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キルギス共和国
Kyrgyz Republic
NIS

ヨーロッパ

「シルクロードの小さな山」
ここではシルクロードの小さな山、キルギス共和国での一年の滞在を通して得た、生のキルギス共和国、ビシュケクの文化や生活を写真とご一緒に紹介しています。特に写真はビシュケクの日常的な光景を写したものがほとんどです。旅行目的であれ、支援活動前の準備の情報であれ、はたまたただ興味のある方や友人が渡航中などのあなた。このウェブサイトが、キルギスがどういう国でどういうところか、というあなたの理解に役立つことを願います。


中央アジア
ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが[1]、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。西トルキスタンには、旧ソ連諸国のうちカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国が含まれる(以下、中央アジア5か国と記す)。


■地理
国土全体の40%が標高3000mを超える山国。国土は東西に長く、中国との国境には天山山脈が延びる。南に位置するタジキスタンに向かってパミール高原が広がる。国土の中央など東西に山脈が走り、国土を数多くの峡谷に分断している。最高峰は、中国国境にそびえるポベティ山(Pobeda または Jengish もしくは 勝利峰、7439m)、ついでハン・テングリ(Khan-Tangri または Kan-Too、6995m)である。4000m級の峰は珍しくない。


ポベーダ山
中国とキルギスの国境に位置する山。標高は7,439mであり、天山山脈の最高峰である。また、キルギスの最高峰でもある。天山山脈の支脈カクシャール(Kokshaal-Too)にあり、イシククル湖の南東に位置する。

ハン・テングリ
Khan Tengri、は、天山山脈でポベーダ山に次ぐ2番目の高さの山。海抜6995m。カクシャール嶺と哈爾克山の結合部、ポペーダ山の西隣にあり、その西にはキルギスの内陸湖イシク・クル、北はイリ河谷、南はタリム盆地のアクスオアシス。山頂はカザフスタンでの最高地点である。

パミール高原
Pamir Mountainsは中央アジアにある高原である。中国では "葱嶺"(そうれい)とも呼ばれていた。タジキスタン、アフガニスタン、中国にまたがり、世界の屋根と呼ばれる。平均標高5000m。中央部は高原状。最高峰は、中国とタジキスタンにまたがるイスモイル・ソモニ峰 (7495m)。

フェルガナ盆地
中央アジアのウズベキスタン共和国東部からキルギス共和国、タジキスタン共和国に広がる地域である。標高400 mから500 mに広がる肥沃な峡谷で、南西に開けている。ナルイン川とカラダリヤ川の2つの河川が流入し合流、さらにナマンガン近くでシルダリヤ川に合流する。この2つの河川以外にも多くの川が流れ込み、主にシルダリヤ川に沿って土砂が堆積した。

ポベーダ山
中国とキルギスの国境に位置する山。標高は7,439mであり、天山山脈の最高峰である。また、キルギスの最高峰でもある。天山山脈の支脈カクシャール(Kokshaal-Too)にあり、イシククル湖の南東に位置する。

イシク・クル
天山山脈の北、キルギスの北西に在る内陸湖。イシク湖、イシククル湖、イスィククリ湖などとも表記される。なお、沿岸の港湾都市もイシク・クルと呼ぶ。琵琶湖の9倍。最大深度は668m。標高は1,606mという高地にある。

天山山脈
中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギス、中国の国境地帯にある山脈。南はパミール高原に繋がる。最高峰はポベーダ山(7,439 m)で、中国とキルギスの国境にあり、キルギスの最高峰でもある。2番目に高いのはハン・テングリ(7,010 m)でカザフスタンとキルギスの国境にある。

シルダリヤ川
天山山脈の2箇所(キルギスと東部ウズベキスタン)に源を発し、南部カザフスタンを北西へ向かって流れ、アラル海に注ぐ川である。延長は2,212 km。

ナルイン川
シルダリヤ川水系の河川。中央アジアキルギスの天山山脈に発し、フェルガナ盆地を西に流れてウズベキスタンに入り、カラダリヤ川と合流してシルダリヤ川となる。長さは807km、年間の流量は13.7立方キロメートル。水力発電用の多くの貯水池がある。その内最大のものは19.9立方キロメートルの水を蓄えるトクトグル湖である。

エニセイ川
Yeniseiは、ロシアを流れる河川である。北極海に流れ込む最大の水系で、世界でも第5位の長さである。(オビ川を5,570kmとした場合には世界第6位)。モンゴルから北へ流れ、シベリア中央部を貫き、北極海の一部であるエニセイ湾に注ぐ。河口は川幅1km - 3km幅の川が十数本に分かれており、幅50kmの三角州になっている。流域面積はユーラシア大陸で最大の河川でもある。

タラス川
Talas River、は、中央アジアのイリ地方を流れる国際河川である。流域の主要都市としてはキルギス共和国のタラス(Talas)とカザフスタン共和国のタラズ(Taraz)があり、ともにオアシス都市である。おもな支流を20ほどもつが、いずれも小河川である。農業用水としての使用は容易ではなく、キルギスのキーロフスコーエ(Kirovskoe)にはキーロフ貯水池が建設されており、灌漑には飛行機も使用される。また、タラス川では水力発電もおこなわれている。

カラダリヤ川
Kara Daryaは、シルダリヤ川水系の河川。中央アジアのキルギス共和国のオシュ州東部に発し北西に向かい、その後フェルガナ盆地に沿ってウズベキスタン共和国を南西に流れる。ナルイン川とナマンガン郊外で合流してシルダリヤ川となる。

チュイ川
Chu/Chui)は、キルギス北部およびカザフスタン南部を流れる河川。長さはおよそ1067kmである。チュイ川は天山山脈西部のキルギス山脈北部に発し、イシククル湖の数km近くまで近づいた後北西に流れを変える。狭いボーム峡谷を抜けると、チュイ川は比較的平坦なチュイバレーに入る。ここにはキルギスの首都ビシュケクとカザフスタンの都市シュがある。

トルガルト峠
キルギスのナルイン州と中華人民共和国の新疆ウイグル自治区の間にある峠。天山山脈を越す。標高は3752m。キルギス側には名勝チャティル=クル(湖)があり、道はナルインからバルイクチ、ビシュケク(峠から400km)へと至る。道幅は狭く、冬には豪雪やそれにともなう雪崩でひんぱんに通行止めとなる。中国側には峠から110km地点のキジルス・キルギス自治州ウルグチャト県にトルガルト通関が置かれており、旅行者はこの税関を通過しなければならない。


 

■経済
農業および牧畜、鉱業が主である。農業は主として輸出品目にもなっている綿花、タバコの栽培が活発に行われている。鉱業は金、水銀、アンチモンなど。1997年に採掘がはじまったクムトール鉱山は、世界屈指の金鉱山である。また水銀(ハイダルカン鉱山)は2002年のデータで世界第3位の産出量を誇っている。

■文化
敦煌で南北に分かれた「シルクロード」は喀什で合流後、再び南北に分かれる。南の道はタジキスタンに向かうが、北の道はキルギスの南部を通過する。ビジュケク近郊のトクマムの町には、バラサグン遺跡が残る。ここには砂漠を進む商隊の灯台として使われたと推定されているブラナの塔が残る。また周囲にはキルギス各地から集められた石人があり有名。


キルギス人
主にキルギス共和国を中心として中央アジアに分布するテュルク系民族。自称はクルグズ。キルギス共和国の約260万人のほか、周辺の旧ソビエト連邦諸国や中国の新疆ウイグル自治区などにも数十万人が住み、中国55少数民族のひとつに数えられる。現在のキルギス人は天山山脈、パミール・アライ方面に居住している人々を指す。

ドンガン人
主に中央アジアのカザフスタン、キルギス領内のフェルガナ盆地に居住する中国系ムスリム(イスラム教徒)の民族。トゥンガンとも[1]。19世紀(清代)の1862年に中国西部の現陝西省地区から興った回民の反乱が鎮圧された後、ロシア帝国領であった中央アジアに逃げ込んだ人々の子孫を主体とする民族である。

ウイグル
Uyghur、は、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族並びにその国家[注 1]及びその後裔とも20世紀の政治的必要性からの名乗りともされる「ウイグル」を自らの民族呼称とする民族を指し、後者は現在中華人民共和国の統治する新疆ウイグル自治区やカザフスタン・キルギス・ウズベキスタンなど中央アジアに居住している。

タジク人
タジキスタンを中心に、アフガニスタン北部、ウズベキスタン東部、中国領新疆ウイグル自治区の西部などに居住するイラン系民族を指す近現代的民族区分。もともとは中世から近世にかけての中央アジアやイラン高原といった中央ユーラシアの乾燥地帯において、住民を2つのグループに大別しタージーク(タジク)とテュルクと呼んでいたことに由来する。

トルコ人
アナトリア半島とバルカン半島、アラブ諸国の一部に居住し、イスタンブル方言を公用語・共通語とするトルコ語を話すテュルク系の民族である。アゼルバイジャン人やトルクメン人とは民族的に親近関係にある。

カザフ
Kazakhsは、中央アジア西北部のカザフステップに広がって居住するテュルク系民族。カザフスタンにおよそ800万人が住んで同国人口の半数を占める他、中国の新疆ウイグル自治区北西部に約130万人が住む。

タタール人
タタールという名は、もともとキプチャク・ハン国支配期のロシア人によって東方・南方の草原地帯に住むモンゴル帝国のモンゴル系・テュルク系の人々を漠然と指す民族名称であったのが、ロシア帝国の拡大とともにロシア支配下の旧キプチャク・ハン国系のテュルク系ムスリム(イスラム教徒)の人々を指す語に転じ、やがて自称としても用いられるようになったものである。

東スラヴ人
スラヴ人の中で東スラヴ語を話す、現代のウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人や近隣の少数民族のことを指す。中世には、東スラヴ人のルーシ人がキエフ・ルーシ(リューリク朝)を支配した。主な情報源となる資料の中で最古の物は11世紀及び12世紀に編纂された原初年代記である。それには9世紀までにバルト海から黒海にかけて定住した12個のスラヴ部族が記載されている。

アゼルバイジャン人
Az?rbaycanlı電東癇)もしくはアゼリー人とは、アゼルバイジャン共和国とイラン北西部を中心として、その周辺地域であるグルジアやアルメニア、イラク北部、トルコ、ロシア連邦内のダゲスタン共和国などに居住しているテュルク系民族。トルクメン人やトルコ人の兄弟民族であり、アゼルバイジャン・トルコ人と呼ばれることもある。


キルギス語
Kyrgyz Tiliはキルギス共和国(以下キルギス)の国語である。キルギスの他に、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区や、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、アフガニスタン、トルコなどに住むキルギス人の間で話され、500万を越える話者がいる。

キリル文字
Cyrillic alphabet、キリール文字とも)は、主にスラヴ諸語を表記するのに用いられる表音文字の体系の一種である。伝統的には、正教会の宣教師キュリロスとメトディオスの兄弟がスラヴ人に布教するためにギリシャ文字を元に考案されたとされるが、彼らが実際に考案した文字はグラゴル文字であったらしい。しかし、グラゴル文字はすぐに廃れたため、キリル文字が広く用いられるようになり、キュリロスが作った文字であるという意味からキリル文字と呼ばれるようになった。


■国民
2009年の調査によると、キルギス人が70.9%、ウズベク人が14.3%、ロシア人が7.8%、その他が7%であり、その他にはドンガン人、ウイグル人、タジク人、トルコ人、カザフ人、タタール人、ウクライナ人、高麗人、アゼルバイジャン人などが含まれる多民族国家である。

■言語
1999年の国勢調査によると、キルギス語が65.2%、ウズベク語が14.7%、ロシア語が14.0%となっている。ウズベク語はオシ州やジャララバード州を中心にウズベク系住民の間で使われている。


■交通
国内はバスと航空網が敷かれており、外国との間にはフラッグキャリアのキルギスタン航空が、ビシュケクのマナス国際空港からアジアとヨーロッパ各国に就航しているほか、同空港には各国の航空会社が乗り入れている。


■宗教
宗教は、イスラム教が75%、正教が20%、その他が5%である。

■文化
敦煌で南北に分かれた「シルクロード」は喀什で合流後、再び南北に分かれる。南の道はタジキスタンに向かうが、北の道はキルギスの南部を通過する。ビジュケク近郊のトクマムの町には、バラサグン遺跡が残る。ここには砂漠を進む商隊の灯台として使われたと推定されているブラナの塔が残る。また周囲にはキルギス各地から集められた石人があり有名。

キルギス日本人誘拐事件
1999年キルギスタンにて金及び銅鉱床の探査を行っていた日本人鉱山技師4人、通訳らが誘拐された事件。結果的に日本人の人質は無事解放されたが、経緯に不明な点が多かったことなどから、日本における中央アジアのカントリーリスクを見直す契機となった。かねてより、IMUは「バトケン州を通過中に遭遇する外国人は誘拐する」との警告を発しており、各国政府及び現地日本政府関係者からの再三の警告にも関わらず通商産業省出身のJICAの鉱山技師らは人里はなれた山中に地質調査にでかけたため、遭遇は偶然であったもの、事前警告のとおり必然的に誘拐された。したがって、誘拐目的は身代金目的ではなく、反政府武装組織が事前警告を実直に実行したまでであり、国際テロリスト特有の政治的・宗教的な要求が組み入れられていたものであったと推測することは、より詳細な事実が明らかになるまで慎むべきであろう。 


2010年キルギス騒乱
2010年4月7日、首都ビシュケクを中心に野党勢力による数千人規模の反大統領デモが勃発。政府軍側の発砲により大規模な武力衝突となり、死者は少なくとも75人、負傷者は1000人以上に達した。野党勢力は内務省や国家治安局、国営テレビ局などを占拠した。翌日8日、バキエフは南部オシュへ逃亡、北部を中心に実権を掌握した野党勢力は元外相のローザ・オトゥンバエヴァを首班に臨時政府樹立を宣言した。バキエフ政権が事実上崩壊したことで臨時政府による新政権作りが進むとみられたものの、バキエフの辞任が確定していない上、野党も一枚岩ではないことから、政権樹立の行方は混沌としている。


ビタリ・クリチコ
1971年7月19日 - は、プロボクサー。現WBC世界ヘビー級王者。キルギス共和国ベロヴォーツク出身で現在はウクライナ国籍(ドイツに在住)。ニックネームは「ドクター・アイアンフィスト」。 体育学で博士号を持つ(キエフ大学)。1996年11月16日、プロボクサーとしてデビュー。デビューから24連勝(24KO)でWBO世界ヘビー級王座を獲得。その後2度の防衛に成功するも、3度目の防衛戦でクリス・バード(アメリカ)と対戦した際、負傷により試合続行不可となり敗北。王座を明け渡すこととなった。

オルズベック・ナザロフ
Orzubek Nazarov、1966年8月30日 - は、キルギス共和国・カント出身のタジク人のプロボクサー。WBA世界ライト級王座を7度防衛。1993年10月21日、18戦目で世界王座初挑戦。敵地南アフリカに渡り、WBA世界ライト級王者ディンガン・トベラに挑む。4回にプロ初のダウンを奪われるも、10回にダウンを奪い返すなど、猛反撃を展開。12回判定勝ちを収め、無敗のまま世界王座を獲得した。プロ:27戦26勝(19KO)1敗

ミハイル・シュヴィドコイ
Mikhail Yefimovich Shvydkoy, 1948年9月5日 - は、ロシアの舞台演出家、教育者、政治家。旧ソ連キルギス共和国カント出身。ユダヤ系軍人の父親、外科医の母親の子として生まれる。幼時に父母が離婚し、母親の再婚相手は音楽家だった。ロシア舞台芸術アカデミー卒。

ジャヌィベク・バキエフ
Janysh Bakiyev、1959年 - )は、キルギスの政治家、内務官僚。クルマンベク・バキエフ大統領の弟で、身辺警護を担当する国家警護庁の元長官。少将。名前は、ジャヌィシュともいう。2005年春、チューリップ革命に参加し、南部野党の活動を調整した。同年8月、兄のジュスプベクと共に、共和国労働・統一党を組織。2005年〜2006年、ジャララバード州内務局長。

アクタン・アブディカリコフ
Aktan Abdykalykov、1957年3月26日 - )は、キルギスの脚本家、映画監督。2010年に完成した主演・監督作「明りを灯す人」では、名前をロシア名のアブディカリコフからキルギス名のアリム・クバト(Arym Kubat)に変えた。

フェリックス・クロフ
(1948年10月29日 - )は、キルギスタンの政治家、シロヴィキ。フルンゼ市(現ビシュケク市)出身。ロシア系の多い北部では、人気が非常に高い。元首相。尊厳(アル=ナムィス)党党首。1990年12月11日、キルギス共和国最高会議議長に立候補したが敗北。1991年7月1日、キルギス共和国内務相に任命され、8月のクーデターを迎える。

ボリス・パンキン
Boris Pankin, 1931年2月20日 - は、ソビエト連邦及びロシアの外交官、政治家。1991年ソビエト連邦崩壊直前に短期間、外務大臣を務めた。キルギス共和国の首都ビシュケク出身。ソ連外務省に入り、職業外交官として活躍する。1991年駐チェコスロバキア大使として赴任中にソ連8月クーデターが発生する。多くのソ連外交官が日和見を決め込んだ中、パンキンは国家非常事態委員会の行為をクーデターと非難し、ゴルバチョフの救出を要求した。

キルギス Kyrgyz
中央アジアにある旧ソビエト連邦の共和国。首都はビシュケク(旧名フルンゼ)。かつてはキルギスタン(黠戞斯坦)という通称が用いられたこともある。北から時計回りにカザフスタン、中華人民共和国、タジキスタン、ウズベキスタンと国境を接する。

ビシュケク
Bishkekは、キルギス共和国の首都。キルギスの北中央、アラ・トー山地の麓、チュイ川の流れるチュイ峡谷に位置し、カザフスタンに近い。天山山脈を通るキャラバンの停泊地としてソグド人に造営されたと考えられている。15世紀から19世紀初めにかけて、キルギス人がこの地に進出してきた。1825年、ウズベク系のコーカンド・ハン国が土を固めた要塞を建設。独立前、ビシュケクは典型的なロシアの1都市であった。ソ連式の画一的な建物が碁盤状の大通りに整然と立ち並んでいた。ビシュケクの住民の多くがロシア人であった。しかし、独立後の2002年には、ビシュケクのロシア人の割合は20%を下回るようになった。


マナス国際空港
Manas International Airportは、キルギス共和国の首都、ビシュケクにある国際空港。マナス国際空港内には、2001年12月に国際連合の承認に基づきアフガニスタンにおける対テロ戦争支援の拠点としてマナス米空軍基地が設置され、約千人の米軍部隊が駐留している。


中央アジア大学 (University of Central Asia、UCA)
中央アジア大学とは2000年にキルギス、カザフスタン、タジキスタンの三政府とアーガー・ハーン4世によって設立された世界で初めての国際協力による高等教育施設である。キャンパスはナルインのほかにもカザフスタンのテケリ、タジキスタンのホログに置かれている。


外務省:キルギス共和国
在キルギス日本国大使館


マルシュルートカ
ロシア、ウクライナ、バルト三国など、もとソ連圏諸国でよく見られる、乗合タクシーに似た小型の乗合バスである。ルートと値段があらかじめ決められており、公営の路線バスより高速で本数や路線数も多いが、料金が割高な場合が一般的である。1930年代にモスクワで始まり、戦時中の車両不足で途絶えたこともあるが、20世紀後半に全盛期を迎え、いまでも大都市で近郊電車やバスの連絡がない観光地への運搬に、広く使われている。


ライトレール
(Light rail、軽量軌道)とは、北米の都市および近郊で運行される「輸送力が軽量級な」旅客鉄道を指す。トランジット(transit)を付記してライトレール交通(Light rail transit, LRT)とも呼ばれる。この言葉・概念はそれの新設時期に米国の機関によって作られた。ライトレールを走行する車両をライトレール車両(Light rail vehicle、LRV)とも呼ぶ。


トルキスタン・シベリア鉄道
中央アジアとシベリアを結ぶ鉄道。トゥルクシブと略される。軌間はロシア式の広軌で1,520mm。ウズベキスタンのタシュケントとシベリアのノヴォシビルスクを結ぶ。タシュケント北方のアルス(アルィーシ)で、カスピ海横断鉄道から分岐して、北東に進み、シムケント、タラズ、キルギスの首都ビシュケク、カザフスタン最大の都市・アルマトイを経て北に転じ、セメイを過ぎてロシアに入りバルナウルを経てノヴォシビルスクに至る路線。


タラス
Talasは、キルギス共和国北西部にある都市。タラス州の行政府がある。タラス川沿いの渓谷に位置し、カザフスタンの国境に近く、同国のジャンビルが約80km北西にある。標高は約1300メートル。長く交通の要所として重要な役割を果たしてきた。751年にこの地の近くでタラス河畔の戦いが起こり、アッバース朝に唐の節度使である高仙芝が敗れた。この戦いを機に、製紙法がイスラーム世界にもたらされたとされる。

ナルイン
Narynは、キルギスの都市。同国中部の標高2,000m付近に位置し、ナルイン州の州都でもある。2008年の人口は52,300人。シルダリヤ川の主要な支流の1つのナルイン川の両岸に広がり、美しい峡谷を切り開いて建設された。市街には地域博物館が2館と民宿が数軒ある。

オシ
Oshは、キルギスの都市。同国南部のフェルガナ盆地に位置する国内第二の都市で、しばしば「南部の首都」と形容される。市街には3,000年の歴史があり、1990年にキルギス人とウズベク人の対立によって生じたオシ暴動の現場でもある。市街地には中央アジア最大の青空市場があり、活気がある。オシの産業基盤はソビエト連邦時代に構築され、ソ連崩壊と共にその大部分を失ったが近年徐々に回復しつつある

マナス
Manasは、キルギスに伝わる叙事詩である。また、その主人公たる勇士の名でもある。口承された数十万行に及ぶ叙事詩で、ホメロスの『オデュッセイア』や『イリアス』、古代インドの『マハーバーラタ』にくらべて、何倍も長い。マナスから始まり、その子セメテイ、孫セイテクと続く、計8代の事跡をうたう。契丹人とカルムイク人との戦いが叙事詩の主要なテーマになっている。

バトケン
(Batken)は、キルギス共和国の南西部のバトケン州の州都。人口は12.000人。フェルガナ峡谷の南端に位置する。 市名はソグド語で「風の町」を意味する。

ジャララバード
Jalal-Abad、Dzhalal-Abadは、キルギス南西部のジャララバード州の州都。人口は75,000人。フェルガナ盆地の北東端に位置する。ウズベキスタンとの国境に近く、住民の3分の2はウズベク人である。この地から湧き出る鉱泉で有名で、ハンセン病に効くと信じられソ連時代には多くの療養施設が設けられた。

ウズベク
Uzbekは、西トルキスタン南部、ホラズム地方からフェルガナ地方にかけてに広がって居住し、中央アジアで最大の人口を抱えるテュルク系民族。


チュイ州
キルギスの州。北から時計回りにカザフスタン、イシク・クル州、ナルイン州、ジャララバード州、タラス州と接する。州都はビシュケクだが、2003年から2006年5月まではトクモクだった。

ナルイン州
同国の州のなかで最大の面積を誇る。1939年11月21日にティエン=シャン州として新設され、1962年12月20日の解体を経て1970年12月11日に再組織された。1988年12月5日をもってイシク・クル州と合併したものの、1990年12月14日に再び分かれた。このさい現在の名称に改められ、現在に至る。

オシ州
人口はフェルガナ盆地の北部に集中している。アライ山地が連なる南部に近づくにつれ標高は上昇し、トランスアルタイ山地でタジキスタンと国境を接する。東のナルイン州との境は、おおよそフェルガナ山地の尾根にあたる。フェルガナ盆地でナルイン川と合流しシルダリヤ川となる、カラダリヤ川の流域である。

タラス州
北と西でカザフスタンと、東でチュイ州と、南でジャララバード州と、西でウズベキスタンとそれぞれ接する。州全体が西に開けたU字谷で、キルギス山地が北のチュイ州境を成し、南にはタラス山地が連なる。渓谷を流れるのはタラス川。幹線道路のA361号線が国境のオトモック峠を経てカザフスタンのタラズに至る。

イシク・クル州
州北部に東西に細長いイシク・クルがあり、湖の北側にキュンゲイ山地(山陽の意)、南側にテルスケイ山地(山陰の意)が連なる。南部には山あいにジャイルー(夏の牧草地)が点在する。ハン・テングリをはじめとする高い山々は東端部に位置する。


■国名
公式の英語表記は Kyrgyz Republic。通称 Kyrgyzstan。クルグズ(キルギス)の語源は「кырк(クィールク)」が40の意味で、40の民族を指し、また中国人にかつて「гунны(グンヌィ、匈奴)」と呼ばれていた背景から、それらを合わせてクルグズとなったと言われている。ちなみに、テュルク系言語で40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する「クゥズ」をあわせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり、中央アジアに広く伝えられるアマゾネス伝承との関連をうかがわせる。したがって、「40の民族」というよりも、「40の部族」ないし「40の氏族」という意味のほうが適切である。


集団安全保障条約
1992年5月15日に旧ソ連の構成共和国6カ国が調印した条約。3カ国の新規加盟、3カ国の条約延長拒否を経て、現在、ロシア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの6カ国が加盟している。同条約は、計11条の条文から成り、加盟国の軍事分野における協力について規定している。2004年には、下記のように集団安全保障条約機構に発展した。


1.面積:19万8,500平方キロメートル(日本の約2分の1)
2.人口:560万人(2010年:国連人口基金)
3.首都:ビシュケク(Bishkek)
4.民族:キルギス系(75%)、ウズベク系(14.3%)、ロシア系(7.2%)、ドウンガン系(1.1%)、ウクライナ系(0.3%)、その他ウイグル系、タタール系など(2011年:キルギス統計委データ)
5.言語:キルギス語が国語。(ロシア語は公用語)
6.宗教:主としてイスラム教スンニ派(75%)、ロシア正教(20%)、その他(5%)

17〜18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行
18世紀後半〜19世紀前半 コーカンド・ハン国による支配
1855年〜1876年 ロシア帝国に併合
1918年 ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる
1924年 中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる
1926年2月 キルギス自治ソヴィエト社会主義共和国成立
1936年 ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1990年6月 オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突)
1990年10月 アカーエフ大統領就任
1990年12年12日 「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言
1991年8月31日 共和国独立宣言
1993年5月 国名を「キルギス共和国」に変更
2005年4月 政変によりアカーエフ大統領辞任
2005年7月 バキーエフ大統領当選
2009年7月 バキーエフ大統領再選
2010年4月 政変によりバキーエフ大統領辞任
2010年6月 南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突
2010年6月 国民投票により、新憲法採択
2010年7月3日 オトゥンバエヴァ大統領就任
2010年10月10日 議会選挙実施
2010年12月 連立与党結成・新内閣発足

■主要産業:農業・畜産業(GDPの約3割)、鉱業(金採掘)
■主要貿易品目(1)輸出 貴金属・真珠・宝石、化学製品、鉱物製品、繊維製品、野菜・果物(2)輸入 鉱物製品、機械設備、化学製品、運輸関連製品、食料


キルギス・ソム
сом)はキルギスの通貨。ISO 4217の通貨コードはKGS。補助単位は100分の1のトゥイン。1993年5月10日、ソビエト・ルーブルに代わり1ソム=200ルーブルのレートで導入された。


キルギスの政治
議院内閣制である。大統領は象徴的地位であり、首相は議会選挙において過半数を獲得した政党が指名する。2010年の改正以前の旧憲法では、半大統領制の間接民主主義体制であり、大統領は国家元首であった。キルギスが完全に独立した当初、大統領アスカル・アカエフは誠心誠意改革に携わることを明らかにした。しかし、国際通貨基金(IMF)など西側から資金援助を受けたとはいえ、キルギスは経済面で初めから重大な困難に直面した。主に同国が自由市場経済に移行するのを妨げるソ連の貿易ブロックが崩壊した結果である。


チューリップ革命
Tulip Revolutionは、2005年2月27日と同年3月13日の2回に分けられて行われたキルギス議会選挙の後に同国大統領アスカル・アカエフが辞任した事件。世論ではアカエフ派は汚職に手を染め、独裁体制を築いていったとされていたため、この革命ではアカエフとその一派による支配の終焉が模索された。なお革命後、アカエフは国外に逃亡したが同年4月4日、モスクワのキルギス大使館において議会代表団の同席の下で辞任声明文書に署名した。


国際通貨基金
International Monetary Fund、IMF)は、通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。2011年9月現在の加盟国は187ヶ国。為替相場の安定を図ることなどを目的に1944年7月にアメリカ合衆国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで開かれた国際連合の「金融・財政会議」のブレトン・ウッズ協定によって、戦後復興策の一環として国際復興開発銀行と共に1946年3月に29ヶ国で創設された。


独立国家共同体
Commonwealth of Independent States、は、ソ連崩壊時に、ソビエト社会主義共和国連邦を構成していた15か国のうちの12か国(正式には10か国)によって結成されたゆるやかな国家連合体(コモンウェルス)。当時の欧州共同体 (EC) 型の組織をモデルにしたが、独自の憲法や議会をもってはいない。日本では英語名の略称であるCISの名で言及されることが多い。本部はベラルーシの首都ミンスクに置かれている。トルクメニスタンとウクライナは憲章を批准していないため非公式な加盟国である。2008年8月の南オセチア紛争により2009年8月にグルジアが脱退したため、現在の正式加盟国は9か国である。

キルギス・ソビエト社会主義共和国
ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国の1つ。1991年8月31日、キルギスタン共和国(1993年5月、キルギス共和国に改称)として独立した。ロシア革命後、赤軍は、キルギス地方において、白衛軍、バスマチ(反革命派イスラム教徒)の部隊を撃破した。民族別国家分画の政策の下、1924年10月14日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の構成下にカラ・キルギス自治州が設置された(1925年5月25日からキルギス自治州)。


■音楽
キルギス人の民族楽器は三弦のコムズが知られる。キュと呼ばれる器楽独奏曲ごとに伝説が残されており、伝統的な作法では、伝説を語った後、キュを演奏していた。


2011/10/29  2010年4月、市民らの反政府運動で当時のバキエフ大統領が失脚し、臨時政府が樹立された。今回の選挙は今年末まで暫定的に勤めるオトゥンバエワ大統領の公認を決める事になる。


チンギス・アイトマートフ
Chinghiz Aitmatov1928年12月12日 - 2008年6月10日 は、キルギスの作家。1928年12月12日ソビエト連邦キルギス共和国のタラス州シェケルに生まれる。両親はシェケルの公務員。名前はモンゴル帝国のチンギス・ハーンに由来する。幼年時代は、当時のキルギス人同様、遊牧生活を送る。少年時代から働き始め、14歳の時に地区(村)ソビエトの書記のアシスタントとなったのを手始めに、収税吏、道路工事夫、技術者のアシスタントなど様々な仕事についた。

イゴール・パクリン
Igor Paklin, 1963年6月15日 - は、ソビエト連邦の陸上競技選手。男子走高跳の元世界記録(2m41)保持者である。この世界記録は、1985年のユニバーシアード神戸大会で樹立した。キルギス・ソビエト社会主義共和国フルンゼ(現ビシュケク)出身。

アルマズベク・アタンバエフ
1956年9月17日 - は、キルギス共和国の政治家。現在、同国大統領(第4代)。官職では経済発展・産業・貿易相、首相代行、2010年発足の暫定政府の副首相、首相などを、党職ではキルギスタン社会民主党党首、「統合国民運動」議長を歴任した。

クルマンベク・バキエフ
1949年8月1日-は、キルギスの政治家。大統領(第2代)、首相(第7代)などを歴任。1972年、電気工学専攻で、クイブイシェフ工業大学を卒業。軍除隊後、クイブイシェフで電気工、後に電気技師として働いた。キルギスタンに戻り、ジャラル・アバドで技師として出世し、1985年、コク・ヤンガク市の「プロフィール」工場長となった。

アスカル・アカエフ
Askar Akayevich Akayev, 1944年11月10日 - は、キルギス共和国の政治家で初代大統領。アカエフが政界に入るのは1990年以降のことである。それ以前のアカエフは技術者および教育者であり、政界とは縁がなかった。レニングラード精密光学機械大学を1967年に卒業し、数学、機械工学、計算機工学において学位を取得した。1981年にモスクワ理工大学より工学博士号を授与される。

ローザ・オトゥンバエヴァ
(1950年8月23日 -)は、キルギスの政治家、外交官。同国大統領を務めた。ジョゴルク・ケネシ (キルギス国会 en) 代議員。「統合国民運動」政治局員。ソ連時代、独立後を通じて外相、各国大使を務めた。報道ではオツンバエワ、オトゥンバエワとも表記される。2010年4月、野党勢力による反政府デモ(2010年キルギス騒乱)が発生しクルマンベク・バキエフ政権が崩壊、オトゥンバエヴァは自らを代表とする暫定政府の発足を宣言した。

ウラジミール・クリチコ
Wladimir Klitschko、 男性、1976年3月25日 - は、ウクライナのプロボクサー。現WBA・IBF・WBO・IBO世界ヘビー級スーパー王者。 WBC世界ヘビー級王者ビタリ・クリチコの弟。ウクライナ人であるが、ボクシング活動の本拠地としているドイツでは兄・ビタリとともに絶大な人気がある。また、体育学で博士(キエフ大学)を持つ秀才でもあり「ドクター」と称されることもある。ウクライナ語,ロシア語,ポーランド語,ドイツ語,英語の5か国語を話せるほど語学にも堪能である。総試合数61、勝ち58、KO勝ち51、敗け3

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