スイス連邦
Swiss Confederation

ヨーロッパ

スイスの地理
スイスは南のイタリアとの国境近くにアルプス山脈が聳えていることでも広く知られており、その北側には国の中央を東西にわたって台地が広がっている。国民の大半はこの台地(スイス高原)上に住んでおり、国の西側のフランスとの国境にはジュラ山脈とレマン湖がある。ドイツとの国境は西側はライン川によって隔てられ、東側はボーデン湖が国境となっている。


レマン湖
スイス及びフランスにまたがる、中央ヨーロッパのうち二つめに大きい三日月型の湖。面積の約2/5がフランス(オート=サヴォワ県)に属し、約3/5がスイス(ヴォー州、ジュネーヴ州、ヴァレー州)に属す。英語での名称はジュネーヴ湖(英: Lake Geneva)と言う。レマン湖の名前は、紀元前50年にはすでに文書の中に見られるが、もともとはギリシア語の「lemane limne」または 「lemanos limne」であった。この名は、紀元前58年にこの地域でヘルウェティイ族と戦争をしたカエサルが、著書『ガリア戦記』においてラテン語で「レマンヌス湖」(lacus Lemannus)という呼称を使ったことによって広まった。

ローヌ川
Rhoneは、フランス4大河川の一つで、主としてフランス南部を流れて地中海に注ぐ唯一の川であり、4大河川のうち唯一の男性名詞でもある。全長812kmのうち、フランス国内を流れるのは581kmである。フランスを流れる川としては長さ・流域面積とも屈指のものとなっている。

アーレ川
Aarは、スイスを流れる河川でライン川の支流[1]である。スイス中部を源とし、スイスの首都ベルンなど経由して、大きく時計回りに半円を描くように流れ、スイス北部でライン川に合流する。

アルヴ川
(l'Arve)は、フランス東部およびスイス西部を流れる川である。アルプス山脈のモンブラン山塊を水源とし、ジュネーヴでローヌ川に合流する。シャモニー渓谷のトゥール村の背後にあるバルム(Balme)山中に源を発し、メール・ド・グラス(Mer de glace)から流れ出すアルヴェロン川(l'Arveyron)等の支流を合わせる。

マッジョーレ湖
マッジョーレ湖(Lago Maggiore)、別名ヴェルバーノ湖(Verbano)はイタリアのロンバルディア州とピエモンテ州の州境に有る湖で、北部はスイスのティチーノ州にまたがっている。イタリアで2番目に広い湖で、面積は212.2km2、深さは最大372mである。

ライン川
Rhenus)は、ヨーロッパを流れる川。スイスアルプスのトーマ湖(Tomasee)に端を発し、ボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かう、ストラスブールを越えてカールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、クレーヴェなどを通過しオランダ国内へと入ったあと2分岐し、ワール川とレク川となりロッテルダム付近で北海に注いでいる。

イン川
Inn river)は、スイス・オーストリア・ドイツを流れる川である。ドナウ川の支流であり、長さは517kmである。水源はスイスアルプス (en:Swiss Alps) のLägh dal Lunghin。水源はアルプス山脈にあり、水源に近いグラウビュンデン州のエンガディンは、この川(この地域では En と呼ばれる)にちなんで名付けられた。

ヌーシャテル湖
Neuenburgerseeは、スイス西部にある湖。面積218.3平方キロメートルは、湖全域がスイスにある湖としてはスイス最大である(スイス領内の湖面積がジュネーヴ湖、ボーデン湖より大きい)。

ボーデン湖
(Bodensee)はドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置する湖。コンスタンツ湖とも称される。アルプス地方ではレマン湖についで第二の規模で、面積は約540平方キロ。湖にうかぶ島、マイナウ島は島全体が庭園となっており、花の島ともよばれる。マイナウ城や様々な庭園が観光地となっている。

アルプス山脈
Alpsは、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る「山脈」である。オーストリアを東端とし、スロベニア、イタリア、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツを経由してフランスに至る。

ジュラ山脈
Jura Mountainsは、アルプス山脈の西端をなすスイスアルプスより北に位置する山脈。スイスアルプスとの谷合いにスイス高原を形成する。古来、ジュラ山脈は、フランス地方とスイス、イタリア地方の地理的・文化的な境界の一つとして機能してきており、現在はフランスとスイスの国境をなしている。

モンテ・ローザ
Monte Rosa)は、イタリア・スイス国境にあるアルプス山脈で2番目に高い山であり、スイスの最高峰である。モンテ・ローザは、単独の峰ではなく、複数の峰からなる山群の名称であり、その最高点はイタリア側にある標高4,634mのデュフール峰(伊:Punta Dufour、独:Dufourspitze、仏:Pointe Dufour)である。イタリア側はピエモンテ州、スイス側はヴァレー州に属している。

リスカム
Lyskamm)は、スイスとイタリア国境のペニン・アルプス(ワリス・アルプス)にある山。スイス側はヴァレー州、イタリア側はヴァッレ・ダオスタ州に属している。5kmにも及ぶ屋根から成り、目立つ頂上は2つある。

ヴァイスホルン
(Weisshorn)はスイスのアルプス山脈のツェルマットの西、マッターホルンの北に位置する山。ヴァレー州に属している。1861年8月19日にジョン・ティンダルらによって初登頂が行われた。

ドーム山
Dom)は、スイスのペニン・アルプス(ワリス・アルプス)にある山。ヴァレー州に属し、山麓にはザースフェーの街がある。その高さは、アルプス全体では、モンブラン、モンテ・ローザに次いで第三位、スイス国内では二番目の高さである。国境上ではなくスイス領内にある山では一番高い。

マッターホルン
Matterhorn、は、アルプス山脈に属する標高4,478mの山である。山頂にはスイスとイタリアの国境が通り、麓の町はスイス側にツェルマット、イタリア側にit:Breuil-Cervinia がある。マッターホルンという名称は、ドイツ語で牧草地を表す「matt」と、山頂を表す「horn」に由来している。

ロイス川
(Reuss River)は、長さ158kmのスイスで4番目に大きな川である。フルカロイス(de:Furkareuss)に源を発し、ルツェルン湖、ルツェルン市街を流れ、ヴィンディッシュ(en:Windisch)近郊でアーレ川に合流する。

カペル橋
スイスのルツェルンを流れるロイス川に架かる橋である。 ヨーロッパで最も古い木造橋であり、スイスの主要な観光スポットの一つでもある。

フルカ峠
(Furka Pass)は、ヴァレー州のグレッチュとウーリ州のレアルプとを結ぶ、スイス・アルプスの高所にある峠である。標高2,436メートル(7,992フィート)。ジェームズ・ボンド映画の『ゴールドフィンガー』の舞台の1つとなった。

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オーバーアルプ峠
Cuolm d'Ursera)は、グラウビュンデン州のデュセンティスとウーリ州のアンデルマットとを結ぶ、スイス・アルプスの高所にある峠である。標高2,046メートル(6,712フィート)。

ルガーノ湖
lago di Lugano)はスイス・ティチーノ州(Canton Ticino)からイタリア・ヴァレーゼ県、コモ県のアルプスの山間部に広がる湖である。
湖は複雑な形をしているが、その所属は形以上に複雑でおおまかに北東部と南西部がイタリア、中央がスイス領(同名の街ルガーノがある)、中央東側の湖岸はスイス領であるが湖を渡る以外はイタリア領を経由する飛地であり、その中にイタリア領のカンピョーネ・ディターリアがある。

マッジョーレ湖
マッジョーレ湖(Lago Maggiore)、別名ヴェルバーノ湖(Verbano)はイタリアのロンバルディア州とピエモンテ州の州境に有る湖で、北部はスイスのティチーノ州にまたがっている。イタリアで2番目に広い湖で、面積は212.2km2、深さは最大372mである。

コモ湖
コモ湖(Lago di Como)、またはラーリオ湖(Lario)はイタリアのロンバルディアにあるイタリアで3番目に広い湖。ヴァルテッリーナ渓谷を流れてきたアッダ川からの流れを主にしている。 形は逆Y字形に分岐していて、東南部分は湖畔にレッコが有る事からレッコ湖と呼ぶ。

 

マッターホルン・ゴッタルド鉄道
MGB: Matterhorn-Gotthard-Bahn)はスイス南部の狭軌鉄道で、軌道の幅は1mである。2003年1月1日にフルカ・オーバーアルプ鉄道(FO[1])とBVZツェルマット鉄道(BVZ[2])が合併し誕生した。2003年にBVZツェルマット鉄道に合併され、同時に社名をマッターホルン・ゴッタルド鉄道へ変更している。

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ゴルナーグラート
(Gornergrat)は、スイスのペンニン・アルプスにあり、南にゴルナー氷河を見渡す尾根である。最高点の標高は3,130m。ツェルマットからゴルナーグラート鉄道が通じている。

テチス海
(Tethys Ocean, Tethys Sea) は、パンゲア大陸の分裂が始まった約2億年前ないし約1億8000万年前から、新生代第三紀まで存在していた海洋である。古地中海ともいう。ローラシア大陸とゴンドワナ大陸に挟まれた海域で、現在の地中海周辺から中央アジア・ヒマラヤ・東南アジアにまで広がっていた。

ゴッタルド峠
San Gottardo サン・ゴッタルド、日本ではフランス語読みのサンゴタール峠としても知られる)(標高2108メートル)はスイスのティチーノ州アイロロとウーリ州ゲシェネンの間にある峠である。スイスのドイツ語地域とイタリア語地域を結び、ミラノへ通じる道ともなっている。


ツェルマット
Zermatt、スイス屈指の山岳リゾート地であり、アルプス観光の中心地のひとつである。「ツェルマット」は舞台ドイツ語式発音に基づく仮名転写で、現代の標準ドイツ語の発音では「ツェアマット」に近い。氷河急行が走るマッターホルン・ゴッタルド鉄道の終点であり、ツェルマットからはスネガ、ゴルナーグラート、クライン・マッターホルン等の絶景地に多数のケーブルカーや登山鉄道が延びている。

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スイス政府観光局
スイスの公式情報サイト


スイスの歴史
考古学の研究によれば、アルプス北部の低地諸国に人間が住むようになったのは旧石器時代の後期のことである。新石器時代に入ると住民が増え、青銅器時代になると湖上に高床式の家をたてて人々が暮らしていた痕跡が発見されている。紀元前15世紀ごろ、ケルト人の一派が住み着いた。スイス連邦は、1848年以来カントンと呼ばれる州による連邦共和制をとってきた。スイス連邦の原型がつくられたのは今から700年以上前のこと。


ウィーン会議
Congress of Viennaは、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された会議。ヨーロッパ諸国の代表が集い、議長はオーストリアの外相メッテルニヒが務めた。ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。


永世中立国
Permanently Neutralized Stateとは、将来もし他国間で戦争が起こってもその戦争の圏外に立つことを意味するものであり、自国は中立の立場である事を宣言し、他国がその中立を保障・承認している国家。永世中立国という表現は英語の "permanent neutral country(state)" に相当し、『どのような戦争に対しても「かならず/固定的に」中立の立場をとる国』という意味である。


アイガー
(Eiger) は、ベルニーズアルプスの一峰でスイスを代表する山。標高は3,975 m。ユングフラウ、メンヒと並び、いわゆるオーバーランド三山の一つとされる。アイガー北壁は、高さ1800mの岩壁で、グランドジョラスの北壁、マッターホルン北壁とともに、困難な三大ルートの一つとして知られ、三大北壁と呼ばれている。

マイエンフェルト
Maienfeld)は、スイス連邦・グラウビュンデン州にある基礎自治体 ( ポリティッシェ・ゲマインデ ) である。ヨハンナ・シュピリの児童文学小説『アルプスの少女ハイジ』の舞台とされている(マイエンフェルトの近くにあるイェニンス(Jenins)村が舞台である)。アルプスの少女ハイジの影響により世界中から観光客が訪れている(中でも最も日本人観光客が多い)。


 

<世界遺産>
ザンクト・ガレン修道院
スイスのザンクト・ガレンにある中世以来の歴史を誇る修道院。現在の建物は18世紀に建造されたものであって中世修道院の面影はないが、バロック建築の傑作として評価されている。

ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院
スイス・グラウビュンデン州の都市ミュスタイアにある旧ベネディクト会修道院。希有な保存状態の良好さを誇るカロリング様式の建造物であることから、1983年にユネスコの世界遺産に登録された。

ベルン旧市街
スイスの首都ベルンには、中世ヨーロッパ都市の姿を今に伝える美しい町並みが残っている。ベルンの町は、ツェーリング家のベルトルト5世によって1191年に創設された。町は三方を自然の防壁となるアーレ川に囲まれた丘の上に建てられ、残る一方には城壁、堀、時計塔などが築かれた。その後も都市区画は、非常に明瞭な都市化の意図に沿って開発されていった。

ベッリンツォーナ旧市街の3つの城と防壁・城壁群
スイス・ティチーノ州の州都ベッリンツォーナにあるユネスコ世界遺産登録物件のひとつ。3つの城とは、カステルグランデ(巨城)、モンテベッロ城、サッソ・コルバロ城である。13世紀から15世紀にかけて形成された3つの城をもつベッリンツォーナは、中世における軍事建築の重要性の例証となっている。

ラヴォーのブドウ段々畑
ラヴォーはスイス・ヴォー州にあるブドウ栽培地方で、レマン湖畔の段々畑で知られる。2007年の第31回世界遺産委員会において、「ラヴォーのブドウ段々畑」の名で、世界遺産に登録された。

レーティシュ鉄道アルブラ線/ベルニナ線と周辺の景観
スイス東部のグラウビュンデン州を中心に約400kmの路線網を持つスイス最大級の私鉄である。沿線にサンモリッツやダヴォスなどの世界的なリゾート地を持ち、氷河急行やベルニナ急行といった看板列車を走らせている観光路線。

ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画
スイスのヌーシャテル州に残る伝統的な時計製造業と結びついた都市計画が評価された産業遺産であり、ラ・ショー=ド=フォンの町並みはスイスの国定重要文化財 (bien culturel suisse d'importance nationale) に指定されている。


ユングフラウ
スイスベルン州のベルナー・オーバーラント地方にあるアルプス山脈の山で、ユングフラウ山地の最高峰である。

アレッチホルン
スイス・ヴァレー州にあるアルプス山脈最大の氷河。ユーラシア大陸の西半分で見ても最大を誇る。

メンヒ
アルプス山脈に属するスイスの山。ドイツ語で「修道士」を意味する。アイガー、ユングフラウとともにオーバーラント三山と呼ばれる。ヴァレー州とベルン州の州境に位置する。

アイガー
ユングフラウ、メンヒと並び、いわゆるオーバーランド三山の一つとされる。アイガー北壁は、高さ1800mの岩壁で、グランドジョラスの北壁、マッターホルン北壁とともに、困難な三大ルートの一つとして知られ、三大北壁と呼ばれている。

サン・ジョルジョ山
(Monte San Giorgio)は、スイス・ティチーノ州の南部にあるピラミッド型をした山。標高1,097m。木々の生い茂る緑豊かな山だが、より重要な点は、中生代三畳紀中期(2億4,500万年前 - 2億3,000万年前)に属する5つの地層から、多くの化石が出土しているところにある。

スイスの活発な地殻変動地域サルドナ
グラールス衝上断層はスイス東部、アルプス山脈山中にある巨大な衝上断層である。この衝上断層に沿って、ヘルヴェティックナップが、北側のアアル地塊とインフラ・ヘルヴェティック複合体の上に100km以上にわたってせり上がっている。


魔橋
魔橋(まきょう、devil's bridge)と呼ばれる橋が数十程度ある。多くは悪魔が作ったと言われる伝承があり、石積みのアーチ橋で当地に古代ローマ時代に作られたという俗話(実際は1000年代〜1600年代に建築された)がある。


ヘルウェティイ族
(Helvetii)は、現在のスイスから南ドイツにかけて居住していたガリア人の部族。スイスの古名であるヘルヴェティア(Helvetia)はこの部族に由来する。『ガリア戦記』によれば、この時のヘルウェティイ族の全人口は390,000人で、うち110,000人が武器を持てる成年男子だった。対してカエサル率いるローマ軍は、6個軍団29,000人だった。カエサルは新たに2個軍団を動員した。

ハプスブルク家
Haus Habsburg)は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系。古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系となった。

神聖ローマ帝国
Sacro Romano Impero , 800年 - 1806年)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家[1][2]。1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」(解散詔勅では「ドイツ帝国」)である。帝国の体制は皇帝の権力が諸侯によって弱められることにより、中世から近世にかけて変化した。最後の数世紀にはその体制は諸領域の連合体に近いものになっている。

ヘルヴェティア共和国
Helvetische Republik)は、1798年から1803年の間にスイスに存在した共和国である。首都はルツェルン。1798年3月5日、フランス共和国軍はスイスへ侵攻した。スイスの盟約者団は崩壊し、4月12日にヘルヴェティア共和国の建国が宣言された。それまでのカントンの独立性の高い政治体制と封建的権利とは廃止され、フランス革命の諸原理を取り入れた中央集権的な政府が樹立された。

バイエルン公国
Herzogtum Bayern)は中世のドイツ南東部(現在のバイエルン州からオーストリアにかけての領域)に存在した5つの部族大公領の一つである。バイエルンにおける初期国家は既に6世紀に形成されており、レヒ・エンス両川の間、フィヒテル山地およびアルプス・トリエント地域を占めていた。バイエルン初期国家が歴史上初めて言及されるのはアギロールフィング家出身のガリバルド1世(590年頃没)の時代であり、その統治下の公国の首都はレーゲンスブルクにおかれた。


ウィーン会議
Congress of Vienna)は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。ヨーロッパ諸国の代表が集い、議長はオーストリアの外相メッテルニヒが務めた。ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された。


マジック・フォーミュラー
:Magic Formula)とはスイスの政治における、閣僚数分配比率に関する暗黙の了解のこと。魔法の法則、魔法の公式とも訳される。スイスの内閣に相当する「連邦参事会(連邦評議会)」を構成する7人の連邦閣僚は、国民を代表する国民議会と州(カントン)を代表する全州議会の二院からなる連邦議会の合同会議によって選出される。原則として、全ての国民に閣僚選挙に立候補する権利があるが、実際には退陣する閣僚が出た場合、政党から推薦を受けた候補者の中から新しい閣僚が選出される。


スイス料理
Cuisine suisse)とは、スイスで食べられる料理のこと。ドイツ料理(アルザス料理も含む)、フランス料理、イタリア料理といった多くの地域の影響を受けながらも、スイス特有の多くの料理を有する。スイスは歴史的な農業国であり、伝統的なスイス料理は素朴で、ジャガイモとチーズのような質素な食材で作る傾向がある。

ラクレット
raclette)ラクレットとはフランス語で「削るもの」「引っかくもの」を意味する。チーズの断面を直火で温め、溶けたところをナイフなどで削いでジャガイモなどにからめて食べることから、この名がついた。

メレンゲ
Meringel )とは、卵(鶏卵)の卵白を泡立てた食材、およびそれを用いた菓子のこと。滑らかな食感をだすため、もしくは加熱時の膨張剤[1]として料理(主に菓子)に使用される。メレンゲはスイスのメイリンゲン(en:Meiringen)で発明され、18世紀にイタリア人のガスパリーニという料理人によって改良されたとされるが、確たる証拠はない。『メレンゲ』の名前が確認できる最も古い文献は1692年のフランスの料理本である。


■民族
ドイツ語圏は神聖ローマ帝国の流れをくみ、南ドイツやオーストリアと共通のゲルマン系アレマン族(土着ケルト人と混血したうえでの)が多くを占める。外国人の定住者ないし短期労働者は全人口の2割に及び、2007年には145万人に達した。 最も多いのはイタリア295,507人、次にドイツ224,324人となっているが、特に旧ユーゴスラビア諸国出身者は非常に多く、35万人前後にもなる。(セルビア・モンテネグロ196,078人、マケドニア60,509、ボスニア41,654人、クロアチア38,144人)。トルコ人も75,382人と多い。

■言語
スイスでは、各地方の地理的・歴史的な理由から使用言語が分かれているため、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語と定めている。

■宗教
スイス国民が信仰する宗教は、カトリックが人口の約43%、プロテスタントが約35%と、この2つでほとんど大部分を占める。他には、イスラム教が約4%、正教会が約2%、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教などが、各1%未満であり、 約11%が無宗教となっている。

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スイスの映画
スイスにおける最初の公開された映画上映は、1896年(明治29年)にジュネーヴで開かれた内国博覧会でのことであった。移動上映が、展示会場や音楽ホールやサーカス小屋で行なわれ、そして最初のいくつかの映画館が出現した。ジャン=リュック・ゴダールが中心的な役割を担ったヌーヴェルヴァーグは、1960年代におもにスイス西部のフランス語圏で展開された。同地のテレビ局であるテレヴィジオン・スイス・ロマンドは、アラン・タネールやクロード・ゴレッタ、ミシェル・ステーら「グループ5」のメンバーとともに、劇映画の共同製作を行なった。


アルプスの少女ハイジ
スイスの作家ヨハンナ・シュピリ(又はスピリ)の児童文学作品である。1880年から1881年に執筆された。キリスト教信仰に基づく描写が多く見られる。作者も属するドイツ語圏スイスの山村が舞台となっており、後半にはゲーテの生地でもあるフランクフルトに舞台が移る。


マックス・フリッシュ
Max Frisch、1911年5月15日 - 1991年4月4日は、スイスの小説家、劇作家、建築家。戦後のドイツ文学を代表する作家の一人である。スイス、チューリッヒに生まれる。1930年よりチューリッヒ大学でドイツ文学を学ぶが、建築家であった父の死により学費が続かなくなり退学、スイスの主要な新聞のひとつ Neue Zü粐粐糅竏纈 Zeitung で記者兼コラムニストとして働き始める。1936年チューリッヒ工科大学に入り直し建築を学ぶ。1942年に同級生の女性と結婚、彼女とともに建築設計事務所を開く(ただし妻とは1953年に離婚している)。翌年より小説の発表を始め、以後10年ほど文学との2足のわらじで生活し、1950年代から60年代にかけての小説作品『シュティラー』(1954年)『ホモ・ファーベル』(1957年)『我が名はガンテンバイン』(1964年)などにより大きな名声を得て作家的地位を確立する。

ヤコブ・ベルヌーイ
Jakob Bernoulli、1654年12月27日 - 1705年8月16日は、ヤコブ、ジャック、あるいはジェームス・ベルヌーイとしても知られるスイスの数学者・科学者。ヤコブ・ベルヌーイは、1676年に英国に旅した折にロバート・ボイルとロバート・フックに会い、その後、科学と数学の研究に一生を捧げることになった。彼は、ゴットフリード・ウィルヘルム・ライプニッツと交流をもちライプニッツから微積分を学び、弟のヨハンとも共同研究を行う。 彼の初期の業績である超越曲線(1696)とisoperimetry (1700, 1701)はこの共同作業がもたらした成果である。

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アルミン・ジョルダン
(Armin Jordan, *1932年4月9日 ルツェルン - †2006年9月20日 チューリヒ)は、スイスの指揮者。エルネスト・アンセルメ以来の国際的なスイス人指揮者として世界的に通っている。息子フィリップ・ジョルダンも指揮者である。名前は、出身地であるスイスのドイツ語圏では通常「ヨルダン」と発音されるが、フランス語圏スイスのスイス・ロマンド管弦楽団(後述)の指揮者として有名になったため、フランス語読みの「ジョルダン」が定着したものと思われる。

レオンハルト・オイラー
Leonhard Euler, 1707年4月15日 - 1783年9月18日は数学者・物理学者であり、天文学者(天体物理学者)である。スイスのバーゼルに生まれ、現在のロシアのサンクトペテルブルクにて死去した。オイラーの父も数学の教育を受けた人物であったが、父はオイラーに自分の後を継いで牧師になることを望んでいた。しかしヨハン・ベルヌーイによって才能を見いだされ、オイラー自身の数学への興味もあって数学者になる道を選んだ。幾何学においては、位相幾何学の嚆矢となったオイラーの多面体定理(ただしオイラーは証明を与えていない)や「ケーニヒスベルクの橋の問題」が特に有名である。特性類の一つであるオイラー類は本質的にこのオイラーの多面体定理によって特徴付けられるものである。

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ロジャー・フェデラー
Roger Federer、1981年8月8日 - は、スイス・バーゼル出身の男子プロテニス選手。身長185cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。ATPツアー史上6人目となる生涯4大大会全制覇 キャリア・グランドスラムを達成し、4大大会男子シングルス部門で歴代最多となる16回優勝に輝いた他、年間最終戦の最多優勝記録、世界ランキング1位連続保持の最長記録といった数々の記録を築き上げた事から史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高い。フェデラーはボリス・ベッカーに憧れて、8歳からテニスを始めた。

バンジャマン・コンスタン
Henri-Benjamin Constant de Rebecque,1767年10月25日 - 1830年12月8日は、スイス出身のフランスの小説家、思想家、政治家。心理主義小説の先駆けとして知られる「アドルフ」が名高い。

テオフィル・アレクサンドル・スタンラン
1859年11月10日 - 1923年12月13日は、スイス生まれのフランスのアール・ヌーヴォーの画家、版画家。スタンランはローザンヌの生まれで、地元のローザンヌ大学で学んだ。それから、フランス東部のミュルーズの織物工場で、デザインの練習生の職を得た。

アレホ・カルペンティエル
Alejo Carpentier y Valmont, 1904年12月26日 - 1980年4月24日はキューバのジャーナリスト、小説家、音楽評論家。20世紀のラテンアメリカ文学に大きな影響を与えた。1904年、スイスのローザンヌに生まれる(長い間、彼の出生直後に転居したハバナ生まれと思われていたが、彼の死後に出生証明書がスイスで発見された)。母はロシア語の教授、父はフランスの建築家だった。12歳時にパリへ転居し、音楽理論に傾倒した。

ベルナール・チュミ
Bernard Tschumi、1944年1月25日‐は、スイス生まれの建築家、都市計画家、建築評論家。チューリッヒ工科大学卒業後、英国建築協会付属建築専門大学(通称AAスクール)やプリンストン大学などで教鞭を執る。

イヴ・イェルサン
Yves Yersin、1942年10月4日 ローザンヌ - は、スイスの映画監督、テレビプロデューサーで、長篇劇映画『ささやかな遁走』(1979年)で知られる。1942年10月4日、スイスのヴォー州ローザンヌに生まれる。父は彫刻家で画家のアルベール=E・イェルサン、母はマルグリット(旧姓アエビ)。1959年 - 1961年、ヴォー州ヴヴェにあるヴェヴェ写真学校で写真を学ぶ。

ジャクリーヌ・ヴーヴ
Jacqueline Veuve、1930年1月29日 パイェルヌ - は、スイスの映画監督、文化人類学者である。ドキュメンタリー作品で知られる、「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の映画作家のひとり。ローザンヌで古典を専攻、ジュネーヴの司書古文書学校に学んだ(1952年 - 1953年)のち、彼女はフランス・パリに上京、卒業証書の仕事をした際に、人類博物館にいた映画監督・文化人類学者のジャン・ルーシュと出会う(1955年)。

ジャン=リュック・ゴダール
Jean-Luc Godard, 1930年12月3日 - は、フランス・スイスの映画監督、編集技師、映画プロデューサー、映画批評家、撮影監督、俳優である。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。1948年、両親の離婚によりパリへ戻り、リセ・ロメール校に編入、その後ソルボンヌ大学に進学(のちに中退)。またこの年、モーリス・シェレール(エリック・ロメール)の主催する「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」に参加、ジャック・リヴェット、フランソワ・トリュフォー、ジャン・ドマルキらと出会う。

アンリ・デュナン
Jean Henri Dunant, 1828年5月8日 - 1910年10月30日は、スイスの実業家である。赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞した。スイスのジュネーヴに生まれ、厳格なカルヴァン派の伝統のなかで育てられた。父親は福祉孤児院の仕事に関わり、母親も福祉活動に熱心だったという。1859年、事業の請願のため、イタリア統一戦争に介入してオーストリア帝国と戦っていたナポレオン3世に会いにいき、北イタリアでソルフェリーノの戦いに遭遇した。この戦いは両軍合わせて20万を超える軍隊が衝突し、4万人近くの死傷者が出る激戦だった。デュナンは戦場に放置された死傷者の姿をみて、その救援活動をしている地元の女性たちの群れに入り、自らも救援活動に参加した。何故敵味方分け隔てなく救済するのかと尋ねられ、「人類はみな兄弟」と答えたのは有名。

ファビアン・カンチェラーラ
Fabian Cancellara、1981年3月18日 - はスイス・ベルン出身のプロ自転車ロードレース選手。2001年にマペイ・クイックステップでプロデビュー。朝日新聞ではカンセララと表記される。一定距離を単独走行してタイムを競うタイムトライアル競技では「異次元」としばしば形容される[2][3]圧倒的な強さを発揮し、ツール・ド・フランスでのステージ優勝や2006年〜2007年と2009年〜2010年の世界選手権個人タイムトライアルを2度の2連覇などを達成しているタイムトライアルスペシャリスト。

ドリス・ロイトハルト
Doris Leuthard、1963年4月10日 - は、スイスの政治家、法律家。2006年8月1日から連邦参事会に加わり、経済担当参事(経済相)を務めている。2010年度は連邦大統領を務めた[1]。2009年度は副大統領を務め、翌2010年度の大統領就任が確実になった。スイスでは連邦参事会が国家元首とみなされているが、ロイトハルトは大統領として民主主義国家の国家元首が執り行うような職務をこなした。

モーリッツ・ロイエンベルガー
Moritz Leuenberger、1946年9月21日 - はスイスの政治家・弁護士。1995年から2010年まで連邦参事会の参事を務め、2001年度と2006年度には連邦大統領を務めた。

ディディエ・ビュルカルテ
Didier Burkhalter、1960年4月17日 - は、スイスの政治家。自由民主党所属。2009年9月16日に連邦参事会参事に選出され、同年11月1日よりパスカル・クシュパンの後任として内務相を務めている。

シモネッタ・ソマルーガ
(Simonetta Sommaruga、1960年5月14日- )は、スイスの政治家。社会民主党所属。2010年末現在、連邦参事会参事と司法・警察大臣を務めている。シュヴィーツのギムナジウムを卒業後、ルツェルン、カリフォルニア州、ローマでピアノを磨き、1988年から1991年までフリブール大学で英語とロマンス諸語を学んだ。

アンリ・ギザン
(Henri Guisan、1874年10月21日 - 1960年4月8日)は、スイスの軍人。第二次世界大戦下の非常事態下において軍の最高司令官(将軍)となり、事実上のスイスの最高指導者となった。幼くして母を亡くしたものの、父親の愛情を受けて育った。やがてローザンヌ大学に進学したものの、進路に迷った末にフランスやドイツに農業技術の研究のために留学した。

ウルスラ・アンドレス
(Ursula Andress,1936年3月19日 - )は映画女優。スイスのベルン出身。007シリーズの初代ボンドガール。外交官の父ロルフ・アンドレス、母アンナはともにドイツ人。5人の姉弟がある。16歳の時、美術留学生としてパリへ渡る。翌年、ローマへの旅行中に映画関係者にスカウトされ、1954年の『Le Avventure Di Giacomo Casanova 』でデビュー。

ハインリヒ・ヴェルフリン
(Heinrich Wolfflin, 1864年6月21日 - 1945年7月19日)は、スイス、ヴィンタートゥール出身の美術史家で、近代的な様式論を確立した。『美術史の基礎概念』(Kunstgeschichtliche Grundbegriffe, 1915年)はヴェルフリンの主著。16 - 17世紀の美術史をルネサンス(古典主義)様式とバロック様式の対比で特徴づけたもの。

ジョアン・ガンペール
(Joan Gamper, Hans-Max Gamper, 1877年11月22日 - 1930年7月30日)は、スイス、ヴィンタートゥール出身の元サッカー選手・実業家。スペインのサッカークラブ、FCバルセロナの創始者で、自らもプレーした。FCチューリッヒの創始者の1人でもある。

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ニクラウス・ヴィルト
(Niklaus Wirth, 1934年2月15日 - )はスイスの計算機科学者。プログラミング言語Pascal、Modula-2などの開発や、ソフトウェア工学分野の開拓的研究で知られる。1995年、ヴィルトの法則として知られる格言を広めた。「ハードウェアの速度向上よりもソフトウェアの速度低下の方が大きい」

フランシス・ロイセール
(Francis Reusser、1942年1月1日 ヴヴェ - )は、スイスの写真家、映画監督である。1969年、劇映画『Vive la mort』で長編映画の監督としてデビュー。前作のオムニバスの一篇に主演した女優パトリシア・モラーズと共同で脚本を書いた。撮影監督は新人のレナート・ベルタを抜擢。

アブラアム・ルイ・ブルゲ
Abraham Louis Breguet , 1747年1月10日 - 1823年9月17日)は、スイス、ヌーシャテル生まれの時計職人。時計の歴史を200年早めたとも云われる。フランスで時計の開発を行い、永久カレンダー、暗闇でも音で時を知らせるミニッツリピーター、重力の影響によりゼンマイ時計が狂うのを防ぐトゥールビヨン機構など、様々な革新的技術を生み出した。

パトリシア・モラーズ
(Patricia Moraz)は、スイスの映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。1977年、長編映画『インディアンはまだ遠くに』で映画監督としてデビューする。イザベル・ユペールを主演にしたフランス・スイス合作映画である。

フランソワ=アルフォンス・フォーレル
(François-Alphonse Forel、1841年2月2日 - 1912年8月7日)はスイスの科学者。湖沼学(後の陸水学)の先駆けとされる。レマン湖畔のヴォー州モルジュで生まれ、1869年-1895年までローザンヌ大学の教授として教鞭をとった。考古学、地震学、生物学、物理学、氷河学など研究は多岐にわたる。

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アンリ・コルピ
(Henri Colpi、1921年7月15日 - 2006年1月14日)はスイス出身でフランスで活躍した映画監督、雑誌編集者、脚本家、音楽家、編集技師。ヌーヴェルヴァーグを支えた編集技師として、またマルグリット・デュラス脚本による映画『かくも長き不在』の監督として知られる。

ジャン=ジャック・ルソー
(Jean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、スイスのジュネーヴに生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、教育哲学者、言語哲学者、作家、作曲家である。

オトマール・シェック
(Othmar Schoeck, 1886年9月1日 シュヴィーツ州ブルンネン - 1957年3月8日 チューリヒ)は20世紀スイスの作曲家。とりわけ300曲以上にのぼる歌曲の作曲家として重要で、ピアノ伴奏つき歌曲や管弦楽伴奏つき歌曲のほか、様々な合唱曲を遺している。

ヨハンナ・シュピリ
(Johanna Spyri、1827年6月12日 - 1901年7月7日)は、スイスの作家である。『アルプスの少女ハイジ』の著者として知られる。1852年には弁護士のベルンハルト・シュピリと結婚し、チューリッヒでの生活の間に田舎での暮らしに関する小説を書き始めた。最初の本『Ein Blatt auf Vrony's Grab』は1871年に、『アルプスの少女ハイジ』は1880年に出版された。

 

スイス Swiss
ヨーロッパにある連邦共和制国家。永世中立国。
ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置する。国内には多くの国際機関の本部が置かれている。連邦首都はベルン市。主要都市は、チューリッヒ、バーゼル、ジュネーヴ、ローザンヌなど。

ベルン
Bernは、スイス連邦の首都。ベルン州の州都でもある。人口は127,000人(2004年)で、チューリッヒ、バーゼル、ジュネーヴに次ぐ4番目の規模の都市である。1191年、街はツェーリング大公のベルトルト5世によってアーレ川沿いに創設された。伝えられるところによると、ベルンの名称は公爵が殺した熊に因んで名づけられた。

バーゼル
Baselは、スイスのバーゼル=シュタット準州の州都。スイス北西部、ドイツとフランスとスイスの3国の国境が接する地点に位置し、市街地はライン川をまたぐ形で広がっている。チューリッヒ、ジュネーヴに次ぎスイス第3の都市。大型船舶が通航できるライン川最上流の港を持つ最終遡行地点である。バーゼルという名称は、374年にバジリア(BasiliaまたはBasilea)としてはじめて史料上に現れたが、現在のバーゼル大聖堂付近には、ローマ人によるライン川流域支配が確立した1世紀以前からケルト人の集落が存在した。バーゼル市公式サイト


バーゼル市立美術館
Basler Kunstmuseumは、スイス・バーゼルにある美術館である。単に「バーゼル美術館」と表記されることがある。1671年に開設された世界最古の公共美術館の1つである。自由都市バーゼルで印刷業などで財を成したアマーバッハ家(Amerbach)がコレクションした美術品をバーゼル市が購入し公開したものが基となっている。

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ローザンヌ
Lausanneは、スイスのヴォー州に属する基礎自治体(コミューン) で、同州の州都。古代ローマ人が軍の野営地を、レマン湖の近く、現在のヴィディ(Vidy)やウシー(Ouchy)周辺に建て、Lousonnaと呼んだ。また丘の上の城壁は"'Lausodunon"または"Lousodunon"と呼んだ。国際オリンピック委員会(IOC)の本部が置かれており、「オリンピックの首都(Olympic Capital)」とも言われる。

アール・ブリュット・コレクション
Collection de l'art brut は、アール・ブリュットの概念を提唱したフランスの画家、ジャン・デュビュッフェが蒐集したコレクションをもとに発足した、スイスのローザンヌにあるアウトサイダーアートの美術館。1923年、ジャン・デュビュッフェは、兵役中に気象関係の部署に配属された際、ある女性から送られてくる雲の中に浮かぶ幻影の克明な記録を見て、精神病の患者の視覚表現に興味を抱くようになった。

ジュネーヴ
Genevaはスイス西部、レマン湖の南西岸に位置する都市(コミューヌ)。フランス語圏に属し、ジュネーヴ州の州都である。三日月形のレマン湖の南西側の角を取り囲むように広がり、サレーヴ山(Mont Saleve)、ジュラ山脈等の山地に囲まれる。市内をアルヴ川、ローヌ川が流れる。

グリンデルヴァルト
(Grindelwald)は、スイス・アルプスにあるベルン州山岳地方(ベルナー・オーバーラント)の村であり、インターラーケンとともにベルナーオーバーラント地方の観光の拠点となっている。なお、標準ドイツ語では「グリンデルヴァルト」であるが、ベルナー・オーバーラント地方の発音から「グリンデルワルト」と表記されることが多い[1]。


スイス連邦鉄道
都市間路線、通勤路線、貨物輸送のサービスを行うスイス連邦の国有の鉄道事業者である。ロマンシュ語圏(グラウビュンデン州)にはほとんど路線を持っておらず(ザルガンス - クール間のみ)、主にレーティッシュ鉄道(RhB)が運行している。

ユングフラウ鉄道
(Jungfraubahn)はスイスの登山鉄道で、19世紀末から20世紀初頭にかけて建設された。終着駅のユングフラウヨッホは、ヨーロッパで最も高い場所に位置する駅である(海抜3454メートル)。

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ジュネーヴ・コアントラン国際空港
Geneva Cointrin International Airportは、スイスのジュネーヴにある国際空港である。ジュネーヴ近郊のフランス国境に位置しており、敷地はスイス・フランスの国境をまたがって両国に広がる。空港内のフランス区域(Secteur France)からは、スイスに一時入国することなく、フランス(ヴォルテールが住んだことで知られるフェルネ・ヴォルテール)に直接出入国できる。

ユーロエアポート
バーゼル・ミュールーズ空港(Basel Mulhouse Airport)の別称である。フランスのミュールーズにあるが、スイスのバーゼルにも高速道路で接続している。ドイツのフライブルク・イム・ブライスガウにも近い。

エンガディン空港
Engadin Airport、は、スイス・グラウビュンデン州エンガディン地方のサメーダンにある空港で、サンモリッツからちょうど5kmのところに位置する。

ウィーン国際空港
Vienna International Airportは、オーストリアの首都ウィーンの南東18kmに位置するニーダーエスターライヒ州シュヴェヒャートにある空港。ウィーン近郊だけでなく、スロバキアの首都ブラチスラヴァからも49kmしか離れず便が良い。

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外務省:スイス連邦
在スイス日本国大使館


チューリッヒ
Zurichは、スイス連邦チューリヒ州の州都である。ヨーロッパ有数の世界都市。北側にチューリッヒ湖があり、標高は約400m。市内にはリマート河が流れている。ローマ帝国時代のローマ軍の駐屯地、トゥリクム(Turicum)がチューリッヒの原形になっている。

チューリッヒ歌劇場
1834年に設立された。歌劇場のオーケストラも同時に設立された。1868年、トーンハレ協会の設立に伴い歌劇場オーケストラを母体として現在のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が創設され、以後オーケストラは歌劇場とコンサートの掛け持ちとなっていたが、1985年に歌劇場のオーケストラはトーンハレ管弦楽団から分離した。

トゥーン湖
Thunersee)はスイスのベルン州にある湖。アルプス山脈の北側に位置する。湖名はトゥーンの街に由来する。トゥーン湖のある地域は、豪雨の後にアーレ川による局地的な洪水が頻繁に起きている。アーレ川では豪雨時の過剰な表面流出を捌ききれず、これがトゥーン湖に流れ込む構造となっている。

ブリエンツ湖
Brienzersee)はスイス・ベルン州にある湖。アルプス山脈の北側に位置し、アーレ川の途中にあるような形になっている。
湖の栄養度は低く、釣りなどには向いていない。にもかかわらず2001年に、体重10,000 kgの魚が捕らえられた。


バーゼル大学
スイスのバーゼルにある大学。1460年に創立されたスイス最古の大学であり、卒業者にユングがいる。エラスムスやパラケルスス、セバスティアン・ブラント、ベルヌーイ、ブルクハルト、オイラー、イェーリング、ニーチェ、ヤスパース、カール・バルトなどがここで教鞭を執った。

バーゼル音楽院
Musik-Akademie der Stadt Baselは、スイスのバーゼルにある音楽学校。1867年にヨハン・ヤコブ・シュロイブリン・フェイグトリンによって設立された音楽学校。作曲、指揮、ピアノ、声楽、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ギター、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、チューバ、打楽器などの専門実技科目からなる。

スイス連邦工科大学チューリッヒ校
Swiss Federal Institute of Technology (ETH)は、スイスにある工学系の単科大学である。スイス連邦工科大学は1855年に設立された。現在では、チューリッヒ校、ローザンヌ校、及び4つの国立研究機関から成っている。アインシュタインの出身校としても知られ、21名のノーベル賞受賞者を輩出している。有名な大学ランキングでは毎年スイス国内の大学としては最上位に位置づけられ、ヨーロッパ圏の上位5校、全世界の25校にランク入りすることが多い 。スイスの他の公立大学と同様に、学部生を選抜する入試を行わない。スイス国内の大学入学資格をもつすべてのスイス市民に対して門戸を開放している。

チューリッヒ芸術大学
Die Zurcher Hochschule der Kunste、略称ZHdKは、スイス、チューリッヒにあるスイスで最大の芸術系大学である。チューリッヒ芸術大学は、チューリッヒ造形芸術大学、チューリッヒ音楽演劇大学の統合により、2007年8月1日に創立された。初代学長はハンス=ペーター・シュヴァルツである。

ジュネーヴ大学
University of Geneva、はスイスのジュネーヴにある大学である。2006年のニューズウィーク誌では、世界ランキングで32位に入っている。ジュネーヴ大学は、スイスのジュネーヴにある大学である。1559年にジャン・カルバンにより創設された。当初は神学校であったが、法律学も教えていた。ジュネーヴは外交や国際情勢の研究に最上のロケーションであるとともに、特に惑星科学と遺伝学についての顕著な発見を成し遂げていることから、科学研究の分野においてもヨーロッパでトップクラスの大学のひとつであると考えられている。

ザンクトガレン大学
University of St. Gallenは、スイスのザンクト・ガレンにある大学である。専門単科大学として確立して一般的にはHSGと知られている。専門単科大学のバックグラウンドの為、スイスにおいて一番規模の小さい大学の一つであるが、ビジネス学部はスイス一大きく、ビジネス、経済学については、ヨーロッパにおいてトップレベルの大学と考えられている。

グリオン大学
Glion Institute of Higher Education)は、スイス連邦クラレンスに本部を置くスイスの私立大学である。1962年に設置された。ホスピタリティ教育を専門とした4年制大学で、スイス国内に2ヶ所のキャンパス(グリオン/ビュル)がある。

レ・ロシュ大学
Les Roches International School of Hotel Management)は、クランーモンタナに本部を置くスイスの私立大学である。1954年に設置された。1954年に創設され、世界で最も大規模な大学ネットワークLaureate Education (ローリエイト・エデュケーション)グループのメンバー校である。


■国名
国名は、スイス建国の中心的役割を果たしたシュヴィーツ州に由来する。“Schwyz”(シュヴィーツ)は、古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。日本語表記の「スイス」はフランス語名“Suisse”(スュイス)または英語形容詞の“swiss”に由来する。ラテン語名は、古代ローマの支配が及ぶ前からベルン周辺に住んでいたケルト系先住民族の部族名・ヘルウェティイ族に由来する。


1.面積:4.1万平方キロメートル(九州本島よりやや大きい)
2.人口:770万人(2008年、スイス連邦統計庁)
3.首都:ベルン(人口約12万人)(2008年、スイス連邦統計庁)
4.民族:主としてゲルマン民族 (外国人約20%)
5.言語:独語(64%)、仏語(20%)、伊語(6%)、レート・ロマンシュ語(1%)(2000年、スイス連邦統計庁)
6.宗教:カトリック約41%、プロテスタント約35%(2000年、スイス連邦統計庁)

1291年 スイス誓約同盟
1815年 欧州列強がウィーン会議でスイスの永世中立を承認。
1848年 連邦憲法制定(1999年4月に現憲法に改正)
連邦内閣樹立
1960年 EFTA加盟
1973年 ECと自由貿易協定締結
1992年5月 EC加盟申請提出
2001年3月 国民投票でEU加盟のための早期交渉開始を否決
2002年9月 国連加盟を国民投票で可決(190番目の加盟国)
1999年6月 EUと第1次二国間協定を締結(政府調達、農産品市場へのアクセス自由化等7分野)
2004年6月 EUと第2次二国間協定を締結(詐欺対策、加工農産品等9分野)

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■主要産業:機械・機器、金融、食品、製薬、観光、農業

■貿易:輸出 166,137百万ドル(機械・機器、化学製品、金属等):輸入 147,552百万ドル(機械・機器、化学製品、自動車等)


スイス・フラン
Schweizer Franken(シュヴァイツァー・フランケン)、フランス語: franc suisse(フラン・スュイス)、イタリア語: franco svizzero(フランコ・ズヴィッツェロ)、ロマンシュ語: franc svizzer(フランク・スヴィッツェル))は、スイスとリヒテンシュタインの通貨。くわえて、イタリアの飛地カンピョーネ・ディターリアの通貨、ドイツの飛地ビュージンゲンの非公式な通貨である。


■政治
スイスは、連邦国家であり、連邦議会(独: Bundesversammlung、英: Federal Assembly)を最高機関とする議会統治制、つまり立法府が行政府を兼ねる統治形態を執っている。連邦議会は両院制で、直接選挙(比例代表制)で選ばれる200議席の国民院(独:Nationalrat、英:National Council)と州代表の46議席の全州院(独:Staenderat、英:Council of States)から構成される二院制である。


■軍事・安全保障
現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の職業軍人と約380,000名の予備役から構成されるスイス軍を有し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら永世中立を堅持してきた平和国として知られる。スイスは国連平和維持活動(PKO)への参加に積極的で、国外に武装したスイス軍部隊を派兵しているが、現地で不当な暴力に遭遇した隊員がやむを得ず自衛戦闘をする場合を除いては、決して武力行使をせず、PKOでは武器を用いない人道支援に徹している。


スイス社会民主党
Social Democratic Party of Switzerlandは、1888年10月21日に設立されたスイスの中道左派政党。現在、国内の4つの主要政党のうち、スイス国民党に次ぐ規模を誇る。また、スイス国内では欧州連合への加盟に最も積極的な政党とされている

スイス自由民主党
Freisinnig-Demokratischen Partei.Die Liberalenは、スイスの自由主義政党。1894年に結成された スイス自由民主党 が2009年に小政党の 自由党(リベラル党)を吸収したもの(フランス語圏では合同前は 急進民主党 を名乗っていた)。

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スイスキリスト教民主党
The Christian Democratic People's Party of Switzerland、はスイスの中道及びキリスト教民主主義政党。欧州人民党・中道民主インターナショナルに加盟。綱領では自らを「中道主義」と位置付けており、自由主義を社会正義の強化と結び付けることで、社会的な市場経済を促進する。

スイス緑の党
Green Party of Switzerland, はスイスの環境政党。現在国民院では第5党であるが、連邦参事会に議員を擁していない。環境主義や公共交通政策を伝統的に重視。外交では平和主義を貫き、経済政策については概ね中道左派である。党員の大多数は欧州連合への加盟を支持。

スイス国民党
Partida Populara Svizra)は、スイスの中道右派・保守政党。ドイツ語圏住民を主な支持基盤とし、外国人の受け入れには消極的である。1929年以来連立与党の座にあり、1959年からは主要4党の一つとして連立与党の座を占めている。1917年、チューリヒ州で農工市民党として創立。1929年から連邦内閣に入閣するようになった。1937年には全国政党となり、1971年、グラールス州とグラウビュンデン州の民主党と合併し、国民党と改称した。


シュヴィーツ州
Chantun Sviz)は、スイス連邦を構成するカントン(州)の一つ。人口は131,400(2003年)、州都はシュヴィーツ。6つの行政区に分かれている。"Schwyz" (シュヴィーツ)は古代ドイツ語では、スイスの語源と同じく「酪農場」を意味する語が訛ったものとされる。

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ウーリ州
(Kanton Uri)は、スイスのカントン(州)。人口は35,000(2003年)、州都はアルトドルフ。行政区はなく、20の自治体に分かれている。ドイツ語圏。1291年、今のスイス連邦の元となる原初同盟を結んだ州の一つ。

サンモリッツ
(St. Moritz)は、スイスのグラウビュンデン州にある基礎自治体 (ポリティッシェ・ゲマインデ) 。日本ではフランス語での名称であるサンモリッツの呼称が定着しているが、現地ではドイツ語話者が多いためザンクト・モリッツ(Sankt Moritz)と称される。

アンデルマット
(Andermatt)あるいはアンダーマットは、スイスのウーリ州にあるアインヴォーナーゲマインデ(基礎自治体) である。人口1,312人、面積62.15キロ平方メートル。レアルプ、ホスペンタルと共に、アルトドルフの南22キロメートルに位置するルゼレン谷にある。

ゾロトゥルン
Solothurn、ゾロトゥルン州の州都。ゾロトゥルン地区(en:Solothurn (district))唯一の自治体である。ゾロトゥルンは、スイス最大のバロック様式の都市と呼ばれる。旧市街は1530年から1792年にかけ建設され、イタリア、フランスの影響、スイスの観念が組み合わされた建築様式を見せている。

インターラーケン
(Interlaken)はスイスのベルン州にある 基礎自治体 ( アインヴォーナー・ゲマインデ ) 。ベルナー・オーバーラント(ベルン高地)観光の拠点。住民はほぼドイツ語を話す。人口は5691人(2004年)。「湖(lake)の間」という名称の通り、トゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する都市。

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ダボス
(Davos)国際的に著名な企業人、政治家、学者などが一堂に会し世界の諸問題を討議する「世界経済フォーラム」(通称「ダボス会議」)が毎年開催されることで有名な山麓のリゾート・タウン、コンベンション・タウンである。

ルガーノ
(Lugano)は、スイス連邦の都市。イタリア語圏であるティチーノ州最大のコムーネである。マッジョーレ湖とコモ湖の中間にあるルガーノ湖のほとりに位置する。ブレ山とサン・サルバトーレ山の間をカサラテ川が湖に注ぐ位置にある。イタリアの主要都市ミラノまでは直線距離で60kmほどである。

クール
Chur)は、ほぼ完全にアルプス山脈に囲まれており、深いシャンフィグ谷への入口を守るミッテンベルク(Mittenberg、東側)とピツォケル(Pizokel、南側)の丘に囲まれている。イェナッチュの遺骸が置かれたローマゴシックの大聖堂にはかなり興味深い納骨室があり、アルブレヒト・デューラーとハンス・ホルバインによる素晴らしい絵がある。

ルツェルン
Lucern)は、スイス中部のルツェルン州に属する基礎自治体(アインヴォーナーゲマインデ)で、同州の州都。ルツェルン湖(Vierwaldstättersee)の湖畔に位置し、ピラトゥス山とリギ山を臨む場所に位置する。ルツェルンの創建については記録がない。しかし840年に "Luciaria"という名前が730年頃創建されたサン・レオデガー修道院に由来するものとして記録されている。

アスコナ
スイス・ティチーノ州のマッジョーレ湖の汀にある南スイスの中世風の基礎自治体 ( コムーニ ) である。エラノス会議 - スピリチュアリティの研究を目的とした会議。アスコナで開催された。

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アーラウ
(Aarau)はスイスのアールガウ州の基礎自治体 ( アインヴォーナー・ゲマインデ ) で同州の州都。アーレ川沿いに位置する。精密機械、光学機器などの生産が盛ん。


アルトドルフ
(Altdorf)はスイスのウーリ州にある 基礎自治体 ( アインヴォーナーゲマインデ ) で同州の州都。ロイス川のほとりに位置する。アルトドルフの地名は、ウィリアム・テル伝説で彼が息子の頭の上のリンゴを射抜いた場所として、最もよく知られている。


アローザ
Arosa)は、スイスのグラウビュンデン州にある町、ないし基礎自治体(ゲマインデ)である。夏・冬ともリゾート地としてにぎわう。1926年のクリスマス休暇をアローザで過ごしていたエルヴィン・シュレーディンガーは、この地でシュレーディンガー方程式を発見した。

ウンターヴァルデン
Unterwalden)は、ルツェルン湖の南方で現在のスイスの二つのカントンにまたがる地域の旧称である。オプヴァルデン準州がその北半分、ニトヴァルデン準州が南半分である。

ツォフィンゲン
Zofingen)は、スイスのアールガウ州、ツォフィンゲン郡に属す都市で、同郡の中心地。1201年にフローブルク伯によって築かれ、現在も市街は城壁に覆われている。大手メディアのリンギエールAG、医薬品のジークフリート、印刷加工システムのミュラー・マルティニなどがツォフィンゲンに本社を置く。

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ニヨン
Nyonは、ジュネーヴの北約25kmのレマン湖岸に位置し、フランス語圏に属している。近年、アンフィテアトルムや神殿などのローマ時代の遺跡が発掘されており、1998年に開館したローマ博物館では出土品が展示されている。

ラ・ショー=ド=フォン
La Chaux-de-Fonds)は、スイスのヌーシャテル州にある基礎自治体(コミューン)。 スイス時計製造業の代表的都市である。近代建築の巨匠で、10スイス・フラン紙幣にも描かれているル・コルビュジエの出身地でもあり、初期の住宅作品などが残っている。

ヌーシャテル
(Neuchatel)はスイスのヌーシャテル州の州都である基礎自治体 ( コミューン ) 。ヌーシャテル大学があり、多くの学生が学ぶ。1840年、『氷河の研究』で氷河期についての見解を示したルイ・アガシーは、同大学の教授であった。


ヴェストファーレン条約
Peace of Westphalia)は、1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター条約とオスナブリュック条約の総称である。英語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。


■軍事
スイスは独自の軍事力を有し、焦土作戦も辞さない国策によって永世中立を堅持してきた平和国として知られる。正規軍は近代的で高度な装備を有する。同時に多数の成人男子が予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20-30歳の男子に兵役の義務があり女子は任意である。スイスの男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃(将校等は自動拳銃も含む)が支給され、定年になるまで各自で保管している。かつては弾薬も各自で保管されていた。これは即応用の小銃弾または拳銃弾を密封包装したもので、動員令が下った際に限り開封するものと定められた。しかし2007年9月より安全上の理由によって、警急部隊と憲兵部隊を除いた分は回収され、軍が集中管理するようになった。*これらの支給火器が犯罪に用いられることはごく稀である。


国際機関
international organization)とは、構成員を国家として常設の事務局を有する実体があるもの。および、条約によって設立されている組織である。日本語では、国際機関の他に国際組織、国際機構と訳される場合もあるが、この3つの用語の意味は全く同じである。


スイス傭兵
ラテン語:Cohors Helvetica Pontificia)は、主にスイス人によって構成される傭兵部隊で、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各国の様々な戦争に参加した。特にフランス王家とローマ教皇に雇われた衛兵隊が名高く、後者は現在でもバチカンのスイス衛兵隊として存在する。


パウル・クレー
Paul Klee、1879年12月18日 - 1940年6月29日は20世紀のスイスの画家、美術理論家。ワシリー・カンディンスキーらとともに青騎士グループを結成し、バウハウスでも教鞭をとった。その作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のものである。1879年、スイスの首都・ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれた。父は音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという音楽一家であった。クレー自身も早くからヴァイオリンに親しみ、11歳でベルンのオーケストラに籍を置くなど、その腕はプロ級であり、1906年に結婚した妻もピアニストであった。

フェルディナント・ホドラー
Ferdinand Hodler、1853年3月14日 - 1918年5月19日は、スイスの画家。グスタフ・クリムトと並んで世紀末芸術の巨匠。同年代の芸術家が皆パリに出て活躍したのに対し、ホドラーは画家として認められてからは、最後までスイスで活躍し、孤高の画家と言われた。ホドラーは、1853年にスイスの首都ベルンで貧しい家庭の長男として生まれた。父親は大工であった。[1]8歳になるまでに父親と弟二人を結核などの病気で相次いで失う。母親は装飾美術を手掛ける職人と再婚するが、しかし1867年にやはり結核で死去する。[2]最終的には他の兄弟もすべて結核で亡くなってしまう。貧困を極めていた幼少のホドラー自身が兄弟と母親の死体を荷車で貧窮院から運んだと回想録で語っている。

リーゼロッテ・プルファー
Liselotte Pulver、1929年10月11日 - はスイス・ベルン出身でドイツで活躍した女優。リゼロッテ・プルファーの名で知られている。愛称はリロ(Lilo)。1950年代、60年代に旧西ドイツ映画をはじめ、ハリウッド映画、フランス映画に出演し、国際的に活躍した。

ゴットフリート・ケラー
Gottfried Keller, 1819年7月19日 - 1890年7月15日はスイスのドイツ語作家。主著に教養小説の代表作『緑のハインリヒ』など。ケラーの小説は長編・短編ともにリアリズムを根底に据えながらもロマンティックな味わいがあり、高度な悲劇性とユーモアを兼ね備えている。チューリッヒのろくろ職人の息子として生まれたが、5歳の時に父を事故で失い、その後妹と共に母の手一つで育てられる。小学校を出て実業学校へ進んだが、1834年に些細な事件で退学処分を受け、それから画家になろうと修業を始めた。1840年から2年間ミュンヘンに留学したが、結局充分な成果を得られず失意のうちに帰郷し、画業を諦め文学の道に進む。

ブルーノ・ガンツ
Bruno Ganz, 1941年3月22日 - は、スイス・チューリッヒ出身の俳優。ドイツ映画界で活躍している。父親はドイツ系スイス人、母親はイタリア人。19歳でデビュー。1972年にはザルツブルク音楽祭にてトーマス・ベルンハルトの作品を監督している。1987年製作の主演作『ベルリン・天使の詩』の世界的ヒットにより知られるようになる。

ヨアヒム・マイアー
ヨアヒム・マイアー(Joachim Meyer)は、武術書『武術の基本的説明』(1570年)の著者。1600年に再刊されたその著作は、1612年のヤーコプ・ズートーアの書をはじめとする、16・17世紀ドイツ剣術書に影響を与えたとされている。同書は5章からなり、長剣、デュサック(小刀に似た訓練用武器)、ラピエル(刺突向きのレイピアよりも重い片手剣)、短剣、竿状武器を扱っている

カール・グスタフ・ユング
Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した。スイス、ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント牧師の家に生まれる。少年期は己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭し,学生時代はゲーテ、カントやニーチェの著作に感銘を受けた。内的な基盤を持たない形式的な信仰というものに疑問を感じ、牧師という職を継ぐことを特には望まず、名門バーゼル大学で医学を学んだ。

エトヴィン・フィッシャー
Edwin Fischer, 1886年10月6日 - 1960年1月24日は、スイス出身、主にドイツで活躍した名ピアニストで、すぐれた指揮者、教育者でもあった。指揮者としては、1926年リューベックの管弦楽団、1928年からはミュンヘンのバッハ協会を指揮、さらに自ら室内管弦楽団を結成しその指導にあたり、協奏曲の演奏では独奏を兼ねながら指揮をする、いわゆる「弾き振り」と呼ばれる演奏習慣を復活させた。

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シャルル・デュトワ
1936年10月7日 - は、スイス出身の指揮者。「音の魔術師」との異名をとる。ローザンヌ生まれ。青年期にエルネスト・アンセルメと交流を深めるかたわら、同地とジュネーヴの音楽院で指揮、ヴァイオリン、ヴィオラ、打楽器、作曲を学ぶ。指揮科を首席で卒業後、シエナでアルチェオ・ガリエラに師事。その後、アメリカ合衆国のタングルウッド音楽祭でシャルル・ミュンシュに師事。

ジャン=マルク・ステーレ
(Jean-Marc Stehle、1941年 - )は、スイスの舞台美術家、俳優である。フランスでも多く活動している。1941年(昭和16年)、スイスのジュネーヴ州ジュネーヴで生まれる。ジュネーヴ装飾美術学校を卒業する。1963年(昭和38年)、22歳のころから、40年にわたり、スイスのフランス語圏で舞台美術家として活動している。

マルセル・ジュノー
(Marcel Junod、1904年5月14日 - 1961年6月16日)はスイスの医師。ジュネーヴ大学で麻酔科学を専攻。赤十字国際委員会の派遣員を第二次エチオピア戦争・スペイン内戦・第二次世界大戦の期間に渡って務めた人物である。第二次世界大戦後、赤十字国際委員会副委員長も務めた。1945年9月1日 - 広島の惨状の報告を受け、GHQと交渉して15トンの医薬品(包帯、乾燥血漿など)の提供を受けることに成功する。これは1万人の被災者を1ヶ月治療できる量であったとされる。

オーギュスト・ピカール
Auguste Piccard、1884年1月28日 − 1962年3月24日はスイスの物理学者、気象学者、冒険家。宇宙と深海に対して大きな関心があった。1931年5月27日、宇宙線やオゾンを研究するために、自らが設計した水素気球に乗ってドイツのアウクスブルク上空16,000 mの成層圏に達した。これは世界初の気球による成層圏到達であり、ピカールはこの業績によりハーモン・トロフィーを獲得した。1930年代からは深海への到達を志すようになった。第二次世界大戦のため研究の遅れもあったが、1948年、気球の原理を応用して電気推進式の深海観測船(FNRS-2バチスカーフ)を発明した。

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ヨハン・シュナイダー=アマン
Johann Niklaus Schneider-Ammann、1952年2月18日 - )は、スイスの実業家、政治家。自由民主党所属。1999年から国民議会(下院)議員を務めている。ベルン州スミスヴァルトの獣医の家に生まれた。1977年にチューリッヒ工科大学の電気工学科を卒業し、1983年にはフランスのINSEADから経営学の学士号を取得[1][2]。機械のアマン・グループとスイス企業組合の会長を務め、ヒューマン・キャピタルを重視した経営を行っている。

フリッツ・ブルン
(Fritz Brun, 1878年8月18日 ルツェルン - 1959年11月29日 グロースヘーフシュテッテン)は、スイスの作曲家・指揮者。
ケルン音楽院にてフランツ・ヴュルナーに師事し、卒業後はそのままピアノと音楽理論の教師として同音楽院に残留した。1903年よりベルン音楽学校のピアノ教師に就任。1909年から1943年までベルン音楽協会交響楽団を監督し、ツェツィーリエ協会やベルン声楽委員会を指揮した。

エディト・マティス
(Edith Mathis, 1938年2月12日 - )は、スイスのソプラノ歌手。夫は指揮者のベルンハルト・クレー。ルツェルンに生まれ、生地の音楽院で学ぶ。1956年、18歳の時に同地の歌劇場でモーツァルトの『魔笛』の童児としてデビュー。1957年、同歌劇場で『フィガロの結婚』のケルビーノを歌って大成功を収める。1959年、ケルン歌劇場で『ファルスタッフ』のナンネッタで成功し、この歌劇場のメンバーになったが、1960年からハンブルク歌劇場に移った。

フリッツ・ブルン
(Fritz Brun, 1878年8月18日 ルツェルン - 1959年11月29日 グロースヘーフシュテッテン)は、スイスの作曲家・指揮者。
ケルン音楽院にてフランツ・ヴュルナーに師事し、卒業後はそのままピアノと音楽理論の教師として同音楽院に残留した。1903年よりベルン音楽学校のピアノ教師に就任。1909年から1943年までベルン音楽協会交響楽団を監督し、ツェツィーリエ協会やベルン声楽委員会を指揮した。

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アルテュール・オネゲル
Arthur Honegger,1892年3月10日 - 1955年11月27日は、フランス近代の作曲家である。フランス6人組のメンバーの一人。スイス人の両親の元、フランスのルアーブルに生まれる。音楽好きでピアノも得意だった母ジュリー・ユルリックから音楽の手ほどきを受け、最初ヴァイオリンを習うが、作曲の試みがこの最初の頃から行われていたとオネゲル自身が語っている。また1904年頃には詩や小説の創作を試みたりしている。

アルベルト・ジャコメッティ
Alberto Giacometti, 1901年10月10日 - 1966年1月11日は、スイス出身の20世紀の彫刻家。1920年代半ばから弟のディエゴと共同でアトリエを構え、1927年前後からパリのサロン・デ・テュイルリーで作品を発表しはじめた。この頃のジャコメッティは、写実的な彫刻にはあきたらないものを感じ、キュビスム、シュルレアリスム、原始彫刻などの影響を受けた作品を制作した。パリではピカソ、エルンスト、ミロらの画家、シュルレアリスム運動の主唱者アンドレ・ブルトンらのほか、ジャン=ポール・サルトル、ポール・エリュアールらの文人とも交友があった。

ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ
(Johann Heinrich Pestalozzi, 1746年1月12日 - 1827年2月17日)はスイスの教育実践家。フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事した。基礎的なものから高度なものへという、直観教授、労作教育の思想は、当時のヨーロッパでは高い知名度を持ち、多くの期待を寄せられた。特に当時のドイツからは様々な人物が、教えを乞いに彼のもとを訪れた。著書に、『隠者の夕暮』(1780年)、『リーンハルトとゲルトルート』(1781-87年)、『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』(1801年)、『白鳥の歌』(1826年)などがある。

リヒャルト・R・エルンスト
(Richard Robert Ernst, 1933年8月14日 - )は1991年にノーベル化学賞を受賞したスイスの化学者である。 1991年にコロンビア大学よりルイザ・グロス・ホロウィッツ賞受賞。1964年にフーリエ変換NMRの研究を行った。彼が貢献したこの技術は、有機化学での分子構造の同定において非常に有力な手段となったほか、医療分野でも核磁気共鳴画像法 (MRI) として実用化され、画像診断の際の有力な手がかりとなった。

ジャン・ピアジェ
(Jean Piaget, 1896年8月9日 - 1980年9月16日)は、スイスの心理学者。20世紀において最も影響力の大きかった心理学者の一人。知の個体発生としての認知発達と、知の系統発生としての科学史を重ね合わせて考察する発生的認識論(genetic epistemology)を提唱。

オーレル・ニコレ
(Aurele Nicolet, 1926年1月22日 - )は、スイスのフルート奏者。1926年、スイスのヌーシャテルに生まれる。チューリッヒでアンドレ・ジョネに師事し、パリではマルセル・モイーズに師事した。現代最高のフルーティストの一人と称される。数あるレパートリーの中でもJ.S.バッハのフルート作品の演奏に関しては、現在右に出るものはいないとされている。武満徹の遺作『エア』が彼の70歳の誕生日を祝して書かれた。

ロベルト・ヴァルザー
(Robert Otto Walser、1878年4月15日 - 1956年12月25日)は、スイスのドイツ語作家。小説作品には召使学校での経験を元に書いた『ヤーコプ・フォン・グンテン』(1909年)などがある。5歳年少のフランツ・カフカは彼の愛読者の1人であった。晩年は幻聴を聴くようになるなど精神を病み、スイスの療養所で20年以上作品を発表することなく暮らしていた。

ジャン=リュック・ゴダール
(Jean-Luc Godard, 1930年12月3日 - )は、フランス・スイスの映画監督、編集技師、映画プロデューサー、映画批評家、撮影監督、俳優である。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。1930年12月3日、フランス・パリに生まれる。フランス人の銀行家を父に、スイス人を母に持つ二重国籍者である。

ウィリアム・テル
William Tell)は、14世紀初頭にスイス中央部のウーリに住んだとされる伝説の英雄。彼の名が記された史料が見つかっていないため実在性は証明されていないが、スイス人の6割はテルが実在の人物であると信じている。彼はスイスのみならず世界的に有名で、日本でも弓の名手として知られている。

マルチナ・ヒンギス
(Martina Hingis, 1980年9月30日 - )は、スイスの女子プロテニス選手。チェコスロバキア(現スロバキア)のコシツェに生まれる。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ヒンギスは早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。16歳の時に達成した4大大会初制覇(1997年全豪オープンに16歳3か月で優勝)、世界ランキング1位(16歳6か月)、4大大会年間3冠獲得はすべて歴代最年少記録である。

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