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カタール国
State of Qatar

■地理
カタール半島は、サウジアラビア側から160km突き出ている。国内の大部分は不毛な砂漠の平野であり、西部に南北に伸びる石灰岩のドゥカン山地が最も高く海抜103メートルである。この山地の下にドゥカン油田が存在、一方世界最大級のガス田はカタール半島北東からイラン方向の海底に広がる。


中東
Middle East または Mideast)は、狭義の地域概念では、インド以西のアフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の総称。西ヨーロッパから見た文化の同一性や距離感によって、おおまかに定義される地政学あるいは国際政治学上の地理区分。


西アジア
アジア西部を指す地理区分である。今日の欧米ではほぼ中東と同じ領域を指すことが多い。一般的には、中央アジアおよび南アジアより西、地中海より東で、ヨーロッパとはボスポラス海峡、アフリカとはスエズ運河によって隔てられている地域を指す。


アラビア半島
アジアとアフリカを繋ぐ場所に位置する西アジア南西の巨大な半島であり、半島としては世界最大である。紅海、アカバ湾、アラビア海、アデン湾、ペルシア湾、オマーン湾等に囲まれており、北の付け根はイラクとヨルダンにあたる。半島の南東方面にはルブアルハリ砂漠が広がっている。

ペルシア湾
イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾。20世紀初頭までは、真珠採集などが盛んであった。20世紀前半にこの地域で石油が発見され、さらに大量産出地でもあることも判明した。20世紀後半には、油田開発が活発に行われ、湾内には多くの油井が存在する。


<歴史>
■紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物が見つかっている。
ペルシア湾での真珠採取の産地として古代から知られて来た。その後、近代までの歴史は不明である。バーレーンのハリーファ家が1868年まで北カタールを治めていた。その年カタール貴族の依頼によりイギリスの仲介でバーレーンの主張を取り下げさせたが、オスマン帝国がカタールを占領した。

■第一次世界大戦後
オスマン帝国が撤退したあとはイギリスの実効支配のもと、アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーをシェイクとした自治権を認めた。

■1935年
英蘭仏米の共同国益会社「カタール石油会社(Qatar Petroleum Company)」に対して、カタールでの75年間の石油掘削権を承認。

■1940年
高品質の石油が、カタール半島西岸で発見された。第二次世界大戦のため1949年まで石油輸出は行われなかった。1950年代から1960年代にかけて、この石油がカタールに繁栄と社会進化をもたらし、近代化の始まりとなった。

■1968年
イギリスのスエズ以東撤退宣言に伴い、イギリスの保護領トルーシャル・オマーン (Trucial Oman:休戦オマーン。トルーシャル・コースト Trucial Coast:休戦海岸とも) は、1971年の独立を目指しアラブ首長国連邦 (Federation of Arab Emirates:FAE) を結成した。カタールやバーレーンもその一員としてFAEに含まれていたが、既にカタールとバーレーンは石油生産の好調で単独独立が可能な状態になっており、他首長国との利権問題もあってカタールとバーレーンは近隣国のサウジアラビアやアラブ首長国連邦の一部になることを断り、カタールは9月3日に単独で独立した。

■1995年
現首長であるハマドが、前首長であり父であるハリーファの外遊中に無血クーデターを起こして政権を奪取。ちなみに、ハリーファも初代首長であり父であるアフマドの外遊中に無血クーデターを起こして政権を奪取している。ハマドが政権を奪取して以降、彼は天然資源のみに頼った経済体制を危惧して観光産業の育成などに着手している。一時は前首長ハリーファの閉鎖的な政策の影響で宿泊施設すらほとんどなく、「世界一退屈な都市」とまで言われた首都ドーハにも様々な娯楽施設などが建設され、賑わいを見せ始めている。また、衛星テレビ局アルジャジーラも彼のポケットマネー(1億5000万USドル)で設立された。


アルジャジーラ
「アルジャジーラ衛星チャンネル」は、アラビア語と英語でニュース等を24時間放送している衛星テレビ局。本社はカタール・ドーハにある。1996年11月1日、カタール首長であるハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーより5億カタール・リヤル(1億3700万USドルに相当)の支援を受けて設立。独立を保った報道姿勢を保ちつつも、会長には首長の親戚であるハマド・ビン・サーメル・アール=サーニーが就任し、カタール政府を通じた経営[2]という形がとられた。従来からの欧米(キリスト教文化圏)中心の視点とは異なるアラブ系メディアであり、アメリカのテレビがアメリカ社会、文化に偏向しているのと同様、アルジャジーラも当然アラブ社会(およびアラブ世界の一部を含むイスラーム世界)、文化に偏向しているが、これが直ちにアルジャジーラが反米メディアである事を意味しない。


ドバイ・タワーズ・ドーハ
Dubai Towers Dohaは、カタールの首都・ドーハに現在建設中の超高層ビル。着工は2007年6月、総工費は6億2000万米ドル。高さは437m、84階建てである。2010年の完成時には、551m・112階建てのドーハ・コンベンション・センター・タワーの建設工事が現在中断されているために、ドーハで最も高い超高層ビルになる。


カタール財団
カタール政府が出資する非営利団体である。1995年ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーにより設立。教育分野においてはカタール・アカデミーを設け、またカタール国外の大学分校も開設している。主にバージニア・コモンウェルス大学、テキサスA&M大学、ジョージタウン大学、カーネギー・メロン大学、ノースウェスタン大学など。2009年からは世界教育改革サミットを開催されているほか、カタール国立研究基金、カタール・サイエンス&テクノロジー・パークを中心としたエデュケーション・シティの運営も行っている。

アル=サーニ家
現在のカタールの首長の王族。マアーディード族 (Al-Maadeed) に属する。カタールは1766年にクウェートから移住してきたハリーファ家 (Al Khalifa family) が支配し、さらにペルシャからバーレーン島を奪うとハリーファ家が支配するバーレーンの統治下にあった。サーニー家はカタール土着の豪族で、19世紀前半に度々反旗を翻すが1840年に1度鎮圧される。首長以外の一族の影響力も強く、2002年の内閣閣僚の6割はサーニー家が占めている。


■経済
2011年9月、英国のシンクタンクによると、世界第30位の金融センターであり、中東では第1位である。インド、パキスタン、イランなどからの外国人労働者がカタール国籍を持つ総人口より多く、外国人労働者に労働力を大きく依存。一人当たりのGDPは世界最高レベルにある。所得税がかからない。2004年ドーハに科学技術パークを開き、世界中から技術関連企業を呼んだ。

ドーハ開発ラウンド
Doha Development Round)は、貿易障壁をとり除くことを目的として世界貿易機関(WTO)が主催する多角的貿易交渉である。メディアにおいては、ドーハ・ラウンド(Doha Round)との名称が使用されることが多いが、正式な名称はドーハ開発アジェンダ(Doha Development Agenda)である。これは、ラウンドの名称を使用することに開発途上国が反発したためである。


■鉱業
原油の埋蔵量は150億バレル、天然ガスは800兆立方フィート。産出量は2001年時点で原油3142万トン、天然ガスは世界シェアの1.2%を占め、1225千兆ジュールに達する。日本の天然ガス輸入先としてはマレーシア、インドネシア、オーストラリアに次いでカタールが第4位にあたる。

石油
炭化水素を主成分として、ほかに少量の硫黄・酸素・窒素などさまざまな物質を含む液状の油である。採掘後、ガス、水分、異物などを大まかに除去した精製前のものを特に原油(げんゆ)という。鉱物資源の一種とする場合もある。石油は、英語でPetroleumという。これはラテン語のPetra(岩石)とOleum(油)を語源とする。狭義には原油 (crude oil) のことを指すが、より広い意味では天然ガスや固体のアスファルトなどを含める。

天然ガス
natural gas)は、一般に天然に産する化石燃料である炭化水素ガスのことを指す。広義には、地下に存在するガス、または地下から地表に噴出するガス一般のことであり、この中には化石燃料ガス(可燃性ガス)だけでなく、窒素や酸素、炭酸ガス、水蒸気、硫化水素ガス、亜硫酸ガス、硫黄酸化物ガスなどの不燃性ガスも含まれる。これら不燃性ガスの多くは火山性ガスである。


■国民
主な宗教はイスラム教スンナ派である。また、シーア派とワッハーブ派がそれぞれ人口の10%強いる。イスラム教はカタール国籍を持つほとんどの人々が信仰している。公用語はアラビア語であるが、英語も政界・財界などで広く理解されている。


スンナ派
イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつ。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。また、多数派である事や歴史的な事情などから「正統派」などと言われる。しかし、スンナ派を正統とするのは、あくまでスンナ派の内側から見た場合の理解である。

シーア派
イスラム教の二大宗派のひとつで、2番目の勢力を持つ。最大勢力であるもう一方はスンナ派である。イスラム教の開祖ムハンマドの従弟で、娘婿のアリーと、その子孫のみがイマームとして預言者のもつイスラム共同体(ウンマ)の指導者としての職務を後継する権利を持つと主張する。

ワッハーブ派
ワッハーブ派は、18世紀にアラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の改革運動である。宗派としてはスンナ派に属するが、その下位宗派に数えられる場合もある。法学的には、イスラム法学派のうち厳格なことで知られるハンバル派に属す。


アラビア語
アフロ・アジア語のセム語派に属する言語の一つ。主に西アジアや北アフリカのアラブ諸国で話されている。世界で3番目に多くの国と地域で使用されている言語であり、アラビア半島やその周辺、サハラ砂漠以北のアフリカ北部の領域を中心に(非独立地域を含めて)27か国で公用語とされており、また、国連の公用語においては、後から追加された唯一の言語でもある。


ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー
Hamad bin Khalifa Al Thani、1952年1月1日 - )は、カタール首長(1995年6月27日 - )。1995年6月26日、当時首長であった父ハリーファ・ビン・ハマド・アール・サーニー (Khalifa bin Hamad Al Thani) を追放し、首長の地位に就いた。1952年、当時イギリスの保護領であったカタールに生まれる。初等教育(初等学校、中等学校)はカタールのドーハで受け、後にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校で学ぶ。

アーメド・ラディ
( Ahmad Radhi Amaiesh Al-Salehi、1964年3月21日 - )は、イラク出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。1988年度のアジア年間最優秀選手賞受賞者、日本ではドーハの悲劇の時の対戦相手としても知られる。1983年4月28日のエジプト戦で代表デビューを飾るとその試合で代表初得点を記録、以降1984年のロサンゼルス五輪、1986年のメキシコW杯に中心選手として出場した。

フセイン・ヤセル
(Hussein Yasser, 1982年10月9日 - )は、カタール・ドーハ出身のサッカー選手。湾岸諸国の選手としては珍しく6カ国でプレー経験のあるジャーニーマンである。父親はエジプトの元サッカー選手で後に指導者としてカタールに渡った。

サイフ・サイード・シャヒーン
Saif Saaeed Shaheen、1982年10月15日 - )は、カタールの陸上競技選手である。現在はカタール国籍であるが、以前はケニア国籍であり、名前もステファン・チェロノ(Stephen Cherono)という名であった。IOCのルールでは国籍を変更した後3年間は国際大会にその国から出場できないとあり、そのためシャヒーンは2004年のアテネオリンピックに出場できなかった。

ファビオ・セザール
(Fabio Cesar Montezine,1979年2月24日)は、ブラジル出身のカタール代表のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。アル・ラーヤンSC所属。ブラジルのロンドリーナで生まれたファビオはサンパウロFCに入団。そこでは出場機会がなく、チェコ、イタリアなどを渡り歩き、2005年にカタールの強豪アル・アラビに入団。カタールで素晴らしい活躍をしていたファビオは2008年にカタール代表デビューを果たした。

 

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カタール Qatar
中東・西アジアの国家。首都はドーハ。アラビア半島東部のカタール半島のほぼ全域を領土とする半島の国。ペルシア湾(アラビア湾)に面する。南はサウジアラビアと接し、北西はペルシャ湾を挟んでバーレーンに面する。紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物が見つかっている。ペルシア湾での真珠採取の産地として古代から知られて来た。

ドーハ
カタール半島東海岸のペルシア湾に面した港町で、カタール最大の都市。中東有数の世界都市である。人口は400,051人(2005年)で、カタールの人口の80%がドーハ都市圏に住んでいる。町は1825年に「アル・ビーダ(Al-Bida)」という名で設立された。後のダーハの市名は、アラビア語で「大きな木」の意味で、カタール半島の東海岸の漁村(今日のドーハの元になった)にあった大木に由来する。

アッ=ザアーイン
Al ZaainまたはAl Daayen)は、カタール東部にある行政区画。ドーハのすぐ北、アル=ホールの南、ウンム・サラールの東に位置し、スマイスマやウンム・カルンなどの町がある。人口は、43,176人(2010年4月)。

ライヤーン
Al-Rayyan)は、カタールの行政区画。カタールの西部にあり、7つある行政区画のうち面積は最も広く、人口は455,623人(2010年)で行政区画では二番目の規模である。

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ウンム・サラール
7つ存在するカタールの行政区画の一つ、ドーハの北西にあり、行政区画で唯一海に面していない。バルザーン塔(英語版)(バルザーン宮とも)の建つウンム・サラール・ムハンマドやウンム・サラール・アリーなどがある。人口は60,509人(2010年4月)。


■情報通信
しばしば「中東のCNN」と形容されるアルジャジーラの本社がドーハに置かれている。開局時はアラビア語のニュースTVでスタートしたが、現在いくつものチャンネルを有する。アラビア語と英語の新聞がいくつかあり、英字ビジネス月刊誌はQatar Todayが唯一で、他にアラビア語のビジネス誌、女性誌、ファッション誌が同じ出版社から出ている。


■人口
外国人が大多数で、特にインド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピンからの労働者が多い。レバント諸国や北アフリカからも多い。現在ではカタールの市民権を有さないものでもドーハに不動産を購入できるようになった。ドーハ都市圏が数年以内に100万人を越えるのは時間の問題である。


■経済
カタール経済の中心であるドーハの主な産業は石油産業と天然ガス産業である。カタール最大の石油「カタール石油(Qatar Petrolium)」、ガス会社「ラスガス(RasGas)」など、多くの会社がドーハに本社を持つ。カタール政府は石油ガス依存からの脱却を目指し、産業の多角化を奨励している。

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■教育
ドーハには1973年創立のカタール大学(University of Qatar)がある。エデュケーション・シティーという地域には、カタール大学を含む多くの大学がキャンパスを持つ。ジョージタウン大学やカーネギーメロン大学等のアメリカの6つの有名大学もここにキャンパスを持つ。また研究機関も集積している。

ジョージタウン大学
(Georgetown University)は、アメリカ合衆国の名門私立大学。1789年1月23日ジョン・キャロル大司教によって創設された。アメリカ合衆国におけるカトリック教会及び、イエズス会創設の大学としては、最古の歴史を持つ。

カーネギーメロン大学
Carnegie Mellon University)は、ペンシルベニア州ピッツバーグに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。1912年に設置された。マサチューセッツ工科大学、カリフォルニア工科大学とともにアメリカ有数の名門工科大学の1つと評されており、計算機科学、公共政策学、経営学、音楽・映像分野を幅広くカバーしており、ブロードウェイにおいても有名な存在である。


■空港
ドーハ国際空港:カタール航空のハブ空港として使用されている。IATA空港コードはDOH。現在隣接する海上に、新ドーハ国際空港が2009年の第一期計画の開港目指して建設中である。完成時には現在のドーハ国際空港は廃港になる。新空港は4,850mと4,250mの滑走路を持つ最新鋭の巨大空港になる。

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ドーハ国際空港
Doha International Airportとは、カタールの首都ドーハにある国際空港である。カタール唯一の国際空港である。ターミナルビルには、ボーディング・ブリッジは無く乗客は専用バスにより駐機場との間を移動する。


アル・ホール
al-Khorは、カタール北部にある都市。カタール半島東海岸のペルシア湾に面した港町で、カタールの首都ドーハから北に50kmに位置する。外国人が大多数で、特にインド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピンからの労働者が多い。

アル・ラーヤン
Al-Rayyanは、カタール中部にある都市。首都ドーハの西にある、カタール半島の内陸にある町。人口はドーハに次ぎ、同国第二の都市である。総合スポーツクラブのアル・ラーヤンSCが本拠を置いており、サッカーチームは同国でも強豪である。

アラブ連盟
League of Arab States、直訳は「アラブ諸国連盟」は、アラブ諸国の政治的な地域協力機構。第二次世界大戦末期の1945年3月22日創設。本部はカイロにある。加盟は22(21カ国と1機構)。 現在の連盟事務局長はエジプト前外相のナビール・エル=アラビー。


外務省:カタール国
在カタール日本国大使館


オスマン帝国
テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。

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カタールの国旗
カタールの国旗は、縦横比11:28で、白と赤茶色からなり、9つの頂点を持つ縦のジグザグ線で区切られている。赤茶色の部分は元々は赤色だったが、掲げられている国旗が太陽の強い日差しで赤茶色に色褪せてしまい、国旗を変更する際に、「色褪せたこの色も悪くはない」ということで、1949年に現在の色に制定された。


■国名
正式名称はアラビア語で(Dawlat Qa?ar ダウラトゥ・カタル) といい、通常は(Qa?ar カタル) と称する。英語での公式国名は the State of Qatar、通称 Qatar


1.面積:11,427平方キロメートル(秋田県よりもやや狭い面積に相当))
2.人口:約170万人(2011年/カタール統計庁)
3.首都:ドーハ
4.民族:アラブ人
5.言語:アラビア語
6.宗教:イスラム教

7.略史:18世紀から19世紀にかけてクウェート、アラビア半島内陸部の部族がカタールに移住したことにより、現在のカタールの部族構成が成立した。その後1916年に英国の保護下に入る。1968年英国がスエズ以東から軍事撤退を行う旨宣言したことにより、1971年9月3日、カタールは独立を達成した。

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■主要産業(1)石油確認埋蔵量:約259億バーレル(世界シェア:1.9%)
可採年数:約45年生産量:156.9万B/D(世界シェア:1.7%)
(2)天然ガス確認埋蔵量:約25.3兆立法メートル(世界シェア:13.5%)
可採年数:約217年生産量:1167億立方メートル(世界シェア:3.6%)
■主要貿易品目(2008年/カタール統計庁)(1)輸出 石油、天然ガス、石油化学製品(2)輸入 自動車、電気ケーブル、チューブ、導管


カタール・リヤル
Qatari Riyal)はカタールの通貨単位で、QRまたはQARで記される。 補助単位はディルハム(Dirham)で、1リヤル=100ディルハム。1966年まで、カタールでは通貨として「湾岸ルピー」としてのインド・ルピーが使われていた。1973年までは、カタールとドバイはリヤルを共同で発行していた。しかしドバイがアラブ首長国連邦に参加したため、カタールは単独でカタール・リヤルを発行することとなった。


■政治
サーニー家による首長制(君主制の一種)である。現行憲法は2003年4月29日に承認されたもので、三権分立の立場を取り、民主主義や女性参政権の保障などを謳っている。しかし、実際はサーニー家に実権が集中している状況。議会としては45議席の「諮問評議会」が置かれており、閣僚への質問権や予算案承認のための投票権などを持つ。45議席のうち30議席は直接選挙、15議席は首長による任命制。行政権は首長および内閣が持つ。

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■スポーツ
日本では、FIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア地区最終予選の日本代表最終戦となった日本対イラク戦で、日本代表がロスタイムで同点に追いつかれてワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」で一躍有名になった。アスパイア・アカデミー(ASPIRE Academy):2004年創立のスポーツ学校で、世界クラスのアスリート養成を目指して設立された。「アスパイア・ゾーン」地域にあり、ここにはハリーファ国際スタジアムや、ハマド水泳センター、アスパイア・タワーもある。

ツアー・オブ・カタール
Tour of Qatar)は、カタールを舞台にして1月下旬〜2月上旬にかけて行われる自転車プロロードレースのステージレース。2002年に創設された非常に新しいレースで、UCIアジアツアーの2.1カテゴリーに位置づけられていたが、2012年から同2.HCカテゴリーに昇格した。

ロサイル・インターナショナル・サーキット
(Losail International Circuit、はカタールのドーハの北アッ=ザアーインにあるサーキット。2004年完成。一周は5.4km。MotoGPの一戦であるカタールGPの開催地となっている。メインストレッチが1,068mと比較的長く、特に125ccクラスのようなローパワーマシンの場合スリップストリーム合戦になることも珍しくない。


■文化
第15回アジア競技大会が、首都ドーハで開催した。期間は、2006年12月1日から15日まで。アラブ圏では初のアジア大会で、エジプト以東の中東地域を含むアジア地域の45の国と地域が参加する。 潤沢な石油・天然ガス収入で医療、教育が無償、社会保障制度も完備。


■観光
ドバイにもあるパーム・ツリー・アイランドがドーハ湾に作られ、リゾート地になっている。また、南部のホール・アル・ウデイドのラグーンや砂丘ツアーがある。


ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アール=サーニー
Hamad bin Jassim bin Jaber Al Thani、1959年 -)は、カタールの王族、政治家、実業家。現カタール首相(2007年4月3日 -)兼外相(1992年9月1日 -)。カタール投資庁(英語版)最高経営責任者。日本語メディアでは、「ハマド・ビン・ジャシム」と表記される事が多い。ハマド首相兼外相の存在は大なるものがあり、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれている。

ハルファン・イブラヒム
Khalfan Ibrahim Khalfan Al Khalfan、1988年2月18日 - )は、カタール出身の同国代表サッカー選手。ポジションはFW。カタール代表ではおもにウイングとしてプレーしている。2006年にアジア年間最優秀選手賞を受賞した経験を持つ。

 

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