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ルワンダ共和国
Republic of Rwanda
アフリカ

アフリカ

■地理
面積は2万6000平方km。この国はアフリカ大陸の中央にあり、赤道から緯度で数度だけ南に位置する。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと接する。首都以外は草地で、丘陵に小農場が分布する。北西の火山群から南東へごつごつした山地が連なる。西部にコンゴとナイルの水域を分ける平均海抜2,740mmの分水嶺が南北に走る。その西斜面をキブ湖とルジジ川渓谷に下るとアフリカ大地溝帯の一部となる。東斜面はなだらかに中央高地から平原、沼沢地、湖へと標高が低下する。このためルワンダは「千の丘の国」と呼ばれる。


中部アフリカ
アフリカ大陸を5つの地域に分けた場合の1地域を指す用語である。赤道付近の南北に位置することから、赤道アフリカと呼ばれることもある。まず、アフリカは、文化圏および人種の違いからサハラ砂漠の南北で大きく2つに分けられるが、中部アフリカは、南側のブラック・アフリカ(サブ・サハラ・アフリカ)に入る。


ルジジ川
Ruzizi Riverは、アフリカの河川。キブ湖南端から流出し、コンゴ民主共和国とルワンダ、ブルンジとの国境を南へ向かって流れ、タンガニーカ湖北端へと注ぐ。標高1500mのキブ湖から標高770mのタンガニーカ湖へと短い距離で流れ下る。ルジジ川流域南端は平地となだらかな丘で形成され、タンガニーカ湖に注ぐ河口にはデルタができている。全長117km。

ヴィルンガ山地
Virunga Mountainsは、東アフリカ:ルワンダ、コンゴ民主共和国、ウガンダ国境地域に位置する火山群。 大地溝帯アルバーティーン・リフトの一部で、エドワード湖とキブ湖の間に位置する。マウンテンゴリラの絶滅危惧地域として、IUCNレッドリストに記載。

キブ湖
Lake Kivuは、アフリカ中央部に位置する湖。コンゴ民主共和国南キヴ州とルワンダ西部州にまたがっており、湖の中ほどを国境が通る。およそ2700km2ほどの面積を有しており、その広さはアフリカ有数の規模である。海抜はおよそ1460メートル。アフリカ大地溝帯の一部であり、火山活動にともない成立した。かつては北のエドワード湖と結ばれていたと考えられている。湖からはルジジ川が流出し、南のタンガニーカ湖に注ぐ。

エドワード湖
Lake Edwardは、アフリカのコンゴ民主共和国とウガンダ共和国の国境に存在する湖。双方の国の国立公園の一部となっている。コンゴ側はヴィルンガ国立公園、ウガンダ側はクイーン・エリザベス国立公園。


赤道
Equator、は、自転する天体の重心を通り、天体の自転軸に垂直な平面が天体表面を切断する、理論上の線。緯度の基準の一つであり、緯度0度を示す。緯線の中で唯一の大円である。赤道より北を北半球、南を南半球という。


フツ
フツ (Hutu) はアフリカ中央部のブルンジとルワンダに居住する「3つの民族」集団の中で最も大きな集団である。CIAによるとルワンダ人の84%、ブルンジ人の85%がフツである。しかし統計により数%の違いがある。フツとツチは同じ宗教、同じ言語を共有している。文化的に見た場合、2つの集団の違いは民族性に基づいているというよりも階級的に分けられた、人工的なものである。幾人かの学者が指摘するように、ドイツ及びベルギーの植民地支配がフツとツチの民族性の概念を作り上げるのに重要な役目を果たしたと考えられている。


ツチ
ツチ (Tutsi) はアフリカ中央部のルワンダとブルンジを中心に居住する「3つの民族」集団の一つ。16世紀頃の牧畜民に起源を有するとみられる集団で、少数派であったがルワンダ、ブルンジで王室を支えていたためにドイツ、ベルギー(第1次世界大戦後)の植民地支配の際に農耕民であったフツや狩猟採集民のトゥワに対する間接統治者として支配階級となった。1960年代頃から独立運動が盛んになると多数派のフツと軋轢を生じるようになり、1994年にはルワンダ紛争で少なくとも50万人から100万人にも及ぶツチの人々が虐殺されている。


トゥワ
トゥワ(Twa、バトゥワ:Batwa)は、中部アフリカ大湖沼地域最古の(主に欧米人から)「ピグミー」と呼ばれる狩猟採集民。ルワンダではフツ、ツチと同じルワンダ語 (Kinyarwanda) を使用。トゥワは山林に居住する半遊牧・狩猟採集民族。農地開拓、森林伐採、開発計画、保護区の創設などによる自然破壊により、トゥワは移住を強いられたが、大部分のトゥワは所有地を持たず、貧困状態で生活。


ニュングェ国立公園
Nyungwe Forest National Parkは、ルワンダ共和国南西部にある国立公園である。この国立公園はルワンダの南部州と西部州の境界上にあり、ブルンジとの国境に近いキブ湖の南側に位置する。設立されたのは2004年のことであり、多雨林、竹林、草原、沼地、ボグなど計970 km2の面積を擁する。最寄の都市はチャンググであり、公園から西へ54 kmの場所にある。


大地溝帯
Great Rift Valleyは、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35 - 100 km、総延長は7,000 kmにのぼる。正断層で地面が割れ、落差100 mを超える急な崖が随所にある。東リフト・バレーには、アフリカ最高峰のキリマンジャロ、アフリカ第2の標高を持つケニア山などの高い山地が周囲に広がる。また、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジから、タンガニーカ湖へ至る西リフト・バレーがある。西リフト・バレーからマラウイ湖、モザンビークへと抜ける地溝帯を区別してニアサ・リフト・バレーと呼ぶこともある。


■経済
通貨はルワンダ・フラン。一人当たりの国民総生産は1995年に180ドル。これは周辺国と大差ない。労働人口の約9割が農業に従事しており、小国ながら世界生産シェア10位以内に記録される産物も2つある。また湖での漁業従事者もみられる。国土及び可耕地に対して人口が極めて多く、人口過剰が問題となっている。国土は緩やかな丘陵が中心で、丘陵の最上部まで段々畑が広がっている。そのため、土壌流出が問題となっている。


ルワンダの経済
ルワンダは農業国であり、人口の約90%が農産業へ従事している。この国はアフリカで最も人口密度が高く、内陸国であり、天然資源もほとんど無く、産業も乏しいことで知られ、貿易における主要な輸出品目はコーヒーと茶である。

■農業
ルワンダの農業形態は、小規模な天水農業による生産が主流である。主食は主に料理用バナナ、キャッサバ、サツマイモ、トウモロコシが食され、他にモロコシ、ジャガイモ、米などが食べられている。米は、60年代後半に台湾の技術指導によって導入されたものである。

■資源
ルワンダは天然資源が乏しく、鉱物産業による外貨収入は全体の約5%に過ぎない。重鉱物としては錫石、コルタン、鉄マンガン重石が有力資源であり、その他では少量の金とサファイアが採掘される。キブ湖でのメタン生産は1983年に開始されたが、現在までビール醸造所にしか用いられていない。


■鉱業
ルワンダはアフリカ大地溝帯に位置するため、海嶺型の鉱物資源を産出する。生産量が最も多いのはスズ(170トン、2002年時点)である。経済的に重要なのはタングステン(150トン)で、産出量が少ないように見えるが、世界第8位の産出国であり、タングステンだけで同国の輸出額の約3割を担っている。このほか金(10kg)と天然ガス(13兆ジュール)を採掘している。

タングステン
tungsten, は原子番号74の元素。元素記号は W。金属元素の一つ。原子量は183.84である。銀灰色の非常に硬く重い金属で、クロム族元素に属する。化学的に安定で、その結晶は体心立方構造 (BCC) を持つ。

スズ
Tinとは、典型元素の中の炭素族元素に分類される金属で、原子番号50の元素である。元素記号は Sn。元素記号はラテン語の stannum に由来する。本来、この語は銀・鉛合金のことだったが、4世紀ごろよりスズを stannum と呼ぶようになった。


ルワンダ共和国大使館/文化と伝統
音楽とダンスは、ルワンダの人々の心を一つにする重要な役割を持っています。「丘の数だけダンスグループがある」と言われるように、学校や地域社会を中心に、全国におよそ1000を超えるダンスグループがあり、結婚式やお祝い事、公式のセレモニーなど、あらゆる場面に登場します。種類もヴァラエティーに富み、どれも美と勇気、深い意味合いを美しい旋律で表現した叙事詩的なものです。祝福のダンスには “ドラム・オーケストラ”がつきもので、複雑なリズムが絡み合って熱狂と興奮のるつぼとなります。


ルワンダ虐殺(Rwandan Genocide)
1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調する過激派フツによって、多数のツチと穏健派フツが殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。

フツ・パワー
Hutu Power, は、過激派フツおよびアカズと呼ばれるハビャリマナ政権中枢の有力者らにより提起されたフツ至上主義からなるイデオロギーである。このイデオロギーは、1994年のルワンダ虐殺においてツチや穏健派フツへの虐殺を招く要因となった。近年の研究では、フツとツチは宗教、言語、文化に差異が無く、また互いの民族間で婚姻がなされていたこと、19世紀まで両民族間の区分は甚だ曖昧なものであったこと、さらにはツチがフツよりも後から移住してきたという言語学的・考古学的証拠が無いことから、この民族はもともと同一のものであったのが、次第に牧畜民と農耕民へ分化したのではないかと考えられている。

インテラハムウェ
Interahamwe)は、ルワンダにかつて存在した民兵組織である。ルワンダ大虐殺を扇動し、実行した当時の与党開発国民革命運動 (MRND) のフツ系過激派民兵組織。ルワンダ語で「共に攻撃する者、共に立つ者」を意味する。ルワンダ紛争において犠牲者100万人と言われる大虐殺を行った。


ジェノサイド
genocide)は、一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。ユダヤ系ポーランド人法律家のラファエル・レムキン(英語版)によって1944年に造語された。元はアルメニア人虐殺やナチス・ドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)に対して使われたため、一般には大量虐殺の意味で使われるが、国外強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消、また国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する断種手術の強要あるいは隔離行為など、あくまでも特定の集団の抹消行為を指し、物理的な全殺戮のみを意味するわけではない。

ジェノサイド条約
(Genocide Convention、正式名称:集団殺害罪の防止および処罰に関する条約、英語名:Convention on the prevention and Punishment of the Crime of Genocide )は、集団殺害を国際法上の犯罪とし、防止と処罰を定めるための条約。ジェノサイド(「種族」(genos)と「殺害」(cide)の合成語)を定義し、前文及び19カ条から成る。


<歴史>
■第一次世界大戦終結まで
ドイツ領東アフリカ、以後はルアンダ=ウルンディ (Ruanda-Urundi) としてベルギーの委任統治下に置かれ、少数派のツチが中間支配層に据えられた。

■1973年
クーデターが起こり、ジュベナール・ハビャリマナが大統領に就任すると反ツチ色が一層強められ、ツチは難民として近隣諸国に逃れた。

■1987年
隣国ウガンダに逃れていたツチ系難民が主体となりルワンダ愛国戦線 (RPF) が結成され、1990年以降、ルワンダ帰還を目指したRPFとルワンダ政府の間で内戦に陥った(ルワンダ紛争)。

■1994年4月
ジュベナール・ハビャリマナが暗殺されたことを発端に、政府と暴徒化したフツによるツチと穏健派フツに対するジェノサイドが勃発した。この結果、約100日間のうちに、当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたとみられている(ルワンダ虐殺)。

■1994年
国連安全保障理事会は、ツチ主導のルワンダ新政府の要請を受けて、ルワンダ領域内及び隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷を設置、現在も審理が続いている。

■2000年
ビジムング大統領の辞任に伴い、ポール・カガメが大統領に就任した。内戦時代に海外へ脱出したツチ族(ディアスポラ)のうちの200万人近くが戦後帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力しており、21世紀に入り顕著に近代化が進み、「アフリカの奇跡」と呼ばれている。毎年成長率が7%前後と急成長を遂げている2010年頃からはIT立国を目指し、ITの普及・整備に力を注いでいる。


ドイツ領東アフリカ
Deutsch-Ostafrika)は、東アフリカに存在した、後のブルンジ、ルワンダ、およびタンガニーカ(タンザニアの大陸部)の3地域を合わせたドイツ帝国の植民地。面積は994,996平方キロメートルで現在のドイツの3倍に近い。1880年代から第一次世界大戦にかけて存在し、戦後イギリス帝国とベルギーに占領された後、委任統治領となった。

ルワンダ王国
Kingdom of Rwanda, は、1959年から1962年まで存続した[要出典]中部アフリカの国家。現在のルワンダに一致する領域を支配していた。王家は14世紀から継続しているとの伝承がある。ルワンダ王家は伝承上1350年頃から始まったとされ、3代目のニギィニャ朝時代に後のルワンダの領域が欧米諸国の侵略を受けた。


ポール・ルセサバギナ
Paul Rusesabagina, 1954年6月15日 - はルワンダの首都キガリのオテル・デ・ミル・コリン (仏語:Hôtel des mille collines) の副支配人の任にあった際、ルワンダ虐殺が発生し、1268人の人々をホテルに匿い救った行動によって、国際的に賞賛された人物。1954年6月15日、ルワンダ中南部のムラマ=ギタラマ(Murama-Gitarama)に農家の息子として生を受ける。父親はフツ、母親はツチであり、当時は父親の血統が受け継がれたためフツとされた。姓のルセサバギナはルワンダ語で「敵を追い払うもの」を意味し、名のポールはパウロに由来する。1975年から1978年までカメルーンで神学を学び、1979年にサベナ社に雇われ、アカゲラ国立公園内のホテル・アカゲラのフロントオフィス・マネージャーに就任する。

ロザリー・ギカンダ
皇太后ロザリー・ギカンダ(フランス語: Rosalie Gicanda、? - 1994年4月20日)は、ルワンダ王(ムワミ (Mwwami) ムタラ3世の妻。ムタラ3世の謎の死後、ルワンダ王政は廃止されたが、ギカンダは母や女官たちと共にブタレに留まった。1994年4月20日、ブタレでイデルフォンス・ニゼイマナ大尉の命を受けたピエール・ビジマナ少尉の部隊により、ギガンダらは宮殿からルワンダ国立博物館敷地内に連行され射殺された。ギカンダはルワンダのツチの生ける象徴となっており、彼女の殺害に多くの者が衝撃を受けた。これがブタレ地域での虐殺の始まりとなった。

ポール・カガメ
(Paul Kagame, 1957年10月23日 - ) は、ルワンダ共和国の政治家、軍人。現在、同国大統領。ルワンダ愛国戦線の最高指導者。ベルギー領ルアンダ=ウルンディのギタラマ県ルハンゴ出身。ツチ系。少数派のツチが権力を掌握していたルワンダでツチとベルギー当局との関係悪化に伴い1960年に多数派のフツが反乱を起こし、カガメは家族と共にウガンダ西部トロのカフンゲ難民キャンプで過ごし、ナタレ学園で学んだ。1979年にヨウェリ・ムセベニ率いる国民抵抗運動/軍 (NRM/A) に参加しウガンダのオボテ独裁政権の打倒を目差してゲリラ闘争を行う。

ヨウェリ・ムセベニ
(Yoweri Kaguta Museveni, 1944年- )は、ウガンダの第7代大統領(1986年1月29日 - 現職)。ムセヴェニとも表記される。イディ・アミン政権の転覆や、第二次ミルトン・オボテ政権への反乱に関与し1986年1月26日にカンパラを制圧、政権を掌握し1月29日に大統領に就任、以来大統領を務める。北部を例外として内戦と腐敗の続いたウガンダで安定した政治と経済成長をもたらした。

ルワンダ Rwanda
中部アフリカに位置する共和制国家。内陸国であり、西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する。首都はキガリ。イギリス連邦加盟国。

キガリ
キガリ(Kigali)は、ルワンダ共和国の首都である。ルワンダのほぼ中央に所在し標高1433mから1645mと高地に位置し、人口は約330,000人(1997年)ドイツ植民地時代の1907年に開かれ、以後ベルギー領時代を通してルワンダの中心都市であった。1962年にルワンダが独立した際に、首都に指定される。キガリ市は、ルワンダ全体がそうであるように、いくつかの丘から構成されていて、中心はキヨブ(Kiyovu)地区、カキィル(Kacyiru)地区の丘の上部地域となる。


オテル・デ・ミル・コリン
Hotel des mille collinesはルワンダの首都、キガリにあるホテル。1994年のルワンダ虐殺の際に、1000人以上の避難民をかくまった場所として有名になった。映画『ホテル・ルワンダ』は当時の支配人であったポール・ルセサバギナの話をもとにしている。現在でも四つ星ホテルとして営業している。施設には112の客室、カフェバー、3の会議室、レストラン、プールがある。公式ホームページによれば、2005年9月15日に、サベナ社から、ルワンダのミッコー・ホテルズ・ホールディング(Mikcor Hotels holding)に経営譲渡された。

ルワンダ国立大学
ルワンダ国立大学(National University of Rwanda (NUR); フランス語 : Université Nationale du Rwanda)は、ルワンダ最大の大学で、南部州の都市ブタレの中心部にある。政府によって1963年に設立された。創設時は医学部、社会学部、教員養成学校の3部門で、51人の学生と16人の講師で始まった。

ルワンダ国立大学公式ホームページ

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ブタレ
Butareは、ルワンダの南部に位置する都市である。ブタレ県の中心都市でもあった(2006年1月1日、ブタレ県は南部州に再編された)。ブタレはまた、フエ(Huye)とも呼ぶ。人口は89,600人(2005年現在)。ルワンダの首都キガリが政治の中心地であるのに対し、ブタレはルワンダの学術都市として発展してきた。現在ブタレにはルワンダ国立大学があるが、この大学は、フランス語と英語の2カ国語で行われている。1990年代初期、ルワンダの文化史について詳しく展示されているルワンダ国立美術館がブタレに建てられた。観光者用案内にはこの美術館が東アフリカでもっとも美しい美術館であると載っている。

ビュンバ
(Byumba)は、ルワンダの北部州東部にある都市。2005年以前のビュンバ県の中心都市でもあった(2006年1月1日、ビュンバ県は北部州に再編)。ルワンダの首都キガリから北へ60kmに位置している。2002年の推計人口は 66,536 人。カトリックの9司教区の1つビュンバ教区の司教座が置かれており、2004年のビュンバ教区の人口は 1,180,522 人。

ギセニ
(Gisenyi)は、ルワンダ 西部州の都市。かつてはギセニ県の中心都市であった(2006年、ギセニ県は西部州に再編された)。キブ湖岸に位置しており、対岸はコンゴ民主共和国となっている。砂浜のあるリゾートで、ウォータースポーツやブルワリーも有名である。


ブタレ県
(Province de Butare)はルワンダを構成していた12の県のうちの一つ。2006年に、ルワンダの地方行政区分が再編され、南部州に編入された。中心都市はルワンダ第二の都市ブタレ。1994年のルワンダ紛争を調査するルワンダ国際戦犯法廷で、専門家のアンドレ・ギシャワはブタレ県が政府に反乱した地域であったと述べた。


北部州
rovince du Nord)は、ルワンダを構成する5つの州のうちの一つ。2006年1月1日にルワンダの地方行政区分が再編され、北部州が誕生した。東部にキガリとガトゥナを経てカバレを結ぶ幹線道、西部にキガリとルヘンゲリを結ぶ幹線道、北西部にチャニカとルヘンゲリ、ギセニを結ぶ幹線道が走る。

南部州
Province du Sud)は、ルワンダを構成する5つの州のうちの一つ。ルワンダ南西部に位置し、ブルンジに接する。州都はニャンザだが、州内最大の都市はブタレ。2006年1月1日にルワンダの地方行政区分が再編され、南部州が誕生した。

東部州
Province de l'Est)は、ルワンダを構成する5つの州のうちの一つ。ルワンダの東部から東南部に位置する。州都はルワマガナ。2006年1月1日にルワンダの地方行政区分が再編され、東部州が誕生した。

西部州
Province de l'Ouest)は、ルワンダ西部の州。州都はキブエ。ヴィルンガ山地のカリシンビ山の南、キヴ湖の東岸に位置する。2006年1月1日にルワンダの行政区分が再編され、西部州が成立した。ギシュワティの森は開発により99.4%が失われた。

キガリ州
キガリ州(Kigali)は、ルワンダを構成する5つの州のうちの一つ。ルワンダ中央部に位置する。州都はルワンダの首都でもあるキガリ。2006年1月1日にルワンダの地方行政区分が再編され、キガリ州が誕生した。


キガリ国際空港
Kigali International Airportは、ルワンダ共和国の首都、キガリにある国際空港。ルワンダの第2代大統領グレゴワール・カイバンダにちなみ、グレゴワール・カイバンダ国際空港(英: Gregoire Kayibanda International Airport)とも呼ばれる。ルワンダの各都市へのゲートウェイとなっているほか、コンゴ民主共和国東部のゴマやブカヴへのトランジットとしても使われる。

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ようこそルワンダ、千の岡の国へ


外務省:ルワンダ共和国
在ルワンダ日本国大使館


ルワンダの国旗
(Flag of Rwanda)は、2001年10月25日に制定された。緑、黄色、水色はそれぞれ、平和、繁栄への希望、国民を表す。右上には24本の光の太陽がデザインされている。


■国名
正式名称はルワンダ語で Republika y'u Rwanda、英語で The Republic of Rwanda、フランス語で République du Rwanda。


1.面積:2.63万平方キロメートル
2.人口:1,030万人(2010年、UNFPA)
3.首都:キガリ
4.言語:キニアルワンダ語、英語、仏語
5.宗教:カトリック57%、プロテスタント26%、アドヴェンティスト11%、イスラム教4.6%等

17世紀 ルワンダ王国建国
1889年 ドイツ保護領
(第一次大戦後はベルギーの信託統治領)
1961年 王政に関する国民投票(共和制樹立を承認)
議会がカイバンダを大統領に選出
1962年 ベルギーより独立
1973年 クーデター(ハビヤリマナ少将が大統領就任)
1990年10月 ルワンダ愛国戦線(RPF)による北部侵攻
1993年8月 アルーシャ和平合意
1994年4月 ハビヤリマナ大統領暗殺事件発生をきっかけに
「ルワンダ大虐殺」発生(〜1994年6月)
1994年7月 ルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を完全制圧、
新政権樹立
(ビジムング大統領、カガメ副大統領就任)
2000年3月 ビジムング大統領辞任
2000年4月 カガメ副大統領が大統領に就任
2003年8月 複数候補者による初の大統領選挙でカガメ大統領当選
2003年9-10月 上院・下院議員選挙(与党RPFの勝利)
2008年9月 下院議員選挙(与党RPFの勝利)
2010年8月 カガメ大統領再選

■主要産業:農業(コーヒー、茶等)
■主要貿易品目:(1)輸出 コーヒー、茶、錫(2)輸入 資本材、半加工品、エネルギー財、消費財


ルワンダ・フラン
Rwandan franc)は、ルワンダで使用されている通貨単位。ISOコードはRWF。しばしばRFと略される。1916年、ベルギーがドイツの植民地を占領した際、それまでのドイツ領東アフリカ・ルピーに代わってベルギー領コンゴ・フランが導入された。1960年までベルギー領コンゴ・フランが使われ、その後ルワンダ・ブルンジ・フランが導入された。現在のルワンダ・フランが導入されたのは1964年になってからのことである。

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■政治
ルワンダは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は2003年5月26日に承認され、同年6月4日に施行されたものである。国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は7年。3選禁止。首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命する。ルワンダ虐殺で男性の数が減り、さらに憲法で女性議員数が全体の30%を超えるように決められているので、女性議員が世界で最も多い。2008年には女性議員が世界ではじめて全体の過半数を占めた。


ルワンダ愛国戦線
Rwandan Patriotic Front, RPF, 仏語: Front patriotique rwandais, FPR)は1987年、ウガンダに逃れたツチ系難民によって設立されたルワンダの旧反政府勢力。現在ではルワンダ大統領ポール・カガメ率いる政党。現在のルワンダ政府はルワンダ愛国戦線と他の政党(民主共和運動、イスラム民主党など)との連立政権である。

イスラム民主党
Islamic Democratic Party、は、ルワンダの政党。2003年9月30日総選挙で53議席中2議席を獲得した。ルワンダ愛国戦線などとともに連立与党を構成している。ルワンダ国内では少数派であるイスラム教徒(ムスリム)の利益を代表する。


中部アフリカ諸国経済共同体
Economic Community of Central African States, ECCAS)は1981年12月に設立された経済共同体である。本部はガボンのリーブルヴィルにある。

国際連合平和維持活動
United Nations Peacekeeping Operations)は、紛争において平和的解決の基盤を築くことにより、紛争当事者に間接的に紛争解決を促す国際連合の活動である。日本ではPKOと略されることが多い。PKOに基づき派遣される各国軍部隊を平和維持軍(Peacekeeping Force、日本ではPKFとも略される)という。


■言語
公用語はルワンダ語、フランス語、英語である。伝統的にフランス語圏であるが、フランスとの関係悪化以降、2008年には公用語に英語が追加され、2009年にはイギリス連邦に加盟した。教育言語もフランス語から英語へ変わり、政府要人にも英語を学ぶように要求しているなど、フランス語圏から英語圏への脱却を図っている。政府等の公的機関のウェブサイトも英語版のみでありフランス語版は存在しない。

ルワンダ語
Kinyarwanda、は、バントゥー語群に属する言語の一つ。主にルワンダで話され、同国の公用語の一つとなっている。ウガンダ南部やコンゴ民主共和国東部でも話される。ルワンダ語は隣国ブルンジの公用語であるルンディ語(Kirundi)と相互に理解可能である。話者は約700万人。


■宗教
2001年の統計によれば、ローマ・カトリックが56.5%、プロテスタントが26%、アドヴェンティスト教会が11.1%、ムスリムが4.6%、土着信仰が0.1%、無宗教が1.7%である。

カトリック教会
ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。

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プロテスタント
Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。

セブンスデー・アドベンチスト教会
Seventh-day Adventist Church, SDA)は、1800年代後半にアメリカの再臨待望運動から起こったプロテスタントの一派。名称の「セブンスデー」は週の第7日の安息日を、「アドベンチスト」はキリストの再臨を待ち望む者を意味することから、日本では安息日再臨派(あんそくび さいりん は)と呼ばれることもある。


■教育
2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は70.4%(男性:76.3%、女性:64.7%)である。2005年にはGDPの3.8%が教育に支出された。


■マスメディア
ルワンダ政府は、一日15時間のラジオ放送を公用語である英語、フランス語、ルワンダ語の3言語で行っている。このうちのニュース番組には、ボイス・オブ・アメリカやラジオ・フランス・アンテルナショナルといった国際ラジオ放送の定期的な再放送も含まれる。


ルアンダ=ウルンディ
のちのルワンダとブルンジに存在したベルギーの植民地。委任統治の1924年から1945年までと、信託統治の1945年から1962年まで存在し、ルワンダとブルンジの独立により1962年に消滅した。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ベルギー領コンゴの公安軍がドイツ領東アフリカに対して参戦した(アフリカ戦線)。コンゴに隣接する「ルアンダ」と「ウルンディ」の2地域は、大戦中の1916年からベルギー占領地域となった。第一次世界大戦はドイツの敗北に終わり、ドイツ植民地は戦勝国により分割された。

グレゴワール・カイバンダ
1924年5月1日 - 1976年12月15日)は、ルワンダの政治家。フツ族出身。同国大統領(初代)、ルアンダ=ウルンディ自治政府首長(第2代)を歴任。ルワンダのベルギーからの独立運動に参加し、頭角を現す。多数派フツ族として、少数派ツチ族の王制に反発し、政治家へ転向。フツ解放運動党(パルメフツ)を結成し1962年の大統領選で当選したが、自身のいとこであるジュベナール・ハビャリマナ国防相のクーデターにより、1973年に失脚。

ドミニク・ムボニュムトゥワ
(Dominique Mbonyumutwa、1986年7月26日没)は、ルワンダの政治家、初代ルワンダ大統領(暫定、在位:1961年1月28日 - 10月26日)、フツ系。ルワンダ王キゲリ5世がキンシャサへ国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドとの会談の為に外遊中、ベルギー政府の支援を受けてクーデターを起こし王制を廃止、暫定初代大統領に就任。

アガート・ハビャリマナ
(Agathe Habyarimana, 1942年1月21日 - 、はルワンダ大統領だったジュベナール・ハビャリマナの妻。カンジガ家は19世紀末まで独立した主権を有していたフツのリネージに連なる旧家である。2010年3月2日、彼女はフランス国内で逮捕されたが、これはフランス大統領ニコラ・サルコジによるルワンダ訪問の直後だった。

ムタラ3世
(Mutara III, 1912年? - 1959年7月25日)は、ベルギー信託統治領ルアンダ=ウルンディ (Ruanda-Urundi) 時代のルワンダのムワミ( (Mwami) :王、在位:1931 - 1959年)。身長は6,8フィートあったという。洗礼名はシャルルでシャルル・ルダヒグワ・ムタラ3世と呼ばれる場合もあった。ムタラ3世は洗礼の波の中で最初にカトリックへ改宗したムワミとして知られ、「王であるキリストがベルギーの植民地支配におけるよい統治の科学に神聖な光を当てる」ようにとこれ見よがしにベルギーの支配者たちのために祈願した。

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ジュベナール・ハビャリマナ
(Juvenal Habyarimana, 1937年3月8日 - 1994年4月6日)は、フツ出身のルワンダ第3代大統領。1994年4月、ブルンジのフツ系の大統領、シプリアン・ンタリャミラと一緒にキガリ空港に向かっていた飛行機が何者かによって撃墜され死亡した。この事は支配的な少数派のツチと多数派のフツとの間の争いの火付け役となった。

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