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中華民国(通称台湾)
Chinese Taipei

アジア

台湾独立運動
台湾に台湾人が主権を有する独立国家(台湾共和国)を建設する事を目指した政治運動。略称は台独。ただし、1945年の台湾の中華民国統治を境として、運動の性質は変質している。2008年、中国国民党の馬英九政権となり、中国に急接近する政策を取ると、反発する反政権デモが独立派によりたびたび発生するに至った。2008年8月には台北市内で主催者発表で30万人のデモが行われ、総統府前を埋め尽くした。2009年5月には主催者発表で台北で60万人、高雄で20万人が「(馬英九政権の)中国傾斜に反対し、台湾を守ろう」とのスローガンを掲げ、大規模な抗議活動を行っている。


今日では、国際政治上の駆け引きの結果から「中国を代表する正統な国家」として中華人民共和国を承認する国が大勢を占めている。ただし、ほとんどの国は、中華人民共和国を「承認」しながら、半官半民の組織を介して中華民国と実務関係を維持している。

台湾は、台湾本土とその周辺諸島(澎湖諸島・蘭嶼など)、及び金馬地区と東沙諸島・南沙諸島から構成されており、面積は約3万5980km2と九州程度(日本の約10分の1)の大きさである。

台湾で人気のあるスポーツとしては、プロリーグが存在する野球、準プロリーグが存在するバスケットボールが挙げられる。政治的な問題から、オリンピックなどの国際大会には通常チャイニーズ・タイペイとして出場する。


■フォルモサ (Formosa)
台湾島には、フォルモサ (Formosa) という別称が存在し、欧米諸国を中心に今日も使用される場合がある。これは、「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。


 

台湾の地理
台湾島は太平洋西部に位置し、東海岸は太平洋に面している。日本の与那国島から約107kmの距離である。西海岸は台湾海峡を隔てて中国大陸を臨み、その距離は約150kmである。南はバシー海峡を隔てフィリピンまで約300km、北海岸は東シナ海に接している。全島面積は35,915平方km、南北に長く東西が狭い形状となっている。地勢は東高西低であり、地形は山地、丘陵地、盆地、台地、平野により構成されるが、山地、丘陵地が全島面積の2/3を占めている山岳中心の地形である。

東シナ海
太平洋西部の海。南西諸島とユーラシア大陸で挟まれている。太平洋西部にある縁海であり、北は対馬海峡を通じ日本海と接し、東は南西諸島を挟んで太平洋に接する。南南西に台湾海峡を通じ、南シナ海と結ばれているほか、北西は黄海に接している。大規模河川として長江が流入している。


蘭嶼
蘭嶼(らんしょは台湾本島の南東沖にある周囲40kmの孤島で、台東県蘭嶼郷に属する。台湾原住民のひとつで、フィリピン・バタン諸島より移り住んだとされるタオ族4,000人程が暮らしている。主要な産業は漁業とタオ族の伝統文化や奇岩などの自然を生かした観光業。民宿が各部落にある。島の最南端には低レベル放射性廃棄物の貯蔵施設[1]があり、その存廃を巡って住民運動が起こっている。


蘭嶼(らんしょ)<放射性廃棄物貯蔵施設の問題>
■1982年、台湾電力 (台電) が低レベル核廃棄物貯蔵施設を設置。現在でも現地では反対の声は続いている。

■1996年、台電が高レベル核廃棄物を持ち込んだ、という疑惑が発生。現地で激しい反対運動が起き、それ以来放射性廃棄物の搬入はすべて停止されている。そのため、台湾内の各原子力発電所で生じている放射性廃棄物は、各発電所内から搬出できない状態が続いている。

■2002年、100,000バレルの低レベル放射性廃棄物を島外に撤去するという政府の約束の履行を求めて、全島民の半数が参加するデモが放射性廃棄物貯蔵施設の前で行われた。行政院院長の游錫堃 (当時) は不履行に対して謝罪したが、撤去に関しては、代替用地の確保がスムーズではないため、撤去の見通しも不明であるとした。その一方で台電は蘭嶼の住民に対し、2億台湾ドル (NT、約5億円) を支払うことで貯蔵契約を9年間延長することを申し出ている。


澎湖諸島
澎湖諸島(ほうこしょとう)は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群。澎湖列島、澎湖群島とも呼ばれる。島々の海岸線は複雑で、その総延長は約300kmを誇っている。大小併せて90の島々から成るが、人が住んでいる島はそのうちの19島である。

東沙諸島
東沙諸島(とうさしょとう)は、台湾(中華民国)が実質上統治している東沙島、北衛灘、南衛灘及び周辺の環礁により構成される小島群、南海諸島の北限を形成している。

南沙諸島
南沙諸島(なんさしょとう)、スプラトリー諸島(Spratly Islands)とは、南シナ海に浮かぶ約100の小さな島々。諸島全体は大変小さな島々で構成され、互いの距離は十数キロメートルから数十キロメートル程度で位置している。一般の人が普通に居住できる環境ではなく、島そのものにはほとんど価値が無いが、海洋・海底資源が見込める。そのためベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、中華民国(台湾)、中華人民共和国が領有権を主張している。

海岸山脈
台湾島東部を南北に縦貫する山脈で、台湾の五大山脈の一つ。北は花蓮県から南は台東県まで、その長さはおよそ150kmに及び、東西の幅は約10kmとなっている。一般的に、海岸山脈を横断する秀姑巒渓を境として南北2つに分けられる。

雪山山脈
台湾を南北に走る山脈で、五大山脈の一つ。中央山脈の北西に位置し、東側は蘭陽渓断層谷と大甲渓上流縦谷(合わせてピヤナン構造線と呼ばれる)で中央山脈と隔てられている。雪山山脈は台湾で最も北に位置する山脈で、北東から南西に向かって伸びている。

中央山脈
台湾島の脊梁であり、台湾五大山脈の1つ。全長340 km、最高峰は秀姑巒山の3,805 m。中央山脈の北西には雪山山脈、南西には阿里山山脈、玉山山脈、東部には海岸山脈が、いずれも南北に走っている。

玉山
旧称新高山(にいたかやま)・モリソン山(Mt Morrison)は、台湾のほぼ中央部に位置する山。標高は3,952mと台湾で最も標高が高い。周囲は台湾自然生態保護区となっている。また1985年4月6日には玉山を中心とした約10万haの範囲が玉山国家公園に指定されている。

濁水渓
台湾中部を流れる河川。台湾で最も長い河川である。中央山脈の佐久間鞍部に源を発し西に流れ、台湾海峡に注ぐ。

日月潭
日月潭(にちげつたん/じつげつたん)は、台湾南投県魚池郷に位置する湖。台湾で最も大きな湖である(ダム湖を除く)。湖の北側が太陽(日)の形、南側が月の形をしていることからこう呼ばれる。日月潭は「国立風景区」に指定されており、人気の観光地となっている。日月潭から見る夕日は特に美しいと言われ、また「双潭秋月(日月潭で見る秋の月)」は台湾八景のひとつに数えられている。

バシー海峡
台湾島南端からフィリピンのルソン島間の水域のうち、台湾島側は西は猫鼻頭の岬と東は鵝鑾鼻の岬の約10kmの範囲とフィリピン領バタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡。バタン諸島以南をバリンタン海峡(ルソン海峡)と呼ぶ。


■住民
台湾地域の住民は、混血民族と中国系に大別される。原住民族は平地に住んで漢民族と同化が進んだ「平埔族」(ケタガラン族、パゼッヘ族、バブザ族など)と高地や離れ島に住む「高山族」14民族(アミ族、タイヤル族、パイワン族、ブヌン族、プユマ族、ルカイ族、ツォウ族、サイシャット族、タオ族、サオ族、タロコ族、クバラン族、サキザヤ族、セデック族。クバラン族とサオ族は平埔族に分類されていたこともある。


台湾原住民
17世紀頃に福建人が移民して来る以前から居住していた、台湾の先住民族の呼称。台湾の先住民族は、言語・文化・習俗によって細分化されており、多くの民族集団に分かれているとされる。台湾が西欧人によって支配されていた1603年(明:万暦31年)に著された『東蕃記』では、台湾原住民は一括して「東蕃」と呼ばれていた。


ブヌン族
ブヌン族(布農族)は台湾原住民の一つ。南投県信義郷、仁愛郷、花蓮県卓渓郷、万栄郷の山岳部を中心にその他高雄市桃源区、ナマシャ区、台東県海端郷、延平郷などにも分布している。人口は約5万人。独自のブヌン語を有し、ブヌンとはブヌン語で人を意味する言葉である。

サイシャット族
サイシャット族(賽夏族)は台湾先住民の一つ。2000年に、サイシャット族の人口は5,311を数える。これは、台湾先住民の総人口の約1.3%であり、彼らは台湾で最も小さな先住民のグループの1つである。台湾の西部、新竹県と苗栗県の境界にまたがって居住している。

パイワン族
パイワン(排湾族は台湾南部に住むインドネシア語系に属する原住民である高砂族の一種族。広義にパイワン族と呼ばれるものには、北部より山地のルカイ族と北東部より平地のプユマ族とが含まれ、南部山地に分布するのが狭義のパイワン本族で、その北西部を除けば自らパイワンと称する。

ツォウ族
Cou, Tsou)は台湾原住民の一つ。南投県、嘉義県、高雄県に7,116人(1998年 内政部統計)が分布している。ツォウ族の人々が新高山(現・玉山)一帯に住んでいることから、日本の文化人類学者鳥居龍蔵によって新高族と名付けられた。

タオ族
台湾原住民のなかで唯一島嶼部に居住する民族集団。居住地域は台湾本島の南西沖の孤島蘭嶼である。人口は4000人程。島内に6つの村落を構成する。自称のタオはタオ語で人を意味する。

プユマ族
Puyuma,は、台湾原住民の種族の一つ。種族は通常、知本と南王のグループ(ともに台湾東海岸の台東県の居住者)に分けられる。2000年、プユマ族の人口は9,606人を数えた。これは台湾原住民の総人口のおよそ2.4%であり、6番目に大きな種族である。現在の台東県太麻里郷美和海岸附近の山にある巨石が割れ、そこから祖先が誕生したという伝説である。

アミ族
アミ(Ami, 中国語:阿美族、別名:パンツァハ、パンツァ(Pangcah))は、台湾原住民のなかで一番多い14万8992人(2000年の調査による[2])の人口規模を持つ民族集団。台湾原住民の総人口の37.5% を占めている。花蓮県瑞穂郷の舞鶴には石器時代の遺跡があり、その二本の石柱はアミ族の発祥神話に関連付けられておりアミ族発祥の地とされている。

パゼッヘ族
Pazeh、は台湾原住民の一つであり、平埔族の一支族に分類される。元来は台中県豊原、神岡付近の内陸部を中心に分布していた。今は主に南投県埔里に居住している。16世紀には岸裡社、烏牛欄社、朴仔籬社、阿里史社などの集落を形成しており、1699年には岸裡社が清朝に協力し呑霄社の叛乱に後見している(呑霄社事件)。

高山族
高山族(こうざんぞく・カオシャンぞく)は広義には、台湾原住民の総称、狭義には台湾原住民のうち漢化(漢人化、漢文化化)しなかった部族の総称。漢化が進んだものは平埔族と呼ばれる。台湾原住民のうち、山地や東海岸や離島に居住し、漢人への同化が進まなかった民族を指す総称だが、現在はほとんど用いられない。人口は約50万人。


■言語
台湾の公用語は中国語(北京語)であり、国内では国語と呼ばれている。国語は中華人民共和国の公用語である普通話と基本的に同一言語であるが、現在では語彙などの細かい部分に多少の相違点が生じている。他にも日常生活では(台湾語)、場所によっては客家語、原住民の諸言語が使用される。

中国語
シナ・チベット語族に属する言語。中華人民共和国・台湾・シンガポールの公用語であるほか、世界各国にいる華僑・華人たちの間で話されている。中国語を母語とする人は約12億人、第二言語としても約2億人が使用しているといわれており、世界最大の話者人口を有する。国連における公用語の一つ。ギネスブックによれば「現存する世界最古の言語」である。

繁体字
繁体字(はんたいじ、または正体字(せいたいじ、)は、中国語において、系統的な簡略化(簡化)を経ていない筆画が多い漢字の字体を指す。特に中華人民共和国の一連の「文字改革」政策による簡体字(簡化字)との対比によりこう呼ぶ。現在では主に中華民国統治下の台湾のほか、中華人民共和国の特別行政区である香港・マカオで使用され、中華圏外の華人コミュニティーでも見られる。


北京語
中国の北京で話される中国語の方言。中華民国では北平語などと呼ばれたこともある。北方方言に属する。普通話、国語、華語などと呼ばれる現代標準中国語は北京の発音を基本としており、これを俗に北京語と呼ぶ場合もあるが、方言としての北京語とは完全に同じではない。普通話は文言(漢文)の語彙語法を取り込んだ教養ある知識人の北京語(官話)を基準にしており、北京の街角で話される日常語とは違いがある。日本語の標準語(共通語)と東京方言(江戸弁)のような関係にあると考えるとわかりやすいであろう。

台湾語
台湾人口の74.5%以上を話者とする言語。台湾の客家人や台湾原住民ら他言語を話す台湾人の中にも理解し話せる人もいる。台湾語の母語話者は河洛(ホーロー)と呼ばれる(台湾語より台語と呼ぶ方が一般的)。また、同じ台湾語でも場所により若干の発音や語の違いがある。


<歴史>
オランダ統治時代
オランダの東インド会社が台湾島南部を制圧した1624年から、鄭成功の攻撃によってオランダ東インド会社が台湾から完全撤退した1662年までの37年間を指す。15世紀から16世紀にかけてヨーロッパで大航海時代を迎え、インドへの新航路開拓が進み、ヨーロッパとアジアの距離は大幅に短縮された。台湾もこの国際情勢に組み込まれ、世界史の中に登場することとなった。

鄭氏政権
鄭氏政権(ていしせいけん、1662年 - 1683年)は、17世紀の台湾に存在した漢民族の政権。清朝への抵抗拠点を確保する為に、鄭成功が台湾を制圧する事で成立した。台湾で初めて漢民族政権による統治が行われたが、清朝の攻撃によって政権は20年強の短命に終わった。

清朝統治時代
清朝統治時代(しんちょうとうちじだい)とは、清朝(当時の中国)が鄭氏政権を倒して台湾を編入した1683年(康熙22年、永暦37年)から、日清戦争の敗戦に伴って清朝が大日本帝国(当時の日本)に割譲した1895年(光緒21年、明治28年)4月17日までの時代である。清朝は台湾についてほとんど投資を行わなかったために発展は遅れたが、清朝が台湾を領有した当初から、米穀が豊富にとれたために、福建・広東の穀倉と称された。

日本統治時代
日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年、光緒21年)4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に編入された1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの時代である。

 


台湾の国家公園
陽明山国家公園
大屯火山群を主とする火山による景観が陽明山国家公園の特色である。公園中には一般に開放される小油坑遊憩区、冷水坑地区、大屯遊憩区、二子坪遊憩区、擎天崗地区、陽明書屋、林語堂故居、および学術研究者にのみ開放される生態保護区として鹿角坑保護区、夢幻湖保護区がある。

雪覇国家公園
七家湾渓、無名渓、武陵渓などの河川は谷を大きく侵食し大規模な河岸段丘を形成している。また七家湾渓の羅葉尾山側は切り立った崖となっている。

玉山国家公園
台湾原住民のツォウ族の言語では「パットンカン(pattonkan、石英のこと)」 と呼ぶ。清代初期の文書によれば「八通関山(パットンカンの音訳)」、「雪山」と呼んでいた。欧米では、商船主・モリソンが報告したことから「モリソン山」と呼ばれた。標高は3,952mと台湾で最も標高が高い。
■太魯閣国家公園
■墾丁国家公園
■金門国家公園


■メディア
台湾では新聞、テレビ、雑誌、インターネット等のメディアに対する政府検閲は存在せず、また諸外国メディアによる報道も原則的に自由に行われている。テレビは中国電視公司や台湾電視公司、中華電視公司などの全国ネット地上波局のほかに、ケーブルテレビ局も多数存在し、各種専門チャンネルによる放送が24時間行われている。新聞は『聯合報』や『中国時報』、『自由時報』の三大紙のほかに、近年は香港資本による全面カラー『蘋果日報』や英字新聞の『Taipei Times』や『Taiwan News』などが発行され、各新聞ごとの独自論調を展開した読者獲得競争が行われている。


イー・ツーイェン
イー・ツーイェンは台湾の映画・ドラマ・CM監督。代表作に、映画『藍色夏恋』、台湾のテレビドラマ『危険心霊』がある。台北出身。国立政治大学西洋語文学系(現、英文系)を卒業した後、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学し、修士号(映画学)を取得。

リチャード・クー
リチャード・クー(Richard C. Koo)は台湾籍のエコノミスト。野村総合研究所研究創発センター主席研究員、チーフエコノミスト。1954年、神戸生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒。ジョンズ・ホプキンス大学大学院にて経済学博士課程修了(a.b.d.)。1981年にニューヨーク連邦準備銀行入行。国際調査部、外国局などでエコノミストとして活躍した後、1984年11月に野村総合研究所に入社。現在、同社の主席研究員、チーフエコノミスト。

黄土水
黄土水(こうどすい, Huang Tu-Shui, 1895年7月3日 - 1930年12月21日)は日本統治時代の台湾出身の彫刻家。黄土水は大工であった三兄の影響を受け彫刻に興味を持つようになった。1917年、師範学校卒業後、校長の推薦を受け東京美術学校彫刻科に留学、1920年には大学院に進学し、高村光雲や朝倉文夫という当時の日本を代表する彫刻家たちに師事している。

張雨生
チャン・ユーシェン(Zhang Yusheng)1966年6月7日 - 1997年11月12日)は台湾の男性ポップシンガー、作曲家、音楽プロデューサー。その多彩な音楽センスから「音楽のマジシャン」と呼ばれた。張惠妹のプロデューサーとしても大きな功績を残した。

林心如
ルビー・リン、ピンイン:Lin Xinru、英名:Ruby Lin、1976年1月27日 - )は、台湾台北出身の女優、歌手。愛称は『還珠姫〜プリンセスのつくりかた〜』のときに演じた役名から「紫薇」と呼ばれている。1976年に台北に生まれる。父は実業家であったが、やがて両親の離婚に伴って、幼少から母と暮らすようになる。幼少の頃から親戚の訪問のために母とともに日本に毎年訪れていたという。
台湾でパート・タイムの広告モデルに起用された17歳のときに女優としての萌芽を見て(初の仕事は1995年でジャスミン茶のCM)、それから数多の広告モデルとしての活動を経て、ちょうど20歳の誕生日の日にジェシー・アンド・ジョーンズ・エンターテインメント(Jessie and Jones Entertainment Ltd.)と正式に契約を結んだ。

郭李建夫
郭李 建夫(かくり たてお、クオリー・チェンフー、1969年3月24日 - )は、台湾・平鎮市出身の元プロ野球選手(投手)。台湾の俊国でプレーしていた1992年、バルセロナオリンピックの台湾代表エースとして銀メダル獲得に貢献。準決勝では日本相手に投げ勝っている。チームメートであった中込伸と風貌がそっくりで、入団当初は「実は兄弟ではないか」と話題になった。そのせいもあってか中込は「他人のような気がしない」「僕のお兄さん」と、当時は日本語も話せず日本の生活にも慣れない郭李の面倒をよく見ていた。

李遠哲
李 遠哲(り えんてつ)は、台湾の化学者。学位は博士(カリフォルニア大学バークレー校)。ローマ教皇庁科学アカデミー会員。台湾出身者で初のノーベル化学賞(1986年)を受賞した(受賞時はアメリカ国籍)。同年、全米科学メダルも受賞。1936年、大日本帝国領台湾の新竹市にて、画家の李澤藩の息子として生まれる。母は幼稚園の園長であった。日本語推進政策の影響で、9歳までは日本語だけを話していた。第二次世界大戦の終戦後、中国語と台湾語を学ぶ。高等中学校時代に肺病を患い、この頃にマリ・キュリーの伝記の影響で化学者を志すようになった。

林威助
林 威助(リン・ウェイツゥ、英文表記:Lin Weichu[1], 1979年1月22日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。中華民国(台湾)国籍だが、日本の高校・大学に通っていたため、NPBの規定で本人登録選手の扱いとなっている。台湾台中市出身。幼い頃にテレビで見た日本野球に憧れ、小学生時から野球を始める。台中の中学校(中山國民中學)在学時から、台湾ではその非凡な野球センスが話題となっていた。

任家萱
任 家萱(セリナ・レン、レン・ジアシェン、1981年10月31日 - )は、台湾の歌手、女優。S.H.EのSelina。任容萱は実の妹。父親の任明廷は外省人。2010年10月22日、中国でのテレビドラマ撮影中に誤爆で、全身40%にIII度の火傷を負い、台湾へ飛行機で搬送され、台北の病院に入院した。皮膚移植などの治療を受け、2011年1月19日に退院、記者会見を開き、3ヶ月ぶりに公共の場に姿を見せた。同年10月に弁護士である台湾人男性と挙式。12月にはEPをリリースし、徐々に芸能活動に復帰を進めている。

王金平
王 金平(おう きんぺい、1941年3月17日 - )は、中華民国(台湾)の政治家。立法院長。日本統治下の台湾高雄州(現:高雄市)生まれ。台湾師範大学理学院数学系を卒業後、実家の食品工場で働く。2008年12月、ダライ・ラマ訪台に難色を示す馬英九総統に対し、「宗教的な訪問なら台湾に不利な部分はなく、再検討してはどうか」と疑問を呈した。

陳綺貞
陳綺貞(チェン・チーチェン、チアー・チェン、1975年6月6日 - )は、台湾のシンガーソングライター。台湾では珍しいフォークソングのシンガーソングライターの一人で、曲の大部分を自ら作詞・作曲している。また、作詞家・作曲家として、多数の歌手に楽曲を提供している。1996年、第十二回専歌創作比賽で最佳作詞作曲(最優秀作詞作曲賞)を獲得。台湾のオーディション番組「木船民歌比賽」で優勝。同年、「防日麗油楽団」を結成。

王国維
王国維(おう こくい)は清末民初の学者。研究領域は文学・美学・史学・哲学・考古学に及び、「新学術」の開拓者とされる。亀甲獣骨文字の研究では羅振玉・董作賓・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称される。1882年から私塾で学び、1893年に秀才となる。1899年、上海の「時務報」に勤務し、羅振玉の東文学社で外国語と化学・物理学を学び、西洋の学問に触れるようになった。

陳寅恪
陳 寅恪(ちん いんかく)は、中華民国、中華人民共和国の歴史学者、中国文学研究者、中国語学者。寅恪は、幼少時に南京の家塾で学び、1902年、南京の礦路学堂を卒業した長兄の陳衡恪に従って日本に渡り、巣鴨の弘文学院に入った。同期入学の中国人学生に、魯迅や陳師曽などの人たちがいた。1910年、公費留学生として、ドイツのベルリン大学、スイスのチューリッヒ大学、フランスのパリ政治学院で学んだ。

李政道
李政道(り せいどう、1926年11月25日 - )は、中国系アメリカ人の物理学者。1957年度のノーベル物理学賞を受賞した当時は、中華民国台湾(Republic of China)の国籍を保持していた。江西聯合中等学校を卒業後、1943年に浙江大学に進学するも戦争により中断され、翌1944年に西南聯合大学へ転入した。第二次世界大戦後の1946年にアメリカのシカゴ大学へ留学。エンリコ・フェルミのもとで学び博士号を取った。

呉健雄
呉健雄(ご けんゆう)は中国系アメリカ人物理学者。専門は放射線物理学で、弱い相互作用におけるパリティの非保存を初めて実験的に確認した業績で知られる。多くの科学者から「物理学界のファーストレディ」「中国のキュリー夫人」「ウー夫人」などのニックネームで呼ばれた。呉健雄の父、呉仲裔は男女平等主義の支持者で、明徳女子職業補習学校を設立した人物であった。健雄は小学校教育をこの学校で受け、11歳で上海を離れて蘇州第二女子普通学校に進学した。

蘇イク彰
蘇 いく彰(そ いくしょう)は台湾の中国武術家。漫画『拳児』(小学館)の台湾編に登場した「蘇崑崙(そ こんろん)」のモデルになった人物。7歳より張徳奎から秘門螳螂拳を学び、その後台湾で開催された第1回全国散打試合に優勝したのを皮切りに数々の散打試合に出場、その全てに入賞し、閃電手の外号で呼ばれるようになる。さらに台北に出てからは、李崑山や衛笑堂等の螳螂拳各派の名師について学ぶ。後に、神槍と呼ばれた李書文の関門弟子である劉雲樵に拝師、八極拳、劈掛掌、六合螳螂拳、八卦掌を学ぶ。

チョーリャン・リン
チョーリャン・リン(中国語: 林 昭亮、Cho-Liang Lin、1960年1月21日 - )は台湾出身のヴァイオリニスト。新竹県で客家の家庭に生まれる。シドニー音楽院を経て、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに師事した。1976年にシェリングの代役として、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でデビュー。1978年にはソフィア王妃コンクール(スペイン)、アスペンコンクール(アメリカ)で優勝。清涼感のある音色が特徴である。

応昌期
(おう しょうき)は台湾の実業家、囲碁ルール研究家。応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦を創設。独自の囲碁ルールである計点制ルール(応昌期ルール)を考案した。また囲碁の普及のために応昌期囲棋教育基金会を設立し、応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦などの棋戦の主催、台湾や中国で囲碁学校設立や棋戦の後援など、囲碁普及に大きく貢献した。

柯子彰
柯 子彰(か ししょう 1910年 - 2001年)は、ラグビーの選手、指導者。台湾出身。中国大陸福建省で育ち、13歳で来日。父方の伯父の妻は、台湾の医学界でも有名なカナダ人宣教師馬偕博士(Dr.Mackay)の娘という敬虔なキリスト教家庭に育ったことから、 旧制同志社中学に進学。その後、早稲田大学に進み、早稲田大学ラグビー蹴球部に入部。1930年(昭和5年)にはラグビー全日本のカナダ遠征選手に選抜される。

徐淑希
徐 淑希(じょ しゅくき)は、中華民国(台湾)の法学者・外交官。香港大学を卒業して文学士の学位を取得後、アメリカに留学し、コロンビア大学で文学修士号を取得した。帰国後は香港大学に戻り、国際法の講師を務めている。1920年(民国9年、上海基督教青年会秘書となった。1924年(民国13年)からは私立燕京大学助教授に任命され、翌年、コロンビア大学博士号を取得している。

侯孝賢
侯 孝賢(ホウ・シャオシェン、1947年4月8日 - )は台湾の映画監督。客家系台湾外省人。広東省梅県に生まれ、幼少の頃台湾に移住した。1972年国立芸術専科学院卒業後、脚本家、助監督を経て1980年に監督としてデビュー。主に1980年代を中心に脚本家の呉念真、朱天文らとともに『坊やの人形』、『童年往事 時の流れ』、『恋恋風塵』など多くの作品を発表した。

台湾 Chinese Taipei
中華民国(通称台湾)を正式に国家として承認している国は少ないが、それ以外の多くの国とも事実上独立した地域として国交に準じた関係を結んでいる。
アジア大陸の東南沿海、太平洋の西岸に位置する島嶼である。別称または美称としてフォルモサ(Formosa, 麗しの島)がある。また台湾という呼称にはいくつかの使われ方があり、その歴史や政治状況を反映して、広義には地域または政治実体としての呼称としても用いられる

台北市
Taipeiは、中華民国の首都(直轄市)。261万人以上(2010年11月)が居住しており、市域の人口では新北市に抜かれたものの、中華民国の実質的な中心都市である。台湾最大の都市圏である台北都市圏の中枢都市であり、アジア屈指の世界都市でもある。面積は約272平方キロメートルで四方を新北市に囲まれている。台北はもともと平埔族と呼ばれる原住民(ケタガラン族)の住む土地であったが、明代の初め頃より漢民族が居住するようになった。また大航海時代になると台北市郊外にある淡水にスペイン人が城を作り、欧州人の活動拠点の一つとなった。清国になると、当初清政府は「化外の地」として台湾島への渡航自体を制限していたが、やがてなし崩し的に制限は解除され、漢民族の移住は活発化し、三大都市の一つに数えられるほど栄えるようになった。


台湾桃園国際空港
台湾桃園国際空港(たいわんとうえんこくさいくうこう)は台湾桃園県大園郷に位置する台湾最大の国際空港である。

高雄国際空港
高雄国際空港(カオシュンこくさいくうこう)は台湾高雄市に位置する国際空港。台湾の地勢的、経済的な理由から東南アジア方面への多数の国際便が主体であるが、日本や韓国行きの便も運行されている。

台中空港
台湾台中市沙鹿区に位置する国際空港。通称は「中部国際空港」、「清泉崗空港」。

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国立台湾大学
National Taiwan University、公用語表記: 國立臺灣大學)は、台湾台北市大安区羅斯福路四段1号に本部を置く台湾の国立大学である。1945年に設置された。台湾における最も権威ある大学であり、ノーベル賞受賞者も一人出している。現在は11学院(学部及び研究科)、54学系(学科)、96研究所(専攻)、33研究中心(研究所)と夜間部を擁し、3万人を越える学生が通うマンモス校である。

国立台湾海洋大学
National Taiwan Ocean Universityは、台湾基隆市にある国立の海洋大学である。前身は台湾省立海事専科学校であり、台湾における海事、水産関連の人材育成に主眼を置いた教育を行っている。

国立台湾師範大学
National Taiwan Normal University、は、台北市大安区和平東路一段162号に本部を置く台湾の国立大学である。1946年に設置された。教育、文、理、芸術、科技、運動とレジャー、国際と僑は、音楽などの8つの学院(学部)と28の学科、24の単独の設置の研究所(大学院)を設け、中等教育を担当する教員育成に主眼を置いているが、外国人留学生を対象にした中国語教育機関である国語教学中心も設置されている。

国立政治大学
National Chengchi University、公用語表記: 國立政治大學は、台湾台北市文山区指南路2段64番に本部を置く台湾の国立大学である。1927年に設置された。 前身は1927年に南京で設立された中国国民党中央党務学校にさかのぼる。

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国立台北大学
National Taipei Universityは、台湾の国立大学である。前身は1949年に台北市で創立された台湾省立行政専科学校、1961年国立中興大学法商学院である。2000年に国立中興大学から独立して大学に昇格し、現在の校名となった。

国立清華大学
National Tsing Hua University、公用語表記: 國立清華大學は、台湾新竹市光復路2段101番に本部を置く台湾の国立大学である。1955年に設置された。


基隆市
基隆市(キールンし、Keelung)は台湾北部にある省轄市である。台湾で2番目の貨物取扱量を誇る基隆港を抱え、台湾の貿易・物流の重要拠点である。

高雄市
高雄市(たかおし/カオシュンし、中国語:高雄市、英語:Kaohsiung)は台湾南部に位置する台湾第二の都市。高雄は、寿山というテーブル状の大きな台地(標高200m)のふもとに位置する港である。海からの目当てになる山と、旗津という名の砂州に保護された潟は、古くから良港として知られていた。

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新竹市
新竹市(しんちくし、中国語:新竹市、英語:Hsinchu)は、台湾の省轄市(中核市)。IT関連の工場や企業が集中しているため、「台湾のシリコンバレー」と呼ばれている。日本の企業が多い。

台中市
台中市(タイジョンし、中国語:臺中市、英語:Taichung)は台湾の直轄市。2010年12月25日台中県と台中市を合併して、新たに中華民国の直轄市となった。人口はおよそ260万人、台湾第三の都市で、台湾中部に位置している。

嘉義市
嘉義市(かぎし)は台湾中南部に位置する省轄市。嘉義市は台湾西南部の嘉南平原北端に位置し北回帰線が市内南部を通過している。東西約1.5Km、南北約10.5Kmであり、周囲は嘉義県に囲まれている。地形は東部の一部が竹崎丘陵地になっている以外は平原に属し、地勢は東から西にかけて緩やかな下り勾配を形成している。

台南市
台南市(たいなんし、中国語:臺南市、英語:Tainan)は台湾西南部に位置する都市。2010年12月25日、元台湾省支配下の台南県と台南市を合併して、省から分離して新たに中華民国の直轄市となった。合併してから人口は約187万人(2010年12月)となって、現在台湾五大直轄都市の1つで、同島で最も早くから開けた地区の一つであり、オランダ人はここに根拠地ゼーランシア城をおいた。

台東市
台東市(たいとうし、中国語:臺東市、英語:Taitungは台湾台東県の県轄市。台東県政府の所在地である。台東平原は古くは卑南族、阿美族が遊耕生活を送る活動地域であった。オランダ統治時代から清初にかけてこの地は「卑南」と称され、漢人による交易が行なわれていた。

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基隆港
基隆港(きーるんこう)は台湾第2位、世界第39位(2004年現在)の取扱量を誇る港湾である。台湾北部の天然の良港を基礎に発展し、現在海運の中継港として、台湾国内の内航航路と組み合わせた物流ネットワークを形成している。取扱いはコンテナが主であり、混載貨物を補助的に取扱い、国際大型コンテナ船が定期航路を有している。

桃園県
桃園県(とうえんけん)は台湾北西部に位置する県。台湾の空の玄関口である台湾桃園国際空港が立地し、工業地帯を抱えるため東南アジア出身の外国人労働者が多く居住している。


ケタガラン族
ケタガラン族(凱達格蘭族)はかつて台湾北部に居住する平埔族(漢人などと同化が進んだ台湾原住民)の一。現在の台北県・台北市・基隆市・桃園県一帯に広がる台北盆地に居住し、前史時代には国家的なものも形成されていたようである。台北県貢寮郷に原子力発電所が建築された際、ケタガラン族の集落の遺跡が発見された。しかし十分な調査を行わずに建築を強行し、遺跡を破壊したため、ケタガラン族の末裔や非核団体などから強い批判を浴びた。


財団法人交流協会
台湾との実務関係を処理するため、1972年外務省及び通商産業省(現経済産業省)により認可された団体で、東京本部ほか、台北事務所及び高雄事務所を有します。

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台湾観光協会


泛藍連盟
泛藍連盟(はんらんれんめい、とは、中華民国(台湾)においてほぼ共通の政治的主張を行なっている政治集団の総称であり、具体的に組織化された集団の集合体のことではない。泛藍聯盟の他に“泛藍陣營”や“泛藍軍”という別称もあるが、いずれの名称も連盟の主要な構成団体である中国国民党(国民党)のイメージ・カラーに由来している。

 


台湾の鉄道
台湾の鉄道は台湾本島にのみ存在しており、その種類は経営主体別に、中華民国行政院の各局が経営する国営路線、各公社が運営する公社路線、及びに糖業、塩業、林業会社などが運営している軽便鉄道(地元では「五分車」と呼ぶ、軌間は標準軌の半分の意味である)の3種類に大別する事ができる。


 

■名称の由来
台湾の語源は不明確で、原住民の言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者の意)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」などの言葉に由来するとも言われる。台湾島には、フォルモサ (Formosa) という別称が存在し、欧米諸国を中心に今日も使用されることがある。これは、「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。

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1.面積:3万6千平方キロメートル(九州よりやや小)
2.人口:約2,316万人(2010年末)
(参考:台北市 約262万人、高雄市 約277万人(2010年末))
3.主要都市:台北、高雄
4.言語:北京語、福建語、客家語
5.宗教:仏教、道教、キリスト教

1949年12月7日 台北に「臨時首都」を遷都
1971年10月25日 国連を脱退
1975年4月5日 蒋介石総統死去
1987年7月15日 戒厳令解除
1988年1月13日 蒋経国総統死去
1988年1月13日 李登輝副総統、総統に就任
1990年3月21日 李登輝、第8代総統に当選
1996年3月23日 李登輝、第9代総統に当選
2000年3月18日 陳水扁(民進党)、第10代総統に当選
2004年5月20日 陳水扁、第11代総統に就任
2008年5月20日 馬英九、第12代総統に就任

1987年7月の戒厳令解除後、政治の自由化と民主化を急速に推進。1996年3月には初の総統直接選挙を実施。2000年及び2004年の総統選では民進党公認の陳水扁が当選し、8年間民進党政権が続いたが、2008年の総統選では国民党の馬英九・蕭萬長ペアが当選し、政権を奪還した。昨年11月には直轄市長選挙(新北、台北、台中、台南、高雄)を実施。2012年には次期総統選が行われる予定。

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■主要産業:電気・電子、鉄鋼金属、繊維、精密機械
■主要貿易品目(1)輸出:電子電気機械、鉄鋼金属製品、精密機器、プラスチック製品(2)輸入:電子電気機械、原油・鉱産物、鉄鋼金属製品、化学品


ニュー台湾ドル
New Taiwan dollar、以下は「新台幣」と表記)は、台湾(中華民国)の通貨である。1949年6月15日より発行が開始され、ISO 4217によりコードはTWDと表記される。他に略称としてNT$、台湾元が使用されている。


中華民国国軍
中華民国の軍隊。日本や中華人民共和国では台湾軍と呼称される。徴兵制を採用しており下士官、兵は主に徴兵、将校は志願により構成されている。1949年以降の中華人民共和国との軍事的対立を背景として、中華民国の軍事施設には最新鋭の兵器、軍用機、軍用船を装備する努力を続けており、2005年度の国防関係予算は国家予算全体の約15%に相当する2,453億元(約7,400億円)となっている。2010年度の国防予算は、3,150億元(約9,450億円)となり、馬英九総統はGDPの約3%を下回らないように努力している。


■文字
国語は普通話と同様に漢字で表記されるが、中華人民共和国で使用されている簡体字ではなく、伝統的な繁体字(正字体)が用いられている。ただし、日常生活ではある程度略字の使用が行われている(「臺灣」を「台灣」と表記)。


■教育
一般に台湾人は教育に熱心であり、国語(中国語)識字率は96.3%(2002年度)に達する。しかし教育熱心な人が多いゆえに台湾は学歴社会となっており、就職では日本以上に学歴が重視される傾向にある。大学には総合大学のほかに短期大学(2年制)、工科大学、文科大学、国立空中大学(日本の放送大学に相当)があり、2002年度時点で大学総数154校、学生総数は約124万人に及ぶ。


台湾の文化
台湾の文化は台湾の地理的な特殊性により他民族の文化が長期間にわたり融合し形成されたものである。一般に漢文化を主体としていると考えられているが、台湾原住民による南島文化や日本文化の影響を強く受け、また最近では欧米文化の影響もあり変化に富む多様性のある文化がその特長である。

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■原住民の文化
台湾原住民は現在40数万人が台湾内に居住している。原住民は祖霊信仰を重視し、山上に祖霊が居住するとともに族人の豊穣を見守っていると信じられている。各原住民はどれぞれ独自の豊穣祭の祭祀を行い、ブヌン族の射耳祭や小米祭、サイシャット族が隔年に行う矮霊祭、タオ族の飛魚祭、パイワン族の五年祭、プユマ族の有海祭、猴祭、鋤草祭などが存在している。


■宗教
台湾における宗教は、道教・キリスト教・仏教が特に盛んであり、人々は今日でも宗教と深く結び付いている。道教は二大系統のうち、正一教(天師道)の系譜に連なる。キリスト教は、プロテスタントが多数派であり、なかでも長老派教会が最も信徒の多い教派である。


道教
中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある[1]。道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は?(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それは1つの道に成ろうとしている。

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儒教
Confucianism)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。東周春秋時代、魯の孔子によって体系化され、堯・舜、文武周公の古えの君子の政治を理想の時代として祖述し、周礼を保存する使命を背負った、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた。儒教の経典は易・書・詩・礼・楽・春秋の六芸(六経)である。

中国の仏教
中国地域への仏教の伝来は、1世紀頃と推定される。伝来に関する説話は幾つかあるが、最も有名なのは、後漢の永平10年(67年)の明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話である。また『後漢書』には、楚王英伝に仏教信仰に関する記録がある。また、1990年代以降、この時代の遺物の意匠中から仏像と見られるものが発見されるなど、考古学的な面からもこの時代に仏像が伝来していたことが立証されている。恐らく、シルクロードを往来する商人が仏像を持ち込み、それから民衆の間に徐々に仏教が浸透していったものと推定される。


台湾料理
台湾料理(たいわんりょうり 臺菜、タイツァイ)は、台湾で食べられる中華料理のうち、主に福建料理をベースとして、台湾で発展した料理である。食材では新竹の米粉(ビーフン)、カキ、サバヒー、カラスミ、メボウキ、エシャロット、また料理では台南の担仔麺、意麺などが著名である。

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釈証厳
釈 証厳(しゃく しょうごん、釋證嚴、俗名:王錦雲、法号:慧璋、1937年5月11日 - )は、台湾の尼僧。慈済基金会の創設者。台中県清水鎮(現在の台中市清水区)生まれ。「花蓮の導師」「台湾のマザーテレサ」と呼ばれる。養父は劇場を経営し、豊原や清水、潭子など台中県内の各市を転住した。家は比較的安定し、彼女は家庭を助け、世間からは孝行娘と呼ばれた。後に米軍の空襲に遭い、戦争の残酷さを見せつけられた。1960年に養父が脳溢血で亡くなり、彼女は悲しみの余り、人生の道理について考えるようになった。豊原寺や慈雲寺に参詣し、因縁果報の業の仕組みや人生の無常を知り、出家を志すようになった。その後、彼女は引き続き真理を探し求め、聖書や四書を読んだ。四書の中に、中国伝統の倫理や道徳が書かれていることを見出し、社会の安定は個々の人々が己の分を守ることが大事だと思い至った。

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林呈禄
林呈禄(りん ていろく)は台湾の小説家。また日本統治時代には台湾での民主運動を推進、『台湾青年』雑誌社の幹事を務め、1923年には治警事件により逮捕されている。戦後は東方出版社社長を務め、台湾における推理小説普及の基礎を築いた。

馬英九
馬 英九(ば えいきゅう、マー・インチウ、1950年7月13日 - )は中華民国の政治家、法学博士(ハーバード大学)。現在、中華民国総統(第12代、第13代当選者)。国立台湾大学法律学院法律系(法学部法学科)卒業。中山奨学金の給付生としてニューヨーク大学大学院修士課程及びハーバード大学大学院博士課程を修了する。

古龍
古龍(こりゅう)は台湾の武侠小説作家。本名は熊耀華。金庸、梁羽生と並んで新派武侠小説の三大家と称される。生年については1936年とも1937年とも言われており、出身地も江西省あるいは香港と説があるが、香港から台湾へ移住。没年は1985年9月21日。酒を呑まない日はなかったと言われるほど酒を愛し、金遣いも相当に派手。毎日のように友人を招いては散財していた。金がなくなると原稿料を前借し、それを一日で使い切ったなど、豪快な逸話が多い。女性関係についても4度の結婚をしており、各作品の影には1人ずつの女性がいるなどと言われるほど。そのため、晩年は肝臓を傷めていたと言う。

張恵妹
チャン・ホェイメイ、プユマ族名グリライ・アミトゥ)は台湾の歌手。台湾原住民のプユマ族(卑南族)出身。愛称は阿妹(アーメイ)。妹は歌手・俳優の張恵春 (1977年7月7日 - ) 。1972年8月9日、台湾東海岸の都市台東郊外の村で生まれる。台湾の勝ち抜き歌謡番組“五燈奨”で25人勝ち抜きを果たし優勝。その後台北のライブハウスで歌っていたところ、フォワードレコード(豐華唱片)にスカウトされる。1996年レコード会社の先輩チャン・ユーシェン(張雨生)のアルバムでデュエットをしCDデビュー。

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トウ雨賢
雨賢(とう うけん、Teng Yu-hsien、1906年7月21日 - 1944年6月11日)は、日本統治時代の台湾の作曲家。桃園県龍潭郷出身。広東省嘉応州鎮平県(現在の梅州市蕉嶺県)から移住した客家人の子孫。父の鄧盛猶が台湾総督府から台北師範学校(現在の台北市立教育大学)の漢文教師に招かれたため、3歳で父に従って台北に移住。

埴谷雄高
埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若豊(はんにゃ ゆたか)。台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事。

楊碧川
楊 碧川(よう へきせん)は台湾の独立運動家、歴史研究者、思想家。ペンネームは楊默夫、高伊哥。1970年、高校在学中に飛虹盟事件に関係して、国民党政府から「政府転覆の意図あり」とされ、緑島の政治犯収容所緑島感訓監獄で七年間服役した。このため、「火焼島大学」卒業と自ら称することがある。出獄後は引き続き反国民党運動に参加した。台湾独立を最高の理念とする、民進党新潮流系「十八飛鷹」の一人である。

アン・リー
アン・リー(中国語: 李安, 1954年10月23日 - )は台湾の映画監督。台湾の国立芸術学校を卒業した後にアメリカへ渡り、イリノイ大学とニューヨーク大学で映画制作を学ぶ。在学中にスパイク・リーと知り合い、彼の映画の製作を手伝ったこともある。『ウェディング・バンケット』と『いつか晴れた日に』でベルリン映画祭金熊賞を、『グリーン・デスティニー』でアカデミー外国語映画賞を受賞。

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田壘
田壘(ティエン・レイ、Tien Lei、1983年1月6日 - )は、台湾高雄市(Kaohsiung City)出身で、台湾の半プロバスケットボールリーグである超級籃球聯賽(通称SBL)の達欣虎(達欣工程、Dacin Tigers)に所属する台湾代表のバスケットボール選手。身長203cm、体重86kg。ポジションはスモールフォワード。アジア人とは思えないほどの高い身体能力を持つ、台湾バスケット界きってのスラムダンカー。長い腕と共に、驚異的な跳躍力でミドルレンジからも強烈なダンクをすることができる。

林依晨
林 依晨(リン・イーチェン、Ariel Lin/アリエル・リン、1982年10月29日 - )は、台湾を中心として香港などの中華圏芸能界で活動する女優、歌手。中国語、台湾語、英語、朝鮮語を話す。2001年、台北捷運新聞の第一回美少女コンテストで優勝し芸能界入り。 芸能界入りして以来、1年で連続テレビドラマの初出演且つ主演を勝ち取り、翌年に出演した映画『飛躍情海(Love Me, If You Can)』で第40回台湾金馬奨最優秀主演女優賞にノミネートされる。

梁啓超
梁 啓超(りょう けいちょう)は清末民初の政治家、ジャーナリスト、歴史学者。字は卓如、号は任公、飲冰室主人など。さらに中国之新民他きわめて多数のペンネームをもつ。15歳の時に広東屈指の書院であった学海堂で学び、戴震・段玉裁・王念孫などの訓詁・名物・制度についての考証学を修めた。極めて成績優秀であり、17歳で広東郷試に合格し挙人となった。

朱自清
朱自清(しゅ・じせい、1898年11月22日 - 1948年8月12日)は、中国の著名な詩人、エッセイスト。北京大学で学び、五四運動より1920年代の中国のモダニズムの草分け的存在の一人となる。その後1925年には清華大学の教授に選ばれる。1931年から1932年まではイギリスのロンドンへと渡り言語学や英文学を学んだ。

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華羅庚
華羅庚(か らこう)は中華人民共和国の数学者。中国国内で非常に知られ、世界中にもっとも有名な科学者の一人とされる。主の研究領域は解析数論、古典群、多変数複素解析、保型関数論などである。生涯中にはおよそ200篇の論文を発表した。陳景潤は衆弟子の一人。1985年6月12日、華羅庚は招請に応じて東京大学での学術講演を行った際、講演の最後に心臓病により演壇で倒れ、病院へ搬送されたがそのまま死去した。

エドワード・ヤン
(Edward Yang 、1947年11月6日 - 2007年6月29日)は台湾の映画監督・脚本家。上海に生まれ、2歳のときに家族で台北に移住した。ロックと手塚治虫に影響されて育った。台湾の国立交通大学で電気工学を学び、次いでフロリダ大学で計算機工学の修士号を所得したが、やがて映画製作に興味を持ち南カリフォルニア大学に入学。

王建民
王 建民(ワン・チェンミン、Chien-Ming Wang, 1980年3月31日 - )は、台湾台南市出身のプロ野球選手(投手)。現在は、MLBワシントン・ナショナルズに所属している。メジャーに多数存在する典型的なシンカーボーラーであるが、建民の場合は変化量を抑えて球速を上げている。この高速シンカー(ツーシーム)は好調時には95マイルを超える(最速98マイル)。打者は上っ面を叩いて引っ掛けることが多く、結果として極端に多い内野ゴロと低い奪三振数を記録している。

杜聡明
杜聡明(とそうめい、1893年8月25日 - 1986年2月25日)。字は思牧。台湾で初めて医学博士号を取得した医学者。9歳の時淡水北新庄の車埕書房に学び、11歳で滬尾公学校に入学し滬永吉街での寄宿生活を送り、17歳の時首席で卒業する。1909年当時の台湾を代表する最高学府である台湾総督府医学校に首席で合格し、1914年に第13期卒業首席の成績を得る。1915年に日本に渡り京都帝国大学医学部で内科を専攻する。

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連温卿
連温卿(れん おんきょう)は台湾の社会運動家。連温卿は公学校卒業後独学を続け、1913年に人種、言語の不一致が社会矛盾の根本的な原因であるとしエスペラント語運動に参加、世界言語の普及により民族を超越した世界平和を追求した。その後児玉四郎が訪台し日本エスペラント語協会台湾支部を設立すると、陳温卿は刊行物『緑蔭(Verda Ombro)』の編集を担当した。

蕭泰然
蕭 泰然(しょう たいぜん、Hsiao Tyzen, 1938年1月1日 - )は、台湾の作曲家。高雄県鳳山市出身。祖父は長老派教会の宣教師で、父は日本で学んだ歯科医師で長老。母は日本でピアノを学んだ経験があったので、彼は幼いころから西洋音楽に親しんだ。父は歯科医師の道を進むことを望んだが、彼の才能を惜しんだ中学校長の説得で音楽の道を進むことになった。

陳詩欣
陳 詩欣(ちん しきん, 1978年11月16日 - )は、台湾の女子テコンドー選手、台北市立体育学院副教授。台北市出身。2004年のアテネオリンピックでテコンドー女子49kg級に出場し、チャイニーズタイペイ(台湾)初となる金メダルを獲得した。2004年9月6日、中華民国景星勲章を受賞した。

 

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