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スロベニア共和国
Republic of Slovenia

ヨーロッパ

■地理
スロベニアは、アルプス山脈の南端、スロベニア・アルプスの山々の麓に位置する山岳国である。登山や山岳スキーに世界中から観光客がやってくるスロベニア・アルプスはオーストリアとの国境ともなっている。また、イタリアのトリエステとクロアチアの世界遺産プーラに挟まれたアドリア海の最奥の海岸線の一部も国土であり、ヴァカンス向きのリゾート地となっている。アルプスとアドリア海の両方を持つ風光明媚な国である。


中央ヨーロッパ
Central Europe、は、ヨーロッパの中央部に位置し、西ヨーロッパと東ヨーロッパに挟まれた歴史的・文化的世界で、人口が大きくかつ社会資本も高いレベルで充実しており、ドイツのようにすでに経済大国となっているかあるいはポーランドのように着実に経済大国化を進めている国々を含む非常に活発な地域である。


アルプス山脈
Alps)は、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る「山脈」である。オーストリア、スロベニアを東端とし、イタリア、ドイツ、リヒテンシュタイン、スイス各国にまたがり、フランスを南西端とする多国にまたがる。

ジュリア・アルプス山脈
Julian Alps ; イタリア語: Alpi Giulie)は、アルプス山脈の一部を構成する山脈で、イタリア北東部からスロベニアにまたがる。最高峰はスロベニアのトリグラウ山(海抜2864m)である。

ディナル・アルプス山脈
南ヨーロッパ、バルカン半島の山脈。北はスロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソヴォ、モンテネグロ、マケドニア共和国まで伸びる。最高峰は、北アルバニア、東モンテネグロの国境となっているマヤ・イェゼルツァ峰で、2692mである。


地中海
the Mediterranean Sea)は、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた海である。海洋学上の地中海の一つ。地中海を指すMediterraneanという語は、「大地の真ん中」を意味するラテン語のmediterraneus メディテッラーネウス(medius 「真ん中」 + terra 「土、大地」)に由来する。


リュブリャニツァ川
Ljubljanicaは、スロベニアを流れる川である。全長は41kmで、そのうち20kmは洞窟内などを通る地下河川となっている。リュブリャニツァ川はスロベニア首都のリュブリャナ中心地を流れている。川に架かる橋で有名なものに三本橋と竜の橋がある。リュブリャナから10kmほどの場所でサヴァ川に合流する。

イストリア半島
Istriaはアドリア海の奥に位置する三角形の半島である。 イストリアとはイタリア語からの呼び名で、クロアチア語、スロベニア語ではイストラ(Istra)となる。イタリア、スロベニア、クロアチアに跨る。

トリエステ湾
Golf von Triestはアドリア海の最奥部に位置する浅い湾。地中海の最北部にもなっている。ヴェネツィア湾の一部であり、イタリア、スロヴェニア、クロアチアの各国が接している。南方はクロアチアとスロベニアの国境があり、アドリア海最大の半島であるイストリア半島によって閉じている。

アドリア海
Adriatic Sea ; は、地中海の海域の一つ。イタリア半島とバルカン半島に挟まれている。アドリア海の海港として知られる都市には、ヴェネツィア、バーリなどがある。イタリア半島側に位置するルネサンス期のヴェネツィア共和国は、東方との貿易で利益を上げ、「アドリア海の女王」の異名で知られ、現在もその特異な町並みを見ることができる。

トリグラウ山
Monte Tricorno) はスロベニア(かつての旧ユーゴスラビア全土とイリュリア州)とジュリア・アルプス山脈に位置するスロベニアの最高峰の山。標高2,864m。名前はボーヒニの谷からの山景によりスラヴ語で"三つの峰"と名付けられたとされるが、一方で西スラヴの神話に伝わる軍神から取られたとされる説もある。

クルカ川
Krka、は、スロベニア南東部ドレンスカ地方を流れる川である。サヴァ川の支流で、川の長さは95 km (59 mi)で、スロベニア領内のみを完全に流れる河川としては2番目に長い川である。

サヴァ川
Sava,スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアの各国を流れ、セルビアの首都ベオグラードでドナウ川に合流する。この川がバルカン半島の北端の付け根とされることが多い。

ダルマチア式海岸
クロアチアのダルマチア地方などに見られる海岸形態。起伏の激しい山間部が沈降して形成されるのはリアス式海岸と同一であるが、リアス式海岸が元の海岸線に対して垂直な山地によって形成されるのに対して、ダルマチア式海岸は、元の海岸線に対して平行に連なっていた山地が沈降する事によって形成されたと考えられている。

ブレッド湖
Veldeser See)はスロベニア北西部ユリアン・アルプスに位置する氷河湖で、ブレッドに隣接する。リュブリャナ空港から55km、首都リュブリャナからは35kmの場所に位置する。この地域一帯はスロベニアを代表する観光地である。


生物多様性
'biodiversity', 'biological diversity') とは、生態系・生物群系または地球全体に、多様な生物が存在していることを指す。「生物多様性 (biodiversity)」は、「生物学的多様性 (biological diversity)」を意味する造語である。1985年に、アメリカ合衆国研究協議会(National Research Council, NRC) による生物学的多様性フォーラムの計画中に、W.G.ローゼンによって造語された。


■観光
代表的な観光資源は首都リュブリャナ、アルプス山脈(トリグラウ山(2864m)、ブレッド、ボーヒニなど)、アドリア海(コペル、ピラン)、カルスト地方の洞窟(シュコツィアン洞窟群、ポストイナ)、温泉である。


<歴史>
■6世紀
南スラヴ人が定着する。7世紀には初の南スラヴ系のカランタン人による国家であるカランタニア公国が成立する。

■14世紀以降
東フランク王国、すなわち後の神聖ローマ帝国に編入された。そのために、同様に神聖ローマ帝国領となった現在のチェコともども西方文化とカトリック教会の影響を強く受け、他の南スラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロヴェニアにもたらすことになる。

■15世紀
ハプスブルク家の所領となり、以降オーストリア大公領、1867年にオーストリア・ハンガリー帝国が成立するとオーストリア帝国領となった。

■19世紀初頭
ナポレオンのフランス帝国による支配を受ける。リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。

■1918年
第一次世界大戦が終了しオーストリア・ハンガリー帝国が解体されると、セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加。セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わった。

■1941年
ユーゴスラビアに枢軸国が侵入すると、スロヴェニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた。西に接するイタリア王国はスロヴェニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため、ベニート・ムッソリーニ指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され、北東の一部の地域はハンガリーの占領下となり、スロベニア人の住む地域は3つの勢力によって分断された。

■1945年
社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰し、ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる。ユーゴスラビアでは戦後一貫して政治・経済の分権化が進められていた。社会主義のユーゴスラビアは、ソビエト連邦の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとっていた。

■1980年代
ユーゴスラビアが経済苦境に陥ると、スロヴェニアではその原因が連邦にあると考えた。連邦は通貨発行など一部の経済政策のみを握っていたが、経済改革を進めるために過度に分権化した経済政策の集権化を求めていた。

■1991年6月
ユーゴスラビアとの連邦解消とスロヴェニアの独立を宣言した。
1992年5月、連邦構成国だった隣国クロアチア、同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟した。
1991年から1992年にかけて経済不振が続いたものの、その後はヨーロッパ志向を強め、経済は回復に向かった。政治面においては、ユーゴスラビア離脱前から民主的な制度の整備が強力に進められてきたこともあり、他のどの旧ユーゴスラビア諸国よりも早く、民主的体制が整えられていった。

■2008年
2004年に新規加盟した国々の中で初めて欧州連合の議長国を務め、同年2月にコソボが独立を宣言したことによる一連の危機の対応にあたるなど、議長国として欧州連合の中で指導力を発揮した。


ハルシュタット文化
中央ヨーロッパにおいて青銅器時代後期(紀元前12世紀以降)の骨壺墓地文化から発展し、鉄器時代初期(紀元前8世紀から紀元前6世紀)にかけて主流となった文化。後に中央ヨーロッパのほとんどはラ・テーヌ文化に移行した。


ハプスブルク家
Haus Habsburgは、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系。古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後にオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系となった。

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フランク王国
5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国。最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域(今日のドイツ・フランス・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに相当)に及び、この地域を統一支配した空前にして絶後の国家でもある。

神聖ローマ帝国
800年/962年 - 1806年)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家。

ユーゴスラビア王国
バルカン半島西部から中央ヨーロッパにかけての地域を国土とし、1918年から1943年までの戦間期に存続した立憲君主制の国家。事実上は国王が亡命した1941年に、公式にはユーゴスラビア連邦人民共和国成立前の1945年に滅亡した。


■宗教
ローマ・カトリックが6割弱、その他無神論者、東方正教(主にセルビア正教、マケドニア正教)、イスラム教などである。


カトリック教会
ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。

ルーテル教会
マルティン・ルターによりドイツに始まる、キリスト教の教派または教団。ルター派(ルターは)とも呼ばれる。プロテスタントの一つであり、全世界に推定8260万人の信徒が存在する。発祥の地ドイツを始め、北欧諸国では国民の大半がルター派であり、そこから移民が渡った先のアメリカ合衆国、カナダ、ブラジル等の南アメリカ各国でも信徒数が多い。

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<世界遺産>
シュコツィアン洞窟群
巨大な陥没ドリーネ(doline)や、深さ200m以上、長さ約6kmの地下川洞窟、滝などがある。この地方は「カルスト地形」研究史上、世界的に最も知られた場所で、カルストの語源にもなっている。シュコツィアン洞窟群のある一帯は、考古学的な出土品も豊富で、一万年以上前からこの地に人が住んでいたことを物語っている。

■国民
住民は、スロベニア人が89%、旧ユーゴスラビア系の住民(クロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人など)が10%、ハンガリー人やイタリア人が0.5%である。ハンガリー人とイタリア人は議会内に1議席ずつ代表を持つ。ドイツ系住民は数百人しか残っていない。


スロベニア人
スロベニア人の多くは独立国であるスロベニア(人口2,007,711人、2008年の推計)の域内に住んでいる。またスロベニア人は、かつてよりイタリア北東部に(推計8万3千人 - 18万3千人)[17]、オーストリア南部(2万4855人)、クロアチア(1万3200人)、ハンガリー(3180人)に少数民族として暮らしている。1980年代末のユーゴスラビアの分断化と、1990年代のスロベニアの独立によって、スロベニアの民族的アイデンティティの探索への関心が高まった。そのひとつの表れが、古代ウェネティイ族(Adriatic Veneti)に親近感を抱き、スラヴ人意識を否定する論調があった。1980年代にはこうした土着先住民と関連付ける考え方が伸張した。

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南スラヴ人
スラヴ人の中で主にバルカン半島周辺にいる旧ユーゴスラビアのボシュニャク人、セルビア人、モンテネグロ人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、ブルガリア人などのことを指す。南スラヴ人の大半は今日のポーランド西部に起源を持ち、彼らは6世紀にかけて2方向でバルカン半島に移住することで西スラヴ人と分岐しはじめた。

バイエルン人
南ドイツのバイエルン地方とオーストリアの大部分のほか、中欧から南欧に居住する民族。バイエルンの人々は系統不明の民族とされ、古代のゲルマニアにおいて、ケルト系のボイイ人とスエビ人の流れを汲むマルコマンニ人のグループが融合して成立したと考えられている。


■哲学
スロヴェニア出身の特に著名な哲学者として、ラカン派精神分析とカントなどのドイツ観念論、ヘーゲル、映画を組み合わせてグローバル資本主義を分析するマルクス主義者スラヴォイ・ジジェクの名が挙げられる。ジジェクの他にラカンに影響を受けた哲学者としてはアレンカ・ジュパンチッチなどが存在する。


■スポーツ
国内に数多くのスキーリゾートを抱えていることからスノースポーツが盛んである。クランスカ・ゴーラにおけるアルペンスキーや、世界最大のジャンプ台を擁するプラニツァにおけるスキージャンプは世界的にも有名である。一方、ヨーロッパの国の中ではサッカーは人気があるスポーツではなかったが、その中で2000年のヨーロッパ選手権本大会、2002年のFIFAワールドカップ本大会に出場したことは国内外で大きな驚きと共に捉えられ、新興国スロヴェニアの知名度を大いに高めることになった。

■バスケットボール
人口わずか200万足らずにも関わらず多数のNBA選手や、ヨーロッパを代表する選手を輩出している欧州でも有数の強豪国。国内には数多くのNBA選手や有名選手を輩出してきた、プレミアリーグ(通称1. A SKL)と呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。

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ヨジェ・プレチニック
1872年1月23日 - 1957年1月7日はスロベニア出身の建築家・都市計画家。リュブリャーナ生まれ。リュブリャーナの都市計画をはじめ、スロベニア全土に作品が展開され、今日でも見ることが出来る。オットー・ワーグナーの下で働いたのち、ウィーン、ベオグラード、プラハ、リュブリャナで活動した。父親は家具職人で、家業を継ぐべくオーストリア・グラーツのギムナジウム、その後工芸学校に進学するが、そこで新環状道路計画の補助として参画することになる。

スラヴォイ・ジジェク
1949年3月21日 - はスロベニア出身でポスト構造主義系の思想家、哲学者、精神分析家。難解で知られるラカン派精神分析学を映画やオペラや社会問題に適用してみせ、一躍現代思想界の寵児となった。しかし、多産な業績の割にはワンパターンとの評もある。

ヨランダ・チェプラク
1976年9月12日 - は、スロベニアの陸上競技選手。2004年アテネオリンピックの銅メダリストである。スロベニア東部ツェリェ出身。チェプラクは、1995年のヨーロッパジュニア陸上の1500mで3位となり、世界にその名が知られるようになる。その後、2002年3月3日に行われたヨーロッパ室内陸上の800mで1分55秒82の室内世界新記録を樹立し優勝。

フーゴ・ヴォルフ
Hugo Wolf、1860年3月13日 - 1903年2月22日はオーストリアのシュタイアーマルク州ヴィンディッシュグレーツ( Windischgratz 現在のスロベニアのスロヴェニ・グラデツ)で生まれた作曲家・音楽評論家である。両親ともスロヴェニア人で、家名はもともとヴォウク(Vouk)と綴った。父親は皮商人(皮細工職人)で、熱心な音楽愛好家であった。その父親からフーゴーはピアノとヴァイオリンを学んだ。学校時代は音楽以外の才能がありそうでもなく、楽しい学校生活ではなかった。結局1875年、ウィーン音楽院に入学した。彼はここでごく僅かしか勉強せず、1877年、多分いたずらから校長宛に脅迫状を書き、退学処分となった。17歳のときから音楽を自習した。ピアノのレッスンと父親から時折ある財政的援助のお蔭で、数年ウィーンで生活する事が出来た。しかし生活は厳しくなり、極度の貧困から健康を害し、彼の誇る繊細さと神経質な性格がかなり衰えていた。

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マックス・シェーンヘル
1903年11月23日 - 1984年12月14日は、オーストリアの作曲家・指揮者。マルブルク(現在のスロベニアのマリボル)出身。グラーツ音楽院を卒業した後、グラーツのオペラ劇場でコントラバス奏者、コレペティトール、カペルマイスターを務めた。その後1929年から1931年までアン・デア・ウィーン劇場とウィーン市立劇場の、1933年から1938年までウィーン・フォルクスオーパーのカペルマイスターを務めた。

ダニロ・テュルク
(Danilo Turk、1952年2月19日−)は、スロベニアの法学者、外交官、政治家。2007年12月より同国大統領(第3代)を務める。マリボルに生まれる。リュブリャナ大学で法学を学び、1978年から同大学で講師、彼は、ベオグラードの大学から修士号を取得しています。1995年から国際法の教授を務めている。1992年から2000年まで、国際連合のスロベニア大使を務めた。

ミラン・クーチャン
(Milan Kucan、1941年1月14日−)は、旧ユーゴスラビア(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)及びスロベニアの政治家。1991年のスロベニア独立とともに初代大統領に就任し、2002年まで務めた。ユーゴスラビア王国のプレクムリェ地方の村クリジェフチに生まれる。17歳の時ユーゴスラビア共産党に入党し、リュブリャナ大学で法学を学んでいた最中から政治的キャリアを始めていた。1964年に大学の党委員長に就任。

ジギスムント・フォン・ヘルベルシュタイン
1486年8月23日 - 1566年3月28日は、オーストリアの外交官、著作家、歴史家。男爵。ロシアの地理、歴史、慣習に関する詳しい知識を近世のヨーロッパ人たちに伝えたことで有名である。ヘルベルシュタインは神聖ローマ帝国に属するカルニオラ公国(現在のスロヴェニアの一部、当時はハプスブルク君主国領)のヴィパーヴァ(ドイツ語名ヴィッパハ)に生まれた。

ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ
Wilhelm Freiherr von Tegetthoff、1827年12月23日 ‐ 1871年4月7日は、オーストリア=ハンガリー帝国の海軍軍人。イタリア海軍を相手にした1866年のリッサ海戦での勝利で知られる。オーストリア帝国のマールブルク・アン・デア・ドラウ(現スロベニア共和国マリボル市)で生まれる。父は陸軍中佐、母はウィーン市長ザイラー男爵の親戚という名門だった。両親は民間への道を希望したが、テゲトフは海軍軍人を目指し、父もそれを許さざるを得なかった。

ジェリコ・ミリノビッチ
1969年10月12日-)は、スロベニア出身で、同国の元代表の元サッカー選手、サッカー指導者である。愛称はジェレ。スロベニア出身で、同国代表としても多くの国際試合をこなし、2000年UEFAヨーロッパ選手権・オランダ・ベルギー大会や2002年FIFAワールドカップ・日韓大会にも出場した。

プリモジュ・コズムス
(Primoz Kozmus 1979年9月30日 - )は、スロベニアの陸上競技選手である。専門はハンマー投。北京オリンピックで同国初の金メダルを獲得した。

ウルシカ・ジョルニル
Urska Zolnir 1981年10月9日- )はスロベニアのジャレツ出身の柔道選手。階級は63kg級。身長173cm。5段。幼少の時からピアノを習っていたが、10歳になると柔道を始めた。ヨーロッパジュニアで2度優勝するなど、ジュニアの頃からヨーロッパの大会では活躍していた。 2012年7月のロンドンオリンピックでは初戦から3戦連続十字固で一本勝ちするなどオール一本勝ちで決勝まで進むと、決勝でも中国の徐麗麗を技ありで破り金メダルを獲得した。

ブリギッタ・ブコヴェツ
Brigita Bukovec、1970年1月25日 - )は、スロベニアの陸上競技選手。1996年アトランタオリンピックの銀メダリストである。リュブリャナ出身。ブコヴェツは100mハードルを専門とした選手で、1989年から1991年にかけて3年連続ユーゴスラビアの国内タイトルを獲得。翌1992年にはユーゴスラビアから分離独立したスロベニアでも初代チャンピオンに輝いている。

フランチ・ペテク
(Franci Petek、1971年6月15日 - )はスロベニア出身の元スキージャンプ選手で地理学者。1990年から1995年までスキージャンプ・ワールドカップを転戦した。イタリアのヴァル・ディ・フィエンメで行われた1991年ノルディックスキー世界選手権では個人ラージヒルで優勝、ユーゴスラビアにこの種目で初めての金メダルをもたらした。1995年引退後はリュブリャナ大学で地理学を専攻し博士号を取得、2004年にはスロベニア地理学会から表彰を受ける。現在はアントン・メリク地理研究所で研究者生活を送る。 2000年に結婚して子供が2人いる。

スロベニア Slovenia
スロベニアはイタリアやオーストリアに隣接しており、冷戦中にあっては西側諸国に近いという地理的条件にあった。スロベニア人の気質は勤勉で秩序的と言われており、文化的にはドイツ語圏の影響を強く受けている。

リュブリャナ
Ljubljanaは、スロベニア共和国の首都。11の特別市の1つにもなっている。東欧有数の世界都市。スロベニア国土の中央で、アルプス山脈と地中海の中間に位置し、サヴァ川へとつながるリュブリャニツァ川の河口にある。北緯46度3分、東経14度30分。日本の地図でも第一次世界大戦以前の古い地図ではスロベニア語読みのリュブリャナではなくドイツ語読みのライバッハで表示しているものもある。


スロベニア芸術科学アカデミー
Slovenian Academy of Sciences and Arts, SASAは、1938年に設立されたスロベニアの国立学術団体である。本部はスロベニア首都リュブリャナにある。構成人数は最大で60名の正会員と30名の準会員である。


リュブリャナ大学
University of Ljubljanaは、スロベニアで最初に設立され、そしてスロベニアで一番大きい大学である。約56,000の学生が在籍し、これは世界で最も大きい大学のひとつである。大学はリュブリャナ市に位置する。最初は1902年にヤン・ヴラディミール・フラスキー(Jan Vladimir Hrasky)によって国家の大邸宅として設計され、その後ウィーンからきたチェコ人の建築家ヨシプ・フデツ(Josip Hudetz)によって作り直された。

プリモルスカ大学
University of Primorskaは、スロベニアで3番目に設立された大学である。2003年3月17日に設立された。プリモルスカ地方のコペル、イゾラ、ピラン市のポルトロージュの3か所にキャンパスを構えている。

マリボル大学
University of Mariborは、1961年にスロベニアで2番目に設立された大学である。マリボル市に位置している。

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リュブリャナ空港
Ljubljana Airportは、スロベニア共和国の首都リュブリャナにある空港であり、アドリア航空の本拠地である。

リュブリャナ駅
ウィーン - マリボル - トリエステ間(元のオーストリア南部鉄道)の幹線鉄道と、フィラッハ - ザグレブを結ぶ鉄道との結節点である。駅はオーストリア南部鉄道が1849年にフィラッハからリュブリャナまで到達した時に建てられている。1980年に駅舎は建築家マルコ・ムシッチ(Marko Muš溽č?の手により修繕された。


外務省:スロベニア共和国
在スロベニア日本国大使館


ヴェレニエ
Velenje,は、スロベニアの市である。スロベニアの11箇所ある特別市の1つにもなっている計画都市で、褐炭鉱山のため、第二次世界大戦後に拡大した。ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー大統領の死後、1981年にチトヴォ・ヴェレニエと改名された。しかし、1991年のスロベニア独立少し前に、元の名前であるヴェレニエに戻った。

ピラン
Pirano)はスロベニア南西部のピラン湾やトリエステ湾に面した町で、スロベニア領のイストリア半島では3つの著名な町の中の一つである。町には中世の建築物や文化的な遺産が豊富に残っており大規模な野外博物館のようになっている。細い通りには小さな家々が建ち並び、その魅力から多くの人を惹き付けている。

クラーニ
Kranj、は、スロベニアの11の特別市のうちの一都市。スロベニアの首都であるリュブリャナから西に約20km離れた場所に位置し、スロベニア国内では4番目の人口規模を持つ都市である。交通網が発達しているためエレクトロニクス産業が盛んであり、工場が多く立地している。

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コペル
イタリア、クロアチアとの国境に面し、イタリアの都市トリエステとクロアチアの都市ブイェに接している。スロベニア語と共に、イタリア語が市の公用語となっている。コペルはスロベニアの中で特に人口の多い11都市の中に含まれている。そのため通常の市ではなく特別市という扱いとなっている。プリモルスカ大学のキャンパスがある。

イゾラ
Isola d'Istria イーゾラ・ディストリアはスロベニア南西にある市。アドリア海沿い、イストリア半島にある。イゾラの始まりはアドリア海北部の島の町で、その町はハリアエトゥム港を建設したローマ人によって、現在の市の南西に建設された。

スロヴェニ・グラデツ
Slovenj Gradec、は、スロベニアのコロシュカ地方に位置する都市であり、そして地方行政区画としての市でもある。11の特別市のうちの1つである。

ツェリェ
Celeiaはスロベニア東部の市である。スロベニアの中で3番目に大きい都市であり、11の特別市のうちの1つである。サヴィニャ(Savinja)河畔にある。ツェリェ知己に初めて定住地ができたのはハルシュタット文明時代である。ケルト時代の定住地はケレア(Kelea)として知られ、一帯ではケルト人が硬貨をつくっていた。

ノヴァ・ゴリツァ
Nuova Goriziaは、スロベニアの西部、イタリアとの国境にある町であり、またその周辺部分を含んだ自治体(市)である。「ノヴァ・ゴリツァ」は、スロベニア語で「新しいゴリツィア」を意味する。ノヴァ・ゴリツァの町は、第二次世界大戦後にイタリア領ゴリツィアが国境線によって分割された際、スロベニア側に帰属した地域に建設された、新しい町である。

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ノヴォ・メスト
Novo Mesto、はスロベニア南東部の都市およびそれを中心とした基礎自治体で、歴史的にドレンスカ地方の経済、文化の中心都市である。ノヴォ・メストは南東スロベニア地域に含まれ、自治体の面積は298.5平方kmありクルカ川のしゅう曲した部分に位置する。

プトゥイ
Poetovioは、スロベニアの都市及び基礎自治体。スロベニア北東部、シュタイエルスカ地方にある。人口はおよそ23,000人。市の内外に多くの公園、公共の場所があり、多彩なナイトライフが楽しめる。最も近い空港はプトゥイ・スポーツ・エアフィールドで市より7km離れており、マリボル空港は18km離れている。

アイドフシュチナ
Aidussina, は、スロベニアの小さな町であり、そして地方行政区画としての市でもある。ヴィパーヴァ渓谷に位置する。町から20km以内にイタリアの国境があるため、街並みはイタリアの典型的な街並みに似ている。

クルシュコ
スロベニアの市。クルシュコ原子力発電所が所在し、クロアチアに電力を供給している。

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マリボル
Maribor は、スロベニア北東部の市。スロベニアの中で2番目に大きい都市であり、11の特別市のうちの1つである。マリボルは、ドラヴァ川とポホリェ山地が出会う場所、ドラヴァ川谷にある。シュタイエルスカ地方最大の都市で、オーストリアのグラーツとはおよそ60km程度の距離である。

コチェーヴィエ
Gottschee)は、クルカ川とコルパ川の間に位置するスロベニア最大の面積を持つ市である。この市は、古代からの森林とヒグマを含む野生動物で知られている。

ブレッド
Veldes)は、スロベニアのゴレンスカ地方に位置する市である。ブレッドは、スロベニアを代表する観光地にもなっている、氷河により出来たブレッド湖で有名である。湖のそばには、岩で出来たブレッド城がある。


プリモルスカ地方
(スロベニア語:Primorska、英語:Littoral、イタリア語:Litorale)は、ゴリシュカとイストラが属するスロベニアの伝統的な地方であり、行政単位としての意味は持たない。


スロベニアの国旗
スロベニアの国旗は、1991年制定された。スラブ色である白、青、赤の横縞3色に分かれる。縦横比は異なるが、この配色はロシアの国旗と同様である。旗竿寄りに位置するのがスロベニアの国章で、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のスロベニア社会主義共和国だった時代には、真ん中に社会主義国の象徴である赤い五角星がついていた。

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■国名
正式な国号はスロベニア語で Republika Slovenija (レプブリカ・スロヴェニヤ)。通称は Slovenija 。公式の英語表記は Republic of Slovenia 。通称 Slovenia 。語源については諸説ある。一つに、「スラヴ」(Slav)と同源であるとする説がある。「スラヴ」は古スラブ語で「栄光」や「名声」を意味する sláva に由来している。一方、「言葉」や「会話」を意味する slovo に由来するとの説もある。


1.面積:2万273平方キロメートル(四国とほぼ同じ)
2.人口:約200万人
3.首都:リュブリャナ(人口27万9千人)
4.言語:スロベニア語
5.宗教:カトリック 57.8%、イスラム教 2.4%、セルビア正教 2.3%、プロテスタント 0.8%、その他 37.7%

6世紀末 スラヴ人(スロベニア人)定住開始。アヴァール王国等異民族による支配が続く。
1282年 ハプスブルグ家の所領となる。以後1918年までハプスブルグ帝国領
1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国
1945年 ユーゴ構成共和国の一つとして発足
1991年6月 独立と主権を宣言
1992年1月
1992年5月 EU各国等が国家承認
国連加盟
2004年3月
2004年5月 NATO加盟
EU加盟
2007年1月
2007年12月 ユーロ参加
シェンゲン領域加入
2008年1月〜6月 EU議長国
2010年7月 OECD加盟

■主要産業:自動車等輸送機械、電気機器、医薬品、金属加工、観光
■貿易額・貿易品目(1)輸出 182.3億ユーロ(自動車等輸送機械、電気機械類、医薬品)(対日輸出(1,602万ユーロ)は、スロベニアの総輸出の0.09%)(2)輸入 196.3億ユーロ(自動車等輸送機械、鉄鋼、電気機械類)(対日輸入(5,148万ユーロ)は、スロベニアの総輸入の0.26%)


ユーロ
欧州連合における経済通貨同盟で用いられている通貨である。1999年1月1日に決済用仮想通貨として導入された。この時点では現金のユーロは存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨としてのユーロが発足した。この時、導入国の従来の通貨に代わり、ユーロが法定通貨となった。ユーロ硬貨はユーロ圏16か国のほかに、合意によって認められている3か国がそれぞれ鋳造しており、裏面は各国で独自のデザインを採用している。


■鉱工業
地下資源には恵まれておらず、石灰岩以外には天然ガスと品質の低い石炭を産出するのみである。しかしながら、自国の石炭と豊富な水力をエネルギー源として利用できるため、貿易に占める化石燃料の比率は12%と高くない。主な産出地を挙げると、原油や天然ガスはプレクムリェ地方、水銀鉱山はイドリヤ(ただし1977年に廃止された)、石炭はトルボヴリェ、ザゴリェ・オプ・サヴィ、フラストニク、亜炭鉱山はノヴォ・メストである。


■農林水産業
ビールの原料となるホップ生産は2002年時点で世界第8位(シェア2.0%)を占める2000トン(ジャレツでの栽培が盛ん)。主食となる穀物では約2/3がトウモロコシ、残りが小麦。漁業は未発達であり、年間漁獲高は2000トンに達しない。穀倉地帯は平坦な土地が広がるリュブリャナ周辺やプレクムリエ地方である。またブドウの栽培とワインの醸造は古い歴史を持ち、ポドラヴェやポサヴェ、プリモスカなどで年間8000万から9000万リットルのワインが製造されている。


スロベニア自由民主党
Liberalna demokracija Slovenijeは、スロベニアの自由主義政党。党首は、カタリナ・クレサル(Katarina Kresal)。同党は自由主義インターナショナルおよび欧州自由民主改革党に加盟している。1990年大統領選挙には哲学者のスラヴォイ・ジジェクを擁立した。2004年欧州議会選挙では自民党は21.9パーセントの得票でスロベニアの獲得議席7議席中2議席を獲得した。


欧州連合
欧州連合条約により設立されたヨーロッパの地域統合体。欧州連合の存在価値について、以下のようにうたっている。
仮訳: 連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。

北大西洋条約機構
北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(=アメリカ合衆国とカナダ)およびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟。略称は頭字語が用いられ、英語圏などでは NATOと呼ばれる。


■言語
スロベニア語が公用語になっている。ユーゴスラビア時代、多くの国民は教育によってセルビア・クロアチア語を習得しており、一定以上の世代ではセルビア・クロアチア語の通用度が高い。独立後の教育では、第二言語として英語が最もよく教えられている。


セルビア・クロアチア語
即ちセルビア人(Srbi)やクロアチア人(Hrvati)の言語。ユーゴスラビアでは憲法上の公用語と定められていた。セルビア・クロアチア以外にボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロなどでも話されている。

スロベニア語
インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派南スラヴ語群に属する言語。話者人口は約220万人で、主にスロベニア国内に居住するが、国境を越えたオーストリア南部やハンガリー西部、イタリアのトリエステにも話者が多く、地域によってドイツ語やハンガリー語との二言語政策が採られている。

イタリア語
インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語の1つで、おおよそ6千万人ほどが日常的に使用しており、そのほとんどがイタリアに住んでいる。

ハンガリー語
主にハンガリーで話されている言語。現在はハンガリーのみで公用語となっている。ハンガリーでは住民の93.6%(2002年)がハンガリー語を話し、国語化している。原語呼称である「マジャル語」の転訛からマジャール語と呼ばれることもある。


フランツェ・プレシェーレン
1800年12月3日 - 1849年2月8日は、スロベニアの詩人。プレシェーレンは国内および地域に限らず、発展したヨーロッパ文学界の標準からも、スロベニア詩人の第一人者と見なされる。彼はヨーロッパにおけるロマン派の最良の作家の一人であった。熱烈な心からの訴えであり、激しく情緒的で、しかしながら単なる感傷ではないその作品は、彼をスロベニアのロマン主義の代表とした。彼はスロベニアのヴルバ村で生まれた。母親は彼を聖職者にしたがったが、プレシェーレンはそれに従わずウィーンの大学で哲学と法律を学んだ。

カタリナ・スレボトニク
Katarina Srebotnik, 1981年3月12日 - は、スロベニア・スロヴェニ・グラデツ出身の女子プロテニス選手。ダブルスの得意な選手で、2011年のウィンブルドン選手権の女子ダブルスの優勝者である。混合ダブルスでも全豪オープン1勝、全仏オープン3勝、全米オープン1勝があり、通算「5勝」を挙げた。自己最高ランキングはシングルス20位、ダブルス1位。

ヤネス・ドルノウシェク
(Janez Drnovsek 1950年5月17日 - 2008年2月23日)は、スロベニアの政治家。同国第2代大統領。スロベニアのツェリェ出身。経済学専攻で世界経済大学(オスロ)を卒業。博士論文「国際通貨基金とユーゴスラビア」で博士号を取得(ワシントン)。金融財政分野、国際経済協力分野の専門家。農業団体「ザサヴィエ」の指導者、リュブリャナ銀行トルヴォル支店長として働き、駐エジプト・ユーゴスラビア大使館経済問題担当参事官補となる。

ベイノ・ウードリック
(Beno Udrih 1982年7月5日-)はスロベニアのプロバスケットボール選手。日本語表記では「ベーノ」、「ベィノ」、「ベノ」、「ウドリー」、「ウードリー」とも表記される。NBAのミルウォーキー・バックス所属。ユーゴスラビア連邦スロベニアツェリェ出身。身長191cm。体重93kg。ポジションはポイントガードで左利きでプレイする。背番号は19。

バーバラ・イエリッチ
(Barbara Jelic, 1977年5月8日 - )は、ユーゴスラビアのノヴォ・メスト出身(現在のスロベニア)のクロアチア国籍の女子バレーボール選手。ポジションはウイングスパイカー。元バレーボールクロアチア女子代表。1994年に高校を休学して父親と共に来日。日本電装で活躍し、第3回Vリーグ3位の原動力となった。1998年の世界選手権では1人で119点を稼ぎ出し、ベスト・スコアラーに輝いた。

ブラニミール・スローカー
(Branimir Slokar、1946年 - )は、スロベニア出身のトロンボーン奏者。スロベニアのマリボール生まれ。ザグレブで開催された第7回ユーゴスラビア音楽コンクールで優勝。 1969年、リュブリャナ音楽大学を首席で卒業、その後パリ音楽院に進み、首席で卒業。1974年に開催された第23回ミュンヘン国際音楽コンクールに入賞後、バイエルン放送交響楽団でトロンボーン奏者を務める。

ユーリィ・ダルマティン
(Jurij Dalmatin、1547年 - 1589年)は、スロベニアにおけるプロテスタントの牧師。また作家としても活躍し、聖書などの翻訳も手掛けた。1547年にクルシュコに生まれ、1572年に牧師となった。彼のもっとも大きな業績はスロベニア語の聖書翻訳にある。

エドヴァルト・ルスジャン
(Edvard Rusjan 、1886年6月6日 - 1911年1月9日)はスロベニア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)の航空の先駆者である。ゴリツィアの商人の家に生まれて、商人として働いた。1900年頃から、模型飛行機や背負い式のヘリコプターやグライダーの製作を始めた。1909年から、アンザーニの25馬力のエンジンを入手して動力飛行機の製作に転じ、兄の JosipとともにEDA IからEDA VIIを製作した。1909年11月25日、EDA Iで60mの飛行に成功し、11月29日には600mの飛行を行った。

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トモ・チェセン
Tomo Cesen, 1959年 - )はユーゴスラビア(現スロベニア)出身の登山家。1989年にジャヌー北壁を単独23時間で直登したと発表し、世界的トップクライマーとなる。チェセンは多くの優れた登頂記録を残しているが、そのいくつかの記録に対して登頂の真偽をめぐる論争が起きている。最も議論を呼んだのは1990年のローツェ南壁単独登攀である。

ブルーノ・パルマ
Bruno Parma、1941年12月30日 - )は、スロベニアのチェス選手(グランドマスター)。当時ユーゴスラビアであったリュブリャナに生まれた。1959年の世界ジュニアチェス選手権でデビューし、2位入賞。2年後にハーグで開催されたジュニア選手権で初優勝し、インターナショナルマスターのタイトルを獲得した。

ズラトコ・ザホヴィッチ
1971年2月1日 - )は、スロベニア・マリボル出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW・MF。息子のルカ(1995年生まれ)はスロベニアU-17代表のエースFWとして活躍する選手である。

ズラトコ・デディッチ
1984年10月5日 - )は、ユーゴスラビア・ビハチ出身のサッカー選手。スロベニア代表である。VfLボーフム所属。ポジションはFW。2008年9月6日、2010 FIFAワールドカップ欧州予選第1節のポーランド戦(アウェー)で代表初ゴールを決めた。2009年9月9日のホームでのポーランド戦でも得点した。

グレゴール・ウルバス
Gregor Urbas, 1982年11月20日- )は、スロベニアのフィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックスロベニア代表。1982年11月20日、イェセニツェで生まれる。1987年にスケートを始めた。2002年世界ジュニア選手権の6位は、スロベニア選手のISUフィギュアスケート選手権における歴代最高順位。

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マリーン・オッティ
(Merlene Ottey, 1960年5月10日 - )はジャマイカ出身でスロベニアに移住した陸上競技選手。オリンピックに7大会連続出場。オリンピック、世界陸上競技選手権大会において、決勝まで進み、優勝候補にあげられながら、優勝できず3位入賞が多かったことから、ブロンズコレクター・ブロンズの女王というネーミングまで与えられたが、1993年の世界選手権でようやく金メダルを獲得した。

ロベルト・クラニエッツ
Robert Kranjec、1981年7月16日 - )はスロベニア、クラーニ出身のスキージャンプ選手。2002年のジャンプ週間インスブルックで自己初の一桁順位(8位)となるなど好成績をあげオリンピック代表となる。 ソルトレークシティオリンピックでダミヤン・フラス、プリモジュ・ペテルカ、ペテル・ジョンタとともに団体銅メダルを獲得した。

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