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マダガスカル共和国
Republic of Madagascar

アフリカ

■地理
島の中央を3000m以下の峰々が南北に連なる。最高峰は北部にあるマルムクトル山(標高2876m)である。山脈の東側は熱帯雨林、西側は森林とサバナが広がる。南部は砂漠が発達し、バオバブが見られる。東海岸にはCanal des Pangalanes(パンガラン運河)と呼ばれる天然と人造の運河が460km続く。西海岸には多数の港があるが、山地からの土砂の流入が問題である。中央高原にある首都アンタナナリヴの標高は約1300mで、水田が広がる。マダガスカルは米一人当たり世界一の消費国である。ラテライトによる赤い裸地が多い。


マダガスカル島
Madagascar Island は、アフリカ大陸の南東、インド洋西部に位置する世界第4位の面積を持つ島。現在は、全域がマダガスカル共和国の領土となっている。島の面積は、587,041km2で、島の広さはグリーンランド島、ニューギニア島、ボルネオ島に次ぎ、世界第4位である。島は南北方向に長く約1600kmで、東西方向で約570km。一番近い大陸であるアフリカ大陸までは、モザンビーク海峡によって隔てられており、その距離は約400kmである。

インド洋
Indian Ocean、は、太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つである。三大洋中最も小さい。面積は約7340万平方km、沿海との合計面積は7410万平方kmである。地球表面の水の約20パーセントが含まれる。北はインド、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカから、西はアラビア半島およびアフリカに接し、紅海とつながる。

モザンビーク海峡
Mozambique Channelはアフリカ南東部、モザンビーク共和国とマダガスカルとの間にあり、長さ約1,600km、幅400〜800kmの海峡。ヨーロッパとアジアを結ぶ航路として重要であり、北部にコモロ諸島(コモロおよびフランス領マヨット)、南部にバサス・ダ・インディア島、ユローパ島などの島がある。北から南へモザンビーク海流が流れる。

パンガラン運河
(canal des Pangalanes)は、マダガスカルの運河。パンガラヌ運河とも呼ばれる。マダガスカル東部海岸を、北のトアマシナから南のファラハンガナまでの700kmを海岸に並行して走る。マダガスカル東岸に延々と続く潟湖を利用し、それに手を加えた人工の運河で、50トンまでの艀も通行できる。波の荒い外洋に出ず小さな船でも安全に航行できるため、特に道路の未整備な時代には重要な交通路となっていた。 1979年には沈泥の堆積により使用できなくなったものの、1985年に大規模な浚渫工事が行われ、再び使用が可能になった。現在でも、特に並行道路のないトアマシナからマナカラ間においてフェリーや貨物の輸送が行われている。


アウトリガーカヌー
(Outrigger canoe) は、南太平洋などで用いられるカヌーの一種。安定性を増すために、カヌー本体の片脇あるいは両脇にアウトリガーとも呼ばれる浮子(ウキ)が張り出した形状をしている。東南アジア島嶼部で主に用いられていたのは、船体の両サイドにアウトリガーを取り付けたダブル・アウトリガーカヌーである。このタイプはインドネシア、フィリピン、マレーシアなどを中心に現在でも広く使われている。

航海カヌー
Voyaging Canoe Vaka Moana Waka Houlua)は遠洋航海用の船舶の一種である。代表的な航海カヌーは、メラネシアのトロブリアンド諸島のクラ交易で使用されたシングル・アウトリガーカヌー、ミクロネシアのカロリン諸島のサウェイ貿易で使用されたシングル・アウトリガーカヌー、ポリネシアで用いられた交易・植民用のダブル・カヌーなどである。


東方見聞録
マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である。当時のヨーロッパの人々からすると、マルコ・ポーロの言っていた内容はにわかに信じ難く、彼は嘘つき呼ばわりされたのであるが、その後多くの言語に翻訳され、手写本として世に広まっていく。後の大航海時代に大きな影響を与え、またアジアに関する貴重な資料として重宝された。探検家のクリストファー・コロンブスも、1438年から1485年頃に出版された1冊を持っており、書き込みは計366箇所にも亘っており、このことからアジアの富に多大な興味があったと考えられる。


奴隷貿易
大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(イギリス)とアフリカとアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(→三角貿易)。


マダガスカル語
Malagasy、マラガシ)はアフリカ東部のインド洋に浮かぶマダガスカル島で話される言語。マダガスカル共和国の国語であると共に、フランス語とならんで同共和国の公用語となっている。マダガスカル語はオーストロネシア語族に所属する。紀元5世紀頃にマレー系民族がインド洋を越えて移住した結果とされる。この移住について歴史上の記録は一切ないので詳細は不明だが、言語学的には、ボルネオ島のバリト諸語(ダヤク族の言語)に近いとされる。


バオバブ
英名:Baobab、学名:Adansoniaはアオイ目アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではパンヤ科)バオバブ属の総称のこと。
「バオバブ」の名は、16世紀に北アフリカを旅したイタリア人植物学者が「バ・オバブ」と著書に記したのが始まり。もとはアラビア語のブー・フブーブ(種がたくさんあるもの)から来ているという説がある。サバンナ地帯に多く分布する。幹は徳利のような形をしており、高さは約20メートル、直径は約10メートルに及ぶ。最大のものは南アフリカのリンポポにある高さ47m、直径15mである。


ラテライト
lateriteは、成帯土壌と呼ばれるもののうち、湿潤土壌に分類される土壌のひとつである。ラトソル、ラトゾルまたは紅土とも呼ばれる。語源はラテン語のLater(「煉瓦」の意)。サバナや熱帯雨林に分布する。地表の風化物として生成された膠結物質(粒子間に鉱物が入り込み、それが接着作用をしたもの)である。雨季に有機質が微生物により分解することに加えて珪酸分や塩基類が溶脱したことにより残った鉄やアルミニウムなど金属元素の水酸化物が表面に集積して形成される。


マダガスカルの歴史
マダガスカルの最初の住人は、アウトリガーカヌーの存在や言語学の研究から、東南アジア島嶼(とうしょ)部から渡ってきたことは確実視されていたが、2005年に発表されたマシュー・ハールスによるDNA研究により、1世紀前後、ボルネオ島から航海カヌーでインド洋を横断してマダガスカルに移り住んだことがほぼ確実視されるようになった。その後、アフリカ大陸東部から渡ってきた人々とボルネオ系(マレー・ポリネシア系)の人々は混血し、ヨーロッパ人到達以前にそのDNA上の比率は半々になっていたと考えられる。


<歴史>
■5世紀頃
ボルネオ島からマレー系の言語を話す人々が到来。今のマダガスカル人の祖先となる。12世紀頃 イスラム教徒海岸部で交易
■1642年
フランス、島東南部にドーファン要塞を建設
■1885年
フランス、メリナ王国の保護領化を主張。1890年 イギリス、フランスの保護領化を承認。1896年 メリナ王国滅亡、フランス植民地成立
■1940年
マダガスカル植民地政府、ヴィシー政権を支持
■1942年5月5日
英軍上陸。フランス軍と戦闘。29日、日本海軍特殊潜航艇が、島の北端のディエゴ・スアレス港の英艦を撃沈し偵察兵が上陸(マダガスカルの戦い)。
■1943年
自由フランスの支配が認められる
■1947年対仏反乱( - 48年)。犠牲者数約8万人
■1958年
フランス共同体内の自治領・マルガシュ共和国となる
■1960年 完全独立
■1975年 マダガスカル民主共和国に改称


ベツィレウ人
Betsileoは、マダガスカルの民族。人口約150万人。マダガスカルの人口の12.1%を占め、メリナ人、ベツィミサラカ人に次いで3番目に大きな民族グループである。言語はマダガスカル語である。中央高地南部、フィアナランツォア州の高原部に主に住む。「ベツィレウ」とは、「無敵の人々」という意味である。

メリナ人
(Merina)は、マダガスカルの民族。マレー・ポリネシア語派に属する。首都アンタナナリボを中心とする中央高地に住む。17世紀にメリナ王国を建国し、マダガスカル全島をほぼ統一して以降、マダガスカルの政治経済の主導権を握ってきた。メリナ人は、1世紀前後にインドネシアから移住してきたマレー・ポリネシア系民族の末裔とされている。17世紀にメリナ王国を建国し、19世紀にはほぼ全島を支配下に置くものの、やがてフランスに押され、1896年にメリナ王国は滅亡、フランスの支配下に置かれた。

ベツィミサラカ人
Betsimisarakaは、マダガスカルの民族。主にマダガスカル東沿岸、トアマシナ州に住む。マダガスカル人口の15%を占め、メリナ人に次いで2番目に大きな民族である。言語はマダガスカル語を話す。焼畑による稲作を中心とする農業や、漁業を主な生業とする。ベツィミサラカとは「離れられない多くの人々」という意味である。ベツィミサラカ人が民族として成立したのは18世紀前半、英国人海賊とマダガスカル人との間に生まれたと称するラツィミラフという王がマダガスカル東部沿岸を統一し、ベツィミサラカ王国を建国して以後である。

サカラヴァ人
Sakalavaは、マダガスカルの民族。人口約70万人。マダガスカル西部海岸に住み、主にマハジャンガ州及びトゥリアラ州北部に居住する。マダガスカルで5番目に大きな民族グループであるが、居住地域はマダガスカル各民族中最も大きい。サカラヴァとは「長い渓谷に住む人々」という意味である。

ツィミヘティ人
Tsimihetyは、マダガスカルの民族。人口は約100万人。主にマダガスカル北部のアンツィラナナ州や、マハジャンガ州北部、トアマシナ州北部の各内陸部に居住する。マダガスカルで4番目に大きな民族グループである。言語はマダガスカル語を使う。「ツィミヘティ」とは、「髪を切らない人々」という意味である。


■国民
言語:国語はマレー系のマダガスカル語。ほかにフランス語を公用語とする。フランス語圏の国である。2007年に英語が公用語に加えられたのは、英語圏である周辺諸国との交流のための補足的なものであったが、2010年の投票により英語は公用語から除外された。英語を解する国民はごく一部に限られる。学校教育における言語はフランス語。

■民族
メリナ人26%、ベツィミサラカ人15%、ベツィレウ人12%、ツィミヘティ人7%、他にサカラヴァ人など。


■宗教
アニミズムなどの伝統宗教52%、キリスト教41%、イスラム教7%。

アニミズム
animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。

キリスト教
hristianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントなど)は「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。


ヴァリハ
(Valiha)は、マダガスカルの竹でできたツィターである。 竹または金属でできた皮の上に張られた弦を爪弾くことによって音を出し、長い糸巻をてこで動かし、弦は小さな柱に支えられている。 弦は自転車のブレーキケーブルでできていることがほとんどであり、糸巻ごとの弦はゆるく、それぞれの弦は奏者にもよるが1本か2本の糸巻でできている。


ゴンドワナ大陸
Gondwanaは、プレートテクトニクスにおいて、過去に存在したと考えられている超大陸。名前の由来はインド中央北部の地域名で、サンスクリット語で「ゴンド族の森」を意味する。現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸や、アラビア半島、マダガスカル島を含んだ、かなり大きな大陸であった。

レムリア
Lemuriaは、イギリスの動物学者フィリップ・スクレーター(英語版)(1829年 - 1913年)が1874年に提唱した、インド洋に存在したとされる仮想の大陸説。アフリカのマダガスカル島にはキツネザルが生息しており、この仲間は世界中でここからしか知られていない。しかし化石種がインドから発見されており、また近縁の原猿類はこの島を挟んでアフリカ中部と東南アジアのマレー半島・インドネシアにのみ生息する。このようにインド洋を隔てた両地域には近縁な生物が見られる(隔離分布)。

ジュラ紀
Jurassic period)は現在から約1億9960万年前にはじまり、約1億4550万年前まで続く地質時代である。三畳紀の次で白亜紀の一つ前にあたる中生代の中心時代、あるいは恐竜の時代と言える。ジュラ紀の名前は、フランス東部からスイス西部に広がるジュラ山脈において広範囲に分布する石灰岩層にちなみ、1829年にアレクサンドル・ブロンニャールにより提唱された。


<世界遺産>
ツィンギ・デ・ベマラハ厳正自然保護区
ツィンギとは、マダガスカル語で「先の尖った」という意味。剃刀のような尖った岩が多数並ぶ特異な景観が広がっている。この岩山は、石灰岩のカルスト台地が数万年かけて侵食され、形成したものと考えられている。

アンブヒマンガの丘の王領地
アンブヒマンガは、マダガスカル語で「青い丘」、「美しい丘」の意味。丘の上のロヴァ(Rova)には王宮跡とそれを取り囲む要塞跡が残り、現在では博物館として公開されている。

アツィナナナの雨林
マダガスカル島東部の6つの国立公園にまたがる森林である。この古い森林は、6000万年以上前に他の大陸と別れたこの島の地理上の歴史を物語ってくれるものといえる。2007年には、キツネザルなどの絶滅危惧種の生息や生物多様性が評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。

アルベール・ザフィ
927年5月1日-は、マダガスカルの政治家。1993年3月27日から1996年9月5日まで、同国大統領を務めた。ザフィは1927年、アンツィラナナ州ディアナ地区のアンビロベで生まれた。フランスのモンペリエ大学を卒業した後マダガスカルに戻り、ガブリエル・ラマナンツォア内閣で公衆衛生・社会事業大臣となった。ディディエ・ラツィラカが1975年に政権を握ると、ザフィは政府を辞職しマダガスカル大学に移った。1988年、彼が設立した民主開発国民連合(UNDD)が1990年に野党化し、野党の連合である社会勢力行動委員会(CFV)が設立されると、ザフィはUNDDを率いてCFVの総裁となった。1991年7月、ザフィは一週間拘束されたものの、10万人の支持者が彼の釈放を求め、ザフィは釈放された。

マーク・ラヴァルマナナ
Marc Ravalomanana, 1949年12月12日 - は、マダガスカルの政治家。同国大統領などを歴任。日本の報道ではラバロマナナ、あるいはラベロマナナと表記されることもある。メリナ族出身。少年のころ、自家製ヨーグルトをポットに入れて、自転車に乗せてアンタナナリボ市内を売ってまわっていた。この自家製ヨーグルトが評判を呼び、彼はティコという会社を立ち上げる。ティコ社は、マダガスカル最大の日用品メーカーとなる。彼は有数の資産家となった。

モンジャ・ロインデフォ
Monja Roindefo Zafitsimilavo、1965年 -はマダガスカル共和国の政治家。11代首相。元暫定首相。1965年にMonja Jaonaの息子として生まれる。2006年12月3日に行われた大統領選挙に立候補し、21票を集めたが、敗れる。2009年2月に、当時マダガスカル大統領のマーク・ラヴァルマナナはマダガスカル野党指導者のアンドリー・ラジョエリナをアンタナナリヴ市長から解任した。そして更に国防相と軍参謀長を事実上解任し、国民はこれに怒り、辞任デモを行った。

ウィリアム・キッド
(William Kidd, 1645年 - 1701年5月23日)は、スコットランド西部生まれの私掠船、海賊船の船長。キャプテン・キッドの別名が広く知られている。新しい乗船となったアドベンチャー・ギャリー号は、海賊退治に相応しく、36門の大砲と70人の乗員を持つ強力な船であった。航海が進むにつれ、キッドの活動は委任を受けた私掠船というより、海賊の活動に近づいていくことになる。

ジル・アンドリアマハゾ
Gilles Andriamahazo、1919年5月13日 - 1989年9月14日)は、マダガスカルの軍人、政治家。1975年2月12日から6月15日までの間、マダガスカルの大統領を務めた。アンドリアマハゾは、1919年5月13日にトラニャロで生まれ、フランス軍に入隊して、第二次世界大戦やアルジェリアの作戦などに従事した。マダガスカル独立後はマダガスカル軍に属し、将校として1976年に退役した。

アンドリー・ラジョエリナ
Andry Nirina Rajoelina、1974年3月30日 - は、マダガスカルの政治家。現在、高等暫定統治機構議長(暫定大統領)として同国国家元首の地位にある。決意したマダガスカルの青年党首。日本の報道では朝日新聞のみがアンドリー・ラジェリナと表記している。1974年誕生。1994年から2000年まで、ライブやイベントの主催者として活動。1999年には、マダガスカル最初の広告代理店を設立した。また、ディスクジョッキーなども務めた。2007年12月12日に実施された首都・アンタナナリボ市長選挙に立候補し、当選する。自ら経営するテレビ局を中心に政府批判を行い、国外退去処分を受けた元大統領のディディエ・ラツィラカのインタビューを放映した。

マルコ・ポーロ
Marco Polo、1254年9月15日 - 1324年1月8日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Divisement dou monde)』)を口述した冒険家でもある。商取引を父と叔父であるニコーロとマフェオ・ポーロ に学んだ。1271年、父・叔父と共にアジアに向け出発し、以降24年間にわたりアジア各地を旅する。帰国後、ジェノヴァとの戦争に志願し、捕虜となって投獄されるが、そこで囚人仲間に旅の話をし、これが後に『東方見聞録』となった。

マダガスカル Madagascar
アフリカのインド洋に浮かぶマダガスカル島を領土とする共和制国家。マダガスカル島は長さ約1,570km、最大幅約580kmで世界第4位の大きさを持つ島である。首都はアンタナナリボ(通称タナ)。島の中央を3000m以下の峰々が南北に連なる。最高峰は北部にあるマルムクトル山(標高2876m)である。山脈の東側は熱帯雨林、西側は森林とサバナが広がる。南部は砂漠が発達し、バオバブが見られる。東海岸にはCanal des Pangalanes(パンガラン運河)と呼ばれる天然と人造の運河が460km続く。

アンタナナリボ
マダガスカルの首都。マダガスカル島のほぼ中央に位置する。略称で「タナ(Tana)」と呼ばれることも多い。アンタナナリヴの意味は直訳すると1000の町。1000とは「数が多い」の意味。マダガスカルの中央に広がるマダガスカル高原に位置し、標高は1,200mを越える。マダガスカル最大の都市で首都機能を持ち、マダガスカル経済の中心地でもある。2004年現在の人口は、約90万人。周辺部も含めると400万人が生活している。


イヴァト空港
Ivato Airportは、マダガスカルの首都アンタナナリボにある空港。


外務省:マダガスカル共和国
在マダガスカル日本国大使館


マハジャンガ
Mahajangaはマダガスカルの都市。マハジャンガ州の州都。人口は135660人(2001年)。かつてはマジュンガと称された。マダガスカルの北西部に位置する港湾都市。ボンベトカ湾に面している。工業が発達しており同都市から海路で輸出されるほか、美しい海岸線と小雨の気候から、国内外を問わず観光客にも人気がある。街の北東に国際空港であるアンボロヴィー空港があり、各地と空路で結ばれている。

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トアマシナ
Toamasinaは、マダガスカル東部の港町。タマタブ(Tamatave)とも呼ばれる。人口179,045人(2001年)。トアマシナ州の州都で、マダガスカル第2の都市である。マダガスカル最大の港であり、首都アンタナナリボの外港としての役割も持つ。インド洋に面し、モーリシャスやスリランカへの船が出ている。また、ここから南のマナカラやファラハンガナまで海岸線に沿って700kmに及ぶパンガラン運河が伸びている。街の名前は、内陸部にあったメリナ王国のラダマ1世が19世紀前半にこの地方を征服した際、はじめて見る海の水を舐め「トゥア・マシナ!」(なんと塩辛い!)と叫んだからだと伝えられている。


モロンダバ
(Morondava)は、マダガスカルの都市。人口38000人。マダガスカル西部海岸に位置し、モザンビーク海峡に接する港町である。トゥリアラ州に属し、メナベ地域圏の州都である。モロンダバの近くには、バオバブの並木道として知られるバオバブ群生地があり、モロンダバ観光の目玉となっている。かつてこの地には熱帯雨林が広がっていたが、人口増加に伴い多くが切り倒された。その際信仰の対象となっていたバオバブは切り倒されずに残ったため、このような光景が生まれた。


フィアナランツォア
Fianarantsoaは、マダガスカルの都市。マダガスカル中央高原南部、標高1200mの高原上に位置する。人口144,225人(2001年)。フィアナランツォア州の州都である。フィアナランツォアとはマダガスカル語で「良い教育」を意味する。かつてここにはベツィレウ人が砦を築いていたが、1830年に北のメリナ人がベツィレウ人を征服した際、ここに町を建設し、ベツィレウ人を押さえる要衝とした。

アンツィラナナ
(Antsiranana)とは、マダガスカルの北端に位置する都市。1975年まではディエゴ・スアレス(Diego-Suarez)と呼ばれていた。フランスは、1960年のマダガスカル独立以降もアンツィラナナを軍事基地としており、それは1973年にマダガスカルに社会主義革命が起こるまで続いた。

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アンツィラベ
(Antsirabe)は、マダガスカルの都市。人口183000人。マダガスカル第3の都市である。マダガスカル中央部、中央高原に位置し、アンタナナリボ州に属する。バキナンカラトラ地域圏の州都である。標高1500mの高地にあり、気候はかなり冷涼である。アンツィラベには温泉があり、特に19世紀にはよく知られていた。市の名前は「塩の多い場所」という意味である。

アンバンジャ
(Ambanja)は、マダガスカルの都市。マダガスカル北部の海岸に位置し、モザンビーク海峡に面する港町である。アンバンジャ県の県都で、アンツィラナナ州のディアナ地域圏に属する。人口は28468人(2001年)。アンバンジャには初等から高等教育機関までが存在し、またアンバンジャ空港や港も存在する。裁判所や港もある。

ノシ・ベ
(Nosy Be、ヌシ・ベ、ノシベとも)は、マダガスカル北部に浮かぶ島、都市。面積312km2、人口36636人(2001年)。 アンツィラナナ州、ディアナ地域圏に属する。マダガスカル最大のリゾート地であり、フランスを始めとするヨーロッパ諸国から多くの観光客が訪れる。

マハジャンガ
(Mahajanga)はマダガスカルの都市。マダガスカルの北西部に位置する港湾都市。ボンベトカ湾に面している。工業が発達しており同都市から海路で輸出されるほか、美しい海岸線と小雨の気候から、国内外を問わず観光客にも人気がある。街の北東に国際空港であるアンボロヴィー空港があり、各地と空路で結ばれている

トゥリアラ
Toliara、は、マダガスカルの都市。人口101,661人(2001年)。マダガスカル南部、モザンビーク海峡に面した港町で、トゥリアラ州の州都である。周辺の農産物の集散地であり、サイザル麻、綿花、米、麻、落花生などを輸出している。

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サント・マリー島
(Ile Sainte-Marie)、またはマダガスカル語でノシ・ブラハは、マダガスカル北東部に浮かぶ島、都市。面積222km2、人口16325人(2001年)。インド洋に面する南北60km、東西10kmの細長い島で、マダガスカル島とは細い海峡によって隔てられ、ほぼ平行に伸びている。サント・マリー島とマダガスカル本島の間の海峡は南極海よりやってくるザトウクジラが多く生息しており、鯨がやってくる7月から9月の冬季には島はホエール・ウォッチングの拠点となっている。


ザトウクジラ
学名Megaptera novaeangliae )はクジラ目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科に属するヒゲクジラの一種。個体数の減少から1966年に商業捕鯨が禁止されている。標準的な個体では体長11 - 16m、体重30tほどだが、大きなものは20m、60tにもなる大型のクジラである。南極周辺のザトウクジラはかつては10万頭生息していたが、保護された時期には3000頭に減少したとされる。


トラニャロ
(Tolanaro)は、マダガスカルの都市。マダガスカル南部に位置し、インド洋に面する港町である。トゥリアラ州に属する。この地にフランス東インド会社が砦を築き植民を開始したのは1643年である。砦は当時の皇太子(後のルイ14世)にちなんでフォール・ドーファン(皇太子の砦)と名づけられた。現在は南部の中心都市のひとつであり、特にベレンティー自然保護区の玄関口となっているため、多くの観光客が訪れる。


アンタナナリボ州
(Antananarivo Province)は、マダガスカル中央部の州。面積58,283 km2、人口 5,370,900人(2004年)。マダガスカル国内で唯一、海に面していない内陸の州である。

アンツィラナナ州
同国にある6つの州のうち最も北に位置する州である。南西にマハジャンガ州、南東にトアマシナ州と接しており、州都はアンツィラナナ(ディエゴ・スアレス)である。

トアマシナ州
(Toamasina Province)は、マダガスカル東部の州。面積71,911 km2、人口 2,855,600 人(2004年)。州都はトアマシナ。北をアンツィラナナ州、西をマハジャンガ州とアンタナナリボ州、南をフィアナランツォア州と接する。

マハジャンガ州
(Mahajanga Province)は、マダガスカルの州。面積150,023 km2、人口1,896,000 人(2004年)。州都はマハジャンガ。北をアンツィラナナ州、東をトアマシナ州、南をアンタナナリボ州、南西をトリアラ州と接する。

フィアナランツァ州
マダガスカル島の南東部、インド洋に面しており、北はアンタナナリボ州とトアマシナ州、西と南はトリアラ州と接している。州都はフィアナランツァである。 フィアナランツァ州には、ラヌマファナ、南ミドンギ、イサロ、アンドリンギトラの4つの国立公園が存在する。

トゥリアラ州
(Toliara Province)は、マダガスカルの州。州都はトゥリアラ。北東をフィアナランツォア州、北西をマハジャンガ州、東をアンタナナリボ州と接する。面積161,405 km2、人口2,229,550 人(2001年)。

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マダガスカル・クーデター
マダガスカルで勃発した2009年1月から3月にかけての政治危機である。「クーデター」と言う名称については、各国の対応が異なり、一般にクーデターと断定されているわけではない。2009年1月24日、ラヴァルマナナが南アフリカ共和国に首脳会談の為渡航した。翌25日、ラジョエリナは政府によるテレビ局閉鎖を批判し、抗議デモを呼びかけた。デモ参加者の一部が暴徒化し、公共放送など政府施設や商業施設を襲撃、治安部隊が出動し暴徒を鎮圧、44人の死者が出た。アフリカ連合はラジョエリナの抗議デモを非合法的手段として非難声明を公表した。


■国名
正式名称はマダガスカル語でRepoblikan'i Madagasikara。フランス語でRepublique de Madagascar(レピュブリク・ドゥ・マダガスカル)。公式の英語表記はRepublic of Madagascar。国名の由来は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』の中のマディガスカルという記述から。


1.面積:587,041平方キロメートル(日本の1.6倍)
2.人口:1,890万人(2008年、UNFPA)
3.首都:アンタナナリボ(人口150万人:2008年)
4.民族:アフリカ大陸系、マレー系、部族は約18(メリナ、ベチレオ他)
5.言語:マダガスカル語、フランス語(共に公用語)
(2007年4月の憲法改正で英語も公用語となった。)
6.宗教:キリスト教41%、伝統宗教52%、イスラム教7%

18世紀末〜19世紀初頭 メリナ王朝
1896年 仏の植民地化
1958年10月 共和国宣言
1960年6月 フランスより独立、チラナナ大統領就任(第1共和制)
1972年5月 ラマナンツォア政権誕生
1973年5月 フラン圏離脱
1975年6月 ラチラカ政権誕生、社会主義政策採用宣言
1975年12月 新憲法採択(第2共和制)
1976年1月 ラチラカ大統領就任
1992年8月 新憲法採択、国名をマダガスカル共和国に変更(第3共和制)
1993年2月 大統領選挙、ザフィ国家最高機関議長当選
1993年3月 ザフィ大統領就任
1996年9月 憲法最高裁判所、ザフィー大統領弾劾を決定
1996年11月 大統領選挙第1回投票
1996年12月 大統領選挙第2回投票
1997年2月 ラチラカ大統領就任
2001年5月 上院開設
2001年12月 大統領選挙、得票結果を巡り政情危機
2002年5月 ラヴァルマナナ大統領就任
2002年12月 国民議会選挙
2003年7月 AU(アフリカ連合)首脳サミットでAU復帰を承認される
2006年12月 大統領選挙
2007年1月 ラヴァルマナナ大統領就任(再任)
2009年3月 反政府勢力が、軍の支持を受け、ラヴァルマナナ大統領を辞任させ、憲法に則らない形で「暫定政府」発足

■主要産業:農牧業(米、コーヒー、バニラ、砂糖、クローブ、牛)漁業(えび、まぐろ)
■主要貿易品目(2007年、EIU)(1)輸出 経済特別区輸出(再輸出品等) バニラ、甲殻類、コーヒー(2)輸入 資本財(Capital goods)・原料、燃料、一次産品、消費財、食料■

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マダガスカル・アリアリ
(Malagasy ariary)は、1961年に導入され、2005年1月から単独通用しているマダガスカルの通貨単位。ISO 4217による略称は、MGA。 2004年12月31日まではマダガスカル・フランと併用されていた。1アリアリ=5マダガスカル・フラン。


■経済
農業が主産業で、国民全体の約80%が農業に従事している。90年代半ばより国営企業民営化、投資法改正、貿易自由化等の自由化政策により、97年以降一定の経済成長を遂げた。マダガスカル・クーデター以後、極貧と政治汚職に端を発するローズウッドやエボニー等の違法伐採が、マダガスカルの中国人駐在員(en)による資金援助で行われている。


ルビー
(英: Ruby、紅玉)は、コランダム(鋼玉)の変種である。赤色が特徴的な宝石である。天然ルビーは産地がアジアに偏っていて欧米では採れないうえに、産地においても宝石にできる美しい石が採れる場所は極めて限定されており、3カラットを超える大きな石は産出量も少ない。それゆえかつては非常に貴重視され、ダイヤモンドの研磨法が発見されるまでは全宝石中で最も、それ以降、火炎溶融法による人工合成がされるまではダイヤモンドに次ぐ宝石として扱われた。7月の誕生石。石言葉は「熱情・情熱・純愛」など。

サファイア
Sapphire、蒼玉(青玉))は、コランダム(Al2O3、酸化アルミニウム)の変種で、宝石の一種。9月の誕生石。サファイアはコランダムのうち宝石としての価値があり、かつ色が赤でないものをいう。不純物の違いで濃赤色を呈するものはルビー(不純物:クロム)となる。「青玉(蒼玉)」という和名があるように、一般に濃紺あるいは青紫色をしたもの(不純物:鉄、チタン)と考えられているが、濃赤色以外のあらゆる色、例えば黄色や茶色、薄紅色などのものもサファイアである。


フランコフォニー国際機関
Organisation Internationale de la Francophonie; OIFとは、世界中の様々な文化圏に属する、民主主義や人権といった普遍的な価値観とフランス語とを共有する国・地域の総体であるフランコフォニーの名を冠した国際機関である。


マダガスカルの戦い
アフリカ大陸の南東、インド洋西部に位置するフランス植民地のマダガスカル島で第二次世界大戦中の1942年5月5日より11月6日まで行われた、ヴィシー政権側についた駐マダガスカルのフランス軍(ヴィシー・フランス軍)および大日本帝国海軍と、イギリス軍と南アフリカ軍を中心とした連合国軍の間におけるマダガスカル島とインド洋のシーレーン奪取を目的とした戦い。


■教育
国際人権A規約の「中・高等教育の無償化」の条項を2007年11月現在も留保しているのは、 マダガスカルと日本、ルワンダの3ヶ国のみである。(ルワンダは2008年12月に留保を撤回、日本も2010年2月に撤回する方針を固める)


マダガスカルの文化
マダガスカルの文化は他のアフリカ諸国と比べ文化的にはインドネシアのつながりが多く(たとえばマレー式ふいご、高床式住居、ヴァリハ、吹き矢、稲作文化、アウトリガー・カヌー、祖先崇拝など)、他のアフリカ諸国とは異にする。

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ディディエ・ラツィラカ
Didier Ratsiraka、1936年11月4日 -は、マダガスカルの軍人・政治家。元大統領(在任1976-1993と1997-2002、最高革命評議会議長時代を含む)。日本のメディア等では「ラチラカ」と表記されることも多い。マダガスカルは1960年6月に独立すると、初代大統領フィリベール・ツィラナナの下で親フランス・南アフリカ政策を実施したが、経済低迷と民族主義の台頭から軍部クーデターが発生し(1972年5月18日)、ガブリエル・ラマナンツォア少将が軍事政権「人民国家開発評議会」を設立し、社会主義路線へ舵を切った。ラマナンツォアの後任リシャール・ラツィマンドラヴァ大佐が暗殺される(1975年2月11日)と、ジル・アンドリアマハゾ将軍率いる軍評議会が全権を掌握した。

フィリベール・ツィラナナ
Philibert Tsiranana、1912年10月18日 - 1978年4月16日はマルガシュ共和国(現・マダガスカル共和国)の政治家で初代大統領である。マダガスカルでは「独立の父」とも呼ばれ、多くの失政にも関わらず現在でも支持者は大変多い。

ガブリエル・ラマナンツォア
Gabriel Ramanantsoa、1906年4月13日 - 1978年5月9日は、マダガスカルの軍人、政治家。1972年から1975年の間、同国国家元首となった。ラマナンツォアはメリナ人出身で、アンタナナリボで生まれ、長じてフランス軍に入隊し将校となった。1960年にマダガスカルが独立すると、彼はマダガスカル軍に移籍し、やがて少将にまで昇進した。1972年5月に起きたフィリベール・ツィラナナ大統領に対する反対運動が全国に拡大すると、5月18日にラマナンツォアはクーデターを起こしてツィラナナを失脚させ[1]、元首の座に就いた。

リシャール・ラツィマンドラヴァ
Richard Ratsimandrava、1931年3月21日 - 1975年2月11日は、マダガスカルの軍人、政治家。1975年2月5日に大統領に就任するも、2月11日に暗殺された。ラツィマンドラヴァは1931年、アンタナナリボでメリナ人の貴族の家に生まれた。彼はフランス軍に入隊し、サン・シール陸軍士官学校で学んだ。1960年にマダガスカルが独立すると、彼はマダガスカル軍に参加し、1968年には中佐の地位に就いた。1972年にフィリベール・ツィラナナの政権が崩壊し、ガブリエル・ラマナンツォア政権が発足すると、ラツィマンドラヴァは内務大臣の地位に就いた。この地位にあったため、1975年2月5日に軍隊を使ってラマナンツォアを退陣へと追い込むことができた。しかし大統領就任6日後の1975年2月11日朝8時、彼は大統領宮殿で反乱軍に襲撃され、命を落とした。

ジル・アンドリアマハゾ
Gilles Andriamahazo、1919年5月13日 - 1989年9月14日は、マダガスカルの軍人、政治家。1975年2月12日から6月15日までの間、マダガスカルの大統領を務めた。アンドリアマハゾは、1919年5月13日にトラニャロで生まれ[1]、フランス軍に入隊して、第二次世界大戦やアルジェリアの作戦などに従事した。マダガスカル独立後はマダガスカル軍に属し、将校として1976年に退役した。
前任のリシャール・ラツィマンドラヴァが反乱軍に殺害されると、アンドリアマハゾは反乱軍を討ち、1975年2月12日から6月15日までの間、大統領を務めた。その後、政権はディディエ・ラツィラカに移譲された。アンドリアマハゾは1989年9月14日に70歳で心臓発作により亡くなった。

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