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2008

浮漂
2008/12/01  青から朱へ空は美しいグラデーション、水平線に夕陽が沈みこれ以上ない三日月が輝いています。月を頂点として三角形の2点に輝く星は天文手帳によると金星と木星。とにかくロマンチックな風景です。ヨットハーバーに停泊するヨットの中で一番マストの高いやつが僕の舟で今外洋から帰ってきたんだなどと勝手な想像をしながら師走の夕暮れに漂います。


 

マニュアル人間
2008/12/02  愛用のマックが壊れてサポートセンターに電話するととても感じのいい応対でさすがマックだなと思いました。長いガイダンスに悩まされることもなく「本物の人間」がすぐに電話口に出るだけでもうれしくなるのはよほど奇妙な世界になりつつあるからでしょう。

「かくかくしかじかで修理をお願いします」「なるだけ早く直るように一筆、至急と書き添えて下さい」とオペレーターに言うと「一筆でも二筆でも書き添えて置きます」と人間らしい会話。翌日引取に来て翌々日には大きな段ボールに入って帰ってきました。「早い!」「さすがマックだ」と感動して箱を開けると一枚の不吉な紙が入っていました。「お調べした結果有償修理になりますのでとりあえず返却いたします」何という事だろ。有償の場合は電話して確認してから修理に取りかかって下さいとは言ったけど送り返せなどとは一言も。うんざりしてオペレーターに事情を説明すると「分かりましたお調べするのでしばらくお待ち下さい」で5分。「いまお調べしていますので」で5分。

「あの調べるのはいいですからあらたに修理の手配をして下さい」と頼むと「分かりました、いまお調べしているのでしばらくお待ち下さい」でまた5分。「ねえねえ、箱に入って梱包も全部出来てるのだからすぐに引取に来て下さいよ」と言うと「分かりましたもう少しですのでしばらくお待ち下さい」で5分。恐るべきマニュアル人間です。「今日はもういいです」と電話を切って情けなくなりました。マックは違うなと思ったのにこれならハンバーグのマックと変わりはありません。いつだったかファーストフードをよく知らないお爺さんが孫のために「ハンバーグを2つに切り分けておいて下さい」と店員に言うと「それはマニュアルに載ってないから出来ません」と言ったロボット人間を思い出しました。自分の頭で考えろ!


 

禁煙喫煙
2008/12/03  禁煙してから久しいですがどこでもかしこでも愛煙家が隅に追いやられる光景にはちょっぴり義憤を感じます。お酒はもちろん煙草だって文化だと思ってる僕には情況によりけりですが煙草の煙が揺らいでる雰囲気は好きです。場所をわきまえない配慮のない馬鹿な喫煙者は論外だけどエチケットを守って喫煙する人まで白い目で見るのは行きすぎです。

きれいな景色がそこにあって、素敵な音楽とお酒がそこにあって、根をつめた仕事が終わってくゆらす煙草は他に代わりのないものです。健康によくないと言うのは分かりますが排気ガスから農薬栽培、添加物だらけの食品から偽装食品まで健康によくないものはあふれています。禁煙喫煙、愛煙嫌煙、どちらも権利や要求ではなく情緒とエチケットを根底に考えたいものです。


抱腹絶食
2008/12/04  期するところがあって月曜と木曜は絶食しようと思いました。朝のコーヒーとお茶ぐらいは許容して胃腸をきれいにする作戦。学生時代から2日間ぐらいの絶食は時折していたので簡単に実行出来ると思いきや昼過ぎには空腹感がつのって落ち着きません。そして夕方、台所に目をやると「旨みひときわ、のどごしすっきり信州5割そば」の文字が目に入りました。「初日だし無理は禁物そばぐらいならいいか」と安易な妥協をしてそばを茹でてしまいました。ざるそば、にしんそば、きつねそば、五目そば・・・様々なバリエーションが脳裏をよぎります。食べては茹で、茹でては作り、作っては食べ。400gと記された袋は空っぽです。こんなに食べたのは久しぶりだなと最悪の結果にお腹を抱えて後悔しきり。一体何を期したのだろう?と馬鹿さかげんにあきれ果てました。「よし、月曜日からだ」満腹の決意がむなしく響きます。


 

変化変容
2008/12/06  冬なのだろうか?と思うぐらい暖かい日が続いて、急な冷え込みに体が対応出来ません。これぐらいの気温でうろたえていたらとても北国には住めないなと思うけれど慣れとはおそろしいものです。水たまりに張った氷を最初に踏むのが楽しみで早起きして学校へ向かった時代がありました。大阪のど真ん中でも乗っても割れないほどの厚い氷が張ることがあったぐらいで氷が張らなくなったのはいつ頃からだろうかと考えてしまいます。台風が来るぞと玄関や窓に板切れを打ち付けて備えた時代。洪水の対処に大必死人はだったけど子供は梯子やみかん箱を舟がわりにむじゃきに遊んでいた時代。よくも悪くも無くなってしまった現象や情景がいくつもあります。時代が変わると言うこと、環境が変わると言うこと、そして人が変わると言うこと。便利さと快適さの代償に無くしてしまったものの大きさは計り知れないものではないでしょうか。


  

笑止人間
2008/12/07  好きな人、感性の合う人と話し込むと時間はどんどん加速して数時間はあっと言う間です。今日は40年来の友と飲んだのですが時間の経つ早さには驚かされます。政治の話、戦争の話、映画の話、仕事の話、家族の話。互いの生き方考え方が学生時代そのままと言う現実にあらためて感謝したい気持ちになります。時は流れても流れないものもあります。気心が合えば何を話しても笑いがでますが何を話しても悲しみもあります。最近よく話す話題に「笑える人間」「笑えない人間」と言うのがあってそれは大きな問題のように思われます。直接会っても話題上の場合でもつい笑ってしまう人と全く笑えない人がいます。

面白い人、面白くない人とか言い方はいろいろありますが「面白い」と言うことはヒューマニズムの重要な要素のように最近特に思います。生きていたら悲しいことや深刻なこと不条理なことは10人10色それぞれあって、それでもユーモアを介してバランスをとらなければ自分のみならず回りが不快です。にがにがしい表情や屈折した考えで笑いを止めてしまう人間。それは結局人への思いやりや配慮の欠如から来ているような気がします。そして軽薄な笑いもまた人間らしい笑いを止めてしまいます。


摩訶不思議
2008/12/08  小泉政権が誕生したとき友人はもちろん家族、知人のほとんどはこれで自民党は延命するなと言ってたことを思い出します。当時の自民党は様々な腐敗が露出して壊れかけていたからです。「自民党をぶっ壊す」と心ない言葉を連呼してましたが結局自民党は延命してぶっ壊れかけているのは日本の国です。あれから5年、小泉路線の継続があらゆる社会矛盾を作り出し日本社会を閉塞させています。

阿部、福田、麻生と漫画のような首相交代劇がありましたが間違った国政を正せるような器が彼らにないのは誰の目にも明らかです。それにしても顔と言動を見ているだけで感性のある人なら小泉の人間性を疑うはずなのに当時世論が何故に小泉万歳で盛り上がったのかが摩訶不思議です。5年前に友人たちと「これで日本は確実に悪くなるな」と口を揃えて予測したことが現実になりました。

短絡的な開放経済政策をとれば弱肉強食の非人間的な社会になるのは当たり前のことです。恐ろしい殺人事件が頻発し、ホームレスに追いやられる人々の増加、地域文化の破壊、職種年齢を問わず基本的なモラルが音を立てて崩れています。今自民党政治は5年前に似た状況になっていますが、国民一人一人が人間的な目と心で政治と自分自身を監視しなければ5年後は想像するのも恐ろしい社会になってしまいます。


 

個人個人
2008/12/09  マザーテレサの信念「たとえ非効率でも1人また1人と個人の意識が変わっていけば社会が変わり、平和へと向かう」まさに真理だと思います。個人の意識が変わらなければどんな政治理論もどんな宗教も結局無力で戦争はなくならないし地球環境もどんどん悪化していきます。よく友人と話すのですが、これだけ科学が進歩して物理的なことならばたいてい出来るはずなのに貧困はなくならないし紛争や戦争もなくならないのはなぜなんだろう?

ある程度の情報は誰だって得られるし情報を得られれば偏見や差別は無くなってしかるべきだと思うのですが現状を見れば科学が未発達だった時代と変わらない部分が多くあります。精神性、芸術性などは科学の進歩に反比例して退化しているのも事実です。ベートーヴェンやシューベルトに匹敵するような音楽はとても期待できないし、レンブラントやダヴィンチのような絵もしかりです。

建築にしてもマヤやエジプト、古代ローマやギリシャの建築は現代建築の遥か頭上にあってとても追いつきません。ならば一体科学とは何だ?と言う疑問が湧きます。哲学を初め栄華を誇った古代ギリシャの政治家ソロンがエジプトのサイスを訪れ神官と歴史問答をする話があります。ソロンがギリシャの最古の話をするとエジプトの神官は「あなた方ギリシャ人はいつでも子供だ。ギリシャ人に老人というものはいない」と言うのですがこの話を展開するとこうなるのではないかと思います。驕った地球人がある未知の惑星の住人と話をします。地球人曰く「私たちの科学は高度ですよ。長い歴史で培われて来たのですから」未知の惑星の住人曰く「おお、あなたたち地球人はいつまでたっても子供です。あなたたちの地球には老人というものはいないのです」


関心感心
2008/12/10 20年ぐらい前に見た海外ニュースで紹介されていたノルウェーの漁師一家の暮らし。漁師の仕事は日本も同じですが夕食の風景と休日の過ごし方は今でも印象に残っています。夫婦と娘2人の4人で囲む食卓。みんなにこやかで心の調和が伝わって来ます。それぞれの1日の印象を話しながら周りの自然や地球環境の話、政治や戦争の話などあらゆる話題が食卓を飛び交うのです。日曜日になるとみんなさっぱりとした服装に着替え演奏会が始まります。

漁師の父はチェロ、お母さんがピアノで娘がバイオリンという感じです。日本では考えられないことです。職業によらずともそんな調和のとれた家族はまれでしょう。何のために家族があって何のために生きているのか?その漁師一家の生き方は1つの答えだと思いました。ともすれば職業によって人間がパターン化してるのではないかと思うぐらい日本では仕事のウエートが大きいですし、自分の私的エリア以外の問題に関心を持つ人が少なすぎる気がします。結局それが偏見にもつながりますしエゴイズムの強化につながって閉塞した社会を作ってしまうのではないかと思うのです。仕事が何であれ年齢性別が何であれなるべく垣根のない生き方考え方をしたいものです。


 

七転八起
2008/12/12  あれこれと考えだせばやることはいっぱいあって、かれこれと思い出せばやり残したことがいっぱいで焦りが加速します。計画を立てても出来ないときもあるし、行き当たりばったりでもすいすいものごとが運ぶ時もありますが、それはまれ、計画は必要です。と言っても明確なイメージがなければ計画は計画倒れになります。一回きりの人生だから悔いの残らないようにしなさいと先人から幾度かアドバイスをもらってそれは肝に銘じているのだけど悔いは杭のごとくあちこちに突っ立っています。打ち込むことも引き抜くことも出来ない杭、過去に立つ戒めの杭を背中に感じつつ明日からは悔いを残さないようベストを尽くそうとだるま式の決意をあらたにします。



自然体
2008/12/13  いつだったかたぶん高校1年の時、小さな嘘をつきました。虚栄心から思わず出た小さな嘘です。つまらんことを言ってしまったなと後悔してでもささやかな嘘だから消えてしまうだろうと思っていましたが嘘はしこりのように残って消えません。消えないどころか嘘を告白しないばかりに新たな嘘が積み重なって小さな嘘は重なって自分をがんじがらめにしてしまいました。ある時嘘は1つの恥として氷塊しましたが嘘の恐ろしさを思い知りました。以来、なるだけ嘘はつかないようにと努力してやっと「自然体」と言う感覚を少しわかるようになりました。ある意味嘘も方便で相手を思いやる嘘や最小限自分を守る嘘もあるとは思いますが総じて嘘がいい結果をもたらすことは少ないだろうと思います。ざっくばらんに自然体でなおかつ謙虚な感じになれたら最高だなといつも思いますが道のりはまだまだ遠しです。


 

大切なもの
2008/12/14  大阪梅田にある「たよし」と言うお居酒屋。学生時代からよく行ってた難波のたよしは数年前に閉店してしまったけれど梅田店はがんばっています。近年隆盛を極めて日本全国どこにでもあるチェーン店と違って大阪の香りのする数少ない居酒屋です。

「食」に愛情や関心がある訳ではなくお金さえ儲かったらどんなジャンルでも参入するような体質の企業が日本中を食い荒らす中、なんとか持ちこたえているその土地に根ざした小さなお店は軒並み瀕死の状態で悲しくなります。古い建物古いお店は商業を超えて1つの文化なのに心ない行政と金の亡者は古い町並みや商店街を破壊して行きます。ヨーロッパ諸国と同じように長い伝統と文化のある日本なのにと無念な思いが募ります。さて今日は「たよし」での会食。値段も料理も雰囲気も新興のチェーン店より数段ましなのに客の入りはもう1つで少し心配がよぎります。やみくもに古いものがいいとは思わないけれど古いものには何かしらの情緒がある事は確かでそれは今の世の中に一番欠けているのも確かです。


道行く人
2008/12/15  街はもうクリスマスモードで華やかな装飾と軽やかな音楽があちこちから聞こえて来ます。楽しそうな笑顔、暖かそうなコートを身にまといおしゃれな買い物袋を下げて歩く人々からは現状の不安は感じられませんが実態は分かりません。年の瀬に連日報じられる企業の倒産や過酷なリストラの現実。街の片隅に目を移せば段ボールで風を避け固まってじっと動かない人も数多くいます。

人ごとではありません。路上生活者と話せば誰でも分かるのですがその多くは真面目な人、正直な人です。中にはどうしようもない人間もいますがそれは一般の人も同じ事です。今の世の中正直すぎる事が仇になって解雇されたり、自営する会社が倒産に追い込まれたりするのは日常茶飯事で本当に悪い人間がぬくぬくと生きているのも現実です。数年前路上に小さな小屋を作り日雇い労働をしながら詩を書いている人と親しくなり彼の小屋の前に座り込んで何度か話し込んだ事がありますが僕たちを見る「道行く人」の偏見に満ちた眼差しはぞっとするものでした。

人柄も温厚で意識も高くちゃんと働いている人間を頭から蔑視するのは下等な人間だと思います。どんなジャンルのどんな立場の人間でもいい人も悪い人もいます。東大を出ても馬鹿な人間はいますし小学校しか出てなくても賢い人間もいます。総じて馬鹿と言えるのは偏見に満ちた人々だけではないでしょうか。子供のいじめ問題も人種差別も民族紛争も戦争も恐ろしい問題の根っこには必ず偏見があります。平和な社会、人間らしい社会を実現させるための絶対的要素は偏見をいかになくすかだと思います。偏見をなくせば本当に悪いものが見えてくるとも思うのです。



どうしようもない
2008/12/16  まさに駆け足と言うより疾風のように時が過ぎて行きます。行きたい場所へもなかなか行けず会いたい人にもなかなか会えず、読みたい本、整理したいパソコン環境、食べに行きたいお店などが脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かびの繰り返しで実行率は1/3。こんな事ではどうしようもない。



胴上げ
2008/12/18  胴上げの受けそこないで床に落ちた人が亡くなったと言うニュースがありました。せっかくの祝福が最悪の結果となり関わった人すべての一生消えない悲しい思い出です。屈強のプロ野球選手でも万が一の事がないように胴上げには神経を使うと聞きましたが胴上げは難しいし危険な行為だと言う事が分かってない人も多いかも知れません。30ぐらいの時でした。

級友の結婚式の2次会が終わって会場から外へ出た時、誰かが胴上げをしようと言い出してあっという間に新郎の周りに人が集まって胴上げが始まったのです。少し離れていた僕は近づく事も出来ずに輪の外で見ていたのですが1回、2回、宙に浮いた友人は次の瞬間地面に叩き付けられたのです。「どすん」血の気が引くほど恐ろしい瞬間でした。自分が支えなくとも誰かが支えるだろう。

恐るべき群集心理です。幸い友人はたいした怪我もなく無事でしたが打ちどころが悪ければどうなっていたか分かりません。以来胴上げのシーンを見るたびにはっとする癖がついてしまいました。「自分がやらなくても誰かがやるだろう」と言う無責任な考え。それぞれが誰かがやるだろうと思って手を出さない時に恐ろしい事が起こります。それは決して胴上げに限った事ではないと思うのです。


重要文化財
2008/12/20  阪急芦屋川の北側に建築家フランク・ロイド・ライト設計によるヨドコウ迎賓館と言う建物があります。鉄筋コンクリート造りとしては最初の重要文化財で大正13年(1924)年に建てられたものです。大好きなマヤ文明の建築を彷彿とさせる素敵な建物です。六甲山への登山口で小学生の頃から幾度となく通った道なのにこの建築の存在に気づいたのはつい最近の事で自分のうかつさに呆れます。

六甲山へ上ると言う目的意識が強すぎて周りを見ていなかったのでしょうけどこんなに目立つ建築はそうざらにはないのに不思議な事です。外観の造形も見事ですが内部のデザインも見事でこんな空間で仕事をしたらアイデアがいろいろと湧いてくるだろうなと思わせる造りです。六甲の山並み、市街地から大阪湾まで見渡せる広いテラスからの景観も素晴らしいと言いたいところですがぼこぼこと立ち並ぶ大型マンションが絵になりません。それにしても山の斜面を削ってまで大規模なマンションを建てる必要があるのだろうか?きれいに手入れされた周辺の住宅やマンションに比べヨドコウ迎賓館の手入れはちゃんとなされているとは言えません。重要文化財なのに。この国の芸術や古いものへの配慮のなさには改めて情けなくなります。


 

それぞれの歴史
2008/12/21  弟と2人きりの忘年会。待ち合わせた店でも様々な忘年会が行われていました。初老の10人ぐらいのグループは漏れ聞こえる会話から同窓会だとわかります。すっかり老けきった人、同級生と思われない若さが残る人。生き方、考え方、環境で人の老け方は一応ではないのでしょうがいつまでも若くあるにこした事はありません。隣では4人の若い女性が豪快に飲んで食べています。職場の先輩後輩のようです。その隣にはまた10人ほどのグループ。中年のおばさん達が傍若無人の笑いを合唱しています。「兄ちゃん、僕はあの笑い声に我慢できないよ」確かに感じの悪い笑い声です。

人間、笑い方に一番人柄が出ると何かの本に書かれていましたがそのようです。も少し静かな店に移ろうかと早々に席を立って静かな和食の店に移動。これでゆっくり話せます。兄弟とは言え7つの年の差があって多感な時の社会情勢が微妙に違うので話し込むと「ああそうだったのか」とか「たった7年の違いでずいぶん違うね」とかあらためて思い知る事がたくさんありました。

音楽、映画、スポーツ、政治、教育。たいていの事は共感するけれど友人、恋人、仕事など違う価値観もいろいろあって楽しい会話でした。どんなに身近な関係でも知らない事がいっぱいあるのが人間と言うものでしょうか。子供の頃から今に至までのお互いの知られざる歴史はまだまだありそうです。


自己責任と言うけれど
2008/12/23  寒い季節になると路上で生きる人たちの事が気になります。今は撤去されてしまって跡形もありませんが数年前までは天王寺美術館から新世界につながる陸橋の上には路上で生きる人たちの箱のような小屋が立ち並んでいました。夏の日の夕暮れ時日雇いの仕事や空き缶や段ボール集めの仕事から帰った人がそれぞれに酒のあてを持ち寄って路上でささやかな宴会が開かれていたことを思い出します。語りたくない過去があって寡黙な人が多いのですが言葉の断片にぽつりぽつりと過去が混じります。

現状に関してどちらかと言うと自分を責める人の方が多くて他人や社会の事を責める人が少ないのが意外でしたが人間追い込まれると他を責めるどころではないのかも知れません。ナイーブ過ぎるが故、賢過ぎるが故に社会との摩擦で普通の道を失ったような人もいます。

怠惰や無責任故の人は少数だと僕は思っています。時々耳にする「彼らは自己責任だ」とか「自業自得」だとかの言葉はホームレスの中でも一部の人にしか当てはまりません。悪い人間、自己責任を取らない人間は一般社会にこそいっぱいいてそれは昨今の無責任な事件、残忍な事件を見たら誰でも分かるはずです。最近では元々数少なかった若者のホームレスも増えています。もし自己責任と言う言葉を使うならばそれはこの国の自己責任であり、そんな社会を作った国民全体の自己責任と言うべきではないでしょうか。凍えるような夜に段ボールで身を守りながら路上で寝なければならないような人が大勢いるような国は民主国家でも近代国家でもないと思うのです。



夢の含有量
2008/12/24  今日はクリスマスイブ。家路を急ぐ人々の手にはクリスマスケーキが下げられていてと思ったらそうでもありません。身近にケーキ屋さんがある今は仕事帰りのお父さんに頼む必要がなくなったのでしょう。生クリームが高価で珍しかった時代、こてこてのバタークリームでバラの花などのデコレーションで覆われたケーキのどの部分を切り取ってもらおうかと悩んだ事を思い出します。一度友人の家で大きな3段ケーキを見た時は崩して食べるのがもったいない気がしました。

甘くてこってりして今なら一切れ食べればギブアップしそうですが当時は一個まるごと食べたいなと秘めたる野望がありました。不二家に平野屋、ゴンチャロフにモロゾフにコスモポリタン。子供には夢の響きがある魔法の言葉でした。あれから数十年、ケーキは進化して驚くほど美味しいものがあふれています。それでも思うのです。あのこてこてのデコレーションケーキには夢がありました。平野屋のドーナツにもコスモポリタンのニッキのケーキにも夢がありました。夢の含有量だけは今のケーキの数十倍もあったような気がします。


メリークリスマス
2008/12/25  クリスチャンでもないのに何故?と言う疑問が心のどこかにあるけれどケーキとプレゼントのイメージが強いクリスマスは子供でも大人でもどこかわくわくするものです。それでもある時から思います。街も人も華やかで幸せそうだけど不幸な人がいっぱいいて住むところもなく路上で寝ている人もいる現実。経済的発展を最優先してきた国策の歪みがあちこちで噴出して悲しい事件、恐ろしい事件が後を絶ちません。環境破壊の問題は深刻ですがそれとリンクするように起こっている人間の心の破壊はもっと深刻です。今日もある街で歩いていたら背後から来た自転車が体をかすめました。

はっとして見ると体は大きいけど中学生のようです。何かを喚きながらバス停のポールを蹴ったり家の前の鉢植えを倒して遠ざかって行きます。彼の深刻さは分からないけど1つ間違えば矛先が人に向かうかも知れないと思ってぞっとしました。最近報道された無差別殺人のような凶行は決してたまたまではなくどこの街でも起こりえるほど狂った社会になっているのは間違いありません。経済と引き換えに失ったもの、失いつつあるものの大きさに気づいて一人一人がそれぞれの範囲にある小さな問題でもいいから変えて行かないと未来は暗すぎます。メリークリスマス。子供たちはケーキを食べて楽しんだらいいけどこの時代大人はクリスマスの日ぐらいは人の事、社会の事を考える日にしたいものです。


 

師走の記憶
2008/12/27  市場かごからはみ出た大根やごぼう。八百屋さん、魚屋さん、肉屋に天ぷらやに惣菜屋さんからはいろいろなかけ声がかかる活気ある市場。天井からゴムで吊るされたお金を入れるカゴが上がったり下がったりひっきりなしに揺れています。大掃除も終わって一年間お疲れさまでしたと労いのための宴会が近所のあちこちでおこなわれています。

酔っぱらった近所のおっさんが紛れ込んでくる事もあったりして家族と他人との距離が近かった時代です。ほんの1960年頃のどこの町でも見かけた風景ですが今の日本からは想像も出来なくなりました。他人どころか家族さえ距離のあるような時代。各地の市場はほとんどと言っていいぐらい衰退して無言のスーパーが無機的な音を立てます。子供が走り回りビー玉、コマ回し、ベッタン(めんこ)、かくれんぼが町のどこででも出来た環境はマンションや商業ビルですっかり消されてしまいました。そういえば舗装された道路に蝋石で大きな絵も描いていました。自動車を運転する人も車を止めて「こらあ、危ないぞ!」と怒鳴るもののせっかく描いた絵を踏まないように迂回して運転するような優しさがありました。

今のような生きた人間を引きずったまま走るような残酷きわまりない馬鹿者は存在しない時代でした。大昔ではありません、ちょっと前の話です。人間も時代も良くなるためには時間がかかりますが悪くなるのはあっという間、すぐです。一人一人が心しないとまだまだ悪くなるのは今を見ていると容易に想像がつきます。


文化伝統と人の心
2008/12/28  古い物が当たり前のように大事にされて当たり前のように修復される国と、古い物が当たり前のように無視されて当たり前のように壊される国では心の持ち方あり方の差は大きすぎます。経済効率しか考えれない悪すぎる頭とかけがえのない物の存在感すら感じない悪すぎる心を持った人間が闊歩する現状はジェラシックパークよりも危険です。

有明海の干拓工事の時もそうですが当時科学者の中にさえあの暴挙を推奨する人もいて絶句しました。心ある人ならばあのギロチンのような水門が次々と海に落とされるシーンを見ただけでショックを受けるはずです。現実干潟に住む何十億と言う生命が死にました。海を愛する漁師さんや地元の人の声が圧殺されてなされた悪行の1つです。フランスでもスペインでもイタリアでもドイツでも日本と同じように歴史のある国は全て伝統と文化は大切にされています。

伝統と文化を大切にすると言う事は環境を大切にすると言う事です。ヨーロッパでは人々が住んでいる町ごと保存されている場所はいくらでもあります。日本はどうでしょうか?土地があり余ってる田舎でさえマンションが建っています。どこの駅でも同じような不必要な改築がなされ風情も何もあった物ではありません。世界に誇れる京都の町でさえ目を覆いたくなるような破壊が進み写真に醜悪なマンションや商業ビルが入らないようにする事すら困難です。美しい五重塔の横にマンションが写って絵になるでしょうか。

 



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