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ラオス人民民主共和国
Lao People's Democratic Republic

アジア

■地理
ラオスは、国土の多くが山岳で占められており、隣国に比べて比較的森林資源が多く残っていた地域であるが、近年急激な森林破壊が問題となっている。プー・ビア山(標高2817m)が最高峰である。メコン川周辺には小さく平地が広がっている。メコン川のほとんどは、タイとの国境になっている。

東南アジア
Southeast Asia)とは、中国より南、バングラデシュより東のアジア地域を指し、インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。


メコン川
Mekong River、東南アジアを流れる河川。チベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通り南シナ海に抜ける。典型的な国際河川の一つで、数多くの支流がある。雨期には流量が増し、流れが速いため、船の運航は非常に難しい。乾期には流量は減るが、浅瀬が増えるため船舶の運航が難しくなる。

ナムソン川
ラオスのヴァンヴィエンの町の中を流れる小さな川である。ナムソン川は背後の石灰質の山とともにヴァンヴィエンの景観を形成しており、風光明媚であり1990年代以降は海外からも多くの観光客が訪れる。川ではチューブによる川下り(チュービング)やカヤッキングが観光客に人気であり、多くのツアーが催行されている。

ジャール平原
(Plain of Jars) は、ラオス中部のシエンクワーン県、アンナン山脈の北端に位置するシエンクワーン平原に大量の石壺 (Stone Jars)が散らばって埋められている歴史文化的な場所、あるいはシエンクワーン平原そのものを意味する。石壺はシエンクワーン平原を中心に400箇所以上で確認されている。考古学者は、これらの石壺は古代モン・クメール族によって、1,500~2,000年前に使用されたと考えている。回収された石壺のほとんどは、紀元前500~西暦800年のものである。人類学者や考古学者の理論は、これらの石壺は骨壷、あるいは食料貯蔵のための容器として使用されたとしている。

アンナン山脈
チュオンソン山脈(長山山脈)) は、インドシナ半島東部をラオスからベトナムにかけて、走る山脈。 全長:約1,100km(700マイル)。 ベトナムの海岸線とほぼ平行に位置する。ラオスではフアパン県とシエンクワーン県は山脈の東側に位置するが、メコン川流域である他の県は、山脈の西側に位置している。


アルタイ山脈
アルタイ山脈は西シベリアとモンゴルにまたがる山脈。モンゴル語で「金の山」を意味する。東はウプサ・ノール、キルギス・ノールなどの湖が点在する北西モンゴル台地に接する。

ボーラウェン高原
(Bolaven Plateau) またはボロヴェン高原は、ラオスにある高原。アンナン山脈のあるラオス東部のベトナム国境とメコン川の間に位置している。標高は1000〜1350m程。高原では、多くの川が交わり、また風光明媚な滝が複数存在する。気候は、最低気温が10℃、最高気温が30℃と冷涼な気候であるため、雨期と乾期を問わず野菜栽培が可能であるという利点を持ち、周辺地域ではキャベツ、コーヒー、じゃがいもなどの生産が盛んで、ラオス最大の野菜生産地となっている。

コーン島
( Khong Island または Don Khong ) は、ラオス南部のチャンパーサック県のメコン川の中州にあるシーパンドンと呼ばれるおよそ4000の島の内で、最大の島である。 島の人口はおよそ5,5000人で、主に観光業や農業、漁業で生計をたてている。 隣には同じくメコン川の中州の島であるデッド島があり、両島は橋で結ばれている。 近年、欧米人を中心とした観光客が増加し、比較的川の流れの穏やかな場所にゲストハウスが立ち並んでいる。


<歴史>
ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国(南詔国)の支配領域が南下し、この地に定住者が現れた時代に始まる。

■1353年
ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国がファー・グム王(英語版)により建国され、その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ。ラーンサーンとは「100万のゾウ」という意味である。

■18世紀
ヴィエンチャン王国・ルアンパバーン王国(英語版)・チャンパーサック王国の3国に分裂し、それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続いた。

■1893年
仏泰戦争の結果、フランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入された。

■1945年4月8日
日本支配下で名目上独立宣言した。戦後、フランスが再び仏領インドシナ連邦を復活させようとしたことが原因で、1946年に第一次インドシナ戦争が勃発。1949年、フランス連合内のラオス王国として名目上独立。

■1974年
三派連合によるラオス民族連合政府が成立したが、1975年南ベトナムのサイゴンが陥落すると、12月連合政府が王政の廃止を宣言、ラオス人民民主共和国を樹立した。

■2007年6月
アメリカに亡命したミャオ族の元王国軍将軍とアメリカ軍退役少佐によるクーデター計画が発覚。関係者はアメリカ司法当局により局外中立違反で逮捕された。


ラオスの歴史
ラーオ族による統一国家の出現は1353年のラーンサーン王国であるが、それ以前から民族としての活動は活発だった[1]。ラーオ族の発祥はアルタイ山脈の麓あたりとされており、年代を経るにつれて南下をしていることが分かっている。紀元前5000年頃にはすでに黄河や揚子江の中間あたりまで南下を進めており、ゴビ砂漠に興った漢民族に押し出される形で現在の四川省近辺に移住し、そこに都市国家(ムアン)をつくった。


クメール語
オーストロアジア語族のモン・クメール語派に属する言語。カンボジア語とも呼ばれる。カンボジアでは、全人口の約9割を占めるクメール人(約1400万人)が話し、カンボジアの国語および公用語となっている。さらに、隣国タイ、ベトナム、ラオスのカンボジアとの国境に近い地域にも母語とする人々(約200万人)が住む。

ラーンサーン王朝
Lanexang Kingdomは、メコン川中流域に14世紀から18世紀にかけて展開した歴史上の王朝。ラーンサーン(Lanxane)とは「百万頭の象」という意味であり、タイの研究者の間ではラーンチャーン(Lanchang)と呼ばれることもある。シップソーンパーンナー、ラーンナー等と並ぶ、山地タイ人による「ムアン(国家)」の一つであり、ラーオ族古来の政治制度と上座部仏教を統合した王権思想により統治されていた。なお、ラーンサーン王朝は、現在のラオス領をほぼ覆う領域を支配していたことから、ラオス人にとってはアイデンティティーの支柱となっており、ラーンサーンはラオスの美名として使われることがある。

チャンパーサック王国
現在のラオス南部で18世紀から20世紀(1713年 - 1946年)にかけて存在していた歴史上の王朝。現在のチャンパーサック県を中心とした地域を統治していた。1945年のラーチャナダイ王の死後、ラオスをルアンパバーン王国を中心に統一ラオスを結成する流れの中で、王権の潜在的継承者であるブン・ウム(英語版)(在位:1945年 - 1980年)の処遇が問題となった。そこでフランスとシーサワーンウォン(ルアンパバーン国王)は、ブン・ウムに統一ラオスの終身王国総監の身分を与えることでその傘下に組み込んだ。チャンパーサック王国は名実共にこの世から消滅したが、チャンパーサック家の現在の当主は、Keo na Champassak(在位:1980年 - 現在)である。

ヴィエンチャン王国
現在のラオス中部で18世紀から19世紀にかけて存在していた歴史上の王朝。1706年に分裂したラーンサーン王朝のうち、ヴィエンチャンに王都を置いた王朝のことを指す。元々ラオスには、ラーオ族による統一王朝としてラーンサーン王朝(王都:ヴィエンチャン)が存在していた。しかし、1690年にスリニャ・ウォンサー(英語版)王が死去すると、次期国王の座を巡って王位継承争いが生じ、1698年にサイ・オン・フェ(セタティラート2世)が王位に就任したことで、争いは一応のおさまりはみせた。

ラオス王国
20世紀のラオスに存在した歴史上の王朝。旧ルアンパバーン王国とチャンパーサック王国の統合によって、近代国家としてのラオスの領域を確定させた。首都はヴィエンチャンに置かれていたが、旧ルアンパバーン王国の王族が国王を務めていたため、王宮の所在地はルアンパバーンであった。


■民族
一番多いのはラーオ族であり、それに少数民族が続く。しかしラオス政府はラオス国籍を持つ者を一様にラオス人として定義しているため、公式には少数民族は存在しない。実際には、フアパン県にカム族、タイデン族、タイダム族、モン族、青モン族、黒モン族、ヤオ族が、ウドムサイ県にはモン族が、 ポンサーリー県にはアカ族とタイダム族が、ルアンナムター県にはランテン族や黒タイ族、タイルー族、タイダム族、アカ族、イゴー族、ヤオ族、モン族が住んでいる。


ミャオ族
中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。中国では55の少数民族の一つである。ミャオ族の総人口は894万116人に達し、中国の少数民族としては、チワン族(約1617万人)、満州族(1068万人)、回族(981万人)に次ぎ四番目である。1968年当時のラオス政府による人口統計では全ラオス人口280万人のうち15万8000人がミャオ族であった[3]。 インドシナ戦争時、ミャオ族の一部はベトミンと協力し、別の一部はフランス軍に協力した。ベトナム戦争時、ラオスの共産化を防ぐためCIAがミャオ族の一部氏族を雇い、パテート・ラーオと戦わせる部隊に編成した。この兵力は1961年には9000人だった。

ラーオ族
ラーオ族はラーオ語(ラオス語)を母語とする者。広義にはラオスおよびタイ東北部(イーサーン)に住むタイ族の一派である。ラオスにおいては約240万人が居住して過半数を占め、タイにおいてはそれを大きく上回る人口のラーオ族が住んでいる。タイ族の一派であるラーオ族は一説では6世紀頃チエンセーン(タイ北部、チエンラーイ県)に到達し、11世紀にパヤオ(タイ北部、パヤオ県)に到達したとされる。この中からパヤオを後にし、メコン川東岸(ラオス)に移住したグループがあった。これが現在のラーオ族と呼ばれるものである。

モン族
中国南部の貴州省や雲南省、タイ、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住むミャオ族 の支系のモン族(Hmong) 。タイのランプーンに、ハリプンチャイ王国(11〜13世紀)を建て、その後にタイ南部やミャンマーに移住したモン族 (Mon)。

ハニ族
中華人民共和国の少数民族のひとつ。中国語では「哈尼族」と表記する。主に雲南省西南部、紅河西側の哀牢山区にある新平、鎮源、墨江、元江、紅河、元陽、緑春、金平、江城などの県に住む。2000年の人口調査によれば、ハニ族人口は1,439,673人であった。ミャンマー、タイ、ラオスにおいてはアカ族の名で知られている。

ヤオ族
中国湖南省から雲南省、東南アジア北部の主に山地に広く住む中国の少数民族である。自称はIu Mien。道教の神である盤古を信仰し、宗教指導者は漢字を用いる。古代中国の王女と犬の間に生まれた12姓のヤオ族を始祖とするという民族の伝承を有し、この伝承が史記に取り入れられ、後に日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたとされている。


ワット・シーサケット
(Wat Si Saket)は、ラオスのビエンチャンにある仏教寺院。建立当時の様式を保っている点でビエンチャン最古である。1551年にセーターティラート王による建立と伝えられるビエンチャン最古の寺院である。現在の建物は王国時代の1818年(1824年説あり)に建設されたもの。優美な大屋根が特徴のルアンパバーン様式に対し、本堂を取り囲むように広縁風のベランダを持つビエンチャン様式である。

アヌサーワリー・パトゥーサイ
Anousavary Patuxayは、ラオスのヴィエンチャンにある凱旋門。「アヌサーワリー」は「記念碑」、「パトゥーサイ」は「勝利の門」という意味である。アヌサーワリー・パトゥーサイは、1962年から、内戦の終結とパテート・ラーオの勝利を記念して建造が開始された。ラーンサーン通りをパリのシャンゼリゼ通りに見立て、パリのエトワール凱旋門を参考にして建設を行ったと言われているが、それ自体はラオス様式である。資金難により工事が貫徹されぬまま終わり、現在でも未完成のままである。

コーンパペンの滝
(Khone Phapheng Falls) またはコーンパペン滝は、ラオス南部のチャンパーサック県にあるメコン川最大の滝。コーン島やカンボジア国境からも近い。 滝の高さは21mで、川沿いに10km以上に渡って滝が続いている。平均流量は約11,000km3/sである。滝の周辺は島と流路が点在している。この滝が、メコン川に沿って船で中国まで航行することができない大きな理由の1つになっている。19世紀後半にフランスの植民者が滝を航行しようと何度も試みたが、いずれも失敗に終わった。


■観光業
政府がラオス観光年を設定しプロモーションを行って観光産業の育成に努力した結果、観光産業が急速に発達した。2つの世界遺産や、ジャール平原、多くの仏教寺院などが観光客を呼び、外貨獲得の大きな産業となっている。


■国民
2011年の人口は656万人であり、2000年以降は、年10万人ペースで右肩上がりに着実に増加している。 人口密度は、24人。ちなみに、ベトナムは256人、タイは132人、中国・雲南省は114人、カンボジアは82人、ミャンマーは74人であり、ラオスは人口が少ないことが分かる。


■経済
IMFによると、2011年のラオスのGDPは78億ドルであり、鳥取県のおよそ3分の1の経済規模である。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国と位置づけられている。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の60%を超える412万人と推定されている。

アジア通貨危機
Asian Financial Crisis)は、1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象である。この通貨下落は米国のヘッジファンドを主とした機関投資家による通貨の空売りによって惹起され、東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼした。狭義にはアジア各国通貨の暴落のみを指すが、広義にはこれによって起こった金融危機(アジア金融危機)を含む経済危機を指す。


■宗教
宗教は上座部仏教が60%、アニミズムやその他の宗教が40%であるが、しばしば仏教とアニミズムが混同されて信仰されていることがある。その他ラオス南部ではキリスト教も信仰されている。


上座部仏教
Theravada Buddhismは、仏教の分類のひとつ。上座仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教、南伝仏教、小乗仏教とも呼ばれる。ただし、小乗仏教の呼称は大乗仏教側から見た差別的意味を含むとされる。仏教を二つに大別すると、スリランカやタイ、ミャンマー等の地域に伝わった南伝の上座部仏教と、中国やチベット、日本等の地域に伝わった北伝の大乗仏教に分類される。初期仏教教団の根本分裂によって生じた上座部と大衆部のうち、上座部系の分別説部の流れを汲んでいると言われるものが、現在の上座部仏教である。

アニミズム
animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。


■言語
言語はラオ語が公用語である。その他、各民族語が使われている。英語は、ホテルなどで通じる[34]。ラオ語とタイ語は同一言語に属する個別の地域変種の関係(平たく言えば、ラオ語とタイ語はそれそれが互いに方言関係)にあるが、ラオスではタイからの影響力を遮断するため、ラオス語の独立性を強調する傾向にある。


<世界遺産>
ルアン・プラバンの町
1353年からラーンサーン王国首都、セーターティラート王の時代に一時地方都市となり、その後ルアンパバーン王国の1975年まで首都として機能してきた重要な町であった。そのため歴史的に価値があり美しい建造物が多い。

チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群
少なくとも、6世紀頃にはチャンパーサック県の地域に文明があったと見られている。後の10世紀頃から、この地域へのクメール人の進出が本格化し始める。タイのピマーイなどに見られる遺跡もクメール人の王朝が隆盛を極め、北部に盛んに進出していたこの時代のものであると言うことが言われている。同様に、この遺産の中心であるワット・プーもこの時代以降に作られたと見られている。


■鉱業
ラオスの鉱業資源は未開発な段階にある。例えば、肥料の原料などに利用できるカリ岩塩の大規模な鉱床が発見されており、面積は30km2に及ぶ。スズ鉱床の埋蔵量は100億トンに及ぶと見積もられている。アンチモン、イオウ、金、タングステン、鉄、銅、鉛、マグネシウム、マンガンの鉱床も発見されている。唯一開発が進んでいるのは宝石であり、1991年にはサファイアの生産量が3万5000カラットに達した。

スズ
Tinは、典型元素の中の炭素族元素に分類される金属で、原子番号50の元素である。元素記号は Sn。融点が低く比較的無害な金属材料として、スズ単体、または、合金の成分として古来から広く用いられてきた。スズを含む合金としては、鉛との合金であるはんだ(最近は鉛フリーのはんだもある)、銅との合金である青銅が代表的。

アンチモン
antimonyは原子番号51の元素。元素記号は Sb。常温、常圧で安定なのは灰色アンチモンで、銀白色の金属光沢のある硬くて脆い半金属の固体。アンチモン化合物は古代より顔料(化粧品)として利用され、最古のものでは有史前のアフリカで利用されていた痕跡が残っている。



カイソーン・ポムウィハーン
(Kaysone Phomvihane, 1920年12月13日 - 1992年11月21日)はラオスの政治家、革命家。初代ラオス人民革命党中央委員会書記長・議長、初代ラオス人民民主共和国首相、第2代ラオス人民民主共和国主席などの要職を務め、同国の最高指導者の地位にあった。1943年から、ハノイ大学で法律を学ぶ。しかし2年後、日本軍の侵攻で大学は閉鎖されると、ベトナムで反植民地運動に参加する。1949年、インドシナ共産党に入党。

トーンシン・タムマヴォン
(Thongsing Thammavong, 1944年4月12日 - )はラオスの政治家。ラオス人民革命党政治局員。第2代国民議会議長を務めた後、現在は第6代首相を務める。トーンシン・タムマヴォンは1944年、フランス統治下にあったラオス北部のフアパン県に生まれた。ラオス内戦中の1959年8月18日から革命運動に参加。その間教職にもあり、1963年から1976年にかけて、フアパン県の中学校の校長や中等教育養成学校の校長を経た後、教育省職業訓練局次長を務めるなど、トーンシンは教育行政に携わった。

ブン・ウム
ブン・ウム・ナ・チャンパーサック(Boun Oum Na Champassak, 1911年12月2日[1][2] - 1980年3月17日)は、ラオスの王族、政治家。旧チャンパーサック王家の末裔で、ラオス内戦期における親米右派勢力の代表格。ラオス王国首相を2度務めた。殿下 (Sadet Chao) の称号を持つ。

サワーンワッタナー
(Savang Vatthana, 1907年11月3日 - 1978年5月13日?)は、最後のラオス国王(在位:1959年 - 1975年)。シーサワーンウォン国王の息子としてルアンパバーンで生まれ、1959年10月に父王の崩御に伴い即位したが、当時のラオスは左派・右派に分かれての内戦の最中であり、国内情勢が緊迫化していたため、正式な戴冠式は行われなかった。

スワンナ・プーマ
(Souvanna Phouma, 1901年10月7日 - 1984年1月10日)は、ラオスの王族、政治家。中立派の指導者であり、ラオス王国において数度にわたり首相を務めた。殿下(Tiao)の称号を持つ。スワンナ・プーマは、ルアンパバーン王国の最後の副王でシーサワーンウォン国王の甥にあたるブンコンの第3王子として生まれた。彼はハノイ、パリ及びグルノーブルでフランス流の教育を受け、建築学と工学の学位を得た。1931年に帰国し、仏領インドシナ公共事業局 (the Public Works Service of French Indochina) に務めた。

セーターティラート
セーターティラート王(1534年 - 1572年)はラオスの昔の王朝、ラーンサーン王国もしくは、タイの北部の古代王朝ラーンナータイ王国の16代目の王。本来的にはラオスのラーンサーン王朝の王であったが、母がラーンナータイ王朝の出であったので、後にラーンナータイ王朝の王も兼位するようになった。ビエンチャンを建設し、ラーンナータイ王朝から多くの文化をラオスに輸出した。

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ラオス Lao
東南アジアに位置する共和制国家。国土面積は236,800平方?。内陸国であり、北に中華人民共和国、西にミャンマー、東にベトナム、南にカンボジア、タイと国境を接する。首都はヴィエンチャン。東南アジアの国では唯一海に面しない。

ヴィエンチャン
Vientianeは、ラオス人民民主共和国の首都。 メコン川沿いに広がる町。タイとは、メコン川で国境を隔てている。隣国の度重なる侵攻にさらされてきたものの、仏教国の首都として政治や文化の中心を担ってきており、数々の仏教寺院や仏塔を残す。「ビャクダンのある城壁地」という意味や「月の都」という意味があるが、ラオス情報文化省は様々な説を紹介している。街路樹が多く「森の都」とも呼ばれる。メコンの左岸にヴィエンチャンの市街が、右岸にウドーンターニーなどタイ王国の国土が広がる。河口からの距離は1600km弱。同国の交通の中心となっている。人口は推計70万人(2005年)。 中心部には、外国人観光客向けのゲストハウスが集まっている。


ワットタイ国際空港
Wattay International Airport、は、ラオス人民民主共和国ヴィエンチャン市にある国際空港。

サワンナケート空港
Savannakhet Airportはラオスの空港。2003年に一旦閉鎖されていたが、2008年8月より再開された。

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ルアンパバーン国際空港
(Luang Prabang International Airport)はラオスのルアンパバーン郡にある国際空港。ルアンパバーン中心部から約4キロのところに位置している。


ラオス国立大学
National University of Laos NUOL、マハーウィタニャーライ・ヘンサート・ラーオ)は、ラオスの首都ヴィエンチャン市(ビエンチャン特別市)にある同国最大規模の国立大学。既存の学校を元に1996年に設立。1年間の教養課程を経て、4年制の各学部に進級する5年制システムである(ラオスでは基本的に小中高が5・3・3制である)。市内に複数のキャンパスを有するが、メインキャンパスは経済経営学部や文学部等があるドンドーク校であり、地元ではキャンパスの場所に関わらずドンドーク(=ラオス国立大学)という愛称で知られている。


外務省:ラオス人民民主共和国
在ラオス日本国大使館

ラオス政府観光局


カムムアン県
ラオス・中部の県の一つ。仏領インドシナ時代の建築物が建ち並び、数多くの鍾乳洞やや誰が作ったか分からない石壁など、観光資源に富む。ターケークにメコン川対岸のタイ王国ナコーンパノムに渡る船が出ている。ただし、旅行者は利用出来ない。

ルアンナムター郡
古くからラオス北部における交通の要衝地となっており、特に中国からの投資が盛んになりつつある。平地であり稲田における稲作が奨励されており地域における主要な産業の一つとなっている。近くにフランス統治時代の古い町並の残るムアンシンがあるため、欧米からの観光旅行者も多い。

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サワンナケート県
ラオス・南部(もしくは中部)の県の一つ。県内にはクメール遺跡や、恐竜の化石などが見つかっている。また、タイからベトナムへ抜ける地点でもあり、国外の観光客も多く訪れる。

ボーケーオ県
県都であるフアイサーイ郡はメコン河畔に位置する町であり、タイならびにタイ経由の欧米からの旅行者の往来、タイからの日用品物資の北部ラオスへの集積・流通の町として栄えている。 タイとの国境は現在フェリーでしか渡れない。

サイニャブーリー県
ラオス・北西部の県の一つ。メコン河の西にあり、ラオスとタイが接する地帯に位置する。毎年2月ごろにホンサー郡で行われるエレファントフェスティバルは有名で、国内外から観光客がアジアゾウを見に訪れる。

シエンクワーン県
はラオス北東部の県。ベトナム戦争時代に度重なる爆撃を受け、旧県庁所在地が完全に破壊され、新たに建設された県庁所在地がポーンサワン郡である。ベトナムのゲアン省と接している。

フアパン県
ラオス・北部の県。革命の父であるカイソーン・ポムウィハーン大統領が、フアパン県の洞窟の中に秘密基地を作り作戦を練っていたことでも知られている。ベトナム北部と隣接するが、険しい山地が続くために、外国人が陸路で通行することは少ない。


セーコーン県
セーコーン県は、ラオス (7,665 km2) で2番目に小さな行政区である。最も少ない人口(約83,000人)と最も低い人口密度を持つ。実際に県庁所在地であるラマーム郡の中心地ですら建物も人も閑散としており、長閑な桃源郷の姿が手つかずの自然と共に残っている。

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ボーリカムサイ県
1983年、ヴィエンチャン県の一部と、カムムアン県の一部が独立し、融合して成立した。県内のカムクート郡(英語版)にはカムクート・ラックサオ(Khamkeut Lak Sao)と呼ばれる、東南アジア最大のカルスト地形の石灰石の平原が広がる。

ウドムサイ県
ラオス北部の県。県都はサイ(ムアンサイ)。北部は中国雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州に面しており、南側の県境はメコン川に面している。県都サイ郡は、ベトナム・中国・タイを繋ぐ交通の要衝、クロスロード、として古くから栄えていた。

ポンサーリー県
ラオス北部の県。ポンサーリー県は、中国の雲南省とベトナムのディエンビエン省(旧ライチャウ省。2004年に分離)に挟まれている。中国との経済取引が活発になり、材木輸出が増大した結果、県の多くの面積が伐採された。

ルアンパバーン県
ラオスの北部にある県の一つ。県庁所在地はルアンパバーン。「ムアン」は「町」、「パバーン」は「パバーン仏」の意味で、あわせて「パバーン仏の町」という意味になる。1887年 黒旗軍による壊滅的な打撃をきっかけに、ルアンパバーン王国はフランスの保護を受け入れた。1949年 ルアンパバーン王国が解体され、フランス連合ラオス王国に組み込まれた。

ヴィエンチャン県
ラオス・中部の県の一つ。ラオスの桂林として旅行者に有名な景勝地であるヴァンヴィエンやナムグムダムで有名なナムグム人造湖も同県に帰属する。

アッタプー県
ラオス・南部の県の一つ。住民のほとんどは中地ラオス人(少数民族)である。ボーラウェン高原の玄関口として今後観光客の増加が見込まれる。

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チャンパーサック県
(Champasak Province) はラオス・南部の県の一つ。チャンパサック県とも。ラオス・タイ・カンボジアが接する地帯に位置する。18世紀 ラーンサーン王国が分裂した後、チャンパーサック王国の中心地として機能していた。県都のパークセーはラオス南部の中核都市であり、陸路、航路ともに整備がすすみ商業が発達している。


ヴィエンチャン都
ヴィエンチャン都はラオスの首都であるヴィエンチャン市を抱える行政区分。ヴィエンチャン首都圏、ヴィエンチャン特別区などとされることもある。他の県とは区別される。1989年に、ヴィエンチャン県から分離しヴィエンチャン都が成立した。


ルアンナムター県
ラオス北部の県である。県都はルアンナムター郡。国家として公式には、高地ラーオ族と呼んでいるが、実際のルアンナムター県には、ヤオ族(ランテン族、またはランディエン・ヤオ族と呼ぶ)、タイ・ルー族、黒タイ族(タイ・ダム族, Tai Dam, ?擔)、アカ族(イゴー族と呼ぶ)、モン族が住んでいる。

サイソムブーン特別区
サイソムブーン特別区はラオス中部のヴィエンチャン市郊外に1994年から2006年まで存在していた行政区分であり、特別区(ケートピセート)に指定されていた。反政府武装勢力が存在しているといわれ、国道バスが武装勢力に襲撃される事件が相次ぎ、軍が実質的な統治を行っていた。


ヴァンヴィエン
ラオスのヴィエンチャン県にある町である。人口およそ25,000人。町は、ルアンパバーンからビエンチャンまでの主要な南北幹線(国道13号線沿い)に位置する。ナムソン川と緑豊かな山々にかこまれた静かな佇まいを持つ町であるが、1990年代に入り観光地化が進められバックパッカーが多い。

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ラオス国営航空
ラオス国営航空(Lao Airlines)はラオスの国営航空会社。メインハブはビエンチャンのワットタイ国際空港。2004年8月現在、ラオス国内11都市(実際は休止路線が多く事実上定期就航している都市は5~6都市である)、国外8都市に就航。国際線としては、タイ、カンボジア、ベトナム、中華人民共和国に就航。


ルアンパバーン郡
ラオス北部に位置する古都。過去にはタイ語からのローマ字表記が使われていたためルアンプラバンあるいはルアンプラバーンとも表記される。市街地自体が文化遺産としてユネスコの世界遺産(ルアン・パバンの町)に登録されている。

サイ郡
サイ郡、通称ムアンサイはラオス・ウドムサイ県の県都。伝説によると、1323年 "Takka Sila" 町の Ban Luang Cheng 村の住民が竹を切るために森林の中にいて、釣り道具を作っていると、森林から僧が彼らに向かって来るのが見えた。彼は、ずっと前に瞑想の修行のために森林の中に消えた人物だった。僧は、彼らが何をしていたか村人に尋ねたので、彼らは釣りかごを作っていたと答え、食物を彼に勧めた。その経験から、村人は僧の名前 Paxay のために町の名前を "Takka Sila" から新しく "Muang Xay" と命名した。

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ポーンサワン郡
ラオスのシエンクワーン県の県庁所在地である。人口57,000。シエンクワーン県の古い県庁所在地が、パテート・ラオとアメリカに支持された反共産主義の軍隊の間で戦いにより完全に破壊されたので、1970年代中頃にポーンサワンが造られた。その最も大きな魅力は、ジャール平原に近いということである。

ターケーク郡
ラオス中南部のメコン川東岸の町で、カムムアン県の県庁所在地である。川を挟んで、向かい側のタイのナコーンパノムと面する。市内にはフランス植民地時代の建物が多く残る他、郊外には石灰岩でできた奇岩があちこちにみられ、いずれも風光明媚である。

パークセー郡
セダン川とメコン川の合流地点に位置している。パークセーはチャンパーサック県の県都で、南部の交通の要衝でもあり、ボロヴェン高原やシーパンドンなど観光地への玄関口でもある。


ラオス内戦
Laotian Civil War、1953年 - 1975年とは、左派パテート・ラーオとラオス王国政府による内戦である。左翼と右翼による政治闘争を越え、冷戦中の大国からの支援を受けた代理戦争に発展した。ラオスはベトナム戦争の交戦国にとって隠れた戦場となっていた。1953年のフランス・ラオス条約により、ラオスには完全な独立が与えられたが、それから数十年の歴史は、スワンナ・プーマ殿下らの中立派、チャンパーサック王家のブン・ウム(英語版)殿下らの右派、スパーヌウォン殿下および後の首相カイソーンらの左派ネーオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)の三派間の争いによって記録された。

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フランス極東学院
フランス教育省の監督下にある科学的、文化的、専門的な公共研究機関であり、東南アジア、東アジア、南アジアの諸文明研究を使命とする。当初インドシナに設立され、フランス東洋学の伝統を継承する組織である。l'EFEOと略称する。1968年以来パリのウィイルソン大統領街22番地の「アジアの家」に本部を置き、アジア各地に研究センターや支所を配置、人類学・考古学・建築学・歴史学・美術史・言語学・哲学・碑文研究など東洋学専門家42名が所属する。

ラオス人民革命党
ラオスの政党。同国唯一の政党として国家を主導する。社会主義、マルクス・レーニン主義、プロレタリアート独裁を党の綱領として掲げる一方、社会主義の枠内での経済の自由・開放化をも綱領に掲げている。インドシナ共産党ラオス地方委員会の党員であったカイソーン・ポムウィハーンらによってラオス人民党が結成され、1955年3月22日に結党大会が開催された。翌1956年1月、大衆組織ネーオ・ラーオ・ハックサート(ラオス愛国戦線)を組織して左派勢力を糾合し、ラオス内戦を戦う。


■国名
公式の英語表記は Lao People's Democratic Republic(ラウ・ピープルズ・デモクラティック・リパブリック)。ビザなどでは「Lao P.D.R」と略される。通称は Laos (ラウス、または、ラオス)。



1.面積:24万平方キロメートル
2.人口:612万人(2009年、ラオス統計局)
3.首都:ビエンチャン
4.民族:ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計49民族
5.言語:ラオス語
6.宗教:仏教
7.略史:1353年、ランサーン王国として統一。1899年フランスのインドシナ連邦に編入される。1949年仏連合の枠内での独立。1953年10月22日仏・ラオス条約により完全独立。その後内戦が繰返されたが、1973年2月「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立。インドシナ情勢急変に伴って、1975年12月、ラオス人民民主共和国成立。

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■産業:サービス業(GDPの約42%)、農業(約33%)、工業(約25%)。但し労働人口の約8割が農業に従事。
■主要貿易品目(1)輸出 銅、縫製品、電力、金、農産・林産物(2)輸入 投資プロジェクト用建材、燃料、消費財、工業・縫製原料


キープ
(Kip) は、ラオスの通貨単位。ISOによる略称はLAK。2010年1月27日現在、1USドル=8,466キープ。補助通貨単位はアット(Att)で、1キープ=100アット。国内経済がタイとの交易に依存していることからタイ・バーツ、更に国境を接する中国の人民元やUSドルが国内で日常的に流通している。


■農業
少ない人口がまんべんなく分散して暮らすラオスでは、大部分の人は稲作を基盤とする農業を営んでいる。まず、自給米を確保し余剰分を販売し現金収入とする。ラオス人の主食はもち米である。自給農業を基盤とした分散型社会である。[21]。 ラオスでは、毎年約220 - 250万トンのコメが生産されている。雨季は稲作、乾季は野菜等の栽培を行っている農家が多い。コーヒーはラオス最大の輸出農作物。

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ビア・ラオ
(Beerlao)は、ラオスのラオ・ブリュワリー社 (Lao Brewery Co., Ltd) が製造しているラガータイプのビールである。 ラオスビールとしても知られ、ラオスを訪れる外国人観光客の間でもおなじみのブランド。アルコール度数は5%。口当たりはとても軽く、飲みやすい。


■政治
国家主席を元首とする共和制国家であり、国家主席は国民議会で選出され、任期は5年。職務の補佐・代行のために国家副主席がいる。憲法の前文で「社会主義」「人民民主主義」を謳い、第3条では「ラオス人民革命党を主軸とする政治制度」と規定されているなど、マルクス・レーニン主義を掲げるラオス人民革命党による社会主義国型の一党独裁制(一党制)が敷かれている。政府の政策決定は、9人で構成される党の政治局と、49人で構成される党の中央委員会において決定される。特に重要な政策に関しては、さらに大臣の会議で審議される。


第2タイ=ラオス友好橋
タイのムックダーハーンとラオスのサワンナケートとを結ぶ、メコン川に架けられた2本目の橋。ヴィエンチャン - ノーンカーイ間の友好橋についで2番目に建設された、両国国境をまたぐ橋である。日本のODA融資資金(国際協力銀行)の円借款ローン(約80億円)施工業者は日本のゼネコン、三井住友建設である。

ナムグムダム
(Nam Ngum Dam)は、ラオスのヴィエンチャン県を流れるナムグム川(英語版)(メコン川支流)に建設されたダム。ビエンチャンの北方約90kmの場所にあり、貯水池であるナムグム湖(オランダ語版)には南西の湖岸に水上レストランや湖上の島をめぐるクルーズなどの観光資源が開発され、日帰り観光地としても人気がある。

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ラオス料理
他の東南アジア国とは異なり、ラオスではもち米を主食としている特徴があり、もち米は手で食べられる。南姜、レモングラス、パー・デーク(Padaek)はラオス料理の最も重要な材料。ラオス料理を代表するメニューはラープであり、刻み肉とハーブとライムジュースとスパイスから作られる。もう一つのラオスの主要産物はオーラムと呼ばれるスパイシーなハーブと肉を煮込んだ料理である。

 


■音楽
ラオスの音楽は国を代表する楽器であるケーン (竹製のフリーリードの一種) で演奏される事が多い。バンドには通常歌い手/ラッパー (モーラム) とケーン奏者 (モーケーン - mor khaen) が含まれており、その他にフィドルなど他の楽器奏者が付く。ラム・サーラヴァン(英語版)はラオスの音楽で最も人気のあるジャンルだが、タイのラーオ族はモーラムシンと呼ばれるギターやキーボードを用いた現代的なモーラムを演奏し、国際的にも知られている。

モーラム
ラオスやイーサーン(タイ東北部)などにおける ラーオ族(タイ・ユワン族(タイ語)を除く)の伝統音楽である。本来は独特のリズムとケーン(笛の一種)による主旋律、裏返って途切れそうなボーカルを特徴とし、その内容は生活の貧窮や行政批判など社会・政治的なものから恋愛や人情まで多岐にわたる。

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■メディア
ラオスの新聞は、英語新聞『ヴィエンチャン・タイムズ』 (Vientiane Times) 及びフランス語新聞『ル・レノヴァテュール』 (Le Renovateur) を含め全て政府機関発行である。更に、公認通信社カオサン・パテート・ラオ (Khaosan Pathet Lao、Lao News Agency) が同名の英仏語版新聞を発行している。主なラーオ語新聞としては『パサション』 (Pasaxon)、『ヴィエンチャン・マイ』 (Vientiane Mai Newspaper) がある。


チュンマリー・サイニャソーン
(Choummaly Sayasone, 1936年3月6日 - )はラオスの軍人、政治家。ラオス人民軍中将。現在、第2代ラオス人民革命党中央委員会書記長、第5代ラオス人民民主共和国主席を務め、同国の最高指導者の地位にある。革命第二世代[1]で、党の保守的な路線を継承する。ラオス内戦が始まると、左派軍事勢力パテート・ラーオの将校として1960年から1974年にかけてシェンクワン軍管区司令官を務める。その間にベトナム人民軍陸軍学校で学び、1969年に同校を卒業した。

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ブアソーン・ブッパーヴァン
(Bouasone Bouphavanh, 1954年6月3日 - )はラオスの政治家。第7期・第8期ラオス人民革命党政治局員。第8期政治局での序列は第7位。第5代ラオス人民民主共和国首相を務め、経済改革を進めていたが、任期途中で首相を辞任した。ラオス南部のサーラワン県に生まれる。ラオス内戦末期の1974年から革命運動に参加したため、いわゆる「革命第三世代」に位置する。1975年12月のラオス人民民主共和国建国後はチャンパーサック県職員として勤務。



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