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デンマーク王国
Kingdom of Denmark

ヨーロッパ

■地理
デンマークはユラン半島(ユトランド半島)と443の島(うち76が有人島)から成り立っている。中でも重要なのは古都オーデンセのあるフュン島と現在の首都があるシェラン島。また、シェラン島の南にはファルスター島、ロラン島が、フュン島の南にはエーロ島などがある。多くの島が橋で結ばれていて、コペンハーゲンのあるシェラン島とスウェーデンもエーレスンド橋で繋がっている。そのエーレスンド橋とスウェーデンの陸地を経由してさらにフェリーに乗るとコペンハーゲンから東南東に150km離れたボーンホルム島に辿り着く。


バルト海
Baltic Seaとは、北ヨーロッパに位置する地中海。ヨーロッパ大陸本土とスカンジナビア半島に囲まれた海洋であり、日本での古称は東海。古代ローマではバルト海南東部をスエビの海(Mare Suebicum)と呼んでいた。南岸にゲルマン人ともケルト人ともいわれるスエビ族が住んでいたようである。民族移動時代の前は、スエビ族はゲルマニアの最強民族として知られていた民族である。

北海
German Ocean 東はノルウェー、デンマーク、南はドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、西はイギリス、北はオークニー諸島・シェトランド諸島に囲まれている。世界で最も利用されている海域である。世界第3位のロッテルダム港、アントワープ、ハンブルク、ブレーメン、ブリュージュなどRO-RO船で混雑する港など、商船の他に漁船、石油基地の船などを各港が管理している。ドーバー海峡は1日に400隻以上が行き来する。

グリーンランド
Greenland、は、北極海と北大西洋の間にある世界最大の島。デンマーク領だが、自治政府が置かれている。大部分が北極圏に属し、全島の約80%以上は氷床と万年雪に覆われる。巨大なフィヨルドが多く、氷の厚さは3,000m以上に達する所もある。居住区は沿岸部に限られる。グリーンランドは北アメリカ大陸の北、北極海と北大西洋の間、カナダの北東に位置する。世界最大の島で、領域は北緯59度50分から83度37分の範囲に広がる。

ユトランド半島
Jutlandは、ヨーロッパ大陸北部にある、北海とバルト海を分かつ半島である。北側がデンマーク領、根元のある南側がドイツ領である。 デンマーク王国の本土とドイツ連邦共和国の北端部をなしており、半島の大半はデンマーク王国に占められている。バルト海と北海を分けるように張り出し、スカンジナビア半島との間には多数の島々があるため、船の航行を容易にするエイデル運河(1784年完成)とキール運河(1895年完成)が半島の根元を横断するようにドイツ領内に建設されている。

ヴェンシュセルチュー島
(Vendsyssel-Thy)はデンマーク本土の北端に位置する島。ユトランド半島の北方に位置し、リムフィヨルド(Limfjord)で隔てられている。半島とは複数の橋で結ばれており、オールボーでは海底トンネルも設置されている。面積4,685km2で、グリーンランドとその属島を除いたデンマークの島の内、シェラン島に次いで2番目に大きい。人口306,373人(2003年)。

フェロー諸島
Faroe Islands、スコットランドのシェトランド諸島およびノルウェー西海岸とアイスランドの間にある北大西洋の諸島。デンマークの自治領。面積は1398.85km2、人口は48,219人(2006年1月)。中心都市はストレイモイ島のトースハウン。アイルランドの修道士が最初に発見して修道院を築いていた。その後、9世紀頃ノルウェー西部からノルマン人(ヴァイキング)が入植し、11世紀にはノルウェー領となった。1380年、ノルウェーとデンマークが同君連合(後のカルマル同盟につながる)に入って以来は、デンマークの支配を受けている。

ストレイモイ島
Streymoyは、フェロー諸島において最も大きく人口の密集した島である。フェロー諸島の首都であるトースハウンはこの島に位置する。ストレイモイとは「潮流の島」を意味する。

シェラン島
Sjæ疏疏糟赱鈔はデンマークの島。ユトランド半島の東、バルト海に位置する。面積は7,031 km2でグリーンランドとその属島を除くとデンマークで最も広い。人口は約210万人。デンマーク王国の東部にあり、東端には首都コペンハーゲンがある。西にあるフュン島との間には大ベルト海峡を跨ぎ大ベルト橋が架かる。スウェーデンとの間はエーレスンド海峡を跨ぎエーレスンド橋で結ばれている。

ロラン島
(Lolland)はデンマークの島。バルト海の西端、シェラン島の南西、ファルスター島の西にある。面積は1,243平方キロメートル、2006年時点の人口は68,224名。最高所の標高が25mしかない低平な島である。ファルスター島とは可動橋(跳開橋)のフレゼリク9世橋で結ばれている。ドイツのフェーマルン島との間にはフェーマルン・ベルト海峡を跨ぎフェーマルン・ベルト橋が構想されている。 なお、この島の電力エネルギーのほぼ全ては風力発電などの自然エネルギーで賄われている。

フュン島
Fynは、デンマークの中央部にある島。面積は2,984 km2でグリーンランドとその属島を除くとデンマークで3番目に広い。人口は447,000人(2006年)。中心都市は島の中央部にあるデンマーク第3の都市オーデンセで、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの出身地として有名。

ファルスター島
(Falster)はデンマークの島。バルト海の西端、シェラン島の南にある。面積は514平方キロメートル、2005年時点の人口は43,537名、主要な町はニュークビン・ファルスター。シェラン島およびロラン島とは橋で結ばれている。

カテガット海峡
Kattegat は、デンマークのユトランド半島北東部とスカンジナビア半島との間にある海峡。北海とバルト海の間にある水域のうちバルト海に近い南東部(北海に近い北西部はスカゲラク海峡)で、国際水路機関 (IHO) による海域分類では独立した海域になっているが、広義の北海の一部とされることもある.

グゼノー川
(Gudena)はデンマークにある川。ユトランド半島北東部にある川であり、デンマーク国内最長の河川である。延長約176km。Tinnet Kratに端を発し、湖に流れ込みつつ半島を北流、シルケボーを通過し、Bjerringbro付近で東に流れを変える。

ボーンホルム島
(Bornholm)は、バルト海上にあるデンマーク領の島。スウェーデン南部スコーネ県とドイツ、ポーランドに挟まれている。人口5万人。行政面ではデンマーク首都地域のボーンホルム基礎自治体を成している。かつてはボーンホルム島と周辺の小島でボーンホルム県を成していた。17世紀の一時期、スウェーデン領となっていた事もある。「バルト海の宝石」と称される。

サムセー島
デンマーク・中央ユラン地域に属する島。ユトランド半島の東方15キロメートル沖合のカテガット海峡上に浮かぶ。サムセーは島全体で一つの基礎自治体を形成している。島の面積は114平方キロメートル、人口は4,124人(2006年現在)。スカンディナヴィアの中央部分に位置することから、ヴァイキングの時代には彼らの会合場所であった。この時代から島の名前が発した。サムセーは1997年より10年計画で、地球温暖化対策を進めている。島の各地に風力発電、太陽電池を設置して電力をまかない(現在島内の電力すべてをこの方法でまかなっている)、自動車からトラクターにいたるまでバイオ燃料使用を推進している。このために二酸化炭素排出量は半減したという。

レス島
(Læso)は、カテガット海峡上の北海に浮かぶデンマークの島。ユラン半島の北東岸から19マイルほど離れている。レスは基礎自治体の名前でもあり、島には自治体が複数ある。中世の頃、島は塩を産出することで有名であった。地下水には15%もの塩分が含まれており、暑い夏の間に自然と草地に塩がたまることになった。最終的に濃縮された塩は釜に運ばれてさらに煮出され、大量の木が消費された。たちまち島から森が消え、砂嵐が村を襲い、塩作りは禁止された。1980年代終わりまで、小規模の考古学的実験と観光業が再び進められた。

グルドボースンド海峡
Guldborgsundはバルト海西部にある海峡。デンマーク・ファルスター島とロラン島の間にある海峡である。南北方向に伸び、約20kmの長さを持つ。可動橋のフレゼリク9世橋やグルドボースンド橋が架けられ、トンネルも1箇所設けられている。


<歴史>
■デンマークには有史以前から人が住んでいたとされている。
氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年頃から人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年頃始まったようだ。ヴァイキングとして知られるノルマン人が8世紀から11世紀にかけて住んでいた。彼等は複雑な社会構造を持ち、他のヨーロッパ諸国を侵略、また貿易を行ったことで有名である。
■1520年
ストックホルムの血浴を契機に、1523年にスウェーデンがカルマル同盟を脱し独立、スウェーデンとの300年にわたる抗争が始まった。
■17世紀初頭
スウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においても、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。大北方戦争に敗れたスウェーデンと共に、デンマークも同様に北欧の没落を体験した。近代に至りナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北、1814年のキール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われた(ただノルウェー領であったアイスランドやグリーンランドなどはデンマーク領として残された)。
■第一次世界大戦では中立を維持
第二次世界大戦では1940年にドイツ軍に占領された。国王クリスチャン10世は亡命せず、占領中もコペンハーゲンの王宮に滞在した。初期はモデル被占領国と呼ばれたが、国内では自治を許され、反ナチス派を保護したりした。
■戦後、北大西洋条約機構(NATO)に加盟
1973年にはヨーロッパ共同体にも加盟した。しかし後に対NATO関連でNATOと対立(デンマーク化)。とは言え、ノルディックバランスを守り抜き、冷戦期を乗り切った。国内経済、教育水準共に世界トップクラスの先進国の1つであり、EUの一員、国連の非常任理事国も担当している(2010年時点で4期8年)。


カルマル同盟
1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟(物的同君連合)。締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので、カルマル同盟と呼ばれる。


ヴァイキング
Viking,とは、8世紀から 300 年以上に渡って西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィアの武装船団(海賊)を指す言葉であったが、後の研究の進展により「その時代にスカンディナヴィア半島に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。中世ヨーロッパの歴史に大きな影響を残した。ヴァイキングは海賊・交易・植民を繰り返す略奪経済を生業としていたのではなく、ノルウェーの考古学者であるヘイエルダールが述べたように、故地においては農民であり漁民であった。特に手工業に秀でており、職人としての技量は同時代においては世界最高のレベルであった。

デーン人
Danerとはデンマーク地方に居住していたノルマン人の一派である。イングランドをはじめとした各地に進入し、大帝国を建設した。当初はヴァイキングとして海賊活動を主体として行なったが、後にキリスト教に改宗し、デンマーク王国としてデーン人を包括した統一国家を造り上げる。9世紀にイングランドに侵攻し、デーンロウを築き上げた。デンマーク人の先祖となる集団であるが、デーン人の民族概念は、現在のデンマーク人とは異なる。それは民族的なものではなく、一種の政治的な共同体であった。つまり異民族であっても、デンマーク王に従属して、その統率下に入ればデーン人と呼ばれていたのである。


ロイヤルコペンハーゲン
(Royal Copenhagen)は、デンマークの陶磁器メーカー。正式名称は「ロイヤル・コペンハーゲン陶磁器工房」(The Royal Copenhagen Manufactory)。絵付けはすべて手描きで、製品の裏側にはロイヤルコペンハーゲンのマークと、アーティストのサイン、シェーブナンパーが入れられている。ボーンホルム島で良質のカオリンが発見され、1773年、フランツ・ヘンリック・ミュラーがデンマークで初の硬質磁器を完成させる。1775年にクリスチャン7世国王とユリアナ・マリア王太后の援助によって「ロイヤルコペンハーゲン」王室御用達窯となった。


ストックホルムの血浴
Det stockholmske blodbadとは、デンマーク王クリスチャン2世が1520年に行なったスウェーデン人に対する処刑ないし粛清である。事の発端となったのは、当時カルマル同盟を築き、北欧全土を勢力下に置いていたデンマーク王国に対するスウェーデン人の反乱であった。同年11月4日にクリスチャン2世はストックホルムの大聖堂で復権したトーレ大司教によって油を塗って清められ、スウェーデンの法律に沿って国を統治すると宣言した。その後3日間にわたって晩餐会を開催し、11月7日ついに虐殺は引き起こされた。クリスチャン2世は反乱の罪を赦すという声明を発し、スウェーデン側の貴族、僧侶、都市の自由市民の有力者たちを晩餐会に招いた。彼等はクリスチャン2世の言葉を信じて投降したものの、全員がストックホルムの王宮に入城すると、大扉は閉じられ、招かれた客は総て捕らえられた。


<世界遺産>
イェリング墳墓、ルーン文字石碑と教会
ルーン文字の刻まれた10世紀の石碑で知られる墳墓群で、石碑はデンマークの国家の起源を示す貴重な文字資料である。 1994年に世界遺産に登録された。

イルリサット
イルリサットは直接、海に流出しているイルリサット氷河(Ilulissat ice fjord)の河口にある。この氷河が著名な観光地となっており、観光業が町の主要産業となっている。

ロスキレ大聖堂

クロンホン城
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の舞台として有名な城であるが、シェイクスピア自身がこの城を訪れたことはない。


■文化
子どもたちには、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国としてなじみがある。今日のデンマークの文化や政治のあり方に大きな影響を及ぼした教育者、ニコライ・グルントヴィが提唱して普及した教育制度にフォルケホイスコーレがあり、世界のフリースクール運動に大きな影響を及ぼしている。日本の東海大学も、その出発点はこのフォルケホイスコーレをモデルにして発足している。


コペンハーゲン大学
University of Copenhagenは、デンマークのコペンハーゲンにある大学。同国で一番歴史があり、また最大規模の大学である。学生数は37,000人あまり、女性が59%を占め、教職員は7000人を越える。キャンパスはコペンハーゲン周辺に複数存在し、コペンハーゲンの中央部に最も古いキャンパスがある。大部分の授業はデンマーク語で教えられているが、英語やドイツ語での授業も増えつつある。1479年にデンマークで最初の大学として設立され、カトリック教会の神学教育の中心となったほか、法学、医学、哲学の教育機関として機能した。コペンハーゲン大学は1536年にルンドのストゥディウム・ジェネラーレが閉鎖されてから1920年代後半にオーフス大学ができるまでデンマークにおける唯一の大学だった。伯爵戦争後の宗教改革の結果、コペンハーゲン大学は1537年に福音・ルター派の神学校となった。

グリーンランド大学
(Ilisimatusarfik, Kalaallit Nunaata Universitetia)は、グリーンランド最大の都市ヌークにある大学。ほとんどのコースはデンマーク語で行われているが、一部グリーンランド語の授業もある。1987年に設立された。2006年現在の学生数は約120名、教授陣は13名。

デンマーク音楽アカデミー
(Det kongelige danske musikkonservatorium)はデンマークのコペンハーゲンにある音楽大学。1867年に作曲家ニルス・ゲーゼによって設立された。国内最古で最大の音楽教育機関で、現在の生徒数は400人である。女王マルグレーテ2世が保護者を務める。


■憲法
デンマーク王国憲法は1849年6月5日に制定され、最後の改正は1953年に行なわれた。この改正では上院が廃止され、女性も王位を継承できるようになった。この改正で現女王、マルグレーテ2世が王位継承者となり、1972年に即位した。ただし、女性が王位を継げるのは他に男子が居なかった場合にのみ許されるということで、2009年6月7日の国民投票により、ようやく無条件で女子が王位を継承できることとなった。


良心的兵役拒否
Conscientious objectionとは国家組織の暴力、とりわけあらゆる形態ないしは特定の状況下の戦争に参加することや義務兵役されることを望まないこと。当人の良心に基づく信念であり、拒否した者を良心的兵役拒否者 (conscientious objectors, CO's) という


デンマーク郷土防衛隊
デンマークは第二次世界大戦中にドイツに国土を占領され、レジスタンス運動を行っていた経験を有している。終戦直後の1945年6月には、郷土防衛組織設立の要求が起こり、1949年にデンマーク郷土防衛隊が設立された。組織の設立にあたっては、レジスタンス活動がデンマーク政府から独立して活動していたことが影響しており、国防省の傘下にあるものの三軍とは別個の組織となった。

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アルネ・ヤコブセン
Arne Emil Jacobsen、1902年2月11日 - 1971年3月24日はデンマークの建築家、デザイナー。ユダヤ人であり、モダン様式の代表的な人物のひとりである。1902年、デンマーク、コペンハーゲンで貿易商を営むユダヤ系デンマーク人の父ヨハンと母パウリーンの長男として生まれた。当初は画家を目指していたが、父親の反対を受ける。1921年、父に反発して家を出て、客船の旅客係として働き始めたが船酔いを克服できず、すぐに辞めている。

ニルス・ゲーゼ
Niels Wilhelm Gade, 1817年2月22日, コペンハーゲン - 1890年12月21日, コペンハーゲンはデンマークの作曲家・指揮者・音楽教師。北欧諸国の音楽界の近代化に貢献した。コペンハーゲンの王室オーケストラでヴァイオリン奏者として活動を開始し、自作の《交響曲第1番》を提出するが、コペンハーゲンでは演奏が拒否された。しかし、これをフェリックス・メンデルスゾーンに送付したところ、積極的に受け入れられ、ライプツィヒで初演してもらうことができた。

ハンス・クリスティアン・エルステッド
1777年8月14日 - 1851年3月9日はデンマークの物理学者、化学者である。電流が磁場を形成することを発見し、電磁気学の基礎を築いた。カント哲学の信奉者であり、19世紀後半の科学の方向性を決定付けた1人である。ランゲランド島のルードコービングに生まれた。父は薬局を営んでおり、父の仕事を手伝いながら科学への興味を育んだ。教育そのものはほとんど独学であり、1796年にコペンハーゲンに行きコペンハーゲン大学の入学試験をうけ、飛びぬけた優秀さで入学した。1796年には美学と物理学の論文が賞を受賞している。

ティコ・ブラーエ
1546年12月14日 - 1601年10月24日は、デンマークの天文学者、そして占星術師でもあった。膨大な天体観測記録を残し、晩年の助手ケプラーによるケプラーの法則を生む基礎を作った。デンマークの貴族の出身に生まれる。生まれたときの姓名はTyge Ottesen Brahe。13歳のとき(1560年8月21日)に部分日食を見て、強い衝撃を受けたといわれている。その後ロストック大学に学ぶ。1563年8月に木星と土星の会合を観測した時、当時用いられていた天文暦とずれがあることを発見した。本人は自身の観測記録をまとめる前に病死したが、弟子であり共同研究者でもあったヨハネス・ケプラーがその記録を解析し、ケプラーの法則を発見した。

オーレ・レーマー
(Ole Christensen Romer、1644年9月25日 − 1710年9月19日)はデンマークの天文学者。1676年に、科学的に意味のある光速度の値を世界で初めて算出した。1681年からコペンハーゲン大学で数学の教授を務めた。地球と太陽の距離は光速で500秒ぐらいで、太陽と木星の距離は5.2AU(天文単位)なので、地球と木星の距離は太陽の同じ側にある場合光速で2000秒(30分)位である。地球が木星に近づいていく場合(概算で1日に光速で10秒ぐらいの距離ずつ近づく計算になる)には、光が地球に到達するまでにかかる時間がしだいに短くなり、それに従って食の起きる間隔も短くなる。天体間の距離、速度を知れば逆に光速を見積もることができる。 このようにして計算された光速度は、メートル法に直すと214300km/sであった。

ビャーネ・ストロヴストルップ
(Bjarne Stroustrup, 1950年12月30日 - )は、デンマークのオーフス生まれのコンピュータ科学者。ファーストネームは「ビアルネ」「ビャーン」「ビョーン」、ファミリーネームは「ストラウストラップ」「ストゥロウストゥループ」などとも書かれる。1975年、オーフス大学で計算機科学と数学の修士号を取得。卒業後イギリスに渡り、1979年にケンブリッジ大学で計算機科学の博士号を取得。その後家族とともにアメリカ合衆国ニュージャージー州に渡り、AT&Tベル研究所に大規模プログラミング研究部部長として勤務。1983年に C言語を拡張し、オブジェクト指向プログラミングを可能にした C++ を開発した。

マルティン・ヨルゲンセン
(Lars Martin Jorgensen, 1975年10月6日 - )はデンマーク、オーフス出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。ミカエル・ラウドルップ、ブライアン・ラウドルップ兄弟の後継者とも呼ばれているデンマーク代表。クラブレベルでは、ほとんどのキャリアをイタリア・セリエAでプレーしている。1993年にプロデビューを果たす。1996年にはU-21デンマーク最優秀選手に選ばれるなど注目され、翌1997年にイタリア、ウディネーゼ・カルチョへの移籍が実現。怪我に悩まされたが、1998年には代表デビューを飾るなど、攻撃の柱として活躍した。

ヨハネス・クヌッセン
(Johannes Knudsen, 1917年12月22日 - 1957年2月10日)は、デンマーク・フレゼリクスハウン出身の船員。和歌山県沖での海難救助活動中に殉難した。その勇敢な行動は顕彰され、日本とデンマークの友好と交流の象徴として語られる。1957年2月10日、神戸港へ向かう海運会社マースク社の貨物船エレン・マースク号(Ellen Maersk)は、和歌山県日ノ御埼沖の紀伊水道を航行中、徳島県浅川の機帆船(木材運搬船)「高砂丸」が炎上しているのと遭遇。風速20mを越える強風の中、エレン・マースク号は「高砂丸」乗組員の救助作業に当たる。機関長として乗り組んでいたクヌッセンは、エレン・マースク号の縄梯子から海中に転落した高砂丸船長を救うべく海中に飛び込み、そのまま波間に没した。事故の翌1958年には、事故現場を望む日ノ御埼・日の岬パーク(美浜町)内に「クヌッセン機関長顕彰碑」が建てられた。

ヘンリク・ポントピダン
(Henrik Pontoppidan、1857年7月24日 - 1943年8月21日)はデンマークの小説家。1917年度ノーベル文学賞受賞。デンマーク・フレゼリシアの牧師の家に生まれたが、聖職になるのを嫌い、大学で土木工学を修学する。しかし、土木業もやめ、デンマークの国民高等学校の教師になった。その後文学の道に目覚め、1881年に『教会の舟』で小説家としてデビュー。代表作『約束の土地』などにみられるように社会の虚構を暴き、立ち向かう自然主義的作品で好評を博し、1917年、同じくデンマークの作家カール・ギェレルプと共にノーベル文学賞を受賞した。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン
Hans Christian Andersen、1805年4月2日 - 1875年8月4日は、デンマークの代表的な童話作家・詩人である。1805年デンマーク、フュン島の都市オーデンセで産まれる。22歳の病気の靴屋の父と数歳年上の母親の家で産まれた。彼の家は貧しく一つの部屋で全員が眠った。1816年に靴職人の父親が亡くなると自分の進路を決めなければならなくなり、学校を中退する。彼はオペラ歌手になろうとし、1819年コペンハーゲンに行った。オペラ歌手に成ることには失敗し挫折する、その後も挫折を繰り返し、デンマーク王立バレエ団のバレエ学校にも在籍していた。アンデルセンの童話作品はグリム兄弟の様な民俗説話からの影響は少なく、創作童話が多い。初期の作品では主人公が死ぬ結末を迎える物も少なくなく、若き日のアンデルセンが死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層への嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを童話という媒体を通して訴え続けていた事が推察できる。

キャロライン・ウォズニアッキ
(Caroline Wozniacki, 1990年7月11日 - )は、デンマーク・オーデンセ出身の女子プロテニス選手。2009年の全米オープン女子シングルス準優勝者であり、デンマーク人として初めて世界ランキング1位になった選手である。これまでにWTAツアーでシングルス18勝、ダブルス2勝を挙げている。キャロラインは父親の手ほどきで7歳からテニスを始め、2005年4月から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのデンマーク代表選手に選ばれ、同年7月に15歳でプロテニス選手になった。

ビレ・アウグスト
(Bille August, 1948年11月9日 - )はデンマークの映画監督、テレビドラマのディレクター。デンマークとスウェーデンで映画製作を学んだ。1988年『ペレ』、1992年『愛の風景』でカンヌ国際映画祭・パルムドールを2度受賞している。

ラース・フォン・トリアー
Lars Trier, 1956年4月30日 - は、デンマークの映画監督。コペンハーゲン出身。ドグマ95という映画の方法論に大きく関与しているが、その他にも様々なスタイルの映画で知られ、1980年代以降デンマークの映画界に対する他国の関心を高めた中心人物だと見なされている。子供時代のラースは休日をヌーディストキャンプで過ごすこともあったし、躾を反動的なことだと考えた両親によって様々なことを自分で決めるようまかされていた。トリアー家は無神論の立場を取っており、「感情・宗教・楽しみ」を排し、子供には規則を作らないという家庭にしていたことが人格形成に大きな影響を与えたとラースは語っている。11歳のときに母親の買った8ミリカメラをもらって以来、中等教育の間トリアーは自主製作の映画を撮り続けた。トリアーにとって映画は外界と関わり学ぶための手段でもあった。

ニールス・ボーア
(Niels Henrik David Bohr 1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。1908年ロンドンオリンピック、サッカーデンマーク代表選手(補欠GK)。コペンハーゲンに生まれ、1903年にコペンハーゲン大学に入学。1911年にイギリスへ留学、キャヴェンディッシュ研究所のジョゼフ・ジョン・トムソンのもとでの研究後、1911年にマンチェスター大学のアーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究に着手した。有名なエピソードにマックス・ボルン宛にアインシュタインが書いた手紙("Der Alte wü粐粐糅聽踉 nicht."神はサイコロを振らない)に反論した名言("Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat."アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない)がある。

ミカエル・ラウドルップ
(Michael Laudrup, 1964年6月15日-)は、デンマーク・コペンハーゲン出身の元同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)またはFW(ウインガー、セカンドトップ)。デンマークサッカー界を代表する選手であり、1980年代中盤から1990年代のヨーロッパを代表する選手の一人。2005年に開催されたUEFA創立50周年を祝う式典、UEFAジュビリーアウォーズの際には、過去50年間のデンマーク最優秀選手に選ばれている。

ヴィトゥス・ベーリング
Vitus Jonassen Bering, 1681年8月 - 1741年12月19日は、デンマーク生まれのロシア帝国の航海士、探検家。1725年から1730年まで、また1733年から1741年まで、2回のカムチャツカ探検を率いて、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認した。また、アラスカに到達し、アリューシャン列島(アレウト諸島)の一部を発見した。ベーリングの名にちなんだものに、ベーリング海、ベーリング海峡、ベーリング島、ベーリング地峡などがある。

ニールス・フィンセン
(Niels Ryberg Finsen, 1860年12月15日 - 1904年9月24日)はデンマーク・フェロー諸島の内科医、科学者。1903年、疾患の治療への貢献、特に尋常性狼瘡への光線治療法により、医学に新しい道を開いたことを評し、ノーベル生理学・医学賞が授与された。彼がデンマーク人で最初のノーベル賞受賞者である。

マルグレーテ2世
Margrethe 2.、1940年4月16日 - は、デンマーク王国女王(在位:1972年1月14日 - )。フレゼリク9世の長女で、母イングリッドはスウェーデン王グスタフ6世アドルフの娘。妹が2人おり、末妹アンネ=マリーエは元ギリシャ国王コンスタンティノス2世の妃である。身長180cmの長身で、柔道の心得がある。美人で才能豊か、気さくな人柄で国民に絶対的な人気がある。海外のメディア(テレビ、新聞を問わず)へのインタビューも国家元首という立場でありながら気さくに応じている。

クリスチャン4世
Christian IV, 1577年4月12日 - 1648年2月28日は、デンマークとノルウェーの王(在位:1588年 - 1648年)。一般には、60年間にわたって善政を敷き、数多くの改革をおこなったデンマークの名君の1人と見なされている。しかし対外的には、三十年戦争の敗北等により国力の衰退をもたらし、北ヨーロッパにおけるデンマークの覇権は失われた。

ビレ・アウグスト
(Bille August, 1948年11月9日 - )はデンマークの映画監督、テレビドラマのディレクター。デンマークとスウェーデンで映画製作を学んだ。1988年『ペレ』、1992年『愛の風景』でカンヌ国際映画祭・パルムドールを2度受賞している。

ソーレン・クラーク=ヤコブセン
(Soren Kragh-Jacobsen, 1947年3月2日 - )はデンマーク・コペンハーゲン出身の映画監督・脚本家。チェコのプラハの映画学校で学び、デンマークに帰国してテレビ界からそのキャリアをスタートさせた。監督デビューは1978年。1998年のドラマ『ミフネ』は日本でも公開され高い評価を得た。

ロネ・シェルフィグ
(Lone Scherfig, 1959年5月2日 - )はデンマーク出身の女性映画監督。叔父は作家のw:Hans Scherfig。デンマークの映画学校を卒業し、1990年に初監督作品を発表。2000年に監督したドグマ映画『幸せになるためのイタリア語講座』がベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、世界的にヒット。2009年、イギリス映画『17歳の肖像』の監督を務め、この作品でサンダンス映画祭の観客賞を受賞した。

セーレン・キェルケゴール
Soren Aabye Kierkegaard、1813年5月5日 - 1855年11月11日)はデンマークの哲学者であり、今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。キェルケゴールは当時とても影響力が強かったヘーゲル哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。

カレン・ブリクセン
(Baroness Karen von Blixen-Finecke, 1885年4月17日 - 1962年9月7日)は、20世紀のデンマークを代表する小説家。1885年、デンマークのルングステッズ生まれ。作家であり軍人であった父親ヴィルヘルム・ディーネセンに強い影響を受け、20代前半にはコペンハーゲン王立美術アカデミーで学んだり、パリで絵画の修業をしたり、あるいは文芸雑誌に小品を寄稿したりしていた。現在のデンマークの50クローネ紙幣には彼女の肖像が使われている。

オーレ・キアク・クリスチャンセン
(Ole Kirk Christiansen, 1891年4月7日 - 1958年3月11日)は、レゴグループ創設者。デンマーク西部のユトランド半島の貧しい農家の13番目の子供として生まれ、大工としての訓練を受けた。1932年に不況で失業した際、木製のおもちゃを作りだした。レゴという社名はデンマーク語の leg godt (よく遊べ)からきており、結果的にレゴグループは世界で6番目に大きなおもちゃ会社になった。

ヘレナ・クリステンセン
(Helena Christensen, 1968年12月25日 - )は、デンマークコペンハーゲン出身の女性ファッションモデルである。父はデンマーク人で、母はペルー人。1990年代を代表するスーパーモデルの1人。ヴェルサーチは彼女のことを「世界でもっとも美しい体を持った女性」と評したという。18歳でミス・デンマークに選ばれたことがきっかけでパリに移り住み、モデルとして活動し始めた。現在は写真家として作品を発表したり、DJとして活動してもいる。ファッション雑誌「NYLON」の編集も手がけている。

リリー・エルベ
Lili Erbe 1882年 - 1931年9月はデンマークの画家、イラストレーターであり、世界初の性別適合手術(男性から女性)を受けた人物として知られる。リリー・エルベは1882年に生まれ、1904年に当時学んでいたコペンハーゲン芸術学院(Kunstakademiet)で出会ったゲルダ・ゴットライプ(Gerda Wegener)と結婚する。ゲルダもイラストレーターであった。リリー・エルベが女性の服装をするようになったのは、ゲルダの当時不在であったモデルの代わりにエルベにストッキングとヒールを身につけ、代わりに脚のモデルになるよう頼んだことがきっかけであった。二人は1912年以降パリに在住するようになったが、そのころからエルベは女性として生活するようになった。

クラウス・イェンセン
(Claus Jensen, 1977年4月29日 - )は、デンマーク出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。同国代表として47試合に出場し8得点を記録した。正確なパス技術をもち、ゲームメーカーとしてプレミアリーグのチャールトンなどで活躍。フリーキックも得意としていた。

アグナー・アーラン
(Agner Krarup Erlang、1878年1月1日 - 1929年2月3日)は、デンマークの数学者・統計家・技術者。通信トラヒック工学および待ち行列理論の開祖である。彼は幼い頃から、本を逆さにして読むことができるなど、その潜在能力を示していた。彼は14歳のとき、入学年齢に達していなかったために特別措置を受け、コペンハーゲン大学の入学予備試験を優秀な成績で合格した。その後の2年間は父のそばで教鞭をとった。

アンヌ・ドゥールト・ミキルセン
(Anne Dorte Michelsen、1958年7月17日 - )はデンマークの歌手、シンガーソングライター。オーフスで教師の父、心理学者の母の間に生まれる。幼年期から母にピアノを学んだ。12歳のときにキャロル・キングの影響で作詞作曲を始め、いくつかのバンドにも所属。またハルフダン・ラスムセンやアストリッド・リンドグレーンを愛読した。

イエスタ・エスピン=アンデルセン
Gosta Esping-Andersen, 1947年 - は、デンマーク出身でスペイン在住の社会学者・政治学者である。専門は福祉国家論。コペンハーゲン大学卒業後、ウィスコンシン大学マディソン校で博士号を取得した。ウェスリアン大学社会学部講師、ハーバード大学社会学部助教授・准教授、欧州大学院准教授・教授、トリノ大学教授を経て、現在、ポンペウ・ファブラ大学社会学部教授。

ニールス・イェルネ
(Niels Kaj Jerne、1911年12月23日 - 1994年10月7日)はロンドン生まれのデンマークの免疫学者。1984年に免疫制御機構に関する理論の確立とモノクローナル抗体の作成法の開発により、ジョルジュ・J・F・ケーラー、セーサル・ミルスタインと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。1943年から1956年まで、デンマーク国立血清研究所の研究員を務め、この時にジフテリアの抗毒素の理化学的声質についての著名な業績を残した。仕事の帰り道、自転車でコペンハーゲンのLangebroを横切っているときにこの画期的な科学的な考えを思いついたと言われている。

ヤコブ・エレハマー
(Jacob Christian Hansen Ellehammer、1871年6月14日 − 1946年5月20日)はデンマークの発明家である。1905年に9馬力のエンジンを造り、単葉機に取り付けて飛行テストを行ったが、馬力不足であったので、18馬力のエンジンを造った。どちらのエンジンも空冷の星型エンジンである。18馬力のエンジンを付けたエレハマーno.1機は1906年9月12日にデンマークのLindholm島で、高度75cm、距離42mの飛行に成功した。

アクセル・オルリック
(Axel Olrik、1864年7月3日 - 1917年2月17日)は、デンマークの民俗学者、神話学者。北欧の神話伝説(特にサクソ・グラマティクス、終末論ラグナロク)の研究、民俗歌謡の収集、研究機関の設立で知られる。学術誌『デンマーク研究』の発行責任者。父は肖像画家で、オルリックは芸術や文学に関心の高い家庭で育った。

デンマーク Denmark
北ヨーロッパのバルト海と北海に挟まれたユトランド半島と、その周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家である。北欧諸国の1つであり、北には海を挟んでスカンディナヴィア諸国、南にはドイツと国境を接する。首都はシェラン島にあるコペンハーゲン。デンマークには有史以前から人が住んでいたとされている。氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年頃から人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年頃始まったようだ。

コペンハーゲン
Copenhagenは、デンマークの首都。北ヨーロッパを代表する世界都市である。シェラン島の東の海岸にあり、デンマーク東部(北緯55度43分、東経12度34分)に位置する。デンマーク最大の都市で、コペンハーゲン(ケベンハウン)自治市の人口は52万人。コペンハーゲン(ケベンハウン)県の人口は112万人。コペンハーゲンの周辺地域は、古代ローマ時代にはハフニア(Hafnia)という名で伝わっていたが、シェラン島が辺境の島ということもあって、さほど重要視されてはいなかった。都市としてのコペンハーゲンの起源は、1000年ころスヴェン1世とその息子クヌート大王によって発見されたのが最初である。男女同権、性差における対等性(Sexual Equality)はデンマークでは高い優先順位が与えられている。女性はコペンハーゲンではほとんど、あるいはまったく差別に遭遇しないだろうし、セクシャルハラスメントも他の西洋諸国の首都に比べればまれである。


オールボー空港
Aalborg Lufthavnは、デンマーク王国北ユラン地域オールボーに所在する軍民共用空港。空軍基地としては「Flyvestation Aalborg」となっている。

ヴォーアル空港
Vagar Airportは、フェロー諸島にある空港である。ヴォーアル空港は、フェロー諸島の首都、トースハウンのあるストレイモイ島の西に位置するヴォーアル島にある。

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ビルン空港
Billund Airportは、デンマークのビルンにある空港。デンマーク第二の国際空港でもある。空港の近くには、LEGO社のテーマパークレゴランドがあり、事実上LEGO社関連専用空港と言えるが、パーク自体はターミナルから滑走路を挟んで反対側にあり、空港に降り立った人々は大きく迂回する必要がある。

オーフス空港
デンマーク中部・ユトランド半島にある空港。オーフスの北東約35kmにあり、周囲は森林/農業地帯となっている。市内とのアクセスはバス・自動車を用いる。ターミナルビルが一つの小規模な空港であるが、コペンハーゲン空港を始め北欧各地に定期便が就航している。


デンマーク国鉄
DSB)はデンマークにおける最大の路線、運行車両を有する鉄道事業者であるだけでなくスカンディナヴィア諸国においても最大である。DSBは旅客輸送が大半を占める。DSBではS列車と呼ばれる近距離輸送を展開しており、首都であるコペンハーゲンを中心として他地域と接続している。

コペンハーゲン中央駅
コペンハーゲンにあるデンマーク最大の鉄道駅である。チボリ公園の入口にもなっている。当駅はコペンハーゲンの交通の要衝でもあり、各地と結ぶインターシティや近郊電車であるSトーなどが数多く発着している。12線あり、コンコースにはファーストフード店や各種の小さな店舗がある。コペンハーゲン市内の公共交通機関の運賃ゾーンのゾーン1圏内にある。


■エネルギー
北海油田による石油・天然ガスの供給があり、輸出も行われているなどエネルギー資源には恵まれている。このほか、風力発電が盛んであり、1980年代より組合が設立され個人の共同所有方式により多数が建設された。2004年時点で約15万世帯が約5,500基の風力発電機を共同所有している。2006年における発電設備能力は3,136.6メガワットであり、電力供給量の約2割を占めている。


外務省:デンマーク大使館
在デンマーク日本国大使館


デンマーク王立図書館
(Det Kongelige Bibliotek)はコペンハーゲンにあるデンマークの国立図書館であり、コペンハーゲン大学の大学図書館。北欧諸国の中では最大の図書館である。17世紀以降、デンマーク国内で印刷された出版物を全て収めているが、その中には歴史的に貴重なものが多数含まれる。

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オーフス
(Arhus)は、コペンハーゲンに続くデンマーク第二の都市である。人口は約29万人。1928年に創設されたオーフス大学でも知られる。ユラン半島(ユトランド半島)の東岸、オーフス湾に面した港湾都市である。オーフスはユトランド半島の文化の中心地である。学生も多く、若者達が様々な文化的活動の一端を担っている。市内には500件以上のカフェのほか、博物館・遊園地・映画館もある。

オールボー
(Alborg)は、デンマーク第4の都市である。人口は約12万人。ユラン半島(ユトランド半島)の北部に位置する。地図上は内陸都市のように見えるが、リムフィヨルド(Limfjord)に面しており、この海峡における港湾都市として重要な役割を果たしている。ユラン半島を横断するリムフィヨルドに面しているため、かつてはヴァイキングの拠点の一つとなっていた。1342年に都市特権を得た。16世紀には、クリスチャン3世(在位1534年 - 1559年)によってオールボー城が建てられた。

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エスビャウ
(Esbjerg)はデンマーク・南デンマーク地域にある、ユトランド半島の西岸最大の都市。北海に面したデンマークで5番目に大きな都市であり、同名の基礎自治体の中心地でもある。2007年に基礎自治体の再編がなされた際に、エスビャーは基礎自治体BrammingとRibeと合併している。基礎自治体の総面積は741平方キロメートル、人口は114,097人(2005年)。エスビャウ駅はデンマーク国鉄によって運営されており、コペンハーゲンよりエスビャーまで鉄道で3時間ほどである。鉄道網と高速道路網が整備されている。

フレゼリクスハウン
(Frederikshavn)はデンマーク・ユトランド半島北部に位置する港町。フレデリクスハウンとは直訳すると「フレゼリクの港」(ハウンはデンマーク語で港の意味)。人口は2006年現在23,636人。1959年に和歌山県沖で遭難した日本漁船の船員を救出しようとして自らも水死した貨物会社A.P. モラー・マースクのクヌッセン機関長を奉る慰霊碑が郊外のバングスボー博物館に建立され、2007年8月には和歌山県から市民など関係者が訪れ、「ジャパン・フェスティバル」も開かれた。

ラナース
(Randers)は、デンマーク・ユトランド半島北東部にある基礎自治体及び都市の名称。デンマークで6番目に大きな都市で人口は55,739人(2004年)。自治体議会が置かれている。デンマーク唯一の、天然の河港で、カテガット海峡に面したラナース・フィヨルド口から6マイル、グゼノー川の河畔にある。

コリング
(Kolding)は、デンマークの都市。南デンマーク地域に属する。コリング・フィヨルドの湾奥にある港湾都市である。基礎自治体コリング市の交通、商業、産業の中心地でもある。造船業をはじめ多くの会社が集中する。人口56,249人(2009年)。コリングにはかつての王宮コリングフス宮殿がある。宮殿はエーリク5世の命令で13世紀に建てられた。現在は博物館であり、礼拝堂とホールは政府の公式行事に使用される。ユトランド半島にあった最後の王宮であった。他に、13世紀に建てられた石造りのサンクト・ニコライ教会がある。人気のある観光地として、トラプホルト美術館と庭園がある。

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シルケボー
(Silkeborg)は、デンマークの都市。ユトランド半島中部にある。人口約41,600人(2006年)。町が現代都市として発達したのは、1844年にミハエル・ドレウセンがグゼノー川を用いた製紙工場を創設した影響が大きい。町はシルケボー湖で南北に分けられ、東部はグゼノー川に臨む。風光明媚な湖と森があり、デンマークの最高地点ヒンメルビャウエルがある。シルケボーとその周辺地域はデンマーク一美しいと称されることから、湖畔には別荘やマンションが建ち並び、物価が高いことで知られる。

オーベンロー
Aabenraa、は、デンマークの南デンマーク地域にある町。ドイツのシュレースヴィヒの北61km、小ベルト海峡にそそぐオーベンロー湾の奥に位置する。人口は1万5760人(2011年1月1日)。地名は「ひらけた浜」を意味する。行政上はオーベンロー市にあたる。マルクーセン社のオルガン生産から機械加工まで、さまざまな産業が見られる。デンマーク放送協会が事務所を置く。

フレゼリシア
(Fredericia)は、デンマークの都市。ユラン半島東岸の基礎自治体フレゼリシアの都市。この地域は通称トレカンテン(三角地帯)と呼ばれる。1650年、デンマーク王フレゼリク3世によって建設され、王にちなんで名付けられた。

ヴァイレ
(Vejle )は、デンマークの都市。南デンマーク地域・ヴァイレ基礎自治体に属する。ユトランド半島東岸に位置し、ヴァイレ・フィヨルドの奥にある町である。低平なデンマークにおいて、比較的起伏のある地域であり、自然地形の標高で170メートルの地点もある。さらに近頃、ヴァイレの産業は食品産業へ移った。「ガムリンク」ブランドのガムを製造する、世界最大級のチューインガム工場がある。最近食品産業の重要性が薄れだし、他部門、情報通信産業といったものが力をつけてきた。

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ヴィボー
(Viborg)は、デンマークの都市。ユラン半島中部にある。中央ユラン地域・ヴィボー基礎自治体に属する。ヴィボーにはユラン半島の高等法廷、西部高等裁判所が置かれている。ヴィボー・カテドラルスコーレ - デンマーク最古の教育機関。1100年創立。カテドラルスコーレとは、聖堂付属の学校が前身であることを意味する。この学校はヴィボーに司教座が置かれた1060年にできたと信じられている。教会が少年と青年らを運営に加わってもらうために、学校をつくったのである。現在は、ヴィボー市内にあるギムナジウム4校のうちの1校である。

ホーセンス
(Horsens)は、デンマークの都市。ユラン半島のオーフスの50キロ南西、ヴァイレの30キロ北西に位置する。人口51,112人(2007年)。ヨーロッパ・ルートE45が市内を走っている。ホーセンスの最大級の文化イベントは毎年8月の最後の金曜日と土曜日に開催されるヨーロッパ中世フェスティヴァルである。市中心部は北欧の大きな中世の市場へと変身し、あらゆる年代の男女が楽しめる催しがある。毎年3月にクリミメッセン祭(犯罪祭)が開かれる。犯罪、ミステリー、スリラーなどを主題とした文学の催しである。主催はホーセンス市立図書館で、著名な犯罪文学作家が参加する。

オーデンセ
Odenseは、デンマーク王国第三の都市。オーデンセの地名は北欧神話のオーディン(デンマーク語でオデンOden)にちなんで、988年神聖ローマ皇帝オットー3世によって命名された。1935年、オーデンセで最も有名なランドマークであった、オーディン塔(Odinstarnet) が建てられた。当時の欧州では、パリのエッフェル塔に次ぐ2番目の高さであった。1944年、デンマーク国内のナチスグループによって、オーディン塔は破壊されてしまい、以後再建されることはなかった。しかしそのミニチュア模型が、オーディン公園の塔が元あった場所に建っている。

トースハウン
デンマークの自治領・フェロー諸島の首都。ストレイモイ島東岸の南部にあって、1万9,000人の人口を持つ。ノルウェー王国のハーラル1世の圧制から逃れて、9世紀にこの地への入植が始まった。ヴァイキングは825年に ティンガネスに独自の議会(ting)を設立した。ティンガネスは現在はトースハウン市の一部となっている半島で、この半島がトースハウン港を2つに分けている。

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ヒレレズ
デンマークのシェラン島北部にある都市。人口は3万570人(2012年1月1日現在)で、国内に5つある地域のひとつ、首都地域の中心地である。シェラン島ではコペンハーゲン、ヘルシンゲルに次ぐ第三の都市である。富裕な貿易と文化のまちヒレレズは、市街のフレデリクスボー城で知られる。

フレゼリクスハウン
(Frederikshavn)は、デンマーク・ユトランド半島北部に位置する港町。フレゼリクスハウンとは直訳すると「フレゼリクの港」(ハウンはデンマーク語で港の意味)。ユトランド半島北部地域の中心都市オールボーとは車で40分、DSBデンマーク国鉄では1時間10分で行ける。

フレデリクスボー城
Frederiksborg Slotは、デンマークのヒレレズにある城。クリスチャン4世の居城として建築され、現在は国立歴史博物館となっている。フレゼリクスボー城とも。元の城はフレゼリク2世により建設されており、現在の城はスカンディナヴィアで最も大きなルネサンス様式の宮殿となっている。宮殿はパラス湖に浮かぶ3つの小島の上に位置しており、バロック様式の大きな庭園に隣接している。

デンマーク王国
Kongeriget Danmarkは、北ヨーロッパに位置するデンマークと、2つの自治構成国(北大西洋のフェロー諸島と北アメリカのグリーンランド)からなる立憲君主制の主権国家である。デンマークは王国内において覇権的地位にあり、残りのフェロー諸島とグリーンランドに対して司法権、行政権および立法権を行使する。

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■社会
国民の教育水準が高く、高齢者福祉や児童福祉も充実している。「医療制度と健康」「教育」「環境」「経済的な 豊かさ」など100件以上のデータを基に表される「幸福度」で世界178ヵ国の中で、世界一になっている。しかし、医師・看護師の給料が低いことから、医療従事者の慢性的不足に悩んでいる。EU諸国やインドから医師や看護師を呼び寄せているが、診察や手術の予約待ちは数か月に及ぶことが普通。そのため、ガン患者などは中国で治療するケースが最近急増している。


■国民
デンマークはデンマーク人による単一民族国家であり、2009年の統計によると全人口の90.5%を占める。残りの9.5%、526,000人を移民とその子孫が占める。アジア、中東からの急激な移民増加を受けて社会問題が発生した影響で、欧州一とも言われる厳格な移民法が成立した。現在、デンマークへの新規移住は不可能ではないが難易度が高いとされる。


1.面積:約4.3万平方キロメートル(九州とほぼ同じ)
(除フェロー諸島及びグリーンランド)
2.人口:約554万人(2010年デンマーク統計局)
3.首都:コペンハーゲン(コペンハーゲン市の人口約68万人。)(2010年調査)
4.言語:デンマーク語
5.宗教:福音ルーテル派(国教)

1397年 マルグレーテ1世の下、北欧三国によるカルマル連合成立(〜1523年)
1660年 絶対王政
1849年 憲法発布、二院制議会の設置
1945年 第二次世界大戦終了によりナチス・ドイツの占領から解放
1949年 NATO加盟
1953年 憲法改正、一院制議会へ
1973年 EC加盟
1992年 国民投票でマーストリヒト条約批准を否決
1993年 再国民投票でマーストリヒト条約批准を可決
2000年 国民投票でユーロ参加を否決

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■主要産業:金融・不動産、運輸・交通・通信、鉱業・エネルギー
■主要貿易品(1)輸出 医薬品、原油、肉・水産品(2)輸入 石油、自動車・関連部品、医薬品


デンマーク・クローネ
クローネとは王冠を意味する言葉であり、スウェーデン通貨のクローナも同じ意味である。1クローネは100オーレであり、1クローネの対円レートは概ね20円程度で推移している。ISO4217でのコードはDKK。内的にはkrと略記される。DKRやDkrは公式な物ではない。

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フォルケティング
Folketinget)とは、デンマークの議会。Folke は「国民の、人民の」、Ting は「議会、集会」の意であり、直訳すれば「国民議会」となる。1953年、国民投票により憲法改正が承認された。この改正ではランドスティングの廃止、フォルケティングのみによる議会の一院制への移行が定められた。フォルケティングは1849年のリグスダーグ設置以来、コペンハーゲン中心部のクリスチャンスボー城におかれている。

クリスチャンスボー城
Christiansborg Slot)は、デンマーク、コペンハーゲンの中心部、スロッツホルメン島にある宮殿である。この城はデンマーク王室および政府の迎賓館として使われているほか、国会議事堂や内閣府、最高裁判所など、デンマークの三権に関する施設がおかれていることでも知られる。1794年および1884年に二度の火災に遭い、バロック様式、新古典主義様式、ネオ・バロック様式の3つの建築様式が共存している。


保守党
(Det Konservative Folkeparti)はデンマークの保守主義政党、リバタリアニズム政党。1915年設立。正式名は保守人民党。国際民主同盟加盟政党。都市部の中産階級(裕福な自営業者や大企業の経営者)を支持基盤にしてきた。1950年代にヴェンスタとの合併が検討されたが見送られた。主な政策は減税、経済におけるフレキシビリティの拡大などである。社会政策はかなりリベラルで他の先進諸国の保守政党とは一線を画する。デンマークにおけるブルジョワブロックの本来のリーダーだが、近年、支配力は弱体化し、仮に政権獲得の機会があっても結果としてヴェンスタ(自由党)などに譲ることが多くなっている。

ヴェンスタ
(Venstre, Danmarks Liberale Parti)はデンマークの自由主義政党。正式名を直訳すると左翼・デンマーク自由党になる。彼らは英文の中においてもVenstreを押し通す傾向があるので、ここではヴェンスタとした。現在の党首はラース・ロッケ・ラスムセン(2009年より首相)。

デンマーク国民党
(Dansk Folkeparti)はデンマークの政党。デンマーク人民党とも。1995年に進歩党(Fremskridtspartiet)から離党した議員により結成された。かつての進歩党の支持者をほとんど奪って議席を急増させた。ヴェンスタ政権に閣外協力している。ヴェンスタは少数与党であり、デンマーク国民党の支持を得るため、デンマーク国民党からの提案のほとんどを受け入れており、デンマークの政策を管理しているのはもはやデンマーク国民党だとする意見が多い。

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デンマーク社会民主党
1871年の創設。1924年総選挙において、36.6パーセントの得票を得て、デンマーク最大の政党となった。この時初めて、政権を獲得し、トルヴァルト・スタウニングが首相に就任した。2001年の総選挙で、議会第一党の座をアナス・フォー・ラスムセン率いるデンマーク自由党に奪われて以降、2005年、2007年の総選挙と連敗。ヘレ・トーニング=シュミット党首の下に挑んだ2011年の総選挙では第一党こそならなかったものの、野党の中道左派連合が与党の中道右派連合の議席数を僅差で上回った。


■経済
高級オーディオメーカーバング&オルフセン、知育玩具レゴや陶磁器ロイヤルコペンハーゲン、コンフォートシューズのエコーシューズ、ミニバラの世界的ナーセリー,ポールセンローズなどが有名。海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。

■鉱業
デンマーク本土の鉱業は、北海油田に由来する有機鉱物資源が中核となる。2003年時点の産出量は、原油1814万トン、天然ガス335千兆ジュールである。石油自給率は100%を超えており、デンマークの輸出額のうち10.7%を原油、精製燃料、天然ガスが占める。


デンマークの映画
デンマーク映画界におけるパイオニアのピーター・エルフェルト (Peter Elfelt) は初めてのデンマーク映画を撮影した人物で、1896年から1912年の間、デンマークでの生活をテーマにした200ものドキュメンタリー作品を撮影した。エルフェルトはまた、1903年にデンマーク初となる長編映画も製作した。1906年、映画館のオーナーであったオレ・オルセン (Ole Olsen) はデンマークで初めての映画制作会社であるノルディック・フィルムズ・カンパニー (Nordisk Films Kompagni) を設立した。この会社は多くの短編映画を海外に輸出して収益を上げた。

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DR放送交響楽団
DR放送交響楽団(DR Radiosymfoniorkestret)は、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置く、デンマーク放送(DR)専属のオーケストラである。デンマーク放送交響楽団として知られる。1925年に設立。歴代の指揮者としてニコライ・マルコ、フリッツ・ブッシュ、ヘルベルト・ブロムシュテット、ランベルト・ガルデルリ、レイフ・セーゲルスタム、ウルフ・シルマー、ゲルト・アルブレヒトらが務めた。2004年から現在までトーマス・ダウスゴーが首席指揮者を務めている。また首席客演指揮者としてユーリ・テミルカーノフを擁している。

デンマーク王立管弦楽団
デンマーク王立管弦楽団(Det Kongelige Kapel)は、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置くオーケストラ。デンマーク王立歌劇場(Den Kongelige Operas)でのオペラ公演も行う。1448年に設立したとされ、世界最古のオーケストラと言われる。1749年より宮廷劇場での公演を開始する。歴代の指揮者としてカール・ニールセン、パーヴォ・ベルグルンドらが務めた。


■文化
子どもたちには、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国としてなじみがある。また、コペンハーゲンの有名な遊園地チボリ公園も、それを模したものが岡山県の倉敷市に倉敷チボリ公園として国内にも存在していた(2008年12月31日に閉園)。今日のデンマークの文化や政治のあり方に大きな影響を及ぼした教育者、ニコライ・グルントヴィが提唱して普及した教育制度にフォルケホイスコーレがあり、世界のフリースクール運動に大きな影響を及ぼしている。

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コペンハーゲン学派
コペンハーゲン学派(the Copenhagen School)は、デンマークの首都コペンハーゲンで展開された学問の一派。量子力学において。ニールス・ボーアが中心となった。→コペンハーゲン解釈言語学において。言語構造の解明に業績。ルイス・イェルムスレウが中心人物。→コペンハーゲン学派 (言語学)安全保障研究に関して。オール・ウィーヴァーらが中心メンバー。→コペンハーゲン学派 (安全保障研究)


フォルケホイスコーレ
フォルケホイスコーレは民衆の民衆による民衆のための教育機関。デンマークのグルントヴィとコルが創始した。成人教育機関の一種でデンマークの民主主義普及に大きく貢献した功績がある。日本とデンマークでは教育システムが異なるので単純に比較はできないが、日本でいう大学の位置づけにある学校組織である。しかし大きな総合大学(ユニバーシティ)というよりはちいさな単科大学(カレッジ)に近い。


カール・ニールセン
Carl August Nielsen, 1865年6月9日 - 1931年10月3日は、デンマークの作曲家である。同年生まれの北欧の作曲家に、フィンランドのジャン・シベリウスがいる。1865年 フュン島のノーレ・リュンデルセに生まれた。アンデルセンの出身地オーデンセから12kmほどはなれた農村地帯である。父ニルス・ヨアンセンはペンキ職人で、兄弟は12人の大世帯で貧しい生活だったが、音楽の趣味があった。1871年(6歳) この頃から、父の楽団に入りヴァイオリンを弾くようになった。1879年(14歳) オーデンセの軍楽隊に欠員が出たため応募し、わずか1ヶ月の練習で合格した。この時はホルンとトランペットを扱った。1884年 コペンハーゲンの音楽院をヴァイオリンで受験したが不合格。作曲家のニルス・ゲーゼに作品を見せることによって作曲科に合格が許された。音楽院時代にはヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲などの習作を手がけた。

インゲ・レーマン
1888年5月13日 − 1993年2月21日はデンマークの女性地震学者である。地震波の研究や、地球のコアに内核と外核があり境界面にレーマン不連続面があることを初めて示した。

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ミッケル・ケスラー
1979年3月1日 - は、デンマークのプロボクサー。コペンハーゲン出身。1998年3月20日に19歳でプロデビューした。その後、デンマーク国内での試合がほとんどであるが、全勝を続け、2002年11月29日にはIBAスーパーミドル級タイトルを獲得し、2003年4月11日にはWBCインターナショナルスーパーミドル級タイトルを獲得した。同タイトルを4度防衛した後、世界戦のチャンスを獲得した。そして2004年11月12日、マニー・シアカ(プエルトリコ)を8回TKOで破り、WBA世界スーパーミドル級タイトルを獲得した。2006年10月14日に行われたWBC王座との統一戦で、マルクス・バイエル(ドイツ)を3回KOで下し、2団体のタイトル統一を成し遂げた。2007年3月24日、統一した2団体のタイトルの初防衛戦でリブラド・アンドラーデ(メキシコ)と対戦し、12回判定勝ち。

ヘレ・トーニング=シュミット
Helle Thorning-Schmidt、1966年12月14日 - は、デンマークの政治家で、現首相。2005年4月から社会民主党の党首を、2011年10月から首相をそれぞれ務めている。コペンハーゲン大学で数学と国民経済を教えていたホルガー・トーニング=シュミットとその妻グレーデの子として、レズオウアに生まれた。ともに保守派だった両親は彼女が10歳のときに離婚[3]。コペンハーゲン郊外のイスホイに引越し、1985年に当地のギムナジウムを卒業した。1994年にコペンハーゲン大学を卒業するとともに政治学の学位を取得。これに先立つ1992年から翌年には欧州大学院大学(カレッジ・オブ・ヨーロッパ)にカール4世奨励金制度(1992年度)で在籍し、政治と行政を専攻してヨーロッパ学の博士号を修めた。

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ガブリエル・アクセル
(Gabriel Axel, 1918年4月18日 - )は、デンマークのオーフス出身の映画監督・脚本家。18歳までパリで育ち、デンマークに戻ってロイヤル・デニッシュ・シアターで演技を学んだ。その後俳優としてでなくテレビ・舞台・映画の監督も手がけるようになる。1987年の『バベットの晩餐会』はアカデミー外国語映画賞を受賞、カンヌ国際映画祭でも高い評価を得た。

スサンネ・ビア
(Susanne Bier, 1960年4月15日 - )はデンマーク出身の映画監督・脚本家・プロデューサー。デンマーク、スウェーデンで1990年代初めからコンスタントに映画製作に取り組んでいたが、2002年のドグマ映画『しあわせな孤独』で知られるようになる。2007年には初の英語作品で、ハル・ベリー、ベニシオ・デル・トロ主演のドラマ『悲しみが乾くまで』が公開された。2010年公開の『未来を生きる君たちへ』でアカデミー外国語映画賞を受賞した。

ルーズ・ランゴー
Rued Langgaard, 1893年7月28日 コペンハーゲン - 1952年7月10日はデンマーク後期ロマン派音楽の作曲家・オルガニスト。同時代のデンマークの大衆に対抗して、当時としては急進的な作品を書いたこと、またカール・ニールセン流のモダニズムや新古典主義音楽がデンマーク楽壇の主流となったことから、生前は理解されず、没後16年経ってようやく認知されるに至った。7歳でショパンのマズルカやシューマンの《ダヴィッド同盟舞曲集》を弾くようになり、ピアノやオルガンのための小品を作曲するようになる。

アイナー・ヘルツシュプルング
(Ejnar Hertzsprung ,1873年10月8日 Frederiksborg生 - 1967年10月21日 Tollose没)はデンマーク生まれの天文学者である。恒星の絶対等級とスペクトル型(表面温度)のをとった分布図(ヘルツシュプルング・ラッセル図)をヘンリー・ノリス・ラッセルと独立に提案した。1913年にはヘンリエッタ・スワン・リービットの発見したセファイド変光星の変光周期と明度の相関から小マゼラン星雲までの距離を計算した。星間物質による吸収により距離を小さく見積もったが、初めての測定であった。

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ディートリヒ・ブクステフーデ
Dieterich Buxtehude, 1637年頃-1707年5月9日は、17世紀北ドイツおよびバルト海沿岸地域、プロイセンを代表する作曲家・オルガニストである。声楽作品においては、バロック期ドイツの教会カンタータの形成に貢献する一方、オルガン音楽においては、ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクに端を発する北ドイツ・オルガン楽派の最大の巨匠であり、その即興的・主情的な作風はスティルス・ファンタスティクス(幻想様式)の典型とされている。

カール・テオドア・ドライヤー
Carl Theodor Dreyer , 1889年2月3日 - 1968年3月20日は、デンマークの映画監督。神秘性とリアリズムをあわせ持つ映像をつくりあげたことで名高い。女性が主役の作品が多く、その中で彼女たちは女性の意志や表現を抑圧しようとする社会秩序に対し果敢に戦いを挑もうとする。また主題の苛烈さだけでなく、先鋭性、独創性に溢れた映像描写は他に類がない。

トマス・ヴィンターベ
(Thomas Vinterberg,1969年5月19日 - )はデンマーク出身の映画監督。デンマークの国立映画学校(National Film School of Denmark)を卒業。在学中の作品で国際学生映画祭において高い評価を得、その後短編映画・テレビ映画などでも注目されるようになる。国際的に知られるようになった作品は1998年のドグマ映画『セレブレーション』で、この作品でカンヌ国際映画祭審査委員賞を受賞。

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マッツ・ミケルセン
(Mads Mikkelsen,1965年11月22日 - )は、デンマーク・コペンハーゲン出身の俳優。コペンハーゲンにてタクシー運転手の父のもとに生まれる[1][2]。俳優になる以前はプロのダンサーとして活躍。オーフスの国立演劇学校で学び、短編映画数作に出演した後1996年に『プッシャー』で劇場映画デビュー。デンマークでは多くの映画に出演しており、テレビの刑事ドラマ 『Rejseholdet』でも知られている。兄のLarsも俳優。

イエンス・ペーター・ヤコブセン
(Jens Peter Jacobsen、1847年4月7日−1885年4月30日) は、デンマークの詩人・小説家、植物学者。ユトランド半島北部の港町ティステッドの富裕な船主および石炭商の子として生まれる。9歳に植物学に熱中し早くもこの地方の全植物を知ったという。この自然科学への興味は生涯続く。16歳からコペンハーゲン大学に入学し植物学を専攻し、同時にゲーテ、シラー、ヴィーラントなどのドイツ作家の全作品を読む。18歳にシェークスピアを発見、耽読する。20歳頃に信仰の危機を迎え、キルケゴール、聖書、フォイエルバッハ、ハイネなどの読書遍歴の末、無神論者となる。「苦しい内的戦いをへて、宗教を離れた」と後年述懐している。1880年、病が重くなる中で奇跡的に『ニルス・リューネ Niels Lyhne』を故郷の家で完成させる。イプセン、ドイツの詩人リルケなどをも感動させたこの作で、ヤコブセンは神に反抗して詩作と恋愛で人間性を高揚させようとし、生きる根拠と目的を失いつつ信念を曲げない人物を創造し、〈無神論者の聖書〉と一部の人には呼ばれた。

ヴァン・ホルンボー
(Vagn Holmboe, 1909年12月20日 - 1996年9月1日)は、デンマークの作曲家。ユトランド半島のホーセンス出身。カール・ニールセンの推薦で王立デンマーク音楽院に入学し、クヌーズ・イェペセンに理論を、フィン・ヘフディングに作曲を学ぶ。1929年からベルリンでエルンスト・トッホに師事。ルーマニア人のピアニスト、メータ・グラフと結婚し、1933年から1934年までルーマニアで過ごす。

マリー・ドルレアン
(Marie Amelie Francoise Helene d'Orleans, 1865年1月13日 リッチモンド、ロンドン、イギリス - 1909年12月4日 コペンハーゲン)は、フランスのオルレアニスト王位請求者パリ伯フィリップの姪で、デンマーク王子ヴァルデマーに嫁いだ。マリーは他の堅苦しいデンマーク宮廷の人々とは違い、衝動的で機智に富んだ精力的な女性で、デンマーク国民の人気が高かった。オットー・バッケ(Otto Bache)やフランツ・ヘニングセン(Frants Henningsen)に師事し、絵画や写真をたしなんだ。彼女はシャルロッテンボー宮殿での展覧会に3度(1889年、1901年、1902年)出展し、またデンマーク美術アカデミーの会員でもあった。

カール・ハインリッヒ・ブロッホ
(Carl Heinrich Bloch, 1834年5月23日 − 1890年2月22日) はデンマークの画家。コペンハーゲン生。Wilhelm Marstrandと共にデンマーク王立美術アカデミー(en:Royal Danish Academy of Fine Arts)で学ぶ。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ
Vilhelm Hammershoi,1864年5月15日−1916年2月13日)は、デンマークの画家。姓はハメルショイとも表記される。作品としては、白・黒・灰色を基調とした抑えた色調で、時間の止まったような静寂な空気を感じさせる細密なタッチの室内画が中心である。室内風景画の多くには鑑賞者に背を向けた人物(その多くは彼の妻イーダ)が描かれている。

ヨーン・ウツソン
(Jorn Utzon1918年4月9日 - 2008年11月29日)は、デンマーク・コペンハーゲン出身の建築家。シドニー・オペラハウスの画期的なデザインで、高く評価されている建築家である。造船技師の息子として生まれ育った。コペンハーゲンのロイヤル・アカデミーで学ぶ。スティーン・アイラー・ラスムッセンに師事。卒業後に、世界各地の伝統的な建築手法を学んだ。1948年頃、フェルナン・レジェとル・コルビュジエに出会う。

 

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