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ウズベキスタン共和国
Republic of Uzbekistan
NIS

ヨーロッパ

■地理
ウズベキスタンはユーラシア大陸の中央に位置しており、面積は44万7千平方kmである。国土の80パーセントはキジルクム砂漠で覆われており、あとは非常に乾いた荒れ地が多く、まともに耕作できる地域は僅か10%ほどしかない。アラル海に接しているが、旧ソ連時代に行われた国土の風土に合わない無茶な綿花栽培を行ったため、アラル海の面積は急激に縮小している。


中央アジア
ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。西トルキスタンには、旧ソ連諸国のうちカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国が含まれる。東トルキスタンは中華民国に併合されて以降、新疆省と成り、中華人民共和国に併合されて以降は新疆ウイグル自治区と成った。


キジルクム砂漠
カザフスタン、ウズベキスタン、それにトルクメニスタンの一部にかけて広がる砂漠。キジルクムはテュルク諸語で「赤い砂」を意味する。面積は約29万8000 km2。北東にシルダリヤ川、南西にアムダリヤ川が流れている。金や天然ガスといった資源が眠り、川やオアシス周辺では農業がおこなわれている。

アラル海
カザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖である。アムダリヤ川とシルダリヤ川が流れ込み、流出河川はない。人為的要因による湖の縮小により分断された北側を小アラル海、南側を大アラル海と呼ぶ。更にその大アラル海は東アラル海と西アラル海に分断されている。

フェルガナ盆地
中央アジアのウズベキスタン共和国東部からキルギス共和国、タジキスタン共和国に広がる地域である。標高400 mから500 mに広がる肥沃な峡谷で、南西に開けている。ナルイン川とカラダリヤ川の2つの河川が流入し合流、さらにナマンガン近くでシルダリヤ川に合流する。この2つの河川以外にも多くの川が流れ込み、主にシルダリヤ川に沿って土砂が堆積した。

ザラフシャン川
中央アジアを流れる川。ザラフシャンは、ペルシア語で「黄金の水しぶき」の意味で、上流で砂金が取れることに由来する。古代ギリシアではPolytimetusの名で知られていた。以前はソグド川とも呼ばれた。タジキスタンのパミール高原周縁部に発し、西へおよそ300km流れた後で、パンジケントを通りウズベキスタンに入る。

■ナルイン川
シルダリヤ川水系の河川。中央アジアキルギスの天山山脈に発し、フェルガナ盆地を西に流れてウズベキスタンに入り、カラダリヤ川と合流してシルダリヤ川となる。

アムダリヤ川
パミール高原・ヒンドゥークシュ山脈に源を発するパンジ川とヴァクシュ川が合流し、北西へ向かって流れる。元々はアラル海に注いでいたが、現在は河口部ではほぼ干上がっている。延長は2,400km。カラクム砂漠とキジルクム砂漠を分けるように流れ、アラル海南岸に肥沃なデルタ地帯を形成した。4〜5千年前から人が住み始め、農業が行われたことが点在する遺跡の調査で判明している。アムダリヤ川は何度か著しく流路を変えており、人々は川が流れを変えるたびに城を造り替えたため、その下流の東側だけでも1000を数える都城跡が残されている。

シルダリヤ川
天山山脈の2箇所(キルギスと東部ウズベキスタン)に源を発し、南部カザフスタンを北西へ向かって流れ、北アラル海に注ぐ川である。延長は2,212 km。河口の標高は42m。

チャトカル川
Chatkal River) はキルギスのジャラル・アバド州およびウズベキスタンのタシュケント州を流れる河川。シルダリヤ川水系のチルチク川につながる。

チルチク川
Chirciq River)はウズベキスタンの河川。長さは155kmで流域面積は14,900 km 2である。チャトカル川とプスケム川との合流によりチルチク川は形成される。上流では約30km峡谷内を流れる。下流では谷幅は広がり、最後はシルダリヤ川へ注ぐ。

カシュカダリヤ川
Kashkadarya River) はウズベキスタンの河川である。ダリヤ (Darya) はウズベク語で河川を意味するため、カシュカ川と呼ばれることもある。全長は378km、流域面積は8,780km2である。カシュカダリヤ州の名前はこの河川より採られている。

アングレン川
Angren River、別名:アハンガラン川 - Ohangaron, はウズベキスタンの河川である。全長は223km、流域面積は5,260km2である。

天山山脈
中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギス、中国の国境地帯にある山脈。


トランスオクシアナ
(Transoxiana)は、ラテン語で「オクサス川(アムダリヤ川)の向こうの土地」を意味する。具体的にはアムダリヤ川とシルダリヤ川に挟まれた地域をさす。今日のウズベキスタンとタジキスタン、それにカザフスタンの南西部の一部に該当する。現在では、トランスオクシアナという用語は、主として8世紀以前の中央アジアに言及する時の歴史学的用語である。


ジョチ・ウルス
13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯を舞台に、チンギス・ハーンの長男ジョチの後裔が支配し興亡した遊牧政権(ウルス)。ジョチ・ウルスは、複数のウルスの集合体から成り立っていたモンゴル帝国のうち、ジョチの後裔によって支配されたウルスである。


オアシス
Oasis)とは、砂漠やステップといった乾燥地域において、淡水が存在する場所をいう。オアシスには、泉性(地下水によるもの)だけでなく、河川や雪解け水を水源とするオアシスもあり、後者の方が大規模なオアシスを形成する。さらに井戸などによる人工的なオアシスも存在する。農業が可能となり、集落が形成されることがあるほか、通商路の経由地ともなる。


シルクロード
Silk Road)は、日本と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹の道とも呼ばれる。シルクロードという語は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『シナ China』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン Seidenstrassen(ドイツ語で「絹の道」の意)として使用したのが最初で、弟子たるヘディンが著した中央アジア旅行記の書名の一つに用い、さらに1938年に『ザ・シルクロード』の題名で英訳されたことで有名となった。


■国民
2001年に2515万人。ウズベク人が80%を占め、5.5%のロシア人のほか、タジク人(5%)、カザフ人(3%)、カラカルパク人(2.5%)などの多くの少数民族が住む。その他、ソ連時代に沿海州から強制移住させられた朝鮮民族が約20万人ほど在住しており、「高麗人」と自称している他、ドイツ人やアルメニア人などもいる。


■宗教
ウズベク人を初め多くの民族がイスラム教を信仰する。衣食に関する戒律は緩やかである。基本的に女性は頭髪や足首を隠さない。しかし、ブハラなどイスラム色の強い都市では女性がパンツ(ズボン)を履くことに対して良く思わない傾向があり、多くの女性はスカートを履いている。


ウズベク
Uzbekは、西トルキスタン南部、ホラズム地方からフェルガナ地方にかけてに広がって居住し、中央アジアで最大の人口を抱えるテュルク系民族。民族国家として、中央アジアでもっとも人口の集中したトランスオクシアナ地方の大半を領土とするウズベキスタン共和国を持つほか、中国の新疆ウイグル自治区とアフガニスタンの北部マザーリシャリーフ周辺にもそれぞれ数十万人が住む。

サルト人
中央アジアの定住民を指した歴史上の民族名称。特定の民族集団を指す名称ではなく、中央アジアの定住民一般を指して用いられた呼称であり、地域や時代によって指す対象は変遷した。サルトは、サンスクリット語で商人やキャラバン隊長を指す「サールタヴァーハ Sārthavāha」に由来し、遊牧民が都市住民を指して使った呼称に起源を持つと考えられている。

タタール人
タタールという名は、もともとキプチャク・ハン国支配期のロシア人によって東方・南方の草原地帯に住むモンゴル帝国のモンゴル系・テュルク系の人々を漠然と指す民族名称であったのが、ロシア帝国の拡大とともにロシア支配下の旧キプチャク・ハン国系のテュルク系ムスリム(イスラム教徒)の人々を指す語に転じ、やがて自称としても用いられるようになったものである。

ソグド人
sogd)は、中央アジア、ゼラフシャン(ザラフシャン)川流域地方に住んでいたイラン系のオアシス灌漑農耕民族。また、商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動を行った。近年の研究では、シルクロードを経済的に支配していたと言われている。

カザフ
Kazakhs,は、中央アジア西北部のカザフステップに広がって居住するテュルク系民族。カザフスタンにおよそ800万人が住んで同国人口の半数を占める他、中国の新疆ウイグル自治区北西部に約130万人が住む。

ヴォルガ・ドイツ人
(Wolga Deutsche)は、ロシア帝国時代にロシアに移民したドイツ人の子孫(民族ドイツ人)。ロシア革命直後、ヴォルガ川沿岸に自治共和国が設立されたが、スターリン時代に中央アジアに追放される。現在では、ロシア各地へ定住しているほか、ドイツへの移住も見られる。

高麗人
ソビエト連邦崩壊後の独立国家共同体(CIS)諸国の国籍を持つ朝鮮民族のこと。高麗とは朝鮮半島に10世紀から14世紀まで存在した朝鮮半島の国家で、日本では江戸時代まで多くの場合「朝鮮人」ではなく「高麗人」と呼んでいた。「高麗人参」はその名残である。


■言語
言語は公用語のウズベク語が74.3%となっているが、国民の14.2%の母語はロシア語であり、第二言語として約半数(2003年)の国民がロシア語を話している。しかし、独立以降、ウズベク語使用を推奨してきたため、公用語から外れたロシア語の重要度は低下した。特に、地方農村部ではロシア語はあまり使用されず、若年層ではロシア語が話せない人も多くなっている。しかしながら、都市部では主にビジネス面・学術面ではウズベク語よりもロシア語が使われており、ほとんどの大学教育においてはロシア語が教授言語となっている。また、初等教育から教授言語はウズベク語とロシア語に分かれており、大学進学やビジネス面において有利になるためウズベク人であっても教授言語にロシア語を選択する者も多い。

テュルク諸語
中央アジア全体やモンゴル高原以西にあるアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパから北アジア(シベリア)に至る広大な地域で話される、言語系統を同じくする諸言語の総称。その分布の広大さに比べて言語間の差異は比較的小さく、テュルク諸語全体をひとつの言語、「テュルク語」と見なし、各言語を「テュルク語の方言」とする立場もありうる。

ウズベク語
アルタイ諸語であるテュルク諸語に属し、テュルク諸語の中では南東語群に分類される言語。ウズベキスタンの公用語。ウズベキスタンでは1992年以降は公式にはラテン文字で表記されるようになったが、それ以前はキリル文字が公式につかわれていた。


ホラズム・シャー朝
アム川下流域ホラズムの地方政権として起こり、モンゴル帝国によって滅ぼされるまでに中央アジアからイラン高原に至る広大な領域支配を達成したイスラム王朝(1077年 - 1231年)。コラズム朝とも呼ぶ。

ブハラ・ハン国
16世紀初頭から20世紀初頭まで、ゼラフシャン川流域、ヌル・アタ山地、アム川流域に栄えた諸テュルク系イスラム王朝。現在のウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンの一部に存在した。

ヒヴァ・ハン国
Xiva Xonligi)は、17世紀後半から19世紀後半にかけて、アムダリア川の下流及び中流地域に栄えたテュルク系イスラム王朝。シャイバーニー朝、シビル・ハン国と同じくジョチ・ウルスのシバン家に属す王朝である。

ティムール朝
Temuriylar)は、中央アジアのトランスオクシアナ(現在のウズベキスタン中央部)に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝(1370年 - 1507年)。その最盛期には、版図は北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇したために、しばしばティムール帝国と呼ばれる。


サマルカンド
Samarkandは中央アジア、ウズベキスタンの古都。アムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約38万人(2001年)。ウズベキスタンの現大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。紀元前10世紀ころからイラン系民族のオアシス都市として発展し、ギリシャ史料では紀元前4世紀のアレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に最後まで抵抗したソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られる。『後漢書』などの漢文資料では康国として表れ、昭武九姓の一つに挙げられ、王族は月氏の子孫とされている。

ブハラ
ブハラ州の州都。ザラフシャン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で、1993年には、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。人口は約23万7千人(1995年)。古代からサマルカンドと並ぶいわゆるソグディアナの中心都市であり、イスラーム時代以降、特にサーマーン朝の首都となってからもイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであった。


<歴史>
■古代-10世紀
この地域は古代にイラン系のソグド人が活躍したが、8世紀にアラブ人によって征服され、宗教的にはイスラム化した。10世紀にはテュルク民族が進出し、言語的にテュルク語化が進む。

■ティムール朝
13世紀にはモンゴル帝国に征服され、このとき多くの都市が甚大な被害を受けるがすぐに復興を果たし、14世紀にはこの地から興ったティムール朝が中央アジアから西アジアに至る広大な地域を征服して大国家に発展した。

■ソビエト連邦
ティムール朝の衰亡後、北からウズベク人が侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国を立てる。これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となり、その後ソビエト共産党政府の統治下に入り、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となった。



■独立
その後1991年のソ連崩壊によってウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタン共和国として独立し、同時に独立国家共同体(CIS)に加盟した。2005年5月13日に東部アンディジャンで発生した反政府暴動鎮圧事件で市民に多数の死者が出たとの情報があり、ヨーロッパ諸国・国際連合などから「人権侵害」との非難が挙がっている。

ロシア帝国
1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。

ロシア革命
Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。

ウズベク・ソビエト社会主義共和国
ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国の1つ。1991年9月1日、ウズベキスタン共和国として独立した。ロシア革命後、1917年11月から1918年3月にソビエト権力が樹立され、その領土の大部分は、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の構成下に入った。

ソ連崩壊
1991年12月25日にソビエト連邦(ソ連)大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、これを受けて各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体された出来事である。1917年11月7日のロシア革命(十月革命)により成立したソビエト連邦は、第二次世界大戦後にはアメリカ合衆国に伍する超大国として君臨したが、74年後の1991年12月25日に崩壊した。同日、ソビエト連邦に比して規模が小さいロシア連邦が成立した。


<世界遺産>
イチャン・カラ
イチャン・カラは、ウズベキスタン・ヒヴァの壁に囲まれた旧市街地である。1990年に、ユネスコの世界遺産に登録された。ヒワの遺産としても有名である。イチャン・カラ旧市街には、50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残る。これらの建築物はおよそ18世紀から19世紀にかけて建設された。例えば、10世紀に創建されたジュマ・モスクは、1788年から1789年にかけて再建された。このモスクには、古代に作られた112本の円柱が現存する。

ブハラ歴史地区
ウズベキスタンの都市で、ブハラ州の州都。ザラフシャン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で、1993年には、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。人口は約23万7千人(1995年)。古代からサマルカンドと並ぶいわゆるソグディアナの中心都市であり、イスラーム時代以降、特にサーマーン朝の首都となってからもイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであった。また近代でも20世紀の初頭までブハラ・アミール国(ブハラ・ハン国)の首都が置かれ、西トルキスタンにおける政治・文化の中心都市であった。特にサーマーン朝にはじまる近世ペルシア語文学の発信源としてこの都市が残した足跡は大きい。

シャフリサブスの歴史的中心部
ウズベキスタンの都市。サマルカンドの南約80kmに位置する人口約53,000人の町である。高度はおよそ622mある。かつては、中央アジアにおける主要都市だった歴史を誇り、今日では、14世紀にトルキスタンを席巻したティムールが誕生した場所として知られる。町の名前は、シャフレ・サブズ(緑の町の意)に由来する。

サマルカンド 文明の十字路
中央アジア、ウズベキスタンの古都。アムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約38万人(2001年)。ウズベキスタンの現大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。紀元前10世紀ころからイラン系民族のオアシス都市として発展し、ギリシャ史料では紀元前4世紀のアレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に最後まで抵抗したソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られる。『後漢書』などの漢文資料では康国として表れ、昭武九姓の一つに挙げられ、王族は月氏の子孫とされている。


■観光都市
「シルクロードの中心地」「ユネスコ世界文化遺産の宝庫」として、 青の街サマルカンドや茶色の町ブハラ、ヒヴァ、シャフリサーブス、仏教文化のテルメズなどが世界的に有名。ソ連からの独立後には歴史的遺構への訪問を目的とする各国からの観光客が急増し、それに伴い観光が外貨獲得源の1つとなった。これを受けて政府による観光客誘致が盛んに行われていることから、タシケントは海外のホテルチェーンの大規模ホテルが多く運営されている。

ザーミン国立公園
(Zaamin National Park, Zomin National Park) はパミール高原の西に位置するウズベキスタン最古の国立公園である。 総面積は24,110ヘクタール、標高はグララシュ渓谷の1,700 m (5,600 ft)からグララシュ峰の3,571 m (11,716 ft)までの高低差がある。

ウルグ・ベク天文台
Ulugh Beg Observatory) はウズベキスタンのサマルカンドにある天文台である。ウルグ・ベク天文台はティムール朝の君主であり、天文学者でもあったウルグ・ベクにより1420年代に建設され、中世イスラム世界において有数の天文台とされている。

ウズベキスタンの交通
投資額の低下や整備の稚拙さから、ウズベキスタンの国土全体に渡る交通網のインフラはソビエト連邦から独立した後大きくその質を落としている。2000年台前半には政府の大規模投資により国内主要都市に空港が整備され、空港の整備も進行中である。


■経済
IMFの統計によると、2011年のGDPは453億ドルであり、日本の香川県とほぼ同じ経済規模である。一人当たりのGDPは1,572ドルであり、世界平均の20%に満たない水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は1248万人と推定されており、国民の40%以上を占めている。近年は豊富な天然ガス関連の投資を多く受け入れており、比較的好調な経済成長を遂げている。通貨はスム。


■農業
ウズベキスタンは、ソ連時代の計画経済によって綿花栽培の役割を割り当てられた過去があり、そのため近年になって鉱産資源の開発が進むまでは綿花のモノカルチャー経済に近い状態だった。その生産量は最高500万トンに達し、2004年度においても353万トンを誇る。しかしウズベキスタンは元来降水量が少なく綿花の栽培には向いていない土地であったため、近年においては灌漑元であるアラル海の縮小や塩害などに悩まされている。


■鉱業
ウズベキスタンはエネルギー資源として有用な鉱物に恵まれている。有機鉱物資源では世界生産量の2.2%に達する天然ガス(2175千兆ジュール、2001年)が有望。271万トンの亜炭、379万トンの原油も採掘されている。金属鉱物資源では世界シェア4.9%のウラン(1770トン、世界第7位)が際立つ。鉱業セクターは輸出にも貢献しており、特産物の絹織物につぎ、エネルギー輸出が全輸出額の10.3%を占める。その他の金属鉱物資源では、世界第9位の金(90トン)、銀のほか、小規模な銅採掘が続いている。リン鉱石も産出する。

ウラン
uranium)とは、原子番号92の元素。元素記号は U。ウラニウムの名でも知られるが、これは金属元素を意味するラテン語の派生名詞中性語尾 -ium を付けた形である。なお、ウランという名称は、同時期に発見された天王星 (Uranus) の名に由来している。ウランは、地球の地殻中や海水中に微量ながら広く分布している元素として知られている。ただし、地球上でウランは安定して存在し続けられないため、その存在量は減り続けている。現在の地球上に一番多く存在するウラン238ではなく、次に存在量が多いウラン235である。このウラン235は、唯一天然に産出する核分裂核種として知られ、原子力の分野では重要視されている。このため、しばしばウラン235を濃縮するという作業が行われている。なお、この作業の結果に生ずる、ほぼウラン238だけになった放射性廃棄物を、劣化ウランと呼ぶ。

カオリナイト
(kaolinite[4]、は、鉱物(ケイ酸塩鉱物)の一種。化学組成は Al4Si4O10(OH)8、結晶系は三斜晶系。粘土鉱物の一種。kaolinite の名は、中国の有名な粘土の産地である江西省の高嶺(カオリン:Kaoling)に由来する。高嶺で産出する粘土は、景徳鎮で作られる磁器の材料として有名である。


シャシリク
ロシアやウクライナなど旧ソ連圏で人気のあるバーベキュー、肉の串焼き、焼肉料理、ロースト料理である。中央アジアでは、バザールや屋台で盛んに食べられるいわばファーストフードでもある。


ナヴォイ劇場
タシュケントにあるオペラとバレエのための劇場である。。正式名称は、アリシェル・ナヴォイオペラ劇場(Alisher Navoi Opera and Ballet Theatre)。アリシェル・ナヴァーイーは、ウズベキスタンの伝説的な英雄で、文学、伝承でも度々取り上げられる人物[1]。第二次世界大戦でソ連の捕虜となった日本人が建設したことで知られる。建設時、懸命に作業する日本人に対して地元子どもから食べ物の差し入れが行われたが、彼らに対して木のおもちゃをお返しするなど劣悪な環境でも礼儀を忘れなかった。


ゲオルギー・アグザモフ
Georgy Tadzhikhanovich Agzamov, 1954年9月6日 − 1986年8月27日) はアルマリク出身のソビエト連邦のチェス選手であり、グランドマスターである。アグザモフは1982年にインターナショナルマスターとなり、1984年にグランドマスターの称号を手にした。

ヴァレリー・ケチノフ
Valery Kechinov、1974年8月5日 - ) は、ウズベキスタン・タシュケント出身のプロサッカー選手、サッカーロシア代表選手である。現役時代は主にスパルタク・モスクワでプレーした。ウズベキスタン独立後初めて開催されたウズベク・リーグにも参加、初年度の得点王となった。その後拠点をモスクワに移し、スパルタク・モスクワに入団。スパルタク・モスクワでは6回のロシア・プレミアリーグ優勝と1回のロシア・カップ優勝を経験した。

ルスタム・ドゥルマノフ
Rustam Durmanov1969年1月28日 - ) は、ウズベキスタン出身の元プロサッカー選手である。現役時代のポジションはFW。ドゥルマノフは1985年から1989年までソビエト連邦サッカーリーグ2部のスルハン・テルメズでプレーした。1990年にネフチャニク・フェルガナ (現在のネフチ・フェルガナ) へと移籍、1992年から1994年までウズベク・リーグにおけるネフチ・フェルガナの3連覇に貢献した。

ジャファル・イリスメトフ
Jafar Irismetov、1976年8月23日 - ) は、ウズベキスタンのプロサッカー選手である。現在ウズベク・リーグのナフバホール・ナマンガンに所属している。ポジションはFW。2012年1月5日、国際サッカー歴史統計連盟 (IFFFS) は「トップディヴィジョンで活動する世界の現役サッカー選手のゴール数一覧」を発表し、ジャファル・イリスメトフは9位にランクインした。

アンヴァルジャン・サリエフ
Anvarjon Ahmadjonovich Soliev1978年2月5日 - ) は、ウズベキスタン・トゥラクルガン出身のプロサッカー選手である。現在はウズベク・リーグのFCブニョドコルに所属している。ポジションはFW。ブニョドコルでの初めてのシーズンとなった2008年、サリエフは12ゴールを挙げた。彼は現在ブニョドコルで46ゴールを挙げており、リバウドとセルヴェル・ジェパロフを抑えてクラブの最多得点記録を保持している (2012年11月21日時点) 。

アンヴァール・ベルディエフ
Anvar Berdiev、1978年5月11日 - )は、ウズベキスタン出身のプロサッカー選手である。現在はウズベク・リーグのネフチ・フェルガナに所属している。ポジションはFW。ベルディエフは現在ウズベク・リーグで最も得点を決めている選手である (205ゴール、2012年11月21日時点) 。2012年9月13日、彼はキジルクム・ザラフシャン戦で199ゴール、200ゴール目を決め、ザファル・ホルムロドフについでウズベク・リーグで200ゴールを決めた選手となった。

ウルグ・ベク
Ulugh Beg、 1394年3月22日 - 1449年10月27日)は、ティムール朝の第4代君主。シャー・ルフの長男(在位: 1447年 - 1449年)。一般にウルグ・ベクは軍事と政治よりも学芸、特に天文学で実績を残した人物として考えられており、ソビエト連邦時代においても大学者としてウズベキスタン国民の尊敬を集めていた。今日でも、ウズベキスタン国立大学には彼の名が冠されている。

アナスタシア・ギマゼトディノワ
Anastasia Gimazetdinova,1980年5月19日 - )は、ウズベキスタン出身の女性フィギュアスケート選手。2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック女子シングルウズベキスタン代表。

タチアナ・マリニナ
Tatiana Malinina、1973年1月28日 - )はウズベキスタン出身の女性元フィギュアスケート選手。ロシアのノヴォシビルスク生まれ。身長160センチメートル。夫も元フィギュアスケート選手のロマン・スコルニアコフ。スコルニアコフはマリニナのコーチでもあった。1992-1993年シーズンからウズベキスタンのエースとなり、引退する2001-2002シーズンまでウズベキスタン選手権を全て優勝している。過去にオリンピックには2回、世界選手権へは9回出場。

ウズベキスタン Uzbekistan
中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国。首都はタシュケント(タシケント)。北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。国境を最低2回超えないと海に達することができない、いわゆる「二重内陸国」の一つである。

タシュケント
タシュケントは、ウズベキスタンの首都。ウズベキスタン北東部、シルダリア川の支流であるチルチク川の流域に位置する歴史的なオアシス都市。都市名はテュルク語で「石の町」という意味である。1966年4月26日、大地震に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われた。そのため非常にソ連的な町並みとなり、最盛期にはソ連で4番目の人口を誇る大都市に成長した。独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつあり、イスラム原理主義の動きも出ている。


タシュケント国際空港
タシュケント国際空港(ウズベク語: Toshkent Xalqaro Aeroporti 英語: Tashkent International Airport)は、ウズベキスタン共和国の首都タシュケントにある国際空港。タシュケント南国際空港

ウルゲンチ国際空港
Urgench International Airport)、 はウズベキスタン・ホラズム州の州都ウルゲンチにある空港である。

ナマンガン空港
Namangan Airport)、(IATA: NMA, ICAO: UTFN) はウズベキスタン・ナマンガンにある空港である。

ナボイ空港
Navoiy Aeroporti)はウズベキスタンのナヴァーイーにある国際空港である。現在、大韓航空主導で整備が進んでいる。

サマルカンド国際空港
Samarkand International Airport)、(IATA: SKD, ICAO: UTSS) はウズベキスタン・サマルカンド州の州都サマルカンドにある空港である。


外務省:ウズベキスタン共和国
在ウズベキスタン日本国大使館


ウズベキスタン鉄道
 O'zbekiston Temir Yo'llari (ウズベク語) は、ロシア鉄道の中央アジア鉄道局管内の鉄道路線のうち、ウズベキスタン共和国の領内にある部分を基に、1994年11月7日に創設された。2007年現在の営業距離程は約3645kmである。軌間は1520mm。職員数は54700人以上である。この鉄道は、国の貨物輸送量のうち約90%のシェアを占めている。


フェルガナ
ウズベキスタン共和国東部の都市。フェルガナ州の州都。人口は214,000人。アラル海に注ぐシルダリア川の上流とカラテギン(フェルガナ)山地に挟まれたフェルガナ盆地の南端に位置する。大宛国。ゾロアスター教の故地の1つとされる。フェルガナ盆地は名馬の産地であり、汗血馬と呼ばれる良馬を求め、前漢の武帝が侵略を行った。

ヌクス
Nukusは、ウズベキスタンの都市。同国西部の自治共和国であるカラカルパクスタン共和国の首都である。人口は2004年推計で約26万人であり、カラカルパクスタンでは最大の都市。また、ウズベキスタン全土の中でも5番目の人口を抱える。アムダリヤ川がヌクス西部を流れている。ヌクスにはヌクス美術館(イゴール・サヴィツキー・カラカルパクスタン共和国国家美術館)と共和国国立博物館がある。

コーカンド
ウズベキスタン共和国東部のフェルガナ州の市。フェルガナ盆地の南西端に位置する。州都フェルガナの西88km、タシュケントの南西228km、アンディジャンの西115km。人口18万人。愛称は「風の街」「猪の街」。コーカンドは古い市街地が残っていないので、コーカンドまで足を延ばす観光客は少ない。 ただ、大きなミナレットのあるジュマ・モスクや1799年に建設されたナルブタベイ・マドラサ(神学校)などもある。

アンディジャン
Andijon)はウズベキスタン共和国第4の都市。アンディジャン州の首府である。推定人口35万人。古来よりシルクロードの要衝で、カシュガルとコーカンドの中間にある。チンギス・カンに破壊されるも、13世紀にカイドゥに再建され、以後300年間、フェルガナ地方の中心地として栄えた。

アルマリク
Olmaliqはウズベキスタンタシュケント州の都市である。首都タシュケントより65km南東にある。推定人口11万人。アルマリクはソビエト連邦の統治下にあった1951年に石炭、鉛、亜鉛、金、銀、モリブデン、重晶石、銅、カドミウムが獲れる鉱山都市として設立された。

ヤンギユル
Yangiyul、はウズベキスタン・タシュケント州の都市である。州都のタシュケントからは南西に約28kmの位置にある。2012年の人口は77,331人となっている。街の歴史は1899年、この地に「カウフマンスカヤ」というウズベキスタン鉄道の駅ができたことに始まる。 街の主な産業は織物、製紙、精油事業、菓子、ワイン、ウォッカなどの食品産業である。

タリマルジャン
Talimarjon はウズベキスタン・カシュカダリヤ州の都市である。州都のカルシからは南南東に約55km、トルクメニスタンとの国境付近に位置する。2012年の人口は10,590人となっている。1975年に都市として設立された。街にはウズベキスタン電力公社 (SJSCウズベクエネルゴ、State Joint Stock Company Uzbekenergo) が経営するタリマルジャン火力発電所があり、ウズベキスタン国内電力の重要な供給源となっている。

モイナク
Moynaq はウズベキスタンの西部にある自治共和国・カラカルパクスタン共和国の北部にある都市。当時の主な雇用主は魚の缶詰を製造するコンビナートおよび漁船の船団であった。しかし乱獲や、アムダリヤ川上流の綿花地帯からの化学物質の流入で漁業資源は下り坂になり、綿花栽培によるアムダリヤ川およびシルダリヤ川の流入量の減少でアラル海が干上がると漁業および関連産業は劇的に衰退した。

パルケント
Parkentはウズベキスタン・タシュケント州の都市である。州都のタシュケントからは東に約30kmの位置にある。2012年の人口は40,615人となっている。1984年に都市として設立された。 街の主な産業は織物産業、食品産業などである。

カルシ
Qarshiとはウズベキスタンのカシュカダリヤ州にある都市であり、カシュカダリヤ州の州都である。首都タシュケントの南南西520km、アフガニスタンとの国境から北西に350kmの地点にある。2012年現在の人口は約23万人である。

マドラサ
madrasa)はイスラーム世界における学院。元々は単純にアラビア語で「学ぶ場所、学校」を意味するだけだったが、11世紀に制度的に確立し、イスラーム世界の高等教育機関として広く普及した。モスクと併設される場合も多く、一般に寄進財産で運営される。近代の世俗教育の普及によって、宗教教育の専門機関となった。

ウルグト
Urgutはウズベキスタン・サマルカンド州の都市である。ウルグトはプラタナスの老木があることで知られており、中には樹齢1000年以上のものもある。

バイスン
Boysun,はウズベキスタン・スルハンダリヤ州に位置する都市である。州都のテルメズから北に約120kmの地点に位置する。

テルメズ
Termezはウズベキスタン共和国の都市であり、スルハンダリヤ州の州都である。アフガニスタン・イスラム共和国はアムダリヤ川を隔てた向こう側である。

シリン
Shirin はウズベキスタン・シルダリヤ州の都市である。タジキスタンとの国境付近、シルダリヤ川沿岸にある。州都のグリスタンからは南東に約50kmの地点にある。2012年現在の人口は16,336人となっている。1942年より1948年にかけてシルダリヤ川流域に水力発電のためファルハドダムが近くに建設され街の基礎ができた。

カッタクルガン
Kattaqo‘rg‘on はウズベキスタン・サマルカンド州の都市である。ブハラとサマルカンド間の鉄道の沿線にある。カッタコルガンと表記されることもある。都市名はテュルク語で「大きな墓」を意味する。

ウチュクドゥク
Uchquduqはウズベキスタン・ナヴァーイー州の都市である。キズィルクム砂漠の中に位置し、州都のナヴァーイーからは北西に約300kmの地点に位置する。石器時代には鉱山、鉱業が既に行われていたとされている。

ヌラタ
Nurota、はウズベキスタン・ナヴァーイー州の都市である。州都のナヴァーイーより北東に約60kmの地点に位置する。ヌラタはアレクサンドロス3世時代の紀元前327年にヌル (Nur) という名前で登場する。街の南部には現在も当時建設された要塞や灌漑の跡が残っており、灌漑用水路は現在も利用されている。

ナマンガン
Namanganは、ウズベキスタン共和国のナマンガン州の州都。ウズベキスタン第二の都市である。同国の北東部フェルガナ盆地の北端にあるフェルガナ盆地最大の都市。ナマンガンには3つの高等教育機関がある。ナマンガン州立大学(英語版)、ナマンガン工科教育研究所、ナマンガン工業技術研究所がある。

ベカバード
Bekobod, はウズベキスタン・タシュケント州の都市である。首都タシュケントより115km南のシルダリヤ川河岸にある。タジキスタンとの国境付近にあり、タジキスタン側の国境の街ホジェンドからは33kmである。推定人口12万人。

ハザラスプ
Xazorasp,はウズベキスタン・ホラズム州の都市である。州都のウルゲンチからは南東に約50kmの位置にある。2012年の人口は19,409人である。ハザラスプは2008年1月、UNESCOの世界遺産の文化遺産部門で暫定リスト入りを果たした。

ヒヴァ
Xivaは、ホラズムとヒヴァ・ハン国の首都であった町である。現在では、ウズベキスタンのホラズム州にある。ヒヴァにあるイチャン・カラは、1991年にウズベキスタン国内で、初めて、ユネスコの世界遺産に登録された。

チルチク
Chirchiq,はウズベキスタン・タシュケント州の都市である。首都タシュケントより32km北東、大チムガン(英語版)を含むチャトカル山脈の麓にあり、付近にはチャトカル川、チルチク川が流れる。推定人口14万人。ソビエト連邦統治下の1935年にチルチク川における水力発電所建設の際に設立された。都市名は「騒がしい」を意味し、チャトカル川、チルチク川の水量の多さより名付けられた。

アングレン
Angrenはウズベキスタン・タシュケント州の都市である。首都タシュケントより77km南東(道路では115km)にある。推定人口12万人。第二次世界大戦後のシベリア抑留のため連行されてきた日本人捕虜によって街の基礎が作られ、1946年にタシュケント州の石炭産業の中心地として設立された。

カサンサイ
Kosonsoy はウズベキスタン・ナマンガン州の都市である。カサンサイの「カサン」はキルギスより流れるナルイン川の支流カサン川の名前より採られている。カサンはクシャーナ朝のクシャンに由来するとも、「大都市」「大きな城」を意味するとも言われる。

チュスト
Chust,はウズベキスタン・ナマンガン州の都市である。州都ナマンガンより約50km西にある。推定人口7万人。チャトカル山脈南麓、フェルガナ盆地の中にあり、南方15kmにはシルダリヤ川が流れる。

ガザルケント
Gazalkent、はウズベキスタン・タシュケント州の都市である。州都のタシュケントからは北東に約55kmの地点にある。1964年に都市として設立された。ウガム・チャトカル国立公園の麓の都市でもある。街の主な産業はセメント、ガラス、レンガなどの建築資材産業である。

キブライ
Kibray、はウズベキスタン・タシュケント州の都市である。州都のタシュケントからは北東に約25kmの位置にある。2012年の人口は31,331人となっている。街の主な産業は付近を流れるチルチク川の豊富な水量を生かした飲料産業であり、アメリカ合衆国の企業との合弁会社JVインテル・ロハト (JV Inter-Roxat)では清涼飲料水やビールの生産を行なっている。

トイテパ
Toitepaはウズベキスタン・タシュケント州の都市である。州都のタシュケントからは南に約33kmの地点にある。2012年の人口は22,564人となっている。1973年に都市として設立された。織物産業が盛んであり、インドの紡績企業SPENTEXや、トルコの紡績企業KORAY TEKSTİLとの合弁事業が行われている。

シャフリハン
Shakhrihon,はウズベキスタン・アンディジャン州の都市である。州都アンディジャンより27km西、フェルガナ盆地の中にある。主な産業は紡績業で、アンテクスJSC (ANTEKS Joint Stock Company, アンテクスはAndijan textileの略称) が操業を行なっている。

チナズ
Chinoz はウズベキスタン・タシュケント州の都市である。州都のタシュケントからは南西に約63kmの位置にある。2012年の人口は27,721人となっている。1972年に都市として設立された。 シルダリヤ川とチルチク川の合流地点に位置し、街では漁業が盛んである。

アサカ
Asaka,はウズベキスタン・アンディジャン州の都市である。州都アンディジャンより22km南西にある。推定人口6万人。主な産業は自動車組立と紡績業である。自動車組立では、韓国の大宇自動車との合弁会社ウズデウオートが中央アジア初の自動車会社として1996年に設立され、2010年に16万台の自動車製造を行なっている。

マルハマト
Marhamat はウズベキスタン・アンディジャン州の都市である。2012年現在の人口は約16,000人。州都アンディジャンからは南に約30kmの地点にあり、キルギスとの国境付近にある。ソビエト連邦の考古学者ベルンシュタムによれば、かつて大宛国 (Dawan state) の首府が置かれていたとされている。

ギジュドゥヴァン
G'ijduvon2012年現在の人口は約45,000人。歴史的に、ギジュドゥヴァンは周辺地方の教育、宗教、文化的な中心地となってきた。ギジュドゥヴァンの料理は魚のフライやシャシリクで有名である。シャシリクは香辛料やハーブを揉み込んだ牛肉やラム肉を焼いた料理である。

カガン
Kogon,はウズベキスタン・ブハラ州の都市である。州都ブハラより10km東にある。推定人口9万人。Kaganと表記されることもある[3]。カガンには第二次世界大戦後シベリア抑留により日本人が連行されてきており、現地には彼らを弔う日本人墓地がある。

ハナバード
Khanabadはウズベキスタン・アンディジャン州の都市である。2009年の人口は34,774人、2012年の人口は36,102人となっている。ハナバードはフェルガナ盆地の中に位置し、付近にはカラダリヤ川が流れる。

ヴァブケント
Vobkent はウズベキスタン・ブハラ州にある都市である。ホラズム・シャー朝のアラーウッディーン・テキシュの治世に1196年から1198年にかけて制作されたヴァブケントのミナレットで有名となっている。

ジザフ
Jizzaxは、ウズベキスタンのジザフ州にある都市で、同州の州都である。サマルカンドの北東に位置する。人口は13万8400人(2004年)。ゴロドナヤ・ステップの辺縁にあたり、シルクロードはここからテュルケスタン山地のジラヌティ峠(ティムールの門の意)を越えザラフシャン渓谷に入る。そこからサマルカンドやブハラに至る。地名はソグド語で「小さな砦」の意味。

マルギラン
(Margilan)は、ウズベキスタン共和国東部のフェルガナ州の都市。人口は143,600人(1999年)。標高は487m。9世紀からシルクロードの主要なキャラバンサライで、天山山脈をカシュガルに抜けるルートに位置していた。

ウルゲンチ
Urganchは、中央アジア、ホラズム地方の歴史的都市。現在のウルゲンチはウズベキスタンのホラズム州の州都(人口13.9万人 1999年)である。旧ウルゲンチは、現地ではクフナ・ウルゲンチと呼ばれ、ホラズム・シャー朝期からティムール朝期の遺跡が残されている。

カラスウ
Qorasuv はウズベキスタン・アンディジャン州の都市である。州都アンディジャンから東に50kmの地点にあり、キルギスとの国境の町である。都市名は、モンゴル帝国時代に周辺一帯のカラスウ平原で行われたカラスウの会戦に由来する。

カラ・スゥ平原の戦い
1270年にフレグ・ウルスの第2代君主アバカと、ムバーラク・シャーからチャガタイ家当主の座を奪ったバラクとの間で行われた戦い。この戦いでアバガは大勝し、フレグ・ウルスの基盤を強固なものとした。


■国名
正式名称はウズベク語で、O'zbekiston Respublikasi(オズベキスターン・レスプブリカスィ)。通称は、O'zbekiston。国名は、ウズベク人の自称民族名 O'zbek(オズベク)と、ペルシア語で「〜の国」を意味する -istan (ウズベク語では -iston)の合成語である。


1.面積:44万7,400平方キロメートル(日本の約1.2倍)
2.人口:2,780万人(2010年:国連人口基金)
3.首都:タシケント(Tashkent)
4.民族:ウズベク系(78.4%)、ロシア系(4.6%)、タジク系(4.8%)、タタール系(1.2%)(対外経済関係投資貿易省)
5.言語:公用語はウズベク語(テュルク諸語に属する。但し、タシケント、サマルカンド、ブハラ等主として都市の諸方言はペルシア語の影響を強く受けている)。またロシア語も広く使用されている。
6.宗教:主としてイスラム教スンニ派

紀元前4世紀 アレクサンドロス大王により制圧
紀元前250年頃 グレコ・バクトリア王国成立
1〜3世紀 クシャーン朝による支配
6世紀中頃〜 テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる
7世紀 ソグド人の活動が最盛期に
8世紀以降 アラブ勢力の侵入、イスラーム教の受容
9世紀後半〜10世紀 サーマーン朝成立(文芸・学問の発展)
13世紀 モンゴル帝国の支配
14世紀後半〜15世紀 ティムール帝国(首都サマルカンド)成立
15世紀末〜16世紀 遊牧ウズベク集団の侵入、シャイバーン朝の成立
18〜19世紀 ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配
1860年〜1970年代 ロシア帝国による中央アジア征服
1867年 ロシア帝国、タシケントにトルキスタン総督府を設置し、植民地統治を開始
1918年 ロシア連邦共和国の一部としてトルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国成立
1920年 ブハラ人民ソヴィエト共和国、ホラズム人民ソヴィエト共和国成立
1924年 中央アジアの民族・共和国境界画定によりウズベク・ソヴィエト社会主義共和国成立
1989年6月 フェルガナ事件(ウズベク人とメスフ人の民族間衝突)
1990年3月 カリモフ大統領就任
1990年6月20日 共和国主権宣言
1991年8月31日 共和国独立宣言、「ウズベキスタン共和国」に国名変更
1992年12月 カリモフ大統領再選
1995年3月 国民投票によってカリモフ大統領の任期延長
2000年1月 カリモフ大統領再選
2005年5月 アンディジャン事件
2007年12月 カリモフ大統領再選

■主要産業:綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス
■主要貿易品目(1)輸出 石油・ガス・石油製品、サービス、綿繊維、食料品、鉄・非鉄金属(2)輸入 機械・設備、化学製品、食料品、鉄・非鉄金属、石油製品


スム
スムは、ウズベキスタンの通貨。ISO 4217の通貨コードはUZSである。旧ソビエト連邦時代、カザフ、キルギス、ウズベクではソ連通貨であったルーブルはスムと呼ばれており、通貨の裏側に15の連邦構成国語で書かれた額面にもそう記載があった。連邦崩壊後に独立したウズベキスタンもその呼称を採用した。スムとは、カザフ語、キルギス語、ウズベク語に限らずトゥルク系諸言語において純金を意味する。


独立国家共同体
Commonwealth of Independent States、略称:CIS、は、ソ連崩壊時に、ソビエト社会主義共和国連邦を構成していた15か国のうちの12か国(正式には10か国)によって結成されたゆるやかな国家連合体(コモンウェルス)。当時の欧州共同体 (EC) 型の組織をモデルにしたが、独自の憲法や議会をもってはいない。日本では英語名の略称であるCISの名で言及されることが多い。本部はベラルーシの首都ミンスクに置かれている。

上海協力機構
中華人民共和国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタンの6か国による多国間協力組織、もしくは国家連合。2001年6月15日、上海にて設立。2001年10月にアジア太平洋経済協力(APEC)首脳・閣僚会議が上海で開催されたが、これに先立ち上海の存在を国際的にアピールする結果となった。第一回設立会議が上海で行われたためこの呼び名となった。


■政治
現在、旧ウズベキスタン共産党から改組されたウズベキスタン人民民主党を中心とする諸政党がイスラム・カリモフ大統領の支持勢力として議会を支配している。カリモフ大統領はウズベキスタンの独立後、自己献身・国民民主党に所属していたが、2007年にウズベキスタン自由民主党に党籍を移した。いずれの政党も、カリモフ政権の支持政党である。

ウズベキスタンの政治
大統領制の枠組みで行われ、よって大統領は国家元首であると共に政府の代表でもある。行政は政府が行っている。立法は政府と2つの議院(下院と上院)の双方で行っている。ウズベキスタンの経済改革の動きは、政治改革の動きと一致していない。ウズベキスタン政府は1991年9月1日の独立以来代わりに締め付けを強め、反対派への弾圧を強めている。


アンディジャン事件
ウズベキスタン東部フェルガナ地方のアンディジャン市で発生した武力衝突事件のこと。市民に多数の死傷者が出たことからアンディジャンの大虐殺(Andijan massacre)とも呼ばれることがある。2005年5月13日、武装勢力がアンディジャン市の刑務所を襲撃、受刑者を解放するとともに政府建物を占拠した。また、同時期に市内において大統領と政権の退陣を求める住民による大規模なデモも発生した。これに対して政府側は治安部隊を投入。鎮圧の際に一般市民に対して発砲があり、数百名の死者(実数は不明)が生じたとされる。


ルスラン・チャガエフ
ルスラン・チャガエフ(Ruslan Chagaev、男性、1978年10月19日 - )は、ウズベキスタンのプロボクサー。元WBA世界ヘビー級王者。アマチュアボクシングの確かなテクニックをベースにしたサウスポーのボクサー。体格や顔つきがマイク・タイソンと似ていることから「White Tyson(ホワイト・タイソン)」のニックネームを持っている。アマチュア時代にはウズベキスタン代表として1996年のアトランタオリンピックと2000年のシドニーオリンピックに出場経験を持つ。

イスラム・カリモフ
Islam Abduganievich Karimov、1938年1月30日 - はウズベキスタンの大統領、ウズベキスタン自由民主党所属。1938年1月30日、サマルカンドに生まれる。公式にはウズベク人だが、タジク人ではないかという噂もある。1960年、タシュセリマシュ工場で働く。1961年から1966年まで、V.P.チカロフ名称タシケント航空生産公団の技師。1964年、ウズベク共産党に入党。1966年から1983年まで、共和国ゴスプランの主任専門官、議長補佐官、課長、局長、副議長、第一副議長。

シャヴカト・ミルズィヤエフ
1957年 -)は、ウズベキスタンの政治家、首相。タシケント灌漑・農業機械化大学を卒業。コムソモールの書記、党オルグ、副学長として働く。その後1996年まで、タシケントのミルザ・ウルグベク(旧クイブイシェフ)地区長に任命。1996年9月から2001年まで、ジザク州知事。1999年、ジザフ州から第2期国会(アリー・マジリス)に出馬し当選。2001年11月から2003年12月11日まで、サマルカンド州知事。2003年12月11日、首相。

ムハンマド・アル=ブハーリー
810年 - 870年)は、9世紀のイスラーム世界で活躍したハディース学者、イスラーム法学者。ブハーリーの功績として最もよく知られているもののひとつに、預言者ムハンマド(およびその教友たち)の言行録であるハディースの研究があり、その成果はハディース集『真正集』(サヒーフ)として纏められた。生涯に90万ものハディースを収集した言われ、この『真正集』はブハーリーが16年かけてうち2700余りの「真正」(サヒーフ)と判断したハディースを厳選したものである。

イブン・スィーナー
980年 - 1037年は、ペルシアを代表する知識人で、哲学者・医者・科学者であった。ラテン名アウィケンナ(Avicenna、英語読みのアヴィセンナも普及している)。中央アジアのブハラ出身で、イランの各地で活動した。当時の世界の大学者である[2]と同時に、中世ヨーロッパのスコラ学に多大な影響を与えた。10歳でコーランを暗誦し、16歳で医学を修めるなど、エリートの道を順調に歩んだ。10代の間彼は、ファーラービーの著作に触れて哲学を学ぶ一方、医学の分野においてもサーマーン朝の君主ヌーフ2世の治療に当たるなど事績を積み、やがて「18歳にしてほとんどの学問を修めた」と自ら述懐するほどの境地に至った。

オルガ・アキモワ
(Olga Akimova、1983年5月28日 - )は、ウズベキスタン出身の女性アイスダンス選手。1998年から2007年までウズベキスタンを代表するアイスダンス選手。 パートナーは、アレクサンドル・シャカロフ、Andrei Driganovなど。

イロダ・ツルヤガノワ
(Iroda Tulyaganova, 1982年1月7日 - )は、ウズベキスタン・タシュケント出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス4勝を挙げた。ベースライン・プレーヤーで、高速サービスと両手打ちバックハンド・ストロークを最も得意にする。自己最高ランキングはシングルス16位、ダブルス28位。身長170cm、体重65kg、右利き。

マクシム・シャツキフ
(Maksim SHATSKIKH、1978年8月30日 - )は、ウズベキスタン出身のサッカー選手。FW。アジアの選手として数少ない欧州リーグ得点王のタイトルを所持し、同じくアジアの選手として、UEFAチャンピオンズリーグ最多出場、最多得点を誇る、アジアサッカー史上屈指のストライカー。サッカーウズベキスタン代表の歴代最多得点記録保持者。

ファルフ・ルジマートフ
(Farouk Ruzimatov,1963年6月26日 - )は、ロシアのバレエダンサー。ウズベキスタンのタシケント生まれ。『白鳥の湖』『ジゼル』など古典作品に限らず、ジョージ・バランシンの『放蕩息子』、モーリス・ベジャールの『バクチ』、ローラン・プティの『若者と死』『カルメン』など、幅広いレパートリーを持つ。技術の高さのみならず、古典作品では品のある美しさ、モダン作品では確立された個性を打ち出すその演技性も、高く評価されている。

アクグル・アマンムラドワ
(Akgul Amanmuradova, 1984年6月23日 - )は、ウズベキスタン・タシュケント出身の女子プロテニス選手。2008年5月26日付の世界ランキングでシングルス50位に入り、ウズベキスタンのプロテニス選手としてイロダ・ツルヤガノワ(シングルス自己最高位16位)以来2人目の世界トップ50入りを成し遂げた。

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