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ナミビア共和国
Republic of Namibia

アフリカ

■地理
ナミビアの海岸線沿いには、世界で最も古いといわれるナミブ砂漠があり、天然の良港ウォルビスベイがある。内陸は高原となっていて、北部にはアフリカ最大の塩湖であるエトーシャ塩湖、北東部には長さ450kmのカプリビ回廊がある。南にはオレンジ川がある。最高地点はナミブ砂漠北部のブランドバーグ山 (標高2606m) である。白亜紀の大陸分裂に伴うマグマ噴出で出来た花崗岩の貫入山塊である。


ナミブ砂漠
amib Desertとはナミビアの大西洋側にある砂漠である。面積はおよそ50,000km2。約8000万年前に生まれた世界で最も古い砂漠と考えられている。大西洋を北上する冷たいベンゲラ海流の影響で生じた典型的な西岸砂漠である。中央部にはクイセブ川が流れ、この川を境に北部に岩石砂漠、南部に砂砂漠が広がっている。年間降水量は25mmに満たないが2、3日に1度程度の割り合いで海上から海霧(移流霧)が流れ込む。特に朝方には風に乗って100km以上内陸部にまで霧が進入し、周辺植物や生物の貴重な水分供給源となっている。

ウガブ川
Ugab riverは、ナミビアの北部を流れる川である。ナミビア北部に源を発し、南西に流れ大西洋に注ぐ。川と言っても流域は砂漠地帯であり、年に数日しか水が流れない。しかしその地下にある水は動植物にとって貴重なものである。

オレンジ川
Orange Riverは、アフリカ南部を流れ大西洋に注ぐ河川である。南アフリカとレソトの国境付近のドラケンスバーグ山脈に源を発し西に向かい、カラハリ砂漠の南の乾燥地帯を流れ大西洋に注ぐ。

クネネ川
Cunene River、Kunene Riverは、アフリカ南部を流れる川である。アンゴラ高地からアンゴラとナミビアの国境に向かって南に流れ、それから西に国境を流れ大西洋に注ぐ。長さは約1,126km。途中にあるエプパ滝は、ナミビア北部に居住するヒンバ族にとっての神聖な滝とされる。

オカヴァンゴ川
(Okavango River)は、アフリカ南西部を流れる川である。南西部では4番目に長く、全長は1,600kmある。アンゴラ高原に源を発し南東へ流れ、アンゴラとナミビアの境を越えボツワナにまで達している。

エトーシャ塩湖
エトーシャ塩湖はナミビア北部のナミブ砂漠にある塩湖。 大きさは東西120km、南北60km、面積約6000km2でアフリカ最大の塩湖。流れ出る川のない塩湖で、塩湖とその周辺はエトーシャ国立公園になっている。湖の南側に広がるモパニの林には象が生息している。モパネ(モパニ)の木はアフリカ中南部では広く見られ、その木に住み着くパニという蛾の幼虫は現地の人の重要なタンパク源になっている。

ベンゲラ海流
南大西洋・アフリカ西岸を北上する海流。はっきりとした海流の特性を示すのはアフリカ南端から北緯17、18度までで、幅数百kmにわたると考えられている。その影響は南赤道海流への移行域付近にまで及ぶ。この海流域では南ないし南東の風が卓越するので、表層水は沖合いに押しやられ、沿岸域では中層(水深数百m)から湧昇が起こる。このため、表層水は低温で栄養分に富み、プランクトンなどの生物が豊富である。


<歴史>
現在のナミビアの領域には元々はサン人、ナマ族などが居住していたようであるが、14世紀にはバントゥー系諸民族の拡大にともない、バントゥー族が支配するようになっていた。16〜17世紀にヘレロ族・ダマラ族・オカバンゴ族が定着した。

■19世紀
1840年にイギリスがケープ植民地との往来のためにウォルビスベイ一帯の領有を開始したが、その他の地域には支配は及ばなかった。1884年にはドイツ帝国がウォルビスベイ以外の地域について、ドイツ人商人が現地首長から購入した土地を足がかりに南西アフリカとして保護領化を宣言した。

■1910年
イギリスがウォルビスベイ一帯をドイツに奪われることを防ぐため成立した南アフリカ連邦(1961年から南アフリカ共和国)の一部としている。

■1914年
ドイツはウォルビスベイ一帯を占領する。しかし、翌1915年には南アフリカ連邦(1961年から南アフリカ共和国)が南西アフリカ全体を再占領した。

■1966年
南西アフリカ人民機構(SWAPO)の武装蜂起によってナミビア独立戦争が始まった。

■1982年
アメリカ合衆国のロナルド・レーガン大統領と南アフリカ政府はキューバ軍のアンゴラからの撤退とナミビアの独立を交換条件とするリンケージ政策を打ち出していたが、クイト・クアナヴァレの戦いによる南アフリカの撤退とキューバの疲弊は全紛争当事者へのこのリンケージ政策の履行を可能にした。

■1988年12月
ニューヨーク協定でリンケージ政策は関係各国に承認され、ついにナミビアは1989年国連監視下で選挙が行われSWAPOが過半数を制し、1990年に制憲議会で憲法を制定した後独立を達成した。初代大統領にはSWAPO議長のサム・ヌジョマが就任した。


サン人
Sanは、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族である。砂漠に住む狩猟採集民族は大変少なく現在ではこのサン人ぐらいしかいない。かつて3000〜2000年前くらいまでは、南部アフリカから東アフリカにかけて広く分布していた。しかし、バントゥー系の人々や白人の進出により激減し、現在はカラハリ砂漠に残っているだけである。かつてオランダ人により Bosjesman(藪の民)と名づけられ、英訳されブッシュマン(Bushman)となったが、侮蔑を含む呼び方であるとされる。しかし研究者やサン人自身の中には、「カラハリの叢林に住む自由人」という意味を込めてブッシュマンと呼ぶ人もいる。

ロジ族
ザンビア西部に住む民族。ザンビア西部州に多い。ザンベジ川上流の氾濫原、バロツェ平原に約50万人が住んでいる。王はリトゥンガと呼ばれる。土地や家畜を初め、すべてのものが王の物とされている。ロジ人は19世紀にロジ王国を建設し、ザンベジ川上流域に勢力を伸ばした。

ヘレロ
Hereroは、バントゥーに属する民族。大部分がナミビアに居住。農業、商業、専門職等に従事。ヒンバ族 - 一般的にナミビア・アンゴラ国境域で家畜業の為に移住する

ヒンバ族
Himbaは、ナミビア北部のクネネ州に住んでいる民族。総人口はおよそ2万から5万人といわれている。牛と山羊を育てながら生活している。1904年、ドイツの軍人であるロタール・フォン・トロータが南西アフリカの先住民に対しジェノサイドを行ない、9割の先住民が殺害されたといわれる。1980年代に、大干ばつが発生し、放牧羊牛の9割が死んだ。住民の多くが放牧をあきらめ、都市部のスラム地帯で難民化した。


ヘレロ・ナマクア虐殺
Herero and Namaqua Genocideは、旧ドイツ領南西アフリカ(現・ナミビア)においてドイツ帝国が先住民族に対して行った虐殺。アフリカ分割の動きの中の1904年から1907年にかけて行われ、20世紀最初のジェノサイドと考えられている。1904年1月12日、ドイツによる南部アフリカの侵攻により土地を追われた先住民族のヘレロ族がサミュエル・マハレロ(英語版)の指揮の下、ドイツ人への無差別攻撃を開始した(ホッテントット蜂起)。これに対してドイツは8月、ロタール・フォン・トロータ将軍の指揮でこれを破り、カラハリ砂漠に追い込み、英領ベチュアナランドを目指して脱出した途上で多くが渇きのために死んだ。ベチュアナランドに辿り着いたのは1000人以下だった。10月にはナマクア族も蜂起したが同様の結果に終わった。ドイツは先住民を強制収容所へ収容したり強制労働に従事させた。結果、約60,000人のヘレロ族(全人口の80%)、10,000人のナマクア族(全人口の50%)が死亡した。この虐殺の特徴は、1つは餓死であり、もう1つはナミブ砂漠に追いやられたヘレロ族とナマクア族の使用する井戸における中毒死である。


■宗教
キリスト教が8割から9割で、それ以外は現地固有の宗教である。

■教育
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は85%(男性:86.8% 女性:83.5%)である[5]。

■保健
HIVが蔓延し国民の健康を脅かす重大な脅威となっている。国民の約7人に1人がAIDS患者であり、HIVキャリアはそれ以上と推定されている。


ドイツ領南西アフリカ
かつてのドイツ植民地帝国内の植民地。1884年から1915年まで存続し、その後南アフリカ連邦に占領され南西アフリカという名称に変更、1990年にナミビアという国名で独立を果たした。面積は835,100平方キロメートルであり、当時のドイツ帝国の面積の1.5倍であった。1883年、ドイツ人商人アドルフ・リューデリッツが、大西洋に面したアングラ・ペケーニャ地域を先住民の長から購入した。リューデリッツの町と、近接した海岸およびリューデリッツ湾は彼にちなみ名付けられた。1884年4月24日、イギリスの侵入を妨げるためにドイツ帝国の保護を受けた地域に、リューデリッツは投資した。1884年初め、ドイツ帝国海軍の軍艦ノイティルスが、リューデリッツの買った場所を視察するため訪れた。政府から承諾の通知がされ、そしてイギリスから黙認され、ドイツの軍艦ライプツィヒとエリーザベトが滞在した。1884年8月7日、南西アフリカの地についにドイツ国旗が掲揚された。


コールマンスコップ
Kolmanskopは、ナミビアの南方にあるゴーストタウン。港町リューデリッツから2,3km内陸部にある。ここは元は小さな炭坑町であった。今は合弁会社NAMDEBが運営するツアーの人気の目的地になっている。ここは1908年この地域でダイアモンドが発見されてから発展し、ナミビア砂漠の過酷な環境の中で働く労働者たちにとって格好の休息地となっていた。かつては、ドイツ領南西アフリカの一部であったことから、村はドイツ風の外見を持ち、病院、ダンス場、発電所、学校、ボウリング場、劇場、そして体育館、カジノ、製氷工場、そして南西アフリカでは最初の物性研究所もあった(2007年2月現在のデータ)。リュデリッツへの鉄道線もあった。


カプリビ回廊
Caprivi Stripは、ナミビア共和国の東部に450km(280マイル)あまり細長く飛び出した領土。南側はボツワナ共和国に、北側はアンゴラ共和国とザンビア共和国に接し、西部でナミビアのカバンゴ州につながっている。また、クアンド川(Cuando)・リニヤンティ川(Linyanti)・チョベ川(Chobe)・ザンベジ川(Zambezi)に接している。地域で最も大きな集落は、カティマ・ムリロである。カプリビ回廊の住民が使っている言語には、数種類ものアフリカ言語がある。多くはバントゥー語群の言語を話している。


アパルトヘイト
(Apartheid)は、アフリカーンス語で分離、隔離の意味を持つ言葉。特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。1985年、英米のロック・ソウル・ジャズ等のスター約50名による「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」(en:Artists United Against Apartheid)の「サン・シティ」というシングルが発売された。折からのチャリティー・ブームに乗った企画であったが、リベラルな内容ゆえにアメリカの保守的な地方でのオンエアは控えめであった。ビルボードでは最高38位を記録している。参加者はスティーヴ・ヴァン・ザント(提唱者、Eストリートバンドメンバー)、マイルス・デイヴィス、ホール&オーツ、パット・ベネター、ブルース・スプリングスティーン、デヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックス、ピーター・ギャレット、ボノ、アフリカ・バンバータ、ボブ・ディラン、RUN D.M.C.、ノナ・ヘンドリックス、キース・リチャーズ、ロン・ウッド、グランドマスター・メリー・メル、ルー・リード、リンゴ・スター、ザック・スターキー等。


バントゥースタン
Bantustansは、かつて存在した南アフリカ共和国の自治区および「独立国」。アパルトヘイトの建設者といわれる南アフリカ共和国首相ヘンドリック・フルウールトは、同法に対する国際社会の非難をかわすために1959年にバントゥー自治法を制定し、南アフリカを白人地域(87%)と黒人地域(13%)に二分し、黒人地域に関しては10の主要集団ごとにバントゥースタンを創設した。

 


<世界遺産>

トゥウェイフルフォンテーン
ナミビアのクネネ州に残る2000点以上の岩石線画群からなる遺跡である。2007年にナミビアでは初となるユネスコの世界遺産に登録された。トゥウェイフルフォンテーンの線画群は西暦1000年までの2000年ほどの間に作り上げられたものである。そこに描かれているのはサイ、ゾウ、ダチョウ、キリンなどで、人や動物の足跡も刻まれている。


サム・ヌジョマ
Samuel Daniel Shafiishuna Nujoma、1929年5月12日 - は、ナミビアの政治家。大統領(初代)、南西アフリカ人民機構議長(初代)を歴任。ナミビア独立闘争の英雄で、1966年から1990年までのナミビア独立戦争を指導していた。

ヒフィケプニェ・ポハンバ
Hifikepunye Lucas Pohamba、1935年8月18日 - は、ナミビア共和国の政治家。大統領(第2代)。南西アフリカ人民機構議長(第2代)。子供の時、ポハンバは南アフリカ聖公会の教育を受けた。1960年、25歳のポハンバは南西アフリカ人民機構(SWAPO)の創設メンバーの一員となった[2][3]。政治活動を行い逮捕されたが、南ローデシアに送れられた後しばらくして強制送還されている。

ナハス・アングラ
Nahas Gideon Angula、1943年8月22日- は、ナミビアの政治家。2005年3月21日に、同日就任したヒフィケプニェ・ポハンバ大統領から首相に任ぜられた。コロンビア大学から教育学の修士号を与えられている。オシコト州オニャーニャ生まれ。1965年から89年まで国外追放に遭い、73年から76年までザンビアのラジオ局に勤め、76年から80年まで国際連合で職員として勤めた。1980年に南西アフリカ人民機構(SWAPO)の発起人となった。

 

ナミビア Namibia
アフリカ南西部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面する。首都はウィントフック。

ウィントフック
Windhoekは、ナミビアの首都。ヴィントフックと表記されることもある。1885年にドイツ帝国軍がこの地域を占領。1892年よりドイツ領南西アフリカの首都となった。ナミビアの商業、工業の中心地で住民の過半はバントゥー諸民族が住み、同国のおよそ6%を占めるドイツ系住民もいる。


ウィンドフック・ホセア・クタコ国際空港
Windhoek Hosea Kutako International Airportとは、ナミビアの首都、ウィントフックから国道B6号で42キロメートル東方の郊外にある国際空港である。ウィントフックには他に近郊のエロス空港があるが、滑走路が短く大型機の着陸に適さないため、大型機についてはこの空港が利用される。


外務省:ナミビア
在南アフリカ共和国日本国大使館兼轄


ウォルビスベイ
Walvis Bayは、ナミビア共和国の沿岸中部、大西洋に面する天然の良港である。ウォルビス・ベイを含む一帯は、南アフリカ共和国がナミビア独立前に自国に併合していたため、1990年3月21日のナミビア独立後も引き続き南ア領であるとして自国領土とし、飛び地として占領していた。これに対しナミビア政府が再三の返還要求を行った結果、1994年3月1日にナミビアに返還された。

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スワコプムント
Swakopmundはナミビアの大西洋に面した都市である。人口は28,552人(2007年)。エロンゴ州の州都でもある。1892年にドイツ領南西アフリカの主要港として建設された。ナミビア第一のビーチリゾート地であり、夏期には首都ウィントフックなどの内陸の都市から多くの人が避暑に訪れる。この都市はドイツ植民地の建築様式を最も良く留める都市の一つである。

マリエンタール
Marientalは、ナミビアの都市。ナミビア南部に位置し、ハルダプ州の州都である。北274kmにある首都ウィントフックと南232kmにあるケートマンスフープとを結ぶ国道B1号や鉄道線・トランスナミブがこの街を通る。マリエンタールは乾燥した気候下にある小さな都市で、ナマ人が多く住む。マリエンタール駅は1912年、ウィントフックとケートマンスフープとを結ぶ鉄道駅として建設された。1962年には近郊にナミビア最大のダムであるハルダプ・ダムが建設された。

リューデリッツ
ナミビア共和国南部のカラス州に位置する大西洋に面した港町である。ロバート港とシャーク島の周辺に開発された小規模な良港がある。1883年、ドイツ人商人アドルフ・リューデリッツの代理であったハインリヒ・フォーゲルザングが、アングラ・ペケナやその周辺の土地をナマクア族から購入し、街が作られた。町の名称は、このリューデリッツの名前に由来する。リューデリッツは交易によって、また漁業やグアノの採掘によって生計が立てられていた。リューデリッツは、アール・ヌーヴォーなど植民地時代の建築が残っていることや、アシカやペンギン、フラミンゴ、ダチョウといった野生生物でも知られている。以前は、ケートマンスフープへつながる鉄道があった。リューデリッツから内陸に数キロ入ったところには、ゴーストタウンとなったコールマンスコップがある。

ツメブ
Tsumebは、ナミビアの都市。人口44,113人。ナミビア北部に位置し、オシコト州最大の都市である。以前は同州の州都であったが、2008年に州北部にあるオムチヤへと州都は移転した。ツメブはナミビア北部の玄関口となる都市であり、エトーシャ塩湖などの観光の拠点となっている。また、世界最大の隕石であるホバ隕石は、ツメブから車で40分ほど西にいったホバに存在する。

ケートマンスフープ
(Keetmanshoop)は、ナミビアの都市。ナミビア南部に位置し、カラス州の州都である。人口16800人。トランスナミブ鉄道が走っており、北の首都ウィントフックや南の南アフリカ共和国のウピントンと連絡している。国道B1号 (ナミビア)もこの街を通る。


クネネ州
カオコランドとしても知られるクネネ州はナミビアの13の州のうちのひとつで、少数民族のヒンバ族が住む。他のナミビアの州と比べて、比較的開発が進んでいない。 山がちで近づきにくい地形で、乾燥しているために農業ができない。インフラの道路はほとんど無い。クネネ州は、南アフリカのなかでは実に「未開」なところの一つであり、ゾウなどの野生生物の多様性を誇りにしているところである。

カプリビ州
Caprivi, は、ナミビアに属し、南にボツワナ、北にアンゴラとザンビアが接する。州都はカティマ・ムリロ。 カプリビは、ドイツのレオ・フォン・カプリヴィ首相にちなんで名づけられた。 カプリビには約80,000人の人々が住んでおり、これはナミビアの人口の4パーセントである。そのうちの約17,000人は少数民族のロジ人で、周辺国に住むロジ人をあわせると 556,000人と推定されている。

カラス州
その名前はカラス山脈の南側が地域に存在することに由来する。カラス州の都市としてはケートマンスフープ, カラスブルグ, ベサニー, リューデリッツが挙げられる。この地域は小規模な農村地帯と、大部分のヒツジ・ヤギといった牧畜地帯によって構成される。港湾都市のリューデリッツでは、漁業 と造船業が盛んで、海岸沿いから沖合いにかけてはダイヤモンド生産地域がある。

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エロンゴ州
エロンゴはナミビアの13の州のうちの一つ。 エロンゴ州はウガブ川に沿い、ウォルビス湾と面したスワコプムント地区とオマルル地区、カリビブ地区とによって構成される。この州内にあるエロンゴ山にちなんで名づけられた。 州中心部の道路は舗装されている。州都はスワコプムントだが、州内最大都市はウォルビスベイである。


ダイヤモンド
diamondは、炭素(C)の同素体の1つであり、実験で確かめられている中では天然で最も硬い物質である。日本語で金剛石(こんごうせき)ともいう。結晶構造は多くが8面体で、12面体や6面体もある。宝石や研磨剤として利用されている。ダイヤモンドの結晶の原子に不対電子が存在しないため、電気を通さない。


ンゴマ
Ngomaはナミビア・カプリビ州の村。ンゴマはクワンド川にかかるンゴマ橋周辺の集落で、ボツワナとの国境地帯にあたる。ンゴマはカティマ・ムリロの約61km南にあり、両者は国道B8号で結ばれている。


デルフィンストラント
Dolfynstrand=イルカの浜辺)はナミビア大西洋岸・エロンゴ州のビーチリゾート地。ラングストラントのすぐ南、ラント・ライフルズの北に位置し、ウォルビスベイから国道B2号で北に約20kmの場所である。1970年代にリゾート地として確立した。デルフィンストラントの定住者は数百人ほどであるが、行楽シーズンには数千もの観光客が訪れる。


ラングストラント
Langstrandはナミビア大西洋岸の小さなビーチリゾート地。英語圏の旅行者からは、しばしば「ロングビーチ(Long beach)」(Langstrandの直訳)と呼び習わされている。この地域のバーニング・ショア・ホテルが急速に注目されたことがあったが、これは2006年にアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが妊娠期間を過ごし、娘シャイロを出産したことによるものだった。


トランスナミブ
Trans Namibは、ナミビアの国有鉄道である。鉄道事業のみならず、バス事業や旅行業も行っている。本社は首都のウィントフックにある。ナミビアにおける最初の鉄道は、1895年にダマラランド・グアノ会社によって建設された。その後、ドイツ領南西アフリカ政府が国有鉄道を建設し始め、海港のスワコプムントとウィントフックを結ぶ383kmの鉄道路線が1902年6月19日に完成した。第一次世界大戦後は、南アフリカがこの地の鉄道整備と南アフリカ本土への連絡線建設を行った。ナミビア独立後は、トランスナミブがナミビア全土の国有鉄道路線を管理することとなった。

ナミビア航空
Air Namibia)は、ナミビアの首都ウィントフックにあるウィンドフック・ホセア・クタコ国際空港本拠地とする航空会社。同国のフラッグ・キャリアである。ナミビア航空はサウスウエスト・エア・トランスポートとして1946年に設立され、1948年に運航を開始。1991年10月に現在のナミビア航空に名称変更。


南西アフリカ人民機構
South-West Africa People's Organisation,SWAPOは、ナミビアの政党。もとはナミビアがドイツ領であった第一次世界大戦中に独立運動を行っていた勢力が、大戦後に勢力を結集してできた武装組織。1960年代に強硬派武装組織から大衆組織へと改組され、合法的手段で(武力を用いることもあったが)独立を求めるようになった。ナミビア北部に居住するオバンボ人中心の組織で、ドイツ撤退後の南アフリカによる統治にも反抗し、国際社会に人権状況を訴えるなどした。1966年からザンビアを拠点にナミビア独立戦争を開始し、1973年の国際連合総会でナミビア代表として認められた。

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民主ターンハーレ同盟
Democratic Turnhalle Alliance、DTAは、ナミビアの政党。2009年11月の選挙では、ナミビア国会に2議席を獲得した。ナミビア独立以来野党であるが、党勢は長期低落傾向を示している。イデオロギーは中道右派。党首はKatuutire Kauraである。ナミビア独立時の党首はMishake Muyongoであり、1994年の大統領選挙に出馬して与党南西アフリカ人民機構(SWAPO)のサム・ヌジョマ大統領に敗れたものの、23.08%の票を獲得した。


1.面積:82.4万平方キロメートル(日本の約2.2倍)
2.人口:
210万人(2007年:世銀) 人口増加率1.3%(2007年:世銀)
3.首都:
ウィントフック(人口:28万人(2001年現在))
4.民族:オバンボ族、カバンゴ族、ダマラ族、ヘレロ族、白人他
5.言語:英語(公用語)、アフリカーンス、独語、その他部族語
6.宗教:キリスト教、伝統宗教

1884年 「南西アフリカ」として独の保護領となる。
1914年 南アフリカ軍、南西アフリカに侵攻、占領。
1920年 南アフリカ、国際連盟の委任統治制度の下で南西アフリカ統治を開始。
1945年 南アフリカ、南西アフリカを国連の信託統治制度の下に移行させることを拒否、不法統治開始。
1966年 国連総会、南西アフリカに対する南アフリカの委任統治終了を決定(決議2145)。
1968年 国連総会、南西アフリカをナミビアと改称。(同地域のナミブ砂漠に由来)
1978年 国連安保理、国連ナミビア独立支援グループ(UNTAG)の設置を決定(決議435)。
1988年 南アフリカ、アンゴラ、キューバ間の和平協定成立。南アフリカ、ナミビアの独立に合意。
1989年4月 安保理決議435実施、UNTAG活動開始。
1989年11月 憲法制定議会選挙実施。
1990年2月 ナミビア共和国憲法採択。
1990年3月21日 ナミビア共和国独立。
1990年4月23日 国連加盟。
1994年3月1日 南アフリカ、ウオルビス・ベイをナミビアに返還。
1994年12月 独立後初の大統領・国民議会選挙実施。
1995年3月 独立5周年式典においてヌヨマ大統領(第2期)就任。
1999年12月 大統領・国民議会選挙においてヌヨマ大統領再選。
2000年3月 独立10周年式典においてヌヨマ大統領(第3期)就任。
2004年11月 大統領・国民議会選挙においてポハンバ大統領選出。
2005年3月 ポハンバ大統領就任

■主要産業(農)牧畜(鉱)ダイヤモンド、ウラン、銅、亜鉛(漁)えび、いわし、あじ

■主要貿易品目(1)輸出 ダイヤモンド、工業製品、食料品・家畜、その他鉱物
(2)輸入 自動車製品、精製石油、化学品、機械製品、食料品


ナミビア・ドル
(Namibian dollar)は1993年以降ナミビア共和国で使用されている通貨単位。ナミビア銀行により発行されている。 単位記号 は$もしくは他の同名の通貨と区別するためにN$と記される。補助単位はセントで1ドル=100セント。

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■経済
牧畜や、ダイヤモンド、ウラン、亜鉛などの鉱業が主。経済的には南アフリカへの依存度が高い。人口の少なさ、鉱物資源の豊富さ、整備されたインフラによって、アフリカでは比較的豊かな国であるが、貧富の差が激しい。

■住民
オバンボ族が約50%、カバンゴ族が9%、ダマラ族が7%、ヘレロ族が7%、その他白人(ドイツ系、オランダ系の子孫であるアフリカーナーなど)が6%などとなっている。

■言語
公用語は英語であるが、1990年の独立以前の公用語であったアフリカーンス語とドイツ語の方がよく使用される。また、バンツー語族であるオバンボ語も使われている。


アフリカーンス語
(Afrikaans)は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派で西ゲルマン語群に属する低地ドイツ語に属し、オランダ語から派生した言語である。クワズール・ナタール州以外の南アフリカ共和国全土に広く普及しており、オランダ系白人であるアフリカーナー(かつてはブール人と呼ばれた)が母語とするほか、カラード(白人と黒人など有色人種の混血)にも母語とする者が多い。


フランク・フレデリクス
Frank Fredericks, 1967年10月2日 - は、ナミビアの元陸上競技者で、短距離(特に200m)が専門。競技中のポーカーフェイスぶりから、“ナミビアの鉄仮面”の異名をとる。夏季オリンピックに3度出場し、銀メダルを計4つ獲得した。男子短距離走の個人種目におけるオリンピックのメダル獲得数「4」は、カール・ルイス、アト・ボルドンと並ぶ最多記録である。選手としての活躍もさることながら、彼の温厚な性格や、若手選手の育成のみならず恵まれない人々への援助を惜しまないことなどから、陸上競技関係者の間では人望が厚い。

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