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ネパール王国
Kingdom of Nepal

アジア

■地理
国境の長さは合計2926km、うち中国国境1236km、インド国境1690km。中国国境地帯にはサガルマタ(英国呼称エベレスト)を始めとする8000m級の高峰を含むヒマラヤ山脈が存在する。そのため高山気候となっている。一方、インドとの国境地帯は「タライ」「テライ」または「マデス」といわれる高温多湿の平原地帯で、肥沃である。その中間には丘陵地帯が広がる。最高所はエベレストで標高8850メートル。最低所は標高70メートルである。

中国国境に接するネパール北部は世界の屋根とも称される8000メートル級の山々が林立する高山地帯であり、多くの登山家を惹き付けてきた。高山の山間には氷河が多く形成されている。近年は地球温暖化の影響で高山の雪がとけ、氷河湖の決壊が問題となっている。氷河湖が決壊すると大量の土砂による土石流が発生し、大きな被害が発生する。特にエベレストのふもとにあるイムジャ湖は大変危険な状態にあるといわれている。


マデシ
Madheshはネパール南部に東西に広がる細長い平原地帯、「マデス」「テライ」または「タライ」ともいわれる地域に住む人々。国土面積の17%、人口の48%を占め、1100万人が住む。土地は肥沃である。南はインドに接する。


イムジャ湖
イムジャ湖はネパールにある氷河湖。北緯27度53分、東経86度55分。決壊の被害が懸念されている。氷河湖とは氷河の後退により溶けた水がモレーン(氷河末端の堆石)にせき止められて自然のダムに溜まることにより形成される湖で、貯水量が一定以上になるとダム部分が決壊し、激しい土石流となって下流域に大きな被害をもたらすことがある。

エベレスト
Everest、またはチョモランマは、ヒマラヤ山脈にある山。世界最高峰。英名エベレストはインド測量局の長官を勤めたジョージ・エベレスト (George Everest) にちなむ。1920年代からの長きにわたる挑戦の末、1953年に英国隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされた。

アンナプルナ
Annapurnaは、ネパール・ヒマラヤの中央に東西約50 kmにわたって連なる、ヒマラヤ山脈に属する山群の総称。サンスクリットで「豊穣の女神」の意。ネパールが鎖国時代には近づけなかったが、1950年開国直後の6月3日にフランスのモーリス・エルゾーグ、ルイ・ラシュナル率いるフランス隊によって、第1峰に初登頂がなされた。

カンチェンジュンガ
Kangchenjungaは、ネパール東部とインド国境にあるシッキム・ヒマラヤの中心をなす山群の主峰。標高8,586mはエベレスト、K2に次いで世界第3位。西峰(ヤルン・カン8,505m)、中央峰(8,478m)、南峰(8,476m)が並ぶ。カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味。

ローツェ
(Lhotse)は、ヒマラヤ山脈のエベレストの南に連なる世界で4番目に高い標高8,516 mの山である。主峰の他に8,414m の東峰と8,383 mのシャール峰がある。ローツェはチベット語で「南峰」の意で、エベレストの南峰であることを意味する。

マカルー
(Makalu)は、ヒマラヤ山脈の標高8,463 m山である。エベレストの東方約22 kmに位置し、世界で5番目に高い。ネパールとチベットにまたがり、マカルー・バルン国立公園(Makalu Barun National Park)内にある。その山頂は四角錐状になっており、狭い鞍部を挟んだ北側には別の頂であるチョモロンゾ(7,818 m)がある。


<世界遺産>
カトマンズの谷
標高は、約1,300m。緯度は沖縄と同程度である。典型的なモンスーン気候。盆地内には、ガンジス川の支流であるバグマティ川などの川が流れ、耕作に適した大地が広がっている。チベットとインドを結ぶ交易の中継点でもある。 カトマンズ盆地は、数千年前までは湖だったと考えられている。湖だったことは、この地の神話にも登場する。

ロイヤル・チトワン国立公園
このチトワン国立公園の標高は、50m〜200m程度で亜熱帯気候である。公園内には、インドサイ、ベンガルトラ、ヒョウ、ヌマワニ等の絶滅の恐れの高い動物が生息している。また野鳥の種類は500種類以上で、世界一といわれてもいる。

仏陀の生誕地ルンビニ
ネパールの南部タライ平原にある小さな村。仏教の開祖・釈迦(本名・サンスクリット語:ガウタマ・シッダールター)の生まれたとされる地。仏教の八大聖地の1つでもある。

サガルマータ国立公園
世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈でも高い山が連なる。世界最高峰のエベレスト、ローツェ、マカルー、チョ・オユーなどである。


ヒマラヤ山脈
ヒマラヤ山脈(Himalayan Range)は、アジアの山脈で、地球上で最も標高の高い地域である。ヒマラヤには、エベレストを含む、地球上で最も高い14の8000m級ピーク(独立峰)がある。付属峰も含めるとヒマラヤには7000m級の山が100以上も存在する。ヒマラヤ山脈の全長は西のナンガ・パルバット(パキスタン)から、東のナムチャバルワまでじつに2400kmに及ぶ。約5000万年前、このインド・オーストラリアプレートの速い動きによって海底の堆積層が隆起し、周縁部には火山が発生してインド亜大陸とユーラシア大陸の間にあったテチス海を完全に閉ざした。 これらの堆積岩は軽かったので、プレートの下には沈まずにヒマラヤ山脈を形成した。


■先史時代・伝説時代
ネパールの中心、カトマンズ盆地には旧石器時代から人が住んでいたことが明らかになっている。ドゥマカールの遺跡で発見された木具を放射性同位元素で測定した結果、紀元前2万7400年ごろのものと推定された。また、タライなど旧インド文化圏の各地でも旧石器時代の遺物が発見されている。


■古代・中世
紀元前6世紀 - 現在ネパール領(インド領説あり)のカピラヴァストゥ共和国の統治者の子として釈迦(仏陀)がルンビニで生誕し、北インドに教えを広めた。これらの地域は当時はインド文化圏に含まれていた。紀元前3世紀 - インドのアショーカ王が釈迦の生誕地である南ネパールに巡礼を行い、仏塔を建立した。


クマリ
クマリ(Kumari、Kumari Devi)はネパールに住む生きた女神である。密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレジュやアルナプルナの生まれ変わりとされており、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。中には初潮が来ず、50歳を過ぎてもクマリを務めているケースもある。

ヒンドゥー教
Hinduism慣用表記でヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。

アニミズム
animismは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。


グルカ兵
グルカ兵(Gurkha)とは、ネパール山岳民族から構成される戦闘集団の呼称である。一般的に、ネパールのグルカ族出身者で構成される山岳戦・白兵戦に非常にたけた戦闘集団であると考えられているが、実際にはグルカ族なる民族は存在せず、マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族などの複数のネパール山岳民族から構成されている。


ネワール族
主にネパールのカトマンドゥー盆地一帯に居住する民族。ネパールでは人口で5.48%(2001年)。6番目の民族である。主要言語はチベット・ビルマ語派のネワール語(ネパール・バサ語)。ネワール族はその長い歴史から高度な都市文明を形成している。カトマンドゥー盆地での居住は約3世紀から4世紀だと言われている。
有名な神話の中では、カトマンドゥー盆地はかつて大きな湖であり、文殊菩薩が聖なる剣で周囲の山地を切り開き湖の水を外に流し、ネワール族が居住出来るようになったという。

タルー
(Tharu)はネパールおよびインドの民族およびその言語。タルー族はネパールの西部山岳地帯サーケット渓谷、チトワン渓谷、ダン渓谷、デウクリ渓谷、内部タライ渓谷のシンドゥリとウジャプール、およびネパール・インド国境地帯のタライ平原、などに住む先住民族である。ネパールの人口は2006年7月推計で28,287,147人であるが、タルー族はその6.6%を占める。なお、同じタライ平原に住むマデシとは別民族である。


ボージュプリー語
インドで話されている言語の1つ。インド北東部のビハール州、ウッタル・プラデーシュ州、また南部ネパール、ガイアナ、フィジー、モーリシャス、スリナム、シンガポール、トリニダード・トバゴなどにも話者がいる。


マイティリー語
マイティリー語はインド・ヨーロッパ語族、インド・イラン語派、インド語派に属する言語である。マイティリ語、マイティル語とも表記する。インドビハール州のほか、ネパール南部、タライ平原(マデス地方)で話される。ネパールではネパール語についで話者が多く、国民の12.1%が話している。

デーヴァナーガリー
Devanagari、は古代インドで発達した文字。古典言語のサンスクリット、プラークリットで使われた。また、現代でもインド諸語のヒンディー語、マラーティー語、ネパール語などで筆記・印刷に用いられている。一目で分かるデーヴァナーガリーの特徴としては、各文字がシローレーカー(頭線)と呼ばれる上部の横線画で繋がっている点が挙げられる。

チェトリ
(Chhettri)はネパールのカースト集団。民族的にはネパール語を母語とするパルバテ・ヒンドゥーに属し、人口の15.5%(2001年国勢調査)を占める。大部分はヒンドゥー教徒で、東部インド・アーリア語派に属する。「チェトリ」という語は、サンスクリットの「クシャトリア」の転訛であり、世襲的な戦士と支配者にあたる。旧ネパール王家はこのカーストに属する。

バフン
Brahman-Hill、バウン、丘陵ブラーマン)は、ネパールのカースト集団である。民族的にはネパール語を母語とするパルバテ・ヒンドゥーに属し、最上級のバラモン(僧侶)階級にあたる。2001年の国勢調査の民族・カースト別統計では人口の12.5%を占めている。

マガール
ネパールおよび北インドの民族および、その言語。 言語はシナ・チベット語族。その居住地は、ヒマラヤ山脈のダウラギリ地域の西端、南端から、南はヒマラヤ前衛のマハーバーラト山脈、東はガンダキ盆地に広がっている。2001年のネパールの国勢調査によると、162万2421人が自分をマガール民族に属すると認識し、これはネパールの人口の7.14%を占める。ネパール最大の先住民族である。


カミ
Kami はネパールの不可触賤民 に属するカースト集団 の一つである。インド・アーリア (en:Indo-Aryans) 系の民族集団パルバテ・ヒンドゥーに属す。母語はネパール語。カミは本来、鍛冶職人であり、ネパールの丘陵地帯全体に散在している。


プルキシ
ネパールの仮面劇などで語られる神。 蛇を体に巻きつけ、三つの目を持つ象頭の人の姿をしているという。ヒンドゥー教のガネーシャと同一視される。 ヒンドゥー教と宗教対立にあるスリランカでは、インドの神々が悪魔とされている。 そのため、プルキシはガネーシャの変わり身ともされている。

ボダナート
Bouddhanathは、ネパールのカトマンズにある、高さ約36mのネパール最大のチベット仏教の巨大仏塔(ストゥーパ)である。「カトマンズの渓谷」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。

ダサイン
Dasaraは、ネパール、インドのシッキム州、西ベンガル州のダージリン地域、アッサム州やメガラヤ州とブータン等でお祝うヒンドゥー教の祭り。ダサインはネパールで15日間の国家(宗教的)最大の祭り。インドのシッキム州ではステート・フェスティバルとして祝う。


ナマステ
namaste は、インドやネパールで交わされる挨拶の言葉である。ナマス (namas) + テ (te) と分解できる。ナマスは敬礼・服従すると言う意味である。仏教では帰依という意味になり、漢訳仏典では「南無」と音写される。テは「あなたに」の意味である。


パシュパティナート
(Pashupatinath)は、カトマンズにあるシヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院。シヴァが滞在したとの言い伝えのあるこの地は、はるか1500年以上も昔から巡礼の地となっており、インド大陸四大シヴァ寺院の一つにも数えられ、ヒンドゥー教が国教であるネパールでは最高の聖なる地である。


■言語
公用語はネパール語。
ネパール語 47.8%, マイティリ語 12.1%, ボージュプリー語 7.4%, タルー語 5.8%, タマン語 5.1%, ネワール語 3.6%, マガール語 3.3%, アワディー語 2.4%, その他 10%, 不明 2.5%(2001年国勢調査)ただし、政府や企業、教育機関では英語が多用されている。

■宗教
ヒンドゥー教徒 80.6%, 仏教徒 10.7%, イスラム教徒 4.2%, キラント教徒 3.6%, その他 0.9%(2001年国勢調査) なお、ヒンドゥー教は国教ではなくなった。


カピラ城
紀元前4-6世紀ごろに存在した国家、あるいはその首都(城)。釈迦の出身地として著名である。現在のネパール内に位置する。釈迦族の住所であり、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)はここで育った。地名の由来については、この地にカピラ (Kapila) という黄色い髪の毛をした仙人がいたことから名づけられたという。この仙人は、釈迦以前のおよそ1世紀頃にいたといわれ、「数論外道」ともされる。


リッチャヴィ王朝
(Licchavi Dynasty)は、古代ネパールの王朝。存在が確実な最古の王朝。インド・アーリア系民族の出身。4世紀から9世紀まで存続。リッチャヴィ朝については同時代の230のサンスクリットで書かれた碑文が残されており、その存在は確かである。建国された正確な年代はわからないが、4世紀中期ごろと見られている。マーナ・デーヴァ1世が残した碑文に残っている最初の王の名はヴリシャ・デーヴァ1世である。

ラナ家
(Rana)は、1846年から1951年までネパールを支配した宰相家。事実上の王家であり、対外的にそのように見なされていた。シャハ王朝は名のみの王家となり、トリブバン国王の王政復古までの104年間にわたり代々宰相として独裁権力を振るった(ラナ王朝)。

シャー王朝
Shah dynastyは、1768年12月21日から 2008年5月28日まで続いたネパールの最も新しい王朝。王はヒンズー教徒で、ヴィシュヌ神の化身とされてきた。1570年にドラヴィヤが死去するまで、彼は近隣諸国を征服し、王国の領土を拡大した。1743年、プリトゥビ・ナラヤン・シャーがゴルカ王(第10代)を継承、ネパール統一に乗り出す。1768年9月、彼はネパール国王に即位する。

バラモン
バラモンとは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。サンスクリット原語のブラーフマナ (braahmaNa ????????)が漢字に音写された婆羅門を片仮名書きしたものであり、正確なサンスクリット語形ではない。ブラーフマナとは古代インド哲学で宇宙の根本原理を指すブラフマンから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。ブラフミン( Brahmin )ともいう。

ムスタン王国
(Mustang kingdom)(チベット語の音からMun Tanとも綴られる)は、かつて存在したネパール領の自治王国で、2008年まで存続した。ムスタンとはチベット語で「肥沃な平原」の意味。ネパールとチベットの国境、ネパール中西部、ダウラギリ地方の北部、ガンダキ川の上流に位置する。南北約81km、東西約64km、面積3,640平方km。ほぼ奈良県と同じ広さである。


■食文化
食文化はインド料理と中華料理・チベット料理が融合されたものである。これは、国の位置がインドと中国・チベットに近いために生じた現象である。 味としては、インド料理に似ているものが多い。日本にも多数のネパール料理店があるが、純粋なネパール式のダル・バート・タルカリ(ご飯とおかずのセット)を出す店は少ない。

■ダルバート
ネパールの代表的な家庭料理で、ダル(daal=豆スープ)とバート(bhaat=米飯)の合成語であり、それにカレー味の野菜などのおかず(タルカリ)、漬物(アツァール)の2つを加えた4つがセットになった食事をいう。ネパールでは毎日食べられている、日本でいう定食にあたるものである。


ラムバラン・ヤーダブ
Ram Baran Yadav、は、ネパールの政治家、医師。マデシ出身。現同国大統領(初代)、ネパール会議派代表幹事[2]。元制憲議会議員。ネパール東南部のダヌシャ郡サパヒ村生まれ。小作人の四男であった。インドのカルカッタ(コルカタ)のカルカッタ医科大学で医科外科学学士を取得、カルカッタ大学熱帯医学科で学ぶ。のちに医学博士号を取得。

バブラム・バッタライ
(Baburam Bhattarai、1954年5月26日 - )は、ネパールの革命家、政治家。首相。プラチャンダ内閣の財務相。ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の理論的指導者としてNo.2を長らく務めたが、2009年1月12日、ネパール共産党統一毛沢東主義派の結成により、序列はNo.4となった。前財務相。バッタライはネパール西部ガンダキ県(Gandaki)ゴルカ郡ベルバス村に中流下層の小作農の家庭に生まれた。バッタライの出身であるバウン(ブラーマン)は、司祭カースト(知識人カースト)であり、伝統的に自らの「知能」「知的優位性」を誇る傾向がある。

ビシュウェシュワール・プラサド・コイララ
Bishweshwar Prasad Koirala、1914年9月8日 − 1982年7月21日は、ネパールの政治家。B・P・コイララ、あるいは単にB・Pと呼ばれる。1959年 5月27日 − 1960年12月15日、第24代ネパール首相。ネパール会議派に所属。ネパール史上初めて国会から選ばれた首相。就任に当たり、マヘンドラ国王は妨害するが、インド政府に使者を送り助けを求め、その圧力で無事首相に就任する。

ギリジャ・プラサド・コイララ
Girija Prasad Koirala、1925年 - 2010年3月20日は、ネパールの政治家。ネパール制憲議会議員。ネパール会議派総裁。元首相。ネパールの元首相で、大統領が決まるまで暫定的な元首(Head of State)を務めた。首相の後任は毛沢東派のプラチャンダ。

マダブ・クマル・ネパール
(Madhav Kumar Nepal1953年3月12日 - )はネパールの政治家。第57代ネパール首相。元副首相。ネパール統一共産党(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)元書記長(1993年 - 2008年)。制憲議会議員(内閣指名)。略称「マクネ」の名で親しまれている。ネパール南部、ラウタハット郡ガウルのバラモン階級の家に生まれる。祖先は200年以上前にインド、ビハール州から移住してきた。ネパール語が母語であるが、英語、ヒンディー語、マイティリ語、ボージュプリー語にも通じている。

ルークマングド・カトワル
Rookmangud Katuwal 1948年12月12日 - はネパールの軍人。2006年9月10日、ネパール軍制服組のトップである陸軍参謀総長に就任。現在に至る。幼い頃マヘンドラ国王の王妃ラトナに拾われて育てられたため、共に育ったギャネンドラ元国王や王室に対する想いは深い。ネパール国内のほか、インド、パキスタン、アメリカ、イギリスで軍事訓練を受けてきた。1988年には国際連合レバノン暫定駐留軍の軍事部門のトップを務めた。

シェル・バハドゥール・デウバ
Sher Bahadur Deuba 1946年1月13日 − は現代ネパールの政治家。元首相。制憲議会議員。2度にわたりネパール会議派の党首に選出され、3回首相を務めた。首相の任期は次の通り。2008年4月10日の制憲議会選挙で、デウバは小選挙区で当選している。同年の首相選挙にネパール会議派から立候補したが、毛派のプラチャンダに敗れた。

ネパール Nepal
東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。

カトマンズ
Kathmanduは、ネパールの首都で最大の都市である。カトマンドゥとも呼ばれる。カトマンズ旧王宮広場(ダルバール広場)の南西の隅に、一本の木カスタからできたという伝説をもつ祭場がある。この建造物の名称、カスタマンダプ がカトマンズの名の由来だと言われる。建立年は不明だが12世紀頃ではないかと考えられている。観光業はカトマンズの主要な収入源の一つである。市内のタメル地区には、ホテルやゲストハウスが多く集まり、バックパッカー、登山者、長期滞在者などで賑わっている。

パタン
Patanはネパールの古都。正式の都市名をラリトプルという。ネパールの主要都市のひとつ。 カトマンズ盆地南西部に位置し、準大都市自治体。豊かな文化遺産に恵まれる人口のかなりの部分はさまざまな手仕事、特に伝統工芸や、小規模な家内工業に、また、農業に従事するものも多い。 ラリトプルはネパールで最も多くの歴史に残る有名な芸術家や最高の工芸家を生み出した場所である。 多くの社会的、政治的激変にもかかわらず、パタンは現存する最高の職人を維持してきた。

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ブトワル
Butwalは南ネパールの市。ネパールの首都カトマンズから西に240キロ、ルペンディヒ郡の郡庁のあるバイラハワから22キロ離れている。2001年の人口は75,385人である。ブトワルには多くの学校や大学がある。ブトワル複合キャンパスは国立大学で、5000人以上の学生が芸術、教育、科学を学んでいる。 バイラハワと違って、ブトワルの人口の過半数は丘陵部の民族である。

ジャナクプル
Janakpurは、ネパールの市。ジャナクプル県、ダヌシャ郡の郡庁所在地。人口約8万人。カトマンズ南東方向に400キロ、インド国境からは20キロの場所、いわゆるマデシ(タライ)地方に位置する。ヒンドゥー教の聖地。古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』の舞台の一つ。主人公ラーマの妃シーターが生まれた場所とされ、また、ラーマとシーターが結婚した場所とされる。

ガインダコート
Gaindakotは、 ネパール中南部、ルンビニ県のナワルパラシ郡に位置する村である。ガンジス川の上流の一部でもあるナラヤニ川は、地域住民の生活や宗教の面でも欠かせない ネパールの大きな川のひとつである。ガインダコートの西南部約150キロに仏教の開祖・釈迦の生まれた世界文化遺産ルンビニがあり、 南部50キロ先には世界自然遺産のチトワン国立公園がある。

ビルガンジ
Birganjは、ネパールの市。準大都市自治体。ナラヤニ県では最大都市で、パルサ郡の郡庁所在地である。いわゆるマデス地方に属す。南ネパールの国境の町で、首都カトマンズから西へ190キロ離れている。インド・ビハール州との国境から北に2キロの距離である。ネパールからパトナ、コルカタへの入り口である一方、インド側からはネパールの玄関として知られている。

ポカラ
Pokharaは、ネパール・ガンダキ県およびカスキ郡の首都。カトマンズから西に約200kmの位置にある。人口は約19万人(2005年現在)で、ネパール第2の都市である。

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トリブバン大学
Tribhuvan Universityは、ネパールの首都カトマンズの南西5キロメートルのキルティプルにある大学である。ネパールで最初の大学として1960年に設立され、第8代ネパール国王トリブバン・ビール・ビクラム・シャー・デーヴにちなみ命名された。150,000人以上の学生が在籍するネパール最大の大学である。薬学、工学、理学、技術、林業の研究科および社会科学、人間学、管理、教育、法律の学部がある。 大学は4つのシンクタンクを有する。


ポカラ空港
Pokhara Airportは、ネパールのガンダキ県カスキ郡ポカラにある空港。

テンジン・ヒラリー空港
Tenzing-Hillary Airportは、ネパールの東部開発区域に属するサガルマタ県、ソンクルブ郡、クンブ地方ルクラにある空港。旧称「ルクラ空港」。2008年1月に現空港名へと改名されており、1953年5月29日にエベレストの初登頂に成功し、この空港建設に尽力したテンジン・ノルゲイと、エドモンド・ヒラリーに由来する。


ネパール航空
Nepal Airlinesはネパールの国営航空会社。2006年の国王の権力停止と国名改称(ネパール王国→ネパール国)によって社名から王国をあらわすロイヤルが削除され、現在の名称となった。ネパールのいわゆる「フラッグ・キャリア」である。

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ジャナクプル鉄道
ネパール東部の街ジャナクプルを中心にして約51kmの路線を持つ鉄道である。現在は、ネパール唯一の鉄道。起点となるジャイナガルはインドに属し、そこから両国の国境をまたいでジャナクプルに出て、更にビサルプラまで路線を延ばしている。1935年にインドを植民地(インド帝国)とし、ネパールを事実上の保護国化していたイギリスが、軌間762mm(狭軌)の軽便鉄道規格で敷設した。

マヘンドラ・ハイウェイ
Mahendra Highwayは、ネパール南部、タライ(マデス)地方を東西に走る、ネパールで一番長い国道。「東西ハイウェイ」とも言う。沿道の主な都市や町は、東から、カカールビッタ、ダーラン、ジャナクプル、バラトプル、ナラヤンガート、ガインダコート、ブトワル、シッダルタナガール、ネパールガンジ、バルディヤ、マヘンドラナガールである。


外務省:ネパール連邦民主共和国
在ネパール日本国大使館


ビラートナガル
Biratnagarはネパールの市。ネパール東南部のコシ県、モラン郡に属し、インド国境に近いタライ(テライまたはマデス)平原に位置する。2005年の人口推計では168,331人で第4位の大都市であり、東ネパールの中心都市である。ビラートナガルの位置は北緯26°28'60"、東経87°16'60"。モラン郡の行政の中心である。

ダーラン
Dharan、は東ネパールの都市。コシ県、スンサリ郡に属する。2007年の推計人口118,000人。ダーランは丘陵地帯のふもとと、テライ平原の端の境に位置する。市内は19の区にわかれている。東西にマヘンドラ・ハイウェイが走る。

バラトプル
Bharatpurは、ネパール中南部、チトワン郡の郡庁所在地である。チトワン渓谷に位置し、かつてのナラヤンガートの町を含む。2005年の推計では人口は125,112人でネパール第7の都市である。バラトプルは最も成長の早い都市の一つである。ナラヤニ川の岸に広がり、チトワン郡と中央ネパールの商業の中心地となっている。東西を結ぶマヘンドラ・ハイウェイの中間と、南北に結ぶ、カトマンズ-ビルガンジ幹線道路の中間地点に位置する。

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ヘトウラ
Hetauda は中部ネパールの市である。英語表記を参考にして「ヘタウダ」と表記する場合が多いが、正しくは「ヘトウラ」である。ナラヤニ県、マクワンプル郡に属す。人口は2005年推計で84,800人である。カトマンズからトリブバン・ハイウェイで132キロである。今は80キロで行かれる近道が2つあるが、まだ舗装されていない。

キルティプル
(Kirtipur)は、カトマンズに隣接したネパールの市。 人口はおよそ50,000人で、カトマンズ盆地の先住民、ネワール族が多く住む。 キルティプルの名前は、Kirti (栄光)およびpur (都市)に由来し“栄光の都市”や“繁栄の町”という意味である。12世紀にパタンの衛星都市として建設されたキルティプルは、1768年にシャー王朝の祖プリトゥビ・ナラヤン・シャーに攻略されて陥落されるまでカトマンズやバクタプルと肩を並べる都市の一つであった。


マヘンドラナガール (マハカリ県)
インド国境であるマハカリ川から6キロ、カンチャンプル郡に属し、タルー族が住む地域である。人口は82,474人で第8位の都市である。カンチャンプル郡庁とマハカリ県庁がある。カトマンズからは西に700キロ離れている。マヘンドラナガールという地名はマヘンドラ国王にちなむものである。


バクタプル
カトマンズから東に12キロ、カトマンズ盆地の東端にある古代ネワール人の都市である。バクタプル郡の郡庁所在地で、人口は約7万8000人である。この町の男の住民は、伝統的にバドガウンレ・トピといわれる、黒くやや硬めの特別なタイプの帽子を着用しており、この帽子はネパールの公務員の正装としても採用されている。この町は「ジュジュ・ダウ」つまり「王のヨーグルト」と呼ばれるヨーグルトでも有名である。

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マデシ人権フォーラム
Madhesi Jana Adhikar Forum, NepalまたはMadhesi People's Rights Forum, Nepalは、ネパール南部マデシ地方の地域政党。2006年に結成された。2008年のネパール制憲議会選挙で第4党となったが、統一共産党と共にキャスティングボートを握り、一時有力であった。初代副大統領、パラマーナンダ・ジャーはこの党出身。

ネパール会議派
Nepali Congressは、ネパールの政党。総裁は、ギリジャ・プラサド・コイララ。略称はNC。制憲議会第2党(115議席)。現在、ネパール統一共産党出身のマダブ・クマル・ネパール内閣のもとで連立与党第一党。2008年7月21日、党 General Secretaryのラムバラン・ヤーダブが共和制ネパール初代大統領に当選した。

ネパール共産党統一毛沢東主義派
Communist Party of Nepal (Unified-Maoist)は、ネパールの政党。毛派共産党。2011年8月28日、統一共産党のジャラ・ナート・カナル首相の辞任にともない、制憲議会が実施した首班指名選挙で、連立内閣時代に財務相をつとめたバムラム・バタライ毛派副書記長が新首相に選ばれた。


国民民主党ネパール
Rastriya Prajatantra Party Nepal はネパールの右派政党、旧王党派。2005年、同じく右派政党の国民民主党から分裂。党首はギャネンドラ国王の親政時代の内務大臣であったカマル・タパ。主要7党派がボイコットした2006年の統一地方選挙ではカトマンズ市長はじめ多くの市長を当選させた。

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ネパール王族殺害事件
2001年6月1日にネパールで発生した政変。ディペンドラ王太子(事件直後、危篤状態のまま名目上は国王に即位し死亡)が父・ビレンドラ国王ら多数の王族を殺害したとされる事件である。現場名称を取ったナラヤンヒティ王宮事件とも呼ばれる。


1.面積:14.7万平方キロメートル(北海道の約1.8倍)
2.人口:2,804万人(2010年、政府中央統計局推計)人口増加率 2.4%(1995〜2000年平均、国連人口局)
3.首都:カトマンズ
4.民族:リンブー、ライ、タマン、ネワール、グルン、マガル、タカリー等
5.言語:ネパール語
6.宗教:ヒンドゥー教徒(80.62%)、仏教徒(10.74%)、イスラム教徒(3.6%)他
7.通貨:ネパール・ルピー
Rs.=約¥1.14(2011年6月)、$1=約 Rs.74.54(2009/2010年度平均値)

1769年 プリトゥビ大王による国家統一
1846年〜 ラナ将軍家による専制政治
1951年 王政復古
1956年 日本・ネパール外交関係樹立
1990年 民主的な新憲法導入
2007年1月 暫定憲法成立
2008年5月 制憲議会発足
2010年5月 制憲議会を1年延長

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■主要産業:農業、カーペット、既製服、観光
■主要貿易品目(1)輸出 工業製品、既製服、カーペット、食品(紅茶、香辛料等)(2)輸入 石油製品、糸、化学肥料、輸送用機械等


パンチャヤット制
Panchayati Rajは、南アジアの政治制度。「パンチャヤット」とは本来、5人(パンチ)の賢い尊敬されている年長者の会議(ヤット)が村落共同体から選ばれ、その決定に従うという意味である。伝統的に、これらの会議は個人同士や、村同士の争いを治めて来た。長老会議制。


ジャナ・アンドラン
(Jana Andoran)は1990年、ネパールに起きた民主化運動。国王の独裁権力の源であったパンチャヤット制の廃止と複数政党制による議会制民主主義を勝ち取った。「ジャナ」とは「人々の」、「アンドラン」は「運動」を意味する。


ネパール人民解放軍
ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の軍事組織。ネパール政府に対して反乱を起こしていた。1996年、ゴルカ、ロルパ、ルクム、シンドゥリの4郡で武装蜂起し、ネパール国軍や武装警察と10年間にわたる「人民戦争」(ネパール内戦)を戦った。農村部を中心に国土のかなりの部分(一説に8割)を実効支配し、支配地域に「人民政府」を組織した。外国からの援助はなく、武器や資金は警察や政府軍、銀行を襲うなどして調達した。約2万人の兵力があるといわれていたが、2009年5月5日に暴露されたビデオの中で、マオイストのプラチャンダ議長は「実際は7000人から8000人だ」と話している。

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国際連合ネパール支援団
United Nations Mission in Nepal:UNMINは、ネパール共産党毛沢東主義派(略称:マオイスト・毛派)の武装解除の監視及びネパール内戦終了後のネパール議会選挙の準備を行う為の国際連合平和維持活動。2007年1月23日の国際連合安全保障理事会決議1740に基づき設立された。代表は日本育ちのスウェーデン女性・カリン・ランドグレン。


■マデシ問題
マデシとは、タライ、またはテライともいわれるインド国境地帯に東西に細長く広がる肥沃な平原地帯(マデス)に住む人々のことである。現在の行政区画にはない。この細長い地域は文化的に北インドの影響が強く、丘陵地帯に住むネパール人の主流派パルバテ・ヒンドゥーから差別を受けてきた。このため、近年、「マデシ人権フォーラム」などの団体が中心になって、マデシ自治区を設け、高度な自治を実現するように、バンダ(ゼネラル・ストライキ)・チャッカジャム(交通妨害)などの激しい抗議活動を行ってきた。


■経済
主な産業は農業であり就業人口の約7割、GDPの約4割を占める。米や小麦、トウモロコシ、ジャガイモ、ジュートなどが主たる農産物である。それ以外の産業では、繊維産業と観光業が主たる産業となっている。ヒマラヤ山脈を利用して水力発電が行われており、ネパールの発電量のほぼ全てを水力発電が占める。しかしその発電量は不足しており、計画停電が行われている。

■民族構成
チェトリ 15.5%, 丘陵ブラーマン 12.5%, マガール族 7%, タルー族 6.6%, タマン族 5.5%,ネワール族 5.4%,イスラム教徒 4.2%,カミ 3.9%, ヤーダブ 3.9%, その他 32.7%, 不明 2.8%(2001年国勢調査)


パルバテ・ヒンドゥー
Parbate Hindu, Parvate Hinduはネパールの最大かつ支配的民族。ネパールの人口のほぼ半分を占める。山地のヒンドゥー教徒という意味。インド・イラン語派に属するネパール語を母語とする。シャハ王家もこの民族集団に属す。インドとは違ったカースト体系を持つ。最大の民族であるにもかかわらず、ネパールではあまりこの言葉は用いられず、国勢調査ではカーストに分けて統計を取っている。

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ロクタントラ・アンドラン
Loktantra Andolan、は、ネパールに起こった2006年の民主化運動。「ロクタントラ」とは「国王のいない民主主義」すなわち、ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ国王の独裁に反対するものであった。


ネパール語
ネパール語(英: Nepali)は、ネパール、ブータン、インドのシッキム州やミャンマーの一部で話されるインド・イラン語派の言語。ネパール及びインドのシッキム州の公用語である。ネパール人口の約半数が母語とし、その他のネパール人は第二言語とするものが多い。


アショーカ王
在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年は、マウリヤ朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。

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クリシュナ・プラサド・バッタライ
Krishna Prasad Bhattarai、1924年12月13日-2011年3月4日は、ネパールの政治家。首相を2度務める。長年、ネパール会議派の党首を務める。ネパール会議派の草創期を知る数少ない長老。1990年の民主化運動(ジャナ・アンドラン)では自宅軟禁され、十分な活動はできなかったが、最終段階で政府と交渉し、複数政党制を勝ち取った。

ジャング・バハドゥール・クンワール
Jang Bahadur Kunwar、1816年6月18日 - 1877年2月25日は19世紀、ネパールの軍人、政治家。1848年5月1日にジャング・バハドゥール・ラナ Jang Bahadur Ranaに改名した。彼は単なる独裁者ではなく、宮廷の内紛をなくしたり、官僚制や法制度を整備するなど、ネパールの近代化に尽くした。ネパール史上もっとも重要な人物の一人であるにもかかわらず、近代の歴史家は100年続いた独裁国家を設立し国民を抑圧し、経済的に最貧国に陥れたとしか評価しない。

マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ
Mahendra Bir Bikram Shah Dev、1920年6月11日 - 1972年1月31日はネパールの第9代国王(在位:1955年3月 - 1972年1月31日)。第8代国王トリブバンの長男。1959年、憲法を公布してネパール初の総選挙を実施した。選挙の結果ネパール会議派が大勝し、ビシュウェシュワール・プラサド・コイララ内閣が誕生した。

パラマーナンダ・ジャー
Paramananda Jha はネパールの政治家、法律家。2008年7月現在77歳。現在のネパール副大統領。地域政党・マデシ人権フォーラム党法務部長。元最高裁判所判事。日本では「パルマナンド・ジャー」と表記することが多い。マデシ地方、サプタリ郡マウワハVDC-1出身。1973年法務省事務官として入省。以来公務員として過ごす。最高裁判事になる前はジュムラ郡控訴院の長官をしていた。

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ジャラ・ナト・カナル
Jhala Nath Khanal、1950年5月20日 - は、ネパールの政治家。統一共産党議長、2011年2月より首相。制憲議会議員(イラム第1選挙区)。元情報通信大臣。ネパール東部のイラム郡生まれ。C.P.マイナリらとともに、ジャパ郡での武装蜂起に加わり、やがてマイナリらとネパール共産党マルクス・レーニン主義派(通称「マレ」)を結成した。

ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ
Gyanendra Bir Bikram Shah Dev、1947年7月7日 - は、第12代ネパール(シャー王朝)国王。2001年6月4日に甥ディペンドラの跡を継ぎ王位に即いたが、2008年5月28日にネパールが共和制へ移行したことに伴って退位した。第9代ネパール国王マヘンドラの次男。

テンジン・ノルゲイ
(Tenzing Norgay, 1914年5月29日? - 1986年5月9日)は、チベット人シェルパである。エドモンド・ヒラリーとともに1953年5月29日にエベレストの人類初登頂を達成した。少年時代、彼は2度家出をしてカトマンズに行き、やがてインド・西ベンガル州・ダージリンのトゥー・ソン・ブスティのシェルパコミュニティに居ついた。

エドモンド・ヒラリー
Edmund Hillary、KG、ONZ、KBE、1919年7月20日 - 2008年1月11日はニュージーランドのオークランド出身の登山家、冒険家である。本業は養蜂業。幼少時は虚弱児だったが巣箱を運ぶ作業の中で足腰が鍛えられ、190cmという長身に加え強靭な心肺機能を持つ登山家としての活動に適した体が作られたという。1953年5月29日午前11時半、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに世界で最初に登頂に成功した。

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