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2006

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実践歴

2006/10月5日

ああしよう、こうしよう、これだけはやろう、これだけはすまい。

思う事は星の数ほどあるけれどできる事はほんのわずか

一体思って実践できてることって?自問自答。

 

*なるべく嘘をつかない(実践歴30年) ある苦い思いをしてからこれはかなり実践

*なるべくゴミを出さない(実践歴5年) これも常に意識してるからかなり

*なるだけ歩く(実践歴15年) この一年あまり実践できず

*なるべく本を読む(実践歴20年) 歩く事と連動してるのか本もこの一年読めてない

*なるだけ多くの人に声をかける(実践歴3年) これは完璧だけど、ちょっとげっぷ気味

*なるべく若芽を食べる(実践歴数ヶ月) これでもって一発に痛風完治。以後継続中

*なるべく車を運転しない(実践歴12年) あるきっかけからどうしても必要な時はレンタカーを実践。

*メールが来たら必ず返信(実践歴3年) 完璧

*いつも誰かに恋すること(実践歴5年) ほとんど妄想に近くてもこれも実践。

*体が疲れたら海を見に行く(実践暦20年) これも好きだから実践してる

*心が疲れたら高野山へ登る(実践歴25年) 年に一回行くか行かぬかだけど、樹齢数百年の杉は素敵

*なるだけワリカンはしない(実践歴30年) お酒飲むのにワリカンはない、ある時は必ず出す

 

などなど思いつくまま書いたけど、
一度それこそ海でも見ながらゆっくりこのことを考えて見たいもの。

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ジャンと黄金色の海


2006/10月5日   「海にでもいってるのかな?」一通のメールでちょっと元気をもらいました。今は慌ただしくて海には行けないけれど、落ち着いたら必ず海を見に行こうと思います。だいだい色の大きな夕陽が沈む海。青い海も素敵だけど黄金色に輝く海もいいものです。

砂の上にぺたんと座って沖合を眺めていると、とことこと犬が近寄って来ます。「君は野良犬かい?」と訊ねると「ううん、違うよ、おじさんは野良人間かい?」と逆に訊ねられて「違うよ、海を見に来たんだ。それと夕陽をね」「おじさん変わってるね」「なんで?」「だってこんな季節にここに来る人なんていないから」確かに誰もいない浜辺。「君がいるじゃないか」「僕はこの近くに住んでるから、毎日来るんだ」「ねえ、ここに来て一緒に夕陽を見ないかい」野良犬じゃない犬は横へ来てちょこんと座ります。肩に手をまわせないから頭をなでながら「こうやって2人で見る海は素敵だね」

「おじさんどこから来たの?」「大阪さ」「そこには海はないの?」「あるよ、ネオンの海、ビルの海、人の海、悲しみの海」「変な海だね」「そう、人がいっぱい集まるところにはいろんな海ができるんだよ、ほんとうの海じゃないけど」「ふ〜ん、僕は他の海は知らないけどこの海が好きなんだ」「毎日変わる波の音、砂の模様だって変わるんだよ」「おじさんの好きな夕陽だって色も大きさも変わるよ」「そうなんだ」「うん、明日も来てごらん、違いが分かるから」賢い犬だ、ナイーブな犬だ。「君の名前は?」「ジャンだよ」「ジャン?」「ジャンクリストフのジャンだよ」「ああ知ってるよ」「ほんとは家の人が太郎ってつけたんだけど、気に入らないから人にはジャンって名乗ってるんだ」主張のある犬だ。

「君と話していると人間と話してるようだ」「そう、僕もおじさんと話してると犬と話してるようだよ」僕と感性の似た犬だ。突然ジャンは立ち上がって大きな伸びをして「おじさん僕もう行くよ。家の人が心配するから」「明日また会おうね」そう言うとさっさと駆けて行きました。気遣いのできた犬だ。夕陽は頭を少し残して海の中。あたりは急に暗くなりました。「さあ、僕も行かなくちゃ」秋の海はロマンチックです。

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あの時


2006/10月3日

「胃潰瘍でもう飲めないから」と手渡された焼酎
「僕は家では飲まないからいいよ」
「誰かと一緒なら飲むでしょ」
「そりゃあ飲むけど」
「じゃあ持って帰ってください」
「うん、じゃあ」

妙に強引だなと思いながら受け取った焼酎

時間が経って分かったけれど彼はあの時もう自分が助からないことを知っていた
胃潰瘍じゃなくて胃ガン
まだ封も切ってない瓶を見ていると

こみ上げてくるもの
逝ってしまった友の最後の顔、最後の会話

「もう長くないです」
「そんなこと言うなよ」
「でも来月ここで彼女が演奏会を開いてくれますから、それまでは頑張ります」
「時間あったら来てください」
「来るよ」「じゃあまた」「演奏会まで体調整えておくように」

握手をしたら思いがけず力強く、「これならまだ大丈夫だ」と一人ごちて帰ったあの日

 

あくる日、突然の悲報に言葉を失った

本格いも焼酎、さつま木挽

「今夜は一人で飲むよ」

思い出せばちょうどこれぐらいの時間、君の店でべろんべろんに飲んだこともあったね

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ユーモア父ちゃん


2006/10月2日  僕が中学の時、摂津峡の崖っぷちで絵を描いていた父は谷に転落して亡くなりました。早春の川辺で遺体を発見してくれた登山者の話によると霜で覆われた遺体はどこにも外傷はなく、顔はうっすらと笑みが浮かんでいたので寝ているのかと思ったそうです。

僕が5才の時よく行く中之島の貸しボート屋でモーターボートを借りた父は僕をのせ走り出しました。舟は波を切り風を切り怖がる僕をものともせず進んで行きます。最初ぐるぐると付近を廻っていたボートは突然、下流に向かって直進しだしました。「どこへいくんだろ?」ボートはどんどんスピードを上げて父は得意そうな顔で運転しています。「正樹、気持ちいいだろう」気持ちいいより怖いが本音。「お父ちゃん、どこへ行くの?」「家に帰るんだよ、電車やバスより速いからね」「家・・・」子供の僕にも何か嫌な予感がします。ボートは安治川を疾走して見慣れた景色の場所へやって来ました。エンジンをゆるめた父は岸壁に近づけます。堤防の上を見上げると人だかりがしてます。「なんだろ」中には警察官もいます。僕を担いで階段を上がった父は警察官と何やら話をしています。笑ってるぐらいだから何事もないんだと思ったら、父は近くの交番へ連れていかれました。母が来て謝ります。「あんた何考えてるの」きつい口調。父は僕にウインクして「正樹、気持ちよかっただろ」「今度はお母さんも乗せよう」警官は笑い、母は半泣き。結局ボート屋のおじさんが来て何とか一件落着。そのおじさんと父は友人だったのです。

僕が小学二年の時、学級参観がありました。「お母さん来てくれるの?」「ちょっと用事があって行けないからお父さんに行ってもらう」嫌な予感がしました。授業が始まって教室の後ろにはぞろぞろお母さん達が集まってきます。こわごわ振り返ると、父の姿はありません。「ふ〜っ」胸をなでおろして黒板を見つめます。授業が半分ぐらい過ぎた時、教室がざわざわしだしました。「なんだろ」教室の全員が一点を見つめています。胸騒ぎがします。みんなの視線の先。「ぎゃあ〜〜」廊下側の窓の正方形のガラスが一枚はずれていて、なんとその窓にぴたりと父の顔がはまっているではありませんか。まわりは磨りガラス、首だけが窓に乗っかってるように見えるのです。僕の視線をとらえた父は満面の笑み。あまりの恥ずかしさに僕は気絶しました。

僕が幼稚園の時、めずらしく父が迎えに来ました。「正樹、映画いこ」映画館への道すがら棒きれをひらった父はちゃんばらのような格好をします。「やあっ、とおっ〜」道行く人が笑ってます。僕は下を向いて歩きます。さて古びた映画館で上映されていたのは「怪傑ゾロ」最高に面白い映画でした。「お父さん、ゾロってかっこいいね」「あんな人ほんとうはいないんだ、映画の中だけでしょ?」「正樹、ほんとうにいるよ」「また嘘ばっかり」「絶対いる」強い口調でいい切るのです。またしても嫌な予感。家に帰って楽しい食事時「お母さん、ゾロってかっこいいよ」「ねえ、お父さん」あれっ「お母さんお父さんは?」「またどこかでお酒でも飲んでるよ」ま、時々そんな事があります。映画のかっこいいシーンを思い出しながらの楽しい夕食。映画って面白いな。最高。すっかり幸せな気分になって、絵本のおいてある二階へ上りました。薄暗い部屋。本を手に取ってごろんと横になります。「がたっ」物干しの方で音がします。目を凝らすと出たのです。「わああああ!!」全身黒づくめの怪傑ゾロが立っています。でも、なんか違う。帽子も変だし、黒いカーテンぐるぐる巻きのような服も変。「お父ちゃん!」と言った瞬間ゾロはヒラリ身を翻し、物干しから飛び降りました。

「ドスン」「ぎゃああ」と言う女性の悲鳴。ゾロは夕食の余り物を届けに来てくれた近所のおばちゃんの前に落ちました。おばちゃんは腰を抜かし、ゾロは大腿骨骨折。駆けつけた救急隊員はあまりの異様な光景に呆然としていたそうです(後で母から聞いた話)後日病院でギブスをはめた父の頭に母の鉄拳が飛んだのは言うまでもありません。

 

父は僕によくこういってました。「人生に一番必要なのはユーモアだよ」ユーモアって痛いものだなと心の中で思いつつ、父の言葉に妙な説得力を感じたのです。

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それぞれの色

2006/10月1日

今日から10月。神無月です。
たくさんの涙と複雑な人間模様に神経はかなりまいって、青い空に「お〜い」と叫びたい気持ち。

 
お〜い

呼んでみただけさ

声が聞きたくて呼んでみただけさ

言葉は星となって

夜空に輝き

笑顔は光となって

虹をかける

 

お〜い

呼んでみただけさ

笑顔が見たくて呼んでみただけさ

流れゆく雲も青い空も

君なしでは映らない

 

お〜い

呼んでみただけさ

元気かどうか確かめただけさ

やさしい風が木の葉をゆらし

気持ちのいい朝を感じたいだけさ

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なんてきれいなおつきさんなんでしょう


2006/9月30日  ふと空を見ればきれいな三日月。きれいだな、やさしいなと月に思いを馳せます。輝く満月の君とは印象は違うけど、いつも変わらず笑顔を見せてくれるお月さん。このところずっと重たい事ばかり考えて鉛のような言葉しか書けないけど、それはいけない事ですね。事実は事実、でも真実ははるか彼方、銀河の向こうにあるのかも知れません。

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言葉と思い

2006/9月28日  言葉にならない思いがあります。書いてはいけない言葉があります。相手への気遣いゆえ、煮詰まらない考えゆえ、思いは回転木馬のようにぐるぐる回ってぼやけた風景になってしまいます。沈殿する思い。掴みだそうとすると湖底のどろのようにもくもくとわき上がって何も見えなくなります。

歯に衣を着せず思いはなるだけちゃんと伝えようと心がけていても、やっぱり言葉にならない思いがあります。それでもやっぱり思いは伝えなければなりません。本当に相手への気遣いゆえなのか、本当に思いやりなのか、もしかして自分への気遣いじゃないのか、自分を守ってるだけじゃないのか・・・思いはごとごと煮詰めなければなりません。煮詰まった思いは自然と形になるはずです。

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神それよりかけがえのない命


2006/9月28日  また一人友人をなくしました。仏教でもキリスト教でも、何でもいいけどかけがえのない命です。壮麗な教会の中、荘厳なお寺の中、司祭や住職は言います。神がいて、仏がいて、云々と。今日僕ははっきりと分かりました、一つの命を苦しんで、それを少しでも和らげようと思った人。愛と言う言葉はとてつもなく難しいけれど、愛すると言うことは実践あるのみです。きれいな教会の荘厳な雰囲気の中で僕は感じました。人を天国に導くのは人です。人と人の愛です。神などどこにもありません。もし神と言う概念があるならば、それは人間の中でも心の美しい人の中にあります。人を殺してなんのカトリックですか。人を殺してなんのイスラムですか。宗教は科学が未発達な圧政の世に人々を救うために現れたものです。

権力者に利用されてなんの宗教ですか。宗教とは「とうとい教え」と書くのです。尊いとはどんな命をも大事にし、よしんば悩む弱者を助けよと言う意味です。そんな人が死んで、葬儀代は・・・万、教会やお寺の費用は・・・万、献花は一本・・・円、定かではないですけど、あなた達は連れ込みの暴力バーですか?と言いたいです。神父さん、貧しい人、そして懸命に生きた人ならただでいいじゃないですか。

天国が心の中にあるというならば、それこそ形式張った教会も、お寺もいらないじゃないですか。心の中でしょ?僕は百回問いたいです。それが分かってて、「バースさん形式を守るにはお金いるし、ほとんどの人は形式にしか意味を認めないから、教会の形式を維持するにはお金がいるのです」「本当にごめんなさい、あなた方のような人ばかりだったら、こんな形式はいらないんですけどごめんなさい」「結局私だってサラリーマン見たいなものです」とちゃんと打ちあけてくれればいいじゃないですか。とにかくこれからの時代をいかに殺し合いやしょうむない衝突をなくすのは宗教を少しずつあらためる事です。

あなた達、命は全て主とともにあるとか、御仏のもとにあるとか言ってしまったら、悪い連中に取ってはそれは単なる免罪符です。神なんかどこにもないです。御仏もないです。あるのは人として考える事が出きる生物として、この青い地球を守る代表的な生き物として頑張るしかないのです。何が神ですか。いい加減にしてください。十字架を片手に原爆を落とせますか。イスラムの教典を片手になんで自爆テロなんてできるのです。一体どんな神なのですか。神があるとすればそれは人間の心の中にあるのです。神を決して免罪符にしてはいけません。それは人間の心を売り払うことと同じだからです。

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2006/9月27日  縁のある人、縁のある日、縁のある場所。人生の中で偶然なんだけど結果必然みたいに重なってしまう出来事があります。自分の意識が呼び寄せるのかそれとも何かに自分が呼び寄せられるのか分からないけど、縁のある地や人は確かにあるのです。今日は惜しくも亡くなった友人の告別式。場所は六甲の教会です。この友人との縁、それは大阪の新世界に始まります。子供の頃、毎週のように父に連れられて行った天王寺美術館。芸術家と日雇い労働者と遊び人が混在する街。通天閣と動物園のあるこの街はまさしく混沌の街です。時は流れ5年ぐらい前でしょうか、美術館前の通りで路上詩人と出会い仲良くなりました。ある日その詩人の住む路上小屋の前での宴会。同じ路上生活をする人達の座談会のようなものです。話題は文学の話や哲学、政治の話が多く、高尚なもの。持ち寄ったたこ焼きや缶ビールにふさわしいものです。そんな宴会も忘れかけていた時、その中にいた1人の男性から電話がかかってきました。「あの僕のこと覚えてらっしゃいますか」「一度会ってお話がしたいのですけど」「僕は高島屋の前でスケートボードを持って立っていますから」

彼の事をよく覚えていないけれど高島屋へ向かいました。「あ、あなたでしたか」見れば思い出します。初老の男性がバミューダをはいてスケボーを持っていたら目立ちます。聞けばスケボーはどこかで拾って来たとのこと。「やあ〜、とにかく僕の知ってる店へ行きましょう」と彼が言うので、「今日は僕お金ないですよ」と言うと「大丈夫、大丈夫」。「それじゃ」と言うことでその店へ向かいました。店について横に並んで話し出すと、初対面に近いにもかかわらず、何か旧知の間柄のようで、今や過去を自在に話し合いました。そんな流れでその店を気に入った僕は彼とは別に何度か店を訪ねる中で出会い親しくなったのが、前述の亡くなった彼なのです。

場所は六甲。そして癌治療のため大阪の病院で入院していた彼がある縁で神戸の病院へ転院しました。そして他界。葬儀は大阪でするものと思っていたのですが、またまた不思議な縁で六甲の教会となりました。昨日教会へ行きましたが、教会のある場所は、ある縁で僕が数年に渡って仕事をしていた場所の近くなのです。おそらく故人には縁もゆかりもない場所。でも僕には新世界に次いで思いで深い場所。あの阪神大震災の前と後を知っている場所なのです。数年ぶりに偶然来ることになったこの街。教会を出て懐かしい場所を訪ね歩く中でふと「縁」と言う言葉が浮かんだのです。

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ことわざ婆ちゃん


2006/9月26日  大好きな婆ちゃんがいました。母の母、サカエ婆ちゃんです。ある時台所でとら猫のトラとほたえていて醤油の一升瓶を倒したのです。栓がはずれてどばーっと醤油が床へ。「わあ、どうしよう」「トラが醤油をこぼした」と不始末を猫のせいにしたとき、おばあちゃんの声がしました。「正樹、ここへ来て座りなさい」おまえこんな言葉をしってるかい?「風雲矢のごとし、騙すより騙されよ」「はぁ??」トラは知らん顔して毛繕いをしています。おばあちゃん意味わかれへん。「よく考えてごらん」なぞなぞのような諺を投げつけて、後は火鉢で酒粕を焼いて食べています。サカエ婆ちゃんは小学校も出てなくて読み書きができません。全ての情報は耳から聞いたこと、後は絵でしょうか。ありとあらゆる諺がかなりとんちんかんにインプットされています。

「おばあちゃん、今日のコロッケいつもより小さいことない?」「正樹、おまえは小は大をかねると言うのを知らないのかい」「・・・」「おばあちゃん、ね、ね、キャラメルのあてもん一等当たったよ!」「そうかい、瓢箪から孫が生まれたね」「・・・」時は流れ中学の時、クラブ活動で大失敗した僕は思いっきりふさぎ込んで、学校へ行こうとしませんでした。その時、「正樹、ここへ来て座りなさい」またとんちんかんな諺かと仏頂面で座ると「正樹、おまえ山よりでっかい獅子は出ぬ、と言うのを知らないのかい」「おまえの失敗なんて小さなことだよ」いまいち意味は分からないけどなんか妙に勇気がでる言葉でした。やまよりでっかいししはでぬか・・中学への道々、やまよりでっかいししはでぬ、やまよりでっかいししはでぬ、とつぶやきながら歩いて、学校に着くと、昨日の大失敗の恥ずかしさは何でもないことのように思われました。で、実際みんな何とも思ってなかったのです。独りよがり。

学校へは行かなかったサカエばあちゃんだけれど、朝から晩まで何か手を動かしているおばあちゃんは永久電池の入った人形のようで見ているだけで楽しくなったものです。編み物、はさみの手入れ、野菜の皮むき、梅干しづくりにあらゆる漬け物。干し柿、干しイモ、干しブドウ。にたにたしながら変なお酒も造っていました。山盛りの洗濯物が入ったかごをひょいと持ち上げて、二階の物干しまでとんとんとん、、「おばあちゃんは忍者か」と思ったこともあります。壁にぶつかると戻ってくる玩具みたいに止まることを知らない人でした。

今日癌とたたかっていた友人が亡くなったと言う悲報が入りました。急いで病院に向かいましたが、悲しくて怖くて友人の死に顔を見るのが嫌だったのです。病院へ向かう電車の中、やまよりでっかいししはでぬ、と言う懐かしいフレーズがふと湧いて来ました。やまよりでっかいししはでぬ、病院へ着くと友人は眠るような穏やかな顔をしていました。臨終の苦しみは言葉にはできないほどのものだったそうですが、薄く目を閉じて眠るようなその表情は安らかなものでした。昨日見舞った時は死ぬような気配はなかったのに残念です。10月の9日に病院で音楽会をするから、できたら来てくださいと昨日言ったのは、僕に安心させようとするフェイントだったのでしょうか。この悲しみ、サカエ婆ちゃんが生きていたらどんな諺を投げかけてくれるのでしょう。「正樹、ちょっとここへ座りなさい」「おまえ、友よさらばと言う映画を観てないのかい」「えっ今度は映画なの?」

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命と死


2006/9月25日  命あるものには必ず死が訪れます。誰もがそれを分かってはいるものの死の必然を認知することはなかなかむずかしいものです。あたかも永遠の命があるがごとく人は生きがちです。身近な人の死を目の当たりにしたときに感ずる得体の知れない思い。悲しみ、寂しさ、無念さ、はかなさ・・・いくつかの情念に加えて得体のしれない何かが心に巣くうのです。この3年間、相次いで2人の友人と母を失って感じたことです。

人は様々です。いかなる原因が人をそうさせるのか分かりませんが命への対し方は絶句するほどの個人差があります。可愛がっていた猫の死の悲しみから何年も抜け出せない人。ウサギや鴨を矢で射たり平気で殺す人。愛する子供の死にショックで立ち直れない人。我が子を床にたたきつけて殺す人。「命」、言葉になりません。

この4月に知人が入院しました。3年ぐらいの知り合いなのですが、すぐ退院できるとの事で、軽い気持ちで見舞いに行きました。1ヶ月が過ぎても一向によくなる気配がないので、「もしかしたら難しい病気じゃないのか?」と訊くと「実は癌なんだよ」と打ちあけてくれました。かなり進行、転移していてもう手術もできないとのこと。「そうか、でも今は抗癌剤も進んでるし良くなる可能性はあるよ」と言いましたが、2年前母の癌との戦いをつぶさに見てきた僕には重たすぎる話でした。

見舞いを重ねて行く中で、彼の生い立ち、生き様を事細かく知ることになりました。少しでも明るくしようと楽しい話題を振り向けるのですが、死と向き合った彼との話はどうしてもシリアスなものになります。人それぞれに背負ったものがあるという事。当たり前のことだけどあらためて思いました。ある日病院へ行くと「松浦さん、実は入院してから僕をずっと世話してくれてる女性がいるんです」聞けば、知り合いの関係で一度見舞いに来てくれた女性が、何故だかずっと身の回りの世話をしてくれてるとか。独身で身よりの縁も薄い彼にとっては天使のような存在です。「よかったね」その後、病院で彼女と話をしましたが、自分の娘の関係で彼の病気を知り、見舞いに来たらほおっておけなくなったとのこと。心理はもっと複雑なものがあるのでしょうが、今の世の中身内でさえめんどう見ない人もいる中、情の厚い人もいるものだとうれしくなりました。

そして4ヶ月、彼女の懸命の介抱と励ましも、抗癌治療も効を通さず、少しでも苦しみが少なくて済むようにとの彼女の計らいでホスピスへ転院。昨日、もう長く持たないとの連絡を受けて見舞いに行きました。「いろんな治療あれだけ頑張ったのにね」と僕が言うと彼は少し笑みを浮かべて「でもね、彼女やいろんな人の励ましがなかったら、もうとっくに死んでますよ」「これでも僕の覚悟を遙かにこえて生きることができました」「感謝してます」まるですぐにでも死ぬような事を言うから「来月に入ったら院内で彼女がバイオリンを弾いてくれるんだろ?だったらそれまでに体調を少しでもよくしておかないと」「そうですね」「頑張ります」帰り際握手をした手にまだ力があったので、まだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせて病院を出ました。

なのに今朝、あまりの苦しさに本人が痛みをなくす睡眠注射をのぞんだとの連絡が入りました。睡眠剤を注射して点滴をはずしたら、それは死を意味すること。「命」、やっぱり言葉になりません。

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古きもの

2006/9月21日  窓の外は見事な秋晴れ。室内にいるのはもったいない気がして、ぶらり散歩へ。すがすがしい秋の風が何とも気持ちよく気がつけば四天王寺の門が見えます。近づくと門の向こうに大勢の人、静かな境内で缶コーヒーを飲みながら本を読むと言うもくろみは消えました。門を入るとまるで心斎橋のような人混み。時々開かれる骨董、がらくた市です。様々な露天商が所狭しと店を出しています。何でもあります。洋服、和服、火鉢、ギター、レコード、カメラ、ジーンズ、ブリキの玩具に古い牛乳瓶。あらゆる生活雑貨が山積みです。ほとんどの品物は誰かがどこかで使わなくなって放棄したもの。一つ一つのものにはそれぞれの歴史が傷となって色あせとなってしみ込んでいます。どこか暖かそうな感じ、でもどこか寂しそうな感じ。お金と保管場所があれば、買い取りたいものがいっぱいあります。並んでいるものの多くは僕の子供の頃の文化そのものだからです。

懐かしい手巻きのカメラ。フィルムがぐるんと引っ張られるあの感触はデジタルでは絶対味わえないもの。「写るんです」じゃないけれど、写るだけならデジタルでもいいけど・・・、そう言えば友人のカメラマンもぼやきながら結局仕事はデジタルでとるようになっちゃったし、時代の流れと言うしかありません。古きもの。別に欠陥があるわけではなく、不便とか汚いとかに全て「古い」と言う代名詞をつけて不要にされたもの。考え方によっては決して不便ではないし、ちゃんと手入れすれば決して汚くないものもあるのに「古い」で終わり。両脇に並べられた「古い」ものの中を歩いていると、一つ一つの「古いもの」が発する声が聞こえて来るようです。「ねえ、私達のどこが気に入らないの」「一緒に連れていってよ、僕はもう二度とこの世に生まれないよ」・・・・僕には彼らのほとんどが古き良きものに思えるのです。

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心と命


2006/9月20日  癌で闘病中の知人がだんだんと体力を蝕まれていきます。最初の頃は「しんどいけど心だけはしっかりもって、頑張れ」と励ましていた僕もあまりの痛みに苦しむ姿を見ると、とても頑張れとは言えません。母の時もそうだったけど、ただ黙って母の手を握り、苦しむ母の目を呆然と見る事しかできないのです。心の中では「頑張って」いや「もう頑張らなくていいよ」の二つの言葉がぶつかります。ただ生きていてほしいと思う気持ち。こんな苦しみは消してあげたいと思う気持ち。どちらも本当の心だけれど命は最後の最後まで天命です。

数ヶ月の余命を宣告された彼の命だけれど、最後の瞬間まで、僕は心の中で「もっと頑張れ」と「もう頑張らなくてもいいよ」の二つの言葉を繰り返し続けます。

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近くて遠い思いを馳せて


2006/9月19日

ぐるぐるぐるっと意識が戻る
遠いな 近いな
ふぁーっと心が揺れる
激しいな 静かだな
ぴゅーんと体が動く
熱いな 冷たいな
時が来て 鐘が鳴って
何かが消えて 何かが残って
ぐるぐるっと意識が戻る
近くて遠い あの月のように

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いのししの悲しみ


2006/9月18日  ニュースで神戸六甲あたりの住宅街のおじさんがいのししに餌付けをしている理由で苦情を訴えられていました。おじさんいわく「人間のエゴで山の環境を壊し、食べるものがないから街中へ降りてくるんじゃないか」「私は彼らを街に降ろしたくないから、山まで餌を運んでるだけです」アナウンサーの一方的な問いに切れたおじさんは「一体いのししが何をしたと言うんだ?」と声を荒げていましたが、自分たちは何の努力もせず、いのししが街に出たと言って大騒ぎする住民の姿勢には僕も反感を覚えます。

以前六甲で仕事をしていた時、僕も街中で幾度かいのししに遭遇した事があります。夕暮れ時目の前に突然いのししが現れた時は、びっくりしましたし怖くもありました。日頃犬より大きな動物と出合うことのない僕にいのししは驚くほど巨大に見えたのです。棲家の山を開発で切り崩されて、食べる木の実がなくてふもとの住宅街にゴミをあさりに来ているのです。

ある夕、ゴミ袋を必死でかき回して食べ物を探すいのししと出合いました。見ると横に小さないのししがいます。子供を連れて山から下りてきたのです。子連れのいのししは危険と聞いていましたので、あまり近くには寄れませんでしたが、見ていて可哀想になりました。「彼らには何の罪もありません」森を破壊してどんぐりの実を奪った人間のエゴです。

母いのししは子供にいいました。「お前、山にどんぐりがなくてこんなゴミの中の食べ物をあさるしか生きれないんだよ」「ごめんね」「お母さんいいんだよ、だってお母さんの責任じゃないんだもの」「それよりまた意地悪な人間に見つかって殺されてしまうかもしれないから、お母さん早く山へもどろ」

こんな会話を交わしてるいろいろな動物が日本中、世界中に増え続けています。環境破壊は命の破壊です。どうしても山を切り崩すなら、そこにすむ住民のことは考えてあげなくては人間じゃないでしょ。カラスが悪い、猿が悪い、熊が悪い、いのししが悪いなんて言うのなら、人間はどうなの?と自問自答しなければいけません。

動物だけじゃなく大阪の街にはゴミ箱をあさる人間もいます。彼らだって全て彼らの自己責任でそういう行為をしなければならないとはとても僕には思えません。彼らもまたただ自分たちのエゴのために動物を排他するような人々によって排他された人達だと僕には思えるのです。

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うさぎからのメール

2006/9月17日  信じられない事だけど、ウサギからメールが来ました。直接面識はないんだけど、飼い主が落とした僕の名刺を見てメールをしてくれたのです。「助けて」と言う書き出しでした。「僕の事知ってるでしょ、あのブログで踏まれてクラゲのようにべたんとしてた僕です」ああ、分かった君か、「いったいどうしたん?」「僕はウサギだから人間に対して何もいえないんだけど、今の飼い主は人間じゃないと思うのです。明日食べられてしまうかもしれない」「おいおい、そんなペットを食べる人間なんてめったにいないよ」「あのね、食べられると言うのはおおげさんだけど、虐待と言う言葉があるでしょ。」

「もう2日も何も食べてないんだから。」「えっ?***ちゃん、(名前を明かすと命に係わるのでふせます)ほんとか?」「だって、友達の結婚式とか子供生まれたとか、美味しい酒あるとか、分けわからんこと言って、僕の食べ物も置いてゆかず全然帰ってもけえへんし」「そんな事ないだろ、彼女はやさしい人で通ってるし、僕もそう思ってるよ。」「おっちゃんあほちゃうか?そんなレベルでウサギの僕がこんな命がけのメール打つと思うか?」「とにかく助けて?動物愛護団体でも何でもいいから助けて」「わかった。せやけど自分僕よりメール打つの上手いな」

「あのね、もともとウサギ族でもドワーフウサギは全部デジタル。声が出ないから会話はできないけど、今のアホの(ここだけの話やけど)奴の会話なんて聞いてるだけど倒れそうになってるで」「分かったそれ以上言うと、ほんま感ずかれたら、助けてもへちまもなく、明日は鍋の中」「とにかく僕は全力で救済作考えるから、気づかれへんようにな」「昼間にメールして、それから僕の返信は全部消去して」「気づかれたら僕も殺されるから」「絶対言葉わかれへんふりだけはつづけて、今のとこ私の言葉なんかウサギに分かってたまるか、ぐらいのおごりはあるからね」「くれぐれも感ずかれんように」「必ず助けるからね」

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公園にて


2006/9月14日  無謀なる徹夜明けのぼーっとした頭をリフレッシュしようと近くの公園へ旅行。誰もいない平日の公園では鳩が主人公です。ベンチに腰を下ろしポケットからタバコを取り出そうとすると、鳩たちはいっせいにこちらへ進軍。「ごめん、食べ物じゃないんだ」とライターで火をつけると、つまらなさそうな顔をして一気に後退。「何か持ってくればよかたな」と反省しながらぷかりぷかり。睡眠不足の目に公園の緑がにじみます。さて帰ろうかと思って立ち上がると初老の男性がひょこっと近づいてきて「あのう、北田辺へはどう行けばいいんでしょ?」あまりに不安げな様子なので「どうかなされましたか?」と訪ねると「実は女房と別れたのです」

「えっ、別れた?」「どちらからこの公園までこられたのですか?」「北田辺からです」「・・・・」不思議な回答。しばらく考えて、「もしかしたら奥さんと散歩に出て、あちこち歩きながらこの公園に着いて、気がついたら奥さんとはぐれてしまったという事ではないのですか?」おじさんは、「そうそう、そうなんです」だったら女房とはぐれてしまったと言わないと。別れたなどと言うから、考えてしまいました。「ここをまっすぐ行くと環状線の駅にでますから、駅員に住所を言えば地図を見て教えてくれますから」そう言って手を振りながら帰途につきました。徹夜明けのぼーっとした頭に、別れたなどと言う言葉をぶつけないでください。僕がパニックになりますから。


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最後の砦そして幻のシャーウッド

2006/10/12  ちょっとさみしいメールが来ました。「いよいよ私が最後になりました」天王寺美術館の前の路上に暮らす友人からのメールです。電気設備を持たない彼からは数ヶ月に一度ネットカフェからメールが入ります。5年前になるでしょうか、彼と知り合ったのは。当時美術館から新世界へとつながる陸橋の上は端から端までずらっと路上生活をする人達の小屋やテントが立ち並んでいました。包丁研ぎをしている人、廃材で彫刻を作っている人、こつこつと詩を書いている人、ひたすら眠っている人、多種多様な人達が日雇い労働や空き缶を集めたりして暮らしていました。
中でもひときわ目立つ小屋があってある時「こんにちは」と小屋の住人に声をかけました。小屋全面に貼られた反戦ポスターや叫びのような詩句の印象とは違い、中から柔和な顔をした人が現れました。「やあ、どうも」極端に人見知りするらしい彼は頭をかきながら精一杯の返事をしてくれました。こちらもどぎまぎして最初の会話は忘れましたが以来、ずっと親交を暖めて来ました。数ヶ月に一度ぐらいですが缶ビールと缶詰を手みやげに彼の小屋を訪ねるようになって5年。春夏秋冬を思いっきり感じられる彼の2畳ほどのマイホームは僕にとっても居心地のいい空間になりました。小さな空間にはちゃんと原稿を書ける机もあって、4人ぐらいが座れるスペースもあります。この都会のど真ん中で電気もガスも水道もない生活。いくら慣れがあるとはいえ大変に違いありません。その彼から今度の15日に「通天閣あおいでお茶の会」をするとの通知。読めば「ご近所みんな出ていかれ私1人となりました。この機会に再出発するつもりです」と書かれています。この数年間度重なる大阪市の嫌がらせにもめげず頑張って来た彼も限界を感じたようです。彼らしいユーモアで「私の小屋でお茶会します。最後の野宿小屋のオープンハウス。珍しい開閉式屋根のフラミンゴが見える家です」確かに彼の家からはフラミンゴが見えます。小屋の下は天王寺動物園なのです。彼の小屋は僕にとっては新世界の「最後の砦」のような印象があります。警官の横暴。酔っぱらったサラリーマンの暴行。心ない学生の襲撃など命の危険に幾度か脅かされながらの生活。めったに愚痴を言わない彼が一度ぽつりと言った言葉があります。「人間ってなんなんでしょう」
十数年前までは美術館、動物園に続く小さな森がありました。ある時大阪市が花の博覧会を開くと言う口実で森を全滅させたのです。森に暮らす野外生活者を追い出すための口実でした。開かれた博覧会は口先だけのなんの内容もない催しで、後には現在の無味乾燥の有料公園ができました。あまり利用客のない公園です。あの小さな森があってこその美術館だと言うのに。確かに森には浮浪者らしき人も住んでいましたが、彼らは森を掃除したり子供を守ったりして、静かに暮らしていただけ。暴力行為や犯罪などとは縁遠い人達でした。時々見た目はぎょっとするような人もいましたが、話せばなんとも人間的な人。僕にはロビンフッドの物語に出てくるシャーウッドの森だったのです。情緒あるものを何もかも取り壊しコンクリートとフェンスに仕切られた空間を作って何が美しい大阪、美しい日本ですか。

野宿小屋の彼「橘 安純」さんの小屋は天王寺美術館から新世界に続く陸橋の上。お茶会は午後一時からだそうです。来訪先着20名に限定粗品進呈?などとも書かれていますので、美術館や動物園、串カツを食べに近くへ行かれた方は覗いて見てください。

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別れの理由

006/05/16  人は一回きりの人生の中でいったいどれくらいの別れを経験するのでしょうか。愛した人との離婚や愛する人との別離。愛犬や愛猫との死別。父、母、祖母、祖父、友人、知人との死別。個人的に振り返っても多くの別れがありました。でも死別はいたしかたない事ですが、生き別れにはそれなりの理由があります。

離婚するには結婚するときの2倍のエネルギーがいると世間で言われていますが、僕自身の体験ではその通りでした。愛し合って一緒になったのにどうして別れるのか?相手を知らなさすぎたのか、それとも相手が変わってしまったのか、いや自分の方が変わったのか、離婚に至る理由や原因は複合的でややこしいものですが大抵の場合悪いのはお互いさま、ハーフアンドハーフだと僕は思っています。

3歳から6歳ぐらいの間、父親に連れられて度々地方を訪れました。何故だか分からないけど旅役者の一行に混じって旅をするのです。おんぼろトラックの荷台に舞台道具や化粧も落としていない役者さん達と一緒に積まれて町や村をまわるのです。父はその劇団の座長と親しいようでした。普段から奇行の多い父でしたから別段不思議にも思わずその頃は珍しい体験にただおろおろしていました。いたずら好きの父はわけもわからない僕にカツラをかぶせて舞台に押し出した事もありました。小さな刀をもってうろうろする姿は絶好の笑いのネタでやんやの拍手喝采。僕はただ恥ずかしくて最後には泣き出す始末で無茶苦茶な父を恨みました。

時は流れて恨みも劇団の記憶も消えた頃、母から思わぬ事を聞きました。「あの劇団の座長は、お父さんのお母さんなんだよ」「・・・」なんかあるとは思っていましたがまさか父の母親とは思いませんでした。そのような言葉や振る舞いを見たことがなかったからです。中学に入って世間の理屈が少しわかる歳になった僕に母はいきさつを話してくれました。「お父さんが今のおまえぐらいの時に祖母は駆け落ちをしたんだよ」「それも町に巡業に来ていた旅役者と」当時は普通の離婚でさえ世間から白い目で見られる時代でしたから、祖母の行動は新聞沙汰にまでなったそうです。詳しく聞けば祖母の夫、祖父はめずらしいぐらいのエゴイストで祖母は逃げるか死ぬかしかないところまで追いつめられたそうです。そして意を決して旅役者の人と逃げてその後その劇団の座長になったのです。鬼のような祖父から逃げるためだったらどんな苦労も世間の目もいとわないと言うぐらい激しい決意だったようです。子供を捨ててまで逃げなければならない悲惨。胸がつまります。

母は父と結婚してからその話を聞いたそうですが、実際に祖父と暮らした経験のある母は「世の中には絶対に我慢できない人間がいるものだよ」と祖母をかばうそぶりを見せていました。確かに僕自身数回会ったことがある祖父は子供心に殺してやろうかと思うぐらい我慢のできない人間でした。あんな奴のためにえらい目に遭わされつづけるなら死んだ方がましだし、死ぬより逃げる方がましと言うのはもっともです。結論を言うと祖父は87歳まで生きましたが、悪どい性格はあらたまるどころかますますひどくなって第二第三の犠牲者をだしてこの世を去りました。地獄行きは間違いのないところです。

とはいえ祖母が駆け落ちした後の父の人生は最悪で幼い弟と妹の世話をしながら学校へも満足に行けず一時は逃げた母を憎悪したそうです。逃げた理由を分かっていた父はその後憎しみは解いたようですが、前述の旅役者の事、座長の祖母との関係はとても複雑なものだったようです。僕を連れて母親に会いにいくものの会えば長年のつらい思いが甦って、素直にお母さんとは最後まで呼べなかったようです。この祖母と祖父の別れに限ってはハーフアンドハーフではありません。祖父がほとんど悪いのです。

あの時代の日本。男尊女卑が当たり前の時代においてはどれだけの女性が理不尽な我慢を強いられて来たでしょう。偏った道徳観。世間体と言う恐ろしい足かせ。兄弟、親戚、子供・・・悪い男と縁を結んだ女性は悲劇以外のなにものでもない時代だったと思います。時代が変わって現代の社会においても離婚するためには相当なエネルギーが入ります。世間体や生活の不安から泣き寝入りをせざる得ない女性は今でも結構いると思います。女性の権利が拡大され女性の生活力がついた今、首を傾げたくなるような離婚も増えてはいますがまだまだ男女のヒューマニズムが未熟な日本では女性が割を食っている場合が多いような気がします。(つづく)

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偽装問題

2006/03/17  去年からつづく様々な社会問題。ライブドア、BSE、建築強度偽装、相次ぐ政治家の不祥事・・・やりきれない思いをされている方は多いのではないでしょうか?堀江氏や姉歯氏がクローズアップされた時、これは氷山の一角だと誰でも思ったに違いありません。なぜならこれらはどう考えても1つ1つ固有の問題ではなくて同じ根っこから生まれた同次元の問題だと思われるからです。ライブドアは金融システムの偽装ですし、BSEは国家の食に対する安全の偽装、建築は技術者の良心の偽装ですし、政治家の腐敗は志の偽装です。全ては間違った競争主義、拝金主義、利益優先主義の結果です。そして次々と明るみに出る情けない事件は資本主義の悪い部分の露呈だと思うのです。何故なのかはわかりませんが、資本主義=自由主義=民主主義みたいな錯覚と混沌が今の日本にはあります。確かに共産主義や独裁国家に比べれば自由度は大きいのですが、かといって民主主義とは違います。

 

資本主義とは経済最優先の世界です。資本主義における自由とは経済における自由です。(言論の自由は憲法で保証されているのにもかかわらず、口に出せない言葉もあります)多くの意味で国も個人も経済力が強いほど自由度も大きい事になりますから、経済的弱者にとっては真の意味の自由とはほど遠い世界となります。そして資本主義社会における民主主義とは、これもまた経済の強弱が大いにものを言う世界、ほんの一部の経済的強者がある意味社会を仕切ってしまう世界、民主とはほど遠い世界です。

 

こう考えたらどうでしょう。もし、最初に民主主義と言う強力なコンセプトがあって*どんな職業であっても、どんな生き方であっても相互にそれを認めあい、あるいは話し合って是正するような世界が確立されているとします。そしてその世界の中から*物欲の強い人もいることですし、お金も自由に儲けていいことにしましょう。そんな考え方の中から生まれた資本主義ならちょっと違うことになります。何故ならお金儲けは1つの選択だからです。金持ちは物をたくさん買えるかも知れませんが、誰もそれを羨ましがりませんし(同じ目的の人は別にして)誰もそれを否定もしません。もともと人間の価値観は千差万別ですから。

 

お金で買えるものより、お金で買えないものの中に楽しいこと、魅力的なことがいっぱいあるような世界なら(そして、そんな感受性と価値観を持てるような社会なら)あえてお金儲けに盲進する人は案外少ないような気がします。今の社会の根本的欠点は先に資本主義ありきだからです。お金のない者は生きる権利まで剥奪されます。(江戸時代ならともかく科学が発達してこんなにモノが余っていてもです)ならば、選択の余地なく人はお金儲けを第一義におかなくてはなりません。たとえそれが目的ではなく積極的になれない人であってもです。いやおうなしなのです。一部の天才的な芸術家や発明家は別ですが、好きなことをやって結果としてお金がついてくればいい・・・なんて考えで生きるのは危険すぎます。おそらく10%ぐらいの人がそんな危険な生き方をしてるような気がします。そしてまた10%ぐらいの人が、ええいもうお金さえ儲かったら何をしてもいいや見たいな感じになっています。最初に書いた偽装の面々です。

 

そして大多数、80%の人はこつこつとこの資本主義の掟に従って生きているのではないでしょうか。多くの人は悪いことをしたり人を押しのけて迄お金を得ようとは思っていないはずです。なのに、お金第一義で生きなければならない。他に生きる価値を見いだせない。そして、それゆえ何かの出来事で歯車が狂った場合、どう生きていいか分からなくなる・・・先進国の中で自殺者が群を抜いて多いのは、お金儲け以外の価値観を喪失してしまったつけではないでしょうか。それにしても政治家や教育者、医者など本来人のため、よりよい社会のために我が身を張って生きなければいけない人々の中から俗悪な犯罪者が続々とでるような社会はどう考えても腐敗しています。みんな人の子だからと言ってしまえばそれまでですが、そんな人が社会をリードしたり人の命を預かるような職業には就いて欲しくないものです。

 

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今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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