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スワジランド王国
Kingdom of Swaziland
アフリカ

アフリカ

■国情
内陸国で、西部には標高1200m以上の山地が広がる。住民の約1%ほどの白人が経済の実権を握り、私有地の大半を保有。一般国民の生活水準は低い。電力の約80%を南アフリカからの輸入に依存。国王の散財癖は有名で、国家予算も著しく圧迫されている。

■国王の位置
国王の位はドラミニ家により世襲される。司法、立法、行政の三権の上に立ち、軍隊の統帥権を持つ。国王の輔弼機関として王室諮問評議会が存在する。国王が幼少や病弱などの理由で政務を執る事が出来ない場合、王室の中から摂政が任命され、国王の権限を代行する。

立憲君主制
Constitutional monarchy)とは、憲法によって規定された君主制である。世界の立憲君主制国家の分布は左図の通り。代表的な立憲君主制国家にはイギリスやタイなどがある。また、制限君主制と混同されやすいが、憲法の有無と君主権の強弱は関係ない。憲法が存在しても、その憲法で君主に絶対的な権力を付与する定めになっていれば絶対君主制である。

スワジランド政府
The kingdom of Swaziland
Despite being the smallest country in the Southern hemisphere, Swaziland more than makes up for its lack of size with a hugely diverse range of attractions and activities.

スワジランド王国政府観光局
The Government of The Kingdom of Swaziland
Following incorrect and unfortunate reports that Government has banned the wearing of mini-skirts, Government wishes to clarify the matter.


 

内陸国
Landlocked countryとは、周りが陸の国境に囲まれ、海がない国のことである。世界には48の内陸国がある(内陸国一覧参照)。内陸国と対照的な国は島国(周囲が水に囲まれる国)である。

ズールー人
Zuluは、アフリカの民族。ニジェール・コンゴ語族に属するアフリカの民族で南アフリカ共和国からジンバブエ南部にかけて広い範囲に約1000万人が居住している。南アフリカ共和国では最大の民族集団となっている。


<歴史>
この地域の歴史は、石器時代にさかのぼる。しかし現在の主要民族であるスワジ人ではなく、ブッシュマンが定着していた。その証拠として岩壁画が国内に広く分布している。

■16世紀
バンツー語系諸民族が南下してきた際、首長ドラミニが率いるスワジ人はズールー人に前進を阻まれ、リトル・ウスツ地区に定着した。この後も長い間ズールー人と争い続けた為に強力に訓練された軍隊ができた。

■19世紀中
ムスワジ2世の時、ズールー人へ対抗する為にイギリスへ援助を求め、19世紀末にはトランスバールに拠るオランダ系ボーア人の侵略に悩まされ、イギリスの保護を得ようとした。

■1890年代
イギリス、トランスバールによる共同統治を受け、その後スワジ人の反対を無視しトランスバール1国で統治した。

■1963年
イギリス高等弁務官領から自治領となった。自治領ではイギリス女王の弁務官がスワジランド憲法により任命され、行政評議会、立法評議会が設置されると言うシステムがとられた。

■1972年5月
独立後初の総選挙では王党派のインボコドボ国民運動(INM)が、立憲主義のングワネ民族解放会議(NNLC)を押さえ圧勝した。

■1986年4月25日
息子のマホセティベ王子がムスワティ3世として即位。ベキムピ王子が首相となり、王位継承で対立したムファナシビリ王子は投獄される。

■1990年代初め
NNLCや反政府組織人民統一民主運動 (PUDEMO) が王政批判や憲法改正要求を強める。国王はこれらを弾圧するも、NNLCやPUDEMOは国民の支持を集め政府は直接選挙制の一部導入などの改革を行った。

■1993年
20年ぶりの総選挙が実施され、多くの閣僚経験者は落選した。しかし反政府・反国王勢力が1995年、政府関連施設を攻撃。スワジランド労働組合 (SFTU) も同年と1996年、1997年にゼネラル・ストライキを実施した。こうした動きを受けムスワティ3世は1996年、憲法委員会(CRC)を設置。1998年、2度目の総選挙が行われた。

■2000年
SFTU主導によるゼネストを実行され、国境封鎖デモが起きる2001年6月、ムスワティ3世は勅令で非常事態を宣言し、国王に批判的な新聞の発行停止や判事の任命権を国王が持つと規定したが、国内外の批判により翌月には撤回。

■2003年1月
パウエル・アメリカ国務長官は、スワジランドの民主化が進展しなければ、スワジランド製品のアメリカへの輸出に関する特恵待遇を見直すと警告した。5月31日、憲法委員会が新憲法草案をムスワティ3世に提出。草案は宗教、結社、集会の自由や男女同権などを定めたが、絶対王政と野党禁止が維持された。


サン人
Sanは、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族である。砂漠に住む狩猟採集民族は大変少なく現在ではこのサン人ぐらいしかいない。かつて3000〜2000年前くらいまでは、南部アフリカから東アフリカにかけて広く分布していた。しかし、バントゥー系の人々や白人の進出により激減し、現在はカラハリ砂漠に残っているだけである。

ズールー人
Zuluは、アフリカの民族。ニジェール・コンゴ語族に属するアフリカの民族で南アフリカ共和国からジンバブエ南部にかけて広い範囲に約1000万人が居住している。南アフリカ共和国では最大の民族集団となっている。

スワジ人
Swaziは、南部アフリカの民族である。バンツー語群に属し、スワジ語を使う。スワジランドより南アフリカ共和国に多く居住している。


アフリカーナー
Afrikaner)は、南アフリカ共和国に居住する白人のうち、ケープ植民地を形成したオランダ系移民を主体に、フランスのユグノー、ドイツ系プロテスタント教徒など、宗教的自由を求めてヨーロッパからアフリカ南部に入植したプロテスタント教徒が合流して形成された民族集団である。


スワジ語
Swazi は、 バントゥー語群のングニ語群に属する言語である。主に南アフリカ共和国とスワジランドで話されている。この地域での話者は推定で約150万人である。スワジ語はスワジランドで教育されており、また南アフリカ共和国内のムプマランガ州、カングワネ(KaNgwane)地域にあるいくつかの学校でも教えられている。スワジ語はスワジランドの公用語の一つであり(他は英語)、南アフリカ共和国に11ある公用語の一つである。

バントゥー語群
アフリカの広い範囲で話され、互いに共通性のある一群の言語で、系統的にはニジェール・コンゴ語族のベヌエ・コンゴ語群(英語版)に含められる。Bantuという言葉はW. H. I. Bleek(1827-1875)が最初に用いたもので、多くの言語で人を表す -ntu (または -tu )と、いくつかの言語で複数を表す ba-(つまりba-ntu は「人々」の意味)から造語されたものである。


ヒト免疫不全ウイルス
Human Immunodeficiency Virus、HIV)は、人の免疫細胞に感染して免疫細胞を破壊し、最終的に後天性免疫不全症候群(AIDS)を発症させるウイルス。1983年に、パスツール研究所のリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレシヌシらによってエイズ患者より発見され「LAV(Lymphadenopathy-associated virus)」と命名された。1984年に、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のロバート・ギャロらも分離に成功しており、「HTLV-III(Human T-lymphotropic virus type III)」と命名した。


ムスワティ3世
Makhosetive Mswati III、1968年4月19日 - はスワジランドの第8代国王。本名はマコセティブ・ドラミニ(Makhosetive Dlamini)。父ソブーザ2世の死後、ゼリーウェ王妃及びヌトンビ王妃の摂政時代を経て1986年4月25日に即位。正式に権力を掌握。アフリカ最後の絶対君主として君臨し、議会(立法権無し)を復活させながらも民主化運動を抑圧している。国民の1/3が貧困層であるという事実を軽視し、王室費だけでは飽き足らず、僅かな国家予算に手をつけて自家用のセスナ機やダイムラー製の高級車、マイバッハを購入したり、13名の妻のためにいくつもの宮殿を建設したりするなど、その散財癖が各国の非難を呼んでいる。

バーナバス・シブシソ・ドラミニ
Barnabas Sibusiso Dlamini、1942年5月15日 - は、スワジランドの政治家。1996年から2003年、そして2008年10月から同国の首相を務める。1984年から1993年まで金融相と国際通貨基金(IMF)理事を兼務し、1996年から2003年まで首相を務め、2003年に国王ムスワティ3世の諮問委員会委員になった。2008年9月の総選挙後、10月16日にドラミニはムスワティ3世から再び首相に任ぜられた。スワジランド労組連合のジャン・シソル事務局長は、彼の首相としての働きについて「政治団体を抑え込み、君主の強権を推進した」と指摘し、「その強権によって法秩序を反故にした」と批難した。

テンバ・ドラミニ
Absalom Themba Dlamini、1950年12月1日 - )は、スワジランドの政治家。2003年11月から2008年9月にかけて、同国の首相を務めた。王室が所有するティビヨ・タカングワネ社の専務理事も務める。

 

スワジランド Swaziland
アフリカ南部に位置する立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。周囲を南アフリカとモザンビークに囲まれた内陸国である。首都はムババーネ。スワジランドは、国王を国家元首とする君主国である。形式的には立憲君主制だが、実際には憲法で国王の強大な権力が保障されており、政府の要職の多くも王家が占めるなど、絶対君主制の様相を呈している。現行憲法は2005年7月に制定され、2006年2月8日に施行されたもの。

ムババーネ
Mbabaneは、スワジランドの首都。王宮と議会はロバンバにあり、経済の中心はマンジニであるが、行政府はムババネに置かれている。人口は95,000人(2007年)。ムディンバ山脈にあり、サローディング地方の政治、経済の中心である。

ロバンバ
Lobambaは、スワジランドの王都。行政首都はムババネであるが、ロバンバには王宮と議会が置かれており、立法の首都となっている。また、王母の宮殿もロバンバにある。人口は5800人(2003年)。ロバンバは国の西部、エズルウィニ渓谷にあり、ホホ地方に属する。ムババネからは16km西に離れている。

マンジニ
Manziniは、スワジランドの都市。マンジニ地方の中心都市である。人口73,000人(2004年)。国土のほぼ中央にあり、またスワジランドの空の玄関口であるマツァパ空港から至近距離にあり、交通の要衝となっている。また、その地理的条件を生かし、工業の中心地ともなっている。


マツァパ空港
Matsapha Airportとは、スワジランドのマンジニ地方マンジニにある空港で、スワジランド・エアリンク(Swaziland Airlink)の本拠地である。


外務省:スワジランド
在ミナミアフリカ共和国日本国大使館兼轄


ホホ
(Hhohho)は、スワジランドの北西部にある地方の1つである。南東でルボンボと、南西でマンジニ地方と接している。人口は270,000人(1997年度)で、面積は3,569km2である。地方の中心地は、首都であるムババーネである。

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マンジニ地方
Manzini Districtは、スワジランドの西部にある地方の1つである。この地方は、北部でホホ、東部でルボンボ、南部でシセルウェニと、4つの地方全てに接している。人口は、全地方で最も多い292,000人(1997年度)で、面積は5,068km2である。地方の中心地はマンジニである。スワジランドの空の玄関口であるマツァパ空港がある。

ルボンボ
(Lubombo)は、スワジランドの東部にある地方の1つである。この地方は、北部でホホ、西部でマンジニ、南部でシセルウェニと、4つの地方全てに接している。人口は、全地方で最も少ない202,000人(1997年度)で、面積は、全地方で最も広い5,947km2である。地方の中心地はシテキ(Siteki)である。

シセルウェニ
(Shiselweni)は、スワジランドの南西部にある地方の1つである。この地方は、北東部でルボンボと、北西部でマンジニ地方と接している。人口は、217,000人(1997年度)で、面積は3,790km2である。地方の中心地はンランガーノ(Nhlangano)である。


■政治
政党はドラミニ家による王政を支持する王党派のインボコドボ国民運動(INM)以外は非合法。INMの党首はドラミニ家の人物である。ングワネ民族解放会議(NNLC)と人民統一民主運動(PUDEMO)が国王専制に反対する実質的な野党勢力として機能しているが、政府による厳しい取締りを受けている。


■国名
正式名称は英語で、Kingdom of Swaziland(キングダム・オブ・スワジランド)。通称、Swaziland。国名は、「スワジ人の国」という意味。


1.面積:1.7万平方キロメートル(日本の四国よりやや小さい)
2.人口:117万人(2008年:世銀) 人口増加率1.4%(2008年:世銀)
3.首都:ムババネ(Mbabane)
4.民族:スワジ族、ズールー族、トンガ族、シャンガーン族
5.言語:英語、シスワティ語
6.宗教:原始宗教、キリスト教
7.国祭日:9月6日(独立記念日)

1968年 英保護領より独立
1978年 新憲法制定
1982年 南ア・スワジランド不可侵条約締結
1982年 国王ソブーザ二世(1921年即位)死去
1986年4月 国王ムスワティ三世即位
1993年10月 下院総選挙実施(20年ぶり)
1995年3月 スワジランド労働組合(SFTU)がゼネスト(1977年以来)
1995年7月 産業関係法修正によりストを禁止。
1996年1月 SFTUがゼネストを敢行。
1996年7月 国王が憲法見直し委員会(CRC)の設置を表明。
1997年2月 SFTUがゼネストを敢行。
1998年10月 下院総選挙実施
2000年11月 SFTU主導によるゼネスト決行
2003年10月 下院総選挙実施
2005年7月 ムスワティ三世、憲法案を承認
2006年2月 新憲法採択
2008年9月 下院総選挙実施

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■主要産業:農業(砂糖、木材、柑橘類)、鉱業(石炭、アスベスト)
■主要貿易品目(1)輸出 濃縮清涼飲料、砂糖、パルプ、柑橘類、化学製品(2)輸入 機械・輸送機器、工業製品、食料・家畜


リランゲニ
Lilangeni)は、スワジランドの通貨単位。複数形は、エマランゲニ(Emalangeni)。国際通貨コード(ISO 4217)は、SZL。補助通貨単位はセント(Cent)で、1リランゲニ=100セント。南アフリカの通貨であるランドと1対1の交換レートを持っている。ランドはスワジランドでリランゲニと同じように商談などに用いられている。

ゼネラル・ストライキ
(general strike)とは労働者が団結して行う労働争議の一形態で、一企業や組織によるストライキではなく全国的な規模で行われるストライキのことである。略してゼネスト。総同盟罷業ともいう。また、ある特定の地域や都市において様々な産業が一斉にストライキを行う場合もゼネストと呼ばれることがある。


アパルトヘイト
(Apartheid)は、アフリカーンス語で分離、隔離の意味を持つ言葉。特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。


■国民
国民の大半は、スワジ人である。その他に、ズールー人や非アフリカ人もわずかにいる。公用語は、スワジ語と英語である。スワジ語はシスワティ語とされることもあるが、接頭辞「シ」が民族名につくと言語名となるので、正しくはスワジ語またはシスワティ


オリンピックスワジランド選手団
1972年ミュンヘン大会で初出場。夏季大会では1984年ロサンゼルス大会以降の大会に連続出場している。冬季大会では1992年アルベールビル大会で初出場したが、2010年現在、アルベールビル大会以降の大会には出場していない。また、これまでにメダルを獲得したスワジランド選手はいない。


リード・ダンス
(Reed Dance)、スワジ語ではウムランガ(Umhlanga)は、スワジランドの祭り。スワジ人の伝統的な祭りで、8月から9月に開催される。未婚で子供のいないスワジ人の少女たちが何万人も国中から王母のもとへと集まる。2008年の祭りには7万人の処女が参加したとされる。現在の集結地は王家の村であるLudzidziniであり、ここで8日の間祭りが開催される.。


■宗教
現地宗教(キリスト教と混合したもの)が40%、ローマ・カトリックが20%、イスラム教が10%などとなっている。

カトリック教会
Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。

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イスラム教
正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。


ソブーザ2世
Sobhuza II, 1899年7月22日 - 1982年8月21日はスワジランドの第7代国王。ムスワティ3世の父。61年間在位し崩御するまで君主として世界最長不倒記録(1982年当時)保持者であった。前国王。スワジランド国王ヌグワネ5世の皇太子としてスワジランドのムババーネに生まれる。ヌグワネ5世は、ソブーザ2世の生後4ヶ月後に崩御し、直ちに王位継承者として指名されたが、成人するまで祖母が摂政となり国政を見た。1921年に即位。

ティファニー・シメラネ
(Tiffany Simelane、1988年 - 2009年8月17日)は、スワジランドのMhlambanyatsi出身の南アフリカで開催されたミス・ワールド2008スワジランド代表。2009年8月17日、ゾウリムシの駆除用のリン化アルミニウムを含んだホスフィンガス用の錠剤を摂取して農薬中毒で自殺した。彼女は急いでムババーネ病院へと送られたものの亡くなった。

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