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セネガル共和国
Republic of Senegal
アフリカ

アフリカ

■地理
セネガルはアフリカ大陸の西部に位置する。セネガルの景観は、主に西サヘル特有の砂ぼこりが多く乾燥した平原地帯で占められる。セネガルの標高最高地点は南東部のネパン・ジャハ(581 m)。北部のモーリタニア国境はセネガル川で区切られ、その他ガンビアとの国境はガンビア川(中部)、カザマンス地方にはカザマンス川(南部)がある。首都ダカールは、ヴェルデ岬半島に位置し、アフリカ大陸西端ポイントを擁する。


西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。アルジェリアなどマグリブ諸国は、歴史的・文化的に地中海世界やアラブ世界としての一体性が強く、通常は北アフリカとする。


サハラ砂漠
アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠。東西5600km、南北1700kmで面積は約1000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。サハラ砂漠全体の人口は約2500万人であり、そのほとんどはモーリタニア、モロッコ、アルジェリアに住む。サハラ砂漠内で最大の都市は、モーリタニアの首都ヌアクショットである。その他、重要な都市としては、タマンラセト、トンブクトゥ、アガデズ、ニアメ、ンジャメナが挙げられる。

セネガル川
アフリカ西部を流れる河川である。流域はギニア、マリ、モーリタニア、セネガルにおよぶ代表的な国際河川である。ギニア北部に源を発し北東に流れ、マリに入ると北西に転じ、セネガルとモーリタニアの国境を流れ、サンルイ州の州都サンルイで大西洋に注ぐ。河口付近の三角州には世界遺産に登録されているサン=ルイ島がある。

ガンビア川
(Gambia River)は、アフリカ西部を流れる河川である。下流部分の半分以上とその両岸からなる、アフリカで一番小さな国であるガンビアのおかげでこの川はよく知られている。

ヴェルデ岬
Cap Vertは、アフリカ大陸最西端、セネガル領内の岬である。首都ダカールの市街地は西の半島先端部ある。大西洋に突出した形で、沖にはゴレ島がある。最西端はアルマディ岬である。西へ約500Km沖合にはベルデ岬諸島が点在する。「緑の岬」の意。サハラ砂漠沿岸を航海してきた船が、ようやく砂漠が尽き、植生に恵まれたこの岬を見て名付けられた。1445年、このヴェルデ岬にポルトガルのエンリケ航海王子航海船団が到達した。

サルーム川
Saloumは、セネガルを流れる全長250Kmの河川である。著しい乾燥気候のため塩分濃度は海洋部よりも高く、中流部のカオラック周辺では製塩事業が盛んである。

ラック・ローズ
正式名称レトバ湖 lac Retbaは、セネガル共和国ダカール州にある湖。バラ色の湖という通称として有名であり、またパリ〜ダカール・ラリーのゴールとしても名高い。この潟湖は海水よりも10倍ほど塩分濃度が高く、塩の産地でもある。湖面が下がる乾季はそのバラ色が鮮やかである。


ハルマッタン
Harmattanは、西アフリカで吹く貿易風である。熱風ではないが、きわめて乾燥しており湿気を奪う。また大量の0.5 - 10マイクロメートルのきわめて細かい砂塵を含んでおり、その砂塵は遠く北アメリカ大陸まで届く。ハルマッタンはサハラ砂漠から南のギニア湾岸地方に向けて、11月から3月中旬の冬の間(乾季)に吹く。サハラ砂漠中央部・チャドのボデレ低地から莫大な量の砂塵を巻き上げ、モーリタニアからカメルーンあたりにかけての西アフリカ一帯の諸国に砂塵を降らせる。


<歴史>
旧石器・新石器時代の遺跡が見つかっており、その頃から人類が居住していたこと分かっている。 セネガル川の中・下流域では、9世紀以降、北アフリカとの交易で栄え、ガーナ王国とテクルール王国、ジョロフ王国が成立した。

■1815年
ウィーン会議でフランスの植民地とされ、ダカールなどの都市、ダカール港、サンルイ - ダカール間鉄道などの建設を進めた。1848年、奴隷貿易が廃止された。

■1895年
フランス領西アフリカに編入されダカールがその中心地となった。1904年フランスが全土を支配下に。1926年、サン・テグジュペリがダカール - トゥールーズ間の飛行士に。

■1960年4月4日
マリ連邦としてフランスから独立し、8月20日にはマリ連邦から分離しセネガル共和国として単独国家となった。

■1981年1月1日
アブドゥ・ディウフ首相が第2代大統領に。1982年2月、ガンビアとセネガンビア国家連合を発足させたが、フランス領であったセネガルとイギリス領であったガンビアの体制の違い、主権問題、経済格差などの問題で対立し1989年9月に国家連合を解消した。

■2000年3月19日
大統領選決選投票でセネガル民主党 (PDS) のアブドゥライ・ワッド党首が当選(4月1日就任)。4月5日ワッド大統領はディウフ政権で外相などを務めたムスタファ・ニアスを首相に任命(連立政権)。

■2001年1月7日
新憲法案が国民投票で承認され、大統領任期を7年から5年に短縮、議会を一院制とし議席数も140から120に削減、さらに女性の土地所有権も認められた。

■2002年5月
地方議会選挙でも、与党連合 (CAP21) が安定した勝利を収めた。これにより、大統領選挙、国民議会選挙に続き、ワッド大統領はセネガル国民からの支持を三度にわたって獲得し、1960年以来40年間続いた社会党政権からの政権交代を完了させ、国内政治を運営する上で安定した政権基盤を築いた。

■1996年
中華民国(台湾)と国交を回復するも、2005年に再び中華人民共和国と国交を樹立したため台湾とは断交した。

■2007年2月25日
大統領選挙でPDSのワッドが再び選ばれた。

ウィーン会議
Congress of Vienna)は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。ヨーロッパ諸国の代表が集い、議長はオーストリアの外相メッテルニヒが務めた。


<世界遺産>

ゴレ島
ゴレ島(ゴレとう、Île de Gorée)は、セネガルの首都ダカール沖合いの島。過去には奴隷貿易の拠点として栄え、世界遺産に登録されている。島全体がダカール市の19の行政区の一つ、ゴレ区となっている。セネガル共和国の首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ。島は東西300m、南北900mと小さい。セネガルの最古のイスラム教のモスクも残っている。1815年に統治国だったフランスが廃止するまで、奴隷貿易の拠点として栄えた。かつての奴隷収容所が島内に残っている。

サン=ルイ島
サン=ルイ島 (île Saint-Louis) は、シテ島と並んで「パリ発祥の地」と呼ばれ、パリの中心部に位置するセーヌ川の中州。パリの4区に属し、ノートルダム・ド・パリの後ろにある。 古くから大貴族や著名人が邸宅を構える最高級住宅地として知られ、世界的大富豪ロスチャイルド家も邸宅を所有していた。(現在はカタールの王族に売却) 日本人では女優の岸恵子が住む。

セネガンビアの環状列石
セネガンビアの環状列石は、セネガル、ガンビア両国に跨るセネガンビア地域で見られる環状列石群である。39,000km2に分布しており、遺跡の総数は、1,965箇所で、16,790基の石碑及び石柱が発見されている。立ち並ぶ巨石は8世紀頃に、より早い時期の墓の上に墓標として立てられたものであり、12世紀頃まで続けられた。10個から24個の石でそれぞれの環が形成され、高さは1メートルから2.5メートル、重いものでは10トンにもなる。これらの石は、一般的にはラテライトである。1,000以上の環状列石群があるが、最大のものは1,000以上の石で52の環が作られているジャルンベレ (Djalloumbéré) のもので、ワッス (Wassu) 周辺にある。ワッスには、環状列石に関する博物館がある。

ニオコロ・コバ国立公園
ニョコロ=コバ国立公園は、ギニア共和国との国境に近いセネガル南東部の国立公園。西アフリカの国立公園としては最大の面積を誇り、タンバクンダ地方のダカールの東650キロのところにある。スーダンサバンナからギニア森林までの幅広い動物層、植物層を保護している。動物相の豊富さは良く知られている。80種の哺乳類 - ゾウ、ライオン、ヒョウ、リカオン、チンパンジー、ヒヒ、カバ、ジャイアントイランド、アフリカスイギュウ、コーブ、ダイカー亜科など爬虫類 - ナイルオオトカゲ、ナイルワニ、カメなど330種の鳥類 - ノガン、カンムリヅル、Aceros、ゴマバラワシ、シロガオリュウキュウガモなど。セネガル最後のゾウの生息地は公園内のアシリク山である。しかし、密猟や1980年代の大旱魃の影響でその数が漸減していった。現在は保護下におかれ、絶滅は免れている。

ジュッジ国立鳥類保護区
ジュッジ鳥類国立公園(ジュッジちょうるいこくりつこうえん、Parc national des oiseaux du Djoudj、PNOD)は、セネガルにある世界第三位の鳥類保護区となっている国立公園。サン=ルイの北約60kmに位置する。1981年にユネスコの世界遺産に登録された結果、日本ではその英語登録名に基づく「ジュッジ国立鳥類保護区」という呼称の方が良く知られている。この地に飛来する350種を越える渡り鳥の数は、300万羽以上と推測されている。この中にはフラミンゴ、ペリカン、ガンビアガン、サギなどが含まれる。また、ハシビロガモ、オナガガモ、コガモなどカモの数が多い。さらに、ウ、カワセミ、ミサゴなども観察できる。鳥以外の生物としては、オオトカゲ、ニシキヘビ、あるいは小型のクロコダイルなどが茂みに生息している。また、哺乳類では、ウシ、パタスモンキー、イボイノシシ、ハイエナ、サーバル、ドルカスガゼルなどが生息している。


セネガル料理
元来この地に居住していたウォロフ族の食文化が、11世紀に定着したイスラム教の影響を受け、大航海時代以降はヨーロッパ諸国も加わった。特に1960年までこの地を植民地としていたフランスの影響は大きく、魚をファルシにする調理法などに名残を見ることができる。これら各地の食文化を受け継いだセネガル料理は、アフリカでも特に洗練されていると言われ、世界各国にセネガル料理専門店がある。
乾燥地帯ではモロコシやトウジンビエ、フォニオを原料としたはったい粉やクスクス、ウガリのような湯練り粉が主食とされ、新鮮な牛乳や肉の煮込み汁を添えて食べる。大西洋で水揚げされるマグロ、メカジキ、シマアジ、マトウダイなどの魚、海岸のマングローブ地帯に住むロブスターがセネガルの料理の素材である。特にニシン科の魚「ヤーボイ」は煮込み料理や炊き込み飯の材料にされるほか、ケチャという食品に加工され、魚醤のように料理の味付けに使用される。家畜の肉としては鶏肉、羊肉、牛肉、山羊肉。ただ、国民の大部分がイスラム教徒ゆえ豚肉は使用されない。


ウォロフ族
ウォロフ族はセネガル、ガンビア、モーリタニアに居住する西スーダン系の民族。ウォロフ族は元来定住農耕民族である。セネガルでは、総全人口の約40%の多数を占め、また、北部サンルイ、中部カオラック、西部ダカールにおいても多数派である。しかし、カザマンス地方ではジョラ族が支配的でウォロフ族は少ない。 主としてヒエ、アワ、落花生などの栽培に従事している。なお、ウォロフ語はセネガルの共通語として広がっている。

ジョラ族
Diolaは、セネガル、ガンビア、ギニアビサウで生活する民族。 セネガルのカザマンス地方が中心地。ジョラ族は、ガンビア川やカザマンス川流域で稲作を行うことで知られている。

フラニ族
北西はモーリタニアから東はカメルーンまで西アフリカの多くの国に分布する民族。居住地域は主にサヘル地帯に広がっている。現在でも牧畜を営む人が多い。バントゥーともベルベル人やアラブ人とも異なる。独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承している。また、セネガル川中流域には、彼らと近い民族であるトゥクロール族がいる。

トゥクロール族
セネガル川中流を起源とし、セネガルでは人口の約10%を占め、ダカールからマタム、バケルにかけての地方に分布し、農業、牧畜、漁業を兼業している。 さらに、現代セネガルでは商人の民族として知られ、国内で活発に商店を営んでいる一方、ヨーロッパなどに出稼ぎの親類を持ち、流通ネットワークを確立している。

セレール族
セネガル共和国で2番目に多い民族であり、ガンビア、モーリタニアにも居住する。スーダン系で、主として中西部シン・サルーム地方で農業や漁業に従事している。セレール族にはシン王国やサルーム王国といった王国があった。彼らはセレール語の方言から数グループに分けられる。セレール族は他の民族と比較して外国からの宗教に抵抗した民族であり、イスラム化が最も遅かった民族である。それゆえ、現在、多くがカトリックを信仰している。

ソニンケ族
oninkes,Sarakolesは、マリ共和国、セネガル共和国内陸部の民族。ソニンケ族はガーナ王国に起源を持つ。 セネガル川流域の内陸部に定住地をもち、かつてはサハラ交易で活躍した。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ人との交易を行った。 20世紀後半からは、多くのソニンケ男性がフランスなどで出稼ぎ労働者となった。近年、一部はアジアへ進出している。

マンディンカ族
マンディンカ若しくはマンディンゴ(人)は、西アフリカのマンデ族 (Mande) に属し、生物学的、文化的にサハラをまたいで中東から西アフリカにかけて行われた貿易を支配したマリ帝国 の子孫である。13世紀初めにはスンジャータ・ケイタ (Sundiata Keita) の支配下にあった。同世紀に彼らは現マリ共和国を離れ大帝国を切り開いた。


マリ帝国
1230年年代 - 1645年は、現在のマリ共和国周辺の領域で栄えたマンディンカ族の国家。歴代の王は早くからイスラム教を受け入れていたとされる。首都はニジェール川最上流部のニアニという説がある。ユネスコ人類の口承及び無形遺産の傑作 になっているマンデン憲章 (Charte du Manden) が憲法として定められていた。

ジョロフ王国
かつてセネガルに存在していた王国。現在もこの地域に居住するウォロフ族の王国。首都はダカールから北東152kmのリンゲールに置かれた。ジョロフ王国の成立については、マリ王国と直接貿易を行ったことぐらいしか分かっていない。


■宗教
イスラム教が多数。アニミズムなど伝統宗教6%。キリスト教2%。18世紀から19世紀にかけてイスラーム化が進み、19世紀にはアマドゥ・バンバによってセネガル独自のスンナ派イスラームの宗派である、ムーリディアが生まれた。現在のセネガルでは、19世紀に現在のマリ共和国でトゥクロール帝国を建国したエル・ハジ・ウマール(英語版)の宗派だったスンナ派のティジャニア教団と、このムーリディアがセネガルのムスリムの内約9割を占める宗派となっており、特にムーリディアは文化、社会、経済において今日も大きな影響力を持っている。

アニミズム
animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。


ウォロフ語
セネガル、ガンビア、モーリタニアにかけて住むウォロフ族の言語である。話者が最も多いのはセネガルで人口の40%のウォロフ族以外にも話者がいる。都市部では「ダカール・ウォロフ語」(ダカールはセネガルの首都)という、文法が簡略化され、フランス語、英語、アラビア語の混ざった言葉が話されている。フランス語の書籍では「Ouolof」と表記されるが、英語では英語風の綴りの「Wollof」を用いる。


セネガルの言語
セネガルは多言語国家である。エスノローグのデータベースでは36の言語がリストアップされている。セネガルはかつてフランスの統治下にあり、独立後も公用語はフランス語のみである。フランス語は、主に行政、教育に用いられているが、一般的にセネガルではフランス語を理解する人口は多くはない。公用語とは別に、国語として位置づけられている言語は、ウォロフ語、フラニ語、セレール=シン語、ジョラ=フォニ語、マンディンカ語、ソニンケ語、バランタ=ガンジャ語、ハッサニア語、マンジャク語、マンカニャ語、ノーン語である。


カザマンス
Casamanceは、西アフリカのセネガル共和国南西部にあり、ガンビアとギニアビサウの間に位置する。セネガルの行政区分でジガンショール州(ジガンショール県、ウスイ県、ビニョナ県)、コルダ州(コルダ県、セディウ県、ヴェリンガラ県)の2州4県にまたがる地域。カザマンスの老人がよく語る伝説的な人物としては、ジナバ・バッジ (Djinabo Badgi) やアリン・シトゥ・ジャタ (Alyn Sytoe JataもしくはAline Sitow Diatta) がいる。また、カザマンスに到達した最初の欧米人は、ジョラ族の建築技術の高さに驚いた。彼らはアフリカで唯一、防水で2階建てのカーズを作る技術を持っていたからだ。


■民族
ウォロフ人43%、セレール人15%、プル人14%、トゥクロール人10%、ジョラ人4%、マンディンカ人3%、ソニンケ人1%、ヨーロッパ人及びレバノン人1%、その他。


ムスタファ・ニアス
Moustapha Niasse、1939年11月4日 - は、セネガル共和国の政治家であり外交官。1978年から1984年までと1993年から1998年まで外務大臣を務めた。2002年、国連事務総長コフィー・アナンは、ニアスをコンゴ民主共和国に彼の特使として派遣した。

マッキー・サル
Cherif Macky Sall, 1961年12月11日 - は、セネガル共和国の政治家で元首相。ファティック市長、セネガル民主党(PDS)党員。内務大臣(2003年8月-2004年4月)であった彼は、前任のイドリサ・セック首相解任後、2004年4月21日、アブドゥライ・ワッド大統領から首相指名を受けた。2007年6月19日に解任された。2012年の大統領選挙には現職であるアブドゥライ・ワッド大統領の対抗馬として立候補している。

マーム・マジョル・ボイ
Mame Madior Boye、1940年 - は、セネガル共和国の政治家で元首相。彼女はムスタファ・ニアス首相が解任された際、アブドゥライ・ワッド大統領から首相に任命された。ボイはワッド大統領と同じ与党セネガル民主党(PDS)に所属しており、ニアス時代とは違いボイ内閣の閣僚はPDSが支配的だった。在任中の2002年9月26日、ジョラ号沈没事件が起きる。2002年11月4日、内閣総辞職。その後、2004年9月、ボイはアフリカ連合の特別代表に任命された。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
Antoine Marie Jean-Baptiste Roger comte de Saint-Exupery、1900年6月29日 - 1944年7月31日は、フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。リヨン生まれ。イエズス会のノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、スイスのフリブールにある聖ヨハネ学院では文学にいそしむ。1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かった。後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。

アーマドゥ・バンバ
(Ahmadou Bamba)、1853年 - 1927年) はセネガルのムスリム スーフィーの宗教的リーダーであり、ムーリッド教団en:Mouride (ムーリディアMuridiyya)の創設者でもある。シャイフ・アフマド・バンバは神秘主義や宗教的リーダーであり、莫大な量の詩や、瞑想や儀式やつとめの手引きや、コーラン研究を残した。政治的には、アーマドゥ・バンバはフランスの植民地主義に対して平和的な闘争を先導した、他のいくつかの有力なティジャーニーヤTijaniのマラブート(聖者)たちのようには公然とフランスに戦争を挑まなかった。

パパ・ワイゴ
(Papa Waigo N'Diaye,1984年1月20日 - )はセネガル・サンルイ出身のセネガル代表、ACFフィオレンティーナ所属、USグロッセトへレンタル移籍中のサッカー選手。ポジションはフォワード。10代の頃にイタリアに渡り、以後同国のセリエBを中心に活躍。2008年1月に、冬の移籍市場でアントニー・ヴァンデン・ボーレと入れ替わるかたちでACFフィオレンティーナに加入。

ユッスー・ンドゥール
Youssou N'Dour, 1959年10月1日 - は、セネガルの歌手。セネガルポピュラー音楽の大御所。祖国セネガルの伝統音楽に、さまざまな民族音楽や欧米のポップ・ミュージックのエッセンスを取り入れ、独自の音楽世界を展開している。2004年、米国のローリング・ストーン誌は、「アフリカにおいて生存する最も著名な音楽家であろう」と賞した。セネガルの伝統的音楽家家系グリオ(語り部)の血を引く彼は、祖国の楽器ジャンベを用いた伝統音楽から、カリブ音楽やその他様々なジャンルの音楽を融合したンバラという音楽ジャンルを確立し、これまで20年以上に渡り、自身のバンド、シュペール・エトワール・ドゥ・ダカール (Super Etoile de Dakar) と共に活動を続けている。

ハビブ・ベイェ
(Habib Beye 1977年10月19日 - )は、フランス・オー=ド=セーヌ県・シュレンヌ出身のセネガル代表サッカー選手。ポジションはDF(CB、RSB)。

アンリ・カマラ
(Henri Camara, 1977年5月10日 - )はセネガル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。セネガル代表のエースストライカー。身体能力の高いアフリカ人の中でも1、2を争うスピードが魅力で、長くずれたロングパスにも簡単に追いつく事が出来る。どんなに困難な場面でも自分一人でシュートに持ち込もうする事が欠点でもあり長所でもある。

イシアル・ディア
Issiar Dia, 1987年6月8日 - はフランス・オー=ド=セーヌ県・セーヴル出身のサッカー選手。セネガル代表である。ポジションはミッドフィールダー。アンリ等を輩出したクレールフォンテーヌ国立研究所で英才教育を受ける。スピードのあるドリブラーであるが、周りを使う事に改善の余地を残す。

パプ・ムッサ・ディアカテ
(Pape Moussa Diakhate, 1989年4月22日 - )は、セネガル・ピキン出身のサッカー選手。KASオイペン所属。ポジションはミッドフィールダー。無名の若手選手を見抜く才に優れたフィオレンティーナの敏腕スポーツディレクターであるパンタレオ・コルヴィーノは「多くの才能を持った選手がフィオレンティーナの下部組織に存在するが、その中でもディアカテは飛びぬけたポテンシャルを秘めている」と太鼓判を捺す。

エル=ハッジ・ディウフ
(El-Hadji Ousseynou Diouf、1981年1月15日 - )は、セネガル・ダカール出身の同国代表のサッカー選手。「セネガルのクライフ」の異名を取る、味方を活かすプレイに長けたフォワード。ずば抜けた突破力を持ち、チャンスを演出するが、好不調の波も激しい。2001年、2002年のアフリカ年間最優秀選手賞に輝き、2004年にはペレ選出のFIFA 100にも名を連ねた。

エイコン
Aliaune Badara Akon Thiamは、セネガル出身でアメリカ合衆国のR&Bシンガーソングライター、音楽プロデューサー、実業家、慈善家である。彼はデビュー・アルバム『トラブル』からの最初のシングル『ロックト・アップ』が大ヒットになった。2枚目のアルバム『コンヴィクテッド』はグラミー賞候補になるシングル『スマック・ザット』を生み出す。彼は自ら創設した2つのレーベル、コンヴィクト・ミュージックとコンライブ・ディストリビューションを持つ。彼は21世紀で最も成功した多才なR&B歌手の1人として知られる。

チョーン・セック
Thione Seck, 1955年3月12日 - は、セネガルの歌手。ユッスー・ンドゥールと並び、セネガルを代表する歌手の1人として活動している。セネガルには「オルケストル・バオバブ」(オーケストラ・バオバブ)という有名な音楽グループがあり、セックは1970年代後半にオルケストル・バオバブのリード歌手を務めていた。その後、自身のグループ「ラーム・ダーン」を結成し、今日に至っている。

イドリサ・セック
(Idrissa Seck、1959年8月9日 - )は、セネガル共和国の政治家。2002年11月4日から首相を務めたが、2004年8月21日、アブドゥライ・ワッド大統領に解任された。セックはパリおよびプリンストン大学で学んだ。セックはワッド大統領と近く、2000年の大統領選挙の際にワッド陣営の選挙運動責任者を務め、セネガル民主党(PDS)ナンバー2で、有力な後継者と目されていた。故郷ティエス市の市長。

エメ・セゼール
(Aimé Fernand David Césaire, 1913年6月26日 - 2008年4月17日) はフランス/マルチニークの詩人、評論家、劇作家、そして政治家である。代表作は『帰郷ノート』、『植民地主義論』である。ネグリチュード(黒人性)運動を牽引し、植民地主義を批判した。1931年、成績優秀であったため奨学金留学生としてフランス本土へ渡航、パリのリセ・ルイ=ル=グランへ入学。1934年にレオポルド・サンゴールらと共に学生新聞『黒人学生』を創刊する。ここでネグリチュードという言葉を初めて使っている。

セネガル Senegal
西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制国家。北東にモーリタニア、東にマリ、南東にギニア、南にギニアビサウと国境を接し、ガンビアを三方から囲んでいる。西は大西洋に面する。首都はダカール。フランスと関係が深く、フランコフォニーに加盟している。首都ダカールはパリ・ダカール・ラリーの終着点として知られている。

ダカール
Dakarはセネガルの首都でありダカール州の州都。アフリカ大陸の西端に位置し大西洋横断貿易において重要な位置を占め、この地域の主要港湾であり、コートジボワールのアビジャンと並んでフランス語圏西アフリカの商業の中心都市である。ダカールの中心地はプラトー地区であり、政治及び商業の中心として機能している。人口2,098,648人(2004年)。16世紀から19世紀にかけて、ダカールは大西洋を横断する奴隷貿易の中心地であった。ダカールから船出して西半球(南アメリカ、アメリカ大陸の各植民地、カリブ海沿岸地域を含む)へ運ばれた奴隷の数は、アフリカの他のどの単一の港から運ばれた奴隷の数よりも大きい。ダカールから運ばれる奴隷は、ゴレ島のエストレー要塞に集められ、船に運び込まれた。エストレー要塞は20世紀になってセネガル政府により修復され、現在は博物館になっている。


レオポール・セダール・サンゴール国際空港
セネガル共和国ダカール・ヨフ地区にある国際航空施設。セネガルで最も重要な空港であり、ボーイング747も就航可能。エール・アフリックの5大ハブ空港の一つだった。なお、この空港は著名な詩人であり1960年から1980年までセネガル共和国初代大統領を務めたレオポール・セダール・サンゴールにちなんで命名された。


ダカール・ラリー
通称パリ・ダカとはラリーレイド競技による大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。1979年から始まり毎年行われていて、例年1月1日(近年は前年の12月末)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースに、2012年からはアルゼンチン沿岸のマル・デル・プラタからペルーの首都リマまでのルートになった。

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外務省:セネガル共和国
在セネガル日本国大使館


シェイク・アンタ・ジョップ大学
シェイク・アンタ・ジョップ大学 (Université de Dakar) は、セネガル共和国の首都、ダカール市にある国立総合大学。シェイク・アンタ・ジョップ大学の前身は仏領西アフリカ医学校(École de Médecine de l'AOF)。

ガストン・ベルジェ大学
ガストン・ベルジェ大学は、セネガル共和国サンルイ市にある国立大学。1990年設立。ダカールのシェイク・アンタ・ジョップ大学に次ぐ、セネガルで二番目の国立大学である。大学名は、サンルイ生まれの哲学者、ガストン・ベルジェの名に由来する。

ジガンショール大学
(Université de Ziguinchor)は、セネガルのジガンショール市にある国立大学。2007年創設。ダカールのシェイク・アンタ・ジョップ大学、サンルイのガストン・ベルジェ大学に続く、同国で3番目の国立大学である。


ダカール・ニジェール鉄道
Chemin de fer du Dakar-Nigerは、西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線。全長1287km。西アフリカの植民地支配を行っていたフランスによって敷設された。内陸のマリにまで鉄道を敷設し、ニジェール川を用いた物流ルートと結びつける狙いがあった。1905年、クリコロからアンビデディまでの区間が開通。


フランコフォニー
1880年にフランスの地理学者であるオネジム・ルクリュが用い始めた、フランス語の話者(francophone、フランコフォン)の人々で構成される言語共同体を指す概念。日本など、必ずしもフランス語圏に含まれない国・地域をも含む。フランス語圏と同義 - (上の意味から転じて)フランス共和国を含め、フランス語が何らかの形で用いられている国・地域の総称。


ンブール
Mbourはセネガルのプティット・コートに面した都市。ダカールの南方約80kmに位置する。ンブール県の県庁所在地。 人口は153,503人 (2002年センサス)。ンブールはチタンの採掘により発展、主要産業は採鉱、漁業、落花生加工などである。ンブール港は、ダカールに次ぐセネガル第二の貿易港である。

ジガンショール
Universite de Ziguinchorは、セネガルのジガンショール市にある国立大学。2007年創設。ダカールのシェイク・アンタ・ジョップ大学、サンルイのガストン・ベルジェ大学に続く、同国で3番目の国立大学である。

ヴェリンガラ
Velingaraは、セネガル、カザマンス地方の都市。コルダから東へ123km、ジガンショールから311kmに位置している。 ガンビアのバセ・サンタ・スと結ばれる交通の要所でもある。首都ダカールからは南東へ570km離れた地点に位置する。ヴェリンガラの南12kmの地点には、隕石の衝突によるものと推測される、直径48kmにわたるクレーターを観測することができる。これは1999年、NASAによる衛星写真によって発見された。

トゥーバ
(Touba)はセネガル中部・ジュルベル州東北部の都市。ムーリッド教団(英語版)の聖地であり、創始者のアーマドゥ・バンバが埋葬されている地である。1963年に建設された、西アフリカ最大級のモスクがある。『トゥーバ』の語源は、アラビア語で「幸福」という意味である。

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ファティック
(Fatick)はセネガル共和国の人口約2万5000人の町。ファティック州の州都でファティック県の県都。シン川に臨む。セネガル共和国第8代首相であるマッキー・サル (Cherif Macky Sall)の出身地で、市長を兼任した。ファティックには、伝統医療の研究施設がある。

フンジュン
(Foundiougne)はセネガル共和国ファティック州フンジュン県の町。フンジュン県の県庁所在地。ファティックから南に約22kmのダッホンガからフェリーで10分。サルーム川南岸に位置する。カオラックからは陸路で行ける。

ロッソ
(Rosso)はセネガル共和国北部の都市。サンルイ州ダガナ県に位置する。モーリタニアとの国境に位置し、セネガル川をはさんだ対岸のモーリタニア領内にも同名の都市がある。レオポール・セダール・サンゴール国際空港に次いで、セネガルへの入国者数が2番目に多い場所である。

サン=ルイ
(Saint-Louis)は、セネガル共和国北西部に位置する市。サンルイ州の州都であり、セネガル川の河口に位置する。ウォロフ語では『ンダール』(Ndar)とよばれている。1659年フランスによって建設され、1854年にフランス領セネガルの首都となったが、1904年にダカールに遷都された。 1885年、ダカールと鉄道で結ばれ、今も稼働中である。

タンバクンダ
(Tambacounda) は、セネガル東部の都市。人口78,800人(2007年)。首都ダカールから400km南東に位置する。タンバクンダ州の州都。ダカール・ニジェール鉄道が通過する。綿花や落花生の集散地である。

ケドゥグ
(Kedougou)はセネガルの南東部に位置する都市。ギニア共和国およびマリ共和国との国境に近い。 ジャハンケ人によって創設された。国道7号線やガンビア川が通っている。近辺には、ニオコロコバ国立公園やディンデフェロの滝などがある。主要産業は農業、採金などである。フルベ語が主に話されている。

ティエス
(Thies) は、セネガル共和国ティエス州ティエス県の町。
首都ダカールから東に約70Kmに位置する。また、ダカール‐バマコ(マリ共和国)間の鉄道が停車する。ティエスは、1966年に繊維工場ができて以来、セネガルのトップ・アーティストがデザインする繊維産業でよく知られている。またティエスは、羊などの交易地としても知られている。

ジョアル
(Joal-Fadiouth)は、セネガル共和国ティエス州ンブール県の町。ダカールから南東114kmに位置する。セレール族が多く、総人口は約35,000人。うちジョアルには27,000人、ファディユには8,000人が居住する。

カオラック
Kawlax )は、セネガル共和国カオラック州カオラック県の町。サルーム川北岸に位置し、国道1号線が通じている。カオラックは、地域の重要な交易都市で、セネガルの主要産業である落花生の流通及び加工の中心地である。塩分濃度の高いサルーム川を利用した製塩業も盛んである。

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サンルイ州
(Region de Saint-Louis) は、セネガル北部の州である。
セネガル川を挟んで対岸はモーリタニア。州内にはギエール湖(Lac de Guiers)があり、西部には僅かながら大西洋と面している。面積19,044km2、人口571,885人(2004年)。

ファティック州
(Region de Fatick)は、セネガル共和国の州。セネガルの西部に位置し、南部はガンビアに接する。西は大西洋に面している。北部にシン川、中部にサルーム川が流れる。州都はファティック市(人口23,952人)。ファティック州の面積は7,935m2、人口643,505人。

カオラック州
(Region de Kaolack)は、セネガル共和国の州。セネガル中部に位置する。東はタンバクンダ州、北はジュルベル州、西はファティック州、南はガンビアに接する。

コルダ州
(Region de Kolda)は、セネガル共和国の州。セネガル南部のカザマンス地方に属し、上カザマンスとも言う。ガンビアとギニアビサウの間に挟まれている。


セネガル民主党
Parti Democratique Senegalais、PDSは、1974年に創設されたセネガル共和国の政党。セネガル民主党はリベラル政党を自認しており、自由主義インターナショナルのメンバーである。セネガル共和国大統領アブドゥライ・ワッドと首相マッキー・サルは同党の出身。少数政党と連立政権を組んでいる。2001年4月29日の立法議会選挙で同党は政党連合「変革」(Coalition Sopi)の中核となり、投票数の49.6%、120議席中89議席を得た。

進歩勢力同盟
AFP、Alliance des forces de progresは、セネガル共和国の政党。 1999年6月16日、ムスタファ・ニアス(Moustapha Niasse)の呼びかけにより結党。2001年4月29日の立法議会選挙で、投票数の16.1%、120議席中11議席を得た。
幹事長はムスタファ・ニアス元首相(首相在任期間:2000年4月5日 - 2001年3月3日)。

セネガル社会党
Parti Socialiste du Senegal, PSSは、セネガル共和国の政党である。PSSは1960年の独立から2000年までセネガルの政権与党だった。2000年の大統領選でPSS候補に現職のアブドゥ・ディウフが立ったものの、セネガル民主党のアブドゥライ・ワッドに敗れ、セネガル史上初めて政権を失った。SPPの著名人には前述の第2代大統領ディウフ(在職1981-2000年)のほか、詩人で初代大統領であるレオポルド・セダール・サンゴール(在職1960-1980年)がいた。

進歩勢力同盟
(AFP、Alliance des forces de progrès) は、セネガル共和国の政党。 1999年6月16日、ムスタファ・ニアス(Moustapha Niasse)の呼びかけにより結党。2001年4月29日の立法議会選挙で、投票数の16.1%、120議席中11議席を得た。


西アフリカ諸国中央銀行
BCEAO、Banque centrale des États de l'Afrique de l'Ouestは、西アフリカ経済通貨連合 (UEMOA、Union économique et monétaire ouest-africaine) 8カ国による国際的な中央銀行。CFAフランを発行する。1962年設立。本部はセネガル共和国の首都ダカールにある。

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■国名
公式の英語表記はRepublic of Senegal。


1.面積:197,161平方キロメートル(日本の約半分)
2.人口:1,240万人(2010年、世銀)
3.首都:ダカール
4.民族グループ:ウォロフ44%、プル23%、セレール15%他
5.言語:フランス語(公用語)、ウォロフ語など各民族語
6.宗教:イスラム教95%、キリスト教5%、伝統的宗教

9世紀 テクルール王国
13-16世紀 ジョロフ王国
15世紀 ポルトガル人来航
1783年 フランスへの帰属
1960年4月 セネガル共和国としてフランスより独立
1981年1月 ディウフ首相、大統領に就任
2000年3月 ワッド大統領選出
2002年9月 フェリー船「ジョーラ号」沈没事故
2007年2月 ワッド大統領再選

■主要産業:農業(落花生、粟、綿花)、漁業(まぐろ、かつお、えび、たこ)

■主要貿易品目(2005年)(1)輸出 魚介類、精油、リン酸製品、落花生製品(2)輸入 食料品、石油製品、投資財


CFAフラン
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。


■経済
農業の生産品目はピーナッツ、トウジンビエ、綿花、米などであるが、特にピーナッツの栽培は、フランスが植民地時代に持ち込んで栽培を奨励したこともあり、1960年代に独立する頃には労働人口の87%が従事する規模となっていた。漁業は、マグロ、タコ、イカ、かつお、えびが中心であり、これらのほとんどは輸出される。


■教育
学制は小学校6年、中学校4年、高校3年、大学4年の6-4-3-4制。義務教育は小学校の6年間と中学校の4年間である。教育言語は小学校からフランス語であり、旧宗主国であるフランスの教育制度を基本的に踏襲している。2002年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は39.3%(男性:51.1% 女性:29.2%)である。国立の高等教育機関としては、シェイク・アンタ・ジョップ大学(1957年)、ガストン・ベルジェ大学(1990年)、ジガンショール大学(2007年)が存在する。フランスとの結びつきが強く、留学生の7割はフランスへ向かう。


セネガンビア
セネガンビア国家連合(Senegambia Confederation)は、西アフリカにかつて存在した国家連合である。1981年7月30日、ガンビアで発生したクーデターに、セネガルが軍を派遣して鎮圧。その後、セネガルとガンビアの間で連合に合意し、翌1982年2月1日にセネガンビア国家連合が発足した。議会、軍事、経済に関して統合を行ったが、主権についてはそれぞれの国で維持したままであった。


■文学
1930年代に詩人のレオポルド・セダール・サンゴールは、フランス語圏アフリカの詩人として、マルチニーク出身のエメ・セゼールと共にネグリチュード運動を牽引した。サンゴールは後にセネガル共和国初代大統領となり、国歌の作詞も行っている。しかし、ネグリチュード運動は西欧化したエリートの占有物であり、庶民にまでは根付かず、後にマルチニークではネグリチュードの限界を超えるべくクレオール運動が生まれた。

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ネグリチュード
ネグリチュード(フランス語: Negritude、黒人性)は、黒人の自覚を促す標語、あるいは精神的風土や文化の特質をさす語。おもにフランス領アンティルとフランス語圏アフリカで発祥した文学運動の名称でもある。1930年代前半にマルティニークのエメ・セゼール、セネガルのレオポール・セダール・サンゴールらが初めて用い、被抑圧民族である黒人固有の文化を高揚する運動を展開し、アフリカ、北アメリカ、西インド諸島地域の黒人知識人に大きな影響を与えた。


■映画
セネガル出身の著名な映像作家として、フランス語による小説から映像作家に転向し、メッセージ性の強い映画を多く残したセンベーヌ・ウスマンや、庶民の日常を軽快に描いたジブリル・マンベティ・ジョップなどの名が挙げられる。


■音楽
セネガルには、マンデ系の民に伝わる伝統的音楽家家系グリオがジャンベ、サバール、コラ、タマなどを操る伝統音楽、グリオの歌唱や伝統音楽と現代のポピュラー音楽と融合したユッスー・ンドゥール、その妹ヴィヴィアンヌ・ンドゥール、オマル・ペン、アメリカ合衆国のラップをセネガル風に解釈し、ウォロフ・ラップを生み出したポジティブ・ブラック・ソウルなどが活躍するポピュラー音楽などが盛んである。


グリオ
(griot)は、西アフリカの伝統伝達者。世襲制。グリオは単に楽器の演奏をするだけではなく、歴史上の英雄譚、遠方の情報、各家の系譜、生活教訓などをメロディーに乗せて人々に伝えることを本来の目的としている。文字のなかった時代には彼らの役割は大きく、その知識量の豊富さから王の側近などに取り立てられるグリオもいた。

ジャンベ
西アフリカ一帯(ギニア、セネガル、マリ、コートジボワール、ブルキナファソ)で伝統的に演奏されている深胴の片面太鼓である。これら諸国はかつて西アフリカに栄えたマリ帝国の領土であり、そのマンディンゴと呼ばれる文化圏で主に日常生活や祭儀で演奏されてきた。木をくりぬいて作られており、主に山羊の皮が使われる。 胴を横から見ると胴の上部は丸みを帯びており、中央がくびれて、そこからやや太くなりながら鼓面の張られていない端に至る。(ゴブレット型)胴は様々な装飾を施してあることがある。

サバール
サバール(sabar)は、西アフリカ・セネガルの伝統的な太鼓の一種で、一般的に手と棒で叩かれる。最も有名な演奏家はドゥードゥー・ンジャイ・ローズ(Doudou N'Diaye Rose、1930年7月28日-)。

コラ (楽器)
(kora)は、西アフリカが発祥のリュート型撥弦楽器。セネガル、ガンビア、マリ、ギニア、ブルキナファソなどの国々で300年以上に渡って受け継がれてきた伝統的な民族楽器で、特にセネガルとガンビアに代表される。長いネック、ヒョウタンの共鳴胴、そして21本の弦が特徴。ハープやギターの原型とも言われ、アフリカの民族楽器の中でも最も美しい音色を持つとされる。

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トーキングドラム
talking drumとは、西アフリカで遠距離の通信に用いる打楽器の総称である。2つの高さの音が必要であるため、2個の太鼓や木製の打楽器を用いるか、音の高さの変えられる太鼓を用いる。現在一般にトーキングドラムと言った場合は、後者を指す。


センベーヌ・ウスマン
1923年1月1日 - 2007年6月9日は、セネガルの映画監督、作家。「アフリカ映画の父」とも呼ばれた。セネガルがフランスの植民地だった1923年、ジガンショールに住むウォロフ族の家庭に生まれる。学校でフランス語とアラビア語を学ぶが、1936年には放校処分にあう。19歳にはフランス軍に狙撃兵として召集され、第2次世界大戦を戦った。1948年、25歳のときにフランスへ渡り、マルセイユで働きながらフランス語を独学で身につけ、マルタン・デュガールなどの小説を読む。1956年、自伝的要素の強い小説『黒人沖仲仕』を自費出版で発表し、アフリカ人の港湾労働者の過酷な生活を伝えた。この小説は雑誌「プレザンス・アフリケーヌ」で取り上げられ好評を呼ぶ。しかし、センベーヌ自身の母親をはじめとしてセネガルではフランス語を読めない人々が多かった。このためセンベーヌは、口承文芸の伝統をもつ社会では、書き言葉の文学に限界があると考えるようになる。そこでモスクワのゴーリキー・スタジオで1年間映画技術を学び、小説の執筆とともに映画制作をはじめる。

レオポール・セダール・サンゴール
1906年10月9日 - 2001年12月20日は、セネガル共和国初代大統領(1960年9月6日 - 1980年12月31日)を務めた政治家で詩人。セネガル共和国ティエス州ンブール県ジョアル村で生れた(セレール族、カトリック教徒)。フランス在留中には後の仏大統領ジョルジュ・ポンピドゥと親交を深めている。また、フランス語詩人としても著名であり、彼の詩は広く賞賛されるとともに、彼はアフリカ出身で初めてアカデミー・フランセーズ会員になった(1983年)。彼はセネガル国歌の歌詞も書いている。1930年代から1940年代にはマルティニークのエメ・セゼールと共にネグリチュード運動を牽引した。

ジブリル・ジオップ・マンベティ
Djibril Diop Mambéty, 1945年1月 - 1998年7月23日は、セネガルの映画監督。映画製作を独学で学び、監督第1作『コントラス・シティ』を23歳で発表。ダカールに生きる人々を主題とし、カンヌ国際映画祭やモスクワ国際映画祭をはじめ国際的に高い評価を受ける。また、フェスパコの常連でもあった。兄弟のワシス・ディオップは作曲家。長篇3部作「権力と愚かさについて」、短篇3部作「普通の人々」を構想していたが、死去によって、ともに第2作目までの発表となった。

モラ・シラ
Mola Sylla, 1956年 - は、セネガル・ダカール出身の歌手。オランダ・アムステルダム在住。彼は歌手活動のみならず、アフリカの伝統楽器の演奏を行い、作曲活動も手がけている。1987年にセネガルから、自身のバンド「セネマリ」(Senemali)を率いてヨーロッパに引っ越し、以後オランダを拠点にして活動する。

アブドゥライ・ワッド
Maitre Abdoulaye Wade, 1926年5月29日 - は、セネガル共和国の政治家。現在、同国大統領(第3代:2000年-)、セネガル民主党(PDS)党首。2010年4月4日、セネガル独立50周年の節目に合わせて、長年アイデアとして暖めてきたアフリカ・ルネサンスの像を完成させる。しかし、多額の事業費は最貧国の一つであるセネガルには分不相応であること、また、国有地を売却して事業費を捻出したにもかかわらず、像による収益の35%が大統領自身のものになるといったネガティブな報道が行われた。

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アブドゥ・ディウフ
Abdou Diouf、1935年9月7日 - は、セネガル共和国の政治家。
ディウフはセネガル(当時はフランス領西アフリカの一部であった)のルーガで生まれる(父はセレール族、母はプル族)。彼は小中学校をサンルイで学んだ。ダカールで法学を学んだ後、パリのフランス海外領国立学校(Ecole nationale de la France d'Outre-Mer :ENFOM)に学び1960年修了した。彼はセネガルの声を世界に広めることに尽くした。アブドゥ・ディウフは、2000年3月19日、大統領選の決選投票でアブドゥライ・ワッドに敗れ、それ以降、妻エリザベスとともにフランスに在住している。

ガストン・ベルジェ
Gaston Berger、1893年10月1日 - 1960年11月13日は、フランスの哲学者、実業家、行政官。おもにフッサールに関する研究と、性格学(characterology)に関する業績について知られている。セネガルのサンルイ生まれ。1930年代には肥料工場の経営を行っていた。のちにパリにて、“Centre Universitaire International et des Centres de Prospective ”を開設し、哲学部門の指導にあたった。

シェイク・ロー
Cheikh N'Digel Lo, 1955年 - はセネガルの歌手。生まれはブルキナファソ(旧オートボルタ)のボボ・ディウラッソ 。セネガル人の両親を持つ。精神性の高い、高音の突き抜けるような声とアフリカのすべての音楽を背景にしたパーカッションが融合。漣のような セネガルのムバラククのリズムも特徴。

ンジャセ・ニャン
N'Diassé Niangは、セネガル出身・神奈川県在住のパーカッショニスト。ジェンベやサバール、ソウルバ、ブガラブー(Bougarabou)など、アフリカの伝統楽器を演奏する。セネガルのダンス・カンパニー「タムタム・ダフリック」を経て、セネガル第2国立舞踊団「シノメウ」のソリストを務め、アフリカ諸国をはじめ欧米で数多く公演。ワークショップも主宰。パーカッションのみならず、母国では自己のグループ「ニンキナンカ」「Deeg(ドゥグ)」でシンガー、コラ奏者としても活動。

アマドゥ・マハタール・ムボウ
(Amadou-Mahtar M'Bow、1921年 - )は、セネガル・ダカール出身の教育者。1974年から1987年にかけて、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第6代事務局長を務めた。第二次世界大戦では自由フランス軍に所属して北アフリカ戦線で従軍した。1947年にパリのソルボンヌ大学に入学、1951年に卒業し地理学の学士を取得した。1953年からユネスコの職員となり、1957年には故郷のセネガルに帰った。1958年から1960年にかけてセネガルの独立に尽力した。1966年からユネスコに復帰、1974年にはアフリカ人として初めてユネスコの事務局長となり、2期13年間務めた。

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