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コンゴ民主共和国
Democratic Republic of the Congo

アフリカ

■地理
コンゴ民主共和国の面積は西ヨーロッパに匹敵する。3分の1が赤道の北側に、3分の2が南側に位置する。非常に雨が多く、雷も地球上で最も多い。年間降雨量は場所により2,000ミリを超え、アマゾンに次ぐ広さの熱帯雨林を抱える。西の大西洋へゆっくり下るコンゴ川の流域は広大なコンゴ盆地の大部分を占める。南はサバンナに続く高地に、西は山がちの台地に、北は草地に囲まれ、最も東には氷河で覆われる高山がある。


中部アフリカ
アフリカ大陸を5つの地域に分けた場合の1地域を指す用語である。赤道付近の南北に位置することから、赤道アフリカと呼ばれることもある。まず、アフリカは、文化圏および人種の違いからサハラ砂漠の南北で大きく2つに分けられるが、中部アフリカは、南側のブラック・アフリカ(サブ・サハラ・アフリカ)に入る。そのうちの、ニジェール川流域より東側(おおよそ西経10度以東)、タンザニア西部地域に南北に走る大地溝帯よりも西側(おおよそ西経30度以西)、そしておおよそ南緯10度以北の範囲が、中部アフリカと呼ばれる。


コンゴ川
Fleuve Congoは、中部アフリカのコンゴ盆地を蛇行しながら流れ、大西洋に至るアフリカ大陸2番目の長さ(4,371km)を誇る河川である。コンゴ川の名はコンゴ王国に因む。コンゴ川本流の上流部であるルアラバ川は、コンゴ民主共和国南東部のカタンガ高原南部、ザンビアとの国境近くに端を発する。そこからほぼまっすぐに北進し、アフリカ大地溝帯西側のミトゥンバ山地に源を発する支流を併せながら水量を増していく。コンゴ川流域は、紀元前2000年ごろには狩猟採集民であるピグミーが広く分布していたと考えられている。その後、現在のカメルーン南部周辺を起源とするバントゥー系の住民が大拡張を開始し、紀元前1120年ごろにはそのうちの西バントゥー系がコンゴ川流域に到達。紀元1年前後にはコンゴ川流域に広く居住するようになった。

カサイ川
アフリカ中西部、コンゴ民主共和国(旧ザイール)南部とアンゴラ北東部を流れるコンゴ川の支流。全長約2150km。アンゴラ中部のベンゲラ高原に源を発して東流した後、コンゴ民主共和国との国境をなしつつ北流する。イレボ付近で西流に転じ、キンシャサの上流約200kmの地点でコンゴ川に合流する。その下流200キロ弱の地点にコンゴ民主共和国の首都キンシャサがある。

ウバンギ川
ウバンギ川は、アフリカ中部にあるコンゴ川支流の河川である。ムボム川とウエレ川の合流点に始まり、西に約350 km流れた後南東に向きをかえ、バンギを通り南へさらに500km流れコンゴ川に合流する。バンギの下流100kmまでは中央アフリカとコンゴ民主共和国との国境に、それからはコンゴ共和国とコンゴ民主共和国との国境になっている。

ヴィルンガ山地
(Virunga Mountains)は、東アフリカ:ルワンダ、コンゴ民主共和国、ウガンダ国境地域に位置する火山群。 大地溝帯アルバーティーン・リフトの一部で、エドワード湖とキブ湖の間に位置する。

ルウェンゾリ山地
アフリカ中部、ウガンダとコンゴ民主共和国の国境に位置する山地。小規模ながらも壮観な眺めを持つ。最高峰の標高は5109mである。ルウェンゾリの山頂付近は赤道直下にもかかわらず万年雪を冠しているが、アフリカ大陸で万年雪を戴くのはキリマンジャロ山とケニア山、そしてこのルウェンゾリだけである。

キブ湖
(Lake Kivu)は、アフリカ中央部に位置する湖。コンゴ民主共和国南キヴ州とルワンダ西部州にまたがっており、湖の中ほどを国境が通る。およそ2700km2ほどの面積を有しており、その広さはアフリカ有数の規模である。海抜はおよそ1460メートル。アフリカ大地溝帯の一部であり、火山活動にともない成立した。かつては北のエドワード湖と結ばれていたと考えられている。19世紀末、ドイツ人探検家がこの地に到達し、西欧列強の植民地争奪に巻き込まれ始めた。第一次世界大戦を経て敗戦国ドイツが周辺地域の支配権を失い、ベルギーに利権が継承された。ベルギーのもとで、「ツチ」と「フツ」の対立が助長され、1994年にはキブ湖周辺もルワンダ内戦における虐殺の舞台となった。

マレボ湖
(Pool Malebo)は、コンゴ川中流に位置する湖。正確には湖ではなく、コンゴ川の広がった部分である。旧名はスタンリープール(Stanley Pool)。マレボ湖は東西35km、南北23kmにわたって広がっており、面積は500km2に及ぶ。湖の中央北寄りにはンバモウ島とい180km2の広い中州が浮かんでいる。基本的にコンゴ共和国とコンゴ民主共和国の国境は川の中央であるが、ンバモウ島はコンゴ共和国領となっており、国境線はンバモウ島の南岸に位置している。水深は年間通じて3mから10m程度であり、非常に浅い。

アルバート湖
アルバート湖 (Lake Albert) またはモブツ・セセ・セコ湖 (Lake Mobutu Sese Seko) はウガンダとコンゴ民主共和国の間にある湖。大きさは約160 km×30 km。深さは最大51 m。世界第27位、アフリカで7番目の広さである。アルバートの名は、イギリスのヴィクトリア女王の夫、アルバート公に因み、モブツ・セセ・セコはコンゴ民主共和国の独立にあたり実権を掌握し、国名をザイールに変えた軍人・政治家の名前に因む。

エドワード湖
Lake Edwardは、アフリカのコンゴ民主共和国とウガンダ共和国の国境に存在する湖。双方の国の国立公園の一部となっている。コンゴ側はヴィルンガ国立公園、ウガンダ側はクイーン・エリザベス国立公園。アルバート湖とはセムリキ川で、ジョージ湖とはカジンガ運河でつながっている。深さは最大112m、総面積は約2150km2。

カジンガ水路
Kazinga Channelは、エドワード湖とジョージ湖を結んでいる長さ32kmの広い水域である。クイーン・エリザベス国立公園の一部となっている。水路には多種多様な動物や鳥が集まり、カバやナイルワニの主な生息地の一つである。2005年には、炭疽症により多数のカバが死んだ。乾季にわずかに残った植物を食べることで、乾燥した土壌でも何十年も生き続ける炭疽菌の芽胞が吸収されて起こる。

タンガニーカ湖
Lake Tanganyikaは、タンザニア西端にある淡水湖。タンザニア、ザンビア、コンゴ民主共和国、ブルンジに面する。面積は32,900km2で、アフリカで2位、世界で5位。深さは平均水深570m、最大水深1,471mでアフリカで1位、世界で2位。周囲は1,900km、貯水量約17800km3。バイカル湖に次ぐ世界で2番目に古い古代湖(推定2000万年)といわれる。


<歴史>
13 - 17世紀にかけてコンゴ王国が栄えたほか、南部にはクバ王国があった。
■ベルギー植民地時代
1885年にベルギーの国王、レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」とされ、1908年にはベルギー政府に所有権が移され植民地に。1950年代後半からジョゼフ・カサブブのコンゴ人同盟、パトリス・ルムンバのコンゴ国民運動が独立闘争を開始。

■独立とコンゴ動乱
1960年6月30日にコンゴ共和国(1964年、コンゴ民主共和国に改称)としてベルギーから独立。カサブブは大統領、ルムンバは首相に就任。独立から1週間も経たずして内乱とベルギー軍の介入を経験し、「コンゴ動乱」が始まる。1961年、ルムンバ首相が殺害される。

■ザイール共和国(モブツ政権)時代
1965年11月、モブツ商務・雇用・貿易相がクーデターで実権掌握。1997年までの32年間モブツ大統領の独裁が続いた。1971年に国名をザイール共和国 (Republique du Zaire) に。革命人民運動 (MPR) の一党独裁制を敷いた。1990年4月、民主化要求の高まりを受け議会は11月に複数政党制への道を開く憲法修正案を可決。

■モブツ体制崩壊以降
議会は1996年4月、東部のツチ系ムレンゲ人の追放を決議し政府軍が攻撃。バニィヤムレンゲ等の武装組織コンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) がルワンダ、ウガンダ、ブルンジなどの支援で反撃し、1997年5月にキンシャサを制圧(第一次コンゴ戦争)。

1998年8月
東部を中心として第二次コンゴ戦争に発展。国内のダイヤモンドやコバルトなどの豊富な鉱産資源に関する利権も絡み、反政府勢力コンゴ民主連合 (RCD) を主にウガンダとルワンダが、政府軍を主にジンバブエ、ナミビア、アンゴラが支援。戦闘などで住民20万人以上が死亡し、紛争に伴う食糧・医薬品不足などでさらに150万人が死亡したとされる。

■2001年10月15日
エチオピアのアディスアベバで対話が実現。ルワンダが支援するコンゴ民主連合 (RCD)、ウガンダが支援するコンゴ解放運動 (MLC)、そしてRCDから分離したコンゴ民主連合解放運動 (RCD-ML) の主要反政府勢力3組織などが、協議継続などをうたった共同声明に調印した。

■2003年7月
合意に基づき暫定政権が成立した。しかし政権は国内すべてを掌握しておらず、依然として戦争状態が続いている。民族対立とも相まって東部は虐殺・略奪・強姦の頻発する一種の無法地帯となっている。

■和平合意により
2005年に大統領選挙と国民議会選挙を行い民主的政権に移管する予定だったが、同年7月に選挙準備の遅れを理由に延期。2006年6月までに実施を予定していたが、実施されたのは同年7月30日であった

■2005年12月
この選挙の前提としての憲法草案に対する国民投票が行われ、賛成多数で可決した。この結果を受けて2006年2月18日に新憲法が発効された。


コンゴ自由国
かつてアフリカのザイール川流域に存在した国である。国と称しているが、実態はベルギー国王レオポルド2世の私領地であった。植民地時代を経て、のちにコンゴ共和国(後のコンゴ民主共和国)として独立を果たす。

ベルギー領コンゴ
ベルギー領コンゴはかつて存在したベルギーの植民地。現在のコンゴ民主共和国を領域とする。ベルギー国王レオポルド2世が、その私領コンゴ自由国の支配権をベルギー政府に委譲する1908年11月15日からコンゴ民主共和国が独立する1960年6月30日まで存在した。

第二次コンゴ戦争
Second Congo War)は、1998年8月から2003年にかけてコンゴ民主共和国においてツチとフツの民族対立や資源獲得競争が原因で行なわれた戦争である。(『アフリカ大戦 Great War of Africa』とも)は、コンゴ民主共和国において終結のたった1年後の1998年8月2日に同じ問題(民族対立や資源獲得競争)が原因でコンゴ民主連合が武装蜂起して勃発した。


■国民
国際連合は2007年にコンゴ民主共和国の人口を6,260万人と推計した。これは1997年には4,670万人となった戦争にもかかわらず急激に増加したものである。250以上の民族集団が認識され、名づけられている。バントゥー系、スーダン系、ナイル系などの黒人が大半を占め、最も人口が多いのはコンゴ人、ルバ人、モンゴ人などである。


コンゴ人
(Bakongo)は、アフリカの民族。コンゴ共和国南部のポワントノワール周辺からアンゴラ北部のルアンダ周辺までの海岸部に主に居住する。バントゥー系。人口は約1000万人。コンゴ人は紀元前5世紀には現在の居住域であるコンゴ川河口付近に居住していたと考えられている。14世紀にはコンゴ王国を建国し、ポルトガルとの交易などで繁栄したが、やがて奴隷貿易や1665年のポルトガル軍の侵攻などにより衰退し、コンゴ王国は名目上の存在となり、群雄割拠の状態となった。

モンゴ族
(mongo)は、コンゴ民主共和国の主にカサイ川及びサンクル川流域北部赤道州、ツアパ州、マイ=ンドンベ州を中心に居住するバントゥー系民族。エコンダ族、ケラ族、ゴンベ族などモンゴ語を介する民族の総称としても用いられる。人口は約20万人。広義のモンゴ語を介する集団を含めれば200万から300万人だが、都市部ではリンガラ語も使われている。RDコンゴではルバ人とコンゴ人についで大きな集団である。

ルバ族
ルバ族(バントゥー語で Baluba〈バルバ・複数形、単数は Muluba〉)は、後のコンゴ民主共和国南部となるカサイ、シャバを主な居住地とする民族である。カサイ・ルバ、シャバ・ルバ、ヘンバ・ルバの3グループに大きく分類され、15世紀ごろにはルバ王国を建国したほか、1960年の独立以降も影響力の強い政治集団として存在感を示した。


■言語
コンゴ民主共和国内には約242の言語が存在するが、公用語はフランス語である。アフリカ土着言語からはスワヒリ語(キスワヒリ)、コンゴ語(キコンゴ)、リンガラ語、ルバ語の4つが国民語として認められており、西部ではリンガラ語の影響力が、東部ではスワヒリ語の影響力がそれぞれ増す傾向にある。


リンガラ語
コンゴで用いられるバントゥー語族の言語である。コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、アンゴラ、中央アフリカ共和国に分布し、話者の人口は1000万強である。19世紀後半にヨーロッパ列強がこの地方に進出し、交易が盛んになるとともにリングワ・フランカとして誕生し、ベルギー領コンゴ時代に布教や交易、軍隊用語として定着した。

ルバ語
ニジェール・コンゴ語族のバントゥー語群に属する言語である。コンゴ民主共和国に話者がおり、国語として採用されている。ルバ族の人々が話している言語である。

コンゴ語
ニジェール・コルドファン語族のニジェール・コンゴ語派の言語の一つ。主にコンゴ共和国やコンゴ民主共和国、アンゴラなど中央アフリカの熱帯雨林に住む人々によって話される。かつては、アフリカにおけるリングワ・フランカとして広く用いられていた。また、多くのアメリカ大陸へと強制的に売られたアフリカ人奴隷によって多く用いられた。

スワヒリ語
Kiswahiliは、アフリカ東岸部で国を越えて広く使われている言語。ケニア、タンザニア、ウガンダでは公用語となっている。スワヒリ語は東アフリカ沿岸地域の多くの民族の母語となっているバントゥー諸語の一つである。 数世紀にわたるアラブ系商人とバントゥー系諸民族の交易の中で、現地のバントゥー諸語にアラビア語の影響が加わって形成された言語であり、語彙の約35%はアラビア語に由来する。


奴隷貿易
古代ギリシアにおいては、戦争捕虜が奴隷貿易で取り引きをされた。紀元前5世紀から紀元前2世紀のマンティネイアの戦いまでは、ギリシア人以外の非自由民を売るのが通例であり、捕虜となった奴隷は交易港に運ばれて戦利品とともに売られた。大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(イギリス)とアフリカとアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(→三角貿易)。


紛争ダイヤモンド
Blood diamond)とはシエラレオネなど内戦地域で産出されるダイヤモンドをはじめとした宝石類のうち、紛争当事者の資金源となっているもの。 血塗られたダイヤモンド (blood diamond)、汚れたダイヤモンド (dirty diamond)、戦争ダイヤモンド (war diamond)とも呼ばれる。ダイヤモンドなど宝石は、国際市場で高値で取引される。産出国にとっては貴重な外貨獲得資源とされるが、その産出国が内戦など紛争地域だと、その国は輸出したダイヤモンドなど宝石類で得た外貨を武器の購入に宛てるため、内戦が長期化および深刻化することになる。


■宗教
コンゴ民主共和国の主要宗教はキリスト教であり、人口の約80%によって信仰されている。宗派ごとに見ると、カトリックが50%、プロテスタントが20%、キンバング教会が10%となる。キンバング教会は植民地時代にシモン・キンバングによって創設され、植民地支配体制を批判する勢力となったためにベルギー当局によって弾圧された。

■文化
コンゴ民主共和国の文化は数百を越す民族集団の多様性と、国全体を通した生き方の差異が反映されている。例えば沿岸部のコンゴ川の河口、上流の熱帯雨林、中央部のサヴァナ、東部の人口が密集した山岳部などである。19世紀末から伝統的な生き方は、植民地主義、独立の混乱、モブツ時代の停滞、そして近年の第一次コンゴ戦争や第二次コンゴ戦争などによって変容した。このような圧力にもかかわらず、コンゴの習慣や文化はその独自性を強く保っている。


ピグミー
Pygmyは、一般的に矮小な人種や動物に適用される(たとえばピグミーマーモセットなど)用語である。人類学上、ピグミーとは特に身長の低い(平均1.5メートル未満)特徴を持つ、赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民であるとされてきた。ピグミーは中央アフリカ全体の熱帯雨林を生活拠点としている。またフランスの人類学者カトルファジュは東南アジアのネグリトとの関係を議論し、両者を南インドを起源とする一つの人種であると捉えたが、現在これは否定されている。アフリカのピグミーは集団、即興による複雑なポリフォニーが特徴的な声楽によってよく知られている。Simha Aromはピグミー音楽の多音の複雑さは、中世ヨーロッパのアルス・ノヴァのポリフォニーとよく似ていると指摘している。ピグミー音楽に用いられるほとんどの楽器は単純かつ実用的なもので伝統的なノマディック(放浪的)ライフスタイルに似つかわしい。


コンゴ動乱
1960年 - 1965年は、1960年にベルギー領コンゴがコンゴ民主共和国としてベルギーから独立した後、ベルギーがカタンガ州の分離独立を工作し、その結果発生した内乱である。民族問題に加え、豊富な地下資源の利権、東西対立も絡み複雑な展開の中、カタンガの白人傭兵部隊と、国連軍が戦闘を行った。


<世界遺産>
ヴィルンガ国立公園*危機遺産
コンゴ民主共和国の北東部、ルワンダやウガンダの国境近くにある多様な動物相を誇る国立公園である。1925年創設のコンゴ民主共和国で最古の国立公園である。多様な動物相の中でも、特にマウンテンゴリラとカバの生息地として研究対象にもなっていたのだが、隣国ルワンダの内戦で発生した難民の大量流入などで環境が悪化し、混乱のなかで多数のカバやゴリラが殺された。その名の通り、ヴィルンガ山地(最高峰カリシンビ山 - 標高4507メートル)から、ルウェンゾリ山地に伸びている区域である。

ガランバ国立公園*危機遺産
コンゴ民主共和国北東部の、スーダン国境近くに広がる国立公園。ガランバ川一帯を含む国立公園で、1938年に創設された。キタシロサイの保護区として知られ、1980年にはユネスコの世界遺産にも登録された。しかし、密猟の横行などによってキタシロサイは激減し、世界遺産リストからの抹消も検討されたことがあるなど、危機的な状況にさらされている国立公園である。

カフジ-ビエガ国立公園*危機遺産
コンゴ民主共和国東部の国立公園。ルワンダとの国境にあるキヴ湖西岸に広がる国立公園で、カフジ山(標高3308m)とビエガ山(標高2790m)の森林地帯を含むことからその名がある。主にグラウアーゴリラ(ヒガシローランドゴリラ)の保護を目的として1970年に設定され、1975年に当初の750km2から現在の6000km2に拡大された。1980年にユネスコの世界遺産に登録されたが、環境の悪化から「危機にさらされている世界遺産」(危機遺産)リストにも登録されている。グラウアーゴリラの生息地であるという点に、この国立公園の最大の特色がある。ゴリラの亜種の中でも、グラウアーゴリラはコンゴ民主共和国東部を中心とする一帯の高地にしか生息していない固有種である。

サロンガ国立公園*危機遺産
コンゴ民主共和国にある同国内最大の国立公園。アフリカの国立公園の中でも第2位の規模を誇るこの国立公園には、最大の熱帯原生林が残っている。最も特徴的なのは、2万頭生息するとされるボノボである。このほか、ボンゴ、コンゴクジャク、オカピ、ミズジャコウネコ、センザンコウなどの珍しい動物たちが生息している。


ボノボ
ボノボ(Pan paniscus)は、動物界脊索動物門哺乳綱サル目(霊長目)ヒト科チンパンジー属に分類されるサル。以前はピグミーチンパンジーと呼ばれた。ボノボは、チンパンジーに比べて上半身が小さく、それに比例して脳容量も小さい。赤ん坊はか細く、頼りない状態が長く続く。チンパンジーよりよく直立2足歩行する。


オカピ野生生物保護区*危機遺産
コンゴ民主共和国北東部のスーダンやウガンダとの国境に近いイトゥリの森にある野生生物保護区(IUCNの分類では国立公園)。約14000km2に及ぶ保護区は、イトゥリの森の約5分の1に及んでいる。その名称に表れているように、この保護区は20世紀に発見された世界三大珍獣のひとつであるオカピの生息域になっている。1996年の時点では、3900頭から6350頭が生息していると見積もられていた(現在地球上に生息しているオカピの全頭数は1万頭から2万頭と推測されている)。

オカピ
オカピOkapia johnstoni (英名:Okapi)は、鯨偶蹄目(クジラ偶蹄目)キリン科に属する哺乳動物。当初はシマウマの仲間だと考えられていたが、後にキリンの仲間であることが分かった。脚の縞模様が美しく、森の貴婦人などと呼ばれる。20世紀に入ってから初めてその存在が確認された珍しい動物である。オカピは中央アフリカのコンゴ民主共和国、ガボンなどの密林の辺縁部という限られた地域にしか生息しておらず、生息数が少ないわけではないが環境破壊の影響を受けやすいとして準絶滅危惧(IUCN)に指定されている。


■教育
教育システムはベルギーのものと似ている。2002年には、160,000人の生徒が通う19,000校以上の初等学校と、110,000人の生徒が通う高等学校(中等教育を行う)が存在した。しかしながら、コンゴ民主共和国の初等教育は必修ではなく、無料でも一般的なものでもなく、多くの児童は両親が入学金を支払うことができないために学校に通うことができない。両親は慣習的に教員の給料を支払うことを期待されているのである。


 

カマ・シウォール・カマンダ
1952年11月11日 - はコンゴ出身の詩人、小説家、語り部、劇作家。エジプト系コンゴ人作家であるカマ・シウォール・カマンダは、自身の個人的体験と空想の世界、そして黒人大陸における伝統と現実から霊感を得た文学的物語集で名高い。先見性を備えたお伽話ともいえるそれらの物語は、アフリカの大地の文化・文明がその隅々までしみ込んでいるが、ついには時間と空間を超越した普遍的世界へと到達する。ネグロ・アフリカ社会の神話と象徴が、空想の世界を遥かに超えて、実に豊かに、多様性を持って描かれている。

ムエゼ・ンガングラ
Mweze Ngangura、1950年 - は、コンゴ民主共和国の映画監督。ブカヴ出身。キンシャサを舞台にしたミュージシャン志望の青年(パパ・ウェンバ)の成功物語 La vie est belle でフェスパコのグランプリを受賞した。

ジョン・ムウェテ・ムルアカ
Dr.John Muwete Muluaka、1961年6月21日 - は、ザイール(現・コンゴ民主共和国)出身、日本で活躍するタレント、電気工学研究者、国際政治評論家。科学技術庁放射線医学総合研究所研究員等を経て、千葉科学大学教授、総務省参与。鈴木宗男の元私設秘書であった。日本にて工学博士(東京電機大学)の学位を取得。2005年に日本国籍を取得し、帰化しており、日本名はムウェテ武流阿加。

クロード・マケレレ
1973年2月18日 - は、コンゴ民主共和国(旧ザイール)キンシャサ出身の元サッカー選手、元フランス代表。1993年、リーグ・アンのFCナントでキャリアをスタートし、フランス国籍を獲得。身体能力の高さを活かした活躍が評価され、1995年7月22日のノルウェー戦でフランス代表デビューを果たす。また1995-96シーズンではUEFAチャンピオンズリーグベスト4進出に貢献した。

ジャン=ピエール・ベンバ
(Jean-Pierre Bemba、1962年11月4日 -)は、コンゴ民主共和国の政治家。2003年から2006年まで、コンゴ民主共和国の副大統領を務めた。2008年、国際刑事裁判所に人道に対する罪の容疑で起訴された。ベンバはコンゴ赤道州北部(後の北ウバンギ州)ボカダで生まれた。父親は当時のモブツ・セセ・セコ大統領に近い富裕な政商で、ベンバは父から事業を引き継ぎ、放送局などを経営する富豪となった。

ローラン・ンクンダ
(Laurent Nkunda Mahoro Batware, 1967年2月2日 - )はコンゴ民主共和国の反政府勢力の指導者、元ルワンダ愛国戦線兵士、コンゴ軍将校。ンクンダの生い立ちは不明であるが、旅券情報ではルツル生まれとされている。ルワンダ紛争期にルワンダで心理学を学んでいたとされ、ルワンダ愛国戦線に参加し、自らをツチと名乗る様になった。モブツ・セセ・セコが打倒された第一次コンゴ戦争でローラン=デジレ・カビラを支援するコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) に加わった。

ディケンベ・ムトンボ
(Dikembe Mutombo Mpolondo Mukamba Jean Jacque Wamutombo, 1966年6月25日 - は、コンゴ民主共和国(入団時の国名はザイール)出身の元バスケットボール選手。1991年より北米プロバスケットリーグNBAのデンバー・ナゲッツに入団して以降2009年に引退するまで数チームでプレーした。コンゴ共和国(現在のコンゴ民主共和国)のキンシャサで、ルバ族の両親のもと10人兄妹の7番目の子供として生まれた。1987年にアメリカ政府の外郭団体USAIDより奨学金を受ける資格を得、医者を志して米国のジョージタウン大学に留学した。

ジェッシー・マタドール
(Jessy Matador)、本名ジェッシー・キンバンギ(Jessy Kimbangi)は、コンゴ民主共和国出身でフランス在住の歌手である。ザイール(コンゴ民主共和国)にて1982年10月27日に生まれ、2001年からダンサーとしてのキャリアを開始する。2010年2月19日、ノルウェーのオスロで開かれる予定のユーロビジョン・ソング・コンテスト2010のフランス代表にジェッシー・マタドールの楽曲「Allez! Ola! Ole!」が選ばれたことが、フランス・テレビジョンによって発表された。

ディオゴ・カン
大航海時代のポルトガルで最も優れた航海士の1人として活躍した探険家。1480年代にアフリカ西海岸を南下する航海を2回行った。アンゴラがポルトガルに植民地化されるきっかけを作った人物であり、アンゴラでは非常に有名である。カンはコンゴから原住民の特使をポルトガルに連れ帰ったという。カンが2回の航海で立てた4本の石柱は記録された場所で確かに見つかっており、それぞれに刻まれた日付は1482年と1485年である。ケープ・クロスの石柱は現在はドイツのキールにある(現地には複製が残されている)。他の3本の石柱はリスボン地理学協会の博物館にある。

コンゴ民主共和国 Democratic Republic of the Congo
中部アフリカに位置する共和制国家。北西にコンゴ共和国、南西にアンゴラ、南にザンビア、東にタンザニア、ブルンジ、ルワンダ、北東にウガンダ、南スーダン、北に中央アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面する。首都はキンシャサ。アフリカ大陸中央部のコンゴ川流域に広がり、アルジェリアに続いてアフリカ大陸で第2位の面積を擁し、世界全体でも第11位の面積を擁する広大な国家である。1997年に現在の国名に改められたが、それまでの国名のザイールとしてもよく知られる。

キンシャサ
Kinshasa はコンゴ民主共和国の首都。当地はコンゴの東部を流れるコンゴ川(旧称ザイール川)下流に位置する河港都市。近郊を含む都市的地域の人口は842万人であり、世界第30位、アフリカでは第3位である[2]。キンシャサは、マレボ湖(スタンリープール)と呼ばれるコンゴ川の広がった部分に面している。マレボ湖より下流はリビングストン滝と呼ばれる急流部が350km下流のマタディまで続いており、船舶の航行ができない。


ルブンバシ国際空港
Lubumbashi International Airportはコンゴ民主共和国のルブンバシにある国際空港である。ルブンバシ空港は植民地時代にエリザベートヴィル空港として建設された。同空港はルアノ空港の名でも知られた。この空港はコンゴ動乱の際に重要な拠点となった。


マタディ・キンシャサ鉄道
(仏 ligne de chemin de fer Matadi-Kinshasa)はコンゴ民主共和国の鉄道路線である。コンゴ川河口近くの河港マタディと、首都でやはりコンゴ川の河港のキンシャサを結んでいる。全長は366kmあり、1898年に開通した。現在は国営交通公社(ONATRA = Office National des Transports)が運営している。建設工事では1932人が命を落とした。うち1800人が黒人、132人が白人である。苛酷な建設工事の様子はジョゼフ・コンラッドの小説闇の奥に描かれている。コンラッドは当時英国船の船員としてコンゴ自由国にいた。


闇の奥
Heart Of Darkness、1902年出版はイギリスの小説家、ジョゼフ・コンラッド( Joseph Conrad, 1857 - 1924年)の代表作。西洋植民地主義の暗い側面を描写したこの小説は、英国船員時代にコンゴ川で得た経験を元に書かれ、1899年に発表された。ランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出されている。闇の奥というタイトルはアフリカ奥地の闇でもあるが、人間の心の闇、西欧文明の闇をも含意していると考えられる。


コンゴ王国
Kongo ya Ntotilaは、14世紀末から1914年までの間、中部アフリカ大西洋岸にあった王国である。現在のコンゴ共和国・コンゴ民主共和国・北アンゴラ・ガボンに相当する地域を支配していた。首都はンバンザ・コンゴ。ヨーロッパ人がアフリカに来航する以前、コンゴ王国は、稠密な貿易網の上になりたつきわめて高度に整備された国家であった。1482年にポルトガル人のディオゴ・カンがコンゴ川に到来し、コンゴ王国にもポルトガル人が来航した。1485年にはコンゴ王国とポルトガル王国の国交が結ばれ、両国の対等な関係とキリスト教の布教が承認された。


クバ王国
1625年 - 1900年は植民地以前の中央アフリカ南部の国で、周囲を、サンクル川、ルルア川、カサイ川に囲まれた、のちのコンゴ民主共和国南部のカサイ州に位置していた。クバ人たちは、16世紀頃に北方から移動してきた。この王国は、事実上の中央集権的権威をまったく持たなかった多数の部族とエスニック・グループによる、いくつかの首長国のかたまりとして始まった。1625年前後に、その地域の外からやってきた、シャアム・ア=ムブル・ア・ンゴーング=シャアムとして知られる人物が、地域の支配者のひとりから主権を簒奪し、彼のリーダーシップのもとで、すべての首長国が統一された。伝承の伝えるところでは、シャアム・ア=ムブルは、クバ王妃の連れ子であったという。彼は西のペンデやコンゴなどの諸王国に文化を学びに赴いた。これらの国から学びうるすべてを学んだあと、皇帝の政治的・社会的・経済的な基盤を形成しようとクバに戻ってきた。

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外務省:コンゴ民主共和国
在コンゴ民主共和国日本国大使館


マタディ
(Matadi) は、コンゴ民主共和国の港町で、バ・コンゴ州の州都。2004年現在、人口約235,400人。コンゴ川の左岸、大西洋とキンシャサの中間に位置している。1879年、アメリカ人探検家のヘンリー・モートン・スタンリーによって開かれた。コンゴ川の河口から120kmさかのぼった場所にあり、外洋船が着岸できる。マタディから350km上流のキンシャサまでは、リビングストン滝と呼ばれる急流が連続しており、船の航行が不可能である。

カナンガ
Kananga)は、コンゴ民主共和国中部のカサイ・オクシデンタル州にある都市。以前はルルアブール(英語: Luluabourg)と呼ばれていた。2009年に行われる地方行政区分の再編で誕生するルルア州の州都となる予定。人口は2004年現在1,130,100人。

東カサイ州
(Kasai-OrientalまたはEast Kasai)は、コンゴ民主共和国に存在する州の1つである。この州は世界で最も多くのダイヤモンドを産出する地域の1つとして知られる。

ブカヴ
(Bukavu)はコンゴ民主共和国東部の都市。南キヴ州の州都。海抜1500mの高原に位置し、穏やかな気候である。キヴ湖の東南岸に位置し、ルジジ川をはさんでルワンダのチャンググの町と接している。人口は約245000人であり、他に25万人以上がブカヴ都市圏に在住している。ルワンダ紛争の際は、隣接するルワンダから大量の難民が流入し、フツ族の難民キャンプが建てられた。しかしフツ族系ゲリラがルワンダ侵攻を繰り返したため、ツチ族系のルワンダ政府は反政府ゲリラのコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL)を支援し、ブカヴもAFDLの支配下に置かれた。

ゴマ
(Goma) はコンゴ民主共和国東部の都市、北キヴ州の州都。キヴ湖の北岸にあり、東には国境を挟んでルワンダのギセニと接する。大地溝帯の西リフトバレーにあり、活火山のニイラゴンゴ山の火口の南約13から18kmに位置する。ベルギーによる植民地支配時代からルワンダ系移民及び難民が流入し、ルワンダ紛争以降、第一次コンゴ戦争及び第二次コンゴ戦争の発端となり、キヴ紛争の主要な係争地となっている。

キサンガニ
(Kisangani)は、コンゴ民主共和国の北東部に位置する交易都市。コンゴ川(ザイール川)中流にかかるボヨマ滝の下流北岸、標高415m に位置する。人口は41.8万人。古くからアラブ人の通商地であったが、1882年に探検家のヘンリー・スタンリーがキサンガニ宿駅の名で再建設し、1898年には彼を記念して スタンリービル(Stanleyville)と改称された。1966年、旧名のキサンガニに復される。

バドリテ
(Gbadolite)は、コンゴ民主共和国の都市。人口113,807人(2004年)。北ウバンギ州の州都である。中央アフリカ共和国との国境をなすウバンギ川から12km南に位置する。バドリテ宮殿は「ジャングルのヴェルサイユ」と呼ばれ、なにもないジャングルの中に贅を尽くした3つの宮殿が建てられ、ウバンギ川に造られたダムから電力が安定供給され、コンコルドも発着できる巨大な国際空港が建設されて大統領専用機が離着陸するようになった。

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キクウィト
(Kikwit)は、コンゴ民主共和国の都市。コンゴ川の支流であるクウィル川に面しており、クウィル州最大の都市である。人口約294210人(2004年)。キンシャサからは南東に400km離れている。キクウィトは地域の商業中心地であり、首都キンシャサとは道路でつながっている。空港もある。

ルエボ
(Luebo) は、コンゴ民主共和国の都市。人口約4万人。カサイ州の設置により、州都に定められた。ルエボ川南岸を中心に発展した都市。国道20号が通り、西にはルエボ空港がある。作家カマ・シウォール・カマンダの出身地である。

カナンガ
Kanangaは、コンゴ民主共和国中部のカサイ・オクシデンタル州にある都市。カナンガの街の起こりは、ドイツ人の探検家、ヘルマン・ウィスマンがルルア川の左岸に周辺開発のための根拠地を作ったものである。

イレボ
(Ilebo)は、コンゴ民主共和国中部の都市。カサイ州に属する。首都キンシャサと第二の都市ルブンバシとを結ぶ陸路の要衝である。イレボは17世紀に交易地として建設された。ベルギー領となると、ポルフランキーと改称され、コンゴ動乱時にはモブツ・セセ・セコの軍によってこの地でパトリス・ルムンバが捕らえられた。その後、モブツ政権時代に再びイレボと改称された。

ルブンバシ
Lubumbashiはアフリカ中部のコンゴ民主共和国南部に位置する標高1,000mに位置する都市である。同国では首都のキンシャサについで2番目の人口を誇り、コンゴ民主共和国の南部の高カタンガ州の州都である。ザンビアとの国境に近い銅山都市である。人口については非常に幅広い統計結果があるが、およそ1,200,000人と見積もられている。

ムブジマイ
(Mbuji-Mayi) はコンゴ民主共和国中部、サンクル川沿いに位置する都市で、カサイ・オリエンタル州の州都である。ムブジマイは1980年代以降、特に1990年代はじめに南部のカタンガ州に住んでいたカサイ人が流入し、無秩序なダイヤモンドの採掘により人口が10倍に急増している。

キンドゥ
(Kindu)は、コンゴ民主共和国の都市。人口135,690人(2005年推計)。マニエマ州の州都である。コンゴ東部に位置し、コンゴ川に面する河港都市である。およそ300km北にあるウブンドゥまでは船舶の航行が可能であり、またキンドゥの南には瀑布があって航行が不可能になるため、交通の拠点となっている。

ムバンダカ
(Mbandaka)は、コンゴ民主共和国の都市。赤道州の州都である。人口729,257人(2004年)。コンゴ川中流、コンゴ川とルキ川の合流点近くに位置し、河港として重要である。 赤道のほぼ直下に位置する街である。首都キンシャサやキサンガニとは船での連絡がある。

カレミ
(Kalemie)は、コンゴ民主共和国の都市。コンゴ東部に位置し、タンガニーカ湖西岸に位置する港湾都市である。旧名はアルベールビル(Albertville)。タンガニーカ湖から流出する唯一の川であるルクガ川の流出口に位置する。

コルヴェジ
(Kolwezi)は、コンゴ民主共和国の都市。ルアラバ州の州都。人口は約41万8千人。豊富な地下資源が埋蔵されている地域で鉱業が盛ん。1978年には、第二次シャバ紛争において反政府勢力であるコンゴ解放民族戦線(FNLC)の軍隊がアンゴラのMPLA政権の支援を受けて侵入し、街を占領した。

バニャムレンゲ
(Banyamulenge)は、 コンゴ東部南キヴ州のウヴィラ(Uvira)、 フィジ(Fizi)地域に居住するツチ系の小集団である 。 (ウヴィラはタンガニーカ湖北端の西岸にある町で、 ブルンジの首都ブジュンブラに対してコンゴ・ブルンジ国境をはさんで 対称的な場所に位置する 。 フィジは、ウヴィラから南へ約100km下ったタンガニーカ湖西岸に近い町で、 タンガニーカ湖西岸の半島のように突き出た地域付近にある。

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バンドゥンドゥ
(Bandundu)は、コンゴ民主共和国の都市。人口133,080人(2009年推計)。2006年まではバンドゥンドゥ州の州都だった。現在はマイ=ンドンベ州に属しており、州都ではないが同州最大の都市である。

ボーマ
(Boma)は、コンゴ民主共和国の都市。人口344,522人(2005年推計)。コンゴ西部にあり、コンゴ川の河口から80kmさかのぼった地点にある港湾都市である。コンゴ川下流は外洋船が航行できるため、ボーマは海港として栄え、コンゴ開発の拠点となってきた。

リカシ
(Likasi)は、コンゴ民主共和国の都市。人口422,726人(2005年推計)。旧名はジャドヴィル(Jadotville)。コンゴ南部にあり、ルブンバシから北西120kmの地点にある。標高1240m。上カタンガ州に属する。カッパーベルトの北端近くに位置し、近郊に銅、コバルト、ウランなどの鉱山が多く、その開発の拠点として建設された。

ムバンザ・ヌグング
(Mbanza-Ngungu)は、コンゴ民主共和国の最西部に位置するコンゴ中央州(バ・コンゴ州とも)の都市。人口は約10万人。マタディ・キンシャサ鉄道、コンゴ大学(en:Kongo University)がある。

ムブジマイ
(Mbuji-Mayi) はコンゴ民主共和国中部、サンクル川沿いに位置する都市で、カサイ・オリエンタル州の州都である。ムブジマイは1980年代以降、特に1990年代はじめに南部のカタンガ州に住んでいたカサイ人が流入し、無秩序なダイヤモンドの採掘により人口が10倍に急増している。


コンゴ・ザイール解放民主勢力連合
Alliance of Democratic Forces for the Liberation of Congo-Zaire, ADFLはザイール(現コンゴ民主共和国)の反モブツ勢力。ルワンダ紛争後、ルワンダ愛国戦線のルワンダ制圧により大量のフツが難民として東部に流れ込んだ。その中には旧ルワンダ軍やインテラハムウェも混じっていた。彼らはルワンダ民主連合 (RDR) として反攻の機会を窺っていた。

コンゴ民主連合
Congolese Rally for Democracy, Rally for Congolese Democracy、は、1998年に結成された、コンゴ民主共和国の反政府勢力。バニャムレンゲ (Banyamulenge) 勢力を自称し第二次コンゴ戦争を引き起こしたが、実際にはルワンダ及びウガンダ軍による侵攻の側面が大きいと考えられている。第一次コンゴ戦争でローラン・カビラはルワンダ・ウガンダの支援を受けバニャムレンゲによるコンゴ・ザイール解放民主勢力連合を結成してモブツ・セセ・セコを亡命に追い込んだが、カビラが政権を握るとバニャムレンゲ偏重との批判を受け、これを退けるようになった。これに不満をもったバニャムレンゲの蜂起により第二次コンゴ戦争が起こされた。

コンゴ解放民族戦線
Front for the National Liberation of the Congo、略称:FNLC)は1970年代後半にザイールのシャバ州で活動した反政府武装勢力である。1965年にザイールでモブツが政権を掌握した後、1966年と1967年に白人傭兵が反乱を起こした。いずれも失敗に終わったが、参加していたカタンガ兵はモブツによる虐待を恐れて隣国アンゴラへと逃れた。


コンゴ民主共和国の国旗
コンゴ民主共和国の国旗は2006年2月20日に制定されている。現在の国旗は2005年12月に批准された憲法に基づく。1963年から1971年まで採用された国旗にデザインが類似しているが、濃い青が平和を象徴する水色に改められている。赤は国家のために殉じた者の血、黄色は国富、星は国家の輝かしい未来を象徴している。

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■国名
公式の英語表記は、Democratic Republic of the Congo(デモクラティク・リパブリク・オヴ・ザ・コンゴ)。1960年から1964年の間の正式名称は西のコンゴ共和国と同じ「コンゴ共和国」であったため、区別のために、コンゴ・レオポルドビル、コンゴ・キンシャサなどと呼ばれた。


1.面積:234.5万平方キロメートル
2.人口:6,780万人(2010年、UNFPA)
3.首都:キンシャサ
4.民族:バンツー系、ナイル系等
5.言語:フランス語(公用語)、キコンゴ語、チルバ語、リンガラ語、スワヒリ語
6.宗教:カトリックを中心としたキリスト教(85%)、イスラム教(10%)、その他伝統宗教(5%)


1908年 ベルギー領
1960年 ベルギーより独立(コンゴ共和国)、コンゴ動乱
1965年 モブツ政権成立(クーデター)
1967年 コンゴ民主共和国に国名変更
1971年 ザイール共和国に国名変更
1977年 シャバ紛争(1978年まで)
1990年 複数政党制導入
1991年 キンシャサ市内暴動発生
1996年 バニィヤムレンゲ(ツチ系)の武装蜂起、
他の反政府勢力が合流、コンゴ民主解放勢力同盟(AFDL)結成
1997年 ローラン・デジレ・カビラ大統領就任、
モブツ大統領国外逃亡、
国名変更(コンゴ民主共和国)
1998年 コンゴ民主共和国紛争勃発
2001年 ローラン・デジレ・カビラ大統領暗殺、
息子のジョゼフ・カビラが後継
2002年 プレトリア包括合意
2003年 暫定政権成立
2005年12月 憲法国民投票の実施
2006年2月 新憲法公布
2006年7月 大統領選挙(第1回投票)・国民議会選挙の実施
2006年10月 大統領選挙(第2回投票)の実施
2006年12月 ジョゼフ・カビラ大統領就任

■主要産業:鉱工業 銅、コバルト、工業用ダイヤモンド、石油
農 業 (パーム油、綿花、コーヒー)
■主要貿易品目(1)輸出 ダイヤモンド、原油、コバルト、銅(2)輸入 消費財、資本財、原材料


コンゴ・フラン
ベルギー統治下のコンゴでは、ベルギー・フランと等価であるコンゴ・フランが用いられ、独立後も1967年まで、コンゴ・フランが使用されていた。1967年に、1ザイール=1000フランのレートで、ザイールが導入された。コンゴ・フランは1997年に再導入された。レートは、1フラン=100,000新ザイール 。

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シンコロブエ鉱山
かつてコンゴ民主共和国カタンガ州に存在したウランの鉱山。2004年、ウランの盗掘がきっかけに国際的な注目を浴びた。シンコロブエ鉱山はユニオン・ミニエール社によって開発され、1960年代までは世界有数のウラン鉱山だった。マンハッタン計画時にはここで採掘されたウランがアメリカ合衆国へと提供され、原子爆弾が製造された。鉱山におけるウランの採掘は1960年代に終了、長らく閉山していたが、1990年代
コバルト鉱石の採掘を政府が許可したことから、地元の中小業者が採掘を行っていた。やがてコバルト鉱石から、微量のウランが採取されることが知れ渡り、採掘の目的がコバルト本体ではなくウランの盗掘へ変化していった。

■2004年3月
コンゴ政府が首都のキンシャサ市内で100kgにも達する大量のイエローケーキ(ウラン鉱石を粗精錬したウラン精鉱)を押収した。

■2004年7月
シンコロブエ鉱山にて落盤事故が発生。8名の死傷者を出したことがきっかけで、同鉱山にてウランが採掘されていたことが露呈する。コンゴ政府は立ち入り禁止を決定。

鉱山労働者は、最盛期で1万人以上が稼働していたものと推定された。彼らのほとんどが原始的で危険な方法で採掘に従事していたことから、被曝症状を含めた健康被害が確認されたという。


■経済
地下資源に恵まれるものの、1990年代の内戦などでインフラは破壊され、経済は壊滅状態となっており、世界最貧国の1つとなっている。

■交通
コンゴ民主共和国の陸上交通は慢性的に困難な状態である。コンゴ盆地の地勢と気候は道路や鉄道を建設するのに深刻な障壁となり、この広大な国家を横断するための距離は莫大である。さらに、慢性的な経済的失敗と国内紛争によって長年に渡り、投資が深刻に低い水準に留まっている。


■鉱業
銅、コバルト、ダイヤモンド、カドミウム、黄金、銀、亜鉛、マンガン、錫、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱石、石炭などを産する世界トップクラスの鉱産資源国であり、輸出の約9割を鉱産資源が占める。コバルトの埋蔵量は世界の約65%。かつてはウランの採掘も行われており、1945年に広島市に投下された原子爆弾の原料はベルギー領コンゴ国産であった。

コバルト
cobalt、は、原子番号27の元素。元素記号は Co。鉄族元素の1つ。安定な結晶構造は六方最密充填構造 (hcp) で、強磁性体。純粋なものは銀白色の金属である。722 K以上で面心立方構造 (fcc) に転移する。1735年、スウェーデンのイェオリ・ブラント (Georg Brandt) により発見。コバルトという名称と元素記号は、ドイツ語で地の妖精を意味するコーボルト (kobold または kobalt) に由来する。コバルト鉱物は冶金が困難なため、16世紀頃のドイツでは、コーボルトが坑夫を困らせるために魔法をかけたものとされていた。

カドミウム
cadmium) は原子番号 48 の金属元素である。元素記号は Cd で、いわゆる亜鉛族元素の一つ。安定な六方最密充填構造 (HCP) をとる。融点は320.9 °C。化学的挙動は亜鉛と非常に良く似ており、常に亜鉛鉱と一緒に産出する(亜鉛鉱に含まれている)ため亜鉛精錬の際回収されている。軟金属である。カドミウムは人体にとって有害(腎臓機能に障害が生じ、それにより骨が侵される)で、日本ではカドミウムによる環境汚染で発生したイタイイタイ病が問題となった。


カッパーベルト
Copper Belt)は、アフリカ大陸南部・ザンビア中部のカッパーベルト州からコンゴ民主共和国南部のカタンガ州にかけて広がる銅山地帯の呼称。その名の通り銅の世界的産地。銅鉱床は始生界の古海岸線沿いに堆積した銅鉱物からなる。鉱床規模はポーフィリーカッパー鉱床に匹敵する2000万t級の埋蔵量ではあるが、両国の政治経済的混乱により世界の銅生産におけるカッパーベルトの占有率は減り続けていた。

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■音楽
ポピュラー音楽においては、植民地時代の1930年代、1940年代にキューバからルンバなどのラテン音楽がもたらされ、ベルギー領コンゴでも盛んにラテン音楽の演奏が行われた。また、1950年代にはアメリカ合衆国のジャズもアフリカン・ジャズとして盛んに受容された。この時期の音楽家としては「コンゴ音楽の王」ことフランソワ・ルアンボ・マキアディ(通称フランコ)や、マーロ・マシ、グラン・カレなどの名が挙げられる。


スタッフ・ベンダ・ビリリ
(Staff Benda Bilili) はコンゴ民主共和国のキンシャサで路上生活を営むポリオ障害者とストリートチルドレンからなるバンド。リズム・アンド・ブルースとレゲエの要素を取入れたルンバ系の楽曲を主に演奏する。中心メンバーは三輪車いすを利用する4人の歌手兼ギタリスト、若年メンバーは彼らに養育された元孤児である。青年ロジェの楽器はサトンゲと呼ぶ手作りの一弦の弦楽器である。


ヘンリー・モートン・スタンリー
(Sir Henry Morton Stanley, GCB、 1841年1月28日 - 1904年5月10日)は、ウェールズのジャーナリスト、探検家。アフリカの探検および遭難したデイヴィッド・リヴィングストンを発見した人物として有名。父親が2歳の時に亡くなり、母親が彼の世話をしなかったために、5歳まで祖父の元で、15歳までセント・アサフ (St Asaph) の救貧院で育つ。10歳の頃に母と兄弟が救貧院を訪れたがジョンは誰か分からなかったという。初等教育終了後はナショナル・スクール (National school) で学生教師をしていた。18歳で新しい生活を求めアメリカに向けて出発し、ニューオーリンズで商人ヘンリー・モートンの養子となり、ヘンリー・モートン・スタンリーと改名する。南北戦争の際には南軍に参加しシャイローの戦いなどに従軍した。

ジョゼフ・カビラ
(Joseph Kabila Kabange, 1971年6月4日 - )は、コンゴ民主共和国の大統領(任期:2001年1月26日 - )。父である前大統領ローラン・カビラが1月16日に暗殺されたためその跡を継ぎ、2006年11月27日の選挙で信任され現在も大統領を続けている。ジョゼフ・カビラは同国で初の普通選挙 (Democratic Republic of the Congo general election, 2006) で選ばれた大統領である。

ジョセフ・カサブブ
Joseph Kasa-Vubu、1910年(1913年、1915年、1917年説も) - 1969年3月24日)は、コンゴ民主共和国の政治家。同国の初代大統領。ベルギー領コンゴ(当時)西部のチェラに生まれたカサブブは、1928年から1936年までカトリックの宣教師から教育を受けた。その後、教師になるまでにザンビアのカブウェにあった神学校で神学と哲学を学んだ。コンゴ川下流のコンゴ族を主体としたコンゴ族同盟(ABAKO, アバコ党)のリーダーとなったカサブブは、コンゴが1960年6月30日にベルギーから独立すると、初代大統領に就任した。

パトリス・ルムンバ
(Patrice Emery Lumumba、1925年7月2日 - 1961年1月17日)は、コンゴ民主共和国の政治家で、独立期の指導者。同国の初代首相。1925年7月2日に、ベルギー領コンゴのカサイ州北部オナリア村の農家に生まれる。プロテスタント系のウエンボ・ニヤマ学校で教育を受ける。学校を卒業後、郷里を出てキサンガニ(旧スタンリービル)の郵便局事務員として働いた。ルムンバは、コンゴ国民運動の指導者として、部族間の紛争を防止し、コンゴ国民の一致団結とアフリカ諸国の独立運動に尽力していった。1958年には、ガーナのアクラで開催されたアフリカ諸国民会議にコンゴ国民運動を代表して参加した。

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モブツ・セセ・セコ
Mobutu Sese Seko Nkuku wa za Banga 1930年10月14日 - 1997年9月7日は ザイール(現コンゴ民主共和国)の軍人、政治家。同国の第2代大統領(在任期間1965年から1997年)。1960年6月にベルギーからコンゴ共和国が独立すると、モブツは国軍参謀総長に就任した。その後、カタンガ州をめぐる国内の状況の悪化に伴い、1960年9月コンゴ動乱初期のクーデターで実権を掌握。ジョセフ・カサブブ大統領と手を結び、パトリス・ルムンバ首相を逮捕。1961年政権を文民に移譲する。

ローラン・カビラ
(Laurent-Desire Kabila, 1939年11月27日 − 2001年1月16日) はコンゴ民主共和国の政治家。同国大統領(第3代、任期:1997年5月17日 - 2001年1月16日)。ザイールで独裁者と呼ばれ32年間統治したモブツ・セセ・セコをルワンダ等の支援を受け打倒したが、自らも暗殺された。大統領は息子のジョゼフ・カビラが継いだ。カビラはベルギー領コンゴカタンガ州ジャドヴィル(現在のリカシ)でルバ族の父とルンダ族の母の元に生まれた。カビラはフランスで政治哲学を学び、ダルエスサラーム大学で学んだ。

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