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2011
  ■ドイツ放射線防護協会からの提言 ■次のシーンを想像しよう ■平和さえあれば ■乏しくはない日本の資源 ■過去の火と違う原子の火 ■幼少の記憶と永遠性 ■心の栄養 ■あらゆる精神世界の人に ■馬鹿な連鎖を止めること ■人間の土壌 ■ヒューマニズムの問題 ■お金と嘘の固まりの原発 ■震災から5ヶ月 ■火星に水の痕跡 ■広島原爆投下から66年 ■小さなカエルの存在感 ■新世界と串カツ ■想像力の欠如と破壊 ■心理と物理時間 ■もっと知るべきだった ■知らない危険 ■原発労働者の死 ■未来のために ■自然エネルギーがもたらすもの ■ヨーロッパの事情 ■原発とエネルギー社会 ■次のシーンを想像する ■赤い風船が町に浮かび ■知れば知るほど ■原発事故用ロボット幻に ■自衛隊とレスキュー隊 ■分業と専門化への危惧 ■原子力発電の前に ■過去の原発事故
 

ドイツ放射線防護協会会長
セバスティアン・プフルークバイル(博士)の提言


ドイツ放射線防護協会は、11月27日、ベルリンにて「放射線防護の基本規則は、福島原発事故後も無視されてはならない」とのプレスリリースを発表しました。リリースは、同日ベルリンにて開催された講演会「福島の経験」(ドイツ放射線防護協会、日独平和フォーラム、FoEドイツ、FoE Japanの共催)で、日本へのメッセージとして、会長のセバスティアン・プフルークバイル氏より発表されました。日本政府の対応への厳しい批判と早急な方針変更を訴えています。

FoEのサイトの全文はPDFファイルで掲載されています。以下は1人でも多くの人が読んでもらえたらと全文をそのままコピーしたものです。FoE Japanのサイト

ドイツ放射線防護協会
会長 セバスティアン・プフルークバイル(博士)
Dr. Sebastian Pflugbeil, Prasident
Gormannstr. 17, D-10119 Berlin

ベルリン、2011 年11 月27 日

【プレスリリース】
ドイツ放射線防護協会より:

放射線防護の基本規則は、福島原発事故後も無視されてはならない
ドイツ放射線防護協会は問う:
原子力利用と引きかえにどれだけの死亡と疾病を許容するのか?

放射線防護の国際的合意として、特殊措置をとることを避けるために、汚染された食品や廃棄物を、汚染されていないものと混ぜて「危険でない」とすることは禁止されている。日本政府は現在、食品について、および地震・原発事故・津波被災地からのがれき処理について、この希釈禁止合意に違反している。ドイツ放射線防護協会はこの「希釈政策」を至急撤回するよう勧告する。撤回されない場合、すべての日本の市民が、知らぬ間に東京電力福島第一原子力発電所事故の「二次汚染」にさらされることになるだろう。空間的に隔離し、安全を確保し、管理された廃棄物集積所でなければ、防護策は困難である。「汚染を希釈された」食品についても同様である。現在の汚染がれきおよび食品への対応では、日本市民に健康被害が広がってしまうだろう。

日本ですでに始まっている汚染がれきの各県への配分、焼却、および焼却灰の海岸埋め立て等への利用は、放射線防護の観点から言えば重大な過ちである。焼却場の煙突から、あるいは海洋投棄される汚染焼却灰から、がれき中の放射性物質は必然的に環境に放出される。ドイツ放射線防護協会は、この計画の至急撤回を勧告する。

チェルノブイリ事故後ドイツでの数々の研究により、胎児や乳幼児が以前の想定よりはるかに放射線影響を受けやすいことが明らかとなっている。乳幼児の死亡率、先天障害、女児出生率の低下など、チェルノブイリ後の西ヨーロッパで明らかな変化が確認されている、すなわち、低量あるいはごく微量の追加放射線によって数万人の子どもが影響を受けているのである。さらに、ドイツの原発周辺における幼児のがんや白血病についての研究でも、微量の追加放射線でも子どもたちに健康被害を与えうることが示されている。ドイツ放射線防護協会は、少なくとも妊婦と子どものいる家庭について、現在の避難地域より広い範囲で至急の避難・疎開が支援されなければならないと強く警告する。われわれは同時に、子どもに年間20 ミリシーベルトの被曝を強要することは悲劇的な過ちであると考える。日本政府は、現在の避難基準になっている年20 ミリシーベルトを直ちに撤回するべきである。

日本での現行の食品中放射性物質暫定基準値は、商業と農業を損失から守るためのものであり、人々を被曝から防護するためのものではない。ドイツ放射線防御協会は、この基準値が、日本政府ががん死亡者数、がん発症者数の甚大な増加、およびその他のあらゆる健康障害の著しい蔓延を許容する姿勢であることを意味するとして、厳しく指摘する。このようなやり方で自国民の健康を踏みにじることは、いかなる政府にも許されない。当協会は、原子力エネルギー利用のもたらす利益と引き換えに、果たして日本社会がどれだけの死者と病人を受容できる準備があるのかについて、全国民参加による公開の議論が絶対不可欠であると考える。このような議論が必要なのは、日本だけではない、これまで原子力ビジネスと政治的思惑によって阻まれてきた、世界のすべての国々において必要なのである。ドイツ放射線防護協会は、日本の皆さんに強く訴える:できるだけ、専門知識を身につけるよう努めてください。そして、食品における基準値の大幅な低減と、厳密な食品検査を要求するのです。すでに各地に開設されている市民測定所を支援してください。ドイツ放射線防護協会は、日本の専門家の皆さんに訴える:日本の市民のサイドに立ち、放射能とはどんなものか、どのような障害をもたらしうるものであるかを、市民に説明してください。

ドイツ放射線防護協会
会長 セバスティアン・プフルークバイル(博士)
(翻訳:FoE Japan)

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次のシーンを想像しよう

原発問題について正確な検証はできないけれど、ある程度の想像はできます。原発建設に使われて来たお金の膨大さ、異常さは小出しに出される情報をかいま見ているだけでも吐き気がするほど大きなものです。用地買収、地域住民の生活買収、村長、町長、市長、土地の権力者、原子力に関する学者の買収、テレビ、新聞、雑誌などありとあらゆるメディアへの圧力とメディアを使ってのプロパガンダの費用。ちょっと想像するだけで巨大な経費が浮かんできます。原発施設の物理的な建設費、運行、管理費も巨額ですが、原発に関しては「それが余りにも危険なもののため」リスクを覆い隠す経費が次から次へと生まれます。

以下メモランダムの続き
54基もの原発が立地する場所はいずれも自然環境に恵まれた素晴らしいのどかな土地です。しかしこれも国策のまずさ故ですが、原発立地の場所はどこも疲弊衰退した地域でのどから手が出るほどお金が欲しい経済状況です。お金が欲しいのはやまやまの住民ですがそれでも原発の余りの危険の大きさに建設反対を叫んで来た人たちも大勢います。推進派のありとあらゆる工作と嫌がらせにも屈する事なく反対し続けて来た人々はお金よりも命と地域の自然を守り子孫に残したい人々です。それでも阻止出来ずにこの地震列島に54基もの原発ができてしまった現実。福島原発の悲惨な事故が起こらなかったら何の検証もなされる事なく破滅に近い事故が起こるまで原発は運用されていたでしょう。原発が動くと言う事は処理さえできない核廃棄物が増え続けると言う事です。原発が動くと言う事は現場に作業する人々が被曝し続けると言う事です。低濃度であれ原発からは放射性物質が出続けます。今回の事故による汚染された土地を削った汚染土だけでも行き場も処理方法もまだ確定していません。その費用は一体?想像するだけでまたしても巨額です。

まして原発周辺の家を土地を故郷を失った人たちへの補償は十分できるのでしょうか。物理的被害、精神的被害、被曝した人々の未来への不安。補償額はまたまた巨額です。そして現実に放射能に汚染された食品は全国に出回っています。検査体制すら確立しない中、安全レベルがどうこう言う問題ではありません。想像力が止まってしまいそうな原発の理不尽です。これだけの事実が明らかになって国民は何故もっと怒らないのでしょうか。政治はドイツのようになんで原発を全廃する決定を下さないのでしょうか。ドイツが2022年までに全廃すると言うのなら、日本も同じようにまず意思決定をすべきだと思います。開発に1兆円以上がつぎ込まれ実用化のめどさえ立たない高速増殖原型炉「もんじゅ」にまだお金をつぎ込もうと言う気違いのような輩がまだいます。即廃炉にして、推進して来た人たちから国民の税金を取りかえすべきです。

「もんじゅ」建設にかこつけて私欲を肥やした人たちが大勢いる事は想像がつきます。福島原発のような事故がもう一度起こればどうなるか、想像するだけで恐ろしい事です。原発施設の専門技術者、原子力の科学者、地震工学の研究者、そして多くの見識ある人々が「原発は絶対廃止すべき」と声を揃えているのですから、短期未来を現状の火力、水力などの既成エネルギーでまかないながら、一刻も早く太陽光発電を始めとする代替エネルギーの整備を急ぐべき時ではないでしょうか。

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「平和がありさえすればできることがたくさんある」


リベリアの平和活動家リーマ・ボウイーさんの言葉には身につまされる思いがします。目を被いたくなるような内戦の歴史の中でアフリカ初の女性大統領となったサーリーフさんとともにノーベル平和賞が決まった2人の女性人道家。「内戦からの復興はおとぎ話のように簡単にはいかない」と語るリーマ・ボウイーさんは再選された大統領に対して「1期目で最善を尽くした。荒廃した国を建て直すには強い努力と忍耐が必要だ」「それ以前の政府は社会の問題に取り組みさえしなかった」と語り2期目の課題について「1期目に不十分だった汚職の取り締まりを強化する必要がある。

教育、奨学金もより充実させて行かなければならない」と指摘し「教育問題は自分も含め民間で出来る事をやって行く」と述べました。胸のすくスピーチです。長い内戦で失われた多くの命、声を上げられなかった多くの意志が2人の女性にのりうつったかのようなエネルギーです。

「平和がありさえすればできることがたくさんある」日本の政治家や国民は彼女たちの魂を学ばなければならないと思います。日本にはまだ平和があるのですから。

 

 

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決して乏しくはない日本の資源


日本は資源に乏しい国だと学校で教わって来た記憶があります。化石燃料、鉱山などその通りの部分はありますが、豊かな海や四季や文化伝統など資源の解釈を広げれば日本は資源に恵まれた豊かな国です。資源エネルギー問題研究所所長の和泉武さんによると「地熱資源は世界3位であり、メタンハイドレードは天然ガス消費量の100年分を超す埋蔵量があり、使用済み家電など「都市鉱山」から採取出来るレアメタルも世界有数、沖縄、伊豆、小笠原及び南鳥島周辺では非鉄金属鉱床が発見されている」と言う事ですし、科学技術力の進んでいる日本には新たな資源を開発出来る土壌があります。

科学技術やアイデアそのものもその国の強力な資源ですから国をあげてきちんとした資源対策、開発を進めれば不安定な原油や危険な原発に依存する度合いを減らして行く事は可能に思えます。さまざまな国の思惑、要因が大きく影響する化石燃料や原発に依存している限り安定した経済基盤が出来るはずもありません。福島原発の大き過ぎる教訓を糧にして、自然エネルギーを中心に自給自足のエネルギー国家を未来に向けた指針として日本の舵を切れば、経済も文化も向上するだろう事は明らかだと思うのです。

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過去の火とは違う原子の火


火を発見しなければ人類は今のような形では存続出来なかったけれど、火はある時から破壊の手段として多くの命と共に叡智の書や文明をも灰塵と化してきました。戦火と言うおぞましい火。人類を救う火は諸刃の剣のように人類を傷つけて来た歴史があります。風がなければ巨大な帆船や風車は動かず、水がなければ水車もダムによる発電もなされなかったけれど、破壊の手段としての悪用は火のようにはいかなかったのは幸いでした。火は人類にとってもっとも重要で密接なエネルギーである事は過去も現在も同じですが、原子力の火だけは化石燃料などの火とは区別しなければならない理由はそれが人類の叡智を超えた力だからです。

この宇宙の必然から生まれた原子力の火は巨大な太陽のエネルギーシステムとして太陽系に輝きこの地球上の命もそのおかげで存続しています。太陽のシステムを誰かが管理しているわけではなくそれは宇宙が生み出した深遠なシステムです。宇宙の中では極小と言ってもいい太陽系の外へすら行けないような今の人類が制御、管理出来るようなものではないのは明らかな事です。火は起こす事が出来るけど消す事も出来ないと言うのが今の原子力の実態で、放射能の無害化どころか廃棄物の処理さえ出来ない科学力なのです。

核兵器の恐ろしさと人類の破滅は誰でも想像がつくと思いますが、原子力の火は過去の火と違って平和利用など絶対に出来ない火である事を人類ははっきりと認識しなければなりません。原子力の火は宇宙の火であって閉じられた地球には適合しない火です。ひとたび事故が起こると人智では対処出来ない火なのです。過去の火が幾多の人命や文明を滅ぼして来たように原子力の火が事故あるいは人為的なミス、もしくは戦争やテロなどの悪意で暴走すれば1つの文明ではなく地球上全ての命が滅びる危険がある火なのです。

部分的な放射能汚染ですら、今後どのような影響が生命体に起こるかすら未知数な原子力を発電のために使うのはあまりにも愚かな行為です。過去と違い科学力がある程度進んだ現代において安全で合理的なエネルギー開発は幾つもあります。2011年地点で原子力発電を必要とする正しい理由などかけらもないのですが、あの恐ろしい福島原発事故が起こった後でさえ、利権や保身と言うおよそ人間として恥ずべき理由だけで原発を保持しようとする人間もいます。他国や世界の原発情勢がどうあれ、日本は断固として原子力の火は消して、新しい火を灯す最前線の国になるべきだと心底思うのです。原子力が導入された当時の科学技術とは雲泥の差がある今の科学技術を考えればリスクの大き過ぎる原子力発電を選択する理由は絶対にありません。

 

 

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幼少の記憶と永遠性


幼少の頃に両親から教えられた事は生涯を通じて消えないものかなと思う時があります。それはまだ何も分かっていない小さな頭脳と体に与えられた羅針盤のようなもので人生で迷ったときには選ぶべき道を示してくれます。少年期の好奇心と冒険。青年期の学びと行動。後は死ぬまで思考と行為、学びの連続ですが、幼年期に受けた教えはその後の学びや行動の姿勢の基軸となって人生に少なからぬ影響を与えます。先日の新聞記事に音楽家の加古隆さんが父親の思い出を書いていました。

幼稚園児だった隆さんに「職業や身分、人種で態度を変えるんじゃない。君は、どこにいても、誰といても、同じ接し方をしなさい」この言葉を幼い隆さんに繰り返し説いたと言うのです。これは僕が幼い頃に父から何回も聞かされた言葉とほとんど同じで、おそらく同じ頃に同じような事を教えられた人は少なからずいるはずだと思います。自由を尊び人を愛する人なら我が子に対してどうしても伝えておきたい言葉ではないかとあらためて思います。加古隆さんのように音楽を愛する人にとって偏りのない心は絶対条件ですが、絵でも文学でも科学でもそれ以外の道であっても人間であるならば誰もが持たなければならない羅針盤です。

偏見や偏重のない人間。偏向は排他につながりますし、エゴイズムの核になってしまいます。小さな争い、小さな差別、小さな無関心が集まって、社会の歪みを生み出し、それの最悪の結果が戦争です。世界中の少なくとも自由な教育を受けた人間1人1人が小さな調和、小さな理解、小さな関心を持ってそのネットワークを広げて行かない限り、本当の人間的な世界は実現しないだろうと思います。あらゆる生き方、あらゆる個性の底流に純粋で偏りのない赤い血が流れていなければならないと思うのです。

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心の栄養


体の各器官を維持し思考や行動にとって不可欠なエネルギーの基となるさまざまな栄養素。偏りのない「食」が健康を維持するためには大切だとは分かっていても、嗜好や生活習慣によってつい偏りがちなものです。ビタミンからタンパク質に至までありとあらゆる栄養補助食品が売れるのも栄養が偏っていると自覚する人が多いからでしょう。かといってそれらの補助食品は気休めの部分もあって実効性は定かではありません。それでもそれらの商品が売れ続け増え続けるのは食生活がますます偏って来ている証で、それが窮食の時代ではなく飽食の時代である事を考えると皮肉な気もします。

これは心の問題にも言える事で、行こうと思えばあちこち旅する事もできますし、本でも映画で見ようと思えば見る事ができます。知ろうと思う気持ちさえあれば、大抵の情報は得る事が出来ますし、絵でも音楽でも文学でも接する事すら困難だった時代に比べればその自由度は計り知れません。ですが体の栄養と同じく心の栄養に関しても偏りがあるのは否めない事実で、よく言えば専門家だけれどもっと考えれば専門馬鹿としか言いようのない偏った大人が増えています。自分の専門以外の事は関心がなく、自分の小さなポジションからしかものを見れない考えれない大人がいっぱいいてそれがまた次の偏狭な世代を作って行くと言う恐ろしい循環を起こしつつあります。アメリカ主導の戦後行政の中で日本が取って来た短絡的な復興策、物ありき、お金ありき、競争ありきと言う流れは敗戦からの物理的復興に関しては功を奏しましたが、1人の人間としてどうあるべきか、1つの国家としてどうあるべきかと言うもっとも大切で根源的な価値観をお金と物に埋没させてしまいました。

科学技術が進めば人間生活の物質的向上は必然的な事でありますが、精神性においては同じように向上するわけではなく、経済を優先させすぎるとむしろ精神は退化する事を多くの識者が指摘しています。食の栄養の偏りはいろいろな健康障害を引き起こしますが、心の栄養の偏りもまたいろいろな人格障害を引き起こします。健康障害は個人的問題ですが人格障害は他者を巻き込む社会的問題です。偏狭な知識、体験にもとづく考え方は他者や社会全体に対する無関心に繋がり、あらゆる社会悪の要因となります。心の栄養不足が感情や情緒と言う人間が本来持つ特性を消し去ってしまうのです。

子供の頃の自由な感性、青年期の公正さや正義感を十二分に培うためには膨大な量の心の栄養が要ります。教科書的知識も最低限は必要でしょうがそれより、山に登り川で泳ぎ、旅をし、文学を読み、音楽を聴き、友人と朝まで語り明かす機会が山のように要ります。「心の栄養」を効果的に吸収出来るのは若い時です。幾つになってもそれは吸収し続けなければなりませんが、それが出来るのも若い時代に基となる土壌が出来ていなければ難しいことです。

今回の原発事故で明らかになった非人間的な人々。別の表現をすれば彼らはみんな心の栄養を採り損なった人たちです。ある特定の知識と偏狭な体験をもとに社会的な構造に組み込まれ流されてしまった可哀想な人たちです。学者、官僚、政治家、実業家、ゼネコンや電力会社の上層部・・・原発にまつわる悪事は象徴的なものであり、しかもあまりに危険が大きいため看過出来るような物ではありませんが、その他にも類似した社会悪があまりにも多すぎます。そのほとんどは心の栄養が足りないからではないかと思えます。

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あらゆる精神世界の人に


この地球の歴史、数十億年に達するであろう歴史は地球の科学では測れないのは明らかです。生命と言う概念も、銀河や宇宙と言う概念もこの小さな地球上のある限られた生命体が今日持つ概念であって、広大無辺な宇宙からすればそれはある小さな一部分であるのは間違いありません。地球上の文明にしても現代のような文明が何回あるいは何十回と繰り返し繰り返されて来ているかも知れませんし、それは現在の科学が発達すればするほど見えて来るものでもあります。

ただ僕は思うのです。この宇宙に銀河系を始め大小、それこそ無限の星星が存在し、いろいろな生命が無数に存在している事実は誰でも想像できますし、誰も否定出来ないものだと思うのです。そんな認識のもとに思う事。それは人間は人間であって人間でなければならないと言う事です。これは僕のそれこそ人間としての勘ですが、人間はまずやさしくならねばいけない、次に命を大切にしなければいけない、そして今ある知性、音楽と絵画と文学と科学にまず心をゆだねなければならない、なぜならばこの地球と言う小宇宙で人類が編み出した唯一の答えですから。宗教や哲学もありますが、それは1つの役目を終え、本当にそれが役立つのはもっともっと先の話ではないかと僕には思えるのです。考えて見て下さい。今の社会、あらゆる宗教や哲学とは言えない教理主義者がお金のために信者を募って、ありとあらゆる方法で、一個の人間を思考停止に追い込んでいます。今精神世界だと思っている人たち、本当に考えて下さい。自分の心で、自分の頭で。そうすれば友達がいちばん大事、価値観の合う人がいちばん大事。*価値観は自分の否定的生き方の都合ではありません。

とにかくある特定な考えだけには絶対傾かないで欲しいと思います。キリストや仏陀のように確かにすぐれた人間はいます。芸術家にも哲学者にも科学者にもそれは歴史上、そして今も数少ないけど存在します。ただこれは絶対言える事ですが、そのような人はどんな組織も作らないし、どんな掟も作りません。それだけは真実です。今、これだけエゴイズムが蔓延して、それと比例するように宗教や組織が増えています。それは当然の事です。だってキリストではないけれど汝の隣人を愛する事が出来れば、そんなもの関係のない事ですから。僕は教師ではないけれど、本当に日本の若者には言いたいです。

まず、友人を愛せと。それからまず愛らしい動物や大きな自然を愛しろと。友人1人いたら人生はやっていけるし、プラス恋人1人いたらそれはもっとやって行けるし、プラス尊敬出来る親や教師がいたらもっとやっていけるし、それらが全部なければかなりやっていけないけど、それでも子供の頃に感じた幾つかの本や、夢中になった素敵な音楽、大好きだった猫や大好きだった大福餅の甘さだけでも人は守られると僕は信じます。

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馬鹿な連鎖を止めなければ


地震が起こり津波が来て緊急発進も出来ず水浸しになって、機能を失った自衛隊機。どんな事情があったとしても、あまりにもお粗末ではないかと思ってしまう。こんなことで国の非常時に対応出来るのだろうか。地べたをはう戦車ならいざ知らず空を飛ぶための飛行機がスクランブル発信出来ないとは情けない感じがします。半端な価格ではない戦闘機。宮城の自衛隊基地で水を被った機は18機。1機110億円でアメリカから購入されたと言います。その中の12機は処分され6機は修理されますがその費用が800億円。しかも水を被った機が修理可能かどうかを調査する費用に136億円かかったあげくの判断です。

この費用を被災地の救済にあてればどれだけの事が出来るかと思うと誰でも腹が立つでしょう。30億円かけて開発した原発事故用のロボットをゴミ同然に捨てておいて、原発事故後あわててアメリカのロボットを導入するなど馬鹿ではないかと思える判断や対応が目に余ります。それらのつけは全部税金ですから、国民がもっと怒るのが当然だと思いますがそう言う声はちらほらで情けないと言うか不思議な国です。医療にしても福祉にしても住宅制度にしても教育のあり方にしても欧米先進国と比べて劣っている部分が多すぎますが、同じ先進国としてそれらを比較し問題視しない風潮、特にヨーロッパ諸国の実情に関するマスコミ報道の少なさには意図的なものすら感じられます。

経済大国日本が実際はこんなに劣った国である事実を国民が認識するのが怖いのかも知れませんが、それはあまりにも卑賤な考えです。日本の特徴である経済力や科学技術を本当に活かせるのは文化国としての誇りを1人1人が持った時です。ヒューマニズムにもとる馬鹿のような話が少なくなり、日本人1人1人の精神性が先進国の一員として豊かになった時です。

国も企業も家庭も個人も中身がなくてはどうしようもありません。内面的な進化がなければ次から次へと馬鹿みたいな連鎖が起こり、今回の原発事故のように大量の放射能を大気中や海中にまき散らしてしまうような事態を引き起こします。日本はのみならず世界にとって大迷惑な事をやらかす国に成り下がってしまいます。アジア諸国の加速度的発展と中国、インドの巨大化を考えた時、日本が先進の背中を見せる事が出来ればその影響の大きさ、意義は想像に余ります。そのためにはまずこの日本、日本人1人1人が自覚を持たねばならないと思うのです。

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人間の土壌


人間性の形成にとって社会でのポジションの取り方、行動の軌跡は大きな影響があります。人間の精神的なゆたかさや暖かさは生き方の軌跡が自由な曲線を描けば描くほど大きくなるように思えます。しかし現実は平面上の自由曲線を描く事すら難しく、下手すれば小さな範囲を直線的に動くだけになってしまいます。偏見や偏狭な精神が生まれるのはそれが原因の1つだろうと僕は考えます。社会構造は水平に広がっていてどこへ行くのも自由に思えますが実際は見えない境界線のようなものが無数にあります。物理的な移動はたしかに自由かも知れませんが、例えば職業、経済、宗教的なものであったり、家庭的な価値観、地域的な土壌、人種や文化、歴史的な背景など見えない壁、境界線はそこここにあって、気もつかずに突破できる境界と意識してあえて踏み越えなければ入れない世界も多々あります。

そんな事はあえてしなくてもいいではないかと思う人もいるでしょうが、人間性を少しでも高めようと思う人にとってはとても大切な事だと思います。何かを創造したい、人に愛されたい、人を愛したい、幸せになりたい・・・だれであっても根源的な思いはそう変わらないと思います。もしそうであるならば受動的な生き方ではなく社会と言う広野を出来る限り動き回って体得する事は不可欠な要素です。文学を読んだり映画を観たりして想像力や知識を培う事はできますしそれも大切な行為ですが、自らが動いてそのポジションに立たなければ分からない事、見えない事は明らかにあってそれが人間としての考え方、行動力に大きな影響を与えます。相手の生きて来た軌跡や今のポジションを理解出来なければ深いコミュニケーションは作れませんし、それがなければその上に人間的なものは何も積み重なりませんから、創造とか愛とか幸せとほど遠い生き方になります。積み重なるのは年齢と偏狭さなんて事になれば回りにいる人間にとってはあんまりと言うものです。

職業1つとっても仕事によって視点や考え方は随分と違います。若い頃20ほどの会社や職種を転々として分かった事ですが、職種や会社によって労働や人間に対しての評価がまるで違っていて悩みもしましたが、あまりの違いに笑ってしまった事もあります。こんな会社にずっと入れば人間性そのものが無くなってしまうと言う会社もありましたし、短期間で自然のすばらしさや労働の厳しさと同時に働く事の意味を学んだ仕事もあります。立つ位置によってこんなに社会は違った風に見えるんだと言う事は幾度か実感しました。現実の社会だけではなく同じ音楽を聴いても絵を見ても本を読んでも映画を観ても感じ方や受け取り方が人によって違うのは同じような事が言えるのではないだろうかと思います。

その人がどれだけ多くの視点を持っているかが感受性そのものの中核をなすと思うからです。そしてその感受性を培うのが体験、もっと正確に言えば体験と本や音楽などから得られる知的エッセンスとの相互作用だと思うのです。少なくともセールスマンを体験すればセールスをやってる人の気持ちやその背景が分かります。居酒屋で働けば何がしんどくてどんな客が嫌なのかが分かります。全ての職業にはそれぞれ独自の視点があって、その立場になってかいま見るだけでも少しは人の気持ちが分かるようになります。想像力の素が1つ得られます。

ちょっと見れば社会は平面上にあらゆる職業や会社や人間が垣根なく点在しているように見えます。でも少し目を凝らせば感じの悪い柵があちこちに見えて来ます。前述した職業的な柵、お金や地位による柵、年齢による柵、男女の柵、各家庭の柵・・・ありとあらゆる柵が見えて来ます。柵の向こうとこっちを行き来する人が増えれば必然的に柵など消え失せるのだろうけど、実際はこの感じの悪い柵は増え続けているように見えます。家庭の中身は空虚で崩壊しているような家族が増えているけど、家庭と言う体裁だけは取りつくって柵を作ります。学校ではグループと言う柵を作って人間を小さくする傾向が増えています。社会では職業と言う柵を作って異業種の人間とはコミュニケーションも取れません。

さらに同じ職業であってもより特化した狭い場所に柵を作ってしまいます。そして行き着くところは自分自身だけ入れる柵を作って身動きもできなくなります。柵の外に出られない入られたくないものだから柵ごと動こうとしますから、回りの人間は怪我をします。そんな笑い話のような事が現実に増えていて、その原因は体験の少なさ、視界の狭さ、視点の硬化にある事は明らかです。

社会に出ていろいろな職業を体験する事は簡単に出来る事ではありません。リスクが大きすぎますし、能力的にも出来る事は限られます。ですから、生活のリスクが少ない、若い頃、学生時代には出来る限りの場所を移動し、出来る限りの人と話をし、アルバイトでも手伝いでも出来る限りの職種に接する事が非常に重要な事だと僕は思うのです。その時、その時代にしか出来ない事は確かにあります。体力的、経済的、時間的・・・制約と抵抗はどんどん増えます。

逆に言えば年とともに増え続けるリスクや束縛への抵抗力をつけるためにも若い時代に生き方の軌跡を自由と言うキャンバスの中に思いっきり描かなくてはならないと思うのです。直線あり、曲線ありの変化に富んだ絵を描くためには思い切った行動しかありません。将来において縦社会、横社会を自由に行き来するためにも、無数の柵を自然に通り抜けるためにも、そして何よりも人を愛し、他者を理解し、創造的な生き方をするためにも1つ1つの小さな体験を積む事は大切な事だと思うのです。

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政治ではなくヒューマニズムの問題


ある大学の教授と話していて事が原発問題になって、「原発はどう考えても廃止するしかないですね」と言うと「それは政治の問題だから何とも言えません」と言う答えが返って来て思わず相手の目を覗き込みました。原発事故で多くの人が故郷を追われ、放射能の危険にさらされながら生きている現実をよくも政治の問題だからと言えたもんだと、呆れ果てました。

「政治の問題とは民主党がどうこうとか税金がどうこうとか日米安保がどうこうとか言う問題でしょ?」「原発問題は政治の問題ではなくヒューマニズムの問題ではありませんか」そう言うとしばらく間があって「私はそう言う事に興味がないんです」これはダメだと思って席を立ちましたが、いかなるジャンルであれ学問を教える立場の人間がこれでは学生が可哀想です。

もともと芸術や科学の分野を目指している人は政治には興味がない人が多く、かく言う自分もそうですが、それでも社会における理不尽な問題や人間性に関わる問題は全ての学問の根底ですから、必然的に考えざる得ません。人が苦しんでいる姿を見て何にも感じないような心で音楽でも絵でも文学でも医学でも何かが出来るはずがありませんし、それこそ問題外です。

作家の浅田次郎さんが中学生の時に川端康成さんがベトナム戦争に反対する声明を出した姿に「作家の神秘性がなくなる」とがっかりしたそうですが、ベトナム戦争を政治の問題だとするその感覚に僕はがっかりします。ベトナム戦争のみならず戦争は全てヒューマニズムにおいて反対するのは当たり前の事です。彼がこの原発事故の現状を見て政治の問題だからと言うような感性なら何を書いても無駄と言うものでしょう。人の痛みが分からなくて人の心に伝わる文章など書けるはずもありませんから。

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お金と嘘で固めなければできない原発


東電が20年に渡って年平均20億円もの予算を組んで原発のある3県の関係自治体に寄付していた事が分かったと15日の朝日新聞に出ていました。これは賄賂だと僕は思うけど、原子力施設の立地自治体に入る電源三法交付金、核燃料税を公表しているのに何故今まで寄付金の公表をしなかったのか、追求するべきです。今回の福島原発事故で長年に渡って隠蔽して来た事実や嘘が呆れるぐらい出て来て、原発に体する意識を改めた人は多くいるでしょうが、最近のやらせメールと言いこれでもかと言うぐらい次から次に出て来る情報はモラルの崩壊と言う他ありません。

記事によると東電が寄付した自治体は、福島県と福島原発の立地4町などと新潟県と柏崎刈羽原発が立地する2市町村、青森県と使用済み核燃料の貯蔵施設を設置予定のむつ市などと言う。公共施設などの建設費などへの寄付名目ではありますが、誰が考えたって賄賂的体質のお金です。地方の財政難につけ込んだやり方で、疲弊した地方の現状があるにせよそんなお金で豊かな自然環境を壊し長い目で見れば住民の生活を脅かすような取引をして本当に地方が生き返るわけがありません。

他の9つの電力会社も同じような不透明なお金を地方にばらまいて原発を建設して来た事は明らかです。お金や嫌がらせ脅しにさえ耐えて反原発を通して来た立派な住民もいますが、お金に負け嘘にだまされて賛成に回った人も多くいるはずです。賛成反対をめぐって地元の人たちの確執を作り出した事だけでも許せない事ですが、安全神話をつくるためのメディア操作。関連各界の学者や政治家、役人の抱き込み。名目は違えど巨額のお金が各界にばらまかれて、枝葉まで入れればその総額は一体どれほどになるのか恐ろしくなります。全て原発の発電コストに加算すべきお金ですが、核廃棄物のケタ違いの費用を除いても原発は採算の取れる発電方法ではありません。しかも地震、津波、台風、竜巻、などの自然災害。

操作や構造などの人為ミス。想定外の事故が起こる可能性は常にあって、「安全」だなどとは知識と想像力のよほど欠如した人間からしか出ない言葉です。常に作業員の方達のような被爆者を出し続けなければ動かせない原発。ひとたび事故が起こればその被害が計り知れない事は今回の福島の事故の今日までの流れを見れば誰にでも分かります。原発は経済的に見ても、人道的に見ても、環境的に見ても維持する理由は1つも見当たりません。仮に早急に福島の除染が出来たとしても排除した汚染土の六ヶ所村のような保管施設をつくるだけでも80兆円かかると言う試算もあります。

実際森林や山間部の除染は不可能に近いし平地のみに限っても簡単に出来る事ではないのはちょっと考えれば分かります。こんな恐ろしい事故がもしまた他の原発で起こればと考えると一刻も早く全ての原発を停止して、それでも廃炉までは長い時間がかかりますが、核物質は永遠に封印しなければなりません。そのためには国民1人1人の根強い意識が必要です。地震多発国日本がやるべき事ではないし、世界唯一の悲惨な原爆体験国がやるべき事でもありません。

日本がやらなければならない事は、欧米先進国に遅れをとっている自然エネルギーへの開発に全力を注ぎ、原発に依存しないエネルギーシステムを世界に先駆けて完成し、先進国と発展途上国にそのノウハウを提供する事です。そうすれ日本は世界の中で注目もされますし、エネルギー産業を基軸に経済が活性化することも間違いありません。

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震災から5ヶ月


5ヶ月前、大きな揺れで飛び起きてあわててテレビをつけたら東北地方でとてつもない大地震が起こったと知り後は食い入るようにニュースを見つづけていました。近畿地方がこれだけ揺れるのだから現地の衝撃はかなりだと想像はつきましたがその後の津波の映像を見て言葉を失いました。車や大きな船までもが軽々と波に運ばれ、黒い波が家屋と田畠を次々と飲み込んで行く様は今も脳裏から消えません。その中に多くの人が飲み込まれ命を奪われました。

死者、不明の方が2万人以上の計り知れない悲劇をもたらした東日本大震災。尽きない悲しみと不安の中お盆を向かえた福島県内の墓地では放射線の線量計を手にして墓参りする人の姿もあったそうですが、自然災害に重なって起こった原発事故の深刻さはあまりにも大き過ぎる不幸です。今月中旬からは福島県民200万人の総被爆量を推計する作業が本格化するとの事ですが予備調査が始まったのが6月下旬と遅れたため半減期の短い放射性ヨウ素はすでに消え半減期30年のセシウム137なども体から排出された分もある事から事故当時どれくらい被曝したのかは判じきれないというのが実態のようで本格的調査と言っても歯がゆいものです。

さらに深刻な問題ですが、厚労省によると福島第一原発の復旧に当たった作業員は7月末で1万7000人、下請け作業員は入れ替わりが激しく「最終的に数万人に膨らむだろう」との予測。調査によると内部被曝だけで100ミリシーベルトを超したのは12人との事ですが、連絡すら取れない作業員が150人もいる曖昧な管理で作業員の方々の被曝量はほんとうに大丈夫なのかと疑いたくもなります。テレビ新聞に登場する無責任な学者や関係者が安全を口にするのを聞くと「そんなに安全だと言うのならあなたたちが先頭に立って原発の復旧作業に当たるべきだ」と言いたくなります。生活に追い込まれてお金のために被曝を覚悟で作業する人たちの事を思うとやはり原発は非人道的なものです。

 

 

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火星に水の痕跡


NASAが4日火星の表面に液体の塩水が流れている痕跡を見つけたと発表しました。古代ギリシャやローマ時代から人々を惹き付ける火星。1636年ガリレオ・ガリレイが小さな望遠鏡で火星の表面を覗いて以来色々な憶測や想像が飛び交いました。運河や火星人などの想像図は子供心をかき立ててくれたものです。月世界のロマンが科学技術の発達によって弱くなったように火星への奇想天外な想像も弱まりましたが、月も火星もまだまだ謎めいた部分は多く残っていて、人類の科学がこの小さな太陽系の至近距離にある衛星や惑星の実態さえつかめないと言う現実を考えれば地球の科学は万能どころかやっとスタートしたばかりかも知れません。

木星探査線「ジュノー」が6日打ち上げられ2016年に木星に到達するそうですが木星と言えどもこの距離感です。それが現実の科学力。そう考えれば人類が原子力を安全に扱うにはまだまだ科学力も人間性も未熟だと言う事は今の「核」の現状を見れば明らかです。使えば地球そのものが破滅すると分かっている核兵器。その核弾頭数が2万発以上あると言う現実。広島、長崎の破壊の惨状と今に至る放射能の恐ろしさを教訓とするなら核兵器の廃絶はもとより原子力の平和利用も今の科学力とモラルではあまりにもリスクが大きすぎます。

NASAとESAが「ハーシェル宇宙望遠鏡」を使って1500光年のオリオン座の星雲中に呼吸に必要な酸素分子を見つけたと発表しました。酸素分子に特徴的な波長の電磁波を捉える事からの発見です。すぐそばの火星の事はもう1つ分からないのに1500光年の距離とは不思議な気もします。探求、探索する科学は何億光年彼方へ向かってもいいけれど、この地球上全ての生命にかかわる原子力の応用はもっと慎重に、賢く、想像力を持って臨まねば人類はその歴史上「もっとも野蛮で取りかえしのつかない」事をしでかしてしまうのではないでしょうか。

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広島に原爆投下から66年


2011/08/06  2度とあってはならない核兵器の使用。核の恐ろしさを目の当たりにした日本人の誰もが持ち続ける願いです。今年の広島平和記念公園に集まった5万人の人々は核兵器廃絶と同時に脱原発への思いを強くもって平和記念式に臨んだのではないでしょうか。原爆の悲惨さと被爆の時を超えた被害に今なお苦しみ続けている人たちにとって福島原発の事故は「放射能の恐怖を知った広島、長崎の教訓が生かされていない」との憤りがわき起こるのは当然です。

原爆は兵器で原発は核の平和利用だと言う解釈のもとに科学技術を信用して来た側面は多くの日本人にあると思いますが、どちらも核分裂のエネルギーを使うと言う面では同じもので放射能の脅威に関しても同じものです。被曝に関しては広島、長崎、チェルノブイリなどの追跡調査でこれ以下なら安全だと言う量がないのも分かっている事実です。国会で東大の児玉龍彦教授が言った「福島からは広島型原爆20個分(ウラン換算)の放射性物質が飛散し、残存量もはるかに多く、影響の広さ長さは計り知れない」との説明を聞くまでもなくその深刻さはテレビや新聞の抑え気味の報道によっても分かるはずです。

日本が地震国だと言うのも脱原発への大きな要素ですが「原発は制御出来ない」と言う事実と「核と人類は共存出来ない」と言う事実、そしてほんとうに先進的な科学とは自然エネルギーをいかに活用し、平和と地球環境そのものを守る事にあると言う事を強く認識しないと広島、長崎の決してあってはならない人類の体験を生かす事にはならないと思うのです。

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