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シリア・アラブ共和国
Syrian Arab Republic

東地中海に面する一部を除いて、国土は隣国と地続きであり、北部ではトルコと、東部ではイラクと、南部ではヨルダンと、西部ではパレスチナやレバノンとそれぞれ国境を接している。

■シリアの歴史
古代オリエント時代においてもメソポタミア、アッシリア、バビロニア、さらにギリシア・ローマ、ビザンチン帝国と支配者がめまぐるしく変わり、今のようにイスラム世界に入ってからも、ウマイヤ朝、アッバース朝、セルジューク朝、などの各王朝からモンゴル人のイル汗国、オスマン帝国と支配者は変わった。近代には列強の争いの舞台となるなど、人類史の縮図といっていい。


■略史
紀元前305年 - マケドニアのセレウコス将軍が王号を名乗る。首都はアンティオキア。紀元前271年〜紀元前205年 - シリア戦争。紀元前130年 - パルティア軍に敗北。全東方領土を喪失。。紀元前64年 - ローマ軍首都制圧。併合され、セレウコス朝滅亡。1946年 - シリア共和国としてフランスより独立。1958年 - エジプトと連合、「アラブ連合共和国」成立(首都:カイロ)。1961年 - 連合を解消、シリア・アラブ共和国として再独立。1963年 - バアス党政権樹立1971年 - ハーフィズ・アル=アサド、大統領に選出。1976年 - レバノンへの駐留開始。2000年 - ハーフィズ・アル=アサド大統領死去。息子のバッシャール・アル=アサドが大統領就任。2005年 - レバノンより、シリア軍撤退2011年 - 2011年シリア騒乱発生。継続中。


■地理
東地中海に面する一部を除いて、国土は隣国と地続きであり、北部ではトルコと、東部ではイラクと、南部ではヨルダンと、西部ではパレスチナやレバノンとそれぞれ国境を接している。国土の内、西部の地中海沿岸部には平野が広がっており、南部は肥沃な土地が広がっており、国内農業のほとんどを負担している。


肥沃な三日月地帯
Fertile Crescentとは、古代オリエント史の文脈において多用される歴史地理的な概念である、その範囲はペルシア湾からチグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへと到る半円形の地域である。肥沃な三日月地帯という用語が初めて用いられたのは1916年のことである。当時シカゴ大学のエジプト学者であったジェームズ・ヘンリー・ブレステッド(James Henry Breasted)が、著作『古代』の中で初めて使用した。肥沃な三日月地帯という用語が初めて用いられたのは1916年のことである。当時シカゴ大学のエジプト学者であったジェームズ・ヘンリー・ブレステッド(James Henry Breasted)が、著作『古代』の中で初めて使用した。

シリア砂漠
badiyah ash sham, はシリア、ヨルダン、イラク各国の内陸部にまたがる砂漠地帯。ステップと砂漠の複合した植生の荒地である。西はシリアのオロンテス川渓谷、東はシリアからイラクへ流れるユーフラテス川渓谷に及ぶ。北はシリア北部の肥沃な草原・森林へ至り、南はネフド砂漠などアラビア半島内陸の砂漠へとつながる。

オロンテス川
レバノンに発し、シリアとトルコを流れる河川である。古代オリエントでは主要な川の一つであり、ドラコ川(Draco)、ティフォン川(Typhon)、アクシオス川(Axius)とも呼ばれた。オロンテス川はレバノン山脈とアンチレバノン山脈の間にある谷間・ベッカー高原の東側にあるラブウェ(Labweh)の泉に発する。

バリフ川
Belih)はユーフラテス川の大きな支流の一つ。トルコ南東部のカラカ山(Karaca dağ)付近に発し南へ流れ、シリア領内に入り、同国北東部のラッカ市街地の東付近でユーフラテス川に注ぐ。通常、バリフ川は年中を通して水がなくなることはなく、バリフ河谷地域のステップ地域の重要な水源になっている。

ハブール川
Habur、はユーフラテス川の大きな支流の一つ。西に並行して流れる水の多いバリフ川とは違い、ハブール川は年のほとんどの時期は涸れ川(ワジ)となっており水はほとんど流れない。

ユーフラテス川
(Euphrates)は、トルコ北東部の山地を源流としてシリアを通過し、イラクでチグリス川と合流してシャットゥルアラブ川となり、最終的にペルシア湾に注ぐ国際河川である(河口付近はイランとイラクの国境になっているが、国境線の位置をめぐって紛争になっている)。全長2780キロメートル。ただし「ユーフラテス川水系本流の全長」ということであれば、シャットゥルアラブ川と併せた2980kmということになる。

ゴラン高原
Golan Heights, は、イスラエル、レバノン、ヨルダンおよびシリアの国境が接する高原である。以前はシリア高原と呼称されていた。シリアとイスラエルは現在もゴラン高原の領有権を争っているが、第四次中東戦争停戦後の1974年以来、武力行使を行っていない。ゴラン高原の戦略的および水源地としての大きな価値は、両国の交渉が不確かであることを意味している。

地中海
the Mediterranean Sea)は、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた海である。海洋学上の地中海の一つ。地中海を指すMediterraneanという語は、「大地の真ん中」を意味するラテン語のmediterraneus メディテッラーネウス(medius 「真ん中」 + terra 「土、大地」)に由来する。

アンチレバノン山脈
(Anti Lebanon Mountains)は、レバノンとシリアの国境となっている山脈である。最高峰は南部にあるシャイフ山(Jabal esh Sheikh)=英語名ヘルモン山(Mt. Hermon)の2,814mである。

エッドゥルーズ山地
(Jebel ed Druz)は、シリア南西部のスワイダー県にある山地である。ギーン山(1,801m)、アビッドマー山(1,440m)がある。 肥沃な土地である事から、オスマン帝国時代に数多くのドゥルーズ派教徒がレバノンから移住し、シリアにおけるドゥルーズ派の一大拠点となった。

ヘルモン山
Mount Hermon, は、レバノンとシリアの国境にあるアンチレバノン山脈の最高峰で、最高点の標高は2,814mである。最高点はシリアが支配しているが、南部の稜線にあたるゴラン高原は1967年の第3次中東戦争以降イスラエルの支配下にある。

パレスチナ
地中海東岸の歴史的シリア南部の地域的名称。西アジア・中東に位置する。民族宗教ユダヤ教の聖典旧約聖書では、パレスチナの地は神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれ、このためヘブライ語では「イスラエルの地(エレツ・イスラエル、Eretz Yisrael)」とも呼ばれるようになった。

歴史的シリア
大シリア、シリア地方ともいわれ、現在のシリア・アラブ共和国およびレバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを含む地域の歴史的な呼称。西は地中海に面し、北は現在のトルコの一部、東はゴラン高原などの山地をはさんでイラクと接し、南は紅海およびアラビア半島に通じる。

コイレ・シリア
Syria coele)は、シリア地方南部の地方名。ギリシャ語で「くぼんだシリア」('hollow' Syria)を意味する。より厳密には、コイレ・シリアはレバノン山脈とアンチレバノン山脈にはさまれたベッカー高原(現在のレバノン東部)を指すが、シリア地方のうちユーフラテス川より南の地域全体(フェニキアやユダヤ地方も含む。


ドゥルーズ派
al-Durūzīyaは、レバノンを中心に、シリア・イスラエル・ヨルダンなどに存在するイスラム教(イスラーム)系の宗教共同体。レバノン内戦時は、マロン派と激しく対立した。歴史的にはシーア派の一派イスマーイール派から分派したものだが、教義からみてシーア派の枠内に収まるかは微妙で、イスラム第三の宗派と呼ばれることもある。

スンナ派
Ahl as-Sunnahは、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつ。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。また、多数派である事や歴史的な事情などから「正統派」などと言われる。しかし、スンナ派を正統とするのは、あくまでスンナ派の内側から見た場合の理解である。

セム語派
、アフロ・アジア語族の一語派で、インド・ヨーロッパ語族、ウラル・アルタイ語族と並ぶ世界の3大語族とされていた。かつてはセム語族あるいはセム・ハム語族として分類されていたが、いまは使われなくなっている。「セム語」という名称は、トーラーに記述されているノアの息子のセムにちなみ、アウグスト・シュレーツァーによって名づけられた。

クルド人
Kurds)は、中東のクルディスタンに住む山岳民族。トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布し、独自の国家を持たない世界最大の民族集団である。人口は2500万〜3000万人といわれている。

アムル人
主に紀元前2000年期前半に中東各地で権力を握った諸部族の名称。アッカド語ではアムル(Amurrū)、シュメール語ではマルトゥ(mar.tu)と呼ばれる。旧約聖書にはアモリ人もしくはエモリ人の名で登場し、彼らはハムの子であるカナンの子でありカナンの諸部族の一つとされる。

アッシリア人
アラム語の1つ現代アラム語を話しキリスト教を信仰する中東の少数民族。古来からアラブ人、トルコ人、クルド人、トルクメン人などの異民族との競合や迫害を受けながらも、強固な民族意識により伝統的な文化を継承している。

アルメニア人
アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。また中世の東ローマ帝国ではアルメニア系の王朝が建てられたことがある。なお、アルメニア人は非カルケドン派であるアルメニア使徒教会の信者がほとんどである。


バアス党
シリア・イラクなどのアラブ諸国で活動する汎アラブ主義政党。公式名称はアラブ社会主義復興党。バアス党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラク(1910年 - 1989年)らによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日にダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年 - 1958年にシリアを本拠にイラク・レバノン・ヨルダン・イエメンに党地域指導部を置いた(カタールとチュニジアにも存在したが、両国政府により非合法化される)。

ムスリム
Muslimは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のことである。かつて、イスラム教はキリスト教よりはるかに多様な民族の間で信仰されていた。しかし、近代以降、西方のキリスト教会が世界中に布教を行いその分布を広げたため、それに比較すると、イスラム教を信仰する民族は限られている。

クラック・デ・シュヴァリエ
Krak des Chevaliersは、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されている。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠であり、名前は「騎士の砦」を意味する(krakはシリア語で「砦」)。城はトリポリの東に位置した高さ650m程の峰に築かれており、アンティオキアからベイルートへ向かう海沿いの道や、内陸から地中海に出る唯一の通路(ホムスとタルトゥースの間の峠道)を扼している。


<世界遺産>
古代都市ダマスカス
エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、紀元前3000年ごろから形成された都市。中東でも最古の都市の1つである。

古代都市ポスラ
この都市についての最古の記録は、古代エジプトのトトメス3世とアメンホテプ4世(紀元前14世紀)の時代に遡る。ボスラは紀元前2世紀、ナバテア王国の最初の都市となった。しかし106年、ローマ帝国のトラヤヌス帝の配下の武将コルネリウス・パルマがこの地域を征服した。ボスラは、シリアの首都ダマスカスの南約150km、ヨルダンの国境近くにある都市。ビサンティン様式の建物が数多く残る。建造物は、玄武岩で作られている。このため構造物が全体的に黒茶であることも印象的。代表的な構造物は、シタデル・ローマ劇場。現在でも演奏会等で使われている。音響的にも優れているとの評価を受けている。ほかにはローマ浴場、ビザンティン建築の大聖堂跡など。

パルミラの遺跡
パルミラの近くからは、約70000年前の旧石器時代の石器が発見されている。ユーフラテス河畔のマリ遺跡で発掘された紀元前2000年代ごろの粘土板からもこの都市の名前(Tadmor、または Tadmur、または Tudmur)と思われる記述が見つかっている。旧約聖書(歴代誌第二、8章4節)では、古代イスラエルの国王ソロモンが荒れ野に「タドモル」の街を築いたと記されている。紀元前3世紀頃から多数の地下墓地が建設され、当時からアラム語で現在のアラビア語名と同じく「タドモル」(Tadmor) と呼ばれていた。ナツメヤシの産地として知られたオアシス都市であったが、アラム語やヘブライ語など北西セム語ではナツメヤシのことを tamar といい、都市名はナツメヤシと関係があるとされる。ギリシア語でナツメヤシのことを「パルマ」ということから、ギリシア人やローマ人から「パルミラ」と呼ばれたようである。

古代都市アレッポ
シリアの首都ダマスカスの北約300キロメートル、トルコ国境に近くに位置する。象徴的な建物であるアレッポ城は、紀元前10世紀に最初に建築され、12世紀から14世紀にはモンゴル帝国の侵入や十字軍の攻撃にも耐えた。世界最大の市場の1つともいわれるスークもアレッポの象徴である。

クラック・デ・シュヴァリエ
シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城で、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されている。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠であり、名前は「騎士の砦」を意味する(krakはシリア語で「砦」)。

カラット・サラーフ・アッディーン
シリアの港湾都市ラタキアの30km東の山中にあり、二つの深い渓谷に挟まれた峰の上に建ち、森に囲まれている。この城は古代よりあり、おそらくフェニキアの時代(紀元前1千年紀の初頭)に建てられたと考えられる。フェニキア人は紀元前334年にアレクサンドロス大王にこの城を引き渡したといわれる。


パルティア
Parthia, 紀元前247年頃 - 228年)とは、カスピ海南東部、イラン高原東北部に興った王国である。ダーハ氏族の支流であるパルニ氏族を中心とした遊牧民の長、アルシャク(古典ギリシア語形:アルサケス)が建国した。

ウマイヤ朝
Banu Umayyad 、は、イスラム史上最初の世襲イスラム王朝(661年 - 750年)。サラセン帝国(ただしサラセン帝国はかつてのヨーロッパでの呼称)、大食(唐での呼称)、またはカリフ帝国やアラブ帝国と呼ばれる体制の王朝のひとつであり、イスラム帝国のひとつでもある。

オスマン帝国
テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。

セーヴル条約
第一次世界大戦後の1920年8月10日に連合軍とオスマン帝国との間に締結された講和条約。フランス・パリ郊外のセーヴルで締結された事からこの名が付く。1918年10月30日に結ばれたムドロス休戦協定を受けての講和条約である。オスマン帝国はこの条約によって広大な範囲の領土を失った。

ウガリット
(Ugarit, は、地中海東岸、現在のシリア・アラブ共和国西部の都市ラス・シャムラにあった古代都市国家。当時の国際的な港湾都市であり、西アジアと地中海世界との接点として、文化的・政治的に重要な役割を果たしたと考えられている。紀元前1450年頃から紀元前1200年頃にかけて都市国家としての全盛期を迎えた。

アパメア
Apameia、はシリア北西部にある都市遺跡。オロンテス川右岸にあり、セレウコス朝の四大都市といわれる繁華な都市のひとつで、軍馬や物資などを集積する軍事都市でもあった。

マスヤーフ
Ma?yaf)はシリア、ハマー県の都市。中世の城砦があることで知られる。バニヤースとハマーを結ぶ交易路の中間に位置し、古来より重要な防衛拠点であった。高台に最初の城砦が築かれたのは東ローマ帝国の時代である。

テル・アブ・フレイラ
Tell Abu Hureyraは古代のレバント東部・メソポタミア西部にあった考古遺跡。今から11,000年以上前に穀物を栽培した跡が見られ、現在のところ人類最古の農業の例となっている。テル・アブ・フレイラはシリア北部アレッポから東に120km、ユーフラテス川中流域の南岸の台地上にあったが、ユーフラテス川をせき止める巨大ダム建設により現在ではアサド湖の水底にある。

ドゥラ・エウロポス
(Dura-Europos、「エウロポスの砦」)は、ヘレニズム時代からパルティアおよびローマ帝国の支配下の時代にかけて繁栄した古代都市。その遺跡は現在のシリア東部、イラクとの国境付近にあり、ユーフラテス川右岸(南岸)の高い断崖上の平地に位置する。

ハモウカル
Hamoukar、は現在のシリア北東部ハサカ県のイラク国境付近にある大きな考古遺跡。イラクとの国境までは南へ8kmほどの丘の上にある。この都市の年代は正確には分かっていないが、考古学者の多くの意見では紀元前3500年より前であろうとされている。2005年と2006年の発掘調査により、ハモウカルにあった都市は紀元前3500年以降に戦争で破壊されたことが分かり、これは中東の考古学史上、現在のところ最古級の戦争の跡である可能性がある。

テル・ハラフ
(Tell Halaf、はシリア北東部のハサカ県にある新石器時代の考古遺跡。トルコとの国境付近にあり、国境の反対側はシャンルウルファ県にあたる。この遺跡からは、幾何学模様や動物模様の描かれた、釉薬の塗られた陶器が見つかっており、こうした特徴のある新石器文化はテル・ハラフの名をとってハラフ文化(英語版)(Halafian culture、ハラフィアン文化)と呼ばれるようになった。遺跡は紀元前6千年紀に遡り、後にアラム人の都市国家グザナ(Guzana、もしくはゴザン Gozan)が同じ場所に造られた。

テル・レイラン
(Tell Leilan)は現在のシリア北東部にあるメソポタミア文明の都市国家遺跡。この遺丘にあった街は紀元前5000年頃の小さな農村に遡り、アッカド帝国の大都市シェフナへと成長していった。しかしこの後の時代の3フィート(90cm)ほどの堆積物の層には人間の居住の痕跡が見られず、これはアッカド帝国の後期に北メソポタミア一帯が放棄された原因や、アッカド帝国の凋落の原因を探る糸口を与えてくれる。


シリアの人権
シリアの人権(en:Human rights in Syria)は、国際機関からの激しい非難にさらされている。1963年以来、非常事態宣言の効力が続いており、保安部隊には逮捕や拘留の権限が与えられている。この国は自由な選挙のない一党独裁状態によって支配されている。当局は、人権活動家や政府批評家を苦しめたり投獄したりしている。表現、結社、集会の権利は厳格に制限されている。女性や少数派民族は差別に直面している。2010年のヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、アル=アサドが権力を握って以来の10年間で、シリアの人権記録を改善させることに失敗したとされる。この人権団体は、シリアの人権状況が世界で最悪の部類に属すると言明している。5月5日のBBCニュースは、非武装の一般市民に対して狙撃手や対空機関銃が使われているとのダマスカス人権研究所(DCHRS)の表明を報じている。


シャッビーハ
アル=アサド家に資金提供を受けた3000人以上の構成員からなる暴力団である。この呼称は幽霊を意味する言葉(Shabah)であり、かつてアル=アサド家やその縁の人達が使うメルセデス・ベンツの車に由来する。彼らは、政府を批判する人々が、たとえ武器を持たない者だとしても、批判者にあらゆることを行う権限を持っている。新聞やメディアニュースチャンネルによれば、シャッビーハの構成員はアサドの傭兵であるとも言われる。シャッビーハが人権を守らないことについては、地元の新聞やチャンネルだけでなく国際メディアからも非難されており、特にFacebookやYouTubeなどのソーシャルメディアを通じて数百もの映像がアップロードされている。


スティーブ・ジョブズ
Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日は、アメリカ合衆国の実業家。スティーブ・ウォズニアック、ロン・ウェイン、マイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。1955年、シリア人の政治学者、アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれる。ジョアンの父が、シリア人であるアブドゥルファターとの結婚を認めなかったため、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。結果、スティーブはポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に引き取られることになった。

アセフ・アシュ=シャウカト
(Asif Shawkat、1950年 -)は、シリアの軍人、政治家。元軍事情報部長(2005年2月 -2009年)。シリア陸軍参謀副長(2009年-2011年)。国防副大臣(2011年-)。陸軍大将。バッシャール・アル=アサドの姉、ブシュラー・アル=アサドを妻とし、大統領一族の一員であり、バッシャールから特別の信任を得て影で大統領を支えていると言われていたが、近年では大統領との対立や政権中枢から外されたとの観測もある。

ハーフィズ・アル=アサド
Hāfiz al-Asad, 1930年10月6日 - 2000年6月10日)は、シリアの政治家、大統領(在任1971年 - 2000年)。一般に独裁者とみなされている。シリア北部のアンサーリーヤ山地にあるアラウィー派の小村カルダーハで、カルビイヤ部族の貧しい家庭の9番目の子として生まれた。高校在学中の1946年、16歳の若さでバアス党に入党するなど早くから積極的な政治活動に取り組んでいた。

ナラム・シン
(Naram sin、在位:紀元前2155頃〜紀元前2119年頃)はアッカド王朝の王。大規模な遠征を繰り返しアッカド帝国の最大版図を築いたが、そのために反乱の続発に悩まされ、王朝が傾く原因をも作った。祖父のサルゴンと並んで、アッカド帝国史上最も有名な王であり、後代に数多くの伝説が作られた。またメソポタミア史上初めて自らを神とした王でもある。

F・マーリー・エイブラハム
(F. Murray Abraham、本名:Fahrid Murad Ibrahim、1939年10月24日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。シリアからの移民の父親[1]と、イタリア系アメリカ人の母親[2]の間に生まれる。シリア正教会に属するキリスト教徒である。映画出演作品も多いが、『アマデウス』で示した、モーツァルトに気が狂うほど嫉妬しつつも、その才能の前にはひれ伏さざるを得ない音楽家アントニオ・サリエリ役が有名で、この作品でアカデミー主演男優賞を獲得した。

ダン・ヘダヤ
Dan Hedaya, 1940年7月24日 - はアメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン出身の俳優。シリア系ユダヤ人の家庭に生まれる[1][2][3]。タフツ大学在学中は学生演劇に参加していたが、卒業後に中学校の教師となる。しかし俳優になる夢を捨てきれず、退職してテレビに出るようになる。近年は脇役、特に悪役で多くの映画に出演している。『マイアミ・バイス』『LAロー』『ファミリータイズ』『LAW & ORDER』『ER緊急救命室』『名探偵モンク』などのテレビシリーズにも出演している。

 

 

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シリア Syrian
中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。この地域は世界で最も古い歴史を持つ土地と言われ、紀元前1万年頃に氷河期が終わり、地球が温暖化が始まった紀元前8000年頃にはこの地域では麦による農耕が始められた。紀元前6000年ごろには「肥沃な三日月地帯」の一部として灌漑農業が発展し、紀元前3000年ころには農耕に富を基盤とした文明の萌芽があった。

ダマスカス
「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られる。カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がる。現在の人口は約200万人といわれるが、都市圏全体では400万人に迫るといわれる。ダマスカスは地中海から約80km内陸に位置し、アンチレバノン山脈で海からさえぎられている。街はアンチレバノン山脈の麓の、海抜680mの高原の上にある。ダマスカスの辺縁にあるテル・ラマドの遺跡により、ダマスカスは紀元前8000年から10000年もの昔から人が定住していたことが分かる。ダマスカスが人間が連続的に定住した世界で最も古い都市であると言われるのは、この故である。しかし、アラム人(アラビア半島から来たセム語派系の遊牧民)の登場までは、ダマスカスは重要な都市として記されることは無かった。ダマスカスは、都市の歴史のさまざまな時代に遡る歴史的地区の宝庫である。この都市は過去の占領者ごとに増築されたため、現在の都市の8フィート地下に埋まっているダマスカスのすべての遺構を発掘するのはほとんど不可能である。ダマスカスの城砦は旧市街の北西隅に位置する。


ダマスカス大学
University of Damascusは、シリアの首都ダマスカスに位置する国内最大・最古の大学。1923年、医学校(1903年設立)と法学校(1913年設立)を統合して設置1958年、それまでの名称はシリア大学であったが、アレッポ大学設立後、ダマスカス大学に改称。

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ダルアー
ヨルダン国境の10km北にある。人口はおよそ75,000人。また人口6,000人ほどのパレスチナ人難民キャンプがある。ダルアーの歴史はカナン人の時代まで遡る。古代エジプトの文書では、トトメス3世の治世のうち紀元前1490年から紀元前1436年までの間の記録にアタラア(Atharaa)の名で登場している。

ホムス
シリア(シリア・アラブ共和国)西部にある都市で、ホムス県の県都である。地中海から若干離れた内陸にあり、海抜はおよそ450m、オロンテス川沿いにある。現在の人口は650,000人という見積もりから1,200,000人という見積もりまで様々である。古代ローマ時代はエメサ(Emesa)の名で知られた重要都市であったため多くの遺跡が残るほか、十字軍の拠点だったクラック・デ・シュヴァリエが近郊にあり、ホムスと地中海側のトリポリとをつなぐ峠を見張るように建てられている。

マアッラト・アン=ヌウマーン
シリア西部のイドリブ県にある小都市。周囲の農村地帯の農産物を集散する市場の町で、アレッポとハマーを結ぶ国道の中間にある。人口は約81,000人。周囲には「デッド・シティーズ」と呼ばれる、地震・戦乱・交易路の途絶などで放棄された町や村の跡が散在し、中でもバラ(Bara)やセルジッラ(Serjilla)は有名である。街の主な見所には、周囲のデッド・シティから発見されたモザイクなどを収めた博物館、1170年の大地震後に再建されたモスクとミナレット、1199年に創建されたマドラサ・アブー・アル=ファラウィス(madrasa Abū al-Farawis)、中世の城塞の遺跡などがある。マアッラト・アン=ヌウマーンの最も悪名高い事件は、第1回十字軍の最中の1098年に起きた攻囲戦とその後の人肉食事件である。

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アレッポ
Aleppoは北部にある市、および県である。トルコとの国境に近い。人口は1999年現在約170万人で増え続けており、ダマスカスに次ぐシリア第2の都市である。アレッポ新市街と旧市街ははっきり分かれている。旧市街は5km弱の長さの城壁に囲まれ、7つの城門がある。

クネイトラ
Al Qunaytirah, は、南西部のクネイトラ県の県都で、戦争で破壊され廃墟となっている都市。レバノンおよびイスラエル国境に近い街で、ゴラン高原の谷間に位置し標高は1,010m[1]。クネイトラはオスマン帝国時代にダマスカスから南方へ向かう隊商路の中継地として作られ、後にはイスラエル国境に近い戦略的に重要な都市として兵営が置かれ、人口は20,000人を数えた。2012年時点でクネイトラはまだ再建されていない。シリア政府は廃墟をその場に保存し、その破壊を記念する博物館を建てている。

スワイダー
As Suwayda、はヨルダン国境に近い内陸の街で、住民の多くはドゥルーズ派を信仰している。スワイダー県はシリアで最も南にある県で、南をヨルダンに、西はダルアー県(ダラー県、Daraa)に、北と東はダマスカス郊外県に接している。スワイダー付近は古くからブドウ園が広がりワイン生産で名高かったことから、街の名もワインの神ディオニューソスの名にちなむものになった。スワイダーはナバテア、ギリシャ、ローマ、東ローマなど複数の文化の遺跡が発掘されているが、ヘレニズム文化の影響を受けてつくられたアゴラが特筆すべきものである。

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アレッポ国際空港
Aleppo International Airportとは、シリア・アラブ共和国アレッポにある国際空港。

ダマスカス国際空港
Damascus International Airportは、シリア・アラブ共和国の首都、ダマスカスにある国際空港。シリア・アラブ航空の本拠地で、1970年代半ばに開港した。


外務省:シリア・アラブ共和国
在シリア日本国大使館


タルトゥース
Tartus、は、シリア(シリア・アラブ共和国)西部の地中海に面した港湾都市。タルトゥース県の県都。かつてラテン語のアンタラドゥス(Antaradus)またはアンタルトゥス(Antartus)の名で呼ばれ、十字軍にはトルトーザ(Tortosa)の名で呼ばれた。タルトゥースはラタキアに次ぐシリア第二の港湾都市で、タルトゥース県では最大の都市。

ラタキア
Latakia、は、地中海に突き出した半島に位置するシリア(シリア・アラブ共和国)第一の港湾都市。ラタキーヤ県の県都でもある。人口はおよそ554,000人と推計されており、ダマスカス、アレッポ、ホムスに次ぐシリア第4位の都市。

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ハマー
Hama、西部のオロンテス川中流にある都市で、ハマー県の県都である。人口は410,000人を数え、ダマスカス、アレッポ、ホムス、ラタキアに次ぐシリア第5の都市になっている。北のアレッポと南のダマスカスの間にあり、ホムスからは北に当たる。オロンテス川沿いに広がる古い街には合わせて16台の大型水車(ノーリア)があり、庭園に水を供給するために使われている。

ラッカ
Ar-Raqqah、Rakka、は、シリア(シリア・アラブ共和国)北部の都市で、アレッポの160km東にあり、ユーフラテス川中流域の北岸に位置する。アル・ラッカー県の県都。ラッカはアレッポとデリゾールを結ぶ道路や鉄道が通り、ユーフラテス中流の農産物を集散する農業都市である。ラッカ西方にはユーフラテス川をせき止めたダム湖・アサド湖が広がる。

デリゾール
Deir ez Zor、シリア(シリア・アラブ共和国)北東部の都市で、デリゾール県の県都。デイルはアラビア語で修道院を、ゾールは川辺の茂みを意味しており、古代にメソポタミア一帯に多く設置されたキリスト教の修道院がここにも置かれていた。

カーミシュリー
Al Qamishli、はシリア北東部のトルコ国境にある都市である。ハサカ県の中心都市のひとつで、イラク国境へも南へ車で1時間ほどと近い。トルコから流れるジャグジャグ川(Jaghjagh)に面する。ジャグジャグ川の水はユーフラテス川の支流ハブール川に注いでいる。

ハサカ
Al-Hasakah、はシリア北東部のハサカ県の県都。ハサカ県内ではカーミシュリー(人口約20万)に次ぎ人口2位(81,809人)。クルド人およびアッシリア人が多数を占める。

ザバダニ
Zabadani、はシリア南西部のディマシュク県にある都市。レバノン国境付近にあり、周囲をアンチレバノン山脈に囲まれた盆地にある。標高はおよそ1,100mで、盆地内部は豊かな緑に囲まれている。人口は約30,000人。

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バニヤース
Baniyas、はシリア北西部・タルトゥース県北部にある港湾都市。地中海に面し、古くから背後の山岳部や農村から出荷される果実および木材の輸出を行ってきた。またイラクからの石油パイプラインが伸びているため、製油所や石油積出港のほうが有名になったが、イラン・イラク戦争や湾岸戦争、その後の経済制裁など中東情勢の影響を受けている。

イドリブ
Idlib、はシリア北西部のイドリブ県の県都。トルコ国境の南にあり、60km東にある大都市アレッポの経済的影響下にある。人口はおよそ55,000人。スンニ派アラブ人が多数を占めるが、キリスト教徒やクルド人も多く住む。

マンビジ
Manbij、は、シリア(シリア・アラブ共和国)北西部の都市で、アレッポ県(県都アレッポ)に属する。古代の名はヒエラポリス・バンビュケ(Hierapolis Bambyce)。マンビジの遺跡は広範囲にわたるが、ムスリムの時代まで残っていた街であるため、市壁などの廃墟の多くはアラブ人が作ったものであり、往年の大神殿などは残っていない。

ラース・アル=アイン
Ra's al-'Ayn、は、シリア北東部のハサカ県に属する、トルコとの国境の都市である。国境の北側にはトルコの都市ジェイランプナル(Ceylanpınar)がある。メソポタミア上流部(ジャズィーラ地方)の一角にあり、先史時代から農業を営み都市を築く人々がいた。町のすぐ近くには新石器時代のメソポタミアの代表的遺跡であるテル・ハラフやミタンニ王国の首都ワシュカンニ(Washukanni)と推定されているテル・エル・ファハリヤの遺跡もある。

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■国名
公式の英語表記は Syrian Arab Republic (シリアン・アラブ・レパブリック)。通称 Syria (シリア)。「シリア」の語源は不明だが、アッシリアの転訛とする説、ティルスの転訛とする説などがある。


1.面積:18.5万平方キロメートル(日本の約半分)
2.人口:22,517,750人(2009年世銀)
3.首都:ダマスカス
4.人種・民族:アラブ人(90.3%)、クルド人、アルメニア人、その他(9.7%)(2009年 CIA The World Factbook)
5.公用語:アラビア語
6.宗教:イスラム教 90%(スンニー派 74%、アラウィ派、ドルーズ派など 16%)キリスト教 10%

1918年 オスマン・トルコより独立
1920年 仏の委託統治領となる
1946年 仏より独立

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■主要産業:石油生産業、繊維業、食品加工業

■貿易(1)輸出 143億ドル(2009年 UN data)
主要輸出品: 石油・石油製品、繊維製品、果物・野菜
主要輸出先: イラク、レバノン、独、エジプト、サウジ・アラビア、伊
(2)輸入 183億2,000万ドル
主要輸入品: 金属・金属製品、機械類、自動車等の輸送機材、化学製品
主要輸入元: サウジ・アラビア、中国、トルコ、エジプト、UAE、伊、露


シリア・ポンド
(Syrian pound)は、シリアの通貨。現地ではリーラ(リラ)と呼ばれる。通貨の補助単位はピアストル(カルシュとも呼ばれる)第一次世界大戦まではこの地域はオスマン帝国領だったため、トルコ・リラが使用されていた。大戦中にイギリスに占領されるとエジプト・ポンドが流通したが、大戦後にフランスの委任統治領となるとシリア・ポンドの発行が始まった。


■政治
シリアは共和制、大統領制をとる国家である。現行憲法は1973年3月13日に制定されたもので、国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、バアス党(アラブ社会主義復興党)を「国家を指導する政党」と定めている。

ヘゲモニー政党制
一つの大政党のほかに、小さな政党または衛星政党が存在を許されるが、公式上も事実上も権力をめぐる競争が許されない政党制(政党システム)である。このような大政党をヘゲモニー政党と呼ぶ。イタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリが唱えた政党制類型の一つである。「ヘゲモニー(Hegemonie)」とはドイツ語で「主導権」「指導的立場」を意味する語である。

自由シリア軍
シリアの反政府武装組織。Free Syrian Armyの略しFSA とも呼ばれる。2011年に設立し、翌2012年シリア国民評議会の下部組織である軍事事務所の監督下に入る見込み[1]。2011年に始まったシリア国内の争乱の過程で、同年7月にリヤード・アル=アスアド大佐が率いる政府軍の一部が離反し結成。翌8月にはフセイン・ハルムーシュ大佐が率いる自由将校旅団と合流し規模を拡大、さらに後にアサド政権に反目するスンニ派の勢力も取り込み、戦闘員は数万人規模に成長。各地で武装闘争を開始した。

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シリア国民連合
National Coalition for Syrian Revolutionary and Opposition Forces, は、シリアのバッシャール・アル=アサド政権に対する反体制派統一組織。60人のメンバーから構成され、代表は穏健派イスラム教説教師でイマームのムアーズ・アル=ハティーブ師。

■軍事
シリアはアラブの世界ではエジプトに次ぐ軍事大国として知られる。シリアは徴兵制が敷かれており、男子の兵役義務がある。また敵国であるイスラエルの侵攻を防ぐために、旧東側諸国の武器を重装備しており、主に友好国であるロシアから武器を調達している。シリア軍の総兵力は現役約32万人、予備役は50万人である。陸軍の総兵力は約21万5000人、海軍総兵力約5000人+予備役約4000人、空軍総兵力約7万人、防空軍総兵力約4万人である。


■経済
現在のシリア経済は、バアス党の強力な計画経済により農業、商工業、鉱業ともに偏りがなくバランスが取れた形となっており、石油資源にも恵まれているが、米国による禁輸措置もあり経済は低迷状態が続いている。2004年現在の政府発表の国内失業率は20%を超えている。現在、中華人民共和国の改革開放を手本として市場経済の導入を計っており、外国企業の投資受け入れやインターネット導入を進めている。


■国民
住民は、アラブ人が90%で、その他にクルド人、アルメニア人などがいる。アラブ人の中にはシリア語を母国語とする部族もいるため民族性も多様化している。

■宗教
宗教は、イスラム教スンナ派が70%、他のイスラム教の宗派(アラウィー派など)が20%、キリスト教(非カルケドン派のシリア正教会、東方正教会のアンティオキア総主教庁、マロン派の東方典礼カトリック教会など)が10%である。


シリア衝突で死者多数
2011/11/17  アサド政権の退陣を求める市民と政府軍の対立が続くシリアで、軍を離脱した兵士が市民側に加わって衝突が発生、多数の死傷者が出たもよう。

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シリアのデモ弾圧「死者5千人超」 国連機関が報告
2011/12/13  デモへの弾圧が続くシリアで、アサド政権が大規模な武力行使に踏み切るのではないかとの懸念が高まっている。国連人権高等弁務官は虐殺が起きる恐れがあると警告した。だが、国連やアラブ連盟は、有効な手を打ち出せないままだ。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR、本部・ジュネーブ)のピレイ人権高等弁務官は12日、国連安全保障理事会の非公式協議で、アサド政権によるデモ弾圧の死者はこれまでに5千人を超えたと報告。さらに、政権側が中部ホムスに戦車数百台を集結させ、街の周囲に塹壕(ざんごう)を掘っていると指摘した。大規模な武力行使を準備している可能性があるとして、市民の虐殺を防ぐ措置を講じるように安保理に求めた。

シリアのデモ弾圧で200人以上殺害、最悪規模 国連決議採決か
2012/02/04  同国の反体制派組織は4日未明、中部のホムス市で3日、治安部隊の攻撃があり女性と子ども含む217人が死亡したと報告した。ホムス市の住民はCNNの取材に応じ、「虐殺が今日起きた。爆撃が続き、狙撃者が住民の移動を阻止している。路上には多数の負傷者がいるが近寄れない。彼らは我々全員の殺害を準備している」などと証言、国際社会の早急な支援を求めた。

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シリア騒乱
のとおり国際連合などにより事実上の内戦状態と認識されていることから、シリア内戦と表現される場合もある。シリア騒乱は2011年のチュニジアのジャスミン革命の影響によってアラブ世界各地で起きた騒乱(アラブの春)の一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている。2013年1月2日、国際連合はシリアでの死者数がおよそ6万人に上ったと発表した。


アラブ連合共和国
United Arab Republic, 略称UAR)は、1958年にエジプト共和国が、シリア共和国と連合し作られた国家。アフリカ大陸の北東部分およびアジア大陸の西側に位置した飛び地国家で、人口はエジプト2,598万人、シリア457万人(1960年センサス)、面積1,186,630km2(エジプトとシリアの合計)であった。

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*アムネスティ・インターナショナルは、政治犯釈放を求める民衆の「平和的な抗議」に対する「暴力的な取り締まり」を非難した。

*ヒューマン・ライツ・ウォッチは、シリア政府が「率直に意見する市民たちを射殺することに何の呵責もない」ことを指摘し、シリアの民衆が「この地域における非常に厳しい政府の弾圧に対して、自らの命を省みず公然と抗議に挑む信じられないほどの勇気」を示していると言明した。

*エジプト出身のイスラム法学者アル・カラダウィは、「残虐行為」を行っているシリアの「弾圧的政権」に対する蜂起への支持を表明した。彼はバアス党政権に勝つことを訴え、反乱において軍隊が主要な役割を果たすという意見を述べた。アル・カラダウィは、「今日、革命の列車がシリア駅に到着した。それはいずれ辿り着く運命にあった。シリアをアラブ国家の歴史から引き離すことはできない。」と表現し、全てのアラブ人はシリア蜂起を支持するであろうと述べた。

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アムネスティ・インターナショナル
Amnesty Internationalは、国際連合との協議資格をもつ、国際的影響力の大きい非政府組織(NGO)である。国際法に則って、死刑の廃止、人権擁護、難民救済など良心の囚人を救済、支援する活動を行っている。和名は「国際人権救援機構」。資金の調達のために、アーティストたちにボランティアで描いてもらったアートカードや便箋などのグッズや活動の内容を紹介する書籍、ビデオなどの販売を行っている。軍事政権下のポルトガルで学生2人がカフェで「自由のために!」と乾杯したために逮捕されたことに対して、1961年5月28日の新聞に英国の弁護士、ピーター・ベネンソンが記事を投稿したことをきっかけに、多数の人々の支持を得て発足した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ
Human Rights Watchは、アメリカ合衆国に基盤を持つ国際的な人権NGOの1つでニューヨークに本部を置く。前身は、ヘルシンキ・ウォッチ(英語版)の名称で1978年に設立され、ソビエト連邦のヘルシンキ宣言違反を監視した。ヘルシンキ・ウォッチは、組織の拡大につれ他の「監視委員会」を発足させ、世界の他の地域をカバーしていった。1988年に全ての委員会が統合されてヒューマン・ライツ・ウォッチに改称した。その創設者の1人で代表者の1人でもあるのがロバート・L・バーンスタインである。


アル・カラダウィ
Yousef Al-Qaradawi, 1926年9月9日 -はエジプト出身のイスラム法学者。エジプトに生まれ、2歳で父を亡くし叔父に育てられる。1953年にカイロのアズハル大学を卒業、ムスリム同胞団に参加したためエジプト政府により何度も投獄され、1963年ついに追放されてカタールへ渡る。カタールでは衛星放送局アルジャジーラの看板番組のひとつである「宗教と生活」のメインゲストを務め、毎回視聴者などから寄せられる社会生活上における問題についての質問に対し豊富なクルアーンの知識を活かして回答する。イスラム界では最も著名な法学者の一人であり、彼の出すファトワーはアラブ社会のみならず全世界のイスラム教徒に対して絶大な影響力をもつ。非常に柔軟なクルアーンの解釈で知られ、女性の社会参加に寛容であったり、性生活に関して夫婦の自由意思を尊重するなど、イスラームと西欧的民主主義の両立は可能であるとの立場をとっている。

ポール・アンカ
Paul Anka, 1941年7月30日- はカナダ出身のポピュラー・シンガーソングライター。レバノンの正教徒移民の子としてオタワで生まれた。1990年にアメリカ市民権を得ている。ニール・セダカやデル・シャノンと共に、ポップスの草創期を代表するシンガーソングライターであり、その草分け的存在でもある。

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バッシャール・アル=アサド
Bashshār al-Asad, 1965年9月11日 - は、シリアの政治家で、大統領(在任2000年 - )、バアス党地域指導部書記長。ハーフィズ・アル=アサド前大統領の次男。ハーフィズ・アル=アサドの次男としてダマスカスに生まれた。幼少の頃に父がクーデターでシリアの全権を掌握するなど、政治は常に身近な所にあったが、兄弟や妹と異なり本人は政治や軍事への関心を欠いた、控えめで穏やかな人間として育ち、父とは政治の話をしたことがなかったという。

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