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対エゴイズム
2010/08/22 自分だけがよかったらいい、と言うような人間は学校でも社会でも嫌と言うほど出会って来たけど意見したり喧嘩したりして歩み寄れた人も少なからずいます。人間の性格はそうそう変わるものではないけれど、エゴイズムは基本的に自意識の欠如だから話したり注意したりして直る事はあります。それでも単刀直入に言えるのは学生時代の友人関係が一番。お互い欠点を忌憚なく指摘し合える貴重な時代です。
社会に出ればあえて意見してくれる人は希少。最近つくづく思うのは年齢を重ねて、もちろん若い人でもですが、うんざりするような振る舞いをする人は心の通う友人がいなかったんだろうと言う事です。たとえ家庭や教育者に恵まれなくてもいい友人がいたらエゴイズムはかなり是正されるし、それは人間関係のいい連鎖になるに違いありません。
気遣いと気いつかい
2010/08/23 あんた気〜つかいやね、と言われるようではどこかおせっかいと同じでかえって相手を疲れさせてしまう事がありますが、気遣いとはさりげなく相手に悟られる事なくなされてこそ意味があります。何事も自然体で出来るようになるためには日頃からの小さな積み重ねが大切ですが、それこそがとても難しいことでたとえ日々精進は無理でも日常の節目節目ぐらいでは一つ石を積み上げたいものです。
暑過ぎる夏
2010/08/24 地球温暖化とか世界各地での異常気象が気になる昨今ですが、過去の夏を思い出してもこんなに暑い夏はなかったと言えるほどうんざりとする暑さです。春夏秋冬、それぞれの季節にそれぞれの思い出や思い入れがありますが、日常から離れた経験をした時間は季節の印象とともに強く心に残っています。
高校時代の夏休みの40日全てを費やした北海道での昆布取りのアルバイト。ぽつんぽつんと寂しい海岸に建つ漁師小屋の風景や人々のたくましい笑顔は今も鮮明です。同時にその夏の気温や風の匂いまで脳裏に残っていてその他幾十の夏の中でも最初に思い出す特別な夏です。
中学校の悪友と無銭旅行をした夏。田舎でウミガメの産卵を見た夏もあります。冬は冬で、春は春で、秋は秋で、それぞれ印象の強い思い出は季節感そのものをも記憶にとどめてくれます。
のどかさと騒音
2010/08/25 とある田舎町。のどかな田園と風情ある旧家が連なる景色に視覚はやすらぎをおぼえるけど、街道と言わず農道と言わずせわしなく走り回る車の騒音とのんびりと歩いていると轢かれそうになる恐怖に怒りさえ覚えます。田舎にいて大根一本を遠く離れた巨大ショッピングセンターまで買いに行かなければならない理不尽。便利で恩恵を受けている部分もあるけれど車社会の弊害はとてつもなく大きいのではないかと思います。
人と人の関係、地域固有の文化の喪失。歩く事、自転車に乗る事さえ危険を伴うような環境はどう考えても非人間的です。のどかな田園は団地や駐車場に姿を変え、風情ある旧家は風前の灯火で、大好きな田舎と言う概念さえ近未来に無くなってしまうでしょう。