freedom

カザフスタン共和国
Republic of Kazakhstan
NIS

ヨーロッパ

■地理
カザフスタンはユーラシア大陸の中心に位置しており、世界第9位の広大な国土面積(アジアでは、中国、インドに次いで第3位)を有し、同時に世界最大の内陸国でもある。但し、国土の大部分はサルイイシコトラウ砂漠やキジルクム砂漠などの砂漠や乾燥したステップ (植生)で占められており、そのため人が住めるところは少なく、人口の大半は首都と一部の地域に偏在している。人口も1600万人程度であり、2010年の統計では、世界第61位となっている。


内陸国
Landlocked country)とは、陸の国境に囲まれ、海がない国である。世界には48の内陸国がある。国連海洋法条約では、内陸国に、通行税を課されずに他国を通過して海に連絡する権利が与えられている。国際連合には、発展途上の内陸国を援助するための行動プログラムがある。


中央アジア
ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。


ユーラシア大陸
Eurasia)は、その語源がユーロ (Euro) + アジア (Asia) にあることからもわかるように、ヨーロッパとアジアとを合わせた地形的に独立した地域を指す。アジアとヨーロッパの境界は人為的なものなので明確でないが、ウラル山脈、カスピ海、大コーカサス山脈、黒海などを境にする説が主流である。六大陸の中で一番大きい大陸である。


天山山脈
中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギス、中国の国境地帯にある山脈。南はパミール高原に繋がる。最高峰はポベーダ山(7,439 m)で、中国とキルギスの国境にあり、キルギスの最高峰でもある。2番目に高いのはハン・テングリ(7,010 m)でカザフスタンとキルギスの国境にある。

サルイイシコトラウ砂漠
(Peski Saryishikotrau)は、中央アジアのカザフスタン南東部にある砂漠である。サリエシク・アティラウ砂漠(Saryesik-Atyrau Desert)ともいう。カザフスタンの旧首都アルマトイの北からバルハシ湖にかけて広がっている。そのバルハシ湖へは砂漠を貫いてイリ川が流れ込んでいる。

カスピ海
中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖。世界最大の湖である。現代のペルシア語では一般に「ハザル海」と呼ばれるが、これは7世紀から10世紀にカスピ海からコーカサスや黒海にかけて栄えたハザル王国に由来する(現代ペルシア語では、カスピ海南岸のイランの地名から「マーザンダラーン海」とも呼ばれる)。

アラル海
Aral Sea、はカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖である。アムダリヤ川とシルダリヤ川が流れ込み、流出河川はない。人為的要因による湖の縮小により分断された北側を小アラル海、南側を大アラル海と呼ぶ。更にその大アラル海は東アラル海と西アラル海に分断されている。この地域はもともと海底であったことから、土壌には塩分が多量に含まれている。

エルティシ川
Irtysh River, はアジアの川で、オビ川の主要な支流のひとつ。主な支流にトボル川、エシム川、オミ川がある。長さは4,248km。流域面積は1,643,000km2。通過する主要な都市は、カザフスタンのウスチカメノゴルスク、セミパラチンスク(セメイ)、パヴロダルなどがある。

ウラル川
Ural Riverは、ロシア連邦とカザフスタン共和国を流れる河川である。ウラル山脈東部を源流としマグニトゴルスクを経て南に流れる。ウラル山脈南部を回ってオルスクで西に流れを転じる。オレンブルクでサクマラ川が合流しカザフスタンに入る。オラルでまた流れを南に転じ、アティラウ近くの三角州でカスピ海に流れ込む。全長2,428km。

シルダリヤ川
天山山脈の2箇所(キルギスと東部ウズベキスタン)に源を発し、南部カザフスタンを北西へ向かって流れ、アラル海に注ぐ川である。延長は2,212 km。流域には、宇宙基地で知られるバイコヌールなどの工業都市が存在する。

イリ川
İ陳底絳は、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区の北部のイリ・カザフ自治州からカザフスタン南西部のアルマトイ州にかけて流れる川である。長さ1,439kmのうち815kmがカザフスタン部分を流れる。

マルカコル湖
Lake Markakolは、カザフスタン東部の東カザフスタン州(座標=北緯48度44分46秒東経85度44分38秒)のアルタイ山脈山中にある湖。全長38km、幅19km。西端から流れ出る川はエルティシ川上流に流入する。

ザイサン湖
Lake Zaysanは、カザフスタンの東部にある淡水湖。面積は1,810km2。標高420mにあり、長さは105km、幅は22〜48kmある。水深は最大15m。エルティシ川が流れ出す。11月の初めから4月の終わりまでは氷に閉ざされる。

マルカコル湖
Lake Markakol)は、カザフスタン東部の東カザフスタン州(座標=北緯48度44分46秒東経85度44分38秒)のアルタイ山脈山中にある湖。

バルハシ湖
カザフスタン東部にある湖。中央アジア最大の湖である(カスピ海は西アジアとヨーロッパと境にあり、中央アジアの湖ではない)。面積は16,996km2で、かつてはアラル海のほうが広かったが、アラル海の縮小・分裂により、バルハシ湖が中央アジア最大となった。アジアではバイカル湖に次ぎ2位、世界では14位。近年では流入量の減少、水質汚染が危惧されている。

キジルクム砂漠
Kyzyl kum)は、カザフスタン、ウズベキスタン、それにトルクメニスタンの一部にかけて広がる砂漠。キジルクムはテュルク諸語で「赤い砂」を意味する。面積は約29万8000 km2。北東にシルダリヤ川、南西にアムダリヤ川が流れている。金や天然ガスといった資源が眠り、川やオアシス周辺では農業がおこなわれている。


カザフステップ
カザフステップ若しくはキルギスステップとは、カザフスタン北部よりロシア南部までの広い草原地帯の事で、ポントゥス平原の東側、ドルビルジン・バレー平原の西側に存在し、ユーラシア平原の一部である草原である。

ステップ (植生)
steppe)は、中央アジアのチェルノーゼム帯など世界各地に分布する草原を言う。ロシア語で「平らな乾燥した土地」の意味。プレーリーが丈の高い草でおおわれる平原であるのに対し、ステップでは通常丈の短いイネ科等の草がみられる。半ば砂漠であることもあれば、草ないしは低木におおわれていることもある。季節により両者が移り変わることもある。


トランスオクシアナ
(Transoxiana)は、ラテン語で「オクサス川(アムダリヤ川)の向こうの土地」を意味する。具体的にはアムダリヤ川とシルダリヤ川に挟まれた地域をさす。今日のウズベキスタンとタジキスタン、それにカザフスタンの南西部の一部に該当する。現在では、トランスオクシアナという用語は、主として8世紀以前の中央アジアに言及する時の歴史学的用語である。


■歴史
紀元前3世紀から1世紀、カザフスタン領域に最初の氏族制共同体が出現した(康居、奄蔡など)。6世紀から8世紀、テュルク系民族の初期封建制ハン国が存在した(突厥、西突厥など)。9世紀から12世紀、周辺地域に、オグズ族(en:Oghuz Turks)、キマク人(en:Kimek)、キプチャク人、カラハニド人等が流入した。11世紀後半、セルジューク朝との戦争が始まり、12世紀前半には、契丹の侵入が起こった(西遼)。13世紀初め、カザフスタン領域は、モンゴル人により征服されジョチ・ウルスが成立。18世紀初め、ジュンガル人が襲来した。1730年代から1740年代、小ジュズと中ジュズは、ロシア国籍を自発的に受け入れた。1860年代、カザフスタン領域はロシアに併合された。ソビエト連邦崩壊後の1991年12月16日に、カザフスタン共和国として独立し、1991年12月21日に独立国家共同体(CIS)に加盟した。

■住民
カザフ人が63.1%、ロシア人が23.7%、ウズベク人が2.9%、ウクライナ人が2.1%、ウイグル人が1.4%、タタール人が1.3%、ヴォルガ・ドイツ人が1.1%、その他4.5%となっている。

■言語
憲法ではカザフ語が国家語、カザフ語とロシア語が公用語と定められている。現在、カザフスタンにおいてカザフ語を話すことができるのは全人口の64.4%である。一方、ロシア語は95%の住民が使用しており、とりわけ都市部においては、ロシア語を母語とし、カザフ語を全く話せないカザフ人も多い。

■宗教
イスラム教が47%、正教会が44%、プロテスタントが2%、その他7%などとなっている。


サカ
(Saka)は、紀元前6世紀頃から中央アジアに現れるイラン系遊牧民族。サカとはペルシア側の呼び名で、古代ギリシアではサカイ(Sakai)と呼んだ。また、中国の史書では塞(さい)と呼ばれる種族がサカにあたるとされる。サカ・ティグラハウダーは中央アジアの西側、サカ・ハウマヴァルガーは中央アジアの東側に住んでおり、サカ・パラドラヤは「海のかなた」すなわちカスピ海もしくは黒海の北となり、ギリシア文献に出てくるスキタイを指すものと思われる。

ウイグル
Uyghur、ルク系遊牧民族並びにその国家及びその後裔とも20世紀の政治的必要性からの名乗りともされる「ウイグル」を自らの民族呼称とする民族を指し、後者は現在中華人民共和国の統治する新疆ウイグル自治区やカザフスタン・キルギス・ウズベキスタンなど中央アジアに居住している。

イッセドネス人
古代ギリシャ時代にもっとも東に住む民族とされた遊牧民。その居住地は中央アジアのカザフステップだと思われる。エッセドネス族とも表記される。

キンメリア人
Kimmerians,は、紀元前9世紀頃に南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族。ギリシア語ではキンメリオイと呼ばれる。そのため、彼らの住む地域(南ウクライナ)はキンメリアと呼ばれた。

チェチェン人
Chechenets)は、北カフカースの民族。ソ連解体以降、一部のチェチェン人はロシア連邦のチェチェン共和国において、ロシアからの分離独立を目指してテロリズムを行っている。チェチェン人とイングーシ人の先祖は非常に古い時代から北カフカスに住んでいたと考えられ、古代の地誌に既に両民族の先祖に関する記述がみられるとされる。

アルメニア人
アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。また中世の東ローマ帝国ではアルメニア系の王朝が建てられたことがある。なお、アルメニア人は非カルケドン派であるアルメニア使徒教会の信者がほとんどである。


烏孫
烏孫(うそん、は、紀元前161年から5世紀にかけて、イシク湖周辺(現在のキルギス)に存在した遊牧国家。烏孫は遊牧民なので、その習俗はほとんど匈奴と同じである。馬が多く、富人になると4〜5千匹も所有する。顔古帥が言うには、青目、赤顔。イリ地方では南の天山山脈に囲まれながらイシク湖周辺に本拠(赤谷城)を置き、たびたび周辺国を荒らしていた。現在、赤谷城のあった所はイシク湖に水没しており、湖底でその遺跡らしきものが発見されている。

カザフ
Kazakhsは、中央アジア西北部のカザフステップに広がって居住するテュルク系民族。カザフスタンにおよそ800万人が住んで同国人口の半数を占める他、中国の新疆ウイグル自治区北西部に約130万人が住む。カザフ人のほとんどは元来遊牧民で、20世紀初頭までは人口のほとんどが遊牧生活を行っていたが、ソ連で1930年代に大規模な定住化が政策として行われた結果、現在は都市民・農耕民となっている。しかし、定住化と近代化を経てもカザフ人のジュズ、部族、氏族に対する帰属意識はよく残っている。

カザフ・ハン国
15世紀から19世紀にかけて現在のカザフスタンに存在したテュルク系イスラム王朝。ジョチ・ウルスのトカ・テムル家の子孫が建てた。1446年、ウズベクのアブール=ハイル・ハーンがシル川中流域のオアシス都市スグナク、サウラン、ウズゲンドを占領すると、もともとシル川中流域を拠点としていた連中(これをカザフと呼ぶ)がトカ・テムル家のケレイとジャーニー・ベクを擁してアブール=ハイル・ハーンに背き、モグーリスタンの辺境に移住した。

カラハン朝
中央アジアにあったテュルク系イスラム王朝(9世紀中頃 - 1211年)。テュルク系民族として最初にイスラム教へ集団的に改宗し、中央アジアのテュルク化・イスラム化に大きな役割を果たした。

ジョチ・ウルス
13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯を舞台に、チンギス・ハーンの長男ジョチの後裔が支配し興亡した遊牧政権(ウルス)。一般にキプチャク・ハン国の名で知られる国とほぼ同じものである。

ジュンガル
Dzungar、は、17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心に活動した遊牧民オイラトの一部族および、それが中心となって築き上げた遊牧帝国。オイラト部族連合に属し、一時期はオイラトの盟主となって一大遊牧帝国を築き上げた。ジュンガル帝国の滅亡後、このような遊牧帝国が2度と生まれなかったため、最後の遊牧帝国とも呼ばれる。

テュルク諸語
中央アジア全体やモンゴル高原以西にあるアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパから北アジア(シベリア)に至る広大な地域で話される、言語系統を同じくする諸言語の総称。その分布の広大さに比べて言語間の差異は比較的小さく、テュルク諸語全体をひとつの言語、「テュルク語」と見なし、各言語を「テュルク語の方言」とする立場もありうる。

キプチャク
(Qipchaq)は、中央ユーラシアのテュルク系遊牧民に起源をもつ部族集団。東ヨーロッパの歴史にあらわれるクマン人と同じ人々である。キプチャクと呼ばれる遊牧民集団は、11世紀頃にハザールにかわってロシア南方の草原地帯にあらわれ、黒海北岸からアラル海北方の草原地帯に広がって遊牧するようになった。

オグズ
(Oghuz)は、かつて中央アジアの北部に存在したテュルク系遊牧民族。10世紀以降になると南下してトゥルクマーン(「テュルクに似たもの」の意[1])という名で呼ばれるようになり、その一部はセルジューク朝などのイスラーム王朝を建てた。


<世界遺産>

ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟は、未完成で終わったカザフスタン南部・テュルキスタン市にあるイスラーム建築における廟建築である。カザフスタンにおけるユネスコの世界遺産第1号であり、2003年に指定された。ティムールが1405年に死亡したことにより、廟建築の継続は中止されたため、結果として、その後の統治者は、この廟に関しての関心はそこまで大きいものではなかったために、ティムール建築の典型例が当時の姿のまま残った。

タムガリの考古的景観にある岩絵群
タムガリは、カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。最大都市アルマトイからは北西に約180 km のところにある[1]。一帯には紀元前14世紀以降に描かれた5000点にのぼる岩絵(線刻画)群が残されており、周辺に残る住居跡や祭祀場跡と推測されている遺跡群とともに、中央アジアにおける傑出した文化的景観を形成している。タムガリの岩絵群は、48の遺跡地域に分けられているが、5000点を超える岩絵群の約6割は、そのうち5つの遺跡地域に集中している。岩絵はいずれも金属器や石器で岩の表面を傷つけて線刻描画したもの(ペトログリフ)で、洞窟壁画と異なり、露天の岩面に残されている。岩絵群の中で最も古いものは紀元前14世紀後半ごろのものと考えられており、動物や人物像のほか、神格化された太陽の顔がいくつも描かれている。

サリャルカ - 北カザフスタンのステップと湖群
サリャルカにはナウルムズム国立自然保護区(Naurzum State Nature Reserve, コスタナイ州)とコルガルズィン国立自然保護区(Korgalzhyn State Nature Reserve, アクモラ州)が含まれており、これらの保護区には、ヨーロッパ、アフリカ、南アジアなどからの渡り鳥たちにとって重要な停留地となる湿地帯が存在している。この地域を索餌場として使っている鳥は1500万から1600万羽に及ぶと見積もられており、その中には絶滅危惧種も含まれている。コルガルズィン自然保護区では、フラミンゴが特に目を惹く。


大尉の娘
ロシアの詩人アレクサンドル・セルゲーイヴィチ・プーシキンが1836年に発表した、散文小説である。本作は、帝政ロシアで実際に発生した争乱であるプガチョフの乱(1773年 - 1775年)を題材としている。

プガチョフの乱
ロシアのヴォルガ川・ウラル川流域で1773年から1775年に発生した大規模な農民の反乱であり、農民暴動としてはロシアの歴史上最大のものである。ロシアの歴史学界では、「1773-1775年の農民戦争」との呼び方が一般的である。


カザフスタン文化センター
私たちの活動は任意のスタッフにより政治や宗教に左右されない中立的な立場で運営されています。そして私たちはカザフスタン共和国と日本国の間で、民族、風土、文化、伝統と、経済交流の発展を支援するための機会を提供しています。


カリム・マシモフ
1965年6月15日 -)は、カザフスタンの政治家。同国前首相。親中派として知られる。労働省の課長、駐ウルムチ・カザフ通商代表部専門官、アクツェプト社副社長、駐香港カザフ貿易会館館長、アルマトイ貿易金融銀行理事長、運輸・交通相、副首相を歴任。

ダリガ・ナザルバエフ
Dariga Nursultanqyzy Nazarbayeva 1963年5月7日 -)は、カザフスタンの政治家。ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の長女。政治の才を有し、男子のいないナザルバエフにとって、有力な後継者候補である。カザフスタン・ジャーナリスト会議議長。国家テレビ芸術・科学アカデミー国際会議役員、ユーラシア戦略研究センター総裁。ユネスコ問題国家委員会委員。ユーラシア・テレフォーラム共同議長。スポーツ専門学校連盟総裁。

ザマンベック・ヌルカディロフ
(1944年1月15日 - 2005年11月12日)は、カザフスタン共和国の政治家。カザフ人。カザフ・ソビエト社会主義共和国アルマ・アタ州ウイグルスキー地区ケトペン村出身。1967年、カザフ工業大学を卒業し、建築技師。第13特殊修理局の先任現場監督、後にトラスト「アルマ・アタジルストロイ」の主任技師として働く。2001年5月〜2004年3月、非常事態局長官。2005年11月12日、暗殺。

ワレリー・リューキン
Valery Liukin、1966年12月17日 - )は現在のカザフスタンアクトベ出身の旧ソビエト連邦の男子体操競技選手である。1980年代後半から1990年代前半にかけてのソビエト男子体操全盛期にチームの中心選手として活躍した。現在でも実施する選手がほとんどいない床運動の「後方かかえ込み3回宙返り」、鉄棒の「伸身トカチェフ1回ひねり」といった難度の高い技を実施するのが特徴であった。

アレクサンドル・ヴィノクロフ
(Alexander Vinokourov、1973年9月16日-)はカザフスタン、ペトロパヴル出身の自転車プロロードレース選手。果敢な走りが特徴のオールラウンダーであり、「ヴィノ」の呼称で親しまれている。2006年のブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝、2012年のロンドンオリンピック金メダルを筆頭に、数々のステージレースで活躍したほか、クラシックレースのリエージュ〜バストーニュ〜リエージュを制するなど多くの勝利を収めた。

アスラン・マスハドフ
Aslan Aliyevich Maskhadov, 1951年9月21日 - 2005年3月8日)は、チェチェン独立派の最高指導者で国際的に未承認のチェチェン・イチケリア共和国の第3代大統領。ロシア連邦保安庁特殊部隊によって殺害された。

トクタル・アウバキロフ
Toktar Ongarbayuly Aubakirov、1946年7月27日-)は、カザフスタン空軍の軍人、宇宙飛行士、政治家である。飛行技師、航空流体力学技師、工学科学博士(論文テーマ「(人工)衛星の破片と飛行装置に対するその作用:数学的モデル化」、1998年)、コクシェタウ大学教授。

ベイブット・シュメノフ
(Beibut Shumenov、男性、1983年8月19日 - )は、カザフスタンのプロボクサー。南カザフスタン州シムケント出身。現WBA世界ライトヘビー級王者。2012年6月12日、WBA世界ライトヘビー級王座の4度目の防衛とIBA世界ライトヘビー級王座の5度目の防衛を目指しハードロック・ホテル&カジノでエンリケ・オルネラスと対戦し、3-0(120-108、120-108、120-108)の判定勝ちでWBA世界ライトヘビー級王座の4度目の防衛に成功、IBA世界ライトヘビー級王座の5度目の防衛に成功した。

セリクボルスィン・アブディリディン
(1937年11月25日 -)は、カザフスタン共和国の政治家。カザフスタン独立後最初の最高会議議長、元カザフスタン共産党党首(第一書記)。セミパラチンスク州アクスアツキー地区クィズィルケセク村出身。カザフ人。1960年、カザフ農業大学を卒業。1960年〜1963年、セミパラチンスク州のソフホーズで農業技師として働く。

セルゲイ・オスタペンコ
(1986年2月23日 - )はカザフスタン出身の同国代表サッカー選手。ポジションはFW。2007年6月6日、アゼルバイジャン戦で代表初キャップ。EURO2008予選最終節アルメニア戦では味方のスルーパスに反応し、キーパーのと1対1の状況で冷静に決め、自身の代表初ゴールを記録した。

 

カザフスタン Kazakhstan
中央アジアの国家。首都はアスタナ、最大都市はアルマトイ。ロシア連邦、中華人民共和国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接し、カスピ海、アラル海に面している。

アスタナ
アスタナ(Astana)は、カザフスタン共和国の首都。1997年にアルマトイから遷都された。旧称はアクモリンスク(Akmolinsk)、ツェリノグラード(Tselinograd)、アクモラ(Aqmola)。アスタナはカザフ語で「首都」の意味。 イシム川右岸にある。推計人口75万人(2008年)でアルマトイに次いで同国2位。新首都は、黒川紀章の都市計画に基づいて建設されている。鉄道の北は産業地区、及び低所得者の住宅地となっている。鉄道とイシム川の間が市の中心地で、東西に高層住宅と公園が配され、南部に行政機関や大使館が集積されている。黒川の計画を引き継ぎながら、市の全体像の完成は2030年とされている。


外務省:カザフスタン共和国
在カザフスタン日本国大使館


カザフスタン鉄道
Kazakhstan Temir Zholy )とはカザフスタンの国有鉄道である。合資会社として創立させて、カザフスタン政府で鉄道輸送を維持する事になり、アスタナに本部が存在する。


■交通
旧ソ連であったカザフスタンの鉄道は1520mm広軌であるために今でも頻繁に国際列車が運行され、ソ連時代からのエレクトリーチカや客車が各国で使用されており、旧ソ連政府の影響により電化率は高い。


アルマトイ
Almatyはカザフスタン共和国南東部の都市。中央アジア最高水準の世界都市であり、1998年まで同国の首都であった。人口は1,348,500人 (2008年)。キルギス共和国および中国との国境に近く、天山山脈の麓に位置する風光明媚な街である。カザフ国立大学をはじめ多くの高等教育機関、政府機関などがある。

オスケメン
カザフスタン共和国の都市。東カザフスタン州の州都。人口は300,000人。1720年にエルティシ川とウルバ川の合流地点に、要塞・交易地として建設された。ソビエト連邦時代に採鉱や冶金の中心地として発展した。

セメイ
は、カザフスタン北東部の東カザフスタン州の都市。1718年に、ロシア人がイルティシュ川沿岸に城砦を築き、初めての入植を行った。城砦の原型となった仏教寺院跡の7つの建物から、城砦は「7つの部屋の町」を意味するセミパラチンスクと名付けられた。作家のドストエフスキーが兵役期間中に、当地で勤務したほか、カザフ国民文学の祖とされるアバイ・クナンバエフが学生時代を過ごしたことでも知られる。

パヴロダル
Pavlodarはカザフスタン共和国北東部の都市。パヴロダル州の州都。エルティシ川に臨む。人口は330,000人。1720年にシベリア・コサックによって要塞が建設され、採塩が行なわれていた付近の湖に因んでコリャコフスキーと名づけられた。19世紀まではコサックの小さな村であったが、鉛、銅、銀などの採鉱によって徐々に発展し、1861年にパヴロダル市として登録される。町の名は、当時生まれたばかりであったアレクサンドル2世の息子パーヴェルに因んだものである。

バイコヌール
カザフスタン共和国クズロルダ州にある都市で、ロシアが使用権を持ち管理している。バイコヌール宇宙基地のために建設され、かつてはレニンスクと呼ばれていたが1995年12月20日にボリス・エリツィンにより公式にバイコヌールへ改名をした。本来のバイコヌールは、ここから約500km北東のカラガンダ州ジェズカズガン近郊にある鉱業の盛んな町である。発射場の位置を秘密にして特定されないように、この名前が付けられた。

タルディコルガン
Taldykorgan)は、カザフスタンの都市で、アルマトイ州の州都。大学、学院、学会、専修学校、高等学校、幼稚園など多様な教育機関がある。公立医療施設、劇場、遊園地、図書館、市営映画館、競技場、複合スポーツ施設、スイミングプールなども一通り揃っている。

コクシェタウ
カザフスタン北部のアクモラ州にある都市で、同州の州都である。人口は12万5225人(2007年国勢調査)。ソ連統治下はコクチェタフと呼ばれたが、1993年に改称された。食品加工などの軽工業が軸で、低品質の小麦などを産する。北には金鉱がある。ここから430kmほどのエキバストスまで、電圧1000キロバイト級の送電線が通じている。

タラズ
カザフスタン南部に位置し、キルギス共和国の国境に近い。人口は330,100人(1999年)であるが、人口増加率はカザフスタンで最も高い都市の1つとなっている。タラス川の扇状地にあるオアシス都市。トランスオクシアナでも最古の町の1つで、紀元前1世紀、匈奴によってこの地に短期間ではあるが砦が作られた。

アティラウ
Atyrauは、カザフスタン共和国の都市。アティラウ州の州都。同国最大の都市アルマトイから2700km西方に位置し、ロシアのアストラハンの東方350kmにある。ウラル川の三角州にあり、カスピ海に面した港町で、アクタウと並んでカザフスタンの主要な港湾都市である。

アクタウ
カザフスタン共和国の都市。マンギスタウ州の州都。人口154,500人(2004年)。カスピ海に臨む港があり、アティラウとともに重要な水産基地となっている。カザフスタン西部の最大都市である。

オラル
Oral)は、カザフスタン共和国の都市。西カザフスタン州の州都で、人口はおよそ20万人。1613年、コサックによって建設されヤイツク(Yaitsk)と呼ばれた。ウラル川は当時、ヤイク川(Yaik)という名前で、それに因んだ。

シムケント
Shimkent)は、カザフスタン共和国の南カザフスタン州の州都。南カザフスタン州はカザフスタンで最も人口の集中した地域であり、シムケントの人口は、同国で3番目であるが、都市圏全体では最大規模である。

アクトベ
アクトベ州の州都。人口およそ32万人。アクトベという名はカザフ語で「白い丘」を意味し、19世紀の入植地であった丘に由来する。 1869年3月、ロシアはオレンブルクからのキャラバンルートに当たるこの地に軍事要塞を建設、周囲にスラブ人が農業のために入植を開始した。

カラガンダ
カザフスタン共和国のカラガンダ州の州都である。2006年現在、カザフスタンでは、アルマトイ、アスタナ、シムケントに次ぎ人口では4番目の都市。1940年代は、人口の70%がドイツ系住民であった。ヒトラーのポーランド侵攻に対するスターリンの命でヴォルガ・ドイツ人がシベリアやカザフスタンに追放されたものである。

ペトロパブル
Petropavl、は、カザフスタン共和国の都市。北カザフスタン州の州都。人口193,300人(2007年)。近くにエシム川が流れ、ロシア連邦の都市オムスクからシベリア鉄道に沿って350km西に位置する。


■国名
公式の英語表記は、Republic of Kazakhstan。通称、Kazakhstan。国名は、カザフ人の自称民族名(Qazaq; カザク)と、ペルシア語で「〜の国、〜の多い所」を意味する -stan/-estan; スタンの合成語である。カザクは、テュルク語で「独立不羈の者」「放浪の民」を意味する。


1.面積:272万4900平方キロメートル(日本の7倍。旧ソ連ではロシアに次ぐ)
2.人口:1,580万人(2010年:国連人口基金)(中央アジア5ヶ国で2番目)
3.首都:アスタナ(Astana:旧アクモラ。1997年12月10日にアルマティより遷都。
日本はJICAによる新首都アスタナの建設計画作成支援を実施し、基本設計は故黒川紀章氏が担当した)
4.民族:カザフ系(63.1%)、ロシア系(23.7%)、ウズベク系(2.9%)、ウクライナ系(2.1%)、ウイグル系(1.4%)、タタール系(1.3%)、ドイツ系(1.1%)、その他(4.5%)
5.言語:カザフ語が国語。(ロシア語は公用語)
6.宗教:イスラム教(70.2%)、ロシア正教(26.2%)(国家統計庁国勢調査)

14世紀頃まで 現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着
15世紀後半 遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立
18世紀初 ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化
18世紀初 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂
1730年代 カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従
18世紀中頃 清朝にも朝貢
1820年代まで ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める
1837年〜1847年 ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)
1850年〜1860年代 カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)
1920年 ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)
1924年 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更
1925年 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更
1929年 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転
1936年 ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1986年12月1日 アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)
1990年4月24日 ナザルバエフ大統領就任
1990年10月25日 共和国主権宣言
1991月12月1日 ナザルバエフ大統領再選
1991年12月10日 国名を「カザフスタン共和国」に変更
1991年12月16日 共和国独立宣言
1997年12月10日 首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転
1999年1月10日 ナザルバエフ大統領再選
2005年12月 ナザルバエフ大統領再選

■主要産業:鉱業、農業、冶金・金属加工

■主要貿易品目(1)輸出 石油、石油製品、無機化学品、貴金属、有機・無機化合物(2)輸入 機械設備、食料品、鉄鋼、鋳鉄製管、中空形材、石油、石油製品、自動車


テンゲ
Tenge)は、1993年11月からルーブルに替えて使用されているカザフスタンの通貨単位。国際通貨コード(ISO 4217)は、KZT。補助通貨はティイン(tiyin)で、1テンゲ=100ティイン。

■経済
GDPは1680億ドル、1人当たりGDPは10,820ドル、失業率は5.7%(いずれも2011年)であり、独立直後の経済状況に比べ、著しい飛躍を遂げている。この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型である。

■鉱業
カザフスタンは鉱物資源に恵まれている。例えば、採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在する(2002年時点)。エネルギー資源では石炭とウランが有望。輸出品目も地下資源とその加工品が7割を占める。原油(49.4%)、鉄鋼(12.0%)、銅(7.5%)という状況である。


ヌル・オタン
カザフスタン共和国最大の政党であり、党員数は約76万人である。2007年以降、同国大統領であるヌルスルタン・ナザルバエフが党首を務める。2012年1月15日の議会選挙では、80.99%の得票率で、比例代表制選出分の99議席中83議席を確保した。

カザフスタン明るい道民主党
2002年3月16日、創設(同年4月3日に登録)。2002年12月12日、法務省に再登録。党中央会議は、117人の議員から成り、議員17人から成る幹部会を有する。党の財政の管理は、中央監査委員会が実施する。

カザフスタン共産党
1999年1月の大統領選挙には、共産党から党首セリクボルスィン・アブディリディンが出馬し、13.4%を得票して第2位を占めた。ヌルスルタン・ナザルバエフとの決選投票が行われるはずだったが、代わりに「怠慢」を理由に、親アブディリディン派だった各地方自治体のアキム(首長)が解任された。


バイコヌール宇宙基地
Baikonur Cosmodromeは、カザフスタン共和国のチュラタム(Tyuratam)にあるロシアのロケット発射場である。現在ロシア連邦宇宙局とロシア宇宙軍が共同で管理している。1950年代後半にソビエト連邦領内であった現在地に建設されたが、ソビエト連邦崩壊後は発射場を中心に東西90km、南北85kmの楕円状の土地がカザフスタンからロシアに年間使用料1億1500万ドルで租借されている。

マーズ・エクスプレス
(Mars Express) は、欧州宇宙機関 (ESA) が2003年6月2日17時45分(世界時)にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からソユーズFG/フレガートロケットで打ち上げた火星探査機であり、ESAとしては初の惑星探査ミッションとなった。


■ロシア租借地
政令指定地区バイコヌールはロシア連邦がカザフスタンより年間1億1500万USドルの契約で町全体を租借し、事実上の行政区として扱っている。これは、同市にある、ソ連時代の1955年に建設されたバイコヌール宇宙基地がロシアにとって今なお重要な宇宙開発施設であることに起因する。


カザフスタンの文化
カザフスタンの文化は彼らの遊牧民経済に即した文化となっている。イスラム教は7世紀から12世紀にかけてカザフスタンに伝わった。羊肉の他にも、カザフスタンの文化を代表する様々なシンボルとなる伝統料理が存在する。カザフスタンの文化はテュルク人の遊牧民生活様式に大きく影響を受けている。


■スポーツ
カザフスタンではスポーツや体育、課外活動といった活動が熱心に取り組まれている。カザフスタンはオリンピックのレスリングやアイスホッケー、ボクシングといった競技で優秀な成績を収める選手を数多く輩出している。

■料理
伝統的なカザフ料理は羊肉や馬肉を用いた料理が多く、他にも様々な乳製品が用いられる。数百年間を通して、カザフ人はヒツジやフタコブラクダ、馬の放牧で生計を立てており、交通手段や衣服、食材などの輸送も主にこれらの動物に依存していた。

■映画
2005年、カザフスタン政府は4000万ドルを投資してノマドという映画を制作した。この映画プロジェクトは2003年に開始され、製作途中で様々な問題を抱えながらも2005年に完成した。以降、「モンゴル」や「トゥルパン」、「ケリン」といったタイトルの映画が制作された。これら3本の映画はアカデミー賞の外国語映画部門にノミネートされた。「トゥルパン」は2008年に開催された第61回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映された。


カザフスタン文学
紀元6~8世紀の中国の文献によると、カザフスタンのテュルク部族は詩の形態による口承文学を有していた。この伝統の痕跡は8世紀に2人のテュルク部族支配者 (カガン) 闕特勤 (キュル・テギン)と毘伽可汗 (ビルゲ・カガン)の支配について石に彫られた記録に見ることができる。


アク・ジョル
テュルク諸語の北西語群(キプチャク語群)で、「明るい道」、「輝く道」、「白い道」を意味する言葉。カザフスタン共和国とキルギス共和国では、「アク・ジョル」と命名された政党が活動している。


アスタナ=メレイ国際音楽コンクール
Astana-Merey International Competition Performanceは、1998年に設立されたカザフスタンの国立音楽アカデミーが主催する音楽コンクール。カザフスタンの首都であるアスタナで開催され、チェロ、バイオリン、ピアノについてジュニアと、それ以上の部門で競われる。2008年12月に開催された第4回コンクールで、バイオリン・ジュニア部門(10歳以下)において10歳の日本人女性が優勝した。

独立国家共同体
Commonwealth of Independent States、略称:CIS、は、ソ連崩壊時に、ソビエト社会主義共和国連邦を構成していた15か国のうちの12か国(正式には10か国)によって結成されたゆるやかな国家連合体(コモンウェルス)。当時の欧州共同体 (EC) 型の組織をモデルにしたが、独自の憲法や議会をもってはいない。日本では英語名の略称であるCISの名で言及されることが多い。本部はベラルーシの首都ミンスクに置かれている。


エキバストス第二発電所
Ekibastuz GRES-2 Power Stationは、カザフスタン共和国エキバストスにある発電所。1,000 MWe(100万kW)の発電能力を持ち、石炭を燃料とする火力発電所としては世界有数の規模を持つ発電所である。世界一高い煙突(高さ419.7m)があることでも知られている。


セミパラチンスク核実験場
旧ソビエト連邦のかつての主要な核実験場である。カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km2(四国の面積にほぼ等しい)。1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験に使用された。施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29日に正式に閉鎖された。市民の被曝による影響はソ連政府によって隠蔽され、1991年の実験場の閉鎖間際まで明らかにされることはなかった。


カザフ・ソビエト社会主義共和国
ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国の1つ。1991年12月16日、カザフスタン共和国として独立した。ロシア革命後、赤軍は、カザフ地方において、アタマン・ドゥトフ、白衛軍の部隊、現地ブルジョア民族主義者の反乱を撃破し、ソビエト権力を樹立した。


カザフスタンで暴動 死者70人の現地情報
2011/12/16  中央アジア・カザフスタン西部のジャナオゼンで16日、大規模なストライキを展開していた石油ガス生産会社の従業員らと治安部隊が衝突。銃撃戦も起き、多数の死傷者が出ている模様だ。検察当局は10人が死亡と発表したが、ロシアのインターネット新聞「ガゼータ・ルー」などの情報では死者は70人、負傷者は数百人に達しているという。


エフゲニー・パラディエフ
Yevgeny Paladiev、1948年5月12日 − 2010年1月9日)、ソビエト連邦のアイスホッケー選手。現在のカザフスタンであるカザフ・ソビエト社会主義共和国の東カザフスタン州・オスケメン出身。1965年にKazzinc-Torpedoに入団、1967/68シーズンにHCスパルタク・モスクワへ移籍して1969年のソ連選手権で優勝、ソビエト連邦代表に招集され1969年、1970年、1973年のアイスホッケー世界選手権で優勝に貢献した。

ヌルスルタン・ナザルバエフ
Nursultan Abishevich Nazarbayev;1940年7月6日 - はカザフスタンの政治家で初代大統領(1990年4月 - )。強権的な手法で国政を運営し、「初代大統領法」を制定して引退後も影響力を行使する脚がかりをつかみ、議会により「人民英雄」も与えられ、近年は独裁者的な一面を表している。3人の娘がおり、末娘のアリヤは、キルギス共和国のアスカル・アカエフ元大統領の息子と結婚し、血縁による支配と騒がれた(ただし後に離婚し、アカエフも大統領職を追われた)。男児がいないため、長女・ダリガは後継者候補として有力であるとされている。

アルティンベク・サルセンバエフ
(Altynbek Sarsenbaev, Altynbek Sarsenbaiuly, 1962年9月12日 - 2006年2月13日)は、カザフスタンの政治家。情報大臣、ロシアのカザフスタン大使を務めたこともある。サルセンバエフは事件当時、カザフスタンの野党「アク・ジョル」の共同議長であった。2005年11月の選挙に出馬し、選挙期間中に何者かに襲撃されている。2006年2月13日、サルセンバエフは運転手とともに、アルマトイで射殺体で発見された。5人の国家保安委員会のメンバーが、サルセンバエフの殺害に関わっているとして逮捕された。バウルツァン・ムハメドツァノフ内務大臣によると、犯人は一人当たり2万5千ドルを受け取ったという。警察官一人も殺人に関わったとして逮捕されている。

バウルツァン・ムハメドツァノフ
1960年11月26日 -は、カザフスタン共和国の政治家。上院議員。元内務相。ジャンブイル州メルケ村出身。1983年、S.M.キーロフ名称カザフ国立大学を卒業。法学科学準博士。

エレーナ・シャリギナ
(Yelena Shalygina、1986年12月15日 - )は、カザフスタンの女子レスリング選手。2008年北京オリンピックレスリング63kg級の銅メダリストである。南カザフスタン州シムケント出身。2004年まではロシア代表として国際試合に出場していた。

ミハイル・フルンゼ
Mikhail Vasilyevich Frunze、1885年2月2日(ユリウス暦1月21日) - 1925年10月31日)は、ソビエト連邦の政治家。ロシア革命前後におけるボリシェヴィキの指導者の一人。ソ連陸海軍人民委員および共和国革命軍事会議議長を務めた。

アリハン・バイメノフ
1959年3月25日 -)は、カザフスタン共和国の政治家。カザフスタン明るい道民主党(アク・ジョル)党首。過去、大統領府長官、労働・住民社会保護相等を歴任。工学科学準博士。カザフスタン共和国工学アカデミー学術顧問。

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