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2006/09/29  強くなければやさしくなれない。タフでなければ手をさしのべれない。ほんとうにそうだと思います。中途半端なおもいやりは相手をも自分をもぼろぼろにしてしまう事があります。やさしさを考える事は誰にでもできます。

でも、ほんの些細な事でも何かにかかわるには勇気がいります。体力もいります。人はまず元気でなければいけない、元気は人のために必要なものです。自分のためならずです。好きな人の健康を見ているだけで救いがあります。その人が輝いているだけで、その人からすでにやさしさをもらっているのです。

今回友人の闘病と死にたいして全力で係わりはしたけれど、あまり強くない自分を再認識しました。もっとやさしく生きるためにももっと強くならねばいけないと心から思います。やさしさと強さは同義語なのだとつくづく思い知らされました。


 

2006/09/28  また一人友人をなくしました。仏教でもキリスト教でも、何でもいいけどかけがえのない命です。壮麗な教会の中、荘厳なお寺の中、司祭や住職は言います。神がいて、仏がいて、云々と。今日僕ははっきりと分かりました、一つの命を苦しんで、それを少しでも和らげようと思った人。愛と言う言葉はとてつもなく難しいけれど、愛すると言うことは実践あるのみです。きれいな教会の荘厳な雰囲気の中で僕は感じました。人を天国に導くのは人です。人と人の愛です。神などどこにもありません。もし神と言う概念があるならば、それは人間の中でも心の美しい人の中にあります。人を殺してなんのカトリックですか。人を殺してなんのイスラムですか。宗教は科学が未発達な圧政の世に人々を救うために現れたものです

権力者に利用されてなんの宗教ですか。宗教とは「とうとい教え」と書くのです。尊いとはどんな命をも大事にし、よしんば悩む弱者を助けよと言う意味です。そんな人が死んで、葬儀代は・・・万、教会やお寺の費用は・・・万、献花は一本・・・円、定かではないですけど、あなた達は連れ込みの暴力バーですか?と言いたいです。神父さん、貧しい人、そして懸命に生きた人ならただでいいじゃないですか。天国が心の中にあるというならば、それこそ形式張った教会も、お寺もいらないじゃないですか。

心の中でしょ?僕は百回問いたいです。それが分かってて、「バースさん形式を守るにはお金いるし、ほとんどの人は形式にしか意味を認めないから、教会の形式を維持するにはお金がいるのです」「本当にごめんなさい、あなた方のような人ばかりだったら、こんな形式はいらないんですけどごめんなさい」「結局私だってサラリーマン見たいなものです」とちゃんと打ちあけてくれればいいじゃないですか。とにかくこれからの時代をいかに殺し合いやしょうむない衝突をなくすのは宗教を少しずつあらためる事です。

あなた達、命は全て主のとともにあるとか、御仏のもとにあるとか言ってしまったら、悪い連中に取ってはそれは単なる免罪符です。神なんかどこにもないです。御仏もないです。あるのは人として考える事が出きる生物として、この青い地球を守る代表的な生き物として頑張るしかないのです。何が神ですか。いい加減にしてください。十字架を片手に原爆を落とせますか。

イスラムの教典を片手になんで自爆テロなんてできるのです。一体どんな神なのですか。神があるとすればそれは人間の心の中にあるのです。神を決して免罪符にしてはいけません。それは人間の心を売り払うことと同じだからです。


 

2006/09/27  人と人、いろんな思いが交錯する空間を思いが見えるめがねで見るとそれはまさしくルールのない巨大な万華鏡。刻々と変化する形、いつまでも変わらない形はあるだろうか。全てが変化、変容してるように見えるけどもしかしたら万華鏡のようにベーシックはわずかかも知れない。無限が創り出す有限と、有限が創り出す無限。「小は大をかねる」とおばあちゃんは言ったけど、案外それは的を得てるような気がします。青い空、青い海、大きなブルーの中の万華鏡。今日は友人を天国に送る日です。


 

2006/09/25  好きな人と手をつなぐだけでいい。そんな思いがあります。でも、それはなかなか難しいこと。できそうでできないこと。手と手をつないでいるだけで、岸の向こうとこっちを結ぶ橋のように心と心が行き来することもあります。何気ない握手は簡単にできても、感情のある手と手をつなぐのは難しいことです。だからもし手と手が自然にすーっと絡まる時があればそれはすごいこと、シンメトリーの橋のように強くて美しいハーモニーだと僕は思うのです。


 

2006/09/24  癌で入院中の友人が言いました。「先日、カトリックの洗礼を受けました」そう聞いても奇異な感じは受けませんでした。彼はもともと仏教系の職場で働いていたのですが、僕と同じく宗教にはあまり興味がないと聞いていました。だから本当なら「なんで?」と言う質問が湧きそうなものですが、何故か自然な感じがしました。死期を間近にした彼がよりどころを求めたのでしょうか。

癌の苦しみを少しでも和らげる事ができるならなんでもいいです。苦しそうに嘔吐する彼の背中をさすりながらふと棚を見ると小さなキリストの像がおかれています。僕は感じました。そして「僕にはあの像が君をこの半年見守って、励ましつづけてくれた彼女の姿に見えるよ」と言うと、彼は黙ってうなづきました。宗教でもない、キリストでもない、お釈迦様でもない、人が安らぎを得られるもの、人が尊く思えるもの、それは心が通じ合う人しかないとその時、思ったのです。


 

2006/09/23  ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの信者をあわせると世界34億人になるとか。そのそれぞれの絶対ゆずれない聖地がエルサレムだと言うこと。絶えることのないイスラエルとパレスチナの紛争。一体いかなる歴史がこの理不尽な戦いをつづけさせるのだろうと思って何冊かの本を読んだけどあまりに複雑で理解できません。今日、NHKの特別番組でエルサレムを取材した番組があったので少しでも理解しようと真剣に見ましたが何かがやっぱりぼやけて感じます。

もともとパレスチナ人が住んでいた場所。その地にユダヤ人が建国しユダヤ教を興し、それをローマ帝国が滅ぼし、そして後イスラム教徒が征服して、また十字軍が滅ぼし・・・何がなんだか分かりません。なおかつ3つの宗教の根元は同じと言うこと。まるで紀元前からエルサレムの地を争いの場として用意したような感があります。一体神なるものがそんなことをするでしょうか。変です。でも止まらない現代のテロや戦争の原因の一つは間違いなくこの聖地の歴史の中にあるような気がします。

そしてそれぞれの宗教を信じるほとんどの人々は争いを求めていないことも事実です。なのに・・・変です。聖なる岩、キリストの丘、そして嘆きの壁。今イスラエルがパレスチナとの境界に建設しているコンクリートの巨大な壁を見ていると、すごく不気味な印象を受けるのは僕だけでしょうか。


 

2006/09/22  今日は母の月命日。月は流れてもう23回目になります。手を合わせて線香の煙の中に母の顔を思い浮かべます。苦しんだ最後の顔ではなく忌憚なく笑っていた顔。「これどう?」「美味しいよ」「抹茶のゼリーだよ」「全部食べたら病気治るかも」「ほんま?だったら全部食べよ」おどけて笑っていた顔。いい顔です。煙の中にもう一人呼び出します。バースが14才の時に逝ってしまった父です。母と違って笑ってる顔しか浮かばない父。母より14才上だった父は50才で亡くなり、母が亡くなったのは78才。

そして今僕は父よりだいぶ上の56才。立ちのぼる線香の煙の中で不思議なシーンが融合されます。50才の父と56才の僕と78才の母が同じ食卓についています。「こないだはお父さんもよく飲んだね」「正樹、おまえはもう歳なんだからもっと控えんとあかん」すると母が「あんたら二人ともいい年なんだからどっちもええ加減にせなあかん」なんだか一瞬現実のような気がしたけど、あり得ない話。それにしても弟だけなんで7才のままなんだろ?どちらにしても月に一回の幻の団らん。秋の線香はとてもいい匂いがします。


 

2006/09/21  朝から素晴らしい秋晴れです。今日旅行に出かける人は気持ちいいだろうなと空を見上げます。昼下がり、旅行には行けないけど、2時間ばかり近くの天王寺公園で秋を味わおうと本とカメラを持って徒歩行進。気持ちよく歩き出したものの、太陽が企画した夏の思い出サービスでしょうか、やけに陽射しが強く汗がたらたら。これで風がなければ完全に夏じゃないかと影を選んで前進、前進。汗だくで公園に着きました。とにかくベンチに座ろうと見渡すと円形状に並んだベンチの影側は満員。陽の当たる半円部分には誰も座っていません。

「じっと座ってるだけなら日向の方が気持ちいいのに」と思いながら陽の当たるベンチに一人座ると、か〜〜っと照りつける熱線。引きかけた汗が逆流します。こうなりゃ意地。涼しげな顔して遠くの木立を眺めてると「兄ちゃん、そこは暑いやろ」「あんた変わってるな」「日射病なるで」と涼しげな月の裏側から暖かいお言葉。「いやあ、気持ちいいけどもう行かないと」と返事をしていちもくさんに地下街へエスケープ。ギンギンに冷えたビールでも飲んでやろうかと思ったけど、地下は過剰冷房。きつねうどんが食べたくなりました。地上は素晴らしい秋晴れです。


 

2006/09/20  今日、新しい総理大臣が選ばれました。この5年間小泉政権によって日本は劇的に変わりました。でも、ぶっ壊すはずの自民党は完璧に守られ、官僚主義も揚々です。壊れたのは日本の国ではないか?と思うぐらい日本は変質しました。地方の衰退と一部都市圏の繁栄。農民、漁師、職人さんたちの圧迫はそのままものづくり日本の圧迫です。この3年ぐらいあちこち地方を見て回りましたが、かってにぎわっていた商店街はどこも一様にシャッターが降りています。地方独特の味や情緒のある雰囲気が残る街はもうわずかです。にもかかわらず諸悪の根元の銀行や保険会社が高笑いし、消費者金融が利益をむさぼる世の中。

自殺者は増え続け、異様な犯罪が続出し、障害者や老人が追いつめられる世の中。拉致被害者家族の横田さん夫妻を始めとする命がけの訴えを真剣に聞こうともしない政府。小泉さんの個人的な権力願望にかき回されただけの5年間であったような気がしてなりません。さて、阿部新政権。本来なら小泉政権の歪みをまともにかぶるところでしょうが、根ざすところが同じである以上、日本がよりおかしな方向へ変質しないよう、祈るばかりです。


 

2006/09/19  プラネットアース。NHKのドキュメンタリー番組を見ていると地球はなんて美しい星なんだとあらためて思います。青い海を悠然と泳ぐ鯨の雄姿。中でも「ビッグブルー」を呼ばれる地球上最大の動物、シロナガスクジラの泳ぐ姿を見たときは息を飲みました。海も山も川も森もほんとうに美しい。そしてそこに暮らす動物たちの存在感。それぞれが地球のかけがえのない要素だし、それぞれがかけがえのないこの地球の一員だと・・・

空から、海から、水中からの見事な映像。映像機器や乗り物の発達なしには不可能な撮影だけれど、カメラマンやスタッフの勇気とねばり強い作業には頭がさがります。科学技術がこんなことばかりに使われたら素晴らしいんだけど、戦争や破壊の道具として科学の悪用がどんどんエスカレートしている現実。人間もまたこのかけがえのない地球の一員ならば、考え直さねばいけません。あらためなければいけません。


 

2006/09/18  世界柔道でいいところなく敗退した日本柔道男子。女子は銅メダルで惜敗。世界のレベルアップやルール改正のせいもあるけど何かが違う。何が違うんだろ?聞くところによるとフランスの柔道人口は60万人とか。柔道母国日本の5倍以上だそうです。青少年の精神の育成のために国が積極的に柔道を取り入れてるとかで、さすがフランスと言わざるえません。礼節を尊びお互いの心の「間」と「動き」をはかる柔道はまさに良き日本文化の象徴です。

昨今の日本が急速に失いつつあるもの、それはまさしく柔道の心かも知れません。老人を敬い、子供を愛し、敵をもいたわる柔の心。弱肉強食が横行する今の日本と正反対の思想がそこにはあります。いつも思うことですが、スポーツはあるレベルからは技や力をこえた感性(精神)が必要です。サッカーでもボクシングでも野球でもそれは同じで、野獣のような人間が強いとは限らないからスポーツなのです。感性があるから美しいし、感性があるから見るものもそこからスポーツを超えたなにかを学べるのです。今回の世界柔道を見て感じたのは、海外の選手がまだ学び切れてないもの、柔道の精神を日本選手自身が忘れてしまったのではないか、そんな気がふとしたのです。


 

2006/09/17  大きな被害を出した台風13号。乗用車がひっくり返り、電車が横転している映像を見てあらためて突風の恐ろしさを知りました。自然の力の前には今の科学でもまだまだ太刀打ちできません。阪神大震災の時の地震の恐怖。火の海と化した神戸の街がなすすべもなく燃えるにまかせていたあの時の映像が甦って来ます。地震、津波、火事、強風、豪雨、豪雪、雷・・・

ほとんどは地球のエネルギーバランスから必然的に起こる現象だとは思いますが、自然環境の悪化をつくりだしている人類の行為から発生している災害も増えています。よく地球は一つの生命体だと言われますが、その中の私達人類は一体いかなる存在なのでしょうか。たちの悪いバクテリアのように森林を食い尽くし、海を汚し、青い空を濁らすような生き物が果たして地球の主権を握っていいものかどうか、疑問に思う事があります。


 

2006/09/16  「どんな正義かわからないけど、何にでも熱くなってあんたは月光仮面か!あほ。」昔の彼女にこう言われた事があります。「そう言う君だってなんでもかんでも気を遣ってやさしさをばらまいて、天女か!」と言い返して、お互いいいものに例えすぎだねと笑いました。スクーターで悪者の弾をかわす月光仮面には子供の僕も不自然さを感じたけれど、フライパンを振り回す天女なんかどこにもいません。

あれからびっくりするぐらい時は流れて、天女はフライパンを絵筆にでも代えてくれればいいけど、そう言う僕はスクーターから自転車。自転車に乗る月光仮面なんて悪者じゃなくて子供達に撃たれます。大人は子供の夢をこわしてはいけません。話ばらばらだけど、女性は男性の、男性は女性の、そして何よりも友人は友人の夢をこわしてはいけません。それにしても天女のフライパン攻撃だなんてスーパーマンでもギブアップです。


 

2006/09/15  この一年間でどれぐらいの人と出会ったのだろう。ふと思ってふり返って見ました。道を尋ねられたり、荷物を持ってあげたり、忘れ物を見つけてくれたりの些細な出会い。旅先で意気投合して初対面なのに語りあかした人。びっくりするぐらいギターも歌も上手いストリートミュージシャンと語った人生観。最近交換した名刺を数えてみたら80枚。弁護士、保険事務、コピーライター、飲食店経営、坊さんの名刺もあれば探偵社所長と言うのもあります。

総合して考えるとあらたな人に出会うのは1日一人、年間365人ぐらいでしょうか。それでも10年なら3650人。ほとんどは一期一会だけれど、丁寧な手紙を下さる人もいるし、自分の作品を送って下さった人もいます。それでも5年、いや3年以上続いてる関係はごくわずかの人。出会うこと、そして人間関係ってなんだろう?点と点のような関係、線と線、面と面のような関係、そして立体のような関係。僕の場合、感性にどこか共通点がある人だけが長くつづいているのだと思います。声であったり、仕草であったり、物腰であったり、癖であったり、もちろん考え方や生き方も大きな要素ではありますが、どちらにしてもそれは論理的なものではないようです。


 

2006/09/14  しとしとと降り続く雨の音を聞きながら部屋の整理をしていると箱の中から小さなノートが出てきました。表紙にRandomと書かれた正方形のノート。こんなところにあったのかと喜んで、ノートをめくってみます。死海写本のことやら星の元素のこと、ローマの圧政にサタンとイエスのこと、今見てもちんぷんかんぷんな数式や計算がところせましと書いてあります。日付を見ると2001年。5年前はこんな事を考えてたんだとしばしフィードバック。中でも大きく書いた文字があります。

「人のために生きる人生だけが価値ある人生です」--アインシュタイン。もう一つ大きな文字は「私達にとって、敵はためらいです」--ヘレンケラーとあります。どちらもすごい言葉です。永遠の言葉です。ノートの最後にこんなメモがありました。「完全な世界はない、でも新しい世界はある」これは・・・最近の悶々とした僕の心を的確にあらわした言葉です。ノートとの再会。あらゆるものとの出会いは素敵です、そして再会はそれにもまして素敵なことかも知れません。失われた時への旅、ロマンチックです。


 

2006/09/13  時は昔、場所は四国のとある田舎駅。バスの発車まで小一時間あるので古びた食堂に入りました。「駅前食堂」ぼろぼろになった味のある看板が入り口上部を飾っています。「親子どんぶりをお願いします」食堂のおばさんは見慣れないよそ者をじろりと見て返事もせずに奥の厨房へ。入り口の隙間からバス停を見ている間に親子どんぶりはテーブル上に出現です。「早いな」とひとりごちてどんぶりを見つめると、ふたの上に半月形に切られた「ひねた」たくあんが二切れ載っています。

ふたを開けると嫌な予感。見るからに味の薄そうな玉子がご飯を半分ほど覆っているだけ。「おおっ」一口食べると真の薄味。案の定白いご飯が半分残ってしまいました。その時ふたの上のたくあんがしゃべったのです。「私がいるから大丈夫」と。おそるおそるひねくれたたくあんを一口かじると、なんとも田舎らしい濃い味、深い香り。残りのご飯は二切れのたくあんで楽々胃の中に収まりました。

以来、どんぶりを注文するとまずたくあんに目がいくようになりました。なくてはならないもの。うどんに七味、カレーにふくしん漬け、鰻重には山椒と奈良漬け、ナポリタンにはタバスコなどなど不可欠なものはたくさんあります。


 

2006/09/12  すっかり秋らしくなった今日この頃。今年の夏は全開だったクーラーも今日はつけたり消したり。それにしても暑い夏でした。クーラー嫌いの僕もあらためてクーラーに感謝です。風の通りにくい都会の街で、それぞれの家がクーラーの熱を外へ放てば暑くなるのは当たり前のこと。去年までの僕のようにクーラーなしの人には眠れない夜が続いたはずです。

もし、大阪の全ての施設や建物がクーラーを止めたら一体どれぐらい街の温度が下がるのだろう?などと考えても無駄なこと。都会はもう後戻りできません。小さな路地には必ず小さな緑があって、乾いた地面に打ち水をするだけで涼を得られた時代がありました。扇風機すら贅沢だったあの時代。路地の一角ではお年寄りがのんびりと将棋を指し、子供達は地面に穴を掘ってビー玉に夢中になっていたあの頃はほんの半世紀前のこと。今では当時の風と景色が残る地方へ行ってもめったに見かけない光景です。


 

2006/09/11  9.11の報道を繰り返し見聞きする中で気味の悪い疑問が浮かびます。9.11のずっと以前にCIAからアメリカに対するテロ計画の可能性の詳細がブッシュに報告されていたとのこと。にも関わらず彼はその報告書に関心を持たなかったと言う奇妙な事実。当時、テロに対する脅威は増大する一方だったのに何故?と言う疑問が起こります。

ブッシュはアメリカでテロなど起こるはずがないと考えていたのか、それともアフガンやイラクへの攻撃の口実づくりのためにあえてテロが起こる可能性を看過しようとしたのか。前者なら危機感覚の全くない無能な指導者ですし、後者なら悪魔です。巨大な軍需産業、石油メジャー、偏った宗教指導者と人種主義者、アメリカや世界を動かす陰の力がどれだけあるかは分かりませんが、 あの世界貿易センターでの背筋が凍るような事件、アフガニスタンやイラクでいまなお続く惨状をあえて引き起こすような力ならば、それは人類の破滅に直結するしかありません。

でも世界中の人間があらゆる戦争を阻止し、この地球はそんな偏った暴力的な人間のむ星ではないと、静かな意思表示が地上に漂う日が来ることを信じます。


 

2006/09/10  9.11の衝撃的な出来事から5年。テロとの戦いを口実に悲惨なイラク戦争に踏み切ったブッシュ政権。テロの撲滅どころか世界はより混迷と危険をはらんだ状態になりました。多くの罪もないイラク国民と米兵が犠牲になりました。対イラクに対して一方的な思いこみの中で派兵されたアメリカ兵の死は2600名をこえると報道され、あまりにもおぞましい戦場の現実に精神障害、PTSDに苦しむ帰還兵は数万人にのぼるとも言われています。

そして多くの血が流されたイラクでは今もなお毎日、尊い命が無造作に奪われています。もともとテロとイラクの因果関係、大量破壊兵器の有無など、こんな恐ろしい戦争に踏み切る理由は判然とせず、最初からイラク攻撃のための口実を探してたとしか思えません。2001.9.11の衝撃。そして2003.3.19日のイラク空爆の衝撃。どちらも人間のやることではありません。9.11の事件以来、右傾化していたアメリカの世論もやっとこの戦争の無意味、そして残酷さに気がつき始めています。

一国の先頭に立つブッシュ大統領や小泉首相がイラクの戦闘現場に立ち、罪もない子供達のばらばらになった死体を見て、それでもこの戦争はテロとの戦いで不可避と言うのなら、もうあなた方は人間ではありません。自分は遠く離れた安全な場所から無責任な派兵の命令を下すなんてあんまりです。


 

2006/09/08  まぶしすぎるお月さん。油断してました。でも今日はちょっと化粧しすぎではありません?つるつるです。どれだけ目を凝らしてもウサギのかげも見えないし・・・朝の四時、「夜空の向こうに」って言う名の焼酎を山ほど飲んだ僕には目の毒です。一本、二本。ちゃんとキープして残して置いたからいつか二人で飲みましょう。えっ?夜空の向こうにいるのは私だけだって?焼酎と一緒にしないでって?あの、あの、しばらく曇っていて顔も見てないんだから。それにしても今日は化粧しすぎだって。ああ、でもきれいね。


 

2006/09/06  寄せたり引いたり、降ったり止んだり、開放と閉息の繰り返し見たいな毎日だけど刻々と時は流れて行きます。見ればほっとするお月さんも今夜は雨にかき消され空は深い闇の中。今もどこかの空にぽっかりと浮かんでいるに違いないお月さんを想像しながらとぼとぼと夜の街。行き交うヘッドライトとけばけばしいネオンも雨ににじんできれいに見えます。「もっと頑張らなくちゃいけないな」理屈抜きの心の声にちょっと驚いて、しゃきしゃきと雨の中。背筋はピンとのばして歩かないといけません。


 

2006/09/05  手を伸ばせば届きそうな月が浮かんでいます。くっきりと大きなお月さん。それはずっとずっと遠くにあるのだと頭の中では分かっていても、そうは思えない不思議な感覚です。太古の時代から闇の世界を照らしつづけてきたお月さん。人間も動物もその輝きに魅せられ、その光に助けられて来たのだと思うと天体の中でも月の存在は太陽と同じで絶対的なものです。まわりに灯りのない山の中で月の明るさにあらためて驚いた事があります。まさに月がなければ真っ暗闇です。遠くにあるのに手が届きそうな感覚。人は相対的な対象物がないと距離を測れない動物かも知れません。月に対しても人に対しても・・・


 

2006/09/03  時々訪れる四天王寺の境内。強い陽射しはまだ夏だけど風は秋の匂いがします。木陰に入ればもう秋そのもの。つい先日までのうだるような熱気はもうありません。熱くて座れなかった石ベンチもころあいの温度で気持ちよく、ごろんと横になって見上げると一面の青空、秋の空です。「気持ちいいなあ」とつぶやいて目を閉じるとやさしい風が頬をなでていきます。秋をこんなに意識するのは異常な暑さの夏があったからでしょうか。過ぎゆく夏、来る秋。季節の端境はいつもちょっぴりセンチメンタルになります。


 

2006/09/02  ほんの少し秋らしくなってきました。美術館か遊園地、動物園にでも行きたくなる気候です。ここ数年各地の遊園地や動物園が相次いで閉園に追い込まれそんなニュースに接するたびにさみしい思いをします。いくら資本主義とは言え利潤追求だけの競争原理に含めて欲しくないジャンルです。

もしフランスやドイツなら地方自治体の力や国策を使ってでも運営を守るんじゃないかなと思ったりします。だって子供達の夢の場所ですから。ふらり大阪の街を歩いていても情緒ある建物が無造作に取り壊されコンビニや外食チェーン店が後に姿を現します。街並みも歴史も調和もあったもんじゃないです。自由競争と言えば聞こえはいいですけど、利潤だけで淘汰される世界なんて変です。儲け以外にいいもの、悪いものをちゃんと判断できるインテリジェンスと感性がなければこの国の未来は暗いものです。


 

2006/09/01  真夜中のコーヒーブレイク。新しいネスカフェはコマーシャルのように「パーフェクト」と言いたいところだけど、コーヒーぐらいゆっくりとドリップで入れるようにしないといけないなと思いながらごくり。「パーフェクト!」インスタントコーヒーでも封を開けた時の一杯は格別。ジョンレノンのWomanが外の雨音と調和して心に響きます。ポールとジョン。人間的にも音楽的にも見事な調和だなとあらためてビートルズに思いを馳せます。青い海原を進む真っ白な帆。青い地球に浮かぶレモンの月。「perfect」なものはたくさんあります。


 


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