freedom

アゼルバイジャン共和国
Azerbaidjan Republic
NIS

ヨーロッパ

<歴史>
■紀元前後
アゼルバイジャン人の祖先と見られるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)が作られていた。もともとはイラン系の人々が住んでおり、南のイラン高原側と同じくゾロアスター教の拝火壇などの宗教施設が多数建立されていた。

■セルジューク朝
セルジューク朝の時代にオグズ・テュルク系遊牧民(テュルクメン)が進出してテュルク化・イスラム化が進んだ。特にイルハン朝時代は、ムーガーン地方周辺が南方のバグダードと並んでイルハン朝君主たちの冬営地に定められた地域でもあった。

■17世紀
この地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていった。アラス川以北の現アゼルバイジャン共和国領は、元来イラン高原に属しウルーミーエ湖周辺のタブリーズやマラーゲを中心とするアーザルバーイジャーン地方とは別個の地域であって、アゼルバイジャンとは呼ばれていなかったが、南の東西アーザルバーイジャーン州との民族的共通性から次第にアゼルバイジャンという地名で呼ばれるようになった。

■1813年
ゴレスターン条約でアゼルバイジャンの大部分がロシア帝国領に編入され、イラン・ロシア戦争(1828年)の結果、アラス川北岸地域はロシア帝国に割譲され、ロシアの統治下でアゼリー人の民族意識が高まった。

■1918年
この地域のアゼリー人民族主義者たちは十月革命後の混乱を縫ってアゼルバイジャン民主共和国を打ち立てることに成功したが、イギリス軍によって占領され、これに反応した赤軍がバクーに侵攻、ソビエト政権が成立した。1922年末、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となり、同連邦の解体にともない1936年よりアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦を構成する共和国の一つになった。

■1989年
共和国主権宣言。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年8月30日、共和国独立宣言。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に参加。紀元前後には、アゼルバイジャン人の祖先と見られるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)が作られていた。歴史的には、イランの東アーザルバーイジャーン州、西アーザルバーイジャーン州とともにイラン高原を支配する政権の統治下にあることが多かった。もともとはイラン系の人々が住んでおり、南のイラン高原側と同じくゾロアスター教の拝火壇などの宗教施設が多数建立されていた。


■地理
カスピ海の西岸に位置し、北はロシア、南はイランに挟まれる。飛び地としてアルメニアに囲まれているがアゼリー人の人口が多い地域であるナヒチェヴァン自治共和国があり、領土内にアゼリー人居住地に囲まれているがアルメニア人人口の多いナゴルノ・カラバフ地方があって、ソビエト解体から1994年に停戦するまでアルメニアとの間で紛争になった(ナゴルノ・カラバフ戦争)。現在も紛争は続いているが、アルメニア人が独立宣言をし、分裂状態となっている。

西アジア
アジア西部を指す地理区分である。今日の欧米ではほぼ中東と同じ領域を指すことが多い。一般的には、中央アジアおよび南アジアより西、地中海より東で、ヨーロッパとはボスポラス海峡、アフリカとはスエズ運河によって隔てられている地域を指す。

コーカサス
Caucasus)は、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km2の地域である。英語のコーカサス、ロシア語のカフカースとも古典ギリシア語: (Kaukasos; カウカーソス)に由来する。 「カウカーソス」自体は、一説に、古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)に由来するとされる。

南コーカサス
アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの3国の総称。ロシア語としては不正確だがザカフカスとも言う。北はロシア、南はトルコとイラン、西は黒海、東はカスピ海に囲まれる。ヨーロッパではなくアジアに属するが、長くソ連領だったこともあり、西アジアや中東には含めないことが多い。

カスピ海
中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖。古代には「ハザール海」と呼ばれ、現代のトルコ語やペルシア語でもそう呼ばれる。湖の北から東にかけては中央アジアの大草原(ステップ)が広がる。主な流入河川にはヴォルガ川、ウラル川、クラ川、テレク川などがあるが、流れ出す河川は存在しない。

アブシェロン半島
アゼルバイジャン東部にある半島。カスピ海に向けてほぼ真東にのびている。長さ約60km、最大幅30km、先端はタレムイ岬。丘陵がちの地形であり、周辺にはバクー油田がある。

コーカサス山脈
黒海からカスピ海まで東西に走る山脈。ロシア語からカフカース山脈ともよばれる。ウラル山脈、カスピ海とともにアジアとヨーロッパの境をなす。山脈の北は北コーカサス地方とよばれロシア連邦領、南は南コーカサス地方とよばれグルジアとアゼルバイジャンの領土である。

クラ川
カフカス山脈から流れる川である。トルコ東部に水源を持ち、グルジアを経由してアゼルバイジャンに入る。アゼルバイジャンで支流であるアラス川と合流し、カスピ海に注ぐ。

アラス川
トルコ、アルメニア、イランおよびアゼルバイジャンの各国を流れる全長1,072kmの川である。クラ川に合流し、最終的にカスピ海に注ぐ。カフカースを流れる主要な河川の一つとなっている。アルメニアの言い伝えによると、アラス川の由来は、アルメニアの伝説上の家長であるハイクの曾孫の名前、Arastから来ている。さらにこれがギリシャ語化してAraxesとなり、クラ川やアラス川流域に有史以前に栄えたクラ=アラクセス文化の名称に使われている。

イラン高原
Plateau of Iranは、中東イランの北部一帯の高原である。ペルシア高原またはペルシャ高原とも呼ぶ。カビール砂漠が広がるが、首都テヘランの南にはナマク湖(Daryacheh-ye Namak) という塩湖がある。 イラン中部から東はアフガニスタン、パキスタンにまたがる盆地状の高原が広がっている。北部にはエルブールズ山脈、ヒンズークシ山脈、南西部にザグロス山脈が連なっており、気候は乾燥気候。砂漠・ステップが広がっており、塩湖やワジが多く存在する。


ステパナケルト
国際的にはアゼルバイジャンの領土とされていながら、事実上、同国から独立しているナゴルノ・カラバフ共和国の首都である。町には5万人程度のアルメニア人が居住しており、他方でアゼルバイジャン人の住民は、ナゴルノ・カラバフ戦争の時に全て町を脱出している。


ナゴルノ・カラバフ戦争
アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州を巡る争い。日本の報道では「ナゴルノ・カラバフ紛争」と呼ばれることもある。戦争は泥沼化し、現在は事実上、アルメニア人の占領下にある。1917年のロシア革命に際して、南カフカスのアルメニア民主共和国とアゼルバイジャン民主共和国がそれぞれ独立したが、ナゴルノ・カラバフの帰属を巡り1918年に両国間の戦争が起こる。


サファヴィー朝
16世紀から18世紀前半にかけて現在のイランを中心に支配したイスラム王朝(1501年 - 1736年)。ホラーサーンからメソポタミアに至る歴史的イラン地域を支配した王朝としては初めてシーア派の一派十二イマーム派を国教とし、現在のイランとアゼルバイジャン、イラク南部で十二イマーム派が住民の大多数を占める状況を導いた。

ゾロアスター教
Die Lehre des Zoroaster/Zarathustraは、古代バルフ(Balkh)の地に始まる宗教である。バルフは現在のアフガニスタン北部にあり、ゾロアスター教の信徒にとっては、始祖ザラスシュトラが埋葬された地として神聖視されてきた。ゾロアスター教は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と言われることもあるが、これは正しくはない。ゾロアスター教の中では、アムシャ・スプンタなど多くの神々が登場する。

アヴァル語
コーカサス諸語に属する、カフカス地方のアヴァール人の言語。ロシア連邦南部、ダゲスタン共和国の公用語の一つ。主にダゲスタン共和国の西部・南部で話されており、アゼルバイジャン共和国北部にも話者が分布している。話者の総数は約60万人。

メディア王国
Media、紀元前715年頃 - 紀元前550年頃)は、現在のイラン北西部を中心に広がっていたメディア人の王国である。首都はエクバタナで、アッシリアが紀元前612年頃崩壊し、その後影響力を拡大したエジプト、リュディア、新バビロニア(カルデア)とともに当時の大国となった。

シルバン・シャー朝
シルバン・シャー朝またはマズヤド朝は861年にハイサムによって建てられたカフカス東部に位置するスンナ派イスラム王朝である。首都はシャマハ。アッバース朝混乱期に乗じて設立され、以後1067年-1382年にケスラーニー朝(ムハンマド・ブン・ヤジード)、1382年-1538年にダルバンド朝(シャイフ・イブラーヒム)と続き、サファビー朝によって滅亡させられた。

トルコマーンチャーイ条約
1828年にロシア帝国とガージャール朝の間で結ばれた条約。第二次ロシア・ペルシア戦争(英語版)において、ロシア軍がタブリーズを陥落させた。これを契機としてタブリーズに近いトルコマンチャーイ(トルキャマンチャーイ(英語版))で講和条約が結ばれた。本条約の16ヶ条のほか、商業に関する9ヶ条がある。このなかで、北アゼルバイジャン、アルメニアをロシアに割譲すること、ロシアの領事裁判権を認めること、カスピ海におけるロシア軍艦の独占通行権を認めること、500万トゥーマーンの賠償金を支払うことなどが定められた。

ザカフカース民主主義連邦共和国
1918年4月から5月にかけてカフカース地域(アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)に存在した連邦国家。ロシア革命にともない、アゼルバイジャンの平等党(ムサワート)、アルメニアのダシナクツチュン(民族主義者)、グルジアのメンシェヴィキを中心としてロシアからの分離、独立を果たしたが、2ヶ月も経たないうちに3カ国に分裂した。

カフカス・アルバニア王国
紀元前2千年紀末にカフカス南東部、およびアゼルバイジャン領域に存在したアルバニア人によって建国された古代王国である。紀元前3世紀から紀元前2世紀ごろにかけて首都をカバラに置く国家として明確な形成がなされ、犂耕作、放牧、種々の工芸、コブスタンなどの文化を築いた。紀元前1世紀ごろにはクル川の戦いにおいてポンペイウスと戦闘した記録が残されている。

アゼルバイジャン民主共和国
1918年から1920年にかけてアゼルバイジャンに存在した国家。アゼルバイジャン人民共和国とも称する。ロシア革命にともない、民族主義政党を中心として独立を果たしたが、英国の軍隊に占領されたためにやってきたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の赤軍にバクーをおとされてアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国に発展的解消する。


■ワイン
アゼルバイジャンはワインの有名な産地であり、カフカース有数の上質なワインで知られる。ロシア国内ではグルジア産のワインはよく見かけるが、アゼルバイジャン産のワインを見つけることはあまりできない(現在はグルジア産ワインもロシアの対グルジア経済制裁で取引されていない)。しかし、コストやクオリティなどを考えればロシアで人気のグルジアワインに劣らないだけではなく、フランスワインよりも一部の人々には好まれている。


<世界遺産>
バクー旧市街、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔
この世界遺産が設定されているのは、カスピ海沿岸の都市バクーの旧市街である。城壁内は一般にイチェリ・シェヘル(アゼルバイジャン語で「内城」の意)と呼ばれている。バクーの町は5世紀頃からあったとされるが、その存在が確認されるのは10世紀以降である。

ゴブスタンの岩絵の文化的景観
アゼルバイジャン・コブスタン(Qobustan)の西部にある1966年に設定された保護区。この年に、アゼルバイジャンは、この地の古代の彫刻物群や泥火山を守るために、国定史跡に設定したのである。首都バクー中心部からは40マイル南西にある。この地域に見られる数々の岩絵は、コーカサスにおける先史時代の生活の魅力的な姿を伝えている。保存状態の良好な岩絵からは、アシの舟に乗って旅をする人々、レイヨウやスイギュウを狩る男たちや踊る女性たちの姿が読み取れる。ノルウェーの有名な人類学者トール・ヘイエルダールは、1961年から、亡くなる2002年までの間、何度もアゼルバイジャンを訪れ、彼のSearch for Odinプロジェクトの一環として、この保護区の研究を行った。


■バクー油田
バクーでの石油の採取は紀元前より行われ、皮袋に詰められラクダでイランやイラクに運ばれたという。その石油は灯火用あるいは建物や船のモルタルに、あるいはミイラの防腐剤として使われた。初めは地表への湧出油を採取していたが9世紀には手掘りの井戸が掘られ、16世紀には石油産業の様相を呈した。1683年にスウェーデン国王の命を受けたドイツ人医師ケンペルが訪れ、欧州人として初めてバクー油田を調査した。

バクー・トビリシ・ジェイハンパイプライン
BTCパイプラインは、カスピ海のアゼリ・チラグ・グネシュリ油田(ACG油田)から地中海までを結ぶ全長1,768キロメートルの原油パイプライン。アゼルバイジャンの首都バクーから発し、グルジアの首都トビリシを通り、トルコの地中海沿岸南東部に位置する港ジェイハンへ抜ける。これはドルジバパイプラインに次いで世界第2位の規模の石油パイプラインである。


ゴレスターン条約
アゼルバイジャンのゴレスターンにてロシア帝国とカージャール朝によって1813年10月24日(ユリウス暦では12日)に締結されたザカフカス地方の領有権を巡る条約。当地を巡って1804年以降、断続的に発生していたロシア帝国とカージャール朝の戦争はロシア帝国の勝利で終わり、カージャール朝はアラス川以北の地域をロシアに割譲し、グルジアに対する主権を放棄した。

 


■経済
バクー油田など豊富な天然資源があり、ソ連崩壊やアルメニアとの紛争で落ち込んだ経済を支えている。天然資源の存在は第二次世界大戦やチェチェン問題とアゼルバイジャンの関係とも大きくかかわっている。2006年にはアゼルバイジャンの首都バクー、グルジアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインが開通した。

■国民
住民は、民族的にはテュルク系のアゼルバイジャン人(アゼリー人)が人口の90.6%を占め、圧倒的に多い。アゼリー人の外、レズギン人(2.2%)、ロシア人(1.8%)、アルメニア人が居住している。国語は、アゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用される。

■宗教
アゼリー人を含めたムスリム(イスラム教徒)が95%と圧倒的に優勢で(シーア派85%、スンニー派15%)、正教会、ユダヤ教会、アルメニア教会が少数派として存在する。


ガルリ・カスパロフ
1963年4月13日 - は、アゼルバイジャンのバクー出身の元チェス選手で、15年もの間世界チャンピオンのタイトルを保持した。1948年にFIDEによる選手権制度が始まってからでは最長記録である。現在は政治家。史上最年少の22歳で世界チャンピオンの座を奪取したことに始まり、15年もの間世界チャンピオンのタイトルを保持しつづけた(FIDE:1985 - 1993, PCA:1993 - 2000)。FIDEの世界ランキング最高位は1位(2000年7月 - 2006年1月)で、連続および通算23回の世界ランキング1位というのは史上最多である。

レフ・ランダウ
Lev Davidovich Landau、1908年1月22日 - 1968年4月1日はロシアの理論物理学者。絶対零度近くでのヘリウムの理論的研究によってノーベル物理学賞を授与された。エフゲニー・リフシッツとの共著である『理論物理学教程』は、多くの言語に訳され、世界的にも標準的な教科書としてよく知られている。ランダウは1908年、ダビッド・ルボヴィッチ・ランダウの第2子として、アゼルバイジャンのバクーにて誕生した。父ダビッドは裕福な石油技術者であった。母リュボフは貧しいユダヤ人家庭の出身だが、科学や教育に関し非凡な能力を発揮した。

スタス・スパーニン
Stass Shpanin, 1990年5月16日 - は、アゼルバイジャン共和国・バクー出身の画家。高校生ながら多くの受賞歴を持ち、アメリカ、アゼルバイジャン共和国、ロシア、イスラエル、イタリア、フランス、イギリスなどの国で個展を開いた経験がある。2002年には「史上最年少のプロの画家」としてギネスブックに記載された。

ドン・アスカリアン
Don Askarian,1949年 - はナゴルノ・カラバフ出身の映画監督・脚本家。1967年よりモスクワで歴史と芸術を学ぶ。1978年に西ドイツに移住し、30年以上の間ドイツで製作活動を行う。旧ソ連邦ナゴルノ・カラバフのステパナケルト市に生まれるが祖父母や両親はそれぞれ違う村の出身であった。少年時代は森など自然に親しんで過した。1967年モスクワ大学でマルクス主義とレーニン主義を学ぶ。歴史学の学位と歴史の教員免許を取得。その後大卒者のための監督コースをとり映画の勉強をしながら映画批評を書きはじめるものの、正式には映画学校で映画制作を学ではいない。

ベラ・ダヴィドヴィチ
Bella Davidovich、1928年7月16日 - はアゼルバイジャン出身のユダヤ系ピアニスト。1949年に、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカと並んで、第4回ショパン国際コンクールの覇者となった。バクー出身。6歳よりピアノを始め、3年後にはベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第1番》をオーケストラと共演してデビューした。1939年よりモスクワに移って音楽教育を受け続け、1949年にモスクワ音楽院を首席で卒業し、ソ連と東欧で首尾よく活動を開始した。

アルトゥール・ラシザデ
1935年 - は、アゼルバイジャンの政治家。2003年から同国の首相を務める。ギャンジャ出身。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国時代は長年アゼルバイジャン共産党に所属。1996年7月20日から辞任する2003年8月4日にかけて、一期目を務めた。健康上というのが辞任の表向きの理由だが、ヘイダル・アリエフの息子イルハム・アリエフを首相に就かせるのがねらいだった。

ナーディル・シャー
1688年10月22日−1747年7月20日)は、アフシャール朝の初代シャー(在位:1736年−1747年)。きわめて短い期間だがアナトリア東部からイラン、中央アジア、インドにおよぶ広大な領域を支配下に入れた。イラン史では一代の梟雄とされ、その武勇は「ペルシアのナポレオン」、「第二のアレクサンドロス」と言う歴史家もいる。

ワレーリヤ・コロテンコ
(Valeriya Korotenko, 1984年1月29日 - )は、アゼルバイジャンの女子バレーボール選手。バクー出身。ポジションはリベロ。バレーボールアゼルバイジャン女子代表。アゼルバイジャン代表として出場した2005年欧州選手権でベストリベロ賞を獲得した。2006年世界選手権に出場した。

ナタリア・マーマドワ
(Natalya Mammadova, 1984年12月2日 - )は、アゼルバイジャン国籍の女子バレーボール選手。ソビエト連邦のドネツィク出身(現在のウクライナ、当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国)。ポジションはウイングスパイカー。バレーボールアゼルバイジャン女子代表。

アゼルバイジャン共和国 Azerbaidjan
カフカス地方に位置する旧ソビエト連邦の共和制国家。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。

バクー/Baku
アゼルバイジャン共和国の首都。カスピ海西岸に突き出したアブシェロン半島南岸に位置し、市街はバクー湾に面するように広がった港町である。行政的には11の行政区、48の町区に分割されており、2005年時点の総人口は2,036,000人。アゼルバイジャン最大の都市であると同時に、南カフカース地域でも有数の大都市である。大規模な油田(バクー油田)をもち、帝政ロシア時代から石油の生産地として発展してきた。


外務省:アゼルバイジャン共和国
在アゼルバイジャン日本国大使館


ヘイダル・アリエフ国際空港
Heydar Aliyev International Airportは、アゼルバイジャンの首都、バクーにある国際空港であり、アゼルバイジャン航空の本拠地である。この空港は、アゼルバイジャン前大統領のヘイダル・アリエフの名を冠している。


バクー地下鉄
アゼルバイジャン語: Bakı Metropoliteniは、アゼルバイジャンの首都バクーで運行されている地下鉄である。ソビエト連邦時代の1967年に開業し、中心部で非常に深い位置に駅が設置されていることや、アゼルバイジャンの国民的モチーフとソ連のイデオロギーの混ざった凝った装飾がされていることなど、旧ソ連圏の地下鉄の多くに共通する特徴を持っている。


スムガイト
Sumqayit、アゼルバイジャン共和国の都。1580年に定住が始まったとされるが、1920年代にソヴィエト連邦の支配下になるまで見るべきものは何もない。1935年、ソ連はアブシェロン半島に重工業を配置することを決定し、バクーへの近さや鉄道が走っていたことから、現在のスムガイトの地が選ばれる。


ギャンジャ
G?nc?, ガンジャともは、アゼルバイジャン共和国の都市。人口は約30万人で、首都バクーに次ぐ、アゼルバジャン第2の都市である。有名なペルシア人の詩人ニザーミーの生地として有名で、1991年に建設されたニザーミー廟がある。空港があり、空路で首都バクーなどと結ばれている。

ナヒチェヴァン
Nakhichevanはアゼルバイジャン内にあるナヒチェヴァン自治共和国の首都である。現在の人口は6万人を超えており、ガラス製品、家具、織物、絨毯、アルミニウム、タバコなどを生産している。空港、道路、鉄道網によって交通の要衝として栄えていたが、1988年から始まったナゴルノ・カラバフ戦争によってアゼルバイジャンの他地域から孤立してしまった。

ナゴルノ・カラバフ
アゼルバイジャンの西部にある自治州だった地域。アルメニア人が多く居住しており、ナゴルノ・カラバフ共和国として独立宣言し、ナゴルノ・カラバフ戦争となった。現在は事実上独立しているが、アルメニアを除くあらゆる国、国際組織によっても認められていないままである(自治州だった領域と現在の実効支配領域は一致していない)。独立側ではアルツァフ共和国と自称している。

ナヒチェヴァン自治共和国
アゼルバイジャンの飛地である。ナヒチェヴァンは過去に、王国、帝国、イスラム教国、汗(ハン)国等になったので名前は何度も変更された(Nakshijahan、Nuhchikhan(ノアが降りた場所)、Nesheva、Nakhijevanなど)。ナヒチェヴァン市は、ナクスアナ (Naksuana) という名前でプトレマイオスの天動説の中で最初に言及された[1](古代ギリシャ語で「甘水の土地」の意)。ナヒチェヴァンで見つかった最も古いアーティファクトは新石器時代に遡る。

イスラム教
式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。

アゼルバイジャン人
Az?rbaycanlılarもしくはアゼリー人とは、アゼルバイジャン共和国とイラン北西部を中心として、その周辺地域であるグルジアやアルメニア、イラク北部、トルコ、ロシア連邦内のダゲスタン共和国などに居住しているテュルク系民族。トルクメン人やトルコ人の兄弟民族であり、アゼルバイジャン・トルコ人と呼ばれることもある。人口は約四千万人。

アルメニア人
アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。また中世の東ローマ帝国ではアルメニア系の王朝が建てられたことがある。なお、アルメニア人は非カルケドン派であるアルメニア使徒教会の信者がほとんどである。


■国名
英語の公式表記は Republic of Azerbaijan。通称 Azerbaijan。日本語の表記はアゼルバイジャン共和国。通称アゼルバイジャン。漢語では北京官話の発音に合わせて、阿塞拜疆と当てられる。


1.面積:8万6,600平方キロメートル(日本の約4分の1、北海道よりやや大きい程度)
2.人口:890万人(2010年:国連人口基金)
3.首都:バクー
4.民族:アゼルバイジャン系(90.6%)、レズギ系(2.2%)、ロシア系(1.8%)、アルメニア系(1.5%)(アゼルバイジャン共和国国家統計局)
5.言語:公用語はアゼルバイジャン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やトルクメン語に近い)
6.宗教:主としてイスラム教シーア派

紀元前6〜4世紀 カフカース・アルバニア王国
3〜7世紀 サーサーン朝ペルシアの支配
7〜10世紀 アラブの支配
11世紀〜 トルコ系諸民族の大量流入
11〜13世紀 セルジューク朝諸政権の支配
13世紀 モンゴル帝国に編入、イル・ハーン朝の支配
13〜15世紀 テュルク化の進行
16世紀 サファヴィー朝の支配下に入り、シーア派を受容
16〜19世紀 イランのサファヴィー朝、ガージャール朝による支配
1813年〜1828年 ロシア・イラン戦争の結果、ゴレスターン条約とトルコマンチャーイ条約により北アゼルバイジャンがロシアに併合
1918年5月 アゼルバイジャン人民共和国独立宣言
1920年4月 バクーにソヴィエト政権樹立、アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国成立
1922年 グルジア・アルメニアと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加
1936年 アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国として連邦に加盟
1988年2月 同共和国内のナゴルノ・カラバフ自治州においてアルメニアへの帰属替えを求めるアルメニア人の運動が高揚。スムガイト事件が発生。
1989年10月5日 共和国主権宣言
1990年1月 バクー事件(ソ連邦中央によりバクーを軍事制圧)
1991年2月5日 「アゼルバイジャン共和国」に国名変更
1991年8月30日 共和国独立宣言
1993年10月 ヘイダル・アリエフ大統領就任
1994年5月 アルメニアとナゴルノ・カラバフ紛争に関し、停戦協定締結
1998年10月 ヘイダル・アリエフ大統領再任
2003年10月 イルハム・アリエフ大統領就任
2008年10月 イルハム・アリエフ大統領再任

■主要産業:石油・天然ガス、石油製品、鉄鉱等
■主要貿易品(1)輸出 原油、ディーゼル、燃料、灯油(2)輸入 電気製品、鉄等金属製品、加工食品(2010年:アゼルバイジャン共和国国家統計局)


アゼルバイジャン・マナト
manat)はアゼルバイジャンの通貨単位。ISO 4217コードはAZNである。補助通貨はケピック(アゼルバイジャン語: q?pik)で、1マナト=100ケピックである。マナトとはロシア語で硬貨を意味するモネタ(ロシア語: монета、Moneta)からの借用語である。旧ソ連時代には、ルーブル紙幣の裏側にトルクメン語とアゼルバイジャン語でマナトと書かれていた。


■政治
1993年以来、元アゼルバイジャン共産党書記長のヘイダル・アリエフが大統領として政権を掌握し、強権的な政治を引いてきた。2003年にアリエフは健康不安から引退を余儀なくされたが長男のイルハム・アリエフが後継者に指名されて大統領選挙に勝利し、権力の世襲委譲が果たされた。


GUAM
グルジア・ウクライナ・アゼルバイジャン・モルドバの4カ国による国家連合である。GUAMという名称は、加盟4カ国の頭文字を集めたもの。事務局をウクライナのキエフに置く。なお、1999年から2005年まではウズベキスタンも加盟していたため、GUUAMという名称であった。


ロスチャイルド家
(Rothschild)は、元来ユダヤ系ドイツ人の一族であり、18世紀からヨーロッパの各地で銀行を設立し、現在に至っている。現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である。


新アゼルバイジャン党
新アゼルバイジャン(アゼルバイジャン語:Yeni Az?rbaycan Partiyası, YAP)は、アゼルバイジャンの政党。事実上の独裁政党。 党首:イルハム・アリエフ

アゼルバイジャン人民戦線
(Az?rbaycan Xalq C?bh?si Partiyası)はアゼルバイジャンの政党。アゼルバイジャン民族主義を掲げてソ連時代末期に結成され、1992年から1993年にかけて大統領を出したが、隣国アルメニアとのナゴルノ・カラバフ紛争による国内政治の混乱の中でヘイダル・アリエフの復権を許し、下野した。1995年に現在のような政党組織に改組され、2004年現在、定員125人のアゼルバイジャン国会のうち6議席を占める最大野党としてイルハム・アリエフ率いる新アゼルバイジャン党を牽制する。

アゼルバイジャン自由党
(Az?rbaycan Liberal Partiyası、通称:ALP)は、アゼルバイジャン共和国の自由主義政党。1995年6月3日にアゼルバイジャン国家書記(国務長官)を勤めたララ・シェフケット(Lala Shevket )によって結成。同年8月15日、アゼルバイジャン司法省に登録された。自由党は党の目標として法治国家の建設、社会的に適正な自由経済、議会制民主政治、三権分立、法の下の平等を掲げた。

アゼルバイジャンの映画
アゼルバイジャンにおける映画史は1898年まで遡ることができ、映画史のかなり早い段階で映画に触れた国と言える。1895年にフランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、12月28日にパリで動画を上映した。シネマトグラフはすぐにバクーでも上映された。当時、カスピ海沿いにあるこの都市では世界の石油生産量の50%以上を生産しており、、現在と同じように、多くの外国人労働者や投資家達が集まる都市であった。


 

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
Mstislav Leopol'dovich Rostropovich, 1927年3月27日 - 2007年4月27日はアゼルバイジャン(旧ソビエト連邦)出身のチェリスト・指揮者・ピアニスト。とくにチェリストとしては、20世紀後半を代表する巨匠として知られた。チェリストとしてのロストロポーヴィチは、圧倒的な技巧と豊かな音量に裏付けられた、スケールの大きな表現性で広く知られた。レパートリーはバロック音楽から現代音楽まで幅広い。ロストロポーヴィチは芸術や言論の自由を擁護する立場から、さまざまな活動を繰り広げた。とりわけソビエト時代に物理学者アンドレイ・サハロフを擁護したことや、アレクサンドル・ソルジェニーツィンに別荘の車庫を仕事場として提供し、4年間かくまったことが知られる。人道的活動にも情熱を注ぎ、ガリーナ夫人とともに、子供の医療改善をめざすヴィシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立した。同趣旨の活動の一環として、ユネスコ親善大使にも就任した。

ニザーミー
ニザーミー・ギャンジェヴィー1141年-1209年はペルシア人の詩人。10世紀から15世紀末にかけてのペルシア語文学古典時代における最も著明な詩人のひとりであり、ペルシア語ロマンス叙事詩において恋愛・悲恋文学に神秘主義詩の要素を織込み独自の境地を開拓した。

カラ・カラーエフ
Gara Abulfaz oghlu Garayev、1918年2月5日 - 1982年2月11日は、アゼルバイジャンの作曲家。バクー出身。1935年〜1938年の間、バクー音楽院とモスクワ音楽院で学ぶ。モスクワ音楽院ではドミートリイ・ショスタコーヴィチに師事。1941年からバクーのフィルハーモニーホールの音楽監督となる。1949年〜1953年の間、バクー音楽院の音楽監督、1959年からは教授となった。生徒にはフランギス・アリ=ザデーなどがいる。また息子のファラドシュ・カラーエフも著名な作曲家である。

ヘイダル・アリエフ
1923年3月10日 - 2003年12月12日、は、アゼルバイジャン共和国の第3代大統領(在任1993年6月 - 2003年10月)。ソビエト連邦のアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国時代から30年以上に渡ってアゼルバイジャン政界を主導し、大統領としても安定した政治を実現してきたが、彼の権威主義的な強権政治は、アリエフ一族によるアゼルバイジャン社会経済の支配体制と腐敗政治という負の側面をも残した。

ロトフィ・ザデー
Lotfi Asker Zadeh, 1921年2月4日 - はアゼルバイジャン・バクー生まれの情報工学者。ファジィ理論の提唱者。1968年の論文 "Probably Measure of Fuzzy Events" において、"fuzzy logic"(ファジィ論理)という言葉をはじめて使用した。1952年頃、John R. Ragazziniと共に離散信号の分析に対して有用なZ変換の研究、発展に寄与したとして知られている。

ファリド・マンスロフ
Farid Mansurov、1982年5月10日 - は、アゼルバイジャン・バクー出身のレスリング選手。2004年アテネオリンピックレスリンググレコローマンスタイル66kg級で金メダリストを獲得した。2008年に行われた北京オリンピックの開会式では選手団の旗手を務めた。

ゲオルギー・シャフナザーロフ
Georgii Khosroevich Shakhnazarov、1924年10月4日 - 2001年5月15日は、ソビエト連邦の政治家、政治学者。ミハイル・ゴルバチョフの内政面でのブレーンで、ソ連崩壊とそれにともなうゴルバチョフの失脚後もゴルバチョフを支えた。1924年10月4日ソビエト連邦アゼルバイジャン共和国の首都バクーのアルメニア人街に生まれる。

ウゼイル・ハジベヨフ
1885年9月18日 - 1948年11月22日は、アゼルバイジャンの作曲家。ナゴルノ・カラバフのシュシャ近くの村で生まれる。彼は7つの歌劇と3つのオペレッタを作曲した。アゼルバイジャンのみならず、ソビエト連邦で最初にソビエト連邦人民芸術家を受けた作曲家である。また、レーニン賞も受けている。彼は、アゼルバイジャンの国歌とアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国歌を作曲している。

イルハム・アリエフ
1961年12月24日 - は、アゼルバイジャンの政治家。第4代アゼルバイジャン大統領(2003年10月 - )。1993年から10年間アゼルバイジャン大統領を務めたヘイダル・アリエフの長男であり、病気で引退したヘイダルの後継者に指名されて2003年の大統領選挙に勝利し、旧ソ連諸国で初めての親子による権力の世襲を実現した。

ナミク・アバソフ
(1940年 -)は、アゼルバイジャン共和国の政治家。元国家保安相。ソ連国家保安委員会(KGB)出身のシロヴィキ。中将。1962年、S.M.キーロフ名称アゼルバイジャン国立大学を卒業。1962年〜1976年、アブシェロン紙の課長、責任秘書、副編集長、編集長として働いた。

アルフレッド・ノーベル
(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。

セルゲイ・キーロフ
Sergei Mironovich Kirov, 1886年3月27日(ユリウス暦3月15日) - 1934年12月1日)は、ソビエト連邦の革命家、政治家。早くに両親を失い、孤児院で育つ。1904年にカザン工業学校を卒業後、シベリア、カフカースなどで革命運動に加わり、1914年北カフカースでボルシェビキの組織責任者となった。

イワン・バグラミャン
1897年12月2日 - 1982年9月21日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥。ソ連邦英雄(2度)。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国エリザヴェートポリ(現ギャンジャ)出身のアルメニア人。1915年からロシア帝国軍に召集され、1917年、准尉学校を卒業。

トグルル・アスガロフ
Toghrul Asgarov、1992年9月17日 -)は、アゼルバイジャン・ギャンジャ出身のレスリング選手。2012年ロンドン五輪レスリングフリースタイル60kg級金メダリスト。トグルあるいはトグラルとも表記される。

アレクサンドル・タマニアン
(Alexander Tamanian、1878年3月4日-1936年2月20日)はアルメニアの建築家。都市計画家。建築では新古典主義の重要な作品を多く残している。エカテリンブルクに銀行家の家に生まれる。 サンクトペテルブルクアカデミーオブアーツを1904年に卒業。

ロベルト・コチャリャン
Robert Kocharian、1954年8月31日 - )はアルメニアの政治家で第2代大統領(1998年 - 2008年)。アゼルバイジャンのアルメニア人系自治州であるナゴルノ・カラバフ自治州の州都ステパナケルトの出身。同自治州が「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立宣言したのちの1992年「ナゴルノ・カラバフ共和国」の首相兼防衛委員に就任。

エルダル・マフムドフ
(Eldar Mahmudov;1956年 -)は、アゼルバイジャン共和国の政治家。内務省出身のシロヴィキ。中将。バクー市出身。1978年にD.ブンヤトザジェ名称人民経済大学財政・金融学部、1993年にバキン国立大学法学部を卒業。

ヴァギフ・ジャヴァドフ
(Vaqif Fizuli oglu Cavadov、1989年5月25日 - )は、アゼルバイジャン・バクー出身で、同国代表のサッカー選手。FCヴォルガ・ニジニ・ノヴゴロド所属。ポジションはFW。アゼルバイジャンのバクーで生まれ、7歳から地元クラブでサッカーを始めた。11歳のときにロシアのPFC CSKAモスクワのユースクラブに移籍し、その後ユース及びリザーブチームでプレーした。

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