卯月4月
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阪神支局襲撃事件、5月3日で32年に(2019/04/28朝日新聞) 事件は1987年5月3日夜に発生。「赤報隊」を名乗る犯行声明文が報道機関に届いたが、2002年5月に時効が成立した。小尻記者の父信克さんは11年に83歳で、母みよ子さんは15年に84歳で死去。重傷を負った犬飼兵衛さんも昨年1月に73歳で亡くなった。 記帳・拝礼所は午前9時〜午後7時、資料室の一般開放は午前10時〜午後5時。阪神支局は西宮市与古道町1の1(阪神西宮駅・市役所口すぐ)。
事件の報道をテレビニュースで見ていて、気分が悪くなった事を未だに思い出します。言論の自由に対する残酷極まる嘲りのようで、あまりにも非人間的な行為です。 チェルノブイリ事故から33年(2019/04/28京都新聞) 辺野古の今「非民主主義」 玉城デニー沖縄県知事、早稲田大学で講演(2019/04/28琉球新報) 突発的に起こる事件事故に初動でメッセージを出さないといけない。安保は沖縄だけではなく、日本全体の問題だということを皆さんに伝えていく仕事も知事に託されている」と振り返った。もともと本土にあった在沖米海兵隊が沖縄に移った歴史を紹介し、日米安保の負担が沖縄に偏在している現状を「沖縄の基地は強制接収で造られていったことも理解してほしい。日米安保の現実が近くにないが故に見えていない。日米地位協定も本質を不可視化されている。この現実をしっかり受け止めてほしい」と強調した。 初恋の少年に誓った不戦 渡辺美佐子 映画「誰がために憲法はある」(2019/04/28東京新聞) 映画はそのドキュメントを挟みこむように、渡辺演じる一人語り「憲法くん」(作・松元ヒロ)で構成される。「こんにちは 憲法くんです へんなうわさを耳にしたんですけどほんとうですか わたしがリストラされるかもしれないというはなし 憲法くんがいなくなってもいいということなのでしょうか」。ほほえみながら護憲を訴える。近年の防衛予算の増大など日本の平和に不安を抱いている渡辺は静かに語る。「私は空襲の恐怖と飢えを体験し、幼い同級生も亡くした。戦争は普段の暮らしを奪う」「憲法くんは(現憲法下では)日本は戦争で人を殺さず、殺されてもいない、という。良いことよね」 これが先進国か!と嘆きたくなる現実が幾つもあってドイツやフランスと一体何が違うのかと考えてみれば、それこそ文化、歴史、国民性と多々あります。けれど、経済力がこれだけあって、歴史、文化もひけをとらないのだから考えられるのは政治家の無能、行政の悪質が先ず第一。政治家全体の凡庸さもあるけれど、そんな政治家を選ぶのは国民。そんな国民はそんな政治によって作られるのかと考えるときりがないけど、結局1人1人の個の違いが根底にあるのだと思う。 厚顔無恥と言う熟語がまさにぴったりの安倍首相。外交の幾つかのニュースシーンでも恥ずかしさにチャンネルを変えてしまう事が何度もありました。それでも選ばれた我が国の首相。他国の人々の目にはその言動、人格が一体どのように映っているのでしょうか。 医療、介護の経費云々を語る前に病気とは何かを考えるべきです。現代では全てではないけれど、病気の多くは自己責任ではなく社会責任だと思います。なぜなら病気の根源的な理由の大きな要素にストレスが起因しているからです。ストレスとは何か?それは社会のあり方に因するものではないでしょうか。病気や人間の死までも経済の次元に置き換える風潮。それこそが問題です。
平成のおわりに 「当たり前」をかみしめて(2019/04/30東京新聞) アンダーコントロールしなければならないのは安倍首相の頭と心。時代を考え未来を考えるならば、やることなすこと「あべこべ」です。
思考停止の日本、芽吹きに必要なものは 高村薫さん(2019/04/29朝日新聞) そうして現れては消える世界と戯れている間、私たちはほとんど何も考えていない。スマホは、出口が見えない社会でものを考える苦しさを忘れさせる、強力な麻酔になっているのである。・・・ 平成は、阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめ未曽有の自然災害が頻発した時代だが、振り返れば、大都市神戸が震災で火の海になっても、あるいは東北沿岸で1万8千人が津波にのまれても、またあるいは福島第1原発が全電源を失って爆発しても、日本社会の思考停止は基本的に変わることがなかった。 思考停止による無関心か、無関心による思考停止かわからないけど日本人の政治や社会に対する無関心は30年前から言われつづけ、危惧されて来ました。でも無関心の殻はますます固くなり分厚くなって殻と殻の間を自分に都合のいい電波だけが行き交っているのが現状です。果たしてこれからの若者は無関心の殻をやぶり新しい日本人になるのだろうか?
「寄り添う」って何だ(2019/0429東京新聞) 晩年の東京・山谷の俳人いざわさわ男さんの主治医を務めた。たばこで慢性閉塞(へいそく)性肺疾患になったのに「医者の忠告など屁(へ)のかっぱ」で職業的無力感を味わったという。それでも、いざわさんの生き方を通して「患者を医者の価値観に従わせるのではなく、その人なりの健康を少しでも増してゆくお手伝いをすることと思うようになった」と記す。あとがきに「今年二月から福島県双葉郡の高野病院でお世話になる。苦境にある双葉の医療にすこしでもお手伝いでき、高齢者や障害者の方々に、細い手でも差し伸べられれば、幸いです」と近況が書かれていた。 「医は仁術とは何なんだ」と言いたくなるような医者もいる。寄り添うのが患者ではなく地位や報酬だけの医者が目立つ中、この記事にある本田さんのような医者が存在すること自体奇跡のような気すらします。でも現実はごく少数であれ同じような精神を持って医療と対峙するお医者さんが存在していると信じたいものです。 |
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