freedom

バーレーン国
Kingdom of Bahrain

■地理
サウジアラビアの東、ペルシャ湾内にある群島。国土の大半が砂漠と石灰岩に覆われている。ケッペンの気候区分は砂漠気候(BW)。サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という全長約24kmの橋によって結ばれている。


中東
Middle East または Mideast)は、狭義の地域概念では、インド以西のアフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の総称。西ヨーロッパから見た文化の同一性や距離感によって、おおまかに定義される地政学あるいは国際政治学上の地理区分。

西アジア
アジア西部を指す地理区分である。今日の欧米ではほぼ中東と同じ領域を指すことが多い。一般的には、中央アジアおよび南アジアより西、地中海より東で、ヨーロッパとはボスポラス海峡、アフリカとはスエズ運河によって隔てられている地域を指す。


ペルシア湾
イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾。ホルムズ海峡を通じ、オマーン湾そしてアラビア海へと繋がっている。20世紀初頭までは、真珠採集などが盛んであった。20世紀前半にこの地域で石油が発見され、さらに大量産出地でもあることも判明した。20世紀後半には、油田開発が活発に行われ、湾内には多くの油井が存在する。油田地帯であり、また、石油輸送のための重要な水路であるため、戦略的重要性から国際政治の係争地となりやすい。湾岸戦争の湾とは、このペルシア湾をさす。


砂漠
降雨が極端に少なく、砂や岩石の多い土地のこと。 年間降雨量が250mm以下の地域、または降雨量よりも蒸発量の方が多い地域などの定義がある。植物がほとんど生息せず、水分も少ないため、気温の日較差が激しい。よって農業には適さず、人間の居住が難しい地域(アネクメネ)である。砂漠地は岩石(メサ、ビュート)、礫(れき)、砂、ワジ(涸れ川)、塩湖などで形成され、砂漠地の中で水が得られる希少な場所は人などが生息できるオアシスとなる。


エデンの園
ラテン文字転写: Gan Eden)は、旧約聖書の『創世記』(2:8-3:24)に登場する理想郷の名。また、エデンから流れ出た1つの川は、4つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川、ユーフラテス川)に分かれていた。


<歴史>
■古代
ディルムン文明と呼ばれるエジプト文明やシュメール文明に匹敵する文化の中心地であったといわれている。15世紀ごろまでは真珠の産地であった。

■16世紀
ペルシャの圧力を受ける中、ポルトガルが進出

■1782年
ハリーファ家がカタールから移住。支配が始まる

■1880年
イギリスの保護国となる

■1968年
イギリス軍のスエズ以東撤退が発表されたのを契機に、バーレーンを含む湾岸の9首長国が連邦結成協定を結ぶ

■1971年
バーレーン国として独立

■1975年
議会廃止

■2001年
民主化推進に向け、国民投票を実施

■2002年
国名をバーレーン王国へ改称し、絶対君主制から立憲君主制へ移行

■2011年
バーレーン騒乱。シーア派国民による反政府デモが起こる。


■政体
かつては絶対君主制で、「クウェートより危うい国」とされていたが、湾岸戦争以後、民主化を求める国民による暴動が絶えず、首長(シャイフ)であるシャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファの下で次々と民主化を実行し、2002年より政体を立憲君主制とした。シャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ首長は国王(ハーキム)に即位した。二院制の議会を設置し、内閣には国王によって任命される首相を置き、男女平等参政権や司法権の独立など中東には珍しい体制を整えている。ただし、政党活動は禁止されており、言論でも国王や王族への批判は厳しく制限されており、事実上の絶対君主制である。

絶対君主制
Absolute monarchy)は、君主制の一形態で、君主が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使する政体である。この対義語で、君主の権力が憲法などで制限されている政体は制限君主制という。

マリク
muluk)は、アラビア語で王を意味する称号。マリクとは一般的に支配者という意味で、中東における君主号のひとつである。クルアーンにおいて「神のみが王である」という記述がある一方で、イスラム教の預言者ムハンマドの死後、カリフによるアラブ一帯の統治がなされるようになると、マリクは非イスラムの支配者を意味するようになった。


ディルムン
ディルムンは、メソポタミア文明において交易相手、原料の産地、メソポタミア文明とインダス文明の物資の集散地などとして記録されている土地の名前である。ディルムンの正確な位置は明らかになっていないが、バーレーン、サウジアラビアの東部地方、カタール、オマーン、ペルシャ湾のイラン沿岸部などと関連があると考えられている。ディルムンの名がシュメールの楔形文字記録に最初に現れるのは、紀元前4千年紀末のことである。その粘土版はウルクにあった女神イナンナの神殿跡で発見された。形容詞としての「ディルムン」は斧の型やある種の特別職を指す時に用いられた。


バーレーン王国大使館
バーレーン王国は、アラビア湾のほぼ中央のアラビア半島沿いに位置する、40もの島々でできている島国です。バーレーンはアラビア語で「2つの海」を意味しますが、それは島に出る真水と、島を囲む海水のことを示しています。この島がエデンの園だったという説があるのは、真水のおかげで緑が豊かなためです。バーレーンは古くはメソポタミア・インダス両文明との交易拠点として、現在では湾岸地域の金融センターとしての役割を担っています。駐日バーレーン王国大使館は、両国のいっそうの友好に努めていく所存です。


■宗教的規制
全世界からビジネスマンや観光客が来ることもあってか、サウジアラビアやイラン等の周辺国に比べると、宗教的規制はかなりゆるやかである。例えばアルコールは自由に飲むことができ、週末になると飲酒を禁じられている周辺国から酒を求めてムスリムが集まって盛り上がる。また、女性も顔や姿を隠す必要はなく、Tシャツでも自由に過ごすことができる。


イスラーム
ムハンマドがアッラーフの啓示を受けたとして創始した、ムスリムの信仰生活を、第一聖典クルアーン(コーラン)と第二聖典ハディースによって規定する体系をさす。回教とも呼ばれ、またかつてはフイフイ教とも呼ばれた。イスラームの啓典であるクルアーンの中の法制的部分やムスリム(イスラーム教徒)の従うべき規範を定めたシャリーア(イスラム法)を重視する論者は、『イスラームはその定めにのっとって行うべき行為として単に宗教上の信仰生活のみを要求しているのではなく、イスラーム国家の政治のあり方、ムスリム間やムスリムと異教徒の間の社会関係にわたるすべてを定めている。』と主張している。

キリスト教
Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる[2]。世界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、2002年の集計で約20.4億人(うち、カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.9億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。


■女性の社会進出
女性の政治的社会進出も他の湾岸諸国に比べて進んでおり、就業率は23.5%(2001年)、大学進学率は11.8%(2001年、男子は13.2%)と高い水準を誇る[5]。
またサビーカ王妃がアラブ女性連合最高評議会の議長を務めるほか、第61回国連総会議長のハヤ・アール・ハリーファ、同国初の女性閣僚となったナダー・ハッファーダ博士など政府の要職に女性が就くことも珍しくない。


2011年バーレーン騒乱
アラブの春を起因とするバーレーンで2011年に発生した、より大きな政治的自由と人権の尊重を求めた大規模な反政府デモとそれに付随する事件の総称である。2月4日、数百人のバーレーン市民がエジプトの反政府デモに呼応し、首都マナーマにあるエジプト大使館前で集会を行った。石油資源に恵まれたペルシア湾岸諸国では今回初となる動きだった。その後、アル・ジャジーラにより、2月14日に反政府デモが計画されていることが報道される。デモの背景には、国権を握る王家ハリーファ家のイスラム教スンニ派と、国民の多数派を占めるシーア派の対立がある。


アラブの春
Arab Spring)とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せている。各国におけるデモは2013年に入っても継続されている。

湾岸戦争
Gulf War)は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まった戦争。1990年8月2日、イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表した。これに対し、諸外国は第2次世界大戦後初となる、一致結束した事態解決への努力を始める。

イラン革命
イラン・パフラヴィー朝において1979年2月に起こった革命である。亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを支柱とする国民の革命勢力が、モハンマド・レザー・シャーの専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動をさす。民主主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。イスラム革命(英: Islamic Revolution)とも呼ばれる。


アルジャジーラ
アラビア語と英語でニュース等を24時間放送している衛星テレビ局。本社はカタール・ドーハにある。英語ではAl JazeeraもしくはAljazeeraと綴られる。JSCと表示されることもあるが、これはJazeera Satellite Channelの略である。「ジャジーラ」はアラビア語で「島」を意味する。「アル」は定冠詞であり、アラブ地域ではアル・ジャジーラとはアラビア半島を意味するのが一般的である。なお、サウジアラビアの新聞など、中東諸国にはこれ以外にも「アルジャジーラ」の名をもつ報道機関が存在するが、それらとの直接的な関係はなく、まったく別の組織である。


オアシス
Oasisとは、砂漠やステップといった乾燥地域において、淡水が存在する場所をいう。オアシスの直接的な語源は古代ギリシア語にありヘロドトスの「歴史」(第3巻 26節)に見られる。ここでは、リビア砂漠に存在した諸都市(オアシス都市)の名とされている。

サファヴィー朝
16世紀から18世紀前半にかけて現在のイランを中心に支配したイスラム王朝(1501年 - 1736年)。ホラーサーンからメソポタミアに至る歴史的イラン地域を支配した王朝としては初めてシーア派の一派十二イマーム派を国教とし、現在のイランとアゼルバイジャン、イラク南部で十二イマーム派が住民の大多数を占める状況を導いた。

アフシャール朝
イラン(ペルシア)の王朝、首都はマシュハドでナーディルクリー・ベグによって建てられた。ナーディルクリー(ナーディル・シャー)は、サファヴィー朝のアッバース3世の摂政として、ホタキ朝やオスマン朝を破って、旧サファヴィー朝が失った領土のほとんどを回復し、一時ペルシアの覇権を握った。

パフラヴィー朝
1925年から1979年までイランを統治した、イラン最後の王朝である。パフレヴィー朝、パーレビ朝とも呼ばれる。カージャール朝ペルシア帝国がイギリスとロシアによる半植民地化に苦しむ中、ペルシア・コサック旅団の軍人レザー・ハーンは1921年にクーデターを起こした後、1925年にレザー・シャーとして皇帝に即位し、カージャール朝に代わってパフラヴィー朝が成立した。


■国民
住民はアラブ人が7割ほどを占めている(バーレーン人が63%、その他のアラブ人が10%)。その他にイラン人が8%、アジア人(印僑など)が19%などとなっている。シーア派多数の人口構成を変えるために、パキスタン等他のスンナ派イスラーム諸国からの移民を受け入れ、国籍を与えていると言われている。


アラブ人
おもにアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々。「アラビア人」の呼称が過去には一般的であったが、アラビア人を意味する英語のarabにさらに「人」をつけ足した「アラブ人」という言い方が、本来の意味からすればおかしいものの、オイルショックの頃から使われだし、やがて定着したもの。


ペルシア語
おもにイラン・タジキスタン・アフガニスタン・グルジアおよびインドの一部やパキスタンの一部で話され、母語話者は4600万人を超えるとされている。イランでは公用語。

ウルドゥー語
パキスタン、インド北部を中心に、世界で20番目に多い6100万人の話者人口を持つ。パキスタンの国語になっている。またインドでも憲法の第8附則において定められた22の指定言語のひとつである。カシミール地方でも多く話され、インド北部のジャンムー・カシミール州では州の公用語になっている。サンスクリットを祖語としている。

■音楽
欧米の軽音楽の聴取が自由であり、それらに影響された軽音楽がバーレーンでも製作されている。1981年にデビューしたオシリス (Osiris) はバーレーンを代表するロック・バンドで、ヨーロッパでもレコード、CDが発売されている。

バーレーングランプリ
(バーレーンGP, Bahrain Grand Prix)は2004年のF1世界選手権からバーレーン王国南部のサクヒールにあるバーレーンインターナショナルサーキットで行われているF1世界選手権のレースの1つ。当初は、シーズン終盤の時期に開催される予定だったが、イスラム教の断食月ラマダーンと重なることからこれを避けるため、シーズン序盤開催となった。

タラル・ユスフ
Talal Yousef Mohammed, 1975年2月24日 - は、バーレーンのサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。バーレーンリーグ1部、アル・リファーSC所属。成長著しいサッカーバーレーン代表の中心選手として1998年よりバーレーン代表でプレイする。

アラ・フバイル
A'ala Ahmed Mohamed Hubail、1982年6月25日 - )は、バーレーンのサッカー選手。ポジションはフォワード。1997年にバーレーンのクラブ、アル・アハリ・マナーマに加入。若い世代の代表チームに度々招集され、多くの国際大会を経験した。2003年にはアテネオリンピックのアジア予選にもU-23代表の一員として参加。翌年の最終予選まで勝ち進み、同じグループに入った日本を最後まで苦しめた。

アブドゥラ・ババ・ファタディ
(Abdulla Baba Fatadi、1985年11月2日 - )は、バーレーンのサッカー選手。スイスの国内リーグスーパーリーグのヌーシャテル・ザマックス所属。ナイジェリアのラゴスで生まれ、ナイジェリアのU-17のチームでプレーしていた。その後バーレーンのアル・ナジマへと所属し、以降バーレーン国内のチームでプレーした。

イスマイール・アブドゥラティフ
Ismail Abdul-Latif、Ismaeel Abdullatifとも)は、バーレーンのサッカー選手である。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。アル・アハリ・ドーハ所属。2010 FIFAワールドカップ・アジア予選のプレーオフではロスタイムに劇的なゴールを決めてプレーオフを制し[3]、バーレーンを大陸間プレーオフへ導いた。

バーレーン Bahrain
中東・西アジアの国家。首都はマナーマ。ペルシア湾のバーレーン島を主島とした大小33の島から成る島国である。かつてはディルムン文明と呼ばれるエジプト文明やシュメール文明に匹敵する文化の中心地であったといわれている。15世紀ごろまでは真珠の産地であった。

マナーマ
Manamaはバーレーンの首都である。ペルシア湾の中部に浮かぶバーレーン島の北東部に位置する。バーレーン国民全体の1/4に相当する約15万の人口をもつ国内最大の都市であり、中東有数の世界都市である。マナーマの経済基盤となっているのは石油、精油、帆船の建造、漁業、真珠などの産業である。


バーレーン国際空港
Bahrain International Airportは、バーレーン・アル・ムハラーク島にある国際空港。バーレーンの首都マナーマの北郊に位置する。1927年に地元の真珠商人がデ・ハビランド機をチャーターしバグダッドから飛行したという記録が残っている。 最初の民間定期便航空は1932年10月にロンドンからデリーに就航する航空機であった。


ガルフ・エア
Gulf Air)はバーレーンの国営航空会社である。バーレーンとオマーンの空港を拠点とする。アラブ航空会社機構の一員で、「アラベスクアライアンス」に加盟しているほか、ワンワールドの「グローバル・エクスプローラー」料金が適用される航空会社の一つである。


ムハーラク島
Al Muharraqは、バーレーンの都市。 首都マナマの北東に隣接し、バーレーン国際空港が所在する。近年、人工島「アムワージ島」が建設された。ムハーラクを本拠地とするサッカークラブには、バーレーンでもっとも成功しているクラブであるアル・ムハーラク・クラブをはじめ、リーグ優勝経験を持つバーレーン・クラブ、アル・ハラ・クラブがある。

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外務省:バーレーン王国
在バーレーン日本国大使館


キング・ファハド・コーズウェイ
(King Fahd Causeway)は、バーレーンとサウジアラビアのアル・コバールを結ぶ海上橋。全線4車線、全長25km。1968年に両国で建設が合意され、1980年に着工、1986年に完成した。12億ドルの建設費用は全額サウジアラビアが出資し、橋の名前には当時のサウジ国王ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズの名がつけられた。

リファー
RiffaまたはRifaa)は、バーレーン中北部の都市。イーサ・タウンの南にあり、中部県と南部県にまたがる。リファー・アル=ガルビー(ウエスト・リファー)は南部県に属する[2]。イースト・リファーにリファー城塞(シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ城塞)がある。

ムハッラク
Al-Muharraq)はバーレーンの都市。バーレーン島の北東ムハッラク島にあり、ムハッラク県(ムハッラク州)の県都である。市内にはバーレーン国際空港がある。また、バーレーンでもっとも成功しているクラブであるアル・ムハッラク・クラブをはじめ、リーグ優勝経験を持つバーレーン・クラブ、アル・ハーラ・クラブが本拠地としている。

イーサ・タウン
Isa Town)はバーレーンの都市。首都マナーマの南西の方角、リファーの北にあり、中部県に属する。イーサー・タウン、イサ・タウンと表記されることもある。バーレーン情報庁の本部が置かれている。

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マーリキーヤ
Malikiya、Malkiya)は、バーレーンの村。バーレーン島の中西部の海沿いにあり、北部県に属する。東にハマド・タウン(マディーナ・ハマド)、北にカルザッカーン村、南にサダド村と接する。シーア派の地域。

サヒール
バーレーンの砂漠地帯の一つ。サヒールの位置は、西方の港町ザラーク近郊の南部県の大半を占める砂漠地帯であり、特に2000年代に入ってからはさかんな開発が行われており、バーレーン大学、バーレーン・インターナショナル・サーキットなどが建設されてからは大きな変化を見せている地区である。


■外交
外交面では中東地域の国々やイギリス、フランス、日本、アメリカを始め、多くの国と良好な関係を築いているが、カタールとハワール諸島に関しての領土問題がある。イラクと関係が悪かったこともあり、湾岸戦争時にミサイルで狙われたこともある。またペルシア湾を挟んで向かい合う大国イランとは、パフラヴィー朝が「バーレーンは歴史的にみてイラン(ペルシア)の領土である」と領有権を主張していたことから、同国に対して警戒心が強いとされる。イスラーム革命後は、バーレーン国内のシーア派を扇動して体制転覆を計るのでは無いのかと脅威に感じており、バーレーンのスンナ派住民の間には、こうした警戒心から反イラン・反シーア派感情が強いとされる。

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■経済
隣国サウジアラビアとは橋一本で結ばれているため、経済的な結びつきが強い。中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩恵で国民には所得税が皆無であるが、1970年ごろから石油が枯渇し始め、このままいくと、あと20年余りで完全に枯渇するという問題に直面している。しかし、世界最大の産油国サウジアラビアの隣国であり同国が事実上の鎖国体制を敷いていることやペルシャ湾の入口にあるという地理的特性を活かし、中東のビジネスの拠点、金融センターを目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開し、多国籍企業を始めとした外国資本が多数進出している。2010年9月、英国のシンクタンクのZ/Yenグループによると、バーレーンは世界第42位の金融センターと評価されており、中東ではドバイ、カタールに次ぐ第3位である。


石油
炭化水素を主成分として、ほかに少量の硫黄・酸素・窒素などさまざまな物質を含む液状の油である。採掘後、ガス、水分、異物などを大まかに除去した精製前のものを特に原油(げんゆ)という。鉱物資源の一種とする場合もある。石油は、英語でPetroleumという。これはラテン語のPetra(岩石)とOleum(油)を語源とする。狭義には原油 (crude oil) のことを指すが、より広い意味では天然ガスや固体のアスファルトなどを含める。

精油
essential oil)は、植物に含まれ、揮発性の芳香物質を含む有機化合物である。「オイル/油」という字が付くが、油脂とは全く別の物質からできている。可溶化リポイドで、水に溶けにくく、アルコール・油脂などに溶ける性質(親油性・脂溶性)を持つ。現在、約250〜300種類の精油が存在する。

石灰岩
limestone)は、炭酸カルシウム(CaCO3、方解石または霰石)を50%以上含む堆積岩。炭酸カルシウムの比率が高い場合は白色を呈するが、不純物により着色し、灰色や茶色、黒色の石灰岩もある。石灰岩は堆積・沈殿した元の場所に産出する原地性のものと、一旦できた岩石が運ばれて二次的に堆積した非原地性のものがある。世界的には非原地性のものも多いが、日本の石灰岩産地は大部分が原地性である。大理石は白色の結晶質石灰岩のことで、ヨーロッパではギリシア時代から建物や彫刻に使用されている。日本ではビルの内装等の装飾に使われている岩石を、結晶質石灰岩も石灰岩もひっくるめて「大理石」と呼んでいる。

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帆船
「帆」には「横帆」と「縦帆」の二種類がある。「横帆」は追い風を捉える効率が高く、季節風を利用して長距離を移動するのに向いている。「縦帆」は追い風の利用効率は劣るが、より風に向かって間切る、つまりより前方から吹く風を利用することができ、操船がしやすいという利点がある。


湾岸協力会議
Gulf Cooperation Council、英文略称:GCC、は、中東・アラビア湾岸地域における地域協力機構である。加盟国は、アラブ首長国連邦・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビアの6カ国。アラビア湾に面するすべての国が加盟しているわけではない。


国内総生産
Gross Domestic Product、GDP)とは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額のことである。原則として国内総生産には市場で取引された財やサービスの生産のみが計上される。このため、家事労働やボランティア活動などは国内総生産には計上されない。

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金融センター
financial centre)は、銀行、証券会社、保険会社など金融業において中心的な役割を持つ市場・都市・地域のことである。国際金融取引が特に活発に行われている場を国際金融センターと呼ぶこともあり、その代表格としてニューヨークやロンドンなどが挙げられる。


多国籍企業
ultinational corporation, MNC)とは、活動拠点を一つの国家に置かずに複数の国にわたって世界的に活動している営利企業。あらゆる業種に多国籍企業は存在するが、巨大な多国籍企業は、金融、石油、自動車、IT, 半導体、防衛に多く見られる。


第5艦隊 (アメリカ軍)
U.S. Fifth Fleet)は、アメリカ海軍の艦隊。ペルシア湾、紅海、アラビア海から、ケニアまでの東アフリカを責任地域とし、バーレーンに司令部を置く。人員・機材は太平洋艦隊および大西洋艦隊から提供される為、専任艦船は保持していない。艦隊司令官(COMFIFTHFLT)は、アメリカ中央海軍司令官(COMUSNAVCENT)および対テロ戦争における多国籍部隊・合同海上部隊(Combined Maritime Forces)司令も兼務している。


■交通
国営航空会社のガルフエアがアジアやヨーロッパ、アフリカ、オセアニア諸国に乗り入れている他、世界各国の航空会社がバーレーン国際空港に乗り入れている。日本から行く場合はバンコク、ドバイなどで乗り換えていくのが一般的である。
島国ではあるが、1986年にキング・ファハド・コーズウェイが開通、車での行き来が可能になっている。

バーレーンの国旗
バーレーンの国旗は、赤・白に塗り分けられた二色旗である。赤は伝統的にペルシャ湾各国で使用されている色で、竿側に白を使用。赤と白は頂点が5つあるジグザグ線で分けられる。5つの頂点はイスラム教の五行を表している。

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■国名
公式の英語表記は Kingdom of Bahrain。通称 Bahrain。アラビア語で「二つの海」という意味であり、島に湧く淡水と島を囲む海水を表すとされている。2002年、バーレーン国(State of Bahrain)から現在の名称に変更した。


1.面積:757.5平方キロメートル(2008年中央情報局。東京23区と川崎市を併せた面積とほぼ同じ大きさ)
2.人口:123.5万人(2010年、中央情報局)、うちバーレーン人は、56.8万人(46.0%)
3.首都:マナーマ市
4.民族:アラブ人
5.言語:アラビア語
6.宗教:イスラム教(スンニー派約3割、シーア派約7割)
7.略史:古代バビロニア、アッシリア時代にはディルムーンという名の有力な貿易中継地であり、またBC3世紀から15世紀にかけては真珠の産地として栄えた。18世紀にアラビア半島から移住したハリーファ家がバーレーンの基礎を作り、1932年には石油の生産を開始、その後近代化を進め、1971年8月英国から独立した。

■主要産業:石油精製、アルミニウム精錬、サービス業(金融、観光等)
■主要貿易品目(2008年)(1)輸出 石油、アルミニウム製品、石油化学製品、衣料品(2)輸入 原油(精製用)、車、電気製品、機械・輸送機器、アルミナ

バーレーン・ディナール
1965年に、それまでの湾岸ルピーに代わって発行され、10ルピー=1ディナールのレートで交換された。ディナールとは、古代ローマ帝国のデナリウス銀貨を由来とする。

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■言語
言語は公用語がアラビア語で、他に英語、ペルシア語、ウルドゥー語などが使われる。


湾岸協力会議
Gulf Cooperation Council、英文略称:GCC、は、中東・アラビア湾岸地域における地域協力機構である。加盟国は、アラブ首長国連邦・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビアの6カ国。アラビア湾に面するすべての国が加盟しているわけではない。

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スンナ派
イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつ。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。また、多数派である事や歴史的な事情などから「正統派」などと言われる。しかし、スンナ派を正統とするのは、あくまでスンナ派の内側から見た場合の理解である。「預言者ムハンマドの時代から積み重ねられた『慣行』(スンナ)および『(イスラーム)共同体』(ジャマーア)に従う人々」という意味で、アラビア語で「スンナに従う人」を意味する「スンニー」の語からスンニ派とも呼ばれる。

シーア派
イスラム教の二大宗派のひとつで、2番目の勢力を持つ。最大勢力であるもう一方はスンナ派である。イスラム教の開祖ムハンマドの従弟で、娘婿のアリーと、その子孫のみがイマームとして預言者のもつイスラム共同体(ウンマ)の指導者としての職務を後継する権利を持つと主張する。シーアは、アラビア語で「党派」を意味する普通名詞で、初期のシーア派の人々が、「アリー派」と呼ばれたことに由来している。のちには、シーアに単に定冠詞を付したアッ=シーアという語で同派を意味するようになり、宗派の名称として定着した。


ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ
Hamad bin Isa Al Khalifa[1]、1950年7月15日 - は、現バーレーン国王(在位:1999年3月6日 - )。国王としては初代、アール・ハリーファ家の君主としては第11代に当たる。バーレーンの政体を絶対君主制から立憲君主制に移行させ、議会政治の復活や女性参政権の確立など、大規模な民主化政策を断行した。1971年のイギリスからの独立後のバーレーンは、1975年に議会を停止し絶対君主制を形成していった。これに対し、1999年3月、首長に即位したハマドは大規模な民主化政策を断行した。

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モハメド・サルミーン
Mohamed Ahmed Salmeen, 1980年11月4日 - )は、バーレーンのサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。アル・ダフラ所属。バーレーン史上最高の選手とも言われる。2005年3月30日に埼玉スタジアム2002で行われた2006 FIFAワールドカップアジア最終予選の日本対バーレーンの試合に出場、後半27分ゴール前のボールをクリアしようとし、オウンゴールしてしまう。

ジェイシー・ジョン
(Jaycee John 1985年10月8日 - )はナイジェリア・ラゴス生まれのバーレーン人のサッカー選手。ナイジェリアから帰化しているバーレーン代表の選手で、現在はトルコ・シュペルリガのエスキシェヒールスポルに所属。ポジションはFW。2004年、バーレーンリーグのアル・アハリでプロデビュー。2006年には同リーグの強豪アル・ムハッラクに引き抜かれる。同クラブで30試合29ゴールという成績を残し広く注目され、ベルギーのREムスクロンに移籍する。

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