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ソマリア民主共和国
Somali Democratic Republic
アフリカ

アフリカ

<歴史>
紀元前1500年頃から香料の産地としてエジプト、近隣諸国に知れていた。10〜14世紀の間に、アラビア半島南部から遊牧民のソマリ族が移住してきた。彼らは早くからアラブやペルシャと交易していた。

■植民地時代
1886年にイギリスが北部をイギリス領ソマリランドとして領有。この頃、南部はイタリアの保護領であった。1948年に北部がイギリスの保護領に。1950年には南部がイタリア信託統治領ソマリア領に。

■独立後
1960年6月26日、イギリス領がソマリランド国として独立。5日後の7月1日にはイタリア領も独立し、南北統合でソマリア共和国が発足。1982年 反バーレの反政府武装闘争が表面化。ソマリア内戦勃発。
1991年5月、反政府勢力ソマリ国民運動(SNM)が首都を制圧。バーレを追放し、暫定大統領にアリ・マハディ・モハメドが就任。しかし各勢力の内部抗争により南北は再び分裂。

■国連PKO介入後
1991年 アイディード将軍派に首都を追われたモハメド暫定大統領が国際連合に対しPKO部隊派遣を要請。1992年12月、国連PKO部隊、多国籍軍を派遣。2009年1月、イスラム法廷会議の流れをくむソマリア再解放連盟(ARS)の指導者で穏健派のシェイフ・シャリーフ・シェイフ・アフマドが大統領に選出され、オマル・アブディラシッド・アリー・シェルマルケを首相とする内閣を発足させる。2010年7月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) は、難民流出の状況を発表した。それによると、ソマリアからケニアに逃れた難民は今年度前半の6ヶ月で約3万人。2009年同期の4万4000人から3分の1近く減少した。


イギリス領ソマリランド
British Somaliland)は、1884年から1960年まで存在した、アフリカの角におけるイギリスの保護領・植民地のことを指す。1870年代まで、この地域はエジプトのムハンマド・アリー朝が支配していた。だが1884年、アデン駐留のイギリス軍が駐屯するようになり、ソマリランドの各部族と協定を締結、1887年には同国により保護領化された。

イタリア領ソマリランド
19世紀末から1941年まで東アフリカに存在したイタリアの植民地のこと。現在のソマリアから、北西部を除いた地域に相当する。アデンに進出したイギリスが、紅海からインド洋への出口の安全を確保するため、まずイギリス領ソマリランドを成立させた。そして短期間のイギリスによる統治の後、インド洋沿岸に拠点を築こうと、イタリアがこの地域に進出する。

イタリア信託統治領ソマリア
1950年から1960年にかけて存在した東アフリカの領域。かつてのイタリア領ソマリランドと同等の領域であり、第二次世界大戦の敗戦により分割されたイタリア領東アフリカの一部に相当する地域である。


■地理
沿岸部は高温多湿だが、内陸は砂漠である。アデン湾に沿ってグバンと呼ばれる幅2〜12kmの海岸平野がある。北部に最高地点のシンビリス山(標高2416m)がある。降雨量は極めて少なく、エチオピア高原からインド洋沿岸のキスマユへ流れるジュバ川および同じくモガディシュへ注ぐシェベリ川以外に四季を通じて水の流れる川はない。


東アフリカ
スワヒリ語: Afrika ya mashariki)は、アフリカの東部地域、おおむね大地溝帯から東側の地域を指す。この地域はインド洋に面し、沿岸部(スワヒリ海岸と呼ばれる)は、モガディシュ、キルワ、マリンディなどの都市がインド洋のイスラム商人の交易で繁栄したことからイスラム教が広く浸透している。

インド洋
Indian Ocean、は、太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つである。三大洋中最も小さい。面積は約7340万平方km、沿海との合計面積は7410万平方kmである。地球表面の水の約20パーセントが含まれる。インド洋は中東、アフリカ、東アジアとヨーロッパ、アメリカを結ぶ主要な海上交通路となっている。特にペルシャ湾とインドネシアからの石油および石油製品の主要な運送路となっている。またサウジアラビア、イラン、インド、西オーストラリア沿岸部には豊富な石油・天然ガスの埋蔵が確認されている。

アデン湾
Gulf of Adenは、インド洋の北西側にあり、北はアラビア半島、南はアフリカ大陸のソマリア半島に挟まれた東西に細長い湾。湾の西側には、バブ・エル・マンデブ海峡を介して紅海が広がっている。イエメン、ジブチ、ソマリアと接している。

シェベリ川
Shebelle Riverはエチオピアのハイランド地方 (highlands) からソマリア南部のモガディシュあたりを流れる川。モガディシュ近郊で流れが南東から南西に急変する。ただし、海にまで流れ出るのは雨季に限り、それ以外の季節にはジュバ川の河口近くで干上がって無くなる。激しい雨季にのみ、ジュバ川と合流してインド洋に注ぐ。

ジュバ川
Jubba Riverはソマリア南部に流れる川。起点はエチオピア内のソマリア国境付近でダワ川とガナレ・ドリャ川 が合流した場所であり、ソマリアに入ってからがジュバ川と呼ばれている。インド洋に注いでいる。ジュバ川流域はほとんどがサバナであり、肥沃なため、農地として使われているところも多い。生態系も豊かであり、キリン、チーター、ライオン、ヒョウ、ハイエナ、アフリカスイギュウ、オリックス、ガゼル、ラクダ、ダチョウ、ジャッカル、ソマリノロバ (Somali Wild Ass) などが生息している。


ソマリランド
通称ソマリランドは、アフリカ大陸東端のソマリア半島(アフリカの角)に位置する共和制国家。旧イギリス領ソマリランドを領土とする。事実上は独立国家として機能しているが、現在のところ国際的にはソマリアの一部であると見なされており、国家として承認されていない。


ソマリ族
Somaliは主にアフリカ大陸の東端である「アフリカの角」に住む民族。1,000万人以上の人口を抱えるが、言語(ソマリ語)・文化面(スンナ派のイスラームを信仰)から民族的均一性は非常に高い。しかし民族意識よりも氏族への帰属意識が高いため、氏族権益から同一民族同士で争うことが多々ある。その最たる例が、ソマリア内戦である。

イサック
Reer Sheikh Isaxaaqは、アフリカ大陸東部にあるアフリカの角の民族であるソマリ族を構成する氏族の1つ。主にソマリアの北部に居住し、ハルゲイサ、ベルベラ、ブラオの3都市に特に人口が集中している。スンナ派のイスラームを信仰し、ソマリ語を話す。ソマリア内戦の過程でソマリランド共和国を建国したのも、このイサック氏族である。

ダロッド
Darod)はソマリ族の主要氏族のひとつ。8世紀ごろの人物アブディラフマン・ビン・イスマイリ・アル・ジャバルティ (Abdirahman bin Isma'il al-Jabarti) が祖先とされている。ダロッドの多くは昔からソマリア北部に住んでいるが、一部の人はソマリア南部のとりわけ首都モガディシュ近郊に住んでいる。ソマリア国外にも多く、エチオピアソマリ州やケニア北東州、イエメンにもダロッドの支族が住む。

ハウィエ
Hawiye)はソマリ族の大氏族の一つ。主にソマリアの中部と南部に住む。エチオピアのオガデンやケニアの北東州にも多い。アメリカの中央情報局 (CIA)やヒューマン・ライツ・ウォッチは、ハウィエがソマリ族最大の民族だと見なしている。ハウィエは、13世紀のアラブ人地理学者、イブン・サイード・マグリビーの書に登場する。

ラハンウェイン
Rahanweyn)はソマリ族の5大氏族の一つ。支族にディジル(Digil)、ミリフレ(Mirifle)がある。ソマリア住民の2割を占め、ハウィエ、イサック、ダロッドに次いで多い。なお、ディジル、ミリフレを別の氏族として扱う場合もある。


オガデン戦争
Ogaden War)は、1977年から1988年にかけてエチオピアとソマリアの間で起こった戦争。オガデン紛争(オガデンふんそう)、起こった場所の通称からアフリカの角戦争(アフリカのつのせんそう)とも呼ぶ。ソマリアの主な民族であるソマリ族は、ソマリアの他にケニア東部、エチオピアのオガデン、ジブチに居住している。ソマリアでモハメド・シアド・バーレが台頭すると、これら全てを統合した民族国家を建設しようとする大ソマリア主義を呼びかけた。

大ソマリア主義
Pan-Somalism)とは、アフリカ北東部のソマリ人居住地域すべてを統合し、大ソマリア(Greater Somalia)を建設しようとする思想。オガデン戦争の原因ともなり、ソマリア及び近隣地域に混乱をもたらした。19世紀後半のアフリカ分割において、ソマリ人居住地域はイタリア領ソマリランド・イギリス領ソマリランド・フランス領アファル・イッサ・エチオピア領オガデン・英領ケニア植民地の五つに分割されていた。

ソマリア内戦
1980年代から続くソマリアの内戦。1982年から反政府武装闘争が表面化した。反政府勢力は、諸都市を次々と勢力下に治め、1989年にはバーレ政権の支配域もモガディシュおよびベルベラなど地方都市の一部のみとなった。1991年1月に反政府勢力統一ソマリア会議(USC)が首都を制圧。バーレ大統領を追放し、暫定大統領にアリ・マハディ・モハメドが就任した。2011年に入り、ジュバランドでアル・シャバブに対する武装蜂起が発生、ラスカンボニ運動と名乗る彼らは暫定政府に参加した。4月になってケニアがソマリア南西周縁に「アザニア国」を建設し、5月にはソマリランド北端の低開発地域ラース・カサイル州が独自に政治運動を開始するなど、ソマリア全体では混乱の度合いが深まっている。さらに2011年11月には、エチオピア軍が中部ベレドウェインなどに再進出し、状況は流動的だ。

アフリカの角
Horn of Africaは、アフリカ大陸東端のソマリア全域とエチオピアの一部などを占める半島。ソマリ人の居住地域であり、ソマリランド (Somaliland) とも呼ばれた(ソマリランド共和国とは異なる)。インド洋と紅海を結び、さらにはスエズ運河を通して地中海に繋がる海上交通の要衝だが、政情は極めて不安定である。


ソマリア沖の海賊
Piracy in Somalia、ソマリア海賊問題とは、アデン湾とインド洋のソマリア周辺海域で発生し国際海運の障害となっている海賊。1990年代初期にソマリア内戦が始まった頃から目立つようになり、近年に活動が活発化して、スエズ運河・紅海を経由し地中海とインド洋を往来する年間約2万隻の商船にとって大きな脅威となっている。1991年以降、ソマリアには中央政府が存在せず、一部地域を除き、治安が不安定の状態が続いている。これに伴い、ソマリランドとプントランドが面するアデン湾は海賊行為が多発するようになった。国際商業会議所(ICC)国際海事局(IMB)の調査によれば2001年にインド洋側でも海賊による襲撃が報告されるようになり、2005年にいたって多発し、インドネシア周辺海域に次いで海賊行為が多い海域として急浮上した。


ソマリア/Wikitravel


ソマリアの歴史は、何世紀も前にさかのぼる。 史実のうち最古のものは、紀元前1500年、エジプト女王ハトシェプストが5隻の船と250人をソマリアに送ったことである。この頃ソマリアは、The Land of Punt と呼ばれていた。 エジプト人は貿易を行いたく、ソマリアからは宝石とガラス玉を買い、金・象牙・ダチョウ皮・香辛料・数珠を売った。エジプト人は、これらの交易品を宗教儀式やお祝いに使った。

エリュトゥラー海案内記
Periplus of the Erythraean Seaは、古代のインド洋近辺における南海貿易について記された航海案内書。ギリシア語で著述されている。紀元後40年から70年ごろに成立したと推定され、著者はエジプトに住んでいたギリシア人航海者であったと言われる。

プント国
Land of Punt, Pwenet, Pweneは、古代エジプトの貿易相手国の一つ。金、香料、アフリカン・ブラックウッド、コクタン、象牙、奴隷、野生動物などをエジプトに輸出していた。当時、プントは「神の国(Ta netjer)」と呼ばれていた。プント国の正確な位置は不明である。エジプトの南東にあったとする学者が大勢であり、ソマリア、ジブチ、エリトリア、スーダンなどに比定されている。


 

ユニセフ/ソマリア干ばつ緊急募金
国内避難民が150万。多くの子どもたちが命を落としてしているソマリアの現状




国境なき医師団
ソマリアでは、20年にも及ぶ内戦と無政府状態、医療・人道援助の不足、そして深刻な干ばつがもたらした食糧価格の高騰などにより、栄養失調が深刻化しています。多数の人びとが避難民、難民となって、国内の他地域や隣国ケニアやエチオピアの難民キャンプに庇護を求めていますが、収容能力や受け入れ態勢の限界という厳しい現実に直面しています。国境なき医師団(MSF)は、これらの国々で栄養失調児を治療するとともに、ソマリアにおける独立した援助の拡大を阻む要因を解消するために、当事国を含む国際社会に対して呼びかけを行っています。


東アフリカ大旱魃
2003年から続く東アフリカのケニア、ソマリア、エチオピアとジブチの一部で起きている大規模な旱魃、またはそれによる旱害。ほぼ全域で被害を受けており、更に内戦による混乱と、それに伴う国土の疲弊、さらに2004年12月に発生したスマトラ島沖地震に伴う津波の被害も重なり、壊滅状態。この地域では例年、10月から11月と3月から5月が雨期にあたるが、2003年からはまとまった雨がほとんど降っていない。原因としては地球の温暖化が指摘されており、旱魃の間隔が短くなっているという。もう一つの原因としては、この地域はいわゆる最貧国にあたり、干ばつの被災者を救おうにも資金がなく、世界食糧計画(WFP)に頼らざるを得ない状況となっている。


■国民
ソマリアはおよそ9,832,017人の人口を有し、85%がソマリ人である。1990年代初頭の内戦により、ディアスポラ(ソマリ人ディアスポラ(en))の数が著しく増大することとなった。この際は国内でも最も教育水準の高いソマリ人が大挙中東やヨーロッパ、北アメリカなどに逃れた。

ディアスポラ
Diaspora,とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。最近では、混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられることがある。


■言語
ソマリ語はソマリ人の国語であり、少数のマイノリティとも同様に、ほぼ全てのソマリ人によって事実上全土で使用される。少数派言語は存在し、ソマリア中南部でラハンウェイン氏族によって話されるAf-Maayが挙げられる。様々なスワヒリ語(Barawe)もまた沿岸部一帯でアラブ人によって話され、バントゥー語(Jareer)もまた話される。

ソマリ語
(ソマリ語:af Soomaali)は、アフロ・アジア語族のクシ諸語に属するソマリ族の言語。ソマリ族の主な居住地であるアフリカ東部の「アフリカの角」、すなわちソマリア、ソマリランド、エチオピアのソマリ州、ジブチ、ケニア北東部で話される。しかしソマリア内戦により話者が世界中に離散したため、正確な話者数は不明である。移民を含めて1500万から2100万人いると推計される。


■宗教
イスラム教が国教であり、国民の95%がムスリムである。ムスリムのうち98%はスンナ派である。その他の宗教が5%である。
キリスト教の影響は1970年代に教会運営の学校が閉鎖され、宣教師が帰国すると著しく減少した。国には1989年から一人のカトリック大聖堂の大司教もおらず、モガディシュの大聖堂は内戦中の1992年1月から2月にかけて深刻な打撃を受けた。

スンナ派
Ahl as-Sunnahは、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつ。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。スンナ派は、イマームの指導を重視するシーア派に対して、預言者の言行(ハディース)を通じてスンナの解釈を行うことで預言者の意思を体現しようとする。さらにイスラーム法学者の議論を通じて、コーラン(クルアーン)、慣行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つの方法を四法源として重視するに至った。

ハディース
イスラム教の預言者ムハンマドの言行録。クルアーンがムハンマドへの啓示というかたちで天使を通して神が語った言葉とされるのに対して、ハディースはムハンマド自身が日常生活の中で語った言葉やその行動についての証言をまとめたものである。

イスラム法廷会議
Islamic Courts Union, "ICU"、は、ソマリアのイスラーム法学者によるイスラーム裁判所の連合体、ならびに付属する行政各事務所や警察部隊でつくる、1994年に結成された自治政府、およびその自治政府が治める地域の呼称。2006年にイスラム法廷連合から改称された。ここでは同政府によるモガディシオ制圧までの記述で「法廷連合」、その後の記述で「法廷会議」とする。


■教育
1991年の中央政府の崩壊により、教育システムは私営となっている。初等学校は、内戦前600校だったものが今日には1,172校に達し、この三年間で初等学校の入学者は28%増加した[8]。ベナディール大学、ソマリア国立大学、モガディシオ大学、キスマヨ大学、ゲド大学など、ソマリアの八つの大学の内の機能している五つがソマリア南部に存在し、高等教育を提供している。


■ソマリ料理
ソマリアはアフリカ大陸の北東端に当たるため、古くは東洋とアラブ・アフリカ諸国を結ぶ交易中継地であり、近代以降は東洋と西洋を結ぶ交易中継地であった。そのためソマリ料理(ソマリア料理)はエチオピア、イエメン、イラン、トルコ、インド、イタリアなどの食文化の影響が強い。肉はヤギ、ヒツジが多いが、牛、ラクダも食べられる。ニワトリもまれに食べられる。レンズ豆やソラマメを使った豆料理も好まれる[2]。魚は都市部を除いてあまり食べない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ソマリ料理

■文学
ソマリアは多くの文学作品を、前世紀のソマリアの知識人によるイスラーム詩やハディースを通して生み出してきた。現代も口承詩が盛んであり、「詩人の国」とも称される。1973年のラテン文字の採用後には数年間で多くのソマリ人作家が本を出版し、それらは広範な成功を達成した。ヌルディン・ファーラー(Nuruddin Farah)はそのような人物の内の一人である。

■音楽
ソマリアはほぼ全く単一のエスニック・グループ(ソマリ人)で構成されている数少ないアフリカの国家である栄誉を保つ。伝統的なWaaberiや、Horseedのようなバンドは国外にも少数の支持者を得ている。その他にMaryam Mursalはソマリの伝統的な音楽をロック、ボサノヴァ、ヒップ・ホップ、ジャズの影響を受けて融合させた。

■通信とメディア
ソマリアでは、多数の私営新聞、ラジオ、テレビ局がこの十年間で急速に発達し(モガディシュでは2つのテレビ局が熾烈な競争を行っている)、私営ラジオ局や新聞と共にほぼ全ての主要都市に存在する。大きなメディア企業としてはShabelle Media Network、Radio Gaalkacyo、ガローウェ・オンライン傘下のRadio Garoweなどの名が挙げられる。


イマン・アブドゥルマジド
Iman Mohamed Abdulmajid1955年7月25日 - は、イマン(アラビア語で「信頼」の意)の芸名で知られるソマリアのファッションモデル、女優、実業家である。ソマリアの化粧品分野の先駆者である他、慈善事業でも有名である。現在の夫はミュージシャンのデヴィッド・ボウイである。ソマリアのモガディシュで、駐サウジアラビア大使を務めた外交官の父親モハメド・アブドゥルマジドと医師の母親マリアン・アブドゥルマジドの間に出生した。

アヤーン・ヒルシ・アリ
Ayaan Hirsi Ali、1969年11月3日 - は、ソマリア・モガディシュ生まれのオランダの元下院議員。出生名はアヤーン・ヒルシ・マガン(Ayaan Hirsi Magan)。 ケニアやサウジアラビア、エチオピアで生活した経験を持つ。元イスラム教徒の無神論者。イスラム世界における女性の扱いの低さを訴え、抑圧からの解放を解く。ごく部分的に美点を認めるものの、イスラム教自体やその開祖ムハンマドにも否定的である。2004年に監督が殺害された映画『サブミッション』の脚本を書いており、彼女も監督と同様に命を奪われる危険にさらされている。

ワリス・ディリー
Waris Dirieはファッションモデル、作家、女優、人権擁護家。13歳の時、ラクダ5頭の為に60代の男性と結婚させられそうになったが、母の力を借りてソマリアの首都モガディシュに住んでいる母の妹に会うために、砂漠の中を1人逃げていった。奇跡的に母の妹に対面し、父に連れ戻されないように親戚を転々とした。働いていたマクドナルドで、当時イギリスでファッション・フォトグラファーとして活躍していたテレンス・ドノヴァンに見いだされモデルとなる。テレンスはワリスの横顔を撮りたくて、2年間もワリスを追いかけていたという。彼は彼女が1987年のピレリカレンダーの表紙を飾るように働きかけた。それから彼女のモデルとしてのキャリアが始まった。

アブディラシッド・アリー・シェルマルケ
Abdirashid Ali Shermarke、1919年 - 1969年10月15日は、ソマリアの政治家。同国の第2代大統領。1919年、オビア(Obbia)地方のHaradereで生まれ、モガディシュで育った。母親はミドゥガンの身分だった。イスラム神学校に通い、1936年に初等教育を終えた。初めは貿易商であったが、イタリア領時代には公務員となった。

モハメド・シアド・バーレ
Maxamed Siyaad Barre、1919年10月6日 - 1995年1月2日は、ソマリアの政治家、軍人で第3代大統領。1969年にクーデターでシェルマルケを打倒し大統領に就任したが、1991年に反政府勢力「連合統一ソマリア会議」に政権を打倒され、ナイジェリアのラゴスに亡命。1995年に死去。氏族主義の追放のために社会主義を掲げたが、次第に乖離が目立つようになり、オガデン戦争を契機に独裁色を強めた。

アブドゥラヒ・ユスフ
Cabdullaahi Yuusuf Axmed,, 1934年12月15日 - 2012年3月23日)は、ソマリアの政治家、軍人。同国暫定政府大統領、またソマリア内に存在する自治政府プントランド・ソマリア国の大統領を2期務めた。ソマリ族・ダロッドのハルティ氏族・マジーティーン支族。ガルカイオ出身。もとはソマリア軍の将校であったが、1991年にモハメド・シアド・バーレ大統領率いるソマリ社会主義革命党の独裁政権が崩壊すると、国土の一部を支配する軍閥勢力の副官となり、1997年にはエチオピアの支援を受けたソマリ再生評議会の共同議長に就任した。

モハメッド・ファッラ・アイディード
Mohamed Farrah Aidid)は、1995年から1996年までの間のソマリア大統領。軍閥指導者として取り上げられる事も多く、何かと議論を呼ぶ人物である。アイディードは統一ソマリア会議 (United Somali Congress) の指導者であり、ソマリ国民同盟 (Somali National Alliance) の指導者でもあった。モハメド・シアド・バーレの独裁政権を首都モガディシュから追放し、ついにはソマリアからも追放した。

オマル・アブディラシド・アリ・シルマルケ
Omar Abdirashid Ali Sharmarke、1960年6月18日-はソマリアの政治家。元首相。ソマリ族・ダロッドのハルティ氏族・マジーティーン支族出身。2009年1月にソマリア大統領となったシェイク・シャリフ・シェイク・アフマド (Sheikh Sharif Sheikh Ahmed) は、2月13日、ジブチでの打ち合わせでシルマルケを首相に推薦した。シルマルケの指名は主要政治勢力にも受けがよく、イスラム法廷会議の穏健派からも「シルマルケは正直者であり、事態を好転させることを期待する」と評された。

アユブ・ダウド
(Ayub Daud,1990年2月24日- )は、ソマリア出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。5歳の時に家族が内戦状態のソマリアからイタリアへ避難。2000年よりユヴェントスのユースチームに入る。ユースでは際立った活躍を見せ、2009年3月ボローニャFC戦にてトップチームデビューを果たした。

アフメッド・シランヨ
(ソマリ語: Axmed Maxamed Maxamuud "Siilaanyo"、1936年 - )は、ソマリランドの政治家。ソマリランドの大統領であり、平和統一開発党(クルミエ党)党首。イサック氏族のハバ・ジェクロ支族に生まれた。2003年に大統領選挙に出馬したが僅差で落選し、2010年の大統領選挙で現職のダヒル・リヤレ・カヒン大統領を破り当選。2010年7月27日に大統領職に就いた。

モハメド・ファラー
Mohammed "Mo" Farah, 1983年3月23日-)はイギリスの陸上競技選手、専門は中長距離走。ソマリア出身。北京オリンピック男子5000mイギリス代表。2007年全英選手権5000mおよび2003、2005、2007年全英室内選手権3000m優勝者。なお、名前の「Mo」とは、Mohammedの短縮形、ニックネームのようなものである。

ハッサン・アブドゥッラー・ヘルシー・アル・トゥルキー
Hassan Abdullah Hirsii al-Turki,はイスラム主義組織ヒズブル・イスラムの主要メンバーの一人で、その内部組織ラスカンボニ軍の指導者であった。イスラム法廷会議および現在は消滅しているアル・イティハード・アル・イスラミーヤ (AIAI) の出身で、現在はアルシャバブの構成員となっている。

ソマリア Somali
東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家。ジブチ、エチオピア、ケニアと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続き、エチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が首都を制圧したものの、依然として内戦状態が続いている。

ハルゲイサ
Hargeisaは、ソマリアから分離再独立したソマリランド共和国の都市で、同国の首都となっている。イギリス領ソマリランド時代からこの地域の中心都市として機能してきた。人口は454,365人(2004年)とされるが、80万人から100万人の人口を有するという説もあり、定かではない。市民の大半はソマリ族のイサック氏族である。


外務省:ソマリア共和国
在ケニア日本国大使館兼轄


モガディシュ
Muqdishoは、ソマリアの首都。インド洋に面するアフリカ東端に位置する。ソマリア最大の都市で、商業、金融、海運の中心地である。主要な産業は、食品、飲料、織物。モガディシュの地には、900年頃アラブ人や黒人の植民者が定住し、12世紀初頭にはアフリカ東海岸における一大商業拠点にまで発展し、その交易の様子は14世紀に訪れたイブン・バットゥータが記している。Gezira Beachを始め以前はリゾートであった砂浜がある。 エチオピア中央部から流れるシェベル川が街の近くまで来ており、サトウキビ、綿花、バナナの栽培に重要な水源である。

ゼイラ
Zeilaはソマリランドの港湾都市。アデン湾に面しており、アウダル州(英語版)の州都である。ソマリアの西隣ジブチとの国境にも近い。1世紀に書かれたエリュトゥラー海案内記に登場する都市アヴァリタエ(Avalitae)をゼイラと同定する学者がいる(アッサブと考える学者もいる)。20世紀の学者リチャード・パンカースト(英語版)は、891年にイスラムの旅行家ヤアクービーが書いた「国の本(Kitab al-Balden)」の都市の一つがゼイラだと考えている。

ボサソ
Boosaaso、はソマリア北部の港湾都市。ソマリア内での事実上の独立地域プントランドにあり、バリ州のアデン湾南岸に位置する。地形的にはワジ(雨季に川となる場所)にあたる。昔は「ベンダー・カシム」の名で知られており、現在でも空港の名は「ベンダー・カシム国際空港」である。

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アデン・アッデ国際空港
Aden Adde International Airportは、ソマリアの首都モガディシュにある国際空港である。モガディシュ国際空港とも呼ばれる。

ハルゲイサ国際空港
Hargeisa International Airportは、ソマリランドの首都、ハルゲイサにある国際空港。

ブラオ空港
Burao Airportは、ソマリランド共和国支配下のブラオに存在する空港。ブラオ空港はブラオのシティセンターから北東に1km以内に位置する。


ハルゲイサ大学
University of Hargeisaはソマリランドの首都・ハルゲイサに本部を置く大学。略称はUoH。2000年に創立されたハルゲイサ大学は4年から6年のカリキュラムを設定しており、学生数は2,600人を超えている(2007年現在)。

ベナディール大学
Benadir Universityは、ソマリアの首都モガディシュにある大学。2002年に医師養成を目的として医学部が設立され、その後4つの学部が設立された。2007年時点では、ベナディール大学には医学部、教育学部、理工学部、情報科学部、シャリーア・法学部(イスラム法学部)の5学部が存在した。


モガディシオ・ヴィラブルッチ鉄道
かつてイタリア領ソマリランドにあった、シェベリ川沿いの鉄道。1914年から1941年に、主として農作物の輸送に使われた。第二次世界大戦後、イギリス軍に破壊された。以後、ソマリアには2011年現在に至るまで、鉄道が無い。


プントランド
Puntlaand、は、1998年7月にソマリア北東部の氏族が自治宣言をし、ガローウェを首都として樹立した自治政府、およびその自治政府が治める地域の呼称。ソマリ族の3分の1がこの地に住む。

ジュバランド
Jubbaland、はソマリア南西部を流れるジュバ川西部、ケニアに接する地域をさす呼称である。中心都市はキスマヨ。1925年6月29日、イギリスの植民地であったケニアからイタリア領ソマリランドに譲渡された。

ベルベラ
Barbara, は、ソマリア北部の港町。人口は約20万人。アデン湾に面しており海上交通の要衝である。海の無いエチオピアの輸出港であり、またソマリランドのメインの貿易港である。 ベルベラにはオスマン帝国時代に作られたオスマン建築の建造物が数多く残っている。ただしこれらは遺跡であり、人が入ることも少ない。

ガローウェ
Garoowe, Garoweは、ソマリア北西部に位置するヌガール州の都市である。プントランドの支配下にあり、同地域の「首都」とされる。プントランド国立大学がある。

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ラス・アノド
Las Anodはソマリアスール州の州都。現在はソマリランドの支配下にあるが、プントランドも領有権を主張している。ラス・アノドはプントランドの州都ガローウェとソマリランドの州都ハルゲイサを結ぶ道路上にある要所であり、古くから交易路上のオアシスとして利用されてきた。市内は丘に囲まれており、水も豊富である。

ボラマ
Boorama, はソマリランド(ソマリア)北西部の都市。ボラマの行政機構は複雑である。国際的にはソマリアの一部であり、アウダル州(英語版)に属する。しかしボラマを含む周辺一帯は1991年にソマリランドとして事実上独立している。ボラマはアウダル州の中心都市であり、教育に関しても州内で主要な役割を果たしている。例えばアムード大学(英語版)はソマリア内戦後初めて機能再開した高等教育機関である。

ブラオ
Burco, はソマリランドのトゲーア州の行政中心都市。野生動物は食料や繁殖地を探してブラオ周辺にも現れる。よく見かける動物はクーズー、イボイノシシ、グレビーシマウマ、アフリカノロバ、野鳥などである。

エリガボ
Ceerigaaboはソマリアのサナーグ州の行政中心都市。住民はダロッド氏族の支族ワルサンガリが多い。ソマリア内戦の開始早々、ソマリア北西部に住む氏族イサックが軍閥ソマリ国民運動を作り、ハルゲイサ、ベルベラ、ブラオと共にエリガボを拠点として押さえている。

ガルカイヨ
Gaalkacyo、はソマリア中部の内陸都市。6つの街道が集まり、エチオピアとの国境付近にある要所である。ガルカイヨ空港は2009年現在も稼動中であり、プントランドが支配している。ジブチ国際空港、パリ・シャルル・ド・ゴール国際空港、ロンドン・ガトウィック空港、ドバイ国際空港との定期便がある。

ホビョ
Hobyaa)はソマリアのムダグ州にある古くからの港町。この名はソマリ語で「水のある土地」を意味し、乾燥地帯ソマリアにしては井戸から真水が豊富に取れ、寄港地として栄えた。2011年現在でも勢力を保っているが、ソマリア国内のどの勢力もホビョ支配にまでは力が及ばず、ホビョは再びハウィエ氏族の一派サード氏族を主体とする海賊が支配する町となった。

アル・シャバブ
Ash-Shabaabは、ソマリア南部を中心に活動するイスラーム勢力。2009年現在、ソマリアで最も有力なイスラーム勢力であり、ソマリア南部で最も支配地域が広い勢力でもある。ソマリア暫定連邦政府とそれを支援するエチオピア、アメリカ合衆国、アフリカ連合などと対立している。

ドゥサマレブ
Dhuusamareebはソマリアのガルグドゥード州の行政中心都市。住民はハウィエ氏族が多い。ソマリアは内戦により、1991年から無政府状態となっており、ユニセフは2003年からドゥサマレブをソマリア南部の拠点として子供保護の活動を行っている。

ジョハール
Jowhaar, はソマリアの中部シャベーラ州(英語版)の行政中心都市。ソマリアの首都モガディシュから幹線道路沿いに北に90キロメートルの位置にある。2009年5月17日、イスラーム武装勢力アル・シャバブがジョハールを奪った。アル・シャバブは外国勢力に対して強硬であり、ユニセフ現地事務所からも物資を奪っている。アル・シャバブはジョハールで男女が手を握ることを禁止するなど、厳しい政策を布いている。

ガーバハレ
Garba Harreはソマリアのゲド州の行政中心都市。ケニアの北東州の境から南東約130キロメートルの位置にある。ソマリア内戦のため、住民の多くはケニア国境の町ベレドハーオに避難している。

キスマヨ
Kismaayo, は、アフリカ大陸東部のソマリアの都市。ソマリアの首都モガディシュの南西528キロメートルの位置、ジュバ川の河口付近にある。ジュバランドと呼ばれる地域の商業中心都市。港湾都市で、バナナ・皮革などを輸出する。

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ベレトウェイン
Belet Uen) はソマリア中部の都市で、ヒラーン州 (Hiraan) の行政中心地。シェベリ川沿いにあり、エチオピアのオガデン (Ogaden) 付近にあり、ソマリアの首都モガディシュから北に332キロメートルにある。

マーヒル
Maakhir,は、内戦状態のソマリア内で、2007年1月から2008年4月にかけてプントランドからの独立を宣言していた自治州。ソマリア北部の海岸線沿いにあり、西のソマリランドと東のプントランドの中間に位置する。2009年にプントランドに再統合したが、その後もソマリランドとプントランドの間の紛争地域になっている。

マルカ
Markaはインド洋に面したソマリア南部に位置する港町。下シャビールの主要都市で、首都モガディシュから約70キロメートル南西に位置する。アル・シャバブは2010年末頃から劣勢に転じ、重要都市を次々にソマリア政府軍に奪われている。2012年8月にはマルカもついにソマリア政府軍に奪われた。

フドゥール
Huddur,はソマリアのバコール州の行政中心都市。住民はラハンウェインが中心。フドゥールの辺りはソマリ族のラハンウェイン氏族が暮らしている。ソマリアは1991年に無政府状態となり、ソマリア各地は地方氏族集団を基盤とする軍閥に支配されることになった。

バハン
Badhanはソマリア北東部にあるサナーグ州(英語版)所属の都市。2007年7月、プントランドから独立宣言をしたマーヒルの首都となったが、2009年1月に再びプントランドに戻っている。ソマリア内戦以降、バハンは避難民の流入により規模がむしろ拡大し、1つの病院、3つの高校、大学がある。

ブアレ
Buale,はソマリア南部の都市。ソマリアの中部ジュバ州の州都。ジュバ渓谷沿いにある。ブアレはソマリ語で「腹が膨らんだ」の意味であり、住民の腹が大きかったことから名付けられた。その原因はおそらくマラリア感染であった。国際連合世界食糧計画のソマリア南西部地域事務局がある。しかし2009年12月にアル・シャバブから撤退を求められ、2010年1月に活動の一時停止に追い込まれている。

バイドア
(Baidoa)は、ソマリアの都市。ソマリ語ではバイダボという。同国南西部の国境近くに位置し、エチオピアに続く交通・軍事の要衝。首都モガディシュから北西256kmに位置する。人口約80万人。2002年に成立した南西ソマリアの支配下にあり、同地域の「首都」と位置づけられている。


プントランド・ソマリランド紛争
Puntland−Somaliland disputeは、内戦状態にあるソマリア内の独立地域、ソマリランドとプントランドの間の戦争。2007年10月、ソマリランドはスールの中心都市、ラス・アノドを占拠するためにアドヒカデーイェ (Adhicadeeye) の基地から軍を繰り出し、戦闘となった。2008年1月13日、ソマリランドの支配に反抗する部族がダバンザール (Dhabansar) で民兵を組織して、ラス・アノドのソマリランド基地を襲撃した。

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■国名
正式名称はソマリ語で「Jamhuuriyadda Federaalka Soomaaliya」。英語で「Federal Republic of Somalia」。


1.面積:63万8千平方キロメートル(日本の約1.8倍)
2.人口:895万人(2008年:世銀)
3.首都:モガディシュ(人口約60万人(2008年:EIU(Economist Intelligence Unit)))
4.民族:ソマリ族
5.言語:公用語:ソマリ語、アラビア語:第二公用語:英語、イタリア語
6.宗教:イスラム教

1960年7月 伊信託領及び英領がそれぞれ独立し、合併して「ソマリア共和国」を形成
1969年10月 クーデターによりバレが最高革命評議会議長に就任。その後、大統領に
1991年1月 バレ大統領追放、全武装勢力間の内戦状態に突入
1991年5月 北部が「ソマリランド」と自称し独立宣言
1992年4月 国連ソマリア活動(UNOSOM)、米を中心とする統一タスクフォース(UNITAF)が活動開始
1995年3月 UNOSOMが、武装勢力間の抗争、武装勢力の激しい抵抗により完全撤退
1998年7月 北東部が「プントランド」と自称し自治領宣言
2000年8月 ジブチの仲介により、暫定国民「政府」成立(ただし2003年に崩壊)
2005年1月 周辺諸国の仲介により、暫定連邦「政府」(TFG)成立
2006年6月 「イスラム法廷連合」(UIC)がバイドアを除く中・南部ソマリア地域を制圧
2006年12月 TFGの要請を受けたエチオピアがソマリアに派兵
2007年9月 エチオピア軍に駆逐されたUICが、エリトリアで「ソマリア再解放連盟」(ARS)結成
2008年8月 TFGとARSの穏健派グループが、ジブチ合意(停戦等)に署名
2009年1月 エチオピア軍撤退終了後、反TFG勢力アル・シャバーブがバイドアを掌握
シェイク・シャリフ(ARSの穏健派グループ指導者)が、ユスフ初代TFG「大統領」の後任として就任

■主要産業:畜産業(ラクダ、羊、山羊、牛等)、農業(ソルガム、メイズ、米、豆、ゴマ等)
■主要貿易品目(1)輸出 家畜、バナナ、皮革、水産物(2)輸入 工業製品、石油製品、食料


ソマリア・シリング
Somali Shilling)は、ソマリアの通貨の単位である。ソマリアでは、内戦で中央政府が崩壊して以降、大量の偽札が出回っており、紙幣の価値は急落(ハイパーインフレーション)した。現在ソマリア国内では、ドルやユーロ、サウジアラビア・リヤルが主に流通している。通貨としては、ソマリランド・シリングのほうが安定しているといわれる。


■政治
バーレ政権時代の最盛期には社会主義の名の下強力な軍事独裁が敷かれ、治安は比較的安定していた。しかしながら政権末期には首都モガディシュを除くほぼすべての地域を掌握できておらず、「モガディシュ市長」または「モガディシオ市長」と綽名されることもあった。1992年に、バーレ大統領は国外追放された。追放後、ソマリアには中央政府が存在しない状態が続いている。2010年9月21日、暫定政府のシェルマルケ首相は、治安対策の失敗の責任をとり辞任した。背後にはイスラム強硬派(アルシャバブなど)武装勢力の攻勢が強なるなかで、政府運営を巡るアハメド暫定大統領との確執があると推測されている。こうしたなか人口約800万人の40%以上に当たる約320万人が人道援助に依拠し、約140万人が国内避難民、約59万人が近隣諸国に難民として生活している。

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ソマリ社会主義革命党
ソマリアにかつて存在した政党。バーレ政権下の独裁政党だった。ソマリアの社会主義化とソ連との連帯をうったえ、冷戦下におけるソマリアを東側陣営に引き込む要因となった。1976年6月創設、1991年解体。

ソマリ国民運動
(Somali National Movement;SNM)はソマリア、ソマリランドの政党である。ソマリアのモハメド・シアド・バーレ大統領の政権を打倒せんとする、ロンドンに亡命中のイサック人によって1981年に結成された。ソマリアの反政府勢力で最も大きい勢力のひとつだった。1991年、ソマリア内戦が勃発し、バーレのナイジェリア亡命で政権が崩壊すると、旧イギリス領ソマリランド一帯の分離・独立を宣言、「ソマリランド共和国」を「建国」して、SNM暫定政府を樹立した。

■経済
内戦で経済は壊滅、崩壊状態である。世界最貧国の一つで、平和基金会が発表した失敗国家ランキングでは3年連続で第1位に位置しており、イギリス情報誌のエコノミスト 治安ランキングワースト10では第2位。主要輸出品はバナナ、家畜、皮革。主要輸入品は原油、石油製品、食料品、機械類など。地下に石油・ボーキサイトなどを含有する地層が存在するが、未開発である。


2011/11/06
国連は首都モガディシオの難民キャンプで2800人のテントが局地的洪水で流されたと発表。隣国ケニアのダダブ難民キャンプでも5000人が住まいを失った。ユニセフによると約45万人の子供が深刻な栄養不足にある。

国際連合平和維持活動
United Nations Peacekeeping Operations)は、紛争において平和的解決の基盤を築くことにより、紛争当事者に間接的に紛争解決を促す国際連合の活動である。日本ではPKOと略されることが多い。

国際連合難民高等弁務官事務所
Office of the United Nations High Commissioner for Refugees、略称:UNHCR)は、1950年12月14日に設立された国際連合の難民問題に関する機関。経済社会理事会との連携関係にある専門機関から総会の補助機関に改組された。


サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン
Mohammed Abdullah Hassan、1856年4月7日 - 1920年12月21日は20世紀初頭のソマリアでイギリスからの独立運動を起こした宗教家、政治家。サイイド・ムハンマドの独立運動は20年にもおよび、イギリスからは「狂気のムッラー(Mad Mullah)」と呼ばれた。ムハンマドの起こした独立運動はサイイド・ムハンマドの反乱、あるいはマッド・ムッラー運動と呼ばれている。

アデン・アブドラ・ウスマン
Aden Abdullah Osman Daar、1908年 - 2007年6月8日は、ソマリアの政治家。同国の初代大統領。1960年7月1日、独立を果たしたソマリアの初代大統領に就任した。その後、1967年に行われた大統領選挙でアブディラシッド・アリー・シェルマルケに敗れたため、1967年6月10日に退任した。

ザフラ・アブドゥラ
Zahra Ali Abdulla、1966年11月27日 ‐ は、ソマリア生まれのフィンランドの政治家、助産婦、フィンランドのソマリアコミュニティーのメンバーの一人。また、ヘルシンキ市議会の議員を務めており、フィンランド緑の党に所属している。現在はヘルシンキ付近のラウッタサーリに住んでいる。多くの言語にも精通しており、フィンランド語、英語、ソマリ語、アラビア語、ロシア語などを話すことができる。

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K'Naan
1978年2月1日 - は、ソマリアのモガディシオ出身のラッパー。現在は、カナダのトロントを拠点に活動している。NYに出稼ぎに行っていた父から送られて来た一枚のレコードをきっかけにヒップホップと出会い、ラップに興味を持つ。戦争や貧困を経験したことで自由と喜びを求める気持ちが強く、彼の音楽には希望に溢れたビートが刻まれている。

アリー・ムハンマド・ゲーディ
Ali Muhammad Ghedi, Mohammed Ali Ghedi 1952年 - は、ソマリアのモガディシュ出身の政治家。2004年11月から2007年10月までアブドゥラヒ・ユスフ大統領率いる暫定政府の首相。獣医師の資格を持ち、ソマリ族の主要4氏族の一つハウィエ、そのモガディシュでの支族アブガール(英語版)の出身である。1979年から1981年は、奨学金を受けてイタリアのピサ大学で学んでいる。1982年にソマリアに戻り、1991年にバーレ政権が崩壊するまでソマリア国立大学の獣医学部で教員を務めた。

イブラヒム・メガグ・サマター
(Ibrahim Maygaag Samatar、? - 2011年1月31日は、ソマリアの政治家、経済学者。アメリカの大学へと留学し経済学を学んで帰国、財務省官僚となった。1969年にクーデターがおこると政権を握ったモハメド・シアド・バーレの内閣において財務大臣に任命された。その後産業相などをつとめ駐西ドイツ大使であった駐西ドイツ大使時代にアメリカへと亡命した。亡命後はソマリ国民運動で中央委委員長をつとめ、ソマリランドの独立に尽力した。

ハッサン・シェイク・モハムド
Hassan Sheikh Mohamud, 1955年11月29日 - )は、ソマリアの政治家。2012年9月10日にソマリアの大統領に選出された。前職はソマリアの大学教授・学部長。モハムドは既婚であり、子供もいる。ソマリ語の他、英語も話せる。モハムドは1990年代にソマリア内戦が始まってからもソマリアに留まり、NGO、国際連合組織、平和や開発のプロジェクトなどのコンサルタントとして活動している。

アブディ・ファラ・シルドン
Abdi Farah Shirdon1958年 - )は、ソマリアの首相。実業家、経済学者、政治家。。2012年3月、シルドンは他のソマリ族の専門家、知識人、実業家、政治家と共同でラジョ・フォーラム(Rajo Forum)を設立し、議長となった。2012年10月6日、ハッサン・シェイク・モハムド大統領はシルドンを、アブディウェリ・モハメド・アリの後任としてソマリア首相に指名した。モハムド大統領とシルドンは出身大学が同じであり、モハムドがシルドンを選んだのは出身大学が影響していると報じられている。

アブディウェリ・モハメド・アリ
Abdiweli Mohamed Ali,は ソマリ族出身の経済学者、政治家。2011年6月19日からソマリア暫定連邦政府の首相。アリはソマリアに帰国するまではニューヨーク州のナイアガラ大学で経済学の教授をしており、専門は財政学、公共選択論、国際貿易。2010年6月12日、アリは当時のソマリア首相モハメド・アブドゥライ・モハメドに認められ、ソマリア暫定連邦政府の計画・国際協力担当長官に任命された。アリは担当職務の専門家として重要な役割を果たした。

フォウシヨ・ユスフ・ハジ・アダン
Fowsiyo Yussuf Haji Aadan, はソマリ族の女性政治家。ソマリランド出身で、イギリスに暮らした経験がある。2012年11月4日、ソマリアのアブディ・ファラ・シルドン首相により、外務大臣に任命された。ソマリアで女性が外相に任命されたのは初めて。副首相(Deputy Prime Minister)も兼務する。11月4日には、アダンの他、新内閣の10名が発表されている。

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シェイク・シャリフ・シェイク・アフマド
Sheikh Sharif Sheikh Ahmed)はソマリアの政治家、宗教家。ソマリア暫定連邦政府最後の大統領を務めた。かつてはイスラム法廷会議(ICU)の指導者でもあった。アフマドはソマリアの中部シャベーラ州(英語版)で生まれ、リビアとスーダンの大学で学んだ。アフマドは当初中等学校で地理学、アラビア語、宗教を教えていた。

イブン・サイード・マグリビー
1213年 - 1276年)は、アンダルス出身の歴史学者、地理学者。1213年、グラナダ近郊に生まれ、セビリャに学んだ。1241年、マッカ巡礼に旅立ちアレクサンドリア、カイロに滞在し、家族代々の営みであったマグリブとアンダルスの歴史書『美しきマグリブの書』によって名声を博した。1249年、カイロを立ってシリア、イラクを周遊、さらにマッカへ二回目の巡礼を果たしている。

K'Naan
ケイナーン、1978年2月1日 - )は、ソマリアのモガディシオ出身のラッパー。現在は、カナダのトロントを拠点に活動している。NYに出稼ぎに行っていた父から送られて来た一枚のレコードをきっかけにヒップホップと出会い、ラップに興味を持つ。戦争や貧困を経験したことで自由と喜びを求める気持ちが強く、彼の音楽には希望に溢れたビートが刻まれている。

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