン領土すべてを含み、1565年に新たに占領されたフィリピンも管轄下に置かれた。


ミスキート族
Miskitoは、ホンジュラス・ニカラグアに住む民族。モスキート族(Mosquito)とも呼ばれる。ホンジュラス・ニカラグア両国の沼沢の多い東部沿岸地方に住む。かつては人口も多かったが、今は少数になっている。焼畑農業を営むかたわら、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマを飼育している。主食はキャッサバ、野性食糧。男性は装飾と虫除けをかねて、黒い塗料を全身に塗りたくっている。

インディオ
インディオはラテンアメリカの先住民族の総称の一つ。先史時代には陸橋となっていたベーリング海峡を通ってユーラシア大陸からアメリカ大陸に渡ったアジア系人種(モンゴロイド)の末裔と考えられる。インディオはスペイン語でインド人を指す言葉であり、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到着したときに、その地をインド(当時は東アジア全体を指した)と誤解したことに由来する。

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クリオーリョ
criollo) とは、スペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す。人間に対してcrioulo, criolloという語が用いられたのは、黒人奴隷が最初であると考えられる。15世紀以降、奴隷貿易が発達するなかで、アフリカ大陸ではなく、近隣のサントメ島やカーボベルデ諸島、やがては新大陸で生まれ育った黒人奴隷が増加した。このため、諸島や新大陸生まれの黒人は"negro criollo"と呼ばれ、アフリカ大陸生まれの黒人("negro bozal", "negro africano")と区別されるようになった。


■国民
人種構成は、メスティーソ69%、白人17%、黒人9%、インディヘナ諸部族が5%となっている。アフリカ系ニカラグア人とインディヘナはカリブ海側に集中しており、アフリカ系の先祖にはジャマイカから労働者として流入した者もいる。インディヘナの主な部族としては、ミスキート族、スモ族、ラマ族、ガリフナ族などが挙げられる。


メスティーソ
白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々。ポルトガル語ではメスチース、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。


■言語
第二次ニカラグア内戦中に憲法が改正され、先住民族は母語で教育を受ける権利を有する。スペイン語が公用語であるが、大西洋海岸のモスキート海岸ではミスキート族の話す英語(クレオール英語)とミスキート語が公用語になっている。ニカラグアのスペイン語はトゥセオ(tuseo)よりもボセオ(voseo)を用いる。


スペイン語
インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。スペイン語は、世界で約4億2千万人の人々によって日常的に話されており、ラテンアメリカ地域における国際共通語である。スペイン語を公用語としている国と地域の数は20以上あり、世界で英語(約80の国・地域)、フランス語(約50の国・地域)、アラビア語(約27の国・地域)に次ぐ4番目に多くの国で使用されている言語である。

ボセオ
(voseo)とは、スペイン語において二人称単数の代名詞にtúの代わりにvosを用いることである。ラテンアメリカの一部で行われており、特にアルゼンチンにおいては、ボセオが標準である。

ニカラグア手話
ニカラグア共和国において、1970年代から80年代にかけて自然発生的に誕生した視覚言語である。ニカラグアにおける聴覚障害者との公式の意思疎通手段であり、第一言語として定められている。世界で最も新しく誕生した言語とされ、また、歴史上はじめて学者たちによって誕生の瞬間が目撃された言語であるとされる。


■宗教
宗教は、カトリックが85%、他には福音派プロテスタントや末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)など。

カトリック教会
Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。

プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。プロテスタントという総称は、その担い手達がローマ・カトリック教会に抗議(ラテン語: protestari, プローテスターリー)した事に由来する。

末日聖徒イエス・キリスト教会
末日聖徒イエス・キリスト教会(まつじつせいとイエスキリストきょうかい、The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints; LDS.)は、1830年アメリカ合衆国にてジョセフ・スミス・ジュニアによって立ち上げられたキリスト教系の新宗教。通称はモルモン教会。創始者スミスを通して、原始キリスト教会が現代に回復されたとされる。

謝肉祭
もともとカトリックなど西方教会の文化圏で見られる通俗的な節期で、四旬節の前に行われる。仮装したパレードが行なわれたり、菓子を投げる行事などが行なわれてきたことから、現代では宗教的な背景のない単なる祝祭をもカーニバルと称することが少なくない。


■教育
内戦中に革命政権がキューバ政府の支援や、ブラジルのパウロ・フレイレの理論を取り入れて行った識字運動により、ソモサ王朝時代までは50%程だった識字率は80%を越えるまでに改善したものの、内戦の混乱や経済の崩壊の中で再び公教育も大きな打撃を受け、2003年の推計によれば15歳以上の国民の識字率は67.5%である。主な高等教育機関としてはニカラグア国立自治大学(1812年)、中米大学(1961年)、ニカラグア工科大学(1967年)などが挙げられる。


<世界遺産>
レオン旧市街
ニカラグアにレオン市が最初に建造されたのは1524年のことだった。この年にフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバが現在の都市の20マイル東に建造したのである。旧レオンから2マイルしか離れていないモモトンボ (Momotombo) が1610年に噴火し、深刻な被害をもたらした。この後、住民たちは、更なる噴火によって人命や財産に再び甚大な被害が出るのを避けるため、現在の場所に町を移転させることを決めたのである。現在のレオンに残る町並みは、スペイン・コロニアル様式の優れた例証である。そこには、1706年から1740年に建てられた聖母被昇天大聖堂も含まれる。この大聖堂には1746年から1779年にかけて、二本の塔が加えられた。


サンディニスタ民族解放戦線
サンディニスタ民族解放戦線はニカラグアで発生した左翼政治運動、後に政党。党名は、1927年から1933年までアメリカ合衆国の侵略に対抗し闘ったアウグスト・セサル・サンディーノに因むもので、活動はサンディニスモ(サンディーノ主義)、活動家(党員)はサンディニスタ(サンディーノ主義者)と呼ばれる。


■スポーツ
アメリカ合衆国の影響を受けて野球が最も盛んであり、キューバやドミニカ共和国、ベネズエラなどと同様に、デニス・マルティネスのようなメジャー・リーグの選手を輩出している。しかしワールド・ベースボール・クラシック参加国には2009年までの2大会は選ばれておらず、2013年大会は予選にエントリーするものの本大会に進めず。オリンピックも正式競技となってからはアトランタ大会1回に出場したのみである。


エスタディオ・デニス・マルティネス
(Estadio Dennis Martinez)は、ニカラグアの首都マナグアにある国立スタジアム。主に野球、サッカー、闘牛に使用されている。収容人数は30,100人と発表されているが、これは座席だけではなく立ち見用スペースも含めた数字の可能性もある。スタジアム名には、ニカラグア出身の元メジャーリーガーで、ラテンアメリカ出身投手では史上最多の通算245勝を挙げたデニス・マルティネスの名を冠した。


アウグスト・セサル・サンディーノ
1895年5月18日 - 1934年2月21日は、ニカラグアの農民、愛国者、革命家であり、1927年から1933年にかけての駐ニカラグアアメリカ海兵隊に対する抵抗運動の指導者であった。政治的な理由によりアメリカ合衆国政府からは盗賊と見なされたが、その功績は彼をラテンアメリカナショナリズム(アメリカ主義)の英雄とした。自由な人々の将軍(General de hombres libres)とも呼ばれた。サンディーノはアウグスト・ニコラス・カルデロン・サンディーノ(Augusto Nicolas Calderon Sandino)として、太平洋側マサヤ県の寒村ニキノオモで白人の中規模コーヒー地主のドン・グレゴリオ・サンディーノと、その農場で働いていたインディオの女中、マルガリータ・カルデロンの間に私生児として生まれた。

ジョコンダ・ベッリ
Gioconda Belli, 1948年12月9日 - は、ニカラグアの詩人。ベッリは20世紀を代表する100人の詩人の一人に選ばれている。ジョゴンダ・ベッリは北イタリア系の出身であったが、ソモサの独裁政治に対抗していたサンディニスタ勢力の活動的参加者であった。また、このムーブメントのために彼女の活動により、1975年、彼女のメキシコ追放につながった。その後、サンディニスタ勢力が勝利した後の1979年、帰国し、1982年、彼女はサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の国際報道への連絡係となった。

ルベン・ダリオ
フェリクス・ルベン・ガルシア・サルミエント1867年1月18日- 1916年2月6日は、ルベン・ダリオのペンネームで作品を発表した詩人である。キューバのホセ・マルティ、ウルグアイのホセ・エンリケ・ロドーと共に19世紀後半〜20世紀初頭のラテン・アメリカ(中南米)のモデルニスモを代表する詩人であり、19世紀のラテン・アメリカで最も偉大な詩人と称される。ニカラグア生まれで、ニカラグアではアウグスト・サンディーノと並んで国民的な英雄となっている。神童として知られ、3歳で読み書きを覚え、スペインの古典喜劇やホラー小説を朗読していたと言われる。13歳になると少年詩人として中米にその名が知られるようになった。15歳でニカラグア大統領の秘書を務め、王立図書館に勤務した。

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リカルド・マヨルガ
Ricardo Mayorga、男性、1973年10月3日 - は、ニカラグアのプロボクサー。元WBC世界スーパーウェルター級チャンピオンであり、WBA・WBC統一ウェルター級チャンピオンの2階級制覇チャンピオンである。「El Matador(闘牛士)」の異名が示すとおり、リスクをかえりみず勇猛果敢に打ち合いに挑み、倒すか倒されるかという勝負をする。その勝ちっぷりと負けっぷりの激しさから人気者である。またリング外での傍若無人な言動も有名で、試合終了後リングで葉巻を燻らしていたこともある。

アナスタシオ・ソモサ・デバイレ
(Anastasio Somoza Debayle、1925年12月5日 - 1980年9月17日)は、ニカラグアの政治家、軍人。ニカラグア大統領(1967年-1972年、1974年-1979年)。独裁者アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの次男。「中米のアミン」とまで呼ばれた。様々な物事を自由化した兄とは異なり、彼は反対派や反対していなくても目障りな人物を力ずくで徹底的に弾圧して国際社会から糾弾された。

ウィリアム・ウォーカー
(William Walker,1824年5月8日 - 1860年9月12日)は、アメリカ人の傭兵、冒険家。ニカラグア大統領(在任期間1856年)テネシー州ナッシュビル出身。14歳でナッシュビル大学を卒業すると19歳でペンシルベニア大学で医学を修め、医師資格を修得している。その後、ヨーロッパで医学を学び続けたが、他の学問にも関心を持っていた。1854年、ウォーカーは自らの国を持つという野心から、45人の部下を従えてメキシコ領内のバハ・カリフォルニア半島に攻め込み、ソノラ共和国の成立を勝手に宣言した。

アナスタシオ・ソモサ・ガルシア
1896年2月1日 - 1956年9月29日は、ニカラグアの政治家、大統領(在職1937年 - 1947年、1951年 - 1956年)。公式にはニカラグアの第34代および第39代大統領だったが、1956年に暗殺されるまで独裁者として国を支配した。ニカラグアのサン・マルコス生まれ。父親は、保守党の国会議員で中規模のコーヒー園主だった。10代の時、アメリカ合衆国のフィラデルフィアの親類の元で、ピアース経営大学院に通学する。

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エルティ・レウィテス
(Herty Lewites Rodriguez、1939年12月24日 - 2006年7月2日)は、ニカラグアの政治家。ヒノテペ市のサン・フェリペ地区でユダヤ系のポーランド移民の息子として生まれた。1958年にソモサ独裁に対する反乱に参加し、1960年にブラジルで追放処分を受けた。1977年に心臓病で兄を亡くした。サンディニスタ政権下の1980年代、レウィテスはオルテガ兄弟の右腕として活躍した。観光大臣として、ルイッツはモンテリマール(Montelimar)のビーチリゾート開発や首都マナグアのオロフ・パルメ・コンベンションセンター建設といった大型プロジェクトを成功させた

ファン・パラシオス
(Juan Palacios、男性、1980年8月31日 - )は、ニカラグアのプロボクサー。元WBC ・WBA世界ミニマム級暫定王者。2003年から2007年にかけては12連勝を果たした。2008年8月2日、プエルトリコで行われたWBC世界ミニマム級暫定王座決定戦にて3位オマール・ソト(プエルトリコ)と対戦、10回TKO勝利を収め、同王座を獲得した。

ウィルトン・ロペス
(Wilton Lopez , 1983年7月19日 - )は、ニカラグア・レオン出身のプロ野球選手(救援投手)。右投右打。MLB・コロラド・ロッキーズ所属。2010年は抜群の制球力を発揮し、68試合の登板で与四球は僅かに5つ(敬遠1)だった。オフには母国ニカラグアの最優秀スポーツ選手として表彰された。

エバース・カブレラ
(Everth Cabrera, 1986年11月17日 - )は、ニカラグアのグラナダ県ナンダイメ出身の野球選手。内野手、右投両打。現在はMLBサンディエゴ・パドレスに所属している。25盗塁は2006年以降のパドレスでは最多、パドレスの新人選手としては歴代5位となった。シーズン終了後にはニカラグアの最優秀スポーツ選手に選出された。

クラウディア・ポル
Claudia Maria Poll Ahrens、1972年12月21日 - )は、コスタリカの競泳選手。1979年にフランシスコ・リバスコーチのもと競泳をはじめた。早々と中米屈指の選手となり、中米で多くのタイトルを獲得した。アトランタオリンピックの女子200m自由形では金メダルを獲得し、コスタリカに初の金をもたらしただけでなく、ラテンアメリカで最初に金を獲得した女性となった。

ニカラグア Nicaragua
北西にホンジュラス、南にコスタリカと国境を接し、東はカリブ海、南西は太平洋に面している。また、カリブ海にコーン諸島やミスキート諸島を領有している。首都はマナグア。

1492年にクリストーバル・コロンがアメリカ大陸を「発見」してからは、アメリカ大陸全域がヨーロッパ人の侵略に晒されたが、ニカラグアもその例外ではなかった。1502年にコロンに発見されたニカラグアでは、インディヘナが集団改宗する事件などもあった。

マナグア
Managuaは、ニカラグア共和国の首都である。人口は約185万人。中央アメリカでグアテマラシティに次いで二番目に大きい都市である。マナグア湖の南岸に位置し、経緯度は12°9′N 86°16′W。1855年より首都となっている。


マナグア国際空港
Aeropuerto Internacional de Managuaは、ニカラグアの首都マナグアにある国際空港である。1968年にラス・メルセデス国際空港(Las Mercedes International Airport)として開港。当時からボーイング707が使用できるよう設計されていた。ニカラグア革命後の1980年代のサンディニスタ政権(FSLN)の時代には、ニカラグアの英雄、アウグスト・セサル・サンディーノの名前から、アウグスト・セサル・サンディーノ国際空港(Augusto C. Sandino International Airport)と改称された。その後1991年のFSLNの選挙による敗北により空港はマナグア国際空港に戻されたが、2007年2月に前年の大統領選でFSLNが勝利したことを受けて、再びアウグスト・セサル・サンディーノ国際空港に改称された。


グラナダ
グラナダ(Granada)は、ニカラグア共和国西部グラナダ県の都市で、同州の州都。人口は約11万人でニカラグア4番目に大きい都市である。グラナダはニカラグアの歴史上、政治的、経済的に最も重要な街である。ニカラグア湖の北西岸に位置し、1524年12月8日、フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバによって創設された。街にはスペイン植民地時代の面影が残っている。

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レオン
中央アメリカの国ニカラグアの都市。スペインの植民地時代に認可された法的な正式名は「サンティアゴ・デ・ロス・カバジェロス・デ・レオン」 (Santiago de los Caballeros de Leon) だが、現在使われることは滅多にない。レオン県の県庁所在地で、2005年時点の人口は約14万5000人である。チキト川 (Rio Chiquito) 沿いにあり、首都マナグアの北西約50マイル、太平洋岸の北約11マイルに位置している。マナグアに比べて知名度の点で劣るが、1813年に設立された大学とともに、国の知的な中心地であり続け、また工業と商業の面でも重要な拠点となっている。

マサヤ
マサヤ(西: Masaya)は、ニカラグアの都市で、マサヤ県の県都。「花の街」と呼ばれる。グラナダの14km北、首都マナグアの17km南に位置し、北には名の由来となったマサヤ山がそびえる。人口は2005年の推計で14万6000人。マサヤは「ニカラグア文化の発祥の地」として知られ、工芸品の生産が盛ん。近くにあるマサヤ山は一帯で最も活発な活火山で、マサヤとニンディリの2つの噴火口と5つのクレーターがある。スペイン人が最初に文献に記した1524年以降、少なくとも19回噴火している。1965年から79年にかけ、火口には活発な溶岩湖があった。2010年現在、最も近い噴火は2003年のもので、その際は上空4600mまで噴煙が上がった。

 


外務省:ニカラグア共和国
在ニカラグア日本国大使館


パンアメリカンハイウェイ
Pan-American Highway、は、南北アメリカ大陸の国々を結ぶ幹線道路網である。パンアメリカンハイウェイの整備構想が最初に提唱されたのは、1923年チリのサンティアゴで開催された第5回米州国際会議である。


エステリ
(Esteli)はニカラグアのエステリ県に属する都市である。北部ニカラグアではマタガルパについで2番目に大きい都市である。首都のマナグアからパンアメリカンハイウェイで150km北に位置する。

グラナダ
(Granada)は、ニカラグア共和国西部グラナダ県の都市で、同州の州都。人口は約11万人でニカラグア4番目に大きい都市である。グラナダはニカラグアの歴史上、政治的、経済的に最も重要な街である。ニカラグア湖の北西岸に位置し、1524年12月8日、フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバによって創設された。街にはスペイン植民地時代の面影が残っている。

マタガルパ
Matagalpaは、ニカラグアの都市で、マタガルパ県の県都。2005年の国勢調査時点で人口が10万9100人と、同国のなかで5番目に多い。首都マナグア以外の都市では最も商業が盛んで、「北の真珠」とか「常春の地」と形容される。古来、マタガルパは先住民の村だった。マタガルパの先住民族は独自の言語を持っていたが、1875年に消失したと考えられている。フィラデルフィアのアメリカ哲学図書館には97文字から成るマタガルパ語の文献が保存されている。


ボアコ県
(Departamento de Boaco)は、ニカラグア中部の県である。北部にマタガルパ県、西部にマナグア県、グラナダ県、南部にチョンタレス県、東部に南アトランティコ自治地域と接し、南西部に国内最大の湖ニカラグア湖に面している。

カラソ県
(Departamento de Carazo)は、ニカラグア西南部の県である。北部にマナグア県、マサヤ県、南東部にグラナダ県、リバス県と接し、南西部は太平洋を臨む。

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チナンデガ県
(Departamento de Chinandega)は、ニカラグア北西部の県である。南東部にレオン県、北東部にエステリ県、マドリス県、北部に隣国ホンジュラスと接している。

チョンタレス県
Departamento de Chontales)は、ニカラグア中部の県である。北部にボアコ県、東部に南アトランティコ自治地域、南部にリオ・サン・フアン県に接し、南西部は国内最大の湖であるニカラグア湖を臨む。

リバス県
Departamento de Rivas)は、ニカラグア南西部の県である。北西部にグラナダ県、カラソ県、南東部にリオ・サン・フアン県、南部に隣国コスタリカのグアナカステ州と接し、北東部に国内最大の湖ニカラグア湖、南西部に太平洋を臨む。


ニカラグアの会
ニカラグアの会の前身である「名古屋ニカラグアに医療品を送る会」は、1985年、愛知県内の大学生有志によって結成されました。


■国名
公式の英語表記は、Republic of Nicaragua (リパブリック・オブ・ニカラギュア)。通称は、Nicaragua 。国名は現在のニカラグアの地に勢力を保っていた先住民の一つ、ニキラノ族の首長ニカラオがその由来となっているといわれている。

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ニカラグアの国旗
ニカラグアの国旗は、1971年8月27日に制定された旗である。エルサルバドルの国旗やホンジュラスの国旗同様、中米連邦の旗に基づいたデザインである。中央に国章が配置されている。国章には "REPUBLICA DE NICARAGUA" "AMERICA CENTRAL"(中央アメリカ・ニカラグア共和国)と記されている。三角形の中には、中米連邦各国を表す五つの火山と、平和の象徴である虹、自由の象徴である分離独立主義者の帽子がデザインされている。


1.面積:129,541平方キロメートル(北海道と九州を合わせた広さ)
2.人口:約574万人(2009年世界銀行)
3.首都:マナグア
4.民族:混血70%、ヨーロッパ系17%、アフリカ系9%、先住民4%
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック教

1502年 コロンブスにより「発見」
1573年 グアテマラ総督領に編入
1821年 独立宣言
1823年 中米諸州連合結成
1838年 完全独立
1936年 ソモサ将軍政権掌握
1979年 サンディニスタ革命
1984年 大統領選挙
1985年 オルテガ大統領就任
1990年2月 大統領選挙
1990年4月 チャモロ大統領就任
1997年1月 アレマン大統領就任
2002年1月 ボラーニョス大統領就任
2007年1月 オルテガ大統領就任

■主要産業:農牧業(コーヒー、牛肉、落花生、サトウキビ、とうもろこし、米、バナナ)、マキラ製品(保税区で生産された衣類等)
■主要貿易品目(中銀)(1)輸出(2009年) コーヒー、牛肉、エビ、砂糖
(2)輸入(2009年) 中間財、消費財、石油製品


ニカラグア・コルドバ
Nicaraguan cordoba)とは、ニカラグアの通貨。コルドバ・オロ(Cordoba Oro)とも呼ばれる。補助通貨単位はセンターボ。100センターボが1コルドバである。5, 10, 25, 50センターボ硬貨と1,5,10コルドバ硬貨、10,20,50,100,200,500コルドバ紙幣が発行されている。


サンディニスタ革命
サンディニスタとは、正式名称サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)で、アメリカ海兵隊相手に戦い、1934年にアナスタシオ・ソモサ・ガルシアに暗殺された革命家アウグスト・セサル・サンディーノ(A.C.Sandino)にちなむ名称。
この運動はキューバ革命の影響を受けており、1961年にカルロス・フォンセカ(1976年に暗殺された)の指導のもとに、独裁的支配を続けてきたソモサ王朝体制に反対して起こった。ホンジュラス国境地帯のジャングルや山岳地でのゲリラ活動を主としていた。

コントラ戦争
ニカラグアで1979年から1989年の10年間、サンディニスタ革命政権の政府軍とアメリカ合衆国が組織した反革命傭兵軍コントラが戦った内戦である。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)政権は、1936年から1979年にかけての43年間続いたアメリカ合衆国に協力的なソモサ親子2代3人の独裁政権(一般にソモサ王朝と呼ばれる)を武力闘争で打倒した政権である。FSLNをソ連が支援し、コントラをアメリカが支援したために、冷戦時代における米ソ代理戦争の場となった。

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コントラ
(contra)は、中米ニカラグアの親米反政府民兵(ミリシア)の通称である。contraは「 - に対する」という意味のスペイン語の接頭辞であり、英語の counter に当たる。この言葉が有名になったのは、1979年のサンディニスタ革命政権の成立を危惧し、当時のアメリカ合衆国のレーガン共和党政権の資金提供によって活動した反政府民兵(事実上の傭兵)による。

ソモサ
(Somoza)は、ニカラグアの政権を支配してきた一族。アメリカの武力干渉下に創設された国家警備隊を背景に3代に渡る親米政権を樹立し、独裁を続ける。親子で計43年にも及んだ支配はソモサ王朝と呼ばれた。ニカラグアの国内総生産の約半分をソモサ一家の系列企業などで独占していたといわれ、アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの暗殺後、長男ルイス・ソモサ・デバイレと次男アナスタシオ・ソモサ・デバイレが相次いで大統領となったが、1979年のニカラグア革命で倒された。


共和制
republic)は、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体。一般には、政府の大半の意思決定が元首の裁量によってではなく、成立した法を参照して行われる体制のこと。このため現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多く、現代の一般的な定義では「共和制とは君主ではない元首を持っている政体」である。


■移民
19世紀から20世紀にかけてニカラグアにはヨーロッパから移民が流入した。ドイツ人、イタリア人、スペイン人、フランス人、ベルギー人移民などがヒノテガやエステリなどの太平洋側諸県に流入し、その地でコーヒーや砂糖、出版に携わった。その他にも中東からシリア人、レバノン人、パレスチナ人(パレスチナ系ニカラグア人)、ユダヤ人が流入し、東アジアからも中国人(華人)や台湾人、日本人の移民もあった。


■ニカラグア大統領選挙
2011/11/08  6日投票された大統領選は現職の反米左派サンディニスタ民族解放戦線のダニエル・オルテガ氏が再選される見通し。


■経済
労働人口の40%以上が第一次産業に従事しており、主要産業はコーヒー、バナナ、サトウキビ、牛肉、葉巻など。北部山岳地帯のマタガルパ県、ヒノテガ県でコーヒー栽培が盛んである。近年は日本にも豆の輸出があるものの、コスタリカ産、グアテマラ産のそれには及ばない。北西部ではサトウキビの栽培やエビの養殖が行われている。嗜好品であるが、ニカラグア産の葉巻とラム酒"Flor de Can-a"はキューバ産の物に劣らない程の高級品である。


コーヒー
コーヒー豆(コーヒーノキの種子)を焙煎し挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料。世界で最も多くの国で飲用されている嗜好飲料であり、家庭や飲食店、職場などで飲用され、またコーヒーの専門ショップも多数存在する。コーヒーがいつ頃から人間に利用されていたかは、はっきりしていない。果実の赤い果肉は甘く食べられるため、種子の効用を知る機会も多かったと考えれば、有史以前から野生種が利用されていても不思議ではない。

バナナ
(甘蕉、実芭蕉、学名 Musa spp. )はバショウ科バショウ属のうち、果実を食用とする品種群の総称。また、その果実のこと。いくつかの原種から育種された多年草。種によっては熟すまで毒を持つものもある。アジアやラテンアメリカの熱帯域で大規模に栽培されているほか、東アフリカや中央アフリカでは主食として小規模ながら広く栽培が行われている。

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葉巻きタバコ
タバコの形態の一種。単に「葉巻」と呼称されることが一般的である。同時に近年は「シガー」と呼ばれることも多くなっている。葉巻タバコはタバコの葉を筒状に巻いたものである。タバコの加工技術としては最古の部類に入る。通常のプレミアムシガーと呼ばれる葉巻は、刻みタバコのように細断された葉は使用されず、細断されていない数枚のタバコ葉を、糊のみを用い職人(トルセドール)の手によって特別な巻き方によって巻かれたものである。

ラム酒
rum)とは、サトウキビを原料として作られる、西インド諸島原産の蒸留酒。サトウキビに含まれる糖を醗酵・蒸留して作られる。スペイン語ではロン (ron) と呼ぶ。また、ブラジルのピンガ、日本の黒糖焼酎など、同じサトウキビを原料とする同類系統の蒸留酒が他にも存在することでも知られる。発祥はバルバドス島とされる。島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、イギリス人が rumbullion (デボンシャー方言で「興奮」の意)と表現したのが名の由来だとされる。

牛肉
ビーフ(英: Beef アメリカではBeefはVeal,仔牛肉とは別の概念である[1])ともいう。ウシは、ほぼすべての部位の肉を食べることが可能とされている(ただし近年では、健康なウシの場合は問題がないものの、一部にBSE問題に鑑みて食用とし難い危険部位が存在する)。加熱して食すほか、ステーキでは熱で蛋白質が変質しきらない状態で食べるレアやミディアムなどの焼き加減があり、刺身として生食する場合もある。

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カカオ
Theobroma cacao)は、アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではアオギリ科)の常緑樹である。カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。原産地である熱帯アメリカでは紀元前1900年ころから利用され、やがて栽培食物とされていた事が、グアテマラのリオ・アスール遺跡など、マヤ文明、アステカ遺跡の土器、壁画、石碑から判っている。

サトウキビ
(砂糖黍、学名:Saccharum officinarum)は、イネ科サトウキビ属の植物。別名、カンショ(甘蔗)。ちなみにこれは慣用読みで、本来はカンシャ。テンサイと並んで砂糖(蔗糖)の原料となる農作物。栽培種の起源はニューギニア島とその近くの島々と言われ、世界各地の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培される。


プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。この「安価な労働力」は、かつては植民地の原住民あるいは奴隷であり、現在は発展途上国の農民であったり、土地自体が先住民から奪われて経営者に売られていたりなどするため、労働者の人権が問題とされることがある。


■観光
ニカラグアの観光産業は近年急速に発展している。ニカラグアにはメキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ベリーズのようなマヤ文明の遺跡は存在しないが、代表的な観光地としてはマナグア、レオン、グラナダ、オメテペ島、サン・フアン・デル・スール、コーン諸島などが挙げられ、近年はエコツアーも発展している。首都マナグアのルベン・ダリオ劇場、文化宮殿、サンディーノのトタンで出来た黒い像などが観光名所として有名であり、毎年4月にカルナバルが行われる。

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■音楽
パロ・デ・マーヨなどのフォルクローレがあり、民俗音楽においてはアフリカ伝来のマリンバが用いられる。カリブ海側にはガリフナ族のコミュニティもあり、彼等の音楽はプンタと呼ばれている。ニューヨーク生まれのサルサも人気である。著名な音楽家としては、フォルクローレのカルロス・メヒア・ゴドイ、ルイス・エンリケ・メヒア・ゴドイのゴドイ兄弟が、ニカラグアにおけるヌエバ・カンシオンの担い手として挙げられ、また、サルサにおいてはマイアミで活躍するルイス・エンリケ・メヒア・ロペスが挙げられる。


フォルクローレ
(folclore) は、英語のfolkloreがスペイン語化したもので、言葉本来の意味としては、音楽のみならず民俗学、民俗的な伝承一般を指すが、日本では、ラテンアメリカ諸国の民族音楽、あるいは民族音楽に基礎をおいた大衆音楽を特に指して、このように呼ぶ。民俗学一般を指す言葉としては、綴りは同じだが英語読みのフォークロアが使われる。

マリンバ
(Marimba) は、鍵盤打楽器の一種。ピアノと同様の配列をした木製(ローズウッド/Rosewoodやパドック/Padauk)の鍵盤をマレットと呼ばれる枹・ばちでたたいて演奏する。同じ木琴の一種であるシロフォンと同様の構造であるが、シロフォンよりも鍵盤が広く厚く造られており、深みのある音色を表現できる。

ヌエバ・カンシオン
「新しい歌」を意味するスペイン語である。キューバなどでは、ヌエバ・トローバ(Nueva trova)とも呼ばれる(意味は同じ)。字義通りの新しい歌という意味ではなく、音楽を通した社会変革運動として、1960年代以降ラテンアメリカ各地で大きく盛り上がり、特にアジェンデ政権のチリ、革命後のキューバ、アルゼンチン、メキシコなどでは優れた音楽家を輩出した。

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■文学
ニカラグア文学においては詩が大きな存在感を持ち、決して欠かせない存在として、19世紀のラテンアメリカ文学全体に大きな影響を与えたモデルニスモを代表する大詩人にして、スペイン語圏最高峰の詩人として知られるルベン・ダリオが挙げられる。その他の詩人としては、フランシスコ・キニョネス・スンジン、パブロ・アントニオ・クアドラ、エルネスト・カルデナルなどが、小説家としてはセルヒオ・ラミレスが挙げられる。


アレクシス・アルゲリョ
1952年4月19日 - 2009年7月1日は、ニカラグアのプロボクサー。マナグア出身。身長178cm。ニカラグア初の世界王者となった。1974年から1981年までに3階級制覇を果たした。華麗なテクニック、端正な容姿から、リングの貴公子、またその痩身長躯に似合わぬ強打から“破壊的な痩せっぽち”とも呼ばれた。1979年に母国ニカラグアがサンディニスタ革命によって共産化すると、アルグエーリョはそれまでの防衛戦で稼いだファイトマネーを没収されたために、米国に亡命せざるを得なかった。にもかかわらず、以降もボクサーとして素晴らしい成績を残したことは、彼の精神力が並々ならぬものであったことの証左である。

デニス・マルティネス
1955年5月14日 - はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。右投右打。ニカラグア・グラナダ県出身。ニックネームは「El Presidente 」(The President=大統領)。23シーズンにわたってプレイし、通算245勝(193敗)、2,149奪三振を記録。

ホセ・アルファロ
ホセ・アルベルト・アルファロ・ガッソ1983年11月22日 - は、ニカラグアのプロボクサー。元WBA世界ライト級王者。2004年2月28日、祖国ニカラグアで初回KO勝利でプロデビューを飾る。2006年5月12日、空位のWBAフェデカリブスーパーライト級王座決定戦に出場するが、10回判定で敗れる。10月6日には空位のWBAフェデセントロライト級王座決定戦に出場するがまたしても判定で敗れる。その後、ニカラグアでノンタイトル戦をいくつか行い、それらをKO勝利で飾る。

ルイス・アルベルト・ペレス
1978年4月6日 - は、ニカラグアのプロボクサー。元IBF世界バンタム級およびスーパーフライ級チャンピオンの2階級制覇チャンピオン。サウスポーの突進力のある連打型のボクサーである。1996年11月2日に母国ニカラグアでプロデビューする。国内では連戦連勝で2000年3月11日に無敗のままWBA中米スーパーフライ級タイトルを獲得する。しかし同年9月7日に初めて母国を出てアメリカ合衆国でWBOインターコンチネンタルタイトルに挑戦するが、12回判定負けを喫する。

ダニエル・オルテガ
1945年11月11日 -は、ニカラグアの政治家。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の指導者。1985年から1990年までニカラグアの大統領。2006年11月のニカラグア大統領選挙に勝利し、16年ぶりに大統領に再選、2007年1月に就任している。ラ・リベルタ市出身。法学専攻で中米大学を卒業。アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの統治時代の政権打倒に賛成し、革命学生戦線の一員となる。

エンリケ・ボラーニョス
1928年5月13日-は、ニカラグアの政治家。同国大統領(第47代)などを歴任。アルノルド・アレマンの後任として、2002年に旧アナスタシオ・ソモサ・デバイレの流れを継ぎ、アレマンと自由同盟(AL)の影響の強い立憲自由党(PLC)からサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のダニエル・オルテガを破って大統領に就任した。

ビオレタ・チャモロ
Violeta Barrios de Chamorro, 1929年10月18日 - は、ニカラグアの政治家。反体制派新聞『ラ・プレンサ』の社主だった夫ペドロ・チャモーロを、1978年にソモサ政権に暗殺された後、政治家となった。1990年から1997年までニカラグアの大統領を努めた。1990年の総選挙でサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のダニエル・オルテガに10ポイントの差で圧勝し、同国初の女性大統領となった。

エデン・パストラ
1937年1月22日 - は、ニカラグアの政治家。2006年のニカラグア大統領選挙に出馬して第五位の得票を収めて落選した。ソモサ王朝時代に独裁体制に反抗してサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)に入党し、ゲリラ戦士として行動した。1978年8月22日、首都マナグアの国家宮殿(Palacio Nacional)襲撃事件を指揮した。政府閣僚や国会議員、アナスタシオ・ソモサ・デバイレの甥などおよそ500人を捕虜にして仲間の解放と身代金を要求し、60人近いサンディニスタの政治犯は釈放され、国民への再会を約束してキューバに亡命した。 この事件は国民に熱狂的な支持を受け、彼は以降「ゼロ司令官」(Comandante Cero)と呼ばれるようになる。これはサンディニスタ革命に直接繋がった。

ルイス・ソモサ・デバイレ
(Luis Somoza Debayle、1922年11月18日 - 1963年4月13日)は、ニカラグアの政治家。ニカラグア大統領(1956年 - 1963年)。独裁者アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの長男。アメリカ合衆国で教育を受け帰国後、議会に入り上院議長になった。1956年に父親が暗殺されると後任として大統領に就任。アメリカ合衆国の意向を受け、父のように国家警備隊の実力に頼った政権運営ではなく、メキシコの制度的革命党(PRI)による一党制のように、一見、国家主義自由党(PLN)によって民主的な政治をおこなっているように見せかけながらソモサ一族による支配を存続させた。

デビッド・グリーン
(David Alejandro Green, 1960年12月4日 - )はニカラグア共和国マナグア出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。メジャーでは俊足巧打の選手として活躍。1982年にはワールドシリーズにも出場している。

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