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東ティモール民主共和国
The Democratic Republic of Timor-Leste

アジア

■地理
環太平洋火山帯(環太平洋造山帯)の一部で小スンダ列島に属し、全土の約6割は山岳地帯となっている。最高峰は2,963mのラメラウ山(タタマイラウ山)。高温多湿の熱帯性気候下だが、乾季と雨季の区別がある。 多数の動植物固有種が存在し、北部海岸にはサンゴ礁が発達する。


小スンダ列島
Kepulauan Nusa Tenggaraとはインドネシア南部にある、バリ島からティモール島の間の島からなる列島。

ティモール海
Timor Seaは、インドネシア東南部、オーストラリア北西方にある海域のこと。名称はティモール島にちなむ。インド洋の一部であり、北はティモール島、南はオーストラリアに挟まれている。東はアラフラ海となっている。なお、アラフラ海は太平洋の一部とされている。オーストラリア北岸にはジョセフ・ボナパルト湾とファン・ディーメンズ湾があり、また、港湾都市としてダーウィンもある。

バンダ海
(Banda Sea)は太平洋西部にある海。広さは東西約1,000km、南北約500km。インドネシアの島嶼によって、境界が形成されており、北から時計回りにモルッカ諸島、カイ諸島、タニンバル諸島、ソロール諸島、ブトン島、スラウェシ島がある。

ティモール島
Timor Islandは、小スンダ列島の東端にある島。南にはティモール海を隔ててオーストラリアがある。面積は約30,777平方キロ。人口は東西合わせて約232.8万人(‘98)。「ティモール」はマレー語・インドネシア語で「東」を意味する。ティモール島は、独立国である東ティモールと、インドネシアの東ヌサ・トゥンガラ州の一部である西ティモールとに分かれている。

アタウロ島
(ATAURO)は、東ティモール領、首都ディリの沖合い25Kmにある105平方kmの島でディリ県に属する。全長25kmと幅9km、人口は約8000人。バンダ海に浮かぶインドネシア領のアロール島、ウェタル島に挟まれるようにある島で、山羊の島の意。インドネシア語でカンビング島(山羊島、Pulau Kambing)として知られる。山羊が多く飼われていたので山羊が島名になったといわれる。

ジャコ島
Pulau Jacoは、ティモール島の東にある無人島(11平方km)。南緯8°27'、東経127°20'。東ティモールの最東端で、ラウテン県に属する。珊瑚が美しく、国立公園に指定されている。

ウェタル海峡
Selat weter はウェタル島とティモール島の東部を隔てるインドネシアと東ティモールの国際海峡である。最も狭いポイントで、海峡の幅は36km。西にはアタウロ島、それ以西にはオンバイ海峡がある。東は、バンダ海の南部とマルク諸島の最南部となる。


国際協力NGOピースウィンズ・ジャパン
ロロシップ
LoRoSHIP(ロロシップ)は、「学生によるハートフル国際協力プロジェクト」をテーマに2003年9月に設立されたNGOです。2002年に独立を果たした東ティモールで、"ビーズプロジェクト"を行っています。LoRoSHIP設立当時、独立してまもない東ティモールでは、紛争の傷跡が大きく、失業率も非常に高い状態でした。そのことが、当時の学生の目に止まり、LoRoSHIPの活動が始まりました。


<歴史>
ポルトガルの植民地になるはるか昔、紀元前2000年ごろパプア系語族が島の東部へ移住していき、ずっと時代が下って紀元10世紀ごろオーストロネシア語族が流入してきた、と伝えられている。
■ポルトガル植民地
ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化された。その後オランダが進出し、一時はポルトガルがこれを撃退したが、1859年に西ティモールをオランダ領として割譲し、ティモール島は東西に分割された(リスボン条約)。
■1974年
ポルトガルで左派を中心としたカーネーション革命が起こり、植民地の維持を強く主張した従来の保守独裁体制が崩壊すると、東ティモールでも独立への動きが加速し、反植民地主義のティモール社会民主協会(ASDT、9月に東ティモール独立革命戦線FRETILINと改称)即時完全独立を要求、ポルトガルとの関係維持のティモール民主同盟(UDT)、インドネシアとの統合を主張するアポデディ[8]の三つが政党として旗揚げした。
■インドネシア占領
1975年、右派勢力と連携したインドネシア軍が西ティモールから侵攻を開始する中、11月28日にフレティリンが首都ディリで東ティモール民主共和国の独立宣言を行った。しかし、直後にインドネシアが東ティモール全土を制圧し、1976年に27番目の州として併合宣言を行った。
■1991年
平和的なデモ隊にインドネシア軍が無差別発砲し、400人近くを殺したサンタクルス事件は、住民の大量殺戮事件として世界的に知られることになった。また、官吏や教員などを派遣して徹底した「インドネシア化」も推進した。
■1998年
インドネシアでの民主化運動でスハルト政権が崩壊すると、後任のハビビ大統領は東ティモールに関し特別自治権の付与を問う住民投票を実施する事で旧宗主国のポルトガルと同意した。
■国連の暫定統治と独立後の平和構築活動
1999年6月に国際連合東ティモール・ミッション(UNAMET)が派遣され、その監督下で8月30日に独立に関する住民投票が行われた。その結果、特別自治権提案が拒否された事で独立が事実上決定したが、これに反発するインドネシア治安当局は、インドネシア併合維持派の武装勢力(民兵)を使って破壊と虐殺を行い、それがほぼ終了した段階で、オーストラリア軍を主力とする多国籍軍(東ティモール国際軍,INTERFET)が派遣された(東ティモール紛争)。
■2006年
暴動を受け、同年8月には国際連合東ティモール統合ミッション (UN Integrated Mission in Timor-Leste:UNMIT) が設立。平和構築ミッションから、再び、平和維持活動へと逆戻りした。
■独立後の混乱
■2006年4月
西部出身の軍人約600人が昇級や給料で東部出身者との間で差別があるとして待遇改善と差別の廃止を求め抗議し、ストライキを起こしたが、政府はスト参加者全員を解雇した(国軍は2000人ほどしかいない)。
■2007年1月13日
フランスと共に東南アジア友好協力条約 (TAC) に締結した。この条約は東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟と東アジアサミット参加への条件とされており、締結国間の主権尊重と内政不干渉、紛争の平和的解決を謳うものである。
■2007年6月30日
議会選挙では、グスマン党首率いる東ティモール再建国民会議 (CNRT) が18議席を獲得し、議会第2党に躍進。東ティモール独立革命戦線は、かろうじて第1党であったが、65議席中21議席と大幅に議席を減らした。これは前大統領シャナナ・グスマンがCNRTを結成して選挙に挑んだからにほかならない。
■2008年 2月11日
ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。2月12日 非常事態宣言発出。5月8日 非常事態宣言解除


ポルトガル領ティモール
Portuguese Timor、は、かつて東南アジアにあったポルトガルの植民地。現在の東ティモールに相当する。1515年から1975年まで存在し、この間、ポルトガルはティモール島をオランダ領東インド(独立後はインドネシア)と分割して統治していた。最初にこの地域に到来したヨーロッパ人は、現在のポンテ・マカッサル附近に着いたポルトガル人だった。1556年には、ドミニコ会の修道士がリファウの村を建設した。


エスタド・ノヴォ
Estado Novo)は、1933年から1974年にかけてポルトガルに存在した保守権威主義的な長期独裁政権。正式な国名はポルトガル共和国(Repú矜矜矜跚竅 Portuguesa)であり、第二共和政とも呼ばれる。


ポルトガル語諸国共同体
ポルトガル語を公用語とする諸国によって構成される国際協力組織。加盟国が対等の立場で政治、経済、文化の面で協力することを目的として1996年7月17日に結成された。ポルトガル語の普及にも力をいれている。加盟国の人口総数2億2300万人、面積10,742,000平方キロに及ぶ。


東ティモールの音楽
東ティモールの音楽はポルトガルとインドネシア双方の支配下にあったことを反映しており、ガムランやファドのような音楽を輸入している。土着の民俗音楽の中で最も広まった様式はリクライのダンスであり、戦争後女性が男性を家に歓迎する際に披露された。


■民族
住民はメラネシア人が大部分である。その他華僑(客家)、印僑(インド系移民)、ハーフカスト(ポルトガル人とメラネシア人の混血)、ごく少数のカーボベルデなどアフリカ系の移民などが存在する。


■言語
言語はテトゥン語とポルトガル語が公用語である。現在は、マカサエ語やファタルク語などのパプア系語とテトゥン語やマンバイ語などのオーストロネシア系系が中心に話されている。 その他、インドネシア統治期に教育を受けた30-40歳代を中心にインドネシア語が使われている。現在は世代間で使用できる言語が異なっている事が問題となっている。東ティモールは独立時の2002年からポルトガル語諸国共同体CPLP)に加盟している。

マレー語
Bahasa Melayu, は東南アジアのマレー半島周辺地域で話されるオーストロネシア語族の主要な言語である。マレー語は、オーストロネシア語族・西オーストロネシア語派に属する言語である。マレーシアの国語(2007年よりマレーシア語、bahasa Malaysiaと呼ばれる)、シンガポールとブルネイの公用語(マレー語、Bahasa Melayu)、インドネシアの国語や東ティモールの作業語(インドネシア語、bahasa Indonesia)は、言語学的には同一言語の方言として位置づけられる。

インドネシア語
(Bahasa Indonesia)は、インドネシア共和国の国語。この地域の交易語(リングワ・フランカ)であったマレー語の一方言を、国家の共通語としたもの。マレーシアのマレー語と非常に似ており、互いに通じ合うばかりでなく、現在では正書法もマレーシア語(のラテン文字表記)と共通である。

オーストロネシア語族
オーストロネシア語族は台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。日本語では南島語族とも訳される。かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。

リングワ・フランカ
(Lingua franca)は、「フランク語」、「フランク王国の言葉」を意味するイタリア語であるが、それから転じて、共通の母語を持たない人同士の意思疎通に使われている言語のことを指すようになった。現在では、「共通語」や「通商語」の意味で使われることが多い。


■宗教
宗教はキリスト教が99.1%(その大半がローマ・カトリック、他にプロテスタント諸派)。アジアではフィリピンと大韓民国と同等のキリスト教国。残りはイスラム教が0.7%、その他ヒンドゥー教、仏教、アニミズムなどとなっている。インドネシア統治時代の1992年推計ではイスラム教徒が人口の4%を占めていたとされるが、独立によりインドネシア政府の公務員などが東ティモールから退去し、イスラム教徒の比率は大幅に低下した。一方、独立運動を精神面で支え続けたカトリック教会への信頼は高まった。

ドミニコ会
1206年に聖ドミニコ(ドミニクス・デ・グスマン)により立てられ1216年にローマ教皇ホノリウス3世によって認可されたカトリックの修道会。正式名称は「説教者修道会」(Ordo fratrum Praedicatorum)で、略号は「OP」である。

キリスト教
Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、2002年の集計で約20.4億人(うち、カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.9億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。

イスラム教
正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。

ヒンドゥー教
ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。彼らは前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。

仏教
Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教の一つ(信仰のある国の数を基準にした場合)で、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。


メラネシア人
Melanesianは、西南太平洋のメラネシアに住む人々の総称。広義にはパプア人を含める場合もある。人種的にはオーストラロイドと混血したモンゴロイド系の民族であるが、島嶼間の交流の結果、様々な移住者が入ったことから体格・風貌も様々であり、人種的特徴を一概に挙げることは困難である。

パプア諸語
(Papuan Languages) は、ニューギニア島(パプア)とその周辺の島々に分布する、オーストロネシア語族でもオーストラリア・アボリジニ諸語でもない諸言語の総称。主にニューギニア島。東へは、ビスマルク諸島、ソロモン諸島、西へは、ハルマヘラ島、ティモール島、アロル諸島。約800の言語を、460万人が話している。

テトゥン語
Tetum, Tetun とも)はマレー系(オーストロネシア語族)の言語。東ティモールの公用語の1つである。ポルトガル語・マレー語・インドネシア語からの借用語を多く持つ。16世紀に、ポルトガルによるティモール島の植民地化ののち通商言語として広まった。主要方言は首都ディリの方言で、テトゥン=プラサ(Tetun-Prasa)と呼ばれる。


ジョゼ・ラモス=ホルタ
(Jose Ramos-Horta, 1949年12月26日 - )は、東ティモールの大統領(2007年5月20日 - )、民族抵抗評議会共同代表。ディリ出身。東ティモールの独立運動に関わり、1996年にはノーベル平和賞を受賞している。1949年、ポルトガル人デポルタード(追放者)の父親と、ティモール人の母親の間に生まれた。ソイバダのコレジオ(キリスト教の高等教育機関)から、ディリのリセウ(高等教育課程)に進学し、同校卒業後の1970年に20歳でディリの観光情報センターに就職した。

マリ・アルカティリ
(Mari bim Amude Alkatiri, 1949年11月26日 - )は、東ティモール民主共和国初代首相 。在職期間 2002年5月20日 - 2006年6月26日。東ティモールの首都ディリイスラム教地区のアロール出身。初代首相(開発・環境相兼任東ティモール独立革命戦線書記長。イスラム学校卒業後、ポルトガル政庁のリセ(中学校~高校に相当する)卒業。公認測量技師となったが、1970年に東ティモール開放運動を組織しその活動を始め、アンゴラに留学。

フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル
(Francisco Xavier do Amaral、1937年12月3日 - 2012年3月6日)は、東ティモールの政治家。ティモール社会民主協会(ASDT)党首。国民議会議員。アイレウ地方トゥリスカイのマヌファヒ県フルル村の領主(リウライ)の家系に生まれる。高校教師ののち、1974年のフレティリン創設に参加。フレティリンの初代党首であり、1975年11月28日、ポルトガルからの一方的な独立宣言の時に宣誓をして「大統領」となった。

東ティモール Timor-Leste
アジア(東南アジア)地域に位置する共和制国家。1999年8月30日、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、2002年5月20日独立した。国際法上はポルトガルから独立したことになる。21世紀最初の独立国。ポルトガル語諸国共同体加盟国。島国であり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領である。

ディリ
ティモール島北東部に位置する東ティモールの首都で、国内最大の都市。ディリ県の県都。1520年にポルトガル人の植民地として建設された。ポルトガル領時代から、ディリ市内では多くのビルがあったが、1999年に親インドネシアの民兵によりその多くが破壊された。インドネシア併合時代、ポルトガル語は禁止されていた。


プレジデンテ・ニコラウ・ロバト国際空港
Presidente Nicolau Lobato International Airportとは、東ティモールの首都ディリにある国際空港。この空港名は、1975年の東ティモール独立宣言時の首相のニコラウ・ロバト(フレティリンの最高指導者で、1978年末にインドネシア国軍に射殺された)の名を冠している。

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外務省:東ティモール民主共和国
在東ティモール日本国大使館


マリアナ
Malianaは、東ティモールの都市。首都ディリから南西へ149kmのところにある。人口2万2000人。ボボナロ県とマリアナ地区の中心都市でもある。数キロ先にはインドネシアとの国境線が引かれている。2010年1月30日にはローマ法王ベネディクト16世が、ローマカトリックのディリ教区から新たにマリアナ教区を設立した。


 

オエクシ=アンベノ
(Oecussi-Ambeno)は、ティモール島のインドネシア領西ティモールに囲まれた、東ティモール民主共和国の飛び地地区及び県。ポルトガル人がオエクシに上陸する以前はティモール島西部の多くは仏教とイスラム教に変えられていたが、東部は現地人によるアニミズムだった。ポルトガル人修道士がオエクシに上陸し、以後、カトリックを広めた。

ロスパロス
Lospalosは、東ティモールの都市。首都ディリから東へ248kmのところに位置する。人口は2006年時点で1万7186人、ラウテン県とロスパロス地区の中心都市でもある。地区全体では2004年時点で2万5417人が暮らす。


マナトゥト県
Manatutoは、東ティモールの県のひとつ。同国の中部に位置する。南北が海に接する、国内でも二つしかない県のひとつ(もう一方はラウテン県)で、北はウェタル海峡、南はティモール海に面する。東でバウカウ県とヴィケケ県、さらに西でマヌファヒ県、アイレウ県、ディリ県と接する。このような地勢から、たいていの地理的多様性を有している。

リキシャ県
Liquicaは、東ティモールの県のひとつ。県都はリキシャ。首都ディリからリキシャへ向かう道から眺めるオンバイ海峡など、県内には多くの美しい風景がある。浜は東ティモールでよく見られる岩がちのものだが、それでも美しい。

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ラウテン県
Lauteinは、東ティモールの県のひとつ。ラウテム県とも表記される。ティモール島東部に位置し、1702 km2に、2008年の推計で6万5349人が暮らす。県内には美しい砂浜や荒涼とした山岳、手付かずの風景などがある。東ティモール固有の鳥の多くはここに生息している。ラウテン市近郊には洞窟壁画がある。多くの石棺や自然信仰の聖地がある。

ボボナロ県
Bobonaroは、東ティモールに13ある県のひとつ。西部の県のなかでは2番目に大きい。1,368 km2に2008年の推計で9万3787人が暮らす。県都は国内第四の都市であるマリアナ。人口は2004年時点で1万3200人。雄大な山々と温泉からこの県は国内でも人気が高いが、独立戦争時は血で血を洗う場となった。

バウカウ県
Baukauは、東ティモールの県。同国東部の北海岸に位置する。首都はバウカウ(旧名ヴィラ・サラザール)。1494 km2に2004年の推計で11万3748人が暮らす。バウカウ市街から6kmほど行ったところにあるカクン空港は、国内で最も長い滑走路を有している。

ヴィケケ県
Viquequeは、東ティモール最大の県。1,781 km2に2008年の推計で7万2950人が暮らす。県都はヴィケケ。ヴィケケはポルトガル語とならび国内の公用語に指定されているテトゥン語の発祥地。さらに、県東部の住民らはパプア諸語のマカサエ語も話す。

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ラウテン県
Lauteinは、東ティモールの県のひとつ。ラウテム県とも表記される。ティモール島東部に位置し、1702 km2に、2008年の推計で6万5349人が暮らす。県都は首都ディリから東へ248kmのところにあるロスパロス。

ボボナロ県
Bobonaroは、東ティモールに13ある県のひとつ。西部の県のなかでは2番目に大きい。県都は国内第四の都市であるマリアナ。雄大な山々と温泉からこの県は国内でも人気が高いが、独立戦争時は血で血を洗う場となった。


■国名
公式の英語表記は、Democratic Republic of Timor-Leste、略称は、East Timor。国名は、「ティモール島の東部」という意味である。「ティムール(timur)」は、マレー語・インドネシア語で「東」を意味する。テトゥン語の「ロロ」は「太陽」、「サエ」は「出る」、「ロロサエ」は「日の出」またはその方角(すなわち「東」)を意味する。ポルトガル語の「レステ」も「東」を意味する単語。


1.面積:約1万4,900平方キロメートル(首都4都県(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積)とほぼ同じ大きさ)
2.人口(出典:東ティモール国家統計局)約107万人(2010年)(暫定値)
3.首都:ディリ
4.民族:
テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等。
5.言語:
国語は、テトゥン語及びポルトガル語。実用語に、インドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。
6.宗教:
キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%

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■主要産業:農業が主要な産業(多くは零細農業。コメ、とうもろこし、イモ類、ココナッツを栽培)。輸出用作物としては特にコーヒーの栽培に力を注いでいる。石油・天然ガス(ティモール・ギャップ)の開発が貴重な国家財源として進められている。

■貿易(1)輸入:電気機器、穀物、自動車及び部品、機械類、燃料(2)輸出:コーヒー※天然ガスはパイプラインを通じオーストラリアから輸出されているため、統計上は計上されていない。


アメリカ合衆国ドル
United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式の通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されているほか、その信頼性から、国際決済通貨や基軸通貨として世界で最も多く利用されている通貨である。


■経済
IMFによると、2011年のGDPは43億ドルであり、日本の人口10万人程度の市町村に相当する経済規模である。一人当たりのGDPは3,949ドルであり、世界平均の半分に満たない水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は77万人と推定されており、国民の過半数を占めている。

南方のティモール海には海底油田があり、将来の経済発展の核として期待されている。隣国で、東ティモールへの影響力を獲得しようとしているオーストラリアとの境界線確定が課題だが、東ティモール側はインドネシア政府が結んだ境界線の見直しを求め、交渉は難航している。しかし、確定とは別に両国共同石油開発エリアJPDAを定め、収入の90%を東ティモールに、10%をオーストラリアに渡すこととなった。2007年からは原油採掘に伴う税収やロイヤルティー収入が計上され、その収入を集約するために東ティモール政府が設立した「石油基金」(2008年度末で約42億ドル)を利用した国家予算が計上できるようになっている。最初の事業はグレーターサンライズ・ガス田開発である。

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ビャクダン
Santalum album)はビャクダン科の半寄生の熱帯性常緑樹。爽やかな甘い芳香が特徴。香木として利用される。原産地はインド。インドでは古くはサンスクリットでチャンダナとよばれ仏典『観仏三昧海経』では牛頭山(西ガーツ山脈のマラヤ山(摩羅耶山 秣刺耶山)とされる)に生える牛頭栴檀(ゴーシールシャ・チャンダナ)として有名であった。栽培もされ、紀元前5世紀頃にはすでに高貴な香木として使われていた。


人類、4万年前から釣り? 東ティモールで釣り針発見
2011/11/25  人類は4万2千年ほど前から、高度な漁法でマグロやカツオを釣っていたらしい。オーストラリア国立大と東海大などの研究グループによる南太平洋の国、東ティモールの遺跡調査から判明した。25日付の米科学誌サイエンス電子版に掲載した。チームが海岸から1、2キロ、標高50〜100メートルの地点にあるジェリマライ遺跡の出土品を調べたところ、4万2千年前のマグロなど外洋魚の骨のほか、1万数千年以上前のものとみられる貝でできた最古の釣り針が見つかった。


国際連合東ティモール・ミッション
United Nations Mission in East Timor,UNAMETは東ティモールに展開された国際連合平和維持活動。1999年6月11日の国際連合安全保障理事会決議1246によって設立されたものであり、東ティモールにおける自治拡大に関する住民投票支援を任務としている

国際連合東ティモール支援団
United Nations Mission of Support to East Timor,UNMISETは東ティモールに展開された国際連合平和維持活動。国際連合東ティモール暫定行政機構(UNTAET)を引き継いだものであり、東ティモール独立直後の行政支援などを行なう。

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東ティモール独立革命戦線
東ティモールの左翼政党。独立以来、2007年まで政権与党だったが、現在は野党。党首はフランシスコ・グテレス(通称ル・オロ)、書記長はマリ・アルカティリ。1974年、ポルトガル統治からの解放を目指した組織としてティモール民主協会(ASDT)として創設され、同年に東ティモール独立革命戦線と改称された。

東ティモール再建国民会議
National Congress for Timorese Reconstruction、略称はCNRT)は、東ティモールの政党。シャナナ・グスマン初代大統領が結成した。2007年4月30日、首都ディリで開かれた結党大会(約600名参加)でグスマンを党首に指名。5月9日にフレティリンのルオロ党首と大統領選決選投票で対決するラモス・オルタ首相も出席し、共闘を鮮明にした。

民主党 (東ティモール)
東ティモールの政党。略称はPD。学生運動出身者を中心として結成された。政治的立場は中道左派。党首はフェルナンド・デ・アラウジョ。2007年東ティモール大統領選挙においては第1回投票でアラウジョが3位の得票を得る。決選投票ではラモス・ホルタを支持した。

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社会民主党 (東ティモール)
略称PSD)は、東ティモールの穏健派中道政党。インドネシア占領下の第3代東チモール州知事のマリオ・カラスカラオが結成した。フレテリン(東ティモール独立革命戦線)とUDT(ティモール民主同盟)の連合構想がベースとなっており、1974年、後の大統領ラモス・ホルタも結党に参加している。総裁はマリオ・カラスカラオ。事務局はザカリアス・ダ・コスタ。

ティモール社会民主協会
Timorese Social Democratic Association、は、東ティモールの政党。略称ASDT。1974年、現党首のフランシスコ・シャビエル・ド・アマラルがASDTの設立に参加。同年9月呼称をフレティリンに改称した。アマラルはフレティリンの初代党首となり、1975年11月28日、ポルトガルからの一方的な独立宣言の時に宣誓をして「大統領」となったが、のちに侵攻してきたインドネシアとの対話による融和を図り、追放されてしまう。


サンタクルス事件
Santa Cruz massacre)は、1991年11月12日にインドネシア支配下の東ティモール・ディリで起きた大量虐殺事件。インドネシア国軍が、独立を求めるデモ行進を行っていた市民に対して無差別に発砲し、大量の死傷者を出した。サンタクルス虐殺や、ディリ事件(Dili massacre)とも呼ばれる。


東ティモール紛争
東ティモールは1975年にインドネシアの軍事侵略により不法占領下に置かれた。1976年、インドネシアは東ティモールをインドネシア27番めの州と宣言したが、国際社会はオーストラリアなどごく少数の例外を除き、この併合を認めなかった。東ティモールでは、インドネシアからの解放を望む声が高かったが、1998年にスハルトの独裁政権が倒れ、新政権が東ティモールの独立容認の立場を取ったことから、急速に解放の気運が高まった。

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国際連合東ティモール暫定行政機構
United Nations Transitional Administration in East Timor,UNTAET)は東ティモールの独立支援を行なった国際連合平和維持活動。1999年10月25日の国際連合安全保障理事会決議1272に基づき設立された。

東南アジア友好協力条約
Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia)は、1976年2月にインドネシアのバリ島で東南アジア諸国連合(ASEAN)初の首脳会議で締結された多国間条約。日本語訳の正式名称は東南アジアにおける友好協力条約。東南アジアにおける平和・友好・協力を目的とする。

東南アジア諸国連合
Association of South‐East Asian Nations)は、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構。略称はASEAN(アセアン)。本部はインドネシアのジャカルタに所在。域内の人口は6億人を超えており、約5億人の人口を抱える欧州連合(EU)より多い。2010年の加盟国の合計のGDPは1兆8000億ドル(約145兆円)であり、日本のGDPの約30%の規模である。


シャナナ・グスマン
Jose Alexandre Gusmao、1946年6月20日 - は、東ティモールの政治家。独立から2007年まで初代大統領を務め、現在は第3代首相であり、また東ティモール再建国民会議初代党首である。1970年代より東ティモールの独立運動に関わり、インドネシアにより逮捕され服役中であった独立時には東ティモール独立のシンボル的存在であった。独立に先立って行われた選挙では国民の圧倒的な支持を集め、初代大統領に就任した。

カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ
(Carlos Filipe Ximenes Belo, 1948年2月3日 - )は、前東ティモール司教・サレジオ会士。1948年、東ティモール東部、ワライマカ村に生まれる。首都ディリの神学校、高等神学校を卒業。1979年から1981年まで、ローマの教皇庁立サレジオ大学に学ぶ。1980年、リスボンにて司祭叙階。1983年、東ティモールの教皇行政官に任命され、ディリに赴任。1988年に司教叙階。占領インドネシア軍による人権侵害から住民を守る役割を担うようになった。1996年、司教として東ティモールの独立に尽力した業績により、東ティモール独立革命戦線国連代表のジョゼ・ラモス=ホルタとともにノーベル平和賞を受賞した。

 

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