bars60

メモトップへ


葉月/8/August


TOP PAGE

bluedot

回転木馬
2011/08/31  ワシントンポスト紙に5年間に6人の首相が交代する日本の政治を揶揄して「回転木馬」のようだと書かれ、日本人として恥ずかしい気がします。世界第三位の経済大国ではあるけれど今回の深刻な原発事故に対する稚拙な対応と言い日本は世界各国の目にどう映っているのだろうかと考えてしまいます。今回の大惨事も理念なき政治家と道徳なき企業、人格なき学者、信念なきマスコミが長年に渡って自らの保身や利権に拘泥して来た結果ですから、その罪は大きく深いと思いますが、長年の自民党政治の中で思考停止してしまったかのような各界の事なかれ主義と国民の無意識無関心にも責任の一端はあると思います。

社会悪と呼ばれるさまざまな問題に命がけで取り組んでいる人々も少なからず存在する日本ですが、それぞれの分野で信念を持って行動している人々は余りにも少数で堆積した無念の思いはどれだけあるのかと思うと心が痛みます。放射性物質の蔓延でますます深刻さの度合いを深める今回の原発事故で多くの人が原発の危険性を認識しましたが、更なる悲劇を生まないためにも「回転木馬」に目先を奪われないよう1人1人が現実を注視して行く必要があると思うのです。


 

鳩山、菅、野田、民主党代表選
2011/08/29  この非常時になぜ菅氏を降ろさなければならないのか、いまだによく分かりませんが野田氏が新代表になりました。一国の総理大臣がこれだけころころ変わって大丈夫なのか問題山積の重席を一年やそこらで果たせるのだろうかと単純に思ってしまいます。とにかく被災地の人々の救済といまだ全容が把握出来ない原発事故と放射能汚染のきちっとした対策と方法をまず確立してほしいものです。

代表選記事の横に「経済産業省原子力安全・保安院は26日、東京電力福島第一原子力発電所事故と、広島に投下された原子爆弾で大気中に放出された放射性物質の種類別の量をまとめた資料を公表した。単純計算すると、原発事故の放出量はセシウム137が原爆の168.5倍、ヨウ素131が2.5倍にあたる。この他ストロンチウム90は140テラベクレルで広島原爆の2.4個分としている。ストロンチウムは人体に入ると骨に蓄積される。

2000年に国連科学委員会がまとめた広島原爆の試算値を放射性物質ごとに一覧にした。半減期が約30年と長いセシウム137で比べると、原発事故が1万5千テラベクレル(テラは1兆)、原爆が89テラベクレル。放射能汚染がそれだけ長期化する可能性を示している」とあります。


 

社会悪と絶対悪
2011/08/28  世の中には社会悪が蔓延しています。よくもまあこれだけと言うぐらいの悪が次から次へと表面に出ては埋没します。水面下にどれだけの悪が巣くっているのか想像するだけで気分が悪くなりますが、人権を利用した悪、弱者につけ込んだ悪、権力を傘に着た悪、無知に付け込んだ悪、およそ民主主義や自由主義とはかけ離れたさまざまな悪が闊歩して人々を苦しめています。

かって悪に対して一端の役割を担って来た宗教や芸術もその影響力を失い、未来ある若者の世界さえ厭世観、諦観、現実逃避的なバーチャル世界への傾倒が進んでいるようにも見える世の中です。若者らしい純粋な気持ちが「どうせ何をやっても無駄だ」と言うくすんだ重圧に負けてある種の思考停止状態に追い込まれている部分は確かにあると思います。そう言う流れを作ってしまった社会が、大人が悪いのは確かですがそれでもそれを跳ね返して変革して行くのも若者の魅力だし値打ちだとも思います。

人間的な哲学や道徳感のない金権社会がもたらしたもの、一言でいえばエゴイズムですが、つまるところそれは自身に跳ね返って来て面白くもおかしくもない魅力のない人生に繋がるだけです。混沌とした時代、混迷した社会、こんな時代だからこそそれぞれの「小さな哲学」を見つける事はとても重要ではないかと思うのです。そして今起こっている原発事故の背景、それは明らかに巨大な社会悪がもたらしたものですが、それが他の悪と一緒に出来ないのは放射能汚染の永続性とこれ以上放置してまた同じ事が起これば、生命そのものが根本的に存在出来なくなる危険性を帯びた究極の問題だからです。一過性でもなく再発を防げるものではない問題。これからの人生「それぞれの小さな哲学の中に原子力の問題」だけは誰もが含めなくてはいけないと思うのです。


 

ノンフィクション「原発死」の復刊
2011/08/26  富山県の地方紙記者によるノンフィクション「原発死」が30年ぶりに復刊されたと新聞のコラムに出ていました。運転を始めて間もない頃の原子力発電所に勤めていた1人息子の勝信さんが原発作業で被爆して31才の若さで亡くなった悲しみと怒りから書かれた本で「原発の安全神話」がいかにいい加減なものであるかに強い警鐘を鳴らしています。

亡くなった勝信さんからの手紙に「下請けの労働者は最前線で、原子炉の心部で作業をする。安全教育といっても僕らと違って1週間ぐらいちょっと受け、すぐ現場に出るのだから、もっと気をつけないと汚染される危険が多分にあります」北陸電力の社員で下請けの作業員を指導する立場にいた勝信さんが自ら被爆死するほど危険な現場で見て感じた事ですから説得力があります。79年に初版が出され、チェルノブイリ原発事故のあった86年に増刷されその後絶版になったこの本が今蘇るのは必然ですが、「原発死」の序文を執筆依頼した井伏鱒二さんと筆者、松本直治さんとの書簡の1つに「貴稿、うまく纏めてあると思ひました。

反響が行き渡ればよいのですが。あらためてご子息の冥福を祈ります」井伏鱒二の望み通り反響が行き渡って原発行政や電力会社の姿勢が少しでも変わっていたら今回の福島原発事故へつづく道は変わったであろうことは間違いないと思います。原発ありきの時代から原発の危険性を検証し警鐘を鳴らして来た心ある原発関係者と学者。嫌がらせや脅迫にめげず、原発反対を訴え続けて来た地元の人々。多くのそのような人々がいて今もこの実態ですから、もしも彼らがいなかったらと考えると震撼とするばかりです。



あれから2ヶ月。カエル、小さな命だけれど
2011/08/24  近所の田んぼからやって来たのか小さなカエルが二匹庭に住み着いて機嫌良く?生きています。二三日姿が見えなくなってどこかへ行ったのだろうとちょっと寂しい思いをしてるとぴょこっと現れたりします。ならばと小さな池を即席で作って二匹ではさみしいだろうと近くの田んぼから仲間を連れて来て数匹庭に放ちました。

かれこれ2ヶ月、成長の早いものや遅いものはあるけど立派なカエルになって、池に入ったり雑草の間をぴょこぴょこ移動したりして元気に暮らしています。カエルと言う生き物をこんなに身近に観察したのは始めてですが、石の上にじっとして虚空をにらんでる様が哲学者のように見えたり、変なものを食べたのでしょうか、目をくりくりさせている様子が道化師のように見えたりとにかく愛くるしい生き物です。水中のおたまじゃくしから陸に上がりしっぽが消えて座ったり立ったり人間のような仕草をする不思議な動物。昔の鳥獣戯画にも描かれていますが、たしかに擬人化しやすい風体をしています。

猫やうさぎと並んでキャラクターとして愛される理由が改めて分かりました。自由に出入り出来る庭だからまたどこかへ行ってしまうかもしれないけど、越冬して長く住人になるかも知れません。その頃にはそれぞれ名前もついてある種のコミュニケーションも取れるようになればうれしいのだけれど、可能性はあります。ドイツで環境問題のシンボルとされるカエルは非常にデリケートで環境異変をまともに受ける生き物です。カエルが絶滅するような環境になれば当然人間にもそのつけは跳ね返って来るのですから、カエルのみならずさまざまな生き物を大切にする事、観察する事は環境への啓蒙を促す意味でも大切な事だと思うのです。


 

代表選などやっている場合だろうか
2011/08/22  震災と放射能汚染問題で苦しんでる人が多くいて、今もこれからもめどが立たない状況下で、首相選びなどやっている場合ではないと国民の多くが思っている中でこの政治の動きはやはり国民不在だと言われても仕方がないものです。震災のみならず原発事故の影響は余りにも大きく深刻で原発を推進して来た思慮なき過去を猛反省して一丸となって復興と放射能対策に向かうのが人間としての道だと思います。

首相がころころ変わる事だけでも恥ずかしい事ですが、この時期にこれでは海外メディアに呆れられても仕方がありません。昨日原発から半径3キロ圏の居住禁止を最低10年とする措置が決定に向けて調整に入っているとの記事がありましたが、実際は3キロと言う線引きなど出来ない事は明らかで、せめてと言う意味なのでしょう。チェルノブイリ原発事故から25年経って当時よく分からなかった放射能の広範囲な影響の実態が明らかになりつつある今、無責任な安全デマや巧言、目先の情報隠蔽が取りかえしのない被害を拡大する事も分かっています。この事はマスコミや情報産業に関わる人たちは特に強く心しておかないといけないと思います。

被災地の人たちへの全力の支援と補償がまずなされて、放射能汚染に対する明確な対策と方針が確定するまで、代表選などやっている場合ではありません。その間に失われる時間と労力を見る被災地の人たちの心情を考えるべきです。


 

子供が生きる事に迷うこと
2011/08/21  父親の無気力、あるいは無関心、母親の迷いといらだち、あるいは過干渉。男女が巡り会って結婚し、子供は生まれるのだけれど、男として、女としての人生の歩みと1人の人間として個人としての自己の確立(価値観や人生観)がある程度出来ていなければ夫婦の精神的絆が弱まり生まれて来た子供への愛情がから回ってしまうことがあります。

無力でまだ判断力の弱い子供にとって両親の生き方、両親の絆の強度は安心感と行きて行くための指針となりますが、親が混乱していれば子供の精神が不安定になるのは当然で、残念な事に今の社会では親の不出来なところを是正してくれる長老のような年寄りや人格者が近所にも学校にもめったにいません。親が何の関心も示してくれなくとも近所の大人から「君は走るのが速いね」「君はいい声をしてるね」などの一言で子供は俄然自信を持ったりする事もあります。実際50年前の大阪の下街ではそう言う事がよくあって、どうしようもない悪ガキが近所のおっさんの一言でその後スポーツ選手やミュージシャンになった例は幾つもあります。

でも現実の環境は閉鎖的ですから外部影響は期待出来ないので親が子供に対していろいろな視点と姿勢を与えたり見せたりするしかありません。子供に対して「お父さんはこう思うよ」「お母さんはこう思うよ」と言う姿勢。世間の風潮はどうあれ「我が家の考え方はこうなんだよ」と言う家風。それがいちばん子供にとっては大事な指針になるはずです。一軒の家を持つと言う物理的なマイホーム主義は達成されても、家族としての中身が構築されなければ子供にとって家はただの箱で、青年になり大人になっても生きる事に迷ってしまいます。もしくは迷わないために短絡になってしまいます。


 

隠蔽してすむ問題ではなく
2011/08/20  島根県は19日福島第1原発事故による福島県の計画的避難区域と緊急時避難準備区域から5、6月に購入した牛の堆肥(たいひ)から、最高で暫定許容値(1キロ当たり400ベクレル)を超す2700ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。農林水産省は今月11日、島根県にこれらの牛の大半について移動と出荷を認める通知をしたが、県が念のため独自調査していた。(毎日新聞)この記事を読んだだけでもさまざまな食品の放射性物質の検知と流通判断は安全と呼べる状態ではない事が解ります。

近年問題が拡大しつつあった食品添加物や農薬の問題に加えて今回の放射性物質の拡散は消費者にとって「どうしようもないあきらめ」に近い感情をもたらしつつあるようで、それはスーパーなどで買い物をすれば誰でも同じ思いになるはずです。「健康に問題ありません」とか「基準値以下だから大丈夫です」とかの無責任な政府発表や御用学者の意見をまともに取る人は少ないとは思う現状ですが、マスコミなどがこれだけ事実報道に消極的になれば今回のような事故でもっとも大事だと思われる「国民の監視の目」が薄れる事が心配です。

多くの被爆者を出し、海や土地を汚染し続ける原発事故。将来に渡ってどれだけの被害が出るか予測も出来ないような未曾有の事故は明らかに防げた部分が多くあってその意味では原子力村と呼ばれる人たち共同の犯罪だと言えるのではないでしょうか。犯罪なら処罰されなければおかしいのですが、このような現実の事態を無視するかのような安全発言が出るのは一体どんな神経なのか、もともとそんな神経だからこのような事態を招いたと言う方が当たっているのでしょうが、人間性の喪失と言うのは恐ろしいものです。

5年後、20年後に多くの健康被害が出る事は分かっていて今に目をそらせばその被害は間違いなく拡大する事も分かっています。その時が来て、今マスコミなどで無責任な安全発言を繰り返している人間はまたこう言うでしょう。「これだけの被害者が出るとは想定外だった」想定も何も正しい心も知識も想像力も何もないのですから。そもそも電力会社が巨額の広告費を使ってマスコミを操作して来た歴史は長いですが、それでもここまで深刻な事故の中でまたしてもマスコミを操作して原発の存続をはかろうとする体質はまさに闇と言うか病的な気さえします。

大口スポンサーだからと言って真実報道を躊躇するテレビ局の姿勢は国民に対する裏切りですし、今回の原発事故の問題は隠蔽してすむようなものではありません。数少ない心ある学識者やジャーナリストの情報から国民は1人1人知識を得て自分の判断で行動せざる得ないとしたらそれは一体どんな国なのでしょう。


 

ふたたび「一人の思い」
2011/08/18  一人の人間が思うことそれは計り知れなく強く重いものです。数え切れないやさしき人々の献身的な行為がこの歴史の悪魔的進行に対して、例え無力感をさらけ出しているとしても、今ある今、は素晴らしき人達がブレーキを踏み続けた結果だと僕は思います。今回の原発事故で勇気を持って真実を伝え続ける人たち。少数だけれどもし歴史上のあちこちで、そんな人達がいなかったら人類はとうの昔に終わっていたでしょう。全ては一人の人間にしか出来ないこと、一人一人の思いが重なったときに例え三人でも世界は変わります。いや、せめて世界はキープ出来ます。

そしてその思いは人類では少数派かもしれませんが、いるかをはじめ優れた動物では完全に主流派です。この美しい青い海と空を見て、我が事しか考えないような動物は、その動物が仮に進化した動物だとしたらそれは生物学的にも歪み以外の何者でもありません。例え1000人の人間が歪んでいるとしても一人の人間がちゃんとした進化の中で考えること、ただそれだけで歪みを是正するためには充分だと僕は思います。

僕が恐れるのは、一人の人間の考える事なんて、一人の人間が行動出来る事なんて・・・と言うネガティブな思いから、そんな人間が一人もいなくなることです。たった独りでもいい、もし三人いるならそれはもう無敵と思うような心が大切です。それを勇気と呼ぶなら僕は勇気が好きです。それを正義と呼ぶなら僕は正義も好きです。でも願わくば僕はそれを愛と呼びたい、それこそが人間、ヒューマンと僕は呼びたいのです。

青い空が大好きなあなた、ガーナチョコが大好きなあなた、アジアの文化が大好きなあなた、ウィーンの空気が大好きなあなた、ビートルズが、ストーンズが、ツェッペリンが大好きなあなた、やさしい風が見えて、素敵な夢が見えるあなた、そしていつまでもいつまでも身近で不思議なお月さんを愛するあなた、そう思いませんか?


 

自然が汚されると言う事
2011/08/17  自然が汚れを清めると言う神道の自然観や仏教の不変常住のものはないと言う無常観。放射性物質が大地や海にまき散らされた今回の原発事故は日本に定着してきた宗教観をも打ち砕くような出来事です。放射性物質の1つであるプルトニウム239や244は無常ではなく半減期が数万年数千万年もの長きに渡って放射線を出し続け、人間の寿命や文明の長さを考えれば次元の違う恐怖感に襲われます。このようなものは人間が扱っては行けないと思うのは宗教家のみならず、誰でも思う事です。今月12日に福島県の農民や漁民が東京の東電本店や銀座でデモを行ったと言う記事を見ましたが、震災後5ヶ月経った今事態は改善どころか深刻さをましているようです。

土壌の除染、収穫期の米の放射能検査、肉牛の前頭検査などを国が責任を持って行うのは当たり前の事ですし、東電が賠償金を速やかに支払うのも当たり前の事なのに、それが行われないからデモしなくてはならないと言うのはあんまりです。福島に残る人たち、避難した人たち、どちらも現状の不安や苦痛は計り知れないものがあると思います。しかも将来においてどれだけの健康被害が出るかも分からないような大惨事を起こして原発を推進して来た東電を筆頭とする関係者の反省や懺悔の気持ちは余りにも薄いような気がします。ガンジーの戒めの言葉「理念なき政治家」「人格なき学識」「道徳なき商業」はそのまま原子力村を構成して来た、政治家と学者、電力会社に当てはまるものですが、こんなにぴたりと当てはまっていいものかと考えてしまいます。


 

原子力行政に関する小出裕章氏の真摯で分かりやすい言葉
2011/08/16  原発関連のマスコミ報道が少なくなってはいますが、この先長くつづく問題だからであればいいのですが、権力側の圧力がかかっている雰囲気も感じられて心配です。放射能汚染の問題は深刻で原発施設で被曝覚悟で作業しておられる方々には何と言っていいかも分かりませんが、あらゆる事実が知らされない限り社会的被害は増大するばかりです。ネットで闇の多い原子力行政に対して2011年5月23日参議院行政監視委員会における小出裕章氏の発言を文字起こししてくれたブログを見つけたので紹介したいと思います。ブログ「ざまあみやがれい!」http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65737210.html
小出氏の発言は非常に分かりやすくヒューマニズムに満ちたものです。

一部を引用します。「今日はこれまで原子力をすすめてきた行政に一言いいたいと思ってうかがいました。私は原子力に夢を持って原子核工学科に入った人間です。なぜそうなったかというと原子力こそ未来のエネルギー源だと思ったからです。原子力は無尽蔵にあるが、石炭や石油は枯渇してしまうから将来は原子力だと信じて入ったのです。」「しかし、入ってみて分かったのは原子力は大変貧弱なエネルギーだと気が付きました。今このスライドに再生不能エネルギーというものの量を順番にあげていこうとおもいます。」・・・・「日本はもんじゅという高速増殖炉の原型炉だけでも、既に1兆円以上のカネを捨ててしまい、ました。現在の裁判制度で行くと1億円の詐欺をすると1年実刑になるんだそうです。では1兆円の詐欺をしたら何年の実刑を喰らわなければいけない、でしょうか。1万年、です。原子力委員会、原子力安全委員会、あるいは経産省、通産省、等々、行政に関わった人のなかでもんじゅに責任のある人はいったいなんにんいるのか、私はよく知りません。でも仮に100人だとすれば一人ひとり100年間実刑を処さなければいけないという、それほどのことをやってきて、結局誰も未だに何の責任もとらないままいるという、そういう事になっている、わけです。」

長きに渡って原発の危険性、理不尽性を説いて来た小出氏の発言は科学者として、人間としての責任感に満ちています。テレビ新聞で大きく取り上げてくれれば、多くの国民がこの問題に関して理解しやすいと思うのですが。


鴨川と夏
2011/08/14  久しぶりに京都鴨川の河原でも歩こうと電車に乗ったものの駅から数歩、あまりの炎天に散歩はあきらめて近くのカフェへ。大きなテントが気持ちいい陰をつくり、風も心地よく冷たいビールを一瞬注文しようと思ったけれど糖質の高いビールは自重しているので赤ワインを一杯。常温のワインはなまぬるく爽快感はないけれど、色が何ともきれいで納得。ワインを飲みながらしばし回想。

学生時代から何度鴨川を歩いただろうか、三条の橋の下で友人たちと朝まで語り明かした事も、風情ある床ではも落としを肴に冷酒など飲みながら涼んだ事もありました。上流の橋の下で優雅と言うのはおかしいけど、ホームレスの父と娘が暮らしていた事。お父さんのロッキングチェアーを揺すりながら本を読んでいる姿、娘さんの洗濯物を干す姿、なんか映画の一シーンのようで僕の目には微笑ましくて優雅に映りました。その後訪ねた時には暮らしの跡形もなかったけれど、あの時の一コマは強く焼き付いています。鴨川にまつわる思い出は幾つでも出て来るけれど、それはいつもきれいな流れと京都らしさを保っている街並があるからだとあらためて思います。


うだるような暑さと海
2011/08/12  ほんとうに夏なのかと思うぐらい妙に涼しい日が続いて油断していたらまさに夏がやって来て体力は一気に消耗しました。中学生ぐらい迄は夏と言えば「海か山へ行こう」が友人との合い言葉になっていたけど高校をすぎた頃から合い言葉は「ビアガーデンに行こう」に変わって海も山もビアガーデンもお金がある限り、友人の誰かがお金を持っている限り持ち回りで行ったものです。夏が来て条件反射的に「さあ海だ」と思えなくなったのはいつだったか、たぶんその辺りが肉体的青春からの別れだったような気がします。

近くの瀬戸内の海から北海道の海までいろいろな海で泳いだけど景色のみならず水の色も味も違って個性的な海がいっぱいです。そんな魅力的な海がある日本の海岸は未来の子供たちの夢を育むためにも絶対に美しいまま保たなければならないけど、今回の原発事故で改めて原発の立地を調べて見たら日本列島ぐるりと一周するような形で原発が作られています。原発がある海岸は風光明媚な場所ばかりで、よく泳ぎに行った若狭湾などは原発だらけで危険は当然ですが景観までぶち壊し。味気ない原発の建物は美しい景色にはそぐわないし、せっかくの景色をスケッチする気にもなりません。

過去に美しい故郷を原発から守るために戦って計画を断念させた場所が全国各地に25カ所あると言いますが、自然を愛する意識と行動力のある人たちで立派だと思います。今これだけの事故が起こって放射能の恐ろしさと取りかえしがつかない事実を目の前にしても電力会社は反省どころか相変わらず巨額を投じてマスコミなどを操作しようとしている現実。過去の全国25カ所の人々の戦いが半端ではなかったであろう事は想像がつきます。

建設を進めようとする側は巨額の資金と権力を使って買収やいやがらせ、おどしなどあらゆる手を使って反対運動を阻止したに違いありませんが、故郷を守ろうとする住民の心が一体となって負けなかったのだと思います。それでもこれだけの原発が作られてしまった事に対しては呆然としてしまいますが、せめて今後美しい景色や海を汚すような原発はもう2度と作らせてはいけないと思う夏です。


震災から5ヶ月
2011/08/11  5ヶ月前、大きな揺れで飛び起きてあわててテレビをつけたら東北地方でとてつもない大地震が起こったと知り後は食い入るようにニュースを見つづけていました。近畿地方がこれだけ揺れるのだから現地の衝撃はかなりだと想像はつきましたがその後の津波の映像を見て言葉を失いました。車や大きな船までもが軽々と波に運ばれ、黒い波が家屋と田畠を次々と飲み込んで行く様は今も脳裏から消えません。その中に多くの人が飲み込まれ命を奪われました。

死者、不明の方が2万人以上の計り知れない悲劇をもたらした東日本大震災。尽きない悲しみと不安の中お盆を向かえた福島県内の墓地では放射線の線量計を手にして墓参りする人の姿もあったそうですが、自然災害に重なって起こった原発事故の深刻さはあまりにも大き過ぎる不幸です。今月中旬からは福島県民200万人の総被爆量を推計する作業が本格化するとの事ですが予備調査が始まったのが6月下旬と遅れたため半減期の短い放射性ヨウ素はすでに消え半減期30年のセシウム137なども体から排出された分もある事から事故当時どれくらい被曝したのかは判じきれないというのが実態のようで本格的調査と言っても歯がゆいものです。

さらに深刻な問題ですが、厚労省によると福島第一原発の復旧に当たった作業員は7月末で1万7000人、下請け作業員は入れ替わりが激しく「最終的に数万人に膨らむだろう」との予測。調査によると内部被曝だけで100ミリシーベルトを超したのは12人との事ですが、連絡すら取れない作業員が150人もいる曖昧な管理で作業員の方々の被曝量はほんとうに大丈夫なのかと疑いたくもなります。テレビ新聞に登場する無責任な学者や関係者が安全を口にするのを聞くと「そんなに安全だと言うのならあなたたちが先頭に立って原発の復旧作業に当たるべきだ」と言いたくなります。生活に追い込まれてお金のために被曝を覚悟で作業する人たちの事を思うとやはり原発は非人道的なものです。


知らない危険
2011/08/09   ジャマイカ、ハイチなどカリブ海諸国でつくるカリブ共同体は英仏から日本に返却される原発の高レベル廃棄物を積んだ船のカリブ海航行を止めるよう日英仏政府に要請しました。原発の使用済燃料の再処理を英仏に委託して来た日本に向けて1995年から高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)が海上輸送で返還されて来たことに対する反応です。福島原発事故を受けての不安や反発です。パナマ運河を通って輸送されている高レベル廃棄物ですが、観光など美しい自然環境を誇っているパナマ諸国にとっては万が一の事故やテロ攻撃などへの不安は看過出来ないものだと思います。

去年の11月にフランスの再処理施設からドイツの貯蔵施設に向かう放射性廃棄物の輸送列車の行く手を、原発反対派の数千人が座り込み運行を阻止した事件がありましたが、高レベルの放射性廃棄物がどこをどのようにして運ばれているのかを考えると不安がよぎります。放射性廃棄物の処理方法も見つからない中、原発が動く限り廃棄物は増え続けます。日本に戻される核廃棄物と日本で増え続ける「高レベル廃棄物」と「原発のゴミ」。低レベル廃棄物であるゴミは1969年頃までは廃棄物業者がドラム缶に入った廃棄物を沖合に捨てていたそうですが、そんな無茶苦茶な行為も今は出来なくなり、ドラム缶はすでに青森の六ヶ所村に数十万本もたまっているそうで、先が思いやられます。日常の生活ゴミにさえ処理に困っている現実なのですから。

処理方法さえ見つからない「高レベル廃棄物」に関しては想像するだけで恐ろしいものです。原発が動く限りこのどうしようもない現実は確実に悪くなります。行き場を失った放射性廃棄物が日本のそこかしこにある世界など誰ものぞまないはずです。ある程度危険は想像出来ても「明らかな危険」は事実を知らされていない以上感知出来ないところもあります。この未来へと長くつづく放射能の蓄積は国民1人1人が真実を知る努力を続けて意識改革しないと未来の子供たちがあまりにも危険です。


 

火星に水の痕跡
2011/08/07  NASAが4日火星の表面に液体の塩水が流れている痕跡を見つけたと発表しました。古代ギリシャやローマ時代から人々を惹き付ける火星。1636年ガリレオ・ガリレイが小さな望遠鏡で火星の表面を覗いて以来色々な憶測や想像が飛び交いました。運河や火星人などの想像図は子供心をかき立ててくれたものです。月世界のロマンが科学技術の発達によって弱くなったように火星への奇想天外な想像も弱まりましたが、月も火星もまだまだ謎めいた部分は多く残っていて、人類の科学がこの小さな太陽系の至近距離にある衛星や惑星の実態さえつかめないと言う現実を考えれば地球の科学は万能どころかやっとスタートしたばかりかも知れません。

木星探査線「ジュノー」が6日打ち上げられ2016年に木星に到達するそうですが木星と言えどもこの距離感です。それが現実の科学力。そう考えれば人類が原子力を安全に扱うにはまだまだ科学力も人間性も未熟だと言う事は今の「核」の現状を見れば明らかです。使えば地球そのものが破滅すると分かっている核兵器。その核弾頭数が2万発以上あると言う現実。広島、長崎の破壊の惨状と今に至る放射能の恐ろしさを教訓とするなら核兵器の廃絶はもとより原子力の平和利用も今の科学力とモラルではあまりにもリスクが大きすぎます。

NASAとESAが「ハーシェル宇宙望遠鏡」を使って1500光年のオリオン座の星雲中に呼吸に必要な酸素分子を見つけたと発表しました。酸素分子に特徴的な波長の電磁波を捉える事からの発見です。すぐそばの火星の事はもう1つ分からないのに1500光年の距離とは不思議な気もします。探求、探索する科学は何億光年彼方へ向かってもいいけれど、この地球上全ての生命にかかわる原子力の応用はもっと慎重に、賢く、想像力を持って臨まねば人類はその歴史上「もっとも野蛮で取りかえしのつかない」事をしでかしてしまうのではないでしょうか。


広島に原爆投下から66年
2011/08/06  2度とあってはならない核兵器の使用。核の恐ろしさを目の当たりにした日本人の誰もが持ち続ける願いです。今年の広島平和記念公園に集まった5万人の人々は核兵器廃絶と同時に脱原発への思いを強くもって平和記念式に臨んだのではないでしょうか。原爆の悲惨さと被爆の時を超えた被害に今なお苦しみ続けている人たちにとって福島原発の事故は「放射能の恐怖を知った広島、長崎の教訓が生かされていない」との憤りがわき起こるのは当然です。

原爆は兵器で原発は核の平和利用だと言う解釈のもとに科学技術を信用して来た側面は多くの日本人にあると思いますが、どちらも核分裂のエネルギーを使うと言う面では同じもので放射能の脅威に関しても同じものです。被曝に関しては広島、長崎、チェルノブイリなどの追跡調査でこれ以下なら安全だと言う量がないのも分かっている事実です。国会で東大の児玉龍彦教授が言った「福島からは広島型原爆20個分(ウラン換算)の放射性物質が飛散し、残存量もはるかに多く、影響の広さ長さは計り知れない」との説明を聞くまでもなくその深刻さはテレビや新聞の抑え気味の報道によっても分かるはずです。

日本が地震国だと言うのも脱原発への大きな要素ですが「原発は制御出来ない」と言う事実と「核と人類は共存出来ない」と言う事実、そしてほんとうに先進的な科学とは自然エネルギーをいかに活用し、平和と地球環境そのものを守る事にあると言う事を強く認識しないと広島、長崎の決してあってはならない人類の体験を生かす事にはならないと思うのです。


小さなカエルの存在感
2011/08/05  一ヶ月ほど前の事、庭の草の間を何やら小さな生き物がぴょんと飛びました。眼を凝らして見るとどこから来たのか小指の先ほどの小さなカエルが草の間にちょこんと座っています。おたまじゃくしから変化してまだそう時間が経っていないような小さなカエル。何とかこの小さな庭に居着いて成長してくれないものかと念じて以来毎日、小さなカエルをおどかさないように気をつけながら観察するのが日課になりました。

2.3日探しても見つからない時はやっぱりここでは無理なのかなと落胆したとたん又ぴょんとはねてすまして座っています。カエルは成長してもう親指ほどの大きさになっています。見れば見るほど不思議で愛らしい生き物です。カエルは自然環境の状態を量る上でも重要な生き物であると聞いた事がありますが、日本でも水田が激減し、池や川の埋め立て、農薬や除草剤の影響でカエルは減りつつあって心配です。カエルが住みにくい環境は人間も住みにくい環境だからです。

ドイツでは1970年代にカエルの減少に自然環境の危機を見いだし、カエルを守ろうと言う動きが起こり、その運動は今も広く行われているそうですが、確かにカエルを守る事は自然環境への意識を高める事にもなると思います。カエルを交通事故から守るためにアウトバーンの下にカエルが通るためのトンネルが掘られたり、カエルの繁殖期にはドライバーに減速運転を求めるなどその意識は高いようです。今回のドイツの原発に対する意識の高さもどこかカエルと繋がっているようで考えさせられます。


新世界と串カツ
2011/078/04  通天閣界隈。屋台の串カツ屋や居酒屋と昔ながらの芝居小屋や映画館が往時を偲ばせるけど新世界独特の雰囲気はすっかり無くなってしまいました。天王寺駅から美術館へとつづく公園はたくさんの木が茂り、日陰には仕事にあふれた労働者や絵を描く人、歌や踊りで道行く人を楽しませる公園芸人が日常的にいた時代がありました。好奇心や冒険心の強い子供にとっては何とも魅力的な公園だったのです。美術館からつづく動物園より天王寺公園の方が面白いくらいでしたから、よほど面白い要素があったのだと思います。

その公園も役所の想像力のない施策ですっかり取り壊され後には味気ないデザインのしらけた公園ができて利用する人も疎らな状態です。浮浪者や路上生活者を閉め出す目的でやらかした事なのでしょうが、大阪の1つの文化エリアを壊したと言っても過言ではありません。公園界隈が様変わりしてから通天閣に象徴される新世界エリアも随分変わりました。ノスタルジックな喫茶店や洋食屋、大衆食堂に立ち飲み居酒屋など小さな個性ある店が連なっていた界隈はどこにでもある大型チェーン店に取って代わられ情緒はなし。もともと新世界にはづぼらやぐらいしか大きい店はなかったのです。京都や神戸の上品好みの友達を新世界に連れて来て驚かす事ももう出来なくなりました。

「滅茶苦茶柄悪いと思ってたけど案外いいとこだね」とか「いくら何でもこれは安過ぎるよ」「でもほんとうに美味いよ」とか「あの店の大将は変わった人だね、殺されるかと思ったよ」とか笑いとカルチャーショックを与えられる場はもうありません。久しぶりに昔からある串カツ屋に入って「瓶ビール」それと「牛2本と玉葱と椎茸」と言っては見たけれど串カツの味もソースの味も客の雰囲気も記憶にあるものとは違って、このたった10年の新世界激変にしばし呆然とした一日でした。


想像力の欠如と破壊
2011/08/03  1997年の4月に断行された諫早湾の締め切り。海外でも反環境的蛮行だと非難された干拓事業です。当時テレビ、新聞でもかなり問題にはなったのですが日本の世論は蛮行を阻止する事は出来ませんでした。利権にまみれた推進派の政治家、役人、企業、御用学者の言い分はひどいものでちょっと想像力のある人間なら「それは嘘だろう」と見破れるものでしたが、強欲と厚顔の前に有明の美しい自然と命の多くが奪われました。あのギロチンのような水門が落とされて行く光景には多くの人が眉をひそめたはずです。その後の有明海異変はあまり報道されていませんが年々ひどくなると言う現状です。一度*検証「諫早湾干拓事業」と言うホームページをご覧下さい。

今回の原発事故後に報道された幾つもの事実、そして現在進行形の深刻な放射能汚染問題に対して今だ事実を直視せず「電力不足」だとか「原発の安全性さえ確保できれば」と言う学者や評論家が後を絶ちませんが、彼らの頭の構造はどうなっているのでしょう。無知なのか頭が悪いのか利権構造に組み込まれているのか解りませんが、どちらにせよあまりにも非人道的な感覚です。友人の1人が怒って「そんなに原発を守りたいなら福島原発で文字通り命がけで作業する人々に混じって作業しろ」と言った言葉はもっともです。自然環境を破壊し人の命のみならずあらゆる命を危険におとしめるような行為はどんな理由があっても許されるものではありません。それ以上の優先順位はないからです。

北海道から沖縄まで、日本列島はほんとうに変化に富み美しい環境です。山があり平野があり幾多の川の流れがあり、そして四方に海が広がっています。自然エネルギーを利用できる条件は揃っています。そして優秀な日本の科学力、技術力があります。未だ自然エネルギーの実用化は所詮無理などと言う想像力の欠如した人間がいますが、そんな想像力の欠落した人間が諫早湾を始めとする環境破壊とこの地震多発国日本に原発を作り続けて来たのです。そしてこの未曾有の原発事故の現実を目の当たりにしてまだ原発を擁護し、自然エネルギーへのシフトを妨害するような行為言動には呆れ果てます。そこにある事実を直視し、想像力を働かせば未来に向けて何をしなければならないかは明らかな事です。


心理的時間と物理的時間そして宇宙的時間
2011/08/02  人生の時々に「時間は本当に同じ長さで流れているのだろうか?」そんな疑問にかられた事はないでしょうか。常識として知っている1時間、1日。それでも1時間が随分長く感じられたり、逆に1時間があっという間に過ぎ去ったり・・・数ヶ月が数日のように感じられたり。もしかしたら人間の時間感覚は予定や時刻表、勤務時間や時間給のような現実的尺度によってある種むりやり形成させられているものかも知れません。太陽が唯一の時計であった時代。夜が明けて陽が沈むまでそれぞれの時間感覚は1人1人みんな違って固有の時間を感じて生きていたような気がします。今でも「この時がいつまでも続いてほしい」「早くご飯がたべたい」などと言う主観的、肉体的欲求が時間を伸び縮みさせるのではないか、そう思う事は誰にでもあるはずです。一定方向に一律に流れる時間。はたしてそうだろうか?太陽や星の運行を基準にしてきた時間は原子や結晶の周波数を基準とする方法に代わって1/100秒でさえ腕時計で計れる時代になりましたが、心理的時間や時間が伸び縮みすると言う宇宙的時間に関しては面白そうな事実がこれから現れて来るような気がします。過去、現在、未来。昨日、今日、明日。こことあっちとこっち。太陽と星と人間。自然界の動物や植物はみんなどんな時間を持っているのだろうかなどと考えると一匹のカエルの眼の奥底を覗きたくもなります。


もっと知るべきだった
2011/08/01 女優の吉永小百合さんが広島での原爆詩の朗読会のあいさつで「原子力の平和利用」と言う言葉を今まであいまいに受け止めてしまっていた。「もんじゅ」が恐ろしい事は聞き、廃炉に向けた運動はしていたが、普通の原子力についてもっともっと知っておくべきだったとして「世の中から核兵器が無くなってほしい、そして原子力発電所が無くなってほしい」と述べたそうです。(8月1日朝日新聞朝刊)「もっと知るべきだった」と言う言葉は多くの人の気持ちを代弁しているのではないでしょうか。地震大国日本で54基もの原発をつくってしまった現実は変えようもないけれど「原発は核兵器と同じ危険性を秘めている。原発はなくすしかないと認識すべきだ」と言った第五福竜丸事件の際の乗組員だった大石又七さんの思いを未来に向けて国民全員が持つべき時が今だと思うのです。

 

TOP PAGE



birth100

バースデザインビアンスアンディムジークプロニティヘキサグラムアロットユニバーソーリドメモランダムラナコルラブソンググランブルーな人々へ
デザイン寺子屋リンク・県別リンク・世界の国リンク・世界のインテリジェンスリンク・ニュースリンク・サイトリンク・ヒューマニスト

サイトポリシーサイトマップリンクについて著作権お問い合わせ