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サントメ・プリンシペ民主共和国
Democratic Republic of Sao Tome and Principe
アフリカ

アフリカ

ナショナルジオグラフィック公式日本語サイト

15世紀にポルトガルの船乗りが、アフリカ大陸西のギニア湾沖に浮かぶ2つの火山島を発見した。サントーメ島の方が大きく、人口の90%を抱えている。このアフリカ最小の国は1975年に独立した。1991年に政府はマルクス主義から民主主義に移行し、新しい指導者たちは経済を自由化して、農業への依存度を低くする政策を採った。また、沖合に新しく油田が発見され、近い将来石油の産出が見込まれる。


<歴史>
■1470年
ポルトガル人が上陸、ポルトガルからおもにユダヤ系住民の流刑地として使われる一方、奴隷貿易の中継基地となった。

■1522年
ポルトガルの植民地になった。はじめサトウキビのちにカカオ栽培が盛んに行われ、サトウキビ栽培のため多く奴隷がアフリカ本土から連れてこられた。

■1975年7月12日
正式独立。MLSTP・PSDのマヌエル・ピント・ダ・コスタが初代大統領に就任。MLSTP・PSDの一党独裁のもとで、アンゴラやキューバなど旧社会主義陣営と密接な関係を持っていたが、経済立て直しのため1980年代から親西欧・親米に転換。

■1990年8月
国民投票で複数政党制移行を決め、1991年1月の総選挙で野党が過半数を獲得、その支持を受けたミゲル・トロボアダ元首相が3月の大統領選で当選し、一党独裁が終結。1994年10月の総選挙ではMLSTP・PSDが第1党に返り咲き、1998年11月の総選挙では過半数を獲得。

■2001年7月
大統領選でトロボアダ派の実業家で独立民主行動 (ADI) 党員であるフラディケ・デ・メネゼスが当選。

■2003年7月16日
軍事クーデターでフェルナンド・ペレイラが政府を打倒。マリア・ダス・ネヴェス首相など数閣僚を拘留。これは政府による多くの石油会社との商取引に反応したもので、1週間後にはペレイラ政権は旧政権の首脳らとの交渉を持ち、ペレイラは退陣。メネゼス大統領、ネヴェス首相ら政府首脳は復権した。現在の大統領は初代大統領で2011年9月に再登板したダ・コスタである。


流罪
流罪(るざい)とは刑罰の一つで、罪人を辺境や離島に送る追放刑である。流刑(るけい、りゅうけい)、配流(はいる)とも言う。特に流刑地が離島の場合には島流し(しまながし)とも呼ばれる事もある。現在、先進民主主義国において流罪は絶対的不定期刑に該当するとして罪刑法定主義と言う近代刑法原則の派生原理から禁止されている。


ユダヤ人
Jews)とは、ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(民族集団)。中世以前は前者の捉え方がなされていたが、19世紀の国民国家出現以降は後者の捉え方が広まった。2010年現在の調査では全世界に1340万を超えるユダヤ人が存在する。民族独自の国家としてイスラエルがあるほか、各国に移民が生活している。


■地理
主島としてサントメ島とプリンシペ島からなり、周囲にある小島も含まれる。ガボンから300km〜250km沖合にある。いずれも、火山島で、最高峰はサントメ島のピコ・デ・サントメ山(2,024m)。アフリカ大陸のカメルーン山から赤道ギニアのビオコ島とアンノボン島まで含むカメルーン火山列に属する。サントメ島は長さ50km、幅32kmで、ほぼ赤道直下にあり(北緯0度23分)、年間を通して気温・湿度共に高い。


西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。西アフリカは、黒アフリカ史において最重要地域のひとつであり、アフリカ美術の起源でアフリカ鉄器時代のさきがけのひとつとなったノク文化が、ナイジェリア、ジョス高原において紀元前15世紀頃若しくはそれ以前から繁栄し、8世紀以前からガーナ王国をはじめとしてマリ帝国、ソンガイ帝国など強力な王朝が、ニジェール川流域に16世紀まで次々と興亡を遂げた。


ギニア湾
Gulf of Guineaは西アフリカ中央部にある大湾。ニジェール川、ヴォルタ川、コンゴ川などが注ぎ、湾内に緯度0度、経度0度の交差点がある。1980年代より資源探査が進められ、湾内の大陸棚に世界屈指の埋蔵量を誇る油田、天然ガス田があることが確認された。沿岸国のナイジェリア、湾内のビオコ島を領有する赤道ギニア、サントメ・プリンシペなどにより海底油田の開発が進められている。

サントメ島
Sao Tome Islandとはアフリカのギニア湾沖にあり、プリンシペ島と共に1975年に建国されたサントメ・プリンシペ民主共和国を構成する島である。中心地はサントメ・プリンシペの首都でもあるサントメ。火山島で最高地点がピコ・デ・サントメ山(2,024m)である。サントメ島の土地は非常に肥沃で、ココアやコーヒー、コプラなどの穀物栽培が行われている。

ロラス島
IlhEu das Rolasはサントメ・プリンシペ領の大西洋上の島。ロラス島はギニア湾の赤道上に存在しており、サントメ島のすぐ南に位置している。行政区画上はサントメ州カウエ県に属する。島は小規模なリゾート基地になっている。

プリンシペ島
アフリカ西海岸沖、大西洋上にある島。サントメ・プリンシペ領であり、サントメ島の北北東にある。火山島で、ピコ・デ・プリンシペ山(942m)がプリンシペ島の最高峰。島の沖合いにあるペドロ・ダ・ガレ島、ボンボン島やカロス島、ペドラス・ティンボラス諸島(ティホサ・ベケラ島、ティホサ・グランデ島、イルマン・グランデ島)などの無人島も含んでいる。なお、1919年5月29日には、イギリスの天文学者であるアーサー・エディントンがこの島で皆既日食を観測し、アルベルト・アインシュタインが1915年-1916年に提唱した一般相対性理論が正しい事を実証した。

カブラス島
IlhEu das Cabrasはサントメ・プリンシペ領の大西洋上の島。カブラス島はギニア湾上に存在しており、サントメ市の北側・アグア・グランデ県とロバタ県との境界線の北に位置している。火山島であり、無人島である。サントメ国際空港の北側約3kmにあたる。無人の灯台が設置されている。

ボンボン島
Ilheu Bombomはサントメ・プリンシペ領の大西洋上の島[1]。ボンボン島はギニア湾上に存在しており、プリンシペ島の北部・ボンボン村北海岸の北に位置している。火山島であり、無人島である。プリンシペ州パグエ県に属する。2つの旅行者用リゾート施設が島内に存在する。

カロス島
カロス島はギニア湾上に存在しており、プリンシペ島の南東に位置している。火山島であり、無人島である。プリンシペ州パグエ県に属する。最高地点の標高は305mで海面上に高く突き出している、植生に覆われた岩塊であり、その形状からこの地方では「ジョケリの帽子(ポルトガル語: Bone do Joqueri)」と呼ばれている。

サントメ山
Pico de Sao Tome)は、サントメ・プリンシペの最高峰。標高2024m。サントメ島の西部に位置し、オボ国立公園に指定されている。南東に国内第二のアナ・チャベス山がある。山容は森に覆われ、徒歩でしか登ることができない。サントメ島は全体が、大西洋から3000メートル以上隆起した巨大な楯状火山である。カメルーン南西部から大西洋に向かって延びる、カメルーン火山列の一部をなす。


火山島
洋島のうち、火山島はホットスポット上に多く位置する。ホットスポットとは下部マントル付近から上部マントルに向かって定常的に熱い物質が上昇している場所のことである。例えばハワイ諸島の場合、約7000万年にわたって、同一のホットスポットが多数の島を生成してきた。古い島は侵食を受け、海面下に海山として残っている。アイスランド島もホットスポット上にある。


■民族
全人口の約9割が、サントメ島に住む。ポルトガルから独立した1975年前後に、ポルトガル系住民の多くがこの国から退去する一方で、内戦が勃発したアンゴラからの難民が多数移住してきた。バントゥー系黒人とメスチーソ(ポルトガル系白人の混血、ムラート)、ポルトガル人、アンゴラ人などが存在する。


ポルトガル人
os portugueses)は主にユーラシア大陸の西端、イベリア半島西部のポルトガルやその旧植民地に居住する民族。言語はポルトガル語を使用し、カトリック教徒が多い。全世界で1億人以上の人々がポルトガル人を祖先に持つとされている。16世紀には植民地の拡大に伴い、インド、アメリカ大陸、マカオ、東ティモール、マレーシア、インドネシア、アフリカなど世界中へポルトガル人が入植した。


■言語
公用語はポルトガル語であるが、標準的なポルトガル語を母語とする人は都市部に僅かにいるのみで、多くの国民は、ポルトガル語をベースとしたクレオール語を話す。このクレオール語にも地域差がかなりあり、サントメ島(南端部を除く)のサントメ語、アンゴラ難民が多く居住するサントメ島南端部のアンゴラ語、プリンシペ島のプリンシペ語に分類されている。


クレオール言語
意思疎通ができない異なる言語の商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供によって母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として話されている地域・国もある。ピジン言語では文法の発達が不十分で発音・語彙も個人差が大きく複雑な意思疎通が不可能なのに対し、クレオール言語の段階ではそれらの要素が発達・統一され、複雑な意思疎通が可能になる。


■宗教
2001年のセンサスによれば、キリスト教のカトリックが70.3%、福音派が3.4%、ニュー・アポストリック教会が2%、アドヴェンティストが1.8%、その他が3.1%、無宗教が19.4%を占める。


カトリック教会
ローマ・カトリック教会、ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。

福音派
福音派(ふくいんは、英: Evangelical、エヴァンジェリカル)は、キリスト教のプロテスタントを神学や信仰の姿勢によって比較分類する際に用いられる用語である。福音派(evangelical)のルーツは、ギリシャ語の(evangelion、エヴァンゲリオン)、すなわち福音である。形容詞の場合「福音的」「福音主義的」となり、名詞の場合「福音派」「福音主義者」と訳される。


■教育
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は84.9%(男性:92.2%、女性:77.9%)である。


■経済
カカオ生産およびその輸出に依存する農業国。経済基盤は非常に脆弱で、世界最貧国の1つ。旱魃や資本不足で生産量は落ち込み、経済不振が長期化。食糧や生活物資の大半を輸入に頼る。重債務貧困国でもあり、2000年の対外債務残高は国民総生産 (GNP) の460%にも達し、国家経済は事実上の破産状態。観光産業も整っていない。

国際通貨基金
International Monetary Fund、IMF)は、通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。2011年9月現在の加盟国は187ヶ国。加盟国の経常収支が著しく悪化した場合などに融資などを実施することで、国際貿易の促進、加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、為替の安定、などに寄与する事を目的としている。 また、為替相場の安定のために、経常収支が悪化した国への融資や、為替相場と各国の為替政策の監視などを行っている。


パリクラブ
パリクラブは、主要債権国会議とも呼ばれ、フランス財務省で月に一回開催される、主要な債権国が債務国との二国間のリスケジュールの協議を行う非公式の会合の呼称である。


世界銀行
World Bank、略称:WB)は、各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関。当初は国際復興開発銀行を指したが、1960年に設立された国際開発協会とあわせて世界銀行と呼ぶ。国際通貨基金と共に、第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担う。本部はアメリカ合衆国ワシントンD.C.。加盟国は184ヶ国。


マヌエル・ピント・ダ・コスタ
Manuel Pinto da Costa、1937年4月5日 - は、サントメ・プリンシペの経済学者、政治家。サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党(MLSTP)の一党制社会主義国家を築き、1975年から91年にかけて初代大統領を務めた。2011年8月に大統領に再選され、9月3日から任にある。ドイツ民主共和国で教育を受けたため、公用語のポルトガル語にくわえドイツ語も堪能。アンゴラのジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントスとはMLSTPとアンゴラ解放人民運動が深い友好関係にあったころからの旧知の仲である。

ミゲル・トロボアダ
Miguel dos Anjos da Cunha Lisboa Trovoada、1936年 - は、サントメ・プリンシペ民主共和国の首相(1975年 - 1979年)、同国大統領(1991年 - 2001年)。サントメ市に生まれ、アンゴラの中学校に通いポルトガルのリスボン大学で法律を学んだ。1960年に当時同級生だったマヌエル・ピント・ダ・コスタとサントメ・プリンシペ解放委員会(CLSTP)を立ち上げ、それは1972年にサントメ・プリンシペ解放運動社会民主党(MLSTP)となった。委員会はガボンに本部を置き、トロボアダは1961年から1975年まで外務局長を務めあげた。1972年にはアフリカ統一機構(OAU)からMLSTPの承認を得るため尽力した。

マリア・ド・カルモ・シルヴェイラ
Maria do Carmo Trovoada Pires de Carvalho Silveira, 1960年 - は、サントメ・プリンシペの政治家。1999年から2005年までサントメ・プリンシペ中央銀行総裁、2005年から2006年まで首相を務めた。

ガーゴ・コーチニョ
(Carlos Viegas Gago Coutinho、1869年2月17日 - 1959年2月18日)はポルトガルの軍人である。パイロットであり、1922年リスボンからリオデジャネイロまでの南大西洋横断飛行の航法士を務めた。1915年から1918年までサントメ・プリンシペ近辺の測量任務を統率しており、この任務中に赤道がロラス島を横切っていることを発見した。

サントメ・プリンシベ Sao Tome and Principe
西アフリカのギニア湾に浮かぶ火山島であるサントメ島、プリンシペ島、そしてその周辺の島々から成る共和制国家。首都はサントメ。島国である。ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国加盟国。

サントメ
西アフリカ、ギニア湾にあるサントメ・プリンシペの首都で、同国の最大都市。サントメ島に位置する。人口4万3,000人(2001年推計)。サントメはポルトガル語で聖トマスに因み名付けられた。


サントメ国際空港
Saotome International Airportは、サントメ・プリンシペの首都、サントメにある国際空港。

ポルトアレグレ空港
(IATA: PGP, ICAO: FPPA))とはサントメ・プリンシペのサントメ島にあるポルト・アレグレ村にある空港である。

プリンシペ空港
プリンシペ空港 (IATA: PCP, ICAO: FPPR)とはサントメ・プリンシペのプリンシペ島にある空港で、島の中心地であるサント・アントニオから北へ3kmの場所にある。プリンシペ島唯一の空港で、3箇所あるサントメ・プリンシペの空港の一つ。


外務省:サントメ・プリンシペ民主共和国
在サントメ・プリンシペ日本国大使館


ポルトアレグレ
Porto Alegre、「陽気な港」の意は、サントメ・プリンシペ共和国・サントメ州カウエ県の村。ポルトアレグレ村は、サントメ島南端に位置し、海岸線を持つ。サントメ州カウエ県に属する。ポルトアレグレ村内には学校、キリスト教の教会堂、広場が備えられている。村のサントメ・プリンシペ国内での経済的地位は低い地域にあたる。郊外にポルトアレグレ空港を持つ。

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ネヴィス
Nevesはサントメ・プリンシペ共和国、サントメ島の都市。レンバ県の行政府所在地であり、サントメ島北西側沿岸部に位置する。海岸の水深は深く、良港になりうるがドックや桟橋等の設備がないため、大きな船舶を受け入れることが出来ない。ネヴィスはまた、石油ターミナル及びビール醸造所も置かれているが、港湾設備がないためターミナルは石油を沿岸に投錨した船舶からホースを利用して供給されている。

サンタ・カタリーナ
Santa Catarinaはサントメ・プリンシペ、サントメ島西部の村 。サントメ州・レンバ県に属する。2005年1月1日現在の推計人口は971人。海岸線は近いがピコ・デ・サントメ山の西麓に位置し、標高410フィート(125メートル)に位置する。地名は村の近くを流れる小川からつけられた。

サント・アントニオ
(Santo Antonio)は、サントメ・プリンシペの都市。プリンシペ島北部にあり、プリンシペ島最大の都市である。人口1342人(2012年)。プリンシペ州の州都ならびにパグエ県の県都である。1471年に建設された。


サントメ州
サントメ・プリンシペの二つある州のうちの一つである。州都は首都でもあるサントメ。領域はサントメ島と、ロラス島・カブラス島等その周囲の島嶼からなる。

プリンシペ州
Principe)は、サントメ・プリンシペの二つある州のうちの一つである。州都はサント・アントニオ。領域にはプリンシペ島と、その周囲のペドロ・ダ・ガレ島、ボンボン島、カロス島、及びペドラス・ティンボラス諸島等の無人島も含まれている。


アグア・グランデ県
Distrito de Agua Grande)は、サントメ・プリンシペのサントメ州を構成する県の一つである。県都はサントメ・プリンシペの首都であるサントメである。サントメ・プリンシペの県の中で最小の面積を持ち最大の人口を抱える。

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パグエ県
Distrito de Pague)は、サントメ・プリンシペのプリンシペ州を構成する唯一の県である。プリンシペ島及びその周囲のペドロ・ダ・ガレ島、ボンボン島、カロス島、ペドラス・ティンボラス諸島等の小島嶼を領域とする。県都はプリンシペ島東岸のサント・アントニオである。

カウエ県
Distrito de Caue)は、サントメ・プリンシペのサントメ州を構成する県の一つである。県都はサン・ジョアン・ドス・アンゴラレスである。サントメ島の南部及び、サントメ島南側、赤道直下にあたるロラス島などの小島嶼にあたる。


後発開発途上国
国際連合(国連)が定めた世界の国の社会的・経済的な分類の一つで、開発途上国の中でも特に開発が遅れている国々のことである。略語としてLDC (Least Developed Countries) と表記される。後発開発途上国の多くは、広範囲にわたる武力衝突と不安定な政治によって国家の機軸が損なわれている。名目上は民主主義や自由主義を標榜していても、実質的には独裁政治が行われているのが主である。また、これらの国は民族紛争と長い間続いていた植民地主義の名残によっても国が損なわれている。低開発国の半分はサハラ以南のアフリカにある。


サントメ・プリンシペの国旗
1975年11月5日に制定された、サントメ・プリンシペの旗。汎アフリカ色の赤・黄・緑の色が使用され、2つの黒い星はサントメ島とプリンシペ島を示している。元々は1972年より使用しているサントメ・プリンシペ解放運動の旗のデザインで、1975年の正式な国旗では、黄色の縞が従来より太くなった。

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■国名
公式の英語表記は、Democratic Republic of Sao Tome and Principe。通称、Sao Tome and Principe。


<ギニア湾上に浮かぶ小島国>
1.面積:1,001平方キロメートル(東京都の約半分)
2.人口:16万人(2009年、世銀)
3.首都:サントメ(Sao Tome)
4.民族:バンツー系及びポルトガル人との混血
5.言語:ポルトガル語
6.宗教:キリスト教

1975年7月 ポルトガルから独立、ダ・コスタ大統領就任
1985年10月 ダ・コスタ大統領3選
1988年3月 クーデター未遂事件発生
1990年8月 憲法改正(複数政党制への移行)
1991年3月 大統領選挙(トロヴォアダ大統領選出)
1994年10月 総選挙実施
1996年7月 大統領選挙(トロヴォアダ大統領再選)
1998年11月 国民議会議員選挙
2001年7月 大統領選挙(デ・メネゼス大統領選出)
2002年3月 国民議会議員選挙
2003年7月 クーデター未遂事件
2006年3月 国民議会議員選挙
2006年7月 大統領選挙(デ・メネゼス大統領再選)
2009年2月 クーデター未遂事件
2010年8月 国民議会議員選挙

■主要産業:農業(カカオ豆など)
■主要貿易品目(1)輸出 カカオ豆、綿、再輸出品(2)輸入 食料品、石油製品


ドブラ
ドブラ (Dobra) は、サントメ・プリンシペの通貨単位。ドブラは1977年にサントメ・プリンシペ・エスクードと等価として導入された。


■政治
1990年に現行憲法が施行されて以来、サントメ・プリンシペでは複数政党制が認められている。主要政党には変革民主運動勢力・自由党(MDFM/PL)のほか、1975年の独立から複数政党制が承認された翌年の1991年まで一党制のもと国を支配した左派のサントメ・プリンシペ解放運動・社会民主党(MLSTP/PSD)、中道の独立民主行動(ADI)がある。直近の2010年の総選挙ではADIが26議席で第一党になった。


ポルトガル語諸国共同体
Comunidade dos Paí真嵩纉 de Lí真錘苺a Portuguesa, CPLP)はポルトガル語を公用語とする諸国によって構成される国際協力組織。加盟国が対等の立場で政治、経済、文化の面で協力することを目的として1996年7月17日に結成された。ポルトガル語の普及にも力をいれている。加盟国の人口総数2億2300万人、面積10,742,000平方キロに及ぶ。

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■鉱業
世界屈指の原油埋蔵量を誇るギニア湾に位置することから、油田開発が有望視されてきたが、隣国のナイジェリアにも鉱区の範囲が及ぶため権利関係のもつれを解消できず開発が遅滞していた。2003年、ナイジェリアとの共同開発案がまとまり、鉱区の国際入札が行われ、シェブロン・テキサコ社が、翌2004年の入札では中国石油化工らが落札している。既に海底油田の開発は着手され、2010年を目途に生産が開始される見込みである。


油田
oil field)とは、地下に多量の石油を埋蔵している地域のことである。世界的には、石油を含む地層は数百km以上の広範囲に分布していることが多いため、複数の油井により石油を採取する。地球全体では、陸上・海上を問わず4万か所を超える油田が点在している。世界最大の油田は、サウジアラビアのガワール油田とクウェートのブルガン油田で、ともに埋蔵推定量600億バーレル以上である。油田の位置とその埋蔵量は近代以降、各国の紛争の原因の一つとなっている。

海底油田
海底に存在する油田のこと。浅海や大陸棚などに位置する場合が多い。海底の石油の埋蔵量は、現在地球上にある埋蔵量の4分の1とも言われている。海上に石油プラットフォームと呼ばれる、巨大な掘削櫓(外見は巨大なヘリポートに見える)を固定し、海底ボーリングを行う。2007年現在、世界最深の油田は、アメリカ合衆国メキシコ湾岸油田でエクソンモービル社が保有する油田。水深8,600フィート(約2,580メートル)に達しているが、同地域では年々規模の拡大が続いており、水深10,000フィートを超える掘削リグの設置計画を持つ社も存在している。


■農業
気候条件からポルトガル植民地としてカカオ栽培に特化してきた。生産量からはカカオ豆(3500トン、2005年)を超える農産物もココナッツ(2.9万トン)、タロイモ(2.8万トン)、バナナ(2.7万トン)、キャッサバ(6000トン)などがある。しかしながら、カカオ以外は自給用作物であり、輸出額の93.9%(2003年)をカカオ豆が占め、他の農産物は輸出額の1%未満である。


サトウキビ
Saccharum officinarum)は、イネ科サトウキビ属の植物。別名、カンショ(甘蔗)。ちなみにこれは慣用読みで、本来はカンシャ。2002年時点の世界生産量は12億9000万トンという膨大な量に及ぶ(小麦は同年5億7000万トン)。ブラジル(28.0%)、インド(21.7%)、中国(6.4%)の順であるが、地域別に集計するとアジア州(43.5%)、南アメリカ州、北アメリカ州の順となる(FAO Production Yearbook 2002)。

カカオ
(学名:Theobroma cacao)は、アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではアオギリ科)の常緑樹である。カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。樹高は4.5 - 10メートル程度。本種の生育には、規則的な降雨と排水のよい土壌、湿潤な気候が必要である。標高約300メートル程度の丘陵地に自生する。中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産とする。

ココナッツ
coconut)はヤシ科の単子葉植物、ココヤシの果実である。ココナツあるいは、単に椰子の実ともいう。果実は繊維質の厚い殻に包まれ、その中に固い殻に包まれた大きな種子がある。種子の内部は大きな胚乳に占められ、周縁部の固形胚乳と中心部の液状胚乳に分かれる。未熟果はこりこりした固形胚乳を生食するほか、液状胚乳をココナッツジュースとして飲用とする。

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タロイモ
Colocasia esculenta)は、サトイモ科サトイモ属の植物のうち、根茎などを食用とするために栽培されている栽培種の総称。日本で栽培されているサトイモやエビイモ、エグイモ、京料理のカラノイモ、タケノコイモ、南日本のタイモもタロイモの一種であり、サトイモはタロイモのうち最も北方で栽培されている品種群である。

バナナ
(甘蕉、実芭蕉、学名 Musa spp. )はバショウ科バショウ属のうち、果実を食用とする品種群の総称。また、その果実のこと。いくつかの原種から育種された多年草である。アジアやラテンアメリカの熱帯域で大規模に栽培されているほか、東アフリカや中央アフリカでは主食として小規模ながら広く栽培が行われている。


フラディケ・デ・メネゼス
Fradique de Menezes、1942年3月21日 - は、サントメ・プリンシペ民主共和国の政治家。外務大臣(1986年 - 1987年)、大統領(2001年9月3日 - 2011年9月3日)などを歴任した。サントメ島(当時ポルトガル領)生まれ。ポルトガルの高校を卒業後、ベルギーの首都ブリュッセルにある大学にて教育学と心理学を学ぶ。実業家として成功した後、サントメ・プリンシペの外相を務める。2001年7月の大統領選挙で独立民主行動から出馬し、現職候補を上回る55.2パーセントの票を獲得、同年9月3日から大統領を務める。なお、彼は出馬前にポルトガル市民権を放棄している。

マリア・ダス・ネヴェス
Maria das Neves Ceita Baptista de Sousa, 1958年- は、サントメ・プリンシペの政治家。サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党所属。同国初の女性首相である。サントメ・プリンシペ財務省で勤務後、アフリカ開発銀行に勤めた。2002年から2004年まで首相を務めた。

ジョアキン・ラファエル・ブランコ
Joaquim Rafael Branco、1953年 - は、サントメ・プリンシペの政治家、前同国首相。現在はサントメ・プリンシペ解放運動社会民主党(MLSTP/PSD)党首を務める。2000年から2001年まで外務大臣を務めた。2003年7月のフェルナンド・ペレイラ将軍率いる軍事クーデターの際には、一時拘束された。

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パトリセ・トロボアダ
Patrice Emery Trovoada、1962年3月18日 - は、サントメ・プリンシペの政治家。2008年2月から6月まで、そして2010年8月14日から同国の首相を務めている。ガボンのリーブルビル生まれ。父は1991年から2001年まで首相を務めたミゲル・トロボアダで、コンゴ民主共和国の初代首相、パトリス・ルムンバにちなみ名づけられた。2001年9月から2002年2月4日まで外務相を務め、その後はフラディッケ・デ・メネゼス大統領の石油顧問を務めたが「自らの地位を悪用し、私的な利益を生み出している」として2005年5月に罷免された。

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