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バングラデシュ人民共和国
People's Republic of Bangladesh

アジア

■地理
国土の大部分はインド亜大陸のベンガル湾沿いに形成されたデルタ地帯である。このデルタ地帯を大小の河川やカールと呼ばれる水路が網の目のように走っている。沼沢地とジャングルの多い低地であり、ジャングルはベンガルトラの生息地として知られる。北をヒマラヤ山脈南麓部、シロン高原(メガラヤ台地)、東をトリブラ丘陵やチッタゴン丘陵、西をラジュモホル丘陵に囲まれ、南はベンガル湾に面している。東部や東南部に標高100〜500メートルの丘陵が広がる。


三角州
河口付近で見られる地形で、枝分かれした2本以上の河川(分流)と海で囲まれた三角形に近い形をしている。ギリシア文字のデルタ(Δ)に似ていることから、デルタ、デルタ地帯とも呼ばれる。河川の上流から流れてきた砂などが堆積することにより形成される。大河の場合は河口に複数の三角州が形成されることもあり、それらを総体的にデルタまたは三角州と呼ぶこともある。


ヒマラヤ山脈
Himalayan Rangeは、アジアの山脈で、地球上で最も標高の高い地域である。単にヒマラヤということもある。ヒマラヤは、インド亜大陸とチベット高原を隔てているカラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈、パミール高原から続く無数の山脈から構成される巨大な山脈である。 ヒマラヤ山脈はブータン、中国、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンの6つの国にまたがる。いずれも最大級の大河であるインダス川、ガンジス川、ブラマプトラ川、長江の水源となっており、このヒマラヤ水系には約7億5千万人の人々が生活している(これにはバングラデシュの全人口が含まれる)。

インド洋
Indian Oceanは、太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つである。三大洋中最も小さい。面積は約7340万平方km、沿海との合計面積は7410万平方kmである。地球表面の水の約20パーセントが含まれる。北はインド、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカから、西はアラビア半島およびアフリカに接し、紅海とつながる。

ベンガル湾
Bay of Bengalは、インド洋の北東部分の湾。ベンガル湾はほぼ三角形で、南方に開けた形となっている。東にマレー半島、西にインド亜大陸、北に名前の元となったインドの西ベンガル州およびバングラデシュに面している。

ガンジス川
インド亜大陸北部を流れる大河。ヒマラヤ山脈の南麓ガンゴートリー氷河を水源とし、上流部ではバーギーラティーの名がある。デーオプラヤーグ付近で支流アラクナンダー川と合流し、そこからガンガーと呼ばれるようになる。ここまでがガンジス川の上流部である。分流のうち代表的なものには、コルカタ付近を流れるフグリー川、バングラデシュに流れるパドマー川がある。

ブラマプトラ川
Brahmaputra Riverはチベットに発しバングラデシュでガンジス川と合流し、ベンガル湾へ注ぐ河川である。全長2,900km。源流はヒマラヤ山脈の北側で、チベット高原南部を東進した後ヒマラヤ山脈東端をかすめ南下、インドのアッサム州を西へ向け横断、ガンジスに合流する。その合流点では世界最大の広大な三角洲を形成している。


チッタゴン丘陵地帯
Chittagong Hill Tracts CHTはバングラデシュ南東部に広がる丘陵地帯で、面積は13,180平方km。インドおよびミャンマーとの国境地帯に当たる。ヒマラヤ山系の延長部にあたる。行政的にはチッタゴン管区に属する。人口は100万人から150万人。 ジュマ(焼き畑農業をする人)と総称される先住民族が暮らしている。ジュマの多くは仏教徒で、文化・人種的には東南アジアの住民に近い。 これら先住民族は、国民全てをベンガル人とするバングラデシュ政府の同化政策によって迫害を受けている。このため緊張状態にあり、治安状態は劣悪である。

ヒンドスタン平野
Indo-Gangetic Plain、はインド(北インド)、パキスタン、バングラデシュ、ネパールにまたがる広大な平野の名称である。ヒンドスタン(Hindustan)はペルシャから見たインドの呼称でヒンディー語、ヒンドゥー教、ヒンドゥークシュ山脈と元になった言葉である。


ベンガル地方
Bengal regionは、南アジア北東部の地域。ガンジス川とブラマプトラ川の下流にあるデルタ一帯を占め、インドの西ベンガル州とバングラデシュ(旧東パキスタン)が含まれる。歴史的に古い地域で人口も多いが、宗教的対立によって今日ではインドとバングラデシュによって分断されている。


パーラ朝
パーラ朝は、8世紀後半から12世紀前半までインドのベンガルとビハール地方を支配した王朝。グプタ朝やヴァルダナ朝が滅亡して久しい8世紀半ばに、ベンガル地方の混乱を収拾する要請から、地方の名士たちによる公式な選挙で、ゴーパーラ(位750年〜70年)が王に選出された。

グプタ朝
(Gupta Empire)は、古代インドにおいて、西暦320年から550年頃まで、パータリプトラを都として栄えた王朝である。4世紀に最盛期を迎え、インド北部を統一した。

マウリヤ朝
紀元前317年頃 - 紀元前180年頃)は、古代インドで栄えたマガダ国に興った王朝である。紀元前317年頃、チャンドラグプタによって建国された。アショーカ王の時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。しかし王の死後国家は分裂し、紀元前2世紀初頭、シュンガ朝の勃興により滅亡した。

セーナ朝
11世紀末から13世紀半ばにかけてベンガル地方に存在していた王朝。セーナ朝の王族は南方のデカン高原に起源を持つ。11世紀にカルナータカ地方より傭兵あるいは侵入者としてベンガル地方に移住し、この地に定住した。

ムガル帝国
1526年からインド南部を除くインド亜大陸を支配し、1858年まで存続したイスラム王朝。中央アジア出身で、ティムール朝の王族ウマル・シャイフ・ミールザーを父、チンギス・ハーンの次男チャガタイを祖とするモグーリスタン・ハン家の王女クトルグ・ニガール・ハーニムを母とするテュルク・モンゴル系の遊牧貴族バーブルを始祖とし、彼が現在のアフガニスタンからインドに移って建国した。

パータリプトラ
Pataliputra、は、マガダ国の都として繁栄した古代インド世界の中心都市の1つ。現在のビハール州の州都パトナにあたる。紀元前6世紀か紀元前5世紀頃、マガダ国の王アジャータシャトルが、外征のための拠点として、(特にガンジス川を渡河するために)この地に城を築いた事から整備が進み、河川の合流点に位置し地の利のあるこの都市は急速に発展した。


■言語
住民はベンガル語話者であるベンガル人がほとんどで、人口の98%を占めている。その他に、ウルドゥー語を話す、ビハール州などインド各地を出身とする非ベンガル人ムスリムが2%を占める。他に、南東部のチッタゴン丘陵地帯にはジュマと総称される10以上のモンゴロイド系先住民族が存在する。ジュマの総人口は100万人から150万人とされるが、1979年以降バングラデシュ政府の政策によってベンガル人がこの地域に大量に入植するようになり、チッタゴン丘陵地帯におけるジュマとベンガル人の人口比はほぼ1対1となった。


ベンガル語
ベンガル人の言語。話者数は2億人を数え、日常会話の言語人口としては、世界で7番目に多い言語。主にバングラデシュおよびインドの西ベンガル州とその周辺で話されている。バングラデシュの国語であり、またインドでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつとして、西ベンガル州とトリプラ州の公用語になっている。

ウルドゥー語
インド・ヨーロッパ語族インド語派に属する言語の一つ。ヒンドゥスターニー語の方言。パキスタン、インド北部を中心に、世界で20番目に多い6100万人の話者人口を持つ。パキスタンの国語になっている。またインドでも憲法の第8附則において定められた22の指定言語のひとつである。カシミール地方でも多く話され、インド北部のジャンムー・カシミール州では州の公用語になっている。サンスクリットを祖

デーヴァナーガリー
Devanagariは古代インドで発達した文字。古典言語のサンスクリット、プラークリットで使われた。また、現代でもインド諸語のヒンディー語、マラーティー語、ネパール語などで筆記・印刷に用いられている。一目で分かるデーヴァナーガリーの特徴としては、各文字がシローレーカー(頭線)と呼ばれる上部の横線画で繋がっている点が挙げられる(例外的に頭線を含まない文字や途切れている文字もある)。この横棒は、書き順から言えば、最後に「仕上げ」として書かれる。語としている。


■宗教
イスラム教が83%、ヒンドゥー教が16%、その他が1%である。その他の宗教には仏教、キリスト教などが含まれる。バングラデシュはイスラム教徒が多数派であるが、ヒンドゥー教徒の人口割合もかなり高く、両者は平和裏に共存している。また、パハルプールの仏教寺院遺跡群に見られるように、以前は、仏教が大いに栄えていたため、現在でも、一部の地域では、仏教が信仰されている。

ムスリム
Muslim)は、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のことである。かつて、イスラム教はキリスト教よりはるかに多様な民族の間で信仰されていた。しかし、近代以降、西方のキリスト教会が世界中に布教を行いその分布を広げたため、それに比較すると、イスラム教を信仰する民族は限られている。

ヒンドゥー教
インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する sindhu が古代ペルシアで転訛したもの。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられていたものが、インドに逆輸入され、定着した。


ロヒンギャ民族
ミャンマーのヤカイン州とバングラデシュのチッタゴン管区に跨って暮らすベンガル系ムスリム集団である。ロヒンギャは、ミャンマーにおいてはイスラム教徒であるため支配集団の仏教徒ビルマ族から弾圧され、バングラデシュにおいても不法滞在者として冷遇されているため、周辺諸国への難民化が顕著である。

ベンガル人
ベンガル地方(バングラデシュや西ベンガル、ビハール州)を中心に住む民族。言語はベンガル語を話す。ベンガル人にはバングラデシュに住む者を中心にイスラム教徒が多い。イスラム教を除けば、大部分はヒンドゥー教徒である。その他、少数の仏教徒もいる。しかし宗教に関わらずベンガル語とベンガル文字が広く使われており、民族意識が強い。

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<歴史>
■現在バングラデシュと呼ばれる地域
古くから文明が発達した。現在のバングラデシュはベンガル地方の東側にあたる。紀元前4世紀のマウリヤ朝から6世紀のグプタ朝まで数々の王朝の属領であった。仏教寺院からは紀元前7世紀には文明が存在したことが証明され、この社会構造は紀元前11世紀にまで遡ると考えられるがこれには確実な証拠はない。

■8世紀中葉
パーラ朝がなり、仏教王朝が繁栄した。12世紀にヒンドゥー教のセーナ朝にとってかわられた。13世紀にイスラム教化が始まった[3]。16世紀にはムガル帝国の元で、商工業の中心地へと発展した。11世紀(セーナ朝の時代)から16世紀(ムガル帝国に編入されたとき1574年)の間にベンガル語が発達した。

■イギリス領時代
15世紀末にはヨーロッパの貿易商人が訪れるようになり、18世紀末にイギリスの東インド会社により植民地化された。ベンガルの東ぶ・西部から綿織物やコメの輸出が盛況を呈し、17世紀の末には、アジア最大のヨーロッパ向け輸出地域となり、大量の銀が流入し、銀貨に鋳造され、森林地帯の開拓資金に投下された[5]。東インド会社は支配をインド全域に拡大していき、その中心地域となったベンガルの繁栄は続いた。「黄金のベンガル」と讃えられるようになったのはこの時期である。

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■1943年
大飢饉が起こり150万〜300万人の死者を出した。1946年8月コルカタ(旧カルカッタ)暴動でムスリムとヒンドゥーが衝突し、4000人以上の命が失われた。そんな中で英領インドは1947年に独立を達成したものの、宗教上の問題から、ヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はインドを挟んで東西に分かれたパキスタンとして分離独立することになり、東ベンガルはパキスタンへの参加を決めた。

■東パキスタン
両パキスタンが成立すると、現在のバングラデシュ地域は東パキスタンとなった。しかし両地域間は人口にはさほど差がなかったものの、経済や文化などが大きく異なっており、さらにインドによって1000km以上も隔てられた国土となっていた。

■1971年3月
軍が軍事介入を行って東パキスタン首脳部の拘束に動いた。これにより東西パキスタンの対立は決定的となり、東パキスタンは独立を求めて西側のパキスタン(現パキスタン)と内乱になった。バングラデシュ独立戦争である。

■独立後
独立後はアワミ連盟のシェイク・ムジブル・ラフマンが初代首相となり、のちに大統領となった。しかし内戦や洪水による経済の疲弊により、1975年にクーデターが起きムジブル・ラフマンが殺害される。

■1981年
軍内部のクーデターにより殺害され、フセイン・モハンマド・エルシャド中将が再び軍事政権を樹立した。エルシャド政権は民主化運動により1990年に退陣し、1991年に総選挙が行われて以降は、民主的に選挙で選出された政府が統治している。旧イギリス植民地としてイギリス連邦に加盟するが、総督を置かず、元首は大統領である。

イギリス連邦
Commonwealth of Nations、旧名 British Commonwealth)は、かつてのイギリス帝国(大英帝国)がその前身となって発足し、イギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る、緩やかな国家連合(集合体)である。英連邦(えいれんぽう)、コモンウェルス(the Commonwealth)ともいう。

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イギリス東インド会社
English East India Company) はアジアとの貿易を目的に設立されたイギリスの特許会社である。厳密には「イギリス東インド会社」という一つの会社組織が存在した訳ではなく、ロンドン東インド会社(旧会社)、イングランド東インド会社(新会社)、合同東インド会社(合同会社)という三つの会社の総称である。


<世界遺産>
バゲルハートのモスク都市
15世紀前半、ここを開拓した王、カン・ジャハンにより造営されたモスク群。 遺跡内にはモスクやタダルガー(霊廟)など50にも及ぶ建造物があり、そのほとんどがカン・ジャハン様式により建設された。

パハールプールの仏教寺院遺跡
8世紀半ばから、9世紀にかけて建設された仏教寺院遺跡群。ここはかつて、一辺330mの敷地内に177の僧院、72の台座、中座、仏舎利塔が存在し、1000人もの僧を収容することが出来る仏教寺院であった。この施設配置は、インド仏教末期の典型的な配置であり、当時の中核的な仏教施設であったと言われている。

シュンドルボン
インド・ベンガル州とバングラデシュ・クルナ管区南部にまたがって広がるマングローブの群生地帯。総面積100万haの大森林地帯であり、世界最大のマングローブ天然林である。この内、62%にあたる57万7,000haがバングラデシュ側に存在する。

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サイクロン
(Cyclone)は、熱帯低気圧のうちインド洋北部・インド洋南部・太平洋南部で発生するものである。英語のCycloneは、低気圧、暴風全般を指す語でもある。最初にこの言葉を紹介したのは、イギリス人のヘンリー・ピディントン(1797年-1858年)である。元海兵隊の船長で暴風に関する研究をしていたピディントンは、1789年にコリンガという町を襲った猛烈な暴風に着目し、この地域のある学術的な会合(1840年)でその危険性を紹介した。

1970年のボーラ・サイクロン
1970 Bhola cyclone)とは、1970年11月12日に東パキスタンのボーラ地方(今日のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州を襲ったサイクロンである。ベンガル・デルタ地帯の標高が低い島々が高潮に襲われ、これを主な原因としてもっとも控えめな見積でも20万5000人以上、最大50万人と推定される人命が失われ、サイクロンとしては史上最大級の犠牲者を出した。


竜巻
tornado)は、積乱雲の下で地上から雲へと細長く延びる高速な渦巻き状の上昇気流。突風の一種で、規模が小さく寿命が短い割に、猛烈な風を伴うのが特徴。地上で強い竜巻が発生すると、暴風によって森林や建物などに甚大な被害をもたらすことがあり、災害をもたらす典型的な気象現象の一つとされている。

海嘯
海嘯(かいしょう)は河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する現象である。潮津波(しおつなみ)とも呼ばれる。昭和初期までは地震津波も海嘯と呼ばれていた。この現象が起こるのは河口が広い三角江と言われており、発生する代表的な河川はブラジルのアマゾン川(これを特にポロロッカという)、中国の銭塘江、イギリスのセヴァーン川である。


バングラデシュ・コンサート
The Concert for Bangla Deshは、1971年12月20日に発表されたジョージ・ハリスン主催のチャリティ・コンサート『バングラデシュ難民救済コンサート』を収録したオムニバスのライブ・アルバムである。

■ジョージハリスンとラビシャンカール
1971年8月、バングラデシュでの洪水による多大なる被害に対して、イギリスのロック・ミュージシャンであるジョージ・ハリスンとインド出身のラヴィ・シャンカールらが中心となり、ニューヨークでチャリティ・イベント「バングラデシュ難民救済コンサート」が開催された。このコンサートは映画化され、またライヴ盤レコード「バングラデシュ・コンサート」として発売され、コンサートの入場料を含めた全収益金がバングラデシュに寄付された。この企画はロック界におけるチャリティー事業のさきがけとなった。また、ジョージ・ハリスンはシングル・レコード「バングラデシュ」を発売し、この売り上げも全額が寄付されている。


■NGO
ダッカなど都市部ではNGO、農村部ではグラミン銀行による貧困層への比較的低金利の融資を行なう事業(マイクロクレジット)が女性の自立と貧困の改善に大きな貢献をしたとして国際的に注目を集めている。2006年にはグラミン銀行と創設者で総帥のムハマド・ユヌスは「貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献」を理由にノーベル平和賞を受賞し、バングラデシュ初のノーベル賞受賞者となった。


非政府組織
Non-Governmental Organizations、NGO)は、民間人や民間団体のつくる機構・組織であり、国内・国際の両方がある。日本語では、NGOという言葉が、国際的なものとして使われており、「国際協力に携わる組織」や「政府を補完する側面」というような場合に使用される。

ノーベル平和賞
Nobel Peace Prize)は、ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された五部門のうちの一つ。 ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。

後発開発途上国
Least developed country)とは、国際連合(国連)が定めた世界の国の社会的・経済的な分類の一つで、開発途上国の中でも特に開発が遅れている国々のことである。略語としてLDCと表記される。後発開発途上国の多くは、広範囲にわたる武力衝突と不安定な政治によって国家の機軸が損なわれている。名目上は民主主義や自由主義を標榜していても、実質的には独裁政治が行われているのが主である。また、これらの国は民族紛争と長い間続いていた植民地主義の名残によっても国が損なわれている。低開発国の半分はサハラ以南のアフリカにある。


■鉱業
バングラデシュは鉱物資源に恵まれない。唯一ともいえる資源が天然ガスである。1908年に発見される。その後英国統治時代にも開発が続けられ、独立以後は外国資本による生産分与方式(PS方式)で進められた。政府は1970年代より天然ガス資源の探査、生産を推進し、1984年のバクラバードガス田(チッタゴン)操業開始をはじめ、17のガス田を開発した。2003年時点の採掘量は435千兆ジュール。現在(2008年)12のガス田、53の井戸から日量13億立方フィートの生産可能となっている。ガス田はジャムナ川より東側に分布しており、パイプラインで輸送されている。現在ボグラ市まで達している。埋蔵量(『オイル・アンド・ガス・ジャーナル』2002年4月の記事)は、生産中及び確認・確定埋蔵量は、28.8兆立方フィート。アジア地域では、マレーシア80兆、インドネシア72兆に次ぐ埋蔵量。


天然ガス
natural gas)は、一般に天然に産する化石燃料である炭化水素ガスのことを指す。広義には、地下に存在するガス、または地下から地表に噴出するガス一般のことであり、この中には化石燃料ガス(可燃性ガス)だけでなく、窒素や酸素、炭酸ガス、水蒸気、硫化水素ガス、亜硫酸ガス、硫黄酸化物ガスなどの不燃性ガスも含まれる。これら不燃性ガスの多くは火山性ガスである。


アマルティア・セン
Amartya Sen, 1933年11月3日 - はインドの経済学者。哲学、政治学、倫理学、社会学にも影響を与えている。アジア初のノーベル経済学賞受賞者。1994年アメリカ経済学会会長。ベンガルで生まれ、9歳の時に、200万人を超える餓死者を出した1943年のベンガル大飢饉でセンの通う小学校に飢餓で狂った人が入り込み衝撃を受ける。またこの頃、ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい抗争で多数の死者も出た。これらの記憶や、インドはなぜ貧しいのかという疑問から経済学者となる決心をしたと言われる。センはインドの東ベンガル州(現在のバングラデシュ)の名門を輩出する一族の出身で、センの母方の祖父は、ヒンドゥー哲学と中世インド文学の名高い権威のある学者クシティモハン・センだった。祖父は、ノーベル文学賞受賞者ラビンドラナート・タゴールの親しい同僚で、センの名付け親はタゴールと言われている。

メーグナード・サーハー
Meghnad Saha、1893年10月6日 - 1956年2月16日は、インドの物理学者である。サーハーの電離公式をみちびいた。現在のバングラデシュのダッカの近郊に商人の息子として生れた。医者の家に住み込んで働きながら学校にかよった。1909年ダッカ大学に入学。後の物理学者サティエンドラ・ボースと成績を競い合った。その後カルカッタのプレデンシー・カレッジ(Presidency College)でジャガディッシュ・チャンドラ・ボースなどの指導をうけた。1920年から2年間ヨーロッパに留学し、1923年から1938年までイラーハーバード大学(Allahabad University)の教授、その後カルカッタ大学(University of Calcutta)の教授になった。

ジルル・ラーマン
Zillur Rahman、1929年3月9日 - は、バングラデシュの政治家。同国の現大統領(第19代)で、アワミ連盟の高級幹部でもある。キショレガンジュ県バイラブ郡生まれ[3]。父のメヘル・アリ・ミアンはミメンシング地域委員会や郡委員会の委員も務めた大物弁護士であった。1945年にバイラブ・K・B高校から大学に進学し、1947年にダッカ・インターメディエート・カレッジから文学士号を取得、ダッカ大学から歴史学の博士号と法学士号を取得した。

シェイク・ハシナ
Sheikh Hasina Wazed、1947年9月28日 -はバングラデシュの政治家、首相。バングラデシュの二大政党のひとつ、アワミ連盟の党首。同国南西部のダッカ管区ゴパルガンジュ県トゥンギパラ出身。信仰する宗教はイスラム教スンナ派。パキスタンからのバングラデシュの独立を果たし国父とされるムジブル・ラフマンの長女で、1975年にクーデターで父が暗殺された際にイギリスにいて生き残った。以後、インドで亡命生活を送ったが、1981年に帰国を果たし、アワミ連盟の党首となった。その後、1983年にフセイン・モハマド・エルシャドがクーデターで政権を握り大統領となると、アワミ連盟を率いてこの政権に対する反対運動を展開し、このため再三軟禁されることとなった。

ムジブル・ラフマン
Sheikh Mujibur Rahman、1920年3月17日-1975年8月15日またの名をバンガバンドゥ・シェイク・ムジブは、東パキスタンにおけるベンガル人政治指導者で、初代バングラデシュ首相、のちに初代大統領。 日本のメディア報道では「ムジブル・ラーマン」と表記されている。ムジブル・ラフマンの政治活動はパキスタン独立とともにはじまる。1975年8月15日、シェイク・ムジブル・ラフマンは家族とともに陸軍部隊によりダッカで殺害された。後任として、前商業・土地収益大臣であったカンデカル・モシュタク・アーメッドが就任した。アーメッドはラフマンの暗殺を計画したひとりであった。

カレダ・ジア
Begum Khaleda Zia, 1945年8月15日-はバングラデシュの前首相で、バングラデシュ民族主義党(BNP)党首。同国初の女性首相。ジアウル・ラーマン元大統領の未亡人。同国北部のディナジプル出身。1984年からBNP党首。1991年から1996年まで首相。その後、アワミ連盟に政権を奪われたが、2001年10月の総選挙でBNPが勝利したことを受け、首相に再就任。しかしその後、事実上の軍政が敷かれるようになると、2007年1月に予定されていた総選挙が非常事態宣言で中止に追い込まれ、同年9月3日には収賄・入札妨害等の罪で次男と共に逮捕される。

ムハマド・ユヌス
Muhammad Yunus、1940年6月28日 - は、バングラデシュにあるグラミン銀行 元総裁、経済学者である。マイクロクレジットの創始者。英国統治下にあったバングラデシュの南部チッタゴンに生まれる。チッタゴンカレッジを経て、ダッカ大学を卒業。フルブライト奨学金を得て渡米し、1969年にヴァンタービルト大学で経済学の博士号を取得した。

モハメド・イクバル
Mohammad Iqbal、1967年 - は、バングラデシュの画家。1987年ダッカ大学芸術学部美術学士課程卒業。翌年、文部省国費留学生として来日。愛知教育大学大学院や広島市立大学を経て東京藝術大学大学院博士後期課程美術研究科在籍。広島市立大学在籍時の2005年には第14回青木繁記念大賞公募展で大賞となり、外国人初のこの賞大賞となった。

モハメド・ホサイン・ミルゼル
Mohamed Hossain Milzer、1967年2月11日-はバングラデシュの男子陸上競技選手。専門は短距離走。1986年にジャカルタで開催された第1回アジアジュニア陸上競技選手権大会に出場し、800mで銀メダル、400mで銅メダルを獲得した。1988年にはソウルオリンピックの代表として400m、800m、4×100mリレーの3種目に出場した。

スバス・チャンドラ・ボース
(Shubosh Chondro Boshu、1897年1月23日 - 1945年8月18日)は、インドの独立運動家、インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。民族的出自はベンガル人。1921年にマハトマ・ガンディー指導の反英非協力運動に身を投じ、1924年にカルカッタ市執行部に選出されるも、逮捕・投獄されビルマのマンダレーに流される。釈放後の1930年にはカルカッタ市長に選出されたが、チャンドラ・ボースの独立志向とその影響力を危惧したイギリスの植民地政府の手により免職された。

ショヒド・カドリ
Shahid Kadri、1942年7月11日 - )は、バングラデシュの詩人。ダッカに生まれる。10代前半から詩作を始め、1950年代に詩人として知られる。1969年に初の詩集『Uttaradhikar(遺産)』を発表する。1973年にバングラ・アカデミー賞 (Bangla Academy Award) を受賞したのちに、詩集『Tomake Abhibadan Priyatama』(1974年)、『Kothayo Kono Krondon Nai』(1978年)を発表する。

アル・マームド
1936年7月11日 - )は、バングラデシュの詩人。クミッラ (Comilla) に生まれる。1950年代から知られるようになり、1963年に初の詩集『Lok Lokantor(ひとつの世界からもうひとつの世界へ)』を発表する。1973年の詩集『Sonali Kabin(黄金の契約)』に収録された表題作は、バングラデシュ詩の傑作として高く評価された。

ジャガディッシュ・チャンドラ・ボース
Sir Jagadish Chandra Bose 、1858年11月30日 - 1937年11月23日はインドの物理学者、SF作家である。イギリス統治下のベンガル行政区生まれ、カルカッタのセントザビエルカレッジ卒業。薬学を学ぶためロンドン大学に留学したが、健康を害して帰国。プレジデンシーカレッジ(Presidency College)の物理学教授に就任した。インドの無線科学、SFの父と呼ばれる。研究分野は広範で、クレスコグラフ (Crescograph) の発明は有名である。

バングラディシュ Bangladesh
南アジアにあるイスラム教徒主体の国で、イギリス連邦加盟国である。首都はダッカ。バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」という意味。世界で7番目に人口が多い国であり、都市国家を除くと世界でもっとも人口密度が高い。現在バングラデシュと呼ばれる地域には、古くから文明が発達した。現在のバングラデシュはベンガル地方の東側にあたる。紀元前4世紀のマウリヤ朝から6世紀のグプタ朝まで数々の王朝の属領であった。仏教寺院からは紀元前7世紀には文明が存在したことが証明され、この社会構造は紀元前11世紀にまで遡ると考えられるがこれには確実な証拠はない。初期の文明は仏教および(あるいはまたは)ヒンドゥー教の影響を受けていた。

バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」という意味。世界で7番目に人口が多い国であり、都市国家を除くと世界でもっとも人口密度が高い。

ダッカ
世界有数のメガシティであり、国際連合の2010年度人口推計によると、近郊を含む都市圏人口はバングラデシュ最大1,464万人であり、世界第9位である[4]。現代のダッカは、バングラデシュの政治・文化・経済活動の中心地である。 都市のインフラストラクチャーは国中で最も発達しているが、それでも急激な人口増加には追いつかず、公害や交通渋滞または公共サービスの不足などの問題に直面している。

チッタゴン
Chittagongはバングラデシュ第二の都市であり最大の海港である。ミャンマー国境に近い、バングラデシュ南東部に位置する。人口は約350万人(2004年)で、増加傾向にある。バングラデシュ国内最大の港であり、数千年に渡って交易地として繁栄してきた。現在はバングラデシュの輸出入の主な経路であり、毎年多額の収入を貿易によって得るとともに、国内外からの投資を得ている。港湾施設の開発も進められており、インド洋の潮流に合わせた開発がなされている。

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シャージャラル国際空港
Shahjalal International Airportは、バングラデシュの首都、ダッカにある国際空港。ビーマン・バングラデシュ航空とGMG航空、ユナイテッド・エアウェイズが本拠地としている。

シャーアマーナト国際空港
Shah Amanat International Airportとは、バングラデシュのチッタゴン管区チッタゴンにある国際空港である。

コックスバザール空港
Cox's Bazar Airport)は、バングラデシュ人民共和国チッタゴン管区コックスバザールにある空港。


ビーマン・バングラデシュ航空
Biman Bangladesh Airlines)はバングラデシュの国営航空会社。バングラデシュ・ビーマン社(Bangladesh Biman Corporation)の一部で、1972年より運航を開始した。アジア、ヨーロッパ、及びアメリカへの国際線の運航も行っていたが、資金繰りの問題もあって運航乗務員と機体不足が深刻化し、近年国際線就航路線が縮小傾向にある。


外務省:バングラディシュ民主共和国
在バングラディシュ日本国大使館


■交通
デルタ地帯にあり縦横に水路が張り巡らされている地形であるため、道路はあまり発達していない。代わりに、舟運の可能な水路は3800kmに及び、バングラデシュの輸送に重要な位置を占めている。雨季と乾季では水位が違い、陸路と水路の利用に大きな差が出る。


ラジシャヒ
バングラデシュ西部、インドとの国境近くに位置する、人口数で国内第4位の都市である。ラッシャヒとも表記される。北西から南東へ蛇行しながら流れるパドマ川(ガンジス川)の左岸に南面する。ラジシャヒが、この地方の政治の中心となったのは、ムガル帝国時代の1825年。約40km東に位置するナトールに置かれていた、この地域一帯を管轄する政庁が移された。既にイギリス東インド会社の商館が置かれ、交易の拠点となっていたこの地に、徴税業務などの役所も移転した方が植民地統治に便利だったためである。

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クルナ
Khulnaはバングラデシュ第三の都市。 ルプシャ川とバイロブ川の川岸に位置する。クルナ管区およびクルナ県の首府また県都にあたり、地域の商工業の中心地となっている。郊外に外港モングラをもつ。

クチビハール
(Indo-Bangladesh enclaves)は、インド(西ベンガル州クーチ・ビハール県)とバングラデシュ(ラジシャヒ管区)との国境線をまたいで散在する双方の飛地。入り組んだ国境線に加え、非常に多くの飛地が互いの領土内に存在することで、錯綜した状況になっている。


クルナ管区
クルナ管区周辺では12世紀ごろからイスラーム化が始まり13世紀頃にイスラーム系の王朝が成立。時代は下ってムガール帝国を経て18世紀までイスラーム国家が存続した。これらのイスラム王朝時代に建てられたモスクの一部はバゲルハード郊外で見ることが出来る。一人あたりの教育率は国内でも最高であり、クルナにはクルナ大学をはじめとする高等教育機関が多数あり、学生に政治活動の自由が認められている。一般公開された図書館や最新技術を誇る病院などがあり、これらは公共機関や個人の投資家などによって経営されている。

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シレット管区
現在のシレット管区は英領時代は現在のインド、アッサム州の管轄下にあったが、1947年にムスリム(イスラム教徒)の多さからパキスタンに割譲された。のちに東パキスタン(現在のバングラデシュ)はパキスタンから分離独立するが、同時にシレット管区も東パキスタンの領土となった。

ダッカ管区
バングラデシュの最高の地方行政区域である管区の一つ。国内の他のすべての管区に接し、北はインドとの国境を有する。管区南部の一部がブラマプトラ川をまたいでいる。管区内にはバングラデシュの首都であるダッカがある。


ダッカ動物園
Dhaka Zoo、 はバングラデシュの首都ダッカにある動物園である。ダッカ動物園には野生、非野生を問わず多くの動物がおり、毎年300万人以上の人々が観光に訪れる。ダッカ動物園には現在134種類合計2,150頭の動物が飼育されている。


チッタゴン管区
管区内にはカルナフリ川が流れており、その流れの速さから電力ダムが多く作られている。上流に国内唯一の水力発電所(230MW)が建造されており、国内のほとんどすべての電力を賄う重要なインフラストラクチャーである。しかしながら、高度差が少ないことから多くの発電所を建設することが出来ず、国民全体に行き渡るまでに至っていない。

バリサル管区
バリサル管区はバングラデシュの最高の地方行政区域である管区の一つ。クルナ管区、ダッカ管区、チッタゴン管区と接し、海岸部はインド洋に面する。ガンジス川(パドマガ川)の河口のデルタ地帯にあり、湿地帯である。管区都市バリサルは、アリアル・カーン川(キルトンコラ川)の河岸にあり、この地方におけるコメなどの集散地である。

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ラジシャヒ管区
8世紀頃から約400年間、インドパール王朝の支配を受けた。そのためパハールプール周辺には仏教寺院が数多く造られ17世紀頃まで仏教都市として機能した。しかし、現在ではイスラム教優勢である。北西部のディナジプール地区バラップクリアで中国の支援による石炭開発計画が進められており、石炭利用の火力発電(250MW)も計画されている。


■人口
バングラデシュは、シンガポールやバーレーンなどの面積の小さい国を除くと世界で最も人口密度の高い国である。1平方キロメートルあたりの人口は2008年現在で982人になり、しばしばインドネシアのジャワ島と比較される。人口爆発が社会問題となっているため、政府は1992年より、人口調節を推進して人口の増加を抑えようとしており、一定の成果を上げつつあるが、いまだ解決には至っていない。


■衛生状態
国民の大多数は土地を所有せず、あるいは洪水の危険が高い低湿地にすんでおり、衛生状態はきわめて悪い。このため、水を媒介として、コレラや赤痢などの流行がたびたび発生している。こうした状況を改善するため、国際機関が活動を行っている。特に飲用水の衛生状態の改善のため、井戸の整備を独立後に進めてきたが、多くの井戸が元来地層中に存在したヒ素に高濃度に汚染され、新たな問題となっている。多くのヒ素中毒患者が発生しており、人口の4分の1以上がヒ素中毒やヒ素による発癌の危険にさらされていると考えられている。

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■教育
教育制度は小学校5年、中学校5年、高校2年の5-5-2制である。識字率は53.5%(2009年)。義務教育は小学校5年のみである。就学率は2000年には95%に達し、それにつれて識字率も徐々に上昇してきたものの、児童の中退率が3割に達し、また授業や教育環境の質が低く児童の学力が向上しないなどの問題がある。


バングラデシュ鉄道
バングラデシュの国有鉄道である。2005年現在、営業距離は2,706kmで1,676mmの広軌区間が西部で923km、メーターゲージの区間が中央部と東部の地域にかけて1,822kmで構成されている。バングラデシュでの鉄道は1862年より創業している。1862年9月15日にダラサナ・Jagiti間に広軌の路線が開業した。続いて、1885年1月4日に14.98kmのメーターゲージの路線が開業している。1891年、アッサム・ベンガル鉄道がイギリス政府の援助により建設されるが、後にアッサム・ベンガル鉄道会社に移管される。


バングラデシュ独立戦争
1971年に勃発した戦争である。バングラデシュ解放戦争ともいう。東パキスタン地域の独立を主張するベンガル人を西パキスタンを中心とする中央政府が鎮圧を目的に武力行使を開始。東パキスタン住民が大量に難民となってインドに亡命したことから、インド政府が介入(第三次印パ戦争)しパキスタン軍が撤退、東パキスタンは「バングラデシュ」として独立した。


バングラデシュ民族主義党
Bangladesh Nationalist Party BNPは、バングラデシュの主要政党のひとつ。バングラデシュ国民党とも邦訳される。民族主義の右派。前の政権党。1978年9月1日、軍事クーデターで実権を握った前大統領ジアウル・ラフマン率いる軍部が、民政移管のための総選挙を行うにあたり、アワミ連盟に対抗するための自らの勢力の受け皿として結党した政党。

イスラム協会
Jamaat-e-Islami Bangladesh, JI)は、バングラデシュ最大のイスラム政党であり、主要政党のひとつである。2001年の総選挙で、バングラデシュ国会に18議席(300議席中)を獲得し、4政党による連立政権に加わり2人の閣僚を出した。現在はバングラデシュ民族主義党と連立し、両党で議会の3分の2の議席を占有している。

バングラデシュ労働者党
Workers Party of Bangladesh)は、バングラデシュの共産主義政党(共産党)。1980年、軍事政権下でいくつかの共産主義勢力が合同して結成された。インド共産党マルクス主義派とは友党関係にある。

アワミ連盟
バングラデシュの主要な政党。別名をBangadesh People's Leagueといい、現在はイスラム協会、バングラデシュ民族主義党と並んでバングラデシュの三大政党のひとつ。政策は中道左派的で、また親インド的といわれる。全パキスタン・アワミ・ムスリム連盟としてフセイン・シャヒード・シュラワルディ(Huseyn Shaheed Suhrawardy)により1949年に結成された。

ロヒンギャ
Rohingya、またはロヒンジャーとは、ミャンマーのヤカイン州とバングラデシュのチッタゴン管区に跨って暮らすベンガル系ムスリム集団である。ロヒンギャは、ミャンマーにおいてはイスラム教徒であるため支配集団の仏教徒ビルマ族から弾圧され、バングラデシュにおいても不法滞在者として冷遇されているため、周辺諸国への難民化が顕著である。


マイクロクレジット
Microcreditは失業者や十分な資金のない起業家、または貧困状態にあり融資可能でない(商業銀行からの融資を受けられない)人々を対象とする非常に小額の融資(ローン、クレジット)である。これらの人々は担保となるものや安定的な雇用、検証可能な信用情報を持たず、通常のクレジットを利用するための最低条件にさえ達しない。マイクロクレジットは、少額保険、少額送金など少額ファイナンスサービスの一環であるため、貧しい人々への金融サービスを意味するマイクロファイナンスの一部分である。マイクロクレジットはバングラデシュのグラミン銀行が起源と言われている画期的な仕組みである。発展途上国にかぎらず、先進国にも増えている。


グラミン銀行
Grameen Bankはバングラデシュにある銀行でマイクロファイナンス機関。「グラミン」という言葉は「村(gram)」という単語に由来する。本部はバングラデシュの首都ダッカに所在する。ムハマド・ユヌスが1983年に創設した。マイクロクレジットと呼ばれる貧困層を対象にした比較的低金利の無担保融資を主に農村部で行っている。銀行を主体として、インフラ・通信・エネルギーなど、多分野で「グラミン・ファミリー」と呼ばれる事業を展開している。グラミン銀行の起源はチッタゴン大学教授であったムハマド・ユヌスが銀行サービスの提供を農村の貧困者に拡大し、融資システムを構築するための可能性について調査プロジェクトを立ち上げたことにさかのぼることができる。

アジア開発銀行
ADB、Asian Development Bank)は、アジア・太平洋における経済成長及び経済協力を助長し、開発途上加盟国の経済発展に貢献することを目的に設立された国際開発金融機関。本部はマニラ。ESCAP(アジア太平洋経済社会委員会)の発案により、1966年に発足した。


■国名
英語の公式表記は、People's Republic of Bangladesh(ピープルズ・リパブリック・オブ・バングラデシュ)。通称、Bangladesh。ベンガル語で、バングラが「ベンガル(人)」を、デシュが「国」を意味し、あわせて「ベンガル人の国」となる。


バングラデシュの国旗
1972年1月17日に制定された。旗のデザインは、緑の地に、中央からやや旗竿寄りに赤い円が描かれている。赤い円は昇りゆく太陽を表し、地の緑色は豊かな大地を表す。また、赤い色は独立戦争で死んだ者の血も表している。縦横比は3:5。


1.面積:14万4千平方キロメートル(日本の約4割)
2.人口:1億4,660万人(2009年7月、暫定値 バングラデシュ統計局)、年平均人口増加率:1.39%(2009年7月、暫定値 バングラデシュ統計局)
3.首都:ダッカ
4.民族:ベンガル人が大部分を占める。ミャンマーとの国境沿いのチッタゴン丘陵地帯には、チャクマ族等を中心とした仏教徒系少数民族が居住。
5.言語:ベンガル語(国語)、成人(15歳以上)識字率:53.5%(Human Development Report 2009年度)
6.宗教:イスラム教徒89.7%、ヒンズー教徒9.2%、仏教徒0.7%、キリスト教徒0.3%(2001年国勢調査)
1947年8月14日 パキスタン(東パキスタン)として独立
1971年12月16日 バングラデシュとして独立

■主要産業:縫製品産業
■主要貿易品目(2009年度、バングラデシュ中央銀行)(1)輸出:衣料品(38.0%)、ニットウェア(41.3%)、魚介類(2.9%)、ジュート製品(1.7%)、革製品(1.1%)(2)輸入(暫定値):繊維(10.3%)、石油製品(9.8%)、鉄鋼製品(7.4 %)、機械機器(7.0%)、綿花(6.4%)、化学薬品(4.7%)、肥料(4.7%)、穀物類(4.3%)、食用油(4.3%)


タカ
Taka、はバングラデシュの通貨単位。ISO-4217コードではBDT。Tk.とも略記される。補助通貨単位としてパイサが使われる。1タカは100パイサに相当する。ほかに、高額の通貨を呼ぶ単位として、ラーク(10万)およびカロール(1000万)が使われる。1ラークタカは10万タカ、1カロールは100ラクすなわち1千万タカに相当する。


■経済
IMFによると、2011年のバングラデシュのGDPは1130億ドルであり、一人当たりのGDPは678ドルである。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国と位置づけられている。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の75%を超える約1億1800万人と推定されている。

国際通貨基金
International Monetary Fund、IMF)は、通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。2011年9月現在の加盟国は187ヶ国。

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国内総生産
Gross Domestic Product、GDP)とは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額のことである。国内総生産はストックに対するフローをあらわす指標であり、経済を総合的に把握する統計である国民経済計算の中の一指標で、GDPの伸び率が経済成長率に値する。原則として国内総生産には市場で取引された財やサービスの生産のみが計上される。このため、家事労働やボランティア活動などは国内総生産には計上されない。


■農業
国内総生産の半分以上はサービス業によるものであるが、国内の人口の内、62%は農業に従事し、7割以上が農村に住む。主要農産品はコメ(世界生産量第4位)およびジュート(コウマ・シマツナソ)である。コメの生産量では世界でもトップクラスにあり、かつ生産量も年々微増しているが、人口が多いため消費量も格段に多くコメ輸入国となっている。

コウマ
コウマ(黄麻、Corchorus capsularis)は中国原産と推定される一年生草本。別名をジュート、インド麻、標準和名をツナソ(綱麻)といい、熱帯および亜熱帯に生長する。繊維をとる目的で栽培され、インド・バングラデシュが主な生産地である。繊維製品はしばしば英語名称のジュートと呼称される。

シマツナソ
シマツナソ(縞綱麻、Corchorus olitorius)はシナノキ科の一年生草本。別名をタイワンツナソ、ナガミツナソ、ジュート。 近年は食材(葉菜)としても流通するようになり、モロヘイヤ(mulukhī等a、「モロヘイヤ」の発音はエジプト方言による)の名でよく知られるところとなっている。


rice)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。東アジア・南アジア以外では一般的に主食という概念が希薄であり、日本語における「米」と「稲」という区別が無い。イネはトウモロコシ、コムギとともに世界三大作物と呼ばれている。イネ科イネ属の植物には22種が知られている。このうち野生イネが20種で栽培イネは2種のみである。

ブート・ジョロキア
Bhut Jolokia)とはトウガラシ属の品種。北インド(アッサム州、ナガランド州、マニプル州)およびバングラデシュ産のトウガラシ属の品種である。2007年にギネス世界記録でハバネロ(およびその栽培品種レッドサヴィナ)を抜いて世界一辛いトウガラシとして認定された。

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■繊維工業
繊維工業の発展は、経済成長によって繊維生産が不振になり始めた韓国や香港からの投資をきっかけに、1970年代に起こり始めた。近年では中国の労働コスト上昇に伴い、バングラデシュの廉価な労働コスト(月給が中国の1/3)が注目されており、繊維製品等の軽工業製品の輸出は増大している。

水力発電
hydroelectric generation)は、水が落下するときのエネルギーで発電を行う方式のことである。現在最も一般的なのは発電用水車を水の力によって回転させることで発電を行う。 発電用水車と発電機を組み合わせたものを水車発電機(すいしゃはつでんき)という。水力発電と同様に再生可能エネルギーを利用する太陽光発電や風力発電に比べて単位出力あたりのコストが非常に安く、また発電機出力の安定性や負荷変動に対する追従性では、数ある再生可能エネルギーの中で王者とも言われ、実用化されている唯一の再生可能エネルギーとも言える。


緑の革命
Green Revolution)とは、1940年代から1960年代にかけて高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成したことを指す。農業革命の一つとされる場合もある。ロックフェラー財団は、1944年結成のノーマン・ボーローグらの研究グループ[* 1](1963年に国際トウモロコシ・コムギ改良センターに改組)と1960年設立の国際稲研究所に資金を提供し、緑の革命を主導した。

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■労働力輸出
バングラデシュの貿易収支は輸入品より輸出品のほうが少なく、常に大幅な赤字となっている。これを多少なりとも埋めるのが、外国に出稼ぎに行った労働者たちの送金収入である。1997年には出稼ぎ労働者は総計40万人を超えた。出稼ぎ先はイスラム教国が多く、最大の出稼ぎ先はサウジアラビアで出稼ぎ労働者の3分の2を占め、クウェートやアラブ首長国連邦などの湾岸諸国にも多く労働者が向かっている。


■洪水
2004年6月より、バングラデシュは、628人が死亡、国土の60%が洪水に覆われるという過去6年間で最悪の洪水を経験した。この洪水では農作物に被害が及んだことにより2000万人が食料援助を受けなければならない状態になり、国の輸出の80%を占めると言われる織物産業に大きな被害が出た。


ラビンドラナート・タゴール
インドの詩人 、思想家である。詩聖(グゥルゥデーウ )として非常な尊敬を集めている。インド国歌及びバングラデシュ国歌の作詞・作曲者で、タゴール国際大学の設立者でもある。

ショイヨド・ワリウッラー
Syed Waliullah、1922年 - 1971年10月はバングラデシュの作家。ベンガル地方東部のノアカリのムスリムの知識人家庭に生まれる。カルカッタ大学進学の際にコルカタに住み、シュディンドロナト・ドット、モヒトラル・モジュムダルなどの文人と交流する。1941年に初の短編小説を執筆して創作活動を始め、1944年に短篇集を発表。パキスタン独立後は、インドの西ベンガル州となったコルカタを離れてダカへ移り住む。1948年には、ベンガルの農村を舞台とした初の長篇『赤いシャールー』を自費出版で発表。各国のパキスタン大使館に勤務し、後半生の多くの時期を外国で生活する。

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ザイヌル・アベディン
Zainul Abedin、1914年12月29日 - 1976年5月28日は、バングラデシュの画家。ミメンシング県ミメンシング出身。1938年コルカタ芸術工芸大学卒業。国内の飢餓を訴えた作品を描きベンガルにおける文化運動を進めた。運動や芸術教育にも力を入れており、ダッカ大学に芸術学部を設立している。

イアジュディン・アハメド
Iajuddin Ahmed、1931年2月1日 - は、バングラデシュの政治家。2002年から2009年まで、同国の大統領を務めた。インド・ベンガル州(現 バングラデシュ)のムンシガニの有力なイスラム教の家庭に生まれた。父はムールヴィ・イブラヒム。姓はアーメドと表記されることもある。ダッカ大学とオックスフォード大学(イギリス)を卒業し、ウィスコンシン大学(アメリカ合衆国)で修士号と博士号を取得した。

カジ・ギャスディン
Kazi Ghiyasuddin、1951年 - は、バングラデシュの画家。マダリプール県出身。1970年バングラデシュ芸術大学卒業。1972年チッタゴン大学大学院修士課程終了。1975年、文部省国費留学生として来日。1985年東京藝術大学学術博士号取得。福岡市美術館、バングラデシュ国立美術館、バングラデシュ近代美術館などに作品の所蔵がある。

カムルル・ハサン
Quamrul Hassan、1921年12月2日 - 1988年は、バングラデシュの画家。インドコルカタ出身。1947年美術大学(現コルカタ芸術工芸大学)卒業。1971年の第三次印パ戦争時にバングラデシュの国旗をデザインしている。

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シシル・バッタチャルジー
Shishir Bhattacharjee、1960年 - は、バングラデシュの画家、漫画家。1983年、ダッカ大学美術学部卒業。その後、インドにあるバローダーのマハラジャ・サヤジラオ大学へと留学し、理学と文学の修士号を取得している。現在はベンガル語の日刊新聞である『プロトム・アロ』に政治漫画を掲載している。風刺画家として個展を開くこともあり、ダッカ大学美術学部助教授も務めている。

ジョード・カリム
(Jawed Karim,1979年 - )は YouTube 社の創立者の一人。バングラデシュをルーツに持つ実業家である。父親はバングラデシュ人で 3M の研究者。母親はミネソタ大学の生化学の助教授。東ドイツのメルゼブルクに生まれ、1982年に西ドイツに移住。1992年に家族でアメリカに移住する。Central High School 卒業後、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に通う。2000年に大学を去り PayPal 社へ入社するものの、演習は続け2004年にコンピュータサイエンスの学士号を取得した。YouTube 立ち上げ後は会社運営から身を引き、以後は無給の非公式なアドバイザー役を務める。その後、スタンフォード大学のコンピュータサイエンスの修士課程に入学した。

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アマー・G・ボーズ
Amar Gopal Bose、1929年11月2日 - は、アメリカ合衆国の実業家。音響機器メーカーBOSEの創業者。現在は同社の会長。MIT(マサチューセッツ工科大学)名誉教授。インド系アメリカ人。フィラデルフィア生まれ。少年時代からヴァイオリンを演奏する。ボーズの少年期、父親はインテリア・家具の販売を事業にしていたが、あまり繁盛せず、ボーズ家の家計は苦しい状況であった。ボーズはコンサートホールの測定・解析を行った結果、コンサートホールでは直接音が11%で、間接音が89%であるということと、室内における音源から放射される音響エネルギーのバランスが、コンサートホールの臨場感を再現できることを知る。

チャンドラグプタ1世
(Candragupta、生没年不詳、在位 320年 - 335年)は、古代インドのグプタ朝の創始者である。パータリプトラのグプタ家の生まれ。クシャーナ朝の衰退後に、マガンダ国(マガダ国)のあった現在のビハール州で台頭した。また、バイシャリに依拠する一族で釈迦とも縁のある名家リッチャヴィー家から妃クマーラ・デーヴィーを娶り、地位を固める。ガンジス川中流域を征服し北インドを統一してパータリプトラを首都にグプタ朝を建国し、マハーラージャーディラージャ(諸王の中の大王)を称する。

ニルモレンドゥ・グン
1945年 - )は、バングラデシュの詩人。東ベンガルのモエモンシンホに生まれる。1960年代から知られるようになり、1970年に初の詩集『PremāЭś橦ra rakta cāч(プレマンシュの血が欲しい)』を発表する。以後、独立前後のバングラデシュの社会を意識した作品を発表して若者を中心に支持される。

シャムシュル・ラーマン
1929年10月23日 - 2006年8月17日 )は、バングラデシュの詩人。ダッカに生まれる。大学時代のインド・パキスタン分離独立の頃に詩作をはじめ、1950年代から知られるようになる。1959年に初の詩集『Prothom Gaan Dwityo Mrittyur Agey(第一の歌、第二の死の前)』を発表する。

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