human
Believe All Right Sensibility
↓ページの最後へ

エルサルバドル共和国
Republic of El Salvador
<中南米>

北中アメリカ

■地理
エル・サルバドルは中央アメリカに位置し、国土面積は21,040km2と 四国(18803.87km2)よりやや大きい程度であり、これは米州大陸部全体で最も小さい。また、中央アメリカで唯一太平洋のみに面する国家である。グアテマラと203 km、ホンジュラスと342kmに渡って国境を接し、中米で唯一カリブ海に面していない国である。エルサルバドルの国土の約10%が森林地帯となっているが、内80%が植林により再生したものであり、自然林はほとんど残っていない。

■山
エルサルバドルには20以上の火山があり、代表的な火山としては特にイサルコ火山(1,910m)が挙げられる。その他にはサンタ・アナ火山(2,286m)などがある。国内最高峰はエル・ピタル山(2,730m)である。

太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。太平洋は地球表面のおよそ3分の1を占め、その面積はおよそ1億7970万平方キロメートルである。これは地球の陸地よりも広く、地球の陸地の総面積にもう一度アフリカ大陸を足してもまだ余る程である。また、日本列島のおよそ473倍の面積である。


エル・ピタル山
Cerro El Pital)は、エルサルバドルとホンジュラスとの国境にある中央アメリカの山である。標高2,730 m。エルサルバドル国内の最高標高地点である。ラ・パルマ(英語版)の町から12 kmの位置にある。エル・ピタル山は雲霧林に覆われ年間平均気温は10 ℃である[2]。エル・ピタル山は、動植物の多くの絶滅危惧種を含む幅広い高度に生息する優れた生物多様性をもった、エルサルバドルで観光客が引き付けられる最も人気のある場所の1つである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エル・ピタル山

中央アメリカ
Central America)は、アメリカ州を、北・中・南に分類した場合の北アメリカと南アメリカをつなぐ地峡部でグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7ヶ国からなる地域である。地理的にはメキシコのテワンテペック地峡からパナマ地峡までである。この場合はメキシコの南部諸州が中央アメリカへ含まれ、パナマの南部が中央アメリカに含まれないことになる。

カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。「カリブ」の名称は、コロンブスの北米大陸到達をさかのぼること約100年の昔より小アンティル諸島から南アメリカにかけて先住していたカリブ族の名に由来する。


<歴史>
■先コロンブス期
紀元前にこの地には、モンゴロイド系の先住民、すなわち今日で言う所のインディヘナ(インディオ)が暮らしていた。先古典期中期には、オルメカ文明の影響を受け、チャルチュアパなどに祭祀センターが築かれた。1世紀にイロパンゴ火山の噴火にともない、先住民はグアテマラのペテン低地など低地マヤ地域に避難したと考えられている。

■スペイン植民地時代
1524年にスペイン人エルナン・コルテスの部下ペドロ・デ・アルバラードがこの地を征服しようとした。インディヘナは一度スペイン人を打ち負かし、グアテマラに撤退させるが、1525年に再びやってきたアルバラードの攻撃により、ベルムーダ市はサンサルバドル(聖救世主)市と改称された。

■独立と中央アメリカ連邦の崩壊
19世紀前半にはインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まった。1789年のフランス革命以来のヨーロッパの政治的混乱の中、ナポレオン戦争により1808年からスペイン本国でナポレオン支配に対するスペイン独立戦争が勃発した。

■1821年
1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に他の中央アメリカ諸国と共に併合されるが、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴い旧グアテマラ総督領の五州は中央アメリカ連合州として独立し、1824年には中央アメリカ連邦に加盟した。

■独裁と不安定
1907年からメレンデス一族の独裁が始まると、20世紀には一時安定したが、世界恐慌で主要産業のコーヒーが打撃を受け世情は不安定となった。経済危機の混乱のなか、1931年にマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスがクーデターでメレンデス一族から政権を掌握し、専制体制を敷いた。その間激しい言論弾圧が行われ、ラ・マタンサの虐殺により、反独裁運動を始めようとしていたファラブンド・マルティをはじめとする共産党員や、西部のマヤ系ピピル族などおよそ3万人が虐殺された。

pagetop

■1969年
「サン・サルバドル憲章」以後も国境紛争や農業移民や経済摩擦など多くの問題を抱えて不和だったホンジュラスとサッカーの試合を原因にサッカー戦争が勃発した。

■サッカー戦争以降
1979年にニカラグアでサンディニスタ革命が起きるのと時期を同じくしてロメロ政権が軍事クーデターで倒され、革命評議会による暫定政府が発足した。しかし、極右勢力のテロは続き、1980年にはオスカル・ロメロ神父をはじめとする聖職者までもが次々と殺害されていく状況に耐えられなくなった左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、エルサルバドル内戦が勃発した。

■1989年
クリスティアーニが大統領に選出されたが内戦は収まらなかった。1992年にようやく国際連合の仲介で和平が実現し1000人からなるPKO(国際連合エルサルバドル監視団 ONUSAL)の派遣が決定実施され、75,000人にも及ぶ死者を出したエルサルバドル内戦は終結した。

■2009年
大統領選挙で野党FMLNのマウリシオ・フネスが勝利し、20年間続けてきた新自由主義路線の与党ARENAからの初の政権奪取を実現し、左傾化が進むラテンアメリカ諸国に新たな左派政権が誕生した。


ナワトル語
かつてアステカ人や周辺のインディオが使っていたユト・アステカ語族に属する言語で、今はメキシコなどで話されている。ナワトル語は北米やメキシコのいわゆるインディアンによって最も広く話されていた言語である。メキシコ固有の言語ではよく見られることだが、ナワトル語の話者の多くは同時に他の言語も操ることができ、実用的なスペイン語の知識を持っていた。かつては、かなりの数のメキシコ外のナワトル語話者はスペイン語以外のメキシコ固有の言語を話していた。こうしたバイリンガルの有名な例はマリンチェである。彼女はマヤ語をナワトル語に翻訳することができた。

オルメカ
Olmecaとは、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化、文明である。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる。オルメカとは、ナワトル語で「ゴムの国の人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸の住民を指した言葉である。巨石や宝石を加工する技術を持ち、ジャガー信仰などの宗教性も有していた。その美術様式や宗教体系は、マヤ文明などの古典期メソアメリカ文明と共通するものがある。

クリオーリョ
スペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す。"criollo" ”crioulo" という単語は "criar"(育てる)という動詞から派生しており、もともとは「現地で育った」あるいは「元来の土地とは異なる場所で生まれ育った」ことを意味する。


言語
公用語はスペイン語であり、先住民を除いてほぼ全ての国民に話されているが、英語教育もなされている。

スペイン語
スペイン語(espanol)もしくはカスティーリャ語(castellano)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。スペイン語は、世界で約4億2千万人の人々によって日常的に話されており、ラテンアメリカ地域における国際共通語である。スペイン語を公用語としている国と地域の数は20以上あり、世界で英語(約80の国・地域)、フランス語(約50の国・地域)、アラビア語(約27の国・地域)に次ぐ4番目に多くの国で使用されている言語である。

pagetop


宗教
宗教は伝統的にローマ・カトリックが主である。70%がローマカトリックであるが、近年急速にプロテスタントが流行しており、様々な宗派のプロテスタント教徒を合わせると既に人口の20%を超える。多くはエバンヘリコと呼ばれる 福音派プロテスタントであり、年々エバンヘリコが増加している。

プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。プロテスタントは主にカトリック教会から分離した教派、さらにそこから分離した教派を指す。正教会をはじめとした東方教会からの分離組を指す事はない(古儀式派などはプロテスタントとは呼ばれない)。


教育
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は80%である。主な高等教育機関としてはエルサルバドル国立大学(1841年)などが挙げられる。


食文化
トウモロコシ文化圏の国であり、ププサと呼ばれる独特の国民料理がある。他にはポヨカンペーロ等のフライドチキンチェーン店が有名である。その他にはトルティージャや、タコス、タマレスなどの料理が食されている。

トウモロコシ
学名 Zea mays)は、イネ科の一年生植物。穀物として人間の食料や家畜の飼料となるほか、デンプン(コーンスターチ)や油、バイオエタノールの原料としても重要で、年間世界生産量は2009年に8億1700万トンに達する。世界三大穀物の一つ。紀元前5000年ごろまでには大規模に栽培されるようになり、南北アメリカ大陸の主要農産物となっていた(ただし、キャッサバを主食としたアマゾンを除く)。新大陸においてはアマランサスやキノアなどの雑穀を除くと唯一の主穀たりうる穀物であり、マヤ文明やアステカ文明においてもトウモロコシが大規模に栽培され、両文明の根幹を成していた。


マヤ地域
メキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラ、ホンジュラス西端部(モタグァ川流域)、エルサルバドル西端部を指す。主として南部地域(チャパス州、グアテマラ高地、太平洋岸)、中部地域(グアテマラ・ペテン低地など)、北部地域(ユカタン半島北部)に分けられる。


■南部
4000mを超える山々がそびえる高度1000〜2000mの高地から太平洋岸までの地域である。高地の気候は温暖であり、海岸地方へ向かうにつれて高度差のために急激に暑くなる。この地域は無数の河川が太平洋に注ぎ、土地は肥沃である。

■中部
中部地域は、グアテマラ・ペテン低地、チャパス州北部の一部、タバスコ州の低地、ホンジュラス西端部(モタグァ川流域)を含む地域で、高温多湿で降水量が多い熱帯雨林のジャングル地帯が広がる。

■北部
北部地域は、降雨量の少ない乾燥した気候であるうえ、石灰岩地盤の広がるこの地域では地上に水が残ることが少なく、川がほとんどない。そのため、セノーテと呼ばれる泉がほとんど唯一の水源となっている。

pagetop


<世界遺産>
■ホヤ・デ・セレン遺跡

オスカル・ロメロ
1917年8月15日 - 1980年3月24日はエルサルバドルのカトリック司祭、サンサルバドル教区大司教。ロメロ大司教は多数の人権侵害を証言し、貧困層の人々の側に立ち、エルサルバドル内戦の犠牲者を代表して世界に訴える務めを担うことを選んだ。しかし、彼の取組みは政治的行動主義であるとしてカトリック教会の上層部とエルサルバドル政府から非難を受けることになった。1980年ロメロ大司教はミサの司式の最中に狙撃を受けて暗殺された。彼の死はエルサルバドルにおける人権改革を求める国際的な抗議の声を呼び起こすことになった。

■コンスエロ
『星の王子さま』の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの妻であり、若い頃はメキシコの初代文部大臣ホセ・バスコンセロスとも親交があった。『星の王子さま』に出てくる風景は、エル・サルバドルの風景をモチーフにしたものもあるといわれている。

ラファエル・カレーラ
Jose Rafael Carrera Turcios,1814年10月24日 - 1865年4月14日は、グアテマラの政治家、軍人。中米連邦の自由主義派に反発したグアテマラの教会、保守派、農民のリーダーとなりフランシスコ・モラサンの率いるエル・サルバドル派と戦い1838年に勝利した。その間に独裁体制を築き1839年に独立国となったグアテマラの初代大統領に就任し強力な保守統治を行った。1854年には終身大統領になったが、インディヘナに対しては共有地の保護などの優れた政策を行った。また、1856年のウィリアム・ウォーカーとの戦争の際には他国と同調して中米連合軍の一員に加えた。1865年に病死し以後、グアテマラでの保守派の支配が終焉にむかった。

アグスティン・ファラブンド・マルティ
Agustin Farabundo Marti, 1893年5月5日 - 1932年2月1日は、エル・サルバドルの革命家。大地主層出身だが、エルサルバドル大学の学生時代に左翼の活動を開始し、1920年代頃から諸外国を行き来した。また、ニカラグアのアウグスト・セサル・サンディーノが率いるニカラグア民族主権防衛軍に参加してアメリカ海兵隊と戦ったが、サンディーノが民族主義者であることに気付き、意見の相違により袂を分かつと帰国した。帰国後にはエルサルバドル共産党を設立した。1932年、先住民の農民たちを指導して、独裁者マクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスに対する蜂起を企てていたところを治安機関に察知され、逮捕された。

アントニオ・サカ
エリアス・アントニオ・サカ・ゴンサレス(Elias Antonio Saca Gonzalez、1965年3月9日 - )は、エルサルバドルの政治家。大統領を務めた。所属政党は民族主義共和同盟(ARENA)。エルサルバドル第四の都市ウスルタン(Usulutá 遘生まれ。パレスチナ系。2004年3月21日、選挙によって大統領に選ばれ、6月1日に大統領に就任。2005年6月にはバチカンを訪問し、ローマ教皇ベネディクト16世と会談。

クルス・エルナンデス
(Cruz Hernandez Rivas、1878年5月3日 - 2007年3月8日)は、世界最高齢の128歳とされていたエルサルバドルの長寿の女性。エルサルバドルのサンアグスティンに住んでいた。13人の子、60人の孫、80人の曾孫、25人の玄孫に恵まれた。100歳まで現役の助産師だった。2005年にエルサルバドル政府が行った国民出生記録の調査の結果、確かめられたとして、2006年3月に彼女が世界最高齢であると主張された。

フェルナンド・ジョルト
(Fernando Llort、1949年4月7日 - )は、エルサルバドルの画家。原色を用いた抽象画を手掛け、神・自然・人の調和をモチーフとした作品を多く発表している。ラ・パルマに「セミジャ・デ・ディオス」を設立した。小物や生活用品に絵を施した民芸品を作るコミュニティを築き、その作成手法を一般庶民へ広めるなどの文化活動を行っている。

ヨン・ソブリノ
(Jon Sobrino S.J.はイエズス会士の意。1938年12月27日 - )はスペイン出身のバスク系のイエズス会のカトリック司祭、解放の神学に貢献した神学者の1人。ソブリノのキリスト教観において特徴的であるのは、初期の教会会議の文書を「限界があり危険」とし、イエズスの神性の教義は後に発達したとみる点である。このような教えは2007年3月、カトリック教理省から「誤りまたは危険であり、信仰者にとって有害」とされ、世界の注目を集めた。

pagetop

マヒコ・ゴンサレス
(Magico Gonzalez)1958年3月13日 - )はエルサルバドルの同国代表元サッカー選手。エルサルバドル、サンサルバドル出身。ポジションは攻撃的ミッドフィルーダー及びフォワード。

ハイメ・アルベルト・ロドリゲス
(Jaime Alberto Rodriguez "Chelona", 1960年1月17日 - )は、エルサルバドル出身の元サッカー選手。ポジションはDF(リベロ)。16歳でアリアンサFCとプロ契約、以来ドイツ、メキシコ、フィンランドの海外のクラブを渡り歩いた。1982年にエルサルバドル代表に選出され、同年のワールドカップ・スペイン大会を始め1990年までに50試合に出場した。

エルサルバドル El Salvador
中央アメリカ中部に位置するラテンアメリカの共和制国家である。北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南と西は太平洋に面している。首都はサンサルバドル。カリブ海諸国以外の米州大陸部全体で最小の国家であるが、伝統的に国土の開発が進んでいたこともあって、人口密度では米州最高である。
紀元前にこの地には、モンゴロイド系の先住民、すなわち今日で言う所のインディヘナ(インディオ)が暮らしていた。先古典期中期には、オルメカ文明の影響を受け、チャルチュアパなどに祭祀センターが築かれた。1世紀にイロパンゴ火山の噴火にともない、先住民はグアテマラのペテン低地など低地マヤ地域に避難したと考えられている。

サンサルバドル
San Salvadorは、エルサルバドル中部のサン・サルバドール県にある市。エルサルバドルの首都で最大の都市。中米有数の世界都市である。スペイン語で聖救世主を意味する。エルサルバドルの人口の3分の1が集中している。そのため国富の半分が集中し、エルサルバドルの経済の中心となっている。市中心部には多くの高層ビルが立ち並ぶが、先コロンブス期の歴史的建造物は地震やスペインの征服者ペドロ・デ・アルバラード (Pedro de Alvarado) による破壊のため、現在ではほとんど残されていない。

サンミゲル
San Miguelは、エルサルバドルの都市であり、サンミゲル県の県都である。同国で3番目に人口が多く、1998年現在、227,170人である。町の近郊にサンミゲル火山(2,129m)が聳え立つ。フランシスコ・ガビディア国立劇場(エルサルバドル東部に存在する唯一の本格的劇場)

サンタ・アナ
Santa Anaは、エルサルバドルの都市である。同国では、首都のサンサルバドルに次いで大きな都市であり、人口は約250,000人である。サンサルバドルからは64km西、グアテマラ国境からも程近い場所にある。多くのスペイン植民地時代のコロニアル建築物が存在する。サンタアナ聖堂、サンタアナ市庁舎、サンタアナ劇場

アワチャパン県
Ahuachapan)は、エルサルバドルの西部に位置する県。1869年に設立された。県都はアワチャパンである。面積は1240平方キロで国内14県のなかでは8位。人口は2006年の時点で37万7141人で7位となっている。南側にはアペンカ=イラマテペック山地とアパネカ大丘陵がそびえる。

pagetop


エルサルバドル国際空港
Aeropuerto Internacional de El Salvadorとは、エルサルバドル共和国の首都サンサルバドルにある国際空港。 一般にはコマラパ国際空港(Aeropuerto Internacional de Comalapa)として知られている。首都サンサルバドルから50キロメートルほど離れた所にある。


外務省:エルサルバドル共和国
在エルサルバドル日本国大使館


パンアメリカンハイウェイ
Pan-American Highwayは、南北アメリカ大陸の国々を結ぶ幹線道路網である。パンアメリカンハイウェイの整備構想が最初に提唱されたのは、1923年チリのサンティアゴで開催された第5回米州国際会議である。北米大陸西岸から中西部を通ってメキシコから中米に抜け(ただし後述のように、一部道路が分断されている地点がある)、南米大陸の西岸を通りチリのサンチアゴから東へとルートを変えてアンデス山脈を横断し、ブエノスアイレス、さらにはそこから南下して大陸南端のティエラ・デル・フエゴ(Tierra del Fuego)に至るコースである。


ファラブンド・マルティ民族解放戦線
Frente Farabundo Marti de Liberacion Nacionalはエルサルバドルの左翼ゲリラ組織。現在は左派政党。1980年10月10日、反米・反極右政権の左翼ゲリラ連合体として結成。ソビエト、キューバ、ニカラグアの共産圏の軍事支援を受け、エルサルバドルの共産化を目指した。1991年にソ連が崩壊し、友好国からの援助が激減し、これ以上の戦闘が不可能になると、1992年には内戦を終結させ、議会主義路線の合法政党として選挙に参加、2009年大統領選挙で同党候補のマウリシオ・フネスが勝利したことで、2009年6月1日初めて政権に就いた。

pagetop


国際連合エルサルバドル監視団
United Nations Observer Mission in El Salvador,ONUSALは国際連合平和維持活動(PKO)の一。1991年5月20日の国際連合安全保障理事会決議693に基づき設立された。エルサルバドルにおける人権状況の監視と和平合意および武装解除の遂行状況監視、さらには司法・社会制度および警察機構の改革支援を行なっている。


■国名
公式の英語表記は、Republic of El Salvador 通称、El Salvador。エルナン・コルテスの部下として1524年にやってきたペドロ・デ・アルバラードによって「救世主」を意味するエルサルバドルと名付けられた。


1.面積:21,040平方キロメートル(九州の約半分)
2.人口:約619万人(2010年、世銀)
3.首都:サンサルバドル
4.民族:スペイン系白人と先住民の混血約84%、先住民約5.6%、ヨーロッパ系約10%
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック教

1525年 スペイン人がサンサルバドル市を建設後、グアテマラ総督領に編入
1821年 独立宣言
1823年 中米諸州連合結成
1841年 同連合から分離独立
1962年 国民協議党政権成立
1979年 クーデターにより革命評議会発足
1989年 クリスティアーニ大統領(ARENA)就任
1992年 政府とゲリラの間で和平合意調印、内戦終結
1994年 カルデロン大統領(ARENA)就任
1999年 フローレス大統領(ARENA)就任
2001年 1月及び2月に大地震が発生、死者1,259人、被災者150万人
2004年 サカ大統領(ARENA)就任
2009年 フネス大統領(FMLN)就任

■主要産業
:マキラ製品(保税区で生産された衣類等)、農業(コーヒー、砂糖等)
8.主要貿易品目(1)輸出 繊維製品、コーヒー、エチルアルコール(2)輸入 原料・中間財(石油・肥料)、消費財、資本財(輸送機器)

pagetop


アメリカ合衆国ドル
United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式の通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されているほか、その信頼性から、国際決済通貨や基軸通貨として世界で最も多く利用されている通貨である。


中米統合機構
Central American Integration System)は中央アメリカ諸国の政府間組織で、中米機構 (ODECA) を継承するかたちでテグシガルパ議定書により設立され、域内の経済統合を目的としている。スペイン語を組織の公用語としている。


■政治
政体は大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属する。大統領の任期は5年。普通選挙で過半数の得票により選ばれる。大統領は政府首班と国家元首を兼ねる。立法権は一院制の議会に属しており、議員定数は84人、議員任期は3年である。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1983年憲法である。

サッカー戦争
Guerra del Futbol、1969年とは、サッカーの試合での遺恨がきっかけとなって、エルサルバドルとホンジュラスとの間で勃発した戦争である。100時間戦争やエルサルバドル・ホンジュラス戦争とも呼ばれる。レシプロ戦闘機同士の空中戦や撃墜が起こった最後の戦争としても知られている。1970年に開催予定であったFIFAワールドカップ・メキシコ大会の出場権を巡り、1969年6月8日、ホンジュラスの首都テグシガルパにおいて、ホンジュラス対エルサルバドルの予選1回戦が執り行われた。結果は1対0でホンジュラスが勝利する。このとき、熱狂的なサッカーファンであったエルサルバドルの18歳の女性がピストル自殺してしまう。彼女の葬儀にはエルサルバドルの代表選手や大統領などもかけつけるなど、一大イベント化し、国の威信をかけた6月15日、エルサルバドルの首都サンサルバドルで行われた2回戦でエルサルバドルは3対0で勝利し、最終戦に望みをつなぐ。6月27日の最終戦でエルサルバドルは延長の末3対2で勝利する。試合直前、エルサルバドルは外交関係断絶を臭わせ、ホンジュラスを脅迫したが、試合に負けたホンジュラス側が断交を持って応じ、両国の関係は最悪の状況となった。


■経済
CIAワールドファクトブックによると、エル・サルバドルはパナマ、コスタリカに続いて中米地域で三番目に経済規模の大きい国家であり、一人当たりのGDPは4900USドルに達するが、それでもこの国は発展途上国であり、多くの社会問題を抱え、ラテン・アメリカ全体でも上位十番以内に入る貧しい国である。約240万人が貧困層である。


■国民
エル・サルバドルは570万人の人口を擁し、住民の90%を メスティーソが占める。白人が9%であり、白人のほとんどはスペイン系であるが、少ないながらもフランス系やドイツ系、スイス系、イタリア系の家系もある。

メスティーソ
Mestizo、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々。中南米のほとんどの地域では16世紀のスペイン侵略以降、混血が進んだ。初期にはスペインから来る女性はほとんどいなかったので、スペイン人男性とインディオ女性の結婚は普通のことであった。南米では、エクアドル・ペルー・ボリビアのアンデスの国々では比較的インディオの特徴が強い。これは、スペイン侵略までインカ帝国という強大な国家があり、もともと人口が多かったこと、スペイン人が植民化以前の支配機構をそのまま利用し、その上に乗っかる形で支配したため、長くインディオ社会がそのままの自立性を保っていたことによる。


プリメーラ・ディビシオン
Primera Division de El Salvador)は、エルサルバドルの最上位のサッカーリーグである。1969年設立。ラ・リーガ・マジョール(La Liga Mayor)、ラ・プリメーラ(La Primera)とも呼ばれている。現在10のクラブで構成されている。

pagetop


文学
著名な詩人としてはクラウディア・ラルスが挙げられる。フランシスコ・アントニオ・ガビディアはニカラグア出身のモデルニスモ文学の大詩人ルベン・ダリオの師として有名である。

収奪された大地 ラテンアメリカ五百年
ペイン語:Las venas abiertas de América Latina、原語を直訳すれば 『ラテンアメリカの切り開かれた血脈』となる)は、ウルグアイのジャーナリスト、エドゥアルド・ガレアーノによって1971年に出版されたルポルタージュである。『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』はウルグアイのエドゥアルド・ガレアーノによって1971年に書かれた。この間にガレアーノはジャーナリストとして、本の製作者として、モンテビデオ大学の出版局で働いていた。ガレアーノは「必要な情報の調査と収集に4年を費やし、90夜かけてこの本を書いた」と述べている。1970年代以来、この本はラテンアメリカ全地域の学生、青年の必読書となっている。

サルバドル/遥かなる日々
Salvador)は、1986年制作のアメリカ合衆国の映画。オリバー・ストーン監督。米国人フォト・ジャーナリストのリチャード・ボイルが、エルサルバドル内戦を取材した際の自らの実体験を描いた小説の映画化である。


死の部隊
death squads,は、主に第三世界の各国、特にラテン・アメリカで行われていた(もしくは現在も続けられていると見られる)、冷戦期には反共主義、近年では反テロなどを名目とした市民に対する暗殺作戦を実行する白色テログループの総称である。エルサルバドル軍は国内で汚い戦争を行っていたアルゼンチン軍の指導の下に対ゲリラ戦を学んだ。1973年以降、極右によるテロの嵐がエルサルバドル国内で吹き荒れた。軍内部の死の部隊はEsquadron de la Muerte(EM,暗殺部隊)と呼ばれ、軍内の極右、保守反動派、退役軍人、予備役兵、現役警官などからなり、労働組合構成員などをはじめとして学者、医者、弁護士、学生、農民、神父、尼僧、ジャーナリストなど多岐に渡る市民を夜毎暗殺し続けた。


フランシスコ・モラサン
Francisco Morazan、1792年10月3日 - 1842年9月15日は、中米連邦の政治家、軍人、カウディージョである。ホンジュラス出身。1830年から1834年、1835年から1839年まで中米連邦の大統領であり、中央アメリカを列強の従属国にしたくない一心で五州(後にロス・アルトスが加わる)の分離主義を前に、自由派として中米連邦の維持に心を砕き、ラファエル・カレーラを代表するグアテマラの保守派と戦い続けた。1842年にコスタリカ大統領になったものの、中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を計画していたところを同年暗殺された。

マクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス
Maximiliano Hernandez Martinez 1882年10月21日 - 1966年4月15日は、エルサルバドルの軍人、政治家。クーデターで大統領に就任して13年にわたる独裁政治をした(在職:1931-1934年(代行)、1935-1944年)。経済政策では一定の評価を受けているが、魔術や神秘主義に傾倒するなど奇行も有名であり同国史上、最も毀誉褒貶のある人物である。

マウリシオ・フネス
Mauricio Funes1959年10月18日 - は、エルサルバドルの大統領。所属政党は、ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)。中央アメリカ・ホセ・シメオン・カーニャ大学を卒業。1986年に、テレビ局記者として活躍する。1991年より、CNN en Espanol(CNN系列スペイン語放送)で、リポーターとして有名になる。内戦時のエルサルバドルで、左翼ゲリラとされている人々にマイクを向けていく一方で、与党の民族主義共和同盟(ARENA)に対して厳しい内容の番組を手がける。なお、エルサルバドル内戦は、1979年に始まり1992年に終わったとされるが、人口が600万人ほどのエルサルバドルで、死者が75,000人以上、行方不明者が8,000人以上出たとされている。

pagetop

エルナン・コルテス
1485年-1547年12月2日は、スペインのコンキスタドール。初代バジェ・デ・オアハカ侯爵。メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した。はじめ法律家を目指しサラマンカ大学に通ったが叶えられなかった。当初、遠戚であったニコラス・デ・オバンドと共に、新大陸に渡る計画があったが、コルテスが大怪我をしたため叶えられなかった。

ペドロ・デ・アルバラード
(Pedro de Alvarado, 1485年 - 1541年7月4日)は、スペインの探検家、コンキスタドール。エルナン・コルテスの右腕として活躍し1524年にグアテマラを征服した。彼は、生前から先住民に対してとった残酷な行為、富に対する執念が語られることが多かった。スペインのエストレマドゥーラ地方バダホスの下級貴族の家に生まれる。大西洋を渡りキューバ島征服、ユカタン半島探索隊へ参加し1518年にコルテスの遠征隊に合流。

アグスティン・デ・イトゥルビデ
1783年9月27日 - 1824年7月19日はメキシコ独立戦争の指導者。メキシコ帝国の皇帝アグスティン1世(在位:1822年 - 1823年)として君臨した。イトゥルビデは1798年から1810年までスペイン軍に在籍し、中尉まで昇進した。1810年にメキシコ独立戦争が勃発した際、独立軍を鎮圧する側であるスペイン軍の一員として闘った。

ウィリアム・ウォーカー
(William Walker,1824年5月8日 - 1860年9月12日)は、アメリカ人の傭兵、冒険家。ニカラグア大統領(在任期間1856年)1854年、ウォーカーは自らの国を持つという野心から、45人の部下を従えてメキシコ領内のバハ・カリフォルニア半島に攻め込み、ソノラ共和国の成立を勝手に宣言した。これはアメリカとメキシコの軍隊によって鎮圧され、ウォーカーも捕らえられたが、すぐに釈放されている。

スタンリー・ボッグス
(Stanley Harding Boggs、1914年8月8日 - 1991年12月30日) は、アメリカ人の考古学者。調査で訪れたエルサルバドルで現地人女性と結婚し、帰化。長らく同国の考古学の発展に貢献した。1939年にジョン・ロングイヤー率いるカーネギー研究所のコパンプロジェクトに加わると、1940年に同研究所のアルフレッド・V・キダーの推薦によりジョン・ディミックが率いるサン・アンドレス遺跡発掘の現場責任者として初めてエルサルバドルを訪れる。その後はロングイヤーのアシスタントとして、1942年までタスマルを初めとするエルサルバドルでの発掘・測量プロジェクトに従事した。

pagetop

 

↑ページの最初へ

bars

バースデザイン研究所ビアンス_創造と調和
プロニティ理論ヘキサグラム幾何学
メモランダムラブソング_もっとやさしく
グランブルーな人々へデザイン寺子屋
アロット_ちょっと古きもの
アンディムジーク
県別リンク集知らない国を知るために
世界のインテリジェンスヒューマニストとは?
ニュースのかけら_日々の断片
サイトポリシーサイトマップサイトリンク
著作権お問い合わせWORKS

 

カウンタ